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2025年の日記
4月17日(木) 「夏野菜植え付けとSIMカード交換」
午前中に夏野菜の苗を買いに行き、午後から庭の菜園に植え付けました。トマトは大きな桃太郎と中玉、ミニの3本。(トマトはこれまでのように脇芽が出たら挿し芽をして増やします。その他キュウリ、シシトウ、なすび各1本。カボチャ2本を植えました。その他に小芋の種芋を8個植えました。明日から水やりが大変です。
先日、ドコモからSIMカードの不良具合が見つかり交換するようハガキが届きました。電話で連絡をし、昨日本人確認のもと新しいSIMカードが届きました。自信がなかったのですが、同封の交換の手順の説明書を読みながら方向や裏表を試行錯誤して何とか治まったので,手順に書かれているように自宅の固定電話にかけると無事かかりました。Wi-Fiにつなぐと今まで通り使えるのでホッとしました。その時に訳もわからず認証するといろいろな連絡が入るようになり、これは失敗でした。次に息子が来たとき、このあたりのことを教えてもらおうと思います。
4月10日(木) 「万博の前売り入場券を購入」
新聞に前売り入場券の発売があと2日だと書かれていました。以前に行きたいと妻に言ったことがありましたが、買い方がわからずそのままにしていました。しかしいよいよ締切り間近になり、試しに前日スマホで登録してみました。しかしややこしくて高齢者には無理だと思いました。それでも入場する日時を決めて頑張ってみると何とか登録ができました。しかし、そのまま入場券を買うには,キャッシュカードを入力しなければなりません。それはしたくないのでコンビニへ行き,紙に入場券を買うことにしました。店員に登録をしていることを伝え、スマホを見せると買い方を丁寧に教えてくれ、現金で前売り入場券を買うことができました。当日窓口で入場券と交換しなければならないようですが、慌てて入場することはなく、大屋根リンクの上を一回りできれば満足なので、後はパビリオンなどおまけだと思っています。それでも日が暮れてからの美しい景色は見て帰ろうと思います。パビリオンの見学の予約抽選については,これからの研究次第です。
4月2日(水) 「結婚63回目に記念日を祝う」
サクラマスのお寿司が食べたいという妻の願いを叶えるために、グランドニッコー淡路へ問い合わせたところ、メニューにはないけれども前日までに予約すればできると言われました。そして今日の記念日に高速舞子からバスで行きました。高速舞子のバス乗り場ではじめに乗ろうとしたバスは1人2000円といわれ驚いて乗車を止めました。バスを見ると屋根が透明な2階建てで、外国人観光客がたくさん乗り込みました。次は各駅と書いてあるので乗ろうとすると高速を洲本まで走るバスで、結局3台目で行くことができました。
料理は予約してあった通りサクラマスの寿司を用意してくれていました。海が見える眺めの良いテーブル席が確保されていました。冷酒で乾杯し美味しく料理を頂きました。考えてみると結婚記念日にこれまでプチ贅沢な食事をしたことはありません。妻も思い通りの食事ができて大喜びでした。ただ小雨が降っていて、直ぐそばの国営明石海峡公園でチューリップを見に行くことができなかったのがちょっと心残りでした。
3月31日(月) 「パーキンソン病の検査」
指先でお皿などを持ったとき、ブルブルと震えます。最近ひどくなってきたので妻がパーキンソン病ではないかと心配しました。というのも以前リハビリ病院に入院したとき、同室のパーキンソン病の患者の大変さを見ていたので、検査に行くよう強くすすめていたのです。妻を安心させるため、以前お世話になった脳神経外科の医師の診察を受けることにしました。
新しくなった江井島病院で、脳のCT検査、心電図、平衡感覚検査、血液検査を受けました。それらの検査結果を見て、医師は心配ないと言ってくれました。妻は一安心したようです。これで今年に入っていろいろな検査をし、特に問題が見つからなかったことは有り難いことです。健康寿命が延びたことに感謝です。もう少し暖かくなれば、もっと屋外での活動を増やして、フレイルに陥っている足腰の筋肉をつけたいと思います。
3月7日(金) 「風のない日は怖くない?」
先日黒いビニールを竿の先に取り付けた吹き流しの成果を書きましたが、風のない日はびにーるがうごかないのでヒヨドリが戻ってきました。我家は知人の農家から玄米60sを買って、精米器で5sずつ白米にします。その時の糠を焼いて畑の肥料にします。今回は豊作だった柚のお礼肥として根元に撒いたのをヒヨドリやすずめが来て美味しそうに食べていました。前のえさ場の直ぐそばだったので,餌を撒いてくれたと思ったのでしょう。その後は全く恐れを見せず、駐車場のえさ場や、庭のいろいろなところを自由に飛び回っています。
動かない黒ビニールは怖くないと知ったようです。今朝は地面近くの椿の花を盛んにつついていました。これなら特に問題ないので見守っています。それにしても私がよほど近づかない限り逃げることはなく、むしろ何か餌をくれるのかと待つようになってしまいました。こうなると可愛くなってきました。
2月27日(木) 「ジャガイモの植え付けとスナップエンドウのその後」
昨日日差しが暖かくなったので、ジャガイモの植え付けをしました。先日友達から、ジャガイモを植える畑には苦土石灰を入れてはいけないと警告がありましたが、すでに土作りのときにたっぷり苦土石灰を入れてしまったので後の祭りです。
今まで6畳ほどの広さの菜園にジャガイモを多いときには3s植えていたので、あまりできは良くありませんでした。それで今年はメークインと男爵いもをそれぞれ1sずつ少し間隔を広く植えました。同じ畑にカボチャも植えるので、畑の端に植えていた古いコスモスを引いて植えました。肥料を入れなかったので期待はできません。
黒いビニールを菜園に取り付けると、効果は覿面。ヒヨドリが来なくなり、スナップエンドウには2p程の小さな実をつけています。そしてグリンピースも新しい芽を伸ばし始めました。すずめの餌は黒いビニールの見えない家の裏のガレージに置くとせっせと食べていました。
2月20日(木) 「続続続・スナップエンドウ」
昨日何気なく窓の外を見ると、ヒヨドリが花の咲いているスナップエンドウをつついているのが見えました。窓ガラスを叩くと慌てて逃げていきました。花を食べているのか、新芽をつついているのかよくわかりませんでしたが、とにかく芽が出たばかりのグリンピースも新芽が食べられて、いつまでも大きくなれない原因がこれだとわかりました。
以前向かいの家が柿の実をつけても鳥につつかれてしまうので、黒いビニール袋を近くにぶら下げると鳥が来なくなったのを思い出し、納屋にあった黒のビニール袋を竿の先にくくりつけて,グリンピース、スナップエンドウ、茎ブロッコリー、葉ボタンなど鳥の被害を受けている場所に立てておきました。これだと仏壇に供えた後の御飯をやっても来なくなるか、それとも餌を食べるときに恐れがなくて鳥が安心して今まで通りの被害に遭うのかしばらく様子を見ようと思います。
2月9日(日) 「続続・スナップエンドウ」
スナップエンドウの姿を求めていますが、いつまで経っても姿が見えません。花は相変わらず咲いていますがさやがいっこうに見えないのです。春だと花が咲いて4〜5日も経つと小さな実が見られるのですが、3週間経っても見られません。よく見ると葉っぱに鳥の糞が付いています。受粉しないのか、それとも小鳥が来て食べてしまうのか、原因はわかりませんが、とにかくあきらめの境地です。春には花も咲かすこと無く枯れてしまうでしょう。
2月6日(木) 「極寒のグラウンドゴルフ」
昨日から寒さが厳しく、今朝はかなり分厚い氷がはっていました。7時にグラウンドの状態を見に行きましたが、特に問題はなく、家の前では寒さに負けずウオーキングをしている人たちの姿も見られたので、決行することにしました。メンバー15人の内12人が集まり、ラジオ体操に続きいつも通りのプレイをしました。皆さんの元気さを嬉しく思いました。それでもプレイの後の雑談で氷のはるような寒い日は中止しようとの提案がありました。皆さんの中には中止を期待していた人もいたようです。次にこの様な厳しい寒さが訪れれば中止の連絡をすることにしました。
その時に、明石市高年クラブ連合会主催の「モルック」講習会の予告がありました。私は正式な競技のやり方を学びたいと思っていたので申込みました。すると女性会員が全員行きたいと言い、一緒に申込むことになりました。この様に新しいニュースポーツへの関心は旺盛です。秋には明石高年クラブ連合会の競技大会に新しい種目として取り上げることになったそうです。大会会場が直ぐ近くなので、ぜひ参加できればと思っています。
2月4日(火) 「血液検査の結果」
1月4日に受けた血液検査の結果を聞きくため2月4日(火)に診療所へ行きました。結果は昨年同様貧血気味だけれど、昨年と変わりなく、治療を必要としない程度でした。その他、ピロリ菌の検査でも以前に受けた治療効果が持続しているとのことで、血液検査全般において特に問題はありませんでした。ところで、朝8時26分発のバスに乗らなければならなかったのですが、目が覚めたのが7時50分、寒さの厳しい日で行くのを諦めようとしたのですが、妻が朝食を食べずに行こうと言うので、とりあえず顔を洗い、身支度を調えてバス停に急ぎました。このバスに乗らなければ乗り継ぎの連絡が悪く、寒い中1時間30分もバス停で待たなければならなくなってしまうのです。何とか間に合い、開院前に到着したので、いつもより早く結果を聞き、11時半に帰宅できました。
1月26日(日) 「2日間門から外へ出ませんでした」
昨日はお天気でしたが、冷たい風が吹いていました。それでも菜園を耕すために庭へ出てそれなりに身体を使いました。ところが今日はいっそう冷たい風が吹きまくりました。だから洗濯物を干すことと、取り込む以外、風呂の残り湯を汲んで戸外のペールに運ぶだけでした。だから万歩計はきのうは199歩、今日は1271歩でした。昨日は菜園以外は新聞に出ていたナンプレを、今日は大阪国際女子マラソン、そこまで言っても委員会、、大相撲の千秋楽、そして大河ドラマと、テレビ漬けの一日になりました。
ナンプレは前回、上手くできなくて2度も消しゴムで消して、3度目に最初からやり直してやっと完成させました。今回は夕食を挟んで1回で完成させました。ナンプレの問題集を以前に買いましたが、上手くできなくてそのまま置いています。新聞のナンプレをこのところ上手く完成させているので、置いとくのナンプレ問題集を取り出してやってみようと思います。
1月25日(土) 「ジャガイモ予定の菜園耕作」
先日ジャガイモの種芋を買ったので、いつでも植えられるように菜園を耕しました。昨日は暖かかったので、午前中に1時間ほど苦土石灰、くんたん、真砂土を撒いて耕しました。そして今日は風が冷たかったけれど,午前午後とそれぞれ1時間ずつ,発酵牛糞と土壌改良材を入れて耕しました。昨日と合わせて3回耕したので、土の状態がずいぶん柔らかく良くなりました。菜園の一部にまだ水菜と春菊が植わっていて、ジャガイモを植える場所が狭くなりました。水菜はまもなく抜いて食べますが、春菊は貴重な緑の野菜なので、このままおいておこうと思います。
1月20日(月) 「続・スナップエンドウ」
今日は暖かく、グラウンドゴルフをしていても、冬の服装をしていると暑く感じるほどでした。その時、仲間にスナップエンドウが開花した話をしました。するとすでに5〜6個収穫した仲間がいることがわかりました。我が家も近い将来収穫できるかもと期待しています。
数年前から畑を楽しみ、収穫した空豆や黒枝豆を届けてくれる友達がいます。その友から昨夜、空豆の成長具合の報告とともに、ジャガイモの種芋が売っていると電話がありました。去年は種芋を植える2月中旬に買いに行くと,残りの小さな種芋しかありませんでした。だから収穫も期待外れでした。そこで今日種芋を種苗店へ買いに行きました。今年は大きな芋が買えたので、去年より少し間隔を開けて植えたいと思います。そして、もしこのまま暖かい日が続くようなら、例年より早めに植えたいと思います。
1月16日(木) 「スナップエンドウが開花」
一月半ばというのにスナップエンドウがたくさんの花をつけました。私の住んでいる地域では,秋祭りの太鼓の音が聞こえたらエンドウなどの豆の種をまけばよいと言われています。お祭りの季節にあわせて、去年の残りのスナップエンドウと絹さやの種を植えました。スナップエンドウは直ぐに芽を出し、順調に育ちました。しかし絹さやは僅かに芽を出しましたが、なかなか成長しませんでした。そこで代わりにグリンピースの種を買ってきて絹さやを植えていたところに植えました。
絹さやとグリンピースが混じったようで、一部は大きくなってきましたが、残りはまだ10pにもなっていません。一方、植木鉢に植えたスナップエンドウはぐんぐん大きくなり、この時期に花を咲かせてしまいました。今は受粉の役目を果たす蜂などはいないので、自家受粉をしない限り結実しないのではないかと心配しています。そして、肝心の春3月頃には枯れてしまっているかもしれません。また、グリンピースはたねまきがおくれたので果たして春に間に合うかどうかも心配です。
1月8日(水) 「ウオーキング」
先日の検診で、医師から歩いているか聞かれました。普通の人の骨密度より値が低く、特に腰の骨密度が低いからです。グラウンドゴルフ以外にはあまり歩いていないので、9日に始まるまで少しウオーキングをしようと実行しました。正月2日間は家の中と庭での水やりくらいで、2394歩、2567歩とほとんど歩いていませんでした。そして朝から雨が降った6日は828歩と家に居るとこのあり様です。
早速5日は浜の散歩道を5000歩ほど、7日は1qほど離れたAコープへ買い物を頼まれ、帰りは4キロほどの荷物を背負い、歩いて帰りました。そして今日は赤根川沿いの道まで5000歩ほど歩きました。明日は気温が低いそうですが、いよいよ新年のグラウンドゴルフが始まります。週2回グラウンドゴルフがありますが、ない日にも時間があればウオークを実施したいと思います。ただ、一度に5000歩以上歩くと,すねに痛みを感じるようになるのと、足が前に進まなくなるので,無理をしないように気をつけたいと思います。
1月4日(土) 「新年早々に検診」
朝8時26分発のたこバスでひまわり診療所に向かいました。新年土曜日の朝早く出かける人は少ないと思っていましたが、意外と乗車する人はたくさん居ました。診療所も受診者が少ないと思っていたのに、診療所に着いてびっくり、9時15分くらいなのに待合室の椅子はほぼ満席、受付番号は33番でした。
予約をしているので先ず血圧を測ってもらうといつもと違って130を超えていました。緊張していたのかと思います。検査は先ずエコー、続いて胸部レントゲン、腰と足に骨密度測定、胃カメラ検査、尿検査、身長体重測定、血液検査、心電図、血管年齢と受診した後、問診を受けました。その他に大腸がん検査のために受付で検便を提出しておきました。これだけいろいろな検査を一度にしてもらえるのは有り難いことです。問診のときに血液検査と大腸がん検査の結果は次の診察日になりますが、他の検査結果はほぼ問題はなく、骨密度などはまだ同年令より低いものの昨年の結果より改善されていました。食道の一部に炎症が見られるので熱い食べ物に注意することと、特に腰の骨密度低下を防ぐために、ラジオ体操やウオーキングをすすめられました。まずは一安心です。
2025年1月1日(水) 「あけましておめでとうございます」
皆様方のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。
私どもも新年を無事健康で迎えられたことを嬉しく思っています。
Windows10が更新されたことによって、メールが受信できなくなりました。対処法を自分なりに試みましたが,ラチがあきませんでした。今年をもって賀状を卒業するのに当り、賀状にメールアドレスを記して投函しているのにと困ってしまいました。そこで年末に帰省した息子に相談すると、メールを今まで通り受け取れるようにしてくれました。この様なことは自分ではできないので、息子には感謝感謝です。
今年も賀状をたくさん頂きましたが、私同様、賀状を卒業することが書かれた賀状がたくさんありました。皆さん同じ思いですね。中には昔流行歌手の作詞をされた方から毎年素晴らしい詩を送って下さるなどとても貴重な賀状を頂く方もあり、残念ですが仕方ありません。
今年は米寿を迎えます。命が予想より10年以上延びたことによって、同業の仲間80名以上の名簿上でも上から数えて一桁になってしまいました。15人の高齢者グラウンドゴルフ仲間でも3番目です。確実に体力は衰えていますが、年明け早々4日に健康診断を受けます。これまでそれほど大きな異常は見られませんでしたが、果たしてどのような結果が出るか、いささか心配です。
2022・23・24年の日記
12月27日(金) 「宅急便で荷物を送るのが大変」
毎年正月前に娘の所に正月の料理を送ります。ところが最近、いつも荷物を持ち込むクロネコの営業所が閉鎖されてしまいました。運転手の確保が困難になったからのようです。カラオケ仲間から電話で取りに来てもらうという情報を得たので、インターネットで電話番号を調べ、固定電話から電話をしてみました。郵便局の荷物の受け取りでは、こちらの情報を押しボタンですべてこたえるので、そのような心づもりいました。ところが、「はい」「いいえ」の音声でこたえるように言われました。
