2013年の日記・トピックス



12月31日(金) 「私の大晦日」
 「昨日は家をきれいにすることと、お節料理の下ごしらえでした。私は田作りのごまめをいることと、キンカンを収穫してへたを取ること、そして窓ガラスの仕上げをすることぐらいでした。夜には息子にカーナビの更新の申し込み手続きをしてもらいました。新しい地図をダウンロードして、カーナビ本体にマイクロSDカードを挿入しても電源が入りません。またまた息子の助けが必要になりました。

 今朝になってそのことを告げると、電源を入れるのには5秒以上スイッチを押し続ければよいと教えられました。何ともお粗末な話です。その後、デジタルカメラの画像をパソコンに取り込めなくなったことに対する処理を依頼しました。こちらは、高野山へ行った時、料理を撮影するために機能を触っている間に、撮影年月日の設定を変更していたようで、2012年になっていました。そのために撮影日をフォルダにしていたたので、最近の画像はすべて1年前のフォルダに取り込まれていたのです。これもお粗末なことでした。

 日付の確認ということで庭で新たな写真を撮りました。雑煮に間に合った大根、成長がさっぱりなほうれん草と春菊、例年になく初めてたくさんの花芽を付けたハナミズキなど、デジタルカメラに納めてパソコンに取り込むと、無事マイピクチャーに入っていました。
   
 兵庫県高齢者放送大学の新年号テキストが届きました。新しく魅力ある放送大学に変革することが今年度の課題だといわれていましたが、名称も「ひょうごラジオカレッジ講座」と改められていました。本科生入学年齢も50歳以上となり、いよいよ新しい放送大学が出発したなと感じました。今後さらなる発展を期待したいと思います。


12月29日(日) 「顎関節症?」
 以前チューインガムをよく噛んでいた時期に、噛むと奥歯のさらに奥の方でコクン、コクンと鳴ることがありました。しかしそのような音はやがて消えていました。ところが3日前に朝ご飯を食べようとして口を開けた時、左耳の直ぐそばでカンと大きな音がしました。口を開けるごとに顎関節が大きな音を立てるのです。特に右の奥歯でものを噛むと大きな音がします。左の奥歯でそっと噛むと音は小さくなりますが、それでもよほど小さく噛まない限り音がします。チューインガムを噛んでいた時のように音はしなくなるだろうと期待していましたが、いっこうにおさまる気配がありません。

 そこでインターネットで調べると、「顎関節症」といわれる症状に当てはまり、口腔外科の専門医で治療するように書いてあります。近くの専門医を調べると、西明石駅近くにあることがわかりました。正月を過ぎてもまだ症状が続くようだったら一度診察を受けようと思います。年齢と共に次々と身体の故障が見つかります。いやになってしまいます。


12月28日(土) 「別のパソコンに写真を取り込む」
 デジタルカメラで撮影した写真をパソコンに取り込めなくて困っていましたが、ノートパソコンで取り込むことを試みてみました。ノートパソコンは主に高齢者放送大学の仕事に使っていて、その職を辞した2月以降はしばらく使っていなかったので、電源をを入れるとセキュリティーソフトのスキャンやバージョンアップなどが自動で作業していて、なかなか写真を取り込めませんでした。それでも何とか取り込めたので、そのデータをフラッシュメモリーに取り込み、そのデータをマイピクチャーにとコピーできました。こうして先日来ホームページにアップできなかった椎茸や、12月2日の和歌山城の紅葉などをアップすることが出来ました。年末には息子が帰ってくるのでこのような煩わしいことはなくなると期待しています。


12月27日(金) 「今年の公の仕事納め」
 老人クラブに割り当てられている江井ヶ島海岸公園の清掃をしました。こんな寒い時期に海岸へ来る人はいないと思ったら、3つのゴミ箱はあふれんばかりのゴミで、弁当がらや飲み物の空き缶や瓶、ペットボトルなどその量は半端ではありませんでした。おまけに藤棚の下は花が咲いた後の小枝が風に吹かれて一面に落ちていてそれを掃き集めると最終的には90リットルの大きなゴミ袋に燃えるゴミが4袋、燃えないゴミが1袋ありました。この仕事を最後に、今年の外部の仕事は終わりです。後は家の用事に専念します。


12月25日(水) 「椎茸の栽培」
 妻がカラオケ仲間から椎茸の栽培について話を聞き、先週その栽培セットをコープこうべで買ってもらいました。椎茸の菌が埋め込まれているという木片で、このようなもので椎茸が収穫できるのかと疑って見ていました。木片を軽く洗って十分水分を含ませ、栽培用のビニール袋に入れて、台所に置いておきました。

 今日木片を見るとびっくりするほどたくさん椎茸が出来ていました。大きいのは傘の直径が8cm以上に成長しています。写真を撮りましたが、先日来デジタルカメラからパソコンに取り込めないので、残念ながらそのすばらしさをホームページに掲載できません。このようなエラーの解決は私には対処不能で、カーナビの更新申し込みと一緒に、正月にやってくる息子に教えてもらおうと思っています。

 

12月24日(火) 「第49回全同志社メサイア演奏会」
 高年クラブの同志社出身の仲間から京都コンサートホールの演奏会に誘われ午後から一緒に出かけました。山陽明石駅構内の金券ショップで京都までの片道昼得切符を購入すると、往復でも青春18切符より安い料金でいけることにびっくりしました。安い切符を買ったために新快速電車に乗り遅れたのはちょっと悔しかったけれども、先頭車両に乗るとゆっくり座れました。

 京都駅から地下鉄を乗り継いで蹴上まで行き、まず、駅を降りた筋向かいに複線のレールが敷かれ、琵琶湖疎水のフナだまりから船を運ぶ貨車が展示されているのを驚きを持って初めて見ました。このような新しい機器の取り入れにも山本覚馬が携わったのだろうかと思いました。そしてその先に船だまりの池や日本最初の煉瓦造りの発電所が見えました。

 はじめに金地院へ行きました。そこでは長谷川等伯筆の「猿猴の襖絵」が特別公開されていました。その他のふすま絵や遠州作の茶室、そして鶴亀の庭を時間をかけて丁寧に説明してくださいました。その後家康の遺髪がまつられている東照宮にも寄ってみました。

 金地院から南禅寺に向かい、境内にある煉瓦造りの琵琶湖疎水の建造物を見ました。上に上がってみると、上の船だまりから下の船だまりへの水路で今もたくさんの水が流れていました。そこからコンサートホールへ行くのに地下鉄に乗るため東山駅へ行きましたが、5時近くなると店は閉まっていて食事をする所がないので京阪三条まで行きました。駅近くでやっと定食屋を見つけ、一番早くできるメニューということで南蛮漬けの1000円の定食を食べました。

 そこから地下鉄で北山へ行き、コンサートホールの3階の指定席に着くと、合唱団が入場しはじめました。そのときになって初めてプログラムを見て、ヘンデルのメサイアが演奏されることを知りました。同志社大学グリークラブ、同志社大学女性コーラス、同志社女子大学女性合唱団、同志社大学オーケストラなど、全同志社という言葉の意味がやっとわかりました。毎年演奏し続けているだけに、落ち着いた迫力ある演奏でした。プログラムに挟まれていた紙に、「ハレルヤコーラスでの起立唱和はご遠慮ください」と書かれていました。どうやら例年はこの曲は会場のみんなも起立して歌っているようで、こんな所にも独特の伝統が感じられました。聴衆は私達の第九演奏会のように、毎年聞きに来てクリスマスを楽しんでいるようで、広いホールはほぼ満席でした。

 帰りの新快速もゆっくり座ることが出来、大阪からは乗客が多くてずいぶん混み合いましたが、夜11時過ぎに家に帰り着きました。先日買った高い帽子のお陰で頭は温かく、ショルダーバッグもオーバーの上からでもかけられるので、便利でした。

12月21日(土) 「高い買い物」
 土曜日に伝統芸能講座を受講した後、久しぶりにデパートに寄りました。冬用の帽子がなかったので、売り場をのぞいてみたのです。なかなか格好いい帽子が並んでいます。店員のすすめであれこれかぶっている内に頭に気持ちよくフィットする帽子が見つかりました。しかし値段は1万円を超えています。英国製の帽子で、夏用に買った帽子より少し高めでした。夏用に買った英国製も気に入ってその後ずっとかぶっているので、今回も思い切って買いました。

 腰に付けるポシェットもずいぶん古くなってきました。そして、冬は腰に付けると、上にジャンバーを着るのでお腹周りがふくれてしまいます。街を歩いている人の様子を見てみると、男性は老いも若きも小さなショルダーバッグを肩から斜めにかけています。これだとジャンバーの上からかけるので、良い感じです。そこで安くて気に入るのがないか見ていたのですが、妻が同じ買うなら良い物を買うようにと言い、結局これも高い物を買ってしまいました。

 今日はデパートで高い物を二つも買ったので、暫くはおとなしくして自分のものは買わないようにしていなければなりません。月曜日は地域の仲間から京都へ同志社のコンサートに誘われています。今日買ったものを身につけて出かけようと思っています。

12月16日(月) 「西江井友愛クラブ忘年会」
 年末になるとみんなの予定が詰まっていて、なかなか日時が決まらず、今日やっと開かれました。その原因の一つは私の第九合唱団演奏会です。今日も役員の中に都合の悪い人がいて申し訳なく思っています。

 朝からグラウンドゴルフがあり、終わって10時頃から準備を始めました。机と椅子を並べた後、カラオケの準備をしました。以前はカラオケ用の重いブラウン管テレビを2回のホールに運んでいたのですが、年を重ねるにつれて耐えられなくなり、最近はホールにある26インチのテレビ一つで歌ってもらっています。したがって、歌い手は客席に背を向けて歌います。歌う方もその方が気が楽なようです。

 幸い、カラオケの機器がCD−GもDVDにも対応できるので助かります。初めのうちは背の高い人からといいながら、男女のバランスを取りながら歌ってもらいました。今日は新曲を勉強している人にトリ近くをお願いしようと、いつも上手に歌っている人を適当にばらまいて歌ってもらいました。

 私ひとりでCDやDVDの準備をし、機械操作をしていたので、お酒に酔っていたこともあってみんなのリクエストを集めて準備するのに20分ほどかかってしまいました。それでもたくさんの方にリクエストしてもらい、ソフトのない歌は変更をお願いしながら進めていると、トリの人が歌っている時、終了の3時近くなっていました。以上で終わりといった時、私が歌っていないと声が上がり、時間を気にしながら私も「海猫」を歌いました。こんなことなら途中に挟んでおけば良かったと後悔しています。

 明日の川柳教室が済めば、今年の大きな予定は終了します。やっと年賀状づくりに取り組めそうです。といってもまだまだ図案も考えていません。またまた頭を悩ませる日々が続きそうです


12月14日(土) 「無事第九演奏会を歌い終える」
 朝から寒い一日でした。そんな中、グループいきいきネットの仲間、従兄夫妻、家族と妻の友達が聞きに来てくださいました。感謝感謝です。喉の状態も普段以上でいつもより高い声も低い声も楽に出ました。おまけに舞台に立った時、第1回から31年間舞台に立ち続けているこの道の大先輩が後ろで素晴らしい声で歌われるので、安心して間違えることなく歌うことが出来ました。もっとも指揮者の怒鳴り声を出さないようにという忠告と、自信のない時は口パクで良いという指示を忠実に守り、全体に大きな声で歌うことを控え、口を大きく開けていかにもしっかり歌っているというポーズに努めました。半年間の練習の結果が出せたようで、嬉しいような、ほっとしたような気分です。


