2011年度(平成23年度)

                                       
12月29日(木) 「正月用品の買い物」
 妻と一緒に作る親戚などへの年賀状を書き終えたので、26日に投函しました。私は裏面を印刷し、妻が宛名を手書きしました。投函した後、神戸ワイン城のそばにある「六甲めぐみの郷」へ野菜の買い出しに行きました。平日にもかかわらず、広い駐車場はほぼ満車の状態で、店内も人でごった返していました。それでも新鮮な野菜が比較的安く売っているので助かります。ミカンも一箱買い、お昼頃駐車場に戻ると、車はすっかり減っていました。みんな朝早くに買いに来るようです。帰りに大久保のコープ神戸で買い物をして帰りました。
 翌日は便座のカバーなどを買いに量販店へ行きました。2店目で何とか気に入ったものが見つかりました。帰りにAコープで日持ちのする正月用品を買いました。そして28日は夕方から郵便局の本局へ年賀状の書き残しを投函し、100円ショップでそれぞれが持ち帰る密閉容器などを買いました。他に、みんなで調理するまな板などを買ったので、100円ショップで2000円以上の買い物になってしまいました。この様な経験は初めてです。
 今日29日には再びキリン堂で牛乳などを買い、Aコープで年末や正月用の生ものを買いました。4日間で、4軒分のおせちの材料が大体そろったようです。まるでこの世の終わりのような買い物だねと二人で笑いました。
 明日はお餅つきをした後、妻はおせちの下ごしらえをします。そして31日には、帰省する娘一家も含めて4人の女性がおせち料理に一日かけて完成させます。掃除は買い物の合間をぬって大体終わったので、31日は男性達は窓ガラスふきくらいでのんびりできます。


12月23日(金) 「自治会館清掃と年賀状づくり」
 毎年、高齢者放送大学の仕事が終わり、自治会館の清掃を自治会役員と利用者各グループから動員された人々によって行ったあと、年賀状づくりに取り組みます。今年の清掃は、私は老人クラブの役員の一員として、妻はカラオケグループの一員として清掃に参加しました。私は丸い大きな掃除機でホールの床のゴミを吸い取りましたが、掃除の後ゴミを取り出そうと蓋を開けたのですが、吸い取ったゴミがありません。おかしいなと思ってゴミ袋を空けた途端、折角きれいにした床一面に埃が舞い上がりました。掃除機をかけ直し、機械のままそっと屋外に持って出ました。自治会館の前庭も自治会の人たちがきれいにしているので、崖下の駐車場脇まで持って行き、大きなゴミ袋にそっとゴミを入れました。しかし、フィルターにはたくさんの埃が付いたままなので、風上に立って、誇りを円い柱に打ち付けて埃をすっかり飛ばしました。私自身も埃をかぶりましたが、どうやら一年間一度も埃を捨てていなかったようです。11時過ぎには終わり、昼弁当のちらし寿司とミカンをもらってお開きになりました。
 午後からは年賀状の印刷にとりかかりました。先ず580人ほどの名簿から昨年年賀状か喪中のハガキをもらった人を抽出し、その中で、今年喪中のハガキをもらっている人を削除しました。この様な作業は、前もってデータを入力しておくと、「筆まめ」のソフトが瞬時にしてくれます。抽出された名簿にしたがって先ず宛名書きをパソコンでしました。今年もらった喪中ハガキの内、2名データを入れ忘れていたので、ハガキを2枚無駄にしてしまいました。
 その後、事前に年賀状の原案を作っていたので、少し手直しをして印刷をしました。インクジェットのハガキを使ったので、328枚印刷するのにずいぶん時間がかかり、出来上がったのは夜も大分更けていました。それでも明日投函できるように、何枚かのハガキに一言肉筆で書き加えました。これらの年賀状を一枚一枚書いていたら、きっとお正月が過ぎても書き終わらないだろうと思います。パソコンが使えるようになっていてよかったと思いました。


12月20日(火) 「みんなに認められた川柳」
 平成16年4月から川柳教室に通っています。しかし、これまで先生にも、仲間にも良い句として選ばれたことはありませんでした。先生に認められても、互選でみんなからは選ばれなかったり、逆にみんなに選ばれても先生には認められなかったりということでした。
 ところが、今日の互選では先生にも仲間にも選ばれ、今日の最高点24点をいただきました。ちなみに兼題は「辿る」で、「プライドを捨てて自由に辿りつく」と詠みました。これは私が定年退職した後の実感で、いろいろなことに抵抗なく挑戦したり、活動することができます。今、よそ者である私が地域の皆さんに仲良くしてもらっているのも全てのプライドを捨て、謙虚に接することに努めているからだと思っています。やはりフィクションではなく実生活の中の強い思いを詠むと、共感を得るのかもしれないと思いました。


12月18日(日) 「第九コンサート無事終了」
 明石第九合唱団のコンサートが午後4時から明石市民会館で満員の中、大成功を収めました。今回は明石市民会館開館40周年ということで、たこフィルこと明石フィルハーモニー管弦楽団の演奏、若々しい寺岡清高氏の指揮で歌いました。11月に寺岡氏に初めて指導頂きましたが、その時はまだまだ合唱団の歌は未熟で、音程が下がるなど前途多難という印象を与えてしまいました。
 12月15日に2度目の指導を受けましたが、みんなの歌い方はまるで棒読みだと言われました。一つ一つの言葉の意味と、ベートーヴェンの訴えたいことを考えて歌うようにいわれました。特に聴衆に呼びかけている気持ちをもっと歌い上げて、観衆を感動させなければと言われました。
 前日に初めてオーケストラと合同の練習がありました。オーケストラが市民の管弦楽団ということで、その指導に時間をかけていたため、第4楽章の練習時間は余りなく、一通り演奏した後2〜3ヶ所歌い直しただけでした。それでも、指揮者に向かって歌うのではなく、会場の一番後ろの非常口の照明に向かって歌うよういわれました。
 当日のリハーサルではほとんど注意するところはないといわれ、言葉の出だしのタイミングは指揮者の口元をよく見るようにというだけでした。そして本番は、みんな何の迷いもなく、気持ちよく歌い上げました。演奏後の指揮者の批評は「練習ごとにこれだけ上手くなるのかと感心した」といわれました。指揮者と一体になって歌えたという私たちの気持ちと、指揮者の意図が伝わって演奏できたという思いが一緒だったからだろうと思います。入場券は地元オーケストラとの共演で完売だったことも嬉しく思いました。
 当日妻と息子夫婦の他に、グループいきいきネットのメンバーが4人も来て下さいました。花束までいただき、今年の最後の大きなイベントを感動の内に終えることができました。


12月15日(木) 「久しぶりに膝が痛みました」
 朝8時に門池公園へ行き、簡単にストレッチをした後、グラウンドゴルフの練習をしました。8時半から3ラウンドのプレイをし、その後10過ぎまで公園の落ち葉の清掃をみんなでしました。11時からはグラウンドゴルフ部の忘年会があり、自重しながら、それでも缶ビール1本と焼酎のお湯割を飲んでしまいました。
 帰宅後家から1km程のところにあるAコープへ歩いて買い物に行きました。夕方からは第九合唱の練習日だったので電車で出かけました。少しでも酔いを醒ましておかねばと一駅手前で降りて会場まで30分ほど歩きました。膝が少し痛いと思いましたが、気にせずに歩きました。この日は本番の指揮者による練習だったので、ほとんど立ったままの練習でした。
 終わっていすやピアノを片付け、階段を下りようとしたところですねに痛みが走りました。そこからは足を引きずりながら何とか15分ほどの駅までたどり着きました。家に帰り、膝が冷たくなっていたので風呂で温めた後、シップをしっかり貼り付け、サポーターをして眠りました。冷え込んできたところで1万4000歩あまり無理をして歩いたためだろうと思います。以前最初に痛み始めたのも歩き遍路をしていた12月でした。翌朝にはほとんど治っていたのでホッとしました。


12月10日(土) 「西江井友愛クラブ忘年会」
 弁当代として会費1000円を集めています。今回は45名の参加だったので4万5千円が集まりました。この金額に年会費などを加えて、これまで忘年会の予算は8〜9万円を当てていました。ところが、今回はいつも大量に残るつまみやお土産のお菓子をカットし、これまでに残った未開封のお菓子やつまみになる食べものを集め、その中で賞味期限内の食べ物と焼酎を活用したので、最終的にはお酒代などを含めて6万円ほどで済ませることができました。それでも残ったつまみは冷蔵庫に保管して、15日のグラウンドゴルフ部の忘年会に活用することになりました。
 9時から会場の机や椅子の準備やカラオケの用意を役員で行い、11時に開会しました。初めに例会の行事である報告や連絡事項を済ませ、11時半頃から乾杯をし、食事会を始めました。お酒が入ると、どのテーブルもおしゃべりでにぎやかでした。私も呑みながらしゃべりし、つまみやお寿司を食べていると、いつの間にか1時間が過ぎていました。そろそろカラオケ大会をと促され、急いで各自が受付で受け取った番号や、カラオケの曲目を聞いてまわりました。今回は番号の後ろから受付順に渡したので、後から来た人ほど出演順が早くなります。もちろんカラオケが歌えない人もいるので、一言話してもらっても良いことで順に指名していきました。中には手で×印をし、「すんまへん」と一言いうだけの人もいました。最終的には15人がカラオケを歌いました。司会をしながらこれらの曲のCDやDVDを探して機械にセットをしていると、食事が途中だったことも忘れていました。カラオケの最後に星影のワルツの替え歌「生きる幸せ」をみんなで歌いました。初め、昔のエイトトラックのテープを見つけていたので、そのカラオケで歌うことにしようと思っていたのですが、20年以上経っているテープは接着剤が風化していて、修復不可能だと解りました。それで仕方なく家からキーボードを持って行き、私が伴奏し、この歌をうたおうと言い出したメンバーに前でリードしながら歌ってもらいました。私がキーボードを弾くのも昭和の時代以来なので、さっぱり指が動かず、歌にあわせて適当にメロディーを弾きました。私はキーボードを弾くのに必死で解りませんでしたが、普段歌に縁がないと思われていた人も一緒に歌っていたそうです。
 最後に研修会で学んできたという笑いの体操(笑いヨガ)を女性部長のリードでみんな席を立って体を動かし、大声を出して笑い、スッキリしたところで、3時前にお開きにしました。片づけを済ませ、役員で終了後のミーティングを済ませて家の帰ると、すっかり疲れが出て、ぐったりしていました。朝は高齢者放送大学の講座を聴くために6時頃に起きたので、早く寝ようと早めに風呂に入ったのですが、皆既月食が気になり、結局いつもより30分ほど早く寝ただけでした。


12月4日(日)/5日(月) 「2日続いたカラオケグループの忘年会」
 4日夜は地元自治会館の憩いの家にある男性カラオケ同好会の例会が夕方5時からありました。先月からは食料の一部、巻きずしとビールの調達係を引き受けています。この日は2本入りの巻きずしのパックが2パック1000円で売り出しており、それを店員に勧められたのですが、やはり1本ずつパックにされていなければみんなに配ることができないので、わざわざ1本ずつに分けてもらい、単価298円で7本買いました。1本48円も高く買っているのですから、350円ほど高く買ったことになります。しかし、同じ巻きずしが普段は350円で売っているのですから、やはり安く買ったことになると納得しています。この他に立派な刺身と漬け物が付きます。普段は缶ビール1本で十分なのですが、こ会のときだけは2本呑み、その後焼酎をほんの少しお湯割りにして呑んでしまいます。
 食事をしながら大いにおしゃべりしました。今回は大阪のダブル選挙の結果から、特に政治の話題で大いに盛り上がりました。その後、それぞれ3曲ずつ歌いました。私は翌日の女性のカラオケのために、練習している新曲を歌いました。一応今年最後の例会なので忘年会をかねていました。
 翌5日は私が機械操作のお手伝いをしている女性カラオケグループの忘年会が昼にありました。11時半に集まり、こちらはネタの大きなにぎり寿司に吸い物、男性(老人クラブの役員2名も招待され)にはビールとつまみが出されました。そして、食後はそれぞれがこれまで練習した曲の中から、好きな歌1曲を歌いました。中には1月頃に練習した曲を歌う人もあり、CDやDVDを探すのが大変でした。私は前の人は歌ったDVDの「兄弟船」に続き収録されている「北酒場」を歌いました。男性も含めて16人が一通り歌った後、モンブランのケーキとコーヒーそしてミカンが配られ、すっかり満腹になりました。最後に新しいDVDを聴き、1月の練習曲を決定して録音し散会しました。
 この後は10日(土)には老人クラブの忘年会が、そして、同じ憩いの家の参加グループであるグラウンドゴルフ部の忘年会が15日(木)に予定されています。地域の人々と飲食しながらおしゃべりすることはとても大切だと思っています。


12月3日(土) 「生で石原自民党幹事長の話を聞く」
 明石市出身の衆議院議員・西村やすとし氏の政権報告会が明石市民会館であり、石原幹事長が特別ゲストで出演すると聞き、出掛けてみました。
 初めに来賓代表として泉明石市長が挨拶に立ち、同じ地域の出身であり、大学の一年後輩としてかわいがってもらった話などをされました。若さと元気さがあふれた市長の挨拶はしっかり応援演説になっていました。
 続いて石原氏の話がありました。さすがに幹事長だけあって視野の広いお話しでした。先ずこれから来年にかけて世界の情勢に変化があること、それは多くの国で大統領など国のリーダーが変化することに起因する話をされました。大阪府・市に見られるように、国政においても日本ももう一度政権交代が必要だということにつながっていました。話の最後は来週の参議院本会議の最終日(9日)に全ての審議(重要法案成立)を終えた後、無責任発言の多かった一川防衛大臣の問責決議案を提出する決意を宣言されました。テレビでは話の一部分の報道を聴くだけですが、生で聴くと詳しく解説されるので、前後のいきさつが解り、やはりよく理解できるとな思いました。
 続いて特別ゲストの三原じゅんこ参議院議員の話がありました。これは立候補の意図と当選には西村議員の後押しが大きかったことを話されました。
 最後に西村議員の報告がありました。主だったところは石原幹事長が話されたので重複を避け、本人が陰の財務大臣であることからデフレについて解説し、今増税より、経済復活をしなければならないことを強調し、元気な日本と各地域に向けて経済問題を今後の政治活動の重点に置くことを話されました。1000人前後の人々が集まり、明石の人々が西村議員に大きな期待を寄せていることを感じました。


11月24日(木)・26日(土) 「伝統芸能講座2回」
 兵庫県芸術文化協会が主催する「伝統芸能講座」を受講しています。その講座が続いてありました。
 24日は西宮北口にある兵庫県立芸術文化センター中ホールで女流義太夫の上演でした。国立文楽劇場から人形遣いが来て、義太夫にあわせて演技されたので、内容がよくわかりました。特に「壷阪霊験記」は以前に歌舞伎や文楽で鑑賞したことがあるので楽しく鑑賞できました。ただ、この日は放送大学の事務局(東加古川)で生涯聴講生の感想文(1300枚ほど)を閲読する1日目だったので、30分ほど早く仕事をおくのに抵抗がありました。それでも何とか18時の開演時間に間に合うことができました。
 26日は県民会館で落語の研修でした。講師は落語家の林家染佐で、落語の歴史から始まり、師匠と弟子の関係、落語に関するいろいろな知識など、面白おかしく話した後、実際に「時うどん」を一席語り、最後にこれからの活動を話して終了しました。染佐は大阪大学出身で、銀行に勤めていましたが、やはり落語家になりたかったと言っていました。頭が良いからでしょう。話し方が上手く、知識が本当に豊富でした。
 本年度の伝統芸能講座は今回で終了しましたが、来年もまた受講したいと思います。


11月21日(月)〜22日(火) 「西江井友愛クラブ親睦旅行」
 私が所属している老人クラブの親睦旅行がありました。少しでも安価で参加しやすくしようと考えると同じ観光会社のパック旅行ということになってしまいます。1泊4食16,800円ということで、一昨年宿泊した三朝温泉で、今回は浦富海岸から遊覧船で昨年ジオパークに指定された山陰海岸を見ようという企画がメインでした。
 前日までの悪天候が過ぎ去り、寒さの中にも温もりが感じられるお天気に恵まれました。18人の参加予定者の内、一人が風邪で欠席、男性9名女性8名が参加しました。出発前に運転手から、ETCカードがあると通行料金が割引になると聞き、私のカードを使いました。結果的には3,850円かかるところ1,000円も割引があり、運転手の助言で出費が助かりました。
 岡山県でアサヒビールのワイナリーに寄り、試飲を愉しんだ後、売店ではみんな最初から購買力を発揮していました。その後昼食を済ませて、奥津温泉から人形峠を越え、車窓から紅葉を楽しみました。三朝温泉には早めにつき、温泉で体を温めた後、宴会は90分飲み放題ということでしたが、70歳以上のメンバーで、女性が半分いたこともあってあまり飲みませんでした。メインの料理を食べたあと、途中からカラオケ大会になりました。私がお世話をしましたが、とぎれることなくそれぞれに歌いました。最後に私と妻二人で東日本大震災の応援歌・石川さゆりの「緑の大地」を歌いました。そして唱歌「ふるさと」をみんなで歌って散会にしました。
 二日目は鳥取の漁港での買い物に始まり、続いて浦富海岸へ向かいました。昨日までの風は治まり、快晴のお天気になりましたが、海は白波が立っていました。運転手が遊覧船は運航しているという情報を得てくれたのでホッとしました。
 浦富の観光船乗り場から川を下り、港の外に出得ると船は大きく揺れ、上下します。私は思いきってデッキに出て写真を撮りました。波こそかぶりませんでしたが、大きく揺れるので船縁にしっかりつかまっていました。波があるのでいつもより岸には近づかないと言っていましたが、それでもかなり岸辺まで行くので、大きな波が岩に当たって砕ける美しさに感動しました。
 その後鳥取砂丘まで引き返し、昼食を摂りましたが、そこへ行くときに、小型バスだということでらっきょう畑の中を走ってくれました。花の季節はほとんど終わっていましたが、それでも斜面をすかしてみると紫がかった色に見えました。
 帰路にも豆腐ちくわの店やアワクランドによりましたが、そこでもみんな購買力を発揮し、バスを降りるときにはみんな持てないほどの荷物を持っていました。おまけにホテルからの魚のお土産もあり、大満足の旅行ができてよかったと思いました。

    
ワイナリーで買い物         解禁されたカニ漁           波に洗われる浦富海岸      カレイの乾燥     遊覧船

11月11日(金)・13日(日) 「二つの同窓会」
 11日夜、大学時代の同窓生で同じ地域に勤務したり、同じ地域に住んでいる仲間の同窓会がありました。多少年齢の上で先輩も居て話が弾みました。一人ずつ近況報告がある中で、現職時代に特に苦労した話が出ると、それに関連していろいろな面でお互いがつながっていて、新たな関わりのおもしろさ、世間の狭さを感じました。年がいくにつれて会費ほどに飲まなくなり、帰りには返金がありました。
 13日は牛虎の会という同学年で、現職時代同じ立場だった人たちの同窓会でした。現職時代から続いていて、私は平成3年からほとんど毎年参加しています。今回は灘の酒処で開かれました。初めの乾杯はビールでしたが、後は飲み放題ということで酒蔵のいろいろな種類の酒が次々と出されました。私は日本酒はあまり強くないので、少しだけにしましたが、それでも注がれたお酒は飲んだので、すっかり酔ってしまいました。帰りに酒蔵を2軒見学しましたが、その内の1軒では聞き酒をしたので、さめかけた酔いが再びまわってしまいました。いろいろな方々の活躍を聞くことはできませんでしたが、近くの席の方の近況を楽しく聞くことができました。
 その中に、古語辞典を編纂されている方がおられ、後でホームページを見せて頂きました。事典を編纂されているときの余話が書かれているのですが、これこそ人が読んで面白く役に立つホームページだと感心し、ついつい引き込まれて読ませて頂きました。


11月6日(日) 「旧福知山線廃線跡ウォークの下見」
 11月17日にグループいきいきネットのメンバーと生瀬から武田尾まで廃線跡を歩くことになっています。インターネットでいろいろ調べてみましたが、本来立ち入り禁止だということで入口の表示も案内もないとのことで、実際に行ってみないと要領がつかめません。これでは案内状も出せないので、妻を誘って計画の1時間遅れの時間帯に下見に出掛けました。生瀬駅に着くと、幸いにも同じコースを歩く若者のグループが駅にいました。そして私たちと前後して出発したので、その後方を歩きました。国道はだらだらした上り坂で、入口まで結構な距離があります。若者達はどんどん行ってしまい、すっかり距離が離れ、曲がり角では姿が見えなくなってしまいます。それでもはるか向こうで国道を横断している姿が見えたので、私たちも後から横断しました。するとはるか下の細い道を進んでいました。立ち入り禁止の立て札を見てそれが廃線跡だとわかりました。そこからは1本道なので迷うことはなく、マイペースで武庫渓谷の美しさを眺めながら歩きました。
 途中トンネルがいくつもありましたが、それこそ真っ暗で、懐中電灯で前方だけを照らすのではなく両サイドも照らさなければ隅に置いてある枕木に躓く危険があります。また枕木が設置されたままのところが多く、それ以外はレールが設置されていたときのバラスなので、それらに注意しながら歩かなければならず、足首が疲れます。途中待避場所が川に突き出ているところがあり、渓谷を眺めながら立ったまま昼食を摂りました。途中から雨が降り出しましたが、トンネルが多く、あまり苦になりませんでした。
 またトンネルを抜けたところに鉄橋があります。脇にある作業用の通路を渡るのですが、真下にゴウゴウと川が流れていて迫力満点です。最後のトンネルを抜けると公園になっていて、枕木がなければ廃線跡と思えない風景です。先発の若者達は、雨が降っていたので最後のトンネルの出口にシートを敷いて昼食をしていました。廃線跡は7qあるそうですが、そこから一般道を600m進むと武田尾駅に到着しました。駅近くの赤い大きな橋のたもとにきれいなトイレがあり、3時間我慢していたのでホッとしました。
 日曜とあって、大きな団体と一番長いトンネル内ですれ違ったり、一人歩きの年配の男性にも何人か出会いました。武田尾まで来ると少し店もあり、人の姿が見られました。しかし廃線跡は救急車も入ることができないので、歩く場合は自己責任だということを肝に銘じておかなければと思いました。それだけに歩き通すとちょっと達成感がありました。