いささか心が動揺しましたが、それでも最後まで答え、集荷の日時をたずねられました。本日とこたえると、「2時間以降の時刻の指定」を言われました。その時点ではまだ完全に荷物ができあがっていませんでしたが、2時間後にはできると言うことで2時間後の時刻を言いました。3時間後に集めに来てくれてホッとしました。電話でお願いするのは初めてだったので、緊張したからかすっかり疲れを感じました。次回からは様子がわかったので大丈夫です。
12月26日(木) 「川柳コンテストで努力賞」
新聞の折り込みに「第1回神戸新聞明石専売会主催の明石川柳コンテスト」の案内が入っていました。明石市のよいところ、名所などを詠み込んだ川柳が課題でした。20年ほど川柳教室に通っているので応募してみました。商品多数と書かれていたので、努力賞はどれほど居たかわかりませんが、700句あまりの応募川柳があったそうで、努力賞の賞状と鉛筆2本の賞品が届きました。
12月24日(火) 「年賀状すべて投函」
昨日、残りの年賀状の印刷も完了し、投函しました。この様に締切りの25日を待たずに賀状の投函を終えるのは近年では久しぶりです。だから今日は年末にしてはめずらしくちょっと手持ちぶさたになりました。それでも朝食をしながら洗濯機を回し、干した後、庭木のコウヤマキを剪定したあと、短く切ってゴミ出しができるように処理しました。連日乾燥注意報が出ており、植木鉢のスナップエンドウや寒菊が乾ききっているようなので、水やりもしておきました。こんなに冬に水やりをするのはあまり経験がありません。
12月22日(日) 「やっと年賀状の印刷に」
今年も年賀状のデザインに悩みましたが、昨日デザインが決まり、印刷を始めました。印刷を始めると100枚買っていた年賀ハガキが20枚ほど足りませんでした。あいにく今日は日曜日で郵便局がお休みです。明日印刷済みの賀状を投函し、不足分と予備を買ってこようと思っています。なお、今回で賀状は親戚と、川柳教室の仲間、賀状を受け取ることが少ないと思われる障害者の教え子を除いて、卒業する旨の文章を添えておきました。来年からは40枚ほどの印刷になります。LINE仲間が増えたので、LINEとホームページで新年のあいさつをすることにします。
12月9日(月)〜10日(火) 「グラウンドゴルフ部の親睦旅行」
いつも11月に丹波で実施するのですが、今年は初めて「いこいの村はりま」へ行きました。距離が近くなのと、施設のすぐ前に芝生のグラウンドがあるからです。12時30分に各自昼食を済ませて迎えのバスに乗り込んで出発しました。日の入りまでの時間が早いので、4ゲームするのが精一杯でした。ただコースには凹凸がありみんな苦戦していました。
温泉に浸かり、夕食の会席料理に舌鼓を打ち、やがてカラオケ大会が始まりました。みんな積極的で、私は美川憲一の「柳ヶ瀬ブルース」と美空ひばりの「津軽のふるさと」を歌いました。夏のコロナ感染後、高音が出なくなり、その代り低い声域が広がったせいか、無事に歌えてホッとしました。ただ「津軽のふるさと」は馴染みがないのでいまいち盛り上がりませんでした。
翌朝は9時から5ゲームしました。崖の上のコースだったせいか、下手をすると球が崖下の落ちる心配があり、みんな慎重でした。そんなときに、私が強く打ったため、崖下に落ちてしまいました。みんなで探したけれど見つからず諦めて崖を登っていると、途中の植木に引っかかっているのが見つかり、ゲームを継続できました。最終成績は15人中10位で飛び賞を受賞しました。崖下に落として成績を落としたお陰です。
昼食を済ませて帰路につきましたが、夕食に飲み物が一つ付いていて、ビールを中瓶1本飲んだ人が多く、追加の酒代が少なく、、一人15000円の予算が990円もあまり、会計的には助かりました。季節的には寒いと思っていたのですが、両日とも穏やかな天気に恵まれ、翌日から天候が悪化し寒くなったので、本当に運がよかったと思います。
11月28日(木) 「新紙幣がついに田舎にも」
新紙幣が我々田舎では見られないとぼやきましたが、今日信用金庫で出金すると、29万円分1万円札すべてが新紙幣でした。ただし千円札9枚の内、使い古した千円新紙幣が1枚混ざっていただけで、後はすべて旧紙幣でした。
11月27日(水) 「高年クラブの親睦日帰り旅行」
ここ何年か親睦旅行は淡路島の「いづみ丸」という民宿で新鮮な魚料理を楽しんでいます。はじめは3年トラフグを味わったのですが、コロナの影響でみんなで魚の鍋料理をつつくということができなくなり、バラエティにとんだ魚介類を味わっています。
大病をしてから妻は迷惑をかけたらと参加を見合わせていましたが、今回久しぶりに参加しました。夫婦での参加者は二組でしたが、大好きな料理に大喜びでした。私だけが参加するときは「お土産はいらないよ」と言っていましたが、えびせんの店でしっかりお土産も買っていました。
11月21日(木) 「乗鞍高原は意外と暖かかった」
11月10日(日)から2泊3日で乗鞍高原へ出かけました。10月中は予定がつまっていたので、11月で休暇村の空き室を調べてこの日に決めたのです。ただ、紅葉は終わりいよいよ冬の季節に突入するという情報でした。実際天気予報を見ると、最低気温は0度や−1度などと表示されていました。だから冬衣装での出発になりました。ただ、出かける日の天気予報は雨で、気温はやや高めでした。
新幹線、中央線特急、松本から電車、バスを乗り継いで無事到着、ずっと乗り物だったので、持参したコートを着ることもありませんでした。部屋に入るとやや寒く、温泉に浸かってからも、暖かな服装で過ごしました。食後大河ドラマを見て、早々に2度目の温泉に浸かり、直ぐに床につきました。羽毛布団に入る頃部屋の暖房も高温になり、羽布団では暑くて、両腕を布団から出したまま眠ってしまいました。夜中の間に雨が降ったようですが、朝には晴れ渡っていました。
二日目は午前・午後と2回牛留池までウオーキングをしました。午前中は乗鞍岳に雲がかかっていましたが、午後からは快晴で、山並みかくっきり見えました。池は鏡のように済んでいて、対岸の木々や山並みが美しく映っていました。ただ牛留池の景色が逆光になり,午前中より暗く見えました。牛留池のそばでは有名な幹が一回転した樹木も見ることができました。
牛留池からさらに奥へ進もうとしたら熊の生息地域と書かれた看板があったので、宿舎に戻りました。うっすら汗をかいたので、温泉に浸かり、のんびり昼寝をしました。昼に食べたリンゴ入りスパゲティを食べましたが、薄く輪切りにしたリンゴがとても甘く、皮も抵抗なく食べることが出来ました。あまりの美味しさに、売店で3個買って帰りました。帰りは名古屋で味噌煮込みうどんを老舗の店で夕食に食べ、無事帰り着きました。
11月20日(水) 「田舎ではまだ新しい紙幣が出回っていません」
7月に新紙幣が発行されました。しかし我々の住む地域では、銀行で出金してもこれまでの福沢諭吉や野口英世ばかりで、渋沢栄一は1枚しかお目にかかっていません。買い物でおつりをもらっても津田梅子や北島柴三郎にはなかなかお目にかかりません。西明石で旅行の切符を買いましたが、おつりは旧紙幣でした。
ところが先日大阪に住む兄弟が集まったとき、支払に新しい紙幣を使っていました。そして11月10から乗鞍高原へ旅行に出かけたところ、お土産や宿泊代のおつりは新紙幣、しかも千円札など,シワの寄った使い古したお札なのにびっくり、新紙幣がこんなに流通しているのかと思いました。帰りの特急券購入のおつりも長野県や名古屋では新紙幣でした。帰宅後買い物をしましたが、おつりはやはり旧紙幣でした。
10月8日(火) 「また目まいと嘔吐下痢に見舞われる」
先月29日(日)に前回救急車で運ばれた症状が再発しました。朝5時前に発症し、またかとうんざりしました。1時間ほど苦しみましたが、その内に眠り込んでしまい、8時頃目覚めると気分はずいぶん軽くなっていました。前回はコロナ感染を併発していたので、気分が戻ることは無かったようです。それでもそのまま安静にしていて、昼過ぎに食事の代わりに栄養ドリンクを飲んで様子を見ました。
夕食の時間になってお粥を炊いてもらい、ほんの少しいただきました。翌朝まだ少しふらつきがあり、高年クラブの作業を休ませてもらい、家で静かに過ごしました。水曜日にはほとんど症状も無くなり、木曜日はグラウンドゴルフの大会が予定されていましたが、河野のため中止になり、2ヶ月ぶりに床屋へ行きました。さっぱりしたので気分もよくなりました。こんなことが度々発症すると困るので、妻が定期的に診察を受けている通院に一緒について行き、、私も診察を受けました。そして嘔吐を抑え、整腸する薬をもらって昨日まで服用しました。頻繁に発症するようなら脳神経外科病院を受診するように助言をいただきました。
気分もよくなったので、庭で剪定や除草の作業をしました。すると遅れていた白い彼岸花がやっと咲き出しました。いつもは彼岸の終わり頃には咲き始めるのですが、今年は10日ほど遅れているようです。今日はもう満開です。気温が一気に下がり、日照時間が短くなると、一度に秋らしくなり、彼岸花もそれにこたえたようです。
9月16日(月) 「トウガンとスイカの落ちばえ」
トウガンはカボチャの苗を植えた頃に落ちばえで芽を出しました。生ゴミを埋めた時に種が混じっていたようです。カボチャとともにツルを伸ばし、大きなトウガンを1個収穫しました。やがて、サツマイモを植える前に生ゴミを埋めていたのが芽を出し、今日2個目のトウガンを収穫しました。トウガンはそれほど食べないので、2個も収穫すると大丈夫です。お盆頃に、やはり生ゴミを埋めたところからスイカが芽を出しました。そのままにしていると実がなり始めました。藁が無いのでビニールの緩衝材を下に引いておくと、今日はこぶし大まで大きくなりました。妻は奈良漬けにするといっていますが、暑い日が続くので、もうしばらく様子を見て、どれくらいの大きさに育つか見守りたいと思います。
9月10日(火) 「とんでもない勘違い」
先日の入院はコロナのためだと思っていました。しかし、救急車で運ばれた時の主訴は、少しでも頭を動かせば吐き気に襲われるというものでした。たまたま入院時の検査でコロナに感染していたことが判明し、コロナが重症化した時の延命措置をしないこと、隔離病棟に退院するまで居て、看護師は最後まで防護服を身につけて入室していたことから、自分はコロナで入院していると勘違いしていました。だから、まだ咳と血痰が出ているにもかかわらず、歩行の様子を見て退院を許可されたことが不思議でした。これは入院時の主訴に対応したものだと今頃ようやく気付いた次第で、とんでもない勘違いでした。
後日妻が医師から聞いた話では、「退院時にはコロナは治っていたはずだ」「食欲があればもう大丈夫だ」というものでした。私は退院後も咳や血痰が出たこと、声が出ないこと、そして身体が思うように動けなかったことから、まだ十分コロナが治癒していないと思い込んでいたのです。9月からは高年クラブのグラウンドゴルフなど、心配することなく普段通りの生活に戻っています。
8月10日〈土〉 「やっぱり無理だったのか?」
9日は予定が立て込んでいました。先ず5時半に起床し、1qほど離れたお寺の境内にある墓参りに行きました。帰って水まき用にためていた水をバケツで汲んで庭中に水やりをしました。およそ1時間弱かかりました。汗をかいた作業着などを含めて洗濯機を回し、その間にゴミを集積場まで運びました。そして妻が用意してくれた朝食をしていると、洗濯機ができあがりを知らせてきました。食後急いで洗濯物を干し終わったのが7時30分過ぎ。洗顔をして作業服に着替え、約束の8時に間に合うように江井島海岸の駐車場へ急ぎました。そこで江井島校区の高年クラブが委託されている海岸施設の清掃活動に参加しました。藤棚のあるベランダの落ち葉を1時間半かけて掃き集めました。さらにトイレの清掃もしました。最後に駐車場の除草活動で出た草を集めてゴミ集積場に運びました。この間快晴の太陽は容赦なく照りつけていました。
家に帰って水分を補給し、1時間ほど休憩をしました。昼食前に栄養ドリンクを飲み、昼食を済ませた後、浴槽に残った湯をバケツで庭の水まき用にためるペールに運びました。その後浴槽をきれいに洗って拭きました。普段これほどの作業をすると息切れしてダウンするのですが、まだ余裕があり、お盆を控え仏間を中心に掃除機をかけました。さすがに疲れを感じ、1時間ほど休みました。6時を過ぎて野菜にバケツやじょうろで水やりをしました。夜風呂から上がるとオリンピック中継で女子ゴルフをしていました。てっきり最終日だと思い、山下選手の健闘を見守ってると1時近くになってしまいました。
翌10日も朝5時40分に目が覚め、ホースを使って庭の花木や野菜の水やりをし、ホースの届かないところはバケツで水やりをしました。朝食の後片付けをした後、新聞に目を通し、10時半頃から1時間ほど転んで休みました。目が覚めた時、今の時刻の状況がつかめないほど熟睡したようです。そして右肩が痛く、身体が重く感じました。午後からも身体が重く、昼食後と夕食前に2度も1時間ずつ昼寝をしてしまいました。どうやら時間が経つにつれて昨日の疲れが出てきたようです。まだまだコロナ前の体力には戻っていなかったようです。
8月5日〈月〉 「歯磨き」
これまで歯磨きは長く花王の「ガードはロー」を使っていました。値段が安かったからです。ところが今年の信用金庫の「年金プレゼント」で「GUM 」をもらいました。妻も年金受領に信用金庫を利用しているため、4本もありました。コロナに感染する前からその「GUM」を使っています。しかしその味にはなじめません。特にコロナの退院後はその味に吐きそうになりました。妻は歯ブラシにたっぷり歯磨きを付けるので、すでに2本目を使っています。しかし私はまだ1本目の半分も使っていません。早く「GUM」から卒業したいので、昨日から歯ブラシに少し多めに付けるようにしています。妻が3本目を使用する頃に今のを使い切るようにしたいと考えています。歯磨きは毎日のことなので、やはり磨いた後さわやかでありたいと思います。
7月29日〈月〉 「新型コロナウイルスに感染しちゃいました」
6月24日〈月〉に魚住のコープこうべへたこバスで出かけました。車を手放して以降、重い荷物は私のリュックに、細々した荷物も私の大きめの手提げ袋に入れて持ち帰るのがいつもの買い物でした。リュックが5sほど、手提げ袋が4sほどありました。
家に帰って「体力が無くなったなあ」と思いながら布団に転びました。ところがその後、頭を動かすと気分が悪くなり始めました。以前同じような症状があった時は3時間ほど眠ると治まっていました。しかし今回はいっこうに治まりません。26日〈水〉になっても治まらず、病院へ行くことにしました。前回お世話になった江井島病院の院長先生の診察日であることを確認し、行こうと思ったのですが気分が悪く,どうして行くか迷いました。そんなとき妻が向かいの消防署へ相談に行きました。救急車は出払っていたのですが、消防隊員が救急車の手配をしてくれました。到着した救急隊員が自宅で状況を聞き取った後、担架で救急車に運び込んでくれました。動いたこともあり、救急車の中でも手に持ったポリ袋を口に当てて、盛んにえづきました。
結果的に以前胃がんの内視鏡手術で唯一入院経験のある明石医療センターに運び込まれました。そこで頭のIC検査や胸のレントゲンなどのほか鼻に棒を突っ込まれたりした結果、新型コロナウイルスに感染していることがわかり、担当医から高齢なので延命治療はしないことを聞かれました。特に酸素吸入をすれば一生酸素吸入を続けなければならなくなると言われました。自然死を了解し、妻にも確認をしたそうです。この段階で私もいよいよ終末だなと思いました。
車いすで隔離病棟へ運び込まれ。以後は武装した看護師が訪れては世話をしてくれました。とにかく動けば吐きそうになるので、ベッドで静かに寝ていました。点滴をした後、夕食から普通食としておかゆが出ましたが食べるどころではありませんでした。痰の混じった咳と吐き気が重なり、おまけに排泄は泡のようなものが我慢できずに出るなど、下着を汚す結果になりました。見かねた女性看護師が着替えとともに、身体を丁寧に拭いてくれました。救急車で運ばれたど近眼の私は眼鏡もかけていなかったのでどのような人が世話をしてくれているのかもよくわかりませんでした。パンツの着替えでは私の小さな息子を片手の手のひらで囲ってまわりを拭いてくれたのにはちょっと驚きました。
3日目になってお尻を洗っていますかと言われ、初めてトイレにお尻の洗浄ができる機能がついているのを知りました。それからはパンツの着替えの時は自分で渡されたタオルを使ってきれいにするように努めました。2日目から吐き気予防の注射を朝晩おへそのまわりにしてくれたお陰で吐き気は治まりました。しかし痰の混じった咳がひどく、痰の色も梅干しの果肉のような色に変ってきました。息苦しさは初日からあり、酸素吸入ができないので、腹式呼吸を意識して繰り返し、何とか乗り切りました。第九合唱団で歌っている時、腹式呼吸の訓練をしていたことがいきました。
毎食、丼一杯の味の無いおかゆと味の薄い副食、すこしのくだものにケーキ、初めはほとんど手を付けていませんでしたが、4日目くらいから朝食に牛乳がつくようになり、お粥には手を付けませんでしたが牛乳とバナナなど食べました。その内、お粥に手を付けないので何が食べられるか尋ねられました。うどんなら多少塩味が効いているかもしれないと麺類とこたえました。その次の日の夕食にうどんが出ました。だしに浸けると美味しく全部食べました。その代りケーキなどは食べられませんでした。その翌日からは昼は素麺、夜はうどんに変えてくれました。
看護師に聞くとコロナで隔離病棟へ入院しているのは私1人で、食欲も少しずつ増え、トイレも自分で行けるようになると退院の話が出始めました。私のために一日何度か武装して病室を訪れていたのです。退院すればずいぶん負担が減ると思いました。担当医が私の歩く姿を確認し9日目の7月4日〈木〉の昼に退院が決まりました。まだ咳の度に梅干しの果肉のような痰が混じっていましたが、咳き込むこともずいぶん減りました。後遺症なのか、声が出なくなってしまいました。
