2010年度(平成22年度)

                                     

12月28日(火) JAFの助けを借りる
 朝9時になるのを待ってJAFに電話で依頼しました。40分ほど待ってJAFの車がやってきました。JAFカードを確認すると早速テスターなどを使って車を点検、すっかりバッテリーが上がってしまっていました。車から大きめのバッテリーを降ろすと、ブースターケーブルをつなぎ、私の車のエンジンをスタートさせました。まだ新車なので簡単に始動しました。後はケーブルを取り外し、持参した道具を収納すると作業は終了、5分とかからないですみました。そして書類に署名すると、1時間ほどアイドリングを続ける様に言って帰っていきました。
 今回でJAFのお世話になるのは5回目です。1度はパンクでしたが、後はいずれもバッテリーで、初めの2回はバッテリーの寿命で、3回目は雨降りの日にスモールランプを消し忘れたものでした。1979年入会ですから、6年に1回はお世話になっていることになります。車の免許証を取ったのが1969年です。初めの頃は自分でブースタ^ケーブルを持っていて、助けたり、助けられたりしていました。しかし、JAFに入会してから、すっかり頼っています。15分ほどアイドリングをして、妻をボランティア会場へ送ることが出来ました。今後、車を離れる時にはしっかり確認したいと思います。


12が27日(月) 早くも新車にトラブル
 朝、高齢者放送大学の仕事に出ようとすると、車のエンジンがかかりません。助手席は半ドア状態、エンジンキーをまわしても何の反応もなし。というよりエンジンキーの位置が違った感じでした。そういえば、車に近づいてもピッといわないし、ドアのロックは開いた状態でした。
 思いめぐらすと、土曜日に買い物をして、荷物を家に運び、そのまま車に戻らなかったようです。新車はキーをポケットに入れておけば、いちいちロックしなくても良く、またキーがなくてもエンジンがかけられるのです。大抵は自分が車を離れる時にピッという音を聞いて確認するのですが、荷物のためにそれを怠ったのです。エンジンキーの位置から、エンジンがかかったまま車を離れていたとしか考えられません。慣れないものを持たされると、よほど気をつけなければと反省しきりです。
 幸い20分ほど後にJR魚住駅行きのたこバスがあったので、予定より40分ほど遅くなりましたが、いなみ野学園へ行き、仕事をすることが出来ました。
 先週金曜日と今日の二日間で1300枚あまりの感想文を読みました。詐欺商法に関する講座の感想文ですが、オレオレ詐欺の電話がかかってきた話、高額商品の悪徳商法で実際に高いふとんを買った人、点検詐欺に騙されそうになったところを家族や知人に救われた話、訴訟のはがきが届いた話、豊田商事に親が騙された話など、実に多彩な事件が渦巻いていることに驚きました。救われた人は第三者に話したり消費者センターに相談したことなど、ひとりで解決しようとしなかったことです。何かあれば相談出来る人を普段から持っていることが大切だということがよくわかりました。私にとってもとても良い勉強になりました。
 今日は車の助けを呼ぶ余裕がなかったので、明日午前中にバッテリー切れを解決したいと思います。


12月25日(土) 年賀状投函
 昨日まで高齢者放送大学の仕事を集中的にやっていたので、今日は朝から集中的に年賀状に取り組みました。原案は既に出来ていたのと、住所は先に印刷してあったので、本文を印刷するだけでした。妻の分と合わせて400枚ほどの印刷は午後3時頃までに完了しました。郵便局が25日までに投函する様にいっていたので、車で明石西郵便局へ何とか投函することが出来ホッとしました。その続きに正月用品の買い物も済ませました。

 家に帰って個々の人に書き加える文章があったことを思い出しましたが、後の祭りです。受け取った人に悪いことをしたり、改めて手紙を出すという二度手間を踏まなければなりません。

12月20日(月) 風呂の給湯器も新調
 新車の代金を払ったと思ったら、風呂の給湯器がおかしくなりました。完全にこわれたわけではありませんが、給湯の水道線をひねっても給湯器がなかなか点火しないことがあります。給湯器は設置して既に23年も経過しています。正月休みになって完全にこわれたりすると困るし、最近古い器具を使っていると火災が発生したという報道を聞くので、この際新調することにしました。今日は出入りの燃料店の主人が一日かけて取り替えてくださいました。さて、新車を買った時に負けてもらった金額内におさまるか、月末が楽しみ?です。
 新しい給湯器は自動給湯や風呂の温度を一定に保つ機能など、様々な新機能を備えています。今から説明書をよく読んで、給湯器の使い初めをし、ゆっくり温まりたいと思います。


12月19日(日) 新車「ステラ」
 12月2日に契約した新車「ステラ」の手続きが終わり、今日午前中に受け取りに行きました。店頭で展示している時は背が高く不安定に見えましたが、実際に乗ってみるとこれまでのR2とほとんど変わらず、違和感はありませんでした。サイドブレーキがフットブレーキになっていて、左足の出番が出来たことと、キーレスアクセスになったことくらいが今までと大きく異なったところです。その内に慣れるだろうと思います。
 午後からは高家寺で行われた写経に乗っていき、少しだけドライブを楽しみました。


12月18日(土) 西江井友愛クラブ忘年会
 水曜日3時頃から役員で忘年会の買い物に出掛けました。昼食の寿司や串焼き鶏や和え物などの注文をし、お菓子、酒類などを買い、当日の役割分担をしました。そして今日は朝9時に自治会館に集合、注文しておいた食料を買いに行く者と、机や椅子を並べ、カラオケ一式の運搬など会場準備とに別れて、役員の手で10時30分頃までに準備を整えました。
 10時30分頃から会員が会場へ来られ、男性は受付と年会費の徴収などに当たり、女性はお茶を出しました。うっかり会場のマイクの準備を怠っていて、11時開会が15分ほど遅れてしまいました。会長あいさつの後、今年の物故者に対して黙祷をささげました。そのあと長老の男性の音頭で乾杯し、ビール、葡萄酒、焼酎、酒などを飲みながら昼食を摂り、歓談しました。
 12時30分を少しまわった頃、全員に番号札を取ってもらいました。みんなは「カラオケの順番だ」「いや、何かもらえるんだ」と想像豊に話しておられました。食事が一段落したところで、知事から感謝状を受けられた会員の紹介があり、みんな拍手で祝福しました。続いて番号の説明をしました。@カラオケが歌える人は歌う A今年一番嬉しかったことや心に残ったことなどメッセージを言う Bパスする という3つの選択肢を伝え、1番くじを引いた人から順にマイクをまわしました。パスは人前で話すのが苦手で、そのようなことを無理にさせられれば次回から出席されなくなると思ったので設けた手段でした。結果的には何人かはパスされましたが、健康で来年もぜひ来たいと嬉しい言葉を言ってくださる方もあり、また、カラオケ部の方は堂々と歌ってくださいました。今回民謡を勉強しておられる方が友愛クラブのこの様な会で民謡を初めて歌われ、私も含めて3人がカラオケをやめて民謡を歌いました。ちなみに私は「刈干切歌」を歌いました。カラオケと違って時間を取らないのと目新しく思えたので、自己満足しています。
 45人全員参加という試みは、開会が遅れた時間15分延長しただけで無事終えることが出来ました。司会者としては何とか皆さんに退屈させることなく終えることが出来、ホッとしています。
 片づけをした後この日欠席された方々にお菓子を届けて本日の全日程を終えることが出来ましたが、力仕事と司会などで気を使ったこととで、すっかり疲れた感じです。帰宅後は予定していた仕事を中止しました。


12月16日(木) ついにトータルスコア46の自己新で優勝
 今日は今年最後のグラウンドゴルフでした。出だしは4打、3打と今日のスコアはどうなるかと思ったのですが、だんだん調子が上がり、第2ラウンドではホールインワン2回、第3ラウンドにもホールインワンがあって、トータルスコアで初めて50を切ることが出来ました。今年の締めくくりとして最高の終わり方でした。


12月12日(日) 海岸清掃(草刈り)
 西江井友愛クラブの役員8人で江井ヶ島海岸の遊歩道沿いの草刈りをしました。昨日の演奏会とその打ち上げの疲れが少し残っていましたが、8時30分から作業を始めました。ブロックの傾斜面を登って草を取り除いたり、鎌で草刈りをしましたが、草刈り機で草をどんどん刈ってくださるので、途中から木の枝をくくってゴミ集積所へ運びました。さらに次々ゴミ袋に刈った草が詰め込まれるので、それを一輪車に載せて運搬しました。途中急な登り坂があり、冬だというのにすっかり汗をかきました。それでも風もなく穏やかなお天気だったので、仕事がはかどり、午前中に終えることが出来ました。お昼にお寿司を買ってきてみんなで食べながら今後の計画などいろいろとおしゃべりをしました。家に帰って昼食をすればいいようなものですが、この様に食事を一緒にすることで、お互いの健康面や家庭の事情もわかり、意思の疎通が深まり、さらに支え合い、助け合って職責が果たせるようになるのだと思いました。


12月11日(土) 第28回明石第九合唱団演奏会はこれまでで最高
 昨夜、指揮者による前日練習がありました。なかなか指揮者の意図が理解出来ず、とんでもない所で飛び出すなどすっかり自信をなくしてしまいました。明けて今日土曜日、午後からリハーサルがありました。その時もなかなか上手く歌えず、本番では自信のない所では口パクを決め込もうと舞台に立ちました。出演直前、合唱指導をして下さっている先生から、「とにかく指揮者をしっかり見てその意図をしっかり掴むように」という助言がありました。だから前日からリハーサルにかけて指揮者から指導された言葉を思い出しながら、指揮者の表情や動作を見逃さないように注意深く見ながら歌いました。出だしが上手くつかめず、ごまかしたところもありましたが、とにかく前半は無難に歌えました。しかしカンニングブレスをしなければ、ワンフレーズが一息で歌えません。そして緊張していたせいか腹式呼吸を上手くしていないことに気づきました。
 後半は腹式呼吸を意識して歌うと、気持ちよく歌えるようになり。指揮者との息も上手く合うようになりました。だから、歌い終わった時にはとても満足感に浸ることが出来ました。それでも前日の練習で、いよいよ自分も限界を感じ、今回で引退を考えていました。ところが演奏が終わり、ロビーでいきいきグループの方に花束をいただき、「今日は素晴らしかった。また来年も」と言われると、なんだかその気になってきました。さらに今まで何度も聞きに来て下さっている方から、「今までで最高の第九だった」といわれ、さらに来年もという気持ちが少し強くなってきました。
 打ち上げの時に、ソロを歌われたバリトン歌手から、「今回指揮された飯守泰次郎氏はアナログの指揮者で、情感を込めて指揮されるので、2度と同じ演奏はない」と話されました。その言葉を聞いて、第1回から参加されている副団長が「この様な情感いっぱいの第九を歌う経験は初めて」と言っておられました。団員みんなが満足した第九の演奏会でした。そして、事務局から来年は市民会館40周年記念で、2011年12月18日(日)に再び明石フィルと共演する計画が発表されると、それなら来年もう一度歌ってみようかという気持ちがさらに強くなりました。
 今回は昨年に続き1000人以上の聴衆で、ほぼ満席でした。この様に私たちが毎年楽しく歌えるのも聴きに来て下さった大勢の皆さんのお陰で、心から感謝したいと思います。


12月6日(月) 高齢者放送大学東灘友の会
 朝、地元のグラウンドゴルフ例会に参加した後、東灘友の会の例会に招かれ、出席しました。会長のあいさつの後、会員のひとりが「人生を振り返って」というテーマの作文を正月早々の講座で放送されるので、その原稿の朗読をみんなで聞きました。昼食にはビールも出ていて、つい飲んでしまいました。そのあと、記念撮影をし、私の話になりました。ビールがまわっていたようで、神戸生まれで神戸育ちの私には懐かしさが込み上げ、時間のことも忘れてついついつまらない話を長時間してしまいました。途中で小・中・高校の名前を聞かれ、答えていると大先輩がおられ、恐縮してしまいました。
 帰りに自分が作曲したといわれる楽譜をいただきました。「母を讃える歌」という曲で、歌ってみると琉球地方のしまうたの感じのメロディでした。改めていただいた名刺をよく見ると、八重山毎日新聞大阪通信員と書かれていました。県教委の特別非常勤講師もされており、ピアノ演奏もされるという音楽に堪能な方だったのです。いつかまたご自身で作曲された歌を生の演奏でお聴きしたいと思いました。
 皆さんが地元神戸を大切に思っておられるので、なんだか同窓会以上に神戸の懐かしさを堪能し、帰りに遅れていた妻の誕生日祝いのケーキとして、ふたりの好物のシトーレンを買って帰りました。


12月3日(金) 熊野古道中辺路ウォークの誘い
 四国や小豆島の歩き遍路でお世話になった会社から、熊野古道中辺路ウォークの誘いのダイレクトメールが届きました。添乗員さんも同じ人が担当とのこと、ウォークの虫が騒ぎ始めました。3月に小豆島歩き遍路が終わって以降、すっかりウォークがおろそかになっていたからです。1月27日(木)に第1回が行われます。工程表を見ると1.7qですが標高差600bのアップダウンの急坂を休憩を含めて6時間半かけて歩くそうです。最近体力が落ちてきていますが、やっぱり歩いてみたい気持ちが強くなってきました。


12月2日(木) 新車に買い換え
 現在スバルR2に乗っていますが、間もなく7年目の車検です。この車を買う時、車で遠出をしようといっていたのですが、結局日帰りで松江や三瓶山へ行ったくらいで、長距離の旅行をしませんでした。これまでスズキフロンテ、カローラ、ダイハツの軽自動車そしてスバルVIVIOなどに乗りましたが、スバル以外はトラブルが多くあまり印象がよくありませんでした。しかしスバルは走りがよい上トラブルもなく、2台続けて大いに楽しませてくれました。富士重工の軽自動車は現在ステラしか生産していないのですが、いよいよその軽自動車の生産が来年早々に中止されるという案内が届きました。そのステラが今いろいろな特典が付いて販売されているということで、買い換えることにしました。今乗っている車のレベルを落としたくないと担当者に相談すると、ベ−シック仕様のなかでも特別仕様車がこちらの希望に合致していることがわかりました。車両価格は前の車より少し高くなりますが、エコ減税や下取り価格が思いのほか高く、前回のR2購入価格より25万円ほど安く手にはいることになりました。ナンバーも4000円で選べるということなので、初めて3桁のナンバーを指定しました。ボディのコーティングも無料でしてもらえるので、なんだかとても得をした気分です。新車で信州へ出掛ける予定を立てています。


11月29日(月) グラウンドゴルフ当番と忘年会
 グラウンドゴルフの当番だったので、朝6時に起き、朝食を済ませて、7時前にはグラウンド整備に取りかかりました。落ち葉が沢山あり、がんじきで掃き終わるのに20分ほどかかりました。そのあとグラウンドにローラーをかけていると8時前になりました。寒い朝でしたが体がすっかり温まりました。
 体を充分動かしていたお陰で、ホールインワンもあり、成績も60打を割るまずまずの成績でした。プレイの後近くの寿司屋で、グラウンドゴルフ部の忘年会がありました。ビールとイモ焼酎のお湯まりを飲みましたが、プレイの後だったのと空き腹ですっか酔ってしまいました。1時過ぎには帰宅しましたが、しばらく新聞を読んでいましたがいつの間にか眠り込んでいました。郵便屋さんの声に驚いて飛び起きる始末で、この後は仕事にならず、新聞や本を読んでいました。


11月27日(土)〜28日(日) 広島県大崎上島へ1泊旅行

 息子夫婦の誘いで朝7時30分、息子の運転する車で出掛けました。昼には広島県竹原市に着き、新しくできた道の駅でランチを食べました。道の駅とは思えないしゃれた料理でとても美味しく調理されていました。
 食後竹原港からフェリーで大崎上島の白水港へ渡り、ホテルへ向かいました。途中景色がよいといわれる神峰山へ登りました。中腹に車を止め、850bの山道を登り、頂上を目指しました。結構急な坂道でしたが、とても見晴らしがよく、歩き遍路を思い出しながら一気に登りました。頂上には薬師堂があり、鐘をそっと突き、線香を供えて般若心経を唱えました。ずいぶん日が西に傾いてきたので下山し、ホテル清風館へ行きました。突いて驚いたのが、駐車場にはたくさんの乗用車の他にバスも何台かと待っていることでした。ホテルにはいると既に大勢の人が風呂を上がりくつろいでいました。部屋に通されるとこれまた広い部屋で、瀬戸内海の島々の景色も美しく感動でした。温泉で一風呂浴びた後食堂へ、夕食は竹原のお酒ということでしたが、とても甘い美味しい酒で、後で銘柄を聞いていなかったことを残念に思いました。料理も美味しく、仲居さんのサービスも満点で、とても満足しました。
 翌朝はバイキングでしたがついついたくさん食べてしまいました。ホテルでゆっくりし、大三島へ渡るつもりでしたが、フェリーの時間が合わず、再び垂水港からフェリーで竹原に戻り、竹原市の町並み保存地区を散策しました。ずいぶん以前に訪れましたが、あまり記憶になく、美しい町並みを楽しみました。それでも時々ここへ来たなという記憶が蘇りました。昼近くなったので、道の駅「みつぎ」に向かいました。途中紅葉の名所といわれている仏通寺があり、寄り道をしました。開山堂は長い階段の上にあり、昨日に引き続き山登りをしました。上から見る紅葉もまた絶景でしたが、紅葉の落ち葉が地面に敷き詰められているほどで、10日ほど前だったらもっと美しかっただろうと思いました。
 車で御調へ行きましたが、ここは終戦前後に疎開していたところなのでとてもなつかしく思いました。しかしすっかり開けていて、昔のおもかげは見つかりませんでした。ところがそこから府中市へ向かいましたが、途中の上川辺は疎開に先立って何日かお世話になった親戚があったところでこちらへ行く川沿いの道は何度か歩いていたのでなつかしい風景でした。また府中は姉が通っていた女学校があったところで、この道を姉がバスで通っていたのかと重うと、当時のことが思い出されました。福山東icから山陽道で帰路につきましたが、岡山県に入った途端にすっかり眠り込んでしまい、目が覚めたのは兵庫県境のPAに着いた時でした。
 「龍馬傳」に間に合うほどの時間に帰り着くことが出来ました。本当に楽しく、楽珍の旅で、息子夫婦に感謝の2日間でした。
  
 
竹原港で乗船するフェリー     神峰山から瀬戸内海の島々をのぞむ  竹原市町並み保存地区         仏通寺開山堂付近の紅葉

11月18日(木)〜20日(土) 2泊3日のアルコール大会?
 メリケンパークオリエンタルホテルで2泊3日の北海道から沖縄まで参加者が集まる全国規模の大会があり、お世話をするために参加しました。昔懐かしい方々が何人もおられ、親しく声をかけてくださいました。1日目は総会に続いて研修があり、車椅子の歌手・小西達也さんの歌とトークもありました。自分で作詞作曲された歌を素晴らしい声でうたわれ、トークもおもしろく感動のひとときでした。夜の親睦会では開会の言葉を述べることになりいささか緊張しました。お陰でいろいろな方々と心やすくお話しさせて頂き、有り難く思いました。
 2日目はホテルの部屋で見事な日の出を見ることができました。午前中に神戸市立青陽須磨支援学校を見学し、舞子ビラで昼食、午後からは明石海峡大橋を見学した後、アウトレット垂水マリンピアで買い物、最後に人と防災未来センターを見学しました。須磨支援学校の配慮された施設には驚きすら感じました。少子化で小中学校の生徒が減少している中、知的障害のある子どもたちを支援する学校の生徒が毎年増加している原因が、ホンモノの教育を受けさせようとする保護者の気持ちを高める、この様な設備の整った校舎にあるのではないかと思えました。
 3日目は10時頃までに遠路来られた方々をお見送りし、解散しました。それにしても、2日目の朝から昼食の舞子ビラも含めて3日目の朝食まで4回もバイキングが続くと、いささかあっさりしたものが欲しくなり、3日目の朝は芋がゆと漬け物と味噌汁、ひじきの煮物それに牛乳と、自宅の食事と同じになってしまいました。それでもバイキングとなると、それだけでは惜しい気がして、フルーツの缶詰にヨーグルトをかけたデザートを食べてしまいました。
 10時頃ホテルを出たので、相楽園へ行き、日本庭園の紅葉の美しさをカメラにおさめました。その後兵庫県公館の特別展を見学し、お昼は三宮の「Nishioka」で開催された小学校の同窓会に参加し、普段ほとんど飲まないアルコールを3日続けて飲んでしまいました。そして3日目の朝食以外ほとんど洋食ばかりだったので、今血液検査をするととんでもない検査結果が出ると思います。体重も夜測ると、出掛ける前日に比べ1s以上増えていました。
  

  

11月17日 相楽園の菊花展
県民会館で文化財に関する講座があり、出席しました。帰りに相楽園の菊花展を見に行きました。3本仕立ての菊は本当に花も葉もきれいで、さすがだと感心しました。ハッサム邸も見学し、日本庭園の池のまわりを一周しました。丁度紅葉が見頃で、池に映った紅葉のすばらしさは最高でした。既に4時を過ぎている上、曇り空だったのが残念でした。快晴の日のお昼間にもう一度見たいと思いました。
 明日から3日間メリケンパークオリエンタルホテルで開催される研修会に出席しますが、もしお天気がよければ土曜日の午前中に今度はカメラを持ち誰かを誘ってもう一度相楽園を訪れてみたいと思います。


11月13日 いなみ野祭と牛虎の会
 今日は加古川市で二つの行事に参加しました。先ず私が過去にお世話になっていたいなみ野学園の学園祭に出掛けました。今年は従兄が園芸学科に入学し、絵画部で出品しているというので、それを見ることが主目的でした。しかし行ってみると学園での旧知の人々にたくさんお会いすることが出来、また作品をたくさん鑑賞させて頂きました。時間的に充分ではなかったので、一部を見せて頂いただけですが、作品はそれぞれ素晴らしい出来映えでした。
 続いて東加古川から加古川駅まで行き、加古川プラザホテルの牛虎の会に5年ぶりに出席しました。名前の通り丑年と寅年の同学年の集まりなので、気を使うこともなく、とても楽しい会です。ただ、いい歳になっているだけあって病気自慢が次々と飛び出し、しかも明るく報告されるので、かえって楽しく聴くことができました。私はプロバイダーを変更したのでそのことを報告すると、Eメールやホームページのアドレスが入った名刺を配るようにいわれ、先日自分で印刷した名刺を全て配ってきました。来年は神戸で出会うことを約束して解散しました。


11月10〜11日 西江井友愛クラブ親睦旅行
 私の所属している地域の老人クラブ「西江井友愛クラブ」の親睦旅行に1泊で鳥取島根方面へ行きました。昨年20人だったので、今年も何とか20人を確保しようと努力しました。25人乗りの小型バスで一人欠ける毎にクラブの補助金を上積みしなければならず、もし人数が足らなければ妻を説得することにしていました。やきもきしましたが、21人の参加を得て、気持ちよく出発出来ました。
 日程は近所の総合市場前を9時前に出発、大久保ICから第2神明、加古川・姫路バイパス、播但自動車道、中国道、米子道を経て蒜山高原でジンギスカン料理の昼食を摂り、再び米子道を通って米子市にある稲田酒造へ行きました。酒造りのDVDを見ながら説明を受け、酒蔵を見学しました。売店でお酒の試飲をした後、清酒の全国コンクールで金賞を獲得したというお酒の小さなビンを正月用に買いました。さらに清酒と完熟の南光梅でつくったという珍しい梅酒の小さなビンも買いました。これでお土産が出来たので、以後は何も買わないと心に決めました。
 米子から境港まで走り、みずきロードへ行きました。「ゲゲゲの女房」の効果抜群で、平日にもかかわらず、駐車場には観光バスが並び、大勢の人が町にあふれていました。しかし、よく見ると若い人もいましたが、やはり我々のような高齢者の団体が多かったようです。町を散策し、いろいろな妖怪を見ることができました。店には妖怪グッズや妖怪の名前が命名されたお菓子があふれていました。これだけ人が来れば町おこしは大成功だろうと思いました。
 再び米子に戻り、宿舎の皆生温泉・松涛園に到着しました。料金が安いためか、満室で、個人客やグループ客の他、私たちのような観光バスが4台が宿泊しました。そのため大浴場は満員、仕方なく屋上の露天風呂へ行きました。気温6度と寒い上に温泉は浸かっておれないほど熱く、それでも我慢して浸かり早々に引き揚げました。
 夕食の宴会は客が多いためか、それとも仲居の性格からか、客扱いがいまいちでした。それでも飲み放題1時間半にカラオケ付きの宴会は楽しく過ごせました。食後、部屋に帰って仲間と談笑しながら、女子バレーの対ロシア戦を見ました。もう一度大浴場へ行くと、今度はよく空いていて、ゆっくり頭や体を洗うことが出来ました。
 夜は早々に眠ったので朝早く目覚めました。風呂へ行くと早く来た人たちが引き揚げるところで、狭い中浴場に変わっていましたがゆっくり浸かることが出来ました。朝食は昨夜とうってかわって細かい心遣いの仲居さんふたりで、気持ちよく朝食を摂ることができました。コーヒー券もサービスしてもらい、食後出発までにコーヒーを飲みながらゆっくり出来ました。
 9時前に出発、安来市まで山陰道を走り、足立美術館へ行きました。ここも朝からたくさんの観光バスが来ていました。快晴だったので庭の紅葉など景色が一段と輝き、見事でした。会館40周年記念の横山大観特別展ということで、展示は全て横山大観の作品でした。感動の作品が沢山ありましたが、中でも「春風秋雨」の屏風には惹きつけられました。何度見ても素晴らしく繰り返し鑑賞しました。絵はがきになっていたら買って帰ろうと思ったのですが、残念ながらこの作品だけはありませんでした。
 陶芸館は1階だけを見て10月にオープンしたばかりの新館へ行き、ここでも時間切れで、院展の展示を1階だけ見ました。急いでバスに乗車、松江まで山陰道を走り、車窓から松江城を眺めながら昼食場所の地ビール館まで行きました。松江城近くの川のほとりの木立は美しく紅葉していて、川面に映った景色はとてもきれいでした。
 山陰道で再び米子に戻り「お菓子の壽城」で最後の買い物をして帰路につきました。大山はすっかり雪化粧で、昨日同様頂上に雲がかかっていましたが、紅葉と一緒に雪山を見ることができました。ビデオの放映をしてくれましたが、蒜山を過ぎた頃からすっかり眠ってしまいました。帰りは姫路バイパスから一般道の明姫幹線に降り、18時丁度、予定時間に帰り着くことが出来ました。
 これだけ豊富な内容の旅行で15,800円プラス保険と企画料230円という安価な料金に、みんな満足してもらえたことと思います。出発から帰着まで全ての司会進行を任されたのですが、こちらは充分に盛り上げることが出来ず、いささか心残りでした。

