16年の日記・トピックス
12月31日(土) 「今年も終わり」
今年も新年早々妻が入院し、5週間の独身生活をしました。といっても娘が度々泊まりがけで来てくれたので、生活に不自由することはあまりありませんでした。ただ退院した後の予後にはいろいろと配慮が必要で、回復するにしたがって生活範囲が広がったように思います。ただ外出はほとんどが車で、我ながら運転中の判断が悪くなったと思いながら運転免許の返納は実現しませんでした。
地域老人クラブの活動は軌道に乗り、カラオケは私の都合を考慮してもらえたので、迷惑をかけることなく進めることが出来ました。またグラウンドゴルフも今年はみんなと同様のレベルで年間ホールインワンも初めて100本を超えの仲間入りを果たしました。そして写経は私一人で出かけることになりましたが、最後まで休まず継続することが出来ました。第九も自信を持って歌うことが出来たし、川柳も上達しないまま継続しています。グループいきいきネットの活動は前半妻の入院などで欠席することがあり、年間を通して参加者が低調でしたが、11月まで続けることが出来ました。
パソコンをウィンドウズ10に更新して以来、スムーズに動かなくなりましたが、そんな中で9月からゲーム「ナンプレ」にはまってしまいました。一日1回と決めてタイムを記録しています。9月は最短8分21秒、最長16分54秒でした。10月は最短7分38秒最長は18分32秒でした。11月は最短7分29秒、最長18分12秒。そして12月は最短6分52秒とやっと7分を3回切ることが出来ました。しかし最長は途中で用事を言いつけられて18分52秒を除いても、17分55秒という最悪の記録が残っています。はじめの方で間違った数字を入力してしまうとなかなか正答に結びつかなくなってしまいます。かなり集中力と頭の回転が必要ですが、どちらも鈍ってきているのでこの程度だろうと思います。
いずれにしても息子夫婦の協力もあって今年も無事に終わろうとしています。この先どのような生活が待っているのかわかりませんが、前を向いて有意義な日々を感謝しながら送っていきたいと思います。今年の多くの皆様の温かいご支援に感謝し、皆様のご多幸と良い年を迎えられることをお祈りしながら最期まで紅白を見届けたいと思います。(31日22時48分)
12月23日(金) 「年賀状の印刷」
先日から年賀状の発送先についてパソコンの名簿を使って調べておきました。そして発送枚数に10枚程余分に足して年賀はがきを買っておきました。昨日はグラウンドゴルフの日だったのですが、天気予報では雨だったので23日に変更されていました。そこで昨日年賀状の印刷に朝から取り組みました。
私個人の賀状は267枚、写真やその解説は共通ですが、相手によって4種類に分け、文章を変えて印刷しました。宛名は早く印刷できますが、裏面は写真が入っているので一枚印刷するのに時間がかかります。ほんの一部に一筆加えて夕方やっと印刷ができあがり、ポストへ投函しました。その段階ですっかり疲れてしまい、家族の年賀状を印刷するのは断念しました。
今日は朝からグラウンドゴルフをした後、公園の落ち葉の清掃をみんなでしました。昨日の嵐で公園の木々はすっかり葉を落としていました。私がグラウンドゴルフに参加した頃は20数名いたメンバーも今は10人で、広い公園を清掃するのは大変でした。それでも午前中に終えることが出来ました。
午後から年賀状の印刷を始めました。60数枚で、文面も一緒だったので、3時間程で出来上がりました。一筆加えることもなく愛想のない賀状を直ぐに投函しておきました。例年だと26〜28日にやっとすべてを投函できるのですが、今年はこんなに早く投函したので、明日からは屋内外の掃除に取りかかることにします。
12月19日(月) 「新ジャガイモ」
今年の初夏、ジャガイモを収穫しました。同じ畑にツルムラサキが芽を出していたので、全体を耕すことなく、ジャガイモの根元だけを掘り起こして収穫しておきました。そのために掘り残したジャガイモから芽が出ました。ツルムラサキの収穫が終わった後、菜園の一部に冬野菜を植えましたが、邪魔にならないジャガイモの芽はそのままにしておきました。11月下旬に花が咲いていましたが、いつまでも青々としているのでそのまま放置していました。
今朝妻が生ゴミを埋めるためにジャガイモを掘り起こすと、立派なジャガイモが出来ていました。掘りたてのジャガイモを夕食時にバター焼きにしてくれました。ほくほくのとてもおいしい味でした。近日中にカレーを作りますが、そこに使うほか、おでんの具にもしてもらおうと思っています。なお、初夏に掘ったジャガイモは冬に植え付ける種芋も含めてまだ残っています。何度か芽を取りましたが、しわしわになってきました。種芋は地表に出て緑色になった芋などを使いますが、今年の2月に同じような種芋を植え、沢山のジャガイモが収穫できました。冬野菜が終わった後、春先に菜園を耕して、改めてジャガイモを植えようと思っています。
12月17日(土) 「シーリングライト」と「桂阿か枝の落語」
4畳半の居間のペンダント型蛍光灯の一部が点灯しなくなりました。家中でもっともよく利用する電灯なので、思い切って新調することにしました。タイミングよくエディオンからダイレクトメールが届き、ほしい商品が広告の品として掲載されているのを見つけ、本日からの売り出しということで買いに行きました。居間は4畳半ですが、シーリングライトは天井に取り付けるので、明るいめの6〜8畳用を買うことにしました。他社の同様の商品と比べるとやや高い値段でしたが、色調が変えられるということでパナソニックのLEDシーリングライト(HH-CB0836AE)を選びました。
持ち帰ってみると、思いの外いろいろな機能がついているのに驚きました。まず色調だけでなく明るさもかえられます。また、リモコンの時刻を合わせておき、「おまかせ」にしておくと、午後8時になると昼光色から電球色に自動的に変わりました。妻にはこの機能を言ってなかったので、突然暗くなったと驚いていました。そのほかにも点灯や消灯時刻をセットしておくと自動的に点灯や消灯が出来ます。この機能はまず使うことはないと思いますが・・
午後から西江井自治会主催の高齢者のための「つどいしあわせの会」が自治会館で開催されました。年に4回開催されますが年末は毎年お笑いの会が開かれます。これまでアマチュアの落語を聞いていましたが、今年初めて明石出身のプロの落語家の公演でした。演目ははじめに「時そば」、お茶タイムの休憩を挟んで今までに聴いたことのない演目で、人が来なくなった地獄の様子を題材にした落語でした。今まで軽い内容ばかりでしたが、歌舞伎調の台詞が入るなど、とても高度な演目で、彼も数年前に比べるとうまくなったなと感心しながら、思い切り笑わせてもらいました。今回は中学校校区全体に声がかけられていたので、いつもの倍程の人が集まり、大いに盛り上がりました。
12月10日(土) 「明石第九合唱団演奏会」
2001年から連続16回参加している明石第九合唱団の演奏会が明石市民会館アワーズホールでありました。今年は指揮者に三ツ橋敬子氏を迎え、大阪交響楽団の演奏で歌いました。三ツ橋氏はとてもきびきびした指揮ぶりで、時には表のような激しい目を、また喜びの表現をする場面では大きく口を開いて満面の笑みを、しっかり歌うところは拳を振り上げ、しかも口で歌詞を歌われるので今まででもっとも歌いやすく、みんなすっかり乗せられて歌いました。ソリストもバリトンの萩原氏以外は明石第九初登場で、とてもきれいな声で、新鮮でした。歌い終わった時には大きな満足感がありました。三ツ橋氏は齋藤記念フェスティバルで小澤征爾のアシスタントを務めたり、外国の指揮者コンクールで女性初の入賞を果たすなど、経歴にもすばらしいものを持っておられますが、今回の指揮ぶりを見ていると納得です。
昨年は一番後ろの列で、しかもバスの後ろに並んだので歌いにくく、内心しらけてしまった感じでした。このようなことではいけないと今年は一番後ろで前半練習しました。後ろに居る人たちは結構自信のある方が多く、正確な音程で歌っていたので、かえって歌いやすく思いました。途中から前の方で練習しましたが、全く違った音程を平気で歌っている人が居て、自分自身音がつかめなくなってしまいました。舞台での正式の位置が決まってからは、近くの若い人のしっかりした声がよく聞こえ、歌いやすくなりましたが、それでも全く違った音程や、多少音程が下がった声が聞こえてきたり、地声でがんがん歌う人の声が聞こえたりで、多少不安でしたが、本番前に地声で頑張らず、リラックスして歌うように注意されたのが効いたのと、オーケストラの演奏がよく聞こえたこともあって、気持ちよく歌うことが出来ました。
明日11日(日)には、朝日放送テレビ「題名のない音楽会」で女性指揮者として三ツ橋氏が出演されるそうなので是非視聴したいと思います。
12月4日(日) 「オーシャンドリーム号船内見学会」
妻の希望で申し込んでいた豪華客船の見学会に行きました。世界一周150万〜300万円という船旅の案内もしていました。勿論私たちには高嶺の花で、せめてどんな船か見ていたいという興味半分で見学しただけです。安い船室は海も見えず、2段ベッドの4人部屋で、こんな息詰まるところで他人と一緒では1ヶ月も辛抱できないだろうと思いました。といって海の見える一人部屋だと高額になります。やっぱり退屈するだろうなと思います。
豪華客船の旅は一度だけ神戸港から横浜港までの1泊旅行をしたことがあります。このときは「日本丸」で、一番安いツインの部屋でしたが、船内の催しに参加したりし、約24時間を忙しく過ごしたので、退屈することはありませんでした。今回は日本の船ではなさそうで(救命ボートには「パナマ」と書かれていました)、船内の装飾も違和感があり、船内の匂いにもなじめませんでした。それでもデッキからの眺めはすばらしく(といっても港神戸の風景ですが)、小春日和で気持ちよく過ごしました。
帰りに開港して以来の神戸空港まで行き、レストランで食事をしました。飛行機の発着を眺めながらでしたが、神戸空港の利用客がこの10年間でずいぶん増えていることにビックリしました。関西空港などと違って三ノ宮駅からごく近いところの空港なので、利便性からいえば、もっと乗客が増えても良いのではと思いました。
12月3日(土) 「六甲男声合唱団の定期コンサート」
ハーバーランドの松方ホールで定期演奏会が開催されました。兄が出演することもあって、兄からチケットをもらって聴きに行きました。合唱はハーモニーの美しい男声合唱か、ウィーン少年合唱団のようなコーラスが好きです。懐かしい曲目もあり、感動しながら聴きました。私が在学中に指揮をしていた友人も一つのステージで指揮をしていました。彼の好みらしい情緒のある指揮ぶりでした。プログラムにも懐かしい名前が載っていました。
在学中私もグリークラブで3年間歌いました。そのグリークラブの卒業生を中心に結成されたのが六甲男声合唱団です。私が1年生で入団した時、兄は4年生でした。兄は実験などが忙しくて、一緒に練習をしたり、舞台に立つことはありませんでした。私も4年生の実習で声をつぶしてしまい、以後練習や舞台に参加することが出来ませんでした。弟も私が卒業して9年後に同じグリークラブで歌い、副指揮者を経験しています。私たち二人は兄が在学中に男声合唱の美しさを聴かせてくれたお陰だと感謝しています。そして、私が今明石第九合唱団に参加できるのもグリークラブでの経験のお陰だと思っています。
11月28日(月)〜29日(火) 「グラウンドゴルフ同好会親睦旅行」
地元老人クラブのグラウンドゴルフの仲間11人と篠山市の「県立新丹波荘」へ一泊旅行をしました。まず山南町のグラウンドゴルフ場で昼弁当を挟んで午前午後3ゲームずつプレイしました。先々週から他のグループの紅葉狩りや風邪でしばらく遠ざかっていたこともあって、散々の成績でトップの成績が127打だったのに対して、私は157打と最下位でした。マスクをし、真冬のような出で立ちだったこともあって、身体もうまく動きませんでした。
宿舎に入ってからはみんな風呂に入ってリラックスしていましたが、私は風邪を再発させてはと自重しておきました。夕食はぼたん鍋で、シシ肉は軟らかく抜群の味で、ビールや芋焼酎で腹一杯食べました。後半はカラオケ大会で、例年通りカラオケの機械操作を引き受けました。私も「雨に咲く花」「柳ヶ瀬ブルース」の2曲歌いました。なぜかリモコンで新曲がうまく入力できなかったからです。9時きっちりに宴会ストップを告げられ、部屋に戻り、風呂で身体を温めて直ぐに布団に入りました。10時までに布団に入りましたが、みんな早々に寝息を立てていました。私も直ぐに眠り込んでしまい、夜中に2度もトイレに起きました。
翌朝のバイキングはあっさりとすませ、9時に宿舎を出発しました。昨日の会場からさらに北へ行き、林の中の公認グラウンドゴルフ場へ行きました。昨日と違って比較的開けた場所でしたが、地面に凹凸が作られ、山の上から打ち下ろすコースや、50mでは打ち切れないホールもあるなど、変化に富んだ面白いコースでした。1日目と同様昼弁当を挟み、午前午後それぞれ3ゲームずつプレイしました。成績は昨日と違ってホールインワンが2度出るなど、132打でまわったので、合計の成績は289打で11人中8位でした。その中にホールインワン賞のゴールが含まれていて、参加賞とホールインワン賞をもらいました。ホールインワン賞のゴールは山一つ越える短いコースだったのですが、みんなが植木の右側へ打ち、私もそこを狙ったつもりが、とんでもない方向に打ってしまい、球は植木の左側を通過してしまいました。「しまった!」と大声を出したのですが、山から転がり落ちた球がゴールポストに向かい、うまく入りみんなビックリしていました。このようにラッキーな場面が何度かあってちょっと挽回できました。
幸い風邪がぶり返えさず、心配していた夜中に咳き込んでみんなに迷惑をかけるようなこともなく、楽しい2日間を過ごすことが出来ました。
11月23日(水) 「体調不良」
今年は元気で順調に次々続く予定をこなしていると思っていました。ところが19日(土)の夜、のどにひりひりとした痛みを感じました。18日(金)は朝早くから大工が入り、台所の流しをきれいに取り替えてくれたので、土曜日はほとんど一日家で後片付けをしていて疲れが出たのか、カラオケの練習をしたからかなと思っていました。ところがだんだん痛みがひどくなり、ひょっとして風邪ではないかと夜中に「ルルA錠」3粒を飲みました。しかしさっぱり治らず、朝起きると頭がふらふらしました。朝食後も風邪薬を飲みましたがすっきりしません。
日曜は男性のカラオケがあるので、朝から食料の仕入れに行き、その後は家で静かに過ごしました。夕方購入した食料を持参し、カラオケの会場に行きました。体調がよくないので直ぐに帰るつもりだったのですが、みんなと歓談しているとなんとか持ちそうだったので最後までつきあい、歌も2曲歌いました。翌日は女性カラオケのボランティアがあったので、早々に風呂に入って休みました。
月曜日は朝からのグラウンドゴルフを休み、午前中は布団の中で眠っていました。午後からカラオケボランティアに行き、練習でも出来るだけ歌わないようにし、自分が歌わなければならない時だけ、マイクを握り歌いました。夜は風呂も入らずに休むことにしました。しかしのどのひりひりは気管支へと移り、ゴホンゴホンと夜中にせくようになりました。このままでは翌日の老人クラブのバス旅行に参加して肺炎にでもなってはいけないと思い、不参加を決意しました。
火曜日はぽかぽか陽気の小春日和でした。旅行には絶好のお天気で妻だけ参加しました。私は午前中に医者へ行こうと思い薬も飲んでいなかったのですが、妻が健康保険証の入った袋を持って行ってしまったので、家の中でゆっくり過ごしました。体調がずいぶんよくなってきたので、午後から庭に出て、流しの入れ替えの時に整理した燃えないゴミを翌日に出す準備をしたり、日曜日に息子達が剪定してくれていた木の枝をゴミの日に出せるようにまとめておきました。ところが夕方から再び咳がひどくなり、夕食後風呂に入らずゆっくり休みました。床についた時や朝方トイレに立った後にひどく咳き込み、痰が出るようになってしまいました。幸い隣で眠っている妻は補聴器を外しているので私の咳で目を覚ますことはありませんでした。翌23日は祝祭日で予定もなく、しかも強烈な寒波が吹き荒れていたので、屋外には出ず家でじっとしていました。明日に予定されている、グラウンドゴルフや午後の講座、そして夜の第九合唱団の練習も休み、医者に行ってゆっくり養生しようと思っています。
11月14日(月) 「連続3回の同窓会と体重」
先月下旬から昨日にかけて3回同窓会がありました。最初は小学校の同窓会、神戸国際会館10階のレストランで洋食をたらふく食べ、ビールも沢山飲んだので、体重が前日より約1s増えていました。その後2週間経って体重が普段に戻っていました。ところが2週間後の11月11日に同じ地域に住む大学の同窓会が加古川プラザホテルの和食レストランでありました。ビールは生ビール中ジョッキ1杯にしておいたのですが、出された料理をきれいに平らげて家に帰ると、体重は再び1s増えていました。
昨日は現役時代に一緒に卒業した仲間の同窓会がありました。姫路城が見える最高の景色を眺めながら、レストランで気持ちよく飲み食いしました。アルコールはビールコップ1杯と芋焼酎の湯割り1杯でしたが、出された料理がおいしく、歓談しながら全部平らげました。毎夜風呂上がりに体重計に乗るのですが、普段54s台なのが、4月27〜28日以来の56s台に突入していました。4月は休暇村三国で宿泊し、宿舎の料理を日本酒を飲みながらしっかり食べた結果でした。普段外食をしても麺類が多く、体重には影響しないのですが、このようなコース料理は今の自分にとっては量が多いのでしょうね。それでも1年に1回の同窓会は、参加者の活躍を聞くことが出来、元気をもらいます。また参加しなかった人の消息や近況がわかり、安心したり心配したりしています。ただこの年になると病気の話で盛り上がるのはちょっと残念ですし、傘寿を迎え、同窓会も終わりにしようかという話も出てきます。やはり元気のもらえる同窓会として出来るだけ長く続けてほしいと思います。
11月下旬には老人クラブの日帰り親睦旅行とグラウンドゴルフチームの宿泊親睦旅行があり、どちらも料理が中心なので、当分体重が減ることはなさそうです。
10月16日(日) 「九度山真田庵と砥峰高原のススキ」
大河ドラマが九度山の場面を放映しているので、連休明けの11日に車で出かけました。大阪を抜けるのは抵抗があったのですが、湾岸道路を走れば大丈夫だと思い、カーナビに入力しました。ところが阪神高速海老江から湾岸線に抜けるルートが示されました。このコースは初めてだったので心配しましたが、地下トンネルをこんなにスムーズに抜けられることがわかり安心しました。平日でしたがそれほど渋滞することなく泉南まで順調に走りました。そこから一般道を走り、さらに阪奈和道路を走り、紀北かつらぎ道の駅でやっと休憩を取ることが出来ました。柿やみかんが安く売っていたので買い、まずお遍路で高野山町石道の入り口にある慈尊院へ向かいました。駐車場が狭く満車だったので、悪いと思いながら路上駐車しました。本堂は印象深く、町石道を歩いて登った時をなつかしく想い出しました。そこから階段上にある丹生官省苻神社にもお参りしました。
そして真田庵へ向かいました。直ぐそばに道の駅「柿の郷くどやま」があったのでそこに駐車し、梅干しなど先に買い物をしました。そこからは歩いて真田庵へ向かいました。三連休明けの平日なので人が少ないだろうと思っていたのに、駐車場も広い道の駅も人であふれていました。お昼時だったので道の駅へ戻ってくる人が大勢いたので、道に迷うことはありませんでした。案内地図には真田庵のそばにそば屋があると書かれていたので、行ってみましたが休業日でした。真田庵を見学した後、昼食場所を探しましたが、どの店も「本日休業」の札がかかっていて、いよいよ食べるところがありません。
しかたなくさらに車で東へ向かい、やっと喫茶店があったので駐車し、店に入ろうとするとここも準備中の札が下がっていました。がっかりして車に戻ろうとすると、マスターが出てきて今から店を開こうとしていたところだと言い、飲み物なら出来ると言いました。食事がしたいというと、モーニングなら出来るとのこと、お昼をだいぶまわっていて空腹だったのでお願いしました。厚切りのトースト、野菜サラダ、煮抜き卵、バナナ、コーヒーでやっとお腹が満たされました。
かつらぎ町の道の駅でもらった「世界遺産・丹生都比売神社」のパンフレットをもらっていましたが、その立派な写真に惹かれて行ってみることにしました。国道を走っていると登り口に8qという表示が見えました。いざ走り出すとそれほど広くない山道が続きます。しかも要所要所に「高野山」という表示が出ています。どうやら高野山へ登る古いドライブウェーだったようです。やっと民家の屋根が見えてきたと思ったら、そこに赤い大きな太鼓橋が見えました。駐車場に車を止め、太鼓橋を渡ると、正面に立派な本殿が見えました。このような山奥にこんな立派な神社があることに少々驚きを感じながらお参りしました。由緒を観ると、1700年以上も前に創建され、空海を高野山に導き、高野山を参詣する前に参拝する神社だとわかりました。
同じ道を下りカーナビにしたがって高野口から京阪和道路へあがりました。ところが紀北かつらぎICから一般道へ出るように指示するので指示通り走ると、同じところを2度まわることになり、しまいに元来た高野口に戻ってしまいました。これでは何をしているのかわからないので、国道24号を和歌山方面へ走りました。かなり走ったところで泉南ICへ行く交叉点に来たので後はカーナビの指示通り家路につきました。遅くなったので、大久保PAで食事をすませて帰りました。すっかり暗くなったので大久保ICを出て一般道を気をつけながら走っていると、対向車の陰から、松葉杖をついた高齢者が突然現れました。その人は左右確認などなんの注意も払わずゆっくりしたペースで横切っていきました。かなり強くブレーキを踏み急停止し事故は免れましたが、後続車があれば追突されていたかもしれません。
15日(土)は久しぶりの快晴だったので、砥峰高原へススキを見に行くことにしました。寺前に近づくと砥峰高原方面へ行く車が次々行くので、先に峰山高原へ行くことにしました。峰山高原のホテル前の駐車場に車を止め、自然の風に吹かれながら持ってきた巻き寿司の弁当を食べ、30分程砥峰高原へ向かう道を歩きました。しかし坂道をどんどん下るので、これでは帰りが大変だと駐車場へ戻り、車で砥峰高原へ向かいました。2時半頃に砥峰高原に到着しました。妻は休憩所からススキを見ているというので、私だけハイキングコースを30分程の予定でススキの山へ入りました。ところが昔のように山中を自由に散策できなくて、周回コースを歩かなければなりませんでした。妻を待たせてはいけないと精一杯の早さで歩きましたが、途中からぬかるんだ細い山道になり、約束の時間になっても周回コースの半分程しか歩いていませんでした。汗びっしょりになりながら、なんとか妻のいるところに戻りましたが、25分も待たせてしまいました。しかしススキの山が3時を過ぎるととてもきれいに輝き出しました。妻は長く待ったことよりも今まででもっともきれいなススキの山を見ることができたことを喜んでいました。4時前に出発しましたが、カメラを持った人たちが次々と登ってきていました。この人達はこの時間から夕暮れのススキが一番きれいだということを知っているのだと思いました。
10月9日(日) 「免許返納への迷い」
水曜日に姫路へ車で出かけました。歴史講座を受けた後、大久保町にあるコープコーベへ買い物のために向かいました。いつもは明姫幹線を通って帰るのですが、国道2号線を大久保まで走りました。ほとんど走ることがないので道路事情がよくわからず、集中力が散漫になっていたようで、妻の「危ない!」という言葉と同時に急ブレーキを踏みました。余裕はありましたが、信号のないところで停止した前の車に接近していました。
さらに目的地近くに新しい道路が出来たので、その道を初めて通りました。「その先の交差点がいつも通り慣れている道だよ」と話しながら、その次の交差点のことを考えていました。いつもの交差点に進入しようとした時、妻が「赤信号!」と叫びました。慌てて急ブレーキを踏みましたが、車は横断歩道上で停止しました。幸い横断歩道には人がいなかったのでほっとしました。このように集中力を欠いた運転をしていると、いつか事故を起こしてしまうでしょう。
免許証を返納すれば、妻を病院への送り迎えも出来ないし、近くの市場や小さなスーパーが廃業してしまったので妻と買い物にも行けなくなってしまいます。さらに長距離の歩行が体力的に無理になってきた妻の生活範囲が一挙に狭くなってしまいます。近隣の人の多くは80歳を超えていても車を使っておられるので、妻は当然私が返納しないと信じています。返納しないならおしゃべりなどせずに運転に集中し、慎重運転を心がけなければなりません。
9月26日(月) 「声がピンチ」
土曜日の午後、自治会が高齢者のために年4回実施する「つどいしあわせの会」が開催されました。100円持参し、お茶とコーヒーをいただきます。今回のゲストはオカリナ演奏家小田正子・ギター&ボーカルの小田眞一さん夫妻で、お二人の伴奏で途中休憩を挟んで18曲を歌いました。童謡やフォークソング、演歌などポピュラーな曲ばかりだったので、みんなと気持ちよく歌いました。帰って月曜日のためのカラオケの練習をしました。ところが夜からのどの調子がおかしくなり、翌日曜日は三木山森林公園でウォークをしたり、神戸の実家の墓参りをした後、家に帰ってもう一度カラオケの復習2曲を繰り返し歌いました。夜にはのどが腫れた感じになってきました。
今日は朝早くから老人クラブの江井ヶ島海岸公園の清掃活動をし、朝食後、午前中は午後からのカラオケで居眠りをしないように1時間程昼寝をしました。カラオケでみんなと歌い始めると声がかすれて高い声が出ません。その代わりいつも出ない低い声が出ます。いつもは女性が歌った後、同じ歌をキーをあげて歌うのですが、今日はそのままのキーで歌うことが出来ました。高い声は裏声で出そうとするのですが、変な声になってしまい、思うような音程で歌うことが出来ません。木曜日に第九合唱団の練習があるのですが、第九のテナーは高いGの声を出さねばなりません。裏声が使えないとなると練習になりません。練習を休んで声帯を休めるべきでしょうが、入場券の団員先行発売日に当たるので、休むわけにはいきません。口をパクパクさせて、いかにも歌っているような格好をするほかありませ。本番までにまだ1月半あるので、それまでに正常な声に戻ることを祈っています。
9月22日(木) 「江井ヶ島校区敬老会」
校区の連合自治会主催の敬老会が江井ヶ島小学校体育館で開催され、参加しました。副市長や国会議員、県会議員、市会議員など、来賓多数で一般の人も大勢参加していました。目玉は石見神楽で、1時間程たっぷりと鑑賞させてくれました。石見神楽は島根県で2度程観ましたが、今回は広島県北部から数十人が来て迫力ある八岐大蛇の演目を見せてくれました。
「祝 敬老」の垂れ幕を取り出したり、舞台上で男女の代表二人に大蛇が花束を渡して巻き込んだり、敬老会バージョンの演技もありましたが、 スサノオノミコトが大蛇の8つの頭を討ち取る場面など、みんな引き込まれて観ていました。それにしても笛を吹く女性が一人で、演技の最初から最後まで休みなく吹き続けていたのには驚きました。普通あれだけ長く吹き続けると失神してしまうだろうと思う程でした。高齢者を喜ばせようと自治会の役員の方々が苦労されていることがよくわかり、感謝感激でした。
9月21日(水) 「タマネギの苗」
昨年種苗店で買った新種のタマネギの苗が、作柄が悪く、大きくならない上、早々と腐ってしまいました。そこで今年は従来の泉州タマネギの種を買って播きました。これまで種を播いても芽が出なかったり、出ても発芽率が悪いことが多かったので、今年は二袋買って播きました。今回は水やりを欠かさないようにしたのと、3日目くらいから雨がよく降ったので、順調に沢山芽が出ています。そして日に日に大きくなっています。これなら改めて苗を買う必要はなさそうです。11月になったら植え替えようと思っています。
9月10日(土) 「めんたいパーク 神戸三田」
先日行き損なっためんたいパークへ行きました。私のカーナビでは入力されていないません。前回帰って直ぐに調べるとフルーツフラワーパークの近くだとわかっていたので、フルーツフラワーパークを目指して行きました。その近くを走っていると看板を見つけ、無事に到着しました。丁度お昼だったので、まずめんたい具だくさんというおにぎりを買って休憩所で食べました。大きくて山形産のお米を使っているというおにぎりは絶品でした。その後工場見学をし、ショッピングをし、ここでしか味わえないめんたいソフトクリームを食べて帰りました。
初めてのところへ行くと珍しいものに出会い、新しいことを学ぶことが出来、十分楽しむことが出来ました。冷凍のめんたいを買っていて保冷剤を入れてくれましたが、妻が窓の暑さよけに置く銀色のシートにくるんでくれました。それでも溶けてはいけないので、座布団を上にかぶせ、エアコンをしっかりかけて、室内を冷やしながら帰りました。家に帰り着いても凍ったままで、ほっとしました。
9月9日(金) 「徳利寄席」
江井ヶ島酒館で2ヶ月に1回くらいのペースで寄席が開かれています。今回で三回目の鑑賞でしたが、20回記念ということで、世話役の桂文鹿の他、地元出身の林家愛染、そして鶴瓶と同門の笑福亭鶴笑が落語を演じました。愛染は岡山大学を中退して落語家になってまだ八年目ということでしたが、人の心をつかんでとてもうまいと思いました。しかも自己紹介で生まれ育った番地を聞いていると、我が家の直ぐそばだったのでビックリしました。しかし、この日の最高は鶴笑の「パペット落語・西遊記」で、あちこちから登場人物が飛び出したり、小道具が三蔵法師のずだ袋から出てきたり、両手足を使っての演技に涙を流しながら大笑いしました。一番端の席でしたが最前列で見ていたので、一つ一つの動作や表情がよく見え、四演目を心ゆくまで楽しませてもらいました。
9月4日(日) 「写経」
月1回の写経に行きました。前回は1行20文字を50行書くので、みんなからすっかり遅れ、写経後の読経が終わるのと同時ぐらいにやっと書き終える始末でした。今日も20文字24行の後、1行17文字が16行だったので、なんとか読経が始まる前に書き終えました。それでも書き終えたのはいつも参加しておられる人たちの中で最後でした。ただ、今回は初めて参加された方があり、私が書き終えた時まだ10行残しておられました。それでも読経の後の法話が終わる頃になんとか書き上げておられました。
経典には見たことのない文字、旧書体の文字など、半紙をめくってみなければ正しい文字がわからない場合もあり、時間がかかります。皆さんは速く書いてもきれいな文字が並んでいますが、私は急ぐと乱雑になってしまいます。このまま巻物にされるそうで、ちょっと恥ずかしいのですが、写経の雰囲気が好きなので、参加できる限り続けたいと思っています。
台風が接近しているので心配しましたが、家に帰り、家のまわりの片付けを終えて、東の空が真っ黒だなと思いながら家に入り、しばらくテレビを見ていると、猛烈な風とともに激しく雨が降り出しました。早く家に帰っていてよかったと思いました。これで本日の庭の水やりを省くことが出来ました。
9月1日(木) 「酷暑の電気代」
今夏は室内でも33度を超える酷暑の日が続きました。熱中症になってはいけないと午後からエアコンを運転し、夕方気温の下がるまで運転をする日が続きました。日によっては夜になっても運転していることもありました。昨年は数日しか運転しなかったので、電気代を気にすることはありませんでした。
先日8月分の電気代を知らせる検針結果が届きました。7月の領収金額と比べると1200円ほど高くなっていました。8月末の台風10号に関連した1ヶ月ぶりの雨のお陰で最高気温も30度そこそこになり、扇風機で過ごせる日々が続いています。9月分の電気代が7月分と同じになるだろうと思います。なお、暑かった分、プロパンガスで沸かす風呂の運転時間は短かったようで、ガス代は500円ほど安くなっていました。ガス代は冬は8月分より1000円から1500円くらい高くなります。まもなく台風12号がやってくるかもしれません。それまでにエアコンの室外機をきれいに拭いてカバーを掛けておこうと思います。
8月21(日)〜22日(月) 「久々の四国遍路としまなみ海道を渡る」
妻の「しまなみ海道を渡ってみたい」という強い希望を聞き届けるために、宿泊施設をインターネットで探しました。できる限り気持ちのよいところに泊まりたいと思い、はじめに「休暇村東予」を調べましたが満室、「かんぽの宿観音寺」のミドルシニアの1室だけが空いていました。51歳以上だと1000円安くなる部屋でした。19日朝にインターネットで予約し、21日は朝早くから菜園などの水やりや洗濯、風呂掃除など家事をすべて済ませて、9時に出発しました。
いつもは淡路経由で四国へ渡るのですが、久しぶりに山陽道から瀬戸大橋を渡りました。10年ほど前に渡ったきりですが、その時はブルーハイウェー経由だったので、諫早から乗るのに苦労したように思います。今回はなんの苦労もなく、カーナビの指示通りにスムーズに渡ることが出来ました。
往路は弘法大師の誕生の地、善通寺にお参りすることにしていたので、お遍路の服装一式を車に積んでおきました。善通寺の駐車場で遍路姿に着替え、御影堂からお参りをしました。以前のお遍路を思い出し、2年ぶりに経本通りに読経しました。戒壇めぐりが出来ると聞き、善通寺へは3度目のお参りでしたが、かかりの人の説明を聞いた後初めて戒壇めぐりをしました。ツアーだと前の人に続いてにぎやかに巡りますが、今回は全く二人きりでゆっくり真っ暗な中を歩きました。宝物館も見学できました。
その後金堂をお参りしました。ここでも読経をし、すっかり遍路気分に浸りました。8月は遍路のツアーが少ないのか、団体の姿はあまり見られませんでした。それでも後から一組だけ少人数のツアーが女性の先達とやってきました。先達のろうそく立てや線香立てをまず整理にかかる姿を見て、その事務的な姿にいささか気分をそがれました。最近は混み合うためか、線香を寝かせて供えるように書かれていて、ちょっとビックリしました。2年前まで歩き遍路をしていて、こんなことは全くありませんでした。それぞれ金堂と御影堂で記念写真を撮り、納経帳に3度目の朱印をしてもらいました。ここでも団体ツアーがいなかったので、3人ほど並んでいた後ろに並び、短時間ですみました。
駐車場に車を止めたまま、直ぐそばのセルフの讃岐うどんを食べに行きました。冷たいかけうどんに生卵とレモン汁をかけるとさっぱりとしておいしく食べました。汗びっしょりになっていたので、遍路衣を脱ぐと冷房が効いていて、すっかり疲れもとれました。2時30分になっていたので、かんぽの宿へ向かいました。高速道路と違い、国道11号は混み合っていましたが、カーナビを頼りに走り、無事到着しました。山の上の見晴らしのよい宿で、しばらく部屋で寝転んで休憩をしました。その後風呂に入り、レストランで地元の冷酒を飲みながらごちそうを食べました。ほぼ満室だっただけに、レストランのテーブルはすべて家族連れやグループの人たちで賑わっていました。食後しばらく大河ドラマなどテレビを見て、早めに床に入りました。
早く床に入ったため、二日目は早々に目が覚めました。5時半になるのを待って風呂に入りました。7時過ぎに朝食会場へ行くと、すでに大勢が食べていました。最近訪れる宿泊施設は平日に行くこともあって、宿泊者の姿がまばらなことが多いのですが、このように賑わっているとうれしくなります。テレビで「トト姉ちゃん」を見て宿を出発しました。行き先はしまなみ海道ですが、二人ともずっと以前に平山郁夫美術館や大山祢神社など訪れたことがあるので、それ以外に興味があるところがないか探したのですが、見当がつきません。とにかく島の道の駅を入力して走りました。
橋の入り口にある来島PAに駐車し、案内所で地図をもらって聞き込みをしました。村上水軍博物館へ行きたかったのですが、月曜は休館日と言われ、しかたなく伯方塩業大三島工場を見学することにしました。カーナビに入力すると簡単に目的地へ行くことができました。ところが行ってみてなかなか楽しいところだとわかりました。メインは塩の製造の歴史と現在の製造工程を見学することですが、買い物なども出来ます。ここで冷えたデコポンジュースを買って飲みました。のどが渇いていたのでとてもおいしく、500mlの半分を二人で飲みました。残りは氷の入った水筒に入れ、帰り道に飲みました。見本にもらった塩の製品やさらに買い足した塩の製品、デコジュースを車に積んで帰路につきました。
