2008年(平成20年度)



12月31日 にぎやかな大晦日
 6年ぶりで娘一家が里帰りし、にぎやかなお正月を迎えることになりました。3人の男の孫たちも大学生と高校生になり、すっかりたくましくなりました。私がパソコンでもたもたしていると、後ろからアドバイスしたり手伝ってくれたりします。
 プロジェクターの本体が届きましたが、付属品の中にパソコンとプロジェクターを繋ぐコードが含まれていませんでした。したがって試しに映写することができませんでした。幸い息子が買い物に出るというのでついでに買ってきてもらいました。
 先ずパソコンに繋いでみると、パワーポイントで作成したプレゼンテーションが壁にくっきり映りました。つづいて昨年のお正月の川柳のNHKテレビ番組で私が映っているDVDを試してみると画像も音声もバッチリでした。さらにカラオケCDグラフィックを試してみると、「ひとり薩摩路」の映像と共に水森の歌も流れてきました。これならいろいろ楽しむことができそうです。
 私がこの様なことで楽しんでいる間、妻と娘、嫁、姪の女性4人はおせち料理に余念がありませんでした。明日はそのおせちを楽しみながら新春を迎えることができることを幸せに思います。
 NHK紅白を見たあと、村の住吉神社へ初詣に行きました
   
女性はおせち料理に奮闘     男性は手持ちぶさた        二人暮らしも今日は10人で食事
   
僕も食事してるの忘れないで(モルモットのすすむ君)         食後みんなでハイ・チーズ


12月29日 アルタイトのシーツ
 先日のミステリーツアーで能登・羽咋町の「七福神センター」というところへ寄りました。例の1億円で建てられた第3セクターの施設だそうです。そこでアルタイトという原石の話を聞きました。圧力を加えると熱と低電流が発生します。この原石を砕いてシーツの碁盤の目になった袋状のところに入れてあります。この上で眠ると体温と体重で低電流が発生し腰痛などに効くといわれました。
 第3セクターで町おこしとしてやっていることを信じて、少々高額でしたが枕カバーと一緒にシーツを買い求めました。そして3日前から試しに敷いて寝ました。石なので冷たいからと電気敷き毛布の上にアルタイトのシーツを敷き、綿のシーツをその上に敷いています。寝る前30分ほど電気敷き毛布を強にして布団を暖め、自分が寝てしばらくして電気を切りました。宣伝通り朝まで布団の中はぽかぽかしていました。これだと節電になるし、腰痛が少しでも楽になればいいなと思っています。


12月28日 電気屋のミス
 昨日プロジェクターを受け取りました。その時スクリーンのような長い箱だったので、本体が別ではないか商品の受け渡しの女性に確認しました。電話で担当者に問い合わせた女性は本体も一緒に入っているというので、プロジェクターも軽くて小さくなったものだと感心しながら帰宅しました。昨日はバタバタしていたので、今日箱を開いてみると、やはりスクリーンだけでした。直ぐに電話をしましたが担当者が不在で、30分ほどして電話をかけてきました。曰く「商品を渡し忘れたようです。申し訳ありません。30日の最終便で届けさせて頂きます」という返事でした。こちらが確認したのに渡し忘れたというのはどうも納得できません。これは明らかに勘違いをしていましたというべきところでしょうね。そして直ぐに届けますというのが商売人の姿勢ではないかと思いながら、、文句の言えない私でした。なぜなら、注文したとき、商品が届くのは年明けだといわれ、了解していましたが、年内に届いたので、正月に遠方からやってくる孫たちに見せることができるとおおいに喜んでいたからです。


12月27日 家電製品の購入
 先週の土曜日に高齢者放送大学の講座を聴きましたが、旅行に出掛けたため、今日やっと感想文を掲載することができました。しかし、今日の放送についてはまだ掲載できていません。午後からお正月に読む本を2冊図書館で借りたあと、ミドリ電化で注文していたプロジェクターを受け取りにいきました。これでパソコンを使ったいろいろな活動ができます。ついでになくした万歩計も買いました。家に帰ると18年以上使っていた電子レンジが壊れていました。無理に修理をして事故を起こしてはいけないので新しいのを買いに再びミドリ電化へ行きました。夜になってやっと遍路日記が更新できました。年末になり家の雑用などしているとなかなか予定通りにはかどりません


12月26日 年賀状も完了
 放送大学の仕事があり、年賀状の準備に25日午後からやっと取り組むことができました。そして26日に投函してやっと終了しました。この様に早くできるのもパソコン様々です。一枚一枚添え書きするべきなのですが、その分は近況を印刷することで省略させて頂きました。それでもどうしても一言書き加えたい人が何枚かありました。そんな訳で、折角歩き遍路を結願しても遍路日記を更新することはできず、従兄弟と出かけたミステリー旅行の旅行記も掲載することができませんでした。今夜はゆっくり眠り、明日からは正月の準備です。図書館で本も借りておきたいなと思います。

  
従兄弟との旅「世界遺産五箇山菅沼合掌集落」「立山連峰の美しい雪景色」「能登ロイヤルホテルで宿泊」
 
「能登一宮」「金沢茶屋町(カメラを忘れ写真なし)」「気比海岸」などを訪れました

12月14日 明石第九合唱団演奏会
 水曜日に風邪をひき心配しました。カラオケグループの忘年会が夜に予定されていましたが、自重して一日寝ていました。木・金曜日が高齢者放送大学の閲読ということで、小さな暖かい部屋でひとり1000枚足らずの感想文はがきを閲読していました。多少は肩がこりましたが、安静にしている状態だったので風邪もなおり、土曜日の前日練習には参加することが出来ました。
 そして日曜日はほぼ万全の体調でステージに立つことが出来ました。8年目にして初めて人に迷惑をかけるような間違いをすることもなく歌いきることが出来ました。だから演奏会後の打ち上げ会では思い切りビールを飲むことが出来ました。
 いきいきネットのグループ仲間が昨年に引き続いて数名聞きに来て下さいました。そして演奏会後花束を下さいました。(右の写真) 8年目にして花束をもらうなど初めてのことです。感謝感激でした。でも、入場券を売りつけた上にこの様な気遣いをさせ申し訳なく思っています。妻は毎年観客席で付き合ってくれますが、今回は息子夫婦も付き合ってくれました。仲間や家族が聴いてくれていると思うとやはり張り切ります。
 来年は市制40周年の行事の一環として市民による交響楽団「たこフィル」との共演になるそうです。「たこフィル」が3年前に結成されたときから共演が夢でしたが、早々に実現しうれしい限りです。


11月6日 友愛クラブ忘年会
 地域の老人クラブの忘年会が自治会館でありました。前日に2階ホールへカラオケの機器の運搬や設置、ビンゴゲームの番号くじの作成や賞品の包装、会費の領収書の準備などをしました。今日は朝8時半から机や椅子を並べ、お菓子、ジュース、ミカンなどを配膳し受付の準備を整えました。
 11時開始だったので、10時30分頃から会員が集まり始めました。受付では会費の徴収、傷害保険の更新(保険料の徴収)、新年の三社参りの受付(申込書と代金の徴収)、ビンゴゲームのカード配布と記入要領の説明等々、てんやわんやでした。先日会員が亡くなり、とうとう50人を切ってしまいました。それでも49人中41人の参加がありました。
 遅れた人がいて、自宅への連絡などで、11時10分過ぎに先ず12月例会をしました。連絡事項などがあり、11時30分には予定通り忘年会を始めることが出来ました。ビールや酎ハイを飲んだので少々酔ってしまいました。揚げ物やにぎり寿司も平らげ、すっかり満腹になったところで、先ずビンゴゲームをしました。ここからの進行を任されてしまいました。同時ビンゴなどがあり、じゃんけんなどをしていると、ずいぶん時間をとりました。それでも最後まで賞品が当たるので、会員の皆さんは興味をもってお付き合いをして下さいました。
 13時30分頃からカラオケ大会に移りました。女性でカラオケグループに所属している人たちは、前もって歌う曲を届けて下さっていました。そして受付の間に歌う順序を抽選で決めてもらいました。男性の方は歌ってもらえそうな人のところを回ってお願いしながら曲目を決めてもらいました。女性8人男性7人にフルコーラスで歌ってもらったら、予定時刻の15時前になっていました。これ以上引き延ばすと、歌に興味のない人は飽きてしまうので、あっさり打ちきりにしました。
 朝の準備の段階では、部屋が冷え切っていたので、机や椅子を運んでも何とも思いませんでしたが、終了後の後かたづけでは、暖房が効いていたためすっかり汗をかいてしまいました。特に長机の足を折りたたんで台車に乗せる作業は腰痛に悩まされているときだけに大変でした。
 後かたづけを済ませて家に帰るとくたくたという感じで、直ぐには家の用事に取り組むことが出来ず、椅子に腰掛けて休憩がてら新聞を読んでいると、何度も居眠りをしてしまいました。お遍路で長距離歩くよりも肉体的に疲れた一日でした。


11月29日 もみじ狩り
 今年になって紅葉をじっくり楽しんだことがなかったので、どこかでもみじ狩りが出来ればと思いました。しかし時期的にはもう遅いのではと考え、ウォークを兼ねて、朝来市の多々良木ダムへ行きました。ダムのそばに車を置いて右回りに歩きました。山陰の南側斜面は北風をまともに受けるためか紅葉はほとんど散っていました。関電の発電所前の広場を過ぎて北側斜面まで歩くと、楓ははまだまだきれいに紅葉していました。トイレ休憩を含めて2時間あまりで10キロ弱を歩きました。普通のペースで歩くと暑くも寒くもない良い気温でしたが、少し力を入れて歩くとうっすら汗をかきました。途中曇ってぽつぽつ雨を感じたりしましたが、ほとんど降ることはなく、時々青空で太陽が照りつけることもありました。
 車に乗って10分あまり走ると雨が本降りになりました。ダムの周りを歩いている途中で降られたら雨宿りする場所もなく、びしょぬれになるところでした。道も空いていたので気持ちよくドライブをすることが出来ました。

  

11月26日 ガソリン114円
 今日久しぶりにガソリンを入れました。前回120円台後半になっていて驚きました。そして先日お遍路で四国を歩いていると120円と書かれていて、またまた驚いたのですが、今日はプリペイドカードでセルフ給油をすると、なんと1リットル114円でした。あまりにも値下がりが極端なのに驚きました。灯油も1リットル65円でした。この様に燃料が下がっても他のものはいったん上がると値下げされないのが不思議です。


11月22日 四国巡拝結願にリーチ
 平成17年4月から始めた四国88ヶ所の歩き遍路はいよいよ12月18日に最後の大窪寺まで歩き結願します。ところが今年1月親戚に不幸があり、61番〜64番札所の巡拝が出来ませんでした。そこで21日深夜の船で四国に渡り、高松駅発早朝の列車で伊予小松まで行き、4ヶ寺を歩いて回りました。これで納経帳は大窪時を残して全て朱印をいただきました。そして来月みんなと一緒に結願のお祝いをすることが出来ます。その内2度朱印をいただいたお寺が2ヶ寺あります。ほとんどの人は全コース1200qを歩いていますが、私は自分で行ったところが少し短かったり、みんなと歩いたところを重ねて歩いたりしています。だからみんなより100キロほど少なくなっています。それでも山を超え谷を渡り1000q以上歩いているのですから人間の足はすごいなと改めて思います。結願の瞬間をどんな思いで迎えることが出来るのか見当がつきません。今から楽しみです。


11月17日 柿の収穫
 毎朝椋鳥らしき大きな鳥がさえずっています。この鳥がくると庭の柿の実が荒らされます。もう十分収穫できるほど実っているので、午後から全て収穫しました。今日は53個、これまでに30個近く収穫しているので80個ほど収穫したことになります。花を付けたときは100個以上なっていると思ったのですが、次々と落下し、30個ほどしか収穫できないだろうと思っていました。しかし色づき始めるとたくさん枝についていることがわかり、先日から自分の食べる柿を少しずつ収穫していたのです。
 母が亡くなる数年前に植え、大震災の年、母が亡くなる年に初めて数個の実を付けました。母は干し柿が好きで、以前も渋柿を植えていました。今回もそうだと思いはじめの2年ほどは干し柿にしていました。しかしおいしい干し柿が出来ませんでした。3年目に熟した柿を食べると渋さが感じられません。そこで他の実も食べてみると甘柿だとわかりました。それ以後毎年30〜100個ほど実を付け、私達を楽しませてくれます。
母に感謝感謝です。

11月16日 コスモス20周年記念コンサート
 午後から松方ホールで「コスモス20周年記念コンサート」が開かれ聴きに行きました。「コスモス」というのは、神戸市内の養護学校を卒業した知的障害者のハンドベル演奏グループです。メンバーのほとんどはダウン症の女性ですが、4〜5年前までは男性もいました。20年間の間に日本国中だけでなくカナダへも演奏に出掛けています。
 私が初めてであったのは女性4名、男性1名の小さなグループでしたが、今回は女性9名とピアノ伴奏をしている保護者が中心で演奏していました。メンバーの内二人はエレクトーンの演奏も出来るので、ずいぶんレパートリーや演奏内容が充実していました。曲目もサウンドオブミュージックのメドレーに始まり、ジュピター、アルハンブラの想い出、メモリー、ディズニーメドレー、美女と野獣など高度な曲をリズミカルに、あるいは優雅に演奏していました。バイオリン演奏家の杉山雄一氏、チェロ演奏家の水谷川優子氏(水谷川さんのおじいさんは近衛秀麿氏)、ソプラノ歌手の市村優子氏など一流プロとの共演でエンターティナー、愛の挨拶、アメージンググレースなどの演奏もしました。第2部では、メンバーの衣装を同じ作業所で働く仲間がデザインや制作を1年かけてしたということで晴れやかな舞台になりました。
 ダウン症の女性が鹿児島県で大学へ進学した話は「ゆうとぴあ通信」で知りましたが、音楽においてもダウン症の人々がこの様な可能性を教えてくれます。保護者の可能性を信じる目と、素晴らしい指導者に恵まれると、これほどの力が発揮できるということを見せつけられた思いです。そして、自分が担当した子ども達にどれほどの貢献が出来たのかを思い返し、その秘めた力を見つけ出すことも出来ず、また持っている力を十分に伸ばすことも出来なかったことを申し訳なく思った演奏会でもありました。


11月15日 忙しい一日
 今日ほど忙しい一日はめったにありません。朝6時過ぎに起き、6時30分からの高齢者放送大学講座を聴きました。本当は直ぐに感想文を書くところですがその暇がなくて、資源ゴミを集積所へ持って行き、急いで朝食を済ませました。
 8時過ぎに家を出て近くの小学校のグラウンドで開かれる「スポーツ21交流グラウンドゴルフ大会」に参加しました。学校のグラウンドなので広々としていて、1ラウンド回ると1000歩以上歩きます。練習で2ラウンド、試合で3ラウンド回りました。開会式のアトラクションでコミセンのジャズダンスクラブの幼稚園児から高校生までがおへそを出して楽しく踊って見せてくれました。試合の方は9ホール23,15,26と成績にむらがありました。この様な大会に行ってホールインワンをしたのは初めてでした。試合が終わったときには11時57分になっていたので、成績発表を聞かずに急いで帰宅しました。
 さっさと昼食を済ませ、1時前に家を出て高砂市民会館へ行きました。そして2時から「ケヤキコンサート」を聴きました。昔、高砂市米田町の西谷酒造の敷地内に大きなケヤキの木があり、市民に親しまれていたそうです。しかし、道路拡張工事のため伐採されることになりました。その木とお別れするために、西谷酒造の敷地内でお別れコンサートが開かれました。ところが一転、そのケヤキが保存されることになり、道路を隔てた向かい側に移植されました。
 それから8年、移植のために切られた枝を使って「パンフルート」が作られ、昨年コンサートが開かれました。しかし移植された木は猿の腰掛けがつくなど、腐食が見られてきました。そこで樹木医にお願いして治療を施してもらいました。そのお金を集めるために、「ケヤキコンサート」が開かれた訳です。パンフルート演奏家の岩田英憲さんと伴奏のエレクトーン奏者藤原由紀さん、そしてサラエボの国民的歌手で昨年も出演されたヤドランカさん、そして地元阿弥陀町のコーラスグループ「わらべ」が出演され、楽しく感動的なコンサートでした。樹木医の松本さんがケヤキの現状を話され、パンフルートを製作された方の紹介もありました。パンフルートの演奏を聴くのは初めてでしたが、NHKの「新日本探訪」のテーマ曲などはこの楽器を使っているのだということも初めて知りました。
 演奏会終了後、そのまま明石まで戻り、しばらく図書館で読書した後、18時過ぎに月1回写経に行く太寺山高家寺で開かれる「高家寺寄席」へ行きました。床に座布団を敷いて2時間余り座るのですが、ひざや腰が痛いので一番前の隅の席に座り、いろいろな姿勢で聞きました。木戸銭1000円で4席聞くことができます。露の団六さんが中心になって、毎回違った噺家を3人連れてこられます。大笑いしてすっきりした気持ちで夜9時半頃にやっと家に帰りました。万歩計は15000歩を超えていました。
 これで今日の予定が終わりと思っていたら、地域の老人クラブ会長から電話がかかり、会員が亡くなられたこと、通夜や告別式の時間を担当している10軒に明日連絡するようにいわれました。明日も午後から予定があり、うまく連絡できなかったらいけないと思い、早速パソコンで訃報のお知らせ文を作って印刷し、夜中の12時頃10軒のポストに配りました。それから風呂を沸かして入ったりしていたら就寝は2時になっていました。久しぶりに早朝から夜中まであれこれと忙しい一日でした。


11月11日 大学の同窓会
 毎年11月11日に同じ大学学部の同窓生で、東播磨地区在住また同地区で教職に就いていた人たちの同窓会があります。多少年齢が異なることはありますが、同学年で共通する話題が多いので、毎年10名以上が集まり、気楽なおしゃべりで盛り上がります。
 会席料理を食べながら、そしてビールや焼酎を飲みながら各自の近況を述べます。70歳を超えてからの生き方でいろいろ参考になる話を聞くことができ、それがとても有意義です。ほとんどが現役を引退し、新しい農機具を買って農作業を楽しんでいる人、もう体調の限界で農業を辞めようとしている人、それぞれですが、加西や八千代の米がおいしいという話題で盛り上がり、来年は同窓生の作ったお米をみんなで注文して買おうという話になりました。私を含めて足腰を痛めている人は多いこともわかりましたが、それにめげずみんな前向きに生きています。そのことがこの同窓会の盛り上がりにつながっているのだと思いました。通称会長のリーダーぶりと、みんなが認める事務局長の献身的な企画案内、そして女性が勤めてくれる会計のおかげで、私達は元気であれば出席してこの様に楽しく有意義なひとときを過ごせることに心から感謝しています。


11月3日 老人クラブのクラブ活動
 文化の日ですが、私達高齢者には休日という実感がありません。登下校の見守り活動をしないというだけで、老人クラブの普段の活動がありました。
 今週はグラウンドゴルフの当番なので、朝7時15分にグラウンドの整備を始めました。相棒が時間になっても来ません。グラウンドを大きなブラシで馴らし、ゴールの旗やスタートマットを用意したのですがまだ来ません。コースにローラーを駈けていると、8時になりメンバー達がやってきました。しかしまだ相棒は来ません。見かねた仲間がローラーを引っ張ってくれました。8時30分に試合を開始しましたが、とうとう相棒は姿を見せませんでした。昨夜カラオケの会で一緒に飲んだとき、時間などしっかり打ち合わせたのですが、かなり酔っていたので二日酔いかなと思ったりしました。しかし、毎日かなりの酒量を飲んでいるのでそのようなことは考えられないのです。家族に何かあったかなと思っていたら、9時30分頃ひょっこり姿を見せました。テレビで昨日の石川遼が優勝する経過を特集していてそれを夢中で見ていたら、グラウンドゴルフのことをすっかり忘れていたというのです。開いた口がふさがりませんでしたが、彼の性格と無類のゴルフ好きを考えるとあり得ることだと納得しました。木曜日は頑張ってもらいます。次回にみんなから嫌みを言われれることでしょう。ちょっとかわいそうに思います。
 午後からは女性のカラオケクラブがありました。前回練習した曲をひとりずつ復習した後、新しい曲をみんなで聴きながら歌いました。その後は茶菓子をいただきながら新曲を2曲聴いただけで、長時間たわいないおしゃべりを楽しみました。このおしゃべりが、メンバーの親睦になり、脳の活性化につながるのだろうと思います。次回21日は忘年会が予定されており、一緒に昼食をしながらそれぞれ得意の1曲を披露することになっています。機械係の私も何か1曲歌えるようにしておかなければなりません。


11月2日 我が家の菊たち
 いよいよ秋本番になり、我が家の大輪の菊や小菊たちが美しく咲きました。庭のあちこちを色とりどりに飾ってくれています。そしてキクイモも根元を少し掘ってみると新生姜のような芋が出来ていました。インターネットで調理の仕方を調べて食してみたいと思います。