12月13日(金) 「小指の怪我」
 10日火曜日の夕方、居間の出窓の雨戸を閉めようと柱に左手を当てて身体を支え、右手で雨戸を閉めました。体を元に戻そうと体重移動した瞬間、左手小指に激痛が走りました。柱に「?型」をした昔の真ちゅうのフックがカーテン止めに付けられていたのです。そこへ小指がはまりこんでいたのがカーテンの陰で見えなかったのです。真ちゅうのフックの先が指に穴を開けていました。小指の第1間接と甲の間の穴を見ると中は白く、血もにじむ程度で、指を曲げてみると曲がるので骨には異常がないと思い、オロナイン軟膏を付けて絆創膏を貼っておきました。その後じわじわと血はにじみ出て、絆創膏は血まみれになっていました。指の甲の側はほとんど肉がないので、穴の中に白く見えたのはどうやら骨だったようです。

 翌朝、喉に痛みがあり、14日には第九合唱団の演奏会を控えているので、近くの開業医へ行き薬を処方してもらいました。そのとき腎臓の検査をするので採血をするといわれました。看護師の前で袖をまくり上げていると血だらけの絆創膏を見て、「どうしたの?」と聞かれました。事情を話すと、「ばい菌が入ったら大変だから病院へ行った方が良いよ。オロナイン軟膏は今はもう一つですよ」といわれました。その忠告を聞かず、帰ってメンソレータムを塗って新しい絆創膏に張り替えました。手の傷より喉が心配でした。しかし薬を飲み、トローチをなめていると喉の方はほとんど心配はなくなりました。

 昨日の料理教室ではゴム手袋をしましたが、ほとんど調理にも参加できませんでした。今日は顔を洗う時に初めて水道水に小指をつけましたが、絆創膏にはうっすら赤い血の混じった白血球か血小板の液がにじんでいます。もうしばらくメンソレータムと絆創膏を使って治療を続けておこうと思っています。風呂では片手で頭を洗ったりしていますが、タオルを十分に絞れず、小指を水につけないようにするというのは本当に不便です。


12月9日(月) 「自己記録を大幅更新」
 グラウンドゴルフに久しぶりに参加しました。11月半ばに庭の小菊を処分していて花粉症になった後、目の調子が悪くなり、左から転がってくる球は2重に見えます。その原因は柱を片方の目で見ると、右目は少し左に傾き、左目で見るとかなり右に傾いて見えます。そのために焦点が絞れないからのようです。

 球を打つ時、ゴールポストを左に見るため焦点が絞れないので、距離だけ考えながらおおよその方向に打ちました。すると1ゲーム目はホールインワン2個で12打、2ゲーム目はホールインワン1個で17打、3ゲーム目はホールインワン2個で12打、トータル41打というとんでもない記録が出ました。これまで47打が最高だったので、自己記録も、1試合ホールインワン5回とすべてにおいて自己記録を更新しました。適当に打った方がよさそうです。ちなみに仲間の最高記録はホールインワン7回、トータル31打で、私が不参加の前回にマークしたそうです。

 午後からいきいきふれあい交流会の活動で川柳の互選をしました。兼題は「空」だったのですが、川柳を習っているのは私だけで、私の句「空き缶を蹴って心の鬼鎮め」がダントツでトップに選ばれました。私が司会をしながら進めたので、なんだか申し訳なく思いました。


12月2日(月) 「高野山金剛峰寺見学と和歌山城紅葉渓庭園」
 伝統芸能講座や歴史講座を主催している兵庫県芸術文化協会が主催するふるさと紀行に参加しました。8時30分県民会館前を満席の大型バスで出発し、高野山へ向かいました。久しぶりでガイド付きの旅でしたが、朝早く起きたためにどうしても子守唄に聞こえてしまい、気がついたら高野山へ登るドライブウェーでした。途中遍路道横断注意という看板を見て、四国歩き遍路を終え、最後にこの道を歩いたことがなつかしく思い出されました。

 バスが予定より30分早く到着し、天徳寺の精進料理が出来るまで時間があるということで、大伽藍を見学しました。前回遍路の結願で来た時は雪の高野山で、大伽藍の中を見学するのが精一杯でしたが、今回は境内なども見学することが出来ました。昼食はずいぶん手が込んだ精進料理という印象で、味も上々でした。食後庭園なども見せてもらいました。
  
 食後金剛峰寺を訪れました。ガイドボランティアの説明を聞きながら、ふすま絵に始まって、お寺のまわりの庭園を拝観しました。建物の中は撮影できませんでしたが、庭園は撮影できました。ふすま絵を見ている時、ボランティアに熱心な仲間の訃報が携帯に入り、彼の冥福をこのお寺で祈ったことを思い出しました。金剛峰寺の本堂や玄関の屋根に火災に備えた天水おけが設置されているのをこの度教えられました。前回来た時は全く気がつきませんでした。きっと雪でぬかるんだ足下に気を取られていたからだと思います。
  
 帰路和歌山へ向かい、和歌山城の紅葉渓庭園を見学しました。色とりどりの紅葉は素晴らしく、最も良い時期だとボランティアガイドも言っていました。ただ、和歌山市内の渋滞のために到着が4時を過ぎていて、太陽光が届かなくなっていたので、色鮮やかという訳にはいかず、残念でした。時代により石垣の積み上げ方の違いなど、興味深い解説を楽しみました。また、なぜかカメラのSDカードには撮影されているのにどうしてもパソコンに取り込めません。このようなことは初めてです。したがってきれいな紅葉をホームページにアップできませんでした。
  

11月30日(土) 「文楽の太夫に習う」
 受講している伝統芸能講座で、今回は「ゴスペル イン 文楽」というテーマでした。私はゴスペルの曲に合わせて人形を操るのかと思っていました。ところが、人形浄瑠璃文楽座・太夫の豊竹英太夫がクリスチャンで、キリストの復活を文楽で創作上演するお話でした。新しいことをすることは苦労も多く、DVDで見せてもらったマリアは着物姿でした。

 ところで、途中で文楽の義太夫の発声を習うことになりました。「父(とと)さんの名は十郎兵衛 母(かか)さんはお弓と申します」というせりふを子供っぽい声で発生するのです。お腹の底から大きな声を出すのです。受講者全員で繰り返し発声するので、だんだん恥ずかしさがなくなり、みんな大きな声で頑張って発声しました。

 続いて武士のせりふ「さすがの久吉 よく言ったハハり」で、「言っ」と「たハハり」の間で一度口を閉じて鼻から息を吸い込み、次の「た」は拳が入るほど大きな口を開け、そのまま「はは」と笑うのです。みんなが大口を開けていると認められるまで大声で繰り返し発声していると喉がおかしくなってしまいました。しかし大声を出したお陰で、気分がすっきりしました。

 講演後、文化プロデューサーの河内厚郎氏がなぜクリスチャンになったかと質問された時、太夫は「子供時代に教会のクリスマス会で紅茶とケーキが食べられるからと行き、止めようと思った時、かわいい女性がいてもう少し続けようとしていて、その女性と親しくなり、結婚するために洗礼を受けた」というお話も聴かせてくださいました。実は私も小学生の頃クリスマスにプレゼントがもらえると聞き、11月の末頃から友達と教会に毎週通ったことがあります。クリスマス会当日、にわか信者には何のプレゼントもなく、二度と教会へ行くことはありませんでした。

 文楽の義太夫は意味がよくわかりませんでしたが、今回の講演で多少関心が持てるようになりました。


11月28日(木)〜29日(金) 「お遍路仲間と能登の旅」
 四国および小豆島歩き遍路でお世話になった「一歩進」のお世話で、遍路仲間たちと能登の旅に出かけました。実は3月に高野山から熊野への小辺路を歩くツアーに申し込んでいたのに、胃ガンの診断を受け、キャンセルして以来のツアー参加だったので、遍路仲間の顔ぶれが変わっているのではと心配しましたが、なつかしい方々との再会にお互いに喜び合いました。おまけに四国歩き遍路で最後までご一緒した仲間との遍路以降久しぶりの再会もあり、楽しい旅でした。

 神戸湊川神社前からバスに乗車、京都駅で大阪、京都の仲間が加わって、18名に先達ご夫妻、運転士の計21名の旅でした。まず能登半島羽咋市の千里浜なぎさドライブウェーへ行く予定だったのですが、波風が強くて浜への進入が出来ず、そのまま輪島へ向かいました。そこで、白米千枚田の先にある曽々木海岸へ行きました。
  
 海岸そばにある滝を見ていると、強い波風と一緒に波の花が吹き上げられました。テレビでは見たことがあったのですが、実際に見るのは初めてで、これだけでも能登へ来た甲斐がありました。強い風が吹くと、大きな波の花が道路一面に飛んできます。仲間のひとりがなめてみると、塩辛いのではなく生臭い味だといっていました。帰りに地元の人に聞いたのですが、波の花がプランクトンの死骸だと聞き、生臭い味というのが納得できました。

 そこから戻って白米千枚田へ行きました。まだ明るかったのでライトは見えませんでした。その代わり、田んぼに水がたまっていて、千枚田が空の光で鮮やかな模様を見せていました。時間待ちの間土産店で地元の特産品を見ていました。外に出るとずいぶん暗くなり、千枚田を見るとあぜ道に設置されたピンク色のLEDが光っているのが見えました。そしてまわりが暗くなるにつれてLEDのライトがくっきり見えるようになり、美しい模様を描き出していました。
 
 そこから輪島市街地にあるホテルへ入りました。輪島で一二と言うだけあって若い仲居さんもおり、気持ちの良い温泉に入った後、ご馳走に舌鼓を打ちました。久しぶりの生ビールも美味しく、出された料理をすべて平らげてしまいました。遍路仲間と再びビールを飲みながら歓談できる幸せをしみじみ感じました。
 
 4時起きと朝が早かったこともあって、今回来ることが出来なかった遍路仲間にメールを送った後、直ぐに布団に入り眠ってしまいました。いつもなら夜中にトイレに起きるのですが、今回は朝5時前までぐっすり眠ってしまいました。

 翌朝は朝食を済ませて直ぐに朝市に出かけました。あいにくあられや雨が降り出し、早々にバス乗り場の近くの店に入って甘酒を飲みました。1時間ほどその店のおばさんとおしゃべりをしました。昨日我々が見た波の花は今年最初のものだったそうで、その意味では良いタイミングでラッキーだったと思います。北陸特有の雷も鳴り、店にいて正解でした。

  
 輪島を出発して山間へ進むにつれて雪模様になり、峠あたりはかなりつもっていました。

 
 途中、七尾市で酒蔵見学をしました。七尾市で10軒以上あった酒蔵がその酒蔵だけになったそうです。ご主人が詳しく説明をしてくださいました。みんなお酒を買っていましたが、辛口なので口に合わず買いませんでした。その後、近くの酒蔵を改造した食堂を貸しきりにして食事をしました。とても美味しい料理でソファーに腰掛けて食べました。米粉を使った手作りのパンがあり、1個350円と高かったのですが、家に帰って食べると、月餅にようにたくさん木の実が入っていて高くないなと思いました。久しぶりになつかしい仲間との旅を楽しむことが出来、とても幸せに感じた旅でした。

11月26日(火) 「第2回みんなの講座」
 前回「フジバカマ」について学んだ「明石の野草文化を楽しもう」というみんなの講座を受講しました。今回は「カタバミ」がテーマでした。明石城主、松平忠邦の家紋が「剣酢漿草紋」、松平信之は「酢漿草紋」ということでした。カタバミといえばそのあたりにいくらでも生えている雑草で、庭の草引きでは嫌われ者の一つです。なぜならイチゴのようにランナーでどんどん広がり、種が落ちると増えていきます。それでも葉で10円玉を磨くときれいになるのでよく遊んだものです。今日も実習で磨きましたが、案外知らない人が多いようで、感動の声が聞こえていました。