 結構こたえるコースなので、足に自信がないメンバーには、武田尾側から入り、公園で落ち合うことにして案内状を出そうと思っています。
  
JR西の警告                     武庫渓谷                      最初のトンネル入口
  
枕木が敷かれた線路跡              トンネルを抜けたところに大きな鉄橋     足下は激流

武田尾側の入口


11月5日(土) 「雨の中の江井ヶ島校区スポーツフェスティバル(住民運動会)」
 朝6時に起きると、東の空は朝焼けをしており、天候が心配でした。それでも雨は降っていないので、7時に村の倉庫へ行き、テントや折りたたみ椅子を軽トラックに積み込みました。その後直ぐに会場の小学校へ行き、指定された場所にテントを建て、椅子を並べました。ところがポツリポツリと雨が落ちてきました。それでも各自治会の準備はどんどん進み、売店の準備も整い、人も集まり、中止できない状況になってしまいました。
 開会の時間になり小雨が降っていましたが、たいした雨でもないので、開会式も大勢の来賓を迎えて予定通り進められ、準備運動も終えることができました。老人クラブも参加した玉入れが始まった10時頃には運動場に水が浮き始めました。それでも傘がなくても何とか競技を進めることができました。いくつかの演技が中止され、午前の演技が終わった11時過ぎでも、みんなはまだ傘をささずに昼食の買い物をしていました。私はといえば途中で中止になり、それぞれのグループが折角つくった食べ物が無駄にならないように、また早めに昼食を確保するために開会式が済んで売店が開くと同時に昼食用の山菜おこわとお茶を確保しました。さらに豚汁が売り出され、食べ始める人を見かけたので、それも買って食べました。当日限りの金券をもらっていたので、たこ焼きを買いましたが、これは暖かい間に食べなければとその場で食べました。小雨といっても服に雨が染みてくると寒さを感じ始めました。そこで昼食の山菜おこわを食べずに着替えと雨具を取りに一旦家へ帰りました。下着もすべて着替え、上に防水の効いたウインドウブレーカー上下を羽織って傘をさして出掛けました。
 午後からはだんだん雨がひどくなり、閉会式の頃には本降りになってしまいました。そして最後の抽選会が終わった途端に激しく降り出し、テントは明日以降に処理することにし、とりあえず折りたたみ椅子を軽トラックに積みこんで帰宅しました。
 雨に祟られましたが、連合自治会や準備を進めてこられた各団体にとっては今日の予定が無事?終了し、今後の日程が予定通り進められるのでホッとしておられることでしょう。


10月23日(日)〜25日(火) 「兵庫県芸術文化協会の旅に参加」
 兵庫県芸術文化協会が主催する各種講座の内、今年は「伝統芸能講座」と「郷土の歴史講座」(姫路校)を受講しています。最初に受講した伝統芸能講座は10年あまり続いています。
 今回は那須高原、足利市街、そして日光中禅寺湖など、これまで訪れることがなかった地域が目的地になっていたので、金婚記念もかねて参加することにしました。これで金婚記念の旅は3度目ですが、今回は早くから決めていたことです。というのは、申し込んでも、応募が多ければ抽選で決められるので、もし参加できなければと思って出羽三山の旅も申し込んでいたのです。
 伊丹から羽田へ飛び、バスでスカイツリーなどを車窓から眺めながら先ず足利市へ向かいました。足利では、相田みつをが通ったという「なかがわ」というそば屋で昼食を摂りました。そばが出来上がってくるのに時間がかかり、すっかり予定が遅れてしまいました。それでも相田みつをの作品がたくさん掲げられ、看板も箸袋の文字も相田の筆跡でした。食後、足利学校や足利尊氏の祖先を祀る鑁阿寺などを地元のガイドの説明を受けながら駆け足で見学してまわりました。
 そこから再びバスで那須高原へ向かいました。那須高原ではエミール・ガレ美術館でガラス工芸品を鑑賞する予定でしたが、予定が遅れていたことから明日にまわすことにして、ホテル・エビナール那須に入りました。ところが温水プールまである大きなホテルで、この日700人も宿泊客がいて、人があふれており、ざわついた感じの落ち着けないホテルでした。夕食も量が沢山あり、天ぷらなどを食べるとむっとしてしまって、後半は食べることができませんでした。部屋はベッドの他和室もあり、ゆったりし、大浴場も広く、露天風呂もゆっくり入ることができました。
 翌朝は30分早く出発し、エミール・ガレ美術館を見学した後、マウント・ジーンズの展望台に向かいました。バスの窓から見える那須高源の林の紅葉は最高でした。ところがいざロープウェーに乗る頃には一面霧で、展望台に上がってもまわりの景色を見ることができませんでした。お天気がよければ素晴らしい紅葉の景色を見ることができたと思うと、少々残念に思いました。
 続いて日光へ向かい、ゆば料理の昼食を摂った後、日光東照宮で地元ガイドの説明を聞きながら見学しました。ところが各施設へ行く先々で、御守りなどを売りつける説明があり、いささかがっかりしました。二荒神社を外から説明を受けた後、東照宮美術館を見学しました。元社務所だったそうですが、横山大観とその一派のきれいなふすま絵に感動しました。
 日も暮れ始め、中禅寺湖畔にあるの湯本温泉・日光レークサイドホテルまで直行しました。雨こそ降りませんでしたがお天気も今ひとつで、いろは坂の紅葉を愉しむわけにはいきませんでした。前日と違ってホテルは落ち着いた感じで、やや甘口の白ワイでいただいた洋食のフルコースは味、量ともベストでした。温泉も硫黄の濁りゆで、とても気持ちよく、ゆっくり温まりました。
 夜中にかなり強い雨が降っていましたが、翌朝には雨が上がっていて、前日姿を見ることができなかった男体山もくっきり見えていました。朝早く目が覚めたので、6時頃から散歩に出掛けました。ホテルを出たときは男体山の写真を取ることができたのですが、突然霧がわき上がり、自分達もすっかり霧に包まれてしまいました。中禅寺湖半を立木観音方面に歩いていると、再び霧が晴れ、男体山も湖越しに見ることができました。立木観音は時間が早かったので外からしか拝むことはできませんでしたが、付近の紅葉はすっかり色づき、とても美しい景色でした。
 朝食のバイキングは軽めに済ませ、先ず華厳の滝を展望台から眺めました。こちらも紅葉が色づき、良い眺めでした。そこから船着き場へ行き、中禅寺湖クルーズを愉しみました。天気が回復し、湖から見る男体山や紅葉は水に映って素晴らしく、大勢の乗客が右に左に移動して写真を撮っていました。船を降りていろは坂を下りましたが、車窓の紅葉を大いに愉しみました。
 ロマンチック村農園レストランで昼食を摂りましたが、我々のためにレストランは10時〜14時が貸切になっていました。一般のお客さんには申し訳ない感じがしました。再びバスで羽田まで戻り、満席の飛行機で無事伊丹に到着、20時頃帰宅することができました。

   
スカイツリー    そば屋に掲げられた相田みつをの直筆                                相田みつをが通ったそば屋
  
足利学校の入徳門                 足利学校講堂                   足利氏の祖先を祀った鑁阿寺
  
ホテルビエンナーレのロビー           エミール・ガレ美術館               霧にかすむ那須高原
  
秋ひまわり        日光東照宮陽明門                     二荒神社の紅葉
  
霧の中から姿を見せた男体山          中禅寺立木観音山門              紅葉の華厳の滝
  
湖畔の紅葉の林                    船から見た男体山                 船から見た湖畔の紅葉


  
10月22日(土) 「菜園の野菜も順調に生育」
 台風15号が接近していたときに種まきをした大根やほうれん草は順調に生育し、大根は2度間引きをし、ほうれん草も1回間引きました。また10月9日に種まきをした大根も順調で、まだ本葉が出始めて日が経ちませんが、第1回の間引きをして食べました。ワケギの球根もすっかり葉が出そろっています。また、ブロッコリーもパセリも全て育っています。いつも行く種苗点で水菜の苗は直ぐに見つかり植えましたが、壬生菜の苗は売らないといわれあきらめました。ところが、放送大学事務局へ行った帰りに寄ったホームセンターで壬生菜の苗が売っていたので、ポットに入った玉ねぎの苗といっしょに買いました。壬生菜はポットに2本入っていたので水菜の横に、玉ねぎはポット二つ買ってきたら64本もあったので、大根とワケギの間に植えました。これで一応菜園の植え付けは終了し、11月に入ったら植え付けが遅れたさつまいもを、12月に入ったら小芋を収穫しようと思っています。
 庭の花では、クレオメが今きれいに咲いています。例年夏の花として植えるのですが、花が咲いても暑さで直ぐに花びらが縮んで今ひとつきれいではありません。ところが時期遅れの落ちばえのクレオメが今きれいに花をつけています。縮むことがないので、来年からはこの時期に咲く様に植えればと思います。夏に咲いた花の下に今たくさんの落ちばえが見られますが、これは冬に枯れてしまうと思います。大輪の菊も蕾が膨らんできました。11月には庭中が大輪や小菊の花盛りになると思います。
   
大根2種、ほうれん草、さつまいも    ブロッコリー、大根、玉ねぎ、ワケギなど  クレオメの花                 大輪の菊の蕾

10月20日(金) 「2ヶ月ぶりの散髪」
 頭が鬱陶しいと思っていたら、前回散髪したのは8月24日でした。夕方散髪をしにいきました。今日は眠らない様にしようと思って行ったのですが、髭を当たるために椅子を倒した途端に熟睡してしまいました。午後から女性のカラオケがあり、機械操作をしたのですが、みんなが歌っている短い間にウトウトしたこともあり、やはり眠さには勝てませんでした。朝方4時半頃にトイレに起きると、その後眠りが浅く、夢ばかり見ている状態です。夜は大抵12時頃床につくので、寝不足だったからでしょう

10月19日(水) 「朝から一日大活躍」
 老人クラブの役員による江井ヶ島海岸の清掃活動があります。先日会長から清掃日を聞いてカレンダーに書き込みましたが、どうも日を間違って書き込んだらしく、いつもの様に8時に現場へ行きましたが誰もいません。子どもたちの登校時間で、見守りをしているメンバーもいるので、8時半か9時からかもしれないと思い、とりあえず草ひきから始めました。種をいっぱい付けた猫じゃらしなど、大きな草がいっぱいでした。とりあえず公園の周辺やベンチのそばの草をひきました。9時にはずいぶんたくさんの草をひきましたが、いっこうに誰も現れません。かといってひいた草を放ったまま帰るわけにもいかず、幸い大きなゴミ袋が倉庫にあったので、一輪車とがんじきを持って現場に戻り、袋へ詰めていきました。二袋は直ぐにいっぱいになり、三袋目も半分ほどの草を詰めました。後はゴミ置き場まで戻りながら通路のそばの草をひきながら進みました。ところがこれがやっかいで、煉瓦道と縁石の間の草をひくのは簡単ではありませんでした。さらに両側の植木が植えられているところからも草がはみ出していて、やっと三袋目がいっぱいになったときには11時半になっていました。3時間半ぶっ通しで腰を曲げて草ひきをしたのですっかり腰が痛くなりました。汗をかき、喉はからからでした。
 家に帰ってお茶を飲み、風呂の残り湯を庭の水まき用にバケツで運んだ後風呂を洗いました。しばらく休憩をして昼食を摂り、食後は、11日に預かった高齢者放送大学の返信ハガキの原稿が出来上がっていたので、印刷をしました。明日が提出日になっていましたが、明日は朝からグラウンドゴルフの当番で、7時からグラウンド整備をし、プレイの後みんなでグラウンド全体の草ひきや清掃をすることになっています。午後は妻の補聴器を持って業者がやって来るので、妻と一緒に話を聞くことになっています。さらによるは第九合唱団の練習があり、一日忙しい日になります。そこで、午後2時40分から子どもたちの下校の見守りをし、3時半頃から高齢者放送大学の事務局へ返信ハガキを提出しに行きました。帰りに少し買い物をしていたら、夕方5時になっていました。まさにフルタイム働いていたときと同じ程度疲れました。それでも昼に「リポビタンD」を飲んでいたので少しは体力が回復しました。

 夜家の菜園でできたジャガイモや玉ねぎを使ってコロッケをつくるというので、妻が丸めたコロッケを油で揚げました。放送大学の仕事を済ませたという開放感から、普段しないことをしたので、油に指をつっこんでやけどをしたり、コロッケを早く手放して油をこぼしたり、散々でした。もっと普段から料理の手伝いをしなければ、簡単にはできないと思いました。

10月9日(日) 「別の菜園を耕しました」
 先日庭の6畳の広さの菜園のうち、さつまいもを植えているところを除いて耕しました。そして、大根2種類とほうれん草の種を播き、既に大根の間引き菜を食べています。今日は別の長4畳に少し足りないほどの菜園で朝6時半に作業をはじめ、夏の間緑の野菜として重宝したツルムラサキを処分し、苦土石灰、堆肥、馬糞、牛糞などを入れて耕しました。そして、半分ほどにワケギの植え付けや間引き菜用の大根の種まきを済ませると10時になっていました。残りの半分に夕方買ってきた茎ブロッコリー4本とパセリの苗を明朝早く植えることにしました。さらに、水菜と壬生菜も植える予定ですが、苗は売っていませんでした。明日朝大久保へ行く予定があるので、駅前の種苗店で探してみようと思っています。干し柿のためには快晴と冷え込みを期待したいのですが、野菜の種を播くと雨と当分温かさが必要になります。どちらにとって良い結果になるのか、複雑な気持ちです。


10月7日(金) 「風邪だったのかな?」
 朝目が覚めると体がだるく、胸からの咳が出て気持ちが悪く、今日の地元のグラウンドゴルフはどうしようかと思ったのですが、少し動けば元気が出るかと思い参加しました。咳は出たものの何とかプレイを終えることができました。家に帰って蒲団に転び新聞を読んでいましたが、もし肺炎にでもなっていたらと思い、近所の開業医に出掛けました。問診と聴診器の診察を受け、とりあえず咳の風邪薬とアレルギーの薬をもらって帰りました。午前中30分ほどと午後1時間ほど眠りました。少し楽になりました。
 夕方渋抜きをした柿を箱に入れて近所の家に運びました。木で熟し切っていた柿を冷凍しておくとシャーベットのようになって美味しいと聞いたので、昨日冷凍しておいた熟し柿を夕食時に食べてみました。本当に甘くて美味しくできていました。夕食後は干し柿にするための柿の皮を少しむきました。
 来週から出掛けることが多くなるので、風邪を早く治しておかなければなりません。今日は早めに寝ようと思っています。

10月6日(木) 「柿の収穫」
 毎年、高齢者園芸センターで平種無し柿(渋柿)の収穫をします。ハシゴの要らない背の低い木を1本お願いしてあり、これまで毎年250〜350個ほど収穫します。ところが、今年は木の枝を横に大きく広げて400個以上の実を付けていました。
 朝から水ばなが止まらず、頭も重かったのですが、アレルギー性鼻炎の秋の部が始まったと思い、柿の様子を見に行きました。ところが実がすっかり赤くなっていたのでそのまま全て収穫しました。帰って焼酎で渋抜きをしようと思ったら、ホワイトリカーの容器に入っていたのは梅酒でした。そういえば今年の6月、立派な青梅が手に入り、急遽梅をホワイトリカーに漬けたのを忘れていました。仕方なく柿の実をきれいに拭き取る作業だけで終えておきました。
 夜、明石第九合唱団の練習があり、しかも今日が年末の演奏会のチケットの発売日だったので、くしゃみや水ばながひどく、喉もヒリヒリしていたのですが、いつもより1時間半早く家を出ました。喉は痛かったけれども声はまずまず出たし、くしゃみや鼻水も出なかったので、練習を何とか無事終えることができました。家に帰ると柿の作業が残っており、続きをしていると就寝が1時半になってしまいました。終わり頃にはまたはな水に悩まされてしまいました。


10月5日(水) 「大根の間引き菜」
 今日は明石高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ秋季大会が予定されていました。曇り空でしたがまだ降っていないので、私たちのチーム12人が車に分乗して会場へ行きました。ところが会場のグラウンドには人っ子一人いません。やがて通りかかった人が中止だと言ってくれました。その後続々と他のチームもやってきましたが、開催団体の役員の姿は全くないので、みんな不安げにグラウンドを眺めていました。携帯電話で中止を確認し、会場を後にしました。家に帰り着くと雨が本格的に降り出し、中止は正解でした。
 昼ご飯に大根の間引き菜を塩もみにし、香味おにぎりにして食べました。暑い夏の間の青菜はツルムラサキの葉だったので、久しぶりに青菜の香りを楽しみました。この間引き菜、台風15号が来る直前に種まきをしました。途中旅行などしましたが、たっぷり水が与えられたからか、すくすくと生育し、今日を迎えたのです。庭の狭い菜園なので何度も間引きを繰り返し、最終的に大根として収穫するのは30本ほどの予定です。この様に間引き菜が収穫できるようになったので、雨が上がればツルムラサキを整理し、その後に間引き菜専用の大根の種を改めて播こうと思っていますす。しかし、気温が低くなってきたので、生育はぐっと遅くなると思います。

9月30日(金) 「紅白の彼岸花が同時に開花」
 今年は田んぼの畦に咲く赤い彼岸花の開花が遅れました。いつもは彼岸花が咲いて1〜2週間後に我が家の白い彼岸花が咲きます。旅に出る9月25日には蕾が出そろい1〜2輪咲き始めていました。そして旅から帰った翌朝庭を見るとたくさんの白い花が咲いていました。そして、近所の空き地にも赤い彼岸花が咲き誇っていました。この様に同時に咲くのは庭に白い彼岸花を植えた十数年前以来初めてのことです。白い彼岸花はどんどん増えるので、3年〜4年に一度球根を掘り起こし、植え直します。これまでに余った球根を3回園芸の仲間などに配りました。来年あたりまた掘り起こして植え直さねばならないと思います。

 

9月25日(日)〜29日(木) 「5日間にわたる旅」
 初日(25日) 朝1番の山陽電車で伊丹空港へ向かいました。それでも集合時間には間に合わないと覚悟していました。たまたま前日神戸へ出る用事があり、空港までの切符を買っていたので、三ノ宮駅に着くなり、空港行きのバス乗り場へ急ぎました。臨時便が出ていたので、予定より早い時刻のバスの補助席に乗車でき、集合時間に間に合うことができました。
 新潟行きの飛行機はプロペラ機ということで先ずびっくり、バスで飛行機のタラップまで行くということにもびっくり、新潟空港へ着くとタラップを降りて歩いて空港ビルまで行くということにもびっくり、搭乗のために空港内を歩く経験は昭和47年に海外教育事情視察に出掛けて以来のことでした。新潟空港近くで高度を下げると刈り取られた田んぼに模様があるのにも興味が湧きました。これはコンバインの方向転換によるものでした。
 9時過ぎにはバスに乗車し、月山へ向かいました。月山8合目の駐車場までバスで行き、標高1400m〜1500mにある弥陀ヶ原湿原の下方半分を散策しました。夏だったらお花畑だったのですが、今はリンドウなどほんの少しの花と真っ赤なナナカマドの実が印象的で、眼下に広がる黄金の田んぼの方が見事でした。
 次に向かったのが出羽三山神社で、平成23年は「月山卯歳御縁年」と記念の年だったのでにぎわっていました。境内には芭蕉の銅像も建っており、本殿は左から「湯殿山神社」「月山神社」「出羽神社」が祀られていました。だから三カ所をお参りするのですが普通ですが、私は中央の月山神社だけお参りしました。
 続いて近くの国宝・羽黒山五重塔へ行きました。途中に瀧があり神秘的なところでしたが、5時を過ぎていたので、谷間の道は薄暗くなってきました。
 お参りを済ませて、そこから酒田市内のホテルへ行きました。大浴場もなく、狭いツインの部屋は窮屈なビジネスホテルでしたが、バイキングの夕食や朝食はとても美味しく、結婚式も行われているなどにぎわっている感じでした。夕食後、明朝の散策の下見を込めて、近くの山居倉庫群や旧本間家へいってみました。その規模の大きさに感動しました。
   
 
プロペラ機                     月山8合目・弥陀ヶ原湿原            出羽三山神社本殿               羽黒山五重塔
 2日目(26日) 朝早く起き、日の出を見届けて酒田の街へ出掛けました。山居倉庫のケヤキ並木は昨夜気がつかず、先ずその景色に驚かされ、感動しました。ケヤキの大木と倉庫がたくさん並ぶ間のケヤキ並木の小道は本当に感動的でした。しばらく山居倉庫を見て回った後、旧本間家へ行きました。奉行所跡なども見学し、帰り道では歩道の真ん中に電話ボックスがあるという珍しい光景にも出会いました。
 朝食後、バスで鳥海山の秋田県側山腹にある獅子ヶ鼻湿原へ行きました。こちらはナラやブナ林の古木から湧き出る水が驚くほど豊富で、マリモなど珍しい植物を見ることもできました。圧巻だったのが「あがりこ大王」と呼ばれる樹齢300年以上で、幹まわり7m以上というブナの大木でした。この様な大木があちこちにあり、江戸時代から明治初期に炭焼きで積雪より上の同じ高さで切られたブナがたくさん見られました。ガイドの説明もユーモアたっぷりで、感動の時間でした。秋が深まったときに行けば紅葉がきれいだろうと思います。
 昼食は道の駅「象潟」で日本海の美しい眺めを見ながらいただきました。午後からは鳥海山の山形県側5合目まで行きました。そこで素晴らしい眺めを楽しむ予定でしたが、それまできれいに澄んでいた5合目あたりに霧が突然流れだし、まわりの景色を楽しむことができなくなりました。仕方なくビジターセンターで展示物を見て回り、室内に展示されていた写真をカメラにおさめておきました。その後、早めに湯野浜温泉のホテルに入り、先ず大浴場で二日分の汗を流しました。風呂から上がると丁度日の入りの時刻で、ホテルの窓から海に沈む夕日を楽しみました。18時からの夕食は豪華でした。しかし、紅ズワイガニが1匹ついていましたが、水っぽくどうも冷凍物のようでした。他のものも見かけは立派でしたが、料理はいまいちでした。朝早く起きていたので早々に床につきました。
   
 
ケヤキの小道                  旧本間家                     獅子ヶ鼻湿原・あがりこ大王    日本海へ沈む夕日・湯野浜温泉
 3日目(27日) 朝はゆっくりしていたので、のんびりテレビを見ていました。9時にホテルを出発し、湯殿山へ向かいました。月山の南側に位置し、真っ赤な大鳥居のある湯殿山駐車場に到着すると、トイレを済ませ、そこからシャトルバスに乗り換えて、湯殿神社登り口まで行きました。ここから先は神聖な場所で写真撮影や他言禁止といわれました。それでも登り口だけはバッチリカメラにおさめました。階段を登り、今度は下ると、本殿に着きました。靴を脱いで裸足になり、かなり熱いお湯の流れる中をお参りしました。その後足洗い場で足湯を楽しみ、また元の駐車場まで戻りました。
 昼食は乗車しているバス会社・庄内交通が経営しているという物産館で摂り、食後のデザートにお勧めといわれるだだちゃ豆のジェラードを買って食べました。そこから新潟県へ向かい、名所「笹川の流れ」を車窓から楽しみましたが、宣伝でいわれるほどの感動はありませんでした。道の駅にも寄り、写真も撮りましたが、肝心の海に大きなクレーン船がテトラポットの工事をしており、景色を楽しむこともできず、時間を無駄に過ごしたという感じでした。その後時間的に余裕があるからと、鶴岡市内で開催されている屏風展を30分ほど見学しました。老舗などが屏風の展覧会をしているのですが、こちらは見応えがあり、最初に鮭を屋内で天井からぶら下げて乾燥させている店、次に酒屋、そしてお菓子屋と3軒急ぎ足で見て回りましたが、どの家も江戸から明治初期に建築された建物で、素晴らしさに感動しました。
 そこから新潟空港に戻り、再びプロペラ機に乗って伊丹空港に降りたちました。
  
湯殿山神社大鳥居           湯殿山神社参道入口         鶴岡市内の干し鮭つくり
 今回の旅行前に暴飲暴食が祟って下痢を繰り返していましたが、1週間ほど前から陀羅尼助丸を毎食前に服用し、節食して胃腸を整えておき、旅行中も服用し続けていたので、無事家に帰るまで順調でした。

 4日目(28日) 朝一番のたこバスで大久保駅へ行き、JRで加古川駅前の信用金庫前へ行きました。金婚祝いとして年金旅行に招待されたのです。バスで高速道を走り、先ずはじめに白川郷へ行きました。これで3度目くらいでしたが、これまで行かないところを散策しながら合掌造りの建物を中心に写真を撮りました。再びバスにゆられて新平湯温泉のホテルまで行きました。ここは前日までの旅行と違ってとても豪華な温泉と料理で、全ての面で感動し、満腹になりました。食後は混浴温泉にゆっくり浸かり、またもや寝不足だったので早くから休みました。
 