  
小菊も満開                    大輪の菊たち                  キクイモ

11月1日 第30回江井ヶ島スポーツフェスティバル
 30年前に住民運動会としてスタートしたイベントが、スポーツフェスティバルとして30回目を迎えました。息子が小学生の頃にスタートし、妻はPTAやコミセン関係などで当初何年かは参加していました。私は昨年地元老人クラブの会計になり、会員に参加費を配るために初めて参加しました。たくさんの住民が参加して盛大に開かれているのに驚きました。今年は30回記念大会ということもあり、地元の国会議員や市会議員なども来られ、さらににぎやかでした。一昨日のぎっくり腰で心配しましたが、何とか自転車に乗れる程度まで回復していたので、朝の準備の時間に出掛けていき、椅子を並べるなど力のいらないお手伝いをしました。
 昨年はテレビが賞品であたる抽選会がありましたが、今年はより多くの人に喜ばれるようにと自転車10台が賞品でした。これまで2度自転車が賞品として当たったことがあるので、今回は3度目の正直と密かに期待していましたが、残念ながら何もあたりませんでした。その代わりという訳ではありませんが、朝椅子並べを少し手伝っただけで300円の飲食券をいただきました。自治会からも300円分の飲食券をもらったので、昼食は山菜おこわとうどんを食べることが出来ました。さらに午後からはサイダーも飲みました。結局老人クラブで配った参加費300円は現金だったこともあり、持ち帰りました。後かたづけも少し手伝っただけで住民運動会は無事終了しました。


10月31日 腰痛
 私には腰痛という爆弾があります。いわゆるぎっくり腰というやつです。何時爆発するかわからないので、出来るだけ注意しているのですが、昨日グラウンドゴルフをしている途中で、球を拾おうとして尾てい骨の上の方にピット痛みが走りました。大したことなかったので、プレイを続けました。試合後グラウンド周辺の清掃があり、しゃがんで草刈りもしました。家に帰ってから直ぐに湿布薬を貼り、銀行へ行ったり、庭の球根植えをしたりしました。その時に10s以上はいった石灰の袋を持ち上げたとき再びピット痛みが走りました。そのあと風呂の椅子に座って30分ほど剪定した木の枝などを刻んでゴミ袋に入れました。椅子から立つと腰が痛くなっていました。一休みして、第九の練習に出掛けました。腰を曲げる準備体操は自重しましたが、1時間以上立ったままの練習は腰にこたえました。さらに練習後、ピアノの片づけをいつものように手伝ったのが腰にこたえました。よる寝床にはいると姿勢によっては腰に痛みを感じるので、一番楽な姿勢で眠りました。
 今朝起きようとすると腰が痛くて思うように歩けません。へっぴり腰で、昨日の植木のゴミを出そうとしましたが、門のところまで持って行くのが精一杯という有様でした。朝からかかりつけの整形外科へ行き、電気を当ててもらい、湿布をしてしばらく寝ころんでいました。しかし寝ているとますます痛くなるので、起きてパソコンの椅子に座っています。腰掛けているのが一番楽なようです。明日は住民運動会で手伝わなければならないのですが、これでは会場へ行くのが精一杯で、荷物を運んだり出来そうにありません。老人クラブの会計なので、昼食代を皆さんに配るだけになりそうです。今日はたまたま予定がなく休養できますが、その後予定がつまっています。特に月曜日からグラウンドゴルフの当番でローラーを引っ張るなどグラウンド整備をしなければならないので大変です。少しでも楽になることを祈っています。


10月28日 地活15期福祉系同窓会
 いなみ野学園のクラス同窓会がありました。平成15年3月に卒業した学生さん達ですが、27人も参加されました。姫路駅から送迎バスで塩田温泉塩楽荘へ行き、大広間でご馳走をいただきました。それぞれ近況報告をされましたが、学園生活の間に始めたボランティア活動を5年過ぎた今も継続しておられるなど、素晴らしい実践報告会でした。私も多いに刺激を受けました。みんながお元気で、また来年も楽しい報告を聴きながら勉強したいと思います。


10月25日 三木ホースランドでグラウンドゴルフ大会
 昨年に続いて地域の仲間18人と参加しました。朝から良いお天気で、濡れていた馬場もどんどん乾燥し、気持ちよくプレイできました。とは言いながら、馬場ですから草が長く、フェアウェイは一応草が刈ってあっても打った球が思うように飛ばず、ラフに入ると濡れた草なので全く転がりません。前半の9ホールは32,後半は草も乾き飛びすぎることもあり、9ホールで32,合計64でした。女性のトップは46でした。男性のトップは43,2位は私達の仲間で47でした。入賞した人の話を聞くと、この様なコースでもきっちりホールインワンをしているのですから驚きです。前半40も打ってしょげていた仲間がブービー賞をもらい、すっかり気をよくしていました。ちなみに女性のブービー賞も私達の仲間、ほかにベスト10や飛び賞も5人ほどもらっていたので、沢山の人が賞品を貰って帰りました。広々とした中で汗をかくのは爽快でした。


10月18日 レーナ・マリアコンサート
 新神戸駅近くの神戸芸術センターで「レーナ・マリアコンサート」がありました。私はなにも知らずに招待券をいただいたので聴きに行きました。レーナ・マリアはスウェーデン生まれで両手がなく、片足も半分の長さで義足をはめています。日本には何度も訪れており、長野のパラリンピック開会式で歌ったあの歌手でした。
 コンサートのはじめに障害を持って生まれながら家族にかわいがられ、ソウルのパラリンピックでも水泳選手として出場し、メダルを獲得した生い立ちが放映されました。そしてオープニングに「翼をください」を日本語で歌い始めました。そのすんだ美しい声に思わず胸が熱くなり、涙がこぼれました。
 その後も時々日本語を交えて話したり、「涙君さようなら」や「上を向いて歩こう」など日本語で何曲か歌いました。また、椅子に腰掛けて、右足で上手にタンバリンを打ちながら歌ったりしました。彼女はスウェーデンに生まれたこと、障害を持って生まれたことを誇りに思っていると話したとおり、花束も肩とあごで挟んでにこやかに受け取っていました。本当に素晴らしいコンサートでした。


10月15日 秋の庭
 大輪の菊の蕾がすっかり膨らみ、1輪開き始めました。もう1週間もするときれいな大輪の花を見ることができそうです。咲きそろうのはやはり11月に入ってからだと思います。
 菜園の大根も半分間引き菜で食べたので、それらしく成長してきました。ただ緑色の小さな虫が付き、葉にたくさん穴が空いています。試しに木酢を薄めてかけてみましたがいっこうに効果がありません。仕方なく農薬を試してみましたがやはり直ぐには死にません。仕方なく葉を一枚ずつ裏返して手で虫をとりました。台所の洗剤を入れた容器に虫を放り込むと直ぐに死にました。洗剤の毒性を実証した気分でした。近く間引き菜にする部分は農薬をかけませんでした。明日にでも間引き菜にし、残りの葉はまた一枚ずつ裏返して手で虫取りをしなければなりません。その点そばのほうれん草や春菊には虫が付いていません。

   
開きかけた菊               大根                     ほうれん草とワケギ           少しだけの干し柿

10月13日 源氏舞鑑賞
 伝統芸能教室の鑑賞として、古澤侑峯さんの源氏舞が旧甲子園ホテル(武庫川学院甲子園会館)で開催されました。その舞台に先立って13時30分から建物の見学会がありました。昭和5年に建築され、14年間ホテルとして使われ、秩父宮が新婚旅行で滞在されたり、谷崎潤一郎がここで「細雪」を執筆するなど、長期滞在型の高級ホテルだったようです。その後、戦争が激しくなり軍の病院になり、戦後は進駐軍に接収され、社交場や幹部の住居になったようです。返還後8年ほど放置され荒れ果てていたものを武庫川学院が買い取って元の姿に戻され、今は武庫川女子大学の建築学科の教室や、オープンカレッジとして使われています。日本では貴重な建築物として、多くの建築家や建築家を目指す学生が絶えず見学に来ているそうです。
 そんな訳で、私達も職員の方の案内で建物を見て回りました。外壁のタイルはとても手が込んでいて、天候もよかったおかげで、光と影のコントラストのすばらしさを堪能しました。
 肝心の芸能は、地唄舞の静かで地味な雰囲気についつい睡魔に襲われたのと空腹でお腹が鳴るのに悩まされました。空腹の原因は電車のトラブルです。13時20分集合だったので11時に家を出て、目的地で何か口に入れようと考えていたのです。ところが、新快速で芦屋へ向かう途中、電車が須磨駅を過ぎたところで止まってしまいました。11時20分塚本駅で上り快速電車が人身事故、さらに新長田駅で11時30分上り快速電車が人身事故とダブルパンチで京都・西明石間がストップしてしまったのです。40分ほど経って私達の線路の電車は少しずつ動き出しました。なるほど新長田駅を少し過ぎたところで事故のあった快速電車が止まっていました。芦屋へ到着したものの普通電車は芦屋駅に止まったままでした。その内下り電車が動きかけたので待っていると、20分あまりして普通電車も動き、何とか甲子園口に到着し、時間内に会場に入りました。しかし食事をする時間がなかったので、空腹のままの参加だったのです。
 最近電車に飛び込む人が増えているように思います。自殺するような人は他人の迷惑など考えたりしないのでしょうね。冷静に自分の行為を分析できるような人は自殺などしないでしょうね。昔は大きな金額の損害賠償を家族に課していたと聞きますが、今はそのようなことはないのでしょうか。この様なことで目的の新幹線や飛行機に乗れなかった人もいることでしょう。そんな人への損害賠償はどうなるのでしょうか。そんなことを考えながら無為な時間を電車の中で過ごしました。


10月12日 柿狩りと道の駅ドライブ
 朝6時半から柿狩りに出掛けました。柿の数が少ないだけに一つ一つは大きな実でした。丁度収穫時期だったのでよかったと思います。それでも熟れすぎてずくずくになっているものも10個ほどありました。しかもいくつかは鳥に食べられていました。30分ほどで収穫が終わり、、一度家に帰り、朝食を済ませてドライブに出掛けました。
 10時少し前の出発なので遠くへ行くことはできず、近場の秋の味覚を求めることにしました。先ず、近くのガソリンスタンドで給油をしました。148円/gでした。プリカで給油しているのですが、最高173円で入れていた頃に比べると安くなったものです。
 加西・福崎を経由して山崎へ向かいました。途中福崎で祭の屋台のために全く動かなくなってしまいました。仕方なくUターンして遠回りしました。そのために山崎到着は12時になってしまいました。
 山崎の農協販売店は品数が豊富で価格もそれほど高くないので先ずそこで野菜を買いました。そのほかに土に混ぜる焼き籾殻や甘酒用の米麹なども買いました。農協前の道の駅で昼食を済ませ、29号線を北上し、道の駅「はが南」へ行きました。ここでは収穫はありませんでした。次に峠を越えて千種へ行きました。久しぶりでこの道を走りましたが、トンネル工事をしていて、完成するとは知りよくなるだろうと思いました。千種の街を抜けて南下、「道の駅ちくさ」に寄りました。ここは訪れる人が少ないからか、値段も安く、良いものを売っていました。今年はカボチャを栽培しなかったら、どこでも高くてなかなか買うことが出来ませんでした。そして、この時期になると、軽いカボチャが結構な値段で売っています。ところがここでは重いカボチャが安く売っていたので二つも買いました。はじめからここへ来ていたらよかったのかもしれません。ここでは生ゴミの肥料づくりに混ぜるEMぼかしも安く手に入れることが出来ました。この様にして200qあまりのドライブをしてきました。自然の中のドライブは本当に気持ちのよいものでした。
 夕食後、朝収穫した渋柿の内、100個ほどは焼酎に漬けて渋抜きをし、残り30個ほどを干し柿にしました。そしてずくずくになった柿をちょっと食べてみましたが、多少渋みが残ってるので、ヘタに焼酎を付けておきました。これは2日ほどで食べることが出来そうです。

 今日の収穫は自分で採ったり、栽培した人や作った人たちの名前の書かれているものばかりなので、安心して食べられます。

10月10日 渋柿
 毎年決まった木を1本予約しています。例年は3本予約していて、10月末に収穫できる2本の木はグループいきいきネットのメンバーで収穫しています。ところがその2本が今年はほとんど実をつけていません。というより、年々数が減り、とうとう実がならなくなったという感じです。いきいきネットのメンバーが楽しみにしていただけに残念です。仕方なく我が家の1本だけを予約したのですが、今日その木を見に行くとすでに実が赤くなっています。小さな木で例年150個ほどなりますが、今年は100個も採れないのではと思います。近日中に収穫に行く必要があります。


10月9日 創立30周年
 平成4〜5年度に勤めていた職場が創立30周年記念式典をするということで招かれ、出席しました。神戸電鉄に乗車するのは4年ぶりくらいで、北鈴蘭台駅で降り、職場まで歩いたのも14年ぶりでした。改めて上り下りの急勾配を感じました。この道を2年間ほぼ毎日通勤していたので、その間はメタボではありませんでした。転勤した後車で通勤するようになり、ズボンが入らなくなり、毎夜3qほどウォークを続けた経験があります。
 職場は増築などされていて、ずいぶん様子が変わっていました。しかし、池を畑に転用した場所を見に行くと、立派な野菜が育っており、農作業に力が入っている様子がわかりました。思い切って畑に転用してよかったと思いました。
 式典の間、帰省が聞こえたり、立ち上がる子どもがいましたが、なつかしく、気持ちの上でも余裕を持って見守ることができました。式典の後、プロの管弦楽団による演奏会がありました。障害があっても音楽は感覚的によく理解できており、リズムに合わせて身体を揺すったり手を打ったり、心から楽しんでいる様子が見て取れました。
 久しぶりに昔の感動がよみがえった一日でした。また、当時のなつかしい方々にもお会いでき、言葉を交わすことが出来た嬉しい一日でした。そして、この立派な記念行事を準備してこられた関係者の皆様に心から感謝したいと思います。

10月7日 グラウンドゴルフ大会
 明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会が西明石駅近くの公園でありました。全市から350名ほどの高齢者が集まって大会が開かれました。10ホール2試合で競われました。私個人は第1試合は10ホールでトータル29、第2試合はホールインワンが1回ありトータル24でした。私達が対戦した相手チームが優勝しました。相手チームは大1,第2試合ともホールインワンが3ホールあり、実に上手にプレイしていました。相手が3人のトータルが70台だったのに対して、私達3人の合計は80台でした。私達の友愛クラブからはもう1チーム出ており、第1試合は1位でした。そして第2試合が終わった段階で3位だったのですが、私達の対戦相手が最後に大逆転で優勝したため、4位になり入賞を逃しました。
 私は友愛クラブの会計係をしていたので、朝から弁当などの調達で、グラウンドゴルフ以外でも走り回りました。近くのスーパーで開店と同時に買い物をしたので、いつもよりよい弁当を手に入れることが出来ました。会計係の任期も後半年です。その間、まだ何度か行事があり、もうしばらく預金している農協に出入りすることになります。


10月5日 写経とカラオケ
 午後から明石・太寺山高家寺へ写経に行きました。月1回の写経ですが、細い筆をうまく扱えないのでなかなかうまく書けません。家で書くときは普通の半紙に小筆で書くのですが、高家寺では写経用と書かれた軸も毛先もとても細い筆です。特に今日は毛先の先の方だけおろした比較的新しい筆で、墨の含みも少なく絶えず墨を付けなければならず、文字を続けて書くことが出来ませんでした。
 帰りに明石文化博物館で「ドーム ガラスの美展」を鑑賞しました。初期の作品は具象で楽しく見ることができました。しかし21世紀にはいると抽象的な作品や内面的な作品が多く、あまり理解することが出来ませんでした。芸術作品を自分の概念で理解しようとせず、美的感覚で捉えるようにすればもっと楽しく鑑賞できるのでしょうね。
 夜は男性カラオケの集まりで、8人フルメンバーがそろいました。ビールを飲みながら2時間半ほどおしゃべりをしました。話題の中心は、自民党か民主党かという政局と、タイガースかジャイアンツかという優勝の行方でした。後の1時間半で2曲ずつ十八番を歌いました。週1回第九の練習で発声をしているので、気持ちよく歌うことが出来ました。缶ビール2本と少々の焼酎の水割りですっかり酔ってしまいました。こうして地元の人々と楽しくおしゃべりする機会があということは本当に素晴らしいと何時も思い、この様な仲間に入れてもらっていることを感謝しています。


10月4日 六甲男声合唱団定期演奏会
 六甲男声合唱団の定期演奏会が松方ホールであり、午後から聴きに行きました。この合唱団は学生時代に私が所属していたグリークラブのOBが中心になって結成されたもので、私の学生時代にはすでにあったので、ずいぶん歴史があります。他の大学OBの合唱団は童謡や歌曲、学生時代に挑戦したことのある曲を演奏することが多いのですが、今日のプログラムは男声合唱組曲「方舟」や、ガーシュインの「ボギーとベス」をプロのソプラノ歌手と共演するなど、新しい難曲に挑戦していました。70歳を超えた団員が多い中で、この様な難曲に取り組むレベルの高さに圧倒されました。「サマータイム」などうっとりと聞かせてもらいました。


10月2日 我が家の庭
 彼岸になると彼岸花が必ず咲きますが、我が家の白い彼岸花は1週間遅れて咲きます。今満開です。彼岸の声を聞くと突然何もないところから花芽が顔を出します。本当に賢い花だと何時も感心させられます。
 先日種まきした大根など野菜が一斉に芽を出しました。間引き菜で食べようと思った大根の残りの種は、浅く播いたからかどんどん大きくなり、昨日ごま和えとして早速食卓に載りました。これからしばらく新鮮野菜は食べられます。
 初めて植えたキクイモはどんどん背が高くなり、2メートルほどの高さで黄色い花を咲かせています。きれいな花だけれども、高いところなのでみんなにあまり見てもらえません。
 庭の小菊も鉢植えの大輪の菊も蕾を付け始めました。もうすぐ庭のあちこちで菊が楽しめます。
   
白い彼岸花            芽を出した野菜          キクイモの花           蕾を付けた菊

9月30日 カラオケ
 久しぶりに妻とカラオケに行きました。何時も女性のカラオケグループで練習している新曲を歌ってみましたがまともに歌えた曲はほとんどありませんでした。しかし、同じ曲を2〜3回繰り返して歌うとだんだん思い出して歌えるようになってきました。むしろ覚えてから2〜3ヶ月経った歌の方が歌える曲が多いように思いました。
 二人で2時間歌ってドリンクを取って660円とは本当に安いなと思います。そして2時間はあっという間に過ぎてしまいました。


9月28日 屋島方面へ歩き遍路
 一日遅らせたところ、帰りに予定をしているフェリーが運休だということがわかりました。急遽船会社に電話をし、代替えバスの予約を入れました。予約が取れたので安心してでかけました(詳細は「歩き遍路」のページ参照)。今回も妻と一緒に出かけました。前回は十分な計画をせずに出掛け散々目にあったので、今回はインターネットで地図をコピーし、電車の時刻など十分調べておきました。迷うことなくほぼ予定通りに歩くことが出来ました。ところが最後のお寺で出発時刻を1時間勘違いし、昼食もそこそこに駅へ急ぎました。電車が動き出してから勘違いに気がつきました。折角綿密な計画を立てていたにもかかわらず、珍しいお土産が門前の店で売っていたのに買うこともできず、平賀源内の遺品館も覗いてみたかったのにそれもかなわず、最後になって二人とも気分的にどっと疲れが出てしまいました。そして、フェリーの待合室で無為な1時間半を過ごす羽目になってしまいました。この様な勘違いも認知症に一歩近づいた現れかもしれません。


9月26日・27日 葬儀とお遍路
 26日深夜便のフェリーに乗って屋島方面へ歩き遍路に出掛ける予定をしていました。ところが、高齢者放送大学の用務でいなみ野学園へ行ったところ、初代学園長の訃報が入っていました。初代学園長は97歳で亡くなられたのですが、90歳を超えてもなお学園で講義をされ、行事には何時も顔を見せておられました。そして、学園に来られたときは何時もやさしく声をかけて下さいました。27日に告別式があるとのことなので葬儀に参列し、27日深夜便でお遍路に出掛けることにしました。27日は朝から土砂降りの雨でした。もしお遍路に行っていたらびしょぬれになり、屋島寺からの急な下り坂で滑って転んでいたかもしれません。きっと初代学園長が危険だから一日遅らせなさいと止めて下さったのだろうと思います。最後までやさしくして下さったことに感謝しています。おかげで、28日は快晴の中気持ちよく歩くことが出来ました。


9月23日 大根の種まき
 大根の種まきが遅れているのでとても気になっていました。庭に以前6畳のプレハブが建っていたのですが、古くなったので壊し、基礎だけ残して土を入れ、菜園にしているのです。朝食の後、肥料を入れて耕しました。そして畝を4つつくり、一畝はワケギとほうれん草、二畝には大根を、もう一畝には春菊の種をまきました。昼前まで作業をしましたが全身汗びっしょりになり、顔から汗がぽたぽた落ちていました。下を向くとめがねに汗がたまり、種まきをするときに種が見えにくく困りました。作業後シャワーを浴びて新聞を読んでいると、家の中は涼しく感じました。大汗をかいても真夏とは気温がずいぶん違うことを実感しました。


