2009年日記・トピックス

12月31日 大晦日
 今年もあと数時間になりました。大晦日は、女性軍はおせち料理づくりに大忙しですが、私たち男性軍はほとんど用事がありません。仕方なしにパソコンやテレビの番をしています。陽のあたる部屋で昼寝までしました。外の仕事をしようかとも思ったのですが、冷たい風がピュ^ピュー吹いているので外へは出たくありません。昨日までは納屋の屋根のペンキ塗りなど頑張ったので今日は休養日にしておきます。
 夜はいつものように紅白を観て、12時になれば近くの住吉神社へ初詣に出掛け、今年の行事(本当は来年にまたがっていますが)は終わります。明日の朝果たして初日の出の写真が撮れるかどうかお天気次第です。
 皆様よいお年をお迎えください。


12月26日 超音波歯ブラシ
 先日超音波歯ブラシをいただきました。歯磨きを少し付けて口に入れてみました。口の中で「ブーン」と鳴っていますが、柄が他の歯に当たると歯の治療時の歯を削る音に通じるひびきが頭全体に伝わってきます。また歯に当てているだけで効果があるのか、実際に歯ブラシを動かして磨かなければ効果がないのか分からず、使い勝手がよく分からないので不安です。だから3日に1回、これまで通り普通の歯ブラシで歯を磨いています。
 それで今日はインターネットで磨き方を調べてみました。歯の上を滑らせていくだけでよいということがわかり、今日からそのようなみがき方をしようと思います。それにしても1分間に30,000回も振動しているとはびっくりです。


12月25日 年賀状完成
 放送大学の仕事やグラウンドゴルフ部の当番や忘年会などがあり、昨24日まで忙しかったので25日までに年賀状を投函するのは無理だと思っていました。しかし、忘年会がお昼に終わったので、ビールの酔いを感じながら年賀状つくりに専念しました。先ずパソコンで住所の表書きを夕食までに終了しました。夕食後はテレビも見ずにひたすらデザインを考えました。原案を考えていたので私の分はそれほど時間をかけずに作りました。妻が絵手紙の原案を作ったので、それをスキャナーでパソコンに取り込み、それに文章を添えて作り上げました。そのあと妻の分を先に印刷し、続いて私の分を印刷しました。全部で450枚あったのですが300枚ほど印刷したところで遅くなったのでやめて寝ました。
 今日は朝から続きを印刷し、12時に全部完成しました。ところが数枚はがきが足りなくなりました。またペルーの甥に出すのに住所を手書きしかけたのですが、普段横文字を書くことがないのでうまく書くことができません。仕方がないのでパソコンで住所を紙に印刷し切り取ってはがきに貼り付けました。これは料金が分かりません。魚住の明石西郵便局へ行き、年賀状を出し、追加50枚を買ってきました。帰って追加分を印刷し、3時頃にやっと全部出し終えました。ところがあとで喪中のはがきを確認していると、中に2人うっかり賀状を出してしまった人がありました。あわててしたのが間違いでした。本当に申し訳ないことをしたと反省しています。


12月20日 第九演奏会
 今日は所属している明石第九合唱団の演奏会がありました。今年は明石市市制90周年ということで、明石フィルハーモニー管弦楽団(通称たこフィル)との共演でした。前座でたこフィルジュニアーがクリスマスメドレーなどを演奏しました。
 今回の指揮者は神戸大学大学院の教授でたこフィルの指揮者・斉田好男先生でした。これまでも学生の定期演奏会などで斉田先生の客演指揮を聴いていますが、斉田先生が指揮をされると生まれ変わったような合唱を聴くことがありました。だから今回もとても期待していました。明石に何度も足を運んでおられるので、私たちも当日のゲネプロを含めて6回指導していただきました。その内オーケストラとの合同練習が4回もあり、今までとは全く違っていろいろと指導していただくことができました。だから当日はとても気持ちよく歌うことが出来ました。聴衆の感想も余裕が感じられたということでした。たこフィルとの共演まで頑張って第九合唱団を続けるといっていたのですが、実現してみるともう少し続けたくなりました。
 グループいきいきネットの仲間も花束を持って聞きに来てくれ、感謝感激でした。


12月13日 信貴山・石切神社・ルミナリエのハシゴ
 一日予定のない日が出来たので、阪神電車が奈良まで開通したこともあって、来年の干支の寺・信貴山へ行きました。インターネットで調べると時間がかかることが分かり、往きは料金が高いけれども大和路快速を利用し、帰りに阪神電車を利用することにして出発しました。電車が時刻どおり運行されたので、11時に信貴山に到着しました。ツアーのようにせかされることもないので、ゆっくり本堂や宝物館、開山堂などをまわりました。大きな虎やお土産の虎、笑虎などさすがにいろいろな虎に出会いました。
 帰りはバスが出た直後だったので待合室で持参したおにぎりを食べながらそばにおられた方とお話ししている間に、一緒に歩いて下山することになりました。30分あまり下り坂を下っていくと、近鉄信貴山下駅に到着しました。改札を通るときに電車が入ってきたので飛び乗りました。生駒駅まで来ると次の駅が石切と書かれていたので、時間的に大丈夫であれば寄ってみようかということになりました。石切駅で下車し、駅員に尋ねると下り坂で15分ほどだといわれました。私はてっきり山の上に登らねばならないと思っていたので、それならと行くことにしました。途中で「陀羅尼助丸」が売っていたので買いました。よくテレビでこの坂道の商店街が映りますが、ここなんだと実感しました。石切神社でお参りを済ませ、往きに見つけていたおでん屋で温かくて美味しいおでんを食べました。
 難波行きの急行が速く着くといわれたのですが、乗り換えずに行ける尼崎行きの準急が来たのでゆっくり座って帰りました。ロマンスシートの車両でしたが、窓際の席に座っていると膝の裏側から異常に熱い暖房熱が出てきたのには参りました。尼崎では山陽電車の姫路行き直通特急が来たので乗りました。車内広告にルミナリエが明14日(月)までと書かれているのを見つけ、急遽三ノ宮で下車して東遊園地へ行きました。最後のお休みだったからかルミナリエの会場は大勢の人出でした。
 三ノ宮からJRで明石まで帰るとさらに料金が安くなるということなので、三ノ宮駅へ行きました。ホームに上がると丁度新快速電車が出たあとでした。次の新快速に乗ったところ、神戸駅でストップしてしまいました。何でも朝霧・明石間で人身事故があり、何時動くか見通しが立たないと車内放送がありました。それで、下車して高速神戸駅へ行き、再び山陽電車に乗って帰宅しました。山陽電車から見ていると垂水駅を過ぎたところで先発の新快速電車が止まっていました。もしその電車に間に合って乗っておれば、1時間半ほど車内に缶詰になるところでした。何が幸いするか分かりません。お陰で少しでも早く帰ることが出来ました。きっとルミナリエに来た人たちは帰りのJRが動かずに大混雑しただろうと思います。大蔵谷駅の西側で警察の車がたくさん止まっていたので、きっとそのあたりで人身事故があったのだろうと思います。いろいろと変化の多い一日でした。

   
信貴山の大虎                子ども110番の標識  石切神社山門    ルミナリエ

12月12日 友愛クラブ忘年会
 11時半から例会に引き続いて忘年会を開催しました。準備段階から慌ただしい日々でしたが、何とか開催時間には形が整いました。59名の会員の内41人が出席、例会は手短に済ませ、乾杯のあと懇談しながら食事をしました。各座席に番号を付けておき、景品の番号を読み上げながら、あたった人には何かやっていただきました。はじめの数人がカラオケクラブの人に偶然あたり、得意の歌を披露されたので、これまで歌ったことのない人も歌ってくださいました。ただし必ず何かしなければいけないというと次回からそれがいやで来なくなってはいけないので、断られた人は景品だけお渡しするようにしました。途中で景品が無くなってしまうと一遍に盛り上がりが無くなりなした。それでも最後までくじをすすめ、カラオケ部のほとんどの方は歌ってくださいました。お陰で30分あまり予定の時間をオーバーしましたが、司会をしていて何とか無事に終わりホッとしました。役員みんなで後かたづけを済ませると、もう暗くなっていました。欠席者に当日の御菓子を持参したり、年会費を集めたりしていると、6000歩以上歩いていました。あたたかで良いお天気だったので暖房も要らずよい一日でした。


12月9日 宮本武蔵
 今日は姫路歴史博物館で歴史講座「播磨人物伝」があり、テーマは宮本武蔵でした。講師曰く「宮本武蔵が播磨で誕生していても美作で誕生していてもそれほど問題にしなくてもよい。美作で育ったということだけははっきりしているのだからということでした。そして果たし合いが認められていた最後の剣豪の生き方ということが大切なのだということでした。
 宮本武蔵自身は著書「五輪書」の冒頭で播磨生国の武士とはっきり書いています。高砂で生まれ、美作の新免家に養子にいったというのが真実ではないかと話を聞いていて私は思いました。武蔵の養子・伊織ははっきり高砂の生まれで、泊神社修復時の棟札にはっきり書かれています。
 実は明日グループいきいきネットでこの高砂市米田町をウォークすることになっており、武蔵に関わる遺跡を訪れることになっています。偶然ですが、今日の学習が参考になりそうです。


12月5日 醤油プリンと醤油サイダー
 先日小豆島の歩き遍路に出掛けたとき、醤油プリンや醤油サイダーが売られているのを見つけました。どんな味がするのか試しに買って帰りました。今日息子夫婦が帰って来たので、一緒に食べてみました。プリンは濃厚な味でキャラメルのような味でしたが、かすかに醤油の香りがしていました。続いてサイダーを飲むと、プリンの味があまりにも濃厚だったので、普通のサイダーのような感じでした。それでも、二口、三口と味わいながら飲んでいると、こちらもかすかに醤油の香りがしていました。この様な新製品を作るとき、きっと醤油の量などずいぶん試作品を作ったのだろうと思います。その苦労を感じながら味わって食べました。
 先日買ったノコギリで、息子が生け垣を低く切ってくれました。いつも高い脚立に登って、ひっきりなしに通る車に気を使いながら生け垣の剪定をしていましたが、これで低い脚立の上で作業ができそうです。よく切れるノコギリを買っておいてよかったと思いました。


12月1〜2日 六甲山上でのんびり1泊
 妻の誕生日に六甲山スカイヴィラで1泊しました。いつもは割引券の期限ぎりぎりの4月に出掛けるのですが、今回は12月に使いました。割引券は3000円、2000円、1500円の3枚あり、1冊になっています。フロントはいつも4月に行くのを知っているので、今回は1500円と2000円の2枚を使うようにしていました。4月に同じような割引で使えるように配慮してくれたと善意に解釈しておきます。
 4月末頃の平日に行くと、客は3〜4組しかいなので、夕食はバイキングといっていても和会席になってしまいます。しかし今回はかなりにぎわっており、バイキングでいろいろな料理を楽しむことが出来ました。いつもは生ビールですが、今回は妻に敬意を表して冷酒で乾杯しました。温泉は女性客が多かったためか男性はいつもと違って中浴場でしたが、のんびり入ることが出来ました。
 六甲山上の紅葉はもう時期が遅いと感じられましたが、帰りに寄った三木の伽耶院は見事でした。帰りにノコギリを買い、午後からは庭の植木を切りました。正月までに少しはすっきりさせたいと思います。


11月24〜25日 西江井友愛クラブ親睦旅行
 心配していた風邪もほとんど回復し、親睦旅行に参加しました。天気予報では1日目はお天気がもつものの、二日目は雨といわれていました。そして朝から曇り空でした。集合時間より早く大勢の人がバスに乗車、私はビリから2番目でした。集合時間に遅れた者もいましたが、予定より早めにバスが出発、予定の男女それぞれ10人の20名が一路倉敷へ向かいました。倉敷の食事会場に到着後トイレを済ませ、三々五々倉敷美観地区を散策しました。平日というのにずいぶん大勢の人が訪れていました。昔の風景に心和ませながら50分ほどのんびり散策しました。
 食後、集合写真を撮った後、バスに乗り込み、三朝温泉へ向かいました。途中お菓子屋に寄りましたが、倉敷でもお菓子屋でもしっかり買い物をしておられました。山々は紅葉していましたが曇天なのでくすんだ色だったのが残念でした。それでも雨が降ることなく目的地に到着できてよかったと思いました。
 清流荘では早速温泉に浸かって体を温め、夕食会場で宴会を始めました。私は病み上がりだったのでアルコールは出来るだけ控えようと思っていたのですが、ビールを結構飲んでしまいました。途中から私の担当のカラオケを始めました。とぎれることなく、皆さんが次々リクエストしてくださったので助かりました。途中で年配の方がカラオケは出来ないけれどと言って無伴奏で「誰か故郷を思わざる」を途中で一息入れながら3番まで歌われました。このときばかりは私語をする人もなく、静かに聞いたり一緒に歌ったりしていました。だからとても印象的でした。再びみんながカラオケで歌った後、最後に先程の人が、昔詩吟を村の人たちと習ったことがあると語られ、吟じられました。そして一人暮らしだし、高齢で杖を必要とする身になってこの様な旅行に参加できたことを感謝の言葉とともに喜びを語られました。これには旅行担当をはじめ役員一同、本当に旅行を3年ぶりに実施してよかったと思いジンとなりました。
 男性は宴会後カラオケがあるラウンジへ行ったり、飲み過ぎて即床に入ったりしました。女性は12時近くまで楽しくおしゃべりをしておられたそうで、こんなに遅くまでおしゃべりして本当に楽しい旅行だったとはなされ、役員一同再び感激してお話を聞いていました。
 二日目は雨といわれていたのに夜中の内に雨が降り、朝には雨も上がり日差しが見られました。紅葉も美しく輝いていました。帰路は漁港へ寄り、一夜干しイカなどを買い、鳥取砂丘まで行きました。ここで砂の美術館を見学しました。砂にのりを混ぜて作ってあるのだろうとみんな考えていましたが、ぬらした砂をしっかり固めてあるだけということを聞き、驚きと不思議さで見学しました。その後一部の人はリフトで砂丘まで行ってきました。
 食事を済ませた後買い物をし、再びバスに乗車、豆腐で作ったちくわなどを売っている店へ行きました。ここでも結構買い物をし、予定どおり16時に帰ってきました。
 私たちは「友愛クラブの名に恥じないように支え合って旅行に行こう」と呼びかけ、杖や手押し車でも安心して参加できるように配慮しました。それに応えて年配の女性の方々にも参加していただき、これが老人クラブの姿だと確信しました。来年もこの様な親睦旅行が出来ればと思います。

  

  

11月23日 ついに風邪に感染?
 土曜日は朝早く起きてラジオ講座を聴き、ホームページに入力し、朝食後から、暖房のない部屋で昼まで午前中、放送大学の感想文の返信を作成しました。午後からはスクールガードの見守り活動、屋外の仕事をし、夕方は自転車で政治家の報告会を聴きに行きました。超満員の盛況でした。夕食後感想文を再び読み、夜半まで返信作成をしました。
 日曜日は朝から体がだるく、起きるのがおっくうでした。それでも放送大学の仕事を済まさなければならず、この日は暖かい部屋で感想文の返信作成をしました。午前中はたまらず1時間ほど蒲団に潜り込んで眠りました。午後からは地域のHP委員会があったのですが、風邪を移してはいけないと思い断って蒲団にいましたが、仕事のことが気になって眠れず、再び起き出して仕事の続きをしました。何とか夕食までに一通り作成することが出来ました。夕方からの第九合唱団の練習も欠席し、夕食後は風呂も入らず早々と床につきました。
 そして今日日曜日は少し気分も戻っていたので、昨日までに作成した返信文を推敲しました。途中で少し休みましたが、それほど体調も悪くならず、さらに単信課題を間違って往復葉書で提出した人の返信を作成するためにインターネットで講座を聞き直し、返信作成をしました。夜にプリントアウトをし、認め印を押し、提出できるようにした後、早めに風呂に入って眠りました。
 風邪を引きかけましたが、高熱も出ず無事に売薬でおさまったのでホッとしました。どうやら新型インフルエンザではなかったようです。


11月16〜17日 いなみ野学園同窓会
 私と一緒にいなみ野学園を卒業した地域活動指導者養成講座16期福祉コースの皆さん15人と一緒に小豆島へ1泊旅行に出掛けました。昨年は地域活動の日と重なり、欠席したため皆さんに大変迷惑をおかけしてしまいました。
 姫路港発のフェリーの中で缶ビールをいただき、楽しく語らいながら昼食を済ませ、福田港に到着後、明日は雨という天気予報なので、予定を変更して寒霞渓ロープウェイ乗り場へ向かいました。ロープウェイで往復する乗客を優先してくれ、効率よく乗車、山上でも展望台をめぐり十分紅葉を楽しむことが出来ました。とくに岩と紅葉のコントラストが素晴らしく、くもりぞらでやや色がくすんでいたのは残念でしたが、それでも日本三大渓谷美の一つといわれるだけあって絶景でした。
 下山後迎えのバスで国民宿者「小豆島」へ直行、温泉で温まったあと、夕食とカラオケで楽しみました。2次会は部屋で新酒を傾けながら11時半までそれぞれの活動の紹介など楽しく聞かせてもらいました。
 翌日は天気予報どおり朝からかなり雨が降っていました。10時まで宿でゆっくり過ごし、バスで二十四の瞳の分教場や映画村を見学しました。映画村では高峯秀子主演の「二十四の瞳」が上映されており、30分ほどなつかしく鑑賞しました。そのあとオリーブ公園へ行きました。みんなが買い物をしている間に地元の製麺所でおすすめの素麺購入の交渉に行きました。ところが本日の太めの素麺の販売量はあとわずか、半生うどんもわずかしか残っていませんでした。みんなを案内している間に売り切れてしまってはいけないと思い、その場で残っているものを全て買い取ってバスに持ち帰りました。そのあとバスで寒霞渓山上の食事を予約している店に再び行き、ゆっくり昼食を摂りました。食後は大阪城の残石公園へ行くのをやめ、つくだ煮屋へ行きました。私は佃煮ではなく、オリーブチョコレートの試食をしました。
 お土産ののりの佃煮とオリーブのハンドクリームをもらって福田港へ、港でほろよい酒饅頭を買って乗船しました。船の中で、買っておいた素麺とうどんを希望者に分けました。割り切れなかったので多少多めに値段を付けたため、50円余分のお金が生じ、会計の余剰金に入れてもらいました。そのあと姫路港に着くまでぐっすり眠ってしまいました。
 皆さん本当に明るく愉快でとても楽しい旅でした。再会を約束し、姫路駅前で解散しました。

  
寒霞渓の紅葉
  
                                                      分教場の中

11月14日 小学校の同窓会
 卒業59年目の同窓会が神戸中山手の郡愛飯店でありました。140人あまりが一緒に卒業しましたが、物故者が20人を超え、行方不明、案内状不要という人、返信をしてこない人もいて、前年度返信のあった46人に案内状を発送、返信42通、その中で出席者は16名ということで、同窓生の1割強ということでした。大半は毎回出席で、私のように参加できるときだけというのは希で、10年以上欠席で久しぶりという人も2人ほどいました。
 東京近辺に在住の人たちは東京で同窓会をしているとのことで、あわせると2割以上の出席ということになります。ゴルフコンペなどを通してよく出会っている人も多いようですが、神戸の山手にある名門小学校だったので、私のようにグラウンドゴルフを楽しんでいる田舎者は2人だけでした。
 来年は卒業60年ということで、新たに多くの人たちが集まるのではないかと思います。


11月8日 もみじ狩り
 今日は地域のスポーツフェスティバルが雨天になったときの予備日になっていました。したがって同窓会のお誘いもあったのですがお断りしていました。しかし、前日にスポーツフェスティバルが無事実施されたので、この日の予定はぽっかり空きました。そこでもみじ狩りに出掛けることにしました。
 紅葉の有名な遠方も考えられたのですが、ETCを付けていない私は、みんなが1000円で走る高速道路を沢山お金を払って走るのは気が進まないので、とりあえず戸倉峠を目指して国道29号線を北上しました。途中で山崎の農協販売店で農産物を購入しました。ところが波賀町にはいると道端の楓が既に紅葉しているではありませんか。そこで急遽、紅葉がきれいだと言われている原の「不動の滝」へ行きました。無料の駐車場には終車スペースが少しありました。沢山の人々が訪れてましたが、見事な紅葉でした。階段を上って展望台にも行ってみました。
戻る道端の店でアマゴの塩焼きを買って食べました。骨も柔らかく残すところもなく焼きたてのアマゴを味わいました。駐車場に戻ると駐車場に入りきれない車の大行列に驚き、早く来てよかったと思いました。
 そのあと道の駅で買ったおにぎり弁当をもって引原ダムまで行き、野外活動センターへ通じる道に車を止め、湖面や紅葉を見ながらお弁当をひろげたり、写真を撮ったりしました。そのあと堆肥を作るために道路上の桜の葉をゴミ袋に3袋集めました。その間ラジオが聞こえるところに移動して明石から放送されているのど自慢を車で聞きました。残り3人ほどしか聞けませんでした。
 続いて千種の方へ行こうとしたのですが、ダムの上を歩いている人影が見えたので、車を止めてダムの上を歩き、対岸へ行きました。国道を何度も走っていますが、対岸へ渡るのは初めてです。見晴台まで登りましたが、ダムを造るときのいろいろな跡が残っているのを初めて知りました。ダムを造るときの住民の思いも伝わってきました。記念碑に書かれた「すすむ世の ためとてあはれ さざなみの そこに消えぬる 引原の郷」は住民の気持ちそのものだと思いました。
 道の駅まで戻ったあと、千種へ向かいました。峠道の紅葉を見ようと思っていたら、トンネルが出来ていて、あっという間に千種に着きました。道の駅で休憩をとったあと、新宮の道の駅まで戻りました。楽しみにしていた農産物の店はもう閉店していました。
 きれいな紅葉を見、新鮮な野菜を買い、さらに堆肥の材料も手に入れ、楽しく有意義なドライブが出来ました。