妻に迎えに来てもらってタクシーで帰宅しましたが、声が出ない上、難聴の妻とは筆談でのコミュニケーションになってしまい、時間がかかるのが悩みでした。昼間は寝たり起きてテレビを見たりの日々ですが、朝夕の野菜の水やりだけが運動でした。その内魚住のコープこうべや,近くのAコープなどへ妻と買い物に出かけています。今は買い物の量を減らし、私は軽いものを、妻は今までより重い物を背負っての買い物です。退院から10目にコンサートの招待券をもらっていたので、妻をねぎらう気持ちで西部市民会館へ一緒に出かけましいた。コロナの感染を心配して行くことをずいぶん迷いましたが、幸い後ろの方はほとんど人がいなかったので安心して聴くことができました。たこバスのお陰でほとんど歩くことはありませんでした。ただ、バス停まで行く時、大腿骨骨折して以来歩くスピードが遅くなった妻についていくのが精一杯というほど、私の歩行速度が遅くなってしまいました。入院生活と家での毎日の生活で筋肉が衰えているだけで無く、速く歩こうとすると息が上がってしまうのです。これも後遺症なのかもしれません。
この暑さで日々の生活は変りませんが、声も多少出るようになり、1人で買い物に出かけたり、三ヶ月ぶりの散髪もして、普段の日常に戻りつつあります。
5月28日〈火〉 「桜島への旅」
車を手放して1年近く、これまで、車検代、自賠責保険料、自動車税、,ガソリン代などが不要になり、買い物などは不便になったけれども、リュックを背負って高齢者無料のたこバス〈コミュニティバス〉を利用しているとそのぶん余裕を感じます。そこで連休最終日の5月8日〈日〉から新幹線を使って桜島に出かけることにしました。
旅先として桜島を選んだのは姫路から新幹線に乗ると鹿児島まで乗り換えなしで行くことができるからです。鹿児島中央駅からは船着き場まで、鹿児島の地理に不案内でしかも雨が降っていたのでタクシーに乗りました。フェリーで桜島に到着した後、やはり雨が降っていたので国民宿舎レインボーまでふたたびタクシーを利用しました。翌日散策していて、船着き場は歩けば直ぐの所だとわかりました。車だと大回りするので距離が少しありました。その日はマグマ温泉に浸かり、ご馳走を食べてゆっくりしました。
翌日は朝食後近くの公園でマグマ温泉の足湯に浸かり、海岸沿いの溶岩遊歩道を散歩し、ビジターセンターで桜島の成り立ちなど歴史を学びました。昼食を近くでしようと出かけましたが、連休明けだったこともあって道の駅の食堂も閉鎖され、仕方なく宿舎のすぐ近くにあるAコープでサンドウィッチや飲み物、デザートを買って帰り,部屋で食べました。昼食後は妻は部屋で休んでいるというので、私1人で港近くを散策しました。月読神社から恐竜公園に登りました。公園の裏側に回ると,自然林の向こうに山の全景が見え、感動しました。
(足湯・遊歩道・火山の全景の写真はファイル名のトラブルのため、,私の能力では解決できず、アップできませんでした)
散策から帰ってまたマグマ温泉で汗を流し、ご馳走を食べてゆっくりしました。
翌朝も朝風呂を楽しみ、,朝食後支払をすると、2人連泊で40000万円あまり、Q会員割引が1000円、夕食時冷酒を飲んでいたのが帳消しになっていたとは言え、1人1泊10000円あまりということに驚きました。交通費が80000円あまりだったので、予算より安くついた楽しい旅でした。今後も1年に1〜2度旅を楽しみたいと思います。
4月18日〈木〉 「運転免許証返納」
最近は明石まで行く機会がすっかり減少しました。したがって火曜日に川柳教室へ行ったついでに明石警察署まで歩き、運転免許証を返納してきました。車の運転は昨年7月、車をディーラーに引き取ってもらって以来することはありませんでしたが、免許証は銀行などへ行った時に身分証明として最も簡単に提示できるので、手元に置いていました。しかし、まもなく誕生日を迎えるので返納に踏み切りました。担当者から、「まだ有効期限が1ヶ月余りありますがよろしいですか」と変な念押しをされました。
3月28日〈木〉 「骨伝導ヘッドホン」
妻の聴力がますます衰えてきました。補聴器を使っていますが、それでも耳元で大きな声で話しかけなければ通じません。2人で対面で話すと、誰とでも何とか会話は成立しています。一方、テレビは専用の機械のお陰で、テレビの音が補聴器を通じて直接聞き取れるので、在宅時の多くの時間視聴を楽しんでいます。ただし、その音量は補聴器の外に漏れるほどのボリュームです。だから、電話のそばにいても電話のベルの音やチャイムの音が全く聞こえていません。だから私が庭にいても走って対応しなければなりません。
そんなとき、女性のカラオケグループの活動が始まりました。パソコンで課題曲の練習をしたり、集まりで少しでも聞き取れるようにと、骨伝導のヘッドホンを購入しました。私が空気振動で鼓膜に入る音が聞こえないのだろうと考え、直接骨に振動を与えれば聞き取れるかもしれないと勝手に思ったのです。試しに自分がやってみると、パソコンの音質の悪い音と違って低音の効いた素晴らしい音楽が振動とともに聞こえます。早速妻の耳の骨に当ててみました。しかし振動は伝わるものの、音には変換されませんでした。結果として聴覚の神経がダメだったことがわかりました。骨伝導ヘッドホンは結局私が楽しむため遊び道具になってしまいました。
3月21日(木) 「運転免許証更新案内」
これまで誕生日の4〜5ヶ月前に更新案内通知が有ったのですが、今回は届かないので、私が運転を止める情報がどこからか入ったのだろうと考えたりしていました。ところが今日更新案内が届きました。開けてみると、今までのように認知症や実技などの検査は書かれてなく、更新ハガキを直接更新センターへ持参するように書かれています。費用は2500円ということで、これまでの6000円の検査費用が助かります。一瞬更新してみようかと思いましたが、やはり4月になったら免許証を返納しようと思っています。
3月11日〈月〉 「初ひ孫と対面」
昨年8月末にひ孫が誕生しました。孫は東京に住んでいるので、顔を見ることはないと思っていたら、なんと孫夫婦は優しくて、半年のひ孫を見せに泊まりがけで来てくれました。すくすくと育ったひ孫と対面でき、だっこすることが出来ました。見慣れない私たち夫婦の顔が並ぶので不思議そうにこちらを見ていましたが、そばにお母さんがいると泣くことは有りませんでした。しかし、お母さんが席を外すとさすがに不安で大泣きしてしまいました。ハイハイ手前で、その場で俯せにするとくるくると方向を変えこちらを向いたときにスマホを構えるとにっこり笑ってカメラにおさまってくれました。孫も一緒に過ごす期間がたくさん有りましたが、ひ孫はいっそうかわいく、感動の2日間でした。
2月14日〈水〉 「ジャガイモの植え付け」
昨日、暖かい日が続くということでジャガイモを70個あまり植え付けました。ずっとしゃがんだ姿勢で移植ごてで少し深い目に穴を掘り、クンタンを入れてジャガイモを植え付けていきました。、10時頃から12時半頃までこの姿勢を保っていると足腰がだるくなってしまいました。その後マルチとして植え付けた上にためておいた落ち葉を敷き詰めて覆い、枯れ葉が風邪で飛び散らないように周りを網で囲いました。ジャガイモの植え付けの前に洗濯をし、浴槽を洗ったりしていたのでなおさら疲れ果ててしまいました。
午後は何もする気になれず、のんびり過ごしました。それでも足腰のだるさは治まらず、きっと翌日は足腰が痛くなるだろうと覚悟しました。夜風呂上がりに腰に湿布薬を貼り、乾燥肌の治療にもらっていたへバリン類似物質のローションや軟膏を足腰に塗って血行をよくし、電気毛布で暖かくして眠りました。お陰で朝の目覚めはもう一つでしたが、足腰の痛みやだるさはすっかり治まっていました。
2月10日〈土〉 「ジャガイモ植え付けの準備」
晴天が続き、気温も穏やかになるということで、昨日6畳ほどの広さの菜園を午前中に耕しました。これまでおでん大根を植えていたのですが、先日来の雨で土が湿っていて重たく鍬がなかなか進みませんでした。2〜3回耕すたびに息を整えなければならず、体力の衰えを痛感しました。いつも苦土石灰をたくさん撒くのですが、友人からもインターネットで調べても、ジャガイモは酸性を好み、石灰は控えるようにということなので、今年初めて苦土石灰を入れずに耕しました。
そして今日は牛糞の入った土地改良材と化成肥料を入れて耕しました。昨日一度耕して空気を含ませたせいか、昨日より軽く短時間で耕すことが出来ました。表面をならし、いつでも植え付けられるように準備が出来ました。ここにメークイン1s、ダンシャクを1s植える予定で、すでに種芋も買ってあります。
連日鍬を持ったためか、腰が多少だるく感じました。それでも午後から3,5qほど離れたスーパーに牛乳などを買いに行きました。往路は空のリュックを背負っていたので4000歩以上の距離でも容易に歩くことが出来ました。しかし帰りに牛乳のほか食用油やジュースのパックなど4sほどを背負うとかなり腰にもこたえ、2000歩ほど歩いたところで足が前に進まなくなりました。腕を振ったり赤ちゃんをおんぶした時のようにリュックを後ろで持ち上げたりしましたが、あまり効果は無く、足がふらつき真っ直ぐ歩けませんでした。何とか家に辿りついてリュックをおろすとホッとしました。運動不足による体力の低下を思い知らされる一日でした。
2月8日(木〉 「続・歯医者へ通院」
2月1日で歯の治療が終わるはずでしたが、作ったものが上手く歯にかぶせられず、型の取り直しになりました。そして今日作り直したものをかぶせてもらったのですが、かなり手直しがありました。それでも何とか上手くはまりましたが、今回は仮留で、来週様子を見て本留になるそうです。その度にグラウンドゴルフに参加できず、運動不足に拍車がかかっています。ただ、仮留してもらった歯の調子は慣れてくると違和感が無く、来週こそ治療が終わりになりそうです。
1月31日〈水〉 「半日人間ドック」
去年まで、胃カメラは内視鏡手術をした明石医療センターで受けていましたが、今年からはその他の検診を受けているひまわり診療所で受けることになりました。初めての所では多少不安がありましたが、看護師さんも優しく、胃カメラの操作をする医師も穏やかで、いろいろ話しかけ、胃カメラでの様子をいちいち知らせながらだったので、不安も無く短時間で終わった気がします。心電図、血管年齢を調べた後、超音波検査、骨密度、胸部レントゲン、尿検査など一通りしてもらいました。血液検査の結果は後日聞くことになりますが、すべての面で昨年と同じか、より良好でした。ただ、血管年齢だけは昨年より5歳ほど固くなっていましたが、それでも63歳ととても柔らかく非常によい状態だといわれました。骨密度も多少改善しているそうですが、こちらは同年齢の83%ほどで、乳製品と運動〈ウォーキング〉を続けるように指導を受けました。検査で特に問題も無くまずまず一安心です。
1月23日〈火〉 「特殊詐欺が疑わしい電話」
午後2時50分頃、スマホに電話がかかってきました。画面の電話番号を見ると「+184403511990」と表示され、、「拒否」「応答」のボタンが画面に表示されていました。直ぐに拒否ボタンを押し、電話を切りました。というのは、私は「兵庫防犯ネット」に以前から登録していて、明石市内での防犯に関わる事案を知らせてくれます。そして、着信電話番号の最初に「+」が付いているのは外国からの電話で、特殊詐欺によく使われており、注意するようにと助言をもらっていたからです。私には外国に知人はいないし、かかってくることも無いので、直ぐに特殊詐欺だと判断しました。「でんでんむしむし」といって疑わしい電話は無視するようにと何度も防犯ネットに書かれています。
それにしても、詐欺に引っかかる人のなんと多いことか、感心しています。でもこの様な電話がかかってくるということは、自分にも魔の手が忍び寄っていることを改めて実感しました。早速妻にも「+」の記号の付いた電話番号には出ないように知らせておきました。ちなみに固定電話にも息子の助言で着信電話番号が表示できるようにしています。
1月21日〈日〉 「WIFIデジタルフォトフレーム」
昨年8月末に生まれた初ひ孫の父親〈孫〉からデジタルフォトフレームが届きました。これまではラインで成長ぶりの写真を送っておらっていました。我が家の無線ルーターの接続の仕方について「@電源ケーブルを挿す A「セッティング」を押す B「Wi-Fi」を押す C一覧から家のWi-Fiを選択する Dパスワードを入力し、接続 〈設定完了〉 ※設定中にスライドショーになってしまったら画面左上の◎→戻る」とメモに書いて送ってくれたのです。しかしC以降については全く自信が無く、昨年息子が取り付けてくれた無線ルーターの側面に記された記号をすべて書き写してセッティングを試みました。Cまではスムーズに出来ましたが、パスワードのハイフンを入力するどうかで迷っている間にスライドショーが始まりました。メモの最後に書かれていたやり方通りにしてパスワードを入力すると完了できたのか分からないけれど設定が終わってしまいました。そして、あらかじめ入力してくれておいた生まれた時からのひ孫の成長ぶりをスライドショーで見ることができました、
昨夜就寝前にフォトフレームに電源を入れて確かめてみると新しい写真が写りました。上手く接続が出来ていてホッとしました。孫にそのことを報告すると、今朝改めて新しいひ孫の元気な写真が届きました、それにしても、東京という離れた場所からフォトフレームに直接写真が送れるなんて便利なものが出来たものです。
1月15日〈月〉 「またまた歯医者のお世話に」
右奥歯が1本無くなって固いものや形のあるものは右奥歯で噛む生活がしばらく続いていました。その酷使のためか、土曜日に食事をしている最中、右奥歯にかぶせていたものが外れてしまい、右の奥歯でも噛めなくなってしまいました。二日間不自由したので、朝からかかりつけの歯医者に電話をすると、直ぐに来るようにいわれました。歯医者に行くと5人ほど先客が待合室にいました。これは時間がかかると思ったのですが、取れたものをかぶせるだけで済むと思われたのか、他のお客さんでは無く私が呼ばれました。ところが虫歯になっていることが判り、レントゲンを撮ったり歯を削ったりで時間がかかりました。先客に申し訳ないことをしました。
最終的には金曜日に型を取り、2月早々にかぶせることになりました。歯を削る音は苦手ですが。あと2回で治療できるのなら有り難いことです。ただ2月初めまで、食事で噛むことの不自由さが続くのは憂鬱です。治療中の歯を避けて噛むので食事に時間がかかりそうです
2024年1月4日〈木〉 「大変なニュースが飛び込む新年」
大晦日は例年通り、紅白を見た後、年が明けると同時に氏神様に初詣に行きました。いつもは妻と二人で初詣に行くのですが、年末の29日に妻が高血圧や骨粗鬆症など九錠も薬を飲んでいる朝食後の薬が一部誤嚥したしたようで胸が痛いと苦しみ出しました。しかし、辛抱強い妻は医者へ行くことなく午後からは咳き込みながら布団に潜り込んでしまいました。声も出なくなり、盛んに痰を吐き出していました。熱も少し出て、誤嚥性肺炎にならないか心配しました。翌30日には餅つきの予定だったので、布団の中から餅米を洗うように頼んできました。
翌朝熱が下がり、肺炎の心配が無くなったけれど、昨日の朝食以降、お茶を一口飲んだだけでしんどそうでしたが、それでも餅つきの間気丈に搗き上がった米の持ち取りをしました。丸めるのは朝からやって来た息子がしてくれました。餅つきが終わると、私は息子の車で家電量販店や種苗点、ホームセンターなどで買い物をしました。その間妻は休んでいましたが、帰って電気工事などを始めると、妻は起き出して、休み休みおせち料理を作っていました。その後も31日も休んでいるかと思うと、起き出しては正月の準備をしていました。食事もほんの少しずつしか食べることが出来ませんでした。
元旦も「田作りを作るのを忘れていた」と朝からしていましたが、おせち料理を3人分皿に盛り付けるなど、忙しく立ち働き、10時頃息子が来たところで3人雑煮で新年のお祝いをしました。何とかお餅一つとおせち料理を少し食べ、食欲が少し進みました。息子が帰った後、さすがに疲れたと布団に入って眠りました。私も昨夜は深夜に初詣をし、風呂に入って寝たので2時頃になっており、眠くなり布団に入りました。そしてあの能登地震です。眠っていたので揺れをよく感じ、驚いて目覚めました。何事かとテレビを見て能登の被害を知るとともに、津波警報の出たため、成り行きをテレビで見続けていました。
翌日は暖かく穏やかな日和だったので、妻は初詣に出かけた後、再び布団に入って休んでいました。夕方、パソコンで年賀状の整理をしていたのですが、飛行機が大火災と、パソコンで知り、テレビを付けると羽田空港で飛行機が炎に包まれていました。妻を起こし、再びテレビに釘付け、正月早々なんとひどい事件が続くのだろうと思いました。我が家も妻のピンチで、大変な年明けです。
11月15日〈水〉 「またまた転倒」
妻の薬をもらいに、3000歩ほど離れた処方箋薬局へウォーキングがてらでかけました。近所の医院が廃業したのに伴って処方してもらっていた薬局も閉鎖したからです。帰りにピロシキを買って帰る途中、3センチほどの段差をまたいだ時、右足を引っかけてアスファルトの駐車場に右側から転倒しました。著ていたジャンパーの右肘が破れていましたが、右手に提げていたピロシキがクッションになって怪我は免れました。右肘を助けてくれたピロシキは帰って開けるとぺしゃんこになっていました。しかし右手の平を突いていたようで、帰ってから右手首がだんだん痛くなり、湿布をしましたが痛みが取れず、手を突くことが出来なくなり、右手指に力も入りません。