 
白川郷
 5日目(29日) 朝は7時朝食、8時出発と慌ただしかったのですが、新穂高ロープウェーで西穂高の展望台まで登りました。前回はホテルから直ぐにロープウェーに乗ったと思ったのですが、今回は長いトンネルを抜けるなど様子が違っていると思ったら第2ロープウェーからの乗車でした。山の上では展望台以外行くところもなく、四方の山々を眺めて楽しみました。早めに下山のロープウェーに乗車し、窓際に陣取って山々を撮影しました。展望台では何もなかった焼岳の頂上から突然白煙が上がりました。蒸気爆発だったのでしょう。
 下山後高山ラーメンの工場見学と試食がありました。そこから郡上八幡へ行き、昼食後、散策をしました。先ずはじめに食品サンプルの店に行きました。実に楽しいサンプルが店に並んでいました。その後古い町並みを歩きましたが、それぞれの店の看板などが民芸品風で、中には食品サンプルでつくられた置物を飾っている酒屋もありました。
 19時30分頃無事加古川に戻ってきました。行員がずらりと並んで出迎えてくださいました。毎食ビールが並び、これまでにない贅沢な旅をさせてもらいました。招待してくださった方々に心から感謝の気持ちでいっぱいです。
   

西穂高山上展望台から見た焼岳               サンプル食品                           床屋         酒屋の店先に置かれた怪獣のカツのサンプル

9月18日(日) 「第九合唱団日曜練習と明石音楽祭」
 午後から第九合唱団の日曜練習があり、練習後恒例のビールパーティがありました。団員は200人近くいますが、参加したのは50人ほどでちょっと寂しく思いました。当日明石でいろいろなイベントが開かれており、やむを得ません。私も洞川温泉の旅行以来、お腹の調子が今ひとつなので、ビールはコップ1杯と自重したので、自分自身が盛り上がりませんでした。
 パーティの後、第九合唱団の副団長が明石音楽祭に出演すると聞いていたので、グリーンヒルホテルへ合唱団仲間と出かけました。会場に着いてしばらくすると、姫路のバンドが演奏を始めました。ところがドラムにもマイクが仕掛けられており、2台のエレキギターもボリュームいっぱい、ボーカルの女性の声が聞こえないくらいの騒々しさ、それでも女性が大声で歌うのです。天井の低いホテルの部屋で力一杯の演奏がボリュームいっぱいのスピーカーから流れるのですから、もう私の耳は限界を超えていて、耳をふさぎたい気持ちでいっぱいでした。30分の我慢が終わり、誘われてロビーへ出てドリンクのサービスを受けました。一緒に来た仲間はこの様な辛抱はできないと思ったのか、そのまま会場へはいることはありませんでした。
 別の仲間二人と副団長が出演する7時30分になるのを待ちました。あの凄まじいバンドの後は、それぞれ個性豊かな演奏で楽しく演奏を聴く頃ができました。いよいよ副団長が所属するアカペラグループの演奏が始まりました。耳慣れた曲を次々歌い上げましたが、その実力は素晴らしいものでした。アップテンポの曲、ハーモニーの美しいバラード、擬音を見事に聞かせてソロを盛り上げる演奏、どの曲も素晴らしく、もっと聴きたいと思っている間に30分は直ぐに済んでしまいました。いつかこのアカペラグループの単独の演奏会があれば聴きに行きたいと思います。


9月15日(水) 「酒井抱一展」
 月1回、姫路の県立歴史博物館で開かれている「ふるさと歴史講座」を受講しています。いつも姫路市立美術館の横を通っていくのですが、今回は酒井抱一展をしていたので、帰りに初めて寄りました。3時30分まで講座があったので、鑑賞時間は1時間あまりでした。こんなにたくさんの作品があるとは思わなかったので、最後の方は忙しく鑑賞しました。なかなか見応えのある展覧会で、抱一の細かい描画、弟子の其一のカラフルで力強い作品に特に惹かれました。
 歴史博物館のひょうごの鉄道の歴史展も見たかったのですが、時間的にあきらめました。私は神戸市電が走る道に面した家で生まれ、毎日2階の窓から電車を眺めて育ちました。そして大きくなったら電車の運転手になるのが夢でした。神戸市電の花電車、海水浴に行くのも神戸市電、電車に乗れば運転席の直ぐ後ろで運転手の操作をじっと見つめていました。極めつけは小学生の頃、学校の自由研究の課題に市電を選び、布引の車庫に通って設計図などいろいろな資料を書き写しました。そのようなことから電車大好き人間だったので、身近なひょうごの鉄道の歴史といわれると、ぜひ見てみたいと思ってしまいます。


9月4日(日) 「台風12号」
 昨日の台風は雨台風だったので、庭の花や野菜にほとんど影響もなく、むしろたっぷりの水をもらっていきいきしています。ところがテレビのニュースを見ていると、奈良県や和歌山県で大変な被害が出ています。5月末に台風を心配しながら和歌山県の白浜から青岸渡寺へお参りに行き、帰りは新宮から熊野川沿いに北上し、田辺へ出て高速で帰りましたが、その道沿いで大変な水害が起こっていました。通行した山の中の道は多くが川沿いの道だったので、きっと今回の現場を通ったのだと思います。この日も大雨が降り、注意報が出るくらい恐ろしいほどの水が流れていましたが、今回はその水があふれたり、山崩れを起こしたりしたのでしょう。
 また、先週の日・月曜日に、台風12号が来るからと予定を繰り上げて洞川温泉と天川村へ行きましたが、途中で立ち寄った黒滝村でも大きな被害が出ていました。こちらも川沿いなので、ひょっとしてと思ったりします。天川村もずっと大雨警報で避難勧告も出ていたので、こちらも避難した人々の近くを通ったことでしょう。
 この様に現場へ行ったところの災害はよそ事ではなく、身近に感じます。


8月31日(火) 「新首相に対する自民党の姿勢」
 台風接近の暑い風に一日中悩まされています。その中、西村衆議院議員からFAXが入りました。新首相がまだ何もしていないのに、もう批判的な内容が紙面全体を占めています。本人のやろうとすることを見極めずに先ず批判の姿勢をとるという自民党の態度にいささか不満を感じました。
 少なくとも野田新首相は鳩山、菅元首相とは明らかに姿勢を異にしています。せめて施政方針を聞いてから良いところ、受け入れられないところを明確にしても良いのではないかと思います。はじめから否定してかかれば今までと何ら変わりのない、国民不在の政権争いに陥るのではないかと思います。西村議員のこの様な姿勢、ひいては自民党のこの様な姿勢に、もし野田新首相が民主党をまとめて今までより少しでも良い政治をし、民主党が復活することになればとおそれているのではないかと思ってしまいます。政権争いに終始するのではなく、もう少し国民のことを考えて真剣に政治をして欲しいと思います。


8月28日(日)〜29日(月) 「大峰山山伏の基地・洞川温泉と天川村へ」
  連日の暑さにぐったり、予定していたツアーも旅行社の都合で9月下旬に延期、それならばと洞川温泉に出掛けました。インターネットで調べた旅館でしたが、あたらしや旅館は最高の宿で、いい温泉に入りご馳走を食べ、素晴らしい町の雰囲気と旅館の丁寧な案内で、楽しい旅行になりました。昼と夜に町を歩きましたが、大峰講の基地の風情があちこちに見られました。旅館の向かいも行者宿で、「山伏修行一日入門」と書かれた看板が掛かっていました。彼らは夜早くに休み翌朝は夜明けとともに大峰山に出発していったようでした。
 朝食もご馳走で、川のせせらぎを聞きながらたくさん食べました。ただ、昨夜はご馳走につられて飲み過ぎ、朝食後にはひどい下痢をしてしまい、大変でしたが、陀羅尼助丸のお陰で、午後には収まり無事帰ることが出来ました。立派な部屋で素晴らしい料理を贅沢に食べ、気持ちのよい温泉に浸かり、ビール大瓶1本に2625円の陀羅尼助丸を買っても、支払いは二人で3万円チョイでした。
 二日目は大峰山の登山口を見に行った後、天川村へ行き、テレビドラマで有名になった天河弁財天で、6個の鈴を鳴らしてきました。宿の説明で鈴の鳴らし方を聞いていたので、その通り、持ち上げてしつこくまわすと、いい音を奏でることができました。その後お参りに来る人たちは普通に振るだけなのでいい音は出ません。優越感を感じました。
 南朝の御所跡を見た後、帰路につきましたが、大阪の環状線で渋滞に出会い、その暑さに、ついに車の窓を閉め、エアコンを付けました。軽自動車なのでエアコンを付けると加速時などに力不足を感じ、普段は窓を開け自然の風で我慢していますが、このときだけはどうしようもありませんでした。今回もカーナビのお陰で無事往き、帰ることが出来ました。

  
洞川温泉の行者宿            老若男女が水温8℃の池に浸かって修行      行者用品を売る店
  
大峰山登山口の女人結界        天河弁財天の6個の鈴                 南朝の御所跡


8月27日(土) 「突然咲く夏水仙」
 我が家のひまわりは今頃になってやっと咲いています。大きなひまわりを期待していたのですが、幹のまわり中から枝は出て、小さな花を高いところに付けています。下の方の枝に花を咲かせるのはまだまだ時間がかかりそうです。昨日夕方、そのひまわりに水をやっていると、根元近くの土に夏水仙の花芽がにょっきり顔を出していて、今日はもう花が開いています。何もないところから突然花が咲くのでいつも驚かされます。もっとも花が済むと葉っぱが出てきて、その場所は葉が生い茂っています。
 今年はゴーヤが不作でした。それでも一応緑のカーテンになってくれました。それに引き替え、ツルムラサキが立派に育ち、夏中緑の野菜として重宝しました。来年はゴーヤとツルムラサキを入れ替えてみても良いかなと思っています。
 妻が世話をしている3本仕立ての大輪の菊の鉢もいよいよ姿を現し、軒下で秋を待っています。
   
高いところで咲く小さな花          突然姿を見せた夏水仙           ツルムラサキの壁             3本仕立ての菊の鉢

8月26日(金) 「ポータブルハードディスク」
 以前、エディオンカードの会社から500円の割引券をもらっていたことを思い出し、使用期限が迫っているのでポータブルハードディスクを買いに行きました。お盆にインターネットで調べたとき、5000円台で売っていることを調べていたからです。ところが今日インターネットでその店のチラシを調べると、ポータブルハードディスクの売り出しはしていません。それでも行ってみました。500GBの商品は9800円しています。それでもこまめに商品を見ていくと、一番下の段の目立たないところに500GBが5980円で売っていました。メーカーなどまさにお盆に見つけたものでした。500円の割引券は5250円以上の商品で使え、5年間保証も付きます。おまけに、480円はポイントで使えるということだったので、5000円ポッキリでゲットしました。
 ところでこのハードディスクの使い道ですが、以前のパソコンに取り込んでいた写真がパソコンと共にこわれてしまい、失ってしまったために妻に恨まれていたので、以後の写真のバックアップに使おうと思っています。整理しやすい取り込みの仕方を息子に尋ねながら後日作業したいと思っています。


8月24日(水) 「散髪屋さんはお休みどころ?」
 いつも散髪に行くと眠ってしまいます。頭にはさみが入るともう我慢できません。それで、今日は昼寝をした後散髪屋へ出掛けました。これならまさか眠ることはないだろうと思ったからです。頭にはさみが入っている間は眠ることはありませんでした。ところが髭を剃るために椅子を寝かされた途端、眠ってしまい、髭剃りがすんで椅子を起こされるときに目が覚めました。散髪屋さんにはいつも申し訳ないと思うのですが、これだけはどうしようもありません。


8月21日(日) 「涼しさに誘われてドライブ」
 うだるような暑さから解放され、おまけに曇り空でギラギラ太陽がないので、エアコンをほとんど使わない我が家の軽自動車にはもってこいのドライブ日和になりました。いつも行くガソリンスタンドへ寄ると、プリカで141円/gといつもより安くなっていました。円高によるのでしょうか。
 特にどこへ行くという目的もなかったので、加古川の権現ダムを北上し、八千代区から中区を経て道の駅「かみ」まで走りました。昼食のパンをかじった後、さらに北上し、トンネルを抜けて青垣町へ、遠阪峠を越えてドライブイン夜久野まで行きました。駐車場でしばらく昼寝をした後、新しい巨峰がとても安く売っていたので、それを買って車内で少し食べました。花の苗を売るコーナーを覗きましたが、枯れた草花が高い値段を付けて売られているのにはびっくりしました
 さらにドライブインの裏にある道の駅夜久野へより、野菜などを買いました。値段の安さには驚きました。午後2時頃なのに気温は23℃で、とても涼しく感じました。帰りは和田山へ行き、カニせんべいの店で買い物をした後、サービスのコーヒーで再び一服しました。それから北近畿自動車道に乗り、道の駅まほろばへ寄って朝来市埋蔵文化センター「古代あさご館」を見学しました。大勢の人が道の駅に来ていましたが、立派な建物にもかかわらず見学していたのは私たちだけでした。高い位置に設置されている動画の説明を小さなホールで映写すればもっと人が集まるのかなと思ったりしました。
 そこから久しぶりにETCカードを使って遠阪トンネルを抜け青垣ICまで行きました。そして久しぶりに175号線から小野市市場・稲美町経由で家に帰りました。国道9号で夜久野峠からの下り道の谷間が22℃とこの日最も低い温度で、いつも涼しいと感じるトンネル内は逆に暖かく感じました。急に涼しく感じた一日でしたが、このまま秋になることはないでしょう。



8月19日(金) 「川柳教室のページ更新」
 川柳教室の帰路に高齢者放送大学の本科生往復課題番組の感想文を受け取って帰ります。7月は行事が立て込んでいたため、放送大学の返信文を作成するのが忙しく、川柳教室のページ更新をすっかり忘れていました。今日は8月分の感想文の返信作成に目途がついたので、更新しようとしようとして気がつきました。この様にうっかり忘れることが多くなってきました。いよいよ年齢を感じます。それにしても、先生の言われる「頭を畳にこすりつけて苦しみながら句をひねり出す」という心境にはなかなか入ることができず、ふっと思いついた句を提出するので、褒めてもらえることはありません。皆さんの句は味と深みがあって良いなといつも感心させられます。
 高齢者放送大学のテキスト8月号に、「私と川柳」と題して駄文を書きました。私を川柳に誘ってくださった元いなみ野学園長がその文を読んで「川柳手帳」を送って下さいました。ファーストの会員で句集も出版されている方に読まれたと思うと穴に入りたい気持ちです。


8月11日(木) 「他人の思い出など関係ない?」
 高齢者放送大学の講座に「思い出のメロディー」という番組があります。自分の思い出に残る曲にコメントをつけて投稿する学生参加番組です。今年も10人から寄せられた歌謡曲6曲が番組で披露されました。多くの学生がこの番組を楽しみにされています。昨年に引き続き、今年も生涯聴講生の課題番組として寄せられた感想文を読ませて頂きました。
 多くの学生さんが投稿者の思い出に共感され、自分の思いを付け加えておられました。また、「自分にはこんな思い出の曲があるのだ」と披露されている方、「自分の投稿した曲が取り上げられなかった」ことを残念に思っておられる文章、「自分は音痴なので唄には興味はないが、この様に良い思い出と共に聞くと、自分が淋しく思う」というのもありました。
 そんな中で、「自分は歌謡曲に全く興味がないので課題番組にしないで欲しい」という文章の他、「人の思い出など自分に何の関係もないので感想の書きようがない。この様な番組は自由投稿にすべきだ」という否定的、批判的な感想文が何通かありました。昨年は見られなかった感想文の内容で、その他の類似の文章から、団塊の世代の思いのように感じました。
 人の思い出など自分には何の興味関心も起こさせないという文章を読んでいて、「食堂で料理を食べるとき、店の人にありがとうといってもらうことはあっても、自分がいただきますと言ったりありがとうと言う必要はない。お金を払っているのだから」という神戸新聞のいい耳の文章をふっと思い出しました。お金を払っているのだから自分のものという意識だけで、材料をつくった農家や漁師の苦労や調理をした勝利人には全く思いをはせることもなく、感謝のこころも持ち合わせないのです。
 今回の閲読で、人の思い出から想像されるその人々の思いに寄り添い、一緒に感動したり、喜んだりするこころは、人々との絆を育てていく上でとても大切なのだとの思いを改めて感じさせられました。
 ところで、昨年のこの番組の閲読では3人の方にお節介なお便りを出しました。今年も二人にお便りを出しました。生涯聴講生は感想文に返信をもらうということはありませんが、この番組にはいろいろプライベートなことが書かれているので、ついついその方の文章に私もプライベートなお返事をさし上げることになってしまいます。


8月6日(土) 「原爆記念日」
 朝ドラを見ようと思ってテレビをつけると広島から記念式典が放映されており、今日が広島に原爆が投下された日であることに気がつきました。私も原爆の光を見ているだけに心に重く感じます。色々な人々の言葉を聞きましたが、原稿を読みながらでは、説得力に欠けます。やはり子どもたちがほぼ文章を暗記していて、平和を訴える姿に一番心を打たれます。高齢者放送大学の講座で話された、日野原先生の「戦争はお互いの対立が強まるだけで、真の解決にはならない。」という言葉は真実だと思います。近年の歴代の首相は戦争を仕掛けた米国をいち早く認め、支援しようとする姿勢に「それでよいのか」といつも疑問が湧きます。そして、憲法改正によって平和憲法からの脱却を計ろうとする動きを仕掛けています。あくまで無血で独立を勝ち取ろうとしたインドのガンジーは真の政治家であり、本当にすごいと思います。
 今回は福島原発の事故が絡み、核の存在がクローズアップされていました。たとえ平和利用であっても、人類は核を制御できないので、核に頼らない社会の構築が前面に押し出されているように思いました。当分この考えが支持されていくと思いますが、産業界からどの様な反発が出てくるか注目されるところです。日本人は「喉もと過ぎれば……」という特性を持っています。10年ほど経って東北も復興して元の生活に戻った頃、再び原発に頼る生活が当たり前になっているかもしれません。あれほど太平洋戦争で日本人の多くが悲しい思いをし、惨めな生活をしたにもかかわらず、平和憲法を捨てようというのですから……。


8月3日(水) 「再び道の駅巡りでみそピーを入手」
 7月12日に出掛けた道の駅巡りをほぼ同じコースで走りました。山崎の道の駅向かい側にある農協の売店で、茄子やなんきんを購入しました。家でも植えていたのですが、さっぱり収穫ができないので栽培を打ち切ろうと思っています。トマトは8本も植えているので、食べきれないほどの収穫があります。売店で結構高い値で売っているのを見て、得した気分になりました。その後北上し、一の宮のながさわで例によってスイカを買いました。今回は1000円の皮の黒いスイカを買いました。前回は800円のスイカでも結構美味しく、二人で3日間楽しみました。今回はお盆の御供えにするつもりです。ついでにレストランで食事を済ませ、さらに北上し、今回は「道の駅はが」まで行きました。引原ダムに近いので気温が少しぐらい低いかなと期待しましたが、30℃ありました。
 アイスココアと波賀名物かりんとうでしばらく休憩し、少し戻って千種へ抜けました。途中の峠にトンネルがあり、後続車がいなかったので、ゆっくりしたスピードで涼みながら走りました。トンネルを出たところは29℃でした。千種の道の駅は通過し、南光町を走っていると、今回は沿道のひまわりが咲き誇っていて、たくさんの人々が訪れていました。ちょっとだけ車を止めてみましたが、車窓からの眺めだけにして、前回咲き始めていた徳久駅南のひまわり畑へ行きました。すっかり花が終わり、一斉に東北方向に頭を垂れていました。畑におられた農家の方に尋ねると、種取りは8月下旬だそうですが、枯れた花を一つもらって帰りました。
 帰路は前回新宮の道の駅に寄ったのですが、今回はルートを変えて、播磨科学公園都市を経由して相生へ出ました。以前は国道2号線に突き当たっていたのですが、さらに南下する道が続いているので直進し、相生の市街地を通り抜けて250号線を東進し、御津へ向かいました。室津にさしかかると、「道の駅みつ」がこの先にあることがわかりました。初めてなので寄ってみました。瀬戸内海、特に家島群島が見渡せる海のそばのきれいな景色のところに建っていました。売店には「みそピーナツ」が売っていました。
 7月30日に松方ホールで六甲男声合唱団などが演奏した「モーツアルトのレクイエム」を聴いた後、三宮で東日本大震災の被災地を応援する物産展が開かれているさんちかへ寄りました。栃木県にいる娘がよく送ってくれた「みそピーナツ」が売っていないか期待していたのですがありませんでした。その「みそピー」を相生の会社が作って道の駅で売っていたので、早速買いました。帰り道は広畑あたりが大渋滞で、ずいぶん時間がかかりました。それでも「みそピー」が手に入ったので気持ちはルンルンでした。
 帰って早速「みそピー」を食べてみました。味は少々違いましたが、それでも美味しく食べました。嬉しい一日になりました。


7月26日(金) 「歩き遍路の誘いに心が揺れます」
 平成17年からの四国歩き遍路、引き続き21年からの小豆島歩き遍路でお世話になった先達から、熊野古道小辺路ウォーク、四国88ヶ寺歩き遍路、小豆島歩き遍路の案内が届きました。小辺路は1000m級の峠を3つも越えるというので、私には無理だと思います。小豆島は昨年まで歩いていたので、歩こうとは思っていません。
 しかし、四国の歩き遍路には心が動かされます。88ヶ寺は全て徒歩でまわっていますが、一部区間歩いていないところがあります。そのことがずっと心に残っていたので、何とかその部分だけでも歩きたいと思いました。そのためには、10月に実施される第1回(1番から5番までの10.8s)を歩きたいと思っています。以前に歩いたときは1番から7番まで17q歩いたのですが、初めてだったのですっかり疲れました。今回は距離が短いので、余裕を持って歩けそうです。その上、前回は4月から歩き始めたので、回を重ねるごとに気温が上昇し、大変な思いをしましたが、今回は秋から冬にむけて回を重ねるので、体を慣らすにはもってこいだと思います。
 そのようなことを考えていると、ますます行きたいという思いが募ってきます。


