2020・21年の日記・トピックス
12月25日(土) 「年賀状なんとか25日に投函」
結婚した初めの頃、自分で彫刻した絵を使って活版印刷をしていました。その内にプリントゴッコが普及し、妻の描いた文字や絵で印刷をしていました。そしてパソコンが普及すると、写真を使って年賀状を印刷しました。転勤をするたびもらった年賀状に返信をするようになり、最も多い時は550枚を超えていました。しかし、数年前に年賀状を卒業することを宣言し、現在は夫婦二人で150枚買って25枚も残っています。25枚は出さなかった人から賀状が届いた時の返信用です。
ところで、それまで旅行などで撮った写真に解説をつけて賀状のカットにしていたのですが、妻が入院したりして写真を撮る機会がなく、妻の制作した人形をカットに使ったところ、多くの方から健康を心配するメールが届きました。それ以来なんとか出かけた時に賀状に使えそうな写真を撮るようにしてきました。しかし、新年にふさわしかったり、干支に関わるような被写体を見つけることは難しくなりました。
今年は昨年来の自粛生活であまりあちこちに出かけることが出来ず、苦し紛れに家にあった明治神宮の絵馬を使うことにしました。この絵馬は新幹線乗り放題のチケットが売り出された年に、昭和天皇の新年参賀に出かけた後、明治神宮に初詣をした時のものなので、ずいぶん昔のものです。23日に年賀状の表の住所を印刷し、24日プリンターのインクを買ってきて裏面を編集して印刷しました。最後に表面の宛名の下にコメントを印刷し、24日の夜12時近くに印刷が完了しました。お陰で制限25日一番に投函できました。まだまだ出し忘れた人もいるので、遅れて印刷をすることもありますが、、、
12月19日(日) 「一日中家でテレビを見て過ごす」
昨日から厳しい寒さになりました。それでも朝から洗濯をし、その後は自治会館の大掃除に1時間参加しました。しかし今日は特に予定がなく、田村雅弘の追悼特別番組として放送された連続ドラマ一気放送を見ていました。途中、6時からのBS大河ドラマでチャンネルを切り替えた以外、夜8時半頃まで見てしまいました。そんなわけで本日の歩行数は823歩、これまでで最低でした。それでもストレッチ運動だけは土間でしました。
明日はグラウンドゴルフを2ゲームした後、グラウンド周囲の落ち葉の掃除をすることになっています。やはり身体を動かさなかった日はすっきりした気分にはなりません。もっと積極的に行動的な生活をしなければなりません。
12月4日(土) 「例年通り高齢者検診を受診」
ここ数年間、同じ診療所で高齢者検診を受けています。血液検査の結果などは後日になりますが、エコー検査、骨密度、心電図、血管年齢等は前回と変化はありませんでした。特に血管年齢は昨年通り50歳代で、コロナ禍の運動不足の影響もなくホッとしました。尿検査も大丈夫で、後はレントゲン検査、前立腺がん検査、大腸がん検査の結果も血液検査の結果とともに年明けに判ると思います。
12月1日(水) 「高年クラブの親睦旅行」
明石市はこのところコロナの新たな感染はありません。そんなことから2年ぶりに親睦旅行が実施されました。行き先は南あわじ市の「いづみ丸」でした。過去2回、3年とらふぐ料理を食べに行ったのですが、今回はコロナの関係で鍋をみんなでつつくということが出来ず、魚料理の懐石でした。また、得意のカラオケも出来ませんでした。
昨年4月以降、花見の宴や親睦旅行、新年会などが中止になっていたので、予算が貯まっていたのか料理数が多く、食べきれないほどでした。したがって、刺身や酢の物、はも鍋など生ものや持ち帰れないものはすべて食べましたが、天ぷらや煮付け、焼き物は持って帰りました。飲む方もビールコップ1杯半、焼酎のお湯割り1杯とセーブしましたが、それでもお腹いっぱいになりました。帰りはみんなのリクエストで、ちりめんじゃこを売る水産会社によりました。みんなたくさん買っていたので、店頭の商品がなくなるほどでした。久しぶりの旅行で、みんな大いに喜んでいたようで、はしゃいでいる人も見られました。
11月23日(火) 「左右両側の歯で噛んで食べると美味しい」
先週の金曜日に歯の治療が終わりました。何の心配もなく両側の歯で噛んで食べると、食べ物を味わって食べることが出来ます。ただ、治療中は片側の歯で噛むことを意識していると、歯の間に食べ物が挟まり、痛くてあまり噛まずに飲み込んでいました。その習慣が残っていて、両側の歯で噛むようになってもあまり噛んでいないようです。そのために食べ過ぎとあまり噛まないことから、胃の調子がいまいちです。治療前のように30回以上噛むことを意識して食事をしなければと思います。
11月20日(土) 「文楽観賞」
退職後、兵庫県芸術文化協会が主催する歴史講座などに妻と受講しています。以前は伝統芸能講座も受講し、年1回歌舞伎鑑賞もしていました。しかし妻が病気をして以来久しく大阪へ行くこともありませんでした。先日の歴史講座で、文化協会が文楽の特別席を安く斡旋するということで、妻の希望もあって出かけることにしました。
インターネットで調べると、山陽電車と阪神電車を乗り継ぐと、簡単に近鉄日本橋へ行けることがわかり、ワンデイ切符を使って行きました。最寄り駅8時39分発の電車に乗車、明石駅で直通特急梅田行に、神戸三宮で奈良行にそれぞれ同じホームで乗り換えるだけで日本橋まで行くことが出来ました。ただ日本橋では何度も階段を上り下りしなければならず、妻は大変でした。
以前伝統芸能講座で一度だけ文楽を鑑賞したことがありましたが、国立文楽劇場がすっかりきれいになったように思いました。今回の演目は「蘆屋道満大内鑑」3幕で、助けたきつねが化けた女性と結婚し、子どもまでもうけた話で、その子別れの場面がクライマックスでした。解説のイヤホンガイドを借りたので話がよくわかりました。妻は歌舞伎などで内容をよく知っていたので、別に解説は必要としていませんでした。きつねとの間に生まれた子どもが後に安倍晴明になったということも初めて知りました。座席が前から4列目で、台詞の字幕は見上げなければならず、字幕を読んでいると舞台の人形の動きが見られず、解説だけを聞きながら見ている場面もありました。しかし、会話の部分はやっぱり字幕を見ると、より感情が伝わりました。
折角久々の大阪で、途中下車も自由に出来たのですが、日本橋の地下街で長崎ちゃんぽんの昼食を摂っただけで、三宮行がすぐに来たことと、三宮駅で直ぐに姫路行直通特急が来たことで、まっすぐ帰ってきてしまいました。お陰であまり疲れずに遠くへ行くことが出来ました。
11月6日(土) 「やっぱり腰痛に」
3坪ほどの菜園を備中鍬で耕した翌日はあまり痛みは感じず、いつものように準備運動をして7000歩ほどウォークをしました。しかし夜眠る時、少し腰に違和感があると思ったのですが、そのまま眠りました。ところが翌朝起きた時、腰痛がひどく、予定していたグラウンドゴルフを休まざるを得ませんでした。早速妻がもらっていた湿布薬を貼りましたが、次の日も治る気配がありません。しかし妻がドライブに行こうと言うので、座ってハンドルを握るのなら大丈夫と出かけました。5時間ほど北播や丹波を走り、なんとか無事に帰宅できました。多可の道の駅で農家の老夫婦が生産したという見栄えの悪いミカンを買いましたがそれが甘く、濃厚な味はこれぞミカンという味でした。
しかし帰宅後、同じ運転姿勢を続けていたこともあって、やはり痛みは取れません。以前腰痛に悩ませられ続けた時、予約していた勝浦温泉で、一日3回じっくり温泉につかって腰を温め、翌日に痛みが引いたことを思い出しました。そこで冷たい湿布薬を貼るのをやめ、早めに風呂を沸かしてじっくり腰を温めました。そしてすぐに床に入ると、翌朝にはずいぶん楽になりました。その日も腰を風呂で温めると、翌朝にはみんなとグラウンドゴルフを楽しむことが出来ました。
調子に乗って、風呂の残り湯をバケツで畑に運んだりしていると、また少し痛みがぶり返してきました。今も腰の痛みが取れませんが、それでも生活に困るほどの痛みを感じるこはもありません。今日も風呂を早めに沸かして腰をしっかり温めようと思います。
10月30日(土) 「タマネギ用の菜園準備」
庭の2カ所の菜園の広さはそれぞれ3坪ほどです。この菜園でタマネギとジャガイモで交互に植えています。今日はタマネギ用の菜園に苦土石灰を中心に化成肥料やくんたん、土改良材などで耕しました。夏の間はカボチャやサツマイモを植えていたので、土がかなりやせた感じでした。
今日は20度前後まで気温が上がり途中から半袖の下着1枚で作業をしました。体力の衰えを痛感し、午前中3時間で6割、午後から残り4割を耕しました。その間、プランター6個にスナックエンドウや葉ボタンを植える土の準備などをし、菜園や菊などのためにためておく風呂の水を運んだり、風呂場を洗ったりしたので、作業の後背中を伸ばそうと寝転ぶと、そのまま1時間ほど眠ってしまいました。明日はきっと身体の節々が痛くなるだろうと思います。
10月20日(水) 「今度は逆走一歩手前」
一昨日は相手の信号無視で、危うく衝突しそうになったのですが、今日は私の勘違いで危うく逆走しそうになりました。今日も妻を病院へ送っていく途中で、いつもとは逆の方から明姫幹線へ右折する時のことでした。信号が青になり、対向車をやり過ごした後、最後の対向車が右折するので、私も右折しようと発車したのですが、中央線にポールの向こう側が歩道だと勘違いし、ポールの手前へ進もうとしたところ、助手席の妻が「どこへ行くのっ!との激しい声に驚いてハンドルを切り返し、危うく対向車線の右折レーンに進むことを免れました。このような勘違いをするのは、やはり免許返納しなければならない時期のようです。
普段から信号無視をしないように、信号が見えたら声に出して言う習慣をつけています。妻も横で信号の色を復唱したり、黄信号や赤信号が見えると「ストップ」といっています。一人での運転は出来るだけしないようにしなければなりません。
10月18日(月) 「危うく衝突事故」
妻と病院からの帰り、いつも通るAコープそばの交差点で事故になるところでした。私は黄色の点滅信号にさしかかろうとした時、赤の点滅信号の右側から突然赤い軽自動車が飛び出してきました。その道は急な坂道を登ってくるので、一旦止まると再びスタートするのが苦になる人もいます。お互いに見通しが悪く、その軽自動車も一旦停止せずに交差点に飛び出したのだと思います。
交差点の向こう側には横断歩道もあり、昼間は高齢者がゆっくり渡ることが多いので、私もスピードを落としてたのですが、右側から飛び出した軽自動車は中央線を少し過ぎたところでびっくりして止まりました。私も力一杯ブレーキを踏みなんとか止まることが出来ました。少しでも遅ければ、軽自動車の前の部分にぶつかっていたと思います。少し手前まで、私の後ろをトラックがついてきていたのですが、そのときは幸い少し離れており、追突も免れました。
軽自動車が左側から飛び出していたら、完全に衝突していたと思いますが、右側だったので対向車線の分だけ余裕があり、ブレーキが間に合ったのだと思います。それにしてもとっさの時にまだブレーキとアクセルを踏み間違えることもなく操作できたので、今しばらく運転を続けられそうです。そして、慣れない道でも、黄色の点滅信号はいつでも停止できるよう、道路交通法を守らなければと反省しました。
10月4日(月) 「甥の訃報」
弟から甥の訃報の電話をもらい、突然のことに驚いてしまいました。甥は5歳年上の姉の長男で、私が高校生の時に姉が里帰り出産をしました。彼の弟は若くして突然なくなったのですが、まさか長男も60歳代で亡くなるとは思いもしませんでした。早速お悔やみのはがきを作成しましたが、プリンターの調子が悪く、今日の郵便の時間に間に合いませんでした。手紙にすればよかったのですが、丁度甥が亡くなった頃に我が家の庭で百合がいつになくたくさん咲き、写真に撮っていたのでお供えのつもりではがきにプリントしていたからはがきにしたのです。年下の身内が亡くなるといささかショックです。
9月30日(木)〜10月1日(金) 「香住が二(紅ズワイガニ)のフルコース」
10月1日に緊急事態宣言が解除されるので、観光地は人出が多くなるあろうと思い、私の予定を考えて、9月30日から1泊で休暇村竹野海岸を予約しました。夕食は昨年以来の妻の苦労をねぎらって、香住ガニのフルコースにしました。
午前中にグラウンドゴルフをしていたので、昼食を済ませてから出かけました。16時の到着予定でしたが、出発時間を1時間読み違え、到着が17時前になってしまいました。そのためすでに到着していた人たちが多く、夕食は18時15分からになってしまいました。テーブルには香住ガニが1杯ドンと置いてあり、その他にかにすき、カニ刺し、焼きガニ、、天ぷら等々、食べきれないほど、最後のおじやはかたちだけになってしまいました。会場が静かになったと思ったら、私たちが最後になっていました。とにかくカニの身を殻から取り出すのにすっかり時間がかかってしまったからです。その点但馬牛の料理を選んだ人たちは、後から来ても早く食べ終わってしまったようです。
帰りは用瀬から奥津温泉方面へ辰巳峠に向かいました。途中見晴らしの良い場所でコンビニで買ったおにぎりやサンドウィッチで昼食を摂りました。奥津温泉の道の駅で新鮮なぶどうと栗、ギンナンなど秋の幸を安く買いました。とにかく日が暮れないうちに帰ろうと院庄から中国自動車道を走りましたが、上り線はまだよく空いていて、時速80〜90qのマイペースで走ることが出来ました。それにしても迷わず走れるのはカーナビのお陰です。
9月25日〈土〉 「敬老会」
今日は校区連合自治会主催の敬老会で、ジャズ演奏会が開かれる予定でした。ところが緊急事態宣言中のため中止になり、記念品配布だけということになりました。これまではイベントに参加した者だけに記念品が配布されていたのですが、今回は代理で交換はがきを持参した人にも配布されました。妻の分と二人分もらってきました。