  
不動の滝と色づいた楓                         対岸から見た引原ダム

11月7日 第31回江井ヶ島スポーツフェスティバル
 以前住民運動会といっていたスポーツフェスティバルが小学校のグラウンドでありました。私は老人クラブの役員をしているので、7時半までに会場へ行きました。既に軽トラックに積んだ地区のテントや椅子が届いていました。7時に地域の倉庫から運び出されたそうです。早速シートを敷き、その上にテントを協力して建てました。柱が6本ある大きなテントなので、柱を立てるときにいつも使わない筋肉を使ったのか、夜になった今も肩にこりが残っています。8時過ぎには地区の観覧席は整いました。
 私たちは地区のお世話をするだけで良いのですが、自治会の役員は全体の準備や進行、道具の準備など大変だったと思います。お陰で一日楽しませてもらいました。この様な運動会を31年間も続けているというのですから本当にすごいと思います。ちなみに私が参加するようになったのは2年前に老人クラブの役員になってからで、いかに地域との結びつきが希薄であったかということがよく分かります。
 もっとも盛り上がったのは、地区(自治会単位)対抗のリレーです。これだけは昔と変わりません。私たちは高年クラブ対象の借り物競走です。事前に説明が無く突然に競技に入ったので要領が分からず、第一組に出された「めがねをかけた人を連れてきてください」という言葉を聞いて約半数の出場者が探しに出掛けてしまったので5組まで問題があったはずなのに、3問目でみんな終了してしまいました。私も5組だったのに1問目で動いてしまいました。4問目を出題しようとした担当者が出場者がいないことに気が付ききょとんとされていました。
 午前の部と午後の部の終わりに抽選会がありました。地域の企業や商店が協力して賞品が沢山準備されていました。しかし、今年も何も当たりませんでした。この様なくじに当たったのは、これまでに2度、いずれも自転車です。1度目は20年ほど前に参加した須磨区内のウォーキング大会で、ブリジストンのママチャリでした。2度目は10年ほど前、職員旅行で道後温泉へ行ったとき、俳句を投句したら電動アシスト自転車があたりました。それ以降は宝くじも年賀葉書も末等が少しあたるだけです。いつも夢だけで終わります。
 自治会や地区高年クラブから参加賞として昼食代(食券)をいただき、さらに準備や後かたづけの謝礼としてさらに食券をもらい、競技に出た参加賞で金券をもらったので、当日中に使わなければならず、山菜おこわやサッカー汁(豚汁をサッカー部が販売している)などいろいろ買って食べたり飲んだりしました。運動会で肥えて帰ったのではないかと思います。


11月6日 大輪の菊
 今年も妻が1年かけて育ててきた大輪の菊や小菊が庭で咲き誇っています。見ていて本当に世話が大変だと思いますが、こうしてきれいに咲くとやっぱり世話をする甲斐があるのだなと思います。妻曰く、今年は十分な世話が出来なかったので、花も小さく、葉もまばらで、その上今年は青虫(蝶の幼虫)の大発生で葉を虫に食われて不出来だといっています。この時期になっても蝶が沢山飛び交っていて、菜園のダイコンやほうれん草の葉にたくさん幼虫が付いています。無農薬を信条にし、農薬で駆除していないので、その幼虫が菊にもとりついたのだと思います。しかし私から見れば立派な出来映えだと思い、グラウンドゴルフの仲間にも見てもらっています。

  

11月4日 火災報知器
 住宅の火災報知器設置は既に義務化されています。我が家は2ヶ月ほど前に息子に頼んで無線連動の煙感知器3台をつけてもらいました。パナソニックのこの機器は近くのホームセンターでは25,000円くらいで売ってていますが、インターネットで取り寄せ15,000円ほどで買ってくれました。屋内配線の資格を持っている息子がいることはとても有り難いことです。といってもこの機器は電池なのでとくに配線の必要はありませんが、安心してまかせられます。
 その親機を台所のコンロ近くの天井に取りつけています。だから換気扇をまわさずに油を使った炒め物をすると感知器が「ウ〜、ウ〜火事です!火事です!」と鳴り出します。妻は取りつける位置が悪いから誤作動をする」と言いますが、私は何日かに一度この様な薄い煙にも反応する感知器を頼もしく感じ、安心の証だとうれしく聞いています。


11月3日 叙勲と写経
 朝刊に秋の叙勲受賞者が掲載されていました。そこに3人の知人の名を見つけました。一人はいま第九合唱団で一緒に歌っている方です。今度の練習日に是非お祝いを言いたいと思います。あとの二人はいろいろな場で一緒に仕事をした人です。早速庭の菊の花を撮影し、絵はがきを作ってお祝いのお手紙をさし上げました。
 午後からは、明石市太寺山高家寺の写経に出掛けました。8月〜10月の間いつも別の用務と重なり行くことができなかったので、4ヶ月ぶりの写経です。その間、家でも写経をしませんでした。そして、心せわしい月日だったように思います。やはり、時間を見つけて家でも写経をし、心静かな時間をもつように努めることが大切だと思いました。


11月1日 聲明を鑑賞
 兵庫県立芸術文化センター大ホールで天台宗と真言宗の聲明を鑑賞しました。この様な催しを聴きに行く人があるのだろうかと思いましたが、あの大きな大ホールが満席でした。私も感動しましたが、終演後皆さんも満足そうだったのですごいなと思いました。
 まさに男声合唱という雰囲気で始まった和讃は深く力強い声に圧倒され、見事なハーモニーを奏でていました。これは私たちがこれまで経験してきた西洋音楽の合唱とは全く違った美しさでした。それにお寺で聞く太鼓や鉦が加わるのですから雰囲気がいっそう盛り上がります。
 やがて武智由香という作曲家が西行の和歌を作曲し、龍笛、笙、箏、十七弦、そして女性の深い声の独誦、そして僧侶の独誦や和讃が加わり、小さな笙の音や声も大ホールいっぱいに広がり、本当に素晴らしい聲明でした。ただ、座席が三階の二列目だったため、客席の中で謡っていた僧侶や太鼓・鉦を見ることができなかったのが少し残念でした。


10月25日 HP「江井ヶ島ネット」制作打合会
 午後から地域のHP「江井ヶ島ネット」制作打合会がありました。トップページやスポーツ21に関するページの試作を見せて頂きました。さすがに専門家は見事に作っておられ、感心しました。私はやはり情報提供ぐらいしかお役に立てないなと思いました。
 今日は誰が見るかということから、見る人の立場、見る人の目線で制作するという基本が確認されました。このことはコミュニティのHPとしてはとても大切なことだと思いました。
 最終的には高年クラブのページの原案を考えることを引き受けて原稿を持ち帰りました。早速試案を作ってみましたが、あまりにも資料が少なくて思うようにはかどりません。明日にでも単位高年クラブの会長に相談してみたいと思います。



10月24日 従兄弟の葬儀
 私と同学年の従兄弟が亡くなり、今日葬儀がありました。父が5人兄弟、母が4人兄姉だったので、それなりに従兄弟がいます。年上は女性がほとんどで、兄を含めても男性は2人いるだけではないかと思います。幸い私の兄弟は乳幼児期になくなった弟二人を除くと4人とも夫婦とも健在です。年上の従姉妹も主人の無くなっている人がたくさんいるので、いよいよ自分もそろそろ順番が回ってくる頃かななどと思ってしまいます。
 先日ある本を読んでいると、特段の病気を抱えていない者は自分の死について現実的に考えていない、自分はいつまでも生きているという気持ちでいると書かれていました。私も小豆島の歩き遍路を終えればもう一度四国歩き遍路に出掛けてみたいなどと考えているのですから、やっぱりいつまでも生きていると考えている一人なのかなと思いました。この様に健康な日々が送れるのも、高齢者放送大学や地域社会でいろいろな生きがいにつながる役目を与えられ、日々魚と野菜中心の妻の手作り料理を食べさせてもらっているからではないかと感謝しています。


10月14日 歴史教室「姫路城現地探訪」
 兵庫県芸術文化協会主催の「歴史講座姫路校で受講していますが、今回は姫路城の現地探訪でした。といっても姫路城の歴史や城内の説明ではありません。
 @喜斎門口(喜斎門跡・長壁神社)→A下山里丸(最古の石垣・石垣の積み方)→B千姫ぼたん園(鷺山)→C大手門と桜橋(よき門と槌門)→D清水門跡(鷺の清水・桜井源兵衛の墓・船場川改修記念碑)→E男山(水尾神社・千姫天満宮・男山八幡宮・男山配水池)の順に説明を聞きながら歩きました。
 姫路城には何回も来ていますが、説明を聞いていると知らないこと、いつも通っていながら気がつかなかったことがいかに沢山あるか思い知らされました。千姫の小道も一度通ったことがありますが、こんなにきれいだったのかと感心したり、新しい発見が沢山ありました。
 帰りに土産物屋の裏側をのんびり歩きました。振り返ると姫路城が昨年建てられた土産物屋とマッチして美しく浮かび上がっていました。姫路城のこの様な景色を見るのは全く初めてで、人通りも少なく穴場だなと思いました。
 来年には天守閣が覆われ、平成の大修理が行われるためか修学旅行生が沢山訪れていました。外国人観光客が多いのを見てさすが世界遺産なんだなと思いました。
  

外国人学校生の記念撮影            男山から見た姫路城全景           土産物屋裏から見た天守閣

10月12日 華夏(ホワシャ)オーケストラ定期演奏会
 中国民族楽器で編成された日本唯一の華夏オーケストラの定期演奏会が兵庫県芸術文化ホールの大ホールで開催されました。招待券をいただき、2階席の中央一番前の席で聴きました。いなみ野学園の卒業生が二胡演奏を身につけ、腕を上げて指揮者の真ん前で演奏されているのには感動しました。当日3人の中国本場のゲストが演奏されましたが、素晴らしい演奏でした。中国人の指揮者がいなみ野学園で講演されたことがきっかけで、今もってこの様な素晴らしい演奏会を聴くことができることを幸せに思っています。


10月10日 元町から修法が原、そして布引の滝ハイキング
 家を9時半頃出発、たこバス経由で大久保駅からJRで元町へ、西口から県庁前を通って諏訪山公園で一服したあと準備運動をしてハイキングを始めました。先ず諏訪稲荷で今日の無事をお祈りしました。しかしこれが間違い、狐に騙されてヴィーナスブリッジの方へ進んでしまいました。道を間違えても何とか行けるだろうとヴィーナスブリッジを渡り、そこからドライブウェーにでて再度谷への道を探しました。幸い直ぐに標識を見つけ、いつもの道へ出て大師道を登ることができました。12時過ぎに猩々池に到着しました。本来ならここで昼食するところですが、大龍寺まであと少しなので我慢して登りました。大龍寺本堂前の階段下にギンナンの実がたくさん落ちているのが見えました。本堂で般若心経を唱えたあと境内のベンチで弁当を使わせてもらいました。そのあと袋とお箸をもって階段を下り、ギンナンの実を100個拾いました。それらをつぶれて匂いが出ないように弁当箱などに詰め込み、しっかり袋にしまってリュックに入れました。というのは、木曜日に10個ほど兵庫の神社で拾って大きな袋に入れ、リュックに詰めていたのですが、弁当箱などに押しつぶされて、リュックの中の物が全部臭くなってしまったからです。
 そこから修法が原へ行き、池を巡ったあと市が原を経由して新神戸駅方面へ下りました。途中布引の滝に寄りました。台風が通過したあとだったためか水量が抱負で、見事な滝の景色を見せていました。
 それにしても今回の台風の影響か、木の枝が沢山道路に散らばっていて、いろいろな木の実が観察できました。今日の歩数は21,500歩でした。22日からの小豆島遍路道の難度は★4個の山道ですが、良い訓練になりました。
   

大龍寺境内                   色づき始めた木々                     布引の雄滝

10月4日 叔母の法事
 私の両親の兄弟の中で、最後まで健在だった大正2年生まれの叔母が亡くなり、納骨の法事がありました。通夜も葬儀も列席できなかったので、今回は出席させて頂きました。朝7時過ぎ西明石発の新幹線で新尾道まで行き、そこで迎えてもらって三好へ行く道の途中にある宇津戸の観音寺まで行きました。ここ宇津戸は私の祖父の生まれ故郷で、先祖や祖父母のお墓があります。両親の墓は神戸の鵯越墓園にあるので、そちらへは年4回墓参をしても、こちらの先祖の墓には法事があるときしか墓参することはありません。今回も叔母の法事の前に墓参させて頂きました。
 亡くなった叔母は、私が小学校2年生の時、当時住んでいた神戸の空襲が激しくなり、広島県の市村に疎開したときにお世話になった方です。疎開しているとき、赤痢になったりしたので、本当にお世話になったのです。その後もつい最近まで鯛の浜焼きや大長ミカン、桂馬の蒲鉾など、名物を毎年送って下さっていました。昨年お見舞いに行ったのが最後でしたが、その時も意識がはっきりしたときはとても喜んで下さいました。
 これで、私たちの姉弟の年代が一族の中でもっとも年長になってしまいました。しかし、私は従兄弟の中ではまだまだ若い方です。
 夕方5時からカラオケグループの会合があり、先に始めてもらうようお願いしていましたが、尾道を昼食後出発したら、4時過ぎには帰宅していました。やはり新幹線は速いなと改めて感心しました。新尾道はこだま号しか停車しません。4〜6両編成のこだま号ですが、一列4人がけの実にゆったりした座席です。その点帰り岡山から乗ったひかり号は1列5人がけだったので窮屈に感じました。時間がかかってもこだま号に乗る方が良いなと思いました。


10月1日 認知症講座
 1〜2ヶ月に1回、江井ヶ島地区在宅サービスゾーン協議会主催で、「いきいき生活塾」が地元の自治会館で開かれます。ここ3回ほどは認知症の理解に関する講座が続いています。今まではお医者さんの話だったので、物忘れと認知症の違いなど、医学的な話でした。
 今回は認知症家族・あった会世話人多田矩子さんの体験談でした。お義母様の看病で、昭和47年から平成2年までの長期にわたる認知症の看護経験に基づく感動的なお話でした。
 認知症患者自身の心の理解、看護する人の患者への対応、看護している人へのまわりの者の心遣い、看護人自身のストレス解消など学ぶところが沢山ありました。自身の体験から導き出されたものだけあって、説得力のある内容でした。
 配られた資料の中に、認知症患者になってしまったときの切なる願いが書かれた文章があったので無断で掲載します。

「手紙−親愛なる子どもたちへ−」
 年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしても どうかそのまま私のことを理解して欲しい
 私が服の上に食べ物をこぼしても 靴のひも結びを忘れても あなたにいろんなことを教えたように見守って欲しい
 あなたと話すときに 同じ話を何度も何度も繰り返しても その結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しい
 あなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末は いつも同じでも私の心を平和にしてくれた
 悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと 励ましのまなざしを向けて欲しい
 楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったり お風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しい
 あなたを追い回し 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけて いやがるあなたとお風呂に入った なつかしい日のことを
 悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に 祝福の祈りを捧げて欲しい
 いずれ歯も弱り 飲み込む事さえ出来なくなるかもしれない
 足も衰えて立ち上がる事すら出来なくなったら あなたが か弱い足で立ち上がろうと私に助けを求めたように
 よろめく私に どうかあなたの手を握らせて欲しい
 私の姿を見て悲しんだり 自分が無力だと思わないで欲しい
 あなたを抱きしめる力がないのを知るのはつらい事だけど 私を理解して支えてくれる心だけをもっていて欲しい
 きっとそれだけでそれだけで 私には勇気がわいてくるのです
 あなたの人生の始まりに私がしっかりと付き添ったように 私の人生の終わりに少しだけ付き添って欲しい
 あなたが生まれてくれたことで私が受けた多くの喜びと あなたに対する変わらぬ愛をもって笑顔で答えたい
 私の子どもたちへ
 愛する子どもたちへ


9月29日 雨に降られたグラウンドゴルフ
 昨日のグラウンドゴルフは準備の始まる頃から雨が降り出し、早々に中止になりました。しかし、何時もゲームを始める頃のは雨はやんでいました。今日は改めてしきり直しで準備が整い、ゲームを始めようとしたときに、また雨が降り出しました。空全体が雨雲に覆われ、みんな濡れ鼠になって道具を片付け、急いで帰りました。しかし30分もしないうちに雨は上がり、それ以降もずっと曇っていましたが全く降りませんでした。次回は10月1日なので、忙しかった9月は7回の内2回参加しただけです。10月6日には全市から集まる秋の大会がありますが、きっと最悪の成績でチームの足を引っ張ることになるでしょう。


9月28日 同窓会
 いなみ野学園15期生の同窓会に参加しました。45名のメンバーの内、卒業後6年の間に男性ばかり3名が亡くなりました。そして42名中27名の出席者を数えました。和気藹々の雰囲気は元気である限り長続きすることは間違いないだろうと思いました。今回は鹿島殿と近場で開かれましたが、集合時間も11時30分だったので高齢に向かうメンバーにとっては参加しやすかったのではないかと思いました。
 今後いろいろな企画をする上で参考にしたいと思いました。


9月27日 またまた忙しい一日
 昨日は神戸新聞社主催の「地才地創シンポジウムin但馬」が豊岡であり、朝から出掛けました。したがって放送大学を聴くことができませんでした。そこで、今朝は6時前に起き、録音しておいた講座を聴き感想文をHPにかき込みました。そのあとすぐに朝食を済ませ、地元地区の清掃作業に行きました。私は江井ヶ島海岸の木の根元に生えている草刈りをしました。8時から始めたのですが、老人クラブの仲間が一昨日亡くなり、葬儀が12時からあるので10時には作業をおかなければなりませんでした。10時になったとき、草を刈ったところでまだ袋に入れて運ぶところまではいっていませんでした。仕方なく草はそのままにして家に帰り、さっと風呂で汗を流して着替え、簡単に昼食を摂り、11時20分発の送迎バスに乗り込みました。
 帰宅したのが13時35分、すぐに着替えて今度は自転車で小学校へ行きました。、地域のHP作成準備の集まりで、20分ほどの遅刻でした。パソコンに「ホームページ・ビルダー13」がインストールされていて、プロバイダーをどこにするか検討中でした。詳しい方が比較表を作ってくださっていました。検討の話を聞いていて、先日来ケーブルテレビが盛んに勧誘に来ていましたが、速度が他に比べ極端に遅いことがよく分かりました。HPのトップページもたたき台を作っておられ、それを試しにホームページ・ビルダー13で作っておられるのを見て、私の5年前の「8」のソフトよりずいぶん進化しているのに驚きました。私も「13」にグレードアップしなければと思いました。
 家に帰ったのが4時すぎ、すぐに作業着に着替えて再び海岸へ。草を6袋に入れて、集積所まで手で提げて運びました。帰りが遅いので妻が様子を見に来て、運ぶのを手伝ってくれました。再び風呂で汗を流し、夕食にビールを飲みました。ビールも料理も最高の味でした。明日はきっと体のあちこちが痛くなることでしょう。


9月20日〜22日 乗鞍岳3026mの登山
 朝7時に息子夫婦が車で迎えに来てくれました。乗鞍高原まで1000円で行こうという訳です。中国自動車道から名神、東海北陸自動車道を通って清見ICまで1000円、ETCの効果はすごいなと思いました。渋滞しているところもありましたが、18時に乗鞍高原すずらん小屋に到着しました。この宿舎は今の皇太子が10歳くらいの頃、当時の皇太子と美智子様とご一緒に宿泊されたところです。翌日朝から乗鞍岳の剣が峰3026mに登るということなので、アルコールも自重して早めに休みました。
 翌朝起きると、雲一つない絶好の日和、宿舎の前の楓が紅葉しかけていました。7時に食事を済ませ、宿舎すぐそばの観光センターから低公害のシャトルバスに乗ることにしました。バス乗り場には長蛇の列、それでも4台目のバスに乗車できました。向かうのは畳平、2日前に熊が観光客を襲い、けが人が沢山出たところです。前日のテレビで、他に熊がいないか厳重に警戒しているとのことだったので、かえって安心でした。
 畳平が近づくにつれ、木々は見事に紅葉していました。草紅葉も見られ、目を遠くに向けると澄み切った青い空に穂高や槍が岳などが遠望できました。
 歩き遍路のときと同様、準備運動を念入りにして、剣が峰の登山口に向かいました。畳平が既に標高2700m程あるのですが、少し歩くと離れたところに剣が峰がそびえていました。何しろ3000m級の山に登るのは初めてなので、全く自信がありません。最後の山小屋を出発すると、足場の悪い急坂にかかります。最初の50m程は1歩1歩ゆっくり登りました。しかしすぐに息切れしてきました。息子達は気を使ってくれたようで、はるか後ろの方をカメラで景色や草花を撮影しながらゆっくり登ってきます。だから焦ることはなく、10m程登っては息を整えるというゆっくりペースで急坂を登りました。私にとっては空気が薄いためかすぐに息切れしてしまい、なかなか前に進みません。休み休みしながら何とか剣が峰手前の蚕玉岳頂上にたどり着きました。ここまで来ると剣が峰はすぐそこに見えます。
 はるか後ろの方を登っていると思っていた息子達もすぐ追いついてきました。私がよほど時間がかかったのだと思います。剣が峰へ向かって再び登り始めました。少し長めの休息をとったお陰で多少余裕ができました。それでも空気がますます薄くなったようで、あえぎながら登りました。とくに写真を撮ったあと息苦しさを感じます。きっとシャッターを切る間息を止めているようです。平地では全く気づかなかったことです。何とか頂上にたどり着いたとき3026mの標識が目に入り感動でした。あとから登ってきた息子に3026mの標識と一緒に記念撮影をしてもらいました。今後この様な高い山に登ることは二度とないと思います。
 下りは足下に気をつけながら余裕で下ることができました。だから道端の花を撮影する余裕がありました。しかし、撮影のあとの息苦しさは畳平におりてくるまで続きました。
 2日前に熊が暴れ込んだ売店にも寄りましたが、何の痕跡もありませんでした。帰りもバスが7台ほど並び、順番に乗車しました。沢山の観光客に驚きました。バスの中から紅葉を撮そうと思いましたが、景色が流れ、うまく撮れませんでした。夕方5時過ぎに宿舎に帰り着き、ゆっくり温泉に浸かってから夕食の席に着きました。山頂を征服した満足感もあって生ビールがとても美味しく感じました。夜は疲れもあって早く眠ってしまいました。いつもだと夜中に何度も目が覚めるのですが、7時間半ほど熟睡していました。それだけにかけ流しの濁り湯の朝風呂は最高でした。
 朝食の頃には雨が降り出したので、高原の散策を中止して富山方面へ国道を走り、何軒か道の駅に寄って、特産品などを楽しみ、北陸道で敦賀まで行き、小浜から再び高速道路で帰ったので、渋滞に遭うこともなく、順調に帰ることが出来ました。本当に素晴らしい旅でした。