  
賞の楯が並ぶ稲田酒造で説明を聞く    みずきロードで妖怪と記念写真                宴会でカラオケ大会
  
足立美術館玄関前で集合写真       美術館の美しい庭園                       紅葉が美しい松江地ビール館前の川面


11月6日 高家寺寄席
 久しぶりで高家寺寄席に出掛けました。やはり生で聴く寄席は放送では聴けないような話題も飛び出しとても愉快です。それと、今回は初めて女性の落語家の話を聞くことができ、これも新鮮でした。露の団姫(まるこ)という自称24歳の落語家で、「ちりとてちんもモデルは誰あろう、この私です」などと笑わせていました。また阪大出身で公務員をしていたという落語家がいて、みんなが笑うと、「皆さんは笑っていますが、親は泣いています」などと笑いをとっていました。落語は一人で演じているのに、一番前で見ているとその細かい表情もよく観察され、ついつい情景を思い浮かべ話に引き込まれてしまいます。その上とても愉快な気持ちにさせられる本当に素晴らしい伝統文化だと思います。これは同じ笑いでも、漫才より数段上の価値ある文化だと思います。


11月3日 エンドウ豆と玉ねぎの植え付け
 エンドウ豆を毎年プランターに植えています。去年はスナックエンドウを植えたので、種を取ることが出来ず、昨日買い物のついでに苗を買いました。その時に玉ねぎの苗も売っていたので40本ほど買いました。
 今日は朝から新しい土に肥料や苦土石灰を混ぜて土つくりをし、エンドウ豆の植え付けをしました。ネットも張り何とか植え付けを終えました。続いて菜園の一部に同じく苦土石灰や肥料を入れて耕し、玉ねぎを植える場所をつくりました。苗を植え終わると、稲わらを押しきりで短く切って小芋の根元に載せておきました。冬の凍傷を防ぐためです。作業を終えると午後1時をだいぶ回っていました。疲れましたが、この苦労をしておけば、来春に収穫の喜びが待っています。
 9月に蒔いたダイコンもずいぶん大きくなり、土の上に細く白いダイコンが覗いています。同じ時期に蒔いたほうれん草も立派に成長し、大きく成長したものから食卓に上っています。春菊は間引いてもどんどん大きくなるので、相変わらず密集して生えています。後はツタンカーメンの苗の植え付けを終えれば、我が家の菜園は一段落です。
 大輪の菊は妻が入院したので手入れが行き届かなかったのですが、それでもきれいに花をつけ始めました。やがて小菊も咲きそろい、庭中菊の花だらけになります。


10月28日〜30日 豪華客船初体験
 妻の病気平癒を祝って日本丸に乗船するツアーに参加しました。夕方5時に神戸中突堤、オリエンタルホテル1階で受付を済ませ、バンド演奏を聞きながら乗船しました。船室は3階、もっとも安価な部屋のようですが、それでも広くて設備も立派です。
 食堂で豪華な食事をいただいていると船がタグボートに押されてゆっくりと後方へ出航していきました。食後風呂にも入り、夜のイベントはピアノ演奏を聴いただけで、早々とベッドに潜り込みました。
 9時30分頃から船が揺れると船内放送があったとおり、熊野灘に出た船は大きく揺れ出しました。台風は沖縄方面を北上しているようでした。
 翌朝、7時からの朝の体操に出掛るとき、船は知多半島沖を航行していました。台風の北上にあわせて真っ直ぐ歩けないほどに揺れていたので、体操は椅子に座ったままストレッチから始まりました。最後にみんなの体操をして7時30分に終わり、そのまま朝食をとりに食堂へ行きました。これまたご馳走でしたが、船酔いしそうだったので控えめにしておきました。それでも船が上下動をすると酔いそうで、ベッドに潜り込んで眠っていました。そんなわけで昼前の操舵室を見学した後もコーヒーブレイクはやめておきました。昼食は出石そばで軽めに済ませました。
 午後からのイベント、ビンゴゲーム大会に行く頃には船酔いも収まっていました。ビンゴゲームは賞品が当たる範囲ぎりぎりでビンゴになり、コーヒー味のチョコレートをもらいました。帰りの新幹線の良いおやつになりました。
 その後強風が吹き付ける中、デッキに出て伊豆大島などをカメラに納めました。4時頃横浜の町が見えてきました。デッキで夕暮れの横浜港などをカメラで撮りましたが、着岸しても、我々安価な乗客は最後の下船で、のんびり部屋でテレビを見て待ちました。
 下船後バスでレインボーブリッジなどを渡り、大渋滞の中やっとついたところが、なんと超一流ホテル・椿山荘でした。残念ながら日が暮れていて、2万坪といわれる庭は何も見えませんでした。夜は地下のようなところに案内され、これまた豪華な和会席料理をいただきました。一行21人でしたが、食事毎に新たな方々と気楽に会話することが出来ました。
 部屋も豪華で、大浴場の温泉がなくても広いバスルームでゆったり疲れを癒やしました。湯上がりに初めてバスローブなるものを身につけ、記念写真までとりました。疲れもあってベッドでテレビを見ながら寝転んでいるとうっかりそのまま眠ってしまい、結局朝までバスローブを身につけたままでした。
 朝食はホテル内の「みゆき」で和食を摂りました。受付のところで案内があるまで待ちましたが、担当者が外線電話をしている内容を聞いていると、予約で昼は満席、夕食も8時以降といっていました。とても繁昌しているようです。朝食券を出すと、「この券ではこの料理になりますがよろしいですか」とメニューの一番安い3000円の料理を指さして尋ねてきました。朝食で3000円の料理など食べたことがありません。3000円だけあって、ひとつひとつの食材は最高級で、食べきれないほどでした。台風接近で外は風雨が強く、庭の散策は出来ず、窓から眺めるだけでした。
 10時半にバスに乗り、浅草寺へ行きました。雨が相変わらず降っているにもかかわらず、人が大勢でていました。しかし、聞こえてくる言葉は店員以外は外国語、特に中国語が氾濫していました。昼食時間までうろうろと雨の中を歩き回り、天ぷら屋の座敷に通されました。この旅行で、この食事だけはいただけませんでした。それでも老舗らしく、料金は3000円以上のようでした。初めて築地の市場を窓から見ながら、午後の予定の浜離宮は前まで行ったのですが、台風で大荒れの天気に、全員下車を希望せず、代わりに皇居のまわりを車中から見物して東京駅で下車しました。
 帰りの新幹線も初めて「のぞみ」に乗車しました。いつもひかりかこだまに乗っているので、のぞみはやはり早いという印象で、チョット居眠りしただけで名古屋に到着、その後もおしゃべりしているうちに京都に到着しました。新大阪で新快速に乗り換えましたが、とても早く帰宅出来ました。生まれて初めての豪華な旅に満足でした。


10月27日 さつまいもの収穫
 妻がもらってきたさつまいもの苗6本を菜園の端に植えていました。今年の夏は日照りが続き、あまり期待していなかったのですが、掘ってみるとかなり大きなイモが次々出てきました。一番隅に植えていたイモはほどほどのがひとつだけでしたが、残りの5本は結構入っていて、全部で14s収穫しました。夫婦ふたりで食べるには十分です。9月に掘った人から、さっぱりだったと聞いていましたが、9月下旬から適当に雨が降ったお陰で昨年以上の収穫が出来、有り難く思っています。



10月26日 久々のホールインワン
 好調だったグラウンドゴルフが9月後半から絶不調に陥り、このところ3ラウンド73打を連続して叩いたり、地域の交流大会で最下位になるなどさっぱりの結果でした。そして10月に入ってホールインワンがさっぱりでなくなりました。そこで今朝はクラブを昔のものに替えてやってみました。最初は平凡な記録でしたが、第2/第3ラウンドでそれぞれホールインワンが飛び出し、3ラウンドトータル54打と久しぶりに好成績が出ました。昨日の雨でグラウンドが湿っていたことが幸いしたようです。これで10月もスッキリと終えることが出来ます。


10月23〜23日 六甲スカイヴィラ最後の宿泊?
 毎年1〜2回宿泊させてもらっていた六甲山上の六甲スカイヴィラが12月末で閉鎖されることになっています。そこで、息子夫婦を誘って宿泊をしてきました。いつも平日にいくので、私たちの他には精々5〜6組程度しか宿泊客はいません。しかし今回は土曜日ということでレストランがほぼ満席になるほどの盛況で、子どもたちもいてとてもにぎやかでした。いつもこれほどの宿泊客がいたら閉鎖されることはなかったと思います。これからまた安くいける気楽な宿泊施設を探さねばなりません。このような素晴らしいところは見つからないでしょうね。
 帰りに豊岡までドライブをし、コウノトリの郷公園前の売店で無農薬米を買って帰りました。


10月23日 西江井友愛クラブ例会
 午後から地域の老人クラブ「西江井友愛クラブ」の例会がありました。いつも通り、会長あいさつに始まり、10月の報告事項(明石市高年クラブ主催のグラウンドゴルフ大会と輪投げ大会)をそれぞれの部長さんにして頂きました。その後、11月の計画である、江井ヶ島校区スポーツフェスティバルと親睦旅行について説明しました。最後に、先日放送大学の講座で聴いた吉武輝子さんの「地域家族」についてお話しさせて頂きました。その後自由懇談で皆さんの会話がはずんでいました。その間、何人かの人に、親睦旅行へ行こうとお誘いしました。
 終了前15分になったので、今朝の放送大学の講座「笑いヨガ」を紹介しながら、実際に皆さんにやってもらいました。初めはしらけて誰もしてくださらないのではと心配しましたが、結構笑顔で皆さんしてくださいました。この様な動作を伴う講座は効果的だと思いました。


10月16〜17日 秋祭り
 地元の旧3か村の秋祭りがありました。しかし、高齢者放送大学本科生の往復課題番組の返信を書く貴重な日になっていたので、2日間そのことに専念しました。それでも、家の前を太鼓を鳴らしながら山車が通るので、3つの山車を写真に納めておきました。子どもたちが嬉しそうに山車の綱を引いているのが印象的でした。また、それぞれの山車の後ろを若い娘達がホットパンツやジーパン姿で付いて歩いているのも今様だなと思いました。
 夜は山車の引き手が若者にかわっていましたが、漁師町の山車の引き手はすっかり酔っぱらっていて、みんな一斉に道の真ん中で大の字に寝そべるなど、なかなか前に進まず、最後の行事がずいぶん遅れてしまい、夜遅くまで太鼓の音が響いていました。太鼓は小学生が打ちますが、翌日の学校に影響しないか心配しました。


10月14日 朝早くから夜までよく歩きました
 今日もグラウンドゴルフの当番だったので、朝7時からグラウンド整備をしました。今日はローラーをひっぱてあるいたので良い運動になりました。整備とプレイのスコアカードの準備などをした後、パートナーに組み合わせ抽選などを依頼し、一旦家に帰り、出掛ける準備をしてグループいきいきネットの例会に行きました。
 山陽電車で高速神戸駅まで行き、JR神戸駅の改札口で待っていると次々会員が集まりました。文化ホール前で待っているの仲間と合流し、大倉山公園へ行きました。そこから神戸大学付属病院の東側を通り、家庭裁判所前から平野まで歩き、さらに有馬街道を北上して、勝海舟が住んでいたという生島家別邸の門前まで歩き、祇園神社の階段を登ってお参りと昼食。午後からは有馬街道を下ってハーバーランドのモザイクから海洋博物館まで歩き、「龍馬傳展」を見学しました。帰りは再びモザイクまで戻り、西村屋でソフトクリームを食べながら休憩し、高速神戸から山陽電車で家に帰りました。家で30分あまり休憩をした後、夕方再び山陽電車で明石へ行き、勤労福祉会館で第九合唱団の練習に参加しました。この日は立ったままで練習する時間がいつもより多かったように思います。家に帰り着くと9時になっており、万歩計は24500歩を示していました。最近2万歩を越えることが少なかったのですが、歩き遍路のように続けて2万歩以上歩くということではないので、それほど疲れた感じはありませんでした。


10月13日 不名誉な成績
 江井ヶ島校区の交流グラウンドゴルフ大会がありました。8ホール午前4ラウンド、午後2ラウンド計48ホールで行われました。最初の2ラウンドは平均的な成績でしたが、3ラウンドから5ラウンドは球がゴールの足に絡まることが多く、さんざんの成績になってしまいました。お陰でトータル148打で、ブービー賞に4打もはなされた最下位でした。ちなみにトップはホールインワン4回でトータル109打の成績でした。それでも大勢の人たちと楽しく競技が出来てよかったと思っています。


10月11日 日本華楽団定期演奏会
 今日はグラウンドゴルフ部の当番だったので、朝7時にグラウンドへ行き、グラウンド整備などを1時間かけて2人でしました。ゲームが始まると絶不調で、3ラウンドで73も打ってしまいました。9月がほとんどスコア50台で回ったのに比べると、本当に哀れな成績で、男女含めて最下位でした。
 昼食を早めに済ませ、兵庫県立芸術文化センター大ホールで開催された日本華楽団定期演奏会に出掛けました。今年は沖縄の「花」や喜太郎の「シルクロード」などとっても心に染みる曲もありました。しかし、やはり迫力いっぱいの曲を聴くと元気がわいてきます。
 今回は宝塚のマンドリンクラブや津軽三味線、尺八などとのコラボレーションもありました。中でも圧巻だったのが、中国生まれでカナダで活躍している双子のドラマー・高超、高躍の演奏でした。二人の共演も迫力満点でしたが、華楽団と一緒に八木節をアレンジした曲を見事に演じきったのには感動しました。いなみ野学園の卒業生で、二胡のパートで演奏している方から招待して頂いたのですが、本当に嬉しい一日を過ごさせて頂きました。


10月6日 市高連主催グラウンドゴルフ大会
 明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会が西明石駅近くの公園で開催されました。いつも自転車を連ねて参加するのですが、今回初めて2台の車に分乗して参加しました。
 大会は参加者が減ったためか、例年1ラウンド10ホールだったのが、9ホールになり、今年は予定時刻通りに進行されました。開会式と弁当を買うスーパーの開店時刻が重なり、友愛クラブの役員である私たち2人は開会式に参加せず弁当を買いに行きました。ラジオ体操に間に合ったので、場外でしっかり準備運動をしました。
 私たちの友愛クラブは2チームとも第3試合と第6試合に出場したので、午前の部は12時前、午後は2時過ぎから試合が始まりました。ちょっと待ちくたびれたという気持ちがあり、午前は27打、午後は23打でした。友愛クラブからは2チーム出場し、私たちのチームのトータルは平凡な記録でしたが、もう一つのチームは4位でした。そして同じ校区の隣の高年クラブのチームが2位に入賞しました。しかし、閉会式で姿が見えず、かわりに私たちの会長が表彰状を受け、皆さんから祝福してもらいました。


10月5日 庭はすっかり秋色
 遅れていた白い彼岸花が次々芽を出し、ぐんぐん伸びて咲き誇っています。菜園もダイコンは本葉がずいぶん大きくなり、春菊とほうれん草も一面に芽を出し。買ってきたスティックセニョール(ブロッコリー)と水菜の苗もしっかり根を下ろしたようです。ワケギの球根も植えました。早咲きの菊も蕾を付けています。秋ナスはいよいよ終わりです。小学校の運動会も終わり、太鼓蔵からは太鼓の練習の音が聞こえてきます。
 午後から平種なし柿の残りの実も収穫をしました。全部で300個ほど収穫出来たようです。赤い実は焼酎に付けました。青い実は前回の青い実と一緒にしばらく置いておき、気温が下がれば干し柿にしたいと思っています。虫の声も聞こえ、すっかり秋になった喜びを感じています。

   
白い彼岸花                  ダイコンの本葉も大きく            左から春菊・水菜・スティックセニョール   収穫し、磨き上げた柿

10月3日 清掃奉仕
 朝から友愛クラブと住吉(神社)友の会、自治会合同で住吉神社境内と自治会館周辺の草ひきや木の剪定など、清掃奉仕があり、8時半頃でかけました。曇っていたので作業がはかどり、10時頃まで作業を、老人クラブ連合会に提出する写真を撮り休憩しました。私は午後からのホームページ作成委員会でその状況をホームページに載せる作業と、提出用の写真を焼き増しするためにその時点で帰宅しました。
 何とか午後のHP作成委員会に出掛けるまでにそれらの作業が完成しました。

    

10月2日 平種なし柿
 毎年、加古川市水足にある高齢者園芸センターで柿の木1本分の実を買っています。平種なし柿という渋柿で、焼酎に付けたり、皮をむいて干し柿にします。毎年同じ木を買いますが、この木はまわりの他の木と異なり、早く熟します。今年は4日からの収穫と書かれていましたが、気候のせいで早めに熟すとも書いてあるので、出掛けたついでに様子を見に行きました。何とかなり赤くなっていて、実が数個かたまってついているため、枝がしなって実が地面についています。地面にくっついているものと赤く実っているものだけ50個ほど収穫して帰りました。熟した実はへたに焼酎を付けて密封しておきました。まだ青みの残っているものについては、次回収穫したときに一緒に焼酎を付けるか、気温が下がっていれば干し柿にしようと思います。
 以前はグループいきいきネットで柿狩りをしていましたが、当時買っていた木に実が付かなくなってしまいました。最近は買える余分な木がないので、休止しています。



10月1日 ボケボケ
 てっきり土曜日と勘違いし、朝6時に放送大学を聴かなければと飛び起きました。テキストを読み、録音の準備をしたのですが、気がつくと6時半を2分ほど過ぎているのにラジオが鳴りません。タイマーをセットしているのにどうしたのだろうと考えたとき、今日が金曜日であることに気がつきました。すっかり呆けています。そういえば昨日はどうしてもインターネットにつながらず、サーバーが工事中だから位に考えていましたが、今朝モデムをよく見ると電源が抜けていました。最近触っていないのになぜ抜けたのかわかりませんが、ひょっとしてこれもボケの影響かもしれません。困ったことです。
 菜園のダイコンの種まきをして10日ほどになりますが、先日から本葉の出始めたところで妻が間引いています。おひたしにするといい味がします。間引くとどんどん成長するので頼もしい限りです。また、26日に種を播いた春菊は一面に芽が出ています。しかしほうれん草はまだ芽が出ていません。一昨夜来の雨でどうかすると種が土から浮き出ているところがあります。野菜達への水やりだけはしっかりしています。
 また、夏前に植えた茄子が虫にやられ、葉も花も食べられる始末で4〜5個しか収穫出来ませんでした。枝をすっかり切り落としていたのですが、9月初め頃から接ぎ木の下の方から枝が出て、どんどん大きくなり、昨日ついに秋ナスを収穫しました。こんなことならもっと早く枝を切り落としておけばと思いました。

9月28日 しおさい名画劇場
 明石市民会館で開催されたしおさい名画劇場へ行きました。松本清張の「黒い画集」と 「飢餓海峡」の2本が上映されました。朝10時30分に始まり、昼食を挟んで4時20分までたっぷり楽しめました。古い映画とはいえ、これだけ楽しんで入場料500円だというのですから、申し訳ないというかありがたい話です。平日だったこともあり、入場者のほとんどは高齢者でした。


9月26日 野菜の種まき
 9月22日に遅れていたダイコンの種を播きました。何とか彼岸までにと思っていましたが、彼岸に入ってしまいました。今年の種は値段が高かったのですが、発芽率がとても良く、双葉がもやしの様にたくさん伸びています。今年はたくさん間引き菜が食べられそうです。
 そして今日は春菊とほうれん草の種を播きました。ほうれん草はソロモンほうれん草と書いてあり、緑色の大きな種でした。今日播いた種は値段が安く、種もたくさん入っていました。どの程度発芽するか楽しみです。


9月25日 映画「おとうと」鑑賞
 今日は西江井友愛クラブ(地元の老人クラブ)の例会でした。映画鑑賞をするので、午前11から開会、連絡事項や報告事項、親睦旅行の日程などを話し合った後、700円のにぎり寿司をみんなでおしゃべりをしながらいただきました。そして12時30分から、山田洋次監督「おとうと」を上映しました。会員の中には耳の聞こえにくい人もいるので、字幕が出るのを選びました。
 私は6月頃に映画館で見ていたので、2度目の鑑賞でしたが、やはり感動し、涙が止まりませんでした。家庭用の液晶プロジェクターにパソコン用のスピーカーをつないで、80インチのスクリーンに映しましたが、40人ほどで鑑賞するのには十分でした。会長がDVDを準備し、会計がスピーカーを持参し、副会長の私が液晶プロジェクターとスクリーンを持参して映写するという役割分担で、この様な役員がたまたまそろったので映画鑑賞会が出来る様になったのだと思います。


9月23日 第九休日練習
 今日は木曜日で第九合唱団の練習日ですが、、秋分の日で休日だったため、練習は13時30分からありました。昨日までとはうってかわってとても涼しくなり、長袖を着ていきました。会場では「やっと涼しくなったね」というあいさつがあちこちで聞こえていました。
 練習の後ビールなどを飲みながらの懇親会が練習会場で引き続きありました。今日はビールのつまみについつい豆類に手を伸ばし、食べ過ぎた様で、夕食後お腹を壊してしまいました。前回の様に良質のタンパク質であるスモークチーズあたりを持参すればよかったと思いました。人によってはいつも同じつまみを持参しています。私も次回からはスモークチーズに決めておこうと思いました。
 最後に阿波踊りを踊りましたが、酔っていたので少し踊ったら息が切れてしまいました。若いときは運動場1周踊り続けたことがありますが、やはり歳と運動不足を感じました。閉会時に「サリーマライズ」を全員手をつなぎ、輪になって歌いました。パートは男女バラバラになりますが、練習が始まって4ヶ月近くなると、きれいにハモっていました。この様にパートが入り乱れた位置で練習するのも良いなと思いました。


9月20日 イラガのさなぎ
 妻が入院したため、大輪の菊の苗が5号鉢のまま手をつけずにそのままになっていました。そして水だけやっていたので、すっかり大きくなっていました。今更3本立ちに出来ないので、切り花にすればよいとそのまま大きな菊鉢に移し替えました。ところがその菊鉢を取り出してみるとイラガのさなぎがびっしり。はぎ取ってみるとしっかり緑色の虫が入っていました。今年はイラガの成虫も時々見かけましたが、こんなところにさなぎがくっついているとは驚きました。イラガの幼虫はずいぶんたくさん殺しましたが、目の届かないところで繁殖していたのですね。


9月18日 久しぶりのドライブ
 妻が退院して以降、あまりの厳しい暑さのためほとんど外出していません。少し涼しくなったので、朝から車で出掛けました。といってもどこへ行くというわけではないので、県の北西部を目指しました。加古川から加西・福崎を通って山崎へ、先ず山崎の道の駅の前にある農協の直売所へ行きました。ここにはいろいろな新鮮な野菜が安く売っているのでついつい買い物をしてしまいます。そこでおこわ弁当を買って国道29号を北上、余位トンネルを抜けて木陰で弁当を食べました。再び29号線に戻って北上、一の宮の「ながさわ」でも買い物をし、さらに波賀まで北上、道の駅「波賀南」で原のリンゴを買って、そこから千種高原方面を目指しました。アワクランドまで行き、「旬の店」で二十世紀梨などを買いました。妻はずっと家にいたので、久しぶりに外出し、少しは買い物でスッキリしたのではないでしょうか。
 アワクランドを3時30分に出発しました。家まで3時間以上はかかるだろうと思っていましたが、渋滞もほとんどなく、姫路西バイパスから姫路・加古川バイパスを使って帰ったので、2時間半で帰り着きました。走行距離は250qほどでした。


9月17日 友愛クラブ例会の計画
 昨日のグラウンドゴルフ終了後、役員が集まって9月例会の相談をしました。会長の提案で、映画「おとうと」(山田洋次監督)の鑑賞会をすることになりました。映画は2時間20分かかり、その他親睦旅行などの協議事項があるので、普段の例会の様に2時間ではおさまりません。そこで700円のにぎり寿司を食べることにして午前中から実施することにしました。事前の出欠をとらねばならないので、帰って直ぐに案内状の文案を作成し、原稿を会長に届け、翌日には全会員に配布しました。吉永小百合と笑福亭鶴瓶をいうよく知られた出演者なので、出席者も多くなるのではと期待しています。


9月12日 たこフィル定期演奏会
 明石フィルハーモニー管弦楽団(通称「たこフィル」)の第8回定期演奏会がありました。一般市民から募集した楽団で、第1回の演奏会は素人の集まりだという印象は免れませんでした。しかし、今日のリムスキー・コルサコフ作曲 交響組曲「シェヘラザード」は本当に素晴らしい演奏でした。いつもは第1ステージの小品曲を松井隆司氏が指揮し、第二ステージの大曲を斉田好男氏が指揮されるのですが、今回は「シェヘラザード」を松井氏が指揮されました。美しいメロディーの流れと激しい楽曲がきちんと表現され、各パートのソロを担当した演奏家のすばらしさ、中でも今回のコンサートマスターを務められた稲庭達氏のバイオリンソロは本当に惹きつけられました。さすがプロの演奏家は聴かせるなと思いました。
 昨年の第九演奏会でオーケストラをたこフィルに演奏してもらいましたが、今日は全く素人の管弦楽団という感じはありませんでした。たこフィルの後援会に入会していて、毎年二回定期演奏会に招待してもらえるので、ますます楽しみです。


9月11日 講演会
 神戸大学を今春退官された中林教授の講演と、同じ道を歩んでこられ、やはり今春退職された校長先生のお話しとお祝い会があると聞いたので出掛けました。中林教授の講演の中で、インクルーシブ社会の構築が特に印象に残りました。これまでインクルージョンという言葉をよく聞いていました。これは障害者が一緒にいて当たり前の社会というように教えられていました。インクルーシブ社会は障害者を包み込む社会で、それなりの支援や配慮がなされることが前提になります。国連では満場一致で採択されたそうですが、日本はまだ批准していないとのことです。
 昭和50年代、統合教育といって、障害のある子どもたちも地域の子どもたちの中で一緒に育てることを目指し、障害児も通常で教育した時代がありました。しかし、その子どもたちへの配慮や手だてが十分講じられなかったため、いじめの対象になったり、犯罪の手先に使われたりしました。その結果、保護者達はやはり専門家に教育して欲しいと障害児学級や養護学校に転校させました。少子化で学校規模が小さくなったり、あるいは統廃合される中で、知的障害のある子どもたちの特別支援学校(以前は養護学校といっていた)だけは生徒数が増えることはあっても減ることはなく、学校の新設も見られます。
 今後インクルーシブ教育にも取り組まれると思いますが、障害児が通常の学級の中で十分な配慮を受けながら教育を受けるためには相当な予算措置がなされ、又全教員の障害児に対する理解と指導のための研修が大変です。インクルーシブ教育の時代が訪れても、特別支援学校や学級はおそらく現状とそれほど変わらないだろうと思われているようです。それに、退職校長先生のお話を聞いていても、取り組んでこられたことは10年前では考えられなかった思い切った手だてと新しい発想で学校経営されていたことを改めて知り、感動すら覚えました。
 インクルーシブ教育・社会においては寛容さと忍耐が必要だといわれていますが、競争社会の中で、一般の人々がどれほど寛容さと忍耐を身につけるかがキーポイントだと思われます。