9月21日 友愛クラブ(地域老人クラブ)例会
 午前10時から例会の準備をしました。机や椅子を並べ、お菓子の準備などをしました。ところが12時半頃から雨が降り出しました。そして開始時刻の1時前後は雷を伴った土砂降りの雨になってしまいました。そのために足下のおぼつかない方々は出席できませんでした。何時も40人前後が出席するのですが、今回は25人にとどまりました。何時も報告事項の後研修したりするのですが、今回は思い思いに雑談してもらいました。お互いに顔を合わせることが少ないので、こんな機会にいろいろおしゃべりを楽しんでもらおうという訳です。折角出席したのだから何か新たなことを楽しんだり勉強することに意義があると思う人と、めったに顔を合わす機会がないので、こんなときに思い切り自分達でおしゃべりしたいという人がいます。そのバランスが難しいところです。


9月11〜15日 忙しい日々
 9月11日はグループいきいきネットで朝からヤクルト神戸工場の見学に行きました(詳細はいきいきネットのページ参照)。グループで一緒に食事をした後、いったん帰宅、夕方から車で明石へ。第九合唱団の練習を2時間。帰宅して夕食を済ませてお遍路に出発(詳細は歩き遍路のページ参照)。
 この様な状況でお遍路に出発したので、高松行きのジャンボフェリーの料金や時刻、そして三ノ宮の乗り場以外十分な下調べをしていませんでした。だからフェリーの高松港の位置もわからず、高松駅までの無料送迎バスのことも知らず、歩き始めて高松駅が遠いことから事前の準備不足を妻から責められる一日が始まりました。高松駅の近くまでで1時間、一宮寺へ行く国道11号が交差点で横断歩道がないことにまで不平を言われる始末でした。
 それでも一宮寺にお参りするまではよかったのですが、鬼無へ行く道に迷い、聞きながら歩いた道が遠回りだとなじられ、最後には鬼無の方向さえわからなくなり、高松へ戻ることにしたのですが、妻の万歩計で4万歩を超えても何ら見るところもなく帰ることに不平と疲れが限界に達してしまったようです。その日のうちに帰れたことが唯一の救いでした。こんなにしんどい思いをしたけれども、彼女は4万歩もほとんど休憩無しに歩けたことに自信を得たのか、来月の屋島寺と八栗寺の二つの山登りにも意欲満々です。私は8時間25qという遅いペースに膝の痛みがいつものように引くことなく、気分の晴れない一日でした。
 翌13日は早朝から妻に付き合ってあかねが丘学園の水やりに始まり、午後は兵庫県芸術文化協会の伝統芸能教室で落語鑑賞会がありました。昨日の疲れで眠ってしまうかと思いましたが、桂吉坊の解説と落語、そして桂まん我の落語のおもしろさに引き込まれ、最後までおもしろく聞くことが出来ました。まん我の話の中で、寄席では出演者の名前だけで演目が書かれていないのは、舞台に上がってから観客を前にしてその雰囲気でその日の演目を決めるのだそうです。また、自分より前に話した人の演目に重ならないようにするとも言っていました。この日も、質問の中に「ちりとてちん」のことが話題になり、それではということで、「ちりとてちん」を話されました。以前吉弥など、生の落語で2度聞きましたが、まん我の話は表情豊かでとてもおもしろく聞きました。
 14日は朝から従兄弟夫婦と神戸の実家のお墓参りに行き、しあわせの村で食事をした後、播磨町の県立考古博物館と大中遺跡を見学しました。その後電気屋など2軒で買い物を済ませると夕方になっていました。
 今日15日は菊の手入れを少し手伝った後、午後から明石たこフィルの定期演奏会に出掛けました。私が生まれた頃に作曲された交響描写「明石海峡」という幻の名曲が演奏されました。地元の神社の鉦や太鼓を使っての演奏は素晴らしく、初めて聴く曲であるにもかかわらずとても興味深く聞くことが出来ました。また、ドボルザークの「新世界」もソリストの洗練された演奏も素晴らしく、アマチュア楽団の域を超えているように思いました。早くこのたこフィルと一緒に第九を歌いたいという思いがいっそう強くなりました。
 明日は早朝からグラウンドゴルフの当番で整地とプレイの準備、そしてプレイをせずに川柳教室へ、その後高齢者放送大学事務局へ出向いて本科生の往復課題番組の感想文を受け取ります。そうすれば1週間あまりその返信作成に専念する訳ですが、高齢者放送大学の中央スクーリングや老人クラブ例会、女性カラオケ部の練習などが入っており、それぞれの役割を果たさねばならず、これからも忙しい日々になります。


9月2日 駐車場の草刈り
 8月いっぱいで江井ヶ島海岸にある市営駐車場の有料管理が終わりました。無料になった途端にたくさんの車が利用していました。ところで江井ヶ島校区老人クラブがこの駐車場の管理を市から委託されています。3月22日に江井ヶ島校区老人クラブ連合会で一斉に駐車場の清掃を行いました。たくさん草が生えていたので大変でした。
 9月11日に再び一斉清掃が行われます。私達の老人クラブは男性の役員5人で作業をすることになっています。ところがこの日はグループいきいきネットでヤクルトの工場見学が予定されています。グループ代表の私が責任者として交渉に当たっており、欠席する訳にいかず、かといって大変な草刈り作業を休む訳にはいきません。困ったあげくに考えついたのが、前もって5分の1の広さの草刈りを済ませておくことでした。しかし、4日(木)から後は当日まで予定がつまっています。やるなら今日と明日しかありません。明日の天気予報は雨なので、今日の午後3時から3時間半ほど草刈りをしました。幸い曇ってきたのでそれほど暑さを感じませんでした。しゃがんで鎌で草を刈っていると腰が痛くなってきます。時々立って腰を伸ばし木の剪定をしました。6時半を過ぎると手元が暗くなったのと腰の痛さに耐えられなくなりました。それでも何とか自分で予定した範囲の草を刈り取ることが出来ました。暑くないといっても気温が高いので全身ずぶぬれで、顔から汗がしたたり落ちます。家に帰って風呂を沸かし、入浴後缶ビールを飲みながら夕食を摂ると疲れもましになりました。明日会長に報告し、当日欠席の了承を得ようと思っています。


9月1日 夏休み終わる
 夏休みというのは学校に通う児童生徒が対象ですが、私にとっても当てはまる部分があります。夏の暑いときにグラウンドゴルフをしていて、年寄りが倒れるような不細工なことはできないということで、7月18日を最後に夏休みでした(私の場合は7月14日)。今日1ヶ月半ぶりにプレイをしました。まだまだ暑く、前のグループが打ち終えるまで日陰で待つ姿が多く見られました。成績は8ホール3ゲーム67とさんざんなスコアでした。
 その後しばらく休憩し、小学生の下校を見守りました。夏休みを終えた子ども達は、学年ごとに先生に引率され、整然と帰っていきました。子ども達が下校する直前に学校の中心として活躍されているらしい先生が「間もなく帰ってきますのでよろしく」と挨拶に来られ、子ども達と一緒に校長先生も「暑いなかありがとうございます。今学期もどうぞよろしく」とわざわざあいさつに回ってこられました。引率されている各学年の先生方も丁寧にあいさつされ、子ども達もつられて元気よくあいさつをして帰っていきました。これまでは子どもの管理に気を取られて私達の存在に気づかずに通られる先生がいたことを考えると、学校の雰囲気が変わってきたのかなと思いました。
 昼食を大急ぎで済ませ、午後からは女性カラオケグループの例会に行きました。新曲を2曲練習しました。「北の絶唱」は正確ではありませんが何とか歌えるようになりました。しかし、「あばれ船」は最初の部分がみんな難しく、私も歌えませんでした。それでもごまかしながらみんなの前で歌いました。冷房した部屋で3時間もいたので、帰ってから暑さがこたえ、昼寝を1時間ほどしてしまいました。2学期が始まるとともに、私も忙しい日々に戻りました。


8月30日 駐車場当番
 江井ヶ島校区の老人クラブ連合会が江井ヶ島海岸駐車場の管理を明石市から委託されています。普段は一斉清掃で除草や剪定、清掃を行います。そして7〜8月は有料となり駐車料金の徴収業務も担当し、私達の西江井友愛クラブは8月23日から31日まで割り当てられています。私は24日(日)と30日(土)に当番をしました。24日は19台と結構車がたくさん駐車しました。といっても、真夏のように満車にはほど遠い数です。ところが今日は朝から雨が降ったりやんだりの天候で、5時半頃までは1台も入ってきませんでした。中には入ろうとして、1000円という駐車料を見て思いとどまった車が何台かありました。5時半になって親子ずれの車が入ってきました。駐車場は6時に閉まるので30分しかありません。そのことを話したのですが、やや高齢の両親は子どもに海を見せてやりたいとの希望があり、それでも駐車したそうでしたが、30分という時間にあきらめたようでした。自分の私的な駐車場ならば、1000円などといわず、便宜を図ってあげたかったのですが、公営駐車場で私ひとりが管理を任されている訳ではないので、他の人が管理をしているときに、「以前の人は便宜を図ってくれたのに」とトラブルになりかねません。そのために本日の駐車台数は0台、収入無しということになりました。現在は7〜8月だけが有料ですが、自動徴収の機械を据えて、年中1時間100円、最高1000円にするのが市民にとって使いやすい駐車場になると思います。そして、9〜6月車庫がわりに使っている人からも料金を徴収することができると思います。
 明石市も収入が年間を通して徴収できるので、収入増につながることでしょう。


8月27〜28日 奥志賀高原優雅な1泊旅行
 歩き遍路に出掛けるようになって、久しく1泊以上の旅行に出掛けることがなくなりました。そこで夏の暑いうちにと高原旅行に出掛けました。JTBの「旅物語」をインターネットで調べ、実施が決定されていて、なお受付に余裕のあるコースを選びました。それが「奥志賀高原優雅な2日間」でした。
 朝5時前に起きて7時30分大阪駅集合、8時過ぎの金沢行き特急「雷鳥」に乗りました。一行は30名でこぢんまりしていてとても快適でした。ちなみに往復の特急電車で同じ車両になった他社の団体(アルペンルートとトロッコ列車の旅)は騒がしく、雰囲気がまるで違っていました。
 金沢に到着後、一路奥志賀高原ホテルに向かいました。4時過ぎにはホテルに到着、高原を散策しながら花の写真を撮りました。5時半からはフランス料理の夕食、赤グラスワインを傾けながら、おいしくいただきました。夜7時半からはフルートの演奏会が開かれ、1時間ほど楽しみました。その後風呂に入り、テレビで原爆投下のいきさつを見ました。朝が早かったので直ぐに眠ってしまいました。この旅行は満天の星が一つの売りになっていて期待していたのですが、天気予報は雨だったの、雨に遭わなかっただけでよかったと思い、星空はあきらめていました。ところが夜中に目を覚まして窓から空を見上げると、なんとオリオン座あたりがくっきり見えていました。もちろん満天というわけにはいきませんでしたが、星一つ一つがくっきりと大きく見え、無数の小さな星も見ることができました。双眼鏡を持って行っておればもっとたくさん観ることができたでしょう。
 翌朝は風呂で顔を洗い、さっと体を流して、7時から朝食でした。バイキングなので少々食べ過ぎた感じです。8時出発、渋峠は霧が濃く、白根山のお釜に着いた頃には雨も降り出しました。ここでも期待していなかったのですが、とりあえず登ってみると風とともに霧が薄くなり、お釜の全貌を見ることができました。とてもラッキーでした。
 その後善光寺で参拝し、県立美術館で「東山魁夷展」を見ました。今まで印刷物やテレビの画面などでよく見ていましたが、本物のすごい迫力と美しさに圧倒されました。もっと長く見ていたい気がしましたが、ツアーなので、100点の絵を90分間で見終えました。帰りは金沢駅で1時間ほど余裕があったので、じぶ煮が含まれている和食をいただきました。とても豊かな気分の二日間でした。

   
マツムシソウ             ミヤマリンドウ            奥志賀高原ホテル        白樺林で昼寝
   
渋峠の標識とニッコウキスゲ                       白根山の標識とお釜


8月23日 四国遍路旅日記
 高齢者放送大学テキスト8月号に私の歩き遍路の様子を書きました。これはここ3年間、毎年8月号に書いています。昨年は姫路の学生さんから「75歳の歩き遍路」という自費出版の本を送っていただきました。そして、今年は78〜9歳の丹波の学生さんが手製の「四国遍路旅日記」を送って下さいました。
 昨年春に6泊7日で阿波一国を、秋に10泊11日で土佐一国を、79歳を迎えられた今春に10泊11日(1泊はバス車中泊)で伊予一国を回っておられます。私と違って重いリュックを峠道では背負い、平地はキャリーで引っ張って歩かれるのです。しかも峠がある道でも1日30q以上、最高は久万高原への道を45qも歩いておられるのにはびっくりです。とにかく畑仕事の合間に歩かれ、帰宅した翌日には畑仕事をしておられるのですから、その体力には舌を巻きます。出発前にはインターネットで時刻表などを調べながら自分で緻密な計画を立てられるのですから、読みながら感心することばかりでした。「75歳の歩き遍路」を読んだときには、私もそのころにもう一度ひとりで歩きたいと思いましたが、今回の記録を読み、1日26qが最高の私には1日30q以上歩くなど考えられず、いささか自信がなくなりました。今私がしている歩き遍路は荷物はバス任せで、飲み物とカメラ、雨具とお参りの道具、山道だけ弁当をもって道案内をしてもらいながら歩く状況は、BSテレビの四本さん同様大名旅行だなとつくづく思いました。


8月14〜15日 宮島水中花火大会
 厳島神社前の海で、宮島水中大花火大会があり、神姫バスが日帰りバスツアーを募集していたので参加しました。10時に明石を出発し、加古川、姫路で乗客を乗せ、宮島に向かいました。山陽自動車道は順調に走りましたが、宮島近くで国道2号線のバイパスに合流する手前から渋滞に巻き込まれ、乗船場近くの駐車場に着いたのは5時をだいぶ回っていました。6時過ぎの船で宮島へ渡り、座席の場所を確認しておいて食事場所へ行きました。
 夕食をゆっくり済ませ、花火大会20分前くらいに指定席に座りました。目線より低い堤防の最前列という最高の場所で花火見物が出来ました。船台から半円に開く花火は海に映り、素晴らしい眺めでした。8つの物語に分けて打ち上げられる花火はそれぞれテーマがあり、音楽に合わせて演出されていました。しかし私達にとっては大きな音楽付より純粋に花火を楽しみたいと思ったりしました。どうも大きなスピーカーのボリュームを最高にした最近の演出には美しさを感じないどころか、邪魔にさえ感じることがよくあります。テレビドラマを見ていても、セリフが聞こえにくく感じるようなバックグラウンドミュージック(BGM)があります。BGMというのは効果を出すためのものであって、主役がいるときは決して前面に出てはいけないと思っているのですが……
 帰りは見物客が一斉に船で渡るので、乗船場は長蛇の列でした。1時間以上並んで10時過ぎにやっと乗船できました。とりあえずトイレを済ませバスに乗るとまだ2〜3人しか帰ってきていませんでした。はじめの添乗員の話では10時20分頃にはほとんどバスまで帰ってきており、15分か20分待てば全員そろうということでしたが、最後の一組が帰ってきたのが、11時30分を過ぎていました。そんな訳で姫路に帰り着いたのが午前3時、明石へは4時に帰着しました。始発電車には1時間あまりあり、明石駅のコンコースはしまっていたので仕方なく、山電林崎駅まで歩きながら時間をつぶし、駅のベンチで30分近く休憩をして、始発電車で帰りました。
 以前に同じ神姫バスで敦賀の花火大会に行き、JR明石駅最終電車に乗って帰った経験があり、同じように考えていたのが間違いの元でした。朝帰りも五時半を過ぎると明るく大勢の人が屋外にいるので、何となく恥ずかしく思いました。

  

8月9日 ビギンの一五一会コンサート2008 in Kobe
 学校厚生会主催のふれあいフェスティバルがあり、久しぶりに神戸へ出掛けました。国際会議場のステージで高砂高校のジャズバンドの演奏を聴きました。相変わらず高校生離れした演奏には感動します。特に三年生は余裕たっぷりで、笑顔でいかにも楽しそうに演奏します。この後ニュージーランドへ演奏に出掛けるそうです。
 夜は国際会館ホールで開かれたビギンのコンサートがありました。この演奏会も学校厚生会40周年の記念事業で、申込みが早かったからか、ホールの丁度中心あたりの最高の座席でした。ビギンは学校関係ばかりの観客に、いささか戸惑っていました。いつもの演奏会の雰囲気とは全く違っていたようです。それでも自分達の石垣島時代の小、中、高校時代の想い出や先生とのエピソードを話す内にすっかりいい雰囲気になり、素晴らしい演奏を聴かせてくれました。昨夜、オリンピックの開会式の放映を遅くまで見ていたので、途中で眠りはしないかと心配しましたが、トークが楽しく、ほとんど眠らずにすみました。
 それにしても、ふれあいフェスティバルもビギンの演奏もスピーカーのボリュームが大きいのにはいささか参りました。もう少し言葉や音がきれいに聞こえるような音量に出来ないものかと思いました。今の若い人たちや音響関係の人たちはボリュームが大きいことイコール迫力と思っているのでしょうか。音楽は美しく聴きたいですね。


8月2日 出石・永楽館柿落大歌舞伎
 伝統芸能教室の鑑賞講座で、出石・永楽館柿落大歌舞伎の鑑賞がありました。朝5時に起きて兵庫県民会館に集合し、貸切バスで出石へ行きました。バスの中は涼しく快適だったのですが、出石に着くと猛暑で、開館まで日陰で待ちましたが汗が噴き出ました。
 座席はほぼ中央で前から3番目、ただし枡席なので、座布団に座っていても開演までに足腰が痛くなりました。しかし、幕が開くとその演技の迫力に足腰の痛さも忘れ、舞台にすっかり引き込まれました。
 片岡愛之助の操り三番叟は本当に操り人形の雰囲気がでており、感動しました。口上は片岡秀太郎を中心に片岡愛之助、中村壱太郎の三人で行いました。永楽館や歌舞伎の歴史、関西歌舞伎の特徴、そして二人の若手の紹介など秀太郎のユーモアあふれる話ぶりにおおいに笑わせてもらいました。愛之助が今回の舞台の中心でしたが、この様にベテランの秀太郎が出演することによって余裕が生まれ、舞台がぐっと引き締まった感じがしました。
 三つ目の演目「奴道成寺」も愛之助の変わり身と舞が中心でしたが、その見事な舞とスピーディーな所作にこれまた感動しました。歌舞伎の美しさとわかりやすい話は、この様な歌舞伎にこれまで触れることの少なかった地方の人々を十分に魅了するものだと思いました。明治34年に建設され、昭和39年に閉館するまで、この出石の舞台文化の中心だったそうです。この建物がそのまま保存されていたおかげで、2年がかりで修復され、今回の復活になったのだそうです。西日本で現存するもっとも古い芝居小屋なのだそうです。これからもおおいににぎわうことが期待されています。内古座のように普段から有料で施設を公開できれば、維持管理が可能なのでしょうね。
 歌舞伎が終わって外に出ると、サウナのような暑さで、38度とも40度とも聞き、その暑さにたまらず、バスの発車時刻まで伊藤清永美術館で過ごしました。

  

 

  



7月27日 パワーポイント
 9月18日に高齢者放送大学の中央スクーリングで講義をすることになっています。演題をいろいろ考えましたが、私は経験したことしかお話しできません。テキストも3年間歩き遍路記を書いてきました。しかし、その感動は文章では伝えられませんでした。そこで、パワーポイントで写真を映しながら、歩き遍路の魅力をお話しすることにしました。演題は「歩き遍路−それは感動と感謝の旅−」です。
 3年半に撮りためたお遍路の写真の中から、少しでもお遍路の感動や感謝の話が引き出せる写真を選ぶとなると難しいものです。今50枚ほど選び出しています。それを話の展開にあわせて取捨選択したり、さらに新しいものを追加したりするのがこれからの仕事です。ワイドサイズで撮した写真とパワーポイントのサイズが合わないのも問題点です。写真の中で知らせたい被写体が小さく、効果がないと思っていたのが、あちこちクリックしていると、突然その被写体が大きくなり、素晴らしい効果が見られたりします。
 昨年末に買ったノートパソコンはOSがウインドウズヴィスタで、パワーポイントはオフィス7なので、まだまだ使いこなせません。普段はウインドウズXPのデスクトップを使っているので、新しいノートパソコンを使い慣れるいい機会になりました。ただこのノートパソコンでワープロソフト「一太郎」を使って文章を入力していると、hやgのキーを打ったときに、突然マウスポイントのあるところへワープしてしまいます。まだまだキーボードを見ながら両手の人差し指で打っている状況なので、入力できたと思って画面を見るととんでもないところへ入力しています。メーカーに一度たずねなければと思いながら、まだたずねていません。


7月25日 リュウゼツランの花
 一週間前、一番下の枝の花が咲き始めたと思っていたのですが、この暑さで真ん中あたりまで花が終わった状態になっています。真ん中より高いところの花が今咲いていますが、展望台から見ても、目線より高いところになってしまいました。観察も今までのように十分出来なくなってきました。

 

7月20日 リュウゼツランの開花
 いよいよ本格的な夏になりました。この暑さにふさわしく、リュウゼツランの花が次々開いています。メキシコではこの花の蜜でお酒を造るというのですから、やはり暑い国の花なんですね。