  
熊が暴れた畳平                 まだまだ剣が峰は遠くに聳えている      観光客が行列で登る手前の山
  
蚕玉岳頂上で剣が峰をバックに撮影  剣が峰頂上で      草も見事に紅葉


9月19日 三悠会総会
 現役時代のつながりである三悠会の総会が篠山市の王地山公園ささやま荘でありました。全員で70名あまり会員がいますが、出席者は17名と少し淋しい感じがします。総会は形式的ですが、会計を4年間担当していたので、結構多くの時間と頭を使いました。何とか無事に任務を終え、ホッとしました。総会のあと、篠山城築城に関わる歴史を庶民の苦労という面からとらえた話を聞きました。築城に関しては城主の戦に関わる話として聞くことはありますが、この様に石垣の大きな石を運ぶ庶民の苦労や犠牲について聞くのは初めてでした。とても意義のある研修会でした。
 そのあと、懇親会がありました。会計と共に事務局を預かっていたので、引き継ぎの書類が重かったことと、最近アルコールを過ごすと腹の調子が悪くなるので自重する意味もあって自家用車で参加しました。会場にはアルコール0%のビールが準備されていました。あまり美味しいものではなく、ビールのように何杯も飲めるというものではありませんでした。料理は松茸の土瓶蒸しや天ぷら、炊き込みご飯など、松茸づくしでした。あまり香りがないので「どこ産の松茸?」と料理を運んでくる若い女性にたずねると、笑って答えてくれませんでした。翌日篠山の松茸1本が35万円で落札と新聞に出ていたので、笑ってごまかした意味がよく分かりました。私も3年前に総会や研修会、懇親会のお世話をしましたが、大変だということがよく分かるので、できるだけ参加しようと思っています。
研修会講師の酒造貢氏

9月15日 先生にほめられた川柳
 川柳教室に平成16年から通っていますが、毎回兼題で詠んだ句の互選があります。はじめは数人でしたが、今は40人ほど在籍し毎回36〜7人出席しています。だから私の奥の浅い句が先生の選ばれる3句にはいることはありません。ところが今回どうしたことか「月蒼く手の温もりがよみがえり」という私の句を選ばれました。それも選ばれた3句の中で一番良いと評価してくださいました。仲間からは一人しか選ばれませんでしたが先生に選ばれるとやはりうれしく思いました。「月蒼く」という発想がよいといわれましたが、私は「月がとっても蒼いから……」からの発想なので、先生がおっしゃるほどの値打ちはありません。どうも最近女性のカラオケに親しんでいるので、この様な発想がすんなり出てしまったようです。


9月10日 早朝から夜まで一日頑張りました
 朝7時前にグラウンドへ行き、1時間たっぷりグラウンド整備をしました。その大半は重いローラーを引っ張って、グラウンド整備をしました。8時に家へ帰り、すぐに着替えをして8時27分発のバスで大久保へ向かいました。大久保駅で15分ほど待って電車に乗り住吉駅へ、そこから六甲ライナーで六甲アイランドへ行き、午前中にファッション美術館と神戸ゆかりの美術館を観賞しました。バスや電車では座席に座ることができましたが、美術館はずっと立ちっぱなしなので足が疲れました。
 お昼の弁当を食べる場所を求めてほぼ一駅歩きました。1時間近く食事やデザートを食べながらおしゃべりしました。
 午後からは二駅近く歩いて小磯記念美術館へ行きました。入場すると、丁度小磯良平の解説ビデオの映写が始まったので、休憩がてら15分ほど座席に座って観ました。そのあと小磯良平の絵を鑑賞しているとアトリエの解説があると聞き、そちらに移動、再び小磯良平の絵画や特別展の亀高文子とその周辺の人々の絵画を鑑賞しました。1時間以上立っていたので、すっかり疲れてしまいました。
 そこから電車を乗り継いで大久保駅まで戻ると、バスが出たあとで、40分以上待たなければなりません。30分歩けば家へ帰れるので歩きました。家に帰ると万歩計は1万3千歩を越えていました。美術館では作品を観ながらゆっくり移動するので、万歩計はカウントしません。だから実際にはもっと歩いたことになります。5時に家に帰ったので一服しようと思っていたら、荷物を送るというので、その準備をして宅配便の会社へ自転車に積んで持って行きました。帰ってくると第九合唱団の練習に出掛ける時間が迫っていました。大急ぎでお茶とせんべいを口に入れ、5分遅れで車を運転して出掛けました。
 練習は立って歌う時間が多く、それに時間ぎりぎりに行ったのでパートの後ろの方で歌ったためか疲れていたためか、音程がうまくとれませんでした。練習を終えて帰ってきたのが9時でした。それから食事をし、パソコンでホームページを更新していると12時を過ぎていました。いよいよ眠くて途中でやめて風呂に入って眠りました。ほとんど休憩無しに14時間頑張れたことに、我ながらまだ体力が残っているのに感心しています。


9月7日 グラウンドゴルフ再開
 8月中休止していたグラウンドゴルフが再開されました。早速当番が回ってきました。グラウンド整備をしたのですが、子ども達が野球をするので、ホームベースやピッチャーマウンドなどかなり掘り返されて大きな穴になっています。先ずその穴埋めをし、先日の草ひきなどで落ちているゴミを拾い、ブラシをかけてローラーをかけます。そのあと道具の準備をしていると、7時から8時過ぎまで1時間あまりかかりました。
 7月の成績が張り出されていましたが、私のホールインワンは2本で最低でした。昨年12月から7月までのホールインワンの数も12本でビリから2番目でした。今日もゴールポストを通り抜けたり、支柱にはじかれた打球が何本かありました。方向と強さをぴたりと決めるのは本当に難しいと思います。
 プレイのあと地域の「憩いの家」でしばらく冷たいお茶を飲みながら懇談しました。そのあと友愛クラブの役員が集まって、先日の江井ヶ島海岸の草刈りについての反省と、9月例会や今年の親睦旅行などについて話し合いました。特に親睦旅行は2年連続で参加希望者が少なく流れているので、今年度は近場でカラオケなど負担の少ない旅行について話し合いました。
 いよいよ秋になって老人クラブも本格的に動き出しました。


9月6日 たこフィル定期演奏会
 前回のたこフィル演奏会は地域のホームページ企画会議があり、聴くことができませんでした。今回も写経の会があったのですが、たこフィルの演奏会を聴きに行きました。第九合唱団の仲間が呼んでくださったので、初めて1階席で聴きました。すぐそばに関係者席があり、だれが来られるのだろうかと思っていましたが、開演前に北口市長夫妻が来られました。以前も何度かいろいろな演奏会で姿を見ましたが、まわりの人と気さくに話をされるなど、何時も謙虚な態度に感心しています。
 今回の演奏会の曲目は「コッペリア」「モルダウ」「カルメン組曲」など親しみのある曲ばかりで気楽に聴くことができました。
 今年の年末の第九演奏会はたこフィルと共演することになっており、指揮者も第1,2ステージを指揮された斉田氏の予定です。とても丁寧な指揮なのできっと歌いやすいだろうと思います。オーケストラのレベルもずいぶん高くなっており、12月の演奏会が楽しみです。


9月5日 海岸清掃
 江井ヶ島海岸の草ひきをしました。例年江井ヶ島地区の7つの高年クラブが手分けして草ひきやゴミを集める作業をします。昨年までは公園駐車場の割り当てられた場所の草ひきをしていました。今年度は浜の散歩道沿いの草ひきで、かなりの広範囲です。元々は植えられている木の根元を清掃するのが中心だったようです。しかし、道沿いを花壇にして一人で世話をしておられた方が3年ほど前に交通事故で亡くなられ、後を引き継ぐ人がいなかったため雑草が生い茂るようになってしまいました。その草刈りも作業に含まれるようになったため、大変な作業量になってしまいました。
 幸い草刈り機で刈ってくださる方が2人おられ、作業はずいぶんはかどりましたが、役員の男性5人、女性3人では大変でした。もっとみんなに呼びかけても良いのではないかと思いました。
 今朝は7時集合だったのですが、所用があり20分ほど遅れました。そのことがあり、前日に50分ほど手作業でやってみました。いくらもはかどりませんでした。今年はたまたま機械を使う人が二人もおられたので、11時過ぎに完了しましたが、昨年までの役員のように全て手作業だったら半分もできなかったと思います。
 また、一人の人が花壇として毎日コツコツと手入れされていたので、草も生えなかった場所が、3年も経つとこんな荒れ地になってしまったことを考えると、その人の功績は大きかったのだなと頭が下がります。私たちが今日清掃した場所が、花壇の半分なのですからなおさらです。
 午後から、西村康利議員の感謝と報告の会がありました。西村議員は兵庫県下の自民党小選挙区で唯一勝った人です。しかも、民主圧勝の中、前回よりも得票が増えた自民党議員といえば全国で2人ぐらいしかないそうです。そんな西村議員ですから、将来自民党が政権をと取ることがあれば閣僚間違い無しだと言われています。新聞によっては自民党若返りのキーマンで、総裁候補とまで書いたところもあります。
 総裁と言わないまでも、若返りのリーダーとして活躍することができれば自民党の支持者もまた増えてくるだろうと思いました。本人も森喜朗議員には要らんことを言うなと釘を刺すつもりだと言っていました。過去のしがらみだらけの遺産ともいうべき議員がもの申すようでは自民党はますます支持されなくなるでしょう。


9月3日 グラウンドの清掃
 何時もグラウンドゴルフで使っている門池公園の清掃作業がありました。8時30分にグラウンドゴルフのメンバーが集合しましたが、前日に機械で草を刈ってくださっていたので袋詰めをしていきました。私は機械が入らない花壇やバックネット裏などを鎌を使って草刈りをしました。だから皆さんは沢山の仕事をされましたが、私はほんの少しの部分をしただけで作業は終わりました。なんだか申し訳ないように思いましたが、誰かが細かいところをしなければならないのだからこれでよいのだと自分で慰め、自分で納得していました。だから大汗をかくところまではいきませんでした。
 9月7日(月)からグラウンドゴルフが再開されます。来週は早速当番が当たっています。草をひいた後など、かなりグラウンドが荒れているので、念入りに整備しなければなりません。いつもは7時15分頃からするのですが、7時から取りかかろうとパートナーに言っています。


9月2日 スクールガード
 昨日から2学期が始まり、私の家のそばを子ども達の元気な声が通り過ぎています。昨日は始業式でしたが、今日は普通授業で、2時45分に下校していきました。例年だと2学期が始まっても何日間かは午前中だけで身体を慣らしているように思います。しかし今年は新型インフルエンザのために休校だったことから、8月中に5日間午前中の学習があったので、いきなり給食が始まり、平常授業になったようです。
 「おかえり」「さようなら」と声をかけると、1学期よりもあいさつをせずに帰っていく子供が増えています。その子ども達の多くは友達との会話に夢中なのです。やっと始まった学校生活でお話をすることが多いのでしょう。それはそれで良いと思っています。私としても仲間との会話を中断させようとは思いません。
 スクールガードのための新しい帽子と横断中と書かれた黄色の旗が配られました。私は今まで旗を持ってスクールガードをすることがなかったので、めざとい子どもは「さらやな」と声をかけてきたり、旗に触って帰っていきます。子どもの中には信号が青になっても渡ろうとせず、「休憩」といってしばらく私と会話をして帰る子どももいます。この様な子どもは鍵っ子で、家に帰っても「おかえり」と言ってくれる人がいないのでしょう。
 1170人規模の小学校で、150人以上の子ども達が家のそばの信号を渡って帰ります。日によって、一度に帰る日もありますが、2時、2時45分、3時40分と3回に別れて帰る日もあります。学年によってかたまって帰ることもありますが、「今何時」と塾に行く時間を気にしながらさっさと帰る子どもとだらだら寄り道をしながら帰る子どもとは25〜30分の差があります。だから3回に別れて下校するときは2時から4時10分くらいまでほとんど外にいることが多くなります。自分の小学校時代を振り返ると、神戸市電の軌道沿いの道を通って下校していたので、途中で釘を電車のレールにおいてペチャンコになった釘を自慢しあうなど、いたずらと寄り道の連続でした。今の子ども達の寄り道は猫じゃらしを摘んでお互いにこそばしあったり、水路でオタマジャクシやアメンボウ、カニなどを観察したりしています。暑いなか子ども達の下校を待っているのは大変ですが、十分に楽しめばよいと思い見守っています。


9月1日 夜のウォーク
 9月中旬に歩き遍路が再開されます。案内が届きお金を払い込むと、夏の運動不足から不安を感じます。特に妻にとってその不安の気持ちが強いようで、4日前、ウォークをしようと提案してきました。ただし昼間は暑いので夕食後歩くことにしました。ところが今年の夏は夜になるとけっこう涼しい風が吹いています。Tシャツ1枚に半ズボンという姿で夜外に出ると寒さすら感じます。8000歩あまりのコースを歩くのですが、力を入れて歩いても汗をかくことはありません。
 ところが久しぶりに力を入れて歩くと膝が痛くなってきました。今までも膝が痛むので電気を当てる治療を週に1〜2回受けていましたが、これまでははじめ痛くても歩く内に膝の痛みは徐々に薄れていました。ところが、今回は歩くほどに痛みが増します。風呂から上がり湿布をしておくと楽になります。こんなことでは歩き遍路が私も不安です。あと2週間ほどトレーニングを続けて克服しなければなりません。


8月28日 菊の世話
 ひと月ほど前に大輪の菊を咲かせるために大きな鉢に苗を植え替えましたが、今日はその鉢にさらに土を入れ、肥料とオルトランをあわせて入れ、3本立ちにするための支え棒を立てる作業をしました。といっても私が栽培しているのではなく、妻の作業を手伝っただけです。大輪の菊をただ美しいと眺めていましたが、その過程の大変さは想像以上です。前日の小さな菜園を鍬で耕す作業に続いて今日の作業だったので、ぎっくり腰の一歩手前という感じです。年をとれば足腰から弱るといわれますが、まさに実感です。


8月27日 期日前投票
 午前中妻を病院へ送っていくついでに、近くの役所で期日前投票をしました。最近は投票日当日に投票するより期日前に投票することが多くなりました。これも4年前に兵庫県知事選と小泉首相が郵政解散したとき、期日前投票所で立ち会いをしたからです。
 投票を済ませて家に帰ってくると、候補者を推薦する葉書が何枚も届いていました。後の祭りです。
 私も特定の候補者の後援会からこの推薦葉書の記入を頼まれました。放送大学の仕事をしているので誰でも推薦するという訳にはいかないので、事前にお断りできる人に限って推薦状のあて先を書いておきました。電話番号を書くようにいわれましたが、相手の電話番号を書いていて、選挙事務所から電話攻勢で迷惑をかけるようになってはいけないので、電話番号の記入は避けました。この度は政権交代という大きな焦点があり、いつになく選挙戦が激しさを加えているため私まで選挙戦に巻き込まれたということなのでしょう。


8月26日 養父市でグラウンドゴルフ
 地域高年クラブのグラウンドゴルフ部の仲間と一緒に円山川グラウンドゴルフ場へ行きました。養父市からわざわざマイクロバスで迎えに来てくれます。ゲーム料、昼食弁当、賞品まで付いて5500円という手頃な料金でした。高速料金はグラウンドゴルフ部の会計が支払ってくれました。
 朝7時30分に出発、10時からゲームを開始しました。8ホールのコースが4コースあり、午前4ゲーム、午後4ゲーム、トータル64ホールも楽しみました。午後からは空も曇り、風も出てきたので助かりました。一日8ゲームもしたことがないので、みんなさすがに疲れたようで、帰りに温泉に寄る予定でしたが中止して真っ直ぐ帰りました。
 1ヶ月ぶりのグラウンドゴルフに成績はさっぱりで、BB賞まではいきませんでしたが、トータル198でした。ちなみに優勝者は170で、200を超えた人は3〜4人でした。また19人中11人がホールインワンをしましたが、私は惜しいという場面もありませんでした。
 グラウンドの芝生が一部枯れていましたが、聞けば先日の台風9号で冠水し、対応が遅れたところの芝が枯れてしまったのだそうです。西播磨や但馬で激甚災害に指定されたところがありましたが、こんな所にまで影響があったことに驚きました。こんな時期にのんきに遊べる我々は幸せに思うと共に、現地の人に申し訳ない気持ちもありました。


8月25日 ブドウ狩り
 今年も招待券があるということで、私の運転で従姉妹たちと4人で吉川の長谷ぶどう園へブドウ狩りに出掛けました。朝一番の入園で、チョット寂しさを感じました。新型インフルエンザの流行で既に学校が始まっており、せっかく開園しても小中学生のいる家庭は来ることができなくなったからだと思います。大きな房を選んで収穫し食べていると、幼児を連れた家族連れが次々とやってきて、やっとにぎやかになりました。おばあちゃんがいるグループは持ち帰りのブドウのお金を出してやれるからか、孫にたくさん収穫させて喜ばせていました。
 1房半ほど食べると満腹になりました。いくら食べ放題といってもそれほど食べられるものではありません。こうして毎年ブドウをたらふく食べさせてもらえるので、本当に有り難く思っています。


8月24日 現役大学生のクラブ支援
 私が学生時代所属していたグリークラブの現役学生が名簿を持ってやってきました。毎年寄付を集めにやってきます。年金生活になって5000円しか寄付できません。遠方からやってくるのに電車賃に毛が生えたほどしかできないので心苦しく思っています。だから口座を教えてもらえば、振り込んでもよいと伝えておきました。
 今年は新入生が二人しか入部しなかったそうです。そのため経費節減を迫られ、定期演奏会は大ホールから中ホールへ、名簿も3年に1回の発行など厳しい状況になっているようです。混声合唱団には40人くらいの入部があったそうで、今の若者には男声合唱の重厚なハーモニーの美しさより、異性との出会いの方が魅力があるようです。
 それにしてもこの暑さの中で背広をきちんと着て先輩の家を訪問する学生の姿に、まだまだ規律正しいクラブの姿勢を残しているのがわかり安心しました。彼らの定期演奏会が、私の第九演奏会前日練習日と重なっていますが、時間的に多少でも余裕があれば応援に駆けつけてやりたいと思いました。


8月23日 青春18切符
 福井県九頭竜湖駅まで行きました。明石駅を朝7時4分に出発し、敦賀で乗り換えて福井へ行きました。2時間近く歴史博物館、福井城跡、北の庄城跡などをめぐり、地元名物の今庄そばを食べたあと、1日4本しかない九頭竜線に乗車、終点の九頭竜湖駅まで行きました。ここまでの運賃は正規で5000円くらいかかります。ところが18分後に折り返すこの列車に乗らなければこの日のうちに帰ることができません。小さな一両だけの車両では、座席数が限られています。座席に荷物を置いておき、帰りの座席を確保して降りました。冷たい飲み物を買い、駅のそばの恐竜を写真に撮ったぐらいで再び乗り込みました。帰路の車両は出発してしばらく走ると徐行運転を始めました。単線で対向車があるはずもなく、故障かと思っていると、九頭竜峡の鉄橋を渡り始めました。素晴らしい景色に大あわてでリュックからカメラを取り出し撮影の準備ができたと思ったら渡りきってしまい、撮影することができませんでした。帰りは米原経由だったので、湖西線を走った往路より時間がかかりましたが、夜9時前に明石の帰り着きました。
 日曜日とあって往路から満席の電車でしたが、運良く一駅先の神戸駅で座ることができ、そのあとは超満員の電車もありましたが、全て座って旅することができました。2300円の切符で1万円分ほども乗車することができた旅でした。


8月15日 放送大学の学生さんから学ぶこと
 高齢者放送大学の本科生往復課題番組の感想文を、毎月40人分ほど読ませていただきます(実質は投函されない人がおられるので30人ほどです)。私もホームページに一応感想文を掲載しますが、学生さんの方がはるかに的確で深い感想文をよせられます。その中で毎回きらっとした言葉を教えてもらいます。
 今回はこんな言葉を教えてもらいました。「人は知り合って知人となり、学びあって友となり、共に汗をかいて仲間となる」
 私にとって知人や友はたくさんいます。しかし仲間とは誰をさすのだろうと考えてみました。高齢になってからは共に汗をかくことは激減します。だから同じ目的で協力する人と考えていいのではないかと思いました。それならば沢山の仲間が地域にもいるなと思いました。