 なお、開会に先立って先日現職で亡くなられた校長先生(9月3日に記載)の追悼と黙祷が行われました。業績を聞いていて、参加者みんなが本当に惜しい方を亡くしたことを残念に思っていました。

9月9日 菅笠効果?
 グラウンドゴルフの好成績が続いています。今朝もホールインワン2回、3ゲームトータル56で2位でした。それについて、みんなから帽子がいいからだと言われました。歩き遍路の経験から今年の夏は菅笠をかぶってプレーをしています。といってもお遍路の「同行二人」と書かれた菅笠をかぶるわけにはいきません。20年ほど前に中仙道の奈良井宿へ行ったときのお土産です。ずっと壁に掛けられていたインテリアでしたが、飴色になり、埃をかぶっていたのを捨てるのはもったいないと庭の作業時にかぶっていたものです。内側の頭に当たる部分を包帯で巻き、かぶりやすくしています。風が吹くと飛んでしまいますが、紐でくくると大げさになるので、手で支えながらプレーをしています。このまま暑さが続くと、グループ内で菅笠が流行るかもしれません。


9月8日 歴史講座
 姫路の県立歴史博物館で実施されている歴史講座に3ヶ月ぶりで出席しました。7月は妻の入院で欠席、8月は夏休みだったからです。その間事務局から度々資料の送付などお手紙をいただき、お手数をかけてしまいました。今回は菅原道真に関する講義でした。「通りゃんせ」のわらべうたに始まるお話しはとても楽しく聞くことができました。来月は曽根天満宮で実地研修があります。
 歴史教室に先立って魚住の西部市民会館内の図書館で読書を楽しみました。涼しいところで12時までゆっくり楽しみました。また帰りにはヤマトヤシキ内の中井三成堂画廊に寄り、講座で案内を受けた「2010 兵庫県文化賞受賞者小品展」を鑑賞しました。日本画家・西田眞人の「卯」がとても気に入りました。入札出来るそうですが、そこまでの趣味はありません。


9月7日 いなみ野学園同窓会
 平成15年3月、いなみ野学園地域活動指導者養成講座福祉系を卒業された方々の同窓会が加古川プラザホテルで開かれ、私も出席させて頂きました。卒業されて7年が経ちますが、全く空白もなく、卒業当時のままいろいろな活動を積極的にされていて、とても刺激を受けました。男性の中に私も含め配偶者が入院や手術をした経験から、家事一切をすることがとても大変だという話題で盛り上がりました。女性が一人になってもかえって元気になりますが、男性が一人になると3年以内に亡くなる人が多いといわれるのが納得出来ます。
 一人で飲むのではなく、楽しい話をしながら飲むのでつい度を過ごしたようで、帰りのバスの中でも眠ってしまい、うっかり乗り過ごすところでした。家に帰り着いたとき、丁度親戚の人が訪ねてこられたところで、一緒に話が出来てよかったと思いました。


9月6日 高年クラブの夏休み終了
 今日からグラウンドゴルフが始まりました。グラウンドはからから状態で、砂埃が立つほどでした。それでも台風の影響か多少風があり、汗びっしょりになりながらも、無事最後までプレイすることが出来ました。ホールインワンを2回も出すなど、初日にしては素晴らしい第一歩で、ホールインワン3回の人には負けましたが、3ラウンドトータル55で17人中2位でした。
 プレイの後は憩いの家でミーティングをしました。10月6日の明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会のメンバー表をもらいました。メンバーの最年少が昭和12年生まれ、その同年齢が12人中7人ということで、若手?が大いに活躍します。
 午後からは女性のカラオケグループの例会があり、「海の女房」と「伊豆なさけ」を練習しました。「海の女房」は昨日の朝食時に何度か聞いて歌ってみたので、昨夜の男性カラオケの例会で歌ってみたのですが、さっぱり歌えませんでした。今日はじっくり練習したので、多少はまともに歌うことが出来ました。しかし「伊豆なさけ」は出だしの一節がどうしてもメロディーもリズムもつかめず、いい加減な歌になってしまいました。
 台風の接近で風は多少ありますがいっこうに雨の気配がありません。庭木のためにも一度雨が降って欲しいなと思います。


9月5日 ホームページを明石ケーブルテレビzaqプロバイダーに移設
 先日メールやインターネットのセッティングを自分でしましたが、ホームページの移設は難しくて出来ませんでした。そこで息子の来てもらってやってもらいました。私自身は地域のホームページつくりに出掛けてしまいましたので、留守中にきちんと済ませ、古いアドレスのホームページの表紙には新しいアドレスを利用してもらえるように案内までしてくれていました。有り難いことだと感謝しています。これで新しいアドレス入りの名刺をつくることができます。
 一方、地域のホームページづくりでは高年クラブに関するページの原案を作っていきましたが、幅を800ピクセルに設定してつくったにもかかわらず、文字を打ち込んでいる間に広がってしまっていました。しかも罫線にくっついた文字は見栄えが悪く読みにくいということなので、このあたりもいろいろと試してみたいと思います。
 夜は男性のカラオケグループの例会がありました。話題はもっぱら民主党の総裁選のことで、14日が楽しみだと外野席で勝手なおしゃべりをしました。


9月3日 悲しい知らせ
 私より10歳以上年下の現職の方の訃報が入りました。県下でこの仕事において現職の中ではこの人以上の人はいないだろうと思われ、リーダーとして活躍を期待していた人でした。先日この仕事について現職のリーダーを招待しようという話し合いがありました。ところが彼の名前が出ないことに私は不満を感じていたのです。少し前から肝臓を患っていられたようで、その会議の翌日になくなられていたそうです。本当に残念に思います。心からご冥福をお祈りいたします。
 彼は私のホームページを読んでくださっていて、退職後の生き方の参考になると言ってくださったことがあります。しかし退職までに亡くなってしまいました。奥様もよく知っているので、早速お悔やみのお手紙をさし上げました。


9月1日 始業式
 朝からバベ(ウバメガシ)の庭木を2本切り倒しました。今春買った枝切り鋸もずいぶん切れ味が悪くなってきました。庭木のうちあまり見栄えのしない植木を順に切り倒しています。切り倒した木を家で燃やすわけにいかないので、燃えるゴミとして出すことが出来るように上から30センチくらいの長さに切っていきます。最初に根元から切り倒すと、それを切り刻むのに倍の労力がいるからです。
 木を切っていると、ブロック塀の外で「おはようございます」というかわいい声が聞こえ、2学期が始まったことに気がつきました。下校時刻予定の11時50分に間に合うよう、服を着替え、「横断中」の黄色い旗を持って家の前の信号に立ちました。外はかんかん照りで、陰もなく一挙に汗が噴き出しました。しかし学年毎の一斉下校のためになかなか子どもたちの姿が見えません。10分ほど車や自転車の交通整理をしていました。
 そうしていると先生に引率された子どもたちが帰ってきました。信号待ちをしている子どもたちに2学期が始まって嬉しいか尋ねてみましたが、暑さと生活リズムが整っていないためか、芳しい返事はあまり返ってきませんでした。
 午後3時頃から、明日のグループいきいきネットの写経の準備のためにコンビニとイトーヨーカドーへ行きました。とても暑かったので、スーパーにいると涼しくてほっと一息つきました。


8月30日 暑い!暑い!
 県福祉センターで会議があり、久しぶりに一人で神戸へ行きました。灘駅から10分ほど坂道を登りますが、会場に着くと流れるような汗です。これは予想していたことなので、ハンカチとは別にタオルハンカチを持って行き、それで汗をふいてから会議室に入りました。顔を合わせる人みんなが「死にそうなほど暑い」の連発でした。今年の暑さは本当に応えます。朝起きて朝食までの2時間が仕事の時間で、汗を流して朝食を摂ると後は一切仕事が出来ません。この様な夏の過ごし方は今年が初めてです。
 帰りは大久保までJRに乗りましたが、駅に着くとたこバスが出た後で、1時間近くの待ち時間でした。幸い太陽が雲に隠れていたので、30分あまりの道のりを歩くことにしました。ところがあぜ道にさしかかると太陽が照りつけてきました。照りつけられながら帰宅し、風呂の残り湯を庭に運び、やさいや草花の水やり用のペールにためておきました。その後風呂洗いをしていると、ぽたぽたと汗がしたたります。洗い終えたところでシャワーを浴びて一息つきました。
 そんなことだから休肝日にしようと思っていたのに、夕食にビールを空けてしまいました。冷蔵庫にビールがあると飲んでしまうので、今日でビールがなくなったのを幸いに、当分買わないようにしたいと思います。


8月27日 インターネット接続プロバイダー変更の工事
 午前中に明石ケーブルテレビの契約業者が工事に来ました。1時間ほどの工事でしたが、少し配線を巡らしただけで、簡単に終わりました。パソコンの設定は別の業者に改めて依頼しなければならないので、書類に添付されているCDROMを使って自分で設定してみました。何度かやり直しましたが、何とかインターネットとメールの接続が出来ました。もう1台のパソコンを使ってメールの送受信をテストしてみましたが、うまくできました。今回はZAQのスタンダードで5MBですが、これまでのDIONADSL10MBとほとんど変わらない感じで、どうかすると早く感じることもあります。使用に遜色ないので安心しました。メールのアドレスは自分で選べるので、とても簡単でわかりやすいものになりました。
 ホームページの設定はまだ出来ていません。その内にこちらも試みてみて、うまく設定出来れば、これまで使っていたDIONの契約を9月いっぱいで打ち切りたいと思っています。そして、メール仲間にアドレス変更を通知したいと思います。


8月24日 女性カラオケグループ「さざなみ会」例会
 私が機械操作のボランティアをしているさざなみ会の例会がありました。気温が30度を大きく上回っていたらしく、エアコンが2機つけられ、設定温度も低くしてありましたが、それでも暑く感じました。
 最初は瀬川瑛子の「口紅水仙」を練習しました。家で少し練習していたので、2回ほど練習すると歌えるようになりました。出だしがとても低く、声が出ないので、私が歌うときには3ポイントほどキーを上げて歌いました。私が機械を操作するので、このあたりは自由に出来ます。
 2曲目は谷本知美の「しぐれ橋」の練習をしました。この歌も練習をしておいたので、直ぐに歌えるようになりましたが、鼻濁音がなかなかうまく歌えませんでした。
 次回のために新たに2曲新曲の歌詞をもらいました。9月6日までに練習をしておかねばなりません。幸いカラオケの機械を買っているので、練習の環境は整っています。妻は別のグループ「なぎさ会」に所属していますが、今回は共通の歌が含まれているので、一緒に練習出来そうです。


8月22日 第九合唱団日曜練習及びビールパーティ
 午後から第九合唱団の日曜練習がありました。合唱団のメンバーは185人もいるようですが、練習に参加したのは7〜80人でしたが、細かなところまで指導して頂き、参加者は効果を上げていました。
 練習後に開かれた親睦会・ビールパーティに参加したメンバーは50人あまりでした。今年新たに入団した人たちの自己紹介がありましたが、皆さんとても期待しておられるようで、10年目を迎えた私など、しっかり頑張らねばと思いました。とてもアットホームな雰囲気で終始楽しむことが出来ました。


8月21日 プロバイダー変更
 明石ケーブルテレビのなじみのセールスがやってきました。彼の熱意に負け、インターネットのプロバイダーを彼のいうとおりにすることにしました。といっても工事は8月末になりますが、その内にこのホームページもアドレスが変わります。見てくださっている皆さんにもご迷惑をおかけしますが、その節はよろしくお願いいたします。メールのアドレスがわかっている人には、メールのアドレス変更と一緒に後日お知らせするつもりです。


8月15日 お盆の行事も無事終了
 今年は妻が外回りの活躍が出来ないので、息子夫婦にずいぶん助けてもらいました。7日盆は息子達に墓参りや卒塔婆の依頼をたのみました。12日の檀家寺住職がお参りをしてくれる日も、放送大学の用務があったので、息子夫婦に来てもらってお世話をしてもらいました。
 13日は早朝に墓参りを済ませて、前日同様放送大学の用務をしました。帰宅後お墓へ迎え火に行きました。持ち帰ったろうそくの火で般若心経を唱えておきました。14日は放送大学の講座を聴いて感想文をホームページに掲載した後、チョットさぼって一日庭の手入れや昼寝をしたりしてのんびり過ごしました。
 15日は昨日さぼったので又早朝から墓参りをしました。昼間の暑い間はパソコンなどをしていました。夕方になって御詠歌を唱えた後、精霊流しに行きました。まだ日の照っている時間帯で、まるでゴミ収集のようで、全く情緒がありません。やはり暗くなってろうそくが灯され、お経が流れるような精霊流しがなつかしく思い出されます。
 日が暮れる頃、再び行灯を持ってお墓参りに行きました。仏壇に飾られていたものも妻の手によってきれいに片付けられ、1週間にわたって行われたお盆の行事も無事終えることが出来ました。来週は火曜日の川柳教室に続いて再び放送大学の用務が10日間続きます。今度は家で仕事が出来るので、涼しい時間帯に集中してやりたいと思っています。


8月12〜13日 高齢者放送大学閲読
 7月31日に放送された学生参加番組「思い出のメロディー」についての生涯聴講生の感想文を全部読ませて頂きました。いろいろと楽しい感想文に出会い、夢中で読ませてもらいました。そのうちで3通のはがきを学生さんに出しました。1通はもしや幼なじみではと思う人へ、2通はお節介な手紙です。このことについては次回のテキストに詳しく書こうかなと思っています。
 それにしても、皆さんはずいぶんバラエティーに富んだ思い出のメロディーをおもちだし、その表現もうまいなと感心しました。私は作文がへたなので、もっと見習わなければと痛感した2日間でした。家では暑い部屋で扇風機にあたりながら昼寝をする今夏なので、このところの昼寝の習慣が気になっていましたが、冷房の効いた部屋で皆さんの力作をたくさん富むことが出来、充実した日々を過ごさせて頂きました。
 13日は早朝と夕方に墓参りをし、夜は親戚の家2軒の仏壇にお参りしました。私たちの先祖に感謝するためで、いつもはお線香を供えるだけですが、今日は初めて般若心経を唱えてきました。5年間の歩き遍路のお陰で、やっと般若心経を空で間違えずに、照れることなく唱えることが出来るようになりました。


8月11日 台風接近
 午後からだんだん風が強くなってきました。夜に入って庭の発泡スチロールの箱の転がる音が聞こえます。我が家は海に近いので、強い南風が吹くと潮風になり、庭の植物に被害があります。今年はトマト、キュウリ、ゴーヤが順調に生育し、今収穫の真っ最中です。ところが毎年台風が襲うと葉が塩もみになって枯れてしまい、収穫できなくなります。何とか雨も一緒に降って塩分を洗い流して欲しいと思うのですが、今回はどうなることやら、自然の猛威には太刀打ちできません。今のところはひどい潮風が吹いていますが、今夜から明日の午前中にかけて雨の予報なので、後は祈るだけです。
 明日から2日間、高齢者放送大学の閲読で、生涯聴講生が提出された感想文のはがきを読ませて頂くことになっています。最近は早朝に起きて庭の草ひきなどをし、昼寝が習慣になっています。明日はゆっくり起きて、昼寝をしないよう頑張らなければと思っています。


8月8日 くわばら、くわばら
 高齢者大学に勤めていた頃、湯郷温泉の旅館が送迎付きで低料金を売り物にして宣伝によく来ていました。その手帳が出てきたので、私たちの老人クラブの親睦旅行によいのではないかと思い、インターネットで調べてみました。その旅館のホームページは直ぐに見つかりました。その中に、「新しくドメインを取得しました。詳しくはこちらをご覧ください」と書かれていたので、ついクリックをしました。現れたのは英文のきらきら光る画面です。これはウィルスではないかとあわてて消去しましたが、既に次の英文の画面が、その画面を消去するとさらに次の英文の画面が現れました。その画面も消去するとやっと消えてなくなりました。直ぐにウィルスバスターの画面を立ち上げ検索しました。検索の結果、案の定「ウィルスを3個処理しました」と提示されました。危険度は中程度でした。いかたこウィルスでなくてホッとしました。
 最近FAX付きの電話機の調子が悪いので、夕方からミドリ電化へ買いに行きました。インターネットほど安くはなっていませんでしたが、5年間保障なので、大放出の機種「パナソニック KX−PW520DL」を選びました。決め手はFAXがSDカードに保存できるので、用紙に印刷することなくパソコンで内容を見ることができるからです。もちろん通話音声も録音できるので、聞き損なっても確認が出来ます。最後に800円値引きしてもらって買ってきました。ところで古いFAX付き電話機を処分しようと思ったのですが、3〜4件入っている電話番号のデータをどの様にして消すのかわからないので、後日息子に尋ねてから処分しようと思っています。


8月6日 少し夏ばて?
 連日の暑さに少々へばっています。昼間でも眠くなり、意欲を失うのは夏ばての症状だそうです。8月にはいって老人クラブの活動もカラオケを除いて休止状態なので、日々のリズムが曖昧になり、元気に動くのは午前中だけです。
 そんな今日ですが、10時に従兄と甥が妻の見舞いに来てくれました。今年初めてエアコンをつけて、涼しい部屋で1時間あまりおしゃべりをしました。やはりエアコンは快適な暮らしになりますが、環境に優しい日々を送るために、エアコンは直ぐに切り、扇風機の生活に戻りました。エアコンといえば自家用車(軽)を運転するときも、どんなに暑くても窓を開け走っています。ガソリンで空気を汚している上にエアコンで外気を温めるようなことはしたくないのです。エアコンを使っている車の横を通ると、強い熱気を感じるからです。
 江井ヶ島校区のホームページ作成について、新たに二つの高年クラブの資料が届きました。自分のパソコンでサイトを作り、入力に取りかかっていますが、暑さにかまけて作業がなかなか進みません。何とかお盆までに形にしたいと思っています。このサイトを校区のホームページサイトにドッキングさせ、他のページとの体裁を整えれば完成するのですが、さてうまくいくのか自信はありません。
 妻は着々と行動範囲を拡げ、今日は洗濯をしました。重い物はまだ持てないので、水道水に頼った洗濯ですが、妻の入院以来洗濯をしてきた私にとっては有り難いことです。


8月1日 よく動いています
 昨日退院してきたばかりだというのに、夜明けから起き出して、庭に出て行ったと思ったら、ナンキンのつるやその隣の青じそがすっかり刈り取られていました。そして、私が起き出して梯子に登って生垣の剪定をしている間にもう汗を流していました。生垣の剪定は道路に脚立を立てるので、日曜日しかできないので、妻のことは放っておいて最後までしてしまいました。朝食後も剪定したウバメガシの枝の整理をしました。おもいきり汗をかきました。
 1時間ほど休憩をし、昼食を済ませて明石・高家寺へ写経に行きました。名誉住職の小学校2年生のお孫さんも今回初めて写経に加わりました。下書きがあるとはいえ、難しい漢字を最後まできちんと書き上げていたのには感心しました。
 写経を済ませて帰宅した後は、自治会館へ男性カラオケグループの例会に行きました。全く練習をしていなかったので、よく知っている昔の歌ばかりうたいました。第九合唱の練習が始まっているので、高い声が少しは気持ちよく出る様になっていました。しかし低い音はさっぱり声が出ません。女性の歌は低い音ばかりなので、キーを思い切り上げて歌いました。9時過ぎまで4曲ずつ歌いました。
 妻は昨日はシャワーで済ませていましたが、今夜は風呂を沸かすと一人で湯舟に浸かっていました。一昨日まで一日ベッドに横になっていたのが信じられないほど元気になりました。病気ではなく、整形外科の手術だけだったので、体が弱っているというのでないことを改めて感じました


7月31日 やっと退院
 朝目が覚めたのは5時50分。雨戸を開け、家に風を通しました。昨日の洗濯したものや、一昨日娘が洗濯してくれていたものを、昨日は一日留守にしていたので納屋に干していました。それらを日があたるよう外の物干しにかけました。そうこうしていると高齢者放送大学の始まる時間になりました。ノートの準備をして集中して聴きました。今回は音楽なのでインターネットでの配信がない上に、この番組についての感想文を事務局で閲読をすることになっているからです。一生懸命曲目とリクエストをした人の地域と名前、はがきの内容をメモしましたが、ついつい自分の思い出が浮かび、聞き漏らす場面がありました。一応録音をしてあるので、閲読の前にもう一度聞き直したいと思っています。放送直後に各曲について思い浮かんだ感想を急いでホームページに入力しました。
 妻が帰ってくるまでにふとんを干し、掃除をしていると、息子夫婦が来てくれました。仏壇の花の水を替えてもらい、洗濯物の取り込みを依頼しておいて、妻を迎えに行きました。妻は荷物を整理していつでも帰れるように用意をしていました。最後に看護婦さんに腕に付けていた患者識別の名札を取り除いてもらって、退院許可をもらい、同室の人々にお祝いの言葉をかけてもらいながら病室を後にしました。今日の看護婦さんはエレベーターまで見送りに来て下さいました。医師も看護婦も本当に行き届いた病院でした。
 家に帰ると、娘夫婦がお祝いのちらし寿司を作ってくれていました。私は急いで持ち帰った荷物の中から洗濯物を取りだし、自分が昨日身につけていた洗濯物と一緒に洗濯をしました。我が家は洗濯機の置き場の関係で3sの2槽式洗濯機を使っており、シーツやタオルケットがあったので、3回に分けて洗濯をしました。途中でお昼になり、ちらし寿司で退院のお祝いをしました。思わず食べ過ぎるほどたくさん食べました。好物の作りたては最高の味でした。妻もずいぶん食が進んだようです。食後、洗濯の続きをして干し、風呂の残り湯を花の水のストックのためにペールに運んでおきました。その後風呂桶を洗い一休みとばかりに昼寝をしました。寝転んでいると、妻が病院のリハビリを教えてくれました。棒の真ん中に1〜2sのおもりを着け、仰向けに寝転んで肩幅に棒を持ち、胸の上を上げ下げしたり、太ももの位置から持ち上げて頭上まで持って行ってバンザイの姿勢にするのです。グラウンドゴルフのクラブの真ん中に1sの氷砂糖の袋をくくりつけ、私もやってみましたが、背中が曲がっているためか、バンザイの姿勢をすると猛烈に肩に痛みを感じました。私も同じような運動を続けてやってみようと思いました。
 夕方に野菜や花の水やりを済ませ、風呂を沸かして汗を流しました。その時に妻が頭を洗う手伝いをしました。といっても頭にシャワーの湯をかけただけですが、本人はまだ風呂に入るのに抵抗があるようで、シャワーだけで済ませました。ぼちぼち慣れていくことでしょう。私はゆっくり湯に浸かってスッキリしました。
 夜は久しぶりに、二人で食事をしました。娘が作ってくれた餃子や、カボチャの煮付けと、オリーブ油を使ったサラダやオカヒジキ、山形漬けなど、初めてのものを珍しがって食べていました。
 食後の片づけを済ませると、洗濯物をたたんだりしてゆっくり過ごしました。


7月30日 慌ただしく本日も終了
 今日は6時起床でした。ゴミ収集の日なのですが、昨日は第九の練習だったので剪定した垣根の枝がそのままで残っており、短く切ってゴミ袋に入れて集積所に出しておきました。続いて洗濯をしました。しかし、昨日のような雨が降ってはいけないので、納屋の中に干しておきました。
 とろけるチーズを食パンに載せて焼き、ミルクカフェと昨日作ってくれていたサラダなど、充実した朝食でした。朝食を済ませて急いでグラウンドに駆けつけました。今日も暑い日照りでしたが、グラウンドコンディションは昨日の雨で絶好でした。ホールインワンもあって3ラウンド50台で回ることが出来ました。
 プレイが終わって早々に引き揚げ、先ず風呂に飛び込んで汗を流し、服を着替えて、大阪泉北で行われる葬儀に参列しました。前日に調べておいた時刻で余裕を持って行けるよう1台早めの電車に乗りました。これが大正解でした。私の乗った新快速に続いてくる予定だった普通電車が、加古川市内で人身事故を起こし、土山・姫時間が不通になってしまいました。次の電車にしていたら葬儀に間に合わないところでした。
 帰りは時間を急がないので泉北急行で新今宮まで戻り、環状線で大阪へ、大阪から阪神で三ノ宮へ、三ノ宮から再びJRで大久保まで戻り、たこバスで帰りました。時間は1.5倍かかりましたが、交通費は2割ほど安くなりました。値段のことは考えず、いろんな体験をしようと思ったのですが、研究すればいろいろ安い方法があるのですね。
 5時半に帰宅したのでイチゴミルクで喉を潤し、妻のところへ行くと、丁度食事が始まったばかりでした。最後の日が肉料理でなかったので、本人は大喜び、たくさん食べていました。食後病院内を二人で散歩しました。妻が何の支えもなく病院を歩く姿を始めて見ました。もうこれで安心です。明日10〜11時に退院します。今夜で一人でする食事も終わりです。明日帰ってくれば、食べたいと言っていた息子の嫁さんの作ったお好み焼き、娘が作った餃子、そして冷たい素麺をご馳走しなければと思っています。
 そして今夜中に公開限定の部分を削除しておきます。


7月29日 アイタタタッ!
 今夜は第九合唱団の練習でした。遅れて行ったので、後ろの方で歌いました。いつもは前から3番目あたりで歌っているので後ろから沢山の人の声が聞こえますが、今日は後ろから聞こえてこないので、自分の声がよく聞こえました。
 練習を終えて車で帰り、ガレージの鍵を閉めようとして小指にピリッと痛みが走りました。何だろうと車のスモールランプにすかしてみると、なんとイラガが小指にくっついていました。急いで振り払いましたが、どんどん痛みが増していきます。急いで荷物を持ち、車をロックして家に飛び込みました。ムヒを塗ってもなかなか痛みは消えません。ガレージのチェーンキーを置いていたところのそばにサザンカの木があり、昨日イラガを見つけ退治をしました。しかし生き残りがいて仇を討たれたようです。振り払った恨みのイラガを懐中電灯で探しましたが、見つかりませんでした。明日は毛虫退治の農薬をまいてやろうと思っています。
 27日にやって来た娘は家をきれいに掃除をし、たくさん洗濯をし、私の何食分かの副食を作って3時過ぎに帰っていきました。3日間据え膳で楽をさせてもらいました。息子夫婦と娘にすっかり世話になりました。有り難いことです。あと一日、もう大丈夫です。