7月23日(土) 「琵琶湖周遊クルーズ」
 クラブツーリズムが募集した「琵琶湖周遊クルーズ」に参加しました。梅田茶屋町の集合場所が大阪駅からどれほどの場所にあるかよくわからなかったので、余裕を持って朝5時25分発の山陽電車に乗りました。7時25分集合だったのですが、大阪駅には6時40分に到着しました。7時に受付を済ませ、朝食のおにぎりをその場で食べました。
 7時30分にはバスに乗車しました。参加者は15人ほどなので、バスも小型で、私たちは一番後ろの座席でした。燃料節約のためか断続的にアクセルを踏むので、スムーズに走りません。お陰で乗り心地が悪く、クッションも今ひとつで危うく乗り物酔いをしそうになりました。大津港に到着したときには正直ホッとしました。クルーズ船出航の1時間前には到着したので、待合室でのんびり休憩しました。
 定員100人ほどの56トンの船に40人ほど乗船していたので、船内はゆったりしていました。琵琶湖の湖面を流れる自然の風に当たりたくて、2回のデッキに座席をとり景色を眺めながら、スピーカーから流れる解説を聞いていました。この船が造られた雄琴の杢兵衛造船所は小さな町工場という感じでした。船室では色々なイベントが行われていました。最初に上陸したのは沖島でした。日本で湖に浮かぶ島に人が住んでいるのはこの島だけで、細い路地を挟んで建ち並ぶ家に300人ほどが住んでいるそうです。小学校は児童10人に教職員が6人、中学生以上は渡船に乗って近江八幡市に通っているそうです。20分ほどかけてその町を歩いて見学し、漁協の売店でモロコの酢の物や小エビの佃煮の試食をして買い求めました。
 沖島を出発すると昼食弁当が配られました。琵琶湖で捕れる魚介類を中心に地元産の食材を使ったご馳走が竹の皮を編んで作られた弁当箱に入っていました。弁当を食べていると沖の白石が湖面に突き出ているところがありました。水深60メートルほどあり、そこから突き出た岩が湖面に10bほどの高さまで顔を覗かせているのです。続いて湖面と水深45mの水温の違いを体験するイベントがありました。湖底の水をくみ上げる方法を初めて見ることができました。湖底の水はずいぶん冷たく感じました。
 続いて竹生島を訪れました。掛け軸に御詠歌を書いてもらう予定をしていたので、一気に160段あまりの階段を登り、納経所へ急ぎました。息切れし、最後は足が上がりませんでした。本殿でお参りした後、国宝の唐門や重文の船廊下などを見学し、龍神拝所でかわらけ投げをしました。出航時間に余裕を持って港に戻りましたが、汗がどっと噴き出しました。出航後、竹生島を一周しましたが、島の木々がすっかり白鷺に食い荒らされていました。
 そこから長浜港へ行き、一旦下船した後、改めて長浜から乗船する人と一緒に乗船しました。船は一路南下し、多景島へ行きました。南無妙法蓮華教と金文字で掘られた大きな経文岩がそびえているのに先ず驚きました。上陸すると法華宗のお寺が建っていました。そこから先程の岩のそばまで登り、さらに南の方まで歩いて見学しました。小さな島ですがこの様な島があり、上陸できるとは思いもしませんでした。その後は琵琶湖大橋の西側にある道の駅で下船し、買い物をしました。そこからは船室にいて、篠笛のグループの演奏を鑑賞しました。演奏を楽しんでいる間に船は大津港に戻ってきました。

 帰りのバスは再び車線変更を繰り返しながら、同じような運転で、妻はすっかり車酔いの状態でしたが、私はぐっすり眠っていて助かりました。大阪駅からは新快速と快速電車を乗り継いで大久保駅まで戻り、20時30分発の最終のたこバスで帰宅しました。土曜日だったためか、いつもかなり混みあうバスが私たちだけで、二人で100円のタクシーに乗せてもらった感じで申し訳なく思いました。
 琵琶湖での新しい発見が沢山あり、乗船料が大人7600円と高かったので、旅行費用も結構高かったのですが、実に楽しい日帰り旅行でした。
   
             沖島と町並み                      昼食弁当                沖の白石
    
湖面の水汲みと湖底の水汲み               とりに食い荒らされた竹生島        多景島の経文岩と記念碑


7月22日(金) 「歯の治療やっと終了」
 東日本大震災があった日に歯を傷めて以来、次々と不都合が出て治療を続けていましたが、今日2本の奥歯に金属を被せてもらって、やっと治療が終了しました。しかし、奥歯が非常に薄くなっており、被せると言うより載せている状態なのだそうです。そのため治療後1時間は歯をあわせることが禁止で、今日一日治療した歯で噛むことは避けるように指示されました。外れてしまえば再び治療しなければなりません。治療期間中は医療費自己負担3割だったので費用もずいぶんかけたように思います。上手くくっつくことを祈るのみです。


7月16日(土) 「伝統芸能の歌舞伎と落語を鑑賞」
 明石市内から大阪阪神梅田または大阪難波間が1500円というフリー切符があります。今年度「伝統芸能講座」(兵庫県芸術文化協会主催)を受講しており、今日はその鑑賞日でフリー切符を使って朝から松竹座へ出掛けました。
 道頓堀の「づぼらや」でふぐのお寿司を昼弁当に買って、11時開演の昼の部を鑑賞しました。座席は花道の直ぐそばで、第一部の「播州皿屋敷」では、お菊の怨霊に苦しめられる浅山鉄山役の片岡愛之助が直ぐ目の前でもがき苦しむ演技を見ることができました。昼食弁当をすませた後は、狂言風の歌舞伎で板東美津五郎などが面白おかしく話を進め、楽しく踊って見せてくれました。最後の出し物は川口松太郎原作「三味線やくざ」から演出された「江戸唄情節」で、片岡仁左衛門や中村時蔵の名演技につい涙がぽろりと落ちてしまいました。前二つの出し物はイヤホーンの解説を聞いていたのでよくわかりました。最後の舞台はイヤホーンの解説は全く要らないわかりやすいストーリーでした。3年ぶりの歌舞伎鑑賞でしたが、やはり良いものでした。
 帰りに人丸駅で下車し、高家寺寄席で落語を鑑賞しました。6時に高家寺に着き、木戸銭1000円を払って一番に会場入りしました。長く床に座っているとお尻や腰が痛くなるけれども、保育園の子供用の椅子なら小さいけれども楽に鑑賞できます。隅の方の椅子に座って鑑賞しました。
 最初の笑福亭智六はまだまだ駆け出しという感じでした。枕で話した「落語の聞き方アイウエオ」で「アはあくびをしない」「イは居眠りをしない」「ウはウロウロしない」「エは笑顔で聴く」「オはおとなしく聴く、おしゃべりしない」と言っていました。これは全て本人の落語の実力に関わることだとおかしく聴きました。2番目の笑福亭由瓶がこの日一番のできで、枕も本題も一番楽しく聴くことができました。3番目の桂阿か枝はすっかり成長し、地元の出身と言うこともあって実に真面目な落語でした。最後の露の団六は年長であるにもかかわらずなかなか言葉がすっと出てこないという感じで、彼の言葉が出る前にこちらが次の言葉を想像してしまうというややまどろっこしさを感じました。しかし、この露の団六がいるお陰で、20年間ほどかけて第63回という長い歴史を刻んでいる高家寺寄席が安価で聴けることにやはり感謝しなければと思っています。
 朝6時30分から高齢者放送大学の講座を聴いてHPの感想文を更新し、8時30分に家を出て、夜9時過ぎに家に帰り着きましたが、長いけれども充実した一日でした。


7月16日(金) 「緑のカーテン」
 節電が叫ばれていますが、我が家ではお盆意外エアコンを使うこともなく、これ以上節電のしようがありません。掃き出し窓のある部屋の前にはゴーヤが植えられています。はじめに2本植えましたが、その内の1本が植え付けた直後に芽をナメクジに食べられてしまい、大きくならないので2週間遅れで1本植え替えました。はじめに植えたゴーヤは7〜8pの実がぶら下がり、二つ目の実の花芽がついています。しかし、後から植えた苗は大分大きくなりましたが、まだ花が咲くまでには至っていません。
 そんなわけで、緑のカーテンはまだ充分ではありません。気候は梅雨が早々に明け、暑さが厳しくなりましたが、すだれと扇風機でしのいでいます。幸い近隣の家もエアコンを使っていないようなので、暑さを増強しないので助かっています。


7月14日(木) 「すゑひろ会」
 グループいきいきネットの例会で楽しい講演を聞いた後、しばらく明石ステーションデパートの本屋に立ち寄り、本を1冊買って、すゑひろ会会場のグリーンヒルホテル明石へ早めに行きました。ところが幹事をはじめ、既に出席者の半数ほどが集まっていました。
 すゑひろ会は元兵庫県教育委員長だった故印部すゑ子さんが県の障害児教育担当指導主事だった頃に、内地留学させたもらった先生方が印部先生を囲んで42年前に設立された障害児教育を語る会でした。その後、卒業した障害者をケアする福祉関係の方々や、保護者、そして私たちのような若手もメンバーに加えて頂き、障害児教育と障害者福祉を考える会になりました。
 昨日出席されたのは11名、その内創立当時からのメンバーはお二人で、90歳と84歳の方でした。お話しを聞いていると、兵庫県の障害児教育の歴史やその苦労がよくわかりました。保護者の方も来ておられ、障害者の後見人のことが特に話題になりました。福祉施設を設立された方が後見人として両親をバックアップするNPOを設立されたお話をお聞きし、やはり今の問題点をしっかり掴んで活動されていることに感動を覚えました。教育に携わっていた者は詰めが甘いなという感触を禁じ得ませんでした。
 昼食でグループいきいきネットの仲間と中華どんぶりセットを腹一杯食べていたのに、夜はまたホテルでビールをたくさん飲み、ご馳走をしっかり食べたので、きっと体重も体脂肪も増えていることだろうと思います。


7月12日(火) 「道の駅巡り」
 朝から曇り空だったので、ドライブに絶好だと思い、道の駅巡りをしました。メインの道の駅は宍粟市山崎の道の駅の前にある農協の野菜売り場です。この店はいつも色々な野菜が安く買えるので、楽しみに出掛けます。今日も我が家では収穫できないキュウリや茄子、キノコなどを買いました。
 そこから北上し、一宮にあるながさわでトイレ休憩をしたのですが、店先にスイカの試食がありました。食べてみると結構甘いスイカです。600円から1800円の大きなものまで山と積まれています。鳥取産で、国道29号線沿いなので、鳥取から直接運び込まれたのだそうです。重く大きなスイカも全て一つ一つ人の手で車から降ろすので大変だったそうです。二人家族では大きなスイカは持て余してしまいます。そこで小ぶりでしかもずっしり重さが感じられる800円のスイカを買いました。小ぶりといっても5sの重さがありました。さらに北上し、波賀南の道の駅で同じ産地の同じくらいの大きさのスイカが1000円〜1200円で売っていました。ながさわは大量に買ったのでそれだけ割安になったのでしょう。ここでは花の苗などを買いました。
 そこからは千種へ抜けて南光町のひまわりを見ることにしました。途中千種の道の駅で、コンポスで生ゴミの肥料づくりを促進するEMぼかしをたくさん買いました。そこから南下したのですがいっこうにひまわりの花が見られないまま徳久駅まできてしまいました。パンフレットを見ると、少し南側にある宝蔵寺地区のひまわりが7月上旬開花と書かれていたのでそちらへ行きました。行ってみるとちらほら花が見えています。これではお金を出して見る値打ちがないので引き返し、ひまわり畑の北側の道を走っていると、姫新線越しに少しまとまって咲いているところがありました。シンプル携帯電話しか持っていなかったので、カメラはあってもズームはできず、遠景のひまわりを撮して帰りました。
 最後に播磨新宮の道の駅に寄りましたが、あいにく定休日で、やむなくしばらく駐車場で休憩することにしました。椅子を倒して休憩していると20分ほど眠っていました。山間部を走っていると、道はすいており、信号もほとんどないのでのんびりマイペースで走っていましたが、29号線から姫路西バイパスを経て太子バイパスに上がると、車のスピードも混み具合も、そしてそれぞれの車の動きも今までと全く違い、走行車線や追い越し車線を車線変更しながら慌ただしく走りました。昼食や休憩時間も含めて7時間ほどで200qあまり走りました。めったに遠出することなく普段は家の近くで買い物に使うだけなので、昨年12月に買った車の走行距離がやっと5000qを超えたところです


7月9日(土) 「OB会」
 現職時代同じ仕事に携わっていた仲間のOB会が神戸北野にある六甲荘でありました。はじめに総会がありましたが、これは型どおりの議事が進められるだけでした。ただひょんなことから30人も先輩がおられるのに、副会長という重責を与えられ、ちょっと違和感を感じています。節電によるクールビズがかなり行き渡っていて、ほとんどの人が背広やネクタイなしの服装でした。その割に会議室の冷房がよく効いていて、終わり頃にはみんな寒さを感じていました。
 総会と研修会が終わり、懇親会場に移ると、こちらの部屋は適当に暖かく、落ち着いて歓談できました。昼食でビールを飲み、ご馳走をたくさん食べるとやはり体の方が上手く対応できず、帰りの電車ではずっと居眠りをしていました。
 前日妻が美味しいケーキが食べたいといっていたのを思いだし、電車に乗る前にそごう百貨店地階の入口でモンブランを買って帰りました。帰って直ぐに二人で食べたのですが、尋常な甘さではなく、二人ともうんざりしてしまいました。その後再び睡魔に襲われ、2時間ほど眠ったのですが、目が覚めると先程食べたケーキのためか、多少気分悪く感じました。二度とあの店のケーキは買いたくないと思いました。
 研修会の講師の話を聞いていて、私達が卒業間もない頃には仕事に対して色々工夫しながら創造的に取り組み、大いに仕事を楽しみましたが、今は上からどんどん新しい考えの基に仕事を進めることが要求されているようで、今の若い人たちが喜びややりがいを持って仕事に取り組めるのかいささか疑問に思いました。世の中の仕組みが変わってきていることを感じた研修でした。それでも昔のなつかしく気のおけない仲間と話し合っていると、色々と元気が湧いてきます。明日からのエネルギーをたくさんもらいました。


7月8日(金) 「映画『最後の忠臣蔵』鑑賞」
 昨日は雨だったので、グラウンドゴルフが今日に延期され、朝からプレイをしました。第1打でホールインワンを打ったので、今日は好成績が出るかと思ったのですが、結局ぎりぎり60を切る成績にとどまりました。その後西江井老人憩いの家でグラウンドゴルフ部のミーティングが11時までありました。夏休み期間の相談と、公園の植物(植木)の世話に関する研修報告がありました。朝から快晴の上、昨日の雨で蒸し暑さもあったので、今日は菅笠をかぶってプレイしました。それでも大汗をかきました。帰って風呂に入ってすっかり着替えをしました。
 昼食の後、たこバスを利用して明石市西部市民会館で開催されている映画会「最後の忠臣蔵」を見に行きました。討ち入りの前後に内蔵助から特命を受けた二人の武士の使命を描きながら、最後は内蔵助の隠し子を嫁がせるまでの色々な苦しみをとても面白く描かれていました。途中からハンカチ片手に見ていました。出掛ける直前睡魔に襲われ、危うくバスに乗り遅れるところだったので、映画では眠ってしまうのではないかと心配しましたが、映画にすっかり引き込まれ、途中で眠ることはありませんでした。
 帰宅後、庭の菜園で栽培していた残りのジャガイモ(メークイン)を掘りました。先日の「出島」と同様、日当たりの悪いところはほとんどジャガイモは入っていませんでした。そして茎の下からダンゴムシとヤスデがうじゃうじゃ出てきました。手袋をはいた手で見つけ次第つまんでつぶしました。また黄色で点が沢山あるテントウムシも葉にたくさんついていたので、こちらも殺しましたが、羽がありまわりのカボチャや三度豆の葉に飛んでいたので、それも1匹ずつ殺していきました。できるかぎり農薬は使わないようにしています。


7月6日(水) 「ネジバナの群生」
 妻がネジバナの群生を見つけ、写真を撮しに行くというのでついて行きました。こんなに群生しているのを初めて見ました。私有地なので場所をあかすことはできませんが、白とピンクの花が混在していました。我が家は庭に2本ありましたが、いつの間にか消えてしまいました。今はたった1本、道の駅で買った小さな鉢に花をつけています。



7月5日(火) 「噛むことができません」
 奥歯の治療を先日来続けていますが、奥歯の神経を殺す治療が一段落し、今日は奥歯に被せるための土台を作ってもらいました。ところがその土台の高さが高いらしく、夕食時それがつかえて全く噛むことができません。今日の治療が終わったとき、「奥歯が高くなっています」といわれたので、そのようなものかと思っていましたが、これでは来週の金曜日の治療の日まで、ものを噛んで食べることができないのではと思っています。それまでに色々なグループの会食が3回もあります。本当に困ったことです。


7月4日(月) 「やっと月間平均ストローク20.0を切りました」
 グラウンドゴルフの6月の成績集計が発表されました。今までは1ゲームストローク平均20.0を切ったことはありませんでした。6月は雨でグラウンドが湿っていることが多く、球が素直に転がりやすかったので、ホールインワンも昨年1年間の4分の1にあたる7本が出たお陰で、平均19.61という成績でした。最もみんなも好成績だったので、19人中11位で順位は普段とあまり変わりませんでした。一時の20人中19位という不振を脱することはできたようです。今日も雨上がりでホールインワンが2本でたので、3ゲームトータル53と5位の成績でした。しかし、トップの成績はホールインワン4回でトータル41と圧倒的な優勝でした。


7月2日(土) 「半夏生」
 神戸新聞に夏至から11目が暦の上で半夏といわれ、半夏生の花が咲き、葉が半分白くなると書かれていました。妻がもらってきた半夏生の鉢を見ると見事に書かれている通りでした。植物の季節感の不思議を改めて感じました。



7月1日(金) 「淡路島ハイキングと第九練習」
 昨日、朝8時20分に家を出て山陽電車で舞子公園駅へ、JR舞子駅に集まり、いきいきネットのメンバーと一緒に淡路島へ渡る高速バスに乗りました。淡路インターで下車し、オアシス経由で県立淡路島公園へ行きあじさい谷の花を愛でました。間もなく花の時期も終わる頃なので、瑞々しさに欠けるところもありましたが、それでもたくさんのアジサイの花を楽しみました。お弁当を食べているときに、妻が庭の菜園で収穫してくれた朝取りミニトマトをみんなに一つずつ食べてもらいました。
 午後からは日差しが強くなり、グループのみんなはどうするかと思いましたが、19人中15人が本福寺の水御堂を見学するというので、早めに公園を出発しました。出口で道を左にとって坂を下れば鵜崎のバス停に着くと思ったのですが、念のために公園の職員に尋ねると、右手の上り坂を進むように言われました。インターネットで調べた地図を持っていたのですが、考えてみれば、左手の坂を下ると公園の中を縦断することになります。鵜崎へ行くためには公園の南側を進まねばなりません。私の感覚では右への上り坂は北へ進むとしか思えません。それでも職員の言葉を信じて坂道を登りました。道は公園のまわりに沿って大きく迂回し、展望広場のある駐車場への分かれ道にさしかかると、そこからは一気に下り坂でした。鵜崎の町や海が見えてくるとホッとしました。最近は方向感覚が鈍くなったとつくづく思います。
 鵜崎のバス停に着いた頃には500mlのペットボトルのお茶はすっかり空になってしまいました。自販機で冷たいスポーツドリンクを買って飲みました。バスで立石川まで行き、急坂を登って水御堂まで歩きました。再び汗が一気に噴き出し、全身濡れ鼠という感じでした。そんなことから500mlのスポーツドリンクも直ぐに残り少なくなりました。
 お寺は真言宗で本尊は薬師如来だという説明があり、四国や小豆島の歩き遍路の気分が蘇ってきました。帰りは岩屋港までバスに乗り、ジェノバラインで明石へ向かいました。船は冷房がよく効いていて、13分間でしたがすっかり汗も引き生気が蘇りました。上陸した後、もう少し歩き、万歩計を10000歩以上にしたくて、西新町駅まで歩きました。それほど汗もかかずに家に帰り着きました。しかし、一度汗まみれになった体は気持ちが悪く、きっと汗くさくなっていると思い、1時間ほどの間に風呂に入り、頭から足の先まできれいに洗って着替えをしました。
 さっぱりした気持ちで第九の合唱練習には車で出掛けました。出掛ける前から眠気を感じていたので練習中に居眠りをしないか心配しましたが、無事最後までしっかり歌うことが出来ました。練習には350mlのペットボトルのお茶を持参しましたが、練習前や休憩中などに飲み干してしまいました。1日で1リットル以上のお茶やスポーツドリンクを飲み干したのは夏の歩き遍路以来です。
 帰宅して食事を済ませ、改めて風呂にはいると、いよいよ眠気が襲ってきました。やはり疲れていたのでしょう。蒲団にはいると直ぐに深い眠りに落ちてしまい、ハッとして目が覚めると、妻は洗濯を始めており、時計を見ると7時でした。7時間半熟睡していたことになります。普段は夜中に一度トイレに行き、しばらく川柳などを考えたり、朝方眠りが浅くなって夢をよく見ているのですが、この様に一晩中熟睡したのは久しぶりでした。



6月29日(水) 「ホタルより夜空の星」
 昨夜、多可町八千代区俵田へホタルを見に行きました。真っ暗な中、記憶を頼りに何とか川のそばにたどり着きました。インターネットに書かれていたように、数はうんと減っていましたが、それでも対岸をホタルが何匹も飛んでいました。しかし以前のように自分いるところまでは飛んできませんでした。
 ホタルより感動したのは夜空の星です。明るい星から暗い星まで無数の星が見えました。北斗七星や北極星を見るのは何年ぶりでしょう。昔は我が家でも見えるのが当たり前でしたが、最近は空全体が明るく、また家のそばの街灯やジュースの自動販売機などが明るすぎて、月の美しさを見ることがあっても、星はとびきり明るい明星などを除けばあまり観ることはできません。だからこの様な満天の星を見る機会がもてたことをとても嬉しく思いました。しばらくベンチに座ってホタルより星々を眺めていました。
 往きはいつも通り慣れた県道79号線から24号線を車で走ったので、全く迷いませんでした。ところが帰りは国道175号線へ出ようと思い西脇方面へ向かいました。標識にしたがって曲がると細い道路になり、やっと広い道に出ましたが、そこには標識がありません。仕方なく感で方向を決めて走り出すと、その道は県道24号線を経て加西に向かっていることが解りました。途中でUターンして走っていると175号線へ行く標識がありました。西脇市駅のそばの踏切を渡ったので、やっとどこにいるかわかりました。その道を進むと対向車をかわすのがやっとという道になってしまいました。それでも標識を信じて進むとやっと175号線に出ることが出来ました。夜は方向がわからなくなるので、やはりカーナビをつけて出るべきだったと反省しています。


6月28日(火) 「清掃奉仕」
 昨日(27日)はグラウンドゴルフの後、2時間会場である門池公園の除草と清掃をメンバー20人全員で行いました。私は小さな草刈り鎌で木の根元やグラウンドの隅の除草をしました。風があり、多少は助かりましたが、それでも終わった後は濡れ鼠になり、帰って汗を拭き、服を着替えるとすっかり良い気持ちになり、昼食の後、目覚ましをかけておいて昼寝をしました。そして、2時45分と3時40分の2度、スクールガードで小学生の下校の見守りをしました。昼寝のお陰で元気を取り戻し、見守りの後は庭の除草や剪定をした枝を束ねてゴミ出しの準備をしておきました。夕食に冷たい缶ビールで体を癒やしました。
 今朝は地域の老人クラブ役員の清掃奉仕があり、江井ヶ島海岸駐車場下の展望台の除草と清掃を8人でしました。今日はノコギリ鎌を使って草刈りをしました。昨日と違って朝から快晴で、日の照りつける中作業をしていると、汗がポタポタと落ちました。2時間あまり作業をした後、日陰で配られたペットボトルのお茶を飲みながら休憩しましたが、短時間で500mlのお茶を飲み干してしまいました。休憩の後ベンチから腰を上げると、みんな座っていたところが濡れていました。家に帰ってシャワーで汗を流しました。
 本格的な夏の訪れを感じさせるように、連日大汗をかいています。昨夜風呂上がりに体重を量ったときは58.1sありましたが、シャワーを浴びた後計ると57.4sでした。500mlのお茶を飲んでいなかったらもっと減っていたのでしょうね。