8月12日 壊れた冷蔵庫の修理
 先日来冷蔵庫の製氷がうまくいかず、水が漏れてそれが凍るので氷が使えなくなってしまいました。一昨日電話で修理を頼み、今日お昼に量販店の修理係がやってきました。冷凍室の引き出しをはずし覗いた途端に「製氷皿が壊れている」と修理箇所をすぐに見つけてくれました。私たちは製氷される工程がわからなかったので、6年でもう買い換えなければならないのではないかと心配していました。製氷皿を取り替える間15分ほどで無事修理は終わりました。また、修理するからには電源を切って行われるものと思っていたので、冷蔵庫の中のものを発泡スチロールの箱に入れて、エアコンのある部屋で保管しておいたのですが、冷凍庫だけでよかったのです。冷蔵庫の中身を出したり入れたり、こんなに沢山入っていたのかと驚きながら大わらわでした。
 今、3時間ほど経って新しい氷ができました。8500円の修理代で無事暑い夏を氷と共に越すことができそうです。それにしても冷蔵庫の保証期間は5年間でしたが、6年目に故障するとは皮肉なものです。


8月6日 原爆記念日
 朝BS2のテレビ番組で、「つばさ」を見ていました。終了と同時に広島平和記念式典の映像が流れてきました。今回の放送を見ていて、広島市長がオバマ米大統領の核廃絶表明を高く評価し、2020年までに核廃絶が実現されることを期待して活動をする決意を述べていました。さらに、そのことが次世代に対する責任だとも述べました。これまでの市長の言葉はむなしさばかり感じさせられたものです。しかし、今年の誓いの言葉はオバマ大統領の就任で光が見いだせるのではないかと期待感を持たせてくれるものでした。さらに、子ども達の言葉も是非実現しなければならないと思わせるものでした。
 この様に広島の原爆について身近に感じるのも、私が広島県に疎開していて、学校の運動場で原爆の閃光を目撃したからです。私のいたところは爆心地の北東40qのところで、黒い雨は降りませんでした。真夏だったので北西の方向ではかなり広い範囲で黒い雨が降ったといわれています。いまだに黒い雨の影響による原爆症で苦しんでいる人が多くおられることに心が痛みます。
 麻生総理が原爆被爆者を広く救済すると話されましたが、長年拒否してきたことを何故今なのか選挙の点取りのように感じ、被爆者が利用されたという印象を受けました。いずれが政権を取ったとしても総選挙後の扱いについて注視したいと思いました。


8月3日 お酒の飲めない食事会
 お昼に明石の木曽路で川柳教室の「研修会&食事会」がありました。前半は川柳に関する質問を先生に答えていただきました。渡されたばかりの質問票を見ながら丁寧に解説していただき、良い勉強会ができました。続いて昼食会がありました。先日来の腹具合がもう一つ回復していないので、家を出るときは「今日は食べないぞ! 今日は飲まないぞ!」と決意をしていたのですが、ビールやご馳走が並ぶとビールを一口、ご馳走はかなり食べてしまいました。やっぱり意志が弱いということを強く自覚しました。それにしても、お酒の飲めない食事会は何となく集中できないというか自分の中で盛り上がらない感じでした。ビールや焼酎が美味しいと感じるような健康の大切さを改めて感じました。


7月29〜31日 何年ぶりの飛行機搭乗?〜五島列島教会めぐり〜
 学校厚生会の研修旅行で「長崎・五島列島周遊の旅」の募集がありました。二人で17万円という2泊3日の旅はかなり高価だと思いましたが、以前から是非行ってみたいと思っていた所なので参加しました。
 一行は参加者19人に旅行社の添乗員、学校厚生会の世話係を合わせて21人と、団体旅行にはもってこいの人数でした。朝一番電車で伊丹空港へ向かいました。順調に行けたので、集合時間までに到着できホッとしました。飛行機に搭乗するのは退職時に東北へ行ったとき以来なので5年以上前になります。だから離陸や着陸のときは緊張しました。
 長崎空港到着後はグラバー邸の見学でした。以前何度か行っているので期待していなかったのですが、大きな公園にたくさんの洋館が集められていて、ガイドボランティアの案内で走り回った感じで見学しました。そのあとフェリーで上五島・中通島へ行きました。小型観光バスで島内観光をしましたが、バスガイドの尾田さんの話しぶりに笑いが絶えませんでした。高校卒業後大阪で数年間バスガイドをしていたそうですが、吉本で修行をしていたのではないかと思える話しぶりでした。西肥バスのガイドはこの人一人だという話をあとから聞きましたが、クリスチャンでマナーはしっかりしていて、教会にはいるときには必ず帽子を脱ぐなど、学ぶことが沢山ありました。「驚いたときに上五島では『アウー!』と犬の遠吠えのような声を出す」という話の中で、「自分を捨てなければこんな声は出せない」ともらされましたが、仕事をするとき自分を捨てて相手のために徹するということはとても大切なことだと思いました。
 はじめに訪れたのは、奈良尾港近くの奈良尾神社の鳥居にまたがる「あこうの樹」でした。根の下をくぐってお参りすると、地元の人が地元名物、小豆の蒸し羊羹とお茶をお接待してくださいました。この羊羹はここだけに伝わるもので、参道の肉屋で売っているということだったので早速購入しました。
 漫談のようなガイドの説明を聞きながら、頭ヶ島の石造りの教会「頭ヶ島天主堂」を見学しました。家がほとんどない離れ小島に日本最初の石造り教会があるというのに驚きました。この島に飛行場ができるということで橋が架けられていましたが、その飛行場も既に閉鎖され、人家もあまり見られませんでした。五島列島にたくさんの教会がありますが、それぞれ地元民がなけなしのお金を出し合って明治初期からこの様な教会を建設したのは、やはり隠れキリシタンとしての苦労から解放された喜びが大きかったからだと思います。
 次に修理中の「青砂ヶ浦教会」を訪れました。こちらは煉瓦造りの最初の教会で、修理が終われば見事な教会に復元されると思いました。このあとの教会もそうでしたが、ゴシック建築の建物の天井に見られるように、日本の大工・鉄川与助が資料を頼りに明治初期にコウモリ天井を建築していたのには驚きました。鉄川与助は頭ヶ島の石造りの教会も建てるなど、創造的な大工だと思います。ステンドグラスが美しく、写真をとろうとしましたが、バカチョンカメラでは露出がうまくいきませんでした。
 その夜は番嶽温泉の国民宿舎『しんうおのめ荘』に宿泊しました。国民宿舎といいながら、新館はツインの広いベッドルームで、料理も豪華でした。
 翌朝は送迎バスで郷の首港へ行き、ここからチャーター船で若松島へ向かいました。途中、海上からキリシタン洞窟を見学しました。陸地からは行けないような洞窟に潜んでいる隠れキリシタンを漁師が見つけ、通告されたために処刑されたというのですからむごい話です。
 そのあと久賀島に上陸し、旧五輪教会を見学しました。木造の最古の教会で、もともと浜脇地区に建てられていたものを立て替えるときに譲り受けたもので、この地区にも最近新しく教会が建てられましたが、世界遺産として欠くことのできない建物だということで取り壊しが中止されたそうです。窓は引き戸になっているなど、和風なのですが、コウモリ天井は見事に作られていました。
 再びチャーター船で久賀島の田浦港へ行き、マイクロバスで浜脇教会を訪れました。大正時代に近代的な教会を建てるために2万9千円が集められました。当時銀行員の月給が45円ということだったそうで、小さな島の一地区の住民がどれほどのお金を出し合ったのか、信仰心の深さを感じさせられました。続いて牢屋の窄を訪れました。大勢の隠れキリシタンを狭い牢屋に閉じこめ、拷問をくりかえしたという跡です。身動きがとれないほどの狭いところでした。
 再びチャーター船で福江島へ向かい、福江港に上陸したあと、昼食を済ませ、水の浦教会を車窓から見学し、万葉ゆかりの地・三井楽地区『遣唐使ふるさと館』で地元講師の講義があり、この地方の万葉集に関する研修がありました。そのあと魚藍観音展望台、井持浦教会・ルルドを訪れました。。ここで聖水を汲みました。俄クリスチャンになった気分でした。さらに大瀬崎灯台を見下ろす展望台まで行きました。大瀬崎灯台は沖縄が返還されるまで日本最西端の灯台で、『喜びも悲しみも幾歳月』の撮影に使われた灯台です。ここの夕日が沈む景色は絶景だそうです。
 その夜は五島列島の中心地福江港近くにある『カンバーナホテル』に宿泊しました。隣の部屋ではバイキングが開かれており、子ども連れの市民がたくさん食事に来ており、大にぎわいでした。
 翌朝、ホテル近くの石田城跡を見に行きました。今は県立五島高校が建てられており、生徒たちは城門をくぐって登校してきます。校門前で掃除をしておられる人に対して生徒たちは丁寧に挨拶をして門をくぐっていきます。私もその方に中を見学してよいかたずねると「遠慮なくどうぞ」といわれ、堀には蓮の花がきれいに咲いているのでそれも見ていくようにいわれました。生徒たちは私たちにもきちんと挨拶をしてくれました。きれいに整備された庭を見たあと、帰りにそのすばらしさをいってお礼を言うと、「生徒も素晴らしい子ばかりです」といわれました。ひょっとすれば校長先生だったのかもしれません。
 朝食後、バスで堂崎天主堂へ向かいました。この建物は外観は煉瓦造りで美しく、写真のアングルも最高でしたが、中は資料館になっていました。このあたりは中心になる教会にしか牧師がいないので、この教会では朝5時からミサが行われるそうです。日曜日に仕事を持っている人はここのミサでお祈りをして出勤するそうです。この教会付近の入り江は丁度干潮だったこともあり、趣のある景色でした。
 そのあと福江島の象徴になっている鬼岳展望台へ行きました。展望台からさらに高い峰まで700mということで走って登りかけましたが、頂上手前から傾斜が急になり、自分で意識して速く呼吸をしなければ苦しく感じるほどになりました。やっとの思いで頂上に登り、あとから登ってきた数名と一緒に大声を張り上げて叫びました。そのあと鬼岳が噴火したときの溶岩でできた鎧瀬溶岩海岸を見学し、炭火焼きの昼食会場香珠子・椿茶屋へ行きました。先程の無理な運動が祟ったのか、食欲が全くなくなり、少し食べると胸がいっぱいになってしまい、全部食べることができませんでした。
 バスで再び福江港へ向かいました。福江島では2日間同じバスガイドの説明を聞きましたが、ここの中野さんも中通島の尾田さんに負けないほどおもしろいガイドで、尾田さんのことをよく知っていて、話題に取り上げながらおもしろおかしく盛り上げ、バスの中では全く眠らずに話を聞いていました。
 帰りは高速艇で長崎港まで行き、上陸後、出島を見学しました。ここでもボランティアガイドの説明を聞きましたが、グラバー邸のときと違ってはきはきとお話しされる素晴らしい女性でした。ずいぶん以前に来たように思うのですが、全く新しいイメージでした。当時の出島を復元している最中とのことで、素晴らしいところでした。
 帰路、大村の長崎空港近くのカステラ工場に寄りました。昼食の頃から体調がだんだん怪しくなったと思っていたらトイレへ行きたくなり、カステラの製造過程を見ることなくトイレに駆け込みました。下痢をしてしまったのでみんなが美味しそうに試食しているのをうらやましく眺めていました。バスの中で、「陀羅尼助丸」を服用し、下痢が治まるのを祈りました。幸い夕食もパスしたので、家に帰るまでトイレに行くことはありませんでした。
 この三日間、出発前の天気予報では全て雨でした。だから雨対策を最大限しておきました。朝出掛けるときはまだ降っていませんでした。そして長崎空港に着くと朝方まで強い雨が降っていたといわれましたが、雨は上がっていました。中通島に着くと、何時雨が降るかわからないから傘の準備だけはしておくようにいわれましたが、やがて青空が見え始め、何日ぶりのお日さまだろうといわれました。その後曇ることがあっても雨は降らず、最高のお天気に恵まれました。帰宅し、玄関に入った途端、音を立てて雨が降り出しました。雨の予報の中で全く雨具を必要とせず、本当に恵まれた旅行ができたと感謝しています。そして二人で17万円というのが決して高くない充実した旅でした。

  
アコウの根の鳥居    石造りの教会                  工事中の青砂ヶ浦教会と内部のコウモリ天井
   
チャーター船                   キリシタン洞窟とマリア像                   日本最古の木造教会
   
最古の木造教会のコウモリ天井  浜脇天主堂               隠れキリシタンが押し込められた牢屋 井持浦教会ルルド
  
大瀬崎灯台                   稲刈り直前の水田               石田城の外堀
  
五島高校の門                 場内にある五島歴史観光資料館      堂崎天主堂
  
堂崎天主堂前の海岸             鬼岳                        鬼岳から5万年前に流れ出た溶岩

7月27日 新曲2曲マスター
 今日は女性のカラオケクラブの例会でした。月2回のペースですが、前回は食事会と自分のお気に入りの曲を歌いました。だから今日は7月の練習曲2曲を一気に練習しました。先ず1曲目は中村美津子の「つれあい」でした。みんなは練習用のテープを聴いていたようで、家で練習(聴くだけの人も)をしてきた人は3回ほど歌唱を聴いたあと比較的正確に歌っていました。私はといえば、11人が歌っている間に楽譜を見たり、画面を見たりしながら小さな声で一緒に歌って練習しました。12人目にマイクがまわってきたときにはだいたい歌えてホッとしました。とにかく初めて聴く曲なのでせっかく覚えても、次の曲を歌っている間にもう歌えなくなってしまいます。
 休憩のあとは、石原詢子の「風よ吹け」でした。こちらも全く初めて聴く曲でしたが、比較的単純な楽譜なので、すぐに歌えました。帰りに道を歩きながら歌ってみましたが、ほぼ間違いなく歌うことができました。きっと明日になると忘れて歌えなくなっていると思います。
 練習を始めて2年ほどになり、毎月2曲程度の新曲を練習しますが、後日になっても歌える曲は「風恋歌」など数えるほどです。ボケ防止のためにもカラオケのテープを録音して、帰ってからも練習しておく必要がありそうです。


7月26日 第九日曜練習
 6月から始まった第九合唱団の練習ですが、今日は1回目の日曜練習がありました。普段の半分ほどの参加者でしたが、かえって細かく指導を受けました。一人ひとりがよく目立つからです。1時間30分、休憩無しで練習が続きました。そのあとは親睦のビールパーティがありました。もちろん飲めない人、車の人もいるので飲み物はいろいろ、手持ちの1品を持ち寄ってのパーティは和やかでした。10人ほどのテーブル5つに別れ、各テーブルごとに自己紹介をしました。初参加の人はみんなの前で自己紹介をしました。初参加の人の他に、久しぶりに復帰した人もいました。練習に乳児を連れて参加した人や、パーティに団員の子ども達も含まれていて、合唱団員の心の広さも伺えました。この様な雰囲気が最後まで続けばいい演奏ができると思いました。
 パーティの最後は全員輪になって手を繋ぎ「サリマライズ」を合唱しました。4つのパートが入り乱れて歌うので、まわりにいる人の声に合わせて自分のパートを歌うことになり、とても良い練習になります。第九の練習もときにはパートに関係なく並んで歌ってみるのも良いだろうと思いました。
 昨夜、寝る前に咽が痛くなり、「南天のど飴」をなめたりしました。それが聞いたのか、朝起きたときには治っており、練習に無事参加でき、ホッとしています。


7月25日 四国1〜6番札所バスツアー
 阪急交通社が主催するバスツアー「四国八十八ヶ寺めぐり」の第一回に参加しました。妻が小豆島歩き遍路に参加するようになり、四国にも関心を示したからです。第一回はどこのツーリストでも安く設定されていますが、一般3980円が高齢者千円割引で、しかも弁当付き、納め札や腕につける数珠、四国遍路の解説書(お経付き)、その上讃岐うどん1食分まで付いていました。
 明石8時40分に出発、1番霊仙寺に着くまで先達が四国遍路のマナーや解説などずっとしており、最後には練習がてらお勤めまでしました。霊仙寺に着くと先ず売店へ、遍路用品を改めて説明、初めての皆さんは購入していました。1番では住職が読経の練習とともに法話をしてくれました。姫路発2台と梅田発1台の3台が一緒にお参りしたので大混雑でした。2番は多少時差ができたものの混雑が続きましたが、社内で弁当を食べるため、そこから6番へ先に向かいました。丁度食べ終わった頃6番に着き、そこから5番、4番、3番を逆にまわりました。お陰で混雑もほとんどなく雨の中でしたが、順調にお参りできました。ただ、私は歩き遍路をしたところなので、バスで回ると疲れた割には物足りなさを感じました。ただ、先達がきちんとした方だったので、読経等お参りには満足しました。帰りのバスでもまたお勤めがありました。この続きは少しでも妻と歩いてみたいなと思いました。小豆島の歩き遍路が結願した後、季節のよいときに計画してみたいと思います。


7月22日 日食
 今日は待望の日食でした。放送大学の返信の印刷などしながら時刻を待ちましたが、辺りが暗くなってくるのに、空いっぱいに広がった雲は晴れません。仕方がなくインターネットで見るとNHKの画面を送信していました。それならばとテレビをつけると丁度硫黄島からの中継をしていました。見事な皆既日食でした。さらに船からの中継もあるということなので今度は録画をしました。予約番組は何時も録画していますが、放送中の番組を録画するのは初めてです。テレビ内蔵の録画機能はできないと表示がでるので、DVDレコーダーで録画しました。こちらの機械はパソコンと同じく立ち上がるまでに時間がかかります。簡単リモコンを使ってやっと録画できるようになったときには、皆既日食の直前でした。何とか録画ができたので、あとで家族に見せてやりたいと思っています。
 家では辺りが暗くなり始めた頃には蝉の声が全く聞こえませんでした。しかし、明るくなり始めるとまた一斉に鳴き出しました。11時40分を過ぎた頃から太陽が雲間から照り出しました。カメラを持ち出しましたが撮すことができず、手鏡で壁に映してみましたが、薄雲があり鮮明に映りませんでした。悪石島まで高額のお金を支払って出掛けた人々が雨風が強く、建物に避難しているニュースを見ていると、私はテレビを見て満足しておくことにしました。


7月21日 干し蛸の1句
 今日の川柳教室で、センスの違いを強く感じさせられました。先日、グループいきいきネットで二見港(明石市)を訪れたとき、人気のないところで干し蛸だけが風に揺れていました。川柳教室で「干す」という兼題が与えられたとき、即座にその情景が思い浮かびました。夏休みの午後、炎天下のもとで、風に揺れ動いているのはこの干し蛸だけだろうと思い、「炎天下干し蛸だけが風にゆれ」と詠みました。ところが同じ干しダコが風にゆられている情景を見て、「干しダコが風吹くままにフラダンス」と詠んだ人がいました。私の句を先生は「ちょっと寂しい句ですね」と評されました。その点フラダンスと表現した人は実に明るく、楽しい句に詠んでいます。この句を見た瞬間「参った!」と思いました。

7月20日 同じような会が続き、アルコールはもう結構
 現役時代の仕事上のOB会の会議が土・日曜日2日続けてありました。1日目は設立総会と懇親会で会議のあと隣の部屋でビールをやや多く飲みました。2日目は別のOB会で役員会のあと昼食に少しだけビールがでました。コップ1杯と少しだけ飲みました。先週から続いて飲む機会が多く、木曜日のお遍路でも添乗員にお接待のビールを飲んでもらおうと大瓶を頼んだら、初めての添乗員でほとんど下戸とわかり、自分で無理して飲み干さなければななりませんでした。それでなくても腹具合がいまいちで、「陀羅尼助丸」を飲むことが多く、今日はあまり食欲がありませんでした。ここしばらくは休肝日にしたいと思います。


7月13日 もう梅雨明け?
 朝から太陽がじりじり照りつけています。グラウンドゴルフをするグラウンドへ行くと、まわりの木々でクマゼミが鳴いていました。何時も梅雨明けと同時に蝉が鳴くので、梅雨明けを感じさせます。プレイをしている間も木陰に入れるコースへ早くいきたいと思いました。そんなことなので、22人で17本もホールインワンが出たのに、私はゼロでトータル64でした。2時間の練習とプレイで大汗をかいてしまいました。帰宅後、午前中はホームページの更新をしたり一休みし、お昼に女性のカラオケグループの集いに出席しました。手作りの黒豆おにぎりやお漬け物でビールをいただきました。たくあんのもろみ漬けで飲むビールは最高でした。
 飲食後にそれぞれ得意の一曲を歌いました。私は前日の男性カラオケグループの例会で練習した「おけさ海峡」を歌いました。休憩でおしゃべりしたあと前回みんなで練習した石川さゆりの「惚れたが悪いか」を1番ずつ歌いました。女性グループは12人なので、私のところへマイクがまわってきたときには最初から歌うことになりました。最後まで歌えとみんなにいわれ、キーをあげて3番まで調子に乗って歌いました。みんなが歌っている間に小さな声で歌って練習したので、何とか歌うことができました。家に帰って思い出しながら歌おうと思いましたが、カラオケの伴奏がなければ歌えませんでした。きっとこのまままた忘れてしまうのでしょうね。
 夕方菜園の水やりをしているとき、腕が柿の葉にさっと触れた途端に激痛が走りました。ワイシャツの袖の上からだったのですが、大きなイラガの幼虫に触れたのでどんどん痛さが広がります。急いで家に駆け込み、ムヒをくりかえし塗りました。すぐに痛みはひきましたが、しばらく赤く腫れていました。ムヒがあとわずかになっていたので、至急買っておかなければと思いました。