暑いのでエアコンをつけて走りましたが、発進時以外は不自由はありませんでした。スピードの安定しているトラックの後ろを走ると運転が楽ですが、単純なので眠くなります。途中のPAで45分ほど休憩しましたが、すっかり眠ってしまいました。すっきりしたところで姫路西ICまで走りました。帰り道においしい回転寿司屋へ行ったのですが休業日で、近くの二見食堂でサンマの焼いたものなどで夕食を摂りましたが、これが失敗で、旅行の後味を悪くしてしまいました。8時半頃に帰宅し、前日にした洗濯物を片付けて早々に風呂に入ってぐっすり眠りました。
8月19日(金) 「エアコン」
8月に入って猛暑日が続いています。我が家でも連日室内で午前中に33度を超えています。昨年、私たちが熱中症になってはいけないと息子達がエアコンをつけてくれました。昨年はほとんど使うことはありませんでしたが、今年はたまらず連日午後からエアコンで生き延びています。
50代後半に毎晩ウォークをしていた時期がありました。その時、団地に入るとあたりの空気が急に熱くなります。その地域が熱帯夜になるのは住人がエアコンに頼るから悪循環になるのだと批判していました。ウォークから帰ると汗びっしょりになり、直ぐに風呂に飛び込んでいましたが、家では扇風機があれば十分でした。しかし当時に比べると気温が高くなっているのか、高齢で体力が衰えているのか、暑さがこたえます。
今日も昼前ですでに室内は34.3度あります。いよいよ扇風機では汗が引かなくなってきました。1時にエアコンを24度に設定して運転開始しました。15分ほど経って29度に設定、運転を続けており、夕方には30度に設定しました。使い始めた頃は夕方5時頃には運転を停止し、外気を取り込んでいましたが、最近では暗くなってから停止して窓を開けます。
夜は窓を開けて眠るので、エアコンなしでも窓際の扇風機を回していると涼しく熟睡できます。夜30度を超すことはなく、最近は28度ほどとずいぶん涼しくなり、扇風機は必要なくなりました。夜は虫の声も聞かれ、昼はツクツクボウシが鳴き、いよいよ秋が近づいています。
8月10日(水) 「ナンプレ」
8月の初めからナンプレにはまっています。電車の中でもよくやっている姿を見かけますが、やり方がわからないのであまり興味を持っていませんでした。8月1日にヤフーのゲームを見ていると、ナンプレがありました。どのようなものか開いたものの縦横を同じにするにしてはうまくいきません。念のために遊び方を見てみると、やり方がわかりました。なんとなく数字を入れていくと16分あまりで完成しました。翌日もう一度やってみるとやはり16分22秒かかりました。もう少し早くできないかと集中してやってみると10分22秒で完成しました。その後毎日一回ずつやっています。昨日はすらすら解けて10分1秒で完成しました。しかし一度違う数字を入れてしまうと修正に時間がかかります。途中1回だけ20分以上かかって回答できず、ギブアップしました。
今日も一つ違う数字を入れたために時間がかかってしまい、記録更新はなりませんでした。ヤフーの場合、完全に間違った数字を入力すると赤い数字が出るので、紙に上でするより早くできると思います。これまでフリーセルで頭の体操をしていましたが、これからはナンプレも使って毎日頭の体操をしようと思っています。
8月6日(土) 「原爆記念日に広島へ」
10年以上も前に、広島で開かれている「記念式典」をテレビで見ていて、突然広島の平和公園へ行こうということになり、青春18切符で出かけたことがあります。その時は灯籠流しをしていて広島を出発するのが遅くなり、帰りは岡山まで新幹線で帰りました。
今年は前日に妻が最後になるかもしれないから、是非行っておきたいと言い出しました。そこで夜に妻の体調を考え、出来るだけ楽に行ける方法を「JRお出かけネット」やヤフーの「路線」で検索しました。そして最終的には朝ゆっくり出かけ、山陽電車で姫路まで行き、新幹線で行くことにしました。
朝から洗濯をすませ、テレビで記念式典を見た後9時過ぎに家を出ました。姫路駅のみどりの窓口で広島までの指定席を購入したい旨を伝えると、直通だと出発がずいぶん遅くなることがわかりました。そこで岡山までこだまで行き、岡山からのぞみで行く方法があるということがわかり、指定席特急券と往復乗車券、そして帰りの自由席券を買いました。こだまは混み合っているから席がばらばらになるといわれました。改札を通る時、中央改札口で乗車券を通し、新幹線の改札口で特急券を通すとストップしてしまいました。ここでも乗車券と一緒に入れなければならなかったのです。そういえばずいぶん長らく新幹線に乗ることがなかったので、昔と違っていることを知らなかったのです。ホームにあがると直ぐに「レールスター」が入ってきました。妻に「これはひかりだから次の列車だ」と説明したのですが、ふとドアの上を見ると「こだま」と表示されています。レールスターはひかりだと思い込んでいたのも久しく乗ることがなかったからです。
11時30分頃広島に到着しました。広島平和公園近くには昼食場所がないと思ったので、駅で広島焼きを食べることにしました。南口のショッピングビルに入りましたが、そのような店はありません。東側のビル2階にあると案内が出ていたので、そちらの建物に入りましたが、そこは駅の改札口3階に通じるところで、階段を上っても2階はありません。再び下まで降りてさらに東の建物に入ると、2階に飲食店が並んでいました。しかしお昼時とあってどの店も人があふれています。たまたま2席並んで空いている店を見つけてそこに座りました。焼き上がりまで25分ほどかかるといわれたのですが、駅を降りてこの店にたどり着くまで歩き回りすっかり疲れていたので了解し座って広島焼きを作る店員の手元を感心しながら観ていました。すると突然メニューを渡され、座っているだけで広島焼きが出てくるのではないことがわかりました。おすすめの1020円のあおい焼きを注文しました。その時点でこの店が「あおい」という名まえだと知りました。大きなお好み焼きで満腹になりましたが、術後小食になった妻を見るとやはり食べきれないと残していました。
路面電車は「ICOCA」が使えるとのことだったので乗り込み、座席に座っているとみんなカードを機械に当てて乗り込んでいます。急いでカードを機械に当てたのですが、ドアが閉まってしまい、カードが読み取られたかどうかわからないまま出発してしまいました。原爆ドーム前で降りる時に現金を準備してカードを機械に当てると無事下車できました。原爆ドームのまわりには外国人が目立ちました。ドームの写真を撮り、夜の灯籠流しの申し込みをした後、記念碑に向かいました。記念碑の前にはお祈りをする人の長蛇の列が出来ていました。しかたなく横で写真だけ撮らせてもらいました。目の前には内閣総理大臣や衆議院議長名の花輪が飾られていました。
式典の椅子など片付けが始まっている横を通って、原爆資料館へ向かいました。入場すると、高校生や若者、そして外国人が多く、ごった返していました。展示はずいぶんすっきりしたという印象で、以前はただ悲惨さが強調されているように思ったのですが、原爆の威力と範囲、熱による障害、爆風による被害、そして他の武器と違う放射能の影響など、テーマごとに展示され、外国人でも十分理解できるなと思いました。そして戦争のない平和な日々を送ることの大切さを改めて痛感しました。しばらく資料館にとどまって休憩しました。今回とくに印象に残った展示物は、1200度以上で釉薬を焼く磁器が熱でくっついており、いかに高熱だったことかと思わせる実物と、黒焦げになった小学校の階段の壁に、チョークで消息が書かれている写真でした。また実際に子供が乗っていて被爆した三輪車についても、現実に十数万人の人命が一瞬にして失わせる原子爆弾の恐ろしさを表していると思いました。
灯籠流しまで十分時間があったのですが、暑い中動き回ると疲れが出るので、川沿いの日陰のベンチに座って川風に吹かれながらのんびりと川を眺めていました。6時から灯籠流しが始まるということだったので、少し暗くなるのを待って現場へ行くと長い列が出来ていて最後尾がどこにあるかわからないほどでした。前には外人も並んでいて、for
world peaceと書かれていました。妻は自分の両親の戒名を、私は実家の先祖代々への祈りと、世界平和の祈りを灯籠に書いておきました。
やっと順番が来てかかりの人に川面に浮かべてもらいましが、補助をしていた中学生くらいの少年が、灯籠の紙に火がつき、回りの灯籠に燃え移りかけたので、急いで泳いで消しに行っていました。生憎満ち潮だったので、灯籠は川上の川岸へと押しやられ、前回のような灯籠流しの美しさは見られませんでした。しれでも川岸は見物人で満ちあふれていました。そして前回は灯籠流しをする人は少なく、こんなに混み合うことがなかったのですが、何時に帰れるか心配なほどまでに流す人が増えているのにも驚きました。
帰りの路面電車は混み合っていましたが、若い人が席を譲ってくれ、妻にとって本当に有り難く思いました。広島駅の窓口で指定券がないかたずねると、1時間後ののぞみまではないといわれました。そしてもうすぐ出発するさくらの自由席に乗る方がよいと勧めてくれました。妻には立って帰る覚悟を言い渡して、急いでホームにあがりました。自由席は広島で降りる人もあって、ゆっくり座ることが出来、一安心しました。急いで列車に乗ったので、飲み物もなくなっていて、このまま姫路まで帰るのを覚悟していました。福山近くで車内販売のワゴンがやってきたので、アイスクリームと甘栗を買いました。疲れ切っている時だったのでこんなに有り難いと思ったことはありませんでした。姫路駅に到着した時、私はてっきり10時前だと思っていて、そば屋もラストオーダーが過ぎていると諦めて山陽電車に乗ったのですが、電車の発車時刻が9時12分だといわれ、広島姫時間がたったの1時間だったことに改めてその早さに驚きました。疲れましたが、沢山の社会勉強と時代の移り変わり、そして平和を求める人々が多くいることに感動しながら、もう少し自分から新幹線など公共の機関を使って、積極的に出かけなければと思いました。
8月4日(木) 「カボチャの収穫」
庭の菜園で栽培していたカボチャのツルを整理しました。今年は小さなカボチャが鈴なりになるという種類のカボチャの苗を2本植えていました。ツルが四方八方に広がるので少々もてあましましたが、雌花を見つけては受粉していて、12〜3個したところでぴたっと雌花が咲かなくなりました。昨日までに17個ほど収穫していましたが、今日は思わぬともろに実がなっていて、写真のカボチャプラスすでに食べた4個を加えただけの収穫があり、またまたビックリポンです。トマトの収穫もそろそろ終わりですが、今年は台風もなく野菜類は大収穫でした。
8月3日(水) 「ハモ料理」
ハモ料理が食べてみたいというのが長年の妻の希望でした。インターネットで調べていると、偶然淡路・福良に「浜福」という料理民宿があることがわかりました。今頃は混んでいるだろうと思いながら、1日に電話をしてみました。こちらの希望している3日は空いているということなので予約して、今朝10時頃に車で出かけました。玉津から高速に乗り、のんびり走りました。途中緑PAで10分ほど休憩を取り、浜福に到着したのが12時丁度でした。
座敷に上がると直ぐにハモ鍋が始まりました。初めてだというと鍋の煮方を教えてくれました。大皿には肉厚のハモの切り身とその真ん中にハモの肝と卵が盛り付けてありました。煮えたハモを食べてみるとなんとあっさりおいしいこと。たっぷり入れたタマネギも甘く、さすがに淡路タマネギだと思いました。ハモの卵が魚形に合わせて長い紐状だということも初めて知りました。食べることに夢中になっていて写真 を撮るのを忘れていました。
さらにハモの湯引きが運ばれてきました。これまで刺身の盛り合わせで食べたことがありますが、身の分厚さは比べものになりません。しかも食べ方も梅肉に酢味噌といった一通りではありませんでした。その後天ぷらも運ばれてきて、すっかり満腹になり、食べきれませんでした。最後にほんの少し雑炊にして食べて終わりにしました。
スイカのデザートを食べ、一人7500円の支払いを済ませて浜福を後にしました。浜福の前を盛んに車が通るのでどこから来るのか調べると、休暇村が道の先にあり、行ってみることにしました。行って驚きました。駐車場には車が沢山止まっていて、中に入ると人があふれていました。平日にもかかわらずこんなに繁盛している施設を久しぶりに見ました。客層は中高年がほとんどで、それも女性のグループが目立っていました。のどが渇いていたので、今年初めてのメロン味のかき氷を注文しました。持ってこられたのを見てまたビックリ、夜店のかき氷の大きなもので、紙コップに盛られていました。鳴門大橋の景色を見ながらのんびりしました。
帰路は国道28号を走りましたが、車が多く、渋滞気味だったので、洲本ICから高速にあがりました。一番暑い時間だったので、初めてエアコンをつけて走りました。出力が落ちるかと思いましたが、追い越しでも上り坂でなければ時速100キロ超で走ることが出来、改めて車の性能の良さを発見しました。
ハモの天ぷらとハモ鍋で煮たハモを持ち帰ってくれていて、夕食にハモ丼を作ってくれました。これがまた抜群で、あっさりしたハモは夏の最高の料理だと改めて思いました。
7月27日(水) 「佐川美術館」
一昨年、神姫バスのゆったりーのバスツアーで、佐川美術館とみほ美術館を訪れ、それぞれの展覧会を鑑賞しました。佐川美術館は建物自体が水に浮かぶようで、とても印象に残っていました。その佐川美術館のチケットプレゼントに応募したところ、当選し入場券が2枚送られてきました。
8月下旬まで展覧会の期間があったのですが、早速出かけてきました。青春切符で出かけることも考えたのですが、先日息子夫婦に車で同じ滋賀県の醒ヶ井養鱒場へ連れて行ってもらったので、およその道がわかっており、思い切って車で出かけました。大津SAで休憩をした後、カーナビを瀬田西ICから目的地へ行くように設定して出発しました。高速を降りたとたんに大渋滞に巻き込まれ、降り口の選択を間違えたかと思いましたが、30分ほど進んだところで、道路脇の植え込みの剪定があり、片側交互通行になっていたのが渋滞の原因だとわかりました。その後は順調に走り、11時頃に佐川美術館に到着しました。
ベネツィア展がメインで、1時間あまりかけて鑑賞しました。ベネツィアそのものの位置も知らなかったので、いろいろな知識を得ましたが、それでも全く知識の無い地方だし、これからも訪れることがないところなので、観ておしまいという感じになってしまいました。その後平山郁夫の「平和の祈り」と題した展覧会をしていたので、こちらはゆっくりと鑑賞しました。シルクロードの絵が中心でしたが、見応えがありました。
さらに佐藤忠良のブロンズ像の展覧会もしていたのでそちらも駆け足で鑑賞しました。明治時代にこのような裸婦像がよく制作できたなと感心しながら観ました。とても精巧なブロンズ像でこちらも見応えがありました。もう少しゆっくり観たかったのですが、お腹の方がすいてきたので陶器の展示は見ずに美術館を後にしました。陶器に展示は前回見ていたのですが、茶碗が現代的であまり感動しなかったからです。
昼食場所を探しながら、東近江市の武佐へ向かいました。なかなか思うような食事場所が見つからず、結局国道8号線沿いの「ガスト」で昼食をとりました。NHK「こころ旅」で火野正平がよく食べているビーフシチューオムライスを食べました。初めて食べましたが、なかなかおいしいメニューでした。
再び古い町並みがあるという武佐をめざし走りました。近江電鉄武佐駅に到着したのですが、そのあたりには古い町並みは見当たりません。それでも所々に古い家が見られました。そばにある神社にお参りをし、明るいうちに家に帰ろうと早々に帰路につきました。竜王ICから高速に乗り、大津SAで休憩をし、7時には家に帰り着きました。
7月16日(土) 「にんじん13本が100円」
最近スロージューサーを使って野菜・果物ミックスジュースを作って飲んでいます。その主役がリンゴとにんじんです。ところがどちらも最近は高価で、少ししか入れません。にんじんは2本148円、リンゴに至っては1個200円近くします。ところが昨日ドライブで寄った相生の道の駅でやや小ぶりのにんじんですがが沢山入ったにんじん一袋100円という値札がついていました。念のために店の人にたずねると、やはり税込み100円だといいます。これなら心置きなくジュースづくりに使えると買いました。車に戻って数えると13本も入っていました。道の駅3軒ほど寄りましたが、この日一番の収穫でした。
7月2日(土) 「プラネタリウム七夕コンサート」
明石市立天文科学館のプラネタリウムで、岡林立哉の馬頭琴とホーミーの演奏会があり、出かけました。夜の7:00〜8:30にあり、満天の星空を見上げながら馬頭琴に合わせてホーミーの見事な演奏を聴く本当にすばらしい演奏会でした。それにしてものどを詰めて声を出すことによって、倍音が出るのはある程度理解できるのですが、笛のような音が出るのは本当に不思議でした。合間に学芸員の星座の話もあり、モンゴルで見られる満天の星だと聞くと、感動で行ってみたいとも思いました。そういえばここ何十年も満天の星の夜空を見上げたことがありません。日本でも見ることができる場所がきっとあると思います。探して行ってみたいなと思います。
演奏会の後展望台の上がり、180度の景色を眺めました。明石海峡大橋から六甲連山、駅前の開発が進む明石市街地など、初めて夜の景色を高いところから眺めることができました。楽しい夜を過ごさせてもらいました。
6月28日(火) 「菜園の収穫が本格化」
今日は朝から菜園の野菜を収穫しました。これまで一番なりはそれぞれ収穫していました。今朝は植えている夏野菜すべてで収穫がありました。そして遅れていたカボチャもやっと雌花が咲き、受粉してやりました。カボチャと三度豆は今しばらく待たねばなりません。
6月27日(月) 「毒ガス島を見学」
戦時中に陸軍が毒ガスを製造していた大久野島の見学ツアーに参加しました。神戸新聞旅行社の主催で、妻にとっては手術後初めての一般客とのツアー参加で、行くまではとても不安だったようです。しかし、ほとんどの時間がバスの中で、心配は要りませんでした。毒ガス兵器といえばオウムが作ったサリンもその一つです。
大久野島は広島県竹原市で、JR呉線竹原駅の一つ手前、忠海駅そばの忠海港からフェリーで12分のところにあります。休暇村で昼食を済ませた後、まず毒ガス資料館を見学しました。案内していただいたガイドの話によれば、毒ガスを作っていた戦時中、大久野島は地図から消されており、大久野島が見えるあたりを列車で通過する時は窓の鎧戸を閉めることになっていたそうです。もし覗いたりするとスパイ扱いされたとも聞きました。最近になってやっと環境省によって毒ガス資料館が公開されたそうです。その毒ガス貯蔵庫跡など、遺跡がほんの少し残されています。それらをガイドの説明を聞きながら巡りました。中国に毒ガスを沢山運び込み、終戦でそのまま放置したため、毒ガスとは知らなかった中国人の間で事故が起こっていたことなど、我々が全く知らない事実があったそうです。そして国内で貯蔵されていた毒ガスの廃棄作業も大変だったようで、焼却するほか、土佐沖にも沢山遺棄されたようです。そのような毒ガス兵器は国際法上に違反していたため、日本政府もできるだけ隠蔽したり認めなかったりしていたようです。私たちが知らなかったのもそのような結果で、製造に携わった人々も多くが器官系の障害などで苦しんでおられたようです。
大久野島 餌をねだるポーズ うさぎの向こうに見える毒ガス資料館 台座が残る毒ガス貯蔵庫跡
このような忌まわしい島ですが、厚生省管轄だった頃、この島に国民休暇村が開設され、イメージチェンジを計ったようです。現在では学校で飼われていたうさぎが野生化して繁殖し、うさぎの楽園として日本国内だけでなく、世界各国から沢山の人々が訪れ、土・日曜日は港のそばの国道が大渋滞になるそうです。なるほど上陸すると至る所に沢山のうさぎがいて、餌を持っている人々のまわりに集まってきます。中には前足をあげ、餌をねだるポーズをするうさぎもいます。インターネットのツイッターに、外国人が道で餌をやっていると、沢山のうさぎが集まってきた様子を載せたことがきっかけになったようです。今日も子供連れの外国人の姿を多く見かけました。うさぎを求めて日本中や外国からわざわざやってくるなど、私には考えられないことで本当に驚きました。
6月26日(日) 「期日前投票・初めて共産党に」
ここ何年か期日前投票をしています。今日も所用のついでに二見支所で投票をしました。今回は経済問題より憲法改悪阻止がテーマだと思っています。そのためにはどのとうに投票するか考えての結果でした。民進党は現職が当選するだろうし、また状況によって党を変更する議員もいるので、信頼できません。全回はブレーキ役を期待して公明党を選びましたが、今は自民党と変わりありません。民社党は憲法9条死守を訴えていますが、これとて支持者があまりにも少なく、期待できません。公明党が3人目を組織で当選させようとしています。それを阻止できるのはと考えると、頼みは共産党しかありません。共産党に投票するなどこれまで考えたことはありませんが、今回だけは仕方ありません。残念な気持ちを抱きながら投票所を後にしました。
6月22日(水) 「ヨーグルトに青じそジュース」
妻が入院中、娘が何度か見舞いにやってきました。その時にカスピ海ヨーグルトの種を持ってきてくれました。それ以来、欠かさずヨーグルトを作り続けています。一方、菜園に青じその落ちばえが沢山生えていたので、その葉を使って青じそジュースを作り、身体に良いということで夕食時に飲んでいます。
いつもはヨーグルトにオリゴ糖を入れ青汁の粉末か自家製のゆずジャムを混ぜて食べています。今日は飲みかけていた青じぞジュースを入れてみました。妻はそんなのはだめだと言ったのですが、食べてみると案外おいしいことがわかりました。これでヨーグルトのメニューが一つ増えました。青じそでジュースを作るのは梅雨が明けるまでのこの時期だけなので、せいぜい今の間に楽しんでおきたいと思います。
6月15日(水) 「スロージューサー」
昨日、妻の従妹夫妻と舞子ビラで食事をしました。その時に野菜ジュースの効用について沢山聞かせてもらいました。そこで我が家もそのスロージューサーを買うことにしました。しかし、スロージューサーと言われてもどのようなものかわからないので、インターネットで検索してみました。そこにはミキサー、ジューサー、ジューサーミキサーの特徴やその違いが詳しく書かれていました。そして最後に従妹が言っていたスロージューサーについて書かれており、製品名シャープの『ヘルシオジュースプレッソ』が紹介されていました。従妹は東芝製だと言っていたのですが、きっと同じ性能だろうとエディオンへ出かけました。
2日前にエディオンが17日から売り出すというダイレクトメールが届き、その中に割引クーポンが入っていたからです。しかしクーポンの有効期限が7月3までと書かれているだけで今日使えるかどうかわかりませんでした。店に行くとインターネットで見たシャープ製品とパナソニック製品が展示されていました。シャープ製品は機種変更のため展示製品限りと書かれていて、パナソニック製品より8000円ほど安くなっていました。しかもシャープ製品は展示品以外に新品が1個残っているとのことでした。そこでまだ売り出し期間が来ていないクーポン券が使えるかたずねると、OKとの返事だったので、購入を決めました。23800円の表示価格からクーポン券2000円分を引いてもらいました。売り出しの表示価格の下には36000円の値札がついていました。ずいぶん安く買ったことになります。
帰りにジュースにする野菜や果物を買い、午後から早速試しにジュースを作ってみました。大根はジャスターゼがあって胃腸よいとのことで、少し余計に入れたためか、ぴりぴりと辛みを感じましたが、なかなかいい味のジュースができ、二人で感動しながら飲みました。ただ絞りかすが沢山出てくるのには驚きました。この絞りかすはカレーやチャーハンに使えるそうですが、今日は使う予定がないので捨ててしまいました。これからいろいろな食材を使って楽しみたいと思います。なお今日の食材はにんじん、リンゴ、キャベツ、セロリ、大根、レモンでした。
6月13日(月) 「映画64」
先月24日に妻の従妹夫妻と神戸第一楼で食事会をしました。お開きの時間が少し早かったので、ミント神戸で映画を見ました。『殿 利息です』という映画が見たかったのですが、時間的に『64』がちょうど良かったので鑑賞しました。ところが前編だったので後編を見なければならなくなりました。
大久保の映画館で後編の上映が始まったので、前編の内容を忘れない内にとたこバスに乗って見に行きました。映画が始まると前編の内容を忘れてしまっていて、思い出すのにしばらく時間がかかりました。つくづく歳だなと思いました。それでも登場人物を観ていると思い出し、最後まで楽しく鑑賞できました。思わぬ犯人と、警察のメンツ、そして記者クラブの追求など、迫力のある面白い内容でした。滅多に映画を見に行くことはありませんが、テレビで見るのとは迫力が違い、また見に行きたくなりました。
6月10日(金) 「ジャガイモの収穫」
今年も妻の入院があって、ジャガイモの植え付けが3月になってしまいました。昨年の梅雨頃に収穫したシワだらけのジャガイモ、しかも青くなって食べられないものを種芋として50個ほど植え付けました。だから期待していませんでした。そして土をかぶせていなかったので、青くなった小さないもが沢山見えていました。息子の嫁が手伝いに来てくれていたので思い切って芋掘りをしました。
全体に小さな芋が沢山ありましたが、それでも時々大きな芋も入っていて、最終的には30kgほど収穫しました。残念なのは大きな芋は深く入っているので、移植ごてでいくつも傷をつけてしまいました。青い芋が沢山あったので、これらは来年の種芋にします。早速夕食でポテトフライにしてもらいました。収穫したての芋の味は最高でした。
6月7日(火) 「カーナビに振り回される」
11時の予約で、スバルの6ヶ月点検を受けました。その続き妻に行きたいところがないかたずねると、神戸新聞の「奥さま手帳」に掲載されている「めんたいパーク神戸三田」とこたえました。カーナビに電話番号を入力すると、ピンポイントは表示できないのでその付近に案内するとのことでした。カーナビの指示で伊川谷ICから阪神高速北神戸線に乗りました。ところが藍那ICで降りるように指示してきました。三田の近くだと思ったのですが、一般道を進むのだと思ってとりあえず降りると、出口で右折を指示します。何と明石の方へ向かっているのです。山陽自動車道に乗るのかと思いそのまま進むと、山陽自動車道神戸西ICの入り口でUターン、同じ道をまた藍那の方へもどっていきます。藍那ICの前を通過、鈴蘭台の街中へ進入し、到着したのはなんと北区役所でした。電話番号が違ったのかと入力し直すとやはり北区役所を示します。そこで「めんたいパーク神戸三田」を入力すると、「該当なし」とこたえます。
しかたなく、自宅を入力して帰路につきました。途中よく知っているうどん屋によって昼食にしましたが、2時を過ぎていました。出かける時に行ったことのない店で初めてのものを食べたいと言っていたのにがっかりでした。70kmも振り回され、おまけにガソリンが終わりに近づいているランプも点灯し、ガソリンスタンドへ寄る羽目になりました。雨の中無駄なドライブをさせられ、カーナビを信頼して頼るのもいい加減だなと思いました。
6月4日(土) 「地域交流グラウンドゴルフ大会」
先月26日に予定されていた大会が雨天延期になり、今日9時から実施されました。今日は九州から東海にかけて梅雨入りといわれましたが、幸い明石市は曇り空で雨は降りませんでした。お陰で暑くもなく快適に大会を楽しみました。グラウンドの状態は雨天の後運動会の駐車場になったのか、タイヤ痕が残り、決してよいとはいえませんでした。それでもスポーツ21のメンバーがトンボなどを使ってコースを懸命に整備されていました。だから打ち損なってコースを離れると、万事休すという状況で、50mのロングホールでいきなり5打たたいてしまうなど第1ラウンドは25打と散々の始末でした。しかし第2ラウンドからは少し慣れてきました。
昼食を挟んで6ゲームで腕を競い、ホールインワンは1回だけでしたが、最終結果はトータル127打で、41人中8位でした。ちなみに、1位はホールインワン3回でトータル114だとダントツの成績、2位・3位ともホールインワン3回でトータル120打でした。最下位は156打で、参加者41人の成績の平均は134打でした。ホールインワン賞がもらえるホールは6度の挑戦でさっぱりだめでした。それでもいつも一緒に楽しんでいる仲間の中では一番よい成績だったのがせめてもの慰めです。
5月22日(日) 「竹野浜」
朝8時30分頃から車でドライブに出かけました。とくに行き先を決めずに、東北の方向へ車を進めることにしました。しかし途中で寄った三木山森林公園で北近畿山陰ジオパークの地図を見ている内に、久しぶりで但馬の竹野浜へ行くことにしました。子供たちが小さかった頃、竹野浜の民宿へカニ料理を食べに行ったきり訪れることがなかったからです。カーナビの示すとおりに進むと突然城崎の温泉街に入り込んでしまいました。昭和55年頃、この道は行き止まりだったので心配でしたが、峠越えで竹野に通じていました。また新しい道の発見でした。
丁度お昼に到着、竹野浜の東の端にある駐車場に車を止め、海を見ながらおにぎりをほうばりました。食後、猫崎を目指して海岸の遊歩道を西へ散策しました。40年前に訪れた時は砂浜に車を止めて民宿へ行ったのですが、すっかり整備されていて、驚きの連続でした。猫崎半島の周囲は絶壁ですが、竹野浜の西の端に建っている「奥城崎シーサイドホテル」の裏手に猫崎半島へ登る道がありました。朝日夕日、漁り火が見える展望台があると書かれていたので、とりあえずそこまで急な坂道を登りました。やっと頂上まで登ったのですが、そこに立てられている地図を見ると、猫崎半島の8分の1も来ていないことがわかりました。ここからさらに高い山を越えて1キロ歩かねば半島の先へ行くことができず、しかも険しい山道だと書かれていました。
ジオパークの地図に書かれていた奇岩は船でなければ見られないようなので、諦めて引き返しました。道ばたには野いちごの実がなり、柱状節理も身近に見ることができました。駐車場に戻る途中、「北前館」のレストランに寄り、クリームソーダーで乾いたのどを潤しました。久しぶりでとてもおいしく感じました。帰路八鹿の道の駅により、名物のおいしい豚まんを食べました。直ぐ近くの北近畿道氷ノ山八鹿ICから青垣ICまで走り、多可町経由で帰りました。NHK大河ドラマ「真田丸」の放送時間に帰れたらいいと思っていましたが、帰宅すると丁度タイトルが流れているところでした。今日も充実した一日になりました。
5月14日(土) 「ちくさ高原のクリンソウ群生地」
相変わらずお天気がよい日は出かけたくなります。東を向けば神戸祭りなど、混み合うと考えたので、北西を目指しました。国道29号を北上し、山崎のJAで野菜を購入しました。さらに北上し、波賀町まで来た時、ちくさ高原の文字が目に入り、目指すことにしました。途中、水路を拓いたという場所に休憩できる場所を見つけたので、持参したおにぎりの昼食をしました。山へ向かう道なので車はあまり通らないだろうと思っていたのに、北上する車が次々通過しました。
不思議に思っていましたが、ちくさ高原の公園に到着すると沢山の車が駐車していました。私たちも駐車して公園の案内図を見ると、クリンソウの群生地が公園内に点在していることがわかりました。しかも花が満開の状態だとわかりました。その花を見るために沢山の車がちくさ高原へ向かっていたことも理解できました。
足場はそれほどよいというものではありませんでしたが、山に遊歩道が設置され、順路を進むと次々にクリンソウの群生地の花々を楽しむことができました。高低差のある山道を3000歩ほど歩くと病み上がりの妻はすっかり疲れてしまいました。私はさらに1000歩ほど別の群生地を歩きました。これほどの群生地を訪れるのは初めてで、カメラを忘れてきたことを残念に思いました。
5月13日(金) 「徳利寄席」
今日は近くのながさわ「江井ヶ島酒館」で『徳利寄席』がありました。先日ここの店で食事をした時に、寄席のカード会員募集のポスターがあり、申し込むと寄席の招待券をくれました。第18回と書いてあったので、以前から行われていたようですが、気がつきませんでした。生の落語を聞くのは大好きなので、これまでは明石の高家寺寄席に足を運んでいましたが、こんなに近くなら交通費もかからず有り難いことです。
高家寺寄席は露の五郎が3人の落語家を連れてきて開いていましたが、ここでは桂文鹿が2人の芸人を連れてきています。今日の演目は桂鹿えもん『開口一番』 桂文鹿『おみくじ製作所』 ラッキー舞『大神楽曲芸』、休憩の後桂文鹿の7分間トーク『落語家の着物』そしてもう一題落語を演じました。桂文鹿は独特のキャラクターの持ち主で、面白い落語を聞かせてくれました。次回は7月にありますが、前売り券を買って又出かけたいと思います。(前売り券1000円、当日券1500円)
5月8日(金) 「ハマヒルガオの群生」
明石市大久保町西島の海岸を散歩している時に偶然ハマヒルガオの群生に出会いました。この散歩道はよく歩いていますが、このように沢山の花が咲いているのを見るのは初めてです。砂浜がピンクに染まっているのは見事でした。
5月2日(月) 「菜園の手入れ」
トマトの苗などを植えている菜園に棒を立て、大きく成長しても倒れないように柵を作りました。これからは又芽を取り、水をやるだけで心配要りません。
4月30日(土) 「庭の花と菜園」
今我が家の庭ではヒラドツツジを中心にいろいろな花が咲いています。とくにヒラドツツジは花付きも良く、今満開です。一方菜園のタマネギはずいぶん根が膨らんできました。やがて葉が枯れて倒れてくると収穫です。またジャガイモも花が咲き始めました。狭い菜園に50本も植えているので、風通しが悪くなりやがて害虫に葉っぱがむしばまれることと思います。
また別の場所にはいろいろな種類のトマト7本、ピーマンとなすびを1本ずつ植えました。土を平らにして植えていたので、今日は谷を掘って畝にしました。こちらはゆったりと場所を取って植えています。この他に植木鉢にスナップエンドウ6鉢とツタンカーメンを4鉢植えています。スナップエンドウはずいぶん収穫し、そろそろ終わりになります。ツタンカーメンは実がだいぶ入ってきました。まもなく収穫できそうです。またパセリとサニーレタスが菜園の隅に残っています。トマトを植える時、耕さずにそのまま残しています。パセリは薬味として時々収穫しますが、レタスはもう葉が固くなっているので、ここしばらく収穫していません。スープなどの具にすれば良いかもしれません。
あまりに良いお天気なので、お昼前から淡路花さじきへ出かけました。暑くも無し寒くも無し穏やかな天候に気持ちよくのんびりと散策しました。海の見えるすばらしい場所でした。ポピーが咲き始めていましたが、ちょうど植え替えの時のようで、比較的花が少ない感じでした。菜の花が満開の頃に朝ドラ「あさが来た」の最終場面が撮影されたそうです。そういえば花が満開の中で2人が写っていたことを思い出しました。帰りに淡路ハイウェーオアシスから県立淡路島公園を少し散策しました。珍しいツツジを見つけました。
4月29日(金) 「漢字変換機能回復」
ここしばらくパソコンの漢字変換機能ができなくなり、ホームページの更新も別のノートパソコンで文章を作成し、デスクトップパソコンにコピーしていたので更新はほとんどできませんでした。今日息子が来て時間をかけて回復してくれました。お陰で今まで通りのペースで更新できます。私自身ではなんともいたしがたく、感謝感謝です。
昨日は雨でグラウンドゴルフが今日に延期されました。隣村との交流グラウンドゴルフ大会が予定されていて、合わせて25人でプレイしました。私が仲間入りした頃は23〜4人でしていたのですが、メンバーがだんだん減り、最近は11人ですることが多くなっていました。だからこのように4グループでプレイするのは久しぶりでした。
前半の3ゲームはホールインワン2回で52打の成績でした。休憩を挟んで後半の2ゲームでもホールインワン2回で36打で、トータル88打で25人中8位でした。記録係をしましたが、他地区の方々と和気藹々の楽しい交流会になりました。
4月26日(火)〜27日(水) 「休暇村 越前三国1泊2日の旅」
25日夕方、26〜27日は久しぶりに予定が入っていないので、旅行に行こうということになりました。妻は病気になって以来、家で時間をつぶすことが多く、かといって無理が出来ないこともあって、大きな旅行は控えていました。でも気分転換にもなると思い1泊2日の近場ということで、インターネットで宿泊施設を調べてみました。しかし前日ということもあってなかなか見つかりません。
そんなとき、以前から福井県立恐竜博物館へ行ってみたいと言っていたことと、休暇村が安くて良いという話を聞いたことを思い出し、福井県の休暇村を調べてみました。幸い「休暇村越前三国」で部屋が確保できるという返事をもらいました。6時に出発すれば通勤時間帯を避けることが出来るのではないかと思い、早く床につきました。