 

7月13日 第九合唱団交流会
 6月から第九合唱団の練習が再開されましたが、第1回の交流会がありました。午後1時30分から90分間、ほぼ立ったままで練習をしました。私の所属しているテナーは極端に人数が少ないので何時もバランスがとれないようです。しかし今日は他のパートに比べて出席率がよかったおかげで、しっかり歌うことが出来たようです。団員登録者は170名を超えましたが、今日は日曜日の臨時練習ということもあって7〜80名が参加していました。
 練習後は会費500円とおつまみ1品持ちよりのビールパーティーと称する交流会がありました。新入会員の紹介がありましたが、高齢者からうんと若手まで、また親子で参加という方々もいて、新しい出発を感じさせました。今回は新入会員だけでなく5年区切りで会員が紹介されました。長い人は第1回から参加しておられ、今年が26回目だそうです。途中、職場の都合で来られなかった方も、何年ぶりかで復帰されたというお話を聞いていると、やはり明石第九合唱団の雰囲気がそうさせるのだろうと思います。昼間にもかかわらず、この交流会では私も何時も気持ちよくたくさん飲んでしまいます。


7月11日 浜の散歩道13qを歩く
 9月のお遍路は高齢者放送大学の中央スクーリングでの講義と重なり参加できません。また、10月のお遍路は明石第九合唱団の演奏会指揮者練習と重なり、これまた参加できません。12月が結願なので夏の間に自分で歩こうと考えています。その話を家ですると妻も一緒に歩くと言い出しました。前回徳島で大変な思いをしているにもかかわらず、達成感の喜びや、地元の人との交流が楽しくて、またついて行こうと考えているようです。
 今度は二日分を歩くので前回のような生やさしい距離ではなく、場合によっては一泊することも考えられます。今回の予定は鬼無を出発して、83番一宮寺、84番屋島寺、85番八栗寺、86番志度寺まで歩くことを考えており、その内屋島寺と八栗寺はそれぞれ山の上にあります。暑い中をこれだけ歩けるだろうかと心配です。
 そんな訳で、江井ヶ島から松江海岸東端まで往復13qを午後2時30分から歩きました。往路は気温も高く、出発して55分ほどかけて4q歩いたところで水分補給の休憩を5分ほどとりました。さらに2.5q歩いたところでゴール地点の松林に到着しました。自動販売機で冷たいサイダーを買って飲みながら少し長めの休憩をとりました。私は6.5qも歩いたら近くの駅から電車で帰ると言うだろうと思っていたのに、妻は帰りも歩くと張り切っています。4時を回っていたので少し気温も下がっていたこともあり、帰りは休憩無しで家まで歩きました。浜の散歩道は全く傾斜がないので歩きよいのですが、場所によっては風が全く吹かないのでコンクリートの熱気でとても暑く感じます。家に帰ったら二人とも汗びっしょりで早速風呂を沸かして入りました。
 それにしても、前回の徳島では妻の歩くペースがあまりのも遅く散歩のような感じでしたが、今日の妻は後ろを歩いていると、よそ見をしていたらおいて行かれるほどのペースだったので驚きました。そのペースで13qを3時間ほどで歩き抜いたのですから、これはもう体力を理由に同伴を断る訳にはいかなくなりました。
 9月にはいると妻は高齢者大学の運動会、文化祭、修学旅行等で忙しくなるので、何とか8月中に出掛けたいと思っています。

 今日のウォークの途中で、リュウゼツランの花が間もなく咲くところが2ヶ所もありました。1本目は江井ヶ島海岸駐車場の真下で、下から眺められるだけでなく、上の展望台からは間近に花を観察することが出来ます。もう一ヶ所は藤江で、松江海岸の西500メートルほどのところで、浜の散歩道沿いにあります。今にも花が咲きそうなので、明日にでも写真を撮ってこようと思っています。

7月5日 歌舞伎鑑賞
 今日は伝統芸能教室の鑑賞講座で、松竹座へ行き、歌舞伎を鑑賞しました。座席が前から2番目の花道のすぐそばということで、花道で演技をするときは手が届くほどのところでした。ただし、花道での演技は中の方を向くので、後ろ姿を見ながら想像するしかありませんでした。藤十郎はよく知っていましたが、仁左衛門や菊之助、松緑、孝太郎、愛之助、我當等々、どれだけ有名な俳優かはよく知りません。演目の「先代萩」で藤十郎扮する正岡が我が子千松を殺される場面で、みんなが去った後嘆き悲しむ演技を私のすぐそばで演じてくれました。目から涙があふれるだけでなく、カツラの耳のそばからも汗がぽたぽた落ちていました。それがまるで涙があふれて止まらないように見えるので、よりいっそう感動的に見えました。私の目もうるうるしました。イヤホンガイドを聞きながらの鑑賞なので、おおよそのストーリーがわかり、楽しく鑑賞できました。ただし、朝高齢者放送大学を聞くために早くから起きていたので、おもしろい演技を見ていても一瞬眠ってしまうこともあり、隣席の妻に起こされることが二度三度とありました。


7月4日 夏の庭
 ひまわりが大きな花を開き、いよいよ夏本番の庭になってきました。アカパンサスや桔梗などもたくさんの花を付け、夏野菜のトマト、なすびの収穫も始まりました。今年は柿も豊作らしく、たくさんの実をつけています。このままいくと摘果が必要になりそうです。ゴーヤは例年雄花ばかりで、夏本番にならなければ雌花はつけないのですが、今年は開花2日目には雌花が咲き、すでに7〜8pになっています。大輪の菊も大きな鉢への植え替えが終わりました。
 それにしても5pほどの苗を植えたひまわりが2mほどに成長し、大きな花をつけている姿を見ると、不思議な感じがします。四国も梅雨が明けたと言われていますが、このあたりも同じように梅雨明けしたのではないかと思われるような晴天です。

  
夏空に大輪のひまわり          順調に生長するゴーヤ           桔梗もたくさんの花をつける
  
アカパンサスが満開            トマトもいくつか食べました。       日陰におかれた菊の鉢


6月28〜29日 すゑひろ会
 すゑひろ会が播磨新宮の国民宿舎志んぐ荘でありました。すゑひろ会というのは、40年ほど前に県教委の障害児教育担当の指導主事をされていた印部すゑ子先生のご指導を受けていた先生方が印部先生を囲んで発足した研修親睦の会です。その後障害児福祉施設に関わっている人や障害者の親御さんも加わり、現場の先生方や福祉関係の方々にとってもいろいろ学べる会に発展しました。私も20余年前からお誘いを受けて参加しています。そして現職時代は先輩の先生方から多くを学ぶとともに、施設を見学させて頂いて、進路指導について学び、親御さんからも貴重なご意見を聞かせて頂きました。だから、他の会と重なってもゑえひろ会を優先して出席していました。しかし、中心的存在の印部先生をはじめ創設時の先生方の多くが亡くなりました。
 メンバー15人が集まり、近況報告の他、この会をどうするかということについていろいろ話あいました。来年が創立40年になり、故印部先生の13回忌になるのを期に解散し、新たな会を立ち上げてはどうかという意見が主流になっており、来年神戸で最後の会を開いて結論を出すことになりました。
若い人たちからすれば、先輩が多くおればそれにあわせたメニューになるよう気を使うので、私も障害児・者に関わることがほとんどなくなったこともあり、このあたりが潮時ではないかと思っています。


6月27日 友愛クラブ例会
 地域の老人クラブ「西江井友愛クラブ」の例会がありました。53人のメンバーの内40名近い出席がありました。今日は会費を集めることになっており、事前に連絡をしていたので、欠席者の分を預かってきたり立て替えて支払ったりと、皆さんとても協力的でした。
 月1回の例会では皆さんおしゃべりをしたいという気持ちが強く、大半の時間まわりの人とお話をされていました。落語のビデオテープなども準備されていましたが、放映することもありませんでした。ただ、頭の体操でクイズを出されたときにはみんな熱心に考えていました。しかし回答するまでにはいたらない人が多く、今後頭を柔軟にするこの様なクイズをおおいに取り上げるのもいいかなと思いました。そのためにいろいろ問題を入手しておく必要があります。
 それに、テレビは画面が小さく、さらに低い位置にあるのと、視力が落ちている人も多く、なかなか全員の興味をそそることが難しいようです。何とか大画面に投影できる機器が入手出来ればなと思いました。そうすればコンピューターを使っていろいろな研修や遊びも出来ると思います。


6月26日 第九練習で先輩に
 朝からグラウンドゴルフをし、高齢者放送大学へ本科生往復課題番組のはがきの返信を届け、夜は明石第九合唱団の練習に参加しました。その練習会場で、私が大学で初めて合唱活動に参加したとき、パートリーダーとして手ほどきをしてくださった先輩に声をかけられました。もう何十年もお会いしていなかったので名札を見なければどなたかわからないところでした。人数の少ないテナーにこの様な強力な方に加わって頂き心強いばかりです。
 3年前は50年ぶりに小学校時代の親友と出会って一緒に歌う喜びを感じましたが、8年も続けていると懐かしい出会いに恵まれとても嬉しく思います。


6月24日 ミニ同窓会
 中学校2年生の同級生4人で昼食会をもちました。2年生の担任は新卒の女性でとても美人でした。だから悪ガキだった私達4人は答案用紙を申し合わせて白紙で出したりして、ずいぶん迷惑をかけましたが先生が大好きでした。そのように気があったこともあって、放課後も何時も一緒に神戸の裏山を駆け回ったり、アケビをとったり、遊びほうけていました。3年生以降はクラスが違ったり高校の進学先も異なりましたが、社会人になってからも時々集まっています。
 今日は10年ぶりくらいで三ノ宮に集まり、東遊園地でしばらく近況などを話しあった後、西村屋でステーキを食べながら2時間ほど旧交を温めました。現役は退職後自営業を始めたひとりだけで、後はすっかり自分の時間を楽しんでいました。おしゃべりをしていると、みんな昔の人間性に戻っていました。みんな元気でメタボを感じさせる者もいないし、これまで真面目に生きてきて、これからも真面目に生きていくだろうと思えました。誰が一番にぼけたりダウンしてしまうだろうかという話題になりましたが、きっと私が一番だろうと想像がつきます。とにかく元気な間は1年に1回は集まろうと話し合って別れました。


6月20日 グラウンドゴルフの当番
 今週はグラウンドゴルフの準備をする当番でした。月曜日と木曜日がグラウンドゴルフをする日ですが両日とも雨や前日の雨でグラウンドコンディション不良のため翌日に延期になりました。火曜日は準備をしただけで川柳教室へ行きました。木曜はお遍路でしたが延期になったお陰で準備も試合もできました。とても蒸し暑く、子ども達が野球をして荒れた部分をトンボで修復し、ローラーを引っ張ってグラウンドを整備をしていると、大汗をかきました。成績は何時も通りの平凡な記録でした。


6月14日 豆落語家の寄席
 明石市は時のウィークとして様々なイベントが開かれています。明日明石公園でメインイベントとして昔の鉄砲で空砲を撃ったり、明石北高校が外国で演奏したときの再現演奏などがあるそうです。
 その前夜祭として、午後から桂阿か枝と人丸小学校5〜6年生の落語クラブの寄席がありました。阿か枝が自ら前座を務めるといって、「時うどん」を演じました。続いて5人の生徒の芸名披露がありました。その後それぞれ落語や小話を演じて見せました。5人目に出演した生徒の落語は、時々上と下が反対になることもありましたが、素晴らしい語り口で多いに笑わせてくれました。最後に阿か枝の司会で5人の生徒の大喜利がありました。多少打合せをしていたようですが、多いに笑わせてくれました。楽しい1時間でした。


6月13日 映画鑑賞
 久しぶりに映画を見に行きました。といっても映画館ではなく、HAT神戸にある県立美術館です。ミュージアムホールで「クィーン」が上映されたからです。ロードショーの時に見に行きたかったのですが見ることができませんでした。NPO神戸100年映画祭で名画の上映会が開かれており、この映画が上映されることを新聞で知りました。
 期待に違わず素晴らしい映画でした。ダイアナ妃が事故死したときのエリザベス女王とブレア首相の動きが描かれている映画です。イギリスでは現実の王族をテーマにこの様な映画が作成されることにも感心しました。日本の天皇家をテーマにしたこの様な映画は決して作ることはできないでしょうね。きっと右翼が大騒ぎすることでしょう。『靖国』でもあのような騒ぎになったのですから……


6月11日 ジャガイモの収穫
 昨年までは借りた畑でジャガイモを植えていましたが、畑を地主さんに返却したので、今年は庭の菜園に植えていました。以前母がお習字の稽古のために6畳のプレハブを建てていました。しかし、古くなって傷んできたので一昨年取り払いました。基礎だけ残してもらいそこに土を入れて菜園にしています。そのジャガイモを先日15本ほど収穫しました。そして今日は20本ほど収穫しました。先日より少し大きくなっている感じがしました。まだ5本ほど残っていますが、葉が青々していて花が咲いています。菜園の南側にはバベの生け垣があり、日当たりが悪いのでどうしても生育が遅くなってしまいます。今日は自転車の前かごほどの入れ物に2杯、17sほど収穫しました。庭の菜園にしてはたくさん収穫できたと思います。



6月10日 番組編成会議と講演会
 高齢者放送大学の番組編成会議が午前からありました。前回11月に開かれた後、半年あまり、いろいろな本に目を通しましたが、これといった著者にはなかなか巡り会うことができません。4人ほど推薦しましたが難しいなと思いました。
 1時半に会議が終了したので急いで加古川市民会館へ行きました。途中でセブンイレブンによってパソコンのセキュリティの代金を払いました。これまでは1年ごとに郵便局で振り替えをしていました。3年契約だと料金が安くなるのですが、パソコンに暗証番号を入力するカード支払いに限られていました。万一情報がもれてはと思って郵便局へ行って支払っていたのです。今回コンビニで支払いができるようになっており、しかもコンビニを指定すると支払い用紙はプリントアウトできるのです。それを持っていくと簡単に3年分の支払いができました。3年で3千円以上安くなりました。
 その後急いで市民会館に行くと、第1部の音楽会が終わり、講演会の準備をしていました。講師は姫路市網干の大覚寺住職・中西玄禮先生でした。中西先生はいなみ野学園へも毎年講義に来て頂き、高齢者放送大学でもお話し頂き、いずれも好評で、放送大学ではアンコール放送にも取り上げられるほどです。その先生が「凛々と生きる」というテーマでお話下さいました。今回も笑わせ、そして涙を流すほどの感動的なお話でした。中もで、「高齢者になって孤立することがもっとも淋しいことだ。孤立を防ぐためには感性を豊かにすることが大切で、『感心する心』『感動する心』『感謝する心』三つの心を大切にすること」を強調されました。何度聞いても中西先生のお話は心に染みます。
 帰ってパソコンのメールを確認すると、私がセキュリティのお金を支払ったであろう時刻に、「コンビニでの手続きが終了しました。新しいバージョンをご利用下さい」というメールが入っていました。郵便局で支払っていたときには払い込んでから数日経って手続き完了の知らせがありましたが、今回の素早さに感心してしまいました。


6月8日 国営明石海峡公園でチューリップの球根掘り
 息子夫婦を誘ってたこフェリーで明石海峡公園へ行きました。グループいきいきネットで昨日出掛けることになっていたのですが、伝統芸能教室があったので今日個人的に行きました。
 午前から入場し、園内を散策しながらいろいろな花を楽しみました。特にロイヤルというユリ化の花がいろんな色で咲いているのは圧巻でした。持参したおにぎりを食べた後、午後から不死鳥そばの花壇でチューリップやムスカリの球根を掘りました。担当の方がいろいろな色のチューリップの場所を地図で教えて下さいましたが、現場に行くとよくわからないので、いろいろな場所で掘りました。最後に大きな白い球根が出てきました。何の花かわからないけれども来年どの様な花が咲くか楽しみに持って帰りました。

  

  

6月7日 伝統芸能教室
 兵庫県芸術文化協会が主催している「伝統芸能教室」が始まりました。今回は県庁の北側にある女性会館でありました。内容は7月に大阪松竹座で鑑賞する大歌舞伎と8月の出石・永楽館柿落(こけらおとし)大歌舞伎鑑賞についての解説でした。
 特に興味があったのは歌舞伎の歴史で、神社本殿の前の奉納殿で奉納される演目を本殿と奉納伝の間の芝生で鑑賞したという話でした。今は本殿を背にして奉納されることが多いようですが、昔は本殿に向かって奉納されたため、見物人は本殿を背にしてみていたのです。そういえば能舞台の背景に大きな松が描かれていますが、あれは鏡を意味しているといわれたことばを思い出しました。あの背景は本殿の松が映っているのだそうです。
 そのような解説を聞いて歌舞伎を見に行くと、いろいろな発見があることでしょう。特に出石で芝居小屋が復活し、その柿落を見に行くという企画が楽しみです。昨年お遍路の途中で愛媛県の内子座を見学しましたが、あのような素晴らしい建物なのでしょうか。


6月4日 トライやるウィーク
 江井ヶ島中学校のトライやるウィークで、江井ヶ島地区「なでしこの会」(高齢者の給食などをするボランティアグループ)に7人の女生徒が来ています。今日は西江井地区の高齢者との交流会がありました。
 10時に会場へ行くと4人の生徒がなでしこの会のメンバーと一緒に机や椅子の準備をしていました。少し手伝いましたが、できるだけ自分達でするように配慮しました。その内にお昼弁当を作っていた生徒3人が弁当を運んできて配ってくれました。会場準備と弁当づくりを手分けしていたのだそうです。自治会館の玄関では参加者に座席券を配っていました。役割分担を前もってよく考えていました。
 11時30分から交流会を始めました。なでしこの会の会長さんが少し助言をしておられましたが、自分達でほとんど進行していました。弁当を食べた後、一人ひとり自己紹介をしてくれました。ソフトボールやバレーボールをしている生徒が大半でした。将来の夢として美容師になりたいといった生徒が何人かいました。その後、クイズや輪唱、ダンスなどと次々プログラムがありました。クイズは中学生が見ているテレビ番組を中心にした問題だったので、高齢者はなかなか答えられませんでした。景品に小ぶりのバケツをもらいました。
 最後に、トライやるウィークでなぜなでしこの会を選んだのかたずねられ、2人は先輩に聞いて福祉や地域の人々と交流がしたかったといっていましたが、残りは小学校や保育園への希望が叶えられず、やむなくこちらに来たと言っていました。それでも来てみて多くの人々と交流ができてよかったといっていました。中学生の真面目さに好感が持てました。

  

 

6月3日 高齢者放送大学第1回中央スクーリング
 今日は20年度新入生の入学式にあたる中央スクーリングがいなみ野学園の講堂でありました。雨が降っていたからかいつもより出席者が少ないように思いました。それでもすでに何年も在籍しておられる学生さんも沢山出席しておられました。
 嘱託講師も7分間で自己紹介とにミニ講話をすることになっており、私は自分のホームページについて話した後、最後に落語といっても小話をしました。口べたな私が立て板に水の落語ができる訳がありません。落ちで少しだけ笑ってもらい、少しホッとしました。人前でしゃべる訓練に落語の練習はいいかなと思いました。


6月1日 カラオケで死刑に関する話題
 月1回、夕方から男性のカラオケ同好会のメンバーが集まって飲みながら親睦を図り、最後に2曲ぐらいずつ歌います。今日は70歳以上の6名が集まりました。いつものように政治の話から始まってどんどん話題が発展します。後期高齢医療制度の話から、民主党は廃止というだけで対案を示さない。まるで与党を困らせる発言ばかりで、民主党ならこの様にするという主張が全くないので頼りにならないという話になりました。
 また、鳩山法務大臣になってから死刑執行が今までより進められていることを評価する話から、人を殺せば原則死刑にするということに賛成論で盛り上がりました。死刑判決を下すかどうかは、殺した人に正当防衛が少しでもあったかどうかということだけを検討すればよいということで、死刑判決が下れば即刻執行すべきだというものです。何の罪もない人を殺して懲役7年という今の司法の判決に納得する人はいないだろうということなのです。生かしておいても税金を使うだけで、それでなくても刑務所は満タンなのだからという訳です。これほど簡単に人を殺す事件が相次いでいるのですから、少なくともこれくらいの法律を作っても真面目に生きようとしている人ならば誰も文句はないだろうと思います。
 この様に日頃思っていることを自由に発言する機会があり、最後の得意の歌を力一杯うたってすっきりして9時頃お開きにします。


月31日 土曜公開講座
 神戸学院大学の土曜公開講座を聴講してきました。この講座は前期(5〜6月)と後期(10〜11月)に各5講座ずつ開催され、数年前から可能な限り聴講しています。
 今日は総合リハビリテーション学部の粕谷佐紀講師の講義で、「ユニバーサルデザイン」についてわかりやすくお話し頂きました。建築工学が専門で、まちづくり、住まいづくりについて興味あるお話でした。今日は前期の3回目でしたが、私は今期初めての聴講でした。帰りに従兄弟とお茶とケーキで長時間おしゃべりしてきました。