 今日は何回着替えてもすっかり汗まみれになりました。この先の暑い日々が思いやられます。

7月11〜12日 すゑひろ会
 印部すゑ子先生を中心にしたすゑひろ会が、先生の13回忌を迎え、かんぽの宿有馬で開かれました。参加者は9名で、創設当時から参加しておられる方は残念ながら出席されませんでした。今回で今後この会をどの様にするか検討することになっていたのですが、先輩諸氏のおられないところで結論を出す訳にもいかず、保留になりました。
 当日、地元のコミュニティバスの時刻の関係で、12時30分に家を出たのですが、16時開会なのに14時過ぎには有馬温泉駅に到着してしまいました。ぶらぶら有馬の景色を眺めながらと思っていたら、猿回しの演技が道端で始まるところでした。フルーツフラワーパークの雄ザルだということでした。主人の指示に従ってハードル跳びや3mほどの竹馬乗りなど巧みに演技します。最後の跳躍の前に籠をまわし、観客からお金を集めることになりました。曰く「この猿の演技を見てこれくらいの価値があると思う金額を籠の中へ入れて下さい」と。右の端に籠を持って行くと、サクラと思われる女性が1万円札を籠に入れました。猿と一緒に中央に戻り、こんなにもらいましたと最敬礼をします。そしてその隣から籠を持ってまわると次々千円札が入ります。私は100円硬貨しか入れませんでしたが、サクラの効果はすごいなと思いました。
 とても暑かったのでループバスで行こうかと思っている内に、バスは発車してしまいました。そこからは上り坂だったのですが、ゆっくりまわりの建物や店先を眺めながらかんぽの宿へ向かいました。最後の坂はとても急でした。宿についてロビーにはいると、人があふれていました。こんなに活用されている宿も含めて108億円で売買される話は、鳩山総務大臣でなくても腹が立つことだと思いました。
 土曜日だったこともあり、六甲山から下ってきた人たちが一風呂汗を流して帰っていく様子が多く見られました。夜になっても各部屋は満室だったようで、温泉は何時も沢山の人が浸かっていました。
 夜は一杯飲みながら近況や、印部先生との想い出や業績、すゑひろ会のことを話しました。部屋に戻ってもしばらく話の続きをしました。
翌日温泉を一浴びしてバイキングの朝食を済ませ、三々五々帰路につきました。有馬筆の専門店で、写経用の筆を買って帰りました。午後からは明石の高家寺で写経をしました。疲れていたのか途中で一瞬居眠りをしてしまい、とんでもない文字を書いてしまいました。
 夜は地域の男性カラオケグループで飲みながらおしゃべりをしましたが、都議選の結果が気になる者もいて、カラオケを2曲ずつ歌って早々に解散しました。
   


7月9日 1台だけの利用者
 9日間割り当てられていた駐車場当番で、今年2回目の当番をしました。最後の日にあたり、次の高年クラブに引き継がなければならないということで、会長と一緒に当番をしました。前回は朝8時から掃除を始めたら、開場までに時間がたっぷりあったので、今日は8時20分から清掃を始めました。ところが落ち葉が気になり、次の当番の人々にきれいに引き継ごうと思い、こまめに掃除をしていると、トイレ掃除が済んだ時点で9時になってしまいました。開場してから、さらに集めた落ち葉を掃き集めてゴミ集積場へ運んでいたら9時をすこし回ってしまいました。
 結局午後4時を過ぎて初めて利用者が現れました。細かいお金がないから700円に負けてくれと冗談交じりに5000札を出してこられました。今日初めての利用者なので当然おつりなどありません。条例で1回利用1000円と決まられているので値引きできないことを説明し、帰りまでに両替しておくことを約束して入場してもらいました。2時間足らずで1000円なので気の毒に思いながら受け取りました。
 9日間で40台の利用ということでした。まだ夏休みに入っていないので、利用は土・日曜に限られていました。夏休みになると満車になり、まわりの駐車場もにぎわうことでしょう。
 夕方6時に閉場しましたが、引き継ぐ書類を整理していたら少し遅くなってしまいました。それから急いで車を飛ばし第九の練習に行きました。15分ほど遅刻で、発声練習の途中から参加しました。十分に発声練習をしないまま歌ったので、音程を正確にとることが困難でした。
 今日はグループいきいきネットの例会活動日だったのですが、この様な用務が入ったため、世話係の私が欠席する羽目になってしまいました。第九の練習から帰ると、報告の電話があったと聞きました。メールにも充実した活動ができたことを知らせて下さっており、皆さんのご協力に心から感謝しています。


7月8日 コーヒー専門店
 午後から姫路の県立歴史博物館で開かれているふるさと歴史講座「播磨人物伝」に参加しました。今日のテーマは「武蔵坊弁慶」だったので、興味深く聞くことができました。それにしても弁慶が実在の人物かどうかはっきりしないという言葉に驚きました。吾妻鏡以降に記述が現れ、江戸時代の歌舞伎によって今のようなイメージになったようです。
 帰りに御幸通りのコーヒー店に入りました。メニューにいろいろなコーヒーが書かれていて戸惑ってしまいました。普段飲むコーヒーはホットやレーコで通じるような店ばかりだからです。キリマンジャロやモカなど聞いたことのある名前が見られましたが、味がわからないので、結局「季節ブレンド」というのを注文しました。何時も飲むコーヒーとどれほど味が違うのかさえわかりませんでした。まさに豚に小判です。


7月7日 映画「禅」観賞
 西部市民会館で映画「禅」の鑑賞会がありました。たまたまこの日だけは予定があいていました。朝10時30分開演だったのですが、西部図書館にDVD返却のついでがあったので10時に行きました。お陰で駐車場もまだ駐車スペースがたっぷりあり助かりました。
 映画は永平寺を創建した道元禅師の生涯を描いたものですが、私の実家の宗派でもあり、とても親しみ深く観ることができました。今、神戸新聞で「親鸞」の連載小説を読んでいますが、本当の仏法を極め、広めようとすると、永平寺の圧力が大変だったことがよくわかります。道元が越前のあの不便なところに永平寺を創建したのも、同じように比叡山の僧兵に京都を追われたからだということがよくわかりました。
 宗教は人々の心の安らぎを第一に、その生き方を律するものだと思うのですが、他の人々に不安を与えるような宗教は真の宗教だけではないと思います。道元や親鸞に触れてさらにそう思いました。


7月5日 江井島校区のホームページ
 3月26日の「ホームページ基礎講座」で、アンケート用紙に居住地域のホームページ作成のお手伝いをしてもよいと書いていたのですが、その第1回作成打合せが小学校コミセンでありました。
 今日は「たこフィル」(明石市フィルハーモニー管弦楽団)の演奏会を聴きに行く予定にしていましたが、急遽入場券を知人に譲り、コミセンの方へ出掛けました。いなみ野学園に勤務していた頃にお世話になったインターネットクラブの方もおられ、心強く思いました。さらにコンピューター関連の会社に勤務されていた方もおられるので、私はもっぱら内容を考えればよいかなと思いました。とはいえ、江井島地区での私の活動は高年クラブだけなので、コミセンで各種団体の情報を収集していただくことになりそうです。
 いろいろなホームページを見せてもらいながら、どの様なものが魅力があり、開いてみようと思うのか、次回の打合会までに自分なりに考えてみたいと思います。


7月3日 車の来ない駐車場当番
 毎年江井ヶ島校区の高年クラブが交代で、7〜8月の間江井ヶ島海岸の駐車場管理をします。今年は7月1日から9日まで私たちの高年クラブが管理当番をします。9時の開場に先立って駐車場及びその周辺を清掃し、ゴミ箱のゴミを分別して処理します。今朝も二人で朝8時からゴミ箱の処理をしました。そのあと、駐車場内のゴミを拾ってまわりました。タバコの吸い殻を281本も拾いました。20台あまりが駐車できるスペースですから、いかに喫煙家のマナーが悪いかがわかります。
 昼間は少し晴れましたが、午後からまた曇り、夕方には雨が降り出し、涼しい風が吹きました。そんな訳で1台も駐車しませんでした。1日1台1000円という高額に驚いて、入ろうとする車もあわてて引き返す場面がありました。18時までむなしく時間を過ごしました。結局天候や気温のこともあり、この3日間1台も駐車しませんでした。
 明日は土曜日なので、晴れれば車が駐車するかもしれません。


7月1日 梅の実
 梅味噌ドレッシングの材料になる梅の実を求めて西播磨の道の駅をまわりました。幸い最初に訪れた新宮の道の駅でよく熟れた梅の実が安く売っていました。近くの農家が出荷されているので、とても良い香りです。家ではしだれ梅の実が同じような色に熟れてたくさん落ちていますが、全く香りがありません。2年前にあまりきれいな梅の実なので梅酒にしましたが、果たしてしだれ梅の実の梅酒が飲めるのか疑問を抱きながら時間が経つのを待っています。
 あまりにも香りの良い梅の実なので、梅干し用にも1s買い求めました。店の人が、「あの人のことだから1s以上入れて、値段も下げているんだよ」と言っておられましたが、帰って秤に載せると1.1sを超えていました。来年も手に入ればいいなと今から思っています。


6月29日 我が家の収穫
 庭でわずかな菜園をしていますが、最近次々に収穫の喜びを味わわせてくれます。
 梅雨に入る前にジャガイモを収穫しました。40本ほどをかなり窮屈に植えましたが、思ったよりたくさん収穫できました。そして、2本植えていた黒皮カボチャが16個実をつけました。10個収穫してまだ6個畑で稔っています。これだけ実がなるともう雌花は咲きません。なすびは1本だけ植えたのですが、他の野菜に比べて木が大きくならず、こぶれているかと思ったのですが、大きくなりだすと次々に花が咲き、もう7〜8個収穫し、まだたくさん実が付いています。キュウリは鉢植えですが2本植えた内1本はもう4個収穫しました。小さかったもう1本の苗も1個収穫し、3個ほど小さな実をつけています。
 トマトは店で買うのと違って木で稔らせるので味が違います。そんな訳で6本植えましたが1本は病気にかかり抜いてしまいました。残りのトマトはミニや黄色などいろいろな種類で、毎日楽しませてくれます。特に気温が高くなってから色づきが早くなりました。
 青じそは2袋種を播いたにもかかわらず、数本しか発芽しませんでしたが、すっかり大きくなり、しそジュースを1回作りました。素麺などの薬味には事欠きません。
 ゴーヤも例年のように2本鉢植えしていますが、やっと小さな実をつけています。最初に雌花が2個も咲いたのですが、雄花がまだ咲いていなかったので、受粉ができず、大きくなりませんでした。小芋は6本ほどですが、毎日なすびと一緒でたっぷり水をかけてやらねばなりません。収穫は冬なので、菜園で最も長く居座り続けます。
 当分収穫の喜びが続きます。ただ、今年はナメクジが異常発生していて、植木鉢の受け皿に「ナメトール」という薬を入れておくと、夜の間に何十匹もが団子になって皿の中で死んでいます。薬に吸い寄せられるのか、カボチャの被害が少なくて助かります。

    


6月27日 友愛クラブ例会−きみまろで笑う−
 地域老人クラブ「友愛クラブ」の例会でした。前回、綾小路きみまろのDVDで笑ってはどうかという意見があり、会長は早速その意見を取り上げました。DVDのレンタルは無理とのことで、最新の第3集を買ってこられました。幸い私が液晶プロジェクターを持っていたので、それを使って壁に映写しました。家庭用なので少し音が小さく、マイクを通して室内のスピーカーで流しました。はじめボリュームを大きくしすぎて何度か音量を下げるようにいわれました。細かい画面を見ることより、きみまろの話を聞くことが中心なので、家庭用のプロジェクターでも暗幕で室内を暗くすると十分画面を見ることができました。昨年末に79,000円で買ったプロジェクターが2度目のお役に立ちました。これからも大いに活用したいと思います。
 それにしても、案内状に会費半年分の徴収について書き漏らし、多くの方々に迷惑をかけてしまいました。申し訳なく思っています。


6月26日 OB会
 毎年夏に現職時代のOB会総会があります。私は会計を担当し、合わせて事務局ということになっています。今日は会長宅で役員会の準備会があり、篠山まで車を飛ばしました。2時間半かかると思っていたのに2時間もかかりませんでした。朝8時半に家を出たのですが、全く渋滞ということがありませんでした。これだけ気持ちよく走ることができれば燃費もよかったと思います。役員会は7月に三田で、総会は9月に篠山で開催しますが、会計決算報告や次年度予算など、明日からまた資料づくりをしなければなりません。放送大学の6月分の仕事が終わり、明日地域の老人クラブの例会を済ませたら、このOB会の仕事に取りかかろうと思います。


6月25日 自己新記録でトップ
 先日以来の雨で、グラウンドコンディションは上場でした。今日のグラウンドゴルフは、久しぶりにホールインワンが2回出たので、3ラウンドを16,20,14、トータル50という自己新記録でトップになりました。暑いけれども気持ちのよい汗でした。それにしても5月は1回もでなかったホールインワンが6月になって4本も出たことになります。年間30本が自分に課したノルマですが、今年も遠く及びません。
 帰ってすぐに着替えて高齢者放送大学往復課題の返信を事務局へ届けに行きました。そこで放送大学の講師5人が落ち合って会食をしました。12時過ぎから3時まで、ゆっくり話ができました。プライベートなことまで話をしたのは講師4年目になって初めてでした。


6月19日 神秘の世界「夏至観音」
 6月の夏至前後1週間くらいしか見ることができないといわれる夏至観音を見に連れて行ってもらいました。小豆島の歩き遍路がたまたま6月18〜19日にあったので、帰路のバスで行きました。
 一番札所東雲山の崖に午後3時頃日が当たり始め、観音像が現れるのです。私たちが到着したときには先客の巡拝グループが来ており、フィルターを借りることはできなかったので、肉眼では今ひとつわかりませんでした。それでも写真を沢山撮りました。夏至観音が現れたとき、住職が舞台の上で拝まれたので、その様子と合わせて撮りました。きっと夏至観音が現れていたのでしょう。帰りにポスターを見ると、フィルターを使ってあるらしく、岩が青みがかっており見事に観音様が現れていました。悔しいので、そのポスターも写真に撮っておきました。

 

6月14日 ナツツバキ
 中学校コミセンでコミセン祭が開かれ、所用で出掛けました。自転車に乗っていたので、ついでに明石の歴史書を持って東二見へ行きました。観音寺ではナツツバキが見事に咲いていました。歴史書に書かれている近くのお寺や公園もまわってみましたが、それぞれに歴史やそこに生きた人々のことがよくわかり、興味深くまわることができました。近日中にグループいきいきネットの仲間と訪れるので、良い下見ができました。

  

6月13日 神戸学院大学土曜公開講座
 朝目覚めたとき、高齢者放送大学にはまだ時間がありました。しばらく待っているつもりでしたがうとうとしてしまい、今度目が覚めたらもう始まっていました。仕方ないので少しだけでも聞いておこうと布団の中で聞きました。やはりノートを取らなければ感想文は書けませんでした。月曜日にインターネットで講座を聞いて書こうと思います。
 午後から神戸学院大学の土曜公開講座を受講しました。受講料は無料ですが、交通費は往復1000円ほどかかります。今期は新型インフルエンザの流行で前半2回が延期になり、5回の内2回しか受講できません。今日の講義はリハビリテーション学部の古川学部長が「メタボの予防と脳梗塞のリハビリ」についてはなされました。次回6月27日は以前素晴らしい講義をされ、高齢者放送大学でも講義をして下さった備酒伸彦先生の講義ですが、友愛クラブの例会と重なり、機械操作をするので残念ですが講座を受講できなくなりました。


6月10日 絵手紙講座
 江井ヶ島中学校コミュニティセンターで「絵手紙で暑中見舞いを作ろう」という講座がありました。妻が指導を受けている講師だったので勧められて受講しました。ところが講師急病ということで代わりの女性が講師となり、アシスタント3人と一緒に指導して下さいました。
 絵手紙といいながら紙を切り抜き、のりで貼ったり、スタンプを押したりと素人にも簡単に作れるものでした。文字は割り箸に青墨をつけて書くのですが、割り箸の一番上をつまむようにして持って書くので、なかなかうまく書けませんでした。小さな字が書けないので、大きな文字を書くと「さすが男性は堂々と書きますね」などといわれました。
 そのあと割り箸を同じように一番上をつまんで青墨をつけて線引きの練習を半紙でしました。1分間に10cm位のゆっくりした速度で、上から下、下から上、左から右、右から左へと直線を書いたり、渦巻きを内から外へ、外から内へと書く練習をしました。ゆっくりした筆遣いの上、思うように割り箸の先が滑ってくれないのでとても難しい作業でした。
 大半が女性で、しかも一年間月1回の講座を受けておられる受講生でした。私のように1回限りの飛び込み受講生はほとんどいませんでしたが、こちらが話しかけると気軽に交流して下さいました。みんな地元の人ばかりだったからでしょうね。


6月9日 番組編成会議
 高齢者放送大学の本年度後期の番組編成会議がありました。いろいろな先生方がよい講師を推薦されるのですが、聞いていてその本を読んでみたいと思うことが多々ありました。私もこの講師はどうだろうと何冊も本を読んでその中から選んで紹介します。今回本を読んでいて、笑顔と感謝のすばらしさを書かれている講師がありました。推薦しようかと思い、念のためにインターネットでその人のことを調べてみると新興宗教の窓口で被害にあった人がたくさんいるという記事にびっくりしました。講師の推薦は本当に難しいなと思います。


6月6日 楽しい集い
 学校厚生会東播磨・北播磨地区の「春のつどい」が明石市民会館でありました。明石市出身や明石市勤務の方々の活躍ぶりが披露されました。最初は喜春太鼓の演奏、女声ばかりの気持ちよい演奏でした。続いて明石南高校OBのブラスバンドを中心にしたジャズバンド「ブルーサウンズ135°」の演奏で、なつかしい曲の他、女性のジャズ歌手と演歌歌手も共演しました。ジャズ歌手の歌はもっと聴きたいと思いました。続いて市内小学校の音楽専科の先生「まりこ&まゆみ」のデュエットとソロがありました。さすが現職の音楽の先生だけあってオペラのアリアを見事に歌われました。この様な先生の指導を受ける子ども達はきっと歌好きになることでしょう。
 最後に明石出身の落語家・桂阿か枝の高座でした。何度も阿か枝の高座を見ますが、どんどんうまくなるなと思います。それにしても学校厚生会の退職会員が2万5千人もいるというのですから、みんな長生きになったものです。団塊の世代に続く退職者が今しばらく続くので、ますます増えることでしょう。


6月5日 2ヶ月ぶりのホールインワン
 4月上旬のグラウンドゴルフでホールインワンを打ってから久しく記録から遠ざかっていました。4月はこの1打だけ、5月は私だけ記録していませんでした。ちなみに最も多い人は9本でした。ホールインワンを打つと100円寄付します。月に1万円くらい集まるので、ひとり平均4〜5本です。このお金は後日親睦旅行や忘年会の補助金になります。私は肩身の狭い思いをしなければなりません。
 そして今日、2ヶ月ぶりにホールインワンを打つことができました。打った球がコースの途中で石に当たり、方向が変わってそのままゴールにはいるというラッキーな一打でした。それでもホッとしたうれしい一打でした。
2ゲームを終え、3ゲーム目を始めたところで降雨中止になりました。来週は当番なので、朝早くからグラウンド整備とコースの準備をすることになります。

6月4日 明石市第九合唱団結団式
 今日から第九合唱団の練習が始まりました。初日に集まったのは100人あまり、最終的には200人ほどになるのですから、これからというところです。ちなみに私の受付番号は62番です。私のパートであるテナーには新しくひとり加わりました。しかし出席者は昨年の半分ほどでした。昨年の強力メンバーがそろうことを期待しています。
 今年は明石市制90年記念で、明石市民を中心にした明石フィルハーモニー管弦楽団及び高校生以下の同ジュニア部門との共演になるので、出来映えがどれほどになるのか楽しみです。12月20日の演奏会当日は満席になることを期待しています。


5月31日 カボチャに雌花第1号
 夏野菜を少し植えていますが、カボチャは2本、親のつるの先を止めてから子のつるがどんどん成長し、昨日雄花が咲き始めました。そして今朝は雄花、雌花それぞれ一つずつ咲きました。早速雄花を摘んで、雌花にたっぷり受粉をしてやりました。これから先は次々と雄花も雌花も咲きそうです。昨年植えるタイミングを失してしまったのですが、夏の間、カボチャの値段が高止まりしていてあまり食べることができませんでした。今年は家で出来るカボチャをたっぷり食べることができそうです。特に冷やした美味しいパンプキンスープが期待できそうです。
 


5月29日 4夜連続の夜更かし
 先日テレビ受信をデジタル化しましたが、ケーブルテレビのために番組がうんと増えただけで、さしてメリットを感じませんでした。ところが衛星放送ハイビジョンで5月25日から4夜連続で山田洋次監督の学校シリーズが放映されました。ところが放映が夜11時からということで、終わるのが何時も深夜1時をだいぶ回っていました。それから風呂にはいると、連日2時就寝という訳で、久しくこの様な深夜まで起きていることがなく、昼間に睡魔が襲ってきます。そんな訳で翌日昼間に昼寝をしたり、出掛けたときは夕食を済ませてすぐに1時間ほど眠ったりしました。
 4話とも素晴らしい作品でした。どの作品も以前に見たはずなのに、一部分だけしか記憶になく、新鮮な気持ちで夢中で見ていました。やはり、日本映画は良いなと思いました。今夜からは早く就寝したいと思います。


5月28日 宝塚歌劇「エリザベート」
 今日は宝塚大劇場で「エリザベート」二幕を鑑賞しました。この物語の進行役「ルイジ・ルキーニ」を演じた龍真咲さんのファンクラブの人から入場券を受け取り、1階中央の素晴らしい席で見せていただきました。入場券と一緒に龍さんのメッセージが入っていました。オーケストラの生演奏に乗って歌い踊る晴れやかな舞台は何度見ても迫力があり、楽しませてもらえます。全員女性であるはずなのに男役は男性として物語の中にとけ込んでいる様子は、全員男性なのに女役が女性以上になまめかしい歌舞伎と共通しているところがあります。ただし、観客の95パーセント以上が女性で、高齢の男性はチョット肩身の狭い思いがしないでもありません。でも観客のひとりなのだから良いことにします。
 昨日、宝塚市役所で500組のマスクの配布するの1000人以上が並び、購入できなかった人たちが不満を漏らしているニュースが放映されていました。念のためにマスク持参で行きましたが、マスクをしている人は電車でも劇場でもほんの一部で、あの騒ぎは何だったんだろうと思いました。私もマスクを着けることはありませんでした。