当日早く目が覚めたので5時30分に出発しました。阪神高速神戸線が早朝から渋滞していると表示が出ていたので、北神戸線経由で恐竜博物館を目指して走りました。途中朝食や休憩などをしましたが、カーナビのお陰で11時過ぎには目的地に無事到着、70歳以上は無料ということで、申し訳なく思いながら館内をゆっくり見て回りました。恐竜の骨格や動くレプリカがたくさん展示されていて、広いドームの館内を時間をかけて歩いていると、すっかり疲れました。館内のレストランで昼食をすませましたが、まだ2時になっていませんでした。
休暇村には4時頃に到着するといっていたので、高速を使わずに向かいました。ここでもカーナビに導かれて走りました。なんだかずいぶん遠回りしたような感じがしましたが、3時半頃に到着しました。
5階の見晴らしの良い部屋で、すぐ近くの海岸に遊歩道があるので、夕食の時間まで散策に出掛けました。海岸一面に浜大根の白い花が咲き誇り、天候にも恵まれて素晴らしい眺めでした。
5時過ぎにホテルに戻り、温泉で一休みしてから夕食に向かいました。前日の申し込みということで料理はスタンダードの会席料理でしたが、総菜や漬け物、デザート、飲み物などはバイキング形式を取り入れていたので、とてもいい食事でした。妻がお酒を飲むと言い出したので、ちょっと心配しましたが思い切って純米吟醸を注文しました。正月以来の日本酒は甘口の素晴らしい味で、妻も少しだけ飲みました。妻は美味しいといいながらお酒と食事を楽しみましたが、食後も大丈夫だったのでほっとしました。
もう一度温泉に浸かって早めに床につきました。星空を見たかったのですが、月が明るくて見ることは出来ませんでした。翌朝は早く目覚めましたが、温泉に浸かった後ロビーで新聞を読むなどゆっくり過ごしました。朝食はバイキングでしたが、種類も味もよく、充分楽しむことが出来ました。
近くに東尋坊があったのですが、以前いったときすっかり族化していたので、手前の雄島へ行きました。柱状節理の断崖の雄島へ赤い橋を渡り、神社を目指して階段を上りました。そこから島を一周しました。遊歩道だけは草がしっかり刈られていましたが、自然林の素晴らしさが続き、中でもまむし草に似たウラシマソウの群落があり、あちこちで固まって花を咲かせているのを初めて見て感動しました。
午後から天気が下り坂になるということだったので、帰路についたのですが、途中で「越前松島水族館」があり、たくさんの観光バスと乗用車が止まっているので、これはきっと穴場ではないかと車を止めて寄ることにしました。大人2000円、70歳以上1800円と高い料金でしたが、期待を込めて入場しました。館内はたくさんの子ども達とそに保護者が遠足に来ていてにぎやかでした。はじめにペンギンのお散歩があり、大勢の子ども達と一緒に見学しました。
その後子ども達がお弁当を食べている間に、魚のいる水槽をゆっくり見て回りました。そうこうしていると、イルカショーが始まるといって、子ども達が観覧席に移動を始めたので、私たちも子ども達の一番後ろに席を陣取って見学することにしました。広い観客席が超満員になったところで、ショーが始まりました。いるかが飛び上がったりいろいろな芸を見せるたびに大歓声があがり、雰囲気が最高潮に盛り上がっていて、こちらも楽しく見せてもらいましら。
お昼をまわっていたのですが、金津ICから高速に乗り、途中PAで軽食のカレーやチャーハンで昼食をすませ、途中何度も休憩をしながら高速道路を走りました。途中目が疲れたのか、前の自動車が二重に見えたりしましたが、短時間で収まり、7時に無事帰着しました。米原あたりから雨が降り出し、ゆっくり走る車の後ろを気をつけて走ったので、身体はあまり疲れませんでした。休暇村が気に入ったので、Qカードも作ってもらいました。これからあちこちの休暇村の施設を利用したいと思っています。
4月22日(金) 「グラウンドゴルフ大会」
昨日延期になっていた明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会が開催され、約600人が集まりました。私たちのチーム12人の内、2人が身内の不幸などの事情があって参加できず、同じ地区内の別のチームから助っ人をお願いして、何とか参加することが出来ました。
午前のプレイでは9ホールで21打、午後からはホールインワンがあって、9ホール22打と大崩れすることなく試合を終えることが出来ました。例年だとトータルで今年より10打ほど多く打っていました。これまで午前がよくても午後が悪くなるなど、よい成績が出ることはありませんでした。今年は昨日の大雨で、グラウンドの小石が沈んでいて、素直に球が転んだからだと思います。それでも快晴で気温がぐんぐん上がり、午後からはグラウンドが乾きはじめ、ホールインワンがなければ例年のような成績になるところでした。
4月21日(木) 「雨中のグラウンドゴルフ」
今日は明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会が予定されていました。しかし降水確率が50パーセント以上だったので明日に延期するとの連絡が入りました。
普段地元のグラウンドゴルフクラブは毎週月・木曜日の8:30からプレイしています。朝8時の段階でまだ雨が降っていなかったので、男性部員が集まっていつものようにグラウンドゴルフの準備を始めました。8:30には女性部員も集まり雨がぽつりぽつりとしていたのですが、プレイを開始しました。
プレイが始まる前に5番ホールだけ練習してみると、見事ホールインワン。練習でホールインワンを出すとその日はさっぱりだったので、今日は期待せずにプレイに入りました。ところが開始早々同じ5番ホールでいきなりホールインワン。しかも第2ラウンドでも同じホールでホールインワン。こんなことはあり得ないので自分でもびっくりです。
第3ラウンドに入る前にかなり強い雨になってきました。それでもみんなは最後まで試合続行だというのでプレイしましたが、さすがに集中力が切れてしまい、思うところに打てなくなりました。それでも終わり頃にホールインワンが飛び出し、終わってみればホールインワンが4回、3ラウンド合計50打で、3位の成績でした。
不思議なことに、このような雨の中でホールインワン4回が3人もいて、10人でトータル27回もホールインワンが出ました。いつもならトータル60打以上の人が何人かいて下位の成績になるのですが、今日は57打が最下位でした。明日に延期された大会でもこのような成績が出れば、久々の入賞も夢ではありません。
4月19日(火) 「漢字変換が出来ません」
先日来、パソコンの調子が悪くなり、漢字変換やメールの受信が出来なくなってしまいました。だからホームページの更新が出来ません。そこで平成16年に買ったノートパソコンを引っ張り出してきて文章を作り、それをフラッシュメモリーに保存し、ホームページにコピ−することにしました。
ただノートパソコンはウィンドウズビスタなので、セキュリティー面で不安があり、文章作成とメールの受信だけにし、インターネットはしないようにしています。メールも決められたメール以外は開かずに消去しています。無線ランを使っているので、ノートパソコンがどの部屋にいても使え、有り難く思っています。
4月6日(水) 「歴史講座受講」
退職した平成16年から兵庫県芸術文化協会主催の文化教室ふるさと歴史講座を受講しています。はじめは明石校で受講していたのですが、講師の言葉がよく聞こえないのと、姫路校の演題が面白そうだったので、3年目から県立歴史博物館で開催されている姫路校を受講するようになりました。講師も女性の埴岡先生で、もの柔らかく謙虚な話し方の人柄ににすっかり魅せられて、受講を今日まで続けています。途中から妻も受講するようになり、ここ数年は妻と一緒に受講しています。今日は28年度の開講式に続いて、「後藤又兵衛の故郷」という演題で楽しいお話を聞かせてもらいました。このところの寝不足で講座の途中で眠ってしまわないかと心配しましたが、最後までしっかり受講できました。
帰りに姫路城の満開の桜を見物し、妻の提案で、山陽デパート6階の東天紅で遅まきながらの結婚記念日の食事会を2人でしました。妻はまだまだ十分食事ができないので、フカヒレスープのコース一人前にエビチリを加えて注文しました。コース料理なので次々運ばれてくるのですが、オレンジジュースで乾杯した後、妻はどの料理も少しずつおいしいといいながら食べていたので、良かったと思いました。私も満腹になり、充実した気持ちで、精算する時にレジで「いい結婚記念日になりました」と店員にお礼を言ってしまいました。相手も笑顔で良かったですねとこたえてくれました。
3月31日(木) 「ヒノキ花粉に悩まされています」
昨日は昼過ぎまで庭で小芋を植えたり、草引きをしたりと、庭で過ごしました。乾燥注意報が出ているほどですから、ヒノキ花粉が飛び交っているようです。くしゃみと鼻水とで、ティッシュペーパを箱ごと庭に持ち出し、かみながらの作業でした。一日中悩まされましたが、それでも夜は鼻づまりもなく安眠できたのが幸いでした。
そして今日も朝から公園でグラウンドゴルフをしました。心配していましたが、プレイ中は2度ほどかんだだけで済みました。その後郵便局へ用事に出かけたり、1時間あまり江井ヶ島海岸の散歩道をウォークしました。午後からも植木鉢の植物の植え替えや、枯れた草花を袋に詰めて明日のゴミ出しの準備をしていました。これがこたえたのか、帰宅後目のかゆみとクシャミ、鼻水に悩まされ、一時もティッシュペーパーが手放せなくなりました。本当に鬱陶しい日々です。くずかごは私が鼻をかんだ紙であふれています。
3月29日(火) 「鉢伏高原へドライブ」
久しぶりに予定がなく、好天に恵まれた一日だということで、ドライブに出かけることにしました。桜にはまだ早く、のんびり走れるところでと考えたあげくに、雪山を見に行くことにしました。病み上がりの妻には少しハードかなと思ったのですが、自然の中で気が晴れればと10時前に家を出ました。姫路バイパスから播但自動車道を走り、あさごPAで早めの食事を済ませました。妻も半人前くらいの食事ができるようになったので外食ができるのですが、残りを私が食べるので、いつも1人分プラス半人前の食事になります。だから最近やや体重が増える傾向にあります。
氷ノ山・八鹿ICまで走り国道9号からハチ高原へあがりました。さすがにゲレンデに雪が残っているほどで、ひんやりしていましたが、高原の空気は気持ちよく、私1人でゲレンデを上へ登りました。途中フキノトウを見つけ、6個収穫しました。しかし寒さが続いたためか、まだ芽が出たばかりのつぼみでしっかり開いたものは少ししかありませんでした。妻を見失い、下の方ばかり探していたのですが、気がつくとかなり高いところまで登っているのにビックリしました。日々元気を取り戻していることを嬉しく思いました。高原の前にそびえる氷ノ山の雪山は美しく、高原では中学生のブラスバンド部が合宿に来ていて、思い思いの場所に陣取って気持ちよさそうに管楽器を吹き鳴らしていました。
3時頃山を下り、途中八鹿と和田山の道の駅に寄り、買い物をして帰りました。270qほどのドライブでしたが、退院1ヶ月の妻もそれほど疲れを見せず、楽しんだようで良かったと思いました。
3月23日(水) 「友愛クラブ(地区老人クラブ)総会」
11時30分から開催される予定で準備をしていました。しかし、会長が知人の告別式に出席しなければならなくなり、急遽私に代理を依頼されました。普段から例会の司会をしていましたが、会長の代理をするとなると大変です。前年度の活動報告の原稿を預かっていたので、パソコンで清書をしておきました。会計報告と合わせて印刷しようと思ったのですが、会計担当者が明石に急用ができたということで、開会に間に合わないことがわかりました。仕方なく活動報告だけを印刷して配布し、いよいよ始めようとしたところに会計担当がもどってきました。再度中断して会計報告を印刷し配り始めたら、全く別のグループの会計報告書だとわかり、とりあえず活動報告だけをゆっくり報告しました。
そうこうしている間に会計報告書の印刷が出来上がり、担当者から報告をしてもらいました。私のした活動報告書も、会計担当の報告書も一部間違いがありましたが、寛容な会員さん達の温かな承認を得て総会を終了しました。とにかく規約のない友愛クラブなので、ぎすぎすしたところがないのがありがたいと思っています。しかしそれに甘えてしまってはいけないと反省しきりです。
続いてアルコールを交えて食事会に移りました。飲みながら、食べながらの懇談はどのテーブルも話が弾んでいたように思います。そうこうしている間に会長の他葬儀に参列しておられた方々も戻ってこられ、全員揃いました。
食後、会長挨拶をしてもらい、お楽しみのビンゴゲームを始めました。ビンゴの賞品は昨日会長と100円均一の店で選んで購入したのですが、出席者数の数だけ購入したはずが4個も多く買っていました。そこで最初にビンゴになった人と7番目にビンゴになった人に2個渡そうと考えました。ところが2人が一番にビンゴになりました。そこで2人に2個ずつ商品を渡し、ラッキーセブン賞はなしにしました。終盤は女性ばかり4人残っていました。そこで今年は不幸な方々だと強調しておきました。そして3人がビンゴになり、最後に1人だけになりました。私が不幸な人と強調していたので、みんなはすっかり注目していましたが、なかなかビンゴになりません。そしてやっとビンゴになった時、思わず拍手がわき起こりました。そこで、最後の人は実は幸運な人だといって、残っている3個の商品をすべて進呈しました。1番の人でも2個しかもらえないのに3個もらえるのだから今年一番の幸福だと強調しておきました。
不手際だらけの総会でしたが、最後は少し楽しんでいただけたかなと思いながらなんとか終えることができました。明日は役員で江井ヶ島海岸駐車場の除草作業をします。そして4月に近くの公園の桜が咲けば、花見会をすることになっています。花見は桜の開花状況によるので、今のところ予定が立てられません。例会の後役員定例会をしており、今日も会計担当が交代するのでその引き継ぎなどをしました。朝9時半から夕方5時まで頑張ったので、家に帰るといささか疲れを感じました。70歳代も終わりに近づくと体力の衰えを痛切に感じます。
3月20日(日) 「たこフィル定期演奏会」
明石フィルハーモニー管弦楽団(愛称「たこフィル」)の定期演奏会に出かけました。妻の公式の外出は退院後はじめてです。5週間もベッドで生活していたので、足の筋肉が衰え、電車で出かける自信が無いので車で出かけました。というのも最寄りの駅は田舎なので階段の上り下りが大変なのです。演奏曲目はポピュラーなメンデルスゾーンの「バイオリン協奏曲」やチャイコフスキーの「第5交響曲」などでした。バイオリンは京都芸術大学の在学生でしたが見事な演奏で感動しました。大好きな曲をこのように新進気鋭の演奏で聴くと元気が出ます。たこフィルも10年近くなると演奏技術はすっかりプロ並みです。
昨日は従兄の一周忌、次の日曜日は姉の七七日と妻もお参りしたかったのですが、食事が普通にできないので、クラス会も含めてここしばらくは失礼が続いています。もともと食が細く好き嫌いの多いタイプなので、好きなものを制限されるとなかなか食が進みません。早くみんなと同じように食事ができるようになれば良いのですが・・
3月7日(月) 「花粉症突入」
昨日あたりからクシャミや咳が出始め、夜は息苦しくて眠りにくくなりました。そして今日は朝の内は雨上がりで花粉はそれほど飛散していなかったのですが、午後から晴れてくるとクシャミが増え始め、何度かティッシュのお世話になりました。洗濯物を取り込んでたたんでいるとさらにクシャミが増えてきました。
目は数日前からかゆみが増えています。今日目薬をさそうとしたら、使用期限が2015年10月になっていました。そして昨年手術をした目が見えにくくなりました。どうも目が腫れてきたようです。至急目薬を調達しなければなりません。例年通りなら6月まで憂鬱な日々が続きそうです。
3月5日(土) 「後期高齢医療費」
昨年6月〜11月の後期高齢医療費総額明細が個人ごとに届きました。昨年8月に網膜と白内障の手術をしたので、他の医療費と合わせて60万円弱の金額になっていました。払い込んだ金額が確か20数万円だったと思うので、払い込んだ以上の医療費になります。高齢者がこのように医療費をかけているので、厚生省の予算がふくれあがるのは当たり前だなと思います。ちなみに妻も普段通りの高血圧などの診療費と薬代で20万円弱ですから、高齢者医療制度の恩恵にあずかっていることを痛感しています。しかも医療機関に支払った金額の合計は8万円以下ですから病気をしない後期高齢者の皆さんには助けていただいて申し訳なく思っています。
3月4日(金) 「胃カメラ」
数年前住民検診の胃部検診で引っかかって以来、毎年胃カメラで検診を受けています。最初はピロ路菌が見つかって除去治療を受け、その後2013年に小さな胃がんが見つかって、明石医療センターで内視鏡手術を受けました。その後毎年その時の主治医の胃カメラ検査を受けています。そのたびに怪しい部分の生体検査を受けていました。そしてカメラがのどを通過する時の苦しさが厭でした。今年も胃が痛むことがあって、昨年ステージ1だといわれたことが気になっていました。
今年も4日に受けたのですが、指導してくれた看護師の指示が適切で、カメラはすんなりのどを通過しました。今回は腹式呼吸を意識したせいか、検査もいつもよりスムーズに進み、もう終わりかと思うほど簡単に終わりました。看護師からは今年は上手にできましたねと褒めてもらいました。
その後主治医の診察があり、今年は全く心配する部分が無いこと、手術跡もきれいになっている様子を画面で見せてくれました。そして胃がん・乳がん・大腸がん・肺がん・肝臓がんの手術を受けた患者の術後生存率の調査に協力してほしいといわれました。承諾と登録した人の生存率について、これまで5年間でしたが、昨年からは10年間統計が取られていることを診察室前に置かれていた週刊誌で直前に読んでいたので、快く承諾し、サインしておきました。これで術後10年は面倒を見てもらえるのではないかと思います。
3月3日(木) 「車のリアウインドウ修復完了」
ディーラーが火曜と水曜がお休みだったので今日朝一番に修理に持って行きました。1日は雨が降るといっていたので、ガムテープでビニールを貼り付けていたのですが、日光が照りつけるとのりがへばりつくと思って翌日朝一番にはがしましたが、すでに尾灯などプラスチック部分など一部分にガムテープののりがくっついていました。直ぐにぞうきんを熱湯につけて拭くと跡形は残りませんでした。その後はシールテープを短く切って5〜6カ所とめておくと今朝まできちんとくっついていました。ディーラーに言われたように朝はがして乗っていきました。
代車としてスバルサンバーを貸してくれました。乗用車と商用車ではこんなに違うのかと思いました。エンジン音は大きく、ECVTではないのでオートマチックでもスムーズにエンジンギアが切り替わっていかず、乗り心地も軽トラックと同じように感じました。そしてガソリンが終わりだという警告が点滅していました。車を借りる契約書にガソリンは借り主が負担すると書いてあったのを思い出しました。なれない車で何とか家にたどり着きましたが、ガレージの前に上り下りの車が集中し、停車した私の車のために渋滞してしまいました。ハザードランプを点けようとしたのですがスイッチが見当たりません。こうなったら降りて早くガレージの扉を開けるしかありません。なんとかガレージに車を納め、説明書を読んでみると、発煙筒だと思った目の前にある赤いスイッチがそうでした。
修理完了の電話を受けたので、再び代車に乗りましたが、ガソリン切れの警告灯が気になり、まず行きつけのセルフのガソリンスタンドへ行きました。給油する場所に停車したものの、給油口が見つかりません。再び説明書を取り出し給油口の場所はわかったのですが、開け方がわかりません。たまたまガソリンスタンドのオーナーが他の用事で姿を見せたので、呼び止めてたずねました。オーナーは車を一回りした上で、やはりここしかないとドアそばにある場所の車の中をのぞいて開けてくれました。とりあえず5g入れてディーラーへ向かいました。その頃には代車の運転にも慣れ、片側2車線の追い越し車線をしっかり流れに乗って走ることができました。
2日間洗車ができないことなど諸注意を聞き、自分の車に乗った時、やっぱり慣れた車の乗り心地は良いなと思いました。ただ新車の頃よりはエンジン音が大きくなったなと思います。後ろのガラスがない時は追い越したトラックのエンジン音が突然後ろから聞こえ、思わずバックミラーを見たりしましたが、帰りは牛乳や卵など買いものをする余裕もできました。
2月28日(日) 「またまた大失態」
明石医療センターの駐車場で、2台分の注射場所が空いていました。その一つが軽と書かれていたので、暗示を受けたようにその場所に駐車しようとしました。ところがその横に柱があることを見落とし、サイドミラーを見ながらゆっくりバックしていると、ガシャンとガラスの割れる音にビックリしてブレーキを踏みました。何と柱に取り付けられている非常ベルのボックスにリヤーウインドウのガラスが当たってしまったのです。車のガラスはちょっと当たると粉々に割れてしまうのです。病院に居合わせた娘と守衛さんから借りたほうきとちりとりできれいに掃除をしておきました。幸い物損事故にならなくてほっとしました。
ディーラーのスバルに電話すると、状況把握をしたいので乗ってくるようにいわれました。5時を過ぎていましたが用事を済ませてディーラーへ乗っていくと、普段から点検などでお世話になっていることもあってとても丁寧に対応して頂き、木曜日に修理してもらうことになりました。それまで雨で車内が濡れたりしないようにゴミ袋を開いて布ガムテープで貼り付けておきました。それにしてもこのような失敗をしでかすようでは免許証返納の時期だと警告を受けているように思いました。
2月26日(金) 「けん玉」
昨年テレビでけん玉が高齢者の心身の健康保持に有効だといっているのを見て、昔のけん玉を取り出しました。最も簡単な一番大きなお皿にのせることをやってみましたがなかなか上手くいきません。一日10回試みて、何回載せることができるかしばらく続けてやってみました。はじめは1〜2回程度でしたが、そのうちに5〜6回できるようになりました。
ここ2ヶ月ほどやっていなかったので久しぶりにやってみると2回しか成功しませんでした。それからまた毎日やっていると直ぐに6〜7回できるようになり、昨日9回目まで上手く載せることができました。これはひょっとして10回ともできるかもと、意気込んでやると失敗してしまいました。それでも10回中9回成功したのははじめてだったのでちょっと嬉しくなりました。しばらく継続して全回成功を目指したいと思います。ちなみに今日は10回中4回でがっかりしています。
2月23日(火) 「文旦」
一昨年まで大好きな文旦を求めて車で買いに出かけていました。はじめは愛媛県まで、やがて岡山県まで買いに出かけていました。そのうち、岡山県あわくランドで2級品が安く売っているのを見つけ、数年買いに出かけていました。しかしここ2〜3年良い文旦が安く手に入らなくなりました。
昨年ホームページを見ていると、土佐の「すえひろ屋」が家庭用として安く売っているのを見つけました。試しに取り寄せてみると家庭用といってもあわくランドで求めていたものよりもかなり上等の文旦でした。そこで追加して買いました。そして今年は1月中に文旦の通信販売のメールが入りました。しかも1月中に注文すれば送料無料ということだったので直ぐに家庭用を注文しました。
2月16日に10s2箱が届きました。10sで20個入り、ほとんど傷もなく立派な文旦が入っていました。2月21日頃が食べ頃と書いてあったので、今日皮が比較的柔らかいのを選んで1個食べてみました。味は上々、これから当分楽しみながら食べようと思っています。そしてきれいな姿のものは知人にもお裾分けをしようと思っています。
そもそも文旦のおいしさを知ったのは、現職時代に大分県佐伯市へ出張した時、たまたま立ち寄った果物屋で店の人に手が汚れないと勧められて地元産一盛り8個1000円で買ったのがきっかけです。帰りの列車の中で食べるとなるほど手が汚れず味もほんのり甘く、それ以来、家の近くの店で文旦を見かけると買っていました。ただ大きい文旦が1個200〜300円もしていました。
退職後歩き遍路中の高知県や愛媛県で10s3000円ほどで売っているのを見つけ、自宅宛てに送っていました。そのうち傷物が1500〜2500円で売っているのを見つけました。味は変わらないのでそれ以来傷物を安く手に入れようとあちこち探すことになりました。人気が出始めたのか、傷物に出くわすことが少なくなり、傷物であっても10s3000円を下らなくなりました。送料を含めるとかなり高いものになります。そんなときすえひろ屋の出会い、今年は10s3200円で送料無料というラッキーな文旦に出会い、しかも傷物とはいえない良品なので喜んでいます。
2月22日(月) 「スナップエンドウ」
昨年スナップエンドウの植え付けが少し遅れたのですが、お正月過ぎまで暖かかったので、1月中旬頃から花が咲き始めました。寒い時の花は実にならないのですが、今年は早くも実が大きく膨らんできたので、卵焼きの横で4個炒めて食べました。こんなに早く収穫したのははじめてです。その代わりツルがまだ十分に伸びていないので収穫量は少しになると思います。
そのほかの冬野菜では、茎ブロッコリー、水菜、レタス、パセリも収穫して食べていますが、春菊が昨年のように大きくなりません。ほうれん草も2度目の種まきで、あまり大きくなりませんでした。それでも3月頃には食べるほどになると思います。
そして昨年トマトを植えていたところを耕し、ジャガイモ(メークイン)を植え付けました。種芋は昨年6月に収穫した中で、地上に一部が出ていて青く色づいていたものです。これまで2度ほど新芽を取っていましたが、それでも芽がまた出ています。その芽をまた取り去って植え付けたので、かなりしわの寄った種芋もありました。果たして3月に芽を出すでしょうか。
2月14日(日) 「インターネットも快調に」
Windows10にグレードアップしてからは、Microsoft Edgeに悩まされました。インターネットをしていても直ぐに止まってしまい、インターネットをする楽しみがなくなりました。そこでタスクバーにあるGoogle Chromeを使ってみると快適にインターネットを楽しめるようになりました。使っているとどのインターネットツールを使うか選択の場面が出てきました。そのときにGoogleを選択すると、それ以降はすべてGoogleにつながるようになり、いまは何の心配もありません。
もっと上手く使えるかもしれないと「世界一やさしいウィンドウズ10」という本を買ってきました。まだはじめの部分しか読んでいませんが、これからしばらく実際にパソコンを操作しながら読んでいきたいと思います。
2月12日(金) 「慌ただしい数日間」
先週の1日(月)はグラウンドゴルフの日だったのですが、朝一で高齢者検診を受診しました。そうこうしていると姉の息子から姉が入院しているが会いたいと言っていると電話がありました。火曜日朝一番に病院に駆けつけると、酸素マスクをして眠っていました。声をかけるとぱっちりと目を開け、話しかけると、こちらの言葉はわかっているようでしたが、自分は酸素マスクのためか話すことができませんでした。それでも口をもぞもぞさせていましたが、声は出ないようでした。やがて視線は窓の外へ移ってしまい私の存在すら感じないような様子でした。ところが私の妻も入院していることを告げるとしっかりした視線で私を見つめ、しばらくその状態が続きました。それも2分ほどで目を閉じ眠ってしまったので、これ以上いては疲れさせるだけだと思い、病院を後にしました。
その1週間後の8日(月)久しぶりにグラウンドゴルフをしました。ホールインワンが2回出ましたが、成績はさっぱりでした。その後検診結果を聞きに医院を訪れました。とくに大きな問題はありませんでした。その日の午後に姉の訃報が伝えられました。姉は戦時中の疎開をはじめ、常に世話になり、姉が嫁ぐまで両親以上にいろいろと教えを受けていていました。急いで式服などを準備しておきました。
火曜日の午後通夜に向かいました。久しぶりに兄弟が集まりましたが、当然話が弾むわけはありません。そして水曜日は葬儀で一日お寺や火葬場を行ったり来たりで、家に帰ったのは6時過ぎでした。葬儀の日の昼食時には姉の生前のことが話題になり、少しは忍ぶことができました。
木曜日は自治会の総会に出席しました。妻が喜寿のお祝い品を受けることになっていたので、代理で受け取りました。夜に確定申告の作成に取り組みましたが、誤記入してしまい、訂正しようと思ったのですが思うようにできないので諦めて破棄してしまいました。また時間に余裕がある時に頑張ってみたいと思います。
今日金曜日に朝から電話が次々かかってきました。原因は私が家にいなかったので、その間電話がかからなかったと口をそろえて言われました。ばたばたしていて多くの方々に迷惑をかけたことを申し訳なく思っています。今日は午後から家にいたので、注文していた文旦も受け取ることができました。まだ食べ頃ではないので、しばらく楽しみに待ちたいと思います。
2月5日(金) 「久々の更新」
1月中旬から家庭の事情でちょっとホームページの更新を怠っていました。その間、写経や高齢者検診、川柳教室の新年会など沢山の行事に参加しました。そんな中グラウンドゴルフの仲間に心配をかけてしまいました。
1月25日(月)の朝、当番制をやめてみんなでグラウンドゴルフの準備をしようということになり、8時にグラウンドへ出向きました。この日は冷え込みが強く、分厚い氷がはっていました。穴を掘るためにスコップを持ったのですが、指先からどんどん体温を奪われていく感じがしました。そして寒さにますます体中が冷えていく感じで我慢ができなくなってきました。20分ほど作業をしましたが、どうしても寒さが収まらず、息苦しさまで感じるようになりました。このままだとぶっ倒れるのではないかと恐怖感を感じ、ゴルフの道具も放っておいて家に帰りました。幸いグラウンドは家の前だったので何とか家に戻ることができました。ストーブの前に座り、手をあぶっていると、妻が洗面器に温かいお湯を入れて持ってきてくれたので、手を浸けているとなんとか手指の凍えも体温ももどってきました。そして妻がみんなに事情を説明して道具を持ち帰ってくれました。その日は胸に違和感を感じていましたが、夕方娘がやってきて一緒に夕食をした時、氷結(アルコール)を飲むと血の循環が良くなったのか胸の違和感はなくなりました。
その後突然夜中にくしゃみが出たと思ったらその日から水ばなが止まらなくなり、急いでかかりつけの医師のところへ行くとアレルギーを抑える薬をくれました。薬を飲むと鼻水は直ぐに収まりました。先日のことがあったので高齢者検診を受ける手続きをしておきました
家庭の都合や高齢者検診で4回もグラウンドゴルフを欠席したので、みんなは心配して電話をしてくれたり、道で出会うと「大丈夫か」と声をかけてくれました。ありがたいことです。それからというもの、寒いところで歩いたり忙しく動き回ると胸の違和感を感じたりします。だんだん身体に自信がなくなってきます。そして昨日も誘われていた料理教室に明石まで出かけたのですが、下痢をするなど身体が本調子でなく、迷惑をかけてはと引き返してしまいました。今風邪を引いている余裕もないからです。まだ検診の結果は聞いていませんが、異常が無いことを祈っています。
1月16日(土) 「江井ヶ島海岸の日の入り」
運動不足解消のために4時頃からウォークに出かけました。中尾の住吉神社まで歩き、江井ヶ島海岸までもどってくると、西方の海に日が沈むところでした。急いで家へカメラを取りに帰り海岸へ行くと、カメラをもった人が大勢いました。10分あまり海に沈んでいく夕日をカメラに収めました。だるまになるのを期待しましたが、それほど鮮やかにはなりませんでした。灯台や船のシルエットとともに撮ろうとしましたが、露出が上手く調整できませんでした。
1月14日(木) 「新年会のダブルヘッダー」
今日も朝から4つの予定がありました。前後は暇がたくさんあるのに不思議と予定が集中します。朝一番はグラウンドゴルフです。朝の連続ドラマ「あさが来た」を観て直ぐにグラウンドに出かけました。メンバー12人の内11人参加と久しぶりに3グループに分かれてゲームをしました。前回もそうでしたが、今日もホールインワンが3本でました。
10時に帰宅し、服を着替えて明石駅の集合場所へ出かけました。グループいきいきネットの仲間と一緒に神姫バスで硯町まで行き、新年会の中国料理店へ行きました。3日前に参加人数を店に伝えていたのですが、うっかり料理内容を伝えておらず、その場で注文したので、料理が来るのは遅いだろうと、名簿を配り、欠席者の近況などを報告していると、予想以上に早く料理が運ばれてきました。
コース料理を取ると、最初の料理を食べ終わる頃に次の料理が運ばれてくるのが普通ですが、この店は次々運ばれてくるので、食べ始める頃には4種類ほどがテーブルに並べられ、さらに次々運ばれてくるので、自然に食べるペースも速くなってしまいました。味良し、量もたっぷりで、1時間もしないうちにデザートまで食べてしまいました。
食後のコーヒーを注文し、精算を済ませた後、会計を引き継ぎ、私は次の予定があるので、みんなより30分ほど早く退席しました。その後3月例会の計画をみんなで話し合ったそうです。私は西新町駅まで歩き、タイミング良く来た電車で帰宅しました。タイミング良くと言っても、階段を駆け上がりドアの前にたどり着いた時、目の前でドアが閉まってしまいました。それでも田舎の電車なので再びドアを開けてくれました。車掌の方に会釈をして乗り込みましたが、階段を駆け上がったので、座席についてもしばらく息が上がっていました。
家について直ぐに車に乗り、妻が診療を受けている病院へ行きました。ぎりぎり妻の診療の予約時間に間に合ったと思ったのですが、彼女はバスで出かけていたので予定より早く病院に着き、受付をすると予約時間より早く診療してくれたそうで、支払いをしているところでした。車で一緒に帰宅し、しばらく休憩した後、第九合唱団の新年会に出かけました。持ち寄りのつまみとして2日前に自分で燻製にしたチーズを持って行きました。6Pチーズ2箱12個持って行きましたが、テーブルには13人いたので、私はいつも食べていると言ってみんなに食べてもらいました。なかなか好評でした。昼の新年会ではアルコールを一切自重していたのですが、夜の会では皆さんの手作りの料理やつまみをもってこられていて、ベールギーのチョコレートなどもつまみに勧められるままに飲んでしまい、最後にコップに残っているビールも飲んだので、すっかり酔ってしまいました。
そろそろ引退と思っていた気持ちも飲みながら仲間と話している間に、12月10日の今年の舞台に立つ約束をしてしまいました。6月の練習開始の頃に状況を見てどうするか決めようと思います。
1月9日(土) 「灘黒岩水仙峡」
久方ぶりで灘黒岩水仙峡へ出かけました。カーナビは三原経由で行くように案内してくれたのですが、高速の津名一宮ICで降りて洲本由良経由で行きました。というのは妻の亡母が由良出身で、以前何度か訪れたことがあり、懐かしく思ったからです。由良までは片側1車線の走りやすい道ですが、由良を過ぎるとカーブが多く車が行き交うのも困難な道になります。いくつか峠を越え、海沿いに出るとやっと広い道に出ました。幸いあまり対向車もなく助かりました。
水仙峡に到着した時はまだ駐車場に余裕があり、12時を過ぎていたのですが、とりあえず山に登りました。以前行った時は道は整備されていなくて、水仙の花の間の狭い山道を歩いたように思うのですが、今日行くとコンクリートで舗装された階段や坂道が一方通行に整備されていました。ゆっくり展望台まで登り、何枚か写真を撮りながら下りました。穏やかに晴れていたので、沼島をはじめ紀伊半島なども見渡せました。今年は暖冬で早くから咲いているとニュースにありましたが、なるほど日当たりの良いところは花が枯れ始めていました。
降りたところに食堂があり、2時になっていたので、昼食をとることにしました。私は肉うどんを注文したのですが、淡路牛と淡路タマネギの甘さが絡んで、今までで一番おいしいと感じた肉うどんでした。食事をしながら水仙峡の入り口を見ていると、次々車が入ってきます。みんなは淡路のあちこちを見物してから南端にある水仙峡にやってくるので、このように遅い時間になるのだなと思いました。小型バスもやってきたので、きっと山は私が登った時より賑わっているだろうと思いました。