7月27日 退院日決定
 31日の土曜日に退院することになりました。お互いに3週間よく頑張ったと思います。まだベッドに寝ている時間が長いので、家でもその準備をした方が良いだろうと娘と話しました。あっ!そうです。娘が西明石17時28分着の新幹線で帰ってきました。西明石駅で車を止めるところがなく、自家用車の乗り降りをするところは交通指導員が見張っていて車を離れるわけにいきません。仕方なく少し離れたところに止まっている車の後ろに止めて呼びにいきました。それを見て交通指導員が車の方へ来ました。幸い娘が私を見つけてやってきてくれたので、交通指導員と一緒に車へ戻ったことになります。特に私を咎めることはありませんでしたが、前に駐車していた車に指導員が乗り込み、書類を書いているようでした。
 その足で病院へ行きました。妻は開口一番、退院が土曜日に決まったと嬉しそうに話しました。しばらく話していると食事が来ました。かき揚げの天ぷらでしたが固そうでした。ふりかけがあればご飯が食べよいだろうと言っていたので、小袋に入ったふりかけを買ってきてふりかけるといつもよりたくさん食べたようでした。食事を見届けた後、娘と少し買い物をして帰りました。昨年のお正月以来だったので二人でたくさん話をしました。
 今朝は5時半に起き、トマトを収穫した後、上を見るとトマトがジャングルのように茂っていました。よく考えたら、妻が入院して以来、また芽をつみ取っていなかったので伸び放題になっていたのです。上の要らない茎を切りゴミ袋に入れておきました。その後キュウリなどを確認し、そばに植えてあるキキョウなどの枯れた花を取り除いていると、玄関の前に草が生えているのを見つけ、草ひきの取りかかってしまいました。7時半になってそろそろおこうと思ったとき、水やりを忘れているのに気がつきました。真夏は6時半までに水やりを済ませておかねばならないのですが、かといってやらないわけにいかず、8時までに水やりを済ませました。今日の花や野菜は、太陽に照りつけられて温泉に浸かっている気分だったことでしょう。枯れる草花が出てくるかもしれません。
 娘用の掛け布団やシーツを干し、妻のパジャマなどを洗濯した後、JAバンク、信用金庫、郵便局と金融機関の用事を済ませ、家に帰ってドリンクを飲んで新聞を読みながら一服しました。
 午後は家中に掃除機をかけました。妻が入院して以来、掃除機は使ってる部屋だけしかかけていなかったので、途中で2度も赤ランプがつきました。よほどゴミがたまっていたのでしょう。掃除機のゴミを捨てに行ったついでに家の横の道路を掃き、風呂の残り湯を明日の水やり用に運び、風呂桶を洗いました。洗濯物を取り込み、アイスキャンディを食べて昼寝をしました。タイマーをかけていたので、17時に妻のところへ持って行く洗濯物など荷物をまとめて娘を迎えに行きました。

7月26日 今週中に退院が出来そうです
 今日も朝5時30分におきました。茄子2個と赤いミニトマト1個を収穫しました。赤いミニトマトは多たくさんの実に耐えかねて早くから折れてしまったので、今日は最後の収穫でした。その後はいつものように水やりを済ませ、7時20分まで他に目を向けずひたすら草ひきをしました。その後卵豆腐、みそ汁、梅干し、青汁入りの牛乳などで朝食を済ませ、グラウンドゴルフに出掛けました。日照りが厳しいので中仙道の奈良井宿で20年ほど前に買った菅笠をかぶっていきました。頭の中を風が通るので、麦わら帽より数倍涼しく感じます。しかし、グラウンドが乾ききっていて、小石が浮いているため球がどちらに転ぶかわからず、みんな苦戦していました。私も2試合続けてホールインワンがなく、いずれも3ラウンドトータル65でした。
 家に帰ると汗ぐっしょりで、昨日着替えた物と一緒に洗濯をし、風呂で汗を流しました。明日娘が栃木県から帰って来るというので、敷き布団を探して日に干しておきました。そうこうしていると眠くなり、1回目の昼寝をしました。
 30分ほど眠って目を覚ますと12時でした。昼食は息子たちが買ってくれていたパンとミルクカフェ、パンプキンスープに青汁をかけたヨーグルトを食べました。ゲゲゲの女房を見たあと、パソコンに向かいましたがまたまた睡魔に襲われ、仕方なくまた横になりました。1時間足らずで目を覚ましましたが、一瞬、今何時だろう、ご飯食べたかななどと考えました。昼ご飯を食べたあと直ぐに眠ったことを思い出し、ぼけるとは食事をしたことを忘れることだという話を思い出し、私もボケ始めたことを恐ろしく思いました。
 頭がスッキリしたので、仕事に集中しました。2時過ぎから4時30分まで、扇風機ひとつで暑さも忘れてしっかり集中することが出来ました。終わったらすっかり汗をかいていました。その後は洗濯物とふとんを取り込み、妻のところへ出掛ける準備をしました。帰りに買い物をするので、お金やポイントカードを準備しました。出掛ける前に家で収穫した大きなキュウリを刻み、ポリ袋に入れてらっきょの漬け酢で揉んで冷蔵庫にしまっておきました。
 病院へ着くと妻が一番に今週中に退院できると嬉しそうに言いました。帰ってきたら出掛けていく必要がなく有り難いですが、まだまだ一人で出来ることは制限されているので、たくさん介護することがあると思います。50年近く私の世話をしてきてくれたのですから、ここは恩返しのしどころだと思っています。ただ病院に入院するときはまだ梅雨が明けていなかったので、冷房の効いていた病院と違って酷暑の中、本人も慣れるまで大変だろうと思います。
 病院で今日はウナギを食べるように言われ、Aコープに寄りましたが、安いウナギで750円、タレと合わせると900円近くなります。ところがうな重が598円で売っていました。これならウナギもタレも山椒も入っていて割安なので、「3時謹製うな重」と書かれた弁当と冷や奴を買って帰りました。南蛮漬け、松茸のお吸い物と合わせて豪華な夕食を食べました。キュウリは美味しくなっていました。
 今夜も早めに眠り、明日もしっかり作業や仕事をしたいと思います。


7月25日 暑い中での仕事
 今朝は5時前に目が醒めましたが、ウトウトしていたら5時半になりました。起き出して野菜や花に水をやり、庭の草ひきに集中していたら、背中に当たる日光が暑く感じだしたのでトマトを収穫して家に入りました。7時30分でした。昨夜作ってくれたみそ汁とゴーヤのおひたしで朝食を摂りました。朝食でみそ汁を飲むのは妻が入院して初めてです。
 食後直ぐに昨日病院から持ち帰ったパジャマなどと一緒に自分のパジャマなども洗濯しました。洗濯した日は暑くても晴れ渡っているので助かります。洗濯がすんだ後、昨日高齢者放送大学事務局から届いた感想文2通の返信の原案を作りました。しかし途中でたまらなく眠くなり、しばらくふとんの上に寝転がっていました。いろいろ原案を考えていると眠さも消えたので、再びパソコンの前に座って続きをしました。出来上がったら12時でした。ニュースを聞きながら昼食の準備をしました。昨日持ってきてくれた菓子パンとミルクカフェ、パンプキンスープ、トマトなどです。のんびりのど自慢を見ながら1時まで食べていました。
 食後はひたすら仕事に打ち込もうと、水曜日から今日の午前中までにパソコンに打ち込んだ返信の原案を推敲しました。少しずつ訂正しては声に出して読み上げ、また訂正するという手順です。一通り推敲すると4時過ぎになっていました。それから洗濯物を取り入れ、たたんで、妻のところへ持って行く準備をしました。メールボックスを見ると娘が栃木県から妻を見舞いに火曜日に帰ってくるとメールが入っていました。妻を喜ばせてやろうとそのメールをプリントアウトして荷物に加えました。
 妻の病室で話していると、同室の方が小豆島の出身だと判り、しばらく小豆島のいろいろなところや歩き遍路の話に花が咲きました。その内に妻の食事が運ばれてきました。おかずを見るとオムレツと肉じゃがでした。肉が食べられない妻にはかわいそうなメニューです。朝取りの黄色いミニトマトを5個おいてきてやりました。
 私の夕食は、昨日持ってきてもらったアジの南蛮漬けと筑前煮です。久しぶりなのでとても美味しくいただきました。昨日のお好み焼きも食べました。お腹いっぱい食べた割には風呂上がりに体重を量ってもふえていません。朝早くから作業をしているからかもしれません。いつも12時を過ぎてしまいますが、今夜は10時半に就寝します。


7月24日 一日息抜きをしました
 今日は息子夫婦が来てくれて、おかずを持ってきてくれたり、ご馳走を作ってくれたりしました。一人だとテレビに話しかけることぐらいなので、話し相手をしっかりしてくれてスッキリしました。
 今朝は5時に起き、庭のトマトやゴーヤを収穫し、野菜や花に水やりをしました。その後高齢者放送大学の講座が始まるまで庭の草ひきをしました。6時20分にセットしていたアラームを聞き家に入って講座を聴く準備をしました。講座を聴いた後感想文をぶっつけでホームページに掲載し、仏壇に炊きたてのご飯と水を供え、花の水を替えて般若心経を唱えました。
 ゲゲゲの女房を見ながら朝食を摂り、家中に風を通した後、机の上を片付けて生活している部屋だけ掃除機をかけました。そして新聞を読んでいると11時を過ぎてしまいました。それからパソコンに向かったのですが、睡魔に襲われ、畳の上にころぶと直ぐに眠ってしまいました。12時過ぎに息子達がやってきて声をかけられびっくりして目を覚ましました。泥棒が入っていても気づかなかったと思います。
 昼食にはパンを買ってきてくれたので、私が一昨日作って冷やしておいたパンプキンスープをご馳走しました。病院でつくり方を聞き、家で穫れたカボチャ1個全てで作り、大成功でした。食後ずいぶん長くおしゃべりしていました。3時になってみんなで妻のところへ行きました。体をふいてもらったばかりだったので、背中に湿布薬を貼ってやりました。本人は歩行器を使って自分でトイレに行けるようになったと得意そうにして見せていました。トイレに行きたくなったとき看護婦さんを呼ばなくてよくなったことが一番嬉しいと言っていました。水曜日に抜糸をし、金曜日には手術跡に貼っていた絆創膏もはずしてもらっていました。しかし本人には見えず、見たいというので持って行っていたデジタルカメラで写し、見せてやりました。手術の傷口はすっかりきれいになっていましたが、手術をするときに首の後ろの筋肉を切り裂いてひろげて骨を削ったりひろげたりしているのでその筋肉が痛いのだそうです。今日と明日は医師がお休みなので、特別メニューはないようです。帰ってお好み焼きをたくさん焼いてもらって食べました。ゴーヤも収穫しただけでしたが、おひたしにしてくれました。これらをいくつか冷蔵庫に入れてくれているので、持ってきてもらったおかずと一緒にすると、当分料理の手間が省けます。
 夜はゆっくりオールスター戦を観戦しました。T−岡田が打たなかったことが残念でした。
 昨日高齢者放送大学の往復課題の感想文全員の返信の原稿を作り明日から推敲を始めようと思っていたら、遅れて提出した人の分2枚が追加として郵便で届きました。今日はゆっくり休み、明日洗濯をすませた後、料理をしなくてよいので、他のことを考えずに集中して仕事をしようと思っています。


7月19日 朝早くから頑張りました
 今朝はグラウンドゴルフの準備当番でした。朝5時半に起き、身だしなみをして、昨夕出来なかった庭の野菜や花の水やりなどをしました。それから粕汁を温め、牛乳や冷蔵庫に小分けして保存しているご飯をチンしたりして朝食を済ませました。7時前にグラウンドへ行き、仲間とグラウンド整備や競技の準備をしました。グラウンドに草が芽を出していてスタートやゴールポストの場所を示す目印が判りづらく、探すのにすっかり時間がかかってしまいました。だからローラーはコース上だけにかけたら時間が来てしまいました。
 3ラウンドのプレイをして家に戻ると汗水漬く、前日の風呂に飛び込み、汗を流した後、洗濯をしました。その後連日の酷暑と快晴のこの時期、今年漬けた梅を干しました。
 そうこうしていると女性カラオケの食事会が始まる12時近くになり、急いで会場に駆けつけました。ビールはコップ1杯だけにして食事をいただきました。食後それぞれが好きな歌をうたうことになり、私は長山洋子の「おけさ恋唄」を歌いました。休憩でコーヒーをいただいた後、8月に練習する歌をみんなで聴きました。
 4時に終了、家に帰って洗濯物を大急ぎで取り込み、コップ1杯とはいえアルコールを飲んでいるので車の運転をやめて4時30分のたこバスで病院へ行きました。洗濯物がありもっと早く来て欲しかったと言われてしまいました。妻は自分で起きあがれるようになっており、車椅子で看護婦さんにトイレへ連れて行ってもらう様子も見せてくれました。本当に日に日に元気になっていく様子は感動的でもあります。
 帰って急いで病院から持ち帰ったパジャマなどを洗濯しました。その後庭の水やりなどをし、風呂の残り湯を明日の水やりのためにペールに運び、風呂を洗いました。終わったら8時近くなっていました。プロ野球オリックス対楽天の試合中継をテレビで見ながら食事の準備をし、昼にもらった缶ビールを飲み、食事を済ませました。終わって片づけをし、洗濯物をたたんだりしていると10時半になっていました。メールを確認すると孫から見舞いのメールが入っていました。明日病院へ持参するためにプリントアウトしておきました。今から風呂を沸かし、戸締まりをし、入浴をして早めに就寝したいと思っています。
 明日は午前中川柳教室があり、午後から高齢者放送大学の事務局へ行って、課題番組の感想文のはがきを受け取ってきます。その帰りに妻のところへ洗濯物を届けてやります。明日からは返信の原稿作成にかかるので、ホームページの更新は当分お預けです。


7月18日 楽しく語り、楽しく歌いました
 朝食前に庭で枯れた花を摘んでいたら娘から電話がありました。妻の病状や孫の進路などいろいろ話していると、30分以上の長電話になりました。急いで昨日息子の嫁さんに作ってもらったポテトサラダをおかずにとろけるチーズを載せたトーストで朝食を済ませ、梅雨の頃に使っていた掛け布団を干しました。食事の後かたづけのあと、病院の面会時間待ちで朝刊を読み、昨日の新聞と合わせて妻の病院へ車で行きました。
 10時丁度に病院へはいると、妻は既に看護師さんに介助してもらいながらトイレに2度も行ったと言っていました。足の血栓防止器具もはずしており、自分で起きあがれると言って起きあがって見せてくれました。日々自立できる様子を嬉しく思いました。テレビの視聴カードやミネラルウォータがなくなっているので買ってきて、昨日要望のあったドロップと一緒に渡しておきました。
 午後からは江井ヶ島校区のホームページ制作委員会に出掛けました。私はまだまだデータもそろっていないのでほとんど作業をしていませんでしたが、構想例だけはひとまずワードで作って担当者に送っていたので、それでおおよその構想を理解していただきました。7つの高年クラブの内3つの高年クラブのデータをもらったので、とりあえずこれで9月第1日曜日までに作っておくことにしました。みんなそろうまで待っていたらいつ出来るかわからないので、とりあえずデータの取れたものを公開し、それを見て未提出の高年クラブが提出してくれればいいという考えです。高齢者はインターネットをしていない人が多いので、どの様なホームページになるのかイメージできず、データの提出を真剣に考えていないのだと思います。
 引き続き夜は男性カラオケ部の懇親会がありました。楽しくいろいろな話題を話ながら一緒に食事を済ませた後、それぞれ3曲ずつ歌いました。今日はレーザーカラオケのリクエストがありました。故障しているからと最近使っていなかったので、心配しましたがうまく機能してくれました。私は初めの2曲は女性カラオケで前回覚えたDVDの歌「おんな七厘、神楽坂」と「卯の花しぐれ」をうたいました。そして3曲目はレーザーカラオケで「悲しい酒」を歌いました。どの曲も曲がりなりに歌えました。


7月17日 2回目の駐車場清掃当番
 朝、少し前から眠りが浅くなっていましたが、高齢者放送大学の時間が近づいてラジオが鳴りだし、目が覚めました。番組を感動しながら聴きノートを取りました。駐車場の清掃当番だったので感想文は後回しにし、朝食の準備をしながら、紙類の資源ゴミを集積所に出しておきました。朝食を済ませ8時過ぎに家を出て当番をしました。もう一人の方がトイレの清掃を引き受けてくださったので、ゴミ籠の処理をしました。ところが今日はゴミ籠に生活ゴミが捨てられていました。それも下宿を引き払ったときの雑ゴミです。大きなレジ袋と2つの神戸市の有料ゴミ袋には、お米の残りが計量カップもろとも入っていたり、調味料のビン、トイレの芳香剤(持ち上げたら液が手袋をぬらしました)、お菓子(きのこの山などは未開封です)、雑誌や音楽CD、化粧品、中には女性用携帯パンツまで入っていました。これを全部出して可燃ゴミと不燃ゴミに分けるのは大変でした。ライターや殺虫剤のボンベはゴミに混ぜることが出来ないので管理小屋においておきました。夜警備員がタバコを吸ったり蚊取り線香を使っているので、役立ててもらえればと思います。また食用油も多量残っており、これも捨てるわけにはいかないので、仕方なく持ち帰りました。次回の使用済み食用油回収の時に渡したいと思います。すっかり汗をかき、服も汗だらけになったので、着ていたものを全部洗濯機に放り込み昨日の風呂の残り湯に入って汗を流しました。そして体をふいているとき宅配の荷物が届きました。男の声だったので大急ぎでパンツをはきそのまま出て荷物を受け取りました。配達をする人はいろいろな家をまわっておられると思いますが、パンツ一枚で受け取りに出てくる人などめったにいないだろうと思います。梅雨が明け快晴だったので、洗濯物と一緒にふとんも干しました。雨が続き、家の中も湿気ていたので、ふとんも何となくカビ臭くなっていました。庭の木々や野菜達も青々と葉を茂らせ照り返しがないので、掃除機をかけ窓も開け放つとスッキリした感じになりました。
 昼前に息子夫婦が来てくれてました。買ってきてくれたパンで昼食を済ませ、妻の病院へ一緒に行きました。点滴も終わり、尿の管もはずされており、スッキリしていました。しかし朝から尿意をもよおさないので、本人は尿意の感覚がなくなったのではないかと心配していました。首に補装具をはめて自分でトイレに行くのがこれからの目標課題なのだそうです。しかし、足には血栓予防の機器をつけているので、トイレに行くときには看護婦さんの介助がいると思います。昨日まであまり食事が進みませんでしたが、点滴が外れたのと好きな菓子パンだったことから、食事の量も80%食べたと言っていました。
 家内の入院直後に居間の蛍光灯がいよいよつかなくなってしまいました。その前から蛍光管がそろそろ寿命だと思っていたので替え時だったのです。それで、息子の車に乗せてもらって二見のミドリ電化へ行きました。近所の電気屋のカタログが昨日入っていたので、それを見ると当店特価3280円と書かれていました。3000円くらいで買えればいいかなと思いながら行ったのですが、同じものが2080円と表示され、さらに、その下に特価1980円と張り紙がしてありました。同じ型でパナソニックでは2340円と書かれており、見本としてついている蛍光管は東芝の方が明るいので、安くて明るい方がよいと東芝の蛍光管を買いました。家に帰ってつけてみると今まで以上に部屋が明るく、汚くしているのがはっきりしてしまいました。明日は机上の整理をして、少しはきれいにしたいと思います。明るい蛍光灯の下で高齢者放送大学の感想文をホームページに打ち込みました。また、電気店の帰りにAコープによって夕食の材料を買い、息子の嫁さんにしばらく食べられるようなおかずをたくさん作ってもらいました。これで妻が留守でも安心です。特に来週から高齢者放送大学の仕事が入ってくるので助かります。夕食を作ってくれている間、息子は庭の伸びすぎた木を切ってくれました。私はといえば、1時間ほど昼寝をしてしまいました。夕食直前に妻の従妹が焼き魚と焼きナスを届けてくれました。有り難いことです。夕食も久しぶりにおしゃべりをしながら食べたので、とても充実した気分になりました。


7月16日 あっという間の一日
 朝起きて直ぐにゴミをまとめて出し、仏壇にご飯や水を供え、花の水を換え、新しい花と入れ替えていると8時10分前になっていました。大急ぎで朝食を済ませ、8時10分にはグラウンドゴルフに出掛けました。雨上がりでグラウンドコンディションはいまいちでしたが、何とかホールインワンも出て目標のスコア50台に滑り込みました。
 帰って直ぐに洗濯をし、風呂を洗ってやれやれと思ったら12時15分になっていました。それから太めの小豆島素麺をゆがいて、庭の紫蘇などを採ってきて冷凍のネギなどと薬味をそろえテレビを見ながら食事を済ませ、少し新聞を見ると2時を過ぎてしまいました。
 急いで飛び出し、信号のある交差点で下校する小学生を見守りました。学期末とあって、1年生が大きな荷物を重そうに持って帰ってきました。2時に下校するはずの1年生が帰り始めたのは2時15分、最後の子どもが帰ったのは、2〜3年生が帰る2時45分でした。それから2分もしないうちに2〜3年生が帰り始めました。しかしこちらも遅れて帰ってくる子どもが多く、最後の子どもが帰ったのは3時30分。1時間半近く梅雨明けのかんかん照りのところで傘をさして立っていたので汗びっしょりで喉がからから、つめたいイチゴ牛乳を飲んでいると、4〜6年生が下校する3時40分になりました。それからまた40分、最後の子どもが下校するのを見届けて、大急ぎで洗濯物を取り込みました。さすがに夏の暑い日差しのお陰で4時間ほどの間に洗濯物は乾いていました。
 少しはニュースを知りたいだろうと思い、戸締まりをし朝刊を持って大急ぎで病院へ行きました。妻はすっかりリラックスをしてテレビのサスペンスドラマを見ていました。リハビリの先生の指導で、ベッドの頭を少し上げてもらっており、少しは気分が楽だといっていました。1時間ほど居ていろいろ話をしたり、背中をさすってやっていたのですが、どうも背中の痛みと肩のこりがたまらないようなので、急いで湿布薬を取りに帰りました。車は家に置いて、今度は運動がてら自転車で湿布薬を持って行きました。丁度食事が始まっていましたが、ベッドの頭の部分を起こしていても首に補助具を付けているのでうまく食事が出来ないようで、一口食べてもういいと言ったりします。隣のベッドにも妻と同じ手術を1週間早くした人がいて、私に無理でも一口でもたくさん食べさせるよう助言をして下さいました。それで田楽の好きなダイコンと豆腐を二口、そして小芋を食べさせ、キュウリの酢の物も二口、ご飯を三口、すましの吸い物を三口飲ませました。デザートに冷えたスイカが出ており、これはおいしいと言ってすっかり食べました。その後はみがきなどをし、ベッドを倒して首の補装具をはずしてやるとすっとしたようです。
 その後背中に持参した湿布薬を貼ってやると面会時間終了の7時近くになっていました。テレビの視聴カードの新しいものを買ってきて取り替えて急いで帰りました。
 帰って直ぐに持ち帰ったパジャマの洗濯をし、干しておいてから夕食のカレーを温めて食べました。夕食後初めてパソコンを覗いてみるとメールが沢山入っていました。返事が必要な分については送信したりしていると、どんどん時間が経っていきます。
 パソコンをしながら、BSテレビでオリックスの試合をチラチラ見ていましたが、こちらはぼろ負け、唯一T−岡田がホームランを打ったときだけ楽しく見ました。今日も慌ただしく一日が終わりました。



7月15日 カボチャとゴーヤ
 春にツタンカーメンを植えていたネットのそばにカボチャの苗を2本植えています。カボチャのつるは初めは地面に実をならせていましたが、ネットに登ると、その途中に次々と実をならせています。身は結構重量がありますが、重い実をつけても折れることなくしっかり耐えています。本当に丈夫なつるに感心してしまいます。
 一方、エンドウ豆を植えていたネットにはキュウリとゴーヤを植えています。ここは窓際で、夏になると涼しい風を取り込むことが出来ます。キュウリは既に何本か食べましたが、ゴーヤの実がやっと20センチ以上になりました。そして窓全体を覆うほどにつるが成長しました。1週間ほど経てばゴーヤチャンプルを食べることが出来そうです。その後も次々実が付いています。
 今朝は近隣の妻の3人の友達が様子を尋ねてくれました。付き合いの広さ、深さを感じます。
 午後3時に妻の病室へ行きました。傷口に差し込まれていた管がはずされ、本人も楽になったのかテレビドラマを見ていました。前日の痛々しい姿からすればすっかり回復したように思いました。ベッドからはまだ起きられないので、寝たままリハビリをしたそうです。その内看護婦さんがやってきて、パジャマに着替えてくれ、傷口も大きなガーゼではなく大きな絆創膏が貼られていたので、あまり目立たなくなりました。それでも本人はワカメちゃんのように後ろの髪をすっかり切られた姿が見たいというので、携帯電話のカメラで撮って見せてやりました。それを見て、傷口も見たいというので、その様子も撮って見せました。自分ですごいと感心していました。多少でも自分の状態を客観的に見ることができよかったと思います。
 2時間ほど病院にいた後一旦家に帰り、6時から第九合唱団の練習に行きました。3週間ぶりの参加でしたが、メインテーマのところを力一杯歌ったので、とても気持ちよく歌えました。
 8時30分に終了しましたが、これから帰って夕食を作るのは大変なので、林崎食堂に寄りました。この店は、妻が入院直前に連れて行ってくれたところです。自分が入院しても食事に不自由しないよう外食できるようにと思ったのです。魚を食べるようにいわれていたので、焼き秋刀魚とひじき、マカロニサラダ、高野豆腐の卵とじ、豚汁とご飯を食べました。少々量が多かったようです。
 夜に私の従兄が心配して電話をくれました。皆さん本当に心優しい方ばかりです。

  
これまで収穫したカボチャ         ネットのつるにぶら下がったカボチャ   ゴーヤ第1号

7月14日 入院3日目
 12日の夜はシャワーを浴びて眠ったのですが、スッキリしない感じだったので、昨夜は一人だったけれど風呂を沸かしました。やはり湯舟に体をゆっくり沈めていると疲れを取ってくれます。
 今朝は急ぐことがないので7時に目さましをかけましたが、6時半頃目が覚めました。庭に出てカボチャの雌花を確認し、ラディッシュとミニトマトの収穫をしました。ミニトマトは昨日収穫していなかったので、18個ほど穫れました。朝食を済ませた頃、電話が2本続けてかかりました。2本とも妻の高齢者大学の仲間で、心配して様子を聞いて下さっていたのです。台所の生ゴミを菜園に埋め、ついでに草ひきをしていると病院から病室に戻る時間を伝えてきました。
 雨も降り出し、外へ出られないので、しばらくアメリカのオールスター戦を見ていたのですが、早々にイチローが引っ込んでしまったので、川柳の兼題を詠考えました。なかなか思うような句が詠めませんでした。そうしていると妻の従妹も尋ねてきてくれました。みんなに心配してもらえる幸せな妻です。
 昼食に粕汁うどんを作って食べましたが、この時期なので暑すぎました。うどんを食べながら「ゲゲゲの女房」を見て時間までのんびりしました。昨日病院から持ち帰って洗った妻のパジャマがずっと雨なのでいまいち乾きが悪かったのですが、病院はエアコンがついているので家よりよく乾くと思い、荷物に入れておきました。
 2時半に病室に戻るということだったので、2時15分に病院へ行き、しばらくデイルームで待ちました。ナースルームに近い部屋に戻ってきました。預けていた荷物を整えていると、妻は気分が悪く吐きそうだといっていました。ずっと寝た姿勢なので頭や背中が痛いのだそうです。おまけに首に補装具を付けているので手術の傷口以外のところも痛いと言い出しました。補装具をはずしたいというのですが、勝手には出来ず、担当の看護婦を呼んではずしてもらいました。血圧の薬を飲むようにいわれたのですが、吐きそうだといって飲もうとしません。その内に口をしめらせて欲しいというので、お茶を汲んできて二口ほどストローをスポイドのようにして舌に載せてやりました。しかし、変な味がするといっていました。手術や使用した薬の影響で味覚が戻っていないのだろうと思います。
 屋外も廊下もそれほど暑くないのですが、冷房のついている病室は空気の流れがないからかとても蒸し暑く、本人も暑さに参っていました。幸い車にうちわを載せていたので、取ってきて扇いでやると少しましになったようです。3時間ほどいましたが、明日掛け布団の代わりに使う大きめのバスタオルを届けることにして家に帰りました。