5月28日 ふるさとの歴史教室(姫路校)
 兵庫県芸術文化協会が主催する歴史教室が県立歴史博物館で開講され、午後から受講してきました。これまでは明石校で3年間受講してきましたが、今年も同じ講師だということで、姫路校の受講に変更しました。
 「はりま巡覧記」というテーマで、第1回は「風土記の里−姫山・男山」について、埴岡真弓先生の講義がありました。姫山=姫路城と北西の男山などの史跡について風土記の記述と姫路古図を参考にしながら詳しくお話し頂きました。姫路城はもちろん、何年か前にウォークで男山に登っていたこともあり、話に親しみがありました。そして最後にパワーポイントを使って現在の写真を見せてくださったのでとても理解しやすく、次回は自分のカメラをもって出掛けたくなりました。今日は今にも雨が降りそうだったので現場に行くことはできませんでした。
 次回は大塩のお話で、去年秋にのじぎくの群生地を見に行ったところなので、すこしは知っているところが話題になるかもしれません。次回も楽しみです。


5月24日 海王丸の公開
 神戸中突堤で帆船の海王丸が公開されました。妻が応募して当選したのですが、行けなくなったので私ひとりで見に行きました。幸い雨が上がっていたので、甲板をゆっくり見学できました。船内には練習生が沢山いて、私達の質問に一つ一つ丁寧に答えてくれました。子ども達は椰子の実を半分に切ったものを使って一生懸命練習生と床磨きの経験をしていました。お母さんが「これで将来の進路が決まったね」などといって笑っていました。船上でいろいろ写真を撮りましたが、帆船の美しさは遠くから見るのが一番でした。
 40分ほどで見学が終わりました。以前から一度かわさきワールドを見学してみたいと思っていたので、隣の海洋博物館へ行きました。川崎重工の歴史を見ていると、ずいぶん先駆的な事業を積み重ねてきたことがよくわかりました。こどもや若者達は展示されているオートバイにまたがり、感触を味わったり、記念撮影などをしていましたが、私にはそのようなことはできませんでした。海洋博物館では3Pシアターを見ました。宝島のアニメでどうということはありませんでしたが、大砲の弾がこちらへ飛んできたときだけは思わず避けようとしていました。
 1時間ほど見学して館外へ出ましたが、外は大変な吹き降りになっていました。ハーバーランドのモザイクまで歩きましたが、その間も何枚か海王丸の写真を望遠で撮りました。モザイクへ行くと、屋外のテントが張られたメーンステージで雨の中ブラスバンドの演奏をしていました。雨が降るので観客はなく、私を含めて数人が2回ベランダの屋根の下で聞いているだけでした。演奏が終わって拍手をしたのは私と隣にいた若者の二人だけでした。その拍手がテントのステージまで聞こえたかどうかわかりませんが、一曲だけでやめてしまう雰囲気だったので帰りました。ステージの横で、雨の中スタッフが色とりどりの容器を並べる作業をしていました。夜キャンドルサービスがあることをその日の夕刊で知りました。あの吹き降りの中どれほどのお客さんが集まったのだろうと重うと、雨の中準備していたスタッフが少しかわいそうに思えました。

  
海王丸こうべ環境フェスタ会場                   船内で床磨き体験   
  
遊覧船乗り場から見た海王丸  モザイクから見た海王丸           ステージのテントでジャズ演奏


5月23日 二人で歩き遍路
 阿波一国でまだ詣っていなかった18番恩山寺と19番立江寺に妻と出かけました。前回、岩屋寺へ一緒に行ったときは自家用車で近くまで出掛けたので、歩き遍路という実感はありませんでした(歩き遍路のツアーでは、私が車を止めた国民宿舎に宿泊し、朝食前にお参りをしたのだそうです)。今回はある程度歩くことを意識して高速舞子8時10分発のJR高速バスに乗りました。徳島行きは空いていると思っていたらほぼ満席なのにびっくりしました。前日に緑の窓口で買ったとき8番とかなり後ろの席だった意味が理解できました。徳島駅に予定通り9時28分に到着しました。JR四国の女性職員が丁寧に教えてくれたので、10時8分発阿南行きのワンマンカーで南小松島へ向かいました。南小松島は特急の停車駅なので駅やまわりに店があるかたずねると、女性職員が首をかしげていたとおり、駅にはキオスクの小さな売店と隣接してパン屋があるだけで、外へ出ても食べ物屋は見あたりませんでした。パンを少しだけ買って歩きました。事前にインターネットで地図を調べていたので、そのつもりで歩きましたが、最初から予定外の道を歩き、車の多い県道を避けて脇道に入りました。うまい具合に目標にしていた小松島中学のそばに出たのでホッとしました。そこからは遍路の道案内が角角に貼ってあるので安心して歩きました。天気がよく気温がどんどん高くなっていきます。普段の歩き遍路ではいつもは2q25分のペースで歩くのですが、妻のペースで歩くと1q15分以上かかります。まるで散歩をしている感じなので、暑さがこたえてよけいに疲れた感じになります。4q近く歩いたところで恩山寺へ登る参道にかかりました。途中休憩していなかったので水分補給をしていないことを指摘されました。木陰で一服してから坂道を登っているとワラビを採っている男性がいました。妻は山菜採りが大好きなのでしばらくその男性としゃべっていました。山門に着いたときには12時近くなっていました。
 お参りしてから木陰のベンチで持参したおにぎりを食べることにしました。本堂や太子堂でお経を唱えた後、私が納経所で朱印をもらっている間に、先程の男性もお参りを済ませ、妻とベンチでおしゃべりをしていました。その内に別のお遍路もベンチで休憩されたので、先程駅で買ったパンをみんなで食べました。そんなことで話が弾み、おにぎりを食べるタイミングを外してしまいました。パンのお返しにワラビを半分もらい、次のお寺に向かって出発する羽目になってしまいました。そこから初めて山の中の峠を越える本格的な遍路道を歩きました。といっても竹藪の中をほんのしばらく歩いただけですが、初めての経験にすっかり気に入ったようでした。山道には牛小屋や鶏舎跡があり、匂いと虫が強烈で食事をする場所はありませんでした。いよいよ峠を越えて再び町に出るというとき、廃寺跡と思われる庭園の池があったので、その池を眺めながら食事にしました。しかし、今度は蚊の攻撃に見舞われ、落ち着いて食べていることができず、早々に切り上げました。
 再び県道に出て歩いていると、再び暑さを感じました。そんな折大きなミカン4個100円で売っていました。それを買って3つを私のリュックに詰め込みました。急にリュックの重さを感じました。そういえば、普段はヤッケかポンチョぐらいで、後は500ogのペットボトルが入っている程度です。ところが今日は大きな納経帳から着替え一式とおまけにペットボトルがもう1本に折りたたみ傘が入っていました。出掛けるときは3.6sだったのですが、5sほどになっていたのでしょう。妻も二人分のおにぎりを詰め込んでいたので昼食までは重かったと思います。昼食が済んでやっと軽くなったところへミカンを詰め込み、さらに次のお寺の手前で柏餅を20個も買ったので、ますます重くなったことと思います。そんな訳で、妻は立江寺につくと山門そばのベンチに座り込んでしまいました。私ひとり本堂と太子堂でゆっくりお経を唱え、納経所で朱印をもらいました。
 山門を出た後、JR立江駅へ向かおうとしたのですが、さっぱり方角がわかりません。近くの店でたずねると、行こうとしていた反対の方角に駅がありました。駅に着くと40分待ち、ゆっくり着替えを済ませ、先程のミカンをむいてくれたので口に入れましたが、猛烈に酸っぱいミカンでした。3時40分発の列車に乗りました。朝は1両のワンマンカーでしたが、帰りは3両編成で、車掌が切符を売りに来ました。高校生が沢山乗ってきたので、そのためだろうと思います。4時過ぎに徳島駅へ着いたので、町を見物しようかと思ったのですが、二人とも疲れていてその気になれず、5時発の高速バスの座席指定をもらって40分近く待合室で休んでいました。
 座席指定は前から9番目で、トイレの直ぐ前方でした。お陰でリクライニングを思い切り倒してゆっくりした姿勢で乗ることができました。帰りは満席で積み残しがありました。こども連れからサラリーマンまで乗客はいろいろでしたが、金曜日の夕方の便だったから満席になったのかもしれません。疲れと楽な姿勢のお陰で、何時高速に乗ったかもわからず、二人とも淡路サービスエリア近くまで1時間あまりぐっすり眠っていました。
 バスでよく眠ったせいか、私は12時過ぎまで遍路日記を更新していましたが、妻は夕食後眠ってしまい、12時を過ぎて風呂に起こしてもなかなか起きませんでした。重いリュックを背負って暑い中を2万歩ほど歩いたのがよほどこたえたのだと思います。個人で歩き遍路をするときは、仲間ができても一緒に歩かないことが原則といわれていますが、ペースの違う人と歩くとお互いに疲れるということがよく理解できました。


5月20日 互選て「天」
 ここ2〜3年川柳教室の互選で選ばれることはありませんでした。ところが今回の互選で久しぶりに20点と自分でも驚くほどの票が入りました。自分ではもう一つだと思っていたのですが、我が家のありのままを詠んだのが素直に通じたのかもしれません。しかし、先生に選んでもらえるような句はまだまだ詠むことができません。


5月19日 グラウンドゴルフ自己記録更新
 BS1で四国八十八ヶ寺てくてく歩き旅を放映しているので、それを見ていて家を出るのが集合時間ぎりぎりになりました。だから事前の練習はほとんどしていませんでした。
 朝から強い風が吹いていました。グラウンドゴルフをしていても、場所によっては球が風に流される感じがしました。それにグラウンドが乾ききっていて小石が浮いており、球が思わぬ方向にはねたりしました。そんな中でホールイン1が2本でたのと、風や小石がよい方に作用して、20,17,14のトータル51という自己新記録で優勝しました。前回は72という不名誉な記録でビリから2番目の成績だったのですっきりしました。


5月18日 西江井友愛クラブ5月例会
 午前中に店が開くと同時にお菓子を買い、自治会館のホールに役員総出で机や椅子を並べ例会の準備をしました。昼にいったん帰宅して昼食を済ませ、午後1時から例会を開催しました。
 今日の大きな議題は、6月に行われる中学校のトライやルウィークにどれだけのメンバーが協力できるかということでした。丁度田植えの準備の時期と重なり、男性の多くが参加できないことがわかりました。だから男性の参加者は農家以外の人たちで、数えるほどでした。一方女性は誰が参加するかということが大きな関心事で、即答を避けて相談されていました。その結果大半の方々が参加協力していただけることになりました。それでも25人の目標が17〜8人止まりで、明日、女性のカラオケグループでもう一度お誘いすることになりました。
 次代の地域をになう中学生のことなので、できるかぎりみんなで協力したいものです。


5月17日 高家寺寄席
 5月11日に高家寺の写経の会に参加しました。2度目で要領が飲み込めていたので、安心して写経ができました。いきいきネットのメンバーも新たに3人参加していました。その時に第54回高家寺寄席の案内をいただき、今日行ってきました。ざこばの末弟子の高座や「ちりとてちん」の演目など多いに笑ってきました。直前まで固い会議の事務局として気を使っていたので、ストレスが解消しすっきりしました。
 高家寺寄席はテレビの落語のように時間にとらわれることもなく、4人の噺家がそれぞれの持ち味でいろいろな話をされるのがとても良い雰囲気を醸し出しています。だから、寄席の最初に「お母さん座り」(住職の言葉)で般若心経を唱えることは少しも苦になりません。むしろその後の楽しさをいっそう引き立てているようにさえ思います。最後の桂蝶六の高座では、狂言のセリフの特色を伝え、参加者全員に練習をさせてみるという奇抜なこともありました。楽しみに来ている人ばかりなので、恥ずかしがらずにいわれるとおり大きな声を張り上げていました。
 この様な楽しい寄席なので、次回も是非出掛けていきたいと思っています。


5月4日 ゴールデンウィークのお出かけ
 快晴だったので、山へ行くことにしました。用事を済ませたのは9時30分だったので、鉢伏高原まで行くことにしました。高速道路は混んでいると思ったので、加西から福崎へ出て312号を走りました。順調に朝来町まで来たので道の駅で休憩することにしました。その時、多々良木ダムの下でインフィオラータをしていることを思い出しました。美術館の駐車場に車をおいて、歩いてダムに登りました。
 但東町のチューリップの花びらで描かれた竹田城は見事でした。木陰で持参したおにぎりの昼食を楽しんだ後、再び312号線を北上しました。和田山で高速から降りてくる車が多く、少し渋滞しましたが、9号線にはいるとそれほど混んでいませんでした。関宮から県道を通り大久保経由で無事鉢伏高原に13時50分頃到着しました。桜が咲き、土筆が沢山生えていました。ワラビがあればと思いながらゲレンデやその周辺を歩きました。下の方はすでに大きくなっていました。目の前の氷ノ山にはまだ残雪がありました。その美しさに見とれながらゲレンデを登っていくと、鉢伏高原にも雪渓がありました。そのそばにワラビが2本だけ生えていました。下ってくると、途中でパラグライダーの講習をしていました。見ていると、子どもや女性は不器用ですが、指導者の指示をよく聞いて、その通りするので少しのフライトを楽しんでいました。しかし、若い男性は少し浮き上がると指示を聞かず足を曲げるので、浮上できず、ひどい場合尻餅をついていました。いい格好をしようとするからのようです。小さな女の子が飛ぼうとしているのでたずねると小学校2年生でした。しばらく指導員にお尻を支えてもらいながら走ると、見事に浮上し、一番遠くまで飛んで上手に着地していました。
 2時間ほど歩き回って下ってくると、妻がレジ袋いっぱい土筆を収穫していました。帰りの9号線は八鹿のトンネルを抜けたあたりから渋滞していました。仕方なく、円山川沿いの県道へ回避すると、はじめ順調に走りましたが、和田山が近づくにつれてほとんど動かないほどの渋滞になってしまいました。312号線の和田山交差点から先が大渋滞しているのが原因でした。
 そこで、少し遠回りになりましたが、9号線を山東町まで走り、遠阪峠を越えて青垣・多可町、加西、加古川、稲美町経由で帰りました。おかげで渋滞にも遭わずすいすいと走り、早く帰り着くことができました。
 鉢伏高原は空気も景色も素晴らしく、来ている人もみんなのんびりと過ごしていました。和田山や八鹿を通過するとき、気温は30度と表示されていただけに、高原はいっそう気持ちよく感じました。帰って土筆の処理をしましたが、太っているだけに固く、胞子の部分とその下の節までを食べました。柔らかくとても美味でした。

  
多々良木ダムのインフィオラータ        残雪の氷ノ山            鉢伏高原の雪渓
  
雪渓そばのワラビ                 小学2年生のパラグライダー          満開の桜と氷ノ山


5月2日 草花のプレゼント
 小学生の登下校を見守るボランティアを、明石市ではスクールガードといいます。私は都合のつく日だけ家のそばの信号に立っています。決まった服装をしているので、子ども達は安心して話しかけてきます。その中で、3年生くらいの二人ずれの女の子が何時も手に草花をもっています。そして私の姿を見つけると「あげよう」ともってきてくれます。昨日はタンポポの花でした。
 先日四つ葉ならぬ五つ葉のクローバーをくれました。私がその葉っぱを手に持っていると、後からやってきた男の子が「五つ葉のクローバーは不幸になるんやで」といい、さらに後から来た子どもは「五つ葉もっとったら死ぬんや」といいます。私にとって初めて見る五つ葉のクローバーでしたが、子ども達の博学(?)に感心してしまいます。
 帰って家族にその話をすると、「早く捨ててしまいなさい」といったので笑ってしまいました。


4月30日 昭和天皇の辞世の歌
 「サライ」という雑誌で、昭和天皇が輸血を繰り返しながら病床で伏せっておられる中、歌会始の歌を気にしておられたという記事を読みました。皇室の和歌について指導にあたっておられた方のお話で、昭和天皇は御題についていつも何首か歌を準備されて推敲されるということでした。この年も侍従長を通じて届けられた歌を推敲され、最終的に発表された歌が次の一首でした。
 『身はいかになるともいくさとどめけり ただたふれゆく民をおもひて』
 昨日のNHK「昭和最後の日特集」の放送で、いろいろな人が昭和天皇に対する考えを述べていましたが、天皇ご自身は戦争について亡くなるまで胸を痛めておられたということが伺える一首だと思いました。


4月27日 孫たちからメール
 今日は私の71回目の誕生日でした。そんなこととは関係なく、朝から市民会館へ行き、ピアノコンサートのチケットを買い求めました。演奏者の迫昭嘉氏は今年12月14日の第九演奏会の指揮者です。そんな訳でチケットが割引で買えるという特典があるのです。彼の音楽性を少しでも知っておく上で貴重な機会だと思っています。そのあと図書館へ行き、借りた本の更新をしました。返済期限までに読み切れなかったからです。
 そこから満開のシャクナゲ公園へ向けてドライブに出掛けました。昨日は神崎町の犬寺までドライブしました。このお寺は朝廷や幕府の庇護があったため辺境の地にあってとても立派なお寺でした。今日もお天気がよく快適だったので、もう少し足を伸ばすことにしたのです。しかし、目的地があまりにも遠く、夕方までに到着しそうにないので、計画を変更しました。そこで千種町の道の駅に寄り、千種から峠を越えて波賀町へ、国道29号線を帰りました。昨日ガソリンを入れたところ、プリペイドカードで119円/gと驚くほど安くなっていました。そこで今日も帰りに入れました。道が空いている田舎ばかり走ったからか、230q走ったのに9.7g入れると満タンになりました。スバルの軽自動車の無段変速は燃費がよいということを改めて立証しました。
 食後パソコンを覗くと孫たち3人から誕生祝いのメールがとどいていました。上二人は今春から大学生、下は高校生になりました。それぞれに近況が添えてあり、心が温まりました。3人とも有意義な学生生活になることを祈っています。


4月23日 鳥取でグラウンドゴルフ親睦会
 昨年同様、鳥取・ハワイ温泉の千年亭で西江井友愛クラブ・グラウンドゴルフ部の親睦会がありました。参加者21人が朝8時前に送迎バスで出発し、10時30分には千年亭に到着しました。
 昼食をすませた後、泊球技場でプレイを3ゲームしました。芝生でこぶや傾斜が多いのでなかなか思うように打つことができません。24ホールでトータルスコア72打、21人中7位でした。5位までが入賞で賞品が出ます。
 夜はカラオケなど楽しく宴会をしました。朝が早かったので、夜は9時半頃には眠ってしまいました。しかし、花粉症のためか昼間はくしゃみや鼻水がよく出たため、鼻がつまると自分のいびきが大きくなるので、何度も目が覚めました。まわりに気を使うこともあったのです。翌朝は5時過ぎに起きました。
 7時から朝食、8時にホテルを出発し、この日は40分ほどバスに乗って白兎球技場へ行きました。こちらはドッグレックがあるなど、ミニゴルフ場のようなコースが二つあります。その二つのコースを25,23打で何とか我慢のプレイをすることができました。そして3つ目のコースは多少傾斜がありましたが比較的平坦なコースでした。おかげで1ホールだけ4打しましたが、後の7ホールは2打でまわり、スコア18でした。この日のトータルは66打で2位、二日間トータルスコア138で5位に入賞し賞品がもらえました。
 二日間同じメンバー5人で、打順を固定したこと、そしてトップを打った人がゴルフ歴が長く、コースを読んで打ち方を示してくれたのでよい成績につながったのだと思います。帰りに再び千年亭に戻って昼食を摂り、表彰式をして帰路につきました。5位の賞品の中身は、そーめんや出汁の素などが入っていました。

4月21日 カラオケ
 今日は女性のカラオケ部の活動日です。女性達のグループでは、前回から新しいDVD再生用の機器を買って使って練習しています。値段の割に機能が沢山あります。私が操作するのですが、なかなか使いこなせません。
 それでもおまけに付けられたDVDソフトが100曲もあり、昨夜の男性のカラオケグループの例会ではうんと盛り上がりました。普段あまり歌わない人も、懐かしの曲を見つけて歌いました。その手軽さとソフトの魅力に惹かれ、同じ機械を買おうかという人まで現れました。ただ、これまで沢山ためているCD-Gのソフトが使えないことを残念がっていました。両方のソフトに加えカセットテープも使える機器は男性が今使っている7〜8万円もする機器が必要なようです。


4月19日 兵庫県知事にばったり
 午後から誘われて、神戸大丸ミュージアムで開かれている生け花展へ行きました。会場に入った途端、前を歩いていた妻が誰かに頭を下げています。そちらを見るとにこにこと笑顔の井戸県知事でした。妻はとっさに知っている人だとあいさつしたそうで、あいさつをしてから知事だと気づいたようです。つられて私も会釈しました。知事も優しい笑顔で返礼して下さいました。会場の入り口近くに背広姿の男性が何人もいて、生け花展にしては不自然な感じだったのですが、知事が来ておられるので納得しました。
 これがもし宮崎県だったら、まわりの人々はもっと大騒ぎしていただろうなと思いました。しかし、兵庫県では一緒に写真を撮っていた出品者もいましたが、多くの人は関心を示す様子はほとんどありませんでした。
 会場の中程で再び出くわしました。その時は気づかずに知事の前で見ていて邪魔をしてしまいました。わびると「よろしいですよ」と声をかけて下さいました。
いきいき仕事塾の修了式で答辞を読んだとき、温かい手で握手してもらいましたが、何時も、誰にでも優しい人柄だなと思います。