ゆっくり休憩し、3時頃に駐車場へ行くと、駐車場は満杯の状態でした。帰路は西浦を通りましたが、三原平野は小さなタマネギの苗がびっしる植わっていました。岩屋の道の駅で座席を倒して一休みしているとすっかり眠ってしまいました。そこから帰宅するようカーナビを入力すると、750円の通行料のはずが軽自動車で1900円だという表示が出ます。どうもとんでもない遠回りをしようとしているようです。それでカーナビのルートを消し、垂水ICから舞子駅経由で帰りました。国道2号へ出る頃にはもう薄暗くなっており、2号線を通り越してうっかり舞子公園駐車場の入り口まで行ってしまいました。このあたりの判断力の衰えが高齢者なのだと思いました。免許証の返納もそう遠くないのでしょうね。
1月7日(木) 「大失態」
妻が病院の予約をしていて、バスで行くというのを、車で送ると言って、予約時間に間に合うようにガレージへ行ってみると、車はバッテリーが上がっていてエンジンがウンともスンともいいません。バスはとっくに出た後、1時間に1本ではどうしようもありません。さらにタクシーなど通らない田舎町ではまさにどうしようもありません。
それでも誰か知り合いがいないかと総合市場へ行くと、お菓子屋さんの主人が店番をしておられました。奥さんが車に乗られるので、たずねるとまだ出勤しておられず、窮状を話すと、ご主人がバッテリーをつないでエンジンをかけてやろうと言ってくださいました。そのようなことをしていると、予約時間に間に合わないので、車を借りて妻を送り届けることにしました。車には普段から犬が乗っているのでボロボロだし汚いと言われたのですが、そんなことは気にしておれません。二人でその車で大急ぎで3qほど先の病院に駆けつけました。妻が車を降りる時に見ると、オーバーの後ろは犬の毛だらけで、臭いもぷんぷんしていました。妻はオーバーを脱ぎながら病院へ入っていきましたが、なんとか予約時間に間に合ったようでした。
急いでとって返し、車を返しに行くと、ついでにブースターケーブルで車のエンジンが動くようにしてやると、お客さんに店番をお願いして家まで来てくださいました。エンジンが調子よくなるまで30分ほどかけっぱなしにしておくようにと、これまでJAFの人から言われていたので、しばらく車の中で待っていたのですが、5分ほどして一度エンジンを切り、再度かけるとかかったので、そのまま病院へ乗っていきました。車の中は私の服についた犬の臭いがプンプンします。それでも病院へ着いても不安だったので、しばらく病院の駐車場でエンジンをかけていました。車の時計が止まっていたので時刻がわからず、5分ほどでエンジンを切り、病院へ行くとちょうど診察が終わったところでした。なんとか迎えて帰ることができました。
普段老人クラブのお菓子を買うことがあっても、挨拶する程度の私に、気持ちよく車を貸してくださるだけでなく、バッテリー上がりも解決してくださった恩人に、私も妻も感謝感謝の一日でした。ありきたりの言葉ですが、地獄に仏、世の中捨てたもんではないという言葉を実感しています。
1月2日(土) 「写経と読経」
今年も書き初めの日に天台宗太寺山高家寺へ写経に出かけました。昼間は暖かく、お天気も良かったので人丸前駅から歩いても気持ちよく、柿本神社へお参りに来ている人たちの車の大渋滞を横目に見ながら坂道を登りました。写経をはじめてしばらくの間は手が震えて上手く筆を運ぶことができませんでした。しかし時間が経つにつれて心が静まり、思うように筆を運ぶことができました。
写経を終え、般若心経を唱えた後、住職さんから北朝鮮を訪問された時の話をお聞きしました。入国が厳しく、行動も制限されただけでなく、仏教界の団体ということで、北朝鮮の人々が動員されていた様子をうかがいました。どこの施設も満員だったのでたくさんの人出だと思ったのが、自分らが出た後はどこもがらんとしていたそうです。空港も人がほとんどいなかったのに、飛行機が出発する時には送迎デッキに大勢の人が見送っていたそうです。国外の人々にはにぎやかで活気にあふれている国だという印象を演出でもって宣伝しているようです。本当の姿、真意をつかみにくい国だという印象をいっそう強くしました。
帰りは明石駅まで歩き、1月発売のシニアカードを買って帰りました。このカードは4000円で山陽電車の営業区間を一日乗り放題で10回分使えます。江井ヶ島から明石だけでも往復600円かかるので、10回くらいは直ぐになくなってしまいます。それでも姫路へ往復すると1440円かかるところを400円ですむのですから、魅力的なカードです。とくに昨年末は神戸へ出かける用事がたくさんあり助かりました。このカードは4月末まで使えるので、計画的に使用しようと思っています。
1月1日(金) 「新年おめでとうございます」
今年は快晴のお正月を迎えました。本当は初日の出をカメラに収めたかったのですが、昨夜紅白を最後まで見て、日付が変わるのを待って氏神の住吉神社に初詣、それから風呂に入って床についたのが午前2時、夜中に一度トイレへ起きたので、目覚めたのは7時30分、東側の窓からは日が差し込んでいました。
息子夫婦と新年を祝った後、元日に届いた年賀状190枚ほどをゆっくり読ませてもらいました。高齢になっても様々な活動をしておられる方が多く、年賀状には前向きの姿勢で記述するのが大切だなと思いました。そんな中、年賀状を差し出していない方からの賀状には胸が痛い思いをしながら読みました。
今年の元日は老人クラブの清掃当番が当たっていて、3時から江井ヶ島海岸の駐車場や公園の清掃に出かけました。元旦ということで他の会員にお願いするわけにいかず、会長と二人でしました。今年の初日の出が見事だったことと比較的暖かだったことで、展望台のゴミ箱はゴミがあふれていました。藤棚の下は花が枯れた後の軸が散らばり、枯れ葉とともに掃き集めているとすっかり時間がかかってしまいました。その後トイレの清掃もして家に帰るとすっかり疲れが出てしまい、一休みをしました。
夕食後は年賀状とソフト「筆まめ」の名簿をつきあわせ、出していない方々へ年賀状を印刷し、一言添え書きをしていると11時を過ぎてしまいました。それでも元日にしなければならないことをし終えてすっきりしました。
15年の日記・トピックス
12月26日(土) 「三木山森林公園ウォーク納め」
先日来奥歯の治療をしていますが、今日患部に金属を詰めて治療は11時に終了しました。それから3時間食事ができないので、兵庫県立三木山森林公園へウォークに出かけました。スズメバチが発生したことと妻が腰を痛めたために、これまでなだらかなコースを歩いていましたが、冬になってスズメバチの心配も無いことから、もっとも険しい遊歩道コースを歩きました。久しぶりの険しい道で、妻に怪我があってはならないので妻のペースで後ろを歩いたのでゆっくりのペースでした。落ち葉が道びっしりで滑らないように注意しながらのウォークでした。4000歩ほどほとんど休み無くアップダウンの激しい山道を歩き通しました。妻は多少自信を得たようです。
後半は妻は池のそばの芝生の傾斜道を、私は展望台を目指して歩きました。展望台から再びドングリ谷へ降りてまた坂道を登ると万歩計は9000歩を超えていました。後半は自分のペースで歩いたのでうっすら汗をかきました。車にもどると妻は20分ほど早く戻っていたそうです。帰路についたのですがすっかり空腹になったので、3時に「王将」へ寄り昼食をして帰りました。治療中ずっと左側の歯で食事をしていたこともあって、なかなか両側でかむことができず、しかも治療直後の歯に異常があってはいけないという意識もあって、やはり左側の歯でかんでいました。これで医者通いも終了です。
12月25日(金) 「年賀状完了」
明石第九合唱団の演奏会が今年は12月20日でした。それまでは気持ちが年賀状には向かず、賀状の原案の作成だけに終わっていました。翌日もあまり真剣に取り組む意欲がなく、原案の修正だけをして終わりました。22日に園芸グループの新年会の案内状を作成して投函した後、自分と親戚関係の宛名を印刷しました。そして相手に応じて3種類ほどの賀状を作って印刷し、23日朝投函しました。
24日は幼い子供向けの賀状を考えました。図柄にかわいい猿をあしらおうとインターネットで無料のイラストのダウンロードを試みました。しかし仮登録が必要とのことでこちらの情報を入力しましたが、ダウンロードできずじまいでした。どうやらこちらの個人情報を取り込むコンテンツに誘い込まれたようです。仕方なく自分が2年前に撮影した初日の出の写真を使って完成させ、25日朝に投函しました。
25日朝受信メールを確かめると、昨日仮登録した返信が届いていて、メールを開けるとインターネットをアドレスをクリックすると正式登録できるを書いてあったので、クリックせずにドメインごと迷惑メールにしてしまいました。これでこの会社からメールが来ることはないだろうと思います。
妻に今日が年賀状の締め切りだというと急いで自分の知人への年賀状の宛名を書き始めました。その合間に園芸グループの仲間への賀状を作成し、昼過ぎに投函しました。妻が宛名を書き終えた賀状に本文を印刷している間年末の清掃をしていたので、自分で一言書き加えて作成し終わったのが午後4時過ぎ、ポストに書かれている収集時間4時5分になんとか間に合わせました。ところがポストを見ていてもその後全く郵便局の収集係がやってきません。どうも収集時間までに来ていたようです。それでも我が家の360枚あまりの賀状づくりは無事終了しました。名簿に漏れた人がいるかもしれませんが、申し訳ないけれど元日以降に届く賀状を見ながら確かめるしか方法はありません。ただ「筆まめ」のソフトを使って管理しているので、大きな間違いは無いだろうと思います。明日からは年末の掃除などに集中します。
12月12日(土) 「友愛クラブ忘年会」
朝から会場の準備をし、11時30分から例会を行い、引き続き忘年会を行いました。入り口で大きな文字のカレンダーで番号札を作って配っておきました。昼食時に、その番号札に名前とカラオケで歌いたい曲名を記入して集めました。もちろん歌を歌わない人には名前だけ記入してもらいました。そしてみんなが飲食している間にソフトのDVDやCD+Gがあるか確かめるのが大変でした。幸い希望曲はすべてありほっとしました。
カラオケタイムの最初に発声練習として「さざんかの宿」をみんなで歌ってもらいました。皆さん結構大きな声で歌っておられました。番号順に歌ってもらい、歌わない人にはメッセージを一言お願いしました。ところが歌わないと言っていた人二人がやはり歌うと言われ、機械操作の間に別室へソフトを探しに行くのがこれまた大変でした。終わり頃にメッセージの時に歌を披露すると言われ、ソフトがないのでアカペラで歌ってもらいました。それと民謡を歌いたいと言われた方もアカペラで歌ってもらいました。レーザーカラオケの時代の民謡のソフトがあるのですが、レーザープレーヤーの調子が今ひとつなのと、テレビの入力が一つしかないので最近は使っていません。また一度調子を確かめておかねばなりません。
これまで機械操作と司会を両方しなければなりませんでしたが、今回は女性役員が司会を引き受けてくださったので、機械操作に集中できました。ちなみに私は新沼謙治作詞作曲の「ふるさとは今もかわらず」を歌いました。昨年買ったカラオケの機械に付いてきたDVDソフトにこの曲が入っていたのです。前から歌ってみたいと思っていたので、少し練習してみて、男性カラオケ同好会の例会時に仲間の前で歌ってみました。なんとか歌えそうだったので忘年会のカラオケをこの曲に決めたのです。盛り上がった雰囲気をしらけさせてしまうのではと心配しましたが、大きな声でおしゃべりをしている人もいて、雰囲気は変わりませんでした。
この日は終了後従兄のお参りに行く予定だったので、お酒は一切飲まず、お寿司を食べただけでしたが、帰ると妻がつまみの残りをもらって帰ってきていました。このつまみは昨日業務スーパーで私が自分の好みのものばかり買ってきていたので、夕食後ついついつまんで食べてしまいました。今年の老人クラブの行事は、23日の自治会館大掃除で一応終わり、新春には三社参りの行事が控えています。
12月9日(水) 「久しぶりのルミナリエ」
震災があった平成7年からしばらくの間、毎年年末になるとルミナリエに出かけていました。しかし10年ほど前からはわざわざ出かけるのが億劫になり、ここしばらくは出かけていませんでした。今日お昼前になって妻が久しぶりにルミナリエに行こうと言い出しました。そこで昼食を済ませ、山陽電車で神戸三宮まで行きました。
はじめにいつでも行けると思っていた神戸市立博物館の大英博物館展を鑑賞しました。以前ロンドンの大英博物館を見学したことがありましたが、規模の大きさに驚いたものです。今回の展覧会はそのほんの一部でしたが、すっかり疲れました。歳なんだとしみじみ実感させられました。
鑑賞の後ルミナリエの点灯まで時間があるので神戸市役所24階の展望台に上りました。上からのルミナリエを見ようと、大勢の人が南側の窓を占領していました。仕方なく山側の窓で外を見ていると、夕暮れとともに市章山や錨山に電気がともりました。しばらくして「KOBE」という明かりもハーブ園の西側の山に点灯されました。この点灯は初めて見ました。三ノ宮駅のホームに沢山の人が行き来しているのも見えます。下り電車を見ていると元町駅に到着し、電車から人々がはき出されてくるのも見えました。こんなに遠くの景色が細かく見えるのは生まれて初めてかもしれません。網膜と白内障の手術、さらに眼鏡の新調の効果がこんなところに出ていました。手術をしていない左目はやはりぼんやりしていてそのような細かなところまでは見えません。
6時前になったので展望台から降りると、ルミナリエはすでに点灯していました。早速妻と手をつないで大勢の人混みの中を東遊園地に出向きました。私が帰りの乗車券や財布を持っていたので、はぐれると大変だからで、若者のように決していちゃついていたわけではありません。間近で見物すると、今年はLEDが使われているせいか、くっきりと美しく色鮮やかに思いました。感謝の気持ちで100円募金をして帰路につきました。
6時半を回っていたので、地下街で見つけたそば屋に入り、ルミナリエ限定というそば定食を食べました。帰りの電車はずいぶん混雑していましたが、優先座席に座って居眠りをしながら無事帰りました。
12月4日(金) 「右目で景色を」
今日は新しく作った眼鏡を受け取りに行ってきました。そして久しぶりに右目ではっきり景色を見ることができました。これまでの眼鏡は手術後の視力にはあっていなかったのですが、左目で生活をするために無理をして従来の老眼鏡で日々の暮らしをしていました。そのせいか、新しい眼鏡では左目の視力が十分でない感じがします。その反面、右目はとてもはっきりきれいに見えます。テレビも離れたところから見ていても字幕を読み取ることができます。字幕スーパーの外国映画も再び妻と一緒に楽しめます。
若い頃から右目の視力の方が良く、右目で見る癖がついていたので、この眼鏡で十分です。これまで遠くを見る眼鏡と、近くを見る眼鏡を使い分けていましたが、新しい眼鏡では遠くも近くも十分見えます。だから眼鏡を使い分ける煩わしさがなくなりました。レンズの分厚さも驚くほど薄くなりました。今までの眼鏡は直ぐに傷つけてしまい、3年もすれば磨りガラスのようになっていましたが、10万円もしたこの眼鏡は大切に扱わねばと思っています。
12月1日(火) 「Windows10をダウンロードしたら」
先日小学校の同窓会でWindows10をダウンロードしたという友達がいました。ダウンロードには時間がかかったが使いやすくなったと言っていたので、思い切って私もダウンロードしました。するとインターネットが直ぐに止まってしまいます。そのたびに再起動するため、インターネットをするのが厭になっています。
それだけではありません。西江井友愛クラブの親睦旅行の参加者名簿を印刷しようとして、プリンターが動かず慌てました。古いパソコンを取り出してプリンターにつなぎ印刷しようとすると廃棄したプリンターに対応していました。設定をしてなんとか新しいプリンターのテスト印刷までこぎ着けましたが、肝心の名簿の印刷ができません。明日朝には配らねばならないのに夜10時を過ぎてきました。もう一度Windows10の設定のプリンターをやり直すと偶然印刷できるようになりほっとしました。
旅行から帰りカメラのSDカードの映像をいつものようにパソコンに取り込もうとすると、LUMIXの映像が取り込めません。これも設定すれば良いのかと思いましたが、肝心のアプリがパソコンから消え去っていて取り込むことができません。インターネットから取り込もうとしましたがそれもできず、未だにカメラでしか撮影した映像を見ることができずにいます。
このようにトラブル続きの新しいOSをダウンロードしたことを後悔しています。そういえば富士通からのメールで「Windows10をダウンロードすれば動かなくなるソフトがあるのでこのまま使い続けてください」という内容の文章があったことを思い出しました。年賀状の印刷に向けて思うように印刷できるか心配しています。
夜テレビの音声を聞きながら何気なくショートカットという項目をクリックすると、パナソニックのLMIXのアプリケーションの項目が見つかりました。立ち上げておいてカメラのSDカードを差し込むと無事映像をパソコンに取り込むことができました。それで親睦旅行の文章に写真を取り込むことができました。このようにパソコンの根本がわかっていない私はいろいろと試行錯誤をしながら少しずつ使えるようになるようです。
11月28日(土) 「西江井友愛クラブ(地域の老人クラブ)の親睦旅行」
以前、親睦旅行は1泊2日でしたが、会員が高齢化したことと、参加者が少なくなったので数年前から日帰り旅行にしています。今回は近場ということで、リニューアルした姫路城を三の丸から眺め、その美しさにみんな見入りました。見ていると団体が次々と入場していき、1日7000人の登城者があるという報道を実感しました。次に隣の好古園を見学しました。紅葉はやや見頃を過ぎていましたが、それでも池に映る紅葉の美しさは快晴の空と併せて見事でした。
その後、灘菊酒造で見学し昼食をいただきました。蔵の2階に設置された団体用の食堂は大きな酒樽の蓋を半分にしてテーブルが作られ、大勢の団体客でにぎやかでした。テーブル一杯にごちそうが並んでいました。食前酒に出されたお酒で乾杯しましたが、なかなかおいしいお酒でした。料理の味付けもすばらしく品数も豊富で、ビールも飲んで幹事のひとりなのにすっかり酔ってしまいました。締めに麦とろを食べましたが、知らずにとろろを酒の当てにしてしまっている人もいました。帰りに売店で36度の原酒を一なめしましたが、とても甘く感じました。しかし36度と聞いていたのでそれ以上は口にしませんでした。
昼食後は日本玩具博物館へ向かいました。酔いが回ったために、バスではすっかり眠ってしまい、気がついたら博物館に到着していました。博物館では井上館長自ら説明をしてくださいました。私達が小学生の頃によく遊んだ紙鉄砲を知らない人がいるのにはちょっとビックリしました。紙の折り方を楽しそうに教わっていました。きっと帰って孫と遊ばれるのだろうと思いました。昭和7年の猿の年賀状やおもちゃが沢山展示されていて、姉の生まれた歳にこんなすばらしい年賀状がやりとりされていたのだと感心しながら見ました。そのほかヨーロッパ地方のクリスマスツリーやおもちゃが展示されていました。私達が現在ツリーに飾るのとはずいぶん違いました。
12度までしか気温が上がらず冷え込むという予報でしたが、風もなく快晴に恵まれて気温がどんどん上がり、寒い思いをしないですみました。そして帰路は高速道路を走ったお陰で渋滞に遭うこともなく、予定より30分近く全員無事帰り着くこともできました。7人いる役員の内、不幸や体調不良で3人が欠席だったので、無事帰ることができたことで一安心しました。、
11月27日(金) 「車検の代車」
私は2010年暮れからスバル最後の軽自動車「ステラ」に乗っていますが、5年目の車検を受けました。その時に同じスバルの軽自動車「プレオ」を代車として貸してくれました。エコドライブ車で、信号で止まるとエンジンストップします。近所でもよく見かけますが乗るのは初めてです。エンジンが止まると同時に止まっている時間を秒単位で表示されます。すると左側にガソリンのエコ量がml単位で示されます。そして走行中は時速が大きくデジタル表示され、左側に可能走行距離が示されます。それが面白くて少々の渋滞でも楽しみながら乗ることができました。代車で戻ってくる時はエンジン停止した後、ブレーキを外すとエンジンが掛かり、スタートするのに少しタイミングが遅れ違和感を感じました。乗り心地はやはりステラの方が圧倒的に良く、やはりプレオはダイハツ製だなと勝手に思いました。
代車で自分の車を取りに行く夕方は大渋滞で7キロほど走るのに1時間以上かかってしまいました。その先さらに6キロほど北東に走ったのですが、ここでも30分近くかかり、普段30分で行くところを1時間45分かかりました。約束の時間にすっかり遅れてしまいましたが、担当の人は快く迎えてくれ、車検の結果を丁寧に説明してくれました。保証も2年間延長され、当分安心して乗ることができます。このようなことは他社の車に乗っている時は一度もなく、変わらぬディーラーの対応と車の優秀さから、スバルから離れられません。免許証を返納するまでこのディーラーから離れることはないと思います。
11月23日(月) 「日本の土木文化の聖地は但馬」
園田学園大学名誉教授の田辺真人先生の提案によって出石の芝居小屋「永楽館」で基調講演とシンポジウムが行われました。くにうみの神「アメノヒボコ」をまつる但馬一宮出石神社を土木の神として全国の土木関係者がお参りするようにすれば良いなど、私にはもう一つ理解できない話が話題になっていました。それは出石の中嶋神社がお菓子の神として全国の菓子業者にお参りされていることに習ったもののようです。このような地域おこしのやり方も一つなのでしょう。
また聖地とするにふさわしい話として、明治初期に活躍した沖野忠雄氏があげられます。彼は円山川の水害の被害に遭う場所で生まれ育ちました。その後姫路出身の古市公威に続いて土木学会2代目会長になった沖野は、大阪築港や淀川の治水など、土木の技師として日本の近代都市化に貢献した人物です。また同じ豊岡出身の砂防の神様と言われる赤木正雄をも生んだ土地なのです。
ところで、何の縁もゆかりもない土木関係のシンポジウムに参加しようと思ったのは、田辺先生の歴史講座に参加した時、湊川公園前からバスを出すと言われたこと、田辺先生が基調講演をされると言われたこと、そして講談師 旭堂南海が「但馬偉人伝」を話すと聞いたからです。さらに出石の町の散策と皿そばが久しぶりに食べられるという実に下らない動機だったのです。しかし女性土木技師の話が聞けるなど楽しい一日を過ごさせてもらいました。
11月21日(土) 「国宝 朝光寺」
ひょっとして紅葉を見ることができるかなと思って加東市の「国宝 朝光寺」を訪れました。20年以上前に一度訪れたことがあります。その時の印象は国宝にしては荒れ果てたお寺だなというものでした。ところが今日はすっかりきれいになっていて本堂の扉も開いていました。中へ入ると黄色の服を着たボランティアの方々が4人ほど訪れた人に説明をしておられました。人が説明を受けている横で少しだけ聞きました。本堂を出て境内を歩いていると、先ほど説明されていた女性がわざわざ私達のところへ来られて、いろいろ説明してくださいました。朝光寺の歴史や建物の説明、そして多宝塔の擬宝珠に刻まれた文字など、本当に興味深く話してくださいました。とくに今の国道372号は京都から陸路で播州へ抜ける戦街道で義経や足利など、古くからの武将が戦をしながら通った道だと説明してくださったのには新たな歴史を理解できた喜びを感じました。三草山の合戦跡も一度訪れてみたいと思いました。三草という地名も御戦から来ているのではとも話されました。そういえば以前朝光寺の他、丹南町の石龕寺や加西市の光明寺を訪れた時、それぞれの寺に足利氏が西国に落ち延びる時に訪れたという話を聞いたことがありますが、今日の話で良く理解できました。
もう一つ、西国33所の小さな仏像が境内に設置されていますが、その真ん中に旅姿の人々が刻まれた石碑がありました。昔の人はこのような姿で33所をお参りしたのかなと思っていましたが、それが花山院の一行だと教えてもらいました。西国33所の話まで聞けるとは思いませんでした。帰りには地図や地元の温泉の優待券などお土産までもらいました。帰路播磨清水寺の麓にある蜂蜜を売る店によってミカンの蜂蜜を、ひまわり公園では地元の富有柿や野菜を買って帰りました。紅葉を見ることはできませんでしたが、充実したドライブになりました。
11月20日(金) 「眼科術後3ヶ月検診」
8月下旬に網膜の手術をして3ヶ月が経ったので、経過を見てもらいに行きました。網膜もきれいに伸びているので、眼鏡を新しく作っても良いと言ってもらえました。そして視力検査や眼鏡を作るについていろいろ検査をしてもらいました。いろんなレンズを組み合わせてもっとも見やすいレンズを見つけてもらい、その後瞳孔の距離などいろいろ測ってもらいました。これまでは眼鏡を作る時、眼鏡屋でいろいろ計ってもらって作ってもらっていましたが、眼科でこんなに詳しく測定してもらうのは初めてでした。今日は瞳孔が開いているので、改めて眼鏡屋へ行こうと思っています。
検査で傑作だったのは、看護婦さんと向かい合って看護婦さんが片方ずつ目をつぶり、開いている方の目を見る検査でした。看護婦さんが見事に片方ずつ目をつぶるのが面白く心の中で笑ってしまいました。その後検査用の眼鏡にちょうど良いレンズを入れ、外を歩いてきてくださいと言われました。東二見駅に通じる横断歩道橋を歩いてきました。最初の1段目は踏み外しそうになりましたが、その後は違和感なく歩くことができました。それより、久しぶりに両目できれいな景色を見ることができ、また、標識がはっきり見え、嬉しくなりました。一日も早くこのような景色を見ることができる眼鏡を作りたいと思います。
11月19日(木) 「車検前点検」
スバル軽自動車最後の製造である「ステラ」に2010年暮れから乗っています。そしてまもなく2回目の車検を迎えます。スバルの軽自動車もカーナビや衝突防止装置、燃費などずいぶん進化していますが、いまのスバル軽自動車はダイハツ製造です。スバルの軽に乗る前はダイハツの軽に3台ほど乗っていました。その時の印象は故障もしたことがあり、販売店も含めてあまり良くありませんでした。そしてスバルのVIVIOに乗り換えた時何とすばらしい車だろうと思いました。その後R2、そして現在のステラです。ディーラーもとても親切で信頼できます。
今日は車検の無料事前点検に行き、見積もりをしてもらいました。タイヤなど交換してもらうことにし、そのほか保証延長や次期車検までの点検パックなども依頼したので、20万円近くになってしまいました。それでも安心ドライブのためにはこれくらいは投資しておかなければならないと思っています。いつもタイヤを交換して1年ほどで車を買い換えることが多かったので、今回は早めの交換です。横浜タイヤのエコタイヤだそうです。来春からはまた楽しいドライブをしたいと思っています。そしてこの車を手放す時には免許証も献納しようと思っています。
11月9日(月) 「グラウンドゴルフ10月月間賞に輝く」
先月の地域高年クラブグラウンドゴルフの成績が発表されました。何と生まれて初めてのトップ賞です。ホールインワンも月間16本でトップ対。最後の試合ではホールインワン4本、3ゲームトータル39打と自己新記録もたたき出しました。40打を切ることは夢だと思っていたのでとても嬉しく思いました。それまでも1日3本、3本、4本と連続で良い成績だったので、月間賞に結びついたのだと思います。この成績は11月に入っても続いていて、先週も1日2本ずつホールインワンをしています。それでも年間成績では5人ほどが100本以上ホールインワンをしていますが、私は73本と下から3人目の成績です。
15人のメンバーの成績をこうして集計している先輩には頭が下がります。個人別にどのホールに何本ホールインワンをしたか、成績がどれだけかということまで集計して毎月発表されるのです。それもパソコンを使っていないといわれるのですから本当に驚きです。85歳のこの先輩がいなくなったらこのような成績発表ができる人は二度と出てこないでしょう。メンバーみんながいつまでも頑張ってほしいと思っています。
11月8日(日) 「同窓会の季節」
今日は現職時代に共通の立場にあった人たちの同期会が神戸国際会館9階の中華料理店でありました。スタートは40人を超えていましたが、今年に入ってからも3人が亡くなり名簿の上で38人、数名は体調不良で出席できないとのこと、今日は17名が出席しました。それでも例年より出席者が多かったそうです。
皆さんの話を聞いているとすばらしく活躍しておられます。お一人で20年ちかくかけて2160ページにも及ぶ辞典を編纂して発行されていたり、外国をたびたび訪れて視野をますます広げておられる方など感心するばかりです。私のようにほんの近場で満足している人はおられないようです。しかし、プライドを捨てて、感謝の気持ちを大切にしながら引きこもらずに家族や近隣の人々と楽しみながら人生の最終コーナーを歩んでいるのも自分らしい生き方なのかなと自分を慰めています。
11日は加古川で大学の同窓会があります。この同窓会は同じ大学学部の同窓で、東播磨在住か職場で同じ分野の仕事に就いていた仲間の集まりです。今日の同期会と重なっている人もいますが、現役で大学に合格するとは限らないので、年齢には幅があります。こちらでも今年に入って亡くなった人もいます。会長が倒れたためにここ2〜3年休止していましたが、頑張って車いすで出席するということで今年再開されます。
さらに13日には小学校の同窓会が神戸国際会館10階の日本料理店で開かれます。こちらも卒業後ほぼ毎年開かれています。私の場合結婚した時に、住所変更を届けていなかったことからしばらく空白がありましたが、歯科医の仲間が毎年世話を続けてくれていて長く続けることができたように思います。その仲間が数年前亡くなりどうなることかと思いましたが、後を引き継いでくれた仲間がいて、今年も実施できる運びになりました。幹事を回り持ちにせず世話をしてくれる仲間がいるお陰で、東京や名古屋在住の仲間もやってきます。160名以上いた仲間も物故者が多く、例年20人ほどしか集まりません。ここ2〜3年私自身の予定と重なり欠席していますが、今年こそ出席しようと思っています。
この他にも高校のクラス会など12月以降に開催される案内が来ていますが、こちらはほとんど出席したことがなく、今回も欠席の予定です。長年顔を合わさない人たちの中に入っていくのは敷居が高いもので、たまに行っても話題には入れず落ち着きません。こうなってしまうと二度と出席しようと思わなくなります。だから私の出席する同窓会や同期会は6月の末から7月に開かれる2つの会を加えて5つに限られてしまいます。この5つの会の中で小学校の同窓会と同じ仕事を若い時から頑張っていた仲間との会は、懐かしい話でもっとも盛り上がるように思います。とくに後者は90歳代の人など多くの先輩がおられるので、未だに感心させられる話が聞けるのでいつも感動しながら帰路についています。
11月7日(土) 「タマネギの植え付け」
11月に入り種苗店にタマネギの苗が売られています。我が家は例年収穫が遅く、収穫後長持ちする種類のタマネギを200本植えています。二人では200本も要らないのですが、栃木にいる娘が兵庫県産のタマネギは北海道産に比べて柔らかいというので送っているからです。さらに息子のところは今年植えられない事情があるということで、300本植えることにしました。したがって今年はジャガイモを植える場所を縮小する予定です。
午前中に岩岡の種苗店へ行き苗を買ってきました。昼食を済ませて植え付けをしました。昨年タマネギを植えていたところは前もって耕しておいたのですが、新たに100本分の畑を耕しました。苦土石灰や肥料を入れて直ぐに植えたので果たしてうまくできるかちょっと心配です。
タマネギの苗と一緒にスナップエンドウを12本、サニーレタスとパセリの苗を1本ずつ買いました。スナップエンドウは毎年4鉢8本植えていますが、今年は詰めて植えても大丈夫という種類のサラダスナップエンドウを4鉢12本植えました。またサニーレタスは先日茎ブロッコリーの苗を買った時に1本買って植えていますが、重宝しているのでもう1本増やしたのです。パセリは昨年植えませんでしたが、スープなどの薬味にしたいので久しぶりに植えました。今夜から雨という予報なので、降ればありがたいなと思っています。
10月27日(火)〜29日(木) 「兵庫県芸術文化協会研修旅行〜佐渡2泊3日」
退職以来協会主催の歴史講座を受講しているので協会友の会に加入しています。今回は協会友の会の研修旅行が佐渡で行われました。4年前にも那須、日光方面の研修旅行に参加しました。その時の印象は、日程がゆったりしていて、高齢者の参加が多かったこと、みんな物静かで品のある研修旅行だと思いました。だからきびきび行動のできない妻や手術後の私でも参加できるのではないかと考え参加を決意しました。予想に違わずすばらしい3日間でした。
伊丹から小型ジェットで新潟空港へ飛び、まず豪農の館「北方文化博物館」を見学しました。敷地8000坪、建坪1200坪、36室というとてつもなく大きな館ですが、終戦後早々に市に寄付されたので、立派な姿のまま保存されていて、座敷を通して見える庭は紅葉も色づき、本当にすばらしい眺めでした。三角の建物には台形や三角の畳が敷かれた茶室、味噌蔵を改造した食堂でいただいた郷土料理など圧倒されてしまいました。
ジェットホイルで両津港へ渡り、最初に椿屋陶芸館を訪れました。ここは佐渡金山から掘り出した土で焼かれた無名異焼きと、登り窯を見学しました。赤い色の焼き物と黒い色の焼き物があり、二日目の夜のクイズ大会で全問正解の商品として赤い湯飲みをもらいました。
夕方5時前に大佐渡ホテルに到着、直ぐに大浴場へ直行、十分温まったところで露天風呂へ行きました。日本海に面した景色はすばらしかったのですが、残念ながら雲に遮られて夕日は見られませんでした。ホテルの窓から見える海岸沿いのホテルは閉鎖しており、隣も大きな建物があったのか基礎部分の跡が見えました。私たちが泊まったホテルは大きく、宿泊客もまずまずいたので、宿泊客はこのホテルに集約されたのかなと思いました。料理は海の幸満載で、イカと海藻を中心とした料理が沢山並んでいました。ビールを勧められましたが、まだ医師に許可を得ていないので一口だけにしておきました。
翌朝はバイキングで7:00から9:00の間に済ますようにいわれ、出発は9:30とゆっくりしていたので、朝風呂を済ませた後、BS放送で「あさが来た」をゆっくり見て食堂へ行くと、宿泊客のほとんどが済ませていたので、のんびり食べることができました。遅く行くとよく食べるものがなくなっていることがありますが、このホテルではそのような心配は全くありませんでした。
ホテルを出発してまず鉱山処理の産業遺産「北沢浮遊選鉱場」へ行きました。ここは横幅広く建物跡が残っていて、別子銅山とはまた違った景色に感動しました。全体の景色がカメラに収まりきれず、また説明板も対岸にあったので、ひとり急いで橋を渡って対岸へ行き撮影しましたが、それでも収まりませんでした。そうこうしているとみんなバスに乗り込んでいたので大急ぎバスまでもどりましたが、みんなを待たせることになってしまいました。
次に今回のメイン「史跡・佐渡金山」の宗太夫坑を見学しました。別子銅山と同様坑内でジオラマの人形が働いていました。ここでも水をくみ上げることが重要な仕事で、別子銅山のように引き上げてくみ上げるのではなく、筒を回しながららせん状にくみ上げる方法をとっており、この方が楽だったのではないかと思いました。ただこの坑道で働くと3〜5年で酸素不足と硅肺で命を落としていたという話は、江戸時代の御上の仕事と住友という民間会社との人命尊重の違いを感じました。
金山から大佐渡スカイラインを上り、白雲台展望台へ行きました。ここからは函館山から見る景色と同じように佐渡の国仲平野を挟んで両側の海を見ることができました。ただ強烈な風で、屋外に長くいることはできませんでした。ここに置かれている郵便ポストがトキをかたどったユニークなデザインに笑ってしまいました。
大佐渡を下り「佐渡歴史伝説館」の見学をしました。ここには日蓮聖人をはじめとする佐渡に流された人々や佐渡に伝わる伝説を1体数千万円といわれる動く人形などを使って展示されていました。建物も池に浮いている感じでいろいろ工夫されていました。
続いて「トキの森公園」を見学しました。十数年前に佐渡を訪れましたが、トキがずいぶん増えたなと思いました。そして以前来た時は遙か遠くのケージに数羽のトキを見ただけだったのですが、建物の窓ガラスの直ぐそばでトキがドジョウを捕っている姿を見ることができ感動しました。こちらから見えてもトキからは見物人が見えない工夫がなされた窓ガラスなのだそうです。