いただいた記念品は地元江井島酒造の吟醸酒「神鷹」の小瓶でした。折角いただいたので、夫婦が80年以上長生きしたことを祝って乾杯しました。私が結婚した頃は、80歳以上で死んだときは大往生だといって、地域では葬儀で紅白のまんじゅうが配られていました。彼女の好きな甘口だと喜んで飲んでいました。校区に75歳以上の高齢者は相当の人数いると思いますが、大変な出費だったろうと思います。製造年月が2021年9月となっていたので、江井島酒造も大忙しだったろうと思いました。
9月19日〈日〉 「たこフィル定期演奏会 『宇宙戦艦大和』に感動」
久しぶりにオーケストラの生演奏を聴きました。今日はアニメ音楽や映画音楽、ミュージカルなど、軽い演奏ばかりだということで、のんびりした気分で出かけました。ところが第一ステージでいきなりソプラノの美しいソロの入った宇宙戦艦大和の演奏が始まりました。私の中の宇宙戦艦大和は佐々木いさおの元気よく歌うイメージしかなかったので、その素晴らしさに涙が出そうになりました。明石児童合唱団12名ほどが歌っていましたが、たこフィルの演奏を指揮する斉田好男氏の素晴らしさと相まって、ただただ感動でした。第三ステージ以降はスターウォーズメドレー、サウンド・オブ・ミュージック、ウェスト・サイド・ストーリーなどなじみの曲の演奏でしたが、ジョン・ウィリアムやリチャード・ロジャース、レナード・バーンスタイン以上に宮川泰という作曲家の偉大さを印象づけられた演奏会でした。
9月16日〈木〉 「10Mbpsから120Mbpsにグレードアップ」
先日明石ケーブルTVからインターネット速度のグレードアップの案内があり、一昨日電話で案内がありました。先日来動画でイライラすることが多かったので、思い切ってお願いすることにしました。そして今日高速モデムの交換に来てくれました。とても親切な人で、工事をした後、パソコンとスマホの無線LANの二つ目の同調もしてくれました。
さらに「ケーブルテレビで困ったことはありませんか」と尋ねてくれました。妻がテレビのモデムの電源が消しにくいときがあるというと、新品に交換してくれました。新しい機械だったので、これまでのリモコンと扱いが多少異なっており、妻にも丁寧に扱い方を説明してくれました。レンタルだったので無料でした。高速にした分、12月から850円ほど高くなりますが、イライラは完全に解消しました。まもなく私の地域の光ケーブル工事が完成しますが、これで光ケーブルにする必要はなくなりました。
9月14日〈火〉 「上郡 法雲寺のビャクシン杉」
土曜日に妻の提案で「高速道路で遠くへ行き、地道でいろいろなところを見ながら戻ろう」という事になりました。いつものように手作り弁当持参の10時出発のドライブです。明姫幹線から姫路バイパスに上がり、姫路西インターから山陽自動車道で瀬戸まで行きました。そこから北東に走り、無料の自動車専用道路で吉井まで行きました。出口で吉井城公園の標識を見つけたので、そこで弁当を食べる事にしました。公園へ行くと予想とは違って運動公園でした。施設は緊急事態宣言中のため9月30日まで閉鎖されていました。仕方なく駐車場に車を止めて弁当を食べました。
地図を見ていて、今までに走った事がない道路を探していると、山の中を走る道があることが判りました。道路を間違いなく走るためにその道の先にある場所を探していると、「法雲寺のビャクシン」があることが判りました」。カーナビに行き先を登録して出発しました。小豆島で歩き遍路をしたとき、ビャクシンの大木があるお寺がいくつかあったので、半分期待する気持ちがありました。期待通り初めての山中の道路で、途中国際サーキットなどがあり、こんな山の中ならば、少々の爆音も公害にならないだろうと思い、付近の独特な雰囲気を感じながら通り過ぎました。
やがて兵庫県に入り、上郡に着きました。そこからしばらく北上すると、ビャクシンの標識があったので登って行くと、お寺の入り口で閉鎖されていました。狭い道をバックで戻るのは苦手中の苦手、なんとか方向転換できる狭い場所を見つけ、そこまでバックしました。後方を示すカメラがあったお陰でなんとか方向転換し無事本堂の下まで行くと、駐車場がありました。法雲寺は赤松円心の菩提寺とわかり歴史好きの妻は感激、その上、樹齢700年というビャクシン杉の大きさにまたまた感激、ドライブの醍醐味でした。さらに駐車場そばには、上郡でしか見られない独特の筆塚があり、スマホで写真を撮りましたが、カメラを持参しなかったことが悔やまれました。もう一度行く機会があれば、天気のよい日にカメラで撮影したいなと思いました。
9月8日〈水〉 「秋冬野菜の種まき」
野菜の種は結構高額です。そのようなとき、加西市にある100円ショップで2袋100円の野菜の種が売っているのを昨年見つけました。今年も夏の終わりにたまたま通りかかったので寄ってみました。本当は大根の種がほしかったのですが、なかったのでほうれん草、ラディッシュ、春菊、葉大根、そして100円のカブラの種を買いました。9月初めにラディッシュと葉大根をまいたところ、二日もしないうちに芽が出て、雨がよく降った事もあって順調に育っています。
そこで昨日、残りの種をまきました。気温が少し下がったのと、種を少し深く植えた為か、まだまだ芽の出る気配がありません。
今年の長雨で、コイモが私の背丈ほどに伸びて、大きな葉を広げています。しかし狭い場所に12個も植えてしまったため、収穫は期待出来ません。ただ株が太っているようなので、大きな親芋だけは期待通りだと思います。私は親芋が好きですから。冬瓜やカボチャはすでに整理しており、サツマイモがツルを広くなった場所にどんどん伸びています。食用菊〈もってのほか〉は長雨のため一部根腐りして枯れてしまいました。それでも4本ほどは元気に育ち、、秋には花びらを収穫できそうです。ピーマンはやっと沢山の実をつけ、花もたくさん咲いていたのに、昨日の朝とつぜん葉っぱが垂れ下がり、根元にカビが生えたような病気にかかっていたので、残念ですが処分してしまいました。だから収穫の楽しみは当分ありません。
9月2日〈木〉 「歯科治療がなかなか終わりません」
今日も昼前に歯の治療してもらいました。来週もう1回奥歯の神経を取るための薬を挿入し、その後型をとってかぶせてくれるのだと思います。したがってまだ一月ほどかかるのだと思います。その間左の歯で噛み続けるので、左の奥歯の間に食べ物が挟まるようになってしまいました。早く両方の歯で食べたいと思います。
歯が鬱陶しいと、身体を動かすのもおっくうで、天候に左右され、昼寝の時間も長くなり、運動不足が続いています。9月6日から高年クラブのグラウンドゴルフも始まり、日常生活が規則正しくなります。そうなれば運動不足も解消されるお思います。
8月22日〈日〉 「夏野菜の収穫もほぼ終了」
久しぶりに朝から晴れていたので、菜園の夏野菜の整理をしました。トマトは前半たくさん収穫しましたが、長雨とともに次々腐ってしまい、全部引き抜いてしまいました。シシトウもあまり収穫できませんでした。これから実がなるかもしれないので、残しておきました。カボチャは3種類植えましたが、大小合わせて16個収穫しました。まだ十分実っていないのもありましたが、苗を引いてしまいました。冬瓜は5個収穫しましたが、まだ実がついているので、もう少し残しています。ゴーヤは先日の台風の汐風で葉が枯れてしまったので、小さい実を収穫して終わりです。長雨までに6個収穫しました。
今は雨が多かったので、小芋とサツマイモが生い茂っています。ジャガイモを収穫した後に肥料無しでサツマイモを植えたのですが、例年と変わらず葉っぱが茂ってしまいました。土に肥料が残っていたのでしょう。コイモは長雨のお陰で歯も大きくよく茂っていますが、狭いところにたくさん生えているので、収穫は期待できません。
その他、雨が多かったせいか庭中高砂百合がたくさん花を咲かせています。こんなことは初めてですが、近所の草原を見ても同じです。百合にとっては良い夏だったようです。そして夏水仙もピンクの花をあちこちで咲かせています。ただ草もよく生えて、草引きも大変です。
8月20日〈金〉 「再び地獄の食事」
舌の裏側に腫れ物が出来ているらしく、食事で舌を動かすと痛みます。右の親知らずにかぶせてあった金属を取り除いて治療して貰おうとしたら、手前の歯に虫歯が見つかり、この歯もかぶせてあった金属を取り除いて、治療して貰っています。神経を除く薬が詰めてあり、表面が柔らかいので、左側で噛むように言われています。朝食でパンを左に舌で押しやると、ぴりっと痛みました。行儀が悪いのですがパンを飲み物に浸けて柔らかくして飲み込みました。その後昼食も痛くてスパゲッティをほとんど噛まずに飲み込みました。それでも痛くて時間がかかりました。見かねて夕食は噛まなくていいようにおじやにしてくれました。感謝しながら飲み込みました。明日は歯科医の治療日なので、化膿止めの薬をもらえたら良いのですが、、
8月6日〈金〉 「オリンピック放送」
オリンピックで金メダルを初め、これまでに無いメダルラッシュで、日本人アスリートの活躍に胸が躍ります。しかしテレビで実況放送を見る事はほとんどありません。妻は引きこもり生活のストレス解消にテレビドラマを見ているからです。だからスマホやパソコンのニュースや翌日の新聞で結果を知る事になります。
彼女はスポーツのルールがわからないので、見ていても面白くないそうで、たまに私がオリンピックの実況を見ていると、不愉快そうな顔をしています。私はゴルフや野球、サッカーなどを見るのが好きで、長時間かかるので途中でチャンネルを切り替えられてしまいます。おまけに外国のミステリードラマが好きで、字幕を読まねばなりません。学習障害の私は文字を読むのが遅く、字幕を最後まで読まないうちに消えてしまうので、そのようなときはパソコンでスポーツの経過や結果を見ています。
8月3日〈火〉 「ウォーキング」
先日胃カメラの検査をして貰ったとき、合わせて血液検査をして貰いました。後日その結果を電話で知らせてくれました。「軽い貧血がある以外特に問題は無い」とのことでした。インターネットで貧血について調べてみると、症状に思い当たる部位分があるのでびっくりしました。。ようは血液中の酸素や栄養分を運ぶ赤血球がやや少ないという事で、息切れや疲労感、倦怠感などを少し前から感じていました。特にウォーキングをしていると、3〜4000歩あたりから足が前に出なくなり、コロナの巣ごもり生活の性だと思ってましたが、原因は酸欠状態だったようです。
そこで普段のウォーキングは1分間の歩数を100歩程度のスピードにし、2000歩あまりある八木住吉神社のベンチで一端5〜10分ほど休憩して戻ってくる事にしました。まだペースがつかめていなくて、今日は往路19分で2200歩、帰路はパーマリーイン明石の玄関前を通って19分で2100歩でした。これまで朝6時前から菜園や庭の水やりをし、夕方5時過ぎ頃から大汗をかきながらウォーキングに出かけていましたが、今日は午前中にたっぷり雨が降ったので、明日からは早朝涼しい内にウォーキングに出かけ、夕方に水やりをしようと思ってます。
7月19日〈月〉 「地獄の食事から少し解放」
今日は歯医者の治療日でした。治療前に歯のとがった部分で舌が痛いことを伝えると、削ってくれました。その他の治療で麻酔を使って治療の痛みを取ってくれ、化膿止めの薬をもらって帰りました。薬の効果で夕食時にはあまり痛みを感じませんでした。舌の奥の方にはまだ違和感がありますが、あの地獄の痛みからは解放されました。この調子だと1週間後の内視鏡検査の頃には治まっているかもしれません。
7月16日〈金〉 「食事の時間は地獄」
13日〈火〉の朝、歯医者で1ヶ月前に治療いた歯の確認がありました。治療後の問題も無く治療は終了と言われました。そのときに、反対側の奥歯と親知らずの間に食べ物が挟まって、毎食後歯間ブラシで書き出すのが大変だといったら親知らずの一部が欠けているので、かぶせている金属をはずして治療する事になりました。
この日はかぶせを取り除くだけで、来週から治療が始まります。ところがかぶせを取り除いた後、歯の端がとがっていて、舌に当るとちくちくと痛みました。夜になると舌の奥の方が腫れ舌を動かしても、飲み込んでも激痛が走ります。それでもすぐに治まるだろうと思い我慢していましたが、いっこうに治まらず、毎食痛みに耐えながら食べるのは地獄です。
今日は妻の病院通いに車で送っていったついでに、内科・外科医に診て貰いました。しかし、舌の奥は見えないからと内視鏡で見て貰う事になりました。オリンピック休暇などで27日まで我慢です。来週月曜には歯医者へ行くので、そのときにとがった歯を削って貰おうと思っています。
7月14日〈水〉 「オンライン学習中に落雷で停電」
今日から高齢者学習「あかしカレッジ」の学習を夫婦で始めました。近くの中学校コミセンで開校しているのですが、バスで行かなければならず、妻の歩行能力を考えて、オンラインの学習を集中的に受講する事にしました。あかしカレッジはコミセンでオリエンテーションを受講しなければならず、4月は所用で行けなかったので、7月2日に受講しました。5人だけでしたが、オンライン受講でも、事前に該当コミセンに受講を申し出ておく必要があり、後日受講メモを見せて単位を貰う事になっています。
今日初めて受講しましたが、先日来毎日雷が鳴っていて、運悪く受講中に落雷による停電があり、パソコンが消えてしまいました。電気がつき、デスクトップなのでパソコンの復旧に15分ほどかかり、その間受講できませんでした。いくつかのコミセンでも停電によるトラブルがあったようでした。幸い再送信があり、停電だった部分を後ほど視聴する事が出来ました。