7月13日 妻の手術
 6時に目さましをかけていたのですが、自爆テロが近くで発生するような変な夢を見ました。この様な夢を見るのは初めてです。心が平常ではないのだろうと思います。だから6時15分ほど前に目が覚めました。直ぐに起き出し、庭へ出て大きくなったキュウリとラディッシュを収穫しました。洗面を済ませ、昨日炊いたご飯から朝食分を取り、残りをラップに包んで冷蔵庫へ。続いて作り置きの焼きナス、粕汁、ゆで卵などと、朝取りのラディッシュ、梅干しや焼き海苔で朝食を済ませ、洗い物をしていると7時を回ってしまいました。今日はゴミ出しの日だったので、日曜日に作っておいた庭の木々の剪定した枝の入った袋を2つ出しておきました。
 晴れておれば自転車で出掛けようと思ったのですが、あいにくの雨で、3時間の手術中に読むための朝刊と本を持って車で病院へ出掛けました。病院の駐車場は1時間100円、入院当日は10時間まで100円、退院当日は3時間まで100円ですが、それ以外に割引制度はありません。7時30分に病室に入りました。入院前、妻はいろいろなことが気になるのか早くから起き出すなど、眠れぬ日が続いていたようなので心配していましたが、夕べは睡眠薬をもらったこともあってか、ぐっすり眠れたそうでにこやかでホッとしました。
 8時過ぎに主治医が今日は頑張りましょうと声をかけて来られました。主治医も朝早くから来て、準備をされていたようです。9時前に看護婦さんの指示で、全ての荷物を片付け、まとめて袋に入れてロッカーに預けました。9時丁度妻はベッドごと手術室に連れて行かれました。頑張りよと一声かけておきました。
 私は家族控室に一人取り残され、不安でしたが、手術に3時間かかるということだったので、その間お呼びがなければ順調に進んでいるのだと信じて新聞や本を読んでいました。しかし疲れもあってか時々よだれをたらして居眠りをしていました。しかし12時が近づくにつれて落ち着かなくなってきました。本を読んでいても上の空になり、しばらく時計とにらめっこしながら窓の外の駐車場へ出入りする車を眺めていました。
 12時20分になってもお呼びがありません。手術が長引いているようです。その内別の家族2組が入ってこられ、その人達が話しておられましたが、私は落ち着きをすっかり失っていたようです。12時40分、看護婦さんが呼びに来られ、主治医から手術の経過説明がありました。パソコンの画面を使って施した手術、その結果の状況説明、その間心配された出血も100ccということで特にトラブルもなく無事終えたことを聴きホッとしました。そして心から主治医に感謝の気持ちを持ちました。
 その後手の消毒をし、マスクを着けて集中治療室に入り、妻と面会しました。麻酔医から事前に説明を受けていたように酸素マスクつけ上向きに目をつぶって寝ていましたが、私の呼びかけにかすかに頷いていました。頸椎を切っているので首は動かせないし、マスクをしているのでものも言えず、目も開けませんでした。長時間よく頑張ったねと言ったのですが、最後は胸にぐっと来て声になりませんでした。その後看護婦さんから連絡先の確認などがあり、また明日来るからと声をかけて家に帰りました。駐車料金は600円、係の人が領収書を渡しましょうかと言われたので、医療控除の足しになる話を思い出し、もらっておきました。
 家に帰ってとりあえず妻のパジャマを洗濯し、雨のため部屋に干しておき、それから昼食の用意をしていると、2時を回ってしまいました。今日は家にいると看護婦さんに伝えているので、幸い雨も降っていることもあって庭の手入れも出来ず、家の中でパソコンを触っています。


7月12日 妻の入院で長い一日
 朝から激しい雨が降り出し、予定されていたグラウンドゴルフは中止になりました。妻は入院中の私の食事の助けになるようにと、朝からポテトサラダを作ったり卵を湯がいたり、忙しく立ち働いていました。
 10時30分荷物を車に積み込んで病院へ出発、指定された入院受付時間に余裕をもって入りました。6階の見晴らしのよい部屋の窓際のベッドに落ち着くと、後から次々と入院患者が入室され、空だった4人部屋は全部患者さんで埋まりました。それぞれ病気は違っていますが、みんな手術をする人たちです。
 先ず今日の予定とベッドまわりの使い方を看護婦さんから説明を受けました。事前に1日検査入院をしていたのでおよその使い方はわかっていましたが、今回は長期にわたるので、テレビの視聴カードを購入しました。食事が出てきたところで私は看護婦さんから指摘された足りないものを取りに家に戻り、その間にパンとポテトサラダ、牛乳で昼食を済ませました。病院へ着くなり、もう一つ足りないものがわかり、再び家に帰りました。病室に戻ると、頸椎を手術するために髪をカットしに行った後でした。待っていると後ろの髪を短いおかっぱのように刈り上げた姿で戻ってきました。「こんな姿写真に納めておいたらよかった」と言うほど彼女にはまだ余裕がありました。
 シャワーで切った後の髪をきれいに洗い流し、スッキリし待機していると、リハビリ担当医が迎えに来られ、リハビリ室で運動機能の現状を検査しました。その結果転倒の危険度2だと看護婦さんが教えてくれ、そのように注意すると言ってくれました。
 夕方になって主治医が来られ手術の説明がありました。処置室でパソコンの画面と頸椎の模型を使って手術の手法についての説明されました。そして手術時におこる可能性のあるリスクが丁寧に説明されました。妻も多少ひるんだようですが、ここまで来れば引き返すことも出来ず、全面的にお任せすることにしました。続いて麻酔科の女医さんが麻酔についてベッドサイドで詳しく説明されました。その後看護婦さんから明日の手術は1番で9時から始まるから8時までに来るよう言われ、6時過ぎに家に帰り着きました。
 帰って先ず明るい内にと洗濯をしました。2〜3回妻に教えてもらいながら洗濯をしていたので迷うことなく大急ぎで洗濯を済ませました。朝降っていた雨がウソのように晴れ渡っていたので、洗濯物を外に干そうかと思ったのですが、夜中の内に雨が降ったらいけないと思い納屋に干しておいたのが正解で、9時頃には雨が降り出しました。
 洗濯し終わったのが8時前、それから妻が作り置いてくれた魚の天ぷら、ポテトサラダ、粕汁、焼きナスなどで夕食を終えました。その後息子のお嫁さんに先程届いたお中元のお礼と一緒に妻の入院・手術のことを説明しておきました。続いてもう一件の贈り物のお礼状をパソコンで作りました。その後いつもしているトランプゲーム「フリーセル」をしていると10時半になりました。明日の朝が早いので急いでシャワーを浴び、床につこうとしていたら息子から電話がかかり、心配しているようなので簡単に説明し、何かあれば来てくれるよう依頼してふとんに潜り込みました。妻は今頃どんな気持ちでいるだろうと考えていましたが、いつもしなれないことばかりだったので疲れたのか、直ぐに眠ってしまいました。


7月11日 駐車場当番
 今朝は駐車場当番に当たっていたので、8時から二人で清掃活動をしてきました。江井ヶ島海岸の駐車場は今年度から1時間100円の駐車料金自動徴収機械が設置されています。昨年までは7〜8月の間校区内各老人クラブが交替で1回1000円の料金を徴収するために駐車場の管理小屋に常駐しなければなりませんでした。しかし、今年度からはトイレや公園、展望台、駐車場の清掃およびゴミ処理だけになったので一日中常駐する必要がなくなりました。ところが駐車料金は自動徴収にもかかわらず、この期間だけは1回1000円になっていました。1時間100円だったらたくさんの利用があるだろうと思いますが、他の海水浴場の駐車場料金との絡みがあるのだろうと思います。昨年も3時間以内だったら半額ぐらいにすればよいのにと思うことがありましたが、いろいろ絡みがあって難しいものです。


7月10日 海岸の草ひき
 江井ヶ島海岸や駐車場、公園の草ひきを7老人クラブで手分けして6月中にすることになっています。私たちの老人クラブが計画した日はいつも雨が降って延び延びになっていました。昨年はそのまま9月になってしまい批判を浴びました。今年は昨日と違ってよい天気になり、朝8時からの作業で予定の場所はすっかりきれいになりました。これで夏休みになって海岸を訪れた人たちが気持ちよく過ごすことが出来ます。
 役員の中に草刈り機を持参して下さった人が二人おられたので午前中で終えることが出来ましたが、私のように鎌を持参したものばかりだったら一日かけても半分も出来なかったと思います。それほど広い場所で、70L入りのゴミ袋29個分もの草を刈りました。そのゴミ袋を一輪車で坂の上のゴミ集積所まで運ぶのも大変でした。
 会長がにぎり寿司弁当を買ってきてくださり、藤棚の涼しいところでおしゃべりをしながらいただきました。作業の後で空腹だったのでとても美味しく、おしゃべりもはずみました。家に帰ると1時半になっていたので、ずいぶん長くしゃべっていたことになります。
 今日草刈りをしたところは、以前一人の人が花壇にしてずっと世話しておられたところです。その方が交通事故で数年前に亡くなられ、それ以降は雑草が生えるにまかせているのです。今から考えると、一人でよくこれほど広いところを世話しておられたなと感心します。私たちは今日8人でその花壇の半分の草ひきをしただけです。亡くなられた方の意志を継げなかったことを今更ながら申し訳なく思っています。

 浜の散歩道に接した場所なので草ひきをしていると、ひっきりなしに自転車に乗った人やランニングをしている人、ウォークをしている人が通ります。「ご苦労さん」「ありがとう」と声をかけてくださる方もおられます。中には犬の散歩をしておられた方が冷たい缶コーヒーをわざわざ買ってきてみんなに配ってくださったりしました。汗水漬くの作業でしたがそのたびに元気が復活しました。

7月8日 すゑひろ会
 現役時代に同じ仕事をしていた仲間が集まりました。この会の設立は昭和38年で、以前兵庫県教育委員長をされた印部すゑこ先生を師と仰ぐ人々の集まりです。そこからすゑひろ会と名付けられました。私の駆け出しの頃、印部先生やこの会員の方々に指導を受け、雲の上の人々だと思っていました。そして昭和50年代にこの会に誘われ、雲の上の人々と親しくお話しが出来、指導を受けられることを感激の思いで参加していました。しかし、その雲の上の人々も高齢になられて次々と他界され、現在創立当時からの会員は2名だけです。そしてその2名の方を含めて9名が明石・グリーンヒルホテルに集まり、忌憚のない話が出来ました。現役時代の気持ちがよみがえりましたが、他の人々と違って、私は現役を退いた後第2の職場として全く違う仕事に就き、その方向で今も進んでいるので、現役時代の職種についてはさっぱり時代遅れになりました。だから今更もの申す気持ちは全くありません。逆にとらわれることなく自由に話せたので、実に楽しく過ごさせてもらいました。来年も同じ場所で集まろうということでお開きになりました。
 ところで午前中もグループいきいきネットの例会が明石公園であり、夕方から再びすゑひろ会で明石へ行きました。最寄り駅から明石まで山陽電車で片道290円かかります。普段もこの区間乗車することが多いので回数券を買っています。それでも片道260円あまりかかります。2往復すると1050円ほどになります。ところが明石市内・三宮間1日フリー切符が1000円で売っています。このフリー切符を購入し、2往復しました。神戸へ行くことはありませんでしたが、ささやかな節約でした。


7月4日 同窓生の死
 小学校の同窓会で長く幹事を務めていた友人が亡くなりました。10年ほど前、心臓疾患で倒れ、危うく命拾いをしたといっていましたが、今回訃報を聞き、てっきり死因は心臓疾患だと思ったのですが、ガンが全身に転移し、最後は脳腫瘍だったそうです。手術は成功したということで一旦自宅に戻り自宅療養していたそうですが、6月下旬に様態が悪化、昨日亡くなられました。
 彼はとても優しく、同窓会では一人ひとりに言葉をかけ、温かな司会で、みんなにたくさんしゃべらせました。だから彼が幹事をしてくれるお陰で、毎年たくさんの友と出会うことが出来ました。本当に残念でなりません。今夜前夜祭(通夜)に列席しましたが、仲間がたくさん来ていました。今まで小学校の友の死にこれほど仲間が集まったことはありません。やはり彼の人徳だと思いました。


7月1〜2日 久しぶりの泊つきツアー参加
 2月の箱根、冨士方面の旅行以来、5ヶ月ぶりの泊付きツアーに参加しました。行き先は福島県の会津方面で、裏磐梯の猫魔ホテルに宿泊し、雄国沼湿原でニッコウキスゲの咲き乱れる木道を散策するのがメインでした。梅雨なのでお天気が心配でしたが、持って行った雨具を一切使うことなく、特に2日目のメイン散策は太陽も顔を出す好天に恵まれ、素晴らしい湿原の眺めを楽しむことが出来ました。
 その意味ではとっても素晴らしい旅でしたが、大阪・直江津間特急5時間、会津・直江津間のバスが3時間と、座っている時間の長さは尋常ではありませんでした。それでもその大半の時間眠っていたので、休養になったのかもしれませんね。
 昼食の会場だった鶴ヶ城会館がお城のそばにあり、チョット覗きに行ったら瓦の葺き替え工事中で、天守閣のしゃちほこが展示されていました。目には2カラットのダイヤモンドがはめ込まれていて、昭和44年再建された当時、1体1千万円かかったというしゃちほこを間近で見ることができました。これは今回の旅行のおまけでした。
  
会津美里町・伊佐須美神社のアヤメ祭     雄国沼湿原の木道でニッコウキスゲの観察
  
 
戊辰戦争で傷ついた城の写真    鶴ヶ城のしゃちほことダイヤモンドがはめ込まれた目


6月27日 期日前投票とあじさい神苑
 まだ参議院議員選挙の入場券は届いていないのですが、期日前投票へ行きました。身分を証明するものがいるかと思ってのですが、必要ありませんでした。地方議員は民主党の独走はよくないと思い他党の有力候補に、比例区は政党に関係なく人物を選びました。この個人は以前、高齢者放送大学に講師として出演され、私たちはどの様に生きるべきかについて、とても誠意のあるよい内容の話を聞かせて下さいました。だから、名前を聞いたときからこの人に投票しようと思っていました。
 夕方から魚住町中尾の住吉神社へ行きました。新聞にあじさいが満開だという記事が載っていたからです。それでもあまり期待していなかったのですが、いってみて驚きました。住吉神社の西側斜面全体を「あじさい神苑」として見事に整備され、たくさんの花が咲いていました。このあじさい神苑は兵庫県が徴収している緑化税で整備されたそうです。緑化税がどの様なところで使われているのか初めて知ることが出来ました。この様な事業に天下りの法人が関わっていないよう願うのは、最近暴かれた法人のとんでもない甘い汁を聞かされ続けているからでしょうね。

 中尾の住吉神社は藤で有名ですが、境内では藤の苗が鉢でたくさん栽培されていました。これらは神木である保存樹の2代目たちだろうかなどと思いながら見ました。
  

6月26日 高年クラブの例会をケーキとコーヒーで
 例会の時にはいつも茶菓子を用意し、食べない人は持って帰ってもらっていました。ところが、食べないお菓子をもらっても仕方がないという感想が聞こえてきました。そこで、会長の発案でケーキをひとつずつ配り、コーヒーを入れて皆さんに食べていただきました。もちろん甘いものが嫌いな人、ドクターストップの人もいるので、全員に喜んでいただく訳にはいきませんが、いつもより好評だったのでホッとしました。
 ケーキ屋は少し遠いところでしたが、値段が200円以内の予算で納まったこと、ひとつずつ箱に入れてくれたので、自治会館にある業務用の冷蔵庫で開会まで保存することが出来ました。また、欠席者にも配る直前まで保管できました。皆さんには目新しく、喜んでいただくことが出来ました。ただ、打合せ不足で、直前になってフォークを買いに出掛けるなど、多少のミステークはありましたが……
 午前中に会場準備をし、急いで帰宅して昼食を済ませました。食後歯間ブラシを使って奥歯の歯間を磨いていたら、ブラシの先が折れて奥歯の間に挟まってしまい、どうしても取れなくなりました。時計を見ると12時を少し回ったところで、行きつけの歯科医院の診療時間は過ぎていたのですが、念のために電話をかけると、直ぐに来るようにと言ってくださいました。ブラシの針金の部分がほんの少し覗いている程度ですが、このままでは舌に引っかかり傷を付けそうなので、急いで行きました。お陰で直ぐにとってもらえましたが、カルテを見て平成19年6月から来ていないから一応全部見ましょうといわれ、虫歯を見つけてもらいました。そして、歯垢が残っているからとみがき方の講習までしてくださいました。虫歯治療の予約を済ませ、急いで帰宅すると、開会20分前でした。大雨の中、急いで会場に駆けつけ、何とか開会に間に合いました。間には合いましたが、司会をするのに心の余裕を取り戻すため、5分ほど開会を遅らせてしまいました。年を取ると本当に何が起こるかわからないと思いました。


6月24日 ついに40台(グラウンドゴルフ)
 今朝も湿り気のある絶好のグラウンドコンディションでした。練習でホールインワンが出たので、いつものジンクスでこんな日の成績はさっぱりだと覚悟を決めていました。ところがホールインワンが3本も出て、最終的には3ラウンドトータル49と自己最高記録が出ました。しかし、上には上がいるもので、本日の成績は3位でした。なかなか優勝は出来ません。


6月22日 今年度最初の放送大学の仕事を終了
 私の高齢者放送大学の仕事は、受講生の感想文に対して返信を書くことです。6月は江戸川大学の斗鬼正一教授の「普通と変の境界線」という講座に対する感想文でした。普通でないことは変だということです。以前の講座で、日本人は変なことをすることは恥ずかしいことだということから、羞恥心が自分の言動のブレーキの役目をしているというお話しがありました。今回の変に対する感想も多くが常識と非常識に関わるものでした。ここからが変と感じるという境界線が時代によって、地域によって、そして年代によって差があるというのが主な意見でした。
 はがきを預かった先週火曜日から、出来るだけ多くの時間を返信作成に取り、一人ひとりに対応する文章を作成しました。その後4回推敲して今日やっと24枚の返信を印刷して事務局に届けました。本当は明後日木曜日に提出するのですが、当日は土曜日に予定している老人クラブ例会の準備をすることになるだろうと思い、今日の午後、小学生の下校の見守りを済ませてから車で事務局へ届けておきました。今月はこの期間に行事が少なく、うまくはかどりホッとしています。昨年度まではこの期間に1泊2日の歩き遍路が重なり、準備などを含めると、夜遅くまで返信作成や推敲をすることが多く、期限に間に合わせるのが大変でした。


6月21日 ホールインワンラッシュ
 昨夜まで雨が降っていました。だからグラウンドは湿り気がありました。しかし、排水のよいグラウンドなので、ぬかるんでいるところはなく、グラウンドゴルフは実施されました。この様な日は小石が砂に埋もれるので比較的球は素直の転がります。だからみんなは3ラウンドトータル50台を目指して頑張りました。その結果、ホールインワンが続出し、19人で29本も出ました。そして、3本もホールインワンをした者が5人もいました。普段なら2本の者が2〜3人いると良いところです。だからたくさん出た日でも20本に届くことはめったにありません。その結果今日はトータル40台の人が3人もいました。40台が出るのも月に3〜4回ですから、1日に3人など驚きの結果です。ちなみに私はホールインワン1本でしたが、トータル53と参加者の真ん中より少しよい成績でした。いつもこの様な成績が出せればいいのですが、50台などめったに出せないので、まだまだ下手くそだなーと思っています。


6月13日 地域のホームページづくり
 昨年から取りかかっている地域のホームページ立ち上げの委員会が午後からありました。私は風邪をひいたり、所用があったりで長らく欠席していたので、ちょっと浦島気分でした。輪郭がずいぶんはっきりしてきており、具体的なイメージがわいてきました。しかし、私の私的なホームページと違ってかなり高度な技能が要求されそうなので、私がどれほどついて行けるかいささか心配になってきました。というのも、ホームページづくりの技能を要求されるとは思わずに、資料が提供できればと思っていただけだからです。もう少しマニュアルを見ながら、それらしく作ってみたいと思います。そして、ある程度目途がつけば息子に相談に乗ってもらおうと思っています。


6月12日 映画「おとうと」
 「おとうと」が封切りになったとき、見に行きたいと思いながら行く事ができませんでした。ところが先月から明石東宝で上映しています。今日は神戸学院大学の土曜講座へ聴講に出掛けたので、帰りに一人で見に行きました。夕方6時からの最終回でしたが、観客は6〜7人、なんだか申し訳ない思いでした。おまけに、大人1200円の入場料でしたが、老人手帳を見せると1000円でした。映画は期待通りで、まわりに観客がいないので、ハンカチを出して堂々と涙をふく事が出来ました。2年ぶりくらいの劇場映画鑑賞でしたが、外国のスリル満点の映画より、やっぱり日本映画のほのぼのとしたのが良いなと思いながら観ました。

 ちなみに土曜講座の方は仕組み預金の話で、特約付きというのは銀行に都合がよいように設定された金融商品だという事がよくわかりました。この様なからくりがある事は銀行員の説明だけでは理解できない事だと思いました。

6月6日 キュウリの初収穫
 2本植えていたキュウリの苗が成長し、最初の収穫をしました。雌花が次々咲いていたのですが、雄花が見あたらなかったり、虫がいなかったりで、なかなか受粉しませんでしたが、今日やっと25pほどになったので収穫して食べました。味の方はとくに美味しいという訳ではありませんが、新鮮さと無農薬の安心が取り柄です。いまは雄花ばかりが咲き、当分は収穫できそうにありません。
 同じくカボチャも雌花が咲いた初めのうちは雄花が無く、4日前に始めて両方の花が咲いたので受粉してやりました。うまく大きくなればいいのですが…… 今年は毛虫の姿は早くから見られますが、やっと蜂が飛び始めたという感じで、いつもの年のように早くから虫たちが飛び回って受粉してくれそうな雰囲気がありません。


6月3日 第九練習開始
 明石第九合唱団の結団式があり、12月11日の演奏会にむけて練習が始まりました。初参加のメンバーも何人かいましたが、半年ぶりに出会う人がほとんどでした。練習前にはかなり話が弾んでいました。市民会館のメンバーも一部変わっていましたが、若手が主体になってすすめていました。
 これから半年間、毎木曜日夜に練習がありますが、久しぶりに声を出したためか、思うように声が出ませんでした。毎月第三木曜日に参加していた歩き遍路も結願したので、今年は出来るだけ欠席しないように頑張りたいと思います。


6月2日 ひげそり
 カミソリで髭を剃るとあちこち血がにじんできます。最近はあまりありませんが、散髪屋でもよく血を出していました。だから若い頃から電動シェーバーを使っています。最近は日立のロータリー式を使っています。肌にとてもやさしいからです。ただし欠点はよく外刃の一部が壊れることです。昨日から髭を剃った後なんだか左ほほがヒリヒリするなと思いましたが、あまり気にとめていませんでした。今朝は昨日以上に痛いなと感じていましたが、あごの下を剃っていたときに身が挟まれた感じがしました。あわてて確かめてみると、外刃のいつものところが壊れていました。顔中ヒリヒリする感じで、急いで塗り薬を顔にすり込みました。昨日のひげそりの途中から外刃が壊れていたのだろうと思います。
 早速、予備のひげそり機を充電しておいて、夜改めて髭を剃りました。こちらは2枚刃の安物ですが、音が大きく、乱暴に剃られていく感じなので、あまり使いたくないのですが、やむを得ません。日立の外刃を新しく買うか、ロータリー式でなくても肌にやさしいのが有れば買い換えるか検討しなければなりません。


5月28日 らっきょ
 我が家では、毎夕食にらっきょを食べます。1日3個食べるのが身体によいと聞いてからの習慣です。初めのうちは比較的安価に購入できたのですが、一昨年あたりから高価になってしまいました。そこで自分の家でつければどうだろうと試しに買って漬けてみたのですが、近くで売っているらっきょは大きくて、3つどころかひとつでも持て余す感じなのです。今年も漬けようと思ったのですが、近くの店ではやはり大きなものしか売っていません。そこで小さならっきょを求めて鳥取方面へドライブに出掛けました。29号線沿いに走り、先ず宍粟市山崎の農産物直売所に寄ってみました。そこに比較的小さめのらっきょが売っていたので、これ以上小さなものは期待できないだろうと判断して購入しました。既に皮をむき、かなりきれいに処理されていたので塩漬けにするのにはそれほど手間はかからないと思、800円の袋を2袋買いました。
 家に帰ってへたと根っこの部分を切り取り、一部皮をむきました。家中らっきょの強烈なニオイが充満しましたが、昨年とは違ってかなり小さならっきょを漬けることが出来そうです。味の方も美味しくなればいいなと思っています。


5月26日 地域のグラウンドゴルフ大会
 江井ヶ島小学校区のスポーツ21主催で校区交流グラウンドゴルフ大会が開催されました。先週開催の予定だったのですが、雨天のために今週に延期されていたのです。先週は所用がありましたが、今日は大丈夫だったので、昨日急遽参加を決めました。
 結果は男性26名中14位でした。いままで参加したときはビリに近い成績でしたが、今回はホールインワンも一度決めることが出来、中くらいの成績で終えることが出来ました。ちなみに優勝者は5ラウンドでホールインワン4回、トータル84という驚きの成績でした。私の成績は105でした。

 ところで、何の花粉が飛んでいるのか目と鼻が鬱陶しく、今日は午後も外でスクールガードの活動や庭仕事をしていたので、くしゃみの連続でした。また庭では雨が続いたせいか、蚊がたくさん飛び始め、庭仕事がやり辛くなってきました。