昼にバスに乗る時、隣の93歳の男性が転んだのを見ていて、自分も気をつけねばと思っていたのに、同じように転んでしまい、年はとりたくないとつくづく思いました。転倒は7月に続いて2度目です。前回は大腿骨の付け根を打ちましたが、その時もその場ではあまり痛みを感じなかったのに、今回も家に帰ってからだんだんと痛みが出てきました。炎症を起こしているのでしょうね。ちなみにすねも少し血が出ていましたが、こちらは痛みもなく、薬を塗って絆創膏を貼っておきました。明日はグラウンドゴルフがありますが、左手を活躍させてやり遂げたいと思います。
11月12日〈日〉 「タマネギの植え付けと小芋に収穫」
木曜日にタマネギの苗「モミジ」を200本注文し、金曜日に買ってきました。土曜日は同窓会があったので、今日植え付けました。金曜日の雨で、土は湿っていて植え付けにもってこいの状態でした。40本ほど妻に手伝ってもらいましたが、残り160本は自分で植え付けました。立ったりしゃがんだりの作業は足腰にしっかりこたえました。私がタマネギを植え付けている間に、妻は小芋の収穫を始めていました。しかし備中で掘り起こそうとして苦戦していました。そこでスコップを持ちだし、私が残りを傷つけないように掘り起こしました。
7本植えていた小芋は例年よりたくさん収穫し、孫芋は小粒でしたが、子芋は良い大きさのがたくさん収穫でき、いつも酒粕をいただく近所の造り酒屋さんに1株分を掘り起こしたままの状態でお裾分けしました。近隣の人や友達からは収穫した野菜をいただくことはありますが、自分で育てた野菜を人様にお裾分けできるのはカボチャくらいでしたが、初めて小芋をお裾分けすることが出来ました。
10月26日〈木〉 「秋の稔りを享受」
22日〈日〉に新米〈玄米〉が60s届きました。以前は隣村の妻の友達から買っていたのですが、高齢で農業を辞められたので、3年前から高年クラブの仲間にお願いして、取れたての新米を分けてもらっています。車を手放したので今までのように精米所で精米できないので、自宅で精米できるように、「山本の精米器」を買っておきました。早速4合精米してその夜食べました。炊きあがった時にしゃもじを入れると、古米とは全然感触が異なり、香りもよく、ついついその場で一口食べました。至福のひとときとはこのことです。
そして24日にはお向かいさんから稲美町の黒豆の枝豆をいただきました。早速茹でて美味しくいただきました。そして昨日は以前の同僚から丹精込めて育てた黒豆の枝豆をたくさんいただきました。直ぐに茹でてこちらもいただきました。両方とも茹でて冷凍して今後少しずつ楽しみたいと思います。
菜園では、サツマイモを10本植えていたのですが、予想以上のできで、大学いもなど楽しんでいます。その他ミカンや柿を買ってデザートとして楽しんでいます。秋は本当に楽しみです。11月になれば菜園の小芋を掘ってみようと思っています。サツマイモを掘った後、タマネギを植えるべく耕しておき、その一部に水菜と春菊、そしてラディッシュの種をまいておいたら芽が出てきました。あと、茎ブロッコリーやスナップエンドウの苗も植えたいと思っています
10月13日〈金〉 「福岡市志賀島へ」
9日から11日まで2泊3日、志賀島の休暇村で過ごしました。ここの休暇村を選んだのは玄界灘の旬の海の幸が食べられるとのことで、肉嫌いの妻にはもってこいの休暇村だったからです。9月に洋室ツインの部屋を予約しようとしたら、この日しか空きがありませんでした。座席指定を9月中に予約しておいたのですが、実際新幹線「さくら」に乗車すると、自由席は超満員、旅行する人がこんなに多いのには驚きでした。中でも九州方面へは欧米人が多く見られました。
博多から鹿児島本線に乗り換えようとしたら、人身事故で運転を見合わせていました。西戸崎駅での送迎バスを予約していたのですが、到着時間がいつになるか判りませんでした。電話で事情を話すと、最後の乗換駅「香椎駅」で乗車する電車を知らせてもらえば迎えに行くとのことでした。1時間半ほどホームの待合室で待っていると、大分行の特急が発車すると表示されました。見ていると「香椎駅」に停車することが判り、特急券はもっていませんでしたが、超満員のデッキに無理矢理乗り込みました。お陰で4時頃には目的の西戸崎駅に到着できました。迎えてもらった送迎バスには私たち夫婦だけで、申し訳なく思いました。車窓には玄界灘の荒海が見られ、先ず感動しました。
温泉に浸かり、ビュッフェスタイルのレストランへ行くとほぼ満席、ここは日本人ばかりでしたが、人気ぶりがうかがえました。刺身やにぎり寿司など、日本酒「志賀島の誉れ」を飲みながら、海の幸を堪能しました。朝早くから洗濯などしたこともあって、疲れたのか眠さに勝てず、ちょっとと思ってベッドに入ったまま夜中まで眠ってしまいました。
翌日、朝食の後、散歩に出かけました。志賀島の資料館を見学しようとしたのですが、祝日の翌日ということで休館日。仕方なく浜を散歩しました。相変わらず玄界灘の波は荒く、砂浜に降りることは出来ませんでした。かなりの距離を歩き、自動車道へ戻ろうとすると勝馬神社がありました。その直ぐそばに勝馬小学校があり、ここの児童がつくったジャムが休暇村の売店で売っていました。その後童心に返ってロビーで塗り絵を楽しみました。
昼食も休暇村のレストランで摂りました。漁師まかないどんぶりを食べましたが、値段の割に魚の醤油漬けがたくさん乗っていてびっくりしました。きっと前日のビュッフェでの刺身の残りや、刺身をつくる時の魚の切れ端などを醤油に漬けた物かなと思いました。海鮮丼に比べて値段がうんと安く、お得でした。午後はベッドでお昼寝タイム。実にのんびり過ごしました。
夕食のレストランでは、連泊のサービスでマグロの刺身がひと皿ずつついていて、前日の清酒の残りで再び海の幸を楽しみました。食後4回目の温泉を楽しみ、ぐっすり眠りました。これまで海の幸を食べ尽くしていたので、翌朝はパン食にし、軽めにしておきました。小学生のつくったジャムと、グラウンドゴルフの仲間に迷惑をかけたのでお土産を売店で買って送迎バスで送ってもらいましたが、来る時と違ってバスは満席でした。
帰路の新幹線も満席状態で、窓口で指定席を買おうとすると「さくら」は指定席が無く、かろうじて「みずほ」で通路を挟んで指定席を取ることが出来ました。「のぞみ」並みの列車なので、2時間で姫路まで戻ってこれました。新幹線姫路駅構内の座席に座って車内で食べる予定だった昼食を摂りました。腰を温泉で温めて腰痛の軽減を図りましたが、以前ほどの効果は無かったようです。帰ると翌日からはまた庭の水やりや菜園の手入れなど普段の生活に戻りました。特にこの夏たくさんの野菜を提供してくれたシシトウやなすびを引いて、春菊やタマネギを植える場所をつくりました。だからまたまた腰の状態が悪くなり、コルセットが必要になりました。
10月7日〈土〉 「体重が3キロも増えて」
日曜日に腰痛になり、旅行を控えて妻はひたすら安静を勧めます。そのことばに甘えて、整形外科へ行く以外、ほとんど家にいて、テレビの番か昼寝をしていたら体重がどんどん増え、5日間で3キロも増えてしまいました。このところの過ごしやすい天候と食欲の秋が重なって、テーブルに出された物をすべて平らげていたためでもあります。この様な急激な体重増加の経験は初めてです。今日は買い物を頼まれて、運動がてら1.5キロほど先の店まで歩いて行きましたが、帰りは結構重いリュックを背負って、妻の指示通りバスで帰宅しました。だから本日の万歩計は3000歩あまりでした。これではあまりカロリーは消費していません。旅行から帰ればどんどん身体を動かし、運動をしたいと思います。
10月4日〈水〉 「今度は腰痛」
1日〈日〉朝早く起きて、車の少ない内にと生け垣の剪定をしました。道路に剪定で落ちた木々の掃除をしていて、腰をひねった時に、背筋に痛みが走りました。あらかた片付いていたので直ぐに作業を止め、湿布薬を貼って布団で転んでいました。それほど重症では無いので、食事も普通通りにして一日安静にしていました。
翌月曜日は大事をとってグラウンドゴルフを休み、整形外科を受診しました。比較的痛みもひいていたので、処方された湿布薬を貼り、痛み止めの薬を飲みました。そして前日の剪定で出た木の処理をしました。ところがそれがいけなかったようで、腰痛がぶり返してしまいました。昨日は一日動くと痛いので、寝て暮らしました。そして今日は、市内高年クラブのグラウンドゴルフ大会も欠席する羽目になってしまいました。チームに迷惑をかけてしまい申し訳なく思っています。今日は午前中寝て暮らし、午後からは食堂の椅子に座ってテレビを見て暮らしました。お陰で夜には少し楽になりました。こんなに次々身体に故障を起こすのはやっぱり年のせいですね。
9月30日〈土〉 「自慢の歯もついに抜歯」
86年間、歯茎の外に姿を見せなかった左上親知らずを除いて全部揃っていた自慢の歯でしたが、遂に左上の奥歯1本を抜歯してしまいました。この歯は何度もかぶせていた金属が外れ、最後は僅かに残った歯を使って土台をつくり、かぶせてもらっていたのです。しかし9月の初めに、たこの天ぷらを噛んだ時に激痛が走りました。その後、歯茎が腫れ、2度歯磨きの時に出血をしました。
歯医者に行かなければと思いがら、軟らかい御飯などは噛んでも異常が無いので延び延びになっていました。そんなときかかりつけの歯科医から検診の誘いがあり、受診をしました。レントゲンを撮ってもらったところ、最後の支えとなっている歯が割れていることが判り、治療のしようが無く、昨日ついに抜歯となりました。抜いた歯を見せてもらうと3つに割れており、これでは仕方ないと思いました。ちなみに麻酔がよく効いていたからか、全く痛みはありませんでした。奥歯を抜いた後は大きな空間が出来てしまった感じです。今日は消毒してもらいに行きましたが、当分はこのまま過ごすことになります。
9月28日〈木〉 「7回目のコロナワクチン接種」
妻のかかりつけの診療所でインフルエンザ予防接種の案内をもらってきたので、二人の予約電話を入れました。ついでにコロナワクチン接種の予約が出来るか尋ねると、受け付けてもらえ、昨日接種を受けてきました。第1回の時、翌日グラウンドゴルフの準備で石の大きなローラーを引き回したり、プレイをしていると気分が悪くなり、完全に体調を崩してしまいました。そのようなことがあったので、今日は激しい運動をしないように気をつけて、グラウンドゴルフをしました。
暑さに少々ばてましたが、何とか4ゲームをやり抜きました。そして帰ったら妻が食糧品の買い物に出かけるのを待ち構えていました。Aコープの全品10パーセント引きの日だったからです。5sあまりのリュックを背負ってたこバスで何とか家に帰り、昼食後しばらく昼寝をしました。夕方今度は私1人で、やはりたこバスを使って薬の量販店へ行きました。こちらも妻の必要な化粧品やAコープで手に入らなかった品物などを買ってきました。気分的にはもう一つでしたが、体調を崩すことも無く無事一日を終えることが出来ました。
9月25日〈月〉 「車の無い生活」
車を返上して以来、週に1〜2回コミュニティーバス〈たこバス〉を使って、食糧品を中心にリュックを背負って買物に出かけます。妻は大腿骨を骨折して以来、長距離を歩くことが出来ないので、バスを使うのですが、重い物は私が背負います。慣れない内は背中の重さにバランスを崩し、転んだこともあります。車のありがたさをつくづく感じています。
病院へは妻は頑張って一人でバスに乗って出かけるようになりました。バス停が近いことは本当に有り難く思います。しかし、これまで新聞に地域のニュースが載ると、直ぐに車で出かけていましたが、車が無いためついついぼやいています。病院と買い物以外出かけることが無いのでぼやきを聞き流さざるを得ません。少しでもストレスを解消するために、3月の富士山への旅行のように、10月に新幹線を使った九州旅行を計画しました。この先に楽しみがあるので、少しは気が晴れるかと思います。
一方、私はといえば地域の高年クラブの活動など次々と行事が入り、カレンダーは相変わらず埋まっていきます。予定のない日は妻につきあっていると、テレビと昼寝が中心の生活になり、まさにフレイル状態です。最近パンツのゴムがきつく感じていますが、お腹が出てきたためです。今日は高年クラブ主催のフレイルについての学習会があり、いろいろ学びましたが、ようは本人の実行力以外に解決しないということがよくわかりました。今日は庭や菜園の水やり、グラウンドゴルフ、学習会の出席などで、7800歩ほど歩いているので、明日からはウォーキングやスクワットなど学んだことをしっかり実践したいと思います。
9月22日〈土〉 「暑さ寒さも彼岸までのことわざ通り」
一昨日の夕方、10分ほど雨が降り、雷が一度鳴っただけで雨が止んでしまいました。それでも乾ききっていた庭の土は朝湿っていて、気温も菜園を耕しても汗はかきませんでした。大急ぎで畝をつくり、大根の種をまきました。水をたっぷりかけておいたのですが、夕方には乾いていました。庭全体にホースで水を撒き、菜園にもしっかり水をやりました。今朝は23度まで気温が下がり、作業をしていても快適でした。庭では白い彼岸花が咲いています。今年の夏は今までにないほど暑かったけれども、季節通りの移り変わりに感心しました。
8月17日〈木〉 「菜園は無事でした」
台風7号は8月15日に地元明石市に上陸しました。朝から猛烈な北風と多少の雨が降りました。しかし、昼頃にはぴたりと風雨ともに止みました。きっと台風の目の中に入った状態だったと思います。2時間ほどして今度は南西の風とともに雨が降りました。全体として風雨ともにそれほどではなかったように思います。だから菜園の被害はあまりなく、いつもだとゴーヤの葉っぱは塩揉みされたように枯れますが、今回はトマトの竿が少し傾いた程度で全体に被害なしでした。ただトマトの赤くなっている実が割れていたので、虫が来たり腐ったりしないうちに翌朝一番、日の出前に収穫しました。
豊作のカボチャは台風一過枯れた葉っぱを片付けていると次々実が現われ、台風前後に改めて7個収穫しましたが、まだ8個菜園にあります。3個近所の人にお裾分けしましたが、味噌汁の具や煮物、パンプキンスープなどが食卓に載ることが多くなりそうです。
今日も朝からしとしと雨が降っています。台風が来るまでは長らく降雨はなく、水道代を気にしながら庭中の木や花、菜園にホースで連日水やりをしていましたが、しばらくは水やりから解放されそうです。
7月22日〈土〉 「菜園で野菜の収穫」
今菜園ではトマト9本〈苗を3本買ったのですが、脇目を挿し木しました)、なすび2本シシトウ2本、ゴーヤ3本、カボチャ2本そしてサツマイモ10本、ツルムラサキ2本、小芋7本植えています。写真のカボチャはほくほくのカボチャの苗を植えたのですが菜園中にツルを伸ばし、一緒に植えているサツマイモが見えなくなるほどです。一部は生け垣に登っています。実は2sほどあり、市販では4〜500円で売っています。これまで5個収穫し、まだ大き実が3個なっています。一時雌花の蕾が黄色くなっていましたが、ここ2・3日また大きな雌花が咲いています。はじめの頃は早く起きて受粉していましたが、今は蜂をはじめとした虫に任せています。
なすびはこれまでカメムシに花を食べられ、収穫できないのでしばらく植えていなかってのですが、知人の助言で根元にオルトランをひとつまみ撒き、試しに2本植えてみると、順調に育ち、花の数だけ収穫できています。
トマトは大きな実の桃太郎2本で、後は中玉のフルーツトマトですが、写真のよう毎日たくさん収穫でき、フルーツトマトは結構甘さがあります。
シシトウは軸や葉っぱと同じ色でうっかりしていると、大きくなりすぎます。
ゴーヤは二人で食べきることが出来るように、大きくならないうちに収穫します。これまで2本収穫しましたが、今小さな実が3本出来ています。最初の雌花は喜んで受粉しようとして、失敗したので、その後は虫に任せています。
小芋は雨が降らない限り、毎日水が欠かせませんが、最近は猛暑で好天が続くので、水やりが大変です。バケツで風呂の残り水をやっていたのですが、大変なので20メートルのホースを買ってきて庭木や草花と一緒に水やりをします。水道代が恐ろしいのですが・・・ ただしホースで水やりをすると草も喜んで芽を出し、成長するので、除草も大変です。
それでも毎朝、朝取りの野菜を収穫するのが楽しみです。
7月12日〈水〉 「ディーラーへ車を返納」
6月末日で車の運転を止めようと思っていたのですが、妻の病院への送り迎えが7月1日から6日まであったので1週間延ばし、7月7日にディーラーのスバルへ持って行きました。7月23日が5年目の車検だったので、事故を起こすまでにと思ってこの日にしたのです。
最後の長距離ドライブは5月12日の山陰岩井にある道の駅でした。このときの帰路での高速道で、センターラインが2重に見え、その2本の間を対向車が向かってくる恐ろしい体験が運転を止める決定的な理由です。その後は福崎のもち麦の館で最後の食事をしたり、三木山森林公園へ最後のウォークに出かけたりと近場で想い出の場所へ行きました。そして6月の下旬は、肥料など重い物、かさばる物、そして電化製品を買いに行きつけの量販店へ出かけたりと、車でなければ行けない場所へ買い物に行きました。そして、7月6日の病院の帰りに、大久保駅北のある野菜売り場「めぐみの郷」、そして「コープこうべ」で車での最後の買い物をしました。これらは車でしか行けないので、残念ですがもう行くことはないと思います。