ちなみに年間300講座が市内各地のコミセンで開かれており、オリエンテーションで決められた学生IDを伝え、事前に申込めば各地のコミセンでも受講できます。年間10単位以上受講すれば修了証が貰えるそうです。
7月12日〈月〉 「近くに落雷」
夜中にトイレに起きた後、眠れないので川柳教室の兼題2題を考えました。時間がかかりましたがようやく詠めたと思ったらいつの間にか眠っていました。朝長々と夢を見ていたのですが、「7時半が近づいているよ」と妻に起こされ、びっくりして飛び起きました。なんとか洗面、朝食を済ませて、8時にはグラウンドに駆けつけ、グラウンドゴルフの準備をみんなでしました。しかし身体はだるく、しゃんとしません。おまけに蒸し暑さも加わってプレイが始まると汗が流れます。そんな事で集中出来ず、私1人ホールインワン無しで、成績も女性2人とともにブービーでした。
雷が鳴り出したので、早々に引き上げ汗を流していると激しい雨音が聞こえてきました。パソコンのファイルに夜中に詠んだ川柳を残しておこうとしたのですが、すぐに停電になり、パソコンが消えてしまいました。仕方なく布団に転んで目をつむろうとした瞬間、強烈な稲光とともにバリバリと大きな雷音に驚いて飛び起きました。きっと向かいの消防署の避雷針にでも落ちたのだろうと思いました。
しばらくして消防車がサイレンを鳴らしながら出ていき、近くでサイレンの音が消えました。何事かと出てみると、30メートルほど先で消防車が止まっています。近くの人に様子を尋ねると、家の裏の酒蔵を挟んだ向こう側の家のテレビアンテナに落雷があったそうで、消防署の職員が調査に入ったという事でした。近所の人たちは一様に雷に驚いたようでした。、
7月9日〈金〉 「蛍光灯がとつぜん消える」
朝食の途中、とつぜん頭上の蛍光灯が消えてしまいました。平成4年に台所をリニューアルしたとき、業者が取り付けてくれた蛍光灯が10年足らずでだめになり、私が買ってきたシーリングライトを取り付けていました。蛍光管は取り替えたもののずいぶん長く使っていました。だからこの度消えたとき、変にいじって火事にでもなったら大変と思い、そのままにして雨の中エディオンへLEDの照明器具を買いに行きました。
店では自分で選ぶより、店員に相談しながら買う方がいろいろ説明が受けられるので、売り場に向かう途中、手の空いている若い女性店員に声をかけました。こちらの希望を聞き、お買い得品を次々に紹介してくれました。電気器具は火災などの危険があるので、出来るだけ一流メーカー品に決め、その中からお買い得の日立製の照明器具に決めました。蛍光灯のシーリングライトよりずいぶん安く買う事が出来ました。去年トースターを買うときにスマホのアプリを使えば安くなるといわれました。やり方がわからないというと男性の店員がインストールしてくれ、2000円ほど安く買う事が出来ました。この度も店員に聞くと安く買えるといわれアプリを開いて指示されるままに操作すると、1000円のクーポンを使う事が出来ました。
家に帰って古い蛍光灯を取り外そうとしましたが、思うように外れません。器具が古いので、蛍光管の一部が壊れるしまつ。懐中電灯で照らしながら器具に書かれた小さな文字を見ながらなんとか取り外す事が出来ました。次に買ってきた照明器具の説明書を見ながら取り付けました。こちらは説明書があったのでスムーズに取り付ける事が出来ました。色調、光量の調節が出来るので、いろいろ試してみると、蛍光灯よりぐっと明るくなり、気持ちよく食事が出来ます。少し光量を落としておくと、次からは「普段の点灯」というボタンを押すと調節した明るさで点灯してくれます。便利な機能に感動しています。留守番機能は蛍光灯にもついていましたが、「おやすみ30分」のタイマー機能や常夜灯の明るさの調節、節電など思わぬ機能もありました。それでも金額はクーポンを使ったので蛍光灯を買ったときの60パーセントほどで、1万円でおつりがありました。
それにしても長く使っているので、いろいろなものが壊れ、次々買い換えなければなりません。年金生活者にとっては大変です。老後の資金2000万円の話は嘘ではないようです。
7月2日〈金〉 「コロナワクチン2回目の接種を受けました」
6月30日に2回目の接種をしました。1回目では妻が熱を出し、夕食もとらずに朝まで寝込みました。その話をかかりつけ医に話したら2回目はもっと大変だからと解熱剤を貰っていました。2回目接種した翌日、身体がだるいと思いながらグラウンドゴルフに出かけたのですが、雨で2ゲームを終えたところで中止し帰宅しました。その頃から気分が悪くなり、家で上げ下げをし寝込んでしまいました。トイレに立つと目まいもするし、昼食、夕食も抜いてただひたすら寝床にいました。夜にはっきり熱が出ていることがわかり、妻の貰っていた解熱剤を飲みました。その後一眠りすると気分も良くなりました。そこで水分補給と、リポビタンゴールドのドリンクを飲んで眠りました、妻は2回目は副作用無しでした。
今朝はすっかり気分も良くなり、予定していたあかしカレッジのオリエンテーションにも参加する事が出来ました。オンライン講座を中心に7〜9月分6講座を申込んで帰ってきました。以前高齢者放送大学で7年間学びましたが、再び高齢者向けの学びが始まります。
6月24日〈木〉〜25日〈金〉 「兵庫県民向けストレス解消の旅」
休暇村竹野海岸から兵庫県民の皆様へという案内メールを貰いました。料金が手頃だったので、妻が3食用意するのも大変だとこぼているのでし、ストレス解消になるかと予約して午後から出かけました。但馬なら交通量も少なくドライブにも慣れているので、福崎まで一般道を走り、そこから但馬空港まで高速道路を、空港で休憩して目的地まで走りました。
県民にはチェックインの時にクーポン券1人2000円ずつくれました。これが県民への特典だったのです。Gotoトラベルを思い出して、休暇村で楽しく買い物も出来ました。夕食時のお酒もクーポンで支払いました。なんだか得した感じです。
帰路は今まで円山川の東岸へ行った事がないので、円山川河口に近い橋を渡って久美浜方面へ走りました。途中道に迷って行き止まりになったり、国道312号を宮津方面へ向かって走っていると、「但東」という表示が見えました。宮津から大江山越えで帰ろうと思っていたのですが、但東町の方が近いので久美浜から兵庫県へ向かいました。但東町の安国寺にナツツバキが咲いているだろうと思ったのでですが、道が違っていて見つからず、出石町に入ってしまいました。そばを食べるにはまだ早いなと思っているときに「奥山」という標識が見えました。この道を行けば峠越えで和田山に出られると思ったので、奥山方面へ向かいました。斉藤記念館の看板を見ながら峠道を上っていくと奥山を通過するとき、左手に「剣」というそば屋の看板があり、寄ってみる事にしました。まだ営業時間でなかったのか、お客が来ないと思っていたのか主人が出てきて大急ぎで電気を点けてくれました。
忍者そばを注文すると主人が1人で準備してくれました。十割そばらしく短いそばがよく冷えていてとても美味しくいただきました。奥山には元鉱山があったそうですが、今は人口も少なくなり、主人も今は出石に住んでいるそうですが、村おこしに尽力し、いろいろ見るところや歴史を紹介しておられるという事で、生まれ育った家でそば屋を儲け度外視で営業しておられるようです。
すっかり話し込み、あじさいの枝を貰って、村を左手に見ながら帰路に向かいました。ところが広い道に出たところで「斉藤記念館」の看板が見えてきました。これは逆方向に来たと思い再び奥山へ向かいました。そして今度は奥山の村を右方向に見ながら峠を超えると無事和田山に着きました。なんだかキツネにつままれた感じで、どうしても納得できず、家に帰って地図を見ると、やはりこの峠越えの道で奥山の村は左側に見えるはずでした。不思議な体験でした。
和田山の海鮮せんべいでコーヒータイムをし、道の駅まほろばで買い物をして帰りました。青垣から427号線で帰るとき、トンネルを抜けたあたりから猛烈な眠気に襲われ道の駅によって休憩をしました。座席を倒すと即眠り込み、、目が覚めたときにはどこにいるのか、竹野からの帰りだという事に気がつくまでしばらく時間が必要でした。日暮れまでに帰宅できてホッとしました。
6月23日〈水〉 「ジャガイモもタマネギも豊作」
先日ジャガイモを収穫しました。ダンシャクとメークインそれぞれ1sずつ植えましたが、30s以上収穫しました。送料くらい出せば地元で買えると思うのですが、例年通り10s弱を娘に送ってやりました。そして、タマネギも10s送ってやりました。兵庫県のタマネギは柔らかくて美味しいそうです。
昨年のタマネギは特大サイズになったのですが、いつまでも葉が枯れず、その内に次々と葱坊主が出来、急いで収穫したのですが夏にはほとんど腐ってしまいました。その点今年は大きさといい、葉の枯れ具合といい理想的でした。網の収穫袋に入れて一部軒につるしています。まだあと少し収穫が残っています。タマネギを引くと、青じそが急に大きくなってきました。
6月9日〈水〉 「コロナワクチン接種無事終える」
午後1時の予約だったので、12時52分頃に明石市保健所へ行きました。丁度1時の予約の人たちが大勢並んで会場へ入るところでした。一番後ろについて会場へ入ると、24番目でした。後からもう1人来て定員の25人が揃い、早く入った人から担当者5人ほどで書類のチェックがありました。予診票のチェック、受診券、本人確認のための免許証をバインダーに挟んで確認してくれました。案内する人の指示に従って接種会場へ移動、24番の指定席に着席、順番に番号を呼ばれて受付へ、予診票のチェックが済むといよいよワクチン接種の順番の指定席に座るとすぐに5カ所ある接種ブースの一つにに案内されました。
女医さんの隣に同じ向きで座ると、アルコールアレルギーがないか確かめられた後すぐに肩に注射されました。その後案内する人について行くと、次回の予約ブースでした。3週間後の同じ時刻を確認され、了解すると受診券に日時が記入され、接種後の待機場所に案内され、15分後に自主的に帰路につきました。あまりにもスムーズで拍子抜けしましたが、行き届いた案内の方々に感謝でした。
6月7日〈月〉 「ワクチン接種に高齢者への配慮」
5月20日の予約開始日にインターネットで私と家内の予約をしました。自分のは9日午後1時と覚えていあのですが、その後家内の予約に時間がかかり、午後3時30分に予約が取れたと思っていました。市から予約日時の通知が届きました。通知には妻は午後3時15分でした。高齢者は記憶力が衰えているのか、自分の予約日時を間違えたり、重複して予約していることが多いそうで、集団接種の場合は個々に改めて通知することになったようです。このような配慮のお陰で、危うく間違えるところを助けて貰いました。当日は予約時間から接種の受付が始まるそうなので、遅れないように行きたいと思います。
年寄りは傾向として早めに到着するように焦るようで、老人クラブのお世話をしていたとき、開会の30分以上前から会場に来る人もいました。だから受付はいつも30分以上前から準備していました。心しておきたいと思います。
6月5日〈土〉 「コウノトリを目撃?」
昨日の夕方、いつものように江井島海岸の浜の散歩道へウォークに出かけました。目標の6000歩に近づき、帰路についていたとき、とつぜん海上を一羽の大きな鳥が海岸に沿って東へ飛んでいきました。羽の先が真っ黒なので、もしやコウノトリではと思ってどこまで飛ぶのか見ていました。するとすぐ東の波止で姿が見えなくなりました。後戻りして波止のそばへ行きました。しかしそこには雀ばかりで、大きな鳥はいませんでした。以前に江井島海岸にコウノトリがいると近隣の先輩から聞いていたので、なんとかスマホに納めようと思ったのですが残念でした。
波止へ近づくときは必死だったので足もとをあまり気をつけていなかったのですが、散歩道に戻ろうとしたら、足もとは握り拳から頭くらいの大きさの石がびっしりで、少し平らな石の上に乗ろうとすると、ぐらぐらと揺れて、足もとが安定しません。それでなくても最近は筋肉の衰えで足もとがおぼつかなく、もし後ろへでも倒れ、とがった石にでも尻餅をつくと、妻と同じように骨折するか、手に持っているスマホを壊すか大変な結果は免れません。一歩ずつ足を置く石を見極めながらなんとか散歩道に戻ることが出来ました。先日来左足の膝の裏側の筋を痛めていたので、ウォークの時にはそこへ負担がかからないよう気をつけて歩いていたのですが、不安定な石の上で、足のいろいろな筋肉や筋を使ったためか、痛めた筋が痛くなってしまいました。風呂上がりに湿布薬を貼って寝ましたが、朝起きがけにその筋の延長線上がつって、痛い目に遭いました。今も正座が出来ません。
5月22日〈土〉 「便座を新調」
平成5年、私たちの住んでいる地域も下水道が完成し、くみ取り式のトイレから解放されました。そのときにトイレと洗面所をリニューアルし、待望の洋式水洗トイレになりました。初めはTOTOの便座を使っていましたがその後2度同じ機能のあるINAXの便座を使いました。今回は洗浄水のタンクから水漏れしたので、修理をせずに思い切って新しい便座に取り替えました。
水回りの工事は信頼できるところに頼まねばぼったくりの被害に遭うとニュースでよく聞くので、同じ町内のプロパンガスでお世話になっている業者に相談しました。すぐにエネオスに連絡を取ってくれ、TOTOの便座の見積もりをとってくれました。洗浄水タンクのある従来のよりも、多少金額が高くつくけれど、使うときに直接水道水を温める方式があることを教えてくれました。この方が電気代がかからないとのことでした。タンクから水漏れした経験からタンクのないアプリコットという機種を選びました。タンクがないので操作は壁に取り付けたリモコンのみです。これまでタンクの上のスイッチで操作していたので、ついつい手がタンクの方へ行ってしまい、無いことに気づいて壁のリモコンを改めて見ます。長年の習慣というのはなかなか改まりません。