5月22日 友愛クラブで研修
 今朝の高齢者放送大学の講座は、昨年12月に放送された、姫路・大覚寺住職中西玄禮氏の「和願・愛語」の再放送でした。中西住職は今年2月から浄土宗西山禅林寺派総本山永観堂禅林寺貫首に就任しておられます。その放送を聞いていて私が所属している老人クラブ「西江井友愛クラブ」の例会で皆さんに聴いていただけたらと思い、午前中の会場準備の後の役員打合せで提案してみました。今日はみんなで自由におしゃべりをしようといっていたので、急遽予定を一部変更することになるのです。これまで、前会長に健康についていろいろとお話しいただいたことはありましたが、現会長になってからはもっぱら楽しい例会をモットーにしていて、研修会をもつことがなかったのでどうかと思いましたが、20分あまりということで了解を得て実施しました。
 仏教に関わる言葉が沢山出てくるので、それらの言葉だけを板書しておきました。皆さん最後まで熱心に聞いておられました。話の内容が素晴らしいだけでなく、明瞭な言葉で、ゆっくりはなされたので皆さんしっかり聞き取ることが出来たようです。中にはメモを取る人や、涙をふいておられる人がいるなど、初めての研修会としては好評だったように思いました。これからも聞き取りやすくよい内容だったら時々この様な研修会を持てればと思いました。


5月16日 ボタンが消えたの?
 平成3年に植えたボタンの苗3本が1本また1本と枯れて、最後の1本は花が咲きませんでした。また昨年まで花をつけていたボタンは、今年はシャクヤクのような芽が出て、花をつけました。きっと接ぎ木した土台の株から芽が出て花をつけたのだと思います。
 平戸ツツジはそろそろ終わりですが、色とりどりの花が庭中で咲いています。しかし、カタカナの名前の花が多く、なかなか覚えられません。眺めて楽しんでいますが、これからは水やりが大変です。。
 菜園ではジャガイモの花が咲きました。4月になっても寒く芽が出るのが遅いとぼやいていましたが、もはや花を咲かせるのですから効率のよい作物です。玉ねぎは10月に植えて5月末に収穫、豆類も昨年9月に種を植えて5月初めまで収穫していました。ツタンカーメンは今日種を取ってやっとつるを片付けました。半年以上かかったことになります。しかし、どんなに手間がかかっても収穫の時は嬉しいものです。菜園ではカボチャ、トマト、茄子、キュウリがすくすく育っています。ゴーヤもそろそろつるが伸びてくれることでしょう。青じそは庭のあちこちで芽を出しており、菜園に植え替えてやったのはなかなか成長しませんが、そのまま放ってある芽はすくすく伸びています。

  
ボタンの台木から生えた花          ジャガイモに花が                菜園のカボチャやトマト

5月15日 神戸学院大学土曜講座
 今年度の土曜講座が始まり、昼食を済ませた後でかけました。テーマは「住民参加でつくる福祉のまちづくり」で、先日のグラウンドゴルフ親睦研修旅行以来、もっとも関心の高い内容でした。いつもは途中で睡魔に襲われるのですが、今日は最後までしっかり聞くことができました。
 先進地区の事例を多く聞くことができました。しかし、地域住民がお互いに支え合うということは、都会では困難なようです。それでも西宮市ではある程度実現していますが、効果を上げ先導しているのは生瀬など、西宮市の中でも僻地といわれているところでした。そのほか山形県や熊本県の事例もありましたが、いずれも郡部でした。やはり課題は個人情報保護がネックになっているようで、郡部ではわざわざ個人情報を問題にしなくてもお互いの情報、地区の情報を共有しています。しかし、都会は住民が流動的で、他人のプライバシーに立ち入らないことが原則なので、地域の人々がお互いに支え合うという地域福祉は成立しないようです。西宮市は大震災で助け合う場面があったから先導的な実践が全市に広がりを見せているのだろうということでした。
 私たちの住んでいるところは明石市の中でも農業が行われているところで、子どもの頃からの付き合いが多いので可能性はまだまだあると思っています。しかし、私のように退職後に老人クラブに入会し、地域との交流がその時から始まったという場合、どれだけ地域の中で信頼関係を築いていけるか、これからの私自身の生きる姿勢に関わってくるだろうと思います。

 

5月6日 駐車場清掃当番
 江井ヶ島海岸にある駐車場や展望台及び付設トイレの清掃を江井ヶ島校区7高年クラブが引き受けています。5月は私たち西江井友愛クラブの当番で、月・金曜日に交替で清掃しています。私は明金曜日に当番が当たっていたのですが、明日は雨という予報、しかも連休で大勢の人出があり、ゴミ箱があふれかえっていました。そんなことから一日繰り上げて清掃に当たりました。
 三つのゴミ箱は山盛りだけでなくまわりもゴミがたくさん捨てられていました。それらを可燃ゴミと不燃ゴミにひとつひとつ袋を開けて選別し改めてゴミ袋に入れ直しました。目立ったものは弁当がらやバーベキューの残り物で、食器だけでなく調理器具まで棄てられていました。中には犬の糞や汚れた紙おむつもいくつかありました。近くのゴミ集積所までたくさんゴミが持ち込まれていましたが、これらも一度袋を開いて、可燃・不燃ゴミを選別しました。2時間近くかかり、可燃ゴミが13袋、不燃ゴミが3袋もあり、5年間清掃に携わってきて最高のゴミの量でした。
 その後トイレを水を流しながら清掃しました。こちらの汚れはいつもほど汚れていませんでしたが、トイレットペーパーがすっかり無くなっていて、ポケットティッシュのからがたくさん落ちていました。雑巾も使い、丁寧に清掃し、ペーパーを補給しておいたので、しばらくは気持ちよく使ってもらえると思います。
 また、駐車場が有料になったからか、マナーがずいぶんよくなり、タバコの吸い殻など捨てられているゴミがごくわずかになりました。マナーの悪い人は、お金を出し惜しみ、路上駐車か空き地に駐車しているのだろうと思います。


5月5日 菊の挿し木のやり直し
 菊の槌を会に明石公園の菊栽培センターへ行きました。その時にたまたま車に積んでいた私たちの菊の挿し木を見て、小粒の鹿沼土で挿し木をしなければ腐ってしまうといわれました。帰って根を調べると確かに何本かは腐りかけていました。28本の挿し木を全てやり直しました。その時にさらに5種類の菊をそれぞれ1本ずつ増やしたので、全部で33本になりました。これで何本成功するか楽しみです。


5月4日 結婚式
 昨年に続いて弟さんの結婚式に招待していただき、出席しました。結婚式は姫路城内の姫路神社、披露宴は旧逓信省の別館という古くいわれのある建物内の姫路モノリスでありました。
 披露宴のあったモノリスでは乾杯の前にコック長があいさつに出てきて、「スタッフを紹介します」と言った途端、奥の磨りガラスが透明になり、中でコックたちが並んでいるのには驚かせてました。披露宴が終わるまで、厨房の中がガラス越しに見えているという演出はいままで見たことがありません。新郎新婦がお色直しをした後、各テーブルごとに一緒に写真を撮すのですが、このときも風船のようなアルファベット「HAPPY WEDDING」を出席者がもって撮すというのも初めてでした。いろいろ変わった演出の多い結婚式を楽しませてもらいました。



5月3日 キヌサヤ、スナックエンドウ、ツタンカーメンの収穫
 今朝は地域のグラウンドゴルフの活動日でした。4月のトータル1位の仲間と同じ組になり、いつもは全く歯が立たないのですが、今日は競い合いました。ホールインワンを私がすると、相手もするという調子で、終盤までほとんど差がありませんでした。しかし最終ラウンドで、相手が2打でゴールポストに入れたのに対して私が4打を打ち、3ラウンドトータルで相手が49で優勝、私は51で2位でした。久しぶりでホールインが2回あり、よい成績を出すことが出来ました。
 午後から庭の植木鉢で栽培している豆類の収穫をしました。キヌサヤとスナックエンドウを合わせて500グラムあまり、ツタンカーメンはむき実で1s近く収穫しました。スーパーで売っているのを見るとほんの少し入ったパックが200円ほどしているので、なんだかとても豊かな気持ちになりました。しかし、昨年秋から世話をしているので、やはり高い値段は納得します。これらの豆はまだこれからも収穫できます。ツタンカーメンは数年前に大学の同窓会で種をもらって以来、毎年4〜5本植え続けています。


5月1日 公報に載っていました
 先日市の広報担当者から電話があったとおり、今日の明石市広報に私の投稿が「わいわい広場」欄に載っていました。早速読んだというメールが届き、少々恥ずかしく思いました。
 午後から三木山森林公園へウォークに出掛けました。1ヶ月前に行ったときは桜が咲き、木々の新芽が美しいと思いましたが、今日はすっかり青葉若葉が美しくなっていました。6月になればうっそうとした森になっていると思います。これだけ暖かくなるとヘビがでているかもしれないといいながら行ったのですが、案の定林の中で小形の茶色のヘビに出会いました。今日は前回知ったじぞう口まで行き、峠でコーラを飲みながら休憩をとったので、2時間近く公園でウォークと森林浴を楽しみました。


4月29日 菊の挿し木
 昨夜の嵐がウソのように雨は上がっていましたが、風が強く、グラウンドコンディションもよくないということで、グラウンドゴルフは明日に延期になりました。そこで、妻が世話をしている大輪の菊の芽を摘み挿し木をしました。7種類の菊を4本ずつ挿し木をしたので、結構時間がかかり挿し木を済ませ道具を片付けると1時近くになっていました。風呂の椅子に座り地面の上で作業をしたので、ずっと前屈みの姿勢だったため腹が痛くなりました。うまく成功するかわからないので、残りの株はそのまま大切に残しています。
 午後からは食用菊「モッテノホカ」の挿し木をしました。こちらは畑を耕すことから始めました。しかし、10本だけだったので、それほど時間はかかりませんでした。モッテノホカはうまく挿し木が出来ると信じて、残りの根は棄ててしまいました。


4月28日 いつの間にか73歳
 「お誕生日おめでとうございます」というメールが2通届いていて、73歳になっていたことに気がつきました。ひとつは孫から、もうひとつは富士通AzbyClubからでした。60歳で定年退職し、第二の職場として高齢者大学に勤務しました。その頃自分より一回り年配の方々がいきいきと活躍しておられるのを見て、自分がその年になったとき、いきいきと活動しているだろうかとよく思ったものです。そして高齢者大学の学生さんから前向きに生きることを学び、そのようにしてきたつもりです。幸い大きな病気をすることもなく今日を迎えることが出来ました。たくさんの人々にお世話になり、仲間にさそっていただけたからだと感謝しています。
 次は大正生まれで頑張っておられる方を目標に、引き続き前向きに生きていきたいと思います。


4月25〜26日 六甲スカイヴィラで一泊
 学校厚生会が運営する六甲スカイヴィラの宿泊割引券が4月末で期限切れになるため、毎年この季節に出掛けます。新緑の六甲山上はとても気持ちがよいからです。今回はやすらぎ年金加入ということでさらに割引をしてもらい、いささか申し訳なく思いました。いつもは平日に宿泊するので、3〜4組と淋しい夕食ですが、今回は日曜日だった上に六甲山上でウォークのイベントが開かれていたからか、山上は沢山の人に出会い、宿泊客も20人を超えてにぎわっていました。
 割引があった分生ビールをたくさん飲みました。翌朝早めに有馬経由で篠山へ行きました。途中、5年前に皇太子殿下を迎えて行われた育樹祭の会場で、私も参加した有馬冨士公園へ立ち寄りました。会場となったひろびろとした広場はそのままで、入口に立派な共生センターの施設が建っていました。県立なので、ここでも県の職員が働いているのだろうと思いました。そばには花山院・十二妃の墓もあり、そこへも寄りました。
 篠山の町は月曜日のためか、人出は少なく、めぼしいものに出会えませんでした。そこで青垣町の道の駅へ行き、昼食をし、買い物をしました。さらに杉原谷を走っていると、満開の桜並木に出会いました。車を止めて写真を撮っていると、通りかかった車が次々車を止めて桜に見入っていました。思わぬ花見も出来、楽しいドライブでした。有馬の近くの温室で夏野菜の苗を売っていたので、トマト、キュウリ、カボチャ、茄子の苗を買いました。家に着くとまだ4時30分だったので、買ってきた苗を庭の畑に植え付けました。支柱も立て、これで一安心です。明日は雨が降るといっているので、水やりに気を使うこともなく、無事育つだろうと思っています。
  

有馬冨士公園広場              共生センターの建物               杉原谷の桜

4月24日 西江井友愛クラブ4月例会は映画会
 「おくりびとの」のDVDが会長の手に入ったので、月例会で映画会をすることになりました。私がホームシアター用の液晶プロジェクターと80インチのスクリーンを持っており、別の役員がパソコン用に持っていたスピーカーを用意してくれました。低音用のスピーカもあるので、素晴らしい音質で、映画の音楽効果も抜群でした。
 映画に先立って先日のグラウンドゴルフ大会で最高齢表彰を受けられたグラウンドゴルフ部の会長と、高齢者放送大学20年賛辞を受けた人の代表として先月放送された南海さんのことを紹介し、一言ずつお話しいただきました。そのスピーチも素晴らしく、みんなで拍手をして称えました。
 映画はさすがにアカデミー賞に輝いただけあって、素晴らしい内容で、みんなを惹きつけました。いつもは1時開会、3時閉会ですが、今日は映画が終わった時点で既に3時40分になっていました。しかし長く感じないほどみんな楽しんで帰られたようです。中には「よい企画だったね」と声をかけて帰られた方もあり、次回も役員みんなでよい企画を立てたいと思いました。



4月22日 明石市広報に掲載?
 明石市役所の広報担当者から私の投稿した文章(100文字程度)を広報に掲載してよいかという電話がありました。そういえば、4月15日の広報の読者のページで、「ウォーキング」というテーマで投稿文を募集していたので、広報のウォーキング講習会に応募したのがきっかけで歩き遍路に挑戦したことを思い出し、メールで投稿していたのです。しかし投稿したことをすっかり忘れていました。一応了承しておきましたが、もし掲載されれば明石市には知人が結構いるのできっと恥ずかしい思いをすることになるでしょう。


4月21日 明石市高年クラブ連合会主催グラウンドゴルフ大会
 例年開催されている春のグラウンドゴルフ大会があり、自転車を連ねて西明石近くの上が池公園へ行きました。プレーヤー112チーム672人、役員や審判を含めると700人以上の高齢者が参加するという、まさに高齢者パワーを感じさせる大会です。
 4コート10ホールで参加者を3グループに分けて午前・午後各1ラウンドのゲームが進行されます。成績はといえばさっぱりで、目の前で2ホールもホールインワンを見せつけた女性の仲間をうらやましく見ながら、ほどほどの成績に終わりました。親睦研修会から1度もホールインワンを経験しないまま3日間、88ホールが終わってしまいました。


4月19〜20日 グラウンドゴルフ部研修親睦旅行
 私が所属している老人クラブ西江井友愛クラブグラウンドゴルフ部の研修親睦旅行がハワイ温泉千年亭で行われ、72〜83歳20名(内女性5名)が参加しました。1日目は白兎グラウンドゴルフ場で5ラウンド、傾斜面で手こずり成績は15位、2日目は雨天の中グラウンドゴルフ発祥の地・とまりグラウンドゴルフ場で3ラウンドプレイしました。2日間トータル13位でした。
 夜のミーティングでは会長が「グラウンドゴルフ部の仲間は単に一緒にプレイするだけでなく、いざというとき遠くの身内より近所の仲間としてお互いに支え合う間柄になろう」と提案されました。このことは、私が地域の老人クラブに参加したときから、最終目標としていたことそのものだったので、とても感動し、思わず拍手をしました。自分の住んでいる地域にこの様な機運が芽生えたことを大切にし、是非盛り上げていきたいと思います。ほんとうに楽しく有意義な研修親睦旅行でした。


4月18日 宝塚大劇場観劇
 午後から宝塚大劇場月組公演「スカーレット ピンパーネル」を観劇しました。もちろん招待していただいたのですが、前から14番目の座席でスターの顔はオペラグラスを使わなくてもよく見え、話もよくわかりとても楽しく観せていただきました。先日茶話会に参加させていただいた龍真咲さんは準主役として出演されていましたが、重要な役柄を見事に演じていました。ますます宝塚歌劇がおもしろく感じるようになりました。


4月15日 グラウンドゴルフ当番とピカソ展
 今秋はグラウンドゴルフの当番でした。月曜日は大雨だったので延期、火曜日はグラウンドコンディションが悪いだろうと行ってみると、なんと一部を除いて水は引いていました。グラウンド整備をせずに、ゴールポストだけを立てて12人で3ラウンドしました。球の転がりが重い感じでしたが、なめらかな地面だったので2位の成績でした。
 今日は柔らかいグラウンドで子どもたちが遊んだらしく、穴や足跡がグラウンドいちめんにあって、そのまま乾いていたので整備が大変でした。何とか時間までに整備を終わりましたが汗をかいてしまいました。ところが今日は冬に逆戻りのような気温で寒さを感じながらゲームをしたため、集中力を欠きひとり低い成績で終わりました。
 午後からはピカソ展を鑑賞するため明石文化博物館へ行きました。版画の作品でしたが、「抱擁」というテーマの作品など、思春期の子どもには見せられない作品もあり、ピカソの作品というだけで許されるのはどうかなと疑問に思いました。


4月14日 姫路城の工事
 今日から兵庫県芸術文化協会主催の歴史講座が姫路の県立歴史博物館で始まり、昼前に出掛けました。会場までは姫路城の東側を通りますが、既に足場が組み始められており、その様子を写真に納めました。
 歴史講座は昨年までと違ってほぼ満席の95名が受講しており、30名も増えているのに驚きました。話は伊和大明神が中心でしたが、伊和神社や御形神社など訪れたことがあるところで親しみがあり、風土記の資料も面白く聴きました。特に、最後に自分で訪れて写真を撮り、パワーポイントを使って映像で紹介して下さるので興味をそそり、訪れてみたいという気持ちになりました。
 帰りはいつもと違ってお城の北から西側を通って姫路駅へ向かいました。しかし、西側は既に去年あたりから修理が始まっていましたが、桜がきれいだったのでその様子もカメラにおさめました。最後に南側から見ると、クレーンで足場を組み立てていく様子がよくわかったので、その様子もカメラにおさめておきました。
 来年の2月まで8月を覗く毎月1回講座に出掛けることになっているので、進捗状況をカメラに納めておこうと思っています。

  
東側から                     西側から                    南側から

4月12日 カラオケの機械
 昨夜は男性のカラオケグループの例会でした。歌いながら私の新しい機械のカタログを見せながら話題にしました。19,800円という値段と私のカラオケ効果の歌いぶりに仲間が興味を持ち、今日は二人が家まで見に来ました。そしていろいろな機能を確認すると二人とも買うと言い出しました。昨夜、もう一人買おうかなといってカタログを持ち帰った仲間がいたので、確認してから一緒に注文することになりました。こうなると、自治会館に常備しているグループの新曲のソフトが取り合いになるかもしれません。


4月10日 稲荷講
 私の住んでいる地域の稲荷講が実施する最上稲荷のお参りバス旅行に参加しました。ここは神仏合祀という感じで、大きな鳥居をくぐって進むと、変わった形の山門に、閻魔大王と狐が置かれていました。正式には最上稲荷山妙教寺といい、本殿では「南無妙法蓮華経」と唱えられていました。このような御祈祷を受けるのは初めてでした。
 そこからバスで宝生寺に向かいました。まず「金亀」という精進料理の店で昼食をとり、その後雪舟が涙でねずみの絵を描いたというお寺を外から拝観しました。さらに吉備津神社へより、長い屋根のある長い廊下を歩きました。どこへ行っても桜が満開で、本当に見事でした。景色を携帯電話で撮ったのですが、マイクロSDカードを入れ忘れていて、容量が満杯になったのと、携帯電話のインターネットをしていないので、その写真をパソコンに取り込むことができません。もっと使いこなせるようにならねばと思いました。


4月9日 花祭り
 明石仏教会と明石青年仏教会が主催する花祭りが明石市民会館で開かれ、講演を聴きに行きました。講師は女流講談師の神田陽子さんで「仏縁に導かれて」というテーマでした。彼女は栃木県の400年の伝統ある曹洞宗のお寺の住職婦人でもあります。お寺のことも面白おかしくギャグを入れながら楽しく語っていました。しかし圧巻は女忠臣蔵を語られたときで、ついつい話に引き込まれました。テレビの子ども番組でよく見る神田山陽の先代に入門された話を聞いていると、いまの山陽がついつい思い出され、最後まで楽しく聴くことができました。写経や寄席でお世話になっているのに、この様な会にお招きくださった高家寺の井藤圭瑞住職に心から感謝しています。


4月7日 再び冬が
 昨日は暖かな一日でいよいよ本格的な春になったと思ったのに、今日の寒さときたら真冬なみです。いい加減毛糸のタートルネックのセーターを脱ぐようにいわれ脱いだ途端にこの寒さです。ヒノキ花粉だと思っていた鼻水がおさまらず、どうも風邪をひいてしまったようです。今日から小学校の新学期が始まりました。妻の病院の送り迎えをしていたら、スクールガードは2度の下校時刻に間に合わず、どちらも最後の3人ほどを見守っただけでした。お陰で寒さの中で長く立つことが無く風邪を悪化させずに済んだのかもしれません。

 午後からは家にいたので高齢者放送大学の開講の放送を聴くことができ、ホームページも「22年度の感想文」のページを更新することが出来ました。

4月6日 ヒノキ花粉?
 今日は久しぶりに朝から暖かく、良いお天気だったので、午前中は庭の畑を耕したり、草ひきをしました。午後は買い物などに出掛けたのですが、夕方からくしゃみや水ばなが出だしました。今年は杉花粉によるアレルギー性鼻炎をほとんど感じることなく済んで良かったといってたばかりです。仕方なくこの日のために買っていた「鼻セレブ」というやわらかなティッシュの箱を開けました。下を向くと水ばながぽたぽた落ちるのでたまりません。ひょっとしたらヒノキの花粉が飛び出したのかもしれません。


4月5日 エジプト展
 神戸市立博物館でいまエジプト展が開催されています。今日は本来は休館日ですが、学校厚生会が借りきりで鑑賞させてもらいました。学校厚生会の退職会員証を見せると家族みんなが無料で入場できるとあって、家族3人で鑑賞しました。借り切りというだけあってそれほど込んでいなかったので、ひとつひとつゆっくり説明文を読んで最後まで見ることができました。この様な催しは大歓迎です。帰りに復活したてのオリエンタルホテルにより、17階の見晴らしのよい喫茶室でジュースを飲みました。
それにしても京町筋の変貌ぶりに驚きました。私の誕生地も建物がすっかり変わっていました。震災でダイエーが壊滅し、見事な再開発を遂げていました。いつかもっとゆっくり私が生まれた町を歩いてみたいと思いました。


4月4日 神戸市民交響楽団定期演奏会
 招待券をいただき、神戸文化ホールに出掛けました。指揮者は高谷光信という新進気鋭のきびきびした感じで、ドビッシーの交響詩「海」など難曲に取り組んでいました。2部のベルリオーズ「幻想交響曲」はティンパニー2組、大太鼓2つとパーカッションがすごい迫力の演奏でした。2階席で聴いていたので、ティンパニー奏者の力強い動きがよく見え、感動でした。


4月3日 2万歩のウォーク
 今日は高齢者放送大学の放送日でした。目が覚めたときにはもう7時近くなっていたので、録音を聞くことにしました。妻が新しくカラオケグループに参加することになって、朝食後でかけていきました。その間に録音を聴こうと思ったのですが、録音されていません。ラジオをカラオケの練習に使うためコンセントを抜いて場所を動かしたため、時刻がリセットされていたのです。月曜日にインターネットで聴く以外に方法はありません。
 今朝は新聞を盗られたのか朝刊が届かなかったので、家にいても手持ちぶさたです。それならばと幸いよい天気で、先日来の雨のために運動不足になっていたので、1万歩を目指して東二見まで海岸線をウォークしました。やや冷たい風でしたが、ひとりなのでかなり力を入れて歩くとすっかり暑くなり、ジャンバーを脱いで歩きました。
 家に帰ってきた妻が食後三木山森林公園を歩こうと提案してきました。彼女もすっかり運動不足に陥っていたのです。それならばと再びウォーキングに出掛けました。いつものコースを歩いていたのですが。途中で園外につながる道路に出ました。そして、地蔵口から改めて園内に入ったので、いつもより1500歩ほど多く歩きました。午前中に歩いた1万歩はほとんど平坦な道路でしたが、こちらは山あり谷ありで、同じ1万歩でもずいぶん変化に富み、体力を使います。丁度山ツツジが咲き始めていてほんとうにきれいな色でした。気持ちのよい汗をかき、お遍路以来の2万歩のウォークでした。ちなみに本日のウォークは20923歩でした。


4月2日 カラオケの機械
 先日、2月のカタログ販売のパンフレットを見ていると、19,800円のカラオケの機械が載っていました。カタログの配布斡旋が学校厚生会で信頼できると思い、注文しました。現物が届いたときは超忙しいときだったので、試しに手元にあるソフトでならしてみただけでした。そのときはDVDのカラオケは歌手の声が聞こえないのでこれではだめだなと思っていました。今日は午後から時間があったので、カラオケクラブのCD−GとDVDのカラオケソフトを借りてきて使ってみました。するとDVDも歌入り、カラオケ共に使え、嬉しくなりました。そして3時間ほどひとりで何曲も歌いました。お陰で前回のカラオケの復習と次回の予習が少し出来ました。やはり画面に歌詞が現れると歌いやすいなと思いました。カラオケ部が買っている同じような日本製の機械は7万数千円で売っているので、中国製ですが家で使うのならこれで十分だと思います。