そこからお土産屋の寄ってから宿舎の加茂湖温泉吉田屋に入りました。まず6回屋上にある露天風呂へ行きました。佐渡で一番大きな加茂湖畔に建っているので、眺めは抜群でした。夕食で乾杯の音頭をとるようにいわれちょっと緊張しましたが、お陰でそばに座っている人とも和やかに話すことができました。ここでは佐渡牛のほうらく焼きなども出ましたが、やはりイカと海藻の料理が中心でした。乾杯をしたあとちょっとリラックスできたところで勧められるままにビールをコップ2杯飲んでしまいました。夜は若返りの湯という温泉につかって早々に寝ました。
三日目は宿根木の古い町並みをガイドボランティアの説明を聞きながら見学しました。吉永小百合がポスターで写っているという三角の建物も見学しました。船大工が住んでいたという町並みは本当に道が狭く、すれ違うのも大変でした。佐渡島にも88ヶ寺巡りがあり、その一つのお寺にも行きました。一遍上人が開いたといわれる時宗のお寺でしたが、一遍上人がこのような佐渡島まで布教に来ていたことは驚きでした。踊り念仏には少し狭い境内だなと思いました。
佐渡島最後はたらい舟の体験でした。以前来た時は夕方だったのと、昔三木のアスレチックで小学低学年の息子とボートに乗ろうとして舟もろともひっくり返りずぶ濡れになったことを思い出し乗りませんでした。今回は妻はどうしても乗らないというのでひとりで乗りました。宿根木ではひどい雨風でどうなることかと思いましたが、小木港は雨こそぱらつきましたが穏やかな海で安心して乗ることができました。途中で艪をこいでみるかといわれましたが、遠慮しておきました。
出発前の天気予報では二日目から悪天候で、気温も低くなるといっていましたが、ほとんど寒く感じることもなく、宿根木以外では傘も必要としませんでした。ガイドの話では私たちが訪れる前日の新潟は最悪の天候だったそうで、私達は本当に恵まれた3日間でした。ゆったり旅行を企画実施してくださった協会の皆さんには本当に感謝しています。
10月22日(木) 「ハードスケジュール」
忙しい一日を無事乗り切ることができました。今日はグラウンドゴルフの当番だったので、朝7時30分からグラウンド整備をし、プレイの準備をしました。いよいよ落ち葉の季節になり、がんじきを使わねばならなくなりました。だからいつもより時間がかかりました。プレイは8時半から始まりましたが、明石市高年クラブ連合会主催の輪投げ大会があったので、今日は8人が二グループに分かれてのゲームだったので9時半を回ったところで後片付けもすみました。ちなみに最近は好調で、今日はホールインワン4回で、3ゲームトータル39打と、ついに念願の40打を切り、自己記録を更新できました。そして今月のホールインワンは16回になり、これも月刊自己記録を大きく上回りました。
グループいきいきネットの例会が4ヶ月ぶりに明石で開催されるので、急いで家に帰り服を着替え、10時5分発の電車で明石へ向かいました。集合時刻に10名が集合、明石市立文化博物館へ行きました。現地に3名来ており、さらに遅れて2名やってきたので合計15名の参加になりました。久しぶりでしかも明石ということもあっていつになく大勢の参加があり嬉しく思いました。地元出身の橋本海関・関雪父子の展覧会ということもあって、親しみを持って鑑賞することができました。その後明石公園のコンビニで各自昼食弁当を買って、茶室の園側でおしゃべりしながら食べました。
解散後3時過ぎの電車で家に帰り、妻と車で近くのAコープへ買い物に行きました。5時過ぎに家に帰り、早めの夕食を済ませ、6時4分の電車で第九合唱団の練習に出かけました。練習中はほとんど立っていますが、8時半までの2時間の練習を無事終えて家に帰ると9時を回っていました。朝7時半から夜9時まで4つの予定をこなすことができ、まだ体力が残ってるのかなとちょっと自信になりました。
10月16日(金) 「連日グラウンドゴルフ大会」
昨日西明石駅近くの上が池公園で明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会がありました。明石市内の高年クラブ(老人クラブ)会員660人が一堂に会し、10ホール2ゲームで競いました。第1ゲームは私にとってはまずまずの成績でしたが、午後の第2ゲームはさっぱりでした。これはいつものパターンです。個人成績もチームとしての成績も振るわず、試合終了後早々に引き上げました。ホールインワン賞がもらえるホールでは、過去1回も実現しなかったのですが、今回うまく打って入るかと思ったのですが、ゴールの枠に引っかかってしまい残念でした。でも入っていれば賞品のボールペンのために、最後の表彰式まで残らねばならず、仲間みんなを待たせることになるところでした。
今日は校区のコミセン主催の交流グラウンドゴルフ大会が地元小学校でありました。こちらは8ホールで午前に4ゲーム、昼食を挟んで午後から2ゲーム、合計6ゲームで競いました。初めのうちは平凡ながら淡々とゲームを進めることができ、2ゲーム目にはホールインワンを記録しました。しかし昼前にはすっかり調子が狂い5打や4打が続出し、4ゲームを終えて89打という成績でした。午後からは多少調子を取り戻し、最後にはホールインワンも記録して、6ゲームトータル130で打ち終えました。そして54人中18位という成績でした。ちなみに優勝者はトータル113打、ブービー賞は153打でした。以前154打を打って最下位になったことを思えば多少は向上したかなと思っています。
今日のホールインワン賞はグラウンドゴルフの球だったので、是非獲得したいと思ったのですが、6回も挑戦の機会がありながらなかなか指定ホールには入りませんでした。これまで指定のホールインワン賞を獲得したことがないので、一度入れてみたいなと思います。
10月14日(水) 「網干の史跡現地研修」
先週水曜日に兵庫県芸術文化協会主催の歴史講座で網干出身の「勤王の志士・河野東馬」について学びました。そして今日はその現地研修ということで網干の町の史跡を歩きました。はじめに船渡八幡神社を訪れ、続いてその前にある加藤家住宅を見学しました。加藤家は普段公開していないのですが、講師と加藤家のご当主が研究仲間ということで、当主から詳しく説明をしていただきました。加藤家の隣には勝海舟の筆による碑が建っていました。廻船問屋の加藤家と勝海舟が情報交換をしていたからだとといわれています。
続いて丸亀藩の飛び地であった史跡「陣屋跡」を訪れ説明を聞きました。隣には金比羅神社もありました。その後神戸より西で一番立派な建物だといわれている山本家の説明を受けました。3階の展望室は見事だそうで、そこから姫路城も見渡せたそうです。市が買い取って何年か先に公開されるかもしれないということでした。
そこから大覚寺を訪れました。広い境内の建物は市の指定文化財で、多くの宝物を所持している古刹だそうです。浄土宗大覚寺と関係の深い善慶寺を訪れました。ここには今回の網干を訪れたメインである河野東馬の墓がありました。弟子によって立派な墓碑が建てられていました。
その後旧網干銀行から誠塾を訪れました。誠塾は河野東馬が講師をしていたところで、塾のために建てられたもので、生活する場はなかったそうです。各地に小学校が建てられるまでは河野東馬が網干の教育を担っていたそうで、多くの指導者を輩出したそうです。
これまで三度網干の町を散策しましたが、このように史跡の説明やエピソードを聞くのは初めてで、有意義な2時間でした。
10月12日(月) 「久しぶりに車の運転」
老眼鏡をかけていますが、目がずいぶん慣れてきたからか、今日のグラウンドゴルフでホールインワン3回、3ゲームトータルも47打と3位の成績でした。毎回成績が上がっています。今週は木曜日が明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会。金曜日は地元校区の交流大会があります。この成績が発揮できれば良いのですが・・
今日は体育の日で家でじっとしている手はないと車で三木山森林公園へウォークに出かけました。車を運転するのは8月下旬の手術前以来です。老眼鏡をかけているのでちょっと心配でしたが、眼鏡に慣れたことと、国道や県道の広い慣れた道路で、しかも昼間の明るい時間帯に限った運転だったので、いつも通り安心して走ることができました。公園について直ぐイベント広場そばのベンチで持参したおにぎり弁当を食べました。青空の下、久しぶりに屋外で美味しく食べました。
三木山森林公園のアップダウンのある広い道をゆっくり歩く妻を尻目にかなり勢いをつけて歩きました。8000歩ほど歩き続けるとうっすら汗をかきました。グラウンドゴルフと併せて11300歩ほどで、体育の日にふさわしい体力作りができました。歩き終えベンチで持参したおやつを食べていると、空がにわかに曇ってきました。帰路、種苗店で気になっていた茎ブロッコリーなど野菜の苗を買いました。家に近づくにつれて雨がぽつぽつ降り出し、ガレージに車を止めて大急ぎで洗濯物を取り込みました。とたんに音を立てて雨が降り出しました。危機一髪でした。そんなことで、苗の植え付けは明日にすることにしました。
10月11日(日) 「庭中ほうき草だらけ」
ほうれん草も沢山芽を出し、日に日に大きくなっています。アルカリ性土壌にしたのが正解だったようです。それでも所々芽の出ていない部分があるので、改めて種を蒔いておこうと思っています。大根は本場が少し大きくなってきました。去年と違ってまだ青虫の発生は見られません。春菊はびっしり芽が出ています。うまく間引かなければなりませんが、まだまだ小さいので、もう少し後にしたいと思っています。
昨年庭にほうき草が何本か植えていたので、枯れた後ほうきとして庭掃除に使いました。ところがその時に種をまき散らしたらしく、庭中ほうき草だらけになってしまいました。花壇に少し植え替えましたが、花壇以外の通路にも沢山生えています。紅葉すれば良いのですが、山間部の里と違って海辺の我が家では紅葉しないまま枯れてしまいます。去年のように種をまき散らさないよう、引き抜いてはゴミとして出しています。それでもゴミとして処理をしている間に種が沢山落ちます。まだまだ沢山生えているので、きっと来年もほうき草だらけになることでしょう。来年は少し残して小さな内に草と一緒に引き抜いておきたいと思います。
10月5日(月) 「ホームページ復活と我が家の菜園」
9月21日に更新した後、ホームページのサイトが開かなくなってしまいました。10月3日に息子が来たので相談すると簡単に復活してくれました。これくらいのことは自分でできなければならないのですが、アナログの脳みそでは解決できません。そのようなことでよくホームページなど開設しているなと思われることでしょうね。まさに息子様々です。
昨年妻が入院している間、菜園に植えられていた大根、春菊、茎ブロッコリーに助けられました。そこで今年も植えようと彼岸にやって来た息子達に菜園を耕してもらい、翌日大根と春菊の種をまきました。2日後には双葉の芽を出し始め、今日は貝割れ大根のような芽を間引いて、香味ごはんにしてもらいました。新鮮な味と香りに舌鼓を打ちました。一方、ほうれん草の種も別の場所の菜園に蒔きました。昨年は同じ場所に蒔いたのでほとんど発芽せず、思うように収穫できませんでした。酸性土がいけないと種の袋に書いてあったので、苦土石灰や燻炭を沢山混ぜて耕したのです。10月初めに蒔いたのが、今日は4本ほど芽を出していました。この調子で沢山芽が出るよう期待しています。
この後茎ブロッコリーの苗を買ってきて植えようと思っています。そして11月に入るとタマネギの苗を200本ほど植え、夏にトマトを植えていた菜園でツルムラサキと里芋を収穫した後に、6月に収穫したジャガイモのうち、緑色がかって食べられないジャガイモを種芋にして植えようと思っています。
9月21日(月) 「2ヶ月ぶりのグラウンドゴルフ」
網膜の手術をした時、医師から当分はスポーツは禁止だといわれていました。そして先週金曜日の検診時に高齢者スポーツのグラウンドゴルフと、第九合唱団の練習への参加可否についてたずねました。回答は「順調に回復しているので軽いスポーツなど普段の日常生活をして差し支えない」と許可をもらいました。
そこで今週から両方に復帰することにしました。そして早速今日は朝からグラウンドゴルフをしました。片方の眼鏡のレンズがあっていないので、3ゲーム63打と参加者の中で最下位でしたが、それでもホールインワンも1回あって、片眼で久しぶりとしてはまずまずでした。木曜日にはグラウンドゴルフと第九合唱団の練習に参加予定です。
9月20日(日) 「運転できない不便さ」
網膜の手術以来、車があっても運転することができません。手術した目の視力が安定するまで2ヶ月以上かかるといわれ、それまで眼鏡の更新ができないからです。手術時に一緒に白内障の手術もし、水晶体を以前より多少焦点距離を改善してもらうようにいったため、視力は1.0まで回復していても今までの眼鏡ではよく見えないのです。そして車の運転はしないようにいわれています。
一番不便なのが買い物です。いつも買い物をするAコープは家から1kmほどのところにあるのですが、牛乳など重いものを歩いて買いに行くことはできません。そこで1時間に1本のたこバスで店の近くまで行きます。そして買い物を済ませた帰りも店の近くのバス停から乗ります。幸いバス停が家から2分ほどの距離にあり、店からも同じくらいの距離で、しかも高齢者は片道50円で乗車できるので、妻と行っても往復200円ですみます。ただ、妻は腰の圧迫骨折をしてまだ日があまり経っていないので重いものを一度に沢山買えないのです。だからこまめに買い物に行かねばなりません。
今日も朝からバスで買い物に行き、午後からはたこフィルの定期演奏会に山陽電車で出かけました。いつもは車で出かけるのですが仕方ありません。ただ歩く機会が少ないので、明石駅から市民会館ホールまで距離があり、ちょうど良い運動になりました。音楽会の帰りにも明石駅周辺の食料品店で買い物を少しして帰りました。
9月19日(土) 「校区敬老会」
小学校の体育館は高齢者と一般市民でほぼ満席でした。昨日国会の審議が終わったこともあって地元選出の衆議院議員も来賓として出席していました。担当は防衛ではありませんが、総務副大臣と言うことで、挨拶の中で安保法案について理解いただくためにまた説明したいなどと言っていました。
はじめにソプラノ歌手の歌を聴いたり、一緒に歌ったりしました。そして「カタリ」を歌われた時はさすがにソプラノ歌手といわれるだけあって、あの高音を見事に歌われ、感動しました。この方は最近関東から私の家の直ぐ近くに転居されてこられ、ひょんなことから親しく話ができる間柄になり、今度出会った時にはしっかり感想とお礼を言わなければと思っています。
続いて桂吉弥の2番弟子と吉弥の落語を聴きました。弟子は若手だけあって枕もほとんどありませんでしたが、結構楽しく話し、笑わせてもらいました。吉弥はすっかり貫禄があり、枕も話題が多く、大いに笑わせた後「ちりとてちん」を楽しく話されました。笑うことは健康に良いということですが、本当にすばらしい敬老会でした。
校区全体の敬老会は9年ぶりということでしたが、準備から実施に際して校区内の自治会関係者の皆さんは大変だったと思います。感謝感謝です。
9月13日(日) 「敬老会」
地元自治会主催の敬老会が自治会館でありました。来賓には校区内の市会議員や地元国会議員秘書も臨席しておられました。そして国会議員や市長からの祝辞も届いていました。自民党国会議員でしかも副大臣なので安保法案にも触れており、今のこの段階では歓迎する気持ちにはなれませんでした。
型どおりの祝辞の後、余興としてまずビンゴゲームがあり、その後軽く体操をして落語を聞きました。出演は丸々亭おはぎという明石在住の77歳の女性でした。定年後68歳で落語教室に学び、一般女性のコンクールで優勝したことからテレビのローカル番組などにもドキュメンタリー出演したということでした。演目は2題、とても語り調子がうまく、ついつい話に引き込まれてしまいました。とくに2題目は77歳になって覚えたという話で、努力すれば25分ほどの落語でも覚えられるのだなと感心しました。私などカラオケの新曲を覚えるのが大変で、やっと覚えても1週間もたつとすっかり忘れてしまっています。
笑いは身体にとっても脳にとっても有効だと言われていますが、敬老会でこのような内容を選ばれることはすばらしいことだと思います。20日には校区連合自治会主催の敬老会が小学校体育館で開催されます。内容は地元ソプラノ歌手のコンサートと、桂吉弥の落語を聞くことになっており、高齢者だけでなく地元住民も参加できるそうです。このような行事は最近では初めてのことなので、きっと沢山の人であふれるだろうと思います。
9月11日(金) 「順調に回復」
今日は眼科検診がありました。これまで妻に付き添ってもらって駅のエレベーターを利用していましたが、今日は眼鏡を着用しひとりで行ったので久しぶりに駅の階段を上り下りしました。長い階段を上ると足がすっかり弱っていることを実感しました。検診では順調に回復し、視力も1.0まで回復していると言われたので、少しずつウオークをしても良いかたずねてみました。返事は「眼球に充填したガスも消えているのでよろしい」と言うことでした。30分程度のウォークを始めたいと思います。
ちなみに家にいると歩行数は500歩〜2000歩くらいでしたが、今日は眼科まで行ったこともあって4618歩でした。無理のない程度に歩きたいと思います。そして今日は小学生の下校の見守りのボランティアも勤めることができました。
9月10日(木) 「国勢調査」
先日国勢調査員が訪問してこられ、その時にインターネットで回答する旨伝えました。そして今日夕方パスワードが書かれた用紙を持ってこられました。早速パソコンで打ち込みましたが、気抜けするほど簡単なものでした。もっと大変な内容を聞かれると思っていただけに「エッ!もう終わり?」というのが正直な感想です。
何年も前に妻が調査員を一度だけしたことがありました。ひとり暮らしでアパートに住んでいる人はいつ行っても留守で、やっと捕まえても「書いておく」と言っただけで期限内に終了するのに苦労していました。多くの人がインターネットやスマホで協力すれば調査員も助かると思います。
9月8日(火) 「台風接近の影響」
明日は手術後初めてのお出かけの予定でした。姫路の県立歴史博物館で歴史講座を受けるために、山陽電車で姫路駅まで行き、そこから神姫バスで博物館の近くまで行く計画を立てていました。ところが主催者から、明日は台風接近のため講座を10月7日に延期するという電話がありました。私にとってはいささかありがたい連絡です。もう少し静養するようにと神様の配慮なのかもしれません。
したがって金曜日に眼科の検診に行くのが次の予定になりました。眼帯が必要なくなり、眼鏡をかけることができるようになったので、眼科検診には妻の付き添いの必要がなくなりひとりで行くことができます。そして今朝からはゴミ出しや食器洗い風呂の清掃など家事もするようにしています。少しずつ元の生活に戻していこうと思っています。
9月7日(月) 「眼帯もとれ、眼球中のガスもほとんどなくなりました」
金曜日に術後10日目の検診を受けました。結果はガーゼの眼帯の必要はなくなり、目薬を1日4回さすだけになりました。しかしまだ眼球内のガスが多少残っているので、普段はうつ伏せの姿勢を保つようにいわれました。それでも眼鏡をかけることができるようになり、テレビも楽しく見られるようになりました。そして、そのガスの泡も日に日に小さくなり、今日の昼前に小豆ほどの大きさだった泡が見当たらなくなりました。
そこで今日は初めて庭で落ちた柿を拾う作業を短時間してみました。すると老人クラブグラウンドゴルフの仲間が家の前を通りかかり、久しぶりに話をすることができました。しかし、目の手術をして休んでいた間に、グラウンドゴルフや女性カラオケの仲間が2人も亡くなりました。今日の葬儀には妻に行ってもらっています。老人クラブの役員をしているのにお参りに行くことができず、もどかしく思っています。今しばらく医師の指示通り静かに暮らしているしか仕方がありません。
9月3日(木) 「右目網膜と白内障の手術無事終える」
8月25日(火)朝から手術を行い、その後休憩室で4時間うつ伏せで休んだ後タクシーを呼んでもらって帰宅しました。帰宅後も食事時間以外眼科で貸与されたU字型に切り込まれた枕に顔を伏せて床についていました。しかしあばら骨の一番下の骨と、腰骨のとがったところが敷き布団に当たって痛くて安眠できず、ドーナツ型のスポンジの座布団を痛いところに当てながらなんとか朝を迎えました。
朝一番に眼科へ来るように言われていたので、診察を受けると、きれいに手術できていると言われました。帰りに3種類の目薬とガーゼを三日分もらいました。1日4回(朝、昼、夕、就寝前)3種類の目薬を5分間隔でさして、ガーゼを貼り付ける作業を言い渡されました。自分ではできないのですっかり妻の世話になっています。起きているときは顔を伏せておき、眠るときだけは横向きでも良いと言われました。組んだ両腕におでこを押し当てて座っていると、首から背中が痛くてついつい横になってしまいます。すると布団に当たる骨が痛くて、目が覚めると上を向いてしまっていることが多くありました。
一日おいて28日(金)に診察に行きました。傷はきれいに治っていると言われました。しかし目の中の水たまりの境目が黒くゆらゆらして見えるのが気持ち悪いだろうと1週間分のガーゼと絆創膏を渡され、同じように起きているときはうつ伏せの姿勢を取り、眠るときは横になっていても良いと言われました。しかし水面がだんだん下がってくるのが心配でした。というのは手術の時にガスを充填していて、それが体液に変わってくと回復すると言われていたからです。しかし考えてみると目の構造は水晶体のレンズで逆さまに投影され、それを脳が正常の上下に知覚していることを考えれば、水面が下がっているということは体液が増えていることになるとわかると少し安心しました。ずいぶん水面が下がり、下を向いても泡の大きさが小さく感じられるようになってきました
おととい、昨日と妻の肩を持ってたこバスに乗って1時間あまりホームセンターやスーパーへ買い物に行きました。近眼ですがガーゼで目を覆っているため眼鏡をかけることができず、しかも下を向いているので前が見えないので視覚障害者のような格好で歩きました。お陰でバスの座席も譲ってもらえました。目薬をさすときに、裸眼で見ると、水晶体のレンズを以前より多少は良くなるようにといっていたからか、焦点が左目よりも遠くになって、裸眼でもテレビが左目よりより鮮明に見えるようです。ただ、色合いははじめ色あせたカラー写真のように青っぽく薄く見えていましたが、だんだん色が濃く見えるようになってきました。しかしまだまだ青っぽく見えます。説明書ではだんだん普通の色に見えるようになると書いてあるので安心しています。泡も下の方にほんの少しになってるので、この調子でいけば、明日の診察でガーゼの眼帯はとっても良いといってもらえるのではないかと思っています。目薬は2ヶ月以上差し続けることになるそうです。
パソコンを操作する許可が出ていないので本日は無事終了したことだけにしておきます。
8月24日(月) 「いよいよ明日網膜の手術です」
今日は朝から老人クラブのこの夏最後の活動である江井ヶ島海岸の駐車場、公園、トイレの清掃活動をしました。この後は9月末の女性カラオケ以外私の老人クラブの活動は当分休止します。それだけではなく、パソコンも車も当分は触らないつもりです。だから今後しばらくメールをもらってもみることはないだろうと思います。いろいろ失礼なことがあるかもしれませんがお許しください。
そんなわけで2〜3日前から庭木の剪定をして、昨日までに明日の燃えるゴミに出せるように準備しておきました。さらに当分大好物のスモークチーズが食べられるように、今日は6Pチーズなども燻製にしておきました。買い物も昨日、今日と二日間重いものや車でしか買いに行けないところでの買い物もしておきました。どれくらい養生しなければならないのかわかりませんが、とにかく長引いても良いように私なりにするべきことをしておいたつもりです。
明日朝剪定した枝などゴミ出しをすれば私の家事は終了し、後は病院へ行って医師に任せるだけです。台風が接近しているようですが、明日無事に終えることができるよう祈っています。
8月18日(火) 「自分もビックリの川柳教室」
今日は第三火曜日、定例の川柳教室の日でした。前回私の詠んだ兼題「海」の句「愛犬と海に溶けゆく夕日愛で」の互選でみんなより少し多い支持を受けて11点、8月の兼題「美」を提案しました。そして川柳のページに詳細を記しているキリン堂の女店員の印象を「ありがとう添えた笑顔が美人にし」と詠みました。
この句を今日の川柳教室で投句したところ、互選で22人中18人の支持を得て、27点という高得点を得ました。川柳教室を受講するようになって11年になりますが、このような高得点をいただいたのは初めてのことです。自分でもビックリしています。というのも20点を超えることは年に3〜4回で、それも20点台の前半が多いからです。私がこれまで唯一20点を超えたのは2011年12月に24点をもらった句「プライドを捨てて自由にたどり着く」以来で、ほとんど一桁得点か0点というのが現状です。
高得点の人が次の月の兼題を提案するのですが、私は兼題「坂」を提案しました。ところが「坂」で直ぐにイメージするのが、NHKBSの自転車の旅番組に登場する火野正平の「人生下り坂最高」というくだりです。この言葉が頭から離れず、新しいイメージがわいてきません。困ったもので、兼題に「坂」を選んだことを後悔しています。
8月17日(月) 「Windows10」
先日来パソコンの画面に「Windows10をご検討ください」という表示が現れます。そして無償インストールの手順が表示されます。しかし、息子に尋ねるともうしばらく様子を見てからにすれば良いとのことで、インストールを見合わせています。そのような中、今日は私のパソコンのメーカーから、私の機種にインストールをすればトラブルが多発し、最終的に動かなくなるので、Windows7のままお使いくださいというメールが入りました。その上、Winnows10に対応できるようにするソフトも発行予定はないと冷たい文が付け加えられていました。残念ながら、Winnows7の保証が切れるまで使った後は買い換えという意味のようで、ユーザーよりメーカーの販売戦略のように思えてなりません。
8月16日(日) 「門池公園の木々の灌水当番」
老人クラブのグラウンドゴルフ部が普段使っている門池公園の管理を自治会から委託されています。夏の間は木々に灌水をしなければなりません。10日から16日の間その当番が当たりました。9日に前の当番が十分灌水したので2〜3日は灌水しなくても良いとの引く次を受けました。そこで13日に灌水しようといっていたら、12日の夜雨が降り、13日も午前と夜に雨が降りました。結局土曜日に小さな木々に灌水しただけで、後はトイレの掃除だけで終わりました。この後は24日に海岸や駐車場などの清掃をすれば網膜の手術のため当分は老人クラブの活動は休止します。
最近午後から睡魔に襲われます。朝早く起きてウォークをしているからだろうと思います。今日も午後から2時間ほど爆睡しました。網膜の手術後、しばらく散髪ができないと思い目覚めた後直ぐに散髪屋へ行きました。いつもなら散髪が始まると直ぐに居眠りをしてしまいます。髭剃りも終わり、洗髪のために椅子を起こされて初めて目が覚めます。ところが今日はテレビの高校野球を聞きながら最後まで眠らずにすみました。このようなことは何年ぶりかと思いました。
8月10日(月) 「9月行事のキャンセルで迷惑をかけてしまいます」
昨夜男性カラオケグループの例会がありました。例によって私は飲み物と寿司、そして卵豆腐を調達して持ち寄りました。前半は賑やかに会食しながら大いにおしゃべりをしました。後半はひとり2曲ずつ得意な歌を披露しました。私は最近持ち歌にしている「酒ものがたり」と女性カラオケで練習した「金比羅一段」を歌いました。新曲、懐メロそれぞれバラエティーに富んだ歌を披露していました。
終了時に目の手術をするので9月の例会には参加できない旨を話しました。ところが代わりに食料の調達をしたり、カラオケの機械操作を他人の歌う曲までできるという人がいなくて、結局9月例会は中止になってしまいました。グループいきいきネットもそうですが、私のために9月の例会が次々キャンセルされることになり、申し訳なく思っています。
今日のコミセン便りで地域の敬老の日の行事が小林潤子さんのソプラノコンサートと、桂吉弥さんの落語会が行われると書かれていました。どちらも是非聴きたいのですが、小学校まで出かけられるのかわからず、参加を見合わすことになればとても残念です。というのも親戚の奥さんと昨日ばったり出会ったときに、たまたま私と同じ網膜の手術を5月にして、やっとこのように買い物に出られるようになったといわれたのです。私も医師から2ヶ月は安静が必要といわれており、その言葉を軽く考えていたのですが、現実は厳しいことを知り、悪くすれば10月も迷惑をかけることになるかもしれないと考えたりしています。
8月8日(土) 「エアコン快調」
息子がくれたエアコンを先日取り付け工事してもらいました。今一つ冷えないし、30分すると止まってしまいます。そこで昨日改めて診てもらいました。ガスの気圧が下がっていたそうで直ぐに修理してくれました。それでも様子を見るようにと24度に設定して電気屋は帰りました。風の吹き出しも温度も全然違っていて、部屋は直ぐに冷えました。一般にいわれている28度に設定してみましたが、部屋の中は快適に冷えています。
ところが妻が後は除湿でいいと言うので、6時過ぎに除湿に切り替えてみました。部屋はだんだんぬくもってきましたが、それでも外気温よりは冷えていました。寝転んでいる妻にとっては冷気が来るので快適だったようです。夜になって外気温が下がり、風を通す方が部屋全体が涼しくなるので、窓を開けて扇風機で外気温を送り込んで休みました。
今日は午後から再び暑くなったのでエアコンを25度に設定して運転しました。部屋は直ぐに冷え、妻はまた除湿運転に切り替えてしまいました。隣室で畳に寝転んでテレビを見ている妻は快適だったようですが、椅子に座ってパソコンをしている私にはやっぱり暑く感じました。今日は立秋ですが、エアコンはもうしばらく使うことになるでしょう。
8月4日(火) 「美術館のはしごツアー」
神戸新聞旅行社の「風~花姫」のツアーに参加しました。午前は琵琶湖近くの佐川実術巻で常設展と特別展を見ました。特別展は漫画チックな人物画で、お腹を別の人物が突き刺さっているような変わった絵でしたが、色使いが鮮やかで、常設展の展示とは全く異質でした。建物は水に浮かんでいるようできれいな景色でした。
昼食は誇り高い料理長がいるという近くの和食の料理屋でごちそうをいただきました。庭もきれいに手入れされていました。
午後からは信楽の「ミホ ミュージアム」へ行きました。こちらは宗教法人が建設したというだけあって本山近くの山の中にありました。特別展「若冲と蕪村」は見応えがありました。さらに常設展が古代エジプトなどの出土品が展示されており、その広さや展示品の多さにすっかり疲れてしまいました。入場門から展示館までトンネルや橋を渡るなど少し距離があり、帰りは入場門まで電気自動車に乗りました。
暑い一日でしたが、「ゆったりーな」というデラックスバスに乗り、涼しい美術館巡りをしたので、ほとんど汗をかくことなく快適な一日を過ごすことができました。
8月2日(日) 「写経」
今日は午後から写経と第九合唱団の練習およびビールパーティーが重なってしまいました。どちらを選んでも良かったのですが、写経は法華経8巻を10人前後で手分けして写経している最中だし、目の手術をすれば少なくとも9月の写経を休まねばならないので、写経を選びました。冷房のない本堂は開け放ってあり、扇風機もフル稼働していました。もともとお寺の屋根は高いので、家にいるより涼しく、暑くて写経に支障を来すということはありませんでした。
写経は般若心経より字数が多く、1時間以上かかりましたが、書き終えたときのすがすがしい気持ちや、木魚を打ちながらみんなで般若心経を唱える雰囲気が好きなので、これからも体力が続く限り続けたいと思います。
夜NHKTVで第2次大戦で捕虜になった人たちの収容所での声が放送されていました。戦争をしている場では人を殺せと命令されれば自分の気持ちなど考える余地もなく殺したが、捕虜になって人間的な扱いを受けると、「何と馬鹿らしいことをしたのか」と後悔し、死にたいと考えるほど自分を責めています。だから復員した後、戦争について一切語らないという元兵士の共通の暮らしになるのだろうと思います。昨日の玉音放送にあるように、戦争をしないことこそが人々の平穏でありのままの暮らしができる最大の政治だと思いました。
8月1日(土) 「玉音放送」
朝テレビの深読みニュースを聞いていると、玉音放送について若い人たちを交えた座談会の様子を放映していました。若い人たちもそうでしたが私自身も「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び・・」のくだりしか聴いていないことに気づきました。その前後の文章を現代語訳付きで放映しているのを見て、実に意義深い言葉であったことを知りました。このことについてもう一度確かめたいと思って新聞を見ると、原文と現代語訳両方が掲載されていました。直ぐに新聞を切り抜いて、ちょうど帰宅していた息子にも読ませました。
最終的には国民にこれ以上の犠牲者を出すことの心痛から、平和な日常を取り戻すためにポツダム宣言を受け入れようということがわかりました。それでも最後の一兵まで戦って玉砕しようとする青年将校がこの玉音放送を阻止しようと試みています。軍部が強くなればなるほど人命が軽視され、自分たちのメンツだけを重んじる傾向が強くなります。二度と戦争をしないという決意はこの玉音放送からもくみ取ることができます。
安倍首相は軍事面を強固にすれば戦争の抑止力につながると言っています。しかし、日本がアメリカの要求を受け入れて軍事力を高めると言っても、今の中国や北朝鮮の軍事力に対抗できるほどの備えをしようとすれば、日本の予算の多くを軍事費に投入することになります。それだけしても核兵器を持つ両国には対応できないでしょう。たとえできたとしてもそれに勝る軍事力を両国はさらに準備するでしょう。このような状況は武器(オスプレイや戦闘機など)を売り込もうとするアメリカの軍事産業やそれを支持するアメリカ政府をにんまりさせるだけです。それだけでなく日本の軍事産業も活気づき大喜びするでしょう。安倍首相がこのような産業界の支持を受けていると勘ぐられても仕方ありません。
国民の生命と財産を守るという言葉を前面に立てて意地になっているとも思える安倍首相に、国民の幸せとは何かを知ってもらうためにこの玉音放送をじっくり聞いてもらいたいと思いました。
8月1日(土) 「早朝ウォーク再開」
昨年のこの時期は、四国歩き遍路の山歩きに備えて、2〜3日に1度10000歩を目指して早朝ウォークを続けていました。しかし、2月に膝を痛めて以来、久しく意図的なウォークを避けていました。しかも8月下旬の網膜手術後は医師から当分運動をしないようにいわれています。したがってこのままではすっかり体力を失ってしまうことになります。といって暑い昼間にウォークをすれば熱中症になってしまいます。
そこで早く目覚めることを良いことに、30日から早朝ウォークを再開しました。昨年は10000歩を超えるように谷八木川往復を疲れることなしに歩いていましたが、今年再開すると途中の遺跡公園が遠くに感じるほど体力が無くなっていました。往復しても6000歩あまりしかありません。復路はNHKTVで放送していたインターバルウォークをしています。少しずつ距離を伸ばそうと思いますが、暑い時期なので無理はしないように続けたいと思います。
昨年はウォークで出会う人に片っ端から「おはようございます」と挨拶しましたが、今年は挨拶をしないことにして歩いています。初日は男性一人から挨拶を受け、返礼しましたが、2日目は女性二人と男性ひとりから挨拶を受けました。やはり挨拶するとすがすがしい気分になります。前日知らぬ顔をして出会った人から挨拶されると怪訝に思われるのでやはり今年はしないままウォークを続けるべきかどうか、さてどうしたものかと考えています。
7月28日(火) 「トマトのブイブイ24匹を一網打尽」
今年順調に育ち、実も次々収穫していた菜園のトマトでしたが、先日の台風以後、どこからやってきたのかブイブイの大群に襲われ、特に赤い大玉(桃太郎)の実に群がるようになりました。ブイブイに襲われた実を処分していたのですが、3個固まって実をつけていたトマトの周りに沢山のブイブイが食い込んでいるのを見つけました。バケツに水を入れ、その3個の実を一度にそっと取ってバケツの水に沈めました。2匹ほど逃げられましたが、後は見事トマトと一緒に水中でとらえることができました。逃げられてはいけないと直ぐに蓋をしてそのまま2日間日向に置いておきました。2日後蓋を開けるとブイブイは全滅していました。ブイブイの数を数えるとなんと24匹もいました。1匹ずつ捕まえて退治していたらきっと沢山逃げられていたと思います。