新しい便座は人が近づくと感知して便座の中に青い電気がつき、水が流れます。先日四国の休暇村で、トイレに入ると自動的にふたが開いて驚いたのですが、ふたこそ開きませんが同じタイプだとわかりました。トイレもどんどん進化しているのですね。
5月21日〈金〉 「コロナワクチンの予約完了」
20日に予約が始まりました。妻のかかりつけ医の電話番号を貰っていたので、何度か間隔を開けて電話しましたがつながらないまま16時を過ぎてしまいました。このままではだめだと思い、集団接種にし、インターネットで申込みました。6月8日〈火〉以降は可能でしたが、火曜日は予定が入っていたので、翌9日を選ぶと午前中はほぼ埋まっていました。9日午後1時に予約し、続いて妻の予約をしようとしたのですが、最初に誕生日を間違えたためかパスワードにロックがかかり、予約が出来なくなってしまいました。仕方なくロックの解除の仕方を相談窓口にメールしました。その後ダメ元で入力すると、予約画面が開きました。私と同じ時間帯に予約しようと思いましたが、20分ほどの間に午後3時まで予約が埋まってしまっていて、仕方なく3時30分に予約しました。20分ほどの間に2時間半も埋まるのですから、驚きました。
今日グラウンドゴルフ仲間で、まだ予約できないという年長の人がいたので、家へ行ってパソコンで予約するお手伝いをしました。これでまわりにいる人はみんな予約が完了しました。
5月17日〈月〉 「コロナワクチンの予防接種券」
一昨日やっと接種券が届きました。20日から受付が始まりますが、私は特にかかりつけ医がありません。妻も40年来診察をして貰っている診療所の名前が接種医療関係に記載されていないので、集団接種会場に申込まなければいけないかなと言っていました。
今日その診療所を妻が受診すると、帰りにかかりつけ医として接種予約の申し込みが出来ると教えて貰いました。妻の予約が可能だとわかりましたが、私はその診療所で年1回の検診以外受診したことがないので無理だろうと思います。それでも妻が申込むとき、ダメ元で一緒にして貰えないか尋ねてみようと思っています。ただし、その診療所は電話のみの受付なので、つながれば良いのですが‥
5月12日〈水〉 「鉢伏高原のワラビ」
昨年巣ごもりのストレス解消ドライブで、たまたま訪れた鉢伏高原で、たくさんのワラビを収穫したことを思い出し、去年と同じ連休明けに弁当持ちで出かけました。今年は雪がたくさん降りスキーが可能だったためか、ゲレンデは昨年と様変わりしていました。おまけに冷たい風が吹き、車の中で弁当を食べた後、様子を見に出てみました。ゲレンデに出ると、昨年ほどではありませんが、ポツポツとワラビが生えていました。1時間弱、ゲレンデを歩き回ってワラビ狩りをしました。昨年の10分の1ほどでしたが、それでも妻が満足できるほど収穫できたので、ホッとしました。
ところが、車から出るとき、貴重品をもっておりなければと思ったとき、いつも腰につけている運転免許証などの入ったポシェットがありません。途中八鹿の道の駅でトイレに寄っただけで、ポシェットをはずした覚えがありません。先日来腰が痛くて、コルセットを装着していたので、その感覚がポシェットをしていると思っていたのでしょう。たまたま妻のバッグに車のスペアキーを入れていたので、運転するのに差し支えがなかったのです。だから私はワラビ狩りをしている間も集中出来ませんでした。
帰路はスピード違反や事故など警察沙汰にならないよう慎重に運転しました。北近畿自動車道では制限速度プラス10q以内で走行したので、常に私の後ろには車が何台か並び、ゆずり車線でどんどん追い越していきました。遠阪ICからはゆっくり走りながら何とか日暮れまでに家にたどり着きました。運転免許証や車のキーの入ったポシェットは家で留守番をしていました。
5月1日(土) 「マイお箸」
以前息子に貰った塗りのお箸を使っていました。しかし不注意で先を折ってしまって以来、竹の割り箸を使っていました。最近そのお箸で食べ物がつまみにくくなり、加齢で指先まで不器用になってしまったといささかがっかりしていました。
昨日コープこうべへ買い物に行ったとき、半額処分のコーナーに福井県小浜の箸メーカーの「男箸」が売っていました。太めに作られたお箸で、定価900円ほどの半額だったので試しに買って帰りました。使ってみて驚きました。どのような食べ物も思い通りにつまめるのです。決して指先が衰えたのではなかったと一安心です。高齢になるとつまらないことにも心を動かされるのですね。
4月18日(日) 「やっと老人クラブの役員から解放されました」
第2の職場を退職した平成16年に地域の老人クラブに67歳で入会しました。それまで仕事一筋で、地域の人々とは全く関わりを持っていませんでした。第二の職場で、老人クラブで活躍している人たちのいきいきとした姿の刺激を受け、退職すれば入ろうと思っていたのです。しかし、生まれ育ったのは全く別の所だったので、入ってみると全く知らない人ばかりで誰も相手にしてくれないし、私自身も気軽に話しかけられないので居心地の悪い月1回の例会でした。
2年目に思い切って親睦旅行に参加しました。夕食の宴会でカラオケの順番が回ってきました。第2の職場でカラオケを歌う機会があったので、そのときに覚えた歌を歌ったところ、「おまえ歌えるのならカラオケクラブに入れよ」と誘ってくれました。そうして打ち解ける機会があり、グラウンドゴルフの仲間にも入れて貰うことが出来ました。さらにカラオケの機械が操作できるのなら休部中の女性カラオケ部の機械操作をするように頼まれ、女性会員にも受け入れて貰えました。
3年目の総会で新しく会長になられたから、パソコンが出来るのなら会計をと役員入りを誘われました。これまで役員をしてこられた方々は地域の自治会役員などそれぞれ地域貢献をしてこられているので、私も多少なりとも地域貢献になるのならと引き受けました。ところが2年後の総会で女性カラオケのメンバーがみんな私に投票したので、副会長を引き受けざるを得なくなりました。会長以外役員のほとんどが同じ年齢で、8年間みんなで会長を支えて過ごしました。
その後会長が退任するとき、私を残してみんな退任してしまい、私以外はみんな新役員になり、会長を引き受けざるを得なくなりました。会長就任時に会員から、折角例会に出席するのだから何か役立つことを企画してほしいと注文が出ました。それまでの例会は茶菓子をつまみながら自由におしゃべりを楽しむことが多かったのです。講師を呼んだりして研修をしたりしました。そのために自由におしゃべりを楽しむ機会は新年会や総会、お花見会、親睦旅行以外なくなってしまいました。しかも高齢化するにしたがって亡くなる方や病気で出席できなくなる方などで、会員はピーク時の半分近くになってしまいました。それに輪をかけて今回の新型コロナウィルスの拡散で自粛生活が続き、思うように行事が出来ず、会員が集まる行事が限られてしまいました。特にアルコール付の食事会で楽しく会員同士の親睦を図るという機会が皆無になってしまいました。
老人クラブに入ると役員をさせられるという理由で入会を断る人が結構いるので、入会後最初の総会では役員を回避できる申し合わせが出来ていました。したがって前回の総会で引退を皆さんにお願いしたのですが、選ばれた方が回避あれ、もう1期会長を続けることになってしまったのです。そんなことがあって今回の総会でやっと引退を認めてもらえました。会長になると校区6団体の老人クラブ会長会に出席しなければならず、たまたま私の家のすぐそばに会計の取引をしているJAバンクがあるために、校区老人クラブの会計を3年間務めることになっていました。地区の会長と校区の会計の引き継げも先週に終わり、ホッとしています。これからは1会員として、楽しみながら協力していきたいと思っています。
4月3日(土) 「よくぞ59年も」
娘に58回目の結婚記念日だとラインをしたら、1962年に結婚したのだから59周年でしょうと返事が返ってきました。年をとったら計算も出来なくなりました。それにしてもよくぞ59年間も二人ともに生きてきたものだと我ながら感心しています。
私は数年前に胃がんの内視鏡手術を受け、その後網膜の手術を受けた以外はなんとか健康を保っています。一方妻は70歳を超えて頸椎狭窄症の手術を受けて以来、骨折や病気で入退院を繰り返していましたが、一昨年大腿骨を骨折し入院したときに身体のメンテナンスをして貰ったお陰で、昨年は入院することもなく体調も落ち着いています。そしてコロナ禍で自粛生活が続き、体力の衰えはお互いに否めませんが、無事に59回目の記念日を迎えることが出来ました。お互いに支え合いながら感謝感謝の毎日です。
3月30日(火) 「自動車運転免許証更新完了」
誕生日までまだ1ヶ月弱あるのですが、今日は時間があったので、午後から更新センターへ行きました。更新センターへ着いたのが2時前でしたが、更新に来ていた人はまばらで、早々に終了し、新しい免許証を受け取ることが出来ました。受付時に安全協会も更新すると言ったので、係の人がつきっきりで受け付け事務を案内してくれ、これがスムーズに更新できた理由でもあります。
早めに更新手続きをしたのは、7月に車検があるからです。ディーラーから車検前点検の案内が来ていて、免許証の更新が出来なければ車検が無駄になるのです。更新できたので、早速車検前点検の予約を取りたいと思います。
3月16日(火) 「川柳教室で先生から初めて○を」
コロナ禍で、川柳教室の出席者は9人だけです。そんな中で互選の時に私が詠んだ句を先生が3句選ばれた中で、最も良い句に選んでくださいました。平成16年4月に先生の教室に参加させて頂いて以来初めてのことです。皆さん9人中7人が私の句を選んでくれました。このようなことは何年かに一度のことで、帰りにはポツポツと雨が降りました。
3月9日(火) 「自慢だった歯が‥」
8020という言葉がありますが、私は80歳になったとき8031(親知らず1本が歯茎の中)とすべて自分の歯であることを誇りに思っていました。ところが左上奥から2本目の歯が欠けたと思ったら、その手前の歯が痛くなり、歯科医へ行くと3本ある歯根の一つが割れていると言われ、それをとり除く手術を受けました。しかし術後歯茎に大きな穴が開いており、私には再生不可能に思えます。今までは虫歯になっても歯に穴を開け、そこを埋めて金属でかぶせてくれていました。今回は埋めるにはあまりにも大きな穴でどうなるのか歯医者に任せるしかありません。
ちなみに、小学校6年生の時、葺合区で歯の健康優良児だと表彰して貰い、これまで歯科医院では歯性が良いと言われていたのですが‥ やっぱり寄る年波には勝てません。
2月23日(火) 「ついに花粉症始まる」
日曜日但馬空港へ出かけたとき、目がかゆいと感じました。月曜日はグラウンドゴルフをしていたときさらに目のかゆみを感じていたのですが、家に帰った頃からくしゃみを連発、そして今日はとうとうティッシュが手放せなくなりました。このままでは鼻が痛くなるので、保湿ティッシュを使えるようにしました。昨年はほとんど使うことがなかったので、油断していました。今年はコロナ対策で外出時にはマスクをしていますが、効果がなさそうです。
金曜日に胃カメラの検査があります。これまで毎年3月上旬に受けていたのですが、花粉症を発症してからでは差し支えると思い、2月に早めて貰ったのですが、今年は間に合わなくなりました。
2月21日(日) 「但馬空港へ」
北近畿自動車道が但馬空港ICまで延伸されたということだったので、但馬地方も気温が上がり、天候が良いので弁当持参でドライブに出かけました。和田山まで加西・福崎経由で、そこから北近畿自動車道に乗りました。ところがうっかり春日方面に向かってしまい、次のインターから引き返しました。これまで日高ICまで経験していたのですが、日高を過ぎると路肩に雪があり、道路は濡れていました。先日豊岡方面で積雪があったと新聞で見ましたが、こんなに降ったのがわかりました。但馬空港ICを降りて左に進むとすぐに但馬空港に到着、駐車場には除雪した雪が所々に残っていました。
今回もコロナ対策で「車から降りない、公共交通機関を使わない、車の中で弁当を食べる」を実行しました。食事の後、空港の回りの雪がたまっているところや、飛行機が展示されているところを見て回りました。久しぶりで雪を踏む感触を味わいました。
1月27日(水) 「運転免許証の更新」
昨年末に更新の案内が届きました。認知症検査の予約を年末に申込むと、今日になりました。例によって16の絵を覚える問題で、記憶力に弱い私は、二つ思い出すことが出来ませんでした。以前に4つの絵を見て物語を作れば良いと教えて貰ったのですが、そのような技は私には無理でした。ヒントを与えられ、やっと全部答えることが出来ました。3年前では9つの絵しか思い出せず、ヒントを貰ってもどうしても動物が何だったか思い出せませんでした。前回は95点だったので、今回はそれよりましかなと思います。私自身は免許証を返納したい気持ちですが、妻の医者通いや買い物、ストレス解消を考えると、運転の範囲を狭めて免許証の所持をすることにしました。ただし、目の調子を考えると、実技で合格するかはわかりません。免許証が無事貰えても、雨天、夜間、長距離の運転は終わりにしたいと思います。
1月18日(月) 「老人クラブの活動(グラウンドゴルフ)開始」
12月の活動は江井島海岸公園施設の清掃以来休止していましたが、屋外活動のグラウンドゴルフがやっと開始されました。しかし例年行っていた忘年会や新年会、月2回行っているカラオケなどは中止しています。2月も映画会を予定していましたが中止されることでしょう。