幸いコミュニティーバスの停留所が徒歩2分の所にあり、JR大久保駅や魚住駅へ無料で行けるので、この範囲にある店舗へ買い物に行くことが出来ます。特に大久保駅近辺にはスーパーや家電量販店があるので、これらの店が利用できます。ただ重い物やかさばる物はインターネットを利用しなければなりません。キャッシュカードでの買い物はしたくないので、制限がありそうです。
またディーラーが車を思いの外高値で買い取ってくれたのがせめてもの救いです。そして、車4台26年間お世話になったスバルの担当者が「明石駅までお見送りをしましょう」と言って、車で明石駅まで送ってくれました。53年の運転生活で、スバルが最もサービスがよく、配慮も行き届いていたので、最後までスバルの車に乗り続けました。
5月19日(金) 「ドライブ日記」
今日は朝からの雨天。いつまでも止まないので久しぶりの更新です。
7月に車検が切れるので、6月いっぱいで車を手放すことにしています。そんなわけで、妻は予定がなくて、お天気がよければせっせと弁当を作りドライブに誘ってきます。もちろん運転は私です。私は車を運転するには高齢なので遠くへは行けません。
連休前にタケノコが近くでは買うことが出来ず、北の方へ買に出かけたいと言いました。福崎に地元の野菜売り場がるのを見かけたので、試しに行ってみました。タケノコがどっさり、それも安く売っていたので大喜び、6本も買い、木の芽やワラビなど、春の味わいを買い込みました。
帰りに夢前町のヤマサ蒲鉾工場の芝桜を見に行き、弁当を食べました。以前いきいきネットの仲間といった時は奥の方に少し植えられていましたが、今回は工場の直ぐ上の山にもぎっしり植えられていて、見事に咲き誇っていました。世話をしておられる方がいましたが、斜面での作業は大変だろうと思いました。この日は平日にもかかわらず来場者が多く、天ぷら売り場は長い行列が出来ていました。
以後しばらくはいろいろなタケノコ料理の食事が続きました。
連休明けにもう一度福崎へ行きたいというので行ってみましたが、タケノコはおろか、欲しいものはなく、千種から相生、御津町ドライブしただけで、特に期待していた収穫は何もありませんでした。
次の週は丹波篠山方面へドライブをしました。特産売り場で黒豆のグラッセを買って国道373号線を北上しました。福知山の手前で三和・春日方面へ行く表示を見つけたので、早く兵庫県に戻ろうとそちらへハンドルを切りました。途中山にきれいな山藤の花が咲いていました。
やがて春日方面への標識を見つけてそちらの道を進みました。ところが道幅がどんどん狭くなり、峠道にさしかかりました。対向車が来ないことを祈りながら何とか峠の頂上に着き、エンジンブレーキを作動させ足をブレーキペダルの上に浮かせながら下り始めると、足先がつってきました。少し広い場所に停車して、休んでいると大きな乗用車が対向していきました。もし休憩していなければ狭い峠道で困っていたと思います。やっと峠道を下りきり民家が見えてくると古民家が田んぼに映るすてきな景色が見えました。この様な景色が見えるとは思っていなかったので感動し、急いで車を止めてカメラに収めました。
この日もたいした収穫は有りませんでしたが、貴重な景色を見ることができ満足でした。
次は買い物を主にしようと、高砂西から姫路バイパス・姫路西バイパスを走って国道29号を北上しました。山崎で少し買い物をし、若桜の道の駅まで行きました。弁当を食べ、お菓子を一つ買っただけでさらに北上、鳥取から国道9号を兵庫県へ向かいました。そして目的の岩井の道の駅で買い物をしました。水産物が豊富なので見て回るとなんと紅ズワイガニが安く売っていたのには驚きました。今年は手に入らず食べられなかったので、とっくに漁が終わったこの季節で食べることが出来るか心配しましたがとにかく買いました。その他水産物を買い込んで、持参した発泡スチロールの箱に氷と冷凍食品を詰めて急いで帰りました。高速を走るのは視覚的に困難なので避けていたのですが、早く帰らねばと山陰地方の自動車専用道路を走りました。但馬空港近くから北近畿自動車道に乗ろうと向かいました。空港でトイレ休憩をしたことで日高方面へ下ってしまい、改めて豊岡まで312号を走り、改めて北近畿道を走りました。和田山から播但道を、福崎から中国自動車道で加西まで行き、そこからは走り慣れた道を帰りました。播但道では中央線が2重に見え、その2重に見える対向車線の間を対向車が走ってくるのです。そのたびに左目を閉じて2重に見える対向車線を確認する始末です。そんなわけで制限時速の60〜70キロで走るので、後続車がたまってきます。ゆずり車線で減速してすべての車を追い越させます。そのようなことが2度3度。福崎からは中国自動車道へ、この道なら片側2車線なので、70〜80キロで走っていても邪魔にはなりません。ところが前を走る車が2重に見え、どちらの後ろを走るか、また左目を閉じて確認が必要でした。長距離運転で目が疲れていたのだと思います。そしていよいよ運転を止めなければと痛感しました。何とか明かりのあるうちに帰り着くことが出来ましたが、走行距離は365qでした。
4月6日(木) 「洗濯機を新調」
2014年に洗濯機を新調しました。妻が4ヶ月入院していて、その間私が毎日病院から持ち帰る洗濯物を2槽式の洗濯機で時間をかけて洗っていました。見舞いに帰省した娘がその様子を見て自動洗濯機に買い換えるように言いました。そこで買ったのがパナソニック製7sの自動洗濯機でした。土間に置けるぎりぎりの大きさで、しかも風呂から直接残り湯を汲むことが出来るという便利なものでした。その洗濯機も9年経つといつ故障するかわからない様子だったので、3月に同じ機種に買い換えました。
1ヶ月使ってみて、ずいぶん改善されていることに感心しました。先ず糸くず取りですが、これまでの物は蓋の開け閉めする時指先に力がいったし、狭い部分にゴミがたまって取れませんでした。ところが新しい糸くず取りは簡単に開け閉めことが出来、厚さも薄くなったので、ゴミがたまることもなくなりました。また、風呂の湯を汲むホースも丈夫になり、洗濯機からの着脱も簡単にできるようになっていました。音も静かになったように思います。これまでのは中国製でしたが、新しいのはベトナム製です。値段は9年前に比べると2倍弱ですが、同じ型番の製品でもやはり新しく改良されているのがわかりました。
4月1日(土) 「花見に出かけました」
いつものように手作り弁当を持って出かけようとすると、すでに10時になっていました。これから花見に行くには、遠方へは行けません。とにかく姫路バイパスから国道29号線へ、まずは山崎の野菜売り場でトイレ休憩、ツクシやヨモギなど春の香りを買い求めてさらに北上。道の駅「波賀」のそばで桜公園が見えたので、引原川の川辺に降りました。車の中から満開の桜を眺めながら、お弁当を食べました。
食後さらに北上、満杯の引原ダムを過ぎ、新戸倉トンネルの手前ではまだ雪が残っていました。北上してくる車はみんな驚いたようで、駐車場に車を止めてカメラに収めていました。トンネルを抜けて若桜の道の駅で休憩。満開の桜を眺めていると、SLの警笛が聞こえてきました。道の駅の裏手に回ると、線路上をミニSLが翌日のイベントに向けて試運転をしていました。満開の桜の園からやって来るSLは素晴らしい眺めでした。
竹炭を砕いた土地改良材が売っていて、車を手放すともう手に入らないからと大きな袋入りを買いました。帰路は日暮れまでに帰宅したいので、八東から鳥取自動車道河原ICへ行き、時速80キロを超えると動体視力がついていけないと高速道路を避けていたのですが、この道は制限時速が60〜70qなので、思い切って中国自動車道加西ICまで高速道路で帰ることにしました。登坂車線やゆずり車線では後続車に道を譲り、日のある間に帰宅することが出来ました。山々では山桜が咲き、道のそばではあちこちに桜が咲き誇っていて楽しい花見の一日でした。
3月7日(火)〜9日(木) 「夫婦で最後の旅行-富士山を見たくて-」
昨年10月に妻が「最後の旅行で富士山を見に行きたい」と言ったので、休暇村富士を予約していました。乗車券も買って準備万端整えていたのですが、直前に転んで骨折、入院してしまいキャンセルしました。年が明けて何とかゆっくりでも歩けるようになったので、改めて予約しました。病院など予定の入っていない日程でたまたまこの日だけ空室が見つかったので2月に予約出来たのです。
朝9時過ぎに家を出て、順調にバスや電車を乗り継いで、新幹線の西明石のホームに上がりました。エスカレーターでホームに上がったところが7号車あたり、12号車までかなりの距離があります。それでも旅に出かけられる喜びで文句も言わず、杖をつきながらとぼとぼと歩きました。新幹線に乗るのは栃木市を訪れて以来久しぶりでした。静岡からは在来線で富士駅へ着いた時、富士山は中腹に雲ががかり、雲の上に真っ白な頂上がかろうじて見えていました。身延線に乗り換えて富士宮駅で下車、そこからはバスで50分、休暇村へ到着したのが16時5分でした。フロントで身分証明や、コロナワクチン接種の証明書など、手続きを済ませて部屋に入ると、先ず驚いたのが窓いっぱいの富士山の景色、しかも雲もほとんど消えていました。その後は夕方の赤富士を期待して部屋の電気を付けずに、雪をいただいた富士をゆっくり眺めていました。雲はどんどん消えていき、赤富士を撮る頃にはすっかり雲が消えていました。
大浴場に浸かり、ビュッフェの夕食を日本酒「逆さ富士」を飲みながら楽しみました。
次の朝、雲一つない日の出を見ようとホテルのベランダに出て写真を撮りました。まだ寒く、カメラと私と妻のスマホ3台で写しました。その時左側の岬の先端まで行けばもっときれいに撮れるだろうと話し合いました。朝食後二人で散歩に出かけました。妻はあまり遠くまで歩けないので近場で、私はホテルの前の田貫湖が1周3.3キロとの表示を見て1周しました。歩きながら何枚も富士山を撮りました。そして次の朝の日の出を取る場所を見つけておきました。
昼食はラウンジで到着時にもらったクーポン券でハンバーグやカフェラッテなどで済ませました。ラウンジには数組の宿泊客がいて、ホテルで2泊3日の日程で楽しむ人たちがほかにいることが判りました。その後再び田貫湖を逆方向に1周しました。美しい富士山が眺められるキャンプ場では次々と新たなテントが張られ、また、湖畔では釣り人が大勢釣り糸を垂れていました。しかし釣れている景色は一度も見ませんでした。
この日も赤富士を眺めた後、昨夜飲み残したお酒を持って食堂へ行くと、気持ちよくグラスを持ってきてくれました。夜中に富士山を見ると、満月の明かりがあるのか暗闇の中に富士山の雪の部分がうっすらと見えました。翌朝は早く起き田貫湖のビュースポットまで行きました。やがて日の出を迎え、カメラとスマホのシャッターを切りました。満足な一枚を撮ることが出来、急いで部屋の戻り、息子や娘にラインで自慢の写真を送りました。
それにしても日の出の写真を撮っていて、山梨県側と違って東京方面の空の色が黒ずんでいるのが気になりました。日の出の写真を撮ってから朝食をビュッフェで済ませ、部屋に戻ると、雲はありませんでしたが富士山の山容が薄れ、空に同化している感じがしました。「もう私には用済み」と富士山が言っているようでした。3日間好天に恵まれ、暖かな旅行日和になったことを嬉しく思いました。
9時55分発のバスで休暇村を出発し、帰路につきました。ここのバスは同じ経路を辿りながら、往路は片道二人で1520円、帰路は1840円でした。運転手によって料金が違うのが不思議でした。そういえば、幼稚園の園外学習で園児6人に引率の先生2人が白糸公園で降りる時、運転手は料金が判らなくて会社に電話で問い合わせるなど、ずいぶん時間を取っていました。帰りの昼食を静岡駅構内で摂ろうと思っていたのですが、校内には食堂がなく、駅弁を売る店とコンビニだけでした。そういえば行きがけもコンビニでおにぎりを買って駅のベンチで食べました。仕方なく東海軒で駅弁を買って、新幹線の中で食べました。静岡駅で新幹線座席指定券を買ったのですが、13号車で、6号車あたりから辿りつくのに妻は休み休み10分ほどかかり、疲れていたのか遠い遠いとぼやいていました。車内は大きな荷物を持った白人が多く、名古屋、京都、大阪でたくさん降りました。3時過ぎには家に帰り着き、楽しかった旅も無事終えることが出来ました。妻は新幹線での個人の旅行で自分のペースでのんびり遠くまで行けたことが自信になったのか、次は九州の南まで行きたいと言い出しました。指宿にも休暇村があるのです。最後の旅行と思っていたのが、思わぬ展開になりました。
2月25日(土) 「95歳のテノールリサイタル鑑賞」
以前第九合唱団で19年間一緒に歌っていた安藤勉さんが95歳で単独コンサートを開かれ、妻と一緒に聴きに行きました。第一部は日本の歌曲、二部は外国のカンツォーネなど、アンコールも含めて22曲歌われました。77歳の喜寿コンサートを開くといわれた時には、すごいなと思ったのですが、傘寿、米寿、卒寿と回を重ねられると、ただただ驚くばかりでした。今回も明石西部市民会館の500人入るホールで超満員の中、マイクを使わずに歌われました。整理券だけでお祝いなど金品は一切遠慮しますといわれ、その上、メールで整理券をお願いすると、郵送して下さいました。ホールの借り上げや郵送料、プログラムの印刷費など、ずいぶん出費があったと思います。
退職した66歳から先生について歌い始め、発声法も学ばれて、素晴らしい伸びのある声で歌われるのです。今回は奈良・薬師寺で開かれた日本歌曲コンクールでシニア賞受賞記念コンサートでした。2013年にはリトルカメリアコンクールで35歳以上の部で金賞に選ばれ、センチュリー交響楽団と共演されたことがあります。普段はイタリア歌曲のレッスンを受けておられるそうで、テノール歌手のための曲ではやはり伸びのある声で朗々と歌われたのは圧巻でした。姿勢も素晴らしく、この様子では白寿のコンサートも夢ではなさそうです。ますますのご活躍をお祈りしています。
2月22日(水) 「マイナポイントの手続き」
土曜日にマイナンバーカードを受け取りに行きました。しかし、市役所がおやすみなので、月曜日に大久保支所へマイナポイントの手続きに行きました。登録の通帳や高齢者健康保険証を持参し丁寧に手続きをしてもらい、その後私は「ナナコカード」を持っていたので、後はコンビニへ2万円を持って行けば手続きは完了します。一方、妻は有効なカードは全く持ち合わせがなく、たこバスで行くことが出来るイオンでワオンカードを300円で購入すれば手続きが出来ると教えてもらいました。
早速今日イオンのサービスコーナーで教わったように手続きをしました。結局300円のカード代と20000円のチャージですっかり手続きが終わりました。後は3月28日に5000円のポイントを獲得した後、20000円分のマイナポイントを電位マネーに交換すれば、晴れて完全に終了します。
1月25日(水) (久しぶりの積雪」
天気予報で10年に1度の寒気だといっていましたが、昨日夕方から降り出した雪は、夜10時頃にはつもり始めました。そして今朝は雪こそやんでいましたが、すっかり雪化粧をしていました。10時頃には日差しも見られ、かなり溶けてしまいましたが、久しぶりの雪景色を楽しみました。
太陽酒造の酒蔵 我が家の菜園(タマネギ畑)
1月24日(火) 「剣玉」
昨年末のNHK紅白で三山ひろしたちが剣玉でギネスに認定される記録を打ち立てました。4日前に引き出しのものを取り出していたら、剣玉が出てきました。何年振りかでやってみると一番簡単な大きなお皿に載せようとしましたが、20回以上試行してやっと載せることが出来ました。それから一日に何回か練習していると、今日は5回載せるのに11回、10回載せるのに22回でした。試しに小さなお皿、剣玉を持つ柄の所にあるお皿にも試行してみると、数え切れないほどの回数で何とか載せることが出来ました。暖かい部屋でやっていたので、汗をかいてしまいました。結構運動になることが判りました。これから毎日練習し、安定して記録が出せるようにしてみようと思います。
1月18日(水) 「住民検診プラス」
年1回高齢者検診の案内が市から届きます。それを利用するとともに、オプションでいろいろな検査を一緒にしてもらいます。その後医師から結果について説明を受けます。オプションの一つが骨密度検査です。足から腰あたりまで検査してもらうのですが、全体に値は低く、腰は昨年より高くなったといっても同年代の80%、昨年より低くなったのが大腿骨でした。これはコロナ禍で極端にウォークしなくなった結果だろうと思います。医師からもウォークの必要性を助言されました。
血管年齢はやや下がったけれども、それでも55歳相当の血管の柔らかさだそうです。その他特に問題を指摘されるところはありませんでしたが、胆嚢の壁が一部分厚くなっているので、半年後にもう一度エコー検査を受けることになりました。その他前立腺検査などを受けましたが、血液検査の結果は後日になります。特に急を要することが判れば連絡してもらえると思います。こうして検査をしてもらうと、自分の身体に自信が持てます。
1月16日(月) 「一日の歩数目標6000歩」
今年に入ってはや半月が経ちました。この間歩数の目標を達成したのはたった1日だけです。原因は妻が年末から足が痛いといって、歩行が困難になってしまったこともあり、移動に介護が必要だったことにもありますが、一緒になって、テレビ漬けの日常になってしまったからです。仕方なくテレビ体操をしたり、かかと落としなど軽めの体操を土間や庭で気が向いたらしています。このような日々ですから、筋肉が衰え、体重が56キロ前後あったのが54s台まで落ちてしまいました。朝も遅く、一時は朝食を済ませると10時半という日もありました。こんな日は昼食抜きで、朝と夕食はたっぷり食べています。たまに買い物など出かけることがあっても、妻の状況から常に車でした。