 カタバミなどなぜ家紋に取り入れたのか不思議に思いましたが、そのたくましい生命力にあるのだそうです。このようにたかが雑草と思っていたカタバミが1時間30分の学習になるのですからバカに出来ないと思ったし、嫌われ者という認識も多少変わったように思います。


11月25日(月) 「第6回いきいきふれあい交流会」
 今回は2班が当番で、「身体を楽しく動かそう」というテーマで、はじめに2曲椅子に座ったまま体操をした後、フォークダンスをしました。本来はペアで男役と女役に別れて踊るのですが、男は私ひとりだったので、、誰が男役かわからなくなり、慣れるまで大混乱をしました。だから、うっかりすると私が女役に追いやられそうになる場面もありました。寒くなると聞き、厚着をしていったので、ベストを脱いで参加しましたが、それでも2曲も踊るとすっかり暑くなりました。

 みんなが疲れて一休みしている間、2班のふたりがフラダンスをして見せてくれました。その様子を見ていて、いなみ野学園の福祉系16期生と一緒に踊ったフラダンスを思い出しました。男性はアロハシャツ姿だったのに、私ひとりワンピースにカツラを着け、女性と一緒に踊って大笑いになった上、その様子を写真にとってプレゼントしてくださったのです。なつかしい思い出です。

 続いて1.17メモリアルウォークのゴール地点で行われる炊き出しなどの看板づくりを手分けして作成したり、次回の相談、3月のふれあい交流会の看板づくりなどをしました。最後に私達6班が担当する川柳の兼題「空」を紹介し、句箋を配っておきました。来月は早めに会場へ行って会場準備や受付をすることになっています。


11月24日(日) 「神戸ビエンナーレ2013」
 芸術文化協会が開催している歴史教室で、ビエンナーレの入場券をもらいました。普通に購入すると1800円で、私達のもらったのは前売り券でしたが、それでも1500円と書かれていました。期間が12月1日迄で、それまでに予定のない日といえば今日しかないので、10時頃に出かけました。阪神岩屋駅まで行き、直ぐそばのBBプラザ美術館へ最初に行きました。現代陶芸展と兵庫・神戸の仲間たち展の洋画と日本画の展示でした。現代絵画やアートはなかなか理解できませんが、写実的な絵画や印象的な絵画にはこころ打たれるものがありました。

 続いて兵庫県立美術館へ徒歩で向かいました。建物が近づくにつれて、美術館の屋根に大きな蛙がへばりついている姿が見え、異様ではありますが、実にユーモラスな雰囲気でした。会場には「横尾忠則 感応する風景」と題して、たくさんの絵画が展示されていました。日本中を旅行し、雑誌に連載された時の原画が、同行したカメラマンの写真と共に展示されていましたが、初めのうちは風景の良さが描かれていましたが、だんだん抽象的に描かれていくように思いました。
 
 横尾忠則が西脇市の出身で、杉原川と加古川が合流する環境が原点になっていると解説されていましたが、Y字型に交わる道路の風景を現実や想像上で象徴的に描かれている絵が多く、やはり現代画に近い絵画は今ひとつ理解に苦しみました。

 そこからシャトルバスでメリケンパークまで行き、「わらじや」で昼食にピラフを食べました。ゆっくり休んで2時15分発の神戸港遊覧船に乗り、船から展示作品を見ました。展示作品より久しぶりに海から神戸の街や六甲の山並みをデッキから眺め、また、話に聞いていた3つの大学がポートアイランドに開校しているのを海から眺めることが出来、お天気も良く寒さも感じなかったのでとても満足でした。下船後、コンテナの中に展示されている芸術作品を見ようと思ってハーバーランドを一周しましたが、会場を見つけることが出来ず、帰路につきました。後で入場券を見るとハーバーランドではなくメリケンパーク内にあったようです。
  

  
 私は神戸生まれで、大学を卒業するまで神戸にいました。今、隣の明石に住んでいて神戸へは月に2〜3回出かけますが、久しぶりに神戸の街で一日ゆっくり出来た気がしました。


11月22日(金) 「早々と忘年会」
 私が音響機器操作をしている女性カラオケグループの忘年会がありました。12月は老人クラブの忘年会などがあり、重なってはいけないと、毎年11月最後の例会に忘年会をします。ボジョレーヌーボーやビールを飲みながらご馳走を食べた後、それぞれが前もって申し出ていた十八番を1曲ずつ歌いました。石川さゆりの「天城越え」など懐かしのメロディーから最近習った「酒の河」や「秋月の女」など、新曲までいろいろな歌を上手に歌われました。私は「海猫」を2日ほどで覚えて歌ってみたのですが、本番になるとメロディーが頭の中で流れず、上手く歌えませんでした。やっぱり一夜漬けはだめだなと思いました。


11月20日(水) 「江井ヶ島校区グラウンドゴルフ交流大会」
 64歳から85歳までの男女46人が参加して午前中に4ゲーム、昼食を挟んで午後2ゲームの計6ゲーム、48ホールで行われました。以前この大会で最下位になったことがあります。その後も30位を切ることはありませんでした。

 今日は朝から冷たい風が強く吹き、寒さに耐えながらのプレイでした。今回午前中にホールインワンを2度記録するなど、4ゲームの内20打を切るゲームが3ゲームもあり、残りの1ゲームも調子よくプレイしていたのに、一つのホールでゴールポストの支柱に絡んで5打も打ってしまい、24打になってしまいました。それでも目標より2打上回る78打で、3位という好成績でした。ところが昼食後はすっかりペースを崩し、午後の2ゲームだけで46打も打ったため、トータル124打で8位になってしまいました。どこかで1打上手く打っていればラッキー7で賞品がもらえるところでした。それでもこの大会でひと桁の順位に入ったのですから、万々歳です。

 ちなみにトップは女性でトータル117打で、2位も117打の男性でしたが、ホールインワンが3回と1回の差でした。3位は121打でやはり女性でした。大会前に女性にハンディを与えるかという話もありましたが、トップ10までに女性5人も入っているのですから、その必要は全くなかったということです。このところ地元老人クラブのグラウンドゴルフでもこれまでより調子が上がっているので、今後の大会ではトップ5をめざしたいと思います。



11月16日(土) 「カワハギの皮むき」
 夜、知人から釣りたてのカワハギをもらいました。皮のむき方がわからないのでインターネットで調べてみました。薄造りのしかたの中に皮のむき方が出ていたので、それになっらってじぶんで剥いてみました。はじめ出刃包丁を使ってみたのですが、なかなか固くて上手く包丁が使えません。そこでキッチンばさみで尾っぽとヒレ、口、角を切って剥いてみました。時々身も一緒に剥いてしまいましたが、何とか8匹ほどを剥くことが出来ました。

 後からさらにインターネットを調べてみると、ヒレなど切らなくても良かったようです。薄造りの項目を見たので、このようなむき方になってしまい、普段魚屋で買うハゲは頭もヒレも尻尾も着いています。学生時代、理科の実験では魚の解剖をしたことはありますが、現実に魚をさばくのは初めてだったので、仕方ないなと思いました。今後妻に魚をさばけといわれそうです。魚はくさくないのに、手がいつまでも生くさいのにはちょっと困りました。


11月14日(水) 「明石市消防署江井ヶ島分署前の火災」
 消防署から救急車が出動した直後、一台のゴミ収集車が煙を吐きながら消防署前に止まりました。消防署にいた職員が飛び出してきて、前の広場にゴミを出すように指示しました。荷台をあけると炎が吹き出しました。そのまま荷台を上げ、燃え上がるゴミをその場に出すと、車は直ぐに少し離れたところに避難させました。そして運転手が消火器を持ってきて消し止めようとしました。炎はおさまりましたが、煙が立ちこめました。

 この日は不燃ゴミの収集でしたが、誰かがボンベのガスを抜かずに捨てたのが引火したようです。消火器だけでは消えず、消防署の清掃用のホースの水をかけましたが、全く効果はありませんでした。そこへ2台の消防車が駆けつけました。最初の消防車は車のタンクから水を放水し、2分ほど遅れて到着した2台目は、消火栓から水を引いて放水し、無事消し止めました。消火の様子を写真に撮ったり原因と思われるボンベをスケールを添えながら写真に撮っていました。すっかり消えた不燃物を再びゴミ収集車に積み込み、広場をきれいに洗い流して帰っていきました。

 その間、出動を終えて帰ってきた救急車は車庫には入れず、近くの酒造会社の駐車場で待機していました。江井ヶ島での一大事件は1時間ほどで無事終結しました。余談ですが、午後から姫路に車で出かけたのですが、2号線から312号線を右折しようとしたら、前方に消防車がたくさん止まっていて、国道南側の家から猛烈な煙が出ていて、放水が始まったばかりという状況に出くわしました。一日に2度も火災を見るのは初めてです。夜のニュースで、高齢の男性と連絡が取れないといっていたので、死者の出るような火災だったようです。
 


11月11日(月) 「西江井友愛クラブ親睦旅行」
 心配していた天気もまずまずで、朝8時前には女性12人、男性14人計26人が全員集まり、大久保ICから淡路へ向かいました。風がかなり強く、明石海峡大橋では多少蛇行している感じでした。淡路サービスエリアでトイレ休憩を済ませた後鳴門公園まで直行しました。駐車場からマイクロバスに乗り換えて渦の道へ、大鳴門大橋の下の遊歩道を歩きました。ガラス張りの床の窓から海を見ましたが、満潮の時間からずれていて残念ながら渦は見えませんでした。それでも海上45メートルから見る波立っている海面は迫力満点でした。

 そこから大鳴門大橋を戻り、今日のメイン、「うめ丸」で鯛づくしの料理をいただきました。鯛の活け作り、鯛とサザエのほうらく焼き、鯛の刺身、あら炊き等々、ビールを飲みながら満腹になるほどいただきました。活け作りはエラが動いていましたし、あら炊きで一緒に煮てあったゴボウやワカメも美味しく、たくさん食べてしまいました。最後に出てきた鯛の潮汁もいい味で、ご飯まですっかり平らげました。

 そこから薫寿堂へ行き、お香の手作り体験をしました。材料の粉に少量の水を加えてるつぼでしっかり練り、香料を加えてさらに練り、粘りが出てきたら薄くのばし、型で抜きます。子供も喜んで取り組めるように飛行機や自動車の型がおいてありました。私はキンモクセイの香料のお香を作りましたが、匂い袋も握ったこともあって、家に帰るまでキンモクセイの匂いが取れませんでした。

 たこせんべいの郷と淡路オアシスに寄って帰りました。たこせんべいの郷では、偶然妻が別のグループで訪れることになっていたので、土産が重なってはいけないと思い、試食とコーヒーを飲むだけにとどめておきました。オアシスでは先にバスに戻っておき、店でお土産にもらったお菓子を乗車してくる参加者に一つずつ配って人数の確認をしました。夜になり少し寒くなってきましたが、予定より30分遅れで、全員無事に帰り着きました。役員をしていると無事に帰り着くことが何よりで、ほっとしました。

 夜中にトイレで軽いぎっくり腰になり、湿布薬を貼り、コルセットをはめ、万一に備えて杖も持って行ったので、うずしお温泉に入れなかったのに加え、カメラを持参しなかったことが少し心残りでした。


11月10日(日) 「牛虎の会」
 同じ時期に退職した仲間の同窓会がありました。同年齢で同じ立場の仕事を一緒に終えた仲間なので、お互いの気持ちがよくわかります。病気を克服した仲間もいれば、全く病気をせず、服薬の必要もない仲間、後期高齢になって初めて虫歯になったという健康体の仲間、地元の歴史を書籍にまとめて発行した仲間等々、みんな退職後もいろいろ生きがいある人生を送っています。