3月は総会で役員改選ですが、私は会計2年、副会長8年、会長4年もし、年齢と認知症も心配なので、今回できっぱり引かせてもらおうと思っています。役員を務めているメンバーはみんな自治会役員で地域に貢献してこられているのですが、私は66歳まで常勤の仕事をしていたのと、この地域で生まれ育った人間ではないので、少しでも地域に貢献しなければと役員を14年も務めてきたので、もう十分だと思っています。そんな私を快く受け入れ、このように引き立ててくださった地元の皆さんに心から感謝しています。
2021年1月16日(土) 「もう松の内が過ぎました〜3ヶ月ぶりの更新です」
新型コロナウィルスに生活を乱された昨年でしたが、今年も早々に緊急事態宣言が発令され、昨年来の自粛生活がまだまだ続いています。そのような中、ずっと気にかけていた堂本印象展に14日出かけました。会場が明石文化博物館と近くで車で行けることもあって思い切って行ってきました。初期に描いた絵画から、晩年の作品まで幅広く展示されていましたが、晩年ヨーロッパ旅行をし、マチスなどの影響を受けてからの抽象的な作品はあまり良いとは思いませんでした。もう数十年前ですが、県立近代美術館でやはり印象派の展覧会があって観賞したとき、堂本印象の作品の素晴らしさに感動し、作品集の本まで買っていたので、期待していったのですが、少々がっかりした気分でもありました。
昨日妻の病院通いや買い物のアッシーで出かけた後、暖かなお天気だったので、三木山森林公園へ出かけました。久しぶりで坂道を上ると、足がだるく、今までのように上れませんでした。坂の上で準備体操をしてから長い下り坂を下っているうちに足が慣れてきたのか、それほど違和感なく今までのように歩くことが出来ました。それでも急な上り坂では息が切れましたが、後ろから若い男女がおしゃべりをしながら上ってきたので、無理をして登り切りました。最後はゆるい坂道の池の周りを1周半して車に戻りました。
今日も午後雨上がりの暖かな江井島海岸の散歩道を往路は1分間108歩程、、帰路は101歩程のペースで7300歩程で5キロ歩きました。昨年自粛生活で夏の終わり頃までほとんど歩いていなかったため、8月末に歩き始めたときには足が前に出なくなっていて驚きましたが、今年は元旦から出来るだけ歩くようにしていたら、少しは回復したように思います。それにしても家で椅子に座ってテレビを見ながら居眠りする時間が多くなり、認知症がずいぶん進んでしまいました。頭を使わなければと、以前に買っていた「ナンプレ」の初級をやってみたのですが、出来たり出来なかったり、苦戦しています。
10月11日(日)〜12日(月) 「最後の四国遍路?」
愛媛県北部にある52番太山寺と53番円明寺にお参りするため、4月に続いて休暇村瀬戸内東予を予約しました。今回はGO-TOトラベルを利用したのでご馳走を食べたのに、利用料金は同じくらいで、おまけに地域クーポン券を5000円分貰ったので、お土産をたくさん買うことが出来ました。
往路は前回よりゆっくり出たのですが、日曜日で道がすいていて、しまなみ海道の瀬戸田PAに到着したときには、朝早く出たときとあまり変りませんでした。予定ではこの日は宿舎に行くだけで、翌日早めに宿舎を出て2つのお寺を回ることにしていたのですが、早く瀬戸田PAまで来たので、この日のうちに二つのお寺を回れるかと思ったのですが、カーナビで調べると3時間以上かかるようなので、それでは宿舎に5時までに戻れないこtがわかりました。そこで村上水軍ミュージアムに寄ることにしました。カーナビに入力し出発したのに、来島海峡SAまで来てしまいました。インフォメーションで尋ねると、一つ手前の大三島北ICで高速を降りなければならないことがわかりました。引き返そうかと思ったのですが、無理することもないと思って、しばらく休憩をした後、3時半頃に宿舎に入りました。
大浴場に入り、のんびりしていると、次々に宿泊客が到着します。その日は食事の後大河ドラマを見て、もう一度風呂に入って早めに休みました。翌朝駐車場を見るといっぱいの車、観光バスまで止まっています。7時から始まるビュッフェ形式の食堂に早々に行ったのですが、次々宿泊者がやって来て満席になりました。GO-TOトラベルの効果が出ているようです。
食後、伊予名産のジュースなどを買って8時過ぎに宿舎を出発しました。国道196号線の海岸線を走り、先に53番円明寺へ向かいました。ところがカーナビの示す方向へ進むと、とんでもない狭い道に迷い込んでしまいました。なんとか右折して抜けたところで住人に尋ねると、狭い交差点を反対に曲がったようで、方向転換が必要になりました。狭い道で大変でしたが次の交差点で切り返しを何度かしてまた元の細い道を走ると、駐車場にたどり着きました。その前は広い道路で、なぜこんな狭い道を走らねばならなくなったのか不思議でなりません。
お参りを済ませて52番太山寺へ向かいました。山門が見えたのでその場の駐車場へ止めようとすると、もっと奥に駐車場があると教えて貰い、納経所のそばの駐車場に止めました。急阪を登っていると車が追い越していきます。どうやらさらに奥にも駐車場があるようだったのですが、300メートルと書かれていたので歩くことにしました。歩くことに自信のない妻は寺の近くでお参りを諦め私に納経札や写経を託して座り込んでしまいました。なるほど先に進むと急な階段がありました。お参りを済ませ、妻に見せてやるための写真を撮って階段を降りようとすると、階段の下まで妻が来ていました。階段下で座っていると、お参りに来られた女性が一緒に登ろうと誘ってくださったそうですが、とうてい高い階段を上る自身がなくて、下で待っていたそうです。そこから帰路急な坂道を下るのがまた大変でした。やっと車まで戻って納経を済ませると丁度お昼になっていました。
松山ICから高速に乗るために車を走らせていると、偶然うどんの看板が目に入り、セルフのうどんで昼食を済ませ、高速を走りました。帰りは坂出から瀬戸中央自動車道で帰るつもりにしていたのですが、坂出ジャンクションで瀬戸大橋の方へは通行止めになってました。仕方なく淡路経由で帰ったのですが、家が近づく頃にはすっかり暗くなってしまいました。途中で休憩などしましたが、なんとか7時に家に帰り着きました。
車の運転に自信がなくなってきたので、今回で遠出のドライブは終わりにしようかと思っています。したがって四国のお遍路旅は今回が最終になると思うので、書きためた写経は二つのお寺にすべて納めてきました。
9月23日(水)〜24日(木) 「GO-TO−トラベル」
国民休暇村からパソコンにGO-TO−トラベル利用のキャンペーンメールが入っていました。旅行会社のツアーの話だと思っていたのですが、個人でも使えると書かれているので、試しに最も近い休暇村「竹野海岸」で利用することにしました。
妻は肉が苦手なので、海鮮料理のコースを調べていると、「紅ズワイ蟹フルコース」が見つかりました。ひとり1泊16500円と私たちにとっては高価なコースでしたが予約しました。予約受付のメールにGO-TO−トラベルの申し込みの案内があったので、その通り入力していくと、ふたりで33000円が21000円程の支払で済むように表示されました。ひとり10000円あまりで蟹のフルコースが食べられるのはとても有り難いことです。
料理は茹でガニ1杯と後一杯分の料理など食べきれない程でした。翌朝のビュッフェのメニューも豊富で、大満足の1泊旅行でした。ただ私の運転には、ますます自信がなくなりました。急な下り坂のカーブでブレーキをかけようとして間違えてアクセルを踏んでしまい、急加速してひやりとしました。このときはすぐに踏み換えたので問題はありませんでした。しかし、帰路の鳥取市内で29号線を走行しているとき、カーナビが「この先の走行車線にご注意ください」という案内で前を見ると左折車線を走行していました。サイドミラーを見ると斜め後ろに車が見えましたが、十分右側の車線に変更できると思いウインカーを出しながら右へ寄ろうとすると、死角にいた車にぶつかりそうになりました。たまたまその車が急ブレーキをかけてくれたので、接触を免れました。女性の運転する軽自動車でしたが、本当に申し訳なく思いました。
実は、先日福知山城を訪れたときも、福知山城の近くで左折する信号が赤だったのを見つけて、あの信号を曲がれば良いんだと思って進んでいると、その手前にも信号があり、赤信号で交差点に入ってしまいました。交差点の真ん中で急ブレーキをかけましたが、幸い他に車がいなかったので事故にはなりませんでした。そしてその帰路、家の近くのスーパーの駐車場にバックで駐車したところ、ゆがんで駐車したので、Dレンジで少し前進してエンジンを切りました。いつもパーキングレンジで駐車し、サイドブレーキをかけることがなかったので、下を向いて買い物の袋を準備していると、妻が「車が動いている」というので、頭を上げると、車が前進していました。幸いハンドルを切ったままだったので、通路を挟んで駐車している車に当ることはありませんでしたが、パーキングレンジにしていなければエンジンを切っていても車が動くということをオートマチックの運転20年も経って初めて知りました。やはり免許返納をしなければと思うのですが、妻は買い物も出来なくなると猛反対、この上はさらに慎重な運転を心がけねばと思っています。
妻はすっかり味を占め、10月にもう一度四国遍路に行こうと愛媛県の休暇村の予約をしました。気を引き締めて出かけようと思います。
9月20日(日) 「昨年末の第九演奏会以来の生演奏」
明石フィルハーモニー管弦楽団(通称「たこフィル」)の定期演奏会が開催され、市民会館へ妻と聴きに行きました。今回の定期演奏会の第一部はジュニアオーケストラの結成10周年記念コンサートでした。7月に予定していた記念コンサートがコロナの影響でたこフィル定演に便乗したかたちでした。小学1年生から高校3年生まで在籍し、曲目によっては高学年以上の演奏でした。5〜6年生と思われる女の子が大きなチェロを演奏している姿は感動的でした。3曲目はたこフィルの木・管楽器と打楽器の助けを借りて、ベートーヴェンの「運命」第1/4楽章を立派に演奏したのにも驚きました。
たこフィルの最後の演奏はスメタナ作曲「モルダウ」で、この曲は栃木高校に通っていた孫が松江で演奏するというので、わざわざ聴きに行った懐かしい曲でした。彼はトロンボーンを吹いていたので、トロンボーンのパートに目が行ってしまいました。
アンコールで低学年も一緒に演奏したのにも驚きました。木・金管楽器以外は指揮者も含めて全員マスクをして演奏していた風景はこの時期にしか見られない演奏会でした。久しぶりに生の演奏会を聴くことが出来、印象に残る機会でした。
9月6日(日) 「台風10号」
あまり家にこもっていたら、毛細血管が衰えてきたのか久しぶりにウォーキングをしても足が前へ進みません。しばらく続けていると、なんとか40分程歩けるようになりましたが、みんなにどんどん追い越されてしまいます。それでもなんとか自分のペースで歩けるようになったので距離を伸ばしてみましたが、暑さもあって帰路はふらふらになってしまいました。その後距離をうんと短くして2日間程様子を見ました。その後なんとか元の距離を歩き続けています。楽しみは海に沈むきれいな夕日です。家島群島のほか、天気の良い日は小豆島や85番札所八栗寺のある五剣山が見えます。今日は台風10号が接近していますが、スマホで雨雲の動きを見はからってウォークに出かけました。
8月2日(日) 「再びコロナ第2波拡散で自粛生活延長」
暑さと外出自粛で家に引きこもりが続きます。そのため体重は2s増え、お腹がプックリふくれてきました。テレビを見ていてもついつい居眠り、昼寝をすると2時間たっぷり眠ってしまい、夜の睡眠時間が短くなってしまいます。このままでは認知症まっしぐらの日日です。
7月末には一昨年四国12番札所焼山寺で貰ったカレンダーの阿弥陀如来像の写仏を試みましたが、2回で集中力がなくなってしまいました。
7月23日(木) 「早くも夏水仙が開花」
例年8月末から9月の初め頃に開花する夏水仙がすでに満開を迎えています。新型コロナウィルスで世の中がおかしくなっているのに合わせているように思います。夏水仙は何もないところに突然花芽を出し、みるみる背が高くなって花を咲かせるので、毎年驚かされます。彼岸花と同じ種類なので、ひょっとしたら彼岸花も早く咲くかもしれません。
またまたコロナの第2波と思われる拡散が始まっています。当分収束しそうにありません。今日から4連休ですが、休日に関係なく自粛生活が続きます。困ったことです。
7月2日(木) 「3ヶ月半ぶりに山陽電車に乗車」
3月17日の川柳教室で山陽電車と神姫バスに乗って以来、公共交通機関に乗車することはありませんでした。外出はすべて自家用車で、買い物以外でも、但馬方面を中心に、私にとっては久しぶりに長距離も走りました。今日は高年クラブの仲間が市高連芸能祭に出演するので近所の仲間と電車で出かけました。受付の前に先ず検温、大丈夫とわかると手に消毒液を、そして受付で電話番号まで書かされて、入場が許されました。
午前中1時間あまり会場でカラオケなどを鑑賞しましたが、座席は一つおきに座れなくなっているなど、コロナ対策が施されていました。帰りは人と出会う約束があったので、急いで一人電車に乗りましたが、座席でもそれぞれ間隔を開けて座っており、ここでも密接を避けていました。ラッシュ時間を避ければ、やはり電車を利用する人は少ないなと思いました。
6月24日(水) 「夏野菜の収穫開始」
先日からミニトマトとピーマン、青じその収穫が始まりました。そして今日は大きなトマトやカボチャも収穫しました。今年は大きなトマト「桃太郎」を3本、ミニトマトを1本、ピーマン1本、カボチャ2本、ゴーヤ2本を植えました。ミニトマトは又芽を3本植えたものがすべて成長しています。青じそとツルムラサキは去年の種の落ちばえです。トマトは明日も収穫できそうです。