3月30日 桃源郷へドライブ
 和歌山県紀ノ川市桃山町は「荒川の桃」で有名です。一度花の季節に行ってみたいと思っていました。昨夜、明日はお天気がよいと聞き、インターネットで調べてみました。すると、29日現在満開だということがわかりました。
 朝7時に家を出発、玉津ICから第2神明に上がると、柳原から7qの渋滞と表示されていました。遠回りだとは思いましたが、北神戸線から中国道、近畿道経由で行くことにしました。こちらは順調で、北摂津で少し渋滞した以外とてもスムーズに進みました。岸和田SAで休憩し、阪和道経由で和歌山北ICまで行きました。このICは3月14日に開通したばかりです。そこから国道24号を東進し、下井阪交差点を南下して紀ノ川を渡ったところで車を止めて桃源郷を歩き回りました。このあたりは桜も満開で、桃と桜を楽しみました。私たちは下井阪橋から西の方角の桃の花をカメラにおさめていたのですが、途中で出会った地元の人が下井阪橋から紀ノ川の土手を東へ行くときれいだと教えて下さいました。そして、根来寺の桜がきれいだから、是非帰りに寄るようにとすすめられました。いわれたように土手を歩くと桃の花が高いところから見渡すことが出来、ほんとうにきれいでした。
 車に戻り、根来寺へ行くために泉南方面に車を走らせました。途中の交差点で、右7q粉河寺と案内標識がでていたので、粉河寺へ行くことにしました。粉河寺の駐車場に車を止めて、車の中で昼食のおにぎりを食べました。その後お参りをしていたら、四国88ヶ寺に続いて小豆島の歩き遍路も3月19日に結願したので、今度は西国33ヶ寺を巡ろうと妻が言い出しました。それも掛け軸に御詠歌を書いたのを見せてもらったことがあり、それがとても素晴らしかったというので、急遽お軸を買って、これから何年かかけて二人で巡ることにしました。平日でそれほど込んでいなかったこともあって、納経所の人が詳しく説明をしながら粉河寺の御詠歌を書いて下さいました。タイヤを新調しこれからときどきドライブをしようと思っていましたが、これでここしばらくのドライブの目的が決まりました。
 帰りに根来寺へ寄って桜を愛でました。結構人出がありましたが、奥の院へ行くとほんとうに静かで、杉と楓の林の中を気持ちよく歩くことが出来ました。帰路は先日訪れたりんくうタウンへ出て、湾岸線経由で帰りました。途中摩耶で阪神高速の乗り継ぎ券を受け取っていなかったので、芦屋南で受け取った領収書を見せると、「次回から乗り継ぎ券を必ず受け取って下さい」と注意されました。しかし、どこで受け取ればいいのかわからないまま、夕方5時半頃327qのドライブを終えて家に帰ってきました。
 朝、北神戸線ではまわりは雪景色で「凍結注意」の表示が何度もでていましたが、和歌山県では満開の桜を見ることができ、一日の内で季節の違いを感じました。良いお天気でしたが、風の冷たい一日でした。本日の歩数は11,000歩でした。
   

紀ノ川土手から見た桃源郷           ももとPEACHのマンホール     粉河寺の桜も満開          根来寺奥の院の虎口

3月28日 たこフィル定期演奏会
 午後から明石市フィルハーモニー管弦楽団(通称たこフィル)の定期演奏会があり、聴きに行きました。午前中から眠くて仕方なかったのですが、2階席の最前列正面に座り、演奏が始まるまで眠っていました。1曲目はまだよかったのですが、2曲目のチェロ協奏曲が始まるともう我慢が出来ず眠ってしまいました。オーケストラの人数も少なく、迫力もなく単調だったので曲が終わるまでほとんど眠っていました。休憩中は目がぱっちり開いていました。第2部はどうかなと思っていましたが、斉田好男氏(昨年の第九の指揮者)の迫力ある指揮で、なじみのあるチャイコフスキー交響曲5番だったので、引き込まれて聞いていました。やはり指揮者が代わり、なじみの曲だと感動します。

 帰りにサティへ寄って、昨日の総会で昼食の寿司を買ったときに借りた容器を返しておきました。これで総会の用事がやっと終わりました。

3月27日 西江井友愛クラブ総会
 朝9時15分に自治会館へ行き、昨日に引き続きカラオケのソフトの準備をしました。CD−GやDVDが200枚以上あり、それだけで結構重く、何度も2階への階段を上がり降りしました。引き続き、持ち帰りのおやつを袋詰めしていると、予定の時刻が過ぎ、あわてて昼食弁当などを取りにスーパーへ会長の車で行きました。頼んでおいた弁当やフライなどが沢山あり、会場へ持ち帰ったときには開会10分前でした。その間、他の役員は受付をしたり、つまみを盛りつけたりと大忙しでした。会長が車を置きに帰っている間に弁当や飲み物を配ったり、総会資料を配付したりしていると予定より15分遅れてしまいました。
 私は総務担当の副会長なので、遅れたことを詫びて開会しました。会長のあいさつの後、議長選出を省略し、私の司会で議事を進めました。活動報告・会計報告等質問や意見もなくすんなり承認されました。人権映画上映会のお知らせをし、早々に総会を終わって前会長の乾杯の音頭で食事にしました。アルコールが入ったためか、隣近所に座った人たちと話が弾んでいました。私はといえば、朝からよく動いたにもかかわらず、ビールとつまみを食べたら弁当の寿司は半分しか食べられませんでした。昨日同じようなにぎり寿司を2人前も食べていたのも幾分影響しているのかもしれません。
 12時30分になったので、ビンゴーゲームを始めました。早くビンゴになった人から包装紙に包まれた賞品を自由に選んで取ってもらいました。大きいものから小さな物まであり、私は比較的早くビンゴになったので、100均のビニール傘を車常備用にもらいました。なかなかビンゴにならない人がいて、ずいぶん時間がかかりました。
 その後はカラオケ大会をしました。ビンゴーゲームに使用した番号札を1枚ずつ取ってもらい、裏に歌う曲名を書いてもらいました。そして、番号の若い人から順に歌ってもらいました。カラオケルームなどに置かれているようなの曲名が書かれた本がある訳でもなく、司会をしながら機械を操作し、CDやDVDを探すのは大変でした。先の人が歌っている間に以降の人のソフトを探していたら、すっかり汗をかきました。カラオケ部に所属している人の大半が歌ったので、20曲ほどフルコーラスしてもらいました。私も「風よ吹け」を歌わせてもらいました。そのようなことをしていたので、最初と最後にみんなでよく知っている歌を一緒にうたおうと話し合っていたのに、すっかり忘れてしまい、会長の歌を最後にお開きにしてしまいました。
 みんなが帰った後、役員で後かたづけをしました。部屋がすっかり暖房でぬくもっていたので、椅子や机、カラオケの機器を片付けていると、再び大汗をかきました。片付けに1時間ほどかかり、その後反省会と次回の計画を立てました。4月は24日(土)に映画会「おくりびと」をすることに決め、解散しました。帰り道、欠席した人の家に総会資料を配りました。家に帰って手押し車を押してもう一度会場へ行き、昼食の寿司を運ぶためにスーパーで借りた容器を持ち帰りました。今日は飲酒しているので、車に積んで明日にでも返却しようと思っています。8時間ほど重い物を持ったり走り回り、立っていることが多かったので老体には少々こたえ、家に帰ったときにはすっかり疲れていて、寝転びたい心境でした。
 今朝の高齢者放送大学学生参加番組の放送で、西江井友愛クラブの会員が話され感激しました。早速総会でお祝いをいおうと思っていたのですが、残念ながら今日は欠席されていました。そういえばご主人の法事だといわれていたように思います。今度出会ったらお祝いをいいたいと思います。


3月26日 総会準備
 私が所属している老人クラブの総会が明日あります。前日から会長に預かった活動報告の原稿をパソコンで作成し、印刷しておきました。そして今日は準備のため10時に役員7人が集まり、買い出しに出掛けました。当日の弁当、飲み物、つまみ、お菓子など盛りだくさんでした。初めに入った店でビンゴーゲームの材料や賞品を買い、続いて近くの店で弁当の交渉をしましたが、前日の注文では無理だといわれ、2軒目では飲み物が他店より高く、つまみだけを買い、3軒目でようやく弁当が解決したので、そこで残りの買い物も済ませてしまいました。お昼をまわったので昼食の寿司を買って総会の会場へ戻ると、2時を過ぎていました。夢中で2人前の寿司を食べ、机や椅子など会場準備をし、カラオケの準備でブラウン管のテレビなどを運び終えると、すっかり疲れました。
 これほど雑用が沢山あるので、みんなは役員になることを避けようとします。しかし、人の役に立つことが出来ることを幸せに思わなければと思い直しました。身体が動く間は頑張りたいと思います。


3月21日 「関西国際空港の裏側の見学」ツアー
 読売旅行明石営業所の日帰りバス旅で、「関空の裏側を見せます」というツアーがあり、参加してみました。祭日だったので、子どもたちの参加が多く、49名の乗客でした。私たちの後ろの席も小学校低学年の兄妹でしたが、物知りで、車の種類や道路のこと、飛行機のことなど目につく物を次々とお互いに問題を出し合って、私たちの全く知らないことも見事に答えていました。この様な子どもたちや若い人々と一緒にツアーに参加するのは久しぶりで若返った感じがしました。
 関空に到着すると、案内をする女性が乗り込んできて、バスに乗ったまま説明を聞きながら関空の航空燃料タンクや倉庫、機内食工場など北の端から南の端まで見学しました。さらに第2滑走路に向かい、バスから降りて展望台へ登り、目の前に着陸する飛行機なども見学しました。
 その後展望ホールの建物の一般客が入れない食堂で、機内食の昼食を食べました。全てが脂っこい感じで、むっとしました。食後展望台で飛行機の発着を撮影しました。デジタルカメラのビデオ機能を使って撮影しましたが、この日は朝から黄砂がひどく、飛行機が少し離れると肉眼で何とか見えても画面では見失い、全くひどい撮影でした。むしろ目の前に着陸する飛行機の撮影の方が迫力がありました。
 売店でコーヒーを飲み、一服した後、南海電車のラピート号でりんくうタウンへ行き、アウトレットで買い物をしました。とにかく広いのと人が多く、すっかり疲れました。それでも半額のリュックと70パーセント引きのシャツを買いました。帰りのバスではぐっすり眠ってしまい、気がついたら湾岸道路の終点についていました。初めての経験が沢山あり、結構楽しい旅行でした。

  
展望ホール展望台              ラピートのはしゃぐ子どもたち       りんくうアウトレット

3月17日 にっしん・さんよう平日ウォーク
 明日から小豆島の歩き遍路に出掛けるのですが、それでも日頃の運動不足を解消するためにあえて平日ウォークに参加しました。
 山陽電鉄八家駅で下車、少し北にある東山公園に集合すると、既に第一陣は出発していました。10時の第二陣も出発、先ず明田南公園を目指しました。このあたりは古い土蔵のある家並みが続き、細い道を歩きました。やがて自然を感じさせる道路に出て、早春の道を比較的ゆっくりしたペースで歩きました。姫路バイパスの下をくぐり、北西に進むと見野古墳群に到着しました。ここには20基の古墳がある群落です。地元の方が説明をしてくださいましたが、元もと竹藪で、子どもの頃は防空壕だと聞いていたそうです。それが古墳だとわかり、地元の人たちが竹を切り開き、桜や山アジサイを植樹し、地域興しとしてこの古墳群を活用していこうとされているそうです。全国的な古墳祭も今秋に計画されており、素晴らしい活動だと思いました。
 古墳群を見学した後、さらに北上し、宮山古墳公園まで歩きました。ここで昼食を済ませ、そばにある姫路市埋蔵文化センターを見学しました。トイレを済ませ、ここから再び南西に進み高浜総合公園へ向かいました。途中で20年ほど前に勤務した姫路特別支援学校の前を通りました。始めてこの学校を訪れたとき、創立15年くらいだったのに、コンクリート打ちっ放しの校舎は黒く汚れ、まるで古い工場のような姿でした。ところが、その校舎がきれいに塗装され見違えるほど美しくなっていました。あの先生、この先生がいまこの学校に勤めておられるのだなとなつかしく顔を思い出しながら校舎の前を歩きました。
 再び姫路バイパスの下をくぐり、南側の側道を西進し市川を渡りました。高浜公園に到着しましたが、特に休憩する訳でもなく、姫路市役所前から北上し、山陽電車手柄駅北側のくにみち公園でゴールのスタンプを押してもらいました。じっとしていると寒さも感じましたが、歩いているとたくさん着込んでいたので暑く感じました。良いお天気のハイキングはやはり持ちよく、いままでに歩いたことがないところで新発見があり、今回も収穫が沢山あった20,000歩のハイキングでした。

  
見野古墳群入口                  見野の郷賛歌                   竹藪に現れた古墳
  
入口が二つある古墳              宮山古墳前の春日神社に奉納された絵馬など かつて勤務した建てもに


3月13日 さんよう土曜ハイク
 山陽電車主催の「土曜ハイク」があり、お天気を心配しながら参加しました。今回の参加者は548人ということでした。これまでの平日ハイク、日曜ハイクの遅刻の反省から、早めの電車に乗りました。お陰で集合場所・平磯公園でしっかり準備運動のストレッチをすることが出来ました。
 朝から曇り空だったので、上に防水機能のあるウインドウブレーカー上下を着用しました。10時に出発、いつものように比較的後方を歩きました。それでもペースが速く、直ぐに暑くなり、ウインドウブレーカーの前を開けて歩きました。海岸沿いに明石海峡大橋まで歩くのですが、汗ばんできたので、セーターを脱いで歩きました。舞子公園からは上り坂で海峡大橋取りつけ道路のトンネルの上にある苔谷公園に登りました。四国遍路に行くとき、下のトンネルをいつも通っていましたが、こんなところに見晴らしのよい公園があるとは知りませんでした。そこから西側へ下り、舞子台緑地に登り、再び下って町中を歩き大歳公園まで歩きました。そこから川沿いにしばらく北上し、150段の階段を登ると、舞子墓園の近くまで来ました。結構地元の人がこの階段を上り下りしておられるのを見て、毎日だと大変だなと思いました。昼食休憩場所の舞子墓園に到着したのは、12時を少し過ぎていました。納骨堂前の藤棚に腰をかけて昼食のおにぎりを食べました。気がつくとほとんどの人は早々に出発して人影が少なくなっていました。日曜ハイクで離宮公園へ行ったとき、知的障害と思える青年が「山陽ハイクの参加者ですか」と言って御菓子を配ってくれました。今回も弁当を食べていたら「土曜ハイクの参加者ですか」と言ってクッキーをひとつくれました。2度目だったので、今度は戸惑うことなくお礼を言って有り難くいただきました。それにしてもどうしてこんなサービスをしてくれるのか不思議に思いました。
 12時40分に出発、墓園内を歩いていると、真っ赤な松の切り株がありました。これが赤松なのだろうかと思いました。墓園を後にして、街の中の坂道をどんどん下りました。ところが舗装道路を勢いよく下るので、膝がだんだん痛くなってきました。いつもなら直ぐにおさまるのですが、痛みがだんだんひどくなっていきます。これでは木曜日からの歩き遍路が心配です。40分ほど下ったところに五色塚古墳がありました。古墳の上に登ってしばらく休憩し、ゴールの霞ヶ丘駅まで歩きました。ゴールでくじ引きがありましたが、何も当たりませんでした。
 ホームで待っていると汗も引き寒さを感じたので、急いでセーターを着ました。13時53分発の電車に乗車しましたが、電車の中は暖かく、セーターを着込んだことを後悔しました。それでも暖かな電車の中ではすっかり眠り、気持ちよく帰宅しました。
 途中で2度ほど雨が降りましたが大したこともなく、2万1千歩ほどのウォークを楽しみました。

   
500人あまりが一斉にスタート   苔谷公園               赤松の切り口    五色塚古墳

3月10日 いきいきネットワーク交流会
 私が所属している「グループいきいきネット」の母体であるいきいきネットワーク登録者の交流会が神戸でありました。当日のボランティアを申し出ていたので、会場準備、受付、会場の後かたづけを手伝いました。他の班と違って、私達の班はボランティアは兵庫国体などほんの少ししただけで、もっぱら毎月楽しみながら親睦を図っています。それでもいきいき仕事塾修了者の入会希望が毎年絶えません。メンバーの人数も40人を超えました。この日も明石在住の方から問い合わせがあり、状況をお話しすると即入会を希望されました。そのほかにも私たちの活動を質問される方もおられました。
 21年度でいきいき仕事塾の事業は終了されることになっていましたが、さらに5年間活動が延長されることになりました。ただし、これまでと違って講座は災害復興公営住宅でのみ開講するという制限が設けられました。それと共に、各班の交流を積極的にするようにとも言われました。私たちの活動は特に講座を開くということではないので、いままで通りの活動が継続されると思います。ただ、他の班の状況を聞いていると、私達の班のようにバラエティに富んだ活動をしているところはなく、また、いきいき仕事塾の趣旨に反した活動をしているグループもないように思いました。各自それぞれボランティアの精神を大切にして、個々に活動しておればそれがもっとも大切なのだと思っています。


3月8日 女性カラオケグループ例会
 グラウンドゴルフの例会と総会が午前中にありました。3ゲームして、最後の一打でホールインワンが出て、トータル54打で3位になりました。その後総会があり、明石市高年クラブ連合会主催の大会出場者の確認、春の親睦1泊旅行、そして役員改選がありました。結局親睦旅行は大会の前日に決まり、大会直前合宿ということになりました。役員は欠員になった副会長の補充以外は現役員全員が留任ということに落ち着きました。
 家に帰ると12時前でした。昼食の準備をしながら、午後からの女性カラオケグループ例会の新曲の練習をしました。練習といってもMDに録音した「温故知新」を繰り返し聞いただけです。もう1曲も聴こうと思ったのですが時間がなく、1時に急いで会場に駆けつけました。女性は熱心で、開始30分前なのに既にほとんどの人が顔をそろえていました。
 いままで聴いていた曲の練習が先ず始まりました。こうして予習をした曲は自分の番になると何とか歌えます。しかし、休憩後に練習した別の新曲は初めて聞くのでなかなか覚えられません。最後にまわってきたマイクを持って歌いましたが、細かいところまで正確に歌えませんでした。1週間後にまた歌いますが、その時にはきっとすっかり忘れていることと思います。復習しなければなりません。


3月7日 またまた忙しい日曜日
 今日も朝から晩まで予定がつまっていました。昨日、神戸・ひよどり墓園にある実家の墓参りに出掛けようとしたら、車のガソリンが少なくなった警告灯がつきました。往復60q位なので大丈夫だと出掛けました。何とか家に帰り着くことが出来ました。それで今朝は先ずガソリンを入れ、ついでにAコープで買い物をしました。家に帰ったのが11時30分、急いで昼食を食べて、12時過ぎに車で写経に出掛けました。明石・高家寺で写経と般若心経の読誦を終え、法話を聞いた後、アスピアで開催されているパフォーマンスと駅前落語を聞きに行きました。パフォーマンスは終わっていましたが、落語2題を楽しみました。
 終了後急ぎ帰宅し、男性のカラオケグループの例会に参加しました。午後5時から始まっていたのですが、到着は6時、それでも事前に遅刻することを伝えていたので、温かく迎えてもらいました。うろ覚えの新曲と2週間前に練習した新曲の2曲を歌いましたが、どちらもさっぱり歌えませんでした。この様に朝10時から夜10時まで、忙しく、しかし楽しく充実した一日でした。


3月5日 タイヤ交換
 愛車のタイヤはいつもぎりぎりまで使って交換しています。だから交換して1〜2年で新車に乗り換える結果になっています。先日の点検で、来年の車検時に交換することになるといわれました。それならば早めに交換すればと思っていたら、今日の新聞折り込みにイエローハットのタイヤの広告が出ていました。思い立ったが吉日と立ち寄り、国産(東洋タイヤ製)の155/65/14Rのタイヤと交換してもらいました。タイヤは4本で19,800円でしたが、交換の技術料やタイヤの処分料などあわせて、25,000円あまりでした。いままでオーツタイヤだったのですが、乗り心地はとても良くなりました。車が平成16年製なので後何年乗れるかわかりませんが、出来るだけ長く乗れればいいなと思っています。


3月2日 くぎ煮
 イカナゴの新子漁が解禁になり、いよいよ明石の早春の香りが町に漂い始めました。今年は昨年の半額程度で手に入り、妻が早速6s炊きました。家中くぎ煮の匂いで満ちています。外へ出ても換気扇からの匂いが吹き出してきます。この相場が続けば昨年と違ってこれからしばらくは町中くぎ煮の匂いで満ちあふれることと思います。


3月2日 12ヶ月点検
 3月は愛車の点検月です。私の愛車は「R2」といスバルの軽自動車です。スタートなど動きがきびきびしているので気に入っています。平成16年に買ったのでもう6年目です。
 9時30分に予約していました。道路工事で渋滞したため、5分ほど遅れて到着、ほぼ1時間で点検は終わりました。待っている間に川柳の兼題について考えようと思っていたのですが、ディーラーの待合室の本棚に桂文珍が関大で講義した内容の文庫本があり、つい夢中で読んでしまいました。名前を呼ばれて完了しているのがわかりましたが、いつもより早く出来たような錯覚に陥りました。オイルとオイルフィルターなどを交換して8,478円で済みました。タイヤの溝がかなり浅くなっているので、ローテーションしてくれたそうです。スバルは軽自動車の生産を取りやめ、ダイハツから供給を受けるとかで、R2の新車の発売を終えているようなので、そろそろタイヤを交換し、もうしばらく乗っておこうと思っています


3月1日 精密検査
 先日の検診で、コレステロール値が高いことと、胸部検診で腫瘤状影があるので精密検査を受けるようにという検査結果が届いていたので、グラウンドゴルフが終わった後、指定病院に出掛けました。病院到着が10時40分だったので、多分遅くなるだろうとは思っていましたが、家に帰ったのは夕方5時前でした。
 受付をすませた後、12時近くになってやっとひとつ目の血液検査についての診察でした。コレステロールの治療については地域の医師にお願いするようにといわれたのですが、血液検査を精密にして欲しいとお願いしました。そこで採血の検査場へまわされ、血を3本採りました。
 次は呼吸器ですが、なかなか呼んでもらえず、その内に胸部X線撮影を言い渡され、レントゲンを撮りました。次に私の番号が出たのが13時を過ぎていました。ところが30分間梨のつぶて。その内に血液検査の結果が出たからとそちらへ行かされました。それから待つこと30分やっと呼吸器科の診察室にはいると、レントゲン検査の結果では判定できないということになり、CT検査をすることになりました。ところが予定されている検査の間に挟んでもらうので、午後4時からCT検査をするといわれました。今日は他に予定はないし、改めて予約を取って病院に来るのが面倒なので、了解して7階の食堂へ行きました。始めて訪れた病院なので勝手がわからず、施設の立派さに感心し、高いところからの景色を眺めながら食事を済ませ、休憩をしました。
 それでも時間が余り、備え付けの本などを読んで時間をつぶしました。4時きっちりに胸のCT検査をしてもらいました。そして10分ほどすると、呼ばれて診察室に入りました。パソコンの画面に私のCT検査の映像を映し、異常のないことを確認してくれました。
 コレステロール値も高いけれど、様子を見る程度でよいといわれ、ホッとして帰ってきました。


2月28日 淡路蘭展から大鳴門橋記念館へ
 朝10時10分明石港発のフェリーで淡路夢舞台蘭展を見に行きました。いつもはがらがらのフェリーですが、日曜日ということもあって車も満載なら、観光バスも乗っていて船室内もとてもにぎやかでした。会場そばのホテル地下2階の駐車場に車を止めるのは初めてで、温室へ行くのに迷いました。蘭展そのものは2年ほど前に行ったことがあるので、美しいという感動はありましたが、今回はチョコレートの香りがする花がもっとも印象に残りました。展示された花の中にはブームの時に5鉢数億円という台湾産の欄もありました。見学後食事の時間になっていましたが、福良まで車を走らせ、大鳴門橋記念館まで行きました。ここへ行くのも少し遠回りしたのかなと思いますが、到着したのが2時25分でした。
 先ず展望レストランで食事をしました。旬の魚のにぎりを食べました。脂がのった魚は新鮮で、とても美味しい寿司でした。食後淡路人形浄瑠璃館へ入りました。15分ほど人形やその扱いの解説がありました。最後に人形を持たせてもらい、記念写真を撮りました。出し物は阿波の鳴門のいつもの舞台でしたが、解説を聞くために前にいてそのまま見たので、人形もよく見え、話もよくわかっていたので、若い女性の浄瑠璃の声を聞きながら楽しく見ることができました。
 その後うずしお館で3Dの映画の上映を見ました。目の直ぐ前に飛び出してくる画面につい手を伸ばしてしまいました。終わった後、人形浄瑠璃館横で原田伸郎のライブをしているというので、聞きに行きました。生で見るのは初めてです。終了後、お餅の配布があり、続いてヒラメの活け作り、鯛のほうらく焼き、焼きサザエなどのサービスがありました。刺身を3切れ、ほうらく焼きを2人前食べました。サザエは苦手なので取りませんでした。
 帰りは西浦を走りました。湊の手前で、前のコカコーラの車について走っていたら、漁港に迷い込んでしまいました。それでも直ぐに県道25号線から31号線に出て無事岩屋港に到着しました。出航3分前の到着で手続きを済ませ、直ぐに乗船できました。丁度満月が海の上に出ていたので、フェリーが明石海峡大橋の西側に出たとき、大橋と一緒に月を撮影しました。帰りもほぼ満車でデッキも観光バスの乗客でにぎわっており、あちこちから月夜の大橋に感動の声が聞こえました。
 蘭展以外で楽しいことがあり、思いの外快適なドライブになりました。

    
チョコレートの香り ○千万?  メインホール                                   展望レストランからの眺め
   
人形と記念撮影               原田伸郎ライブ               大橋かかる満月              フェリーのたこグッズ


2月27日 パソコンの情報がうまく繋がらない
 西江井友愛クラブ(地域の高年クラブ)の例会がありました。前日に写真を取り込んでおいたフラッシュメモリー、パソコン、液晶プロジェクター、そしてスクリーンを車に積んで出掛けました。ところがいくら努力してもパソコンの情報がプロジェクターに繋がらないのです。これまで何度も使っているので繋がらないはずがないと両方を代わる代わる電源を切って改めて立ち上げてみましたがだめでした。いったんはあきらめたのですが、液晶プロジェクターをよく見ると、UBSの差し込み口があります。試しにフラッシュメモリーを差し込んでみるとファイルが画面に現れました。クリックすると写真が次々スライドショーで現れました。1日目のファイルがすんだ後、2日目のファイルに移るとき少し戸惑いましたが、無事全ての写真を見てもらうことが出来ました。昨夜努力したことが報われホッとしました。それにしてもパソコンの情報を液晶プロジェクターに伝えることが出来なければこれからの使用範囲が狭まってしまいます。また息子が来たときに見てもらおうと思います。
 例会の目玉は液晶プロジェクターを使って米朝の落語のDVDを鑑賞することでした。しかし、適当なコードが無く音声をマイクで拾うため、音声がもう一つで肝心の落語をよく聞き取ることが出来ませんでした。


2月26日 検診結果
 毎年住民検診を受けています。これまでは胃の精密検査を1度指摘されましたが、胃カメラで調べてもらってピロリ菌を退治してもらうというおまけがあっただけで特に問題はありませんでした。ところが今回はコレステロールの数値が「要医療」という結果に続いて、胸部検診でも「要精密検査」という結果が送られてきました。近々病院へ行かなければならないと思うと気が重くなりました。また時間を見つけて指定された病院へ出掛けたいと思います。とりあえずは明日の老人クラブ「友愛クラブ例会」に向けて準備をしておきたいと思います。
 その準備ですが、昨年親睦旅行に行ったときの写真をCDにコピーしました。これはデスクトップのXPで作成したので、デスクトップでは再生できます。しかし、ビスタ搭載のノートパソコンでは再生できません。仕方なく4Gのフラッシュメモリーにコピーして再生してみるとうまくいきました。明日はプロジェクターを持参して、皆さんに見てもらいながら思い出話に花を咲かせてもらい、次回の親睦旅行の参加率が上げることが出来ればと思っています。ちなみに昨年の親睦旅行の参加率は33%でした。