4月15日 国営明石海峡公園のチューリップ
 快晴の陽気だったので、午後からたこフェリーで淡路島に渡りました。先日グループいきいきネットの例会で明石海峡公園へボランティアに行っておられるメンバーからチューリップが見頃だと聞いていました。
 ゲートを入るといきなり大きな木靴のオブジェがあり、子ども連れの人が木靴の中に入って記念撮影をしていました。チューリップがいたるところで咲き誇っていましたが、ポプラの丘と呼ばれているところのチューリップがもっとも見頃でした。遠くから眺めているとパッチワークのような彩りで、長時間、北側の高台から、そして南側の池越しに美しい景色を眺めていました。フラワーセンターのチューリップもきれいですが、明石海峡公園は規模が大きく、高さに変化があるので本当に素晴らしい眺めです。
 火の鳥も花をうまく使ってきれいにデザインされていて見事でした。沢山の費用をかけて作られていると思いますが、公園の入場だけなら400円と手頃なのですから、もっと沢山の人に楽しんでもらえればいいなと思いました。

  
たこフェリー乗り場         大きな木靴のオブジェ       高台から見たポプラの丘
  
尾羽を広げた火の鳥        火の鳥の前側                  池越しに見あげたポプラの丘


4月13日 太寺山高家寺で写経
 このところ家で写経をする日が少なくなってきました。そんなとき、以前グループで写経をさせていただいた明石・太寺山高家寺から写経会の案内が来ました。午後から出掛けていくと、グループのメンバーもひとり来ていました。天台宗のお経を唱えた後写経をしました。
 歩き遍路を始めたとき、真言宗のお経がなかなか読めませんでしたが、やはり天台宗のお経も初めてなのでみんなと一緒に読むことができませんでした。お経を上げてから墨をすり始めるのですが、初めのうちは墨がスムーズに動かず、私ひとり墨だらけの黒い手になってしまいました。
 写経は家で書いていたので、みんなからそんなに遅れずに書き上げることができました。家では普通の小筆で書いていましたが、写経用の筆はうんと細いのに驚きました。たっぷり墨を付けて書かなければ直ぐにかすれてしまいます。
 書き上げた写経を焼香の煙にかざし、1000円のお布施と一緒に御供えします。その時にお線香を一箱お供養にいただきました。そのあと住職がお釈迦様のふるさとネパールを訪れたときの感動を話して下さいました。それから木魚を叩きながら般若心経を3回唱え、薬師如来の真言を繰り返し唱えました。薬師如来の真言はお遍路でもよく唱えるのでみんなと一緒にいうことができました。
 そのあとは写経の道具や机をみんなで片づけ、輪になって座り、お茶を飲みながらしばらくお話をしました。今回の参加者は8名でした。私のところにも案内がくるくらいだから大勢来られるのかと心配しましたが、少人数でちょっと安心しました。写経をしているととても穏やかな気持ちになるので、日程が重ならなければ、できるかぎり毎月参加したいなと思いました。


4月11日 悪天候と予定変更
 昨日(10日)は明石市連合高年クラブ主催のグラウンドゴルフ大会が開かれる予定でした。しかし前日から激しい雨が降るという予報で、早々と中止決定の連絡がありました。
 そこで、欠席する予定だった「グループいきいきネット」の4月例会に出席しました。大阪城界隈で桜見物をすることになっていました。90%の降雨確率といわれていたのに、傘をさしたのは大阪城の天守閣に登る直前の5分ほどで、昼食も屋外のベンチで食べることができました。昨年も朝から降っていた雨が現地に着くとすっかり晴れていたということがありました。このグループは何時も天候に恵まれています。
 そして、昨日グラウンドゴルフ大会が中止になったことから、今日は地域のグラウンドゴルフをしました。雨上がりでグラウンドの一部がぬかるんでいたので、その部分を避けて何時もと少し違えてコースを設定しました。ホールインワンは今月に入ってまだありませんが、3ゲームトータル61打とまずまずの成績で終えました。
 今大会に向けて、打順のローテーションを実施していますが、まだみんなしっくりいかないようで、とまどいが見られます。私の場合、初めてローテーションを取り入れたときに記録係があたり、グラウンドゴルフ指導者資格認定を受けた方から記録や打順を間違えないようにと細かく指導を受けていたおかげで、特にとまどわなくて済みました。高齢者になるほど、いろいろな人の助言を素直に受けることが大切だと思いました。


4月6日 桜
 近隣の桜が満開だと聞いたので、花見に出掛けることにしました。といっても、日曜日の昼間はどこも大変な人出が予想されるので、午後4時を過ぎ、みんなが帰路についた頃を見計らって家を出ました。石が谷公園へ向かったのですが、驚いたことに手前から公園へ向かう車でまだ大渋滞、何時駐車場に入れのるかわからないので、Uターンして石が谷墓園へ行きました。こちらは広い敷地で、駐車場というものがありません。みんな思い思いのところに車を止めてぶらぶらと花を見ながら歩いています。私は親戚のお墓の近くに車を止めて、お参りをしておいてから花を見ながら園内を歩きました。どの木も満開でした。それほど古い墓園ではありませんが、30年以上経った桜の木は幹も太くなり、見事な花を咲かせていました。

  

4月5日 伏見稲荷参拝と大蔵記念館・十石船
 地域の稲荷講で伏見稲荷の参拝に出掛けました。地元を8時出発予定でしたが、参加者25人はほとんど高齢者で5分前には出発、以後、集合時間もこの調子だったので実にスムーズに旅程をこなしました。
 桜は満開、土曜日で明日から雨天の予報、京都という観光シーズンのピークを迎える目的地、ガソリンが値下げされた上、春休み最後の連休とこれ以上混雑する条件はないという日のバス旅行なので、渋滞を覚悟していました。ところが、北神戸線、満開の万博公園の桜を見ながら中国道から吹田、そして京都南IC、国道1号線を予定よりも早く通過、無事伏見稲荷の駐車場に到着しました。バスの出発まで2時間ほどあったので、本殿をみんなで参拝した後、奥の院から初めて千本鳥居から三の峰までひとりで登りました。外国人観光客が沢山来ているのには少し驚きました。山上では狐ではなく沢山の猫が出迎えてくれました。山上から京都市内の景色を見るのも初めてでした。絶好のお天気だったので、一気に登ると少し汗をかきました。登ってきた鳥居の道は混むので、帰りは鳥居のない道を下りました。桜があちこちで美しく咲いており、いろいろな特徴のあるお宮が並んでいて楽しく下ることができました。山門で同行の人たちに出会い、一緒に雀の焼き鳥の様子などを見ながらバスに戻りました。
 そこから少しだけバスに乗り、「月桂冠」の蔵元・大蔵酒造蔵跡の大蔵記念館へ行き、そこで蔵人の説明を聞き、お酒の試飲をした後、やはり蔵跡を改装した食事処「月の蔵人」で食事をしました。いかにも京料理という美しくおいしい料理でした。
 そのあと大蔵記念館のそばの十石船乗り場から乗船し、寺田屋の前を通り、豪川を下って伏見港広場で下船しました。水門の塔に上がって景色を楽しみました。足下には満開の桜、遙か向こうには伏見城がくっきり見えていました。10倍の望遠をつかって撮すと何とか映っていました。15分後に再び船に乗って戻ってきました。船に乗るとき、またバスに乗るときにそれぞれカップ酒をもらいましたが、お酒を飲む余裕はありませんでした。帰りに桂川パーキングで買い物をし、藤山寛美の舞台のビデオを楽しく見ながら6時前に無事帰ってきました。二人の幹事さんにすっかりお世話になりましたが、年配のバスガイドもユーモアがあり、バスガイドも驚くほど渋滞にもあうことなく、天候にも恵まれてとても良い旅でした。

   
伏見稲荷            千本鳥居             山からの景色          伏見の桜
    
伏見駅近くの桜         大蔵記念館           十石船と桜            伏見城


3月29日 青春18切符で名古屋へ
 明石7時49分発の新快速に乗り、米原で豊橋行きの新快速電車に乗って名古屋へ行きました。11時10分に到着しました。名古屋駅に降りたつことがないので、どの改札口から出ればいいのかわからず、駅員さんに目的地の地図を見せて尋ねました。インターネットの地図を頼りに歩きましたが、何となく不安でした。ところが、途中から歩道に目的地が矢印で書かれているのを見つけ、安心しました。食事を先にしようということになったのですが、休日のオフィス街の大通りには適当なレストランなど見つかりません。しばらく歩いていると、古びた木造の食道に「ウナギ料理」と書かれた幟がはためいているのを見つけました。ビルが建ち並ぶところで昔ながらにウナギ料理を続けているのは、きっとおいしいからだろうということで入り、一番値の高い2200円の「ウナギ定食」を注文しました。ひとりウナギ1匹の蒲焼きと肝の入ったおすましなどでしたが、炭火で焼いたとてもおいしいウナギと、女将さん(結構年を取っておられました)の気さくな応対にすっかり和やかな気持ちになり、ご飯の量も多く、満腹になりました。こんな店なので、土曜日はお客が少ないと言っておられましたが、次々と客がやってきていました。
 12時40分、目的地のトヨタテクノミュージアム「産業技術記念館」に到着しました。「65歳以上の方は証明になるものをご提示下さい」と書かれていたので、明石市の高年手帳を見せると無料入場券をくれました。そこには日付、時間が書かれていました。入場すると、小学校時代に習った豊田自動織機の歴史が展示されていました。そしてコンパニオンの説明を聞いていると、次々係の人が私達のために歴史と技術の発達を実際に機械を動かしながら説明してくれました。最後にはコンピューターを使ってもようを織り上げていく機械の実演があり、感動しました。親切に綿の種も下さいました。これを育ててみたいと思っています。そのあと車の部品を型を使ってプレス機で作る実演、そして車の歴史やハイブリット車のプリウスの説明などが展示されていましたが、あまりにも専門的でマニアでなければ面白味に欠ける感じでした。最後に愛地球博で実演していたトランペットを吹くロボットの実演と江戸時代のからくりの実演を見て喫茶で一服した後、記念館を後にしました。帰りは名鉄「栄生駅」から一駅乗って名古屋駅に戻ってきました。列車に乗る前に名古屋名物きしめんを食べようといっていたのですが、お昼のウナギ料理と帰りに飲んだカフェオーレがこたえて食欲がわかず、お土産を買って予定より1時間早い17時30発の米原行き新快速に乗りました。混んでいましたが、偶然座ることができました。米原では電車が来ており、どっと乗り換えたので何とか座れましたが座れなかった人も沢山いました。山科あたりからは満員で、京都や大阪、三ノ宮など大きな駅でもほとんど席を立つ人はなく、土曜日でみんな青春切符を使って遠くまで行っているのがわかりました。夜9時前に明石へ帰ってきました。往復ともほとんど座っていたので、楽に行くことができましたが、さすがに帰りはよく眠りました

   
名古屋のマンホール         歩道の案内図    機械の実演
   
車の歴史と展示                                   愛地球博で展示された車とロボット


3月25日 高齢者放送大学修了証書授与式・表彰式
 いなみ野学園講堂で上記の式があり出席しました。本科生を修了された方(18回の課題番組に10回以上の感想文を提出された方)は250人おられました。10回以上提出された中で、18回すべてに感想文を提出された方が52人もおられ、16〜18回提出された方が修了者の半数を占めています。皆さん本当に熱心だと思います。また修了生が引き続き番組を聞く場合は聴講生になるのですが、17番組中11回以上感想文を提出すると努力賞が贈られます。今年度努力賞を受賞された方が1614人もあられました。その中には101歳の方もおられます。自分がもしその年齢まで生きていたとして、放送を聞いて感想文が書けるかといわれれば全く自信がありません。今でも認知症の兆候が多く現れているのですから…… 本科生と聴講生を会わせて700人以上の方が式に出席しておられました。
 式の後祝賀パーティーが大教室で開かれました。各地域で組織されているグループごとにいろいろな演芸をされ、単に放送を聞いて勉強するだけでなく、仲間づくりをしながら放送大学をより有効に活用されていることが伺えました。また、支部の集まりでは、自分の感想文に対して講師からもらった返信を読み上げることもあるとお聞きし、同じ地域の人に同じような返信がかけないことがわかりました。講師を続けることにますます自信がなくなってきました。
 パーティーはお酒抜きだったので、早い時間に終了しました。お天気も良く、帰宅後近所の田んぼに土筆取りに出掛けました。犬の散歩コースや農薬・除草剤が撒かれていると思われるところを避けて探しました。もう時期が遅いので期待していなかったのですが、北西の斜面で群生地を発見し、2時間ほどかけて沢山採って帰りました。それでも但馬へ出掛けて採るときの量の半分ほどで、日付が変わるまでに土筆のはかま取りは終わりました。まだ頭を出したばかりの土筆も沢山あったので、2〜3日後にもう一度覗いてみようかと思っています。

 

3月22日 駐車場一斉清掃
 20日〜21日に歩き遍路に行きました。1日目は標高924メートルの雲辺寺山のほぼ頂上に建つ雲辺寺にお参りしました。丁度六甲山越えをする状況で、特に長い下り坂のために足ががくがくになりました。二日目は香川県三豊市から観音寺市を抜け、三豊市まで24qあまり、4万歩以上に道のりを歩きました。特に最後の上り坂がこたえ、太ももとすねの裏側の筋がすっかり痛くなりました。特に足を曲げたり階段を下ったりするのが困難なくらいでした。翌日は校区連合老人クラブの一斉清掃で、江井ヶ島海岸の駐車場の草ひきの予定が入っていました。風呂でよく揉んで、湿布薬を貼ってねました。
 今朝起きてみるとそれほど痛みが残っていないのでホッとしました。8時から10時頃までしゃがんで草ひきをしましたが特に支障はありませんでした。歩き慣れない頃は翌日は何もできませんでしたが、自分でもたいしたものだと思いました。ただ足を使うことには慣れましたが、腕に力を入れ続けることはあまりないので、草ひきの疲れらしく肩胛骨あたりの筋に痛みが残りました。


3月17日 三木山森林公園
 昨夜は男性カラオケグループの懇親会付の例会がありました。歌うより一杯飲みながら政治の話、社会の話、自治会の話など3時間以上しゃべっていました。そのあと折角だからと2曲ずつ歌いました。私は「金沢の雨」と「ひとり薩摩路」を歌いました。いずれも女性のカラオケグループで練習した曲です。
 今朝は、昨夜のお酒も残ることなくグラウンドゴルフをしました。今日もホールインワン2回で、21,12,19でトータル52と前回に続いて良い成績でした。今日の1位は50だったので2位でした。
 午後から三木山森林公園へウォークに出掛けました。木曜日の歩き遍路が雲辺寺の参拝で、標高900メートルあまりの山上にあります。丁度六甲山越えをするほどの道のりを歩くことになるのです。そこで手近な山歩きをしようと思い三木山に出掛けた訳です。少々息が切れましたが、ペースが遅かったので、さして疲れませんでした。運動不足気味なので当日は少々不安です。


3月15日 墓参りの後フラワーセンターへ
 従兄弟を誘って実家の墓参りに行きました。そのあと、駐車券付の招待券があったので加西市のフラワーセンターへ行きました。快晴で暖かいお天気だったので、訪れている人も沢山いました。お昼だったので先ずレストランに入り、花びらで飾られた花籠御膳をご馳走になりました。何時も平日に行くので我々以外にほとんど客はいないのですが、今日は土曜日だということもあってそれなりにお客が入っていました。
 直植のチューリップはほとんど咲いていませんでしたが、温室の中は見事でした。オランダの民族衣装を貸し出しているらしく、そのような服装の家族連れに何組も出会いました。小さな子ども連れの若いお母さんが着ていると、結構似合っていました。梅の花は見頃でした。
 
 

3月14日 寿乗車券
 明石市から初めて寿乗車券をいただきました。70歳以上の高齢者に5000円分の乗車券またはバスの半額優待券を個々の事情に応じて選択することになります。私は山陽電車の乗車カード5000円分を選択しました。6月から第九の合唱団の練習に参加するつもりなので、往きは健康のため大久保まで歩いてJRにのり、帰りは夜遅くなるので山陽電車に乗ることにし、その時に使おうと思っています。高齢者の社会参加を支援するのを目的に支給するという趣旨に添うからです。
 支給会場の江井ヶ島中学校コミセンには大勢の高齢者が受け取りに来ていました。超高齢社会ということを実感しました。こんなに大勢の高齢者が受け取るとなると多くの税金が必要です。中には寝たきりの人の分も受け取り、他の人が使うという話も聞きます。そのような使わない人、使えない人は返納すべきだと思います。そうしたモラルが守れないのならばこの制度は残念ですが廃止すべきでしょう。


3月13日 グラウンドゴルフ自己最高スコア更新
 今週はグラウンド整備の当番で、今日も朝7時20分からローラーをかけたりしました。そのあと少しスクラッチ運動をして試合に臨みました。記録係もあたり、チームの一番後から打ったのが良かったのか、第一ゲームで何時も入らないホール2つでホールインワンが決まり、スコア12という自己新記録で回りました。2ゲーム目は20、3ゲーム目は19と何時もどおりでしたが、トータルスコア51とこれまでの自己最高スコア53を2打縮めることができました。しかし、今日の優勝スコアはホールインワン3本決めた会長のトータルスコア48、2位が50で、私は3位でした。グラウンド整備の状況がうまくいったのでホールインワンも19本出ており、良いスコアの人が多かったようです。


3月12日 花粉症始まる
 昨日から天候がよくなり、気温も上昇しました。そして杉花粉の飛散が激しくなったようです。
 昨日はグラウンドゴルフの当番だったので、朝7時20分からグラウンド整備をしました。この時点ではまだ杉花粉は感じませんでした。午後から下校する子ども達の見守りをしていると鼻水やくしゃみが出始めました。そして夜にはティッシュペーパーが手放せなくなりました。布団に入ってからも鼻がつまって鬱陶しい夜になりました。
 今朝も快晴で、朝からくしゃみが出、鼻水を何度もかむため、鼻のまわりが痛くなってきました。夜写経をしていると半紙に鼻水が落ちるなど、うっかりしていると鼻水がぽたぽたと落ちてしまいます。この様な状況がいつまで続くのか憂鬱になります。


3月10日 地元の総会2つ
 昨日は地元老人クラブの総会がありました。朝早くから会場へ行って先ずカラオケの準備をしました。20インチのブラウン管テレビなどを2階へ運ぶのは大変でした。11時からの総会では議題の審議が行われました。私は会計を担当しているので、会計報告をしました。議題については特に異議や意見もなく、スムーズに終了しました。第二部は懇親会で、これまで役員は前のひな壇で食べることが多かったのですが、これでは皆さんとおしゃべりしたり会員の声が聞けないので、みんなの中に席を作って一緒に食べたり飲んだりしました。おかげでずいぶん飲んでしまいました。後半はカラオケ大会でした。前もって曲目を聞いている人から歌い始めました。普段カラオケクラブで歌っている人はひとこと声をかけると直ぐに曲目が決まり、素晴らしい歌を聴かせて下さいました。最後に私にも歌うようにいわれたので、いろいろな会で歌っていると聞いている「千の風になって」をみんなで歌い、お開きにしました。
 今日は老人クラブのスポーツ部の一つであるグラウンドゴルフ部の総会がありました。新役員の選任、会計報告、グラウンドの管理委託の件、親睦旅行などが話し合われました。現会長の絶大な信頼に、役員は全員留任になり、こちらもスムーズにすべて承認されました。後半は昨日の総会の残りのつまみなどもあり、お寿司のお弁当で多いに盛り上がりました。最後に会長から元気になるためには運動プラス大きな声を出すことだということで、グラウンドゴルフ部のメンバーによる「ゴーゴーカラオケ部」を発足することで話がまとまり、発会式や練習日も決定しました。ところがカラオケの機器について自治会館の憩いの家として登録されていると思っていた備品が、愛好家がお金を出し合って買ったもので、全員の了解を得ていないという意見が出て紛糾し、「そんなカラオケやめや」というひとりの言葉で、折角盛り上がっていた雰囲気がしぼんでしまいました。提案された会長も困ってしまわれ、この話はなかったことにという結論を下されました。このことが同じ機器を使っている他のカラオケ部に影響しなければいいのですが…… 私のように古くからのいきさつがわからないものにとってはどのように考えていいのか困ってしまいます。私達の老人クラブは「友愛クラブ」と呼んでいるので、お互いの気持ちを尊重してもっと前向きに仲良くできればいいなと思うだけでした。


3月8日 桂吉弥(徒然亭草原)の生落語「ちりとてちん」
 兵庫県公館で伝統文化体験フェアがありました。特別ゲストとして桂吉弥さんが「落語の魅力〜解説とお話」というテーマで落語のお話と「ちりとてちん」を一席語られました。同じ大学出身だということがわかり、震災のときも在学中で、ボランティアとして走り回った話もされたので、とても親しみを感じました。「ちりとてちん」は、徒然亭若狭の話でみんな話の筋は知っていましたが、改めて聞くととてもおもしろい落語でした。解説ではなされたことを意識しながら落語を聞いていると、なおさらおもしろく思いました。
 体験フェアということで、日本舞踊の扇の使い方の解説と扇を使った舞の実演があったり、川柳体験では実際に投句をして、初歩的な解説がありました。「鉛筆」という兼題が出て、私は「鉛筆をなめなめ一句ひねり出す」などとつまらぬ句を投句しました。「鉛筆で試しに遺書を書いてみる」など、素晴らしい句もありました。
 落語の会場では、「いなみ野学園さわやか16」のメンバー二人と、また1年だけ一緒に勤めた同僚に出会いました。私も含めて桂吉弥の落語が目当てだったようです。私は今回の主催者「兵庫県芸術文化協会」に会員登録しており、「伝統芸能講座」を受講しているので、この様なイベントの案内をいただいていたので参加できました。