カボチャは枝がたくさん出てそれぞれ雌花がつきましたが、5個受粉したところで、雌花は小さい間に黄色く枯れてしまい、5個だけがすくすく大きくなり、最初の1個を収穫しました。残りをすべて収穫すれば、また雌花が大きくなって受粉できれば良いのですが‥
6月23日(火) 「鳥取砂丘を目指してドライブ」
例によって弁当持ちで降りないドライブに出かけました。今回は県外に出ることにし、鳥取方面へ国道29号線を走りました。途中一宮の「ながさわ」で、スイカの状況を眺めました。鳥取県からたくさんのスイカが運び込まれていましたが、以前より値が高くて、お買い得のビワを買いました。昼食時に食べると大きくて甘く、本当にお買い得でした。
戸倉峠を越え、若桜の道の駅の駐車場で持参した弁当を食べ、鳥取砂丘を目指しました。途中八東の道の駅で梨のようかんと梨のグラッセを買って北進し、29号線から9号線を東へ、鳥取砂丘へ向かいました。休憩するだけで500円の駐車料金を払うのはばからしく、さらに西へ向かうと日本海を眺める高台の駐車スペースがあったので、そこで休憩をしました。涼しい風が吹き込み、椅子を倒すとすぐに眠ってしまいました。30分程眠っていると、そばが工事車両の出入り口で、トラックと人の声で目が覚めました。もう一度9号線に戻り、東進していると、道の駅「いわみ」があり、寄ってみました。
店内で商品を見ながら歩いていると、妻がマスクをしていないのを見た店員がやって来て、「マスクをお持ちでなかったらどうぞ使ってください」とマスクをくれました。いくらか尋ねると「紙のマスクですからお金は結構です」と言いました。なるほど、紙の両側の輪ゴムが取り付けられており、口に当るところにはティッシュペーパーが当ててありました。入り口に「マスクをして手の消毒をお願いします」と書かれてありましたが、こんな気の利いたサービスは初めての経験でした。気を良くした妻は新しい魚と保冷剤を買っていました。
再び9号線を東進し、八鹿から北近畿自動車道で和田山まで走り、312号線で福崎まで、そこからは加西市経由でなんとか明るいうちに帰宅しました。走行距離は339.8q、25q/Lでした。久しぶりの長距離ドライブで、最後は少しお尻が痛くなりました。
6月16日(火) 「淡路島海岸沿いに一周ドライブ」
またまた弁当持参のドライブに出かけました。行き先も決めずに大久保インターから車を第二神明に久しぶりに侵入。すぐに淡路島へ行こうと妻の言葉。大橋を渡ったところで西浦へ進路をとりました。キティーランドが出来ていると聞いていたのですが、想像していたよりも小さな施設にびっくりしました。それでも年配の女性3人が訪れる姿が見え、入館者があるのがわかりました。以前同僚の両親の実家で、サイクリングの宿として泊めて頂いた江井のことを思い出しながら、ハンドルを握って一路南下しました。その内に線香の匂いがしました。お香作りの体験が出来る工場があったことを思い出し、寄ってみようと思ったのですが、海岸沿いの県道にはなく諦めて慶野松原を目指しました。駐車場へ入ろうとしたところ車止めが、まだまだコロナの影響が残っていました。仕方なくさらに細くなった県道25号線を南下すると、以前訪れた鳴門大橋記念館に到着しました。駐車場の景色の良いところに止めて持参した弁当やデザートを車中で美味しくいただきました。後からやってきた車は記念館の入り口で次々と引き返し帰って行きます。そばへ行ってみると、扉の内側に「本日の営業は終了しました」と書かれた看板が。コロナの影響なのか定休日なのか、昼時だったのに食事も出来ずに帰って行く人たちがたくさんいるのを目撃しました。屋外の展望台からはとてもきれいな景色を見ることができました。
戸崎の道の駅「うずしお」へ寄って少し買い物をした後、福良港の土産物屋に行きました。そこから海岸沿いを走るために灘方面へ向かいました。いつも由良方面から黒岩水仙郷へ向かうのですが、今回は逆方向から侵入したので、たくさんのタマネギ収穫の様子を見たり、道も快適で沼島へ行く港など新しい発見もたくさんありました。由良へ抜ける道は相変わらず狭く、曲がり道ではカーブミラーを一つ一つ確認しながらゆっくり走りました。
国道28号線に合流する直前に、チリメンを天日干しする良い匂いが漂ってきました。見ると水産会社の看板が、車を止めるとできたてのチリメンが売っていたので買って国道28号で東浦まで行き、高速で帰路につきました。淡路島の海岸沿いを一周したのは初めてでしたが、181キロのドライブを楽しみました。
6月7日(日) 「千種高原の九輪草」
今回も弁当持参で途中車から降りないドライブに出かけました。今日は千種高原へ九輪草を尋ねるドライブでした。以前九輪草のことは知らずに千種高原へ向かいました。途中道沿いの休憩所で昼食をとっていると、次々と車が高原方面へ向かっていきます。何か良いことがあるのかと昼食後行ってみると、九輪草を見に行く車だったのです。そのときは妻も元気だったので、花を愛でながら、山の中のコースを歩きました。そのときは平日だったので、見物に来ている人も少なく、のんびりと見て回りました。その後新聞にも紹介されていました。
今日は日曜日で、直前に新聞で報道されたこともあって、県内だけでなく、県外からもたくさんの車が並び、コースの終わりあたりにある駐車場に止めました。気温が高く途中ずっと窓を開けて走りましたが、高原に到着すると、涼しい風が強く吹き、気持ちよく過ごすことが出来ました。車内で持参の弁当を食べた後、私ひとりで山の中の九輪草を見て回りました。最後に舗装道路脇の群生地を見て車に戻ると案外近くだったので、妻を誘って最後の群生地へ行きました。妻は車から見える藤の花と九輪草で気が晴れたと言っていたのですが、群生地に咲く花を見て、前回よりたくさん咲いていると言って大喜びでした。
帰りは西粟倉方面へ回り、コロナの自粛以来久しぶりにほんの少しだけ県外(岡山県)を走りました。そして、道の駅アワクランドでトイレ休憩をしたついでに、売店で少し買い物もしました。今日も230qあまり走り、6時過ぎに帰宅しました。このところ温かくなったのと、ほとんど信号のない地域をのんびり走り続けるので、1gあたり24q以上と今までにない燃費の良さです。
6月2日(火) 「ウォークの目標一日6000歩」
スマホに万歩計の機能があります。3年前の富士登山を目指したときは一日10000歩/週3日が目標でした。スマホを買ってからは1日6000歩を目標にしました。同じ年齢の知人が1日10000歩を毎日歩いていて、足を痛めたと聞いたからです。しかし、新型コロナで外出自粛を始めてから、一日2000歩前後で、雨などが降ると1000歩に届かない日もありました。
ところが、消毒液を求めて歩いた先月28日、補聴器の電池を求めて大久保駅あたりを歩いた31日、そして、今日は校区高年クラブ会長の代理で、校区内の五つの会長宅を歩いて書類を配り回り、それぞれ11000歩以上歩きました。ただし、それ以外の日は4月27日と5月17日以外は目標の6000歩に遠く及ばない日日でした。だから体重は2sほど増え、お腹も出たように思います。ただ仰向きに寝転ぶとそれほどお腹が出た感じはなく、どうやら腹筋が衰えてしまったようです。そういえば低い椅子から立ち上がるとき、いつも以上に力が必要になります。ロコモ体操をしなければなりません。
5月31日(日) 「補聴器の電池」
昨日の朝、妻が一晩眠れなかったと言いました。訳を聞くと、前日プリンターの修理ができあがったので受け取りに行ったついでに、妻の補聴器の電池を買おうとしました。そのとき品切れで、いつ入荷するかわからないと言われたのを気にし、もし手に入らなければ人とのコミュニケーションが出来なくなると思ったそうです。そこで遠方にいる娘や息子にラインやメールで協力を求めました。
早速ラインで娘から今朝アマゾンで注文しておいたと連絡がありました。しかも値段が格安で、驚きました。このような入手の手段があるとは思いもしませんでした。インターネットで商品を注文することはあっても、私の場合は製造元へするだけだったのです。支払はカードは一切使わず、郵便局かコンビニに限っているので、購入する場所が限られています。カードの情報は知られたくないと思っています。
5月29日(木) 「明石市の消毒液配布」
明石市の広報で消毒液を配布すると載っていました。それで、昨日グラウンドゴルフを楽しんだ後中学校のコミセンへもらいに行きました。おかげでこのところ日日の歩行数は2000歩前後だったのが、久しぶりに11000歩あまりで運動したなという感じがしました。貰った消毒液は「弱酸性次亜塩素酸水」でした。早速勝手口の手すりなどに吹き付け消毒しました。
ところが今日のヤフーニュースで、次亜塩素酸水の効果について「慈亜塩素酸水 新型コロナウイルスへの有効性認められず」と載っていました。やはりアルコールでなければ効果がないようで、我が家では無用の長物になりそうです。
5月28日(木) 「タマネギが異変」
11月に200本植え付けたタマネギが順調に育ち、いつになく大きくなり喜んでいました。ところがここ1週間程葱坊主の蕾がポツポツ見られるようになり、3日前には12本、昨日は8本見つかり引き抜きました。最初から数えると、植え付けた苗の1.5割に当ります。
いつもだと数本蕾が見つかる頃にはタマネギの葉が自然に枯れ始め倒れてくるのですが、今年は元気良く葉もまだまだ青々しています。今日私がグラウンドゴルフに行っている間に、妻がたまらず葉を倒していました。これ以上成長が止まり、葱坊主の蕾の出現が止まれば良いのですが‥ これまで毎日今日は何個発生と報告していると、まるで新型コロナの発生状況のような感じがしました。
5月20日(水) 「プリンタが故障で修理に」
2月に買ったエプソンのプリンターの調子が悪く修理に出しました。A4の書類は印刷できるのですが、はがきの印刷をしようとしてもエラーで、「印刷用紙がありません」と表示されます。しかもテストをするたびに印刷できないにもかかわらずどんどんインクが減っていきます。仕方なく背面の手差しで印刷をしていました。これだと1枚ずつなので手間がかかります。
今日は妻がプリンターを購入した電気店の近くの病院へ行くので、送っていきがてら修理に持って行きました。電気店でもいろいろテストをしてくれましたが、やはり印刷できないのでメーカー送りになりました。修理といってもコロナ拡散でメーカーも正常に稼働していないらしく、一応修理できあがり予定は6月3日になっていましたが、見通しがつかないとのことでした。
6月4日に校区老人クラブの役員会があり、皆さんに役員名簿を配る予定にしていましたが、原稿をパソコンで作っていても印刷することが出来ないかもしれません。UBSメモリーに入れて持参したとしても私が一太郎で作成しているので、他の人に印刷を頼むわけにいきません。今からワードで作成するといってもワードの使い方を知らないので勉強しなければなりません。プリンターの不具合でこのような影響を受けるとは思いもしませんでした。
5月13日(水) 「鉢伏高原でワラビ採り」
今日も快晴に恵まれ、弁当持参で車から降りないドライブに出かけました。妻が前もって弁当を用意していたので、9時30分に出発。青垣町の遠阪ICから高速で八鹿まで行き、9号線で北鉢高原入り口まで行きました。駐車場で弁当とトイレを済ませ、東鉢伏を経由して鉢伏高原まで行きました。そこで3人連れに出会い、3人がそれぞれ袋一杯のワラビを持ち帰っていました。尋ねるとゲレンデ上方にたくさんあるとのこと、私たちも行ってみました。一度しゃがみ込むと20〜30本も生えている状況に、急いで車へ袋を取りに戻り、1時間あまり夢中でワラビ採りをしました。特に妻はツクシ採りなど大好きで大喜び、家に帰って計ってみると1.6sもありました。早速あく抜きをし、明日天日で乾燥することにしました。
5月10日(日) 「延期になった屋外一斉清掃」
自治会の予定表に今日屋外一斉清掃が実施されることになっていました。昨日中に家の回りの溝掃除や草を引いて出す準備を整えておきました。夕方集積場所の様子を見に行くと全くありません。例年だと前日には個人宅の回りはすっかりきれいになっており、集積場所にはかなり集められているのですが。それで自治会館へ行ってみると「コロナ拡散防止のために延期」と書かれて貼り付けられていました。回覧板で知らせてこなかったところを見ると、どうも回覧板すら自粛しているようです。仕方なく門扉の横に置いていたのですが、妻が見苦しいから溝や会所から上げた土は庭の片隅の水がたまる場所に撒いておくように言います。溝の土からはいろいろな草が生えるのでまずいと思いましたが、一斉清掃がいつになるかわからないので言う通りにしておきました。きっと梅雨時には草に悩まされることでしょう。
5月8日(金) 「膝痛でヒアルロン酸を5回関節に注射」
先月膝が痛み出し、夜寝ていても膝が痛くてどうすることも出来ず、翌日整形外科へ行き痛み止めの飲み薬とシップ薬を貰いました。しかし薬の副作用で目まいが、また湿布薬はかぶれはじめて皮膚が赤くなりました。次週に行くとヒアルロン酸の注射をすることになりました。その翌週には今治へお遍路に行くことになっていました。注射が効いて痛みはほとんど消え有り難かったのですが、週1回の注射の回を重ねるごとにだんだん痛みが戻ってきた感じで、最終回の5回目は家に帰ってからだんだん痛みがひどくなってきました。明日になって薬が効いて痛みが引いてくれば良いのですが‥
5月5日(火) 生野高原へドライブ」
予定もなく、天気が良い日は外出したくなります。しかしステイホームを要請される日日、妻にとって家に居る限り三度の食事の準備や庭の草引きなど用事が絶えません。だからステイホームと同じ条件で気晴らしをするためには車から降りないドライブが唯一の楽しみです。