 このような会ですから上下関係もなく、全く気を遣うことなくみんなおしゃべりしています。来年は官兵衛で盛り上がる姫路で開催することが決まりました。そして、仲間のひとりが大きな会の会長になったこともあり、みんながその会の会員であることから、その会の来年の総会や親睦会にみんなで出席しようということにもなりました。私自身はその大きな会にはこれまで出席したことはありませんでしたが、来年は初めて出席してみようと思っています。その会の事務局は懇意にしている人なので、これまで気になっていましたが、来年は最初の最後の出席になると思います。


 帰りに会場近くの姉の家に半年ぶりに寄りました。昨年義兄が亡くなり、淋しくなっていると思うのですが、なかなか寄る機会がありません。姉とは昔のなつかしい話をしました。その中には、私が物心着く前の話、話を聞いてかすかに思い出した話など、戦争中の暮らしの話をゆっくり聴くことができ、楽しい一時でした。

11月7日(木) 「第九本番の指揮者練習」
 明石第九合唱団の普段の練習は、合唱指導の指揮者のもとで行われています。今日は本番を指揮する寺岡清高氏の指導を受けました。一昨年も指導を受けましたが、そのときは素人合唱団に対してとても丁寧に歌いやすく指揮してくださいました。ところが今年は、自分で十分楽譜を頭に入れて、他人に頼ることなく、自信を持って歌えるようにと一段高い要求をされました。楽譜に指導を受けた注意事項をメモしていると、一昨年に指摘されたことを改めて指摘されており、もう一度じっくり楽譜を見なければと思いました。


11月2日(土)〜4日(月) 「隠岐へ2泊3日の旅」
 3連休の間に地域の行事もあったのですが、行事を主体にしているといつまで経っても行けそうにないので、地域の仲間には申し訳なかったのですが、思い切ってツアーに参加しました。3日間の天気予報は、2日目が雨、その雨が上がると北風が吹き冷え込むというものでした。だから雨対策と防寒の準備をして出かけました。

 一日目は早めに家を出たのですが、明石に着くともうバスが待っていました。土曜日の朝とあって道はすいており、玉津インターへ向かって国道175号を北進していたところ、左側車線の少し前を走っていた軽トラックが急に右折し、バスの前に立ちはだかるように停車しました。バスは警笛を鳴らしながら急停車、危機一髪で衝突を免れました。座席の荷物がなくなったと思ったら前の座席の下へ飛んでいっており、一番後ろでお酒を飲んでいた人の大切な飲み物も通路を前の方まで飛んでいきました。衝突していたら船の時間に間に合わず、せっかくの旅も中止になるところでした。

 加古川バイパスの新しいジャンクションの工事で、上り車線は姫路バイパスまで大渋滞しており、観光バスも巻き込まれているのを見て気の毒にと思いながら私達は順調に姫路まで行きました。姫路で残りの参加者を乗せて再び福崎から中国道を西進しましたが、山崎ICの先でリフレッシュ工事のために一部対面通行があり、大渋滞に巻き込まれてしまい、抜けるのに1時間ほどかかってしまいました。2時半頃のフェリーに乗船しなければならないということで、蒜山高原での昼食はキャンセル、勝央SAでそれぞれおにぎりなどを買って車中で昼食を済ませました。
 
 境港には乗船20分前くらいに無事到着、鬼太郎が描かれたフェリーで隠岐島後の西郷港へ向かいました。乗船は飛行機と同じように室内から囲まれた通路を通るので、フェリーの写真を撮すことは出来ませんでした。途中島前の別府港へ寄ったので、西郷港には6時半頃到着、すっかり暗くなっており、ツアー36人の内、後から申し込んだ6人だけが迎えに来ていたバスに乗り込みました。真っ暗な中を30分走り続け、隠岐も広い島なんだと感心しました。後で地図で確認すると島を縦断して港とは反対側まで来ていました。我々のツアーとは別に2組の宿泊者があっただけで、ゆったりと過ごすことが出来ました。隠岐の地酒で海鮮料理をお腹いっぱい食べ、風呂もひとり貸し切り状態でした。日本シリーズをテレビで見ながらゆっくりくつろぎました。
 
 2日目の朝目が覚めると海の近くだったのでしばらく散歩をしました。そこからまた島を縦断して港の近くの「玉若酢命神社」へ行きました。別のグループは港の近くに宿泊したらしく、すでにお参りをしていました。ここには八百杉という樹齢800年以上の県下一の大杉があり、その大きさに引きつけられました。屋久杉もこれくらいかなと思いました。
  
 心配した雨にも降られず、かぶら杉と名付けられた木を見に行きました。1本の幹が地上2メートル付近で6本の幹に分かれている姿がかぶらに似ているのでこの名前が付いたようです。鳥海山の大王杉を想像していたのですが、それぞれの幹が素直に伸びていました。

 そこから再び島を縦断する国道を北上し、宿泊したホテルにほど近い水若酢神社へ行きました。ここでは年1回の伝統行事である奉納相撲大会が開かれていました。男子の小学生が全員出場するらしく、各学年5〜6人ずつが出場して学年ごとにトーナメントで順位を争っていました。低学年ではやせて小さな子供が初めから逃げ腰の相撲を取っていたりとてもユーモラスな風景でした。村の人たちはみんな顔見知りらしく、どこそこの誰ちゃんと応援していました。高学年になるとみんな力一杯の相撲を取っていました。時間が来たので中学生以上の相撲は見られませんでしたが、大人の部まで相撲大会が続けられるそうです。本殿では正装した神主や服装を整えた町の人々が並び、神事が行われていました。
  
 港へもどり、12時頃のフェリーで島前の中ノ島菱浦港へ向かいました。船の中で弁当が配られましたが、サザエの炊き込みごはんで美味しく、ついついかき込んでしまいました。昼過ぎに菱浦港に到着しました。待合室には隠岐の海の肖像画が飾られていました。
 
 観光バスにはバスガイドが乗っていて、楽しく話してくれました。中ノ島は後鳥羽天皇が隠岐に流された場所で、多くの遺跡が残されていました。まず後鳥羽院資料館で展示品を見ながら解説を聞いた後、隣の隠岐神社へ行きました。その道中には後鳥羽院が過ごした遺跡が残っており、宮内庁の管轄でした。従って勝手に動植物を処理することがいっさい出来ないため、ぎんなんがたくさん落ちていました。
  
 隠岐神社はイベントが終わったところだったらしく、大勢の青年がテントを片づけていました。途中で雨が降り出しましたが、資料館で傘を貸してくれたので、自分の傘をぬらすことはありませんでした。ここには蹴鞠のコートや土俵があり、ここでも奉納相撲が取られるのだと思います。幕内力士・隠岐の海もきっと小さい頃からこのような奉納相撲を取っていたのだと思います。
   
 再び菱浦港にもどり、今度はホテルの名前の小さな船に乗り、海からの国賀海岸観光に出かけました。外海に出ると朝からの風で波のうねりが大きくなり、小さな船は大きく揺れ出しました。国賀海岸の奇岩を写真に納めていましたが、船酔いし、吐きそうになりました。ハンカチで口を押さえていたのですがだんだん苦しくなった時後ろの席の女性がビニール袋をくださった途端にえずいてしまいました。昼の食事を吐くかと思いましたが、胃液を少し吐いただけでした。それでも何度もえづき、吐き気がおさまるように、ビニール袋の中で息を吐く時に「もう大丈夫」と声を出さずに言い続けました。そして早く港に帰り着くことを心の中で祈っていました。やっと内海に入り船が安定したと思ったら、船がちょっとローリングするとまた吐き気におそわれました。何とか港に着き、バスでホテルに到着したので、しばらく畳の上で横になって休みました。
   
 夕食の舟盛りを見た途端に食欲が蘇り、おそるおそる刺身に手を付け、一口40回以上よく噛んでゆっくり食べました。それでも消化の悪い海草や貝類、それに天ぷらは食べないようにし、刺身も残念でしたが残してしまいました。部屋にもどり、大河ドラマを見た後風呂に浸かって早く休もうとしたのですが、日本シリーズが気になり、結果を聞いていたら11時になってしまいました。

 3日目も曇り空で、港に着くと雨が降っていました。小さな船で知夫島へ向かいました。中海を航行し、しかも船の後ろの方に座っていたので、それほどゆれることもなく20分ほどで来居港に着きました。荷物を預け、バスに乗って赤ハゲ山へ向かっている途中突然大雨が降ってきました。どうなることかと思いましたが、赤ハゲ山に着いた時にはほとんどやんでいて、傘もいらないくらいでした。頂上の展望台から中海や外海を見ました。そのときバスの中で説明された中海は火山の噴火口でまわりの4つの島々が外輪山だったということがよくわかりました。赤ハゲ山一体は牧草地で、多くの黒毛和牛が放牧されていました。この牛たちは牛舎に入れられることなく夏も雪の冬も放牧されたまま過ごすという話に驚きました。
  
 
 続いて近くの赤壁を見に行きました。バスを降りると杖がおいてあり、借りて急傾斜の道を登りました。途中、牛の糞だらけで、踏まないように歩かねばなりませんでした。坂を登り切ると、目の前の岩壁が真っ赤な色をしていました。まさに赤壁で、この島の名所の目玉だということがよくわかりました。来居港にもどり荷物を受け取ってフェリーの到着を待ちました。

 入港してきたフェリーの船体には鬼太郎が描かれており、今度はゆっくりカメラに納めることが出来ました。船内で配られた握り飯の弁当を食べ、2時間ほど眠って過ごしました。境港に着いた途端に先ほどのような大雨が降り出しました。最後になって傘を広げてバス乗り場に急ぎました。帰りのバスは途中で鬼太郎やネズミ小僧の大きな石像のある魚売り場とお菓子を売るお城に寄った後一路姫路に向かいました。お菓子の城で受け取った弁当を車中で食べました。時間がまだ5時過ぎだったのであまりお腹がすいておらず、無理をせずに残しておきました。
  
 米子道は大山へ紅葉見物に来ていた観光客の車で少し渋滞しました。そして、佐用を過ぎると再び対面通行で大渋滞に巻き込まれ、姫路に到着したのは8時近くになっていました。三宮から乗車していた人の何人かは姫路で降りてしまいました。加古川バイパスで再び渋滞に巻き込まれるかなと覚悟していましたが、その心配もなく無事明石に帰り着くことが出来ました。船に酔った影響で思い切りグルメを楽しむことは出来ませんでしたが、これで未知の土地をまた一つクリアし、楽しみながら新しい土地の風俗や自然を学習すること出来ました


10月31日(木) 「いなみ野学園『さわやか福祉16』同窓会」
 今週は老人クラブグラウンドゴルフ部の当番だったので、朝7時からグラウンドの整備をし、ゴールの旗を立てたり記録用紙を用意するなどるなどプレイの準備をしました。しかし、プレイはせずに同窓会に出かけました。

 先日は15期生の同窓会に参加しましたが、今回は16期生で『さわやか福祉16』の愛称があり、在学中からメールで連絡を取り合って出かけるなど、仲の良いクラスでした。だから仲間を批判したり攻める言葉は聞くこともないばかりか、何とかひとりでも多く参加できるようにと仲間に対して温かい配慮がなされていたので、今回も22名の参加でした。そのうちひとりは朝間に合わず、直接会場に駆けつけると言っていたのですが、会場へのアクセスが思うようにならず、結局参加できませんでした。

 10時に加古川から甲山の北にある六甲保養荘の送迎バスで会場へ向かい、11時過ぎには到着しました。12時からの懇親会まで30分ほどあり、温泉を勧められましたが、風呂に入ってアルコールを飲むと、夜の第九合唱の練習で寝てしまいそうだったので、遠慮して卒業生といろいろ近況など話をしていました。