その後もいくらかトマトが犠牲になっていますが、どうすればブイブイを退治できるのか知りたいと思います。この頃は早めに収穫しています。お陰で冷蔵庫も冷凍庫もトマトで一杯で、毎食沢山食べています。ちなみに大小いろいろなトマトを9本植えていますが、スーパーで売っているトマトの値段に換算すると、きっと一回に2〜300円分食べていることになりそうです。
7月19日(日) 「やっと台風は過ぎたけれど…」
木曜日は早朝から雨、予定していた今月最後のグラウンドゴルフは中止になりました。子供たちとともに夏休みです。年寄りが熱中症で救急搬送されたら様にならないからです。それでも昼間は晴れ間もあり、庭の花など台風の備えをしておきました。夜から吹き降りになり、翌日も一日中大雨でした。
台風の進路によって南の潮風が吹き荒れ、菜園の野菜も庭の木々も塩にもまれてすっかりだめになってしまいます。今回も岡山県に上陸したので潮風が吹き荒れました。ところがその後大雨が続いたお陰で塩分がすっかり洗い流され、被害もなく一安心でした。ところが台風の雨が止んでトマトの収穫に行くと、ブイブイがトマトを食い荒らしていました。ブイブイが大発生していたのです。ブイブイにとってトマトが唯一のえさだったようです。今年のトマトは順調に収穫していただけに残念です。
7月15日(水) 「低血圧」
妻の通院のアッシーとして診療所に出かけました。1時間あまり待合室に居て、スポーツ新聞を読んだり居眠りをしていましたが、退屈紛れに備え付けの血圧計で自分の血圧を測ってみました。その結果は最高血圧93,最低血圧56という数字が表示されました。現職の頃、職場検診で最高血圧が87ということがありました。看護婦さんに「立ちくらみしませんか」と言われました。また献血をするときに血圧が100以下なので受け付けてもらえないことが何度かありました。しかし退職してからは、100を切ることはなく、110〜120前後で高くても125以下で、ちょうど良い血圧ですねといわれ続けていました。
最近朝起きるときにさっと起きられず、布団の中でぐずぐずしていることが多く、何かをしていても持続力が無く疲れやすいなと思っていましたが、どうやら低血圧のせいだったようです。原因は明らかに運動不足で、この所一日の歩行数が5000歩以下の日が続いています。せっかく学んだ骨コツ筋トレ体操もしていません。台風が去ったら意識して運動に励まねばなりません。ちなみに昨年は梅雨明けから1日10000歩を目指して、早朝ウォークをしていました。お陰で四国歩き遍路の山歩きにも挑戦できました。今年は全く自信がありません。少しずつ歩行数を増やしていきます。
7月11日(土) 「ジャガイモ30kg収穫」
今年は3月中旬に植え付けたジャガイモだったので、一月前はまだ青々とした葉が付き、花の咲いている苗も見えました。それが昨日葉が黄色くなり、幹も倒れていました。そこで今朝早くから朝食を挟んでジャガイモの収穫をしました。カメムシが発生していたので、妻が枝を少しずつ切ってゴミ袋に入れていきました。それでも地面に落ちたカメムシを拾って殺すのは大変でした。
移植ごてで少しずつ掘っていくと、土の中にブイブイの幼虫が出てきました。これを注意深く見つけて殺しながらの芋掘りだったので、しゃがんだ姿勢では1時間も掘っていると腰が痛くなりました。朝食の後は風呂の椅子に腰掛けて掘りました。遅く植えたにしては大きなジャガイモも掘り出され、最終的には花の苗を入れる籠に5杯とあと少しありました。籠に入れたジャガイモをはかってみると5.5sありました。5.5×5+αでおよそ30s収穫したことになります。以前40s収穫したことがありますが、それに次ぐ収穫量です。鍬で耕すと掘り残しがまだ出てくるかもしれませんが、11時近くなると暑くなったのと、腰の痛さに負けて、石灰と燻炭を一面に撒いて猫の糞を防ぐ対策だけにしておきました。
秋になると肥料を入れて耕し、大根や春菊、茎ブロッコリーなどを植えようと思っています。
7月6日(月) 「エアコンの設置」
息子がエアコンをプレゼントしてくれたので、近くの親しい電気屋さんに取り付け工事をしてもらいました。部屋にあるコンセントの配線はオーブントースターと電子レンジを同時に使うとブレーカーが落ちると話すと、配電盤から天井裏を新たな配線するといってくれました。しかし、以前天井板を修理したとき、天井板を外したとたんに煤と埃がどさっと落ちで大変なことになりました。天井の工事をするまで、家では薪で風呂を沸かしていたし、裏の酒蔵も石炭を焚いていました。だから煤だらけの天井裏に電気屋さんが入られることを心配しました。
工事は3時間あまりで終わりましたが、電気屋さんの服を見るとさして汚れている様子は無くほっとしました。早速使わないときに屋外器にかぶせるカバーを買いに行きましたが、あちこちのホームセンターにも家電量販店にもありませんでした。最終的には100円均一の店をのぞいてみるとありました。最初から100均に行けば探し回る苦労はなかったと思いました。
6月30日(火)〜7月1日(水) 「あべのハルカス展望台と吉野・竹林院群芳園」
妻の従妹夫婦と一泊旅行に出かけました。最初はあべのハルカス。展望台に上ると、さすがに迫力があります。いつも見上げている通天閣や、大阪城が遙か下に小さく見えます。東、南、西、北と眺めましたが、こんなに高いところから眺めると、これぞ鳥瞰図といった感じに見えました。特に真下を見ると、地図を見ているようでした。
ハルカス13階の日本料理店で食事をしました。平日にもかかわらず直ぐに店は満席になり、済ませた後、店の外に出ると幾組かが椅子に座って席の空くのを待っていました。店によっては大行列のところもあり、外食を楽しむ人たちがこんなに沢山居るのかと感心しました。
大阪阿部野橋から近鉄吉野行き特急に乗りました。2両編成でしたが座席指定なので時間ぎりぎりでも心配なくゆったり座っていくことができました。しかし山間の路線は右に左にと急カーブが続き、あまり乗り心地のよい電車ではありませんでした。終点の吉野駅に着いたときには乗客は私たち4人だけでした。
送迎のマイクロバスを頼んでいたので、吉野駅で待っていてくれました。山の中を走る吉野山観光車道を通って竹林寺に到着、歴史があるお寺だけあって、回遊式の庭を回っても古木があちこちに見られます。そしてお寺の飼い猫が案内をしてくれました。部屋は別室のついた大きな和室で、夜は小ぶりの檜風呂、翌朝は露天風呂のある大きな風呂でした。料理もすばらしく、一泊二食で19000円のところ、奈良県内の旅館はすべて地域振興助成金5000円引きになり、なんだか得をした感じでした。風呂で使うタオルは普通旅館の名前が印刷されていますが、ここでは「竹林院群芳園」とと刺繍してありました。このようなことは今までに無かったことです。
帰りはマイクロバスで蔵王道まで送ってもらいました。青い顔の大きな蔵王権現を拝観するのを楽しみにしていたのですが、残念ながら公開時期ではなく見ることができませんでした。ケーブルが点検で運休になっていて、代替えバスで下り、急行電車でならへ寄りました。
従妹が大仏殿を見たことがないというので行きましたが、中高校生の修学旅行で賑わっていました。柱をくぐるところで大いに盛り上がっていました。帰りは奈良から神戸三宮までの快速急行に乗りましたが、1時間30分は乗りごたえがありました。
6月27日(土) 「二日続きの健康体操がこたえた?」
25日午後から地域在宅介護支援センターの主催の「腰痛体操の講座」を受講しました。腰痛の原因について講義を聴いた後、実際に腰痛を予防する体操をしました。はじめに腰回りの筋肉のストレッチを行った後、腰痛筋トレ体操をしました。普段使っていない筋肉をほぐしたり鍛えたりするのは結構こたえます。それでもすべての体操をなんとかこなすことができました。ただ正しい起立姿勢を保つことは大変だと感じました。
そして昨26日は友愛クラブ(地域の老人クラブ)の例会で、明石市の出前講座を活用して「骨コツ筋トレ体操」を受講しました。前日と同じ講師でした。話が上手で、笑わせながらの指導に引き込まれ、ついつい調子に乗って頑張りました。ストレッチも全身にわたり、その後転倒防止の筋力強化も含めてかなりハードな体操でした。その時は是非毎日続けて実行しようと思いました。
ところが、今朝起きるとき、膝や腰に痛みを感じました。慣れるまでは大変だと思いました。そんなこともあって今日はちょっと軽めで自重しておきました。
6月21日(日) 「新しい高架上を走る山陽電車に乗車」
先週歩いた高架上を走る山陽電車が昨日開通し、今日早速乗りました。踏切がないので電車はスムーズに走り、走行音も今までとの違いを感じました。それに景色もよく快適でした。旧軌道の片付けなどまだまだ工事は続くと思いますが、西新町の駅舎も見違えるほどきれいで、これまでの仮駅舎の注意事項の車内放送もなくなり、すっきいりした感じです。
この日は午後からたこフィルの後援会員を対象とした「ありがとうコンサート」が明石であり、二人で出かけました。500円の会費を払ってドリンクとケーキをいただきながらの気楽なコンサートでした。曲目もポピュラーなものばかりで、楽しく聴くことができました。終了後にはチェロ奏者で、明石第九合唱団の団長さんとも親しくお話ができました。たまたま同じ高校の出身だということもあって、高校時代の音楽の話題で盛り上がりました。これまでもこのようなコンサートが開かれていたようですが、妻の行きたいという言葉で初めて出かけました。これからも案内があればこのような気楽なコンサートに出かけてみたいと思います。今年年末の第九の演奏会はこのたこフィルの演奏で歌います。帰りに出口にいた女性のパーカッション奏者に「第九の演奏会でお世話になりますがよろしく」と話しかけると、にこやかに「ティンパニーを担当するかもしれません」と答えてくれました。笑顔のとってもすてきな団員でした。
6月14日(日) 「山陽電車の高架を歩く」
山陽電鉄の明石川から西「林崎松江海岸駅」近くまでの高架化が完成し、いよいよ6月20日に開通します。西新町駅付近高架化完成記念のウォークが開催され、午後から参加しました。集合は大蔵谷駅西の黒橋のたもとの広場でした。受け付け開始1時30分の5分ほど前についたのですが驚くほどの人が集まっていて、行列の最後尾は黒橋の中央付近でした。その後もどんどん人が集まり、私の位置は前から3分の一くらいの様に思えました。小さな子供たちも両親と参加していて、たぶん2000人以上の参加者だったのだろうと思います。
国道2号の西新町踏切などを歩いていると、再び行列になりました。明石税務署の少し西側に登り口があり参加証にはさみを入れてもらって高架へ上りました。高架上は沢山の人であふれ、ゆっくりと進みながら、みんな写真を撮っていました。西新町駅まではわずかな距離でしたが、参加者は間近に線路を見ながら楽しそうでした。中には枕木の間に子供が入り込んで、首だけ出して写真を撮ってもらったりしていました。このような写真は2度と撮れないでしょう。
西新町駅で記念品をもらって万歩計を見ると、まだ1万歩になっていなかったので、林崎駅まで歩き、3時36分発の電車で帰宅しました。今年初めて汗びっしょりになったのでシャワーを浴びて着替えをするとさっぱりし、夕方から男性カラオケグループの例会に出かけました。練習をしないままでかけましたが、課題曲もなんとか歌うことができました。
6月9日(火) 「我が家の菜園の今」
我が家の庭には2カ所の狭い菜園があります。家と物置の間にある菜園はジャガイモが植えられています。今年は妻が退院してからうえたので、3月の彼岸にずれ込んだため、今はまだ花が残っています。したがって収穫は本格的な梅雨の頃にずれ込んでしまいそうです。そのジャガイモの横にツタンカーメンをうえていましたが、そのネットを生かしてツルムラサキを植えています。ツルムラサキは我が家の夏の貴重な緑の野菜になります。また反対側には小芋が6本植えてあります。2〜3日前にやっとすべてが芽を出しました。収穫は正月前後になります。
もう一カ所は庭の南東に建っていたプレハブ小屋の基礎を生かした菜園です。京間の6畳の広さですが、トマトが9本植わっています。明日あたり2度目の収穫ができそうです。大玉、中玉、ミニなどいろいろな種類を植えています。同じ日に苗を買ってきて植えましたが、中玉が早く収穫できます。水やりが大変ですが、夏の間中トマトを食べることができます。その横の狭いところにタマネギを200本植えています。だから全体に小さなタマネギしかできませんが、翌年まで長持ちするのでそれでいいと思っています。その後青じそを植えることになっていたのですが、落ち生えが沢山はえてきたので、改めて植える必要はなさそうです。しかし根が絡んでいるので、タマネギの収穫が難しそうです。反対側には食用菊「もってのほか」を植えています。秋に花びらを収穫して冷凍し、一年中料理の彩りと香りに役立てます。その横は観賞用の菊を植えていますが。ジャガイモやひまわりなど、落ちばえの植物がどんどん大きくなってきて、菊の生長を妨げています。
この他にグリーンカーテン用にゴーヤ、そして植木鉢にカボチャを2本植えています。カボチャはつるなしの種類を1本買いましたが雌花と雄花の咲くタイミングが合いません。そこでえびすナンキンを改めて買ってきて、隣に置きましたが、それでも両方が咲くことが少なく、受粉できたのはえびすナンキン1個だけです。
6月3日(水) 「トマトの収穫」
4月末にトマトの苗を9本買ってきてうえていましたが、中玉が3個赤くなりました。早速収穫して食べました。甘くておいしいトマトでした。次々と実がなっていますが、まだまだ青く、次回はいつ食べられるかわかりません。もう1ヶ月もすれば冷蔵庫にたくさんのトマトをストックできると思います。
中に1本なかなか大きくならないミニトマトの苗があります。よく見るとベランダ用という札がついていました。うっかりしていました。他の苗が1m以上になっているのに、その苗だけは60cmほどにしか伸びていません。9本の苗のちょうど中心に植わっているので、これからは日当たりが悪くて、期待できないだろうと思います。
6月2日(火) 「眼科の手術の予約」
妻も旅行ができるほど日常生活に戻ったので、2月に診察を受けた眼科へ行き、手術の予約をしました。以前に検査もすんでいるので妻を車で高齢者大学へ送った帰りに寄りましたがこれが大きな間違いでした。再び瞳孔を開く目薬をさすなど、前回と同じような検査がありました。そして診察の際前回の検査結果の状況とほとんど変わっていないので手術の予約手続きをする様に言われました。
血液検査の採血や目に細菌が無いかなどの検査の後、予約の日を決めることになりました。ところがずっと先まで予約が入っており、結局8月下旬に、手術前検査が8月上旬に決まりました。ところがスタッフから手術のキャンセルがあれば早くできるかもしれないという情報があり、7月上旬に手術前検査を済ませて待機することになりました。最低8月下旬にはできるので、後は担当医にお任せすることにしました。瞳孔が開いたままなので車に駐車許可証をもらってフロントガラスに置いて電車で帰りました。
5月29日(金)〜30日(土) 「東洋のマチュピチュ=別子銅山跡へ」
以前から一度行ってみたいと思っていた遺跡でしたが、妻の退院祝いの旅行の計画の中で、妻の希望と一致しました。そこで早速インターネットで調べ、道の駅から乗車する観光バスと宿泊ホテルを決め、予約をしておきました。そして、前日までに訪れる施設などをカーナビに登録しておきました。
当日は6時30分を回った頃に家を自家用軽自動車で出かけました。垂水ICから高速道にはいり、淡路島経由で高松道、徳島道、松山道を通って、新居浜まで行きました。予定したより早く到着したので、とりあえず道の駅「マイントピア別子」まで様子を見に行きました。鉱山見学ができるというので入場券を買いました。その時東平ゾーンの見学もするなら半額になるといわれ、明日乗車する予約をしているというと、予約表を調べ、1200円のところを半額にしてくれました。
時間までテレビ画面で別子銅山の歴史の説明を聞き、トロッコ列車で鉱山のジオラマ展示場の入り口まで行きました。記念写真を撮ってから端出場坑道の中に作られたジオラマを見学しました。江戸時代から昭和30年代までの鉱山の様子が見事なジオラマで再現されていました。体験ゾーンでは坑道を下るかごにも乗ってみました。
見学した後、ベンチに腰掛けて昼食をとりました。朝食用にパンとおにぎりを持ってきていたのですが、朝食は淡路南SAでパンだけを食べていたので、量的には少なかったのですがおにぎりで済ませました。入場券を買ったときにもらった割引券でいよかんソフトクリームを買って食べました。インターネットでは評判がよくなかったのですが、昼食後のデザートとしてとてもおいしく感じました。
帰りはトロッコ列車に乗らずに歩いて下りました。第4通洞の入り口や、そこから続く鉱山鉄道の鉄橋などを実際に見ることができました。さらに下っていくと昔の迎賓館があり、中を見学しました。明治の建物だけあって、比叡山で見た様なゆがみのあるガラスなど時代を感じさせる建物でした。そこから遊歩道などを歩き駐車場までもどりました。
見学を終えるとまだ時間が十分あったので、山を下り別子鉱山記念館へ行きました。麓の神社境内の地下にあって、屋根にはサツキが植えられていて、その存在は一目ではわかりませんでした。中は別子銅山の歴史が展示されていました。
その後いったん国道11号線まで下り、西進して再び南に上り明治以降別子銅山の近代化に貢献した広瀬歴史記念館へ行きました。広瀬宰平の業績を知ること、さらに現在の住友グループの基礎を築くうえて貢献したことがよくわかりました。その後重要文化財の旧広瀬邸を見学しました。敷地もさることながら、これほど大きな旧家を見るのも初めてでした。
見学を済ませた後、夕食を摂ろうと街に出たのですが、いっこうに食堂やレストランが見当たりません。それより退社時刻なのか乗用車がどこからわき出てくるのかと思うほどあふれてきて渋滞を起こしています。仕方なく新居浜駅からフェリー乗り場の方へ車を進めましたが、相変わらず食事ができる店はなく、たまたま見つけた食品専門のスーパーで寿司を買うことにしました。にぎり寿司とデザートの果物などを買って予約しているホテルへ行きました。インターネットで予約したとき、ツインで朝食付き9400円と書かれていたので、20000円をだそうとすると二人で9400円だといわれてびっくり、部屋に入りました。部屋で買ってきた夕食を摂り風呂に入ってテレビを見ながら休みました。
翌朝食堂へ行くと温かいだし巻き卵を始め、焼き魚などもあって家よりも豪華でした。朝食なしの場合は8500円だったのでひとり500円も取らない朝食は期待していなかっただけに、嬉しい朝食でした。8時30分にホテルを出て再び道の駅「マイントピア別子」へ行きました。山の上は涼風が吹き、気持ちがよいので観光バスの時間までゆっくりと車の中で休みました。そして昨日見ることのできなかった発電所跡のレンガの建物を見に行った後、予約しておいた乗車券を買うと再びいよかんソフトクリームの割引券をくれました。出発時間が近づいたのでバスに乗り込みましたが、結構大勢の人が乗り込みました。ガイドの男性が道中説明をしてくれるので、25分間のバスで右左を忙しく見ました。
東平ゾーンに到着すると、まず上からの全景を説明を聞きながら眺めました。その後インクラインの後に作られた200段あまりの階段を下りました。ガイドのスピードが速いので、妻は上から眺めたり、資料館を見学していました。下から眺めると写真で見る東洋のマチュピチュの風景でした。それらの遺跡一つ一つを階段を上りながら間近に見ました。その後資料館などを見学し、再び道の駅がある端出場ゾーンに戻りました。
道の駅のレストランで昼食を済ませ、デザートに2度目のいよかんソフトクリームを食べてから、地元の高齢の方のすすめで別子山を巡って三島川之江ICから自動車道煮の上がり、高松道を経由して帰路につきました。淡路SAに近づいた頃には夕方7時頃になっていたので、オアシスで食事をすることにしました。いつもの売店のある建物の左に食事のできるところがあるというので行ってみると、焼き肉の店、鯛料理の店、そして洋食のレストランがありました。質素な食事の連続だったので洋食のコース料理にしました。すばらしい夜景の席に案内され、明石海峡大橋を眺めながら最後に贅沢な食事を満喫し、無事家に帰り着きました。
5月24日(日) 「カラオケDVDプレーヤー」
数年前に買ったカラオケの機械が、突然読み込みの部分が壊れてしまいました。修理も考えましたが、中国製なので期待ができず、破棄することにしました。そんなとき、毎月カラオケ同好会で買っているDVDのダイレクトメールに安価なカラオケDVDプレーヤーの広告で新機種として売り出されていることを知りました。こちらも中国製ですが、これまでのカラオケの機械と違い、スピーカーやマイクロホンがついていないのでコンパクトだとわかりました。
さっそくDVDを買っているホームセンターで注文しておくと、昨日届きました。テレビにつないでデモ用に入っていたDVDを挿入してみました。マイクは前の機械のがあるので使えそうです。これでテープやSD、UBSに録音すれば、DVDがなくても音声だけで練習することができます。特に私の場合、女性の曲はキーが低すぎて声が出ません。自分に合う音域で録音しておくと、練習がはかどると思います。
5月21日(木) 「宝塚歌劇観劇に感激」
月組公演「1789−バスティーユの恋人たち−」を観ました。17日(日)の夜、月組スターの煌月爽矢さんのお茶会に誘われ宝塚ホテルへ行きました。以前、現在の月組トップスター龍真咲さんのお茶会に行ったことがありますが、今回は宝塚ホテルでのお茶会が初めてということで、とても初々しく感じました。隣に座って一緒に写真を撮ったり、握手をしながらお話をしてくれたり、後期高齢のじいさん相手でもとても優しく接してくれました。
お茶会で赤毛で出演しているなどとエピソードを聞いていたので、前から11列目の座席だったこともあって舞台でもどこにいるかすぐにわかりました。このように親しく感じるスターが舞台で活躍している様子を見ていると、今までと違ってとても感激しながら観劇することができました。話はフランス革命の時に、革命家の仲間の一員として彼女は大活躍していました。10年目でやっとその他大勢から一歩踏み出すことができたようです。これからの活躍を期待したいと思います。
入場券を煌月爽矢ファンクラブの女性から受け取ったのですが、その時にも「お茶会にお越しいただきありがとうございました」と言われました。そういえばお茶会はファンクラブの女性たちが一生懸命お世話をされていました。これまで何度もお誘いしてくださっていますが、いつもお言葉に甘えて夫婦で観劇させてもらっています。夢の様な時間をありがたく感謝しています。
5月1日(金) 「醒ヶ井養鱒場のます料理と安土城跡」
5月の連休にどこかへ出かけようかと思っていたのですが、連休は道が混むし、天候が下り坂に向かうということなので、思い切って連休前日に出かけることにしました。養鱒場の入り口に鱒喜屋という料理屋があり、これまでに家族や仲間と何度か出かけた店へ行きました。ここの鱒料理は作りたての料理を次々運んでくれるので最高の味です。最初に山クラゲと鱒の甘露煮、続いて鱒のお造り、そしてフライに塩焼きと、今日も鱒料理をたらふく食べました。吸い物にも鱒の腹身が入っていて抜群でした。本当は鱒のにぎり寿司も食べたかったのですが、満腹でこれ以上は食べられませんでした。
帰路八日市ICから安土城郭記念館へ寄り、見学とコーヒーを飲んだあと安土城跡へ行きました。妻がせっかく来たのだから本丸跡まで上るようにと勧めるので、1時間ほどかけて一人で上ってきました。登りは大変な石段でしたが、帰路は三重塔や山門が残っている寺跡を見ながら、比較的歩きやすい道を戻りました。年配の大名もいただろうと思いますが、本丸まで裃をつけて上るのは大変だったろうと思います。さすがに本丸跡の礎石は数多くあり、立派な天守閣だったと想像できます。頂上から琵琶湖方面の眺めも素晴らしい景色でした。
今回の安土ではカーナビを頼りに行きましたが、カーナビがなければこれほど簡単にはいけなかっただろうと思いました。
4月28日(火) 「家島日帰りのグルメ旅」
お遍路でお世話になっている一歩進主催の月1ツアーに参加させてもらいました。今回は妻の退院祝いと私の誕生日祝いを兼ねた旅でした。平成17年から始めた四国や小豆島での歩き遍路の懐かしい仲間との出会いが多く、新鮮な瀬戸内の魚貝を食べながらたくさん話ができました。食事の前に島一番の名所「どんがめさん」を見に行きました。大きな亀の形をした珍しい岩でした。
食後は少し妻と島内を歩きましたが、妻は港で休憩するというので、私一人でさらに島内を歩き回りました。30年近く前に講演のためこの島を訪れたことがありますが、港から会場まで車で送り迎えをしてもらったので、島の様子は全く覚えていませんでした。狭い道を車やバイクが行き交い、路地に入ってもバイクが何台も走っていました。この島ではバイクに乗れなければ買い物もできないのではと思いました。そして子供にも出会うことが多く、島の未来は安泰だともいました。それでも閉じられた店や、売り物件と表示された住宅などが時々見られるのは、やはり人口が減少しているのかもしれません。そして邸宅の庭かお寺を壊して駐車場になっている場所があり、島の様子も変わっていっているのがわかりました。
帰りの船では姫路から来ている高校生とたくさん乗り合わせました。これは意外な光景で、わざわざ島の学校へ行こうとする現代の高校生の気持ちを理解しかねました。そして逆に島から姫路の高校へ通う生徒が乗ろうとしている光景には納得しました。久しぶりに魚介料理をたらふく食べて幸せな一日でした。
4月21日(火) 「運転免許証更新」
最近視力の衰えを痛切に感じています。というのもよく見える右目が手術をしなければ視力が出ないと眼科医に指摘されているからです。それでも高齢者講習でなんとかクリアできたので、修了証を持って免許更新センターへ川柳教室の帰りに行きました。もし視力が原因で免許証が交付されない場合は手術に踏み切るか免許証を返納するか考えなければならないと思っていました。
交付申請書を受け取ると交通安全協会の女性が声をかけてきました。安全協会に加入すると言うと、書類作成をしてくれる安全協会の窓口に案内され、後は視力検査を済ませ、申請書類を提出し、免許証作成の写真を撮るだけで交付されました。私の様な高齢でもたもたする者にとって、1500円の協会費を払うだけでこのようにスムーズに手続きできるのはありがたいことです。昔は全員協会費を払っていましたが、今はほとんど支払うことなく、長い行列に並んで申請書類を作成している人の多いことに驚きました。
心配することなくせっかく交付されたのですから、これから3年間人に迷惑をかけない運転を心がけたいと思います。
4月18日(土) 「インド・インドシナ料理店」
快晴の天気に誘われてどこへ行くともなしにドライブに出かけました。国道312号線を北上し、朝来市を走っているとお昼になりました。その時に目に入ったのが「インド・インドシナ料理」と書かれたレストランでした。いったん通り過ぎたのですが、気になって引き返し店の駐車場に乗り入れました。営業中と大きな看板が出ていたけれど、車は1台も止まっていません。不安に思いながら店先のメニューを見ていると、中のオーナーもこちらの様子を伺っているのがわかりました。
思い切って店に入ると、オーナーはインド人らしき人で、流ちょうな日本語で案内してくれました。何がおすすめか聞くと、今日の日替わりランチが野菜カレーと野菜サラダ、ナンかライスにソフトドリンクで650円だと説明してくれました。ナンとヨーグルトの飲み物を選択すると、カレーの辛さはどの程度が良いかきいてきました。子供用から中辛、辛口、日本人の限界、インド人の限界まで10段階ぐらい書かれていました。自宅では普段中辛のルーを使うので中辛を注文しました。
先にインド人のコックによって飲み物が届き、やがて今までに見たことがないほどの大きなナンがのった料理が持ってこられました。カレーの辛さは物足りない感じで、これなら辛口にすればよかったと思いました。料理を待つ間メニューを見ていると、いろいろ食べてみたい料理がありました。今度行くときは不安な気持ちはないのでゆっくり選びたいなと思いました。12時30分頃までいましたが、その間一人も来客がなく、ひょっとして今日の売り上げは私たちの1300円だけだったのではと気の毒に思いました。日替わりランチ650円と書いたのぼりでも立てておけば、たくさんの客が安心してはいるのではないかと思いました。もっと近くにあればまた行くのですが…
4月16日(木) 「グラウンドゴルフと雨」
昨日の雨で延期されていた明石市高年クラブ連合会主催のグラウンドゴルフ大会が開かれ参加しました。午前の試合は私としてはまずまずでしたが、午後からはさっぱりでチームの足を引っ張ってしまいました。ところで3月の月間成績は13人の仲間の中でトップだったそうです。グラウンドゴルフを始めて10年たちますが、このようなことは初めてです。実は月初めのプレイの日は青春18切符で敦賀へ行っていたので、成績発表の場にいることができず残念でした。。そして雨で中止になることが多く、唯一晴れた日もグループいきいきネットの仲間と布引ハーブ園へ出かけていたので、4月になって今日が初めてのプレイだったのです。明日プレイを予定していますが、天気予報ではまた雨が降るとのことです。そういえば、このところ洗濯物は雨のために一日で乾いたということがほとんどありません。こんなに雨の多い4月は今までにあまり経験したことがない様に思います。
4月10日(土) 「友愛クラブお花見会」
心配していた雨も準備の時間にはなんとか止み、9時30分から椅子や机、ポットなど花見の用具を仲間の軽トラックで運び、会場作りをしました。4月6日に満開になっていた桜もその後の低温と雨でなんとか持ちこたえてくれました。10時30分にはほぼ準備が出来上がり、11時30分の開会を待つ余裕ができました。
31人の出席予定者のうち、都合で欠席者は2人ありましたが、乾杯をし、談笑している間に強い風がたびたび吹き、テーブルの上のお皿などが吹き飛んだりしました。しかしその風に雲が流された様で、青空が広がり、日も照ってすっかり暖かくなりました。新入会員もあり賑やかな花見ができました。
いつもだと途中で退座をする人など早く終わる様に催促する人が現れるのですが、体調の優れない人以外、今日はたっぷり2時間どのテーブルも話が弾んでいました。飲み物もつきる気配だったので会を終了しましたが、黙っていたらもう少し続いていただろうと思いました。女性は終了後喫茶店で続き談笑していたそうです。
今日雨だったら自治会館の2階ホールで実施する予定だったのですが、机を片付けに自治会館へ戻ると、ホールで小さな子供たちとお母さん方が行事をしていました。雨が降っていたら行事が重なり大変なところでした。計画段階でホールの予約状況を確かめていなかったのは失態でした。とにかく大きな行事がまた一つ無事に終えることができ一安心です。終了後自治会館の会議室で役員会を開き、今年度の予定について話し合いました。
4月7日(火) 「花祭りと期日前投票」
午後から明石仏教会主催の花祭りがありました。先日高家寺へ写経に行ったときに花祭りの入場券をもらっていたので明石市民会館へ行きました。妻がまだ山陽電車の階段をスムーズに上れないこともあって車で行きました。市役所の駐車場に止めて、先に期日前投票をする予定だったのですが、市役所近くで大渋滞に出会い、花祭りの開始時間が迫ってしまいました。急いで会場に入り法会に続いて講演を聴きました。私と同い年の高僧のお話でしたが、生き方がこんなにも違うのかとその立派さに感心しながら聴きました。原子力発電についていろいろな考えの人を認めながら、自分の考えをしっかり話されました。
自分が幸せに感じるか不幸せに感じるかは、その人の心の持ち方一つだという言葉には大いに賛同しました。私も歩き遍路で見つけた真言宗のポスターの言葉「この世で幸せになれる人は、感謝の心を持てる人」こそ遍路中に得た思いだったからです。
またドイツへ行ったときに地下鉄に乗るときに切符を買ったが改札口がなかったとドイツ人の紳士ぶりに感心した話をされました。そういえば、私もドイツで路面電車に乗ったときに、連結した電車のドアが各停留所ですべて開き、乗客は降りるときに各自料金箱へお金を払っているのに驚いたことを思い出しました。日本のワンマンカーは運転席で必ず料金を支払わねばなりませんが、ドイツ人の信頼を損ねない生き方が今も生き続けていることに感動しながら聴きました。
帰りに市役所で期日前投票をしました。投票を済ませた後、ダメ元で駐車券を出すと90分間無料の券をくれました。お陰で駐車料300円支払わねばならないところを100円で帰ることができました。なんだか申し訳ないと思いました。
4月2日(木) 「敦賀・金崎宮」
先日の残りの青春18切符を使って敦賀市内の金崎宮へ行きました。たこバスの時間と敦賀行きの新快速の時間がうまく合わないので、大久保からいったん加古川へ行き、トイレを済ませてから新快速に乗車しました。これが大正解で、西明石や明石で乗車すると座れないところでした。醍醐寺の満開の桜を見る人が多かったようで、山科でやっと空席ができるほど混んでいました。それでも湖西線に入っても乗車する人が絶えず、立っている人がいるほどで、近江今津で12両の電車が8両切り離され、4両編成になると再び混雑状態でした。
11時30分になり車内で乗車前に買ったパンで昼食を済ませました。12時15分に敦賀に到着、実に3時間の旅でした。下車後すぐに観光案内所へ直行、金崎宮への道を聞きました。幸い20分後に循環バスがあり、帰りのバスの時刻表とともに敦賀市の観光地図ももらって、バス停で待ちました。乗客もたくさんいて、たちまち満席になりました。いろいろなところを訪ねる人は500円の乗り放題切符を買っていて、乗客がどんどん入れ替わります。
電車の窓から見ていた桜は琵琶湖湖畔は満開でしたが、湖北に近づくにつれて3分咲きになり、近江塩津駅あたりではまだつぼみが開いていません。敦賀もまだ咲いていないのではと心配しましたが、金崎宮は満開で、平日にもかかわらず大勢の人が花見に来ていました。駐車場に入場待ちの車の行列も見かけました。休線中の敦賀臨港線のすぐそばにある歴史のある金ヶ崎城跡の中腹に金崎宮があり、上り坂と階段が続きました。妻も杖と手すりを頼りに桜を楽しみながらなんとか本殿までたどり着きました。
お参りを済ませた後、私だけが城跡の頂上にある展望台まで上りました。敦賀湾や発電所など、素晴らしい景色を見ることができました。しかし、この日はとても風が強く、帽子が吹き飛ばされそうでした。そのお陰で、朝寒くて着込んできた服装で城跡に上っても汗をかくことはありませんでした。桜も満開になったばかりなので、強風で散ることはありませんでした。
金崎宮から下ってくるとちょうど帰りのバスの時間でした。バスはいろいろな施設に寄るので、敦賀駅に到着したのは予定時刻より7分ほど過ぎていました。トイレを済ませ、敦賀始発姫路行きの新快速に乗り込むと、すでに多くの乗客で席が埋まっていて、4人のボックス席に座りました。その後電車が停車するたびにたくさんの乗客が乗り込んでくるのでたちまち満席になり立っている人が増えていきました。前に座った二人連れが大きなトラベルケースを持っていて、通路では邪魔になるので座席の間に置いてもよいと言ったのですが、そのために足が窮屈になり、このままで長時間座っていたらエコノミー症候群になると思い、時々足をごそごそさせました。近江今津で12両編成になったので余裕が出るかと思いましたが、相変わらず混雑していて、山科では超満員になりました。以前醍醐寺の桜を見に行ったとき、帰りに大津まで行って姫路行きの新快速に乗りましたが、そのときは座れました。今日は湖西線の駅までもどっても座れることはない状態でした。帰りもたこバスの時間が合わず、加古川まで乗って引き返し、魚住からたこバスで帰りました。加古川でたくさんの乗客が降り、やっと空席が見られる状態になりました。夜7時を過ぎると加古川駅から乗る上り電車はよく空いていますが、新快速から乗り換えてくる乗客が多く、座れずにいる人も見られました。普段乗っている山陽電車と違って利用客が多いのにびっくりしました。
3月28日(土) 「友愛クラブ総会と従兄の死」
26日はグループいきいきネットの例会で神戸市東灘区の海岸近くにあるアーモンド並木の花を見に行き、帰りに酒蔵へ寄って見学と試飲をしました。夜は翌日の友愛クラブ総会を控えて、役員が集まり食事をしながら役員改選について話し合いました。多少お酒も飲み、9時半頃、明日会長が提案する活動報告書の原稿を預かって家に帰ると、今従兄が亡くなったという連絡があったと言われました。