ひどい日は3桁の歩数が続いたりしました。せめて日常生活歩数の3000歩以上は歩かねばなりません。何しろ3000歩に届かなかった日が16日中13日もあったのですから。コロナ禍で外出する日が減ったといってもこのようなことは初めてです。でも、明日から川柳教室や住民検診、グラウンドゴルフなど、日常生活が戻ってくるので、規則正しい生活になると思います。
1月1日(日) 「新年あけましておめでとうございます」
今年もよろしくお願い申し上げます。
孫たちは親元で集まって賑やかにお正月を迎えたようです。一方で我が家は息子と3人でお正月のお祝いをしました。普段は2人暮らしなので、日々静かで平穏な暮らしです。正月も息子が帰ると、もうテレビか、届いた年賀状の整理ぐらいでした。
午前0時を過ぎると地元の氏神様へ初詣に夫婦で出かけるのが毎年の習慣ですが、今年は妻が足が痛く、神社の階段が上れないというので、私1人で二人分のお賽銭をもってお詣りしました。今年はどのような年になるのか多少心配もあります。それでも昼間には孫たちからラインで年賀が届き、年賀状には「6月に栃木で結婚式をするのでぜひ来てほしい」と書かれていて、なんとか明るい年になりそうです。
昨夜は「紅白」を最後まで見た後、初詣に行き、風呂に入って2時頃床についたので、今朝は目覚めた時には7時30分で、初日の出を見ることができませんでした。すると姫路在住の元同僚がラインで姫路城の初日の出の映像を送ってくれました。これで今年も初日の出を見ることができました。有り難いことです。
2022年の日記
12月25日(日) 「年末の予定終了?」
いつも年賀状の投函が25日ぎりぎりだったのですが、今年は少しずつデザインを考えていて、、23日までに完成させ、印刷を終了し、24日朝一番に投函しました。ただ失敗だったのは、いつも200枚くらい出していたと思って、11月中に年賀はがきを買っていました。ところが実130枚弱で、大量に余ってしまいました。現職の頃は550枚買っていて、それでも足りないほどでした。妻が80歳になり、出す相手をしぼると言った時、私もつきあって、思い切って少なくしてしまいました。そして24日に予定が入っていた近くの保育園の評議員会の出席も終え、すっかり余裕の年末のはずでした。
それでも賀状がこんなに少なくなったのは不思議だと思っていたら、別の名簿で出すべき人に出していないことに気付きました。今から大急ぎで作成します。元旦に間に合わないけれども、仕方ありません。
12月5日(月) 「機械音痴の妻がスマホを始めました」
妻はこの度の入院で惨めな思いをし、ショックを受けて帰ってきました。というのは同室の4人の合計年齢は340歳。妻よりみんな年上のお婆ちゃんたちでした。コロナの影響で面会は出来ず、わずかに着替えを持って行った時に、お互いにメモを渡すだけでした。ところが同室の3人は夕食を済ませると、スマホで家族と連絡を取っていたのです。一番若い自分がスマホが出来ず、歩くことが出来ないので一人病室で悶々としていたそうです。
退院後息子に頼んでスマホを買ってもらいました。インターネットで注文し、11月23日に届き、息子に来てもらって設定をしてもらいました。ラインでメールや電話が無料で出来るので、その日からラインの練習が始まりました。私と同じシャープのスマホでも、3年以上経てばずいぶん進化しています。教える立場の私も扱いかねて、試行錯誤の連続です。そんな日々でしたが、2週間近く経った今日は、従姉妹や子どもたち3人に、少し長い文章を送っていました。ただ私と違ってかな入力をしているので、あいうえおなどといちいち指折り数えて打ち込むので時間がかかるだけでなく、途中で画面が消えてしまうので何度も立ち上げ、悪戦苦闘しています。それでも私に尋ねることが減ったので、機械音痴の妻にしてはたいした上達です。今度はラインで電話に挑戦すると張り切っています。
11月21日(金) 「マイナンバーカードの申請」
マイナス面がいわれていたマイナンバーカードですが、来年には免許証返納を考えていたのと、妻が自分を証明できる写真入りのものがないので申請したいというので、今日市役所へ行きました。申請する人がたくさんいて混雑していたり、面倒な書類に記入したりするものと思っていましたが、案内窓口で教えてもらった窓口に行くと、担当の女性が笑顔で部屋の隅に案内してくれました。そして、もっていたタブレットで顔写真を撮り、打ち込まれた内容を確認すると、申請手続きは終わりましたといわれました。実に簡単な申請に拍子抜けをしました。以前に届いた申請用紙に家で記入していたからでしょうけれど、面倒に思っていた心配はありませんでした。これならもっと早くしておけば2万円のポイントがもらえたかもしれません。受け取りは来年になるそうです。
11月13日(日) 「5回目のコロナワクチン接種」
保健所で指定された日時にワクチン接種をしました。妻の入院中にインフルエンザに予防接種もしていたので、少しは安心かなと思っています。2回目のワクチン接種の翌日、グラウンドゴルフをしていて気分が悪くなり、家に帰ってから下痢嘔吐に悩まされました。その経験から3回目も4回目も接種の翌日は家でおとなしくしていました。明日もグラウンドゴルフがありますが、家でおとなしくしていようと思います。
日曜日は雨で、月曜日から気温が下がるとの予報だったので、昨日12日にもみじ狩りに出かけました。427号線を北上すると、杉原谷の道の駅の少し北側にある公園に1本の真っ赤な紅葉の木がありました。駐車場に車を止めてまずは持参した弁当を食べ、それからその紅葉を撮影しました。私は紅葉とそばの黄色く色づいた木、そしてみどりの杉のコントラストの美しさをカメラに収めました。しかし妻は木の下に入って色づいた紅葉の葉を逆光で撮影しました。撮影のアングルでいつも妻には負けています。
11月10日(木) 「思わぬ早い退院」
妻の入院に関して、これまでの経験からリハビリに3ヶ月はかかると覚悟していました。ところが7日月曜日に退院できました。まだ家の中でも杖をついたり、、ワゴンを押したりで、両手でものを持って移動することは出来ませんが、調理は出来るので、入院中のような1品料理で我慢することなく、毎日色とりどりの副食をお腹いっぱい食べることが出来ます。有り難いことです。以前骨折した後、介護保険の「要支援2」でしたが、今回も当分同じ状態なので、改めて申請したいと思います。
ただ病院と違って家では夕方から寒さに耐えられないようで、早々とエアコンのお世話になっています。また入院中はコロナ禍で面会が出来ず、自分より年上の同室の患者がみんなスマホで家族に連絡を取っていることに惨めに感じたそうで、いよいよ自分もスマホを買おうと思ったらしいです。いつもスマホの扱いに四苦八苦している私では頼りないので、今度息子が来た時に買ってもらうと言っています。
11月1日(火) 「日本シリーズのテレビ中継を堪能」
日本シリーズ第3戦までは負け試合や引き分け試合で無駄な時間だと思っていましたが、第4戦からは手に汗するほどの大熱戦で、ついつい引き込まれての観戦でした。この場面ではこのようになってほしいとの願いに選手たちが応えてくれるので、目が離せませんでした。そして最終戦では、1点差に迫られた時、ここで比嘉に押さえてもらわねばと思うと、その通り見事なリリーフ、日本一になった時にはさわやかな気分になりました。決して無駄な時間ではありませんでした。
先ほど、妻が入院している病院から早ければ来週明けにも退院できるかもしれないと電話をもらいました。リハビリの病院への転院の話もあり、そうなれば退院が3ヶ月先になると覚悟していたので、朗報です。毎日の食事に四苦八苦、今日もワケギの白味噌和えに挑戦しましたが、水っぽくいくら自分で作ったものでも食べるに耐えられる代物ではありませんでした。あと1週間の我慢です。そういえば、昨日洗濯物を届けた時、車いすを卒業して歩行器で病室内を歩けるようになって嬉しいとメモが入っていました。今日の看護師からの電話では、杖で歩いたそうです。杖を使って歩ければ、家の中の移動や調理など家事が少しずつ出来るようになります。もちろん私の介助が欠かせないと電話の看護師も言っていましたが、、、どうせグラウンドゴルフくらいしか外出しないので、介助ならお安いご用です。買い物も車で行けば本人の思うものが買えると思います。私に日本シリーズを堪能させるために入院していたように思っています。
10月26日(水) 「日本シリーズで無駄な時間を」
私は子どもの頃からの阪急フアンです。浜崎監督・天保、今西投手、中谷三塁手などが印象に残っています。小学4年生の頃、これらの選手に年賀状を出したことがあります。浜崎監督からは、普通のはがきいっぱいにペン書きで返事をもらいました。中谷選手からは本人のサイン入りの年賀状をお兄様からいただきました。子どもに対してこのような自筆の返事が届くなど今では考えられないことです。だからますます応援していたのです。しかし。応援に西宮球場を訪れた時には必ず負けるし、さらにオリックスに身売りをした時にはもう応援はやめようと思いました。ところが震災の年にイチローたちの活躍で優勝した頃から再び応援をするようになりました。新聞社の招待券などが届くと、ほっともっと球場にも足を運びましたが、相変わらず見に行くと必ず負け試合で、平成9年を最後に球場へは足を運んでいません。
近鉄と合併した時にも応援熱は冷めましたし、万年Bクラスですっかり興ざめでした。ところが昨年珍しくリーグ優勝し、再び興味がわいてきました。しかし、テレビのチャンネル権は妻にあるので、テレビで観戦することはほとんどありません。ところが今年は妻が骨折して歩けなくなり、入院しているので日本シリーズはテレビで見放題です。でも毎試合4時間を超えるほどの試合が続き、2回戦は勝ったと思っていたのに引き分け、3回戦も大敗し、今日4回戦にやっと1対0で勝ちましたが、昼間は洗濯や病院がよい、食事の準備や後始末などに手を取られ、、4日間テレビに釘付けになっていたら、他のことがほとんど出来ず、夜の時間を無駄に過ごし、寝る時間もすっかり遅くなってしまいました。
本当は19日から二人でちょっと贅沢な人生最後の旅をしようと、8月に休暇村富士を2泊3日で予約し、10月になって新幹線の切符も買って準備万端整えていました。ところが直前にガレージで足をひもに引っかけて尻餅をつき、骨折で歩けなくなってしまいました。19日から3日間はそれまでの悪天候から一転晴れの日が続くとの予報に、妻の悔しがる姿に、怪我が治ったら改めて出かけようと慰めています。10月11日から全国旅行支援が行われていて、宿泊施設のキャンセル料がいらなかったことがせめてもの救いです。
現在コロナウィルスのために面会が出来ず、どのような様子かわかりませんが、11月に入ってリハビリの病院へ転院する時には顔が見られると思います。それまでは洗濯物の荷物と一緒に手紙を書いて現況を報告し、妻からは私の食事を気にして、冷蔵庫の中身を想い出しながらいろいろレシピを書いてよこしてくれます。段取りが悪くて、ずいぶん調理に時間を費やしています。味は自分だけが食べるので、どんなものでも満足して食べています。
10月6日(木) 「遅ればせの白い彼岸花」
9月30日に咲いている彼岸花です。ドライブに出かけると、彼岸前から赤い彼岸花が見られました。しかし我が家では彼岸が済んでから花芽が現れ、月末になってやっと花が咲きました。でも、今日は花がすっかり枯れて、根元から刈り取ってしまいました。しばらくすると葉が茂るでしょう。
夏の暑さがすっかり治まり、外での仕事が出来る季節になったので、朝から松の木の剪定を少ししました。高いところがすす病になっていたので、枝を切り払いました。素人の私がするので、末のかたちなど無視です。だからゑでを切り払うと、松の木の美しさがなくなってしまいました。妻は地上から手の届くところをし、私がはしごに乗って剪定するのですが、松の上と下では姿が全く異なります。
9月彼岸頃に野菜の種をまきましたが、ラディッシュ、春菊、、小カブは順調に芽が出そろいました。しかしほうれん草は種をまいた後にうっすらと野菜の培養土を撒いたのがいけなかったのか、芽が出ても水をやると酸性土になるためか、直ぐに枯れてしまいます。諦めてその場所にワケギを植えました。
9月27日(火) 「台風の若干の被害と冬野菜の種まき」
台風が2度続けて吹き荒れました。1度目は風が吹き荒れた後雨が降らなかったので、庭の草花や木々の葉が潮風にもまれて傷んでしまいました。翌週来た2度目の台風は風がさらに強く、窓にかけていた遮光ネットや寒冷紗がぼろぼろになり、取り替えなければならなくなりました。そして、小芋の葉がちぎれ、シシトウは倒れてしまいました。ただ風が治まりかけた時雨が降ったので、その点では多少助かりました。2度の台風でハナミズキの葉は紅葉しないうちにすっかり枯れて茶色くなってしまいました。
台風の後菜園を耕し、ラディッシュの残りの種と、春菊の種をまきました。なんとか芽が出ています。ほうれん草の種をまこうと思ってのですが、うっかり鶏糞などを入れてしまったので、酸性に弱いほうれん草の種を撒くことができませんでした。改めてカボチャを植えていた後を耕し、苦土石灰、化成肥料、クンタンで土作りをし、ほうれん草の種をまきました。そしてほうれん草を予定していたところに小カブの種をまきました。窓用の遮光ネットや寒冷紗と一緒に新しく水まきホースを買ったので、水やりが楽になりました。
以前、畑を耕すと猫が糞をするので、菜園をネットで囲っていました。最近は野良猫をほとんど見ないので、ネットを張らなかったのですが、今日は小カブを植えているところに猫の糞がありました。猫がおしっこや糞をした後は土をかけようよ土を掻くので、種が掘り返されてしまいます。久しぶりに猫の被害に遭いそうです。
今日は野菜を買いに行ったついでに茎ブロッコリーの苗を買ってきて植えました。なぜかサツマイモの茎が勝手に生えているので、仕方なく狭い場所に3本植えたので、上手く成長するか少々心配です。午後から恵みの雨が降りました。新たに植えた野菜の種や苗は喜んでいることでしょう。
9月15日(木) 「初めてMRI検査を受診」
6月に脳梗塞の診断を受け、7月に頭を動かすと嘔吐するという症状に再度見舞われました。そのとき脳神経科の医師から近くの脳神経外科病院に精密検査の紹介状を書こうかと言われました。しばらく様子を見ることにしましたが、なんとなくめまいの症状が残るので、9月の診察日に紹介状を書いてもらいました。
9月7日に紹介状をもって予約時刻に病院を訪れると、MRI検査をすると言われました。脳のCT検査はこの度2度受けましたが、MRI検査は生まれて初めてです。緊張のもと頭を固定され、ベルトで身体も留められました。機械が動き出し、検査が始まると、大きな音が耳元で響きます。一定の音ではなく、いろいろな音が次々と大音響で鳴るので、とても長い時間に感じましたが、15分間だったそうです。高校生の頃、父の防犯活動を手伝って、拍子木を打ちながら夜警活動をしました。そのとき以来頭の中でずっと蝉の鳴く声のような耳鳴りがしていましたが、今回の検査でその耳鳴りが大きくなったようです。
結果は脳の血管に大きな傷は見られないし、脳腫瘍の兆候もないと言われました。そしてふらつくのは耳の三半規管に問題があるのかもしれないので、一度耳鼻科の診察を受ければという診断でした。痴呆も進んでいると思っていましたが、脳に異常が見られないということで、少し安心しました。妻も心配していましたが、異常がないとわかると早速ドライブに行こうと言い出しました。よほど自粛生活のストレスがたまっていたのでしょう。早速始めての播磨道を走って鳥取県の若桜まで弁当持参で出かけました。途中道の駅で梨の2級品を安く買いました。帰って食べると所々打ち身がありましたが、甘くてみずみずしく、もっとたくさん買えばよかったと言っていました。どうやら先日の台風で落ちたか傷ついたものだったようです。目の状態から、暗くならないうちに帰宅しようと帰路についたので、6時までに帰り着くことが出来ました。
8月18日(木) 「2日坊主になりかけました」
朝日新聞の「天声人語」のようなコラムは神戸新聞にも「正平調」があります。読者の投稿欄「イイミミ」にぼけ防止や読めても書けない漢字があることの多いことから、この「正平調」を書き写している人の声がたびたび掲載されます。怠惰に流されている巣ごもり生活を少しでも活用しようと8月13日から私も取り組んでみました。2日間は順調に実行したのですが、15日は息子がやって来たことと、先祖の送り火、精霊流しの準備などもあり3日目には新聞の該当欄を切り抜いただけで書き写せませんでした。まさに2日坊主でした。
翌日も午前中川柳教室に行き、その疲れと暑さにかまけて書くことはなく、昼寝をしてしまいました。17日の夜になって切り抜いていた15日のコラムを書き写しました。今日も午前中に眼科の検診を受けたので、午後から今日のコラムを書き写しました。2日分抜けてしまいましたが、少なくとも夏休み中で、1日中外出をする日以外は継続したいと思っています。
15日の夜から雨が降り出し、3日間よく降りました。お陰で水やりのノルマから解放されました。もう実がならないと思っていたゴーヤも大小5個の実をつけています。昨日その内の1個を収穫しました。落ちばえのトウガンもかなり大きくなってきたので、まもなく収穫できると思います。シシトウは1本の苗ですが、毎日10個あまり収穫しています。妻はもうそんなにいらないと言っていますが、それでも次々収穫できるので、今日はためていたシシトウを佃煮にしてくれました。以前と違って、それほど大きくならないうちに収穫していますが、それでも葉に隠れて見落としていた実がばかでかくなったりします。トマトも小さな実が3日に1個くらい収穫できますが食べるには少なすぎるので、とうとう野菜売り場で買うことになりました。カボチャは煮物として毎日食卓に並びますが、少しずつ食べるので飽きることはありません。夏の食事の野菜を助けてくれています。