 ビールを飲み、ご馳走を食べているとすっかり酔ってしまいました。お腹が落ち着いたところでカラオケが始まりました。私も最近練習した曲がインプットされていなかったので古い曲を歌わせてもらいました。皆さんよく練習されているようで、学生時代とは見違えるほど上手に歌っておられました。それぞれにいろいろ活躍されたり、配偶者を失った悲しみから立ち直られた話を聞かせていただき、とても楽しい一時でした。

 送迎バスの都合で2時出発といわれ、名残を惜しみながら会場を後にし、加古川には3時に帰着しました。お世話くださった方々のお陰でこんなに楽しい時間がもてることを有り難く思います。


10月30日(水) 「三木山森林公園」
 久しぶりに三木山森林公園へ出かけました。飲み物は持参し、昼食用に途中のコンビニでサンドイッチを買い、リュックに詰めて行きました。いつものように駐車場からまずピクニック広場までのぼり、そこから三つの谷を越えるアップダウンの変化に富んだ遊歩道を歩きました。じぞう口入り口の手前の木陰に新しいベンチがあったので、そこで昼食を摂りました。

 昼食後山を下り、いったん道路に出て芝生広場に続く道を歩いていると、道ばたのクヌギの木の根元に生えているキノコを採っている人がいました。大きな椎茸のようなキノコを袋に入れていたそうです。もしそうだったら自然の椎茸があるということで、すごいことだと思いました。

 再び公園に戻り、ドングリ谷を歩いて元の駐車場へもどりました。途中、きれいに紅葉している桜や街路樹がありました。今の季節は暑くも寒くもなく、山の景色がどんどん美しくなって、歩いていても快適です。今日も1万歩ほど歩きましたが、先日の多々良木ダムと違ってアップダウンのある歩き甲斐のあるウォークでした。

 

10月29日(火) 「生命保険」
 現職時代、職場でいろいろな生命保険の勧誘を受けました。最初は学生時代に家庭教師をしていた子供のお母さんの知り合いだという人に勧誘されて加入しました。その後異動した職場で別の保険会社に乗換、最後は互助会が世話をする保険会社と契約し、今に至っています。当時は勧められるままに契約していたので、毎月の保険料は3万円を超えていました。退職と同時に自動的に解約になった保険もあり、現在残っているのは終身保険だけです。払い込み済みになっているので、保険料を支払う心配はありませんが、30年も前の契約ですから、契約内容などほとんど覚えていません。ただ、保険会社が破綻し、別の保険会社に引き継がれたため、補償金額が少なくなったということだけは知っています。

 今日はその保険会社の社員ふたりが来てくださり、契約内容の確認や、新たなサービスについて説明を受けました。保険金の支給や条件は今テレビで放送されている内容から言えば微々たるものですが、今さら大きな保険金を必要としないので、葬式代くらいあればそれ以上望むことはありませんし、遺族に残す必要もありません。何より貴重な年金から改めて保険料を支払う必要がないというのが有り難いと思っています。


10月28日(月) 「第5回いきいきふれあい交流会」
 いきいき仕事塾の講座を受講したいきいきネットワークのメンバーから募った「いきいきふれあい交流会」の第5回研修会がクリスタルビル6階のひょうごボランリープラザで開催されました。これまでは県の担当課が企画運営をしていましたが、今回からは受講生の企画ですすめられています。

 今日は1班の担当で、折り紙を使ったピエロを作りました。細かい作業は指先の不器用な私にはなかなか困難を極めました。時間を少しオーバーしましたが、何とか見本に近い作品が出来ました。ただ最後の仕上げで時間切れの焦りから頭や腕を付ける位置を間違え完成品はおかしくなってしまいました。材料をもらったので、明日にでも復習をしてみたいと思います。

 今後の予定で、私達の6班は12月9日にお世話をすることになりました。活動内容は第2回に行った川柳の互選に決まりました。前回はひとり2句提出し、しかも30分という時間だったので十分に深めることは出来ませんでしたが、12月は1時間あるので、提出を1句にし、川柳教室で行われているような方法で互選をしたいと思います。兼題は11月25日の第6回いきいきふれあい交流会でお知らせしたいと思います。


10月22日(火) 「久しぶりで多々良木ダムをウォーク」
 朝から良いお天気で予定がなかったので、数年ぶりに多々良木ダムへウォークに出かけました。ところが生野峠にさしかかると雨が降り出しました。これはまずいと思ったのですが、とりあえず道の駅あさごまで行き、トイレを済ませ買い物をしました。幸い雨が上がりましたが、空はべったり曇っていました。

 車で多々良木ダムの一番奥にある公園駐車場まで行き、持参したおにぎりで昼食を済ませてウォークを開始しました。ダムまで近いトンネルのある北コースを歩きました。こちらは高低差は少なく、距離も6000歩ほどでダムまで行くことが出来ます。途中少しだけ雨が降りましたが対したことなく、傘を差したのも5分ほどでした。ダムの水は少なく、ダム下に広がる景色の中にも人は全くといってみられない実に静かな風景でした。
 
 ダムを一周しようと思ったのですが、久しぶりのウォークで妻が疲れたというので、同じコースを引き返しました。時たま関電の関係らしい車が通過するくらいで、復路は道路のカーブを大回りするなど少しでも歩数を多くしながらスピードを上げて歩きました。元のところへもどってから荷物を車において、付近の公園は一部で紅葉が始まっていたので、写真を撮りながらさらに歩き、合計で14,000歩ほどになりました。一週のコースを歩かなかったので2万歩にはなりませんでしたが、久しぶりに楽しいウォークが出来ました。

 

10月19日(土) 「伝統芸能講座と展覧会鑑賞」
 兵庫県芸術文化協会の伝統芸能講座が県民会館でありました。今回が「女流能楽師の世界」という演題の講演で、まだまだ若い立花香寿子さん(能楽観世流 シテ方)が話されました。1400人ほどいる能楽師の内、200人いる女性能楽師の様子をにこやかに柔らかい声で話されました。ところが、最後にみんなで歌いましょうと「高砂」を歌われた途端に、厳しい表情とお腹の底から出す声は今まで想像も出来ない変わりように一瞬驚きました。講師について受講生みんなと一緒に私も初めて謡曲を謡いました。

 その後文化プロデューサーの河内厚郎さんの「関西の伝統楽劇と場」についてお話がありました。その中で平安時代の頃の大阪湾の形と尼崎大物の泊について話されましたが、これはこれまで聞いたことのない話で驚きと共に今の地名のいわれなどがよくわかり、とても興味深く聴くことができました。ただ話として聞いただけでは直ぐに忘れてしまうので、このような歴史が書かれた本を読んでみたいと思いました。

 帰りに、昨日の新聞で紹介されていた展覧会を見に行きました。この個展を開いておられるのが、私が第2の職場として勤めたところで事務局長をされていた女性で、パステル画で見事に描かれているのです。パステルでこれほど光が出せるのかと感心してしまいました。中でもバレリーナの肌のつやなど見事と言うほかありませんでした。久しぶりでお出会いしましたが、お元気で活躍されていることを嬉しく思いました。


10月13日(日) 「賤ヶ岳から木之本へ」
 先日来、どこかへドライブに行こうと妻に言われていました。カレンダーを見るとふたりが共通して予定のない日は今日だけだとわかり、急遽朝8時半頃出かけることにしました。初めは高島市在原の古い町並みを見に行こうと言ったのですが、乗り気ではないので、賤ヶ岳古戦場へ行くことにしました。

 カーナビで「賤ヶ岳古戦場」と入力しても該当なしとしか出ません。「賤ヶ岳」だとサービスエリアの項目ばかりが出ます。そのうち「賤ヶ岳リフト乗り場」という項目が目につき、その場所へ行くことにしました。実は賤ヶ岳にリフトがあるなど知らなかったので、山登りが大変だろうと覚悟していました。だからリフトがあると知って内心ほっとしました。

 高速道路は大渋滞で、3時間で行けるところが5時間以上かかってしまい、行き先の選択を間違ったと初めは文句を言われましたが、リフトを使って何とか昼過ぎに山上に到着し、琵琶湖から余呉湖、そして小谷城あたりの見晴らしの良さにすっかり感動して気持がすっきりしました。
  
 下山した後、2年前に行き損なった木之本地蔵院へ寄りました。立派なお寺に戒壇めぐりもしました。その後北国街道を散策し、きのもと交遊館で、ボランティアの説明を聞きながら、七本槍が実は九本槍だったということや、黒田家の発祥の地として、官兵衛の曾祖父がいた地であることも知りました。姫路と変わらないほど黒田官兵衛で盛り上がっているという感じでした。
  
 帰りも高速道が渋滞しましたが、途中で食事をしたり、パーキングエリアで眠ったりして、夜が更けるにしたがって、渋滞は徐々に回復し、九時半頃には家に帰り着くことが出来ました。


10月11日(金) 「平種なし柿」
 今年の我が家の富裕柿は残念ながら実がなってもほとんど落果してしまい、現在3個だけになってしまいました。一方、毎年案内をいただく高齢者園芸センターからは今年も柿の木のオーナーの募集があり、4〜5千円分の木を注文しておきました。出来るだけ熟するのが遅い木とお願いしていたのですが、昨日夕方様子を見に行くとすっかり熟していて、一部はすでに柔らかい熟柿になってしまっていました。念のために持って行っていた箱やバケツにいっぱい収穫し、今朝も朝早くから実を収穫しました。

 30度近い気温では干し柿にするとカビだらけになるので、やむを得ず焼酎を付けて渋抜きにすることにし、午後からその作業をしました。300個近い数の柿の処理は一日では出来ません。また、干し柿だと完成後冷凍しておけば1年かけて食べることが出来ます。しかし、渋抜きをすると、1週間以内に熟柿になってしまいます。とうてい食べきれないので、30〜50個ずつ段ボールの箱に分けて渋抜きをして、いつもお世話になっている人たちに配ることにしました。

 わが家用には傷の付いた柿やすでに柔らかくなった実の渋抜きをしました。柔らかい実は2日もすれば渋が抜けると思います。30個ほど作りましたが、きっと急いで食べるか、柔らかくなった実をスプーンですくって食べることになります。私は柔らかくなったのが好きなので楽しみです。


10月9日(水) 「御着近辺を歩く」
 県文化芸術協会主催の歴史講座現地研修として、黒田官兵衛ゆかりの御着近辺ウォークがあり参加しました。コースにはありませんが播磨国国分寺へ一度行きたいと思って楽しみにしていたのですが、昨夜来の台風24号で実施されるか心配しました。幸い影響もなく、天候も回復して暑いくらいの好天の中歩きました。

 受講生の中に地元の方もおられ、講師の話以外にもいろいろ話が聞けました。まず、旧山陽道を東へ、天川橋を渡って小寺家の檀家寺徳證寺に寄り、御着宿本陣跡、小原邸屋敷の前を通って、大歳神社と延命寺に寄りました。大歳神社には新旧たくさんの絵馬が掲げられていました。また延命寺は貞和元年(1345年)銘の入った板碑がある古いお寺で、元々小寺家の檀家寺だったそうですが、宗旨替えによって徳證寺に変えられてそうです。ここから国道2号を横断して御着城址へ行きました。ここには文政11年12月竣工とかかれた旧山陽道の天川にかかっていた天川石橋が復元されていました。また、 御着城を模した市役所支所や、官兵衛の両親の廟所がありました。
  
天川橋                             徳證寺          
   
大歳神社                            絵馬の一部                         板碑         旧天川石橋
  
御着城を模した支所                     黒田家廟所

 しばらく休憩をした後、2号線の横断歩道橋を渡って小寺大明神社へ寄りました。ここでは毎年小寺家や黒田家、天川家の子孫が慰霊祭を執り行っているそうですが、小さな祠という感じでした。現地研修はここで解散になりましたが、私達は国道に沿って西へ向かい、途中郵便局や昼食場所のレストラン「ガスト」に寄り、播磨国分寺へ行きました。