3月6日 地域の子ども達との交流
 昨日小学生の下校の見守り活動を家のそばでしていると、3年生くらいの男の子がトイレがしたいと訴えてきました。「おじちゃんの家でトイレを使うか」と尋ねると、「ウン」というので、家につれて入り、トイレに案内してやりました。丁度家では妻がイカナゴのくぎ煮を炊きあげたところでした。トイレから出てきた少年は「良い匂いやね」というので、妻がひとつまみ口に入れてやりました。「おいしいね」と泣かせることを言います。二口目は遠慮して「ありがとう」と言って帰っていきました。とても素直な良い子でした。
 そして、今日はいきいきネットの集まりに行くため、大久保へ向かってとなり村を歩いていると、3〜4歳も男の子が「おはよう」と言って握手を求めてきました。手を握ってやると「どこへ行くの」と尋ねてきます。「石が谷公園へ行くの」と答えながら別れました。そのあと私を見送りながら、何度も「バイバイ」と言いながら手を振ってくれました。
 二人ともお互いに知らない子ども達ですが、昨日の少年は、私がスクールガードの服装をしていたので安心感があったのでしょう。今日の人なつこい幼児はひょっとしたら兄弟の幼稚園の送り迎えでスクールガードの私を見かけていたのかもしれません。最近は知らない人に声をかけたりしないし、声をかけられても無視するようにと育てられている子ども達が当たり前になっていて、知らない子どもとの交流がほとんどなくなっています。だから、この様に2日も続けて地域の子ども達と素直な心で交流ができたことに嬉しさを覚えました。


3月3日 写経続いています
 2月10日に始めた写経ですが、私には珍しく続いています。特別用事があったり、夜遅くなった日、そして宿泊で出掛けた日以外は毎夕食後、後かたづけが済めば食卓で椅子に座って写経をしています。長く正座をしていると膝が痛くなり、歩き遍路に差し支えるからです。それにしても何をさせても三日坊主の私ですが、一つのことをこんなに続けるのは初めてかもしれません。
 はじめはお遍路の経本を見ながら般若心経を書いていましたが、母の写経を台紙にして書いてみると、文字の配置がすっきりしました。ところが一昨日母の写経の台紙が見つかり、今はその台紙の上で書いています。見て書くのと違ってずいぶん時間短縮できました。ただし機械的に手を動かすようになり、般若心経の言葉の意味を考えなくなってしまいます。ある程度かけるようになれば、また経本を見ながら書きたいと思います。


2月28〜29日 カラオケ仲間と一泊旅行
 私達の地域の自治会館は高齢者憩いの家として活用されています。そこに男女3つのカラオケグループがあり、私はその内の二つに関わっています。この三つのカラオケグループの交流を兼ねて相生の万葉岬に建つホテル(旧国民宿舎相生荘)へ12名で一泊旅行に出掛けました。昼過ぎにたこバス(コミュニティバス)のバス停に集まり、魚住駅からJRを乗り継ぎ、相生駅まで行きました。そこからはホテルの送迎バスで4時前に到着しました。
 相生荘の頃とは見違えるたたずまいに先ず感動しました。相生湾が一望の見晴らしの良い部屋でお茶菓子を食べながら一服したあと、風呂に入りました。大きなガラス窓の外は瀬戸内海が見渡せます。露天風呂は桧の柔らかさが感じられ、さらに感動しました。
 5時半から宴会場で食事をしました。2時間飲み放題ということもあって、男性陣の飲むピッチはとても早かったようです。刺身や牡蛎料理など季節の新鮮な魚介類にまたまた感動、お腹の方がちょっと落ち着いたところで、女性の方から順にカラオケを歌いました。私は希望曲を聞いてまわり、機械にインプットすることに専念しました。さすがカラオケグループだけあって、とぎれることなく歌が続きました。女性は飲まないのでひとり2〜3曲、男声は1〜2曲歌いました。私にも歌うようにいわれ、美空ひばりの「津軽のふるさと」を歌いました。ちょっと格好良く歌ったため、折角盛り上がった雰囲気が一瞬しらけてしまいました。やっぱり宴会の席ではテンポのよい歌をうたわねばならないと反省しました。2時間のアルコールオーダーが終わり、あと30分は歌い続けましたが、それでは物足りないようで、15分だけ延長してもらいました。せめて1時間くらい延長してくれれば、みんな満足しただろうと思い、この点だけがこの施設の欠点でした。
 部屋でしばらくおしゃべりをして、10時から2度目の風呂に入り床につきました。床の中でもしばらくおしゃべりをしていましたが、いつの間にか眠ってしまいました。
 翌朝は8時半に朝食といっていたので、ゆっくり眠るつもりでしたが、6時過ぎには目が覚め、朝風呂に入りました。朝食まで男性陣は部屋で缶ビールを飲みながらおしゃべりをしていました。朝食も景色を見ながらのステキなものでした。
 10時発のバスでJR相生駅まで送ってもらい、JR大久保駅まで戻り、昼食をするという女性陣と別れ、男性はたこバスでお昼に帰ってきました。
 男性、女性両方のグループとも、またこの様な機会をもちたいと口にしていました。年2回やろうという話も出ていました。宿泊料金は12000円で、交通費を合わせても14000円でした。年金生活者の贅沢としては手頃な金額なのかもしれません。


2月26日 10年ぶりの学校給食
 私の住んでいる校区の小学校には「スクールガード」という地域住民の見守り組織があります。自主的に申し出た地域住民に帽子とヤッケが支給されます(ヤッケは地域防犯組織のもの)。私は下校時間に在宅しているときだけ家のそばの交差点に立ちます。
 その「スクールガードお礼の会」が小学校でありました。私は他の人のように何時も立っているのではないので遠慮したのですが、欠席者もあるので頭数を確保するためにというおすすめもあって参加しました。25〜6名のメンバーが集まり、低学年の教室に2名ずつ招かれて給食を一緒に食べました。私は1年3組の教室で食べました。学校給食は10年ぶりでしたが、とても美味しい給食でした。ただ、子ども達に比べおかずがたくさん入れてあるので、ちょっと心苦しく思いました。ただし、子ども達は早く食べた者からお代わりをしていたので、結構たくさん食べている子どももいました。私は食べるのが遅い方なので、お代わりをしても私より早く食べ終わる子どもがたくさんいました。一年生はとてもにぎやかで、一つの話題が出ると、もうそのことでそれぞれが甲高い声で思い思いにしゃべっていました。
 給食後は体育館の前にずらりと並んで座り、校長先生が撮影されたスクールガードの様子を全校児童と一緒に見ました。その後舞台の上で準備された座席にすわりました。1200人の児童を代表して、6年生の児童がお礼の言葉を述べてくれました。そして一人ひとりに礼状を手渡してくれました。私のもらった手紙には次のように書かれていました。
「暑い日も寒い日も、毎日毎日お忙しいのに私達を見守ってくださってありがとうございます。立っているだけでなく、あいさつをしてくれたり、話しかけたりくれたときは、とても嬉しかったです。スクールガードさんのおかげで私達は楽しく登下校できました。これからも江井島小学校の児童が安心して登下校できるように、スクールガードを続けてください。6年2組」その後に5名の名前が書かれていました。とてもきれいな字で書かれているので、返事を書こうかどうしようか迷ってしまいます。
 帰宅後、下校時間にいつもの交差点に立ちました。低学年の子ども達に「今日の給食美味しかったね」と声をかけると、何時もと違ってたくさん話しかけてきました。中には「このおっちゃん見た見た」という子もいました。子ども達と私の距離が近くなった感じでした。
 


2月18日 確定申告を訂正
 朝からグラウンドゴルフがありました。今朝は第一打と最終近くにホールインワンに恵まれ、トータル56で4位でした。20名でホールインワン19本と寒い割にはたくさんでました。
その後確定申告で医療費の控除を忘れていたので、計算し直しました。結果は医療費118,800円で、950円ほど還元金額が増えました。明日提出する予定です。
 午後からは、女性のカラオケグループで、「恋瀬川」(中村美津子)と「浮世草」(市川由紀乃)を練習しました。どちらも初めて聴く歌で、その場でもきちんと歌えなかったくらいですから、帰って歌おうと思いましたが、全くメロディーが思い出せませんでした。こんな調子ですから、レパートリーは一つも増えません。近くカラオケグループで一泊旅行に行きますが、懐かしのメロディーを歌うことになりそうです。


2月17日 伝統芸能(落語・淡路人形浄瑠璃)鑑賞
 昨夜、明石の高家寺で寄席が開かれました。先日、グループいきいきネットで写経をさせていただいたときに高家寺寄席の案内をもらっていたのです。付設の保育園の集会室には110数名の観客が集まっていました。とても寒い夜でしたが、年4回で今回は第53回ということなので、もう10年以上続いています。だから地域で定着しているのでしょう。木戸銭1000円を払ってプログラムと経本、そして福引きの番号札をもらい、用意された座布団に座って待ちます。
 先ず、お経を上げてから開演です。はじめに人丸小学校の落語クラブの児童2人が前座で小話をしてくれました。なかなか笑わせるおもしろい話でした。続いて、人丸小学校出身で、その落語クラブを指導しておられる桂阿か枝さんが「播州巡り」を、続いて桂文鹿さんが「軒付け」を、そして桂三歩さんが「宿題」、最後に露の団六さんが「阿弥陀池」を演じました。何十年ぶりかで生の落語をゆっくり聞きましたが、本当におもしろいと思いました。中でも桂三歩さんは桂三枝さんの弟子で、「ちりとてちん」の話から自分の弟子入りの頃の話をされましたが、語り口が三枝さんによく似ていて、とてもおもしろい話でした。小話くらいは私も出来たらいいなと小学生の落語を聞きながら思いました。福引きでは匂い袋が当たりました。
 そして、今日は伝統芸能教室の淡路人形浄瑠璃の鑑賞会が、県立芸術文化センター中ホールでありました。こちらも最初に三原高校の生徒が「えびす舞」を演じました。外国にまで公演に行くというだけあって、浄瑠璃、三味線、人形使いすべて生徒がしていました。十分楽しめました。続いて南淡中学校の生徒が浄瑠璃と三味線を演じました。こちらも中学生とは思えない力強い演技でした。中でも1年生は今日が初舞台だったそうですが、どの生徒が1年生かわからないほどみんな上手でした。そのあと後継者を育成している様子のビデオ、そして関係者のトークがありました。以前五色町のだんじり唄を聴きましたが、淡路はこの様に伝統文化をきちんと継承しているのをとても頼もしく思いました。
 最後に淡路人形座の「絵本太閤記 十段目尼ヶ崎の段」が上演されました。人間国宝の演技もあり、またひとりで多くの人物を謡い分ける見事な浄瑠璃も聞くことができました。雪の降る寒い一日でしたが、淡路からも沢山の方が来ておられ、会場は満席でした。


2月16日 ついにテレビを買い換え
 先日からテレビの画面が不安定で、最後まで見ることができるだろうかとハラハラしながら見ていました。だから出掛けたときにはいろいろな店に出向き、カタログをもらったり、店員にそれぞれのメーカーの特徴を聞いたりしました。そして機種をだいたい絞っていました。そんなとき、全商品10パーセント引きというダイレクトメールがとどきました。
 そこで今日から売り出しだというその店に出掛けてみました。なんと私が第一候補にあげていた機種がよそのどの店よりも、そして第2,第3候補よりも安く売っているではありませんか。あっさり買うことにしました。家に帰ると30分もしないうちに、もう商品が届きました。
 ケーブルテレビでアナログ契約をしているので、当分は新しいテレビの機能は発揮できませんが、デジタル契約をすると60パーセントほど料金が上がるので、2011年まではこのままにしておきます。
 液晶の32型ですが、120コマの倍速にしても、動く画面はブラウン管ほどきれいでないということがわかりました。今に慣れてそんなことは気にならなくなるでしょう。


2月11日 友愛クラブ例会
 祭日でしたが、いつものように朝からグラウンドゴルフがありました。今年に入ってホールインワンが続いていましたが、今日はでませんでした。それでもトータルスコアは60と前回と同じでした。
 試合がすんだ後、友愛クラブの会場準備を役員達でしました。その時に町内の60歳以上の方々に入会案内をするチラシの文面を見せていただきました。インパクトのある見出しから身近な人たちと交流することが認知症の予防に効果があることなどが話題になりました。また、老人クラブではどのようなことをしているか、どのようなメリットがあるかということがよくわかるチラシが大切だと思いました。
 午後からの例会には予想以上の42人の出席がありました。暖かかったこともあり、54人中42人と80%近い方々が来られたことになります・連絡事項の他に目の病気に関する講話を聞き、その後視覚障害者のマラソン大会のビデオで研修をしました。


2月10日 写経
 2月7日に、グループいきいきネットの2月例会で、明石市の高家寺で写経をしました。初心者が多く、明石市議会議長でもある井藤住職から写経の基本についてご指導いただいたあと、1枚ずつ写経をさせていただきました。とてもさわやかな気持ちになったので、四国歩き遍路の際納経することを思い立ち、翌8日から夕食後1枚ずつ写経をすることにしました。書道と違ってきれいな字ではなく、1字1字心を込めて書くことに努めています。だから墨をすり、母が残した極上の手漉き半紙に悪筆を気にせず書いています。今日で3日目ですが続いています。放送大学の返信を書く間は休みますが、それ以外の日は是非続けたいと思います。まだ30ヶ寺ほど残っているので、最低60枚は書き続けたいと思っています。


2月9日 芸術の冬?
 早めに昼食を済ませ、雪の中、神戸へ行きました。ひとりで神戸の街へ出掛けるのは久しぶりです。最初に大丸ミュージアムへ行き、星野道夫の写真展「星のような物語」を鑑賞しました。アラスカあたりの自然の中で動物たちの表情を見事に写していました。しかし油田が開発されたことで動物たちの住処が破壊されていくことに心を痛めていた星野さんの心境が写真にも現れており、人間の傲慢さが浮き彫りになっていました。
 次に神戸市立博物館へ行き、「浮世絵名品展」を鑑賞しました。浮世絵は小さいので人だかりがするとなかなか前へ進みません。浮世絵に添えられた解説を読んでいるので、絵の前に人が立って動かないのです。絵の間隔がもう少し開けられていれば、もう少しスムーズに流れたのかもしれません。だから、私はレシーバーを借りて少し離れた場所から解説を聞きながら鑑賞しました。
 朝から雪が降っていたにもかかわらず、どちらもたくさんの人が来ていました。帰りにせいでんへ寄って、液晶テレビについて店員から各社の製品の比較について説明してもらいました。家のテレビ画面は相変わらず不安定なので、近いうちに購入せざるを得ないと思います。それまでにいろいろと情報を集めたいと思います。
 夜は天文科学館で開催された「バレンタインコンサート」へ行きました。真っ暗なプラネタリウムで満天の星空を見ながら、まり遙の歌を鑑賞しました。済んだ美しい声は星空にぴったりでした。しかし、真っ暗な中でリクライニングシートを倒して見ているとついつい眠ってしまいそうでした。


2月8日 住民検診
 平成19年度の住民検診を受けました。昨年住民検診の胃の検査で引っかかり、胃カメラで精密検査を受けました。その結果ピロリ菌の退治をしていただき、今年度ははじめから胃カメラで検診を受けるようにいわれていました。田端胃腸病院の院長先生ご自身に胃カメラで見ていただく予約が運良く取れたので、今日受診してきました。バリュームを飲むのではなく胃カメラなのでどれほどお金がかかるのだろうかと少々心配で、余分にお金を持っていきましたが、何時もと変わらない金額でホッとしました。
 ところで、胃カメラを飲むとき、麻酔のドロッとした液体を5分間口に含んでから、ベッドでずいぶん時間が経ちました。いよいよカメラを飲むときには麻酔が覚めている感じでした。しかし、本当は1時間くらい麻酔が効いているそうで、心配は要りませんでした。幸いピロリ菌の再感染はなく安心しました。ただし、6時間経った今ものどの奥から食道にかけて違和感を感じています。


2月6日 確定申告書作成
 退職した平成10年以降、毎年確定申告書作成には頭を悩まされました。しかし、一昨年からインターネットの確定申告を使って金額を記入していくだけで提出書類が出来上がるようになりました。
 今日は放送大学関係の支払い調書が届いたので申告書をパソコンで作成しました。この他は年金だけだし、配偶者の年金などを記入し、納めた所得税の金額、介護保険、国民健康保険などの金額を記入すると、なんと今年は初めて4000円あまりの還付金が発生しました。いなみ野学園に勤務していたときは9万円前後納付しなければならず、退職後も昨年までは1万円前後納付していたのですから、いよいよ収入が減ったのか、たくさん納めすぎていたのか、70歳を過ぎると控除額が多いのかよくわかりませんが、これまでたくさん納めてきたご褒美と考えておきます。
 3月17日に川柳教室があり、明石へ出掛けるのでついでに税務署へ提出しようと思っています。
 明日、グループいきいきネットで写経をするので、今日は般若心経の教本を見ながら、鉛筆で書いてみました。見たこともない字があり、予習をしておいてよかったと思いました。下敷きに書かれた文字を上からなぞるそうですが、知らない字は書きにくいと聞いているので、教本を持って行こうと思っています。


2月5日 グループいきいきネット会員急増
 私が所属しているグループいきいきネットに新会員として今回8人の方が入会を希望されています。いずれも兵庫県の復興支援課が主催する「いきいき仕事塾」の修了者で、正式には「いきいきネットワーク59D班」といいます。県下にこの様ないきいきネットワークのグループが100以上あるのですが、私達の班を名指しでこれほど多くの方が一度に入会希望されるのは初めてです。これまでは神戸市垂水区・西区・明石市に居住する方々28人でしたが、今回加古川市や稲美町在住の方もおられます。ずいぶん大勢になったので、活動する内容の希望も多岐にわたると思います。これまでの例会以外に、場合によってグループ内で小さなグループを作って継続的な活動をすることを考えてもよいのではないかと思います。新メンバーの思いも丁寧に聞いていきたいと思います。
 もともとこのグループの始まりは仕事塾で園芸講座を学んだグループで、近場でいろいろな草花を観察しながら研修することを通して、仲間づくりと生きがいを見つけようと結成したのですが、仲間づくりに成功し、花木にこだわらず広く研修しようということになっていきました。だから次回は明石市のお寺で写経をします。真面目に園芸講座を学び、そのことを発展させようとしている新会員にとっては面食らわれていることでしょう。一応私が班長としてお世話をする立場にあるのですが、優柔不断な態度が曖昧な目的集団になってしまったのかもしれません。
 ただ、どのような活動にも楽しんで参加してくださる会員が多いので、皆さんの希望や意見を聞きながらその実現に向けてお世話させていただくやり方をしばらくは続けていきたいと思っています。

 新しい会員名簿とともに、平成19年度の活動報告を求められました。今日の午前中にホームページの「いきいきネット」のページを見ながら作成し、写真と一緒に発送しておきました。会員は女性が多く、ホームページを利用していただける方は限られています。新会員の中にインターネット利用者がおられれば、これまでの活動を見ていただこうと思っています。

2月3日 テレビがおかしい
 やっといつもの日常に戻り、朝はグラウンドゴルフ、午後からは女性のカラオケグループで機械操作をしました。
 先日寝たり起きたりしているときにテレビを見ていたら、画面の両側から黒い部分がふくれあがり、乱れて消えることがありました。しかし、その後は大丈夫だったのでよかったと思っていたら、今日は同じような症状がひっきりなしに起こるようになってしまいました。あと1年我慢しようと思っていたのですが、このままだとテレビが消えてしまわないかとイライラ、ハラハラしながら見ることになります。1999年の後期製ですから、まだ10年経っていません。最近買ったなかで一番短命のテレビかもしれません。カタログを見比べて薄型のテレビを近日中に買わなければなりません。ただ、今度はケーブルテレビの契約がデジタルになるので、料金が今までの1.6倍以上になるので、年金生活にとってはちょっと負担が重くなります。液晶にすると電気代が3分の2くらいになると良いのですが……