8月7日(日) 「20個目を収穫」
ついに20個目のカボチャを収穫をしました。そしてシャリンバイに登っている3本目のツルに1個、生け垣のバベに登って折るツルに3個まだ実がなっています。根元の方のツルは色が変ってかれているように見えるのですが、元気なツルには花が咲き、実がなっているのです。
8月4日(木)朝食後、妻を病院へ送り出した時、頭がくらくらしました。これはおかしいと思い、布団に寝転んだとたんに以前朝来市でドライブ中に起こったのと同じ症状が現れました。頭を少しでも動かすと吐き気に襲われ、じっと寝ていましたが、「ついに吐き気がひどくなり窓から吐いてしまいました。これはいけないと風呂場から洗面器をもってきて枕元に備えましたが、そこへ2度も吐きました。さらにトイレへ行き、最後吐ききりました。もう胃が空になったのか、目まいがしても吐くことはなく、そのまま眠り込んでしまいました。昼には治まってきたので、ホッとしましたが、昼は食事を抜き、夕飯は素麺など少しだけ食べました。頭は少しくらくらしていたのでそのまま床につきました。
翌金曜日の午後、脳神経外科の診察日だったのでバスで出かけました。頭のCTを撮ってもらいましたが、特に異常はなく、心配なら専門の脳神経外科病院を紹介すると言われたのですが、もう少し様子を見ることにして帰ってきました。
風呂を洗ったり、家事を少ししました。その夜風呂に入ろうとしたのですが、なんとなくふらつく感じがあり、風呂場で倒れるようなことがあってはと思い、身体を拭くだけにしておきました。土曜日からはほぼ普段の生活に戻り、朝から墓参りをしたり、車で買い物にも出かけましたが、大丈夫なようです。雨が二日間降ってくれたので水やりの心配がなく助かりました。
8月1日(月) 「最早8月」
7月の川柳教室の更新を終わっていたら、8月に入っていました。暑いから熱射病にならないようにとウォーキングをサボっていたら、コロナウィルスの第7波、自粛生活を強いられ、ますます運動不足。少しでもストレッチをと思っても三日坊主までもいかない始末、昼寝とテレビ鑑賞の時間がやたらと増えています。これこそ認知症が進行しているようで、どんどんやる気も失せていくようです。
先ず5時台に起きて、庭の草花や野菜の水やり、バケツにいっぱいの水を野菜やホースの届かないところに5,6杯撒いた後はホースを伸ばして水をまきます。プランターのキュウリやゴーヤはほぼ収穫は終了、トマト7本もたくさん収穫しましたが、日照りが続くと虫にやられることが多くなり、まともなトマトはあまり収穫できません。それでも毎日の食卓にはこと欠くことはないので、ここしばらく買っていません。シシトウは1本しか植えていないのに毎日数本収穫でき、見落としたり収穫を怠るとばかでかくなり、不人気になってしまいます。
今年はカボチャが大豊作で、3本の苗を植え、現在17個収穫しています。しかし根元のツルの葉が枯れ始め、まだ熟れていない実が腐り始めています。それでも新しいツルには雌花が咲いて、小さな実をつけています。例年1本のツルに実がなるとその先の雌花は黄色くなって枯れてしまうのですが、今年のカボチャは実っている先にも次々と雌花が咲き受粉して、結実します。大きいのは300円以上、ほとんどは200円ほどで売っている大きさです。あまりたくさん収穫したので、今日は娘に今年収穫したジャガイモと一緒に送ってやりました。
風呂の残り湯や、台所の洗い物をした時の水などをためて庭の水やりに使うので、これだけ日照りが続いても、野菜も草花も今のところ枯れることはなく、特に小芋は青々とした大きな葉を茂らせています。サツマイモも元気だし、落ちばえのトウガンもツルを広げ、菜園を草から守ってくれています。お盆が過ぎればカボチャのツルは片付け、秋野菜の植え付けのための土作りをしたいと思っています。
7月4日(月) 「参議院議員選挙期日前投票」
妻の病院の送り迎えの帰りに期日前投票をしました。私たち戦中を経験したものにとって、ウクライナのような悲惨な経験は2度としたくありません。だから軍事費をふやしていつでも戦争をするぞという姿勢はとうてい受け入れられません。軍備を充実させれば抑止力になるという考え方しか出来ない今の政治家の姿勢にさらに危険を覚えます。原発も電源を切られれば原爆を投下されるのと同じ事だということを、福島の事故で十分理解しているはずです。特に日本は島国なので、原発の事故は他国に深刻な影響を及ぼさないので攻撃する側にとっては容易に攻撃の的になります。(ウクライナで核兵器を投下すれば、西風に乗って放射能がロシアに流れるので、なかなか使用できないでしょう。
やっぱり憲法9条を生きかした国づくりをしなければなりません。ウクライナの大統領が最初にロシアに乗り込んで、プーチンとお互いの国の兵士や国民の幸せを守る事について話し合って、戦争を避ける話し合いをしていればと思ったりしています。日本の総理大臣もそのような勇気ある行動を先頭にたってするような人を選びたいです。トップが安全なところにいて、戦場の兵士に指示すれば、兵士は相手を殺さねば自分が殺されるので、善悪など考えず必死になって戦い、ますます被害が広がり、お互いの兵士や兵士の家族など国民が不幸になっていくのです。
ところで、これまでいろいろな選挙があり、大学3年生から何回も投票をしました。そして一度も棄権したことはありません。大学時代には投票の終了の鐘を鳴らしているところへ飛び込んだことがあります。また投票日の午後2時半に広島県の三原ICから高速道に乗り、投票終了の10分前に地元の投票所に辿りついたこともあります。そんな私に妻はいつもつきあってくれるので、妻も棄権したことがありません。一度だけ知事選で期日前投票所の立会人になったことがありますが、たまたま小泉首相の郵政解散が突然あり、引き続いて立会人の経験もしました。このときからずっと期日前投票をしています。このことが棄権しない事につながっていると思います。
7月3日(日) 「我が家の菜園で収穫」
庭の6畳ほどの菜園2ヶ所で野菜を育てています。今はトマト、さつまいも、小芋、ピーマン、カボチャ、そしてプランターの緑のカーテンでキュウリとゴーヤを、植木鉢でパセリを育てていますが、今のところカボチャ2個、、キュウリ2本、ピーマンとトマトはぼちぼち収穫できます。その他、パセリや落ちばえの青じそや赤じそがあちこちに育っていて、スープや素麺などの薬味に役立っています。今年はカボチャが豊作で、2本植えたのですが10個以上実をつけています。6日未明に台風が通過するとのこと、このあたりは海が近いので、潮風にもまれることが心配です。南の風や強い風が吹かないことを祈っています。
6月25日(土) 「大ムカデ」
昨夜テレビで天気予報を観ていた妻が、にわか雨が降ると聞いて、大急ぎで庭の片付けをするといいました。少しでも明るくと外灯を点けてふたりで作業をしました。終わって家に入ろうとすると、20pほどの大きなムカデが目の前にいました。大急ぎで手近にあったハエ・蚊用の殺虫剤を噴霧しました。しかし全く効き目がありません。それでも噴霧し続けると、逃げる速度が遅くなってきました。そこで履いていたつっかけで思い切り叩きつけました。ずいぶん弱ったところで、火ばさみで二つに切り、頭としっぽもつぶしました。これで噛まれることもないので火ばさみで挟んでゴミ箱に捨てました。それにしても大きくて、外灯を点けていなければうっかり踏んで噛まれていたかもしれません。クワバラクワバラ!
ムカデにはトラウマがあります。小学生の頃、家の中を10pほどのムカデが目の前を這っていたので、手近にあった紙で押さえつけようとしたところ中指を噛まれてしまいました。中指が腫れたと思ったらどんどん腕の上部が腫れ初め、おへそから上の皮膚がぶくぶくになりました。病院も閉まっていたので急いで薬局へ行きました。薬局のおばさんはキンカンを腫れているところに塗ってくれ、家に帰っても繰り返し塗るようにいいました。家に帰って直ぐに薬を塗り、布団に潜り込みました。きっと熱も出ていたのでしょう。1週間ほどで全身の腫れは引きましたが、中指の指先はひと月ほど腫れと痛みが続きました。それ以来ムカデを見ると、殺すまで安心できません。数年前、暗い台所で足がごそごそと這い上がってくる感じがして、払いのけて電灯を点けると、10センチ以上の大きなムカデでした。思わず悲鳴を上げてしまいました。そのときも殺虫剤で弱らせて、たたき殺しました。よくさされなかったと胸をなで下ろしたことを思いだしました。
6月11日(土) 「ジャガイモを収穫」
3月上旬に植えつけた3sのジャガイモの収穫をしました。今年はダンシャクとキタアカリだったのでメークインほどの成長はなく、みんな小ぶりの芋でした。親指ほどの小さな芋は午後から茹でて、コロッケにしてもらいました。たくさんのコロッケが出来、熱々の揚げたてはとても美味でした。3sの種芋でこんなにたくさんのジャガイモが3ヶ月で実るので、やはり楽しみが大きいのです。今年は種芋をこれまでより深めに植え付け、芽が出たところで公園で拾った落ち葉を敷き詰めたので、これまでのように青くなったジャガイモは皆無でした。今年はタマネギが高いということで、栃木県にいる娘に豊作のタマネギとジャガイモを送ってやりました。
今年のタマネギは例年になく大きなタマネギがたくさん採れました。苗がよかったのか、天候がよかったのか、道路から見える菜園でたくさん出来ていました。通りがかりの女性から立派なタマネギを育てる秘伝を聞かせて下さいなどと言われました。一昨年はほとんど葱坊主が出来てさんざんな目に、去年は大きく育たなかったので、今年はたまたまでした。大きいのは市販で1個150円ほどするものが畑にゴロゴロと並んでいたので、嬉しく思いました。ただ大きすぎて、娘に送るのに数がたくさん入らず、1回に1400円の送料がかかるのですが、ジャガイモと一緒に10sほどを2度送ってやりました。
6月9日(木) 「脳梗塞の診断」
?月22日、朝来市の多々良木ダムでダウンして以来、医師にもらった薬を飲んでいても、たびたび症状が現れました。そこでインターネットで調べると、近くの病院で脳神経外科医が週3日診察することがわかりました。早速6月6日に受診しました。私の状況を聞いた後検査をすることになりました。先ず血液検査と血圧、酸素濃度の検査、続いて心電図と血管の強度検査、部屋を移動して首の動脈エコー検査、最後に脳のCT検査をしました。その結果細い血管がつまる小さな脳梗塞が見つかりました。細い血管でも、場所によってこれほど身体に影響を与えるのだといささか恐ろしく思いました。
これ以上太い血管がつまらないよう1ヶ月分の薬をもらいました。薬がなくなる頃に再び受診することになっています。今もふらつきはありますが、無理をしないよう心がけ、普段通りの生活をしています。症状が落ち着くまで、車での遠出は自重したいと思います。
6月3日(金) 「ホームページの更新を怠っていました」
4月に結婚60年を迎えました。よく持ちこたえたものだと我ながら感心し、またふたりともよく生き延びたなとも思っています。しかし白内障の手術でお祝いが出来ず、延び延びになっていました。新しい眼鏡に慣れた?月19日に南あわじ休暇村でサクラマスと桜鯛会席でふたりささやかなお祝いをしました。60年のお祝いだと案内してくれたスタッフについ漏らすと記念にとワインをプレゼントして下さいました。舟盛りの刺身など本当にご馳走で満足でした。しかしまだ十分に眼鏡に慣れていなかったからか、気分が優れず、帰りは寄り道することなく西浦海岸をゆっくり帰りました。
1日おいて前から気になっていた菜園で菜園の表面に敷き詰める落ち葉拾いをするために、朝来市の多々良木ダムへ行きました。夜中にトイレに行った後布団で目まいがし、気分が悪くなったのですが、朝治まっていたので車で出かけました。しかしダムのまわりをぐるぐるカーブを曲がって走ったためか、到着したとたんに気分が悪くなり、座席を倒して休みましたが、少しでも頭を動かすと胃液を吐く始末、こんな山の中でどうしようかといろいろ案じました。3時間ほど休み少し頭を動かせるようになったので、ゆっくり帰りました。何とか家に辿りついた時にはホッとしました。翌日妻が毎月行く病院へ一緒に行き、医師に相談しました。診察の後、車酔いの状況だったのだろうと、目まいや吐き気を改善する薬をもらいました。
今日は菜園で使用するクンタンがすっかりなくなったので、多可町から氷上町、小野市の道の駅を巡りました。それぞれの道の駅でいろいろな買い物をしましたが、最後の訪れた小野市のひまわり公園の道の駅で大きな袋に入ったクンタンを見つけ、二つ買って帰りました。途中弁当を食べるために独古の滝へ向かいましたが、手前の岩滝寺の駐車場の日陰で車を止めさせてもらいました。昼食後岩滝寺をお参りし、横のお墓だと思っていたのが四国88か寺がお参りできるよう各寺の本尊が彫られた石像が順に並んでいました。そういえば駐車場の石碑に弘法大師が開山した但馬有数の名刹と書かれていました。なんとか気分も悪くならず、目的を果たして無事に帰り着くことが出来ました。
4月28日(木) 「85歳になって」
よくもまあ85年も生きたものだと感心しています。今日はグラウンド仲間が9人集まって食事会がありました。世話は戦後生まれの若い人たちで企画してくれました。集まった9人の内、米寿を迎える先輩が1人、昭和12年生まれが4人います。1月生まれと4月生まれの私とはすでに85歳、後のふたりもまもなく85歳になります。このような高齢の我々を支えてくれるのが、昭和22年生まれを筆頭に今年やっと70歳になった若手です。彼・彼女たちが記録の集計や会計をやってくれています。いろいろ提案がありましたが、若い人たちの意見にただ感謝して従うのみです。コロナで自粛生活が長引く中でこのように地域の仲間と楽しく過ごせることは本当に有り難いことだと思い、老人クラブの存在する田舎町に住んでいることは素晴らしいことだと思います。
4月20日(水) 「やっと普通の生活に」
白内障の手術をして以来、入浴や洗顔の制限が続いていましたが、やっとその制限がほぼ解除され、今日は明石市高年クラブ主催のグラウンドゴルフ大会に参加してきました。まだ眼鏡の処方は5月2日なので、眼鏡の度が合わず、完全な視界に戻っていませんが、なんとかそこそこの成績で終えることが出来ました。目薬は3種類なくなるまで1日4回注さねばなりませんが、未だに上手く注すことが出来ず、目薬がどんどん減っています。早く眼鏡を新しくして、妻が喜ぶドライブに出かけたいと思っていますが、今しばらくの辛抱です。
4月11日(月) 「インターネット回復」
久しぶりに眼科医の了解を得てグラウンドゴルフをしました。手術した目と眼鏡のレンズが会わないので成績はいまいちでした。それでも普段の暮らしが戻ったようで8人の仲間と十分楽しめました。
息子が10分ほどルータの電源を切ってから試してみるようにメールで教えてくれたので、その通り試してみました。ルーターを見るとインターネット表示のボタンだけが点灯していません。そこでダメ元で反対側のボタンを押してみると、インターネットのボタンも点灯しました。ひょっとしてと思いパソコンを開いてみるとあっさりとインターネットにつながりました。なんともつまらないことで6日間も苦労したことになります。取扱説明書があれば簡単にわかったと思うのですが、息子任せにしていて、そのようなパソコンに関する知識の無さを思い知らされた一件でした。
4月9日(土) 「インターネットがつながらない」
入院中、パソコンや周辺機につながる電源を切っておきました。すると退院後無線ルータにつながらなくなりました。毎日試してみるのですが、今日一瞬つながったと思ったら直ぐにダメになってしまいました。パソコンがあってもインターネットにつながらなければ無用の長物のように思いました。
ただ、写真を取り込んだり、はがきに印刷することが出来るので、妻の期待にはこたえることは出来ました。スマホでインターネットを少し見るのですが、契約が1ギガバイトで、それを超えると1000円/1ギガバイトなので、プロ野球の結果など、ごく短時間だけ見ています。まだ4月上旬なのに残り0.4ギガバイトになってしまいました。
4月7日(木) 「明石公園の桜満開」
病院で手術後の検診があり、帰りに明石公園を通り抜けました。丁度桜が満開で写真を撮りながら帰りました。剛の池では鵜が桜に見入っているように羽を休めていました。公園内の樹木が一部伐採され、非常に見通しが良くなっていました。お陰でしだれ桜とお城の櫓がしっかり見通すことが出来ました。
4月5日(火) 「白内障の手術を受ける」
4月3日に市民病院に入院し、4日に手術、5日の午後退院しました。どうしたことか、入院後昼間は2時間おきに、夜は3時間ごとにトイレに通いました。とにかくテレビや読書は禁止されていたので、退屈で仕方なく、ずっとベッドに横たわっていました。するとついつい目をつむり、眠り込んでしまいました。考えることもなく四六時中居眠りをしていると、痴呆になり、筋肉が衰えるのがわかりました。今回は2泊3日だったので助かりましたが、これが長引けば完全にアウトです。
1食に食パン1枚か御飯の場合でも小さなお茶碗に1杯なので、多くても120グラム程度です。ところが病院では120グラムの食パンが2枚、御飯の場合は200グラムで、家よりずいぶんお腹に答えました。なのに3日間便秘になり、腹が張る感じでした。もっとも家に帰り着くととたんに頻尿や便秘は解消しました。