小寺家大明神
 国分寺は人がほとんど訪れることがないようで、かなり荒れた感じでしたが、それでも随所に歴史を感じさせるものがありました。中でも五体の大仏が並んだ景色は感動ものでした。ただ、真夏並みの気温にいささか疲れました。

 
播磨国分寺 
     
10月6日(日) 「カラオケの会で歌わずに散会」
 朝から大急ぎで男性のカラオケグループの例会のために食材を買いに行き、早昼を食べて明石のお寺へ写経に行きました。帰ってきて演歌を2曲ほど練習して、風呂の残り湯を庭の水やりに使うために運び、掃除を済ませました。

 やっと掃除を終えたと思ったらもうカラオケの例会が始まる時間で、急いで食材を自転車に積んで会場へ駆けつけました。食事をしながら政界のふがいなさなどを話したりしていましたが、やがて身近な地域の再開発についての話題に移ると、みんなが夢中で意見を言い出しました。私はといえば朝からの疲れが出てしまってウツラウツラと一人蚊帳の外にいたようです。

 食事がだいたい終わったようなので、私はカラオケの機器をセットして、いつでも歌えるように準備をしました。しかし身近な話だけにいつまでも話は終わらず、とうとう閉会の時間が来てしまいました。準備した機器を片づけ、誰も歌わないまま解散しました。考えてみれば、米寿を過ぎ、前回で引退された長老がいつも「話はそれくらいにしておいてそろそろ歌にしよう」と言っておられたのですが、その長老がおられなかったから歌を歌わない例会になってしまったようです。


10月5日(土) 「不要品の片づけ」
 息子夫婦がやってきたので、居間の上敷きを変える作業をしてもらいました。この部屋には茶箪笥、パソコン、テレビがあります。老夫婦だけではなかなかやり遂げることは出来ません。パソコンは何とか自分でやり通せても、テレビは、ケーブルテレビや電話のモデムにDVDのできが詰め込まれているので、私の手に負えません。午後から作業に取りかかったのですが、パソコンデスクや茶箪笥からは不要と思われるものが続々出てきます。とりあえず選別することなくすべて放り出し、何とかそれぞれの位置に戻してもらい、テレビも見ることが出来るようになりました。何より上敷きが美しくなり部屋がとてもきれいになりました。

 不要物がたくさんあるので、茶箪笥とパソコンデスクの収納は翌日に持ち越すことにし、疲れ果てて作業を終了しました。翌日、私はパソコンデスクに収納していきましたが、だんだん面倒になり、不要物の一部を捨てることにしただけで、ほとんどは元通りに納めてしまいました。これではいつまで経っても断捨離が実現しないでしょう。最終的な不要物とは、プリンターを10年ほどの間に2度買い換えましたが、古いプリンターの買い置きのインクがたくさん出てきたのと、それらの保証書や説明書です。インク類は未使用のものがたくさんありますが、使用済みのものとして量販店の回収ボックスに入れておこうと思っています。茶箪笥の方は妻と相談しながら仕分けをしていきたいと思っていますが、彼女が忙しくて、まだまだ時間がかかりそうです。そのために今までのように居間を使うことが出来ず、空いた場所でひっそり過ごしています。


10月4日(金) 「野良猫と大根」
 彼岸に大根の種を播きました。その1週間前に菜園を耕したのですが、早速野良猫がやってきて糞をしていたので、種を播いても糞をするのではないかと心配でした。猫は習性として糞をする時に土を掘り起こすのです。これまでも子芋を植えた時には種芋をことごとく掘り返され、トマトの苗を植えた時には苗を倒されていました。昨年大根の種を播いた時には、暴風ネットを上にかぶせて土を掘り返さないようにしていたら、ネットの上に糞をしたりしましたが、掘り起こされることはありませんでした。ところが日照不足で育ちが悪く、上手く育てることが出来ませんでした。

 今年はまわりに剪定したウバメガシの枝を建てて、猫が菜園に入りにくくしておいたのですが、それでも2度おしっこをしに入って、一部掘り起こしていました。さらに園芸の支柱などを並べたり、畝の間においたりして、猫の足場を悪くしておくと、何とか猫も入らなくなりました。猫が掘り起こしたところは種が動いて、離れた場所に芽を出しています。双葉の時期が過ぎ、本葉が出てきたので、このまま順調に育てば間引き菜を楽しむことが出来るのですが、猫がどうするかまだまだ油断できません。

 
9月26日撮影                         10月4日撮影

9月30日(月) 「第4回いきいきふれあい交流会」
 これまでクリスタルビルのボランタリー協会研修室で行われていた交流会が、今回は歌うことがメインなので、生田文化会館地階のふれあいホールで行われました。第3回まではいきいきのメンバーで運営委員が講師役を務めてきましたが、今回は歌声喫茶「あかとんぼ」オーナーの米村博実氏が講師として指導くださったので、運営委員もみんなと一緒に楽しみました。

 米村氏は東日本大震災後ボランティアとして、毎年5月と10月に現地へ行っておられるそうです。今回の交流会は、ボランティアで行かれた時に地元の人と一緒に歌った歌を、プロジェクターで歌詞を示しながら、そしてそのときの様子のお話し交えながらアコーディオンの伴奏で歌わせてもらいました。楽しく歌い、感動のお話が聞けるあっという間の1時間でした。その中で特に心に残ったのは、これまで被災者が拒否し続けてきた唱歌「ふるさと」を2年経って初めてリクエストしてきたというお話でした。やっとふるさとが津波で壊滅したことを受け入れられ、思い出として心にとどめることが出来るようになったのでしょう。

 その後6つの班に分かれて、それぞれの班の名前を決めて看板を作ることになりました。私達6班は「ひばりの会」と名付けました。ピーチクパーチクとおしゃべり好きで、美空ひばりのように感情豊かに歌を歌おうということでした。次回からはこの班が順にメンバーで企画運営をして、交流会をすることになり、10月の交流会の企画を1班のメンバーが残って相談をしていました。私達6班は腹話術や手話ソングの研修が出来ればいいなといっています。


9月29日(日) 「明石シルバー安全スクール」
 平成25年度明石シルバー安全スクールが午後から兵庫県自動車学校明石校で開催されました。各単位高年クラブから2名ずつということで、私も会長と参加しました。高齢者が参加するので、各地区の近くまでバスで送迎してくれました。

 最近は高齢者の加害者、被害者が半数を超えるほどなので、まず大型トラックの左折に巻き込まれないように、運転手から見た死角や、内輪差についての実地研修がありました。その後、ハイブリット車や電気自動車の静かさを確かめ、今までのように接近する車の音が聞こえないということも学びました。さらに高速道などで故障した時にまずしなければならない発煙筒の点火など処理のしかたについても実際に着火させてもらって学びました。

 最後に高齢者が若い人に比べて動作が遅くなっていること、青信号でなぜ渡りきれないかなどをDVDで解説してもらいました。普段から信号のある交差点では、渡る前に歩行者用信号が点滅をはじめたら、次の青信号を待つことにしていましたが、高齢者にとってはそのことが大切だと改めて学びました。車を運転していても、歩行者信号が赤になっているにもかかわらず強引に横断歩道を渡る人が多くて、右左折車の交通妨害をしている場面を見ることが度々あります。

 今回学んだことを単位高年クラブで伝達するようにということだったので、明後日に開催される友愛クラブ例会で是非報告したいと思います。


9月28日(土) 「いなみ野学園同窓会」
 いなみ野学園地域活動指導者養成講座福祉系15期生の同窓会が淡路・津名ハイツでありました。卒業して丁度10年が経ちます。卒業生40名あまりの内物故者は5名、返事のない人は1名で、後はすべて返信があったということもすごいと思いましたが、参加者20名というのもすごいなと思いました。それも80歳を超えている人が大勢いるのですから、バスの乗り降りも大変そうな人もおられました。それでもみんな元気そうで嬉しく思いました。

 バスの中でも、食事会でも話が尽きないようでした。これまで10年間、毎年欠かさず開催してきましたが、このあたりで打ち止めにしてはという意見が出ました。ところが、参加者のほとんどが継続を求め、継続のしかたについて意見がいろいろ出ました。これまで、在学中の6つの班が班長を中心に幹事役を務めてきましたが、今後は班によってばらつきが出てきたので、二つの班が合同で幹事役を務めるということで落ち着きました。そして会場も今回のように県の施設を使えば安く、しかもバスで送迎してくれるということで、来年は同じ時期に赤穂ハイツで開催することになりました。一応15名参加が目標ですが、今回の参加者は必ず参加し、仲間を誘おうということでした。目標があれば元気に過ごせるのですから、来年もみんなが楽しみに健康で過ごせればと思いました。


9月25日(水) 「旭堂南海の生講談」
 旭堂南海の講談はこれまでも毎年高齢者放送大学の講座で聞いていました。しかし、時間は25分ほどで、話は兵庫県偉人伝として、その人にまつわる話に限られていました。それでも話はとても面白く、いつも話に引き込まれていました。

 今月21日の高齢者放送大学の講座では「黒田官兵衛とその妻・光姫」について語られました。そして今日の演目も「黒田官兵衛」でした。しかし、講座で語られた内容はごく一部で、アドリブなどたくさん入れて、おもしろおかしく話され、まるで落語を聞いている感じでした。官兵衛の妻光姫が自分の故郷加古川市志方町にあった志方城櫛橋家の姫だったことも話されていました。妻が光姫(てるひめ)という名前だというのも真実かどうかは確認されていないことで、一般に女性は「女」とかかれているだけのことが多く、志方城櫛橋家の系図にたまたま光という文字があり、NHKはてる姫と読むことにしたといわれました。官兵衛自身の生まれも姫路城だといわれているけれども、家系図の発見で、西脇市黒田庄町黒田だという説もあること、母親が明石の姫だということになっているが、家系図では西脇市比叡だということになっており、それでも大河ドラマでは本人は姫路城で生まれ、母親は明石姫ということにしてあるそうです。

 このように身近で詳しい解説をしながら戦国時代に活躍した黒田官兵衛の人となりや活躍を、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、歴史上の人物と結びつけながら話されたので、1時間があっという間に過ぎました。公共放送では話せないことも面白く話されるので、やはり生の話に接することは楽しいし、貴重な機会だったと思いました。


9月21日(土) 「大阪の歌舞伎関係者の墓めぐりと映画『少年H』」
 兵庫県芸術文化協会が主催する『伝統芸能講座』の現地講座がありました。今回は歴代の歌舞伎名優たちの墓所を訪ねて、大阪市中寺町を歩きました。大阪市の中心部にこれほどたくさんの寺が並んでいる町があるとは知りませんでした。それだけでもう感激してしまいました。からほり商店街から遠くないので、お城のそばであり、しかも、谷町のそばで豪商の支援もあったと考えれば寺町がこのような場所にあっても不思議ではありません。

 このあたりは空襲にあっているので、お寺そのものは新しい建物でしたが、お墓は黒く焼けているものが残っていて、その中に歌舞伎のかつての名優たちのお墓も存在しているのです。その中に、歌舞伎の演目『曽根崎心中』のお初のお墓が300回忌を記念して立て替えられているのには驚きました。

 私にとって、初代岩井半四郎や片岡愛之助がどのような人物なのかわかりませんでしたが、きっと歌舞伎フアンにとっては垂涎の場所だろうと思いました。「天野屋利兵衛は男でござる」など豪商の天川家の墓もここにありました。また機会があれば、資料と共に、興味のある人にこのような場所を案内したいと思い、写真をたくさん撮っておきました。