5月18日 新型インフルエンザ
 神戸市で発生した新型インフルエンザはあっという間に県下や大阪府に広がり、驚いています。成田空港で高校生が感染していたというニュースを聞いたときには、よそ事で関係ないと思っていました。ところが日本で最初の患者がこともあろうに私の母校の生徒だと聞いたときには、驚きと共に急に身近に感じてしまうのですから、身勝手なものです。
 今日、私の住んでいる地域の小学校も明日から金曜日まで休校だという連絡がありました。私の住んでいる田舎でもマスクをしている人を時々見かけますが、ほとんどは子どもが学校に通っているような若いお母さんです。ところが、大久保駅近くまで行くと多くの人がマスクをしていて、マスクをせずに出掛けた私たちは肩身の狭い思いをしました。明日は川柳教室で明石に出掛けますが、マスクをして出掛けようと思います。
 今日はグラウンドゴルフや女性のカラオケを予定通りしましたが、今週土曜日に出掛ける予定にしていた神戸での会議や、明石での高家寺寄席は中止の連絡が入りました。木曜日から京都・大阪・兵庫のグループで小豆島の歩き遍路に出掛けますが、ホテルは大阪や兵庫から来る団体は受け付けたくないだろうと思います。それこそマスクをして訪れなければなりません。マスクが売り切れ状態だといわれていますが、幸い花粉症の時に買い置いているマスクがあるので助かります。


5月16日 友愛クラブ例会
 地区の老人クラブ(友愛クラブ)の例会がありました。午前中に準備をしました。今回は新会員向けに各グループ活動を紹介するということで、スライドを見せながら説明してもらいました。少し早めに出掛け、私の持っている家庭用の液晶プロジェクターで映してみましたが、50人が見るには少し暗い感じです。幸い小学校コミセンで学校用の機器を借りることができたので無事皆さんに見ていただくことができました。将来立ち上げられる地域のホームページ用に撮った写真は人物が小さく、反響は少なかったのですが、自分達の仲間がはっきり写っている写真には大喜びでした。今までこの様な企画をすることがなかったので、古い会員も他のグループの様子がわかり好評でした。
 今後もこの様な映像を使った企画ができそうだという意見もありました。例えば、君麻呂のDVDで「大いに笑いましょう」という例会も良いかななどという意見もありました。難しい研修は期待できませんが、楽しさを前面に出すことができれば出席率は高くなるでしょう。ちなみに今回は62人中40人の出席でした。
 映像を見たあとは1時間ほどお菓子を食べながらおしゃべりを楽しみました。


5月13日 歴史講座と妖怪
 県立歴史博物館で月1回、兵庫県芸術文化協会主催の歴史教室が開かれており、参加しています。昨夜遅くまで友愛クラブの仕事をしていたので、途中で眠ってしまうのではないかと心配しながら参加しました。案の定開始早々20分ほど眠ってしまいました。それでもすっきりしてあとはしっかり講義を聴くことができました。
 講座修了後、同会場で開催中の「妖怪天国ニッポン」を鑑賞しました。過去の妖怪からオバケのQ太郎まで、幅広く展示・解説されていました。お化け屋敷など子ども時代になじみの妖怪をなつかしく見ることができました。それにしてもオバケのQ太郎まで妖怪扱いされていることに少々驚きました。また、結構有名な画家も妖怪を描いていることにも意外な思いをしました。


5月12日 スカイマークスタジアム
 メタボの検査を3月に受診しました。結果が保健センターから送られてきたのですが、悪玉コレステロールの値が高く、医療機関での受診を勧奨されました。今日朝食抜きで近所の内科医へ行き血液検査を改めてしてもらいました。結果は明日わかるそうですが、善玉コレステロールが低い傾向にあるといわれたことはあっても、悪玉についてはこれまで問題はありませんでした。正常な結果が出ることを祈っています。
 先日神戸新聞の購読料領収書と一緒にスカイマークスタジアムのオリックス西武戦の入場券が入っていました。前回は打ち上げ花火があるということで超満員で内野席に座ることさえできませんでした。だから今年は早めに出掛けたのですが、駐車場は余裕たっぷりでした。内野自由席ということだったので、ライトのポール付近に陣取ってゆっくり見ることができました。それでも着いたときにはすでに3点先制されていて、1回の攻撃も、野手の正面を着く不運なライナーで挽回できないまま試合が進みました。そして連続2塁打などでさらに3点追加され、すっかり興味を失ってしまいました。それでもホームランやヒットで3点挽回し、7回裏は打順が上位に回ってくるので期待して帰るのを延ばしました。7回裏の攻撃を迎えたとき、突然グラウンドに警備員やグラウンド整備員が飛び出してきたので何事かと思ったら、一斉に風船が飛ばされました。阪神の試合ほどではありませんが、楽しく見ることができました。しかし7回裏の攻撃も、せっかくランナーがでてもダブルプレーやローズの三振で点も入らず、あきらめて雨の降らないうちに帰りました。
 帰ったらスポーツニュースでさらに2点挽回していましたが、やはり負けゲームでした。これで阪急時代から球場に足を運んだゲームはまだ1勝もしていません。それも大差で負けたり、さっぱり打てないという試合ばかりなので楽しんでみたという経験がありません。やっぱりテレビで見ている方が良さそうです。夜遅くには雨が降り出し、早めに帰って正解でした。


5月11日 またまた喫煙家のマナーの話
 昨日は地域自治会の一斉清掃日でした。私も家のまわりや溝掃除に精を出しました。溝といってもコンクリートで固められており、雨が降らなければ水は流れません。そんな訳できれいに掃いておきました。今日お昼に見るとタバコの吸い殻が5本も落ちていました。家が角地にあり、信号があるため、信号待ちの間に車の窓からタバコの吸い殻を投げ捨てたのでしょう。時々火のついたタバコを投げ捨てたと思われるような吸い殻を見かけることもあります。我が家は生け垣なので、火のついたタバコを庭に投げ込まれたら大変なことになります。喫煙家のマナー向上に良い方法はないものでしょうか。


5月9日 古い写真の整理
 現職時代の同僚との写真や仕事上の写真などが本箱の一部を占領しています。そのために、いま地域で進めているいろいろな書類や記録が机の上を占領しています。そこで本箱を整理することにしました。先ずやり玉に挙がったのが写真です。私が死んだあとは家族が困るだけで何の役にも立たないでしょう。アルバムにきちんと貼っているものは大きな場所を取っています。それらを剥がし、アルバムで資源ゴミにできるものはひもでくくって資源ゴミの日に出せるようにしました。続いて現職時代のいろいろな書類や印刷物です。今更このことに関わった仕事をする訳がありません。それで個人情報に関わらないものはひもでくくってこれも資源ゴミとして出せるようにしました。処分に困ったのは名簿です。私の現職時代は個人情報については何も言っていなかったので、やたらと名簿があります。これはシュレッダーで裁断したいところですが、そのような便利なものがないので、一冊ずつはさみで切り刻みました。お陰で手が痛くなりました。
 捨てる際、一応写真に目を通したのですが、ふさふさした髪の毛、職場での仕事ぶり、同僚のなつかしい顔にしばし想い出に浸りました。また、現職時代の書類では、いろいろな会議でやたらと挨拶のところに私の名前が出ています。どの様な挨拶をしていたのかさっぱり記憶にありませんし、自分がそのような役割を果たすことができたのか不思議でなりません。これらの書類に関わる退職者の会が今年兵庫県が当番で近くその準備委員会が開かれる予定です。当然私にも参加の要請が来ています。今の生活にそれほど関係のない昔を振り返るだけの会にはあまり気が進みませんが、現職時代にお世話になったことを考えれば、その恩返しを少しでもしておかねばならないと思い、顔を出すことにしました。今は地域の高齢者の生きがいづくりを最大の課題にし、その研修の場として高齢者放送大学の仕事に取り組んでいるので、現職時代の関わりにはすっかり興味関心が薄れてしまったというのが正直な気持ちです。きっと兵庫県いなみ野学園地域活動指導者養成講座の受講生の皆さんのすばらしさに大きく影響されたからだと思います。だから、この講座に関わる書類やアルバムは大切に残しています。これらはこれからの人生の参考になることでしょう。


5月7日 高齢化率
 久しぶりに朝から雨が降っており、グラウンドゴルフが中止になりました。新聞も休刊で手持ちぶさた、掃除機をかけたりしていると自治会の回覧板が回ってきました。その中に小学校区の情報が書かれた資料が入っていました。
 人口  15,579人
 世帯数  5,819
 小学校児童数  1,212人
 高齢化率  16.19%
 我々高齢者もたくさんいますが、マンションや一戸建ての家が次々建てられているので、子供も増えています。お腹の大きな女性、乳母車に乳幼児を乗せた女性もよく見かけます。だから少子高齢化を実感することもあまりありません。高齢者が小学生の登下校を見守りながら元気なまちづくりが実現しているのではないかと思います。


5月6日 世界砂像フェスティバル
 鳥取県の砂丘で開催されている世界砂像フェスティバルへ行きました。家を10時半頃に出発、自動車道は加古川バイパスと姫路バイパスの無料区間を走っただけで、あとは国道29号線など一般道ばかりを走りました。渋滞することなく14時30分には会場にはいることができました。世界中の砂像作家が制作したというだけあって見事な作品でした。2時間ほど見学し、海鮮カレーというのを食べながら休憩し、砂丘も少し覗いてシャトルバスで駐車場へ戻り、17時に鳥取を出発して、無事21時に帰り着きました。一般道は全く渋滞することがなく、ほとんど時速50〜70キロで走っていました。ゴールデンウィーク最後の日でしたが快適なドライブでした。

   

5月3日・4日 カラオケグループの集まり
 3日は地域の男性カラオケグループの集まりでした。5時に集まり、いつも缶ビール2本と焼酎のお湯割り、刺身、漬け物、巻きずしがメニューです。今回は衆議院の解散問題に始まり、地域の老人クラブの歴史などいろいろ話題豊富ですっかり話し込んでしまいました。そのためカラオケの方は二人が歌っただけで閉会の9時を過ぎてしまいました。
 そして4日は午後から女性のカラオケグループの集まりでした。1時半から始まるのですが、1時過ぎには全員が集まり、予定より早く始まりました。こちらは新曲2曲を練習しました。なかなか正確には歌えませんが、中にひとりとても正確に歌うメンバーがいます。こんなに早く覚えられるのを何時もうらやましく思っています。女性も途中でお茶菓子をいただきながらおしゃべりがはずみます。新曲を覚えることと合わせておしゃべりがすることは、脳の活性化につながっているのではないかと思います。


4月27〜28日 六甲山スカイヴィラ1泊
 学校厚生会の施設利用券の使用期限が4月末日になっています。毎年六甲山スカイヴィラの3000円・2000円割引券が残ってしまうのでこの時期に出掛けます。温泉にゆったり浸かり、生ビールを飲み、ご馳走を食べながらのんびり優雅なひとときを送ることができます。ただ、春休みが済んだこの時期はお客が少なく、少々淋しく感じます。翌日は毎年車をホテルに置いておき、六甲山上を散策するのですが、今年は車で裏六甲ドライブウェーを下り、フルーツフラワーパークへ行きました。着いたときは人がまばらでのんびりしていましたが、昼前には観光バスで児童生徒が次々遠足でやってきて、とてもにぎやかになりました。彼らの多くはバーベキューを楽しんでいました。私たちはホテルのレストランでピザを食べました。レストランでピザを食べるのは初めての経験で、レストランの人にいろいろたずね、、30pのピザを二人で食べました。丁度よい量でした。フルーツフラワーパークへは17〜8年ぶりに行きましたが、こんなに広く、立派なところだとは知りませんでした。この施設も学校厚生会の施設利用券で入園したので、高速道路の料金200円と昼食代だけで済みました。使用期限ぎりぎりに有効に使った二日間でした。


4月24〜25日 友愛クラブグラウンドゴルフ部ハワイ温泉1泊親睦会
 地域老人クラブ「友愛クラブ」のゴルフ部で1泊の親睦旅行が鳥取県西部のハワイ温泉で行われました。毎年同じ旅館に泊まり、一日目の午後と二日目の午前に3ゲームずつグラウンドゴルフをします。
 朝8時半に地元を出発、先ず旅館まで直行し昼食を済ませて、大栄グラウンドゴルフ場へ行きました。こちらは地形がフラットで、足腰の弱いメンバーにもあまり負担をかけることなくプレイができます。いつものグラウンドと違い、芝生で、ゴールポストの手前にこぶがあったり、微妙に傾斜しているので、思うように球が転がってくれません。打ちそこなうとグリーンまわりの植え込みに入り、ペナルティを取られて出すことになります。思うようにスコアが伸びず、22人中15位で初日を終えました。
 夜は宴会で、90分飲み放題、結構酒量が増えました。途中からカラオケ大会になり、私はレイによって食事を中断して機械操作に集中しました。歌えそうな人にお願いすると次々曲目を指定して下さるので、とぎれることなく時間いっぱい歌い続けることができました。ただ、隣の部屋のカラオケのボリュームが大きく、両方の歌を同時に聞く羽目になりました。最後の人が歌っている間に大急ぎでご飯とデザートをかき込みました。
 翌日は大雨で屋外のコートは使えません。仕方なく予約をしていただいていた室内グラウンドゴルフ場「オレンジ球場」へ行きました。同宿していた3団体がみんなグラウンドゴルフを目的に来ていたので、狭いところでにひしめき合うことになり、先に来ていた大きな団体にプレーの邪魔をしないでと何度も注意されました。その団体が帰った後は我々のような小さな団体2つで3ゲームをゆっくり楽しむことができました。
 私は記録しながら、しかもまわりのプレイの邪魔にならないように気をつけながらのプレイだったので集中できず、さんざんの成績でした。そして結果発表と表彰式で、20位の飛び賞をもらいました。21位がBB賞ですから、ビリから3番目の成績という訳です。中途半端な成績より、商品のもらえる成績だったことが慰めでした。21人中ホールインワンのなかったのは私を含めて4人だけで、私より成績の悪かった女性二人もきっちりホールインワン賞をもらっていました。
 帰りに話題の生キャラメルを買って帰りました。初めて食べましたが、広告通り口に入れるとすぐにとろりと溶ける美味しいキャラメルでした。しかし、値段の高さにチョット驚きました。きっと保冷袋に保冷剤を入れてくれる包装代が含まれているからだと思います。
  


4月22日 三徳山三仏寺投げ入れ堂トレッキング
 神戸新聞旅行社主催のトレッキングに参加しました。朝7時に明石から乗車、西神中央、三木緑が丘で総勢21人が参加、旅程では10時にトレッキング開始でしたが、添乗員が自ら計画ミスを述べていたように、11時を大きく回って登山口に到着しました。やや冷たい風があるものの、気持ちよい天候に恵まれ現地ガイドボランティアの説明を聞いて出発しました。
 登山口で履き物のチェック、滑りやすい履き物の場合はわら草履に履き替えるのだそうです。参加者全員が中高年で、若いガイドボランティアのきめ細かな指示で順調にトレッキングを楽しみました。それでも登り初めてすぐにひとりがリタイア、20人が挑戦しました。どの根っこに足をかけ、どの根っこをつかんで身体を引き揚げるか、どの石にどちらの足を置くのかなど、細かい指示に従わなければとうてい登ることはできません。最も急なところは斜度70度の崖を鎖につかまって登ります。私はその部分を回避し、別ルートを登りましたが、その代わり馬の背とよばれる細い尾根をこわごわ渡る羽目になってしまいました。そこには文殊堂が建っており、まわりの幅60センチほどの濡れ縁を歩くことができます。しかし崖の上に立っていて、手すりもないので、一歩間違えば崖下に転落してしまうと思うととても緊張しました。再び馬の背を渡り、急な坂道をまわりの木の根などにつかまりながら登り、地蔵堂、鐘楼を経て、観音堂にたどり着きました。多少汗をかきましたが、風が強く、汗はすぐに乾いてしまいました。観音堂から一つ崖道を回り込むと投げ入れ堂が目の前に現れました。思わず歓声を上げ、あとは夢中でシャッターを切り続けました。60年に一度限られた人にご開帳されるそうで、私たちは少し離れたところからのお参りでした。
 下りは崖下に目をやりながら降りるので登りよりも緊張します。下りも一つ一つ足場を指示してもらい、無事下山することができました。登山事務所で預かった輪袈裟を返し、人数の確認のあと、ガイドボランティアと別れて鹿野温泉の国民宿舎に向かいました。昼食場所に着いたのは予定より1時間以上遅れた2時40分でした。早速生ビールを注文し、空き腹の胃を癒やしました。ゆっくり食事をしていたら、みんな温泉に行ってしまい、私が最後になってしまいました。
 温泉にゆっくり浸かり、汗を流してさっぱりすると、もう帰る時間になっていました。帰りのバスでは疲れのためにすっかり眠ってしまいました。帰りのトイレ休憩でアワクランドへ寄ったとき、大きな文旦が10s31500円で売っていました。大好きな文旦のあまりの安値に思わず買ってしまいました。10sの重さは家に帰り着くまでずっしりとこたえました。感動の多い一日でした。

   

4月18日 三木ホースランドでグラウンドゴルフ大会
 友愛クラブゴルフ部のメンバーと一緒に、仲間の車に分乗してグラウンドゴルフ大会に参加しました。会場は乗馬の障害競技を訓練する場所なので、草が生えているだけでなく、蹄のあとなど穴だらけのグラウンドです。しかも広々としたところに18ホールですから、50メートルの距離を打つホールがいくつもあります。私など打ちそこなうと草に絡まれて半分の距離も打てないことがありました。前半の9ホールが31のスコア、後半は26打で、トータル57は平均的なスコアでした。もちろん入賞はなく、飛び賞もブービー賞もなく、参加賞の玉子をもらって帰りました、
 ところで朝家を出る前に下痢に見舞われ、競技の途中で催すことになったら大変だなと思いながら参加しました。その心配が的中し、最後の1ホールを残してトイレに行きたくなりました。幸いなことにロングホールだったこともあって3組前のグループが競技をしていて待たなければならない状況でした。大急ぎでトイレに駆け込み、事なきを得ました。トイレから出てくるとまだ前の組が競技を始めるところでした。
 そのような訳で最後まで無事参加することができました。帰路、みんなで食事をしましたが、私はうどんで我慢しました。そして持参した正露丸を飲み、何とか支障なく家に帰り着くことができました。昨日の歩き遍路の途中でお腹を壊していたら大変だったと思います。本当に神様か仏様に守られている思いです。明日は久しぶりで予定が入っていないので、ゆっくり休養したいと思います。


4月13日 明石海峡公園でもらったチューリップ
 昨年、国営明石海峡公園で彫り上げたムスカリとチューリップの球根を庭に植えていましたが、ムスカリはほぼ咲き終わりました。一方、チューリップはいろいろな珍しい種類の花を咲かせています。ダリアのような大きな花はもう散ってしまいました。しかし、黒といわれる濃いえび茶色の花や、まわりがギザギザになった花びらなどこれまであまり見たことがない種類は今が見頃です。
 病院へ行った帰りにゴーヤ「さつま長大れいし」の苗を買ってきて植えました。この圧は食用菊の苗を植え付ければ菜園の仕事は水やりを残して一段落です。
   


4月11日 夏野菜の植え付け
 明石市文化博物館で開催されている日本画展を鑑賞した帰りに、種苗点で夏野菜の苗を買って帰りました。帰宅後早速耕しておいた庭の小さな菜園に植えました。カボチャ2本、ナスを1本、トマトを7本植えました。トマトは黄色の大玉、赤の大玉、赤の中玉を取り混ぜて植えましたが、このあとゴーヤを植える準備をし、また苗を買ってこようと思っています。
 そのあと、食用菊をグループいきいきネットの仲間にさし上げられるよう苗作りをしました。4月23日の例会(タケノコ掘り)で渡せるような苗になっておればいいなと思っています。


4月10日 友愛クラブ(老人クラブ)4月例会(お花見)
 今日は私が所属している地域老人クラブ「友愛クラブ」のお花見会でした。昨日のグラウンドゴルフのあと当日の段取りを確認し、今日は9時に役員みんなが自治会館に集合しました。先ず会場の門池公園で使う机や椅子、シートなどを軽トラックに積み込みました。さらに個人が所有しているシートなども届けられ、机などを並べて会場は出来上がりました。ところがあまりにもお天気がよすぎて暑くてたまりません。そこで再び個人持ちのテント3張りが持ち込まれ、組み立てて陰を作りました。お陰で2時間ほどのお花見の間、みんながその下によりあって楽しく過ごすことができました。テントごとに小さく集まったので話もよく弾んでいたように思います。
 テントを組み立てた関係で弁当を取りに行く時間が遅くなり開会が15分ほど遅れました。しかし、友愛クラブでお花見をするのは10年数年ぶりなので50人近くが参加しとても盛況でした。そして喜んでいただきました。昨年会員の死亡が相次ぎ、補助金がもらえる最低限の50人を切りましたが、新役員が危機感を持って勧誘したお陰で13人の新入会員があり、62人になりました。そして新入会員の内5人が今回の花見に出席してくださいました。会長の開会の挨拶に続いて、ビールやワイン、ジュース、お茶などそれぞれの希望の飲み物を紙コップに注いで、米寿を迎えられた最長寿の女性に乾杯の音頭を取っていただき、懇親会を始めました。
 飲食が一段落したところで役員全員に一言ずつ抱負や友愛クラブでの活動の案内などを話していただきました。これからは従来の活動にとらわれず、いろいろな意見を聞いて楽しい企画をしていきたいと思います。
 2時間ほど経過した頃、シートに座っている人たちから腰が痛いという声が聞こえ始めたので中締めの挨拶をしていただき、それからさらに希望者は30分ほど飲み続けたあと自然解散になりました。新役員が新たな取り組みをしているという印象を皆さんに与えることができたことは大成功だと思います。後かたづけは役員が中心になってそれぞれの備品を元通りに軽トラックで運び、短時間で終えることができました。そのあとしばらく次回の予定や案内状を配る担当を話し合ったりして解散しました。
 家に帰ってからは役員みんなの意見を参考に担当の割り振りの原案を作りました。次回のグラウンドゴルフの際に原稿を役員に見てもらって決定したいと思います。家に帰ってから、カメラを持って行ったのに写真を撮るのを忘れたことに気づきました。近く校区のホームページが立ち上げられるのでその資料を確保しようと思っていたのに残念なことをしてしまいました。