手術では多くの医療関係の方々が目を洗ったり、手術をしたりと、手際よく進められ、以前網膜の手術をした時とずいぶん様子が異なりました。網膜の手術では日帰りで、うつむきの姿勢を長く続けなければならず、通うのも大変でしたが、今回は翌日にはガーゼもはずし、眼鏡をかけて退院しました。もっとも眼鏡の度が合わないので妻が迎えに来てくれていなかったら不安だったと思います。電車の先頭車両に乗ったのですが、手術前は線路が二重に見えていましたが、それがなくなり手術の成果を感じました。手術した左目の視力はまだ十分回復していませんが、視力が回復し、眼鏡を作り直せば車の運転も出来るだろうと思います。
3月24日(木) 「白内障の手術」
物が二重に見えるなど車の運転に支障があるので、免許証の返納を考えていたら、妻から眼科へ先ず行くようにと勧められました。妻は通院、買い物、そしてストレス解消のドライブが出来なくなることを心配しているのです。近くの眼科へ行くと、市民病院での精密検査の紹介状を書いてくれました。3月22日に市民病院へ行き、精密検査の後担当の医師と話していて、とりあえず白内障の手術をすることになりました。31日のPCR検査を初めとして、2泊3日の入院を含めて当分自粛生活以上の鬱陶しい日が続きます。
そんな中、今週は月曜日にグラウンドゴルフとたこフィルの定期演奏会観賞、火曜日は市民病院で諸検査、水曜日は以前に前売り券を買っていた「熟春」の映画鑑賞、そして木曜日は妻の通院と買い物2ヶ所でアッシー、明日は妻の従姉妹と淡路で出会うことになり、今週はなんだかばたばたと過ぎていきます。31日はグラウンドゴルフの交流会が予定されていたのですが、来週の月曜日にグラウンドゴルフをした後は、当分出来なくなります。先日新しい眼鏡を作ったばかりですが、手術後にまた新しく作り直さなければならず、その眼鏡に慣れてから新しい日々が始まります。
3月19日(土) (今年は種なし文旦?」
これまで食べていた文旦は房いっぱいの大きな種がぎっしりという感じでした。ところが今年の文旦は1個を除いて種が砂粒のように小さく、甘さも十分で食べ応えがあります。ただ、砂粒のような種を取り除くのはかえって手間がかかるのですが、、、
今までは種が育っていないと味も淡泊だったので、不思議に思っています。ひょっとして、ぶどうや柿などと同じように種なし文旦として改良されているのかと思ったりしています。生産者から買ったのではなく、淡路の道の駅で買ったので確かめようがありません。20sも買っているので、まだしばらく楽しめます。
3月16日(水) 「ついに花粉症発症」
朝から彼岸前の墓まり、ヨモギの摘み取りなど、午前中は屋外で過ごす時間がたくさんありました。すると、午後からくしゃみや鼻水が止まらなくなってきました。ティッシュペーパーも柔らかいのに変えました。22日には市民病院の眼科を紹介してもらっているのですが、それまでに症状が落ち着いてほしいのですが、目薬をさすのも控えています。
3月15日(火) 「マイナンバーカードの申請見合わせ」
先日マイナンバーカードの申請を促す封書が届きました。内容を読んでいると、私の戸籍上の名前の文字が略字で表記されることが書かれていました。結婚してから何年も経って、略字で戸籍抄本を申請したところ、戸籍上の名前に改められました。そんなことから貯金通帳や免許証など、すべて戸籍上の文字に書き換えてもらいました。ところが私を証明してくれるはずのマイナンバーカードが略字では、また通帳などと違うといわれかねません。だから少なくとも免許証がある間はカードの申請は見合わせることにしました。
3月8日(火) 「ジャガイモの植え付け」
先日、いつも肥料を買う店でジャガイモの種芋を購入したのですが、メークインがなくて、ダンシャクを2s買いました。今日は天気も良かったので、植え付けをしました。少し菜園の植える場所が余ったので、近くのホームセンターへメークインの種芋を買いに行きました。ところがここでもダンシャクとキタアカリしか売っていなくて、しかたなくキタアカリを1s買ってきて植え付けました。このようなことは初めてです。
今年は例年より深く掘って植え付けました。これまで折角できた芋が地表に出てきて青くなっていたからです。昨年は落ち葉をたくさん山で拾ってきて一面に敷き詰めたので、芋が青くなるのをずいぶん防ぐことができました。今年も温かくなって雪が消えれば、山へ落ち葉を拾いに行きたいと思います。
3月1日(火) 「おひな様を飾りました」
今日から3月、昼前から雨が降り始めたので、外の仕事は朝1番にしただけで、午前中におひな様を飾りました。と言っても、娘が生まれた時におばあちゃんが買ってくれたガラスケース入りのコンパクトなものです。それでも人形の数は正式にあり、飾ってみるとなかなかのものです。娘は遠方に居て、孫は男ばかり3人なので、彼女にとってはおひな様は無縁です。しかも孫たちは昨年結婚したほどの年齢ですから、もう60年近く経っています。妻が大切に保存してくれていたので、ほとんど傷みはありません。
一緒に仕舞ってあった5月人形は息子が近くに住んでいるからか、妻は毎年飾っています。こちらはもう塗料が剥がれ、今日一緒に飾りましたが、剥がれた塗料がばらばらと落ちて掃除機で掃除しなければなりませんでした。
2月26日(土) 「菜園の土作り」
2月もあとわずか、そろそろジャガイモの植え付けをしなければなりません。そこで、今日はお天気も良く暖かだったので、菜園を耕しました。冬の間、1月末まで野菜や果物の生ゴミを菜園に埋めておいたので、苦土石灰や土地改良材、牛糞、クンタンなどを入れて耕しました。ところがいつもミミズだらけなのに、今年は1匹も見当たりません。菜園の横に鳥のえさ場をつくって仏壇に供えた御飯を置いているのですが、冬場はヒヨドリが来て御飯のほかに菜園を盛んにつついていたので、どうやらミミズも食べてしまったようです。ジャガイモの種芋は食べないだろうと思います。ダンシャクの種芋はすでに2s買ってあるので、3月に入ったら早い時期に植え付けたいと思います。
2月25日(金) 「胃カメラ」
1年に1度、明石医療センターで胃カメラの検査をしてもらっています。最初は住民検診で精密検査を受けるように言われた時に始まります。当時は民間の病院で受けていました。そのときに初期の胃がんが見つかり、入院して内視鏡手術をすることになりました。民間の病院は交通の便が悪いので、家の近くからたこバスで行ける明石医療センターへの紹介状を書いてもらいました。そのときの医師が今医療センターの消化器内科で部長をしておられます。残念ながら、私の担当は手術をしてもらった担当医の後任です。
これまで、胃カメラ検査の前に喉を麻酔をするためのゼリー状の液体を3分間口に含まされていました。これがえづきそうで憂鬱だったのですが、今日は直接検査室に連れて行かれ、ベッドに座って喉にスプレーを吹き付けられると、直ぐに喉の麻酔が効いてきました。マウスピースを加え、病院備え付けのマスクをして横たわると、即検査が始まりました。どうやらマスクの真ん中に穴が開いていたらしく、そのままチューブが口に入り、飲み込むとどんどん食道に入っていきました。
腹式呼吸を意識しながら検査を受けました。検査技師が「特に異常はなく、きれいですよ。生体の摘出をするところもありません」と言ってくれました。その後担当医師の診察がありましたが、手術の後もきれいだし問題ないと言われました。そして9年経過しているが、普通は5年で術後の診察は良いので、このまま続けるかどうしますか?と尋ねられました。手術をしてもらった医師が、10年後の生存率の研究に協力してほしいといわれていたので、これまで続けてきたので、安心感もあって来年も検査をしてもらうことにしました。2023年2月24日の予約を取ってもらって、海岸沿いの浜の散歩道をウォーしながら帰りました。朝食を摂っていなかったため水分不足になったのか、家が近づく頃には、なんとなく足もとが不安定で真っ直ぐ歩くのに苦労する感じでした。
2月20日(日) 「鳥のえさ場」
以前、仏壇に供えた御飯を捨てていましたが、神戸新聞の「いいみみ」欄で雀の餌にすると、雀が寄ってくる話が載っていました。雀の姿があまり見られなくなったので試しにえさ場を決めて置いておくと、たくさんやって来るようになりました。冬場になって、雀よりもヒヨドリが来て食べるようになりました。
先日、バエリアを置いたのですが、ニンニクの匂いが嫌だったのか、翌日になっても食べていませんでした。その横に白米の御飯を置いておくと白米につられたのかバエリアもきれいになくなっていました。昨日はばら寿司を置きました。酢飯に卵焼きや椎茸、蕗、タケノコなどいろいろ入っていたのですが、すべてきれいに食べていました。雀が食べたのかヒヨドリかそれ以外の鳥が食べたのかわかりませんが、御飯が一粒も無駄にならないので良かったと思っています。ただ、そばのエンドウの葉っぱや芽を食べるらしく、苗がなかなか育ちません。急いで笹竹をまわりに立てて鳥が近づけないようにしました。
2月12日(土) 「コロナワクチン3回目接種完了」
午後3時45分から3回目接種を受けました。今日は朝からワクチン接種をすることで何も手につかず、体温を測って用紙に記入した以外、ほとんど何もしていません。だんだん緊張が高まってきて、体調もおかしく感じていました。肩が直ぐに出せる服装をしてひたすら出かける時間を待ちました。あまりじっとしているのもいかがと思い庭に出てストレッチとみんなの体操を一人でしました。
たこバスで行くのが便利なのですが、50分ほど早く着くので、ガソリンや灯油の購入もあって車で出かけました。有料駐車場でしたが、保健所の目の前にあるので止めました。30分100円だったのですが、50分ほどかかっても100円で済みました。ワクチンは前回と違って竹田/モデルナでした。
帰ってからも2回目の副作用のトラウマが残っていて夕食も安心して食べられませんでした。今夜は早めに床につき、明日も一日静かにすごそうと思っています。
2月11日(金) 「淡路東浦道の駅で文旦20sゲット」
二人とも文旦が大好きで、毎年20〜30s買います。以前は歩き遍路で買っていた愛媛県まで出かけたのですが、その後岡山県のアワクランドへ買いに行っていました。しかし淡路島へ行くことが多くなり、東浦の道の駅で売っていることが判り、この4〜5年は大橋を渡って買いに行っています。昨年は4Lが4500円でしたが今年は3Lも4Lも5000円とずいぶん値上がりしていました。同じ値段なら数が多い方がよいのと何度も買いに行けないので3Lにしました。
3連休の初めで天気も良かったせいか、先ず淡路島サービスエリアの入り口が渋滞しており、東浦の道の駅に着くと駐車場がほぼ満車状態で驚きました。こんなことは初めてのことです。しかも車のナンバーを見ると半数以上が県外の車で、その大半が大阪府の車でした。コロナから逃げ出してきたのでしょうか。帰りに岩屋の道の駅に寄りましたがここも駐車場がほぼ満車で、私は上手くスペースを見つけて駐車できましたが、駐車できずに出て行く車が何台もありました。魚屋で立派な鯛のあらを安く買って帰り、夜にあら炊きにしてもらって、たらふく食べました。
2月5日(土) 「ワクチン接種3回目と恵方巻き」
一昨日3回目のワクチン接種の日が決定という通知が届きました。以前「接種日のおまかせ」という案内が届きました。案内には会場、土・日曜日、午前・午後の選択肢があり、前回2回目の翌日副作用があったので、前回の会場で土曜日の午後の希望で提出していました。土曜日を希望したのは翌日日曜なら予定が入らないからです。希望通り2月12日土曜日の午後の決定通知でした。若い人たちは2月1日から希望受け付け開始といっていたので、一足早く決定したことになります。今回は妻と同じ時間なので一緒に接種できます。
節分の日の病院帰りにコープこうべ大久保店へ買い物に行った時、食品売り場で人だかりがしていて、何事かと思ったら恵方巻きの売り場でした。中に肉が入ったものやツナサラダが入ったものなどいろいろな種類の恵方巻きが売っていたのです。どれを買うかみんな迷っているようでした。妻はいつも単純な穴子と卵焼き、かんぴょう椎茸、、三つ葉などの巻き寿司を自分でまくのですが、いつもの巻き寿司のほかに今年初めてマグロや鯛の入った4種類の恵方巻きを加えて7本も巻きました。お陰で節分の翌日も巻き寿司を食べました。私は寿司が大好物なので、嬉しい2日間でした。
1月30日(日) 「丹波市立植野記念美術館」
新聞に紹介されていた『寅年・新春記念展〜丹波を訪れた4人の巨匠たち』を鑑賞するために、車で出かけました。カーナビに示す通りに進むと、やがて大きな石造りの建物が見えてきました。このような僻地に立派な石造りの美術館があることに驚きました。
オミクロン株が猛威を振るっているさなかなので、いつものように弁当を持参していました。駐車場で先に車の中で弁当を食べてから入館しました。4人の日本画家の内、知っていたのは富岡鉄斎だけでしたが、いずれも江戸末期に生誕し、明治大正、昭和初期に活躍しており、みんな絵画や書は素晴らしい作品でした。出発が10時30分頃だったので、美術館が出たのはすでに2時30分を過ぎており、明るいうちに帰ろうとどこへも寄らずに帰りました。現地は気温5度で非常に寒かったのですが、家に帰り着くと10度近くあり、丹波とはずいぶん気温が違うことを改めて感じました。
1月20日(木) 「1ヶ月ぶりのグラウンドゴルフ」
子どもたちの長期休業中はグラウンドを子どもたちに自由に使わせるためにグラウンドゴルフは休止しています。12月20日を最後に休止していましたが、地域行事などの都合で、新年は今日が最初のプレイでした。長く休んでいた割には4ゲームでホールインワンを3回することができました。トータル67で2位でした。
新年なので45メートルの1番でホールインワンをすれば球を1個プレゼントすると発表があり、みんな頑張りましたが、結局最年長の仲間が2回入れただけで、後は誰も入れることができませんでした。それでもホールインワン賞が出るとなると、みんなの意気込みがいつもと違って盛り上がりました。
1月16日(日) 「怪しげなメール」
スマホのメールに「KDDIの支払期限が過ぎているので下記で確認をして下さい」という意味のメールが届きました。今KDDIへの支払などなく、しかも自動引き落としをしており、うっかり下記のメールにアクセスしようものなら詐欺に引っかかると思ったので無視しました。そのあとAuの重要なお知らせを見ると、やはりこのような不審なメールが配信されているので注意するようにと書かれていました。詐欺師がどのようにして私のメールアドレスを手に入れたのか判りませんが、油断が出来ません。
1月13日(木) 「検診結果すべてOK」
昨年12月に高齢者健康診断を受け、血液検査の結果を聞きに行きました。その結果、軽い貧血がある以外は特に問題はありませんでした。貧血については昨年胃カメラ検査と一緒に血液検査を受けた時に別の医師から指摘されていました。今回の医師が昨年より改善しており、薬を服用するほどではないので、レバーを食べるようにと助言がありました。一時よくレバーの串焼きを買っていましたが、最近はあまり食べていません。その他前立腺がん検査も心配ない値で、大腸がん検査結果も大丈夫でした。
栄養状態も大丈夫と言われた時に、そばに妻も居たので「妻のお陰です」とつぶやくと、医師が「もっと大きな声で言わなきゃ」と言って笑っていました。妻のかかりつけ医師で、妻の聞こえが十分でないことをよく知っているからです。夏の終わりごろ、少しウォーすると息切れしていた頃に比べると、最近はそのようなことがほとんどなくなっているので、貧血が改善に向かっていることが実感できます。
1月9日(日) 「2ヶ月以経っていた散髪」
年末から髪が伸びて鬱陶しいと思っていたのですが、年明けに行けばよく空いていると思い我慢していました。そして昨日、昼前に行ったら、予想通り客は誰も居ませんでした。散髪をしている間、どうしても眠くなります。特に顔のひげ剃りをするために椅子を倒されると、即眠ってしまいます。椅子を起こされると目が覚めます。だから顔を剃っている間の記憶は全くありません。
私は毎日ノートに一行日記をつけています。内容は体重、体重計に表示される体脂肪、その日の歩数、そしてその日の行動です。前回の散髪を調べると、10月29日でした。2ヶ月以上経ってるのでした。いつもは40〜50日の間隔で行くのですが、さすがに60日以上経つと耳にかかる髪の毛が鬱陶しく感じるはずでした。
1月3日(月) 「今年の正月」
元旦朝から息子に新しい無線ルーターを取り付けてもらいました。年末から調子が悪く、インターネットがつながらず、お手上げの状態だったので助かりました。その後雑煮とおせち料理で新年を祝いました。
午後からは年賀状を読み、パソコンで整理をしました。2年前に賀状を出した時、年賀状を卒業すると多くの方々に伝えたのですが、その年に喪中で賀状を出さなかった方から賀状が届いていて、返信を新しいデザインで作成して印刷をしました。2日は集配がないと思っていましたが、2日朝一番にポストに投函しておくと、集めに来ていました。
2日は朝から洗濯をし、楽しみにしていた箱根駅伝をテレビで見たり、昼寝をして過ごしました。このような暮らしをしながら腹一杯食べていると腹が出てきて体重が増え、認知症になりそうで、夜は以前に勝った「ナンプレ」を初級2問解きました。熱心にやっていた頃はなかなか解けなかったのですが、比較的簡単に2問解けたのには自分自身驚きました。
3日も箱根駅伝の復路を見た後、久しぶりに江井島海岸をウォークしました。元旦は835歩、二日は614歩とすっかり運動不足だったので、今日は6766歩と目標の6000歩を超えることが出来ました。もっとまじめに歩かなければ体重が増えるばかりです。