2月25日 文旦を買いに
 高齢者放送大学の最後の本科生往復課題番組の感想文22枚の返信を事務局へ提出した後、その足で岡山県のブルーライン沿いにある道の駅、黒井山へ行きました。目的は文旦を買うためです。大きな実3個500円、小さな実6個500円の二袋を買いました。土佐文旦というブランド品は倍の値段がします。文旦は他のミカンと違って手を汚さずに食べられるので、遠くまで出掛けても手に入れたい果実です、もっとも四国へ行くと1500円でやや見かけの悪い中ぶりの実が10q買えます。しかし交通費が高くつくので気安く出掛けられません。


2月24日 ジャガイモの植え付け
 突然暖かくなりました。そこで気になっていたジャガイモの植え付けをしました。といっても、我が家の畑は庭にあり、今年の植え付け場所は6畳のプレハブを壊した跡地です。だからたいした収穫はありませんが、それでも自分で育てて収穫した作物は買ったものより安心ですし、美味しいと思って食べます。
 植木鉢で植えているツタンカーメンやエンドウ豆は花が咲いており、ツタンカーメンを冬に咲いた花に実をつけています。しかしその頃は虫がいなかったので豆が入るかどうかわかりません。夏野菜を植える予定の場所は今はまだ水菜や壬生菜、サニーレタス、ぱせり、茎ブロッコリーが植わっています。水菜などはもう花を咲かそうとして中心から蕾が出てきています。


2月22日 グラウンドゴルフで自己新記録
 週2回グラウンドゴルフをしていますが、2月に入って忙しく3回目の参加です。それも今日は当番で朝7時からローラーを引いたり準備をしました。競技にはいると記録係も当たり、慌ただしくゲームをしました。そんなことで欲を出さなかったのか、ホールインワンが2回あり、3ゲームトータル50という私個人の新記録がでました。それでも48の人がおり、残念ながら2位でした。今日は少し暖かだったので手袋をはかず、素手だったのがよかったのかもしれません。


2月21日 一徳庵へお礼の電話
 小豆島で歩き遍路を始める前に寄ったつくだ煮屋「一徳庵」のトイレに財布や携帯電話を入れていたポシェットを忘れた出発してしまいました。途中で気がつき添乗員を通じて取得してもらいました。バスの運転手の好意でその日の内に手元に戻りました。携帯電話を確かめると、歩いている間に不在着信がありました。見知らぬ電話番号だったので確認せずそのままにしておきました。
 21日にインターネットで一徳庵の住所を調べて礼状を書こうとしました。ところが気になって携帯電話の番号を調べると、なんとインターネット画面の一徳庵の電話番号でした。なぜ一徳庵の電話番号が着信記録に残っていたのかわかりませんが、とりあえず携帯電話でお礼の電話をしておきました。


2月14日 宝塚スターのお茶会
 先日宝塚歌劇「ハムレット」を観劇したときの主役、龍真咲さんのお茶会が宝塚ホテルであり、昨夜参加しました。10人のテーブルが15卓あり、満席で9割以上が女性でした。幸いファンクラブのベテランの方が隣に座っておられ、初めてだというと、いろいろな決まりについてやさしく教えて下さいました。
 本人が登場すると雰囲気が一度に盛り上がりました。ただ本人は10日間の一日2回公演で、すっかり咽を痛めておられました。そして14日が最終公演なので咽を守るために質問に対して筆談で、スクリーンに映し出されるのをみんなが読むという形態ですすめられました。テーブルごとに記念写真をとりました。私は本人の真後ろに立って撮してもらいました。一緒に行った仲間(男性)は隣に座ることになり、一生の想い出になったと思います。
 舞台に立っているときはスターですが、この様な場では茶目っ気たっぷりの若い女性という感じで、黒縁のめがねと、鍛え抜かれた細いスタイル、そして長身が印象に残りました。紅茶とケーキをいただき、記念品とプロマイドをもらって帰りました


2月13日 気が重いことと嬉しかったこと

 先日受診したメタボ検査の結果を聞きに行きました。その結果悪玉コレステロールの数値が高く、このままでは血管の老化による症状が出かねないといわれました。そして薬の服用をすすめられ、明日の朝食後から服用することになりました。2泊3日の旅行から帰って早々だったので食事の影響であればいいのですが、そのような甘いものではないのでしょうね。しばらく服用して、改めて検査を受けたいと思います。
 嬉しかったことは、私が現役を引退する頃の4年間、職場にいた同僚からの電話があったことです。彼女が昨年11月、明石市市制90周年記念で開催されたNHKのど自慢の予選会に出場したことが年賀状に書かれていました。たまたま、他の人から予選会がおもしろかったと聞いていたので、NHKで深夜その様子が放映されたときに録画していました。再生してみると、彼女が「秋桜」を上手に歌っていました。感動してそのことをはがきに書いて送ったのですが、その返事として電話をくれたのです。4児の母として、勤めを持って頑張っている彼女の声を聞き元気でますます幸せになって欲しいなと思いました。

2月10日 下剤の服用
 メタボ検査と同時に住民検診を受けました。検査の後、排便の状況を聞かれました。旅行中は便秘気味だったのでそのように言うと、下剤を余分にくれました。帰宅後直ぐに飲み、就寝前にも指示通り飲みました。翌日は午前中に3度もトイレに通いました。午後からは姫路歴史博物館で歴史講座を受講しました。無事終えることが出来、引き続きミニチュア展を見学しました。ところがあと少しというところで辛抱できなくなり、残念でしたがトイレのために展覧会場を出てしまいました。胃カメラの場合はこの様な下剤を飲まなくて良いのですが、バリュームを飲むと2〜3日この様な後遺症が残るのでゆううつです。洋式トイレなので、実際にバリュームが出たのかよくわかりません。もう出たことにして翌朝からは下剤を飲んでいません。


2月9日 メタボの検査
 先月末に検診を受ける予定でしたが、風邪をひき延期をしていました。そして今日、旅行から帰って早々でしたが受診しました。旅行中、この検査のことが気になり、食事は控えめ、アルコール抜きで我慢の3日間でした。そして検便の袋も持参し、ホテルで何とか採便することが出来ました。
 近くの開業医が一般診察前の時間を割いて実施してくれました。最近は胃カメラを飲んでいましたが、ここの開業医はバリュームを飲んで検査をします。思うように時間がとれないので仕方ありません。前立腺ガンの検査もあわせてしてもらいました。結果は土曜日にわかります。
 夕食の時に我慢をしていたビールを飲みました。


月6〜8日 日本一の富士山を見てきました
 2泊3日の旅行を計画していましたが、直前に風邪をひき心配しました。しかし、出発前には体調も戻り、予定通りでかけました。
 今回はクラブツーリズムのツアーで、富士山をいろいろな方角から眺めながら、美術館で芸術を楽しむという企画でした。6日早朝の出発はとても冷え込んでいました。おまけに風もあり、体感温度は極寒でした。姫路からやってきたバスは明石で私たちを乗せ、三宮で10数名が乗ってツアー参加者は31名でした。
 阪神高速から名神を順調に走り、新名神が事故で通行止めということもあり、そのまま雪もようの名神をはしりました。中央道に入ったところでゲリラ雪のため名神も通行止めになったという情報が入りました。我々は危機一髪無事通過したことになります。
 甲府に入りわさびセンターで好物のわさび漬けを買った後、河口湖の最初の芸術鑑賞、「オルゴールの森美術館」を訪れました。大きなホールいっぱいに配置された自動演奏楽器で2曲、演奏を聴きました。部屋のまわりにいる人形も太鼓を叩いたりして演奏に参加していました。続いて弦楽四重奏団の生演奏、タイタニック号に積まれるはずだった大きな自動演奏機の演奏なども鑑賞しました。その後オルゴールの演奏をいくつか聴いて、ホテルに向かいました。外気は氷点下なので、和洋両方のある広い客室はエアコンでは温まらず、置きごたつに入って過ごしました。バイキングをたらふく食べ、河口湖の2000発の花火を食堂から眺めて温泉にゆっくり浸かり早々に床につきました。それでも寒さで目が覚め、ベッドの毛布の上に和室用の蒲団を掛けて眠りました。
 翌朝窓の外を見るときれいな富士山がそびえていました。夜明けの冨士は素晴らしく、やがて綿帽子のような雲をかぶったところで赤富士になりました。朝の気温は氷点下8度、食事を済ませてバスで本栖湖へ向かいました。凍結しているところがあり、バスはゆっくり走りました。本栖湖は千円札の裏に印刷されている冨士だということで楽しみにしていましたが、逆光で見事なシルエットでした。精進湖、西湖を車窓から眺め、河口湖にある一竹美術館へ行きました。大きなホールには連作の絞り染めの大きな着物がたくさん並べられていました。1枚染めるのに2〜3年かかるということでしたが、それが数十枚の連作として並べられているのですから圧巻でした。
 山中湖へ寄った頃には富士山の雲はすっかり晴れ、登山道もくっきり見えていました。さらに南下を続け、鎌倉の大仏まで行きました。鎌倉市はかなり渋滞していました。何十年ぶりかで大仏を見学した後、長谷駅から江ノ電で江ノ島駅まで行きました。途中の駅名を何気なく見ていましたが、稲村ヶ崎や腰越などの歴史を後からガイドの説明で聞き改めて鎌倉の歴史のおもしろさを感じました。ここはさらに渋滞が激しく、バスの到着が遅れたので歩いて橋を渡りました。橋の上から海の向こうに見える冨士もまた素晴らしい眺めでした。弁財天をお参りした後、江ノ島を一周しました。そこからバスで箱根芦ノ湖のプリンスホテルへ向かいました。国道1号線を走りましたが、この長い登りの急坂を箱根駅伝の選手が走ったのだと思うと感無量でした。
 プリンスホテルは10年ほど前のクリスマスに宿泊しましたが、名前だけでなく施設もずいぶん変わっていました。こちらも大きな客室でゆったり過ごしました。やはり氷点下の気温でしたが、こちらはホテル中に暖房器具が入っていてとても温かでした。
 翌朝ホテルを出て直ぐにロープウエーで駒ヶ根岳に登りました。山上は氷点下5度で風も強く、長時間外にいることは出来ませんでした。カメラを持つ手が冷たく、耳も痛くて、芦ノ湖や富士山の写真を撮して早々にロープウエー乗り場に逃げ込みました。下山した後、成川美術館へ行き、日本画を鑑賞しました。やはり日本画はとても心豊かな気持ちにさせてくれます。中でも雪の五重塔を描いた四田淳三の「長谷寺」は惹きつけられる絵でした。また美術館から眺める富士山も見事でした。その後湯本から桃源台まで海賊船に乗船しました。船のデッキからも富士山の景色を堪能しました。桃源台からバスで昼食会場である冨士屋ホテルへ向かいました。
 ホテルへは12時30分に着きましたが、昼食の予約が13時30分だということで、館内見学の案内をしてもらいました。皇族や外国の貴賓客、チャップリンなど有名な芸能人などが宿泊したという記録が沢山ありました。昔ながらの使い勝手の悪い建物ですが、明治の建物を大切に保存しながら今なお使用されているという値打を感じ、美術館の鑑賞に勝るとも劣らない見学でした。その後メインレストランで天皇陛下も食されたというビーフカレーを食べました。2400円のカレーはとても美味しく感じました。帰路は東名高速から新名神を長島温泉の夜景を見ながら帰りました。
 とても感動の多い3日間の旅で、大いに満足しました。
  
 
オルゴールの森美術館エントランス  弦楽四重奏                タイタニック号に載せる予定だった  ピエロのオルゴール
   
ホテルの窓から見た赤富士      本栖湖から見たシルエットの冨士  山中湖から見る冨士          鎌倉大仏
   
鎌倉大仏    江ノ島大橋から見た富士山      江ノ島のにぎわい            弁財天の山門
   
駒ヶ根岳から見た富士山        成山美術館からの富士山        海賊船    芦ノ湖から見た富士山
   
冨士やホテル               ホテルのカレー               ホテルの建物 長島温泉の夜景

1月26日 久しぶりの風邪
土曜日あたりから咽がイガイガしはじめ、熱っぽさも感じたので夜は早く床につきました。夜中には咳き込んだりしました。市販の風邪薬を飲んだためか、日曜日は午前中、蒲団の中でウトウトと眠っていました。午後からは起きて家の中でのんびりしていました。夜、再び咳が出ましたが、前夜ほどではなかったので、月曜日は朝からグラウンドゴルフにマスクをしていきました。ゲームの方はまずまずで、ホールインワン2回で3ゲームトータル53と1位タイの成績でした。体調をコントロールしながらプレイしたので、力みが無くてうまくいったのかもしれません。
 グラウンドゴルフを終えてから近くの内科医院へ行きました。薬をもらってから飲んでいると、今日は外で作業が出来るほどの体調になりました。庭の生垣の剪定などをしました。


1月23日 失敗失敗
 今朝、高齢者放送大学の感想文を更新しようとホームページを開くと、なんと先週の更新をしていません。テキストを見ると聞くのを忘れていることに気がつきました。この様なことは初めてです。今日の感想文をホームページに書き込んだ後、先週の放送の録音を聞きました。自分の日常生活の生き方を反省させられる講義内容でした。早速感想文を更新し、送信しました。
 天気がよいので、午後から三木山公園へ出掛けました。前回雨が降り出し、引き返したので、今日はリベンジです。1時間ほど山道を歩きました。町中と違って自然の中を歩くのは気持ちが良いものです。


1月22日 綾戸智恵コンサート
 夕方6時から綾戸智恵のコンサートが神戸国際会館こくさいホールで開かれ、聴きに行きました。一人だけのコンサートに満席の聴衆を集めるのですから、やはり実力と人気がある歌手なのだなと思いました。自分でピアノを弾きながら気持ちよく歌う彼女の独特の歌は他の人にはまねが出来ないものでしょう。そして歌の合間のおしゃべりもまた楽しい内容です。歌のこと、家族のこと、CMのこと、話題も豊富です。途中ギター、コントラバス、パーカッション、オルガンの演奏者も出場し、伴奏しますが、それを上手に生かす綾戸はやはりジャズというジャンルにいるからだろうと思います。2時間足らずでしたが、あっという間に過ぎました。アンコールの時に、1年間の休養中に映画「60歳のラブレター」に出演したこと、NHKの福祉関係の放送に母親の介助について話したことなど話していました。NHK番組については1月26日午後1時20分から再放送があるとか、聞いてみたいなと思います。
60歳のラブレターはDVDになったそうです。いずれレンタルされると思うので、その時に見る機会があればと思います。

1月21日 第九合唱団新年会
 昨年の第九演奏会以来集まった団員は60名ほど、持ち寄った一品を肴にビールパーティをしました。全員一言ずつ感想を述べました。初めて参加した人も多く来ており、今年も頑張る決意をたくさん聞きました。たこフィルとの共演も評判がよかったようです。
 今年は12月11日(土)に飯守泰次郎指揮、関西フィルハーモニーで第九演奏会を開く予定になっています。みんなから今年も頑張ろうと声をかけられ、その気になってしまいました。久しぶりに気持ちよく歌いました。


1月20日 山陽平日ハイク
 今日は天候、気温ともに申し分ないという天気予報を聞き、山陽電車と日新信用金庫共催の山陽平日ハイクに初めて参加しました。9時過ぎに家を出て、山電天満まで行きました。1時間以上トイレがないということで、トイレを済ませて駅南の集合場所へ行きました。駅に着いたのが集合時間の10時だったので、第1陣は既に出発していました。私たちと電車が一緒だった20人ほどが到着したところで第2陣も出発しました。係の人が430人ほどの参加だと言っておられました。
 西進した後北へ、山電のトンネルをくぐり、細い道を進むと昔の街道に出ました。両側の家は漆喰壁に丸みを帯びた瓦屋根など、昔の風情を残した素晴らしい家並みでした。しばらく街道を西進すると蛭子神社がありました。ここには4個の力石がありました。
 さらに街道を西進すると、途中のレンコン畑(沼地)で収穫が行われていました。胸まで水に浸かってする作業はやはり寒いだろうと思いました。再び街道筋に戻り西進すると、昼食場所の魚吹八幡神社に到着しました。まだ11時を過ぎたばかりだったので、お参りをしていると、ガイドボランティアの方が魚吹八幡神社の説明をしてくださいました。とても長い歴史がある神社で、お祭りについてもいろいろ説明してくださいました。そういえば、途中の橋の欄干などにこの神社の提灯祭の様子が彫り込まれたプレートが取り付けてありました。網干ではこの八幡神社が人々の暮らしの中心になっていたようです。
 説明を聞いた後大急ぎで昼食を済ませ、再び揖保川まで西進し、土手の下を南下しました。途中の橋の欄干には昔の大名行列のようなレプリカが見られました。川の土手に上がると、そこにゴールの「あぼしまち交流館」がありました。ゴールのスタンプをもらい、交流館にあるテレビでは魚吹き八幡神社のお祭りの様子が映し出されていました。しばらく見ていると地元の参加者がお祭りについていろいろと解説してくださいました。塩シャーベットなど食べながらベンチに座って休憩しました。そこで網干の町の地図をもらい、丸亀藩陣屋跡や山本家住宅、大覚寺、旧網干銀行などの史跡を見て歩きました。このあたりは昔ながらの建物が保たれていて、心癒やされる景色が続きました。2時前に山電網干駅に帰り着くと、ハイキングに参加した人たちの姿はすっかり見えませんでした。みんな直ぐに帰られたようです。新しい発見が沢山あり、参加してよかったと思いました。

  
蛭子神社の力石 魚吹八幡神社の提灯祭が描かれた欄干      レンコンの収穫
  
県重文に指定されている魚吹八幡神社山門    揖保川の橋の欄干                 丸亀藩網干陣屋跡
  
山本家住宅(景観重要建築)            大覚寺(市重文)                   旧網干銀行(景観重要建築)

1月19日 幸いはちょっと愛して働いて
 今日は川柳教室があり、「幸」という兼題で互選がありました。その中に上記の川柳を詠んだ仲間がいました。「ちょっと愛して」は心配りをする親しい人がいること、「働いて」は金儲けではなく人に役立つことが出来ると考えると、「幸い」は生きがいにつながることになります。そのように解釈するととても素晴らしい句だと思いました。同じ互選にもう1句「年重ね心ひろびろ幸をよぶ」というのがありました。これも年寄りが頑固になったり意固地になったりするのではなく、広い心で相手を尊重すれば自ずと幸せがやってくるといことだと思います。どちらの句も人生訓として色紙に書いて貼っておきたいなと思いました。


1月16日 ニューイヤーコンサート
 午後から神戸文化ホールで神戸フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートがありました。昨日はくしゃみと鼻水でどうなることかと思いましたが、今日は落ち着いていたので聴きに行きました。2階席の一番前で聴きましたが、会場に着くと顔がほてり、睡魔に襲われました。生のきれいな音楽を聴きながらウトウトするのは最高に気持ちのよいものです。こんな状態で2時間十二分に音楽を楽しませてもらいました。
 明石まで帰ってくると、生涯学習センターで二胡の演奏会があると聞きチョットのぞきに行きました。満席で、本棚の陰にあるソファーに座って二胡の演奏を聴きました。演奏者は見えませんでしたが、哀調のある二胡の調べを楽しみました。
 本当はこの後、明石で高家寺寄席があったのですが、明日の「1.17メモリアルウォーク」に参加する約束があったので、自重して帰宅しました。明日は大倉山の神戸市中央体育館からHAT神戸まで5qほどグループいきいきネットの仲間と一緒に歩く予定です。


1月10日 山陽ハイクで須磨浦へ
 山陽電車主催のハイキングに出掛けました。須磨浦公園鉢伏山山頂10時が集合時間だったのですが、ロープウェー乗り場が長蛇の列で、山上に着いたのが15分過ぎでした。既に出発した後だったので一緒に山上に着いた人たちと一緒にコースに沿って歩きました。お遍路と同じでコースには矢印が表示されているので迷うことなく歩くことが出来ました。先ず旗振り山に登りました。ここが摂津と播磨の国の境にあたり、明石海峡大橋のビューポイントです。そこからは比較的なだらかな尾根伝いに歩きます。トイレ休憩がてら茶屋の展望台に登ると、高倉台団地の向こう側の山に登る階段が長蛇の列で、階段下は渋滞していました。
 私たちは集合時間に間に合わなかったので、きっと渋滞はおさまっているだろうと思っていましたが、現場に到着するとまだ渋滞していました。休憩がてら後ろに並びながら、飴やお茶を口にしました。階段を登り始めても、前がつかえてときどき立ち止まります。長い階段なので、休み休み登る形になり、疲れずに上まで登り切ることができました。そこからまた山道ですが、今までと違って木の根が沢山あり、足下に注意して歩かねばなりません。前も後ろも沢山の人なので立ち止まることも出来ず、ひたすら前の人に続いて歩くので、まわりの景色を見る余裕はありませんでした。山のてっぺんらしきところまで来ると、今度は長い下り坂、段差の高い階段を下りるのは足腰に響きます。そのショックを和らげるためにカニのように横向けに段差を降りていきました。やがて砂防ダムが現れ、自動車道に出ました。少し下るとゴールの離宮公園へ到着、入口で参加証のシールを受け取りました。弁当を食べ、須磨寺駅へ向かいました。
 須磨寺商店街へ出たところで須磨寺へお参りし、名物の太巻き寿司を買って帰りました。1000円ほどの交通費で、1万7千歩ほどの良い運動が出来ました。

  
旗振山からの展望       長い階段を登る   須磨寺で

1月7日 明石市高年クラブの三社参り
 今年は西南西が恵方ということで、岡山県の三社参りが実施されました。7時20分、近くの総合市場前から、私たちのクラブからの参加者14人が乗車しました。既に東の方から数名乗っておられました。二見町からも乗車され、総勢44名と満車状態でした。添乗員に尋ねると、この日は明石高年クラブからの参加者は大型バス11台、500人ということでした。これが3日間続くというのですから、明石市の高齢者が1500人も参加したことになります。
 天気予報では明石は晴れたり曇ったりということでしたが目的地の美作はみぞれでした。同じ行動をとると混雑するので、7号車以降は逆コースをとります。山陽道を走り、先ず和気神社のお参りをしました。藤公園の藤の花を見た時と、狛犬が猪ということを聞き年賀状の挿絵の撮影に来たときと和気神社にはこれまで2度来ていたのですが、お正月に来るのは初めてで、何時もと違って大勢の参拝者でにぎわっていました。ここでは神戸市玉津町の老人クラブがバス4台で来ていました。そういえば昨年、有馬の方が私たちと同じように滋賀県へ行ったと言っていたので、名鉄観光は兵庫県下の多くの老人クラブに同じ三社参りのツアーを提供しているようです。バスごとに集合写真を撮影してから、本殿にお参りしました。
 そこから昼食場所の西の屋美作店へ行きました。神戸市北区の老人クラブの人たちと一者だったので、大きな店の中は三社参りの人たちでごった返していました。あてがわれた場所で昼食を摂り、はじめに備前焼の窯元へ行きました。雑多に並べられたれた雑器は出来損ないの器ではないかという印象でした。それでもそばに登り窯があったので、ここで焼かれたものに違いありません。その後土産物を売っている売店へ行きました。高齢者は購買意欲旺盛で、みんなたくさん買い込んでいました。私は正月料理でいささか肥満気味だったので、あまり肥えないものがよいと思い、干し梅を買いました。結構甘く、糖分がたくさん使われていることが後でわかりました。
 さらに北上し、院ノ庄に近づくにつれ、雨模様になってきました。天気予報でみぞれと聞いていたので傘を準備しなければと思いながら忘れてきたので困ったなと思いました。さらに北上、奥津温泉へ行く途中にある美作の国一の宮「中山神社」へ行きました。ここには変わった形の鳥居があることで有名なのだそうです。幸い雨はほとんど上がっておりホッとしました。お参りを済ませた後、その近くにある作楽(さくら)神社へ行きました。この二つの神社でも境内はごった返していました。お参りを済ませた頃再び雨が降り出しました。気温も5度で、写真を買って大急ぎでバスに戻りました。お陰でそれほど濡れなくてすみました。帰りは中国自動車道を通りましたが、山陽自動車道に比べ車が少ないなと思いました。
 三社参りは地元の老人クラブの役員になってから2度目の参加でしたが、年々参加者が増えるように思います。

   
和気神社                    中山神社の鳥居              作楽神社              集合写真(和気神社で)
 
1月4日 いよいよ始動
 3日間の寝正月も終わり、いよいよ始動の日を迎えました。銀行の通帳やカードを昨年1月から触っていないのがあり、記帳とカードが無効にならないために明石の町へ出かけました。電話代や保険料などの自動払いや年金が入金されていたりするので、通帳を機械に入れると2ページほどにわたって記帳されました。カードで1000円引き出金し、通帳でその1000円を入金するということもしました。通帳が満杯になったので窓口へ行こうとすると、係の人が記帳専用の機械に入れると新しい通帳が発行されるといわれるので、その通りやってみると新しい通帳に記帳されて出てきました。私たちが全く知らないところで機械はどんどん発展改良されているのに感心しました。
 柿本神社で初詣をした後、明石公園を1万歩ほどウォークし、中華料理屋で昼食を済ませ、帰りに花びら餅を買って帰りました。夜、お濃い茶を点ててもらって美味しくいただきました。


1月2日 自治会総会
 朝10時から自治会の総会がありました。700戸ほどの自治会ですが、出席者は87名ほど、委任状とあわせて3分の1以上を確保して成立しました。執行部への意見も出ましたが、私たち住民のために忙しい中務めてくださるのだから、できるかぎりの協力はしたいと思います。


1月1日 新しい年
 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
 今年はどんなことに力を入れるか、まだ方針が立っていません。というより計画を立てても器がしれているので、大したことは出来ません。それならば昨年の延長として、地域の老人クラブ、高齢者放送大学、グループいきいきネットの活動を軸に、川柳を楽しむくらいにしておきます。
 第九合唱は念願のたこフィルとの合同演奏が果たせたので、今年はその時期になってから考えます。また、歩き遍路は2月に小豆島94ヶ寺を結願する予定です。その後は、よい時期を見つけて、四国のとくに心に残っているところや歩けなかった遍路道をいま一度歩いてみようかなとも思います。いずれにしても健康維持のためにもウォークを忘れないようにしたいと思います。
 「元旦や 雑煮で押し出す 去年糞」 乃福
この句は親父が他界する直前に詠んだ川柳です。親父は晩年、江戸川柳の本を買ってきて読んだり、自分で句を詠んだりして楽しんでいました。私が60歳を過ぎて川柳に興味を持ったのもその影響かもしれません。今年は少しでも大西泰世先生に褒めてもらえるような句が詠めたらいいなと思うのですが、センスがないのでやっぱり無理だと思います。
 ところで、今朝は朝から曇り空、日の出の写真は撮ることが出来ませんでした。冷たい風の中、門扉に国旗だけ掲げておきました。

信貴山の虎