 その後、からほり商店街から、直木賞の直木三十五記念館へ寄りました。ごく普通の建物の2階にある小さな展示場でした。これが作家に注目されている大きな賞、直木賞の作家の記念館だということも以外でした。直木賞と騒がれていても、直木三十五については名前も知られていない訳がこんなところにも現れています。

 最後に有栖川家の別荘を神戸から移築したという和風喫茶店に寄り、直ぐ近くの松屋町から地下鉄で帰路につきました。

 帰りに明石駅で下車し、明石東宝で「少年H」の映画を観ました。40人ほどの観客で2時間ゆっくり見せてもらいました。やはり原作を読んでいなければ一つ一つの場面の意味やHの気持が上滑りしてしまうだろうなと思いました。それでも結構迫力のある場面もありました。この映画館も明石駅前再開発のあおりで、9月いっぱいで閉館するそうです。アナログ的な雰囲気の映画館がまた無くなると思うとちょっと淋しい気がしました。
  

9月18日(水) 「冷蔵庫の買い換え」
 以前から冷蔵庫の買い換えを話題にしていましたが、キャパシティとして巾60cmで高さが174cm以下でしかも消費電力の値が小さいものが見あたらず、なかなか思い切れずにいました。ところが最近冷蔵庫の調子がおかしく、暑い夏が終わった頃から、冷凍室のまわりに水滴がつき、17日には野菜室や冷蔵庫のものまで凍る状態になってしまいました。

 インターネットで東芝やパナソニックの冷蔵庫を調べ、買った人のコメントなども調べてみました。そして神棚のT字型になっている支柱の一部を切り取ることで高さ182センチまでの冷蔵庫を買うことにしました。最終的には、パナソニックが日本製で安心だということがわかり、エコ機能も進んでいるNR-E437Tの冷蔵庫に決め、18日午後からいつも電化製品を買っているエディオン二見店へ行くことにしました。ところが車に乗る前に新聞受けを見ると20日から閉店セールというダイレクトメールが入っていました。迷ったのですが、店員にそのことを話すことで配慮してくれるなら買っても良いと思ってとりあえず店へ行くことにしました

 店では店員が同じ機種で普通の機種とよりエコな機種の違いを話してくれました。そして、閉店セールになると現物になり、展示品はみんなが開け閉めするのでパッキングが多少消耗していると考えられると言いました。さらに、今日買うと新品で、金額も表示価格127,000の1割引にするとも言ってくれました。ここまで言ってくれるともう買うほかありません。よりエコな機種にしました。

 そして今日夕方5時頃に、今から持っていくと電話がかかってきたので、冷蔵庫の中身を準備していた発泡スチロールの箱に詰め込みました。詰め終わったころに配達してきました。玄関から持ち込んでもらうように準備していましたが、廊下が曲がり切れないとのことで、掃き出し窓の戸をはずして入れることになりました。まず古い冷蔵庫を運び出すのですが、除けると10年分のゴミがびっしりたまっていました。大急ぎで掃除機をかけ、ぞうきんがけをし、その後神棚の支柱をのこぎりで切り取りました。しかし、冷蔵庫の高さが思っていたより高く、店員にしばらく待ってもらい何度も切り直し、何とか所定の場所に無事おさまりました。

 コンセントをさして4時間ぐらいは冷えないということで、10時頃から冷蔵庫や野菜室に収めていきました。冷凍庫は半日くらいかかるといわれたのですが、寝る前に冷凍室のものも納めました。朝から腰が痛かったのですが、冷蔵庫が届くとわかった時からばたばたしていると、腰の痛いのも忘れていました。その代わり胸が苦しいほどの疲れを感じました。この疲れは風呂にはいるとすっきりしました。大騒ぎをした一日でした。

 それにしても賞味期限の過ぎた薄切りのハム、まだこんなものが残っていたというものなど、冷蔵庫の中一つでもこんなことですから、引っ越しなどということになったら大変だろうと思いました。断捨離を考えて1年半、何一つ進んでいない現状を思う時、1日15分の断捨離を改めて実践する大切さをつくづく思い知らされました。


9月16日(月) 「自治会主催の敬老会」
 昨年から敬老会の招待状をいただく年齢になっています。しかし、昨年はたこフィルの演奏会と重なり参加できませんでしたが、今年初めて参加しました。いろいろ記念品をいただき、また余興ではビンゴゲームがあり、3番目くらいにビンゴになり、椅子に取り付けるクッションをもらいました。その後、音楽療法士を中心としたグループのリードで歌を歌ったり、楽器をならしたり、そして最後にハンドベル演奏を聴かせていただきました。


 自治会の役員さん達が大勢出てお世話をしてくださいました。台風接近と暴風雨警報の発令で気をもまれたことと思いますが、開会の頃にはすっかり雨も風も落ち着いていました。今まではいろいろなイベントでお世話をすることが多かったのですが、このように世話をされる側で参加すると、何となく居心地が悪く、落ち着きませんでした。それでも出来るだけ素直な気持ちで主催者に協力するように努めました。自治会内の高年クラブ会員は58人で、そのうち敬老会の対象でない人は数人ですが、75歳以上の方がこんなにたくさんいるのかと思うほど大入りで驚きました。やはり元気な間は世話をする方が落ち着きます。

9月11日(水)〜12日(木) 「校区高年クラブ役員親睦旅行」
 これまで、校区の高齢者との交流といえば、グラウンドゴルフの交流大会くらいでした。今回は、グループいきいきネットの例会が会場の都合で13日(金)に延期されたため日程が空き、初めて参加させていただきました。コースは関の刃物センターで刃物の買い物をし、近くで昼食を摂ったあと、ひるがの高原のパーキングで休憩、高山ラーメンの工場見学や試食をしただけで新平湯温泉の本陣まで行きました。本陣で1泊し、2日目は上高地で1時間ほど散策をし、駒ヶ根で昼食を済ませた後、一路帰路につくというかなり強行軍でした。
  
 
梓川の向こうの穂高は雲に包まれていました      上高地のしみず橋から見た清流          安曇野はそばの花盛り
 私は赤かぶの漬け物だけをお土産に買おうと思っていましたが、関で包丁研ぎの実演を見て、家の包丁の切れ味の悪いことを思い出し、砥石を買いました。さらに、毎年干し柿を作る時に皮むきに苦労していたので、皮むき器を値引きするといわれ、干し柿作りにも使えると聞いて買いました。さらに、先日近くの店でティスプーンを買い損ねたことも思い出し、見つけた時と思って買いました。これは出発時に予定にない買い物でした。

 旅館では夕食時にカラオケを歌いましたが、カラオケの好きな人にとっては歌い足りなかったようで、14人の参加者の内11人がラウンジで歌いました。私は普段は自治会館で歌っているので、自治会館にソフトの無い曲ばかりを2曲歌いました。若い女性がリクエストを尋ねに来たのですが、美空ひばりの「悲しい酒」をリクエストすると、改めて曲名を確認に来た後、さらに歌手を聞きに来ました。若い人にとってはカラオケの現場にいても、美空ひばりや「悲しい酒」などもう知識の外なんだなと時代の違いを感じました。夕食の時は宴会を盛り上げるためにリズミカルな「大阪ふたり雨」を歌いました。


9月7日(土) 「『少年H』を読み終えて」
 真夏のうだるような暑さの時期、扇風機のみで暑さをしのぐため、昼食後家にいる時は昼寝をして過ごしていました。しかし、時間がもったいない気持があり本でも読もうかと思いました。出かけたついでにたまたま寄った本屋で『少年H』が目にとまりました。以前から読みたいと思いながら、放送大学の講師をしていた時には、講師の推薦の参考になる本以外読む余裕がありませんでした。だから講師を辞した今、読みたい本を読もうと思ったのです。いろいろな形で出版されていましたが、その中でもっとも文字の大きな本を選びました。帰って見ると子供向けの本で、漢字にはすべてルビがつけられていました。上巻を読み終えて下巻を買おうとした時、本屋のそばの映画館で映画が封切られていて、丁度上映開始時間だったので観ようかと思ったのですが、下巻を読む楽しみがなくなると思いとどまりました。

 私の場合は国民学校2年生で終戦を迎えたので、Hのように思い悩むことはなく、ただ言われるままに登下校時に奉安殿に最敬礼をし、予科練の歌を教えられて大きな声で歌い、校長が教育勅語を読んでいる間は身動きせずに頭を下げ、終わった途端にみんなが鼻をすすったり咳をしたのを覚えています。その前のことを知らないので、それが当たり前のことだと思っていました。そして、3月に神戸が空襲にあったのを高台の自宅から眺めた後、昭和20年4月、2年生になる時に祖母と広島県へ疎開しました。疎開先はHの母親や妹が疎開していた先とあまり遠くないところでした。6年生と4年生の姉と兄はその前に岡山県へ集団疎開をしていました。このあたりの事情もこの本でよく理解できました。もう一つ、原爆を投下された時、なぜその閃光を学校の校庭で『稲光がした』といいながら目撃したのかが不思議だったのですが、やはり夏休みがなく登校していたことをこの本で知り、学校にいたことの訳がわかりました。

 列車が機銃掃射の標的になったことが書かれていましたが、祖父が神戸から私達の疎開先に母とやって来る時、機銃掃射にあい、祖父がたまたまステッキを頭にかざしていて、直撃弾を免れたけれども、ステッキの曲がったところに弾が当たってささくれ立っているのを見せられました。そのステッキはずいぶん長い間家に保管されていましたが、引っ越しの時に処分されてしまったのだと思います。今あれば博物館行きかもしれません。

 ところで、Hの自宅があった高取駅周辺は、戦後ですが、友達と海釣りに行く時、灘駅を一番電車に乗って高取駅まで行き、そこから歩いて海へ行っていたので、何となく地理がわかります。だからH の行動範囲もおおよそわかるので、神戸市以外の人が読むより事情がわかるだろうなと思いました。また、Hは二中に在籍し、一中との定期戦の応援をさぼって殴られた話が書かれていましたが、私は前身が一中の高校に通学し、そのころにも定期戦が続けられていて、全校生で応援に行きました。そのような時にさぼるなど考えもしなかったのは、やはり一中と二中の伝統を引き継いでいたからかもしれません。

 また、Hが中学校美術連盟を立ち上げたことが書かれていましたが、私の場合は神戸市内の他の高校に呼びかけてフォークダンス大会を開催したりしました。誰かが相手校の校長に声をかけていたのか、生徒が勝手に開催していたのかそのあたりの事情は下っ端の私は知りませんが、定期戦以外にも積極的に他校と交流をしようとする雰囲気はありました。これも伝統的なものだったのかもしれません。

 子供向けの本だったので、最後に小中学生の読後感想文が載せられていました。自分たちの幸せを知り、戦争は二度としてはならないことをしっかり読み取っている中で、今の自分たちより家族や友達、大人とより強い絆で結ばれていた当時のHの方が幸せ感が強かったのではないかという言葉に重みを感じました。

 読みながら、このような作者に高齢者放送大学で講義をしてもらったら戦争前後を体験し、生き延びてきた高齢者にとっていいなと思っていたら、放送大学からいただいた番組表の2月15日の欄に「『少年H』で伝えたかったこと」というテーマで妹尾河童氏がお話しされることを知り、今から楽しみにしています。そして、9月18日にまだ上映しておれば、映画の方も鑑賞したいと思っています。


9月6日(金) 「第2回江井ヶ島ネット作成説明会と女性カラオケ」
 前回はプロのホームページ作成者の説明を聞きましたが、今回はホームページに詳しい地域の介護センター職員が代わりに説明してくださいました。PTA関係者などいよいよ取り組もうとする方達が中心に説明を聞き、質問していました。