朝食後おにぎり弁当を作って10時過ぎに家を出発します。特に行き先を決めずにとりあえず自然を求めて北上しました。八千代区を過ぎて走っていると、せせらぎの湯の前を通って市川町に出ました。神崎町の道の駅でトイレを済ませ、地図を見ていた妻が生野高原がどんなところか行ってみたいと言い出しました。高原ならば自然いっぱいだろうと向かいました。ところが行ってみるとゴルフ場と別荘地のような所しかなく、期待していた広々とした高原ではありません。看板に狗鷲桜の案内があったので行ってみることにしました。狗鷲桜の前の日陰に車を止め、弁当を食べながら高原の空気に少し触れました。
食後狗鷲桜のいわれを読み、写真を撮り、あたりを少し散策しましたが、人影は工事をしている人々と、ハイキングをしている夫婦だけでした。高原としては期待外れでしたが、狗鷲桜の根っこが大きな岩を掴んでいる様子はまさに狗鷲が獲物をわしづかみにしている感じで、来た甲斐がありました。ちなみに狗鷲桜の下方に肉料理を食べさせるレストランがあり、昼時だったからか駐車場にはたくさん車が止まっていました、
4月30日(木) 「山陽電車の回数券が‥」
自宅の最寄り駅から明石駅へ行くのに片道の運賃が300円かかります。回数券を買うと11回30000円です。1月に買った回数券は有効期限が4月末日でした。川柳教室や、4月から始まる歴史講座に妻と参加を予定していて、そのほかにも神戸へ行く用事が2回あったのですべて使えると思っていました。ところが4月に予定していた行事がすべて中止になり、4回分1200円を使っただけで残り7回分は無効になってしまいました。山陽電車も乗客が少なくなったと思います。だから残りの2100円は山陽電車にこれまでお世話になった感謝の気持ちだと思っています。
また土日祝日限定の回数券も7回1500円で買っています。こちらは月1回の写経で使う予定をしていましたが、こちらも中止、有効期限が5月末日で、今の状況では5月も開催されそうになく、2回使っただけで無効になりそうです。コロナウィルス感染を恐れて3月下旬以降公共交通機関を避けているので、当分乗車予定はありません。病院や買い物に出かけるときは自家用車を利用しており、このところガソリン代が安くなっているのがせめてもの救いです。
4月28日(火) 「どこへ行っても」
午前中は庭の手入れや普段することがない物置の清掃など、コロナの外出自粛を守っています。しかし、家にいると用事ばかりでうんざりするのは妻も同じ。そこで午後から車で出かけることにしました。といっても車から降りないといって家を出ます。だから行き先は特に決めずに出発します。国道175号を北上していると、いつもウォークに出かける三木山森林公園に近づきました。どの程度車が来ているか覗いてみようとしましたが、入り口は閉鎖されていました。そこで吉川方面へ車を走らせると、めんたいパークに近づきました。めんたい豚まんを買おうかと駐車場に入ると車は数台しか止まっていません。4時近くなっていたのでもう閉店かなと思い入り口で豚まんまだ買えるか尋ねると、本日は販売していませんとの返事、こんなにコロナ自粛が徹底されているのを実感しました。帰りはいつも通らない裏六甲の道を走りました。乗用車がやや渋滞する程走っており、やはり神戸の主要道路だと思いました。
4月21日(火) 「グラウンドゴルフも中止に」
今日も仲間9人で楽しくグラウンドゴルフを楽しみました。ところが、校区からコロナ感染者が出たということで、5月11日まで自粛することになってしまいました。すでにコミセンで行われているスポーツ21のグラウンドゴルフは小学校が休校になり、コミセンも閉鎖された時点で中止していましたが、私たちの地域のグループは少人数で、密集もしないし共通の道具を使わないので屋外スポーツとして続けていました。しかし、万一のことを考えて休むことになりました。これまで自粛中の唯一の運動でしたが、当分妻と同じように庭での活動になります。
4月18日(土) 「スマホのライン開始に悪戦苦闘」
現職時代の同僚からライン参加のお誘いがありました。2年前、職場の同僚による同窓会に誘われて初めて参加しました。今年は幹事からコロナの影響で中止になったという連絡とともに同僚のライン参加を誘われました。ラインの意味もやり方もわからないまま、スマホを買ったときのマニュアルも参考にしながら彼の導きによって半日がかりでなんとか参加にこぎ着けました。まだまだやり方が曖昧で十分操作できませんがこれからぼちぼちやっていきたいと思います。
4月18日(土) 「四国遍路のお寺も閉鎖へ」
4月14日(火)から一泊で遍路旅に出かけました。3月26日に兵庫県立がんセンターへ10時頃行ったのですが、受付番号が1332番で、付き添いを含めると2000人程が訪れていたことになります。その人たちがそれぞれの科の待合室にいるので、間隔を開けて待つわけにいきません。感染多発地区からも診察に来ていることを考えると、待合室は密室状況なので2時間もいたら感染しても不思議ではありません。だから2週間以上期間を空けて今治の休暇村に予約を取りました。
感染を避けるため自家用車で出かけたのですが、軽自動車では長距離は大変でした。しまなみ海道をおりて最初のお寺56番泰山寺へ行きました。するとお寺の人が手でバッテンをして正面階段から入場できないと合図をしています。仕方なく横の入り口から境内に入り、太子堂と本堂にお参りしました。ところが納経所は閉鎖されていて、同じようにお参りに来た人と諦めて境内を後にしました。ところが出るときに見ると横の出入り口にも境内立ち入り禁止の表示が出ていました。一歩遅ければ境内にも入れないところでした。
続いて57番栄福寺、見事な山ツツジを見ながらの58番仙遊寺、59番国分寺とお参りを済ませて宿に入りました。宿の駐車場からは海の向こうに石鎚山などの山並みに雪が積もった見事な景色を見ることができました。日曜から月曜にかけて雪が降ったそうで、60番横峰寺へは雪でお参りできないと途中情報を貰っていましたがこのことだったとよくわかりました。部屋に入り、ベッドの上で横になると、身体がどんどん前に進みまだ車に乗っている感じがします。その内に気分も悪く、まるで車酔いの感じです。1時間程眠っていると気分はすっきりしました。先日膝が痛くなり、痛み止めで貰った飲み薬の副作用で目まいがしたので、日曜日から服用をやめていたのにまだ副作用が残っていたようです。
夕食は食べきれない程の料理で、申し訳ないけれど残してしまいました。宿泊客は4組10人程でしたが、それでも温泉施設など普段通りの営業をしておられ、なんだか申し訳ない気分でした。そして朝食も本当はバイキングだそうですが、和定食の豪華なメニューでこれまた残してしまいました。途中パンもいただいたので、それは包んで昼食用に持参しました。
二日目は今治城のそばを通って55番南光坊をお参りし、54番延命寺へ行くと、ここでは境内でお参りすることは出来ましたが、納経所は閉鎖されていました。丁度お昼になったのですが、食堂らしきものが見つからず、イオンが見つかったのでそこで、寿司を買って駐車場で昼食を済ませ、早めの帰路につきました。横路の経験を生かし、帰路は80キロ前後で走るトラックの後ろについてゆっくり走りました。休憩を取り30分程眠ったおかげで、疲れもなく明るいうちに帰宅できました。往復553キロ程走りましたが、遠くへ行ったと思っていたけれど案外近くだったことがわかりました。
今日ニュースを見ていると、88か寺すべて今日閉鎖されたとのこと、全国緊急事態宣言でお遍路ということでの県外移動を自粛することになったようです。
4月8日(水) 「校区高年クラブ会長会」
昨日新型コロナウィルスの拡散防止のために兵庫県にも緊急事態宣言が発令され、明石市もコミセンなどが閉鎖され、自治会館も連休明けまで使えなくなりました。そのような中、校区高年クラブ会長会は予定通り開催されました。会場は窓が開け放たれ、全員マスク姿で11人が集まりました。
明石市高年クラブ連合会の理事会の報告がありましたが、その中に高年クラブ入会募集のパンフレットがありました。以前17,000人程いた会員が今は9,000人を割る程に減少しているからです。私たちの住んでいる地域にはマンションなど単独に自治会を構成しているところがあり、小さな自治会には高年クラブがありません。それで、近隣の高年クラブのない自治会の高齢者に入会を認めてはと考えてみたのですが、やはり自治会の会員以外は認めないという結論になってしまいました。それは自治会から高年クラブに助成金が出ており、自治会員以外の人が含まれている会には助成できないというのが理由です。そして校区でその原則を統一してほしいというのが校区自治会連合会(まちづくり協議会)からの要望だったからです。そして高年クラブがない自治会に住んでいる人から「うらやましい」「さびしい」という声を聞くのですが、自治会規則や、規約で「入会資格は自治会員であること」としている会が多いからです。ちなみに私が所属している高年クラブには規約はありません。規約があるとそれに縛られ、運営が形骸化する恐れがあるので、そのときの役員が前例にとらわれず創造的に運営し、問題があればそのときの役員で考えて決めれば良いとして代々の会長に引き継がれています。
4月1日(水) 「「中止の連絡が相次ぐ」
新型コロナの影響で次々中止の連絡が入ります。4月に予定をされていた校区の歓迎会や会議、講座の中止の連絡に続いて、5月に予定されていた音楽会、そして7月の総会等々、毎日のように中止の連絡が入ります。私が企画しなければならない高年クラブの総会も開催日を決めかねています。3月に開催予定だったのですが、学校の休校に続いて自治会館の閉鎖などで、延期をしているのですが、このように4〜5月の行事が中止されると、幸い明石市では発生していないと言っても、いつ発生するかわからない状況では安易に開催できません。もうしばらく様子を見ながら開催日決定を待ちたいと思います。
そんな人間社会をよそに庭の花々がきれいに咲いています。特に妻が入院中、頼まれて植えたチューリップやムスカリなどがきれいに咲き始め、庭中に咲いている水仙やスノーポールなどと一緒に心を慰めてくれます。
3月21日(土) 「久しぶりのお遍路」
19日の夜、2〜3日晴天が続くとの情報を得て、予定の入っていない20日にお遍路に出かけることにしました。もしコロナウィルスに汚染される可能性が低い宿坊に泊まれるようだったら1泊で少し遠出をしてみようかと思ったのですが、宿坊はあいにく満杯ということで、日帰りで妻がお参りしていない近くの甲山寺へ出かけることにしました。
これまでに書きためた写経とお参りの衣装などをもって朝6時過ぎに出発しました。途中SAでサンドイッチを買って朝食を済ませ、瀬戸大橋を渡って9時過ぎには甲山寺に到着しました。お彼岸の中日ということからか参拝者が次々やって来ました。駐車場で服装を着替え、山門をくぐると団体客と一緒になり、添乗員がみんなの納経帳を集めていたので、順序が違ったのですが、先に納経帳に御朱印を貰いました。それでも納経所では行列が出来る程でした。納経所を出て本堂へ行くと、団体客の読経が終わったところでした。ろうそくとお線香の準備をしたのですが、ライターもマッチも見つかりません。種火も消えているので仕方なく火を点けずにかたちだけ立てておきました。(帰って荷物を確かめるとお寺まで持って行っていました。歳ですね)。
甲山寺を出発してすぐに宮川製麺所が目につきました。正月に讃岐うどんを食べ損なったので、昼には時間が早かったのですが入って食べました。遍路の服装をしていたからか、支払のときにおつりと一緒に飴を4個貰いました。コロナウイルスを避けるため、自然いっぱいと思われる満濃池へ行くことにしました。カーナビのおかげで迷うことなく目的地に到着、広い駐車場のそばに記念碑や、インターネットで調べていた神野神社がありました。境内に上がってみると、素晴らしい景色でした。日本一のため池だけあって広々とした池で、そのような昔に築かれたことに感心しました。
明るいうちに帰宅するため、塩江の道の駅によって徳島道からかることにしました。途中高松空港があったのでちょっと寄って車の中から眺めました。山の中の塩江道の駅だけあってツクシが安く売っていて、妻は買って翌日のちらし寿司に入れていました。うどんを食べていたので持参した弁当は徳島道のパーキングエリアで2時過ぎに食べました。一日中強い風が吹いていましたが、コロナウィルスに触れることのない絶好の日帰り旅でした。
3月10日(火) 「新型コロナウィルスの影響が身近に」
豪華客船で騒がれ始めた頃、私たちには関係ないと思っていました。ところが兵庫県でも西宮市に始まり、神戸市、姫路市と次々患者が見つかると、いよいよ迫ってきた感じがします。学校が休みになったのと同時に、私の住んでいる地域の自治会館も集会禁止になってしまいました。
3月7日に開催予定していた高年クラブの総会も中止に追い込まれ、予定がすっかり狂ってしまいました。新たに提案する協議事項も審議出来ず、役員の打ち合わせも出来ない羽目になってしまいました。そのために、昨日総会での伝達事項をプリントし、配布を予定していた資料や海岸清掃の当番表、兵庫県老人クラブ連合会の機関誌など、新たに配布しなければなりませんでした。このままだと自治会館で予定していた女性カラオケも3月中は中止せざるを得ません。かろうじて屋外で9名の会員でするグラウンドゴルフだけが平常通りの活動です。
今は公共交通機関を避け、自家用車で三木山森林公園へ妻と出かけて、自然の中でウォークを楽しむくらいです。したがって目標の6000歩に届かない日が増えています。今日も朝から雨が降っていて夕方5時に万歩計を見ると45歩と表示されました。朝からゴミステーションにゴミ出しをした後はテレビを見たり写経をしたくらいでした。雨も上がっていたので江井島海岸の「浜の散歩道」へウォークに出かけ、1時間程歩きました。おかげで7856歩と目標を達成することが出来ました。