6月25日(土) 「映画『武士の家計簿』鑑賞」
 地域の老人クラブ・西江井友愛クラブの6月例会で映画会を実施しました。例によって液晶プロジェクターとスクリーンを会場へ持参し、別の役員が持参したスピーカーを取りつけて朝から準備しました。DVDを会長から前日に預かっていたので、前もって予告編の内容や映画のスタートなどをチェックすることが出来ました。
 11時30分に開会、会長のあいさつや連絡事項の説明があり、続いて近くの寿司店から取り寄せた巻と穴子の寿司(850円)を懇談しながら昼食にいただきました。幸いそろばん教室をしておられる会員が映画についてのリーフレットをたくさん持参してくださったので、皆さんにお配りし、映画の内容をあらかじめ知って頂くことが出来ました。
 12時30分から映写を始めたのですが、朝早くから放送大学の講座を聴いたり、例会の準備で机や椅子を並べて、汗をぐっしょりかくなどしたためか、部屋が暗くなった途端に睡魔に襲われ、半分以上ウトウトしていました。みんなが面白かったと言っており、私自身も楽しみにしていたのに、内容がよくわからないまま終わってしまいました。
 後かたづけや反省会を済ませて、4時半頃家に帰りましたが、すっかり疲れて7時前まで久しぶりに昼寝をしてしまいました。夜は先日芋掘りをしたとき、鍬で傷つけたジャガイモを使って、ミンチ肉たっぷりのコロッケをたくさん作ってもらいました。「出島」という種類のジャガイモのホクホク感がとても美味しく思いました。


6月23日(木) 「同僚の退職慰労会」
 朝7時からグラウンドゴルフの当番でグラウンド整備をしました。石のローラーをコースで引いていると汗が止まりませんでした。暑さが入ったのと、日照りが朝から厳しく、しかも湿度が高かったこともあって、プレイをしていても汗が止まらず、終わって家に帰ると直ぐに昨夜の風呂の残り湯に浸かって汗を流しました。そしてすっかり着替えをしました。妻は庭の菜園で玉ねぎの収穫をしていました。はじめ苗を買って20本ほど植えていたのですが、その後高齢者大学の同窓生からもらった苗を70本ほど植えていました。今年はジャガイモと違って大玉の玉ねぎの収穫は見事でした。食べきれない程なので、娘のところに送ろうかなどといっています。
 第2の職場でお世話になった同僚が今春退職しました。私にとって、第2の職場でスムーズになじめ、いろんな仕事にチャレンジ出来たのもこの同僚のお陰だと思っています。その同僚のお世話になった親しい5名が集まって、お昼にこの同僚の慰労会を東加古川でささやかにしました。いろいろな仕事について話題がたくさん飛び出し、楽しいひとときを過ごしました。その後2次会でカラオケ喫茶へ行きました。私は最近覚えた「北海子守歌」と職場で定番にしていた「悲しい酒」を歌いました。地元の自治会館で歌うのではなく、やはりカラオケ喫茶は音響もよく気持ちよく歌えました。
 帰りに加古川の眼鏡屋へ寄って先日買ったメガネを調整してもらいました。鼻にあたる部分の痛みがすっかり取れてスッキリしました。やはり専門家だなと思いました。その後書籍売り場で放送大学の講師紹介で使えそうな本を1冊買って帰りました。


6月21日(火) 「残念なジャガイモの収穫」
 降り続いた雨がやっと上がったので、庭の菜園のジャガイモを掘りました。自宅で昨年収穫したメークインは発芽が遅れたので、そのままにしておいて、種苗店で買った「出島」という種類のジャガイモを掘りました。密集していたために風通しが悪く、根元の方の葉っぱの多くが虫に食われてレース状になっていました。日のあたる苗には大きめのイモが1〜2個ついていましたが、例年の収穫量の半分以下、午前中はほとんど日のあたらない苗にはほとんどイモが付いていませんでした。そんなわけで手をかけた割には期待はずれに終わりました。それでもメークインではほとんど捨てていた小さなイモ(直径1〜2p)もフライにすると柔らかく美味しく食べることが出来ました。
収穫が少ないので貴重なのですが、味はホクホクしていて抜群でした。


6月12日(日) 「白山スーパー林道をウォーク」
 毎年開通前にスーパー林道のウォークが催されます。今回は神姫バス観光が日帰りで募集していることを知り、息子夫婦と4人で参加しました。朝神戸駅前を6時20分集合ということで、4時20分頃起き、5時15分に家を出ました。明石駅で快速電車に乗り換え、6時5分に神戸駅に到着、トイレを済ませてバスに向かう途中、息子たちに出会い、一緒にバスに乗車しました。次々と乗車する人があり、神戸駅を出発するときには46名の参加者がありほぼ満席でした。新大阪で1名が添乗員の隣に座り、満席になるという、最近では初めての好評の旅でした。
 途中バスの中で朝食と昼食を済ませ、12時30分にウォークのスタート地点・白山自然保護センターに到着しました。16時30分帰路の発車ということだったので、およそ4時間のウォークを楽しむことになります。はじめは写真を撮りながら、ゆっくりペースで坂を登りました。歩きはじめは白い卯木の花がきれいだと眺めていましたが、途中からはピンクの卯木の花が美しく咲き乱れていました。次々現れる滝で立ち止まっては写真を撮っているとどうしてもみんなから置いて行かれます。しりたかの滝、赤石の滝、岩底の滝を過ぎると、きれいな蛇谷大橋にさしかかります。カモシカの滝を過ぎてトンネルを過ぎると、第1のゴール地点・姥が滝近くのテントがありました。これまで2度泊付きのウォークに参加しましたが、そのときはここから先へは進めませんでした。ところが今回はさらに奥の標高900mにあるふくべ大滝が第2のゴール地点になっていました。尋ねるとこの地点から往復1時間かかるとのことでした。13時50分だったので行ってこられると判断し、一応ゴール地点のスタンプだけは押してもらって、さらにウォークを続けました。しかし、歩き始めると疲れもあったのか、傾斜が急になったのか登るペースがすっかり落ちてしまいました。14時30分にやっと到着し、お茶を飲んだり、記念写真を撮ったり15分ほど休憩しました。二つ目のゴールのスタンプを押してもらって、予定より5分ほど遅れて帰路につきました。帰りはずっと下るので楽だと思ったのですが、歩き始めて直ぐに右足親指に違和感を感じました。少し痛みがありましたが、指をかばいながら早足に坂道を下りました。しかし後続の人たちがどんどん追い越していきます。残り7qと書かれている地点で残り時間が1時間半になり、さらに急ぎ足になりましたが、焦ると時間ばかりが過ぎていっこうにゴールに近づかない感じがしました。15時30分にやっと蛇谷大橋まで戻ってきました。何とかスタート地点の保護センターに4時過ぎに到着したときにはホッとしました。ここからバスの乗車場所レストハウスまでは1q15分と聞いていたからです。トイレを済ませると、丁度レストハウスに寄るシャトルバスが発車すると言っているので、ウォークを打ち切ってバスに飛び乗りました。お陰でバスの発車時刻15分前に戻ってくることが出来ました。シャトルバスを降りると五平餅を焼く良い匂いがしていたので、つい買ってバスに乗り込みました。木の実の入ったみそだれが香ばしく、本当に美味しく食べました。
 帰りのバスに乗車して靴下を脱ぐと、右足親指の爪をしっかり切っていなかったので剥がれかかった状態になっていました。直ぐに絆創膏でこれ以上剥がれないようにしておきました。30分ほどバスに乗ったところにある手取渓谷を5分ほど見学し、帰路につきました。ここからは20時頃に到着した多賀SAまではほとんど居眠り状態でした。多賀SAがすっかりきれいになっているのに驚きました。そういえば北陸自動車道のSAでもトイレのきれいなのにも感心しました。この先渋滞しているということだったので夕食のお寿司のおこわを買いました。今日は3食ともこのバスの中で食べることになってしまいました。新大阪に21時30分到着予定でしたが、渋滞の影響で22時頃になってしまいました。神戸から乗車した人たちの中には、新大阪からだと早い電車に乗れるということで、20人近くの方が下車されました。しかし夜遅くなると道もすいていて、神戸駅には22時40分頃に到着出来、家には23時30分頃帰り着きました。それにしても快速電車も山陽電車もこんなに夜遅くなっていても乗客が多いのには驚きました。美しい自然の中で25000歩ほどのウォークを楽しんだ一日でした。

  
間もなく開通する                  料金所前でいよいよスタート           最初のしりたかの滝
    
岩底の滝    ピンクの卯木が咲き乱れる蛇谷大橋     カモシカの滝  姥が滝     ふくべ大滝

6月7日(火) 「新しい携帯電話」
 今日は高齢者放送大学の第1回中央スクーリングがありました。これは新しく入学した学生さんの入学式にあたるスクーリングで、職員や講師の紹介並びにミニ講話がありました。私の出番は昼食直前だったので、「50年愛していると言い続け」と詠んだ川柳から軽い話をしました。
 午後からいなみ野学園の手作りの店で青梅を2s1000円で買って、早めに出たので、魚住駅近くのauの店によって携帯電話を買い換えました。今まで使っていた携帯電話が7月22日で使えなくなるというダイレクトメールが届いていたからです。いろいろ相談した結果、今までと同じ契約ですが、基本料は少し安くなるので、メールが出来るようにしてもらいました。迷惑メールを防ぐためには少し複雑なアドレスにした方が良いとアドバイスを受け、それでも自分が忘れてしまうようなアドレスでは困るので、付け足し付け足ししていると、妙なアドレスになってしまいました。今まで多くの仲間に不便をかけていたのでこれで多少は解消出来るのではないかと思います。ただし、マニュアルを読んでいたも機能が沢山あり、メールなど使えるようになるにはかなりの期間かかりそうです。少しずつ使える範囲を広げていきたいと思います。


6月3日(金) 「第九の練習風景が神戸新聞に」
 昨夜の第九の練習風景が写真付きで記事になっていました。私は2列目に並んでいたのですが、たまたま煉瓦色のシャツを着ていたため、私が映っているのが直ぐにわかりました。虫眼鏡で拡大してみると私だということが確認出来ました。
 午後から車の新車6ヶ月点検に行きました。再三バッテリーを放電してしまっていたので検査をしてもらうと、案の定機能は半分ほどに落ちているそうで、今年の冬には交換が必要かもしれないといわれました。恥ずかしい限りです。


6月2日(木) 「第九の練習再開」
 今朝のグラウンドゴルフでは、練習をしているときに仲間から球を打つ姿勢でアドバイスを受けました。そのことを意識してプレイすると、ホールインワンが3度も出て、トータルの成績もこの日トップになりました。5月は1ヶ月間でホールインワンは4回で、それでも私にとっては多い方だったのですが、一日でその数に近づいたのですから、今月のプレイが楽しみです。
 午後から三木山公園で久しぶりにウォークを楽しみました。そして夜は第九合唱団の第29回目の結団式がありました。私は11回目になりますが、半年の間にすっかり声が出なくなり、また一から練習を積むことになります。


6月1日(水) 「我が家の無農薬菜園」
 庭で細々と続けている菜園も少しずつ実りに近づいています。キヌサヤを登らせていたネットにカボチャのつるを登らせていますが、今小さな青い実が2つぶら下がっています。ジャガイモはキヌサヤのつるを取り払った後青虫が全てジャガイモに移動したらしく、レース状の葉っぱになってしまいました。それでも精一杯枝を広げて、太陽光を浴びようとしています。中型のミニトマトは茎の下の方にたくさんの青い実をつけています。しかし大きな実のなるトマトはまだ花が咲き始めた段階です。小芋は10個種芋を植えましたが、8個芽を出し、小さな葉を広げようとしています。玉ねぎは葉ばかり生長して玉ねぎが収穫出来るのだろうかと心配しましたが、雨が続き始めてどんどん根元がふくらみ、立派な玉ねぎが収穫出来そうです。青ネギも近隣で収穫したネギを買って食べたあと根を土に埋めておいたのが新しい葉をつけ始めました。ゴーヤはツタンカーメンを登らせていたネットを使って窓際に2本栽培していますが、1本が植えて直ぐに本場2〜3枚を残して茎をナメクジにかじられ、折れてしまいました。残った葉の付け根から新しい芽が成長することを祈っています。
 サニーレタスも葉をナメクジにかじられながらも大きな葉をつけ、パン食の食卓に度々載っています。茄子は1本だけ植えていますが、今年も虫が付き、収穫は期待出来ません。それでも全て無農薬野菜として害虫や病気に負けず最後まで頑張ってくれることと思います。

  
受粉したカボチャ                葉がレース状になったジャガイモ      やっと玉ねぎらしく

5月30日(月) 「野良猫の出産」
 我が家の庭には野良猫が2〜3匹うろうろしています。といっても何時もいるわけではなく、時々糞をしに来ていました。しかし、最近は姿を見ても糞が見られなくなったので、特に気にしていませんでした。土曜日の午前中に納屋で仕事をしていると、どこかで「うー」とうなる声や「カーッ!」という音がかすかに聞こえていました。まさか納屋の中にいるとは思わなかったので、台風に備えて何時も少し開けている入口の戸をきちんと閉めておきました。月曜日の朝納屋の戸を開けて物を取ろうとすると、はっきり猫のうなり声がしました。なんと一番奥の棚に猫が寝そべっており、お腹の周りを小さな子猫がごそごそしています。その時はつい脅かしてしまいました。猫は必死でうなっていましたが、二日間締め切られたせいかいささか弱っているようで、うなる声にも迫力がありませんでした。2度目納屋を覗いてみると全く同じ姿勢で、子猫がニャーニャー鳴いています。「さっさと子猫を連れて出て行きなさい」と言って聞かせました。優しく声をかけたのがわかったのか、こちらをじっと見つめているだけでした。昼前にもう一度同じように声をかけて入口の戸を開け放っておきました。午後から小学生の下校の見守りを済ませて戻って見ると、子猫を1匹残して親猫の姿は見えませんでした。他の子猫を連れてどこかへ避難したようでした。残った子猫を段ボールの箱に入れて納屋の入り口に置き、納屋の戸を閉めておきました。子猫は時々鳴いていました。夕食がすんで箱を覗いてみると、親猫がどこかへ連れて行ったらしく、箱は空っぽでした。殺生をしなくてすみましたが、どこかで他の人々に迷惑をかけることになるのではないかと少し胸が痛みました。もともと猫は嫌いではないので、何とかしてやればよかったのかなとも思いました。


5月25日(水) 「初めてのブービー賞」
 5月11日(水)に計画されていた校区交流グラウンドゴルフ大会が雨天で、13日(金)に延期されましたが、前日までの雨でグラウンドが使えず、再び25日(水)に延期されました。私は11,13両日とも所用があって不参加にしていましたが、25日になったからと再び誘われ、申し込みました。
 朝会場に着くと私の名前が登録されていなくて、それでも追加参加ということで受け付けてもらえました。第1ラウンドは私としては何とか形になりましたが、第2ラウンドからはメロメロの成績で、ホールインワンもなく終わってみれば26人中ビリから2番目の成績でした。お陰でブービー賞の1000円の買い物券をいただきました。前回が最下位だったので、成績が一つ上がったことになります。


5月24日(火) 「ケーブル電話工事」と「またまたバッテリー上がり」
 先日契約していたケーブル電話の工事がありました。工事といってもインターネットのモデムとケーブル電話のモデムをつなぎ、電話機につなぐだけのものでした。契約のときには屋外まで配線を持ち出し、室外機に接続して改めて引き込むようなことを言っていたのでどれほどの工事かと思っていたのです。パソコンの位置と電話機の位置が壁一つ隔てたところなので、以前にヤフーのIP電話を自分で配線していたときと同じことでした。ただ、工事が終わった後、係員がケーブルテレビ局に連絡をしていたので、こちらで勝手に工事をしてもつながらないのだと思います。ケーブルテレビ局からこれまでのKDDIへ手続きがあるようなので、実際にケーブル電話に切り替わるのはもう少し先のようです。工事費は無料で、電話の基本料が少し安くなるようです。
 これが終わったところで、次は携帯電話の買い換えが待っています。今の携帯電話が使えなくなるというのですから仕方ありません。どの様な電話機や契約が最も経済的なのか、ゆっくり相談して決めたいと思います。


 車で病院へ行こうとしたのですが車に近づいてもいつもの「ピッ!」という音が聞こえてきません。ドアはロックされたままです。キーでドアを開け、エンジンキーをまわしたのですがエンジンはかからないし、ライトもつきません。今回は昨日車を降りたときロックのかかる音を聞いていたので、自分にミスがないと自信を持っていました。そこでディーラーに電話をして確認してみました。これまで2度もバッテリーを上げてしまっているのでバッテリーが弱っているのかもしれないとのこと、とりあえずJAFを呼んでエンジンがかかるようになるか確かめて欲しいと言われました。
 JAFを呼ぶのは3度目ですが、電話でお願いしました。結果的には、日曜日に市役所の駐車場で本を読むときに車内灯をつけた後、消し忘れていたようです。6月には車の6ヶ月点検があるので、今日の結果を報告して、バッテリーもよく点検してもらおうと思います。

5月21日(日) 「金婚式式典」
 私は昭和37年(1962年)4月に結婚したので、来年が金婚だと思っています。しかし、神戸新聞社主催の金婚式式典は昭和37年に結婚した人を対象に表彰するというので出掛けました。それでもやはり49年目なのでピンと来ませんでした。
 12時受付だったのですが天候が悪く、高齢者は早くやってくるので駐車場がきっと満車になると思い、早めに着くようにしました。お陰で屋根のある1階に駐車することが出来ました。私たちが到着して3〜4台入るともう満車で、後は屋上の駐車場しか空いていませんでした。
 受付時間までに車の中でおにぎりの昼食を済ませました。私たちの受付は最後のグループなので、指定された座席も後ろの方でした。式典のはじめは神事でした。開始早々かなり館内全体に聞こえる声で「そんなことせんでもええのに」と女性のぶつぶつ言う言葉が長々と聞こえました。私は子どもがついて来ていて、その子を叱っているか、あるいは主人がもたもたしていて、愚痴をこぼしているのかなと思っていましたが、どうやら神事を認めることが出来ない宗教を信じる人だったようです。声のする方には神戸市の人々が座っていたので、我慢出来ないことを大衆の前で言えるのだなと思いました。明石の人は地区ごとに座っているので、近所の人に聞かれると後々暮らしにくくなることもあってこの様な発言はしないと思います。
 神事の後は表彰式と祝辞がありました。新しい泉市長も壇上で祝辞を述べられましたが、ご両親も今日の式典に出席されているとのことでした。話を聞いていると、泉市長と我が家の長女が同い年なので納得です。
 式典の後、アトラクションとしてかわいい子どもたちのバレーがありました。小さな子どもが一生懸命クラシックバレーを踊る姿は本当にかわいくて感動し、思わず大きな拍手をしていました。
 最後に壇上でグループごとに2カ所で記念写真を撮りました。帰りに記念品と表彰状をいただきました。私たちが最後だったので駐車場の車も大半が帰っていて比較的短時間で帰ることが出来ました。それにしても知っている人にほとんど出会わなかったのは、私たちが若くて結婚したからかもしれません。出来れば来年の結婚記念日まで二人が元気でいたいなと思います。

   

5月15日(日) 「川柳の先輩の死」
 平成16年から川柳教室で受講していますが、同じ教室の午後の部は私たちより8年ほど前から開講されています。その教室のリーダーで、、私たち午前の部が開講された後、忘年会や研修会に誘ってくださったりして、川柳以外にもいろいろ楽しみを教えて下さった方が金曜日に亡くなり、今日告別式に行ってきました。川柳仲間はもちろん、川柳教室の先生も大阪からわざわざ来られていて、残念がっておられました。
 とても意欲的な方で、川柳の句集を発行して私たちに配って下さったり、ここ2年ほど体調を崩して教室を休んでおられたのですが、確実に投句はされていたそうです。そして前日も仲間のところに兼題を尋ねて電話してこられたそうです。まだ77歳で、子どもや孫たちに囲まれて喜寿のお祝いをされている写真が会場の入口の飾られていました。きっと良いご主人、お父さん、おじいちゃんだったことでしょう。心からご冥福をお祈りします。


5月8日(日) 「ETC活用で大山からとっとり花回廊へ」
 ETCカードを使って土・休日1000円で高速道路を走ることが出来るのも今月限りになりました。そこで、蒜山高原まで行くことにしました。朝5時50分に家を出て、カーナビの行き先を蒜山高原と入力すると、姫路バイパスから播但自動車道を経て福崎ICから中国自動車道のルートを提案してきました。それを無視し、加西市に入ってから改めてカーナビの電源を入れると、加西ICまで誘導してくれました。ここからはもうカーナビは必要ありませんでしたが、ICやPAごとに合流地点で注意を呼びかけてくれるので、その度に「ありがとう」「大丈夫だよ」「本当だ、車が進入してくるから注意しよう」などと返事することを楽しみながら勝央SAまで一気に走りました。
 米子道の蒜山ICで下りると、直ぐに道の駅「風の家」があります。いつものように野菜や山菜を買い込み、鏡が成りまで登りました。しばらく国民休暇村の前で車を止め、そのあたりをツクシや蕗のとうを採りながら歩き回りました。昼食を摂ろうと、桝水高原へ車を走らせました。こちらは大勢の観光客が訪れていました。大山そばを食べながら午後からの計画を話し合いました。私は一度本場のグラウンドゴルフ場へ連れて行ってやろうかなどと考えていましたが、妻が「とっとり花回廊」へ行ってみたいといったので、カーナビで調べると、12q、27分で行けることがわかりました。早速車を走らせ、入場料1000円を支払って一歩入口を入ったところで思わず感嘆の声を上げてしまいました。午前中雲がかかっていた大山もスッキリ晴れており、チューリップの花の向こうに大きな円い温室と、その向こうにそびえる大山が何とも美しいのです。思わず「兵庫県は負けた」と思いました。同じ県立フラワーセンタでも、この様な借景を取り入れた立地条件は、他にはないだろうと思いました。先日同じように午後から兵庫県のフラワーセンターへ行きましたが、とっとり花回廊はどの花も瑞々しく感じました。大きな温室の中で何千本という胡蝶蘭などを鑑賞した後、回廊をまわって会場北側にある花の丘に行くと、花畑の向こうに大山がそびえています。その花畑を登り切ると、一面ポピーの花の向こうに大山がそびえており、木陰に座ってしばらくその景色の美しさを味わいました。
 充分楽しんだ後、ボタンやユリなどが展示されているコーナーを回りました。どの花も本当にきれいで、花の香りに満ちていました。入場料1000円は決して高くないと思いました。帰りに売店で梨のソフトクリームを食べながら休憩し、帰路につきました。
 帰りは溝口ICから高速に乗り、福崎で播但道に乗り換えるように指示するカーナビを無視して、加西ICで下りました。カーナビは加西市を走っている間福崎に戻る道を指示し続けていました。あまりしつこいので、電源を切りました。加古川市に入ってから、電源を入れると加古川バイパスに通じる道を誘導してきましたが、稲美町経由で帰りました。16時に花回廊を出発し、途中PAで一眠りしましたが、19時40分には家に帰り着くことが出来ました。最初にカーナビが帰宅予定時刻を19時27分といっていたのですが、ほぼ予定通りでした。片道3000円あまりの高速料金でしたが、ETCのお陰で往復とも1000円でした。
  