4月8日 グラウンドゴルフ大会
 明石市高年クラブ連合会主催健康づくり(春期)スポーツ大会のグラウンドゴルフ大会が西明石駅近くの上が池公園グラウンドで行われました。1チーム6人で112チーム670名以上の老人クラブ会員が集まり、10ホール2ゲームで競いました。私たちのチームはひとり欠場者が出たため参考参加になりましたが、欠場すると相手チームがゲームをすることができなくなるので、5人で試合に参加しました。私自身は1ゲーム目は31、2ゲーム目は27と平凡なスコアでした。
 グラウンドのまわりは満開の桜で、快晴だったので暑いくらいでした。結構試合待ちの時間が長く、花見を満喫しました。高齢者以外にもたくさんの人が仲間や家族連れでお弁当持ちで花見に来ており、平日とは思えない人出でした。
 帰りに明後日の地域老人クラブ花見の弁当予約やつまみの買い出しに会に役員で出掛け、花見当日の打合せもしました。50人の出席が予定されていますが、これほどたくさんの会員が一堂に会するのは私が入会して以降初めてのことです。新入会員も沢山あり、活発になりそうです。


4月7日 テレビのデジタル化
 我が家はケーブルテレビなので、アナログのまま見続けていました。今回ケーブルテレビの会社からキャンペーンで工事費無料でデジタル化すると言ってきました。折角のお誘いだと思いデジタル化してもらいました。ところがテレビ大阪などのようにデジタル化されていない放送局があるなど、一旦アナログに繋ぐと入力切り替えをしなければならず、また、地デジ、ケーブルの番組がそれぞれ別ボタンで、しかもチャンネルがアナログの時と違うので、慣れないととても複雑に感じます。ケーブルテレビの番組は3桁の数字を入力する必要があり、チャンネルもたくさんに増えて充実した一面、なかなかチャンネルと番組が結びつきません。当分番組表とにらめっこが続きそうです。


4月5日 台湾統治の歴史
 NHK−TVで台湾統治の歴史を放送していました。私たちはこの様な詳しい歴史の状況を聞くのは初めてです。やはり、自分達の弱点になる歴史には封印されている部分が多いことがよくわかります。今は、日本が帝国主義時代に迷惑をかけてきた近隣の国の人々のことを理解した上で、他国との関係を考えなければならないと思いました。
 中国や朝鮮半島の人々のことも冷静に真実を伝えるべきなのでしょうね。さらに沖縄の人々のことももっと考えなければならないことを今日の放送は示唆しているように思いました。


3月31日 三木山森林公園でウォーキング
 昨日・今日と2日連続、三木山森林公園でウォーキングをしました。一番外側の遊歩道を歩くと、アップダウンをくりかえす4qの道のりがあります。時計回りでまわると疲れの少ない間に急なアップダウンのコースを歩くので気持ちよく歩くことができます。ところが逆にまわると最後疲れたときに山道の急な階段を上ることが多く、グロッキーになってしまいます。今回は2日とも時計回りで歩いたのでそれほど負担はありませんでした。それでも2日目になると前日の疲れがあるのか、上り坂で足がだるくなりました。この様に山道をある程度のスピードで歩くことによって、4月16〜17日の歩き遍路に備えています。
 驚いたのが、桜がまだ蕾なのに、山ツツジが木によっては満開の花をつけている(右の写真)のです。そして花の咲いていないツツジも新芽がとても美しくなっていました。山はいよいよ春の訪れを喜んでいるという感じで、とても気持ちよく歩くことができました。
 三木山公園は家から車で50分ほどのところにあるので。手軽に行くことができます。昨日は3時頃、今日は2時30分頃に家を出ました。1周歩いても明るい間に帰宅できました。


3月27日 ホームページ基礎講座
 小学校コミセンでホームページの基礎に関する講座がありました。私の場合、「ホームページビルダー」のソフトとその解説書を使ってホームページを立ち上げたので、基礎については全くわかっていません。そこでこの基礎講座を受けました。ある程度言葉が理解できたので、講座の内容をよく理解することができ、とても有意義でした。小学校区コミセンで来年度地域のホームページを立ち上げるということで、私の所属する高年クラブの活動状況を掲載するお手伝いができればと思いました。


3月26日 介護保険制度の勉強会
 午後から地区の自治会館で介護保険制度の講座がありました。主催は地域の在宅介護支援センターで、講師は市の担当者でした。介護保険について具体的な説明を聞くのは初めてでした。資料を活用しながら、私たちの地域の人々を対象にした説明なので具体的でよく理解することができました。介護保険を利用するまでにはまだまだ時間がありそうなので、現段階では要支援の通知をもらえば、先ず相談に行くべきところがわかったというだけで十分だと思いました。介護保険を利用しなくてもよい期間を長くするために、日頃の健康づくりと健康管理を大切にしたいと思います。


3月25日 屋外の仕事
 やっと屋外の仕事がしやすくなりました。午前中は庭の6畳ほどの菜園に馬糞の発酵肥料を鋤き込みました。先日苦土石灰を鋤き込んでおいたので、土が軟らかく耕すのは楽でした。庭にはもう一つ狭い菜園があり、そこには20本ほどジャガイモが植えられています。ここは2月に息子たちが植えてくれていたので、先日からの暖かな気候で元気な芽が出ています。今日耕したところにはトマトとカボチャ、青じそなどを植える予定にしています。青じそは夏のスタミナ青じそジュースの原料になります。トマトやカボチャは苗を買ってきて植えますが、青じそはたくさん要るので一袋種をまきます。
 午後からは門の溝の蓋(渡り鉄板)にペンキを塗りました。今日は裏側だけ塗ったのですが、ひとりでは持ち上げることができないほどの重さがあり、2枚塗ると腰にこたえました。夜になってペンキ塗り立ての鉄板に人が乗ると危険なので、表側は後日朝から塗りたいと思います。


3月24日 高齢者放送大学「春の集い」
 10時30分から春の集いが開催され出席しました。本科生の修了証書授与式と、聴講生、生涯聴講生の努力賞授与がありました。生涯聴講生で努力賞を受けられた最高齢は宝塚市の102歳の方だとお聞きしびっくりしました。いずれも一定回数以上の感想文を提出した学生に授与されるのですが、皆さんとてもレベルの高い感想文を提出されており、私の感想は本当に恥ずかしいと思っています。それでも「継続は力なり」の言葉を信じて、今後もホームページで書き続けたいと思っています。
 終了後、祝賀パーティーがありました。なつかしい方々にたくさん出会いました。その中で、四国歩き遍路を79歳で結願された篠山市の上田さんとお話しすることができました。一国ずつ歩かれ、そのたびに遍路記を送って下さいます。今は般若心経を毎日写経されており、それを収めに傘寿の歩き遍路をされるとお聞きしました。ひとりで2度目の歩き遍路をされるその積極的な意欲と体力をうらやましく思いました。上田さんを目標に私も日頃のトレーニングをして、是非もう一度挑戦したいと思います。


3月22日 たこフィル定期演奏会
 朝から友愛クラブの役員会がありました。新会員の加入について話し合い、積極的に訪問して勧誘することになりました。役員が地元で生まれ育った人たちがほとんどなので、どの家にどの様な高齢者がおられるのかよく知っておられ、スムーズに候補者が選び出されました。封筒の用意までできましたが、私の作った案内状に不備が沢山あり、明日までに作り直すことにしました。
 午後からたこフィルの定期演奏会に行きました。2曲目はバルトークのビオラ協奏曲で、現代音楽風なのであまり心を動かされることがなく、途中で居眠りをしてしまいました。しかし、この様な現代音楽に対応できるようになったたこフィルのメンバーのレベルアップには感心しました。これなら12月20日の第九合唱団との共演が楽しみです。


3月21日 1000円ドライブに縁はない
 ETCを搭載している車の高速道路は1000円乗り放題になりました。高速道路も四国連絡橋も車があふれているとニュースで報道しています。しかし、私の車にはETCは取りつけていません。しかしお天気も良く、まさにドライブ日和なので、無料の自動車道である加古川・姫路・太子バイパスを乗り継ぎ、国道2号からブルーハイウェーを通って「道の駅黒井山」まで行きました。お昼弁当と文旦を買ってさらに西の「道の駅一本松」まで行きました。買い物をしたあと一本松から海岸まで一般道を下りました。そこから海岸沿いに虫明方面へ向かいましたが道は細くなるばかり、道に迷いながらも峠越えをしました。途中後続車を避けるために道路左端に寄りました。落ち葉が積もっていたので深い側溝があるのがわかりませんでした。奇跡的に側溝への脱輪を免れましたが、ぎりぎりのところまで車を寄せていました。もし脱輪していればめったに車は来ないし、携帯電話も家に置いてきていたので、救援を呼ぶこともできず大変な目に遭うところでした。「小島の春」で有名な虫明けへは行ったことがあるので、見覚えのある景色が見えたときにはホッとしました。やはりETCやカーナビを取りつけた方が良さそうです。


3月17日 小豆島歩き遍路3月は断念
 2月に続いて3月も歩き遍路を楽しみにしていたのですが、先週水曜日あたりから花粉症に加えて熱っぽく、身体がだるくなってきました。それでも木曜日はグループの行事があり、朝は調子が悪くなかったのでウォークに参加しました。午後になって再び身体が重く、布団の中で過ごしました。
 金曜日に内科医で診てもらうとカゼだということで、翌週の17日火曜日まで外出せずに休息を取るようにいわれました。しかし日曜日は老人クラブの総会で、会計係の私は欠席する訳にはいかず、火曜日の川柳教室で会費を払わなければ4月からの参加ができなくなります。という訳で安静にできそうもないので、体調の悪いときに2日間山道を歩く自信がなく、歩き遍路を断念しました。
 少々無理をしましたが、体調はずいぶん楽になりました。医者に処方してもらった薬をいわれたように服用していると一日中眠く、昨日もお葬式に列席したのに、お焼香するまでずっとうつらうつらしている状態で、今日は川柳教室と午後から車で墓参りをする予定があったので朝から薬の服用は中止しています。薬はもう必要なさそうです。それでも目がくしゃくしゃするので目薬だけはささなければなりません。この目薬にも眠気を催す成分が入っているとのことです。


3月15日 友愛クラブ総会
 友愛クラブの総会がありました。事業報告や会計報告があり、次期役員の承認と共に議事は終わりました。規約がないこともあって、その時の会長の采配によるところが大きくなります。そのようなこともあって、21年度の事業計画や予算案というものは存在しません。それはそれで会長はみんなの意見を聞きながら運営していかねばなりません。
 総会のあとは懇親会がありました。にぎり寿司とつまみでビールを飲みました。後半はカラオケ大会で、16人がエントリーして歌いました。結構みんな上手に歌っていました。日頃のカラオケグループの練習の成果だと思いました。
 終了後、新旧役員の引き継ぎと次回の計画が話し合われました。4月10日に花見をすることになりました。晴れておれば近くの公園で、雨の場合はいつものように自治会館で実施します。この様な屋外での例会は新会長の提案で、私が入会してからは初めてのことです。
 地域のコミセンで、江井ヶ島地区のホームページを作成する計画があります。その中に各種団体の活動状況を報告できるようにすればということで、私たちの友愛クラブの活動状況についてもこのページを活用し、新たに入会する人たちの参考にしていただければと思います。したがって、私が自分のホームページを利用して掲載することを中止しました。


3月14日 新聞に妻の写真が
 朝から電話が何本もかかってきました。妻が3年間学んだ高齢者大学の卒業式が昨日あり、その記事と一緒に「仰げば尊し」を歌っている写真が載っていました。そして一番前で妻が映っていたのです。お陰で報告しなくても卒業したことを新聞が知らせてくれました。


3月8日 写経
 明石・高家寺で3月の写経がありました。昨日の神戸新聞に高家寺の歴史的価値について記事が載っていました。写経のあとの法話で住職さんから新聞記事に関してお話を聞きました。県指定の重要文化財が3つあること、県指定になるためにはずいぶん資料をそろえなければならないことなど、いろいろ知らないことを聞くことができました。
 小豆島の歩き遍路では納め札は納められますが、写経を納める場所がありません。そんな訳で最近は家で写経をすることがなくなりました。いつか納める機会があると思うので、心が豊かになる写経を再び始めたいと思いました。


3月3日 友愛クラブ次期役員
 3月に私の所属している高年クラブ(明石市では老人クラブのことを高年クラブとよびます)=友愛クラブの総会が開かれ、役員が交代します。新役員7人が2月例会で選出されており、今日はそれぞれの役割について話し合いがありました。私たちは友愛クラブの中でも最も若い年齢であり、さらに若い60歳代の会員は一人もいません。これでは早晩友愛クラブは消滅してしまいます。若い会員が入らないのは、入会すれば私たちのように即役員にさせられるという思いがあるからのようです。そこで中心になる会長は年配の方に引き受けてもらい、若いところで支えればよいという結論になりました。私は会長のそばで総務全般の役割を果たすことになりました。どれだけ力になれるかわかりませんが、会長をしっかり支えていきたいと思います。


3月2日 まちづくりセミナー
 午後から神戸で震災に学ぶまちづくりセミナーが開かれ、参加しました。私は地元で高齢者がお互いに見守りあえる人間関係を作り上げることが大切だが、最もネックになるのがプライバシー保護に関わる問題だと常々思っていました。そのようなことがあり、今回も高齢者をどの様に支えるかという分科会に参加しました。行政の立場から、NPOの立場から、ボランティアの立場からとても良いお話を聞かせていただきました。しかし、これらが連携できないのが私の考えていたプライバシー保護の問題であることがはっきりしました。行政は法律上プライバシーを漏らす訳にはいかず、ボランティアは高齢者を支える部分に限って情報を聴かせて欲しいという提案もありました。そして、その地域に住む高齢者の自助自立の大切さが浮き彫りになったように思います。
 私たちの老人クラブでも広く呼びかけたいと思うのですが、どの家に60歳以上の方がおられるのか、もっといえば、私たちの自治会に何人60歳以上の方がおられるのかさえ聞かせてもらえない今の状況をもどかしく思います。地域高齢者組織の自立のための方策をもっと真剣に考えなければと思いました。


2月28日〜3月1日 徳島で結婚式
 妻の従兄弟のご子息の結婚式に招かれ、徳島で1泊しました。指揮は阿波一ノ宮で、披露宴は夕方から徳島駅ビルの上にあるホテルで行われました。とても初々しい新郎新婦に心暖かくなりました。そのような二人ですがら結婚式の祝辞もそのような二人にふさわしい真面目な言葉が述べられ、本当によい雰囲気の結婚式でした。私たちには歌をうたうようにとの依頼が案内状に同封されていました。最近は女性の歌ばかり練習しているので、その中から妻に選んでもらい、歌詞がよいということで、「なさけ雨」を二人で歌いました。夜は高いホテルの窓から見る駅前ターミナルの景色を楽しませてもらいました。
 翌日は朝から駅裏の城山に登り、城跡などを見物しました。帰り道に地元の農産物を売っている店に案内していただき、結婚式とは全く関係のない雰囲気の中で、レンコンなど徳島県産の野菜や文旦などをどっさり買って帰りました。多少盛装していても、主婦は直ぐにいつもの顔になるのを眺めて楽しみました。


2月26日 梅が満開
 庭のしだれ梅が満開です。昨年、妻が木の手入れに力を入れていました。その結果今年は蕾をたくさん付けていましたが、雨が続きなかなか鑑賞するまでに至りませんでした。今日は久しぶりに雨が上がり、ポカポカ陽気になりました。その陽気に誘われて満開になったようです。
 一昨年、同じようにたくさんの花が咲き、実を付けました。その実を梅酒に付けました。まだ味見をしていませんが、一昨年のようにたくさんのみを付けるようであれば、また梅酒にしようかと思います。ただし、味見をして美味しくなければ梅酒にはしませんが……


2月26日 確定申告
 昨夜、インターネットで確定申告の記入用紙をダウンロードし、パソコンで記入しました。年金などの金額や、雑収入、控除された金額、そして自分で支払った国民健康保険料を打ち込み、さらに配偶者控除の欄に妻の年金を打ち込むと勝手に書類が出来上がっていきます。そして還付金が7000円あまりになりました。受け取る通帳の番号を記入すると、1時間ほどで書類は完了しました。
 今日午前中にその書類と源泉徴収票など添付書類などを持って税務署へ行きました。控えを持って行くのを忘れ、後日申告の証明はできないといわれたのですが、交通費がかかるのでそのまま提出しました。来年は控えを持って行くことを忘れないようにしなければと思います。


2月24日 スクールガードお礼の会
 校区の小学校で地域の人々の協力に対するお礼の会がありました。招かれたのは児童の登下校を見守るスクールガード、小学校の芝生の管理維持をする芝生キーパー、絵本の読み聞かせなどをするブックママ、地域を守る補導協議会、そして長年小学校の玄関に毎月花を生けておられる方々でした。
 私もスクールガードをしていますが、下校時に時間のあるときだけ家のそばで信号を守るよう見守っているだけで、あまり貢献はしていません。それでも子ども達とのふれあいを楽しみに出掛けました。受付のあと3年生のクラスで一緒に給食をいただきました。給食を食べていると、なぜスクールガードになったのか?どんなことが一番苦労していることか?など次々質問されました。給食のあと、四国をお遍路していると小学生が必ず挨拶をしてくれる。この地域でも安心して誰にでも挨拶できるようになればいいなと話しました。
 給食後は体育館に全校生が集まり、舞台の上で並んでいる私たちにお礼の言葉と一人ひとりに礼状をいただきました。そして1214人みんなで校歌を元気よく歌ってくれました。こんなに児童数の多い学校はめったにないだろうと思います。礼状には「○○様 暑い日も寒い日も雨の日も、どんなときでも朝早い時間から私たちを見守ってくださってありがとうございます。スクールガードのみなさんのおかげで、安全に安心して登下校することができました。心から感謝しています。これからもよろしくお願いします。6−3○○」と書かれていました。
 下校時に街角に立っていると、子ども達はいつもより親しげに挨拶をしてきました。特に一緒に給食を食べた子ども達は話しかけてきました。この様なふれあいを大切にしたいと思いました。


2月19〜20日 小豆島の歩き遍路
 四国の歩き遍路を結願し、高野山へのお礼参りも済ませました。これで全てが終わってしまったと思っていたら、四国遍路でお世話になった先達から小豆島の歩き遍路の案内をいただきました。家で話すと妻が乗り気になり、、一緒に歩くことにしました。2月から10月までの8回ですが、150qを毎回1泊し、観光もしながら歩きます。その第1回に参加しました。このお遍路はすでに3回済んでいて、私たちは4回目からの参加です。妻もお遍路の服装を整えたので、最後まで歩き通したいと思います。
 放送大学の学生さんからいただいた遍路日記に、夫婦で歩き遍路をすればペースが違って喧嘩になり、それが原因で離婚した例もあるので、夫婦で歩き遍路をするものではないと書かれていました。しかし22人ほどの集団で、お互いに自分のペースで歩けばいいのですから、喧嘩になることはなさそうです。(歩き遍路の様子はお遍路のページに詳しく書いています)


2月18日 携帯電話
 昨日家を出る前に充電しておいた携帯を持って出掛けました。電車の中で明日から出掛ける小豆島の歩き遍路について確認の電話がかかってきました。山陽電車は数えるほどしか乗客が乗っていなかったので、一分あまり話をしましたが、電話を切ってから画面を見るともう電池の残量がありません。
 今日の午前中に何時も行く量販店へ行き、電池交換をお願いしたのですが、Auショップでなければできないといわれました。ショップで事情を話すと、電池交換だけでよければそれで良いが、もし機械の故障だと時間がかかり、1万円程度の費用がかかることがあるとのことでした。そして、6000円ほど払えば新しい機種に交換できるとのことでした。さらに、私の場合、セルラーで高金額の基本料だったので、その点も相談すると、機種変更と一緒に安価な基本料に契約変更できるとの返事をもらいました。
 電話の機能しか使いませんが、当初フルサポート契約で、2年間使い続ける契約をすると、驚くほど安くなりました。これならもっと早く契約変更をすればよかったと思いました。そしてKDDI本社の不誠実(長く使い続けているのだから、有利なサービスがあることを知らせてくれてもよいと思うのですが……)さを感じました。
 ポイントが5000円分ほどたまっていたので、今日は端末機械など3885円支払い、来月の料金に契約変更料や保証などの料金4000円ほどがかかるだけで、基本料が安くなるので、総合するととても安く、得した感じです。おまけに新しい携帯には人並みにカメラも付いています。扱いも簡単だし、その内にメモリーを買っておこうと思います。メールやインターネットを使わないので、今まで通りの機能で安くなるのですから有り難いことです。