飲酒していて車を運転することができないので山陽電車で最寄り駅まで行き、長距離をまだ歩けない妻とタクシーで駆けつけました。従兄の手を握るとまだ暖かく、少し笑顔の表情で今にも語りかけてくるような気がして、胸が締め付けられました。従兄は戦災で親兄弟を亡くし、私と兄弟のように一緒に育った間柄です。結婚後も家が近かったことからこれまで一緒に食事や旅行をすることもたびたびありました。彼が杖をつかねば歩けなくなった昨年11月にも、バスツアーに誘われ、一緒に白浜へ行きました。それが彼にとって最後の旅行になったのです。
医師の死亡確認と翌日の通夜の予定が決まったところで、12時半頃家まで車で送ってもらいました。風呂を沸かし、妻に先に風呂に入って眠るように言ってパソコンに向かって活動報告書を作りました。さらに役員改選が選挙になった場合に必要な名簿の原稿も作成しました。原稿が出来上がったのが夜中の2時半を回っていました。風呂に入って床に入ったのは3時頃でした。
翌27日朝早めに起きて、パソコンで通夜の会場を確認し、兄と弟にメールで従兄の死の状況と通夜の時間と場所を簡単に書いて送信し、メールを読んでおいてもらうように電話をかけておいて総会の準備で会場へ行きました。4時間足らずの睡眠でしたが、忙しく動き回ったので、総会の司会やその後の食事会とビンゴゲームの司会など一服する暇はありませんでした。総会の後片付けも終わり、役員だけでこれからの打ち合わせをしているときに、とうとう一時居眠りをしてしまいました。
夕方5時頃家に帰り、急いで夕食を済ませて着替え、車で通夜の会場へ出かけました。こんな日に限って車は渋滞し、会場に到着したのは通夜開始5分前でした。兄は早くに来ていたそうで、弟も私より遅れてやってきました。メールでわかってもらえてほっとしました。帰りは二人を明石駅まで送って家に帰り、すぐに風呂を沸かして眠ろうとしたのですが、それでも11時を回っていました。布団に入るなり眠ってしまったようです。
今朝は少し落ちついて行動できました。それでも早めに車で家を出たのですが、途中で道路工事に出くわし片側交互通行になっていて時間がかかってしまいました。無事告別式も終わり、骨揚げも終えて初七日の法要が始まると、ついつい眠気に襲われました。一番後ろの席に座っていたので、みんなには悟られずにすみました。3日間の慌ただしい行事を終え、一息つくことができ、「まっさん」の2日分の録画を見て最終回まで見終えることができました。
3月19日(木) 「高齢者講習」
運転免許証更新の高齢者講習を受けました。3年前に受講したときは74歳だったので、今回の検査とは多少違っていたように思います。最初に講習予備検査を受けました。今回も4つの絵が描かれたカードを4枚、16個の物の名前を覚えなければなりませんでした。前回はどうしても残り一つが思い出せなくていつまでも気になっていました。今回は12個まで思い出しましたが、残り4個が全く思い出せませんでした。しかしヒントを与えられると16個すべて思い出すことができ、すっきりしました。1〜9の番号の中から指定された番号を消す作業では、3〜4個を見落としていました。最終的には総合点90.420点でした。「記憶力、判断力に心配ありません」という評価でしたが、安心はできないと思いました。
続いて運転実技でした。今回も3人のグループで3人目の運転だったおかげで、要領がずいぶん理解でき、助かりました。それでもいつも軽自動車を運転しているので、普通小型乗用車の運転は感覚が違い、心配しましたが、車庫入れもスラロームもうまくいきほっとしました。ただドライブやバックのチェンジレバーがマニュアル車と同じような感じで、いちいちレバーを見なければならず、注意を受けたり、切り替えに手間取ったりました。
最後に適性検査がありました。視力検査では右目が手術前で視力が出ないため、左目を頼りに集中して見ました。そのため視力0.7がぎりぎりで動体視力はかなり落ちました。さらに光を目に当てられると最初のうちはどこに目標の図形があるのか見つけられず、苦労しました。視野の検査は正面を見ていなければならないのに目印が動くとつい目で追ってしまい、前回140度だったのが、今回は160度になってしまいました。
アクセルとブレーキペダルの反応検査では、練習では要領がつかめず不安でしたが、本検査になるとなんとか失敗しながらも最後までできました。結果は同じ年齢と比較して「やや優れている」という評価でしたが、30〜59歳と比較すると「やや注意」という評価でした。一般道を走るときにはよほど注意が必要だろうと思いました。無事修了証書を受け取りましたが、事故を起こさないためには免許証の更新は今回が最後かなと思います。少なくとも神戸や大阪、京都など大都会の運転は避けようと思います。
3月18日(水) 「膝痛のない1日」
昨日川柳教室へ行く前に整形外科へ行って、膝に注射を打ち、いつものリハビリ治療をしてもらいました。しかしいっこうに痛みは取れず、いとこの見舞いもいけないまま帰宅しました。昨夜は注射をしていたため入浴はできませんでした。そこで最初に治療した日にもらった湿布薬を膝に貼って寝ました。最初にもらったときは1週間張り続けましたが効果がなく、注射を始めたのでそのまま貼っていませんでした。そして痛みは階段の上り下りだけでなく、普段の生活の中で歩くときにも痛みを感じるようになっていました。さらに最近では寄る布団に入ったとき、足を伸ばすと痛くて、横向きで膝を曲げる姿勢で眠っていました。
今朝起きたとき、膝に痛みを感じないので、不思議に思いました。そしてそのまま今日一日膝に痛みが走ることなく過ごすことができました。もちろん無理をして再び痛みが出てはいけないと思い、階段の上り下りなどは控えました。今夜からはしばらく湿布薬を貼って眠ることにます。このまま痛みが出なくなれば良いなと願っています。
3月14日(土) 「いとこの見舞い」
昨年11月白浜へのバスツアーに一緒に出かけたいとこの容体が芳しくないと聞き、見舞いに出かけました。妻が退院して初めてのお出かけで、階段もあるので杖を持って出かけました。いとこの家の門から玄関への階段を抵抗なく上っていたのでほっとしました。
いとこは白浜へ出かけたときも杖をついていましたが、道成寺へ行ったときも階段を自分で上っていました。その後も川柳を楽しむから指導してほしいと自分の詠んだ句をFaxしてきたり意欲的でした。しかし、2月になって川柳を送ってこないので、2月の兼題などを手紙で送りました。すると電話をかけてきてくれたのですが、その声は弱々しくて、少々心配でした。私も毎日妻のところへ出かけていたので、気になりながら見舞いには行けませんでした。妻がやっと退院したので報告がてら伺うと、訪問介護を受けるほど弱っていました。白浜の旅の楽しかった話をすると、うれしそうな表情で「そうやなあ」と返事してくれました。妻には無理しないようにといたわってくれました。帰るとき握手をしながら「see
you again」と挨拶をしてくれました。彼は若いときからパルモアなどに通って英会話の勉強をよくしていましたが、まだまだユーモアもあり、家を新築したばかりなので、もっともっと頑張ってほしいと思いました。
3月10日(火) 「やっと退院」
妻がお昼前に正月を挟んで3ヶ月半ぶりに退院しました。帰りにかかりつけ診療所へ寄って主治医に報告がてら後期高齢の検診など受けました。そのためにお昼を過ぎてしまい、Aコープで買い物をしたついでに昼食のお寿司も買って帰りました。いつもの味ですが、二人で食べるとおいしく感じました。
夕食はトンカツと牡蠣の味噌汁を作ってくれました。甘口のワインで退院の乾杯をしました。やはり私の手料理とは味が全く違い、感動の夕食でした。実は私も豚肉のブロックを買って冷凍していたのを賞味期限が過ぎていたので妻が帰るまでに食べてしまわなければと思い、解凍しておきました。そして一昨日はサラダオイルで焼き、昨日はバター焼きにして下ろし大根にポン酢をかけて食べていたのです。それなりにおいしいと思っていたのですが、やはりトンカツを温かいうちに食べるのは最高でした。私も本当はトンカツにしたかったのですが、先日古い油を廃油として市へ持って行ったので新しい油を汚すのが面倒でフライパンで焼くだけにしていたのです。3日続けての豚肉でしたが、このようにおいしい料理になると、全く別物でした。
このほかに牛肉の切り落としを冷凍庫に保存していました。こちらは牛丼か他人丼にするつもりだったのですが、手料理する暇がありませんでした。妻がもっとも嫌いなメニューなので、この肉はどのように処理されるか見当がつきません。何度も魚料理を食べるように言われましたが、鯖の味噌煮やシーチキンの缶詰を食べたり、塩鮭の切り身を買ってきて焼いて食べたり、シラス丼やシラスを大根おろしで食べたりしましたが、肉に比べると食べる機会は少なかったように思います。むしろ肉や野菜よりも庭の菜園で収穫した大根、タマネギ、ジャガイモ、ワケギ、春菊、茎ブロッコリーを取り込んだ副食が多かったように思います。このような野菜をたっぷりとる食事をしていたせいか、先日の後期高齢者検診ではすべて正常値でした。これまではコレステロールが正常値の範囲からはみ出していたりで、医師からいろいろ注意を受けていました。なんとか自炊で無事切り抜けることができてやれやれです。
3月6日(金) 「胃カメラ」
1年ぶりの胃カメラ検査を受けました。昨年予約したときに同意書の書類を受け取っていたようですが、すっかり忘れていました。またあの苦しさをと思うと憂鬱でしたが、昨年と違って、えずいてもあっという間に管がのどを通りました。一昨年内視鏡手術をした部分は異常なく、赤くなっている部分を念のために組織を取りました。胃カメラで苦しさを我慢している間、若い看護師が赤ちゃんをあやすように肩をたたいたり手をさすったりしながら励ましてくれました。おかげで無事検査を終えることができました。結果は来週手術をした主治医から聞くことになっています。
昨日新しいカラオケのDVDを買ってきたので、男性曲3曲と女性局6曲を録音した後、カラオケ仲間に回しました。歌詞をコピーしていたら、外を子供たちの下校する声が聞こえ、大急ぎで見守りをしました。そのために家で待機していたのに大失敗です。1年生の大きな集団は通り過ぎていましたが、遊びながら帰ってくる子供たちは姿が見えてからでもなかなか戻ってきません。1年生の足で2分ほどの距離を10分以上かけて帰って行きました。その点高学年は青信号で渡ろうと遠くにいても走ってきます。全速力で走ってくる子供たちは黄信号になっても止まることなく渡りきってしまいます。その間旗で車を止め置かなければなりません。見守りボランティアがいないときに子供たちはどのようにしているのか少々心配な面もあります。
夜は冷蔵庫に娘が買い置いてくれていたセロリがあったので、ストーブの上でまたまた野菜スープを作りました。妻がまもなく退院するので、それまでに私が買った食材を使ってしまおうと思ったからです。野菜スープはパン食や肉料理をしたときに大変ありがたいので、少し大きな鍋でたっぷり煮ておきました。飲むときに野菜ジュースを少し入れると味わいが深くなります。即席のコーンポタージュも買っていますが、最近は飲むことがなくなりました。
3月3日(火) 「膝痛に痛い注射」
11時からスクールガードの研修会が予定されていたので、朝一で整形外科へ行きました。先日検査した骨密度の検査結果を持って行くと、薬を飲むか飲まないかの微妙な境目だといわれ、結局様子見となりました。ところが膝痛が快方に向かわないので、週一で5回同じ注射を打つように言われました。次週は退院する妻を迎えに行かねばならないし、その翌週は川柳教室の予定が入っており、いささか残念ですが、膝を一日でも早くよくするために病院を優先したいと思います。注射の後は高周波の治療やホットパットで温めた後、2階のリハビリフロアーへ行き、電気を当て、さらに低周波の電気治療と密度の濃い治療を受けました。なんとか1時間ほどで治療が終わったので、往復1時間の電車の通院時間を含めて、2時間で家に帰り着きました。
帰ってすぐにスクールガードの研修会を受講するため小学校へ出かけました。研修会の内容は昨年とあまり変わりませんでしたが、改めて思い出すことがたくさんあったので、それなりによかったと思います。研修会の終了後、控え室で待っていると、1年2組の女子児童が迎えに来てくれて、一緒に給食をいただきました。はじめは児童と同じように食器に少しだけ副食が配られていましたが、先生がたっぷり継ぎ足してくださり、食べ終わったときには満腹でした。
その後体育館でお礼の会を開いてくれました。舞台の上から全校生を見渡しましたが、1200人あまりいたときに比べるとずいぶんスペースに余裕ができた感じでした。それでも800人在籍しているそうです。5〜6年生はそれぞれ200人いるそうですが、1年生は120人と少子化が顕著で、3年後には600人規模の学校になると聞きました。それでも若い住人も多く、妊婦や保育所へ子供を送っていく姿をよく見かけるので、しばらくは併合や廃校になることはなさそうです。
帰りに6年生からお礼の手紙とくぎ煮のお土産をもらいました。明石名物のくぎ煮は漁業連合会の方々に指導を受けながら自分たちで煮たそうで、感謝と書かれたラベルの裏に煮た班の児童名が書かれていました。帰って味見をするとさすがに専門家の指導を受けただけあっておいしく出来上がっていました。病院へ報告がてら持って行ってやると、夕食の時に同室のみんなで食べると喜んでいました。
2月28日(土) 「かんさい土曜ほっとタイム公開録音」
ぼやき川柳がメインのかんさい土曜ほっとタイムがNHK大阪放送局大ホールで公開録音されました。放送は3月7日ということで、録音だといくらでも修正できるので佐藤アナウンサーもリラックスされていました。大西泰世先生の川柳教室に続いて浜村淳さんの映画の紹介がありました。立て板に水とはこのことで、よどみなく話されるストーリーにすっかり引き込まれてしまいました。続いてテツ&トムの漫才と歌があり、大いに笑い、素晴らしい歌に感心しました。ジャージの秘話も聞かせてもらいました。
休憩の後「ぼやき川柳」がありました。お題は「弱み」と「包む」で私も入場前に投句をしました。1400人ほどの入場者の投句の中から9句ほどが本番で取り上げられました。当然私の句はボツでしたが、入選した句は本当にうまいなと思いました。大西先生のコメントも面白く、充実した3時間でした。
帰りに妻の病院へ寄って洗濯物を持ち帰りました。夕方6時半でしたが、病院では夕食も済み、就寝の準備で同室の方々は着替えておられ、早々に追い返されました。家に帰ると7時でしたが、昨夜泊まりがけでやってきた娘が中途半端な私の手料理の野菜スープや肉じゃがに手を加えておいしくしてくれていたり、菜園の野菜類をすぐに食べられるようにしてくれていたので、キャベツを刻んだり、作り置きのコロッケを温めたりするだけで、30分後には食事をすることができました。昨夜は娘の手料理を肴に山形県の朝日ワインで乾杯しました。もっとも甘口のワインで妻もきっと喜ぶと思うので、退院したらこのワインで乾杯したいt歩思います。
2月26日(木) 「退院の日が決定」
やっと退院の日時が決まりました。あと12日間、頑張らなければなりません。そんなわけで、今日のAコーム10パーセント割引デーを活用して、帰りに買い物をしました。肉じゃがや野菜スープを作るべく買い物をしていたのですが、焼きぞば用の蒸しそばが1食30パーセント引きで売っているのを見ると、焼きそばが食べたくなり、豚肉の切り落としも買いました。
早速野菜スープをストーブの上で煮込みました。キャベツの葉を焼きそば用と一緒に刻んだのですが、大きなキャベツだったので葉を5枚ほど刻むとキャベツだらけのスープになりました。それでも夕食に食べると抜群の味でした。焼きそばもおいしく焼け充実した夕食でした。
夕食後肉じゃがをストーブの上で煮込みました。インターネットのレシピを参考にフライパンで炒めてから煮込みましたが、材料が多すぎて、途中で炒めるのを中止し煮込みに時間をかけることにしました。めんつゆで味付けしたのですが、みりんを少し入れたため、甘い肉じゃがになってしまいました。最終的にはやや水くさい肉じゃがで、もう一度味付けをし直さねばなりません。今日は雨だったので料理と掃除に専念できました。これで何日かはごはんさえ炊けば副食を温めるだけで食いはぐれることはありません。本当は寿司あげを買っているので、すし太郎をかっていなり寿司を作る予定だったのですが、商品が見つからず、後日作ろうと思っています。
2月25日(水) 「ついに退院の日時が話題に」
午前中は映画鑑賞会に行きました。認知症が進行する母親との生活をユーモアと深刻な課題とを描いた物語で、自分の未来につながるのではという思いもしました。帰宅後、金曜日に娘が妻を見舞いに遠方から久しぶりにやってくるというので、夜具を干しておきました。
来月3日にスクールガードに対する子供たちのお礼の会があるので、あまりまじめに勤めていない私は昼食後スクールガードに専念しました。ボランティアを終えた後、夜具を片付けて車で妻の洗濯物を取りに出かけました。そのとき「私の都合のよい日に退院をすることになったので日を決めよう」と言ってきました。12月17日に今のリハビリ専門病院に入院したので、3ヶ月目に当たる3月16日までに退院することになるのだそうです。17日以降は予定が詰まっていますが、幸いその前はほとんど予定が入っていません。彼女はやはり大安や友引、先勝などにこだわっているようで、10日以降のそのような暦に当たる日で、担当のリハビリの先生の都合や、主治医の意見を聞いて、最終決定することになりました。先日一時帰宅をしていて、家庭での暮らしの様子はある程度わかっているので、それまでに配慮すべき環境を整えておきたいと思います。また新しいコルセットも体を曲げたりしないときなどは外していても良いそうです。
帰りに、昨日訪れたクリニックで骨密度を調べるために行くように言われた病院へ寄りました。左右両腕の骨密度を測定してもらいました。利き手の右腕の骨密度は96パーセント、左腕は85パーセントでした。60歳の時の診断に比べれば心配していたほどではなかったと少しだけほっとしました。
2月24日(火) 「膝痛」
先週の金曜日あたりから右膝が痛み出しました。以前歩き遍路を始めたとき、左膝が痛くなりました。そのときは関節の潤滑液が管を通って皮膚近くへ流れ出す症状(ガングロ?)で、出てしまえば痛みが治まったので、同じ症状だと思い、そのままにしていましたが、だんだん痛みが広がり、階段の上り下りで困るようになりました。そして今日は普段の歩行にも痛みを感じだしたので、以前に通院した整形外科へ行きました。
ところがレントゲンの機械が壊れ、診察に差し支えるとのことで、事務長が車で別の病院へレントゲンを撮りに連れて行ってくれました。その後医師の診察を受けましたが、関節自体には異常がなく、炎症だろうということでした。ただ、レントゲンの骨が薄く写っていて、ひょっとして骨密度に問題があるのではと言われました。そう言われると、退職時の60歳の検診で、骨密度が75パーセントだと言われたことを思い出しました。骨粗鬆症です。
次週の診察までに別の病院(その診療所の親病院)で骨密度の検査を受けるように言われました。ついでに次回の診察日に以前治療を受けていた腰椎についても検査をしようといってくれました。目に続いて膝も不調になるなど、いよいよ体にがたがきてしまいました。
夕方病院へ洗濯物を届けに行くと、コルセットを外して寝ていました。聞くとまもなく柔らかな素材の新しいコルセットが届くのだということでした。今までのは金属でがっちり固められていたので、体に当たる部分が痛かったのだそうです。しばらく待っていると、新品が届き、早速装着してもらっていました。締め付けられる感じは同じだけれど、柔らかいのでとても楽だと喜んでいました。近々市役所へ行って、2つのコルセットの費用の補助金(9割)の手続きをしようと思っています。両方で9万円ほど支払っているので大きな金額が戻ってきます。
2月23日(月) 「久しぶりに快記録」
12月以来、グラウンドゴルフの成績がさっぱりでした。毎月の成績が発表されるのですが、13人中12位という成績に甘んじていました。2月に入り、前回はホールインワンが3回もあり、少し復調の兆しがありました。それでもトータルの成績は今ひとつでした。しかし、今日はホールインワンが4回で、成績もトータル42と私にとってベスト記録に近い成績で終えることができました。もっとも昨夜まで雨が降っていたグラウンドをローラーで3回も固めてくれていたので、鏡のようなきれいなコースに仕上がっていたこともあって、13人で延べ29回のホールインワンが出ていました。おかげで、私の財布も100円玉が1個残っただけでした。
昨日病院で妻と話していて、今日は午後からもボランティアの女性カラオケがあり、忙しいということもあって、病院へは行きませんでした。これまでは旅行等で朝から夜まで家にいないときだけ病院へ行かなかったのですが、今日は初めて家にいて病院へは行きませんでした。おかげで時間的に余裕があり、夕食には白菜やきのこ類たっぷりに湯豆腐や、ワケギのぬたなど時間をかけて料理をすることができました。明日の朝食には湯豆腐の残りで味噌汁を作ろうと思っています。
2月22日(土) 「一時帰宅」
来月退院するについて、昨日リハビリ担当の先生が家庭訪問するのに合わせて、妻も一時帰宅しました。先生は1時間ほど、上がりがまちや風呂、トイレに高さを測ったり、写真を撮ったりして帰られました。今後のリハビリで家庭生活がより可能にするための参考にされるのです。さすがにリハビリ専門病院だなと感心しています。
妻はそのまま残り1泊しました。3ヶ月ぶりの家庭に、棚の上の埃や、冷蔵庫の中の乱れにいささかがっかりしていました。妻が帰るに当たって台所の流しの掃除や、部屋に掃除機をかけたりしましたが、棚の上まではしていませんでした。また冷蔵庫の中は妻が何を入れているのかわからないので、自分の食材を買ってきて詰め込んでいたので、特に冷凍庫はあふれていました。次々と捨てるものを指摘されました。
それでも家に帰るとこれまでの生活がよみがえり、じっとしておれずに庭を歩き回ったり、料理に手や口を出したりとこれまでの家庭生活に戻っていました。これなら帰宅しても大丈夫だと思いました。夜は久しぶりに湯船につかってすっかり温まり、3ヶ月の垢を落としていました。病院ではシャワーなのでやっぱり湯船はよいといっていました。直前に湯船の中に沈める椅子と滑り止めのマットを買っておいてよかったと思いました。
翌日は新しく買った洗濯機の実演を見せましたが、洗濯中は自動で手がかかりませんが、その準備と洗濯し終わった後干したり、洗濯機の後始末をしたりしているときには、私の不器用さもあって時間がかかるのを見て、やっぱり選択に時間がかかるとぼやいていました。だから風呂の湯を使ったりしている様子も実感できず、庭に出て自分がリハビリで病院のプランターに植える花々の選択をしていました。結局芽の出かかっているチューリップや水仙に、小さな白い花をつけている苗を持って病院に帰りました。
昼食の準備は息子の嫁さんが2日ともしてくれたし、1日目の夕食と2日目の朝食はほとんど妻がしてくれたので、私の手料理を食べることはありませんでした。妻がいる間にワケギの料理の仕方を教えてもらいました。昼食で食べましたが、自分で作ったのとは全然違ってとてもおいしい味でした。
昨年春に収穫したジャガイモを妻が整理してくれました。食べられそうな芋を「湯がいて皮をむき、つぶしてコロッケにすればいい」と言ったので、夕食後に言われたようにしてみました。ミンチ肉がなければコーンクリームとカニの缶詰を使ってカニクリームコロッケを作ればよいといっていたのですが、あるといっていたカニ缶がなかったので、自分が作り置いていた冷凍のカレーを湯煎してジャガイモに混ぜてカレーコロッケにして揚げました。もっとカレー粉を混ぜればよかったと思うほど、中途半端なカレーコロッケが20個もできました。翌日食べる分を残して冷凍庫に入れておきました。妻が入院する直前にコロッケをたくさん作って冷凍してくれていて、重宝したのを思い出したからです。油が古かったこともあってかあまりおいしくはありませんでした。
あっという間に2日間が過ぎましたが、退院してくるときにはもっと家中をきれいにしていかなければと思いました。そして二日間の妻の様子を見ていて、いつでも退院できるなと思いました。
2月18日(水) 「福祉用品の店」
タウンページで福祉用品を売っている店を探してみました。最初に魚住町錦ヶ丘にある店を見つけ、グーグルマップで所在地を見つけ、実際の景色を見てみました。ところがそのような店はなくなっていました。そこで大久保町大窪にあるハートポートという店を同じように調べてみました。キタムラカメラの筋向かいで、よく通る道です。ここはグーグルマップの景色にもきちんと写っています。そして思い出したのが、妻が転院するときにこの店の介護タクシーに乗ったということでした。
病院の帰りに寄ってみました。店の奥さんに尋ねると、風呂の底にしく滑り止めのマットも風呂の中に置く椅子もあり、我が家の風呂の寸法を言うと、適当な大きさと色合いを選んでくれました。私が同じ色で統一しようかと提案すると、色違いの方が椅子とマットの区別がはっきりしてよいと教えてくれました。やはり専門店はいいなと思いました。ただ、福祉用品は値段が高いということもわかりました。介護認定を受けておれば安くなるようでした。今夜風呂に沈めてどのように使えるか試してみようと思っています。
妻に一時帰宅したときに何が食べたいか聞くと、お好み焼きだといいました。私はおいしい刺身くらいの返事があるかと思っていたのでちょっとびっくりしました。病院で肉料理を断っていたら、冷凍の魚ばかり出てくるといっていたので、新鮮な魚が食べたいだろうと思っていたのですが…
2月17日(火) 「焼きめし復活」
昨日の夕食で焼きめしの素を入れ忘れた焼きめしですが、素の袋を見るとごはん250グラムと書かれていました。昨夜は500グラムのごはんで作っていたので、250グラム以上残っていました。そこで焼きめしを電子レンジで温めておいて、フライパンで卵を焼き、そこへ温かい焼きめしを入れて焼き直し、焼きめしの素を入れて仕上げました。おかげでおいしい焼きめしを食べることができました。
病院の帰りに湯船の底の滑り止めになるマットを買って帰りました。金曜日に妻が一時帰宅するのでその準備です。ただ、マットは洋式の風呂用だったのでサイズが合いませんが、川柳教室で明石の街へ出たときに福祉用品の店で買おうと思っていたのに、その店がなくなっていたため、ホームセンターで購入したので仕方ありません。明日タウンページでもう一度福祉用品の店を探そうと思います。そして風呂が深いので、風呂に沈めることができる椅子も探そうと思います。妻の提案で家に上がるための段になるブロックも買っておきました。しかしブロックの高さは15センチしかないので、さらにもう2個買っておいた方が上がりやすいかと思うのですが、今日は朝から腰が痛いので2個だけにしておきました。腰が痛くなるのは久しぶりです。
2月16日(月) 「海まで散歩」
病院へ行くと妻がリハビリで海まで歩行訓練をしてきたと笑顔で話してくれました。それも杖なしで行ってきたというから驚きです。前日は近くのスーパーまで行ったということで、そのときは杖をついて行ったそうです。一時帰宅の日が近づいているので、病院の外を歩く訓練をしているようです。自宅が海の近くで、浜の散歩道でよくウォーキングをしていたので、久しぶりに海の香りをかいでうれしかったそうです。
息子の嫁さんに差し入れてもらった文旦の皮が少し柔らかくなったので、家で皮をむきやすいようにして持って行きました。大喜びで同室の人に二房ずつ配っていました。すっかり甘みもあっておいしそうに食べていました。そしてこの時期は毎年この文旦を求めて県外まで買いに行くんだとみんなに言っていました。3月中旬には退院するので、ドライブがてら文旦を買いに行こうと思っています。
いつも病院から歩いて帰るとき、東二見近くまで戻ってから海の方へ向かうのですが、かなり距離があり、しかも急坂を下らなければ海へ出ません。本人はすぐ海に出られるし坂も急ではないというので、帰りにその道を歩いてみました。なるほど海まではさほど距離もなく、坂もなだらかでした。ただ朝のうちにグラウンドゴルフをし、近隣のカラオケ仲間の家々に配りものをし、東二見から病院まで歩いていたので、病院へ着いたときにはすでに7000歩を超えていました。そこから遠回りをして歩いて帰ったので、今日の歩数は16000歩を超えていました。風呂でしっかりケアをしなければと思っています。
夕食に焼きめしを作りました。ベーコンを始め具をたくさん刻み、卵を溶き、ごはんを温めるなど準備万端整えてフライパンでまず具を炒めました。にんじんを細かく刻んで入れたので柔らかくなるまでよく炒めました。そのときに塩こしょうを振っておきました。それから溶き卵を加えてごはんを入れてよく炒め出来上がり、温かいうちにとぱくつきました。しかし何かひと味物足りなさを感じましたが、それでもおいしいといいって自分を納得させて食べました。食器を洗った後ふとテーブルの上を見ると、なんと焼きめしの素がちょこんと乗っています。味の物足りなさの原因がわかると、自分の馬鹿さ加減にうんざりしました。塩こしょうの味付けだけで食べていたのです。残り半分の焼きめしを温めるときにケチャップでも混ぜてオムレツにして食べようかと思います。
2月12日(木) 「眼科の診察」
昨年夏にグラウンドゴルフをしていたとき、球が二重に見えました。その後、右目で見ると柱が左に傾き、左目で見ると右に傾いて見えたのです。だから両目でものを見づらくなり、家の中で体を柱にぶつけたり躓いたりすることが多くなりました。いよいよ高齢の障害が出てきたなと思いました。その後あまり気にならなくなったのですが、新聞など読むときに焦点を絞りにくくなってきました。景色を片方ずつの目で確かめると、左目ではっきり見えるところも右目ではぼやけてしまうことがわかりました。
一度眼科で診てもらおうと思いながら、今日まで延び延びになっていました。妻の病院へ通う道筋に立派な眼科があるのをいつも見ながら通っていました。家の近くにも眼科はあるのですが、近隣の人の評判は今ひとつでした。立派に見える眼科は火曜と金曜の午後は手術日だと表示されているので、信頼できるのではないかと今日意を決して診察を受けました。
広い待合室には受付番号がディスプレイで表示され、次々と診察室に入っていきます。程なく私も呼ばれて部屋の入ると、広々とした部屋に機械がずらりと並んでいて、スタッフもたくさんいます。問診の後眼圧や視力など次々と検査を受けました。そして女医さんの診察を受けた後、瞳孔を開く目薬を三度入れた後、眼底の撮影もありました。
最後に再び診察があり、検査結果が伝えられました。左目は正常でしたが、視力の落ちている右目は上に余計な膜があって、、その膜が正常な膜を引っ張っているため、視力が落ちているということでした。治すには目薬では効果がなく、少しやっかいな手術が必要だということでした。どうするか尋ねられたので、今妻が入院中だと伝えると、落ち着いてから来るように言われました。人生50年と言われた体を80年近く使っているのですから、あちこちに障害が出てくるのも仕方ありません。今手術をしなければ失明するというのではなく、また日常生活にもさほど支障があるわけでもないので、しばらくはこのままにしておこうと思っています。
開いた瞳孔がなかなか収まらないので、こうしてパソコンをしていてもとても見にくく、今日は早く床につこうと思います。
2月10日(火) 「サツマイモ」
昨秋菜園で収穫したサツマイモを妻が正月の栗きんとんに使うために2重にした段ボールの中にわらを入れて保存していました。しかし、入院してしまったのでそのままになっていました。NHKTV番組の朝一で天ぷら特集をしているのを朝食をとりながら見ていました。そのときサツマイモの天ぷらがおいしそうだったので、自分も作ってみようと保存しているサツマイモを夕飯の準備をしているときに取り出してみました。
上段に保存していた芋は中まで真っ黒になって腐っていました。しかし上から2段目の芋を取り出して切ってみるときれいなままだったので、早速輪切りにして天ぷらにしてみました。切り口からみるみるあくのためか黒くなってくるので、急いで衣を作りましたが、水が多すぎて衣にはならず、サツマイモの唐揚げになってしまいました。それでもあげると甘くておいしい天ぷらになりました。大きな芋だったので6切れだけ天ぷらにして、残りはあくが出ないうちにと火を通していたおでんと味噌汁の具にしました。
夕食でおでんに入れたのを食べてみましたが、崩れてしまいそうなほど柔らかくなっていました。とにかく大根が大きくなってしまい、まだまだ菜園に7本も植わっています。早く食べなければとおでんに輪切りにした大根を次々足しています。柔らかくてストーブの上で煮込んでいるとすぐにおいしい味がつきます。それでも一人で食べているので、大きな大根を1本引くと、なかなかなくなりません。おろし大根にして、納豆と混ぜたり、しらすや鰹節を入れてたっぷり食べますが。一人で食べる大根の量はしれています。こうして大根中心のおでんを毎日食べています。だからサツマイモのような変わったものが入っていると楽しくなります。
卵と小麦粉を溶いた水っぽい天ぷら用の衣をどうするか考えた末、少し小麦粉を加えた後、少し古くなったキャベツを刻んで入れ昆布の佃煮の煮汁を隠し味にしてお好み焼きにしてみました。豚肉がないので、冷凍している一夜干しのイカの足を乗せました。しかし水気が多くてうまく固まらず、しかも横着してフライ返し一つで裏返そうとしたものですから、フライパンの中でぐちゃぐちゃに崩れてしまい、最後はキャベツを炒るような形で火を通しました。出来上がったものにとんかつソースとケチャップをかけて夕飯のおかずにしました。これもなかなか美味でした。このような創作(?)料理は私だから食べますが、人はきっと食べないだろうなと思いました。とにかく段取りして料理をするのではなく、行き当たりばったりで調理することが多いので、苦肉の策の創作料理になってしまいます。
2月7日(土) 「ケチャップ入りチキンスープと『一太郎2015』」
昨日は牛乳入りのチキンスープを食べました。小麦粉を入れなかったためやたらとバターの油が浮いていて見た目はいまいちでしたが、味はまずまずでした。今日はケチャップを大さじ2杯分ほど入れてみました。こちらは抜群の味で、明日もこの味で飲もうと思っています。
妻の風呂が午後2時からだと電話があったので、朝から布団を干し、チーズの燻製を作り、庭の植木の剪定などをしました。後始末をしているといつの間にか昼を大きく回っていました。庭仕事は本当に時間がたつのが早く感じます。午後から洗濯物を取りに行き、自分の洗濯物と一緒に洗濯しました。洗濯機の風呂水の使用方法がわからなかったのですが、風呂水のボタンが点灯するのではなく、風呂水のボタンを押すと、「あらい」「すすぎ1」というボタンが点灯するということがわかりました。そしてその場面では風呂水をくみ上げていました。この様に実際に使っているうちにいろいろ機能が使えるようになるのだとわかりました。
パソコンを始めたときからワープロソフトは「一太郎」を使っていますが、平成13年に「一太郎13」に更新して以来、そのまま使っていました。ハードディスクやメモリーの容量が十分でなかったからです。そこでこのたび一太郎発売30周年記念の「一太郎2015」が発売され、予約していたのが昨日届きました。昨夜早速インストールしてみました。今ホームページの文章を入力していると、変換キーを押さなくても漢字交じりの文章への変換候補が現れ、シフト+エンターキーを押すと確定します。まだまだこれくらいの変化しかわかりませんが、使いこなしていくほどにいろいろな新しい機能がわかるだろうと思います。
2月5日(木) 「親子どんぶり」
昨年11月頃から車のキーの電池が消耗してしまい、役に立たなくなってしまいました。幸い予備のキーが使えるので何とかしのいできましたが、やはりキーが一つというのは不便です。12月初めに12ヶ月点検を受けたとき、そのことを言ったのですが電池の在庫がなく、取り寄せておくということでした。しかし、毎日の病院通いでなかなか行く機会がありませんでした。
今日は早めに病院へ行き、帰りに妻から頼まれた化粧水などを買いに薬局へ寄り、ディーラーへ行って名前をいうと取り寄せてくれていて、直ぐに電池を交換してくれました。今日は別の買い物もあり車で出かけたのに、その買い物は忘れて帰ってきてしまいました。一つ用事が増えると初めに予定していたことを忘れてしまいます。家でも用事を仕掛けていて別の用事を思いつきですると、やりかけていた仕事を忘れていることがよくあります。やはり認知症がすすんでいるようです。