鏡が成近くでは雪や桜が見られました。         とっとり花回廊入場口付近の風景            ポピーが咲く中をトレインが走ります

5月6日(金) 「元同僚の葬儀」
 昨日親しくしていた同僚の訃報がありました。現職時代いろいろと助けてもらった人なので、ぜひ参列したいと思いました。しかし、式場が三田市ということで、夜の運転は困難だと思い、通夜は遠慮して、今日昼前に告別式に車で行きました。カーナビに目的地の電話番号を入力すると高速を使ったルートが出ました。別のルートを探すとほぼ一直線に走るルートが見つかりました。しかし、カーナビの画面に日があたり、詳しく読み取れませんでしたがそのルートで決定して車を進めました。家の近くだけは自分の走りやすいルートで走り、後はカーナビの示す通りに走りました。
 三田まで2時間を予定していましたが、カーナビは1時間50分で目的地へ行けるといいました。ところが大久保駅近くで早速渋滞につかまり、13時開式なのに到着予想時間が13時07分と表示されてしまいました。遅れても仕方がないと思っていましたが、郊外に出ると車はどんどん走り、しかも私が何時も通り慣れている道よりも近道をするので到着予想時間がどんどん早まります。そして、何の迷いもなく12時30分には目的地の式場に到着しました。まさにカーナビ様々です。お陰で近くの駐車場にも止めることが出来、大勢の参列者でしたが、安心して座席に着くこともできました。
 同僚の元上司が素晴らしい弔辞を読まれ、素晴らしい人柄を参列者の皆様に知って頂けて本当によかったと思いました。帰りは自宅を入力すると高速を使ったルートしか示してくれません。帰りこそ急がないのでもと来たルートを帰ろうと思い、ハンドルを握ったのですが、最初の交差点で早く右折をしてしまい、カーナビに逆らいながら記憶を頼りに元来た道に戻ろうと走りました。しかしカーナビが次々と示す道は高速へつながるルートばかりで、逆らっている間にまた三田の方に向かう始末で、それでも走っていたら三木の防災センター前に出ました。この様なところを走るのは初めてでしたが、そこを抜けると見覚えのある道に出ました。元来た道に戻れたのはこの後だったので、行きは50q弱だった距離を帰りは60q以上走ったことになります。何とか高速を使わずに自宅に向かうコースを示すことは出来ないかと思ったのですが、帰ってマニュアルを読むと、やはり自宅へのコースは一つだけ示すと書いてありました。そんなわけで帰路はカーナビ様々というわけにはいきませんでした。


5月2日(月) 「歯痛の原因」
 誕生日に歯痛でさんざんな思いをしました。その後も冷たい水が痛烈な痛みをもたらすなど、鬱陶しい日が続きましたが、なかなか歯医者へ行く機会がありませんでした。今日も朝からグラウンドゴルフとそのあとのミーティングがありました。終わって帰宅したとき11時半近くになっていました。それでも連休中の痛みは困ると思い、12時近くなっていましたが歯医者に行き、痛みがある話をしました。すると、とりあえず診ようと言ってくださり、結果的には先日被せた歯に押されて、その奥の歯に被せていたものが外れており、水が染みて痛かったということがわかりました。仮に被せておいて、それでも痛いようだったら1週間先に神経を取るということでした。原因がわかってホッとしました。


5月1日(日) 「市長選挙の裏話」
 お昼にはある市議会議員さんから、この度の市長選挙についてお話を伺うことが出来ました。8年間にわたる北口市長の市政に、市の関係者は疲弊しており、また市議会も振り回されることが多く、行政経験が豊富で、県とのパイプが太い元県幹部であった宮野候補をこぞって応援していたそうです。しかし、泉市長に決まったことで、これから各市議会議員はどのようにやっていくか悩んでいるということでした。
 夜には元市議会議長や元自治会長からもいろいろおはなしを聞くことができました。宮野候補は市民会館大ホールで1400人もの人々を集めて演説会を開いたそうで、県知事や地元県議会議員、市の幹部や労働組合、商工会議所の幹部などからも次々推薦の言葉が述べられたそうです。中には泉候補は女癖が悪いなどと誹謗中傷した言葉も聞かれたと言うことです。これは泉候補も奥さんもバツイチで、たまたまボランティア活動の中で意気投合し、再婚されたことへのやっかみらしいということです。そして宮野候補自身は既に明石市長になったような話しぶりだったということです。
 一方、泉候補はまさに市民感覚で市議会議員の定数を減らすなどの公約をはじめとして、家族に障害者がいることなどから、福祉の充実を訴えていたようです。そのような中で、議員一人の支給額が1000万円を超えることが新聞に掲載され、いわゆる既存政党を支持する人たちの中からも泉候補を推す人々がふえていったようです。そして、いろいろな団体の幹部が下部団体の代表を集めて宮野候補を推すように発言する中で、それぞれの事情があるからと言って、組織全体で宮野候補を推すことに不満の発言があったり、連合自治会などのようにどちらも推すことはしないなどとあくまで中立を守ったところもあったようです。
 結果的には、橋下大阪府知事が打ち出す革新的な意見に対してことごとく否定してかかる井戸知事に不満を持っていた人々や、労働組合が市民感覚からかけ離れた内部慣行を推し進めるために、節税が進まないことへの反発など、既成の組織への反発から、泉候補への票が一気にふえたようです。
 県に対する太いパイプが切れたこと、宮野候補を推していた副市長二人が辞任するなど市幹部職員や職員組合との摩擦、さらに市議会がこぞって宮野候補を推していたことから議会との信頼関係など、泉新市長にとって困難が続くと思います。さらに、これらの摩擦をマスメディアがいろいろと書き立てることでしょう。その時に大阪府民が橋下知事を支持したように、明石市民がどれだけ泉市長をバックアップするかが今後の鍵だということです。
また市議会議員や市職員、そして職員団体が慣例や慣行にとらわれることなく、市民感覚を大切にして冷静に対応することを期待したいと思います。

4月29日(金) 「親鸞展」
 山陽電車の回数券の使用期限が迫っていたので、明石市立文化博物館の特別展「親鸞」を観に行きました。入場券は先日の映画鑑賞の半券です。午前中に行ったのですがかなり大勢の人が来ていました。それでもゆっくり一つ一つの展示を解説を読みながら観ることができました。映画を観ていたこと、そして神戸新聞の小説も読んでいるので、時代を追って展示されたそれぞれの内容はよく理解出来ました。関東での布教についてはこれから小説に描かれるであろうと楽しみに思いました。


4月27日(水) 「嬉しくて、さんざんな誕生日」
 朝、パソコンを開くと孫から「お誕生日おめでとう」とメールが届いていました。そして夕方にはもう一人の孫から電話がありました。夜には娘からもお祝いのメールが来ていました。それぞれ覚えていてくれる本当に幸せな私です。
 ところが、私といえば、朝からグループいきいきネット5月例会の案内状を作成している頃から奥歯に違和感を感じていました。やっと完成して投函した頃には少し痛み始めました。それでも雨だという予報に、昨日フラワーセンターで買った花の苗を植えるための植木鉢の土つくりを急いでしました。痛みはどんどん増し、何とか昼食は食べたものの、顔の右半分に広がった痛みと寒気がしたので、ふとんに潜り込んでしまいました。ぐっすり眠り、おねしょをしたというとんでもない夢を見ながら夕方暗くなって目が覚めました。顔半分の痛みはだいぶ引いていましたが、それでも歯の痛みは残っていました。午後からは風雨が強く、夕食を外食でお祝いしようと思っていた妻の好意にこたえられませんでした。それにしてもこんなに歯が痛んだことは今までにありません。年齢相応に次々と身体に問題が出てくるなと思いました。


4月26日(火) 「フラワーセンター」
 お天気がよかったことと、入場券の使用期限が迫っていたこともあって、午後から県立フラワーセンタへチューリップを見に行きました。今年は雨が少なかったこともあって、一般的にはチューリップの花が貧弱だと言われていて、我が家も例に漏れない状況でした。しかし、さすがはフラワーセンターだけあって見事に咲いていました。しかもチューリップの根元にはワスレナグサなどが花の色に合わせて植えられていて、感心し、また良い勉強になりました。
 しかし温室のベコニアや熱帯の植物などはいつになく元気がないように思いました。午後から行ったのでそのように感じたのかもしれませんが、いつもの瑞々しい感動は得られませんでした。

   

4月25日(月) 「不安定なお天気」
 朝テレビの天気予報を見ながら、グラウンドゴルフに出掛ける準備をしていました。「雨のマークがない地域でもにわか雨や雷にご注意下さい」と気象予報士が言っているとき、空が急に暗くなったと思ったら突然雷が鳴り出し、雨が音を立てて降り出しました。5分ほどで雨は上がり、西の空が晴れてきました。東の黒い雲の方ではまだ雷の音が聞こえていましたが、道具を持ってグラウンドゴルフに出掛けました。メンバーも次々集まってきました。雨上がりは小石が沈み、球の転がり具合が素直なので、みんなとても良い成績でした。しかし、普段からあまり成績が芳しくない私の他2〜3人はホールインワンもなく、さんざんな成績でした。プレイの途中でも雨が降りだし、記録係の私は記録用紙をぬらさないように気を使ったりしていたので、なかなか集中出来ませんでした。


4月24日(日) 「思わぬ選挙結果」
 朝早くから西国巡拝に出掛けたので、眠かったのですが、選挙結果が気になり、ケーブルテレビやNHKの画面を見ていました。市長選挙は夜12時を過ぎても同数の得票が表示されているなど眠るわけにはいきませんでした。そして明石市長に泉候補が当選したと決まったときには本当に驚きました。明石市政に関わる全ての団体が対抗馬を押していたので、決まったようなものだと思っていたからです。多くの市民にとっては既成の政治に嫌気がさしていたのだろうと思います。風呂に入って寝たのは1時を過ぎていました。
 市会議員の選挙は、この人たちに当選して欲しいと思っていた人が全て早々に当選を果たしたので、最終結果を見ずに安心して眠ることが出来ました。


4月21日(木)〜22日(金) 「グラウンドゴルフ大会」
 西江井友愛クラブスポーツ部のグラウンドゴルフ部が鳥取県ハワイ温泉の千年亭で親睦会を行い、私も参加しました。初日は三朝温泉清流荘で昼食をすませた後、泊グラウンドゴルフ場で4ラウンドプレイをしました。幸い好天に恵まれ、海に面した丘の上の芝生は風もなくポカポカ陽気でした。32ホールでトータル98打、18人中8位とまずまずの成績でした。しかし、この中途半端な成績では参加賞しかもらえません。2日目は頑張って5位以内にはいるか、逆に成績を落として10位の飛び賞を獲得するかということになります。夜は例によって宴会があり、後半はカラオケのお世話をしました。
 翌朝は曇り空、天気予報では何時雨が降るかわからないという状況でした。大山の麓、大栄レークサイドパークで3ラウンドプレイをしました。ここは比較的平坦で、芝生もよく手入れがされていました。しかし、コースにはこぶがあったり、微妙な斜面にゴールが置かれていたりで、なかなか思うようには打てず、おまけに風が強くなり、気温もどんどん下がって寒さを感じました。終わる頃には帽子も飛ばされるほどの風で、36ホールでトータル86打と成績を崩してしまいました。そのお陰?で2日間の成績は10位となり、思わぬ飛び賞が獲得出来ました。午前中のプレイを終え、食事をするためにホテルへバスで戻る途中から雨模様になりました。日頃の行いが良いからとみんなで喜び合いました。帰りのバスで何度かお土産屋に寄りましたが、自動販売機で温かいお茶を買っただけで、居眠りしながら帰りました。

 
4月20日(水) 「年は取りたくないですね」
 映画「親鸞」の入場券を買っていたので朝のたこバスに乗って西部市民会館へ向かいました。図書館で借りていた本を返却し、ホールへ行きましたが鍵がかかっています。開演30分前なのに鍵が閉まっており、全く人気がありません。その時点でおかしいと思ったのですが、もう一度図書館へ行って時間をつぶし、開演10分前に行くとやはり入口は閉まっています。入場券を確かめるとなんと市民会館大ホールと書かれていました。切符をたまたま西部市民会館で買ったので、こちらであると思い込んでいたのです。思いこみに左右されるなど、年を取って頭が固くなっていたのです。幸い午前と午後の2回公演なので、一旦帰宅することにして、たこバスの時間まで30分JR魚住駅で時間をつぶしました。家に帰って少しだけ溝掃除などをし、昼食を済ませて車で明石市民会館へ行きました。駐車場は混んでいましたが、午前の部の人が次々帰るので、無事出口の近くに駐車出来ました。
 映画が始まるとナレーションの言葉が早すぎて上手く聞き取れません。映画は暗くどうかすると居眠りが出そうになりました。もっと期待して行ったのですが、親鸞の越後における苦しい暮らしが中心で、神戸新聞に連載されているような親鸞の内面を十分に理解することが出来ませんでした。
 帰りに明石市役所の大久保市民センターへ行き、明石市長と市会議員の期日前投票をしました。これで明日からのグラウンドゴルフの親睦旅行に参加した後の予定が自由に立てられます。何しろ関西私鉄の3Dey切符が2日分残っており、西国33番のお寺詣りに5月8日までに行かなければならないのです。本当はゴールデンウィークは避けたかったのですが仕方ありません。


4月16日(土) 「腰痛再発」
 ここ2〜3日眠っているときや朝起きたとき、腰に痛みを感じていました。一昨年も痛みを感じていて、整形外科にしばらく通っていたのですが、医師が亡くなり、別のクリニックを紹介してもらい、そこに通院して、リハビリをしてもらっていました。
 昨日はいよいよ顔を洗うための前屈みが出来ないほどになりました。午後からかかりつけのクリニックに出掛けましたが、あいにくその時間帯は内科医が担当で診てもらうことが出来ず、今朝改めて診察を受けに行きました。レントゲン検査の結果、腰骨がゆがんでいるための筋肉痛だったようです。リハビリとして、腰に温めた座布団のようなものを10分間押し当てた後、ベッドの上で腰に低周波のあんま機を10分間あてて揉んでもらいます。ベッドにうつぶせになる姿勢を続けると、かえって腰に負担がかかる気がしました。
 しばらく痛い日が続いていたところに、木曜日に友愛クラブの花見の会があり、重い物を運んだり、シートに長く座っていたのがこたえたようです。湿布をしていると少しは楽になりました。


4月15日(金) 「ケーブルテレビのプラス電話」
 現在私の家の固定電話はKDDIですが、ケーブルテレビでパソコンのプロバイダーも接続しているので、ケーブルテレビのプラス電話でKDDIに接続すると基本料金がさらに700円安くなるそうです。昨日顔なじみのケーブルテレビの営業マンがやってきたので、そちらに切り替えることにしました。映画など多チャンネルのテレビが見られるケーブルテレビとインターネット、電話代全て合わせて毎月8680円支払うことになります。停電になったり、ケーブルテレビ会社にトラブルが起これば、お手上げになりますが、携帯電話と携帯ラジオがあれば何とか当座をしのげるだろうと思っています。
 昔ながらの黒い電話機もこれまで使うことが出来ましたが、今回からはいよいよ置物になってしまいます。それでも今まで玄関に置いていたので、これからも飾っておいてやろうと思っています。


4月12日(火) 「歯の治療」
 東日本大震災があった3月11日、長浜で小さなあげもちを食べたとき、おもちに石が入っていて、がりがりと噛んだのですが、お店の中だったのでそのまま飲み込んでしまいました。ところが後でそれは自分の奥歯が欠けたかけらだったということがわかりました。何日か後に歯医者に予約をしに行ったらそのまま治療が始まり、2回目に型を取り、3回目の今日は銀をかぶせて治療は終わりました。私の行く歯科医院は治療の期間や通院する回数が少ないので助かります。
 ところで私の奥歯は、下側は左右両方とも3本ずつ被せています。上も1本ずつ被せてあります。左上の親知らずだけは歯茎の中ですが、他の31本は治療済みの8本も含めて全て自分の歯なので、食べることに不自由はありません。これは私の健康維持に役立っているのではないかと思っています。折角歯がそろっているのですから、もっとよく噛んで食べなければと思います。
 小学校時代、歯が黒くて汚かったのですが、歯の健康優良児に葺合区代表に選ばれ、神戸市大会に行き、表彰状をもらった経験があります。その時に初めて歯磨きと歯ブラシをもらって歯を磨きました。それでも、高校の身体検査で歯磨きをしていないことを注意された経験もあるので、その頃まではあまり熱心に磨き続けていなかったようです。
 夫婦の両親は共に歯は丈夫ではありませんでしたが、二人とも一本も欠けていないので、妻の料理がよかったお陰かもしれません。ちなみに私は今でも歯は夜寝る前に磨くだけです。


4月8日(金) 「明石仏教会の花祭り」
 4月8日はお釈迦様の誕生日で、毎年市民会館中ホールで明石仏教会の花祭りが開かれます。これまで写経に行くお寺で入場券をいただきながら、都合がつかず他の人に代わりに行ってもらっていました。今年初めていくことが出来、聲明を聞いたあと、チベット人歌手・ハイマーヤンジン女史の講演「日本とチベット、異文化を越えて」を聞きました。チベットの田舎で遊牧民の子として生まれ、努力して四川音楽大学に進学、少数民族であり貧しい家の出身として差別を受けながら頑張り通し、優秀な成績で同大学の教員として勤めたこと、卒業演奏で出会った優しい男性に惹かれ、日本人と結婚することになったこと、大阪吹田で夫の両親と一緒に住む中での文化の違い、関西弁をはじめとする方言や日本語の複雑な言葉づかいにすっかり落ち込んだ時期があったことなど、とてもおもしろく、また涙が込み上げるような内容を、流ちょうな日本語で話されました。大学卒業後それほど経っていない1994年に来日しておられるので、16年あまりの日本滞在期間に、日本人の心をこれほどしっかりつかめる話をされることにも驚きました。
 最後に専門であるチベットの民族音楽を1曲だけ熱唱されましたが、もっともっと聴きたいと思いました。子どもさんはまだ5歳ということで、若くて美しく、日本人だといわれても区別がつかない感じでした。子どもの頃は色が黒く、肌がチベット高原の風でひび割れだらけで、予防にバターを塗っていたということでしたが、そのようなおもかげはありませんでした。仏教会でも長年花祭りを続けているが、外国人講師は初めてだと言っておられましたが、この様な話ならもっと聴きたいと思いました。


4月6日(水) 「ETC初体験」
 文旦が食べたいと思うのですが、近くでたまに売っていても1個400円もすればなかなか手が出ません。そこで何時も買う場所、ブルーラインの道の駅「黒井山パーキング」へ行きました。しかし同じような値段で、かずもあまりありません。そこで、四国へ渡れば売っているかと思い、ETC初体験もかねて瀬戸大橋を渡りました。ETCの青いランプが点灯していることを確認して、早島ICのETCレーンに恐る恐る進入しました。ピッという音と共にバーが開きホッとしました。ここしばらく高速を走っていなかったので、あまりスピードを出していなかったようで、次々横を車が追い越していきます。追い越していった車の後ろについていくと、いつの間にか時速100キロを越えていました。この車は昨年12月に買いましたが、100q以上の速度で走るのは初めてです。前の車に比べてやや強く踏み込む必要を感じました。
 黒井山パーキングでカーナビの行き先を愛媛県西条市のりんりんパークと登録しておいたので、順調に坂出まで来ることが出来ました。途中で讃岐うどんの昼食を摂り、西条市までに文旦が売っておればそこでもよいと考え、坂出ICで降りて国道11号を走りました。すると、ICの入口が近づくたびにカーナビが松山道を走る案内をしてくれます。通り過ぎると、何度も戻って乗るように指示してきます。12〜3キロごとにこのことを繰り返しながら11号線を走りましたが、果物屋が見つからないまま、2時頃にりんりんパークに到着しました。ここへ来るまで、今年は不作で文旦が売っていないのかと心配していましたが、駐車場へはいるなり、いつものように文旦の10q入りの袋が並んでいるのが見え、ホッとしました。以前お遍路の帰りにここの店で文旦を安くたくさん手に入れていたので、きっとあると思っていたので来た甲斐がありました。最終的には30sも買い、きわ心値引きをしてもらって車に積み込みました。来るときに丸亀で名物讃岐うどんを食べました。その時、釜揚げを食べたので、帰りはカレーうどんを食べようと帰路につきました。17時を過ぎ、いよいよ坂出まであと10qになったので、うどん屋に寄ろうとしましたが、往きに食べた店を始めどの店も閉店しています。製麺所が直営しているので、夜に残るほど生産していないということがその時になって理解出来ました。仕方なく坂出IC近くのスーパー「マルナカ」の駐車場に車を止めて、値引きされた巻きずしを買ってきて食べました。そうしている間にすっかり日が暮れてしまいました。
 カーナビの案内で無事坂出ICの入口まで来ましたが、節電のため暗くて案内板が見えません。分岐点で一時停車し、後続車をやり過ごしたあと確認してから進入しました。夜に高速を走るのも久しぶりで、少し緊張しました。帰宅時間は22時40分頃という表示がカーナビに出ていたので、このまま高速で山陽自動車道の姫路西まで走ることにしました。ところが瀬戸大橋を渡り早島ICが近づくと、国道1号線に降りるよう指示してきました。その時になって、ブルーラインを通るために黒井山パーキングに寄る設定をしていたことに気がつきました。今度は一般道に降りる指示を無視して山陽道に入りました。途中のICで降りてブルーラインへ進む指示をしてきましたが、無視し続けると、カーナビが動かなくなってしまいました。何か文章が書かれているのですが、高速を走っているので文字など読めません。眠気を催してきたので、福石PAで休憩し、少し眠りました。出発するとき改めて自宅へ向かうよう設定し直し、走りました。その時コースまで設定しなかったので、山陽道を走り続けるよう指示してきましたが、姫路西で降り、姫路西バイパスを走りました。すると順調に案内してくれました。姫路バイパスの高砂西まで来ると降りるように指示してきました。ここは聞いてやろうと明姫幹線におり、21時40分無事帰宅出来ました。この時刻は福石PAで設定したときに表示された帰宅予想時刻通りでした。この様な時間管理までしてくれることに感心しました。
 瀬戸大橋を渡ったとき、そして姫路西で降りるとき、カーナビが普通車の料金をいってくれますが、ETCレーンを通過するときの料金表示はそれよりずいぶん安く、軽自動車に乗っていてよかったと思いました。トータル540qほど走ったので、車を降りてもまだ体が揺れているような感じでした。久しぶりの長距離ドライブでした。メガネがすりガラス状になってきており、さらに案内表示板が暗くて読みづらく、やはり夜のドライブは疲れを感じました。


4月1日(金) 「建具−新調と調整−」
 築50年にもなると、木造家屋はあちこち傷んできます。その上、阪神淡路大震災の洗礼を受けているとなおさらです。杉板の雨戸が隙間だらけになったので、大工さんに相談して、稲美町の建具屋さんを紹介して頂きました。その雨戸が白木のきれいなもにに一新出来ました。そして今日は勝手口のドアを同じような白木のものを新調して取りつけてもらいました。玄関のドアにしても恥ずかしくないような立派な扉です。もっともこれは毎日開け閉めするので汚れやすいため改めて持ち帰って汚れ防止のニスを塗ってもらいます。午後から地震後開け閉めがしにくくなっていたふすまや引き戸、風呂場のドアなどを調整してもらいました。ふすまなど今までのように力を入れて動かすと思わぬところまで滑っていってしまいます。17年間我慢していた家中の戸の開け閉めが楽になりました。


3月30日(水) 「展覧会『法然』と今熊野観音寺・三室戸寺のお参り」
 最寄り駅朝6時54分発の電車に乗車、関西私鉄の3DAY切符を使って先ず京都七条へ行きました。そこから歩いて京都国立博物館へ行き、法然上人八〇〇回忌・特別展『法然−生涯と美術−』を鑑賞しました。10時までに入場出来たので、比較的人も少なく、音声ガイドに従って十分楽しめました。そして法然の生涯や仏像、我が家の宗派である浄土宗についてより理解を深めることが出来ました。
 午後からは引き続き京阪電車を利用し、東福寺で降りて今熊野観音寺でお参りをし、さらに中書島で宇治線に乗り換えて三室戸まで行き、三室戸寺をお参りしました。計画では4時から三室戸寺をお参りすることになっていたのですが、3月中は受付が4時までということが現地でわかり、1時間以上予定より早く来たことをラッキーに思いました。帰る頃に来た人が駐車場も閉まっていて、折角来たのにとがっかりしておられる姿を見ました。予定より早くお参りをしたので、帰りに八幡市で降り、一度乗ってみたいと思っていた男山ケーブルで山上へ上がりました。4時を過ぎていたので、人影がずいぶん少なくなっていましたが、石清水八幡を訪れ、お参りをしました。予定より40分ほど遅くなりましたが、1回1700円ほどの乗車券で、4500円分ほどの電車に乗ってきました。JRで直接京都へ行くよりも時間がかかるのが欠点ですが、料金が半額ほどになるのはありがたいことです。