2月16日 早くもつくしんぼの収穫とかゆい目・鼻水
 小豆島の歩き遍路が近づいたので、午前中に金が崎の方へウォークに出掛けました。西側の工場が建つ畦に、すでに胞子が枯れている土筆が生えていました。しゃがんでよく見ると、美味しそうな土筆がたくさん生えていました。私が130本ほど、妻が300本以上摘みました。そばに池があり、西風を防ぎ日当たりのよい場所と条件がそろっていたのでしょう。思わぬ収穫と、例年より早い土筆に喜びと驚きを感じました。はかまを取るのに結構時間がかかりました。明日の食卓に土筆のおひたしかごま和えが載ることでしょう。楽しみです。

 そのような春の便りと一緒に、花粉が飛んできたようです。夜には目がかゆく、くしゃみ・鼻水が始まりました。これから3ヶ月以上アレルギー性鼻炎に悩まされることになります。本当に鬱陶しい気分で滅入ってしまいます。去年の目薬ではだめでしょうね。

2月15日 老人クラブ次年度役員選挙
 地域の老人クラブ・友愛クラブの2月例会があり、21〜22年度役員の選挙がありました。私は地元出身ではないし、気軽な気持ちで選挙の進行役を引き受けました。他の会と重なったこともあり、普段は40名近い人が集まるのですが、今日は出席者29名でした。それでも過半数の出席があったので、賛意を得て選挙を実施しました。
 結果は予想もしない私が最高得票を得てしまったのです。どうも選挙のときに自分が前に立って説明したことと、女性のカラオケ部で音響機器のお世話をしているために、女性が私の名前を知っていたことが重なったためのようです。2年間会計をしてきましたが、あと2年役員を引き受けなければなりません。会員の高齢化に伴い会員数がどんどん減っている時期なので、若い会員を増やすことが緊急の課題になっています。地元の人望のある方々が役員の中に含まれているので、是非その方々を中心に役員構成ができればと思います。


2月14日 梅が開花
 昨日の朝、庭のしだれ梅は蕾が膨らんではいましたが、まだ咲く気配はありませんでした。ところが今日のポカポカ陽気で、南側に面した枝の蕾が午後から一気に花が開きました。4月の気温だったそうです。出掛けるときも久しぶりにジャンバーを着ることもなく、夜もストーブを付けていません。まさか冬がこれで終わりということはないと思いますが、やはり暖冬ということを実感する一日でした。

  
昨日の蕾                今日の開花

2月13日 愛車の車検
 3月が車検ですが、2月末に親類の結婚式に出ることもあって早めの車検を受けました。スバルR2という軽自動車で、安く済まそうと思えば色々あるのですが、やはりディーラーが安心です。5年目の車検で保障が切れるので、保障の延長も申込み、弱っていたバッテリーを交換したりしていると、12万円近くかかりました。あと2年気持ちよく乗るには仕方ありません。
 このR2という車は本当に気持ちよく走ります。免許証を取った昭和44年にスズキフロンテ360という車に乗りました。初心者だったということもあり、半クラッチをよく使ったからか、ギヤが入らなくなったり、よく故障をしました。昭和48年にはカローラクーペ1200の新古車に乗り換えました。この車は最初の3ヶ月ほど快調に走りましたが、坂道になるとアクセルをいくら踏んでも50q/hほどに落ちてしまい、その馬力のなさにうんざりしました。それでも我慢して9年ほど乗りました。そのあと値段の安さにつられてダイハツミラ2台乗り継ぎましたが、いかにも軽自動車という感じで、最初に買ったディーラーの愛想のなさにも不満がありました。660ccになったのを機会にスバルVivioに乗り換えました。息子がインプレッサに乗っていて快調に走っていたのを見て、富士重工の車にしたのです。それまでマニュアル車に乗っていたのですが、ECVT車のすばらしさもあり、これが軽自動車かと思える走りにすっかり満足しました。そして平成16年退職間際に最後の車と思い、新しく売り出したばかりのR2を購入しました。今までより周囲、特に後ろが見にくい欠点はありますが、サイドミラーをうまく活用するとその欠点は解消します。コンパクトカーに負けない走りをするこの車は、まさに愛車というのにふさわしい車です。免許証を返納するまでもう買い換えることはなさそうです。


2月12日 プロジェクターを初めて活用
 年末に買ったプロジェクターを使う機会がなかなかありませんでしたが、所属しているグループいきいきネットの例会で、亡くなった会員を偲ぶスライド映写や、歩き遍路の話でスライドを映すのに初めて使うことができました。パワーポイントがこの様に活用できるのも、第二の職場として高齢者大学に6年も勤めさせて頂いたお陰です。初めて講師が使用されたときには驚きましたが、職場でプロジェクターが導入されたとき、講師が来られるまでにその準備をしておかなければならず、必死で操作を覚えました。こうして自分がパワーポイントを使って話をするということなど、当時は想像もしていませんでした。退職後、時々人前で話す機会があり、口べたな私にとってこれを使わなければみんなにわかってもらえるお話はできません。このプロジェクターはDVDの映写もできるので、今後、地元老人クラブで活用できればと思っています。


2月7日 高家寺寄席
 昨年の2月に初めて高家寺寄席に行って、今回で4回目です。昨年トップバッターで高座に上がった桂阿か枝は、年季明け間のない笑福亭喬介が出演したので2番目の登場でした。そしてトリは桂文福でした。やはりベテランの話には本当に引きつけられます。大笑いしている間に2時間の寄席はあっという間に終わりました。14年前に文福が高家寺寄席に出演したとき、近くに住む小学生だった阿か枝が見に来ていて落語家になりたいと思ったそうです。そして文枝の最後の弟子として、昨年新人賞を得たことで、弟弟子の成長をとても喜んでいました。年始めの寄席で、今年も福引きがありました。文福の手ぬぐいが当たればと思いましたが、残念ながら何も当たりませんでした。


2月6日 メタボの検診
 今年度から始まったメタボの検診に行きました。先月の住民検診と一緒にしてもらおうと思ったのですが、別々の取り扱いになるといわれ、同じ病院で1週間後に受けました。したがって、今回は検尿、採血、腹囲の測定、そして内科検診だけでした。その内、検尿と採血は前回もしています。2回の血液検査でどの様な差が出るのか、信頼性という意味でも興味があります。来年度からも両方の検査があるようだったら、半年という期間をずらして検査を受ければいいなと思いました。


1月30日 駐車場と展望台の清掃
 老人クラブの当番で、江井ヶ島海岸の駐車場と展望台の清掃をしました。今年2回目でした。月曜日に清掃をしているので、平日4日間ではそれほどゴミはないだろうと思ったのですが、どのゴミ箱もゴミがあふれ、タバコの吸い殻もたくさん散らばっていました。ゴミ箱は3個でしたが、燃えるゴミは大きなゴミ袋4袋、空き缶やお酒の瓶など燃えないゴミが2袋もありました。弁当がらが多いのは、観光客だけではなく、失業者の分も含まれているのかもしれません。
 それにしても愛煙家のマナーの悪さはどうしようもありません。そばに吸い殻入れがあるのですが、ベンチのまわりは吸い殻だらけです。丁度居合わせた方も、「どうして吸い殻入れに入れないのかな」といいながらタバコを吸っておられました。その方はきちんと消して、私の集めているゴミ袋に捨てられました。何とか雨がひどくならないうちに終えることができました。


1月28日 鼻から胃カメラ
 毎年田畑胃腸外科で住民検診を受けています。以前下痢が止まらずこの病院で診てもらい、一昨年胃カメラでピロリ菌を見つけてもらったので、以後の住民検診は胃カメラでお願いしています。今までは口からチューブを入れていたのですが、一昨日予約のために理事長に診察して頂いたときに、鼻腔カメラにしましょうといわれました。
 その時血液検査と尿検査は済んでいたので、今日は先ず胸部レントゲン、そして腹部のエコー、そして胃カメラでした。初めに鼻に止血の薬を、続いて局部麻酔のゼリー状の液が鼻に入れられました。今度は鼻にチューブが差し込まれ、腕に注射をされました。そのチューブが抜かれたあと、カメラの管が差し込まれました。
 「どうぞ画像を見て下さい」とモニターが私の方へ向けられました。口から管を入れているときはそのようなことはなかったし、たとえ言われても画面を見る余裕はなかったと思います。初めに水のようなものを吹き出させて中を洗っているようで、その次に空気を入れて内部を広げて見やすくしているように思いました。時々プツリと白いものが見られ、写真に撮っていました。10分ほどで終わりました。
 そのあと、理事長の見立てがありました。エコーも胃カメラも特に問題はありませんでした。血圧も一昨日は110/70、今日は104/64で問題なしです。また別にお願いしていた血液検査による前立腺癌も異常なしとのことで、今日の段階では問題はありませんでした。胸部レントゲンと血液検査の結果は後日明石市から通知があるとのことでした。これでしばらく安心です。
 2時間ほどは麻酔が効いているので食事をしないように言われました。10時に終わったので、12時に食事を2〜3口摂ったところ、むかむかしてきました。そういえばまだ鼻の麻痺も効いている感じで、食事を中止し、日当たりのよいところに布団を敷いて寝ころびました。ポカポカと暖かい思いをしていると、いつの間にか眠ってしまいました。90分ほど眠って目が覚めました。もうむかつきがないので昼食に戻りました。すっかり冷えてしまっていましたが、お腹が空いていたからか、とても美味しくいただきました。


1月24日 友の死
 一昨日から一泊で四国歩き遍路結願のお礼参りで高野山へ行っていました。そして昨日、総本山金剛峰寺にいるとき、普段かかることがない携帯電話がポシェットの中でふるえだしました。乗り物に乗るのでマナーモードにしていたのです。丁度廊下にいたので、遠慮なく電話に出ました。電話は妻からで、普段かけても私が電話に出ないし、高野山の山の中ではつながらないと思っていたらしく、「えっ!つながったの」が第一声でした。電話の内容はグループいきいきネットで親しくしていた仲間の死を知らせるものでした。妻も高齢者大学でお世話になっていた先輩で、ボランティア活動などで指導して頂いていました。高野山ではグループのメンバーに連絡を取ることもできず困るところだったのですが、縁ということがあるのですね。先日グループのメンバーとメモリアルウォークに参加したのですが、妻も初めて一緒に歩きました。だからメンバーの何人かと親しくなっていたので、名簿を探し出して仲間への連絡を依頼してくれていました。その時にこれから弘法大師廟にお礼参りに行くと言うと、その仲間の冥福をしっかりお祈りしてくるようにといいました。大師廟で般若心経を唱えながらグループでの彼の活躍などを思い浮かべていると涙が込み上げてきて、唱える声がまともに出なくなってしまいました。まわりの人は無事結願してお礼参りすることに感極まったのではないかと思っていたことでしょう。
 それにしても、彼は日本野鳥の会会員であり、明石公園の自然観察の指導員であり、いろいろなボランティアグループの指導者であり、高齢者大学の学生自治会長やクラブ部長、福祉関係の審議委員であったり、コミセンの管理をしたりと、たくさんの役割を担って忙しい日々を送っていました。そんなに忙し身体でしたが、私たちのグループでは副代表として半日でも空いていれば積極的に参加し、野鳥観察会で説明役を引き受けたり、大阪城の見学などでも案内役を引き受けてくれていました。
 昨年五月例会「浜の散歩道ウォーク」に午前中一緒に歩き、六月例会についても自分がボランティアをしている「国営明石海峡公園のチューリップ球根掘り」の案内と申込みをしたあと、体調不良で入院したのです。それがこんなに早く逝ってしまうなんて想像もできませんでした。本当に社会でもっとも必要とされている彼が亡くなったことは残念でなりません。

 今日は午後から彼の葬儀がありました。ボランティア関係や高齢者大学の仲間が大勢参列し、涙を流していました。これも彼が多くの人に慕われていたからだと思います。心からご冥福をお祈りしたいと思います。
 
1月19日 川柳教室の新年会
 昼食会を兼ねた新年会が明石市内の木曽路でありました。新しい仲間のお話は新鮮で、私が初めて川柳に取り組んだ頃の気持ちを思い起こさせてもらいました。原点に戻って素直に句を詠みたいと思いました。
 先生のお話も、普段の教室では聞けないようなことが聞けるので、とても楽しみです。忘年会や新年会ではよくカラオケなどを歌うことがありますが、やはりこの様な話が聞ける会の方が落ち着けて良いですね。ただし、男性が少なく、他のテーブルからビールがたくさんまわされてくるので、昼間からたくさん飲みすぎてしまいました。



1月18日 新聞に名前が
 昨日のメモリアルウォークで神戸新聞の記者からインタビューを受けたと書きましたが、今日の神戸新聞朝刊を見ると、地域ニュースの欄に私の名前が出ていてびっくりしました。特にインパクトのある話もしなかったので、まさか記事になるとは思いませんでした。といっても2〜3行の記事なのですが……


1月17日 阪神淡路大震災1.17ひょうごメモリアルウォーク2009に参加
 例年グループいきいきネットのメンバーとウォークに参加しています。今年は初めて妻も誘って参加しました。メンバーと合わせて6人一緒に歩きました。寒かったので防寒を完璧にして家を出たのですが、歩いているとだんだん暑くなってきました。しかし荷物として持つのは面倒なので、家に帰るまで着ていました。妻は背中のカイロが暑かったようですが、これも我慢していました。
 今回カメラ係は妻に任せて気楽に歩くことができました。家に帰っても記念にもらったものをカメラにおさめていました。
 スタート前、神戸市中央体育館で神戸新聞記者のインタビューを受けました。どの様な思いでウォークに参加するのかたずねられました。一緒に歩くグループ・いきいきネットワークについて少し説明しましたが、若い記者にはなかなか理解してもらえないようでした。

   
妻も無事ゴール             二人のリュック             二人の万歩計(私は18201歩・妻は21908歩)

1月15日 タバコの吸い殻80本
 今朝も冷え込んでいましたが、今週はグラウンドゴルフの当番で、朝からグラウンド整備とゴールの配置などの準備をしました。月曜日は風も強くゴールの旗が倒れるなど集中できず3ゲームで71も叩いてしまいました。今日は同じように冷え込んでいても風がなかったので何とか63のスコアでまわることができました。
 ゲームを済ませて帰宅すると、家の前の道路とそばの溝にタバコの吸い殻が散乱していました。家の前に信号があるので、信号待ちの間に助手席からたまった吸い殻を捨てたようです。箒とちりとり、、火ばさみをもって掃除をしました。助手席から捨てられたと思われるタバコの吸い殻は60本もあり、そのほか溝に捨てられたり家のまわりの道路に捨てられているタバコの吸い殻を全て数えながら拾うとさらに20本も落ちていました。信号待ちの間に吸っているタバコを投げ捨てているようです。タバコを吸っている人の一部は自分の携帯灰皿をもっていて、きちんと始末をしていますが、多くの人は地球全体がゴミ箱や灰皿だと思っているようです。これだからタバコを吸う人は嫌われ、喫煙できる場所がどんどん狭められていくのだと思います。タバコを吸う人はもっとまわりに気を使うマナーを身につけて欲しいものです。


1月14日 ノーマルタイヤで篠山へ
 昨夜からこの冬一番の冷え込みで、近畿各地で氷点下、高野山では−9度を記録したといっていました。しかしどうしても午前中に篠山市の市街地へ行く用務がありました。インターネットで調べてみると、舞鶴自動車道は篠山以北がチェーン必要と表示が出ていました。高速で行く訳ではありませんが、篠山までは大丈夫だと判断、車で出掛けることにしました。175号線を北上、加東市市街から362号線で篠山へ向かいました。ところが今田町に入る峠あたりからまわりは雪景色、道路も山陰は凍っているようで、車はみんなスピードを落として走っていました。それでも早めに篠山の市街地に到着することができました。無事用務を済ませることができホッとしました。


1月9日 明石市高年クラブ連合会三社参り
 明石市内の老人クラブ連合会主催の三社参りが4日間にかけて実施され、その最終日に私たちの友愛クラブが参加しました。友愛クラブからは12人参加しましたが、他の高年クラブとの相乗りで、大型バスに30数名が乗っていました。
 今年の恵方は東北東ということで、最初に瀬田西インター近くの近江の国一之宮「建部大社」へ行きました。バスに乗って直ぐにジャンバーを脱ぎ網棚にあげたのですが、バスの中は思ったほど暖かくならず、水ばなやくしゃみが出始めました。それで最初のトイレ休憩場所からは、昼食のとき以外はマフラーやジャンバーをずっと身につけていました。それでも鼻水は止まらず、手持ちの二袋のポケットティッシュを使い果たしてしまいました。建部大社のあと、多賀大社の近くで昼食を摂りました。一休庵の自家製豆腐は自慢するだけの味でした。その後多賀大社にお参りしました。小雨が降っており、あちこちに雪が残っていました。再び南下して、野洲町の兵頭大社をお参りしました。そして琵琶湖畔の鮎屋の郷により、鮎の昆布巻きを唯一のお土産に買って帰りました。
 家に帰ってからも鼻水は止まりません。おかげで鼻のまわりがヒリヒリしています。
 
 
混雑する建部大社          雪が残る多賀大社          幟が奉納されている兵頭大社

1月7日 吉本新喜劇観劇
 毎年日新信用金庫がこの季節の吉本新喜劇観劇の行事に声をかけてくれます。新年早々、多いに笑って健康を維持するために2000円支払って神戸国際ホールへ出掛けました。以前は3000円で弁当を受け取り、休憩時間に昼食を摂っていたのですが、昨年からは午前・午後の2回公演になり、弁当はなくなりました。
 10時30分開演だったのですが、家を出るときにFAXが不調で点検していて電車に乗り遅れました。だから、会場に到着し、トイレへ行っている間に開演していました。この様に遅れて行ったにもかかわらず、2階席の正面の一番前という最高の座席でした。後ろには人がおらず、隣の人との間も空席があったので、双眼鏡を使ってのんびり見ることができました。
 演目はたわいのないものですが、コメディNo.1や宮川大助・花子あたりになるとおもしろく聞かせるなと思いました。しかし、若手の漫才は話すテンポが速く、聞き取れない部分もあり、自分が年なんだと改めて思いました。


1月4日 たこフェリーで淡路島へ
 にぎやかなお正月が再び二人きりのお正月に戻ったので、お天気につられてドライブに出掛けました。たまたま手元にたこフェリーの車の割引券と、同乗者無料乗船券があったので、淡路島へ渡りました。いつもは自分がカメラをもって撮すのですが、今日は撮影は妻に任せて、私はハンドルに専念しました。岩屋から何時も東浦を走るのですが、今日は西浦を走りました。道が空いていて快適でした。初めに北淡震災記念公園へいきました。野島断層がいつの間にか国指定の天然記念物になっていました。
 そこからさらに南下し、淡路一宮(いざなぎ)神宮で初詣をしました。お参りをしていると、能舞台の中で巫女が舞を奉納しているようなので、裏側にまわって見物しました。
 さらに南下し五色町の高田屋記念館へ行きました。昼過ぎになっていたので、とりあえずレストランで昼食にしました。「ふるさと弁当」を注文すると、淡路牛の瓦焼きや大きなかき揚げ天ぷら2枚など、胸につかえるものが多く、ご飯の量も沢山あって残してしまいました。その後記念館へ行くと、私たち二人のためにホールで映写して頂き、高田屋嘉兵衛の生い立ちや業績などを理解することができました。ここでゆっくり見学しました。公園には瀬戸内少年野球団の記念碑などもありました。広場やレストランには沢山の人が来ていました。
 さらに南下し慶野松原に寄りました。広場では高齢者がグラウンドゴルフを楽しんでいましたが、松林も砂浜も人の姿はほとんどなく淋しげでした。さらに南下しようと思ったのですが、4時近くなってきたので、玉ねぎ畑の中を走りながら国道28号に出て洲本へ向かいました。しかし、こちらは信号が多いため渋滞気味でなかなか進みません。その内に眠くなってきたので、紳士服はるやまの駐車場で10分ほど眠りました。そして上内膳から堺小学校の前を通って、再び五色町に出て西浦を北上しフェリー乗り場まで快適に走りました。往きもそうでしたが、帰りも料金を支払っていると乗船している最中で、待ち時間なしで乗船することができました。この様にタイミングのよいことは初めてなら、淡路をこんなにのんびりとドライブするのも初めてでした。
   
瀬戸内海寝繰り出した釣り船      一宮神宮の亀の手洗水
  
  
瀬戸内少年野球団       ロシアとの友好記念碑                         慶野松原


1月3日 いつもの正月に
 昨日は娘一家とのにぎやかな朝で、彼女たちが出掛けたあと年賀状の返事などを書いていて、10時からの自治会総会に出席するのを忘れてしまいました。新年早々物忘れをするのも今年を象徴しているのかもしれません。
 その娘達も夜には車で帰っていきました。昨夜からは何時もの淋しい正月に戻りました。それでも今日はお天気がよかったのでたくさんの布団を干すなど、一日中二人でよく働きました。
 放送大学も今日から放送開始、録音を聞きながら感想文を作成しました。そんなことで、夕食が済むまで朝刊を読むのも忘れていました。


1月1日 今年を象徴するかのような初日の出
 朝7時に里帰りしている娘と家を出て、江井ヶ島海岸で日の出を待ちました。東の空には大きな黒い雲があり、その北側には朝焼けで赤く染まった雪雲が迫ってきていました。やがて雲の上の方が金色に輝き、今にもそこから初日の出が見られるのではと思いました。しかし、黒い雲は太陽が昇る方向にどんどん広がっていきます。そのために7時半まで待ちましたが雲から太陽が出る可能性が薄くなるばかりで、身体も冷え込んできたこともあって帰宅しました。しばらくすると、家の前の建物の間から朝日が射してきました。8時近くなっていました。
 今年も早々から経済が冷え込み、多少明るくなっても光がなかなか見られないだろうとする社会情勢を象徴しているように思えました。
  
出そうで出ない朝日(明石海峡)    日の出を待つ大勢の人々とカメラマン