高齢になれば肉のタンパク質を摂取する量が減り、そのことが老化を進めるということが川柳仲間で話題になりました。そこで何の肉にしようかと肉売り場であれこれ見ましたが、たまたま親子どんぶり用の鶏肉が売っていたので先日買って帰りました。病院で作り方を妻から聞き、家に帰ってからも娘がメールで助言してくれたインターネットのレシピを見ました。それらを参考にしながら自己流の親子どんぶりを作りました。味はマギーブイヨン1個と味醂少々、そして鶏肉に塩こしょうをしておいたので、適当な味に仕上がりました。
残った鶏肉をどうしようかと考えた末、チキンスープを作ることにしました。これもインターネットのレシピを参考にしました。ただしその通りの材料がそろうことはないので、これも自己流で作ってみました。鍋一杯になったので、明日朝のパン食のときに1杯分だけ牛乳とブロッコリーを入れて飲もうと思っています。トマトケチャップを入れたスープも飲んでみたいと思うからです。このように自分でアレンジできるのは、自分1人で食事が楽しめる間だけです。
2月3日(火) 「恵方巻き」
今日は節分、豆まきと恵方巻きの話題で満ちています。豆は妻の病院で食事に小さな袋に入った豆が付いていたのをもらいました。二粒だけ部屋の中で「福は内。福は内」と言って播きました。今家には鬼がいないからです。残りの豆を食べた後、播いた二粒の豆も拾って食べておきました。
夕食の恵方巻きは、すのこと新しい明石海苔を取り出し、一昨日の「すし太郎」のちらし寿司を海苔に広げ、甘辛く煮た椎茸、今日菜園で収穫して塩ゆでした春菊、そして錦糸卵用に焼いておいた卵焼きを具にして巻きました。切らないので具が上手く入っていたかどうかわかりませんが、西北西を向いて食べました。ときどき中身の具がこぼれ落ちましたが、これは巻き方が下手だからでしょう。粕汁にお餅を入れていたのでまずまず節分としての食事を済ませることができました。
黒豆の煮汁が喉にいいと聞いたことがあります。そこで食後、お節の黒豆の甘い煮汁がたくさん残っていたので、寒天を加えて加熱し、カップヨーグルトの容器5個に入れて冷やしておきました。冷やした後食べてみると赤穂の塩味まんじゅうの味に似ていて案外美味しい水ようかんでした。
2月1日(日) 「ちらし寿司」
朝まず初めに食パンを買いに行きました。パン屋の主人が三角の美味しい菓子パンをおまけにくれました。したがって朝食はその三角パンで済ませ、食パンは冷凍しておきました。そのうちに日差しが窓を照らし出し、軒からのしずくも落ちないようなので、昨夜取り込んでおいた洗濯物を干し、カマンベールベビーチーズの薫製をつくりました。部屋の掃除や新聞を読んだりしていると11時を過ぎたので洗濯物を取り込み、病院へ持っていくものを準備し、チーズを見ると出来上がっていたので家に持ち込んでおきました。
夕飯のお米を洗って予約をしていると、11時半になったので、粕汁を温め、昨夜作ったビーフ味の焼きめしと粕汁、茎レタス、野菜ジュースで昼食を済ませ、昨夜落語鑑賞をした高家寺へ写経に出かけました。今日は筆がよかったのか、いつもより落ち着いて書くことができました。それでも朝から動き詰めだったからか睡魔に襲われました。帰りに妻が言っていた美味しい塩鮭の切り身を買って帰りました。
灯油が終いになっていたので灯油のポリ缶を車の後ろに積み、お土産にできたての薫製チーズを一つ持って病院へ向かいました。途中でガソリンスタンドへ寄ったので、病院に着いたのは5時近くなっていました。病院では洗濯物の整理をふたりでしていると夕食に時間になったので帰りました。
帰りにAコープへ寄り、買い物をして家に着くと6時半になっていました。それから永谷園の「すし太郎」を使ってちらし寿司を作りました。椎茸を細かく刻んで少し煮てたものと、写経の帰りに買った鮭を焼き身をほぐしたのを寿司に混ぜ、薄焼きにした卵を刻むのが面倒でそのままちらし寿司の上にのっけて食べました。菜園でとれた小芋を湯がいて冷凍にしておいたのを粕汁に入れておいたのがとても美味しく、改めて大きな小芋を二つ入れておきました。干し椎茸が手近に見あたらなかったので、仕方なく生椎茸を刻んで煮たので、あまりいい味ではありませんでした。それでも7時半になっており、お腹は空いていたので美味しく食べました。「すし太郎」は一袋2人前で500cのご飯で作るため、私にとっては3食分以上の量になります。明日も食べることができます。粕汁もたくさん作ってあるので、明日も同じメニューになります。親子丼をしようと鶏肉を買ってきましたが、冷凍しておかねばなりません。またの楽しみです。
1月31日(土) 「洗濯機の使い初め」
昨夜10時半までかかって使用書を読みました。わかったつもりで朝から使ってみました。しかし、一度読んだぐらいではわからず、何度も電源を入れ直しながら試してみました。風呂まではホースが届かないと思っていたのに、十分長さがあり風呂の湯船にホースの先を入れて設定をしてみたのですが、なかなかうまくいかず、そのまま「おまかせ」でスタートしてみました。洗濯が始まると、今までの2糟式と違ってかすかにチャプチャプと水の音がするだけで静かそのものでした。本当に洗濯しているのかと何度も洗濯機をのぞき込みました。36分経ったときブザーが鳴り、洗濯は終了、こんなに簡単ならもっと早く買っておけばよかったと思いました。ただ表示をよく見ておかなければ、洗剤などの量を見失ってしまいます。
午後、病院から洗濯物を持ち帰り、もう一度洗濯をしました。すべて水道水にまかせることにしたので、もう迷うことはなくスタートさせて夕食の準備をしました。朝洗濯したものはほとんど乾いていたので取り込み、その後に干しました。しかし夜は高家寺寄席に行くので、1時間程外で干した後部屋の中で干しています。明日朝もう一度屋外で干してから病院へもっていこうと思っています。
夜高家寺寄席に出かけました。1000円の木戸賃で落語を4題聞くことができます。やはり生の落語は面白く、決して放送では聞けないような内容もありました。いつもは新春寄席で福引きがあるのですが、名誉住職が市会議員をされていて、4月に市議会議員選挙があるため、福引きは中止になりました。それでも今日は大勢の聴衆があり、大入り満席でした。
1月30日(金) 「隠し味が表味に」
病院から帰った後大根、ニンジン、ゴボウなど材料を切ったり削ったりしながら粕汁を作りました。夕食の間もストーブの上で煮ていました。大根がたくさんあるので翌朝の大根おろしに一部とっておいて後を刻むと、大変な量になり、具だくさんになってしまいました。最後に味付けをしようと隠し味に昆布の煮汁を入れ、味噌を入れました。ところが隠し味の量が多かったようで、味見をしてみると甘辛い粕汁になっていました。
今日の朝食で具だくさんの粕汁を食べました。昨夜味見をしたときよりいっそう甘辛く、色も濃くなっていました。お鍋一杯作っているので、なくなるまで食べますが、他人に食べさせる訳ではないので、当分この味を楽しみます。ただ、もう少し薄味の方が良さそうなので食後熱湯を足しておきました。
お昼に全自動の洗濯機が届きました。思っていた程通路の邪魔にはならないのでほっとしました。今から説明書をよく読み、明日の洗濯がばっちりできるようにしたいと思います。ちなみに機種はパナソニックNA−FA70H1です。今までの2糟式洗濯機は3sだったので、洗濯槽が大きいのにちょっとびっくりしました。
1月26日(火) 「タートルネックのセーター」
冬の間、ここ数年はタートルネックのセーターを着ています。首のまわりが暖かなので放せません。ところが長く着ていると脇からほころびてきます。昨年1枚着古して捨てました。そして今年2枚目も脇に穴が空いてきました。外出用にともう1枚あるので、それは大事に着ています。先日来あちこちの店で探すのですが、なかなか売っていません。
今日は皮膚科へ行った帰り、1時間に1本のバスが出た後で仕方なくイオンの売り場をのぞいてみました。すると特売場のところに平常価格の2割5分引きで売っていました。見るとこれまで着ているようなオールウールではありません。しかし普段着ならアクリルが混ざっていても日本製だからいいかと買うことにしました。ところが2枚買うとさらに20パーセント引きになるというので、洗い替えにすればと2枚買いました。病院で妻にその話をすると、何でも自分でできるようになったと感心していました。これまでは妻が選んで買ってくれていたので、自分で選ぶことはありませんでした。
いつも病院の帰りに家まで歩いていましたが、今日は暖かだったので家から病院まで歩きました。病院に着いたら汗をかいていました。病院へ行く前に菜園の水菜を収穫し、半分は薄揚げとちくわと一緒に煮ておきました。そしてもう半分は細かく刻んで塩もみしておきました。妻が水菜の塩もみが食べたいと言っていたのと、温かいご飯に混ぜて食べると食が進むかもしれないとも言っていたのを聞いていたからです。病院食は味が薄くなかなかすすまないようです。小さなタッパに入れて持っていきました。きっと夕食時に食べるのではないかと思います。
菜園で水菜を収穫しようと思ったら、隣の茎ブロッコリーの花が咲いていました。葉の陰になっていて収穫していない場所でした。大急ぎで食べ頃の蕾を収穫しました。今日のポカポカ陽気で急に大きくなっていました。茹でておいて、洋食のときやパン食などのときに食べようと思っています。夕食で煮た水菜を食べました。めんつゆで味付けをし、妻が昆布の佃煮をしたときの煮汁が冷蔵庫においているので、それを隠し味にほんの少し入れると抜群の味になっていました。
1月25日(日) 「全自動洗濯機」
今日は息子夫婦が来て、夜には牡蛎フライや山芋、キノコご飯をご馳走してくれました。去年までは相生の牡蛎むきをしているところへ行って安く買い込み、ふんだんに食べていたのですが、今年はそれができません。妻に牡蛎が食べたいというと、食堂で食べればいいと言われていました。そのようなときに牡蛎フライをたくさん作ってもらい、大満足でした。
先日から全自動洗濯機を購入しようと、インターネットや店頭で眺めていましたが、いろいろ比較して、パナソニックの7sの機種に決めました。そんなとき、金曜日のイオンの広告に5台限りと限定して、ある程度許容範囲の値段で出ていました。3日も経てば売れてしまっているだろうと思いながら、ウォークがてら店に出かけました。ところが店頭にまだ並んでいました。これは買うしかないとすぐさま購入しました。30日に配達されることになっていますが、31日(土)に早速試したいと思います。これまではスペースの関係で3sの2糟式を使っていて、しかも風呂からバケツでくみ上げて運んでいたので1時間半程かかっていました。それが風呂の湯をポンプでくみ上げ、全自動で40分程度でできるというのですから有り難い話です。妻が退院するまでに私の力で何とか使い慣れておくようにしておきたいと思います。
1月24日(土) 「再びカレー作りとウォーク」
朝からいいお天気だったので、久しぶりに布団すべてを干しました。昼前に来客の予定があったので、それまでの時間を使ってカレー作りをしました。段取りが悪いのと手先が不器用なためになかなかはかどりません。来客が来たときにはまだジャガイモの皮をむいていました。タマネギを炒めてスープに入れた後、牛肉を炒めようとしたのですが、まだ一部が解凍していませんでした。それでもお昼になってしまうので炒めました。全体が同じようにならず、まだ赤い身が残っていましたが、どうせ煮込むのだからとスープに入れてストーブの上で煮込みました。今夜はエビのかき揚げとジャガイモのフライをするので、カレーは明日以降になるため、カレールーなどは今日は入れずにおきました。明日さらに煮込んでからカレールーや牛乳、卵で味を調えたいと思います。
昼食後は大河ドラマの再放送を見た後各部屋に掃除機をかけ、布団を取り込んでいたら3時近くなってしまいました。それから電車で妻の病院へ行き、洗濯物をリュックに詰め込んで徒歩で帰りました。江井ヶ島海岸まで戻ってきたとき、夕日が沈むところでした。海にとけ込むように沈むかと思い見守りましたが、小豆島の西端に沈んでいきました。家を出るときは2000歩に満たない歩数でしたが、歩いて帰ったお陰で12000歩を越えていました。1万歩を越えたのは17日の震災メモリアルウォーク以来で、運動不足を感じます。しかし、正座をしたあとすねが少々痛みます。四国の歩き遍路で1200q歩いていたときも冬から痛くなり始め、歩き終わった後もしばらく正座ができなかったことがあります。再発しているのかもしれません。そのときは左足だけだったのですが、今回は右足の方も傷みがありなす。歩き方が悪いのかもしれません。ストレッチなどしないまま歩いているので、いろいろ試してみたいと思います。
1月23日(金) 「酢豚に挑戦」
昨日はリハビリ担当セラピスト、担当の看護師、そして妻と私の懇談会がありました。初めにセラピストからリハビリの経過が報告されました。1ヶ月あまりの間にずいぶんできることが多くなりました。これまでは歩く、階段を上る、筋肉をつけるなど、基本動作に訓練が中心でしたが、これからは退院後の生活を可能にするための訓練が始まるようです。まだ若い女性のセラピストですが、本当に有り難いと思いました。その中で介護認定についての話題になりましたが、妻がどの程度まで回復できるのか見当がつかないので、そのタイミングが難しいなと思いました。さらにどの程度支度の改善や、ベッドなど必要なものがあるかということも話題になりました。今しばらく入院生活が続きますが、セラピストが自宅を訪問して必要な訓練についても考えてくれるそうです。このようなきめ細かな対応をしてくれるのもリハビリ専門の病院だからだと思います。医療センターで家の近くの病院も紹介されていたのですが、多少遠くても本当に良い病院に入院できてよかったと思います。
今日は小学生の下校見守り活動を終えてから酢豚に挑戦しました。先日から台所のテーブルの上に酢豚の素が置かれているのが気になっていたからです。箱に書かれている材料の内、キュウリとタケノコはありませんでしたが、別にかまわなと思い、箱に書かれていたとおりに作ってみました。やはり具が少なかった分、素が多く、濃い味になってしまいましたが、それでも美味しい酢豚ができました。お節料理の残りや、春菊のおひたしなどを添えて、梅酒のお湯割りを1杯飲みながら、楽しく夕食をすることができました。
1月19日(月) 「初めての外出ときわめてブラックに近い振り込め詐欺らしい誘い」
妻が最初に緊急入院した医療センターの診察があるため、リハビリ病院から外出許可をもらい、自家用車に乗せて医療センターへ行きました。もう2ヶ月近く入院生活をしているので、家の近くの景色を懐かしそうに見ていたり、このままドライブに行きたいなとつぶやいていました。
病院の玄関前に着くと、警備に当たっているスタッフが奥さんを見ていますからと病院の中へ連れて行ってくださいました。急いで車を駐車場に止め、戻ってくるとすでに受付を済ませ、レントゲン室の前で待っていました。受付ボランティアが受付の手続きをしてくださったそうです。直ぐにレントゲン検査も済み、整形外科の受付を済ませましたが、座るところがない程患者があふれていました。
それからが大変でした。主治医がいないので代診だと言うことで、なかなか順番が来ません。初めは予約時間より早く受付をしたので気楽に待っていましたが、予約の11時半が過ぎても全く呼ばれる気配がありません。12時を過ぎたところで60分遅れという表示がでました。もっと早くわかっていれば昼食を済ませておくのだったのですが、それでもいつ呼ばれるかわからないのでじっと待っていました。診察が終わったのは1時を過ぎていました。外出許可は1時までだったので、病院に遅れることを電話しました。
帰りは入院している病院の全景が見える道から病院へ帰りました。玄関前で偶然近隣の妻の親友が見舞いに来てくれるのに出会い、その人に妻を託して家へ向かいました。というのは、この日老人クラブの女性カラオケグループの機械操作ボランティアが早くから決まっていて、1時30分に約束していたのです。病院に着いたのが2時前だったので完全に遅刻です。ただ前日の男性カラオケグループ例会の終了後、機械をセットしておき、電源コードさえつなげば使えるようにしておいたので、何とかはじめてくれていました。それでも機械を十分操作できないので、いつもは2コーラスまでで順番に歌うのですが、一人ひとり全曲歌っていました。すっかり迷惑をかけてしまいました。
最近、岡三証券や野村證券の社員を名乗る男性から、「新日本ファンドから新たに上場される株式の申し込み権利書が届いたら是非譲ってほしい。これは必ず高値が付くから」という電話が再三ありました。そして今日その封筒が届きました。中を見ると世界初多用途型電池「バナセイバー」を開発した琉球電力株式会社のパンフレットと、新日本ファンドの会社紹介のパンフレットが入っていました。この両者をインターネットで調べてみると、詐欺などよくない情報があふれていました。その書類は今度の資源ゴミにするつもりにしています。きっと譲ると言ったら名義を貸すことになり、詐欺事件に関わっているから名義を取り消すためにお金を振り込めということになると思います。振り込め詐欺が横行していますが、ついに私にもその矛先が向いてきたようです。
1月18日(日) 「メモリアルウォークと男性カラオケグループ例会」
昨日は阪神淡路大震災から20年にあたり、グループいきいきネットの例会として、メモリアルウォークに参加しました。例年通り10時出発だと思い、9時50分集合で案内状を出していました。ところが9時半にいっても会場にほとんど人がいなくて、尋ねると9時出発とのことでした。会員のみなさんに迷惑をかけてしまいましたが、9時50分まで待っていても誰も来ないので、私もやや早足で出発しました。一人で歩くと信号以外自分のペースで歩くことが出来、途中東遊園地で写真を撮ったりしましたが、1時間あまりで5qのコースを歩き終えました。
いつも元町商店街の入り口でお茶をもらうので、荷物を減らすためにお茶を持参しなかったのですが、すでに終了していました。途中で温かいお茶が買えたので、その方がよかったと思いました。ゴール地点についても誰にも会うことができず、スタンプラリーに参加したり、記念式典の放送を見たりしていました。
昼食は前夜に作っておいたおにぎりや玉子焼き、そして浅取りの茎ブロッコリーの塩ゆでときんぴらゴボウ、妻のためにむいたりんごの半分をタッパに入れて冷蔵庫にしまっておいたのを持っていったので、休憩所のテントのテーブル席で一人で食べました。そのうちに雨模様なのにテントに入りきれない子供連れがいたので、急いで片づけ、席を譲りました。
一人だから帰ろうかと思ったのですが、突然の突風と大雨が降り出し、傘が壊れそうだったので、直ぐそばの人と防災未来館へ避難し、3D映画や展示を見て回りました。やがて雨がやんだので、バスで三宮へ出ようと思って乗ったところが、乗ったバスが近くをぐるぐるまわったすえに阪神岩屋駅に着きました。歩いても7〜8分のところを15分程かかりました。しかもそのまま乗っていると、王子公園から六甲道の方へ行くとのことだったので慌てて降りました。イコカで三宮まで行き、そこからは山陽電車の明石市内・三宮間のワンデイフリー切符で妻のいる西二見まで乗りました。この日が病院の風呂の日だと聞いていたので、洗濯物を持って帰り、夕食を済ませてから洗濯をしておきました。
今日は朝からいいお天気だったので、納屋に干していた洗濯物と、自分の布団を干しておいて、車で出かけガソリンを入れ、灯油も買い、病院で頼まれていたものと果物を届けておいて、カラオケの酒類や寿司などを購入しました。急いで病院を出たお陰で、何とか寿司が売り切れる前に購入することができました。
一昨日炊いたご飯はおにぎり用にと少し堅めに炊いていたので、昼は焼きめしを作りました。段取りよくしたつもりでしたが、温めたご飯のラップを剥がすのに手間取り、卵が少し固くなってしまいました。それでも焦げ付くこともなく美味しくできました。メニューは焼きめしの他に温かい野菜スープ、冷たい野菜ジュース、そしてヨーグルトでした、
明日の女性カラオケの練習を少しした後、男性カラオケに出かけました。いつもなら一人ひとり歌うのですが、今日は課題曲を決めて録音をしながら、みんなで一緒に練習をしました。5個のテープに録音するため、5回ずつ2曲を歌いましたが、なかなか覚えることはできませんでした。みんなは歌詞だけをコピーすればよいといっていましたが、私は楽譜がないと曲の節回しの細かいところがわかりません。また別にコピーをしたいと思います。
1月15日(木) 「第九合唱団の新年会」
朝から猛烈な吹き降りでした。新年会にベビーチーズの薫製を作って持っていきたいとたくさん買い込んでいたのですが、残念ながら屋外ですることができず、やむを得ず豆菓子を買って持参しました。新年会では初めて団長のそばに着席でき、その間にはいなみ野学園の卒業生が座っていたので、話が弾みました。そのようなことがあってたくさん食べてたくさん飲んだのですっかり酔ってしまいました。チーズのことだけが残念でした。野菜スープがなくなったので、病院からの帰りにセロリを買って帰り、新年会へ行くまで材料を刻んでストーブの上で煮ました。
昨日妻のところへ行ったとき、四つ這いができるようになったと、ベッドの上でして見せてくれました。その上正座もできたとそのまま正座していました。先日は初めて階段で2階まで上ったと言っていましたが、それも手すりと杖にすがってのことだったようですが、翌日は筋肉が痛かったと言っていました。まだまだ足の筋肉を鍛えなければ家に帰れないようです。次はどんなことができたと報告してくれるか、毎日期待しながら病院通いをしています。
1月13日(火) 「今日は唐揚げ」
昨日の鶏の胸肉の残りを使って唐揚げを作りました。昼に適当な大きさに切って塩こしょうをしておきました。塩こしょうなど簡単だと思っていましたが、実際やってみると均等にはかけられず、容器を逆さにするとドバッと出てしまいました。そんなときは別の肉で拭き取るようにして裏表全体につけておきました。
6時になってまず大きめのジャガイモ2個をストーブの上で茹でました。柔らかくなったところで皮をむき、輪切りにして同じように塩こしょうをしておきました。それから鶏肉に小麦粉をまぶし、小麦粉を水で溶いて鶏肉につけてながら、新しいサラダ油をたっぷり入れた鍋で鶏肉とジャガイモを揚げました。試食してみると、どちらも塩こしょうがよく効いて、なかなかのものでした。唐揚げをしている間にストーブの上で作り置きの野菜スープを温めました。さらにキャベツを刻んで電子レンジでチンし、唐揚げとジャガイモを盛りつけて出来上がり、春菊のおひたしと大根葉の漬け物を添えて夕食をはじめました。そのとき昨日もワインを忘れていたことを思い出し、飲もうとしましたが栓の開いたワインがなく、仕方なく梅酒のお湯割りを作って飲みながら唐揚げやジャガイモを食べました。油ものを食べるとご飯は漬け物で一口食べただけで満腹になりました。残りの唐揚げとジャガイモは冷凍しておきました。後日チンして食べようと思っています。
1月12日(月) 「冬休みが終わる」
昨日は午後から身体が重たくて、風邪かと思って寝る前に売薬の風邪薬を飲んでいつもより1時間程早く寝ました。そのお陰で6時間ぐっすりの眠り、朝はすっきり目が覚めました。いつもは3時間程眠ったときにトイレに行きたくて目が覚めます。その後1〜2時間目がさめてしまって、目覚ましの音で起きるのですっきり感がありません。
地元の老人クラブの冬休みが終わり、今日からグラウンドゴルフが始まりました。いきなり記録係があたり、久しぶりのゲームはさっぱりでした。3ゲームトータル60の成績は目標に1打たりませんでしたが、ホールインワンも1本出て大崩れしなくて済みました。その後ミーティングがあったので、家に帰ったのは昼前で、昼食を済ませて病院へ行きました。
帰ってからまずきんぴらゴボウを作りました。昨日息子の嫁さんがきんぴらゴボウを持ってきてくれたのを見て、粕汁を作るときにゴボウを買った残りがあることを思い出しました。そこで、もらったきんぴらゴボウをベースに皮むき器で削ったゴボウを加えて、フライパンで炒めて味付けをしました。ベースに味が付いていることを忘れて醤油を入れたので濃い味になってしまいました。相撲をテレビ観戦した後、病院へ行く前に塩こしょうをしておいた鶏の胸肉をバター焼きしました。ついでにジャガイモとブロッコリーも横で焼きました。10日に作ったオニオンスープも温めて夕食にしました。せめてワインくらい飲めば良かったと後悔しました。
1月10日(土) 「ビオラの植え付けと再び料理に挑戦」
妻がビオラの小さな苗をポット上げしていたのがそのままになっていました。先日試しに1本だけ直植をしてみたのが上手く根付いていたので、残りの13本を葉ボタンの手前に並べて植え付けました。今日明日は最低気温がそれほど低くならないのと、日中は10度程になるので、水をたっぷりやっておきました。ついでに庭の手入れをしていると、昼を過ぎてしまいました。妻が午前中に庭いじりをしていると昼を過ぎてしまうとよく言っていましたが、その気持ちがわかりました。
午後から病院へ行き、新たなメニューを仕入れてきました。夕食は以前につくりおいたカレーと覚えたてのオニオンスープを作って食べました。夕食後は妻から入院直前に教えてもらった野菜スープをストーブの上でコトコト煮ています。部屋中セロリの香りが満ちています。暫くは楽しめます。
1月9日(金) 「今年最初のスクールガード」
朝早くから洗濯や風呂を洗って、昼前に病院へ行きました。丁度昼食の時間でした。見ていると、運動をしないからといって半分程しか食べていませんでした。同室の人は残さず全部食べるので病院へ来て太ったそうです。昼食を見届けておいて歩いて帰ってきました。
自分の遅い昼食を済ませると小学1年生の帰ってくる時間でした。水曜日の始業式の日は三社参りだったので、今年最初の見守りをしました。冬休み楽しかったかと聞くと4〜5人に一人は楽しくなかったとこたえていました。それでもお年玉の話になると、たくさんもらったと言っていました。中には9人からもらったという子もいました。友達がいるので金額については尋ねないようにしておきました。
最近の子ども達を見ていると道が狭くても車をよけようとしない子が多くなりました。だから車の方も警笛を鳴らさずに子供の後ろを最徐行しています。特にハイブリット車が増え、後ろからのエンジン音が聞こえないので、車の前を悠々と歩いたり、ふざけあっている様子をよく見かけます。ひどいときには前から車が来ていてもよけない子もいます。見かけたときは注意するのですが、糠に釘です。下校時刻だから車の運転手も主婦が多く、急がないのでこのような状況で済みますが、朝の登校時は通勤で運転手もいらいらするようで、警笛をよく聞きます。そして信号が赤に変わった瞬間でもスピードを出して通り過ぎていくので、朝のスクールガードの人たちは気を遣われるだろうと思います。
1月8日(木) 「夏のウォークコースを歩く」
朝起きて直ぐにパンを買いに行きました。主人はいませんでしたが、息子さんが今年もよろしくと対応してくれました。朝はパンが無性に食べたくなります。焼きたての菓子パンと食パンを買って帰り、食パンは冷凍しておいて、菓子パンを食べました。何か特別な副食をつくろうかと思ったのですが、面倒になり、レギュラーコーヒーと野菜ジュース、ヨーグルトで済ませました。
食事の前にお湯だけ沸かしておいて昨夜洗濯した妻の着替えを庭に干しておきました。食後生ゴミを菜園に埋めたり、妻が検診で外出するときに着る服などを整えていると、いつの間にか昼前になっていました。
昼食は冷えたご飯500gを電子レンジで温めて永谷園のすし太郎を使って、ばら寿司を作りました。粕汁も温め、およそ半分平らげてしまいました。錦糸卵のつもりで卵を焼いたのですが、玉子焼きの細切りになってしまいました。そしてタンパク質をと田作りと牛乳も飲んでおきました。
午後から洗濯した衣類をたたんで、車で病院へ行きました。ふたり部屋で一緒だった患者さんと楽しそうにおしゃべりしていました。今日は連絡事項がたくさんあり、いつもより長く病院にいました。
家に帰ると4時半でした。病院へは車で出かけ、運動不足を感じたので、夏にウォークを続けた八木遺跡公園まで浜の散歩道を3分インターバルウォークに出かけました。50分程ウォークをして帰りましたが、帰って牛乳を飲むのを忘れていました。
夕食はすしの残りの半分と、年末にもらったインスタントのえびにゅうめん、そしておでん、春菊のおひたしを食べました。デザートにみかんをと思って箱をのぞくと4個もカビが生えていました。昨日まで気がつかなかったのでちょっとショックでした。
1月7日(水) 「三社参り」
明石市高年クラブ連合会主催の三社参りに出かけました。私達の友愛クラブからは11人の参加でした。今年の恵方は西南西ということで、岡山県の吉備津彦神社、、和気由加神社、高砂神社をお参りしました。回廊のある吉備津神社だと思っていたら違っていたり、和気清麻呂が祀られている和気神社かと思っていたら違っていたりと、期待を裏切る面もありましたが、会員が無事帰ってこられたこと、予定より1時間以上早く帰り着いたことはよかったと思いました。
早く帰れたので、新聞だけを持って妻のところへ行きました。今日は入浴の日だったので、洗濯物を早く持ち帰り、洗ってやろうと思ったからです。今日は病院へ行けないといってので、病室の人も驚いていましたが、リハビリから病室に戻ってきた妻もびっくりしていました。家に帰って直ぐに洗濯機をかけ、納屋に干しておきました。明日太陽が昇れば外に干し、午後には届けたいと思います。
1月6日(火) 「歩行器や杖なしで歩きました」
病院へ行くと今からリハビリが始まるというところでした。病室で待っていても仕方ないので、近くの家電量販店へ行きました。娘から、妻の負傷をきっかけに二槽式の洗濯機を卒業し、全自動にしたらいいと言われたからです。
前日にインターネットで調べていたら、東芝製品で手頃なのがあったので、使っている人の感想を調べてみると、脱水時の振動が猛烈で後悔しているという記事を見てしまいました。
冷蔵庫を買うときも最後はパナソニックと東芝の比較になりました。店で展示品を調べると、東芝は中国製、パナソニックは日本製でした。最終的に日本製を選びました。
今回は製造国は書かれていませんでしたが、パナソニックで手頃な製品を見つけたので、カタログをもらって帰りました。
病院に戻ってくると、病室はシーツの交換で、妻は同室の人たち3人一緒に談話室でコーヒーを飲んでいました。病室に帰るとき、歩行器も杖もなしに歩けるようになったと歩いて見せてくれました。転んでは大変だとヒヤヒヤしましたが、本人は得意げにさっさと歩いていました。これで階段が上れるようになったら退院できるなと思いましたが、段差はまだ10cm手すりにつかまって上がれる程度なのだそうです。足の筋肉が十分ではないからだと言っていました。それでも日に日に回復していく様子を見るのは嬉しいことです。そして本人にとっても退院への希望を感じるようで、新たな挑戦の励みになっている様子が表情からわかります。
1月5日(月) 「徒歩再挑戦」
今日も暖かな気温で風もなく、布団を干すのに絶好の天候でした。布団を干し、掃除機をかけておいて、病院へ行きました。昼前に病院に着くと、妻が長野県のウォーク健康法について「試してガッテン」で聞いたことを教えてくれました。
昨日と違ってお昼という疲れのない時間帯だったので早速実践するために歩いて帰りました。街中は普通に歩きましたが、郊外から海岸沿いの道で3分間早足で歩き、3分間普通の速度で歩くことを繰り返しました。といっても時計を持っていなかったので、早足で480歩、普通の速度で360歩数えながら歩きました。
昨日の成果だったのかどうかわかりませんが、今日はスムーズに歩き通しました。ただ、早足をするとどうしても力が入りすっかり汗をかいてしまいました。この方法は変化があって疲れを感じないので、これからもウォークに取り入れたいと思います。
そしてウォークが終わると直ぐに牛乳を飲むことが筋肉にとって大切だということなので、家に着くと直ぐに牛乳を少し温めて飲みました。
昼食後、庭の草引きをしました。妻が入院して以来手入れをしていなかったのでずいぶん草が生えていました。暗くなってきたので途中でおきましたが、5時になっていました。落ち葉と草を集めて入れたので、ゴミ袋がいっぱいになりました。残りは次の暖かい日にしようと思いますが、明日から当分そのような日はなさそうですが……
1月4日(日) 「体力が落ちたことを実感」
病院からの帰りに、暖かいので海岸沿いに歩いて家に帰りました。8000歩あまり(5.5q)くらいの距離ですが、残り1.5qほどは2.2sのリュックに引っ張られて前に進まなく、身体を前屈みにすると前に進む感覚でした。歩速も意識しなければゆっくりになってしまいます。今日一日の歩数が10000歩を越えると体力ががたんと落ちてしまうのには自分で驚き、これでは4月から歩き遍路に行こうと思っても、みんなに付いていけないのではと心配になりました。
夏に頑張ったように、もう一度10000歩歩行を3日ごとのペースで頑張ってみようと思います。それでもだめなら歩き遍路を返上しなければなりません。
1月3日(土) 「私の年末年始」
今年は妻が入院中のため、一人で年末年始を過ごすことになりました。25日に病院で黒豆の煮方を聞き水で洗ってたっぷりの水に砂糖、炭酸、醤油、塩を入れてよくかき混ぜ、200gの丹波黒新豆を浸けておきました。600g買ったのですが、失敗してはいけないと妻に言われ200gにしました。
28日にふきこぼれないようにと蒸し器に移して、ストーブの上で煮ました。ストーブの上で火を着けるたびに煮ていると、29日には美味しく煮え上がりました。翌30日も餅つきの間ストーブで煮ていました。ところが息子たち夫婦に手伝ってもらって餅つきに夢中になっている間に煮汁が減ってしまい、豆が固くなり、味も辛くなってしまいました。
餅つきの後、病院へ味見に持っていくと、妻から「これ何よ!」と失敗を宣言されてしまいました。それでも煮汁を捨て湯をたっぷり入れて煮直すようにアドバイスをもらいました。
家に帰ってから言われたとおりにした上、甘さを戻すようにとチリレンゲ1杯の砂糖を入れて煮なおしました。すると豆は柔らかくなり、甘さも戻ってまずまずの出来になりました。
31日に病院へ持っていくと「これなら大丈夫」と合格点をもらいました。そのときたまたま看護婦さんがやってきました。妻は主人が煮た黒豆だと言って一粒食べさせた上、同室のみんなに食べてもらうように言いました。そんな恥ずかしいことはできないので、あわてて逃げ帰ってきました。帰りに年越しそばと田作り、粕汁の材料などを買って家に帰り、夕食後、菜園から大根を引いてきて、ニンジンと一緒に大鍋に入れて煮込み、最後に白みそを入れて雑煮の準備をしました。
さらに紅白を見ながらストーブの上でカタクチイワシをフライパンで煎って、田作りを作りました。袋に書かれていたよりも砂糖を余計に入れたので、お酒を入れてもあまりさらっと仕上がることはありませんでした。最後にいりごまをふりかけるときになって、直前にいりごまをすべてすりごまにしてしまったことを悔やみました。仕方なくすりごまをふりかけておきましたが、これもまた失敗作になってしまいました。
午前0時になったので、温かくして村のお宮へ初詣に出かけました。雨もやみ冷たい風が吹き、厳しい寒さになっていました。そのせいか例年よりも参拝に訪れている人は少ないようでした。
翌元旦は初日の出を見に行こうかと思ったのですが、空はよく晴れているのに東の空に黒い大きな雲がかかっているので出かけるのを止め、国旗も風が強いので出せませんでした。
そのうち息子夫婦がお節料理を持ってやって来ました。一緒に新年を祝い、元旦の新聞と年賀状を持って妻のところへ出かけました。朝からお風呂(シャワー)に入れてもらったとすっきりしていました。丁度お昼時で、昼食が運ばれてきました。メニューがお節料理だったのにはびっくりしました。美味しそうに食べているのを見ながら帰りました。
帰って元旦早々、病院から持ち帰った妻のパジャマなどの洗濯をしました。そのときに私が柔軟剤を使わないので、パジャマもタオルも固くなってきたといわれたのを思いだし、柔軟剤を最後に入れて絞り干しておきました。乾いた洗濯物を取り込むと、なるほどふわふわと柔らかくなっていました。
翌日洗濯物を持って病院へ行くと、看護婦さんにお世話にならなくても自分でトイレが済ませるようになったと喜んでいました。忙しくされている看護師さんたちをベルで呼んでトイレに行くのが気づつないようでした。一段階ずつ回復していることを嬉しく思います。
一人で家にいると、自分に何かあったときどのように助けを求めればいいだろうかとか、私をたよりにしている妻はどうなるだろうかなどと考えてしまいます。そして独居老人の気持ちがわかるような気がしました。何とか妻が帰るまで健康でいなければと思いました。