3月29日(火) 「宝塚大劇場新人公演」
 宝塚大劇場で月組の新人公演があり、70歳を超えた男性二人で観劇に行きました。入場券を受け取るために、主役の煌月爽矢に後援会のところへ行くとそこだけが長蛇の列でした。新人が主役を張ることになると、それだけ後援会も頑張るのだなと感心しました。
 「バラの国の王子−美女と野獣−」を2時間休憩無しに演じきるのは大変だったと思います。本公演でも同じ演目を1日2回、月組のベテランたちが公演していますが、新人も負けていなかったと思います。そして、公演の終わりのあいさつの中で、「先輩たちはこの様な大変な演技を毎日していると思うと、自分達も頑張らなければ」と言っていました。演目をやり遂げた充実感と共に、このことが実感だと思います。それにしてもわかりやすい演目で充分楽しませてもらいました。


3月24日(木) 「高齢者放送大学の修了式」
 このところ朝6時前に起きる日が続いています。月曜日はグラウンドゴルフのグラウンド整備の当番に当たっていたので目覚ましをかけていました。雨が降っていたので翌日に延期になりましたが、一度目が醒めるともう眠れないので起き出しました。翌火曜日も同じ時刻に起きました。グラウンドの状態は前日の雨で使えそうになく、結局中止の連絡をしました。
 水曜日も西国33観音霊場巡拝(詳細は歩き遍路のページを参照)で、始発のたこバスに乗るため同じ時刻に起きました。そして今日もグラウンド整備のために同じ時刻に起き、7時前から8時30分までたっぷり汗を流しました。普段は夜12時前後に床につき、7時前後に起床します。それならば早起きする日は前夜早く眠ればいいのですが、早く床につくと、夜中にトイレに行き、そのまま目が覚めてしまいます。現役の頃は12時半に床につき、6時半まで熟睡していたので寝不足を感じませんでしたが、年をとるとやはり眠りも浅く一定時間睡眠時間が必要です。
 そのような中で今日は放送大学の修了式に出席しました。目をつぶって祝辞を聞いていると一瞬眠ってしまいました。こんなときは車の運転に気をつけなければなりません。
 式の後、本科生の一人から声をかけられました。彼は私が出した往復課題の返事に対して改めておお手紙をいただいたので、私ももう一度ハガキを書きました。すると今度は便せん数枚の封書をいただき恐縮した方です。家も近くなので、また出会えることもあると思います。
 終了後のパーティでも昔なじみやいなみ野学園に勤務していた当時の学生さん、そして12月の例会に参加した東灘友の会の方など、多くの方とお話しさせて頂きました。それにしても竹田放送大学学長が退任されることはとても残念です。私が持ち合わせていないとてもユニークな考えとユーモアに何時も感心させられ、フアンだったからです。また放送大学で出会うことがあればいいなと思っています。


3月22日(火) 「インターネット接続復元」
 昨日ノートパソコンのインターネット接続を喜んだのですが、今度はXPのデスクトップがつながらなくなりました。夕べはいろいろと試しましたが、結局だめで半分あきらめて寝てしまいましたが、今日は午後からもう一度試してみました。メールやインターネットに接続を試みていましたが、モデムの電源を切って接続し直すような指示が画面に現れました。モデムのコンセントを抜き、改めて接続すると、「復元しました」という文字が現れました。試しにインターネットやメールに接続すると無事復元していました。これでホームページが更新出来ます。


3月21日(月) 「カーナビのバージョンアップ」
 息子が彼岸の墓参りに帰ってきたので、カーナビのバージョンアップを依頼しました。これまで私がやっても、マイクロSDカードが反応してくれませんでした。反応しないのはマイクロSDHCカードに対して、普段使っているパソコンが古いためにだったのです。そこで、WindowsVistaのOSがインストールされているノートパソコンを使うことにしたのですが、これがケーブルテレビのZAQに切り替えて以来、インターネットにつながらなくなっていたのです。セットアップ用のCDを読み込むことが出来なかったのです。息子がCDをフラッシュメモリーにコピーしてセットアップをしてくれました。それからマイクロSDHCカードにダウンロードを始めたのですが通信速度5.0M前後あったものが夕方には2.1〜2.9Mまで下がり、ダウンロードが出来たのは7時頃になっていました。さらにデータのチェックがあり、完了したのは8時を過ぎていました。それからカーナビ本体にマイクロSDHCカードを挿入し、データの更新をしました。全てが完了したのは9時でした。時間がかかりましたが、これで一安心です。私のようなアナログ思考ではさっぱりで、こうなると息子様々です。本当にありがたいことです。


3月20日(日) 「救急車配置」と「たこフィル定期演奏会」
 午前中に明石消防署江井島分署に救急車が配置され、そのお披露目の式典があり、消防署の幹部や地域の団体代表が大勢集まって行われました。こぢんまりした救急車に見えました。
 午後からはたこフィルの定期演奏会に出掛けました。今回はブラームスの交響曲1番などの演目もありましたが、あまり聞き慣れない曲ばかりで、市民オーケストラの聴衆は素人が多く、退屈したのではと思いました。それでも演奏そのものはレベルが高く、聞かせどころが沢山ありました。12月18日には、たこフィルの演奏で第九を歌うことになっています。


3月19日(土) 「西江井友愛クラブ総会」
 地域の老人クラブの総会がありました。今年度は役員改選が大きな課題でした。前日に役員会をもち、選考について話し合いましたが、結局選挙で選ぶことになりました。その結果会長と副会長(総務担当)、会計が留任になり、後の4名が新しく選ばれました。これからまた2年間総務担当としてお世話をさせて頂くことになりましたが、地域のお役に立てることを喜ばねばと思っています。

3月14日(月) 「新装なった消防署」
 昨年から救急車配置のための工事をしていた消防署の工事が終わりました。裏には私たちがグラウンドゴルフを楽しむ門池公園があり、工事中は一部が資材置き場になっていました。今朝グラウンドへ行くと資材置き場もすっかり取り払われ、広々としたところでプレイを楽しむことが出来ました。
 午後からは女性カラオケグループの例会があり、機械操作に行っていましたが、帰ってくると消防署の車庫のシャッターに楽しい絵が描かれていました。普段はシャッターが開かれているので、見ることはできないと思い、急いで写真を撮っておきました。
 

3月12日(土) 「大震災にびっくり」

 昨日、グループいきいきネットの仲間と長浜へ行きました。最後のイベント会場を出ようとしていた時、仲間のひとりから東北で大きな地震があったそうだと聞きました。先日来、三陸沖でかなり大きな地震があったと伝えられていたので、またその程度かなと思っていました。ところが帰りの新快速が新大阪駅に近づいた時、車内放送で、東京方面上り新幹線が運転を見合わせており、山陽新幹線も運転本数を減らして時間どおりには運行していないとお詫びの言葉が流れてきました。その時東北ではなくて関東だったのかと思いました。それでもあまり気にせずに家に帰りましたが、妻から一部始終を聞いてびっくり、それからはテレビの画面に釘付けでした。
 9〜10日は出雲方面へ出掛けていて、帰路は広島から名古屋行き最終の新幹線に乗車したのですが、地震が一日早ければ帰宅が出来ないことも考えられ、グループいきいきネットの皆さんに大変な迷惑をかけていたかもしれません。
 今日は朝から老人クラブの清掃作業で、午前中は海岸の散歩道の草刈りをしました。もしあの大津波が来れば流されてしまうなと思いました。午後は庭の木の剪定や夏野菜を植える畑を耕すなど、一日中屋外で作業をしました。夕方家に入りテレビをつけると、福島原発が爆発する映像が飛び込んできました。日本史上最大規模の地震だというだけに、大津波の規模も、原子力発電所の事故も今までに経験したことのない事態に見舞われています。
 長野県でも地震が誘発されていますが、トルコの地震や先日のニュージーランドの地震のように、ひとときおいて東海地震や東南海地震が連鎖的におこらないとも限りません。いよいよ要注意の時期に入ったようです。

 

3月5日(土) 「ツクシを食べました」

 妻が病院へお見舞いに行った帰りに、近所の休耕田でツクシを1000本以上採ってきました。2時間ほどツクシのはかま取りを一緒にしました。指先が真っ黒になりました。夕食が少々遅くなりましたが、今年になって初めてツクシをおひたしにして食べることが出来ました。いよいよ春の訪れを感じます。


3月5日(土) 「キーボードの電池切れ」
 先日、ホームページの更新をしていたら、途中でパソコンの入力が出来なくなってしまいました。もう一度ホームページのソフトを立ち上げ直してみましたが、やはり文字入力が出来ません。その直前にもメモリーできませんでしたといって、ホームページの入力が出来なくなり、ソフトが終了してしまうことがありました。私のパソコンは2004年冬モデルなので、いよいよ寿命かなと少々不安になってきました。それでもマウスで行う操作は確実に作動するので思案していたのですが、自分のパソコンがマウスもキーボードもワイヤレスであることに気がつき、それならとキーボードの電池を新しいのに替えてみました。すると、今まで通り快調に入力出来、ホッとしました。マウスの電池切れの場合、ディスプレイの下に電池交換のメッセージが表示されるので、キーボードも同じようにメッセージが表示されるものと思っていたのが間違いでした。何年経っても使える部分だけを操作していて、マニュアルを読まないので、全く上達しないし、直ぐに故障や年期が来たと思ってしまいます。


3月1日(火) 「江井島小学校のお礼の会」
 地元の小学校で、学校に関わるボランティアに対するお礼の会が全校生の集いで開かれました。招かれたのは私たちスクールガードの他、ブックママ(図書館で読み聞かせなどをしている人々)、補導委員、そして50年ほど小学校の玄関に花を生け続けている人でした。全校生1200人ほどの前で舞台の上に並び、校長先生や児童の代表がお礼の言葉を述べて下さいました。帰りには6年生が書いたお礼状もいただきました。欠席された近所のスクールガードのみなさんの分も預かって帰りました。子どもたちの文章も文字もとっても素晴らしく、さすがに6年生だなと感心しました。
 校長先生が以前にお会いした方だったとは知らず、驚きました。


2月27日(日) 「書写山圓教寺」
 今日はお天気もよく、暖かかったので、弁当を持って車で書写ロープウェー乗り場まで行き、そこから東参道を登りました。3年ほど前に登った時はもっと岩だらけの道だという印象だったのですが、今日は2度目だったからかとても道が整備されていて、疲れもあまりない内にロープウェー山上駅に到着しました。それでも汗はしっかりかきました。前回は平日だったので、保育園の子どもたち一行に出会っただけでしたが、今日は沢山の人が歩いて上り下りしていました。ロープウェー山上駅に到着をしたのが12時30分だったので近くのベンチで昼食を摂りました。山上でも団体客を初めとして大勢の人々がお参りをしていました。圓教寺では掛け軸に御詠歌を書いてもらいましたが、いかにも書き古した筆という感じで、今まで書いてもらった文字とはだいぶ違っていました。山を下ると万歩計は13,000歩を示していました。
 今日もカーナビを付けていきました。カーナビの指示とは違って、姫路西バイパスから29号線を横切ってそこからはカーナビを頼りに行きました。カーナビがなければ道に迷っただろうと思いました。帰りもカーナビを頼りに、指示通りに走ってみました。姫路の街中を避け、播但道の花田の入口まで来ました。しかし国道2号へ進む道を選ぶと、御国野まで誘導してくれ、無事に家に帰ることが出来ました。今日はカーナビ様々でした。


2月25日(金) 「カーナビはどれだけ賢いか」
 朝9時に血液検査や胃カメラの結果を聞きに病院へ行きました。軽い胃炎があるものの特別異常は無しということで一安心しました。病院から帰り、庭の草を550本ひいた後、多可町八千代区の方へドライブに行きました。北条の方まで遠回りしていったので、少し時間がかかりました。冬の田んぼを見ながらお弁当を食べたあと、帰りはカーナビの行き先を自宅に設定して運転しました。県道24号線を加西方面へ向かったのはよいのですが、県道79号線まで来てもなお西へ向かうよう指示してきます。そこで、カーナビの指示を無視して79号線を南下しました。途中交差点で何度も西へ向かうように指示してきます。一体どの道を通るように指示するのか、国道372号線で指示通り西進しました。ところがどこまでいっても姫路方面へ進むように指示します。たまりかねて北条鉄道の踏切のところで左折して再び加古川方面へ向かいました。それでも交差点の度に姫路方面へ行くように指示します。無視すると終いに後戻りをするように指示してきました。それでも強引に加古川へ向かうと最後にやっと家の方へ向かうよう指示してくれました。帰ってから地図を広域にして全体のコースを確認すればよかったと思いました。私は何時もの通り慣れた道を帰ろうとしたのですが、案外カーナビの方が最短距離を考えてくれていたのかもしれません。
 ところで八千代区では、地図にないところを走りました。新しい道が登録されていないようです。昨夜、長時間かけて8ギガのマイクロSDカードで地図を更新しようと努力したのですが、カーナビはSDカードを認識してくれるのに、パソコンは「カードをセットして下さい」と認識してくれません。昨夜はバージョンアップをあきらめたのですが、メカに弱いというのは困ったものです。


2月22日(火) 「友愛クラブ2月例会;映画会」
 朝9時過ぎに自治会館へ行き、ホールで液晶プロジェクターと80インチのスクリーンを準備しました。その間に他の役員さんが机や椅子、お菓子の準備をして下さいました。準備が出来たところで家へ服を着替えに帰りました。いくら何でもトレパンとセーター姿で司会が出来ないからです。11時開会予定だったのですが、10時30分には会員が集まり始めました。11時前には弁当(特選にぎり寿司)も配られ、11時7分頃に開会しました。
 3月は総会で新役員の選出があるので、皆さんに名簿が配られ、役員選考対象にならない人(入会2年未満の人)も発表しました。連絡事項の後11時半頃から昼食にしました。特選だけあって穴子がすし飯の裏側まで半身を使って巻かれているなど、とても豪華で評判上々でした。8貫で680円の値打ちは十分ありました。以前10貫で700円のにぎり寿司を取ったことがありますが、女性の中には残す人もいました。今回はみんな残さずきれいに食べていたので、よかったと思いました。この様な店が新しく町内に出来、喜んでいます。
 食後皆さんがトイレに行っておられる間に、DVDの初めに挿入されている予告編の映写をしておき、皆さんがそろったところで、「釣りバカ日誌 ファイナル」を上映しました。最後は鈴木会長の引退あいさつに続いて、常時出演しているキャストが舞台であいさつするなど、いかにもファイナルというような場面があり楽しい終わり方でした。
 後かたづけをした後、役員が集まって3月総会の段取りを話し合いました。この様に何時も例会の後にお互いに意見交換する機会を持つので、役員同士の共通理解が出来、とても良いことだと思っています。
 帰ると一気に疲れが出た感じで、仕事は何もしませんでした。明日は午後から小学生の下校の見守りをする以外一日お休みなので、放送大学の仕事の仕上げをしようと思っています。


2月21日(月) カーナビのバージョンアップ失敗
 明日の友愛クラブの映画会に使うDVDを借りに会長と行きました。いろいろ検討した結果、「釣りバカ日誌 ファイナル」を借りました。これならあまり観た人はいないと思ったからです。それに会長の「老人クラブは大いに楽しもう」という趣旨と、会員の「面白おかしく笑う例会が良い」という要望にも合致します。
 DVDレンタル料はシルバー割引で1週間100円というのには驚きました。その店の前にミドリ電化があったので、8ギガのマイクロSDカードを買いました。カーナビのバージョンアップに必要だったからです。
 放送大学の仕事が一段落したので、夕方から説明書にしたがってパソコンでやってみましたが、うまくいきませんでした。よく考えてみると、ユーザー登録もしていないのに、出来るはずがないことに気がつきました。そのユーザー登録の仕方がわからず、結局時間切れで、またゆっくり説明書を読んでから取りかかりたいと思います。それにしても本体の充電が出来ていないので、なかなか上手く行かないこともあります。ワンセグテレビを観るためにもACアダプターを買った方が良さそうです。


2月20日(日) 「ジャガイモとカーナビとETC」
 午後から庭の菜園にジャガイモ41個を植え付けました。2週間ほど前に苦土石灰と鶏糞を鋤き込んでいたので、今日は化成肥料を撒いて耕し、ジャガイモを植えました。いい加減に植えたので間隔の広いところと狭いところが出来てしまいましたが、まだ寒い日があってはいけないと少し深めに埋めておきました。
 この作業をしている間に、息子がETCとカーナビをインターネットで取り寄せておいて私の車に取りつけてくれました。両方で3万9000円で工賃無しとありがたいことです。丁度午前中に2週間前に申し込んでおいたETCカードが郵便局に届いていると連絡があり、取りにいってきたので、挿入の仕方なども学ぶことが出来ました。これで遠出も安心です。とても楽しみで、早くドライブに行きたくなりました。


2月15日(火) 「再び大雪」
 昨14日、午後から自治会館で女性カラオケグループの例会があり、出掛ける時には牡丹雪が降っていました。しかし土も路面も濡れていたので、直ぐに解けて積もる雰囲気はありませんでした。ところが3時間後例会を終えて外に出てみると、一面真っ白になっており、道にもシャーベット状の雪が積もっていました。さらに細かい雪がさんさんと降っていました。2月11日の比ではありませんでした。
 今朝は降り積もった雪が屋根から落ちる音が盛んに響いていました。したがって午前中は車に乗るのをあきらめました。午後からはあたりの雪はすっかり解けてしまっていましたが、日陰に駐車している車に乗ろうとすると、まだフロントガラスの2/3は雪に覆われており、屋根にも雪が残っていました。これだけの雪が積もったのは何年ぶりでしょうか。

  
家のそばの道                   庭の雪                       愛車の雪も前回より多い

2月12日(土) 「関西テレビで放映」
 年末から近くの酒蔵にテレビ局が来て、盛んに撮影が行われていることを1月14日の日記に載せていました。そのドキュメンタリー番組が今日関西テレビで放映されました。何時も酒蔵の人々を見ていますが、3人でお酒を造る苦労など知りませんでした。番組を見て初めてわかることが沢山ありました。物事を表面だけで見ていてはいけないことを痛感しました。家族に見せるためにDVDレコーダーに録画しておきました。


2月11日(金) 「久しぶりの雪」
 朝雨戸を開けると、細かい雪が降っており、庭もうっすら雪化粧をしていました。久しぶりに雪らしい雪が降りました。昨日グループいきいきネットのメンバーと網干の町を散策したのですが、案内状に雨または雪の場合は中止と書いていました。もし昨日がこの様なお天気だったら中止になるところでした。先日白浜方面へバスツアーに行った時も翌日雪で道路が混乱したと報道されていました。この様に一日違いで何時も運良く行事が実施出来ます。お天気に関してはついているなと思います。

 
我が家の菜園                 愛車も真っ白

2月8日(火) 「胃カメラの検査」
 2年ぶりで胃カメラの検査をしました。一昨年初めて鼻からカメラを挿入する検査をし、とても楽で、医師から画面の説明を聞きながら余裕を持って検査を受けることができました。しかし、今回は経口でするといわれ、了解しました。初めにエコーで肝臓など腹部に検査がありました。同じ場所を繰り返しエコーを止めていましたが、その場所が不思議と痛みを伴った違和感を感じるところでした。押さえつけられるので痛みを感じるのか、それとも異常があるので機械をそこで止めて押さえつけるのかわかりませんが、何となく気になりました。
 続いて喉の奥に麻酔薬を、また、腕に注射など準備の後、いよいよカメラが口から挿入されました。喉を通る時は少し抵抗がありました。そのあと十二指腸まで達するとお腹を内側から押されている感じがもろにしました。途中で空気を入れたり、組織を切り取るなど、早く終わって欲しいと思うほどの時間を感じました。次回の結果を聞く診察の予約を取って帰宅しました。
 しかし家に帰った頃から何となくムカムカしてきました。低血糖状態になることがあると聞いたので、砂糖をなめてみたりしました。昼になり昼食におかゆを食べ始めると吐き気が我慢出来なくなり、少しだけ食べたおかゆをすっかり吐きだしてしまいました。1時間ほど眠り、午後の来客と1時間ほど話をしました。話していると夕べから何も食べていないのでお腹がグーグー鳴り始めました。ヨーグルトを食べた以外は我慢し、夕食におかゆを食べました。なんと美味しい夕食なのだろうと思いました。ムカムカする感じはすっかり無くなりましたが、喉をカメラが通過したところはまだ多少痛みを伴った違和感を感じます。この様な後遺症が残ったのは初めてです。来年も胃カメラをお願いするのであれば、ぜひ鼻から挿入してもらおうと思います。


2月5日(土) 「確定申告作成」
 昨日申告書を作成しようと思ったのですが、ポップアップブロックされているために作成出来ませんでした。それで、今日はお昼前からゆっくり解説を読みながら操作するとポップアップブロックを無事無効にすることが出来ました。それでも初めうっかり青色申告の用紙に記入しようとしてやり直しをしたり、医療費控除の明細書を作成するのに再び時間がかかり、3時頃にやっと印刷までこぎ着けました。それでも税金が28,000余円還付されることがわかり、時間をかけて頑張った甲斐がありました。金額を入力するだけで作成出来る国税庁の確定申告作成コーナーは本当に有り難いと思っています。本当は電子申告をすればいいようですが、別途機械が必要だということなので印刷して提出することにしています。
 月曜日に川柳教室の新年会で明石へ出掛けるので、早めに家を出て、明石税務署へ持参したいと思っています。これで一安心です。


2月3日(木) 「春日山原始林ウォークと春日大社節分万灯籠」
 クラブツーリズム主催のバスツアーに参加しました。10時に明石でバスに乗車、バスが12時に春日大社に到着するというので、バスの中で配られた巻きずしをかじりました。バスが第2阪奈道路を走っていたので恵方がどちらかわかりませんでした。トイレをすませ、女性ガイドボランティアの案内で春日山原始林の柳生街道を登りました。以前に奥山ドライブウェーから新薬師寺まで下ったことはありましたが、今回は3qほどをずっと登り続けたので、長袖のシャツと毛糸のセーター1枚だったのですが、すっかり汗をかきました。それでもお遍路の経験があったお陰で、化繊の下着を着ていたので、汗は直ぐに乾きました。途中休憩は首切り地蔵で10分ほどとっただけだったので、ペースも速くかなり強行軍でした。奥山ドライブウェーから右に折れ、1.6q先の地獄谷石窟仏を見学し、再び奥山ドライブウェーを戻り、若草山駐車場までかなりのスピードで歩きました。参加者のほとんどがウォークの経験者らしく、あまり遅れることなくついて行っていました。若草山駐車場からは頂上まで300m程でしたが、時間的に余裕がなく、トイレだけすませて、夕食場所の「春日野」まで一気に下りました。長い下り坂を勢いよく下ったので、腰が痛くなり始め、最後の500m程は腰の角度をどうすれば少しでも楽に歩けるか試しながら歩きました。16時に坂を下りきり、なお若草山の麓を食事場所まで少し歩きましたが、腰の痛さがあって、ひどく遠い道のりに感じました。
 夕食は座敷でゆっくり座れたので、腰にとっても良い休息になり、後は痛むことはありませんでした。夕食後17時過ぎに春日大社へ向かいました。参道では、丁度灯籠にろうそくの火が灯されているところで、まだ明るかったのでその様子も見ることができました。18時に開門されましたがその頃にはすっかり日も暮れていて、灯籠の火がとても美しく灯っていました。境内の釣り灯籠を見て回りましが、一方通行で、長い行列が続き、落ち着いて写真を撮ることも出来ず、流れに乗って、境内から押し出されてしまいました。それでも初めて見る景色に感動しました。帰りは特に渋滞することもなく、眠っている間に明石に到着し、順調に帰宅出来ました。