3月2日(月) 「ホールインワン10回」
土曜日に1日中雨が降り、月曜日は湿り気のあるグラウンドでした。仲間がトンボでコースを作り、私がそのコースにローラーをかけました。したがって小石が土に沈み、絶好のコンディションができあがりました。9人で4ゲームプレイをし、45回のホールインワンがありました。これは1日の新記録です。その中で、私は初めて10回のホールインワンをしました。私はこれまで5回というのが最高記録でしたが、10回はまさに新記録、しかも私たちが何年もプレイをしていて、最高が9回だったので、まさに新記録中の新記録になりました。ちなみに8回という仲間や2回という仲間も居ました。
ホールインワン1回で100円寄付するのですが、この日は900円しか持っていなくて、100円借りました。このところ1回も入らなかったり、1回だけしか入らないことが続いていて、まさかこんなに入るとは想像もしていなくて、本当にびっくりです。ちなみにこのホールインワン貯金は年に10万円以上たまり、年に1回みんなで泊まりがけでグラウンドゴルフを楽しんだり、忘年会などを楽しんでいます。
2月14日(金) 「プリンター更新」
年賀状を印刷する頃から、「カバーが開いています」というメッセージが表示されるようになり、その間はプリンターが停止してしまう症状がありました。それでも時間はかかるけれどもなんとか印刷が出来ました。先日川柳教室の新年会の写真の現像を頼まれたので、2Lの写真用紙を買いに行ったついでにプリンターを眺めていると、店員がやって来ていろいろ説明をしてくれました。
これまでキャノンのプリンターを使っていましたが、新機種にするとインクのカートリッジを変えなければならないことがわかりました。しかもキャノンは6色といいながら実質は5色です。同じレベルのエプソンのプリンターは6色でしかも1000円安く、決算を控えた大売り出しをしていたので衝動買いをしてしまいました。
家に帰り、とりあえずキャノンのプリンターで新年会の写真をプリントアウトしました。順調に9枚印刷したところで突然「トラブルが発生しました」と表示され動かなくなってしまいました。何度か電源を切ったりして復旧を試みましたが、どうにもなりません。仕方なくエプソンのプリンターの梱包を解き、マニュアルを見ながらセットアップし、なんとか印刷にこぎ着けました。写真用紙と画像にずれがあり、調節しながら、なんとか残りの8枚を印刷することが出来ました。
それにしても、衝動買いをしていなければ、また車でプリンターを買いに出かけなければならないところでした。できばえはエプソンの方がきれいなのは、やはり6色だからかもしれません。その後FAXを記録したSDカードを挿入してA4の用紙にプリントアウトをしようと思ったのですが、写真以外、文章を印刷する方法が見つかりませんでした。まだまだ使い慣れるのに時間がかかりそうです。
2月13日(木) 「昨年5月1日以来の三木山森林公園ウォーク」
三木山森林公園へはこれまでよくウォークに出かけていました。自然の中を歩くと気持ちが良いからです。昨年のゴールデンウィーク後、妻が腰椎を圧迫骨折し、治癒と同時に私が肋骨を骨折、ほとんど治ったと思ったら、妻が再び大腿骨骨折と、ウォークどころではありませんでした。やっと二人で歩こうかという雰囲気になった今日、2月中旬だというのに快晴で気温は17度、家でじっとしておれないので、午後から久しぶりに三木山森林公園へ車で出かけました。妻はゆっくり池を1周、私は池を半周したところで地蔵口まで行、そこから遊歩道を登りました。森林の中を気持ちよく歩いた後再び池の周囲を残り半周しました。午前中はグラウンドゴルフと高年クラブの総会案内状配布などをしていたので、今日は久しぶりに14853歩歩きました。先日から意識して1日6000歩歩くようにしていたので、疲れや筋肉痛などはありませんでした。
1月29日(水) 「冬咲きチューリップ展」
洲本在住の妻の従姉妹からイオン洲本店横の公園で冬咲きチューリップ展をしているとの情報をもらい行ってきました。通路の両側に見事な花をたくさん咲かせていました。レンガ作りの旧カネボウの建物をバックに花が咲きそろい、見事でした。写真もたくさん撮りましたが、写真をパソコンに取り込むソフト“F-LINK
Neo”の調子が悪く取り込めません。美しい写真をアップしたかったのですが、諦めていたらいつもと違うファイルに保存されていてホッとしました。
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昼食は少し離れた和食の店に連れて行ってもらいました。観光バスが来るような大きな店でしたが、上にぎり&ふぐ御膳はとても美味しく満足でした。帰路まだ文旦は売っていないだろうなと言いながら、昨年文旦を買った東浦の道の駅に寄りました。ところが立派な文旦がたくさん売っていました。最も大きな3L10キロ入りの袋を3500円で買って帰りました。以前はすえひろ屋という土佐の通信販売の店で家庭用10s3000円で買っていました。一昨年の豪雨で文旦の木が被害に遭い、昨年は販売の案内が来なかったので諦めていたのですが、昨年たまたま寄った東浦の道の駅で見つけたので買って帰ったのです。通信販売だと送料がかかるので同じくらいの値段になります。食べ頃まではまだしばらくかかりますが2月下旬頃から食べ始めたいと思います。
1月27日(月) 「ゆずジャム作り」
庭に柚の木が1本あります。今年は何年ぶりかで沢山の実をつけました。と言っても例年は妻が摘果するので、もっと大きな実がなるのですが、今年はその時期に入院していたので花がほとんど実ってしまったのです。年末に娘に4キロあまり収穫して送ってやりました。
昨日午前中に残りの実の大半を収穫しました。実はいつもより小さかったのですが、15sほど収穫していました。
自治会費を集金に来られた近隣の人や、隣の方にもらってもらい、そのときにもらったレシピを見ながらとりあえず2sジャム作りを始めました。昨日午後から柚の実を6等分に切り、身と皮に分け、皮についている筋を取り去って1ミリ以下に刻む作業を私もやりました。包丁などほとんど扱わない私は何度も分厚すぎると注意されました。立って包丁を使うと腰が痛くなるので椅子に座って作業を4〜5時間頑張りました。その刻んだ皮を一晩水に浸け、翌朝水を切って改めて皮がひたひたになるほど水を加えて大鍋に煮込みました。煮立ったところでグラニュー糖を入れて煮詰めるのですが、家にあるグラニュー糖では足りないことがわかり、1q先のAコープまで雨の中を徒歩で買いに行きました。残りのグラニュー糖を加えて煮詰め、昼前にはなんとかできあがりました。
午後から女性のカラオケグループの新年会があり、機械操作をする私も家内と一緒に出かけました。残りのゆずの大半をカラオケグループの皆さんにもらってもらったり、柚の皮とはちみつでゆず湯を飲んでもらったりしました。それぞれ十八番を2曲ずつ歌いました。4時過ぎに家に帰るとジャムは冷えていて、見事なゆずジャムが出来ていました。これまでは皮と身を一緒に煮込んだジャムを作っていたのですが、酸っぱくてあまり美味しいものではありませんでした。今回は身を搾った汁を少し加えただけなので、甘くて美味しいジャムができあがりました。鍋に残ったジャムにお湯を加えて飲んでみると絶品でした。明日の朝焼きたての食パンを買ってきて、トーストにこのジャムをつけて食べたいと思っています。
1月17日(金) 「市高連作品展搬入」
明石市高年クラブ連合会では毎年この時期に会員の作品展を開催します。小学校区ごとに3点作品を展示します。今年は私が会長をしている単位クラブから3点出品することになりました。クラブ員全員に声をかけたのですが反応がなく、11月に出品申し込みをしなければならなかったので、妻が入院中を良いことに、無断で20年程前に制作した木目込み人形を出品リストに入れておきました。そして女性役員にこのことを話すと、一緒に木目込み人形を習っていた人と、革製品を製作した人がそれぞれ出品してくれました。
いよいよ搬入が近づいた1週間前に妻に話すと、案の定無断ですることに難色を示しましたが、昨日自分で人形を修正し、出品できるように準備してくれました。主催者は壊れても責任を負わない、壊れやすい作品は受け付けないと言っているので、なんとか事故なくそれぞれにお返しできることを祈るばかりです。ちなみに作品展は1月18(土)〜20日(月)Pm3:00 明石市立勤労福祉会館1階ギャラリーで開かれます。
1月17日は震災25年目にあたりますが、20年目まではグループいきいきネットの仲間とほぼ毎年ウォークに参加していました。神戸新聞の記者からインタビューを受けて紙上に載ったこともあります。今日はテレビ地上波はそのニュースばかりでいささか食傷気味になりました。
妻が退院してからテレビの声がこもって聞きづらいというので、補聴器を買った店に相談すると、機械でテレビの音声を直接補聴器へ電波で送り込む商品があることを教えてくれました。注文していたら今日その商品が届き、業者がテレビに取り付けて調整してくれました。おかげでテレビの音量を小さくしていてもはっきり良く聞こえるようになったそうです。補聴器そのものは結構いい値段しますが、このようなすごい機能がついているとは思わず、感心してしまいました。テレビの音と本来の補聴器の機能の切り替えや音量も専用のリモコンで調整でき、値打ちのある補聴器です。
1月11日(土) 「校区新年会」
校区のまちづくり協議会主催で新年会があり、校区内6高年クラブの会長も参加しました。昨年は欠席しましたが、初めて会長になった一昨年にも参加しました。そのときは勝手がわからないので、ただ注がれたビールを飲んだだけでした。最後に福引きがあり、2番目に名前を呼ばれ、江井島名物のひねポン(鶏肉の加工品)をもらいました。今年は勝手がわかっていたので、積極的に料理をゲットし、たっぷり食べました。そして福引きになり、再び2番目(1番目は15等のひねポン)14等当選で名前を呼ばれました。隅に居るからといい加減な服装で行ったのですが賞品は舞台上で渡され、記念撮影までありました。ほとんど背広姿だった中でいささか恥ずかしい思いをしました。賞品は江井島産の昆布でした。4〜5人に一人の割合で当選する福引きで早々に当選するのですから今年も良いことがあるかもしれません。一度宝くじでも買ってみますか‥
1月7日(火) 「新年おめでとうございます」
昨年は二人とも病院のお世話になりましたが、今年は穏やかな年であることを願っています。そこで神様・仏様にお祈りをするお正月でした。「今年の紅白は演歌が少なく、あまり親しめなかったな」と言いながら年を越し、日付が変ってすぐに氏神様に初詣に出かけました。行ってびっくり、いつも神社の階段下くらいのお参りの行列なのに、今年はその3倍以上の人が並んでいました。しかも知らない人ばかり。最近旧家に人がいなくなり取り壊された後に数件の新しい家が次々建てられていますが、そこの住人たちなのでしょうか。夜中というのに子ども連れや若い人たちの姿も多く見られました。いよいよわが村も世代交代の時期に突入したようです。
2日はいつも行く高家寺で写経と般若心経を唱える会に参加、3日は10時頃から瀬戸大橋を渡って近くの道隆寺と金倉寺へ二人が書きためた写経を納めにお参りしました。暖かな1日だったからかどちらも参拝者が大勢でした。うどん県でうどんを食べようと思ったのですが、どの店も車の行列で入れそうになく、金倉寺のお参りの後車の行列が終わっていたので入ろうとしたら「本日は終了しました」の看板、あきらめて高速道で帰路につきました。昼食抜きで妻はぶつぶつ、高松道から次々瀬戸大橋方面へ車が行くので、淡路経由で帰ることにしました。SA津田の松原によって何か食べることにしました。讃岐うどんがあったのですがここも行列が出来ていたので、自動販売機でサンドイッチ、窓口でおにぎり2個と大山牧場直送のカレーパンを買って食べました。空腹だったせいかおにぎりとカレーパンが以外と美味しく、つまの機嫌もすっかり治り、帰りにもう一つカレーパンを買って車に乗り込みました。高速道の運転中にカレーパンを食べるように言われたのですが、それでなくても運転に自信を失いかけているので断ると、よほど美味しかったのか妻はぺろりと平らげてご機嫌でした。淡路に入る頃には暗くなり、渋滞が始まりました。その内に前の車の尾灯が2重に見え、車線も直線以外に左に曲がって見えるようになってきました。夜の運転で一番恐れていた症状です。こんな時は左目をつむり、実像を確かめます。そして津名パーキングで休憩を取り一眠りすることにしました。ついでにトイレにと思って車外に出ると、冷たい風が吹いていて気分がすっきりしました。身体特に目の疲れがとれたので、大渋滞の中無事運転を継続して帰宅できました。
4日は早速愛車の6ヶ月点検、帰りにAコープで買い物すると福引きがあり、5等10円と4等50円が当りました。ちょっとだけ運の開けた年になるのかな。そして5日は明石市高年クラブの三社詣り、校区で40人以上集めれば校区貸し切りバスになるということで、5単位クラブから43人が参加し、バスの中では、地元出身の人たちは同窓生や知人が多く、和気藹々の雰囲気でした。岡山県の和気神社、作楽神社、中山神社にお参り、どの神社も立派でした。帰りにヤマサ蒲鉾直売店に寄ったのですが、あまりにも混雑していて結局車内販売のむき焼き栗250円一袋をお土産に買っただけで帰ってきました。皆さんはどのお店でも沢山買っていました。
6日には女性カラオケの例会でやっと平常の生活が始まりました。と言っても課題曲「熊野古道(坂本冬美)」が難曲で、何度練習してもまともに歌えるようにはなりませんでした。参加者は80歳を超えており、みんなもまともに歌えるようにはなれませんでした。