2月2日 越前の水仙とカニと和紙
 KCC(神戸新聞文化センター)主催のバスツアーに久しぶりに参加しました。今回は越前海岸の水仙見物とカニ1匹付の昼食、そして越前和紙の里で製品や紙漉の見学でした。
 朝8時三ノ宮出発、土曜日の朝ということで高速道路をすいすいと走り、敦賀ICから越前海岸を走って、越前岬・水仙ランドに予定どおり12時に到着しました。水仙の花は枯れている方が多いくらいでしたが、それでもたくさんの花が咲いていて、とても良い香りが漂っていました。展望台まで登って日本海と合わせて眺望を楽しみました。昼食場所へ移動するときの車窓から見る山肌は水仙が一面に咲き誇り、やはり自然の水仙の方がすばらしいと思いました。ただし、そちらへは近づけそうにはありませんでしたが……
 昼食は「腰の本陣」というレストランで舟盛りの刺身やイカの鉄板焼き、そして小ぶりのカニ1匹が付いた料理をいただきました。昼食時間は1時間だったのですが、カニの処理に手こずり、お箸を置いたときには集合7分前でした。
 今度は峠越えで越前和紙の里がある武生に向かいました。途中の高原の道路脇は雪が積もっていました。武生に着いても、正月に降ったときに雪かきをした雪が駐車場脇に残っていました。大きな駐車場では大きな雪山になって残っていました。
 越前和紙の里では、先ず和紙の里会館を見学しました。いろいろな和紙が展示されており、色・形・大きさ、そして材料による違いなどたくさんの種類に驚きました。
 続いて卯立の工芸館へ行き、紙漉の実演や和紙を使ったお面の作品を見学しました。紙漉の実演では紙漉歌をうたいながら見せて下ったのには感動しました。お面を作られたのが90歳を超えた方だと娘さんからお聞きし、驚きました。というのがピカソの絵のような斬新なデザインや、扇風機の全面の蓋を使ったものもあったからです。なぜ卯立の工芸館というのかわからず、受付の方に訪ねると、わざわざ外に出て説明してくださいました。工芸館が一軒家なので、正面に大きな卯立があるからだとわかりました。私達は徳島県の脇町にあるような卯立を想像していたし、正面から見るとわからなかったことがよく理解できました
 往路のバスの中で、今回の講師である元神戸森林植物園の上田稔先生から、水仙や和紙の原料などの講義を聞いていたので、どちらも楽しく見学をすることが出来ました。帰りもスムーズに走り、予定どおりの日程で、家に早く帰ることが出来ました。風邪の方も少しタンがのどに引っかかる感じでしたが、天候もよく、冷え込みもなかったので大丈夫でした。

  
水仙ランドの水仙                                  昼食
   
和紙の里会館        卯立の工芸館              紙漉の実演              和紙の里のマンホール

1月31日 風邪をひいて寝込みました
 珍しく28日からの一週間、グラウンドゴルフ以外全く予定が入っていませんでした。そこで、いずれかの日に19年度の集団検診を受けようと思っていました。ところが日曜日の夜なんだか背筋に悪寒を覚え、ひょっとして風邪ではないかと思って風呂をひかえてさっさと床につきました。ところが翌日、身体がだるくさっさと起きあがることが出来ませんでした。そこで床に入ったり家でテレビを見たりしながら一日のんびりしていたのですが、火曜日になってもすっきりせず、床に長くいたために腰が猛烈に痛くなりました。ますますさっさと行動できなくなり、体温を測ると37度5分ほどありました。おまけに咳、鼻水、頭痛と風邪の症状がすべて出ています。普段から36度ほどの体温なので、1度以上も上がるとずいぶん応えます。夕方医者へ行きインフルエンザの検査は陰性でしたが、風邪だということで薬をもらってきて飲んでいます。水曜日はほぼ一日中おとなしく布団の中で過ごしました。お陰で、年頭の書として買った「現代語訳 般若心経」を少し読むことが出来ました。ただし内容が難解で、同じところを何回も読み返すためページ数にするとわずかでした。
 今日は薬のお陰か少し気分が良いので、気になっていた高齢者放送大学の1月26日放送分をインターネットで聞き、感想文を書き込みました。


1月26日 おばの病気お見舞い
 尾道で入院しているおばのお見舞いに行きました。私の実父の兄弟で唯一存命の人です。90歳を超えておられますが、何時も電話がかかってくると一方的に話すだけ話して電話を切るというとても口達者な元気な方でした。
 小学校2年の昭和20年、神戸はいよいよ空襲が激しくなり、4月に祖母と一緒に尾道から電車(今は廃線になりました)に乗り、市村へ疎開をしました。その時親代わりになって世話をして下さったのがこのおばです。その時赤痢にかかりおばの懸命の看護で一命を取り留めました。いわば命の恩人でもある訳です。
 突然お見舞いに現れた従兄弟と私を見て、とても驚かれましたが大喜びされました。折り紙が大好きで作品をたくさん作っておられました。その中の一つ、「折り紙のコマ」の作り方を教えてもらいました。ベッドで寝ているときは弱音を吐いておられましたが、折り紙になると、俄然元気が出て、身体を少し起こしてもらっていつものバイタリティを示しながら教えて下さいました。こんなに喜んでもらえるとまた春にはお見舞いに行きたいと思いました。そして、長生きして欲しいと思いました。
 少しも急がない旅だったので、往復とも普通列車でおやつを食べながらおしゃべりをし、のんびり行ってきました。

   
尾道駅と駅前のモニュメント                     尾道大橋             尾道映画記念館
   
病院玄関前の奇妙なモニュメント(イタリア製)          折り紙をいきいきと教えて下さるおば


1月25日 補聴器はコンピューター
 1年ほど前から妻の左耳の聞こえが悪くなってきました。医者に行くと加齢だという診断だけでした。たまたま近所の電気屋に補聴器というのぼりが立っていたので訪ねてみました。補聴器の専門家に、パソコンを使って聴力検査をしてもらいました。私の場合はささやきが聞こえる限界ぐらいでしたが、高い音は少し聞こえが悪くなっていました。妻の方は左耳が補聴器が必要なくらい聞こえが悪くなっていました。そこで左耳の聴力に合わせた試しの補聴器がその場で作られました。そこで驚いたのが、今の補聴器はコンピューターが1個入っていると言われたことです。
 なるほど見ていると、補聴器にボタンが付いていて、標準、やや大きめ、さらに大きな音、レストランというように切り替えられるようになっています。レストランというのは後ろの音を小さくして前の音だけ拾うのです。だから後ろの座席のおしゃべりや雑音が聞こえず、自分のテーブルの話に集中しやすくなるのです。この他に音楽を聴きやすくすることも出来ます。そのほかにもその人の仕事に合わせた何種類かの設定が出来ます。この様に、専門家のもっているソフトを使って、補聴器のプログラムを3〜4種類登録して、ボタン一つでその場にあった設定に切り替えられるというものです。この様なすごいコンピューターが耳の穴にはいるほどの小さな補聴器に入っているというのですから驚きです。その代わり、金額も私が先日買ったノートパソコンの2倍ほどします。
 今まで聞いていた補聴器は雑音まで増幅されるのでつけていると頭が痛くて出来るだけつけたくないと聞いていましたが、こんなに進歩しているのですね。どのデシベルの音を増幅するかなどすべてパソコンでその人に合わせてプログラムしていくのをグラフで見せて調節しながら説明してくれるので、プログラムの様子もよくわかり、一つ買っておけばいつでも調整し直すことが出来ることがよくわかります。入れ歯と一緒で、その人の耳の形に合わせて型を取って作られるので、違和感なくフィットした補聴器になることでしょう。


1月24日 第九合唱団新年会
 今朝はグラウンドゴルフがありました。昨日雨が降っていたのでどうかなと思いましたが、風があったので乾きが早くグラウンド状態は大丈夫でした。寒かったので事前に十分ストレッチをしました。そのせいか、ホールインワンが2回出て、トータル53打と自己タイ記録が出ました。ちなみに今日の優勝は47打で、私は2位でした。正月以来毎試合ホールインワンがでています。
 夜は明石第九合唱団の新年会がありました。最近飲む機会が多いので、今日はひかえておこうと思っていたのですが、雰囲気がとても良くビールをたくさん飲んでしまいました。つまみは各自持ち寄るのですが、何時もたくさん残るので、今日は少し上等のチョコレートを少量持って行きました。好評でみんな食べてくれました。もうそろそろ引退するべきかなと思うのですが、新年会に行くとお互いに今年もがんばろうということになってしまいます。今年は12月14日に開催する予定です。


1月22日 カラオケ店へ行く
 昨日は女性カラオケグループの新年会でした。お昼にビールを飲むと、缶ビール1本ですっかり酔ってしまいました。その後「おんなの時雨」という曲を練習しました。
 そんな訳ではありませんが、今日は近くのカラオケルームへ行きました。機械の扱いに慣れるまで、無駄な時間を使ってしまいました。「ひとり石見路」や「津軽のふるさと」などを歌いました。二人で1時間、ドリンク付きで620円と思ったより安い金額でした。これなら時々出掛けられそうです。


1月17日 四国歩き遍路不参加
 16日早朝、近くの親戚で90歳になる叔父が亡くなったという連絡が入りました。私の両親のときを含め、近隣の親戚で不幸があると必ず会計を担当し、私はいつも助手を務めていました。きれいな字でかっちりと香典帳に記入されていくのを感心しながら見ていたものです。その叔父が亡くなったので、私は少しでも恩返しをしなければならないと思い、前日の通夜と今日の葬儀の受付から香典の管理のお手伝いをさせていただきました。ご家族が焼き場へ行っておられる間に3人で整理しましたが、急いで文字を書かなければならず、間違ったり乱筆になったりで、おじさんに申し訳なく思いました。とても寒い一日でしたが、受付をしている場所が日だまりで、たくさん重ね着をした上、カイロをポケットに入れていたので、思いの外暖かく感じました。
 実は17〜18日は歩き遍路の日だったのですが、前日にキャンセルしました。今日も寒かったけれど、明日は四国も雪が降るという予報で、きっとこんな寒い時期の歩き遍路はおまえにとってはよくないと叔父が引き留めてくれたのではないかと思っています。


1月14日 今年最初のグラウンドゴルフ
 今日からグラウンドゴルフが再開しました。新年早々当番が当たりました。冬休みの間に子ども達が遊んでいるのと、先日の雨上がりに野球をしたらしくグラウンドはでこぼこに荒れ果てていました。さらに自転車で走り回ったところもあり、タイヤの跡が深く残っていました。
 7時20分にグラウンドへ行き、記録テーブルなどを準備したあと、金属の大きなトンボで、特にグラウンドの荒れがひどいところをならしていきました。幸い、グラウンドの土に多少湿り気があるので、盛り上がったところは簡単に削ることが出来、その土で穴やタイヤ痕を埋めていきました。もうひとりの係が刷毛でグラウンドを掃いてくれました。その後、石のローラーを引っ張って土を固めていきました。とても寒い朝でしたが、1時間近くこの様な作業をしているとすっかり汗をかきました。
 8時過ぎには他の人たちもゴールの旗のセットなど準備を手伝って下さったので8時15分頃には練習が出来るようになりました。6ホールほど試し打ちをしましたが、なかなかうまく打つことが出来ませんでした。
 試合開始は8時半でしたが、くじを引くと、見事第1グループの記録係が当たりました。記録をしながらのプレーで集中できませんでしたが、それでも第1ゲームは出だしこそ3打でしたが、あとは2打を続け、最後はホールインワンで8ホールをスコア13で回りました。こんな好成績で回ったのは初めてです。第2ゲーム以降はいつもの調子で21/23で回り、3ゲームトータル57のスコアでした。この日は20人で過半数の11人が50台のスコアで回りました。こんなことはめったにありませんが、グラウンド整備に力を入れた甲斐がありました。


1月13日 カラオケグループ新年会?
 自治会館の憩いの家で行っている男性カラオケグループの今年最初の集まりがありました。第一日曜日は歌うだけでなく、お酒と刺身、漬け物、巻きずしで楽しみます。今月は正月なので第2日曜日に実施しました。夕方5時から7人が集まって楽しく飲み食いしながら話をしました。私ともうひとり赤穂出身の方以外は地元で生まれ育った方ばかりなので、いろいろと地元のこれまでのいきさつを聞くことができ、参考になります。肝心のカラオケは8時を過ぎてから1〜2曲歌っただけでした。
 このグループのいいところはいろいろな人の話が出るのですが、どのような人のことでも否定することはなく、その人なりの持ち味なのだと認めるところです。だから人の悪口などという後味の悪さがありません。そして、地元地区の暗黙の了解事項なども解説していただけるのでありがたいと思っています。


1月12日 伝統芸能講座「歌舞伎鑑賞」
 兵庫県芸術文化協会主催の「伝統芸能講座」で1月は大阪松竹座での「歌舞伎鑑賞」でした。妻が歌舞伎が好きで、いなみ野学園へ勤めている頃から歌舞伎の入場券の斡旋があると年に1度鑑賞していました。退職してからは伝統芸能講座を受講しているので、その鑑賞会に参加しています。
 今回は比較的小品が4本上演されました。信太の狐にまつわる話で見事な早変わりや最後に宙を飛んでいく場面などおもしろい演出もありました。座席が花道のすぐそばで奈落もあり、いろいろな仕掛けや役者を間近で見られるなど、迫力満点でした。
 そのほかに芋掘りが婿選びの舞に参加して舞うコミカルな作品、仇討ちに関して主人より親子の情を優先させる人情ものなど、笑ったりほろっとさせられたり、楽しい舞台でした。今回も解説のイヤホーンを借りて、聞きながらの鑑賞でしたが、まだまだ私にはこれがなければ理解できません。今回は事前学習の講座の日と第九の仲間の独唱会が重なり、歌舞伎の学習会に出席できませんでしたが、イヤホーンの解説のお陰で十分理解でき楽しむことが出来てよかったと思いました。狐が宙を舞うときに降ってきた紅葉の葉が偶然私達の袋に入り、記念にもらって帰りました。


1月8日 六甲スカイヴィラ
 先日ある会でもらった六甲スカイヴィラの割引券が1月10日までだったので、急遽宿泊しに出掛けました。バイキングの夕食ということだったのですが、客が少なく、和懐石という案内がありました。なるほどレストランに行くと、私達の他に女性の二人連れと夫婦と高齢のお母さんという3人連れの三組だけでした。最初はバイキングといっていた手前、希望があればおかずのお代わりをしますと言っていました。そんなことなので、洋室を希望していたらスイートルームに案内されました。二間続きの部屋で、一方が大きなソファーと大きなテレビ、もう一方の部屋に大きめのシングルベッドが三つ置いてありました。部屋付の風呂も広くトイレも温かくお湯のでる便座でした。もちろん大浴場も貸し切り状態だったので、部屋の風呂を使うことはありませんでした。
 それでも朝はバイキングで食べ物は豊富でした。これでは経営も大変だろうと思います。すでに一般客にも開放されており、1泊9800円だと言われていました。春や初夏、そして暑い夏、紅葉のきれいな秋に、平日の六甲山上でのんびり散策しながら過ごすのはとてもすばらしいだろうと思います。また訪れたいと思います。


1月7日 吉本新喜劇
 明石信用金庫が主催する吉本新喜劇鑑賞会が神戸国際ホールでありました。毎年声をかけて下さるので昨年から出掛けています。新喜劇は同じパターンです、たわいのない内容ですが、健康にとって笑うのは悪いことではありません。
 第2部の漫才や落語、マジックを生で見るのも楽しいものです。ただし、若手の漫才は早口のうえ、笑いを取る内容もよく理解できませんでした。その点ひびき・こだまの漫才は言葉の速さも間の取り方もうまく、多いに笑わせてもらいました。
 それにしても、新喜劇に出演している女優が昔と違ってみんなきれいになったなと思います。お笑いの世界にも美しい女性がどんどん入ってくるようになったのですね。


1月6日 高御位山へ初詣
 昼食時に急に高御位山へ初詣に行くことになりました。この時間に出掛けて明るい内に戻れるかちょっと心配しましたが、車で志方町へ行き、2時20分頃から登りました。3年ぶりに登りましたが道がずいぶん整備されていました。お遍路の経験を生かし、薄着で杖を使って登りました。40分ほどで標高304mの頂上に着きました。汗が乾かないうちにジャンバーを羽織り、頂上の社にお参りをしました。以前はもっとしんどい山登りだと思ったのですが、それほど感じることがなかったのはお遍路で山歩きに慣れただけでなく、やはり道が整備されたからだと思います。

  
頂上の社                 頂上からの風景

1月5日 セイダカアワダチソウの収穫?
 昼過ぎから近くの休耕田の畦へ、秋に黄色の花を咲かせるセイダカアワダチソウの収穫に行きました。収穫といっても宮種を取るのではなく真っ直ぐの茎を取りに行ったのです。昨年から妻が大輪の菊を育てているのですが、花が咲く頃に支柱を調節するときに使うのです。昨年はこの様な準備がなかったので花をうまく輪台に載せることが出来ませんでした。今年はきっと見栄えのよい菊作りが出来ることでしょう。


1月4日 読売旅行のツアー「淡路島七福神めぐり」
 1日に地元の住吉神社の初詣に出掛けただけで家にいると身体がなまってしまいそうなので、昨日は浜の散歩道を谷八木川まで9000歩ほど歩きました。そして、今日は淡路島七福神めぐりのツアーに参加しました。最初に訪れた大黒天では住職の口車はたいしたもので、みんなたくさんの御守りなどを買っていました。それにしても元気な太鼓に合わせての般若心経にはちょっと違和感を感じました。しかしその後訪れたどのお寺でも同じだったのでだんだん違和感はなくなりました。2番目は西浦の弁財天、そして南へ下って福禄寿と続けて参拝したあと、戸崎の鳴門大橋の記念館で「めで鯛づくし」の昼食をいただきました。新鮮な海の幸とタマネギドレッシングをかけた「淡路産タマネギサラダ」は空腹だったこともあってなかなかの味でした。午後は布袋尊、恵比酒、毘沙門天、最後に寿老人と慌ただしい日程でしたが、それぞれのお寺で住職から楽しい話を聞くことができました。そしていろいろなお土産をいただき、最後には福笹をもらいました。この中には当たり券が入っているそうで、来年同じ時期に持って行くと記念品がもらえるそうです。来年も参加させようという商魂たくましいツアーでした。
 年の初めに健康を願い、あるいは感謝するこの様なツアーは都会にはない人間味を感じるものでした。そのために人気があるらしく、大阪、枚方、奈良、京都、和歌山などと書かれたバスが次々と到着し、どのお寺もひっきりなしに団体が訪れ、食堂も広い座敷いっぱいに食事が準備されていました。

   
大黒天八浄寺宝塔           弁財天智禅寺山門        長林寺庭に置かれた福禄寿 布袋尊護国寺の隣り賀集神社
  
恵比寿万福寺の手洗い        毘沙門天覚住寺             寿老人宝生寺の長寿橋


1月2日 自治会総会
 10時から自治会の総会がありました。毎年正月2日10時から自前の自治会館で開かれます。新しい道が出来、新しい家が建ち並んだこともあってずいぶん世帯数が多くなりました。そのためか、昨年当初680世帯で予算が立てられていた会費が710世帯あまりの会費収入がありました。マンションが建ったわけではありませんので、バスが通る道が出来ると効果は出るのですね。例年80人前後の出席がありますが、今日は90人の出席がありました。地元明石市選出の西村衆議院議員をはじめ、江井ヶ島小学校区から選出された2人の市会議員の出席もあり、田舎の一自治会の総会にしては活気があります。国政レベル、市政レベルの話を聞くことができました。
 2年間会長をされた方は本当に献身的な活動をされました。だから、退任のあいさつや感謝状贈呈では声をつまらせ、涙を流されました。奥様が亡くなられて100ヶ日も済まない段階で選出され、ひたすら頑張ってこられたのですから無理はないと思います。本当にご苦労さまでした。
 最後はみんなの楽しみにしている福引きがありました。私はあまり当たったことはないのですが、今回は終わりの方で食用油が当たりました。年末のジャンボ宝くじは当たりませんでしたが、今年はひょっとすると当たるかもしれません。楽しみにしておきます。
 家に帰ると年賀状が届いていました。今まで、2日は集配がなかったのですが、民間になると、このあたりはサービスが向上したのですね。


1月1日 あけましておめでとうございます
 紅白が終わり、除夜の鐘が鳴りだし、時報が鳴った途端に、「明けましておめでとうございます」とアナウンサーの声が聞こえてきました。その声を聞いて近くの住吉神社へ初詣に行きました。いつもなら階段の下から行列でお参りをするのですが、この寒さに出鼻をくじかれた方が多かったのか、人の姿はまばらです。いつもグラウンドゴルフを一緒にしている先輩からお下がりのみかんをいただき、甘酒のお接待をいただきました。風呂で冷えた体を温め、少しだけさだまさしの番組を見てやすみました。冷え込んでいたので、この冬初めて電気敷毛布をしました。
 いつも元日には初日の出の写真を撮りに海岸へ行くのですが、今朝はきっと雲が紀州半島を覆っていて、初日の出は期待できないと思い、朝起きてすぐに国旗を門前に掲げました。ちょうど向かいの交番所でも国旗を掲げておられ、お互いに軽く挨拶をしました。
 息子夫婦と雑煮を祝っていると、年賀状が届きました。名簿ソフトで1枚ずつ賀状を見ながら差し出しているかどうかを確認をしていたら、なんと夕方になっていました。結果は19枚も差し出していない人が見つかりました。昨年いただいた人の確認が十分できていなかったようです。中には毎年いただいているのに名簿にもない人があり、申し訳なく思いました。そして機械に頼ることの弊害を感じました。
改めて印刷しましたが、差出は明日になってしまいます。というわけで新年早々年賀状に明け暮れた一日になってしまいました。