   
柳生街道の石畳       街道沿いのつらら                   首切り地蔵          奥山の池も凍っていた
  
地獄谷石窟仏                山焼き直後の若草山             春日大社参拝の行列
   
開門前の大魚熟れる

2月2日 「勘違い」
 一昨年まで住民検診を受けていた胃腸病院で検診を受けました。その時、以前ピロリ菌を見つけて、駆除してもらったので、今回もバリウムではなく胃カメラをお願いしました。その時に胃カメラを受診するには医師の診察が必要だといわれました。私はてっきり今日診察をして、そのあと胃カメラをしてもらえると思っていました。ところがバリウムを除いた住民検診だけで終了だと言われました。改めて胃カメラに受診をお願いしたところ、診察時に次回の胃カメラ受診の予約を取って下さいました。折角朝食抜きで出掛けたのに、来週改めて朝食抜きで出掛ける羽目になってしまいました。

 年を取るとこの様な独りよがりや勘違いが多くなりました。困ったことです。

2月1日(火) 「久しぶりの庭仕事」
 久しぶりの穏やかな天候に恵まれ、一日中庭仕事をしました。午前中は第1土曜日に持参する資源ゴミの整理を庭でしました。新聞紙、雑紙、段ボール、牛乳パックなどを紐でくくり、持参しやすくしました。そのあとは妻が花壇を整理していたので、菊などの茎や根を燃えるゴミに出せるように準備しました。
 午後からは肥料を買いに行き、ダイコンを収穫した後の菜園にジャガイモが植えられるよう、石灰や鶏糞をたっぷり鋤き込みました。久しく鍬を持っていないので、休み休み作業をしました。しばらく土を寝かせた後、もう一度化成肥料を入れて耕し、そのあと種芋を植えようと考えています。


1月31日(月) 「くえ料理のバスツアー」
 神姫バス観光が「プレミアムバスで行く幻のくえ料理の旅」を募集していたので、昨日(日曜日)参加しました。プレミアムバスとは何か知らなかったのですが、乗ってみると乗客定員26人、最後部にソファーやクローゼットのあるバスで、前の座席との間隔が広く、普通のバスのリクライニング状態が普段の座席の状態です。ふくらはぎが当たる部分も角度に合わせて調節出来、足置きもあります。だから長く乗っていても疲れません。この様な贅沢なバスに乗るのは初めてでした。白浜のホテルの敷地内にレストランがあり、ふたりで参加している客は個室が用意されていました。料理もくえの刺身や鍋、煮込みご飯等々、くえ料理を充分楽しみました。白身の魚なので、あっさりしていました。
食後とれとれ市場と、救馬渓観音へ寄りました。厄除けの他いろいろな願い事を叶えるという馬頭観音が本尊として祀られているほか、七福神など盛りだくさんの神様や仏様が祀られていました。何十年ぶりかでかわらけ投げもしました。手前に木が茂っているので、落ちていく様子を見ることができませんでした。帰り道は海南までの高速が渋滞していましたが、一部一般道を通過するという運転手の機転で予定通り帰ることが出来ました。今日ニュースを見ていると田辺あたりは雪が積もり、車がスリップして動けない状態でした。昨日は非常に冷え込んでいましたが、雪も降らずラッキーでした。今日だったら今頃まだ帰っていないでしょう。


1月29日(土) 「創立30周年記念式典」
 現職時代の最後に勤務した職場で創立30周年記念式典があり、出席しました。そして上司が退職して以来という先輩方にたくさんお会いし、お話しをさせて頂きました。職場は私が勤務している時も大規模だと思っていましたが、当時の1.4倍ほどの規模になっていました。わずかに現職の当時の同僚に出会い、お互いに笑顔であいさつ出来、なつかしく思いました。ただ、お一人を除いて一緒に頑張った創立当時の同僚とお会いすることが出来ず、少々残念でした。
 27日にも第2の職場の退職職員の集まりがあり、久しぶりにお出会いする先輩方とお話ししましたが、私自身が退職後は地域で活動しているために、昔の職場の人々と疎遠になっていることを改めて思い知らされた感じです。


1月26日(水) 「寒風が染みます」
 昨年12月11日の第九演奏会に合わせて散髪をして以来、寒さに負けて頭が鬱陶しく思いながら、散髪に行くのをさぼっていました。しかし明日から(本当は昨日から)人に出会うことが多いので、高齢者放送大学の仕事も幸い昼過ぎに終わったこともあって、スクールガードのボランティアをすませて、床屋へ行きました。頭が軽く感じるほどスッキリしました。ところが床屋を出た途端、頭に寒風が染みました。それにしても今年の風の冷たさには参ります。明日は朝からグラウンドゴルフやいなみ野学園旧職員の同窓会があります。同窓会にはアルコールも出るかもしれないので、バスや電車で行きます。明日の最低気温はマイナスとか、マフラーでしっかり防寒して行かなければなりません。


1月25日(火) 「またまた飲みました」
 昨年11月に行われた全国大会の反省会兼新年会が六甲荘で行われました。皆さんのようにビールを注いでまわることはなく、ずっと椅子に座って食べて飲んでいました。だからいささか食べ過ぎ、飲み過ぎました。ひょっとすれば明日当たりまたお腹をこわすかもしれません。困ったものです。六甲荘へは久しぶりに行ったのですが、まわり中神戸電子専門学校の校舎になっていたのには驚きました。コンピュータ関係の専門学校で学ぶ人がこんなにも多いのですね。
 往きも帰りも山陽電車や阪神電車の各駅停車に乗ったので、電車の中でよく眠りました。昨年の時刻改正で、特急に乗っても須磨・三宮間が各駅停車になることが多く、結局1時間ほどかけて三宮へ出掛けることになります。ただ明石市内・三宮間の1デイチケットが1000円なので、時間がたっぷりある高齢者にとっては少々時間がかかっても安い値段の切符は有り難いと思います。ちなみに我が家から三宮に出ようと思うと、山陽電車・阪神電車を使うと往復1400円、山陽電車とJRを使うと、往復1340円、1時間1便のたこバスとJRを使うと1060円です。1デイチケットは一日何往復しようと、途中下車しようと自由なので、とてもありがたい切符です。


1月22日(土) 「運動不足解消へ」
 午前中高齢者放送大学の仕事をしていたので、午後2時頃から車で石が谷公園へウォークに出掛けました。久しぶりにいってみて、すっかり様子が変わっているのにびっくりしました。まわりに公道が走っていたり、石が谷墓園がすぐそばにあったり、第2神明道路の大久保サービスエリアがくっついていたり、ハーブ公園が出来ていたりと今まであまり気づかなかったことが次々見えてきました。
 公園を1周歩くと2000歩あまり、初めは妻とゆっくりめずらしいものを見ながら散歩をしました。2週目は自分ひとりで力を入れて早足で歩きました。体がほかほかしてきました。3週目は梅園を横切るコースを通るなど少し寄り道をすると、合計で7000歩以上、5.6qほどになりました。やはり三木山森林公園の方が運動量が多いように思いました。ただ石谷公園は家から7qほどのところにあるので、手軽に行けます。家から弁当持ちで歩いて行けばいい運動になるでしょう。

 夕食後に再び放送大学の仕事をしました。

1月21日(金) 「今度は便秘」
 月曜日にひどい下痢に見舞われ、陀羅尼助丸を服用して下痢はすっかり治ったのですが、今度は火曜日以降全く便通がなくなってしまいました。木曜日も再発をおそれて、第九合唱団の新年会には車で出掛けて、アルコールは一切口にしませんでした。そして今日は女性カラオケグループの新年会で、男性である私にだけビールが付いていました。便秘解消につながるのではないかと思って缶ビール1本だけ飲みました。帰ってしばらくして便意をもよおし、しめたと思ったのですが、結果的には、小指の先くらいの固い便が3個出ただけで、折角下痢で減らすことが出来た体重が毎日3〜400cずつ増えています。後2日で正月のために増えた体重に戻ってしまいます。やはり運動不足がいけないのかもしれません。


1月20日(木) 自重します
 今朝は1ヶ月ぶりのグラウンドゴルフに参加しました。練習では多少うまくいくかなと思いましたが、指先が冷たくクラブが上手く使えず、第1ラウンドはみんなさんざんの成績でした。しかし風もなく快晴だったので、第2ラウンドから少しずつ温まり、成績の方も上がり始めました。一緒にしていた人はそれぞれホールインワンを入れていましたが、私だけは最後まで入れることが出来ず、平凡な記録で終えました。
 12月の成績が発表されましたが、最終戦の自己最高点の成績のお陰で、平均ストローク19,0と初めて20を切り、18人中4位という今までにない成績でした。
 午後から加入している生命保険会社の人がやって来ました。保険会社がつぶれ、外資系になって以来、書類が来るだけでしたが、やっと担当者がやって来たので、多少安心感が出来ました。話をしていると家の近くの出身の方だったので親近感も湧き、ついつい話し込んでしまいました。
 夕方から第九の新年会ですが、先日来の下痢のことがあるので、自重するために車で行くことにしました。これなら絶対に飲まないし、1杯だけなどと勧められても断りやすいからです。


1月17日(月) 下痢と失敗
 今日は1.17メモリアルウォ−クに参加する予定でした。ところが朝起きた途端に下痢をしてしまいました。その下痢も尋常なものではありません。仕方がないので、朝食を抜き、午前中は寝ていました。「陀羅尼助丸」のお陰で、下痢は午前中には止まったので、午後からはスクールガードのボランティアをしました。
 折角好物の巻きずしをウォークの弁当にとつくってくれていたのですが、それを横目で見ながら、梅干しとおかゆで我慢しました。
 土曜日に買い物に行った後、車のハッチバックが開いたままだったのを知らずにいたら、またまたバッテリーが上がってしまいました。スクールガードがすんだ後、JAFに来てもらい、エンジンを動かしてもらいました。走行距離を見て、「まだドさらですね」の言葉に、JAFのお世話になるのが2回目だとは言えませんでした。車のロックは人任せにせず、自分できちんと確認する習慣を付けねばと思いました。


1月14日(金) 酒蔵の撮影
 お昼に近くの太陽酒造の前庭にクレーン車が止まっていました。そしてカメラマンが乗り込むとクレーンが動き始め、上下させながら撮影が始まりました。クレーン車の位置を変えたり、高さを変えたりしながら、4時頃まで撮影が続けられていました。寒い中でご苦労様だなと思いながら、そばの信号のある交差点で下校する小学生の見守り活動をしていました。
 4時頃撮影が終わり、クレーン車も帰っていったので、終わったと思っていたら数十b離れたところで、クレーンを高々と上げて、遠景を撮していました。太陽に向かって撮影されていたので、夕日が酒蔵の大屋根に沈むところを撮ろうとしていたのかなと思いました。子どもたちの下校時間も終わり、寒さもあって、最後まで見届けませんでしたが、いつまで続けられたのだろうかと今も思っています。
 昨年暮れに地元のケーブルテレビが取材に来ていましたが、ケーブルテレビがクレーン車をチャーターするほどのお金をかけて撮影するとは考えられません。もっと大きなテレビ会社が放映するのか、映画やドラマのタイトルなどに使うための撮影だったのか、それとも太陽酒造のホームページを作る会社が撮影していたのか、いずれにしてもどの様な形で発信されるのか興味津々です。

 
 
1月11日(火) 西国のお参り再開
 昨年3月末に粉河寺から始めた西国33番巡拝は妻の入院でしばらくとぎれていました。今日、山陽電車と阪急電車を乗り継いで、中山寺と総持寺のお参りをしてきました。今回は掛け軸に御詠歌を書いてもらっていますが、どちらのお寺でも快く書いて下さいました。書き慣れておられるだけあって見事な筆遣いです。乾かしていると、珍しいらしく、お参りに来た人みんなが眺めていました。
 中山寺は次々とお参りの姿があり、納経する人も絶えませんでしたが、総持寺は時間が午後3時をまわっていたこともあって、ほんの2〜3人見ただけで、納経所では誰にも出会いませんでした。中山寺で西国33ヶ寺ドライブマップを買いました。山陽電車が3dey切符を売り出したら、京都や奈良方面へ出掛けたいと思います。


1月9日(日) 三木山森林公園ウォーク初め
 昨日夕方からカーナビを買いに出たのですが、車のどの部分に取りつければいいのか、さらに、どの機種にするかの決心もつかず、息子に相談することにして牛乳だけ買って家に帰りました。この様なことでますます運動不足を感じたので、今日はウォークに昼前から出掛けました。
 どこを歩くか考えたのですが、時間的にいえばやはり歩き初めは三木山が適当だろうと、家から18qのところにある三木山森林公園へ車で出掛けました。駐車場には結構たくさんの車が止まっていて、山の中の遊歩道を歩いていると沢山の人に出会いました。途中じぞう口から初めて町中の方へ出てみました。福井の交差点まで歩きましたが、ここが三木市のどの位置にあるのかわかりませんでした。再び公園に戻り、いつものドングリ谷コースを通って、駐車場に戻りました。昼食を摂っていなかったので、途中池のそばでおやつを食べましたが、同じお菓子でもいつもより美味しく感じました。
 13時から休憩も含めて15時30分まで1万歩あまり山の中を歩きました。夕食時、喉も渇いていたので、久しぶりにビールを飲みました。飲んでいると、老人クラブの役員新年会の電話がかかってきました。水曜日にまた飲む機会が出来ました。


1月7日(金) 三社詣
 明石市高年クラブ連合会主催の三社詣りに参加しました。このところ朝寝坊をしていたので、朝6時に起きるのが心配でしたが、目覚ましで起きることが出来ました。7時30分出発だったので、7時10分にならないうちに家を出たのですが、もう既にバスが来ていて、仲間が半数以上乗り込んでいました。急いでバスに乗り、残りの人を待ちました。7時25分までに西江井友愛クラブの参加者12人全員乗り込み出発、途中森9名、西島17名の各高年クラブの参加者を乗せて、第2神明から阪神高速を一路和歌山県を目指して走りました。
 和歌山ICで高速を出て、一つ目の紀伊之国一之宮「日前宮」に到着、集合写真を取った後、日前神宮、國懸神宮の二つの社をお参りしました。そこから昼食場所の御坊・道成寺前のレストラン「あんちん」へ行きました。古代米の赤飯をいただき、食後の道成寺をお参りしました。参道で小さなミカン1袋100円で売っていたので、2袋買い、その買い物袋に今日の記念品の干支とお酒を入れました。さらにバスの中で注文していた500円のさんま寿司を受け取り、ミカンと一緒に腐らない様にバスのトランクに預けました。
 そこからバスで海南市の黒潮市場へ行きました。何も買い物をしないつもりだったのですが、途中で金山寺みその名産地だと聞き、350c入りのを550円で買いました。そしていよいよ二つ目のお参り、玉津島神社へ行きました。小形の天橋立の様な片男波の付け根に玉津島神社があり、古い石橋を写真に収めました。お参りを済ませ、片の淡嶋神社に向かう頃には、空模様が怪しくなってきました。そして加太に着くとぽつぽつと降り出しました。急いでお参りをすまそうとして本殿に近づき驚きました。本殿のまわりには供養のために持ち込まれた人形がずらりと並び、異様な雰囲気でした。急いでお参りを済ませ、戻ろうとして再び驚きました。足下には蛙の置物がずらり、中には寝そべった横着蛙までいます。思わず写真を撮しました。トイレをすませ、大急ぎでバスに乗り込むと、みぞれがたくさん降ってきました。危機一髪でした。
 そこからは帰路につきましたが、泉大津のパーキングまでぐっすり眠っていました。トイレに行った時、すっかり喉が渇いていたので、ホッとレモンを買いました。それは砂糖と蜂蜜入りのレモン水で、これ以上甘い物はないというほどの甘さでした。飲み干すとほっと一息つきました。そこからは工場地帯の夜景を見ながら19時に無事帰り着きました。
  
日前宮参道                 道成寺                     玉津島神社前の片男波の古い石橋
  
淡嶋神社                           蛙の置物とひな人形                     横着な蛙

1月6日(木) ウインナワルツオーケストラ「ニューイヤーコンサート」
 神戸文化ホール大ホールへウィーンからやって来たオーケストラのニューイヤーコンサートを聴きに行きました。ワルツの演奏に合わせて、バレリーナが踊ったり、ソプラノ歌手がアリアを歌ったり、今までにあまり経験したことのない音楽会でした。小品ばかり16曲ほど演奏しましたが、気楽に聞くことができました。プログラムの演奏がすんだ後、ユーモアを交えながら、アンコールに気安く応え、4曲ほど演奏していました。最後は指揮者が自分の腕時計を指さし、時間が過ぎてしまったことを告げていました。
 それにしても、指揮者が英語でしゃべっていることに対して、多くの聴衆が笑って反応しているのは、やはり国際都市神戸だけあるなと思いました。明石だったらあれほど多くの聴衆が反応しないだろうと思いました。
 帰りに雨が降り出したので、湊川神社で初詣をしただけで、さっさと帰りました。
 私の正月休みは終わり、今日からやっと手帳に書かれた予定表にしたがって活動が始まりました。明日は朝早くから明石高年クラブ連合会の三社参りに出掛ける予定です。


1月4日(火) 初ドライブ
 昨夜から左足のすねの裏側が痛くて、湿布をして寝ました。今朝起きるとますます痛みがひどく、9時過ぎに家から100m程の所にあるJAに出掛けたのですが、帰りには激痛が走り、歩くことも困難になりました。家に帰って直ぐ別の湿布薬をすねのまわりにはりました。だからウォークをやめてドライブに行きました。
 良い天気が続いたので、道路事情はよくなったかなと思いましたが、北上はやめて、ひたすら西進しました。岡山県のブルーラインを走り、道の駅「黒井山」に着いた頃には、足の痛みもずいぶん楽になっていました。そこで、行き先を鷲羽山に決め、さらに西進し、国道2号から児島へ向けて走りました。ところが鷲羽山へは途中何度も右・左折を繰り返すので、帰り道が不安になりました。さらに途中で鷲羽山の標識を見失い、いつの間にか水島へ向けて走っていました。Uターンして走り、3時半頃何とか展望台に到着することが出来ました。鷲羽山のビジターセンターまで階段や坂を登りましたが、すっかり足の方は痛みも引いていました。
 1時間ほどいましたが、明るい内に何とか国道2号まで戻りたいと思ったので、帰ることにしました。来る時に想像した様に、すっかり道に迷い、2度ほど来た道を引き返したり、狭い道を走ったりしたあげく、往きよりもかなり西の方で国道2号に合流出来ました。まわりの車にクラクションを鳴らされるなど、ずいぶん迷惑をかけましたが、割り込みなどハザードランプで謝ることも度々で、ブルーラインにたどり着いた時にはもう暗くなっていました。
 道の駅「一本松」でトイレ休憩した後、18時6分に出発、ブルーラインから国道2号、高砂西から250号を走ると、20時少し前に帰宅出来ました。渋滞もなく、思った以上に早く帰ることが出来ました。
 新車も300qほど走ると調子が良く、平地はすいすい走ります。ところが上り坂になると、R2と同じエンジンで同じタイヤでありながら、車体が100sほど重いからか、R2で後部座席に人を乗せているときのような重みを感じ、かなりアクセルを踏み込まなければスピードが落ちていく感じでした。新車を買って20日ほど、やっと300q以上の距離を走るドライブが出来ました。これから度々出掛けるためには、迷ったりまわりに迷惑をかけないようにナビゲーターを買う必要を痛感しました。


1月3日(月) 箱根駅伝に支配された正月
 昨日は朝から箱根駅伝の実況テレビに釘付けさせられました。もっとも、10〜12時は自治会の総会があり、出掛けました。時間ぎりぎりに行ったので、一番前の席しか空いていませんでした。総会の最後に福引きがあり、例年は当たることはなく、ティッシュペーパーを1箱もらって帰るだけでしたが、今回は2番目に番号を呼ばれ、サラダ油をもらいました。
 家に帰ると、駅伝はクライマックスでいよいよ箱根の上り坂にかかるところでした。東洋大の柏原の激走は本当に感動ものでした。そのあとは年賀状の整理の続きなどをしました。
 そして今日も朝からテレビに釘付け、運動不足だからウォークに出掛けようと言っていたのに、最後まで見てしまいました。今日も最後まで早稲田と東洋大の首位争いにハラハラ、その上、シード権争いの4校のデッドヒートにもハラハラしました。なぜか、初めてのシード権獲得だという國學院大學を心の中で応援していた様で、最後にコースを間違えた時には万事休すだと思いました。しかし、スピードに自信があったのか、最後にぎりぎり10位に飛び込んだ時にはホッとしました。
 終わった時間からウォークに出掛けようかと思ったのですが、いまからでは夕方の寒い時間になるということで中止しました。新聞受けを覗くと年賀状が届いており、再びパソコンに向かって年賀状の整理をしました。そのあとはテレビで「綾小路きみまろ」の番組を見ているとすっかり暗くなりました。正月3が日は本当に意味もなく過ごしてしまった様な思いです。明日からは少し体を動かしたいと思います。


1月1日(土) 元旦は年賀状の整理
 紅白歌合戦を見たあと、除夜の鐘を聞き年明けを待って地元の住吉神社へ初詣に行きました。冷たい風が吹き、厳しい寒さだったためか、参拝者は例年より少なく、それでも甘酒の接待を受けて帰りました。それから風呂を沸かして入ったので、就寝は2時になっていました。
 朝6時30分に起き、高齢者放送大学のラジオ講座を聴きました。普段はパソコンまわりに放送大学のテキストやノートを置いているのですが、年末の大掃除ですっかり片付けてしまったので、プリンターの中にある用紙を取り出し、放送をメモしました。
 知事の新年挨拶や、学生さんの発表についての感想を自分のホームページに書き込んでいると、8時20分くらいになっていました。少し家の片づけをして国旗を門に立てていると、息子達夫婦が新年を祝いにやってきました。
 おせち料理と雑煮で新年を祝っていると、年賀状がどさっと届きました。ここからは今年の年賀状の名簿一覧と1枚ずつ付き合わせて、出していない人を確認する作業が始まります。なぜか10人ほどが抜けていました。早速年賀ハガキの印刷をしました。その続きにグループいきいきネットの新年会の案内状も印刷しました。こちらは往復ハガキで出欠の返事をいただく方、既に出席すると言っておられる方には集合時間や場所のお知らせを、欠席すると言っておられる方にも一応予定をお知らせし、都合が良くなれば申し出ていただけるようにしました。名簿の整理をしていて眠くなり、30分あまり昼寝をしたこともあって、その種分けと印刷の区別に結構時間を取り、印刷が出来上がった時には夕食の時間になっていました。
 夕食後、年賀状の一部に一筆を加えていたら、夜9時になってしまいました。それでも一仕事終わり、明日は地元自治会の総会に出席することが出来ます。高齢になれば、地域に根ざした生活が大切だと思っています。