 私の場合はすでに掲載している内容の訂正について尋ねましたが、結果的には推進協議会の会長であるホームページの責任者に訂正内容を連絡して訂正してもらわなければならないということでした。高年クラブの多くは年度ごとに会長が替わることが多く、少し面倒だなと思いました。

 また、高年クラブは校区に7団体あるので、それぞれを紹介することになりますが、その手順についてはあまり明確な回答を得ることが出来ませんでした。実際に原稿をもらってからいろいろ試してみたいと思います。

 午後からは機械操作のボランティアをしている女性カラオケグループの例会がありました。今日からは妻も仲間に入れてもらうことになったので一緒に会場へ行きました。家で課題曲「酒ごころ」(キムヨンジャ)の練習をしていた時には、間違って覚えた部分をどうしても正確に歌えませんでした。それが今日みんなの前で歌うと実に正確に歌ったのには驚きました。本人が歌うまでには歌入りの曲を聞きながら2回みんなで歌い、その後カラオケでも1回みんなで歌った後、3人が歌ったのですが、それだけで正確に歌えたのは見事でした。みんなに「上手やね」といってもらっていました。私はといえばハラハラしていて損をした気分でした。そして、家で間違いを指摘していた私が間違って歌ってしまいました。


9月5日(木) 「1ヶ月半ぶりのグラウンドゴルフで自己新記録」
 夏休み明けは雨で流れ、今日久しぶりのグラウンドゴルフでした。昨日は大雨洪水警報が出ていたので、グラウンドは私にとって有り難く湿った状態でした。練習ラウンドではさっぱりで、ブランクを感じていました。

 プレイ最初のホールはとんでもない方向に打ってしまい、この調子だとさんざんな成績になる予感でした。ところが、2ホール目からはゴールに絡む打球が続き、第2ラウンドでは連続ホールインワンが飛び出したりして、終わってみれば3ラウンドトータル47と自己新記録で優勝しました。


 夏の間、うだる暑さに、読書や昼寝で暮らす日々が多く、運動はさっぱりしていません。少し過ごしやすくなってきたので、ウォークなど少しでも運動をしなければと思っています。

9月3日(火) 「クリスタルタワーの講座を聴講」
 8月の県政便りを読んでいた時、「兵庫県史」に関する講座が開かれるという記事がありました。以前兵庫運河を散策した時、兵庫県庁の庁舎跡の表示がありました。そのときに県の歴史について知らないことが多いので、一度話を聞いてみたいなと思っていました。

 兵庫県立神戸生活創造センターと兵庫県公館県政資料館の公共機関連携講座として「兵庫県史セミナー 八重の時代の兵庫県域ー幕末を中心にー」が開催されることを知り、申し込みました。50人定員でしたが、受付名簿によるとなんとか最後に滑り込んだようでした。

 受付で前から詰めて座るように言われたので、講師の直ぐそばの一番前の座席で話を聞きました。お陰で途中で睡魔に襲われたのですが、緊張感もあって、最後までしっかり聴くことができました。講師が同志社大学出身で、今も同志社大学の非常勤講師を務め、兵庫県公館県政資料館にも勤めておられるということで、今日は大河ドラマについて八重に関する信憑性などと共に、幕末に関する時代背景をいろいろな立場や視点から話されたので、よく理解できました。9月10日に第2回の講座が開催されます。

 今日は朝8時にグラウンドゴルフの準備をして出かけたのですが、いよいよプレイをしようという頃になって雨が激しく降り、中止になりました。その雨は断続的に降り続きました。午後から出かけるのは大変だと覚悟していたのですが、出かける5分前くらいにはぴたりとやんでいたので、傘を差すこともなく駅まで早めに行きました。ホームで電車を待っていると再び激しい雨になりました。高速神戸駅からは地下道を通って会場まで行けるので、雨の心配はありません。講座が終わってかえる頃には雨は上がっていました。家に帰り着いてしばらくすると、また激しい雨が降り出しました。こんな雨の日に傘を差すこともなく行って来られたのは本当に運が良かったなと思います。夜になっても断続的に強い雨が降っています。妻は晴れ女で、旅行に行く時も一緒の時は不思議なほど雨に降られることはほとんどありません。今日もそのお陰かなと思っています。


8月31日(土) 「姪のケーキ屋さん」
 昨夕から栃木県に住む娘が帰省しています。そこで妻の姪夫婦が加古川市宝殿駅近くに2月に開店したケーキ屋「ラミドゥアダミ」へ行きました。インターネットの地図では共立病院が国道2号の南側で店は北側だと表示されていたのでそのように思って行ったら、南北が逆でした。こぢんまりした店ですが、とても清潔なお店で、お客が次々訪れて、ケーキを買っていく様子を見て嬉しくなりました。姪の夫のパテシエは西川きよしの長女の元夫・林調理師に感じが似ています。

 娘は会社の人たちに配るんだと焼き菓子をたくさん買っていました。そのときに私達にもショートケーキを買ってくれました。私はホームページの表紙を飾っている抹茶ロールを所望しました。帰っていただきましたが、上品で甘さを抑えた美味しいケーキでした。今度はまた別のケーキを食べたいなと思いました。


8月28日(水) 「我が家の冬瓜ーその後」
 8月13日に落ちばえの冬瓜に小さな実がぶら下がっていると報告しましたが、その実がどんどん大きくなってそろそろ収穫の時期になりました。茂っていた葉を取り除くと、なんと地面にもたくさん実を付けていました。その他に、買った苗からは実が出来ていないと思っていたのに、葉を取り除くとこちらも葉陰からごろごろと出てきました。近隣のひとにもおすそ分けしましたが、まだ我が家には収穫、未収各あわせて10個以上の冬瓜があります。落ちばえの冬瓜は実の回りに毛が生えていて触ると痛くて扱いにくいので、収穫も慎重にしなければなりません

 先日から煮て食べていますが、夫婦二人では大きな冬瓜を煮てもなかなか食べ切れません。料理屋に出される冬瓜と違って大きなのを2〜3切れ毎食食べていますが、なかなか次の冬瓜を食べるところまでいきません。収穫した冬瓜が次々にたまっていきます。カボチャならパンプキンスープなどにすれば直ぐに消費できますが、冬瓜がほかにどのようなレシピがあるのかわかりません。まあゆっくり食べたいと思います。

 

8月24日(土) 「待望の雨」
 連日の暑さにうんざりしていました。それも夕方になると庭の水やりで大汗をかくので庭の木々や草花、そして菜園の野菜達もほんの印だけの水では焼け石に水でなんとか枯れずに命を保っているという姿でした。特にウバメガシなど、新芽がみんな真っ白な粉を吹いたような状態で弱っていました。

 そんな日々でしたが、夕方例によって水やりをしていると北の空は真っ暗で、雷の音さえ聞こえてきました。それでも海に近い我が家には一滴の雨も降りませんでした。夕食後、断続的に雨の音が聞こえました。それでも外に出てみると、アスファルトの道はすっかり乾いているので、期待できないなと思いました。ところが、今朝目覚めると雨がしとしと降っていて、庭はすっかり濡れています。この小雨はお昼になっても降っています。庭の木々もきっと喜んでいるでしょう。お陰で連日じっとしていても汗ばむような暑さはどこへやら、快適な生活がもどってきました。扇風機を付けると、エアコンのような風の冷たさを感じます。せっかくビールを買ってきましたが、今日は飲みたいと思わないでしょう。この涼しさはいつまで続くのでしょうか?


8月21日(水) 「避暑ドライブ」
 これまで出かけた中で、日帰りで行ける近場でどんなに暑い夏でも涼しく感じる場所といえば大山の鏡が成高原です。今年の夏はまさにうだるような暑さなので、朝早く起き、車で出かけました。家から3時間、9時半には蒜山高原IC出口にある「風の家」に到着しました。ここには驚くほど安い値段で夏野菜が売っていました。たっぷり野菜を買ってトランクに積み込み、鏡が成高原に行きました。塾の生徒達と思える小学生がたくさん来て楽しそうに遊んでいました。

 早速芝生の木陰にレジャーシートを敷き寝転がってみました。ところが涼風と熱風が交互に吹いてきます。熱風は日に照りつけられた芝生を渡ってくる風、涼風は山にかかった霧から吹き下ろしてくる風でした。その霧がどんどん近づいてきて太陽を遮るほどになるのですが、私達の上空に来ると消えてしまいます。そうこうしているうちにぐっすり眠り込んでしまいました。目が覚めると12時になっており、家から持ってきたおにぎりの昼食を摂りました。

 午後からは妻は絵手紙を描き、私は「少年H」を読みながら、高原の涼しさを味わいました。その後、荷物を車に片づけて、付近を散策しました。今まであまり行くことのなかった湿原へ行くと、立派な木道がありました。6〜7月にはいろいろな花が咲いていたようですが、今は数少ない種類ですが、それでも野草の花々を楽しむことは出来ました。その後、そばのスキー場の斜面に道が見えるので登ってみました。日が照りつけるので、涼しさはどこえやら、すっかり汗びっしょりになりながら斜面を登り、上の道を横に歩きましたが、下から見ているのと違って、表面の草が刈られているだけで、切り株が足下に長く伸びていて歩きにくいことこの上なく、おまけに刈り倒された草は斜面に放置されているので、うっかりすると滑り落ちそうになります。そのような道なき道を汗をかきながらやっと隣の山の整備された道に出るとほっとしました。これでは避暑どころではありませんでした。

 それでも4時を過ぎると気温は下がり、高原も霧に覆われてきました。休暇村の建物に入り、高原牛乳で一服し、5時過ぎに車に乗り込む頃には22度まで気温が下がっており、辺り一面は霧で近くしか見えない状況でした。再び暑い下界を思いながら高原を後にしました。途中食事などをしたので、9時頃家に帰り着きました。暑い夏にたとえ1日でも避暑が出来て生き返りました。

  

8月19日(月) 「第3回いきいき交流会」
 第3回(私は2回目)のいきいき交流会に参加しました。前回は川柳を担当しましたが、今回は司会の役割を与えられました。出演者(指導者)の紹介をすればいい訳ですが、それだけではみんなの関心を引きつけられません。そこで自分に関わる話などを交えて紹介をしたのですが、このようなことを紹介したいと思っていたことをたくさん言い忘れてしまいました。その場の雰囲気でアドリブで司会の言葉を見つけ出すのですが、これだけは話さねばならないと思うことについてはやはりある程度前もって原稿(項目だけでも)のメモが必要だと思いました。

 今回ははじめに天満天神繁昌亭が開館した時に落語の講座を受講された天神亭その花さん(運営委員の一人)が小咄で40分ほど大いに笑わせた後、美空ひばりの「一本の鉛筆」に関わる詩の朗読と歌を感動的に歌われました。その後30分間で朝顔の貼り絵のしおりを作りました。細かい葉や花、蔓を40人分袋に入れて準備していただいていて、30分以内にスムーズに作業を終えることが出来ました。きっと準備が大変だったろうとみんなが感心していました。私も挑戦しましたが、見本のようなバランスの良い作品にはなりませんでした。それでもせっかく作ったのですから、このしおりを今読んでいる「少年H」で活用したいと思いました。


8月18日(日) 「第九合唱団日曜練習」
 明石第九合唱団では練習期間中に2回日曜練習があります。練習後、ビールパーティーが開かれて親睦を図ります。私の場合は決められた席で両隣の人とおしゃべりするのが常で、わざわざ席を離れていろいろな人と親睦を深めることはありません。おまけに、いつも前の席で練習しているので、どのような人が練習に参加しているのかもあまり知りません。

 今日がその1回目で、私の右隣にいた人は、喜寿になって初めての参加だと話されていました。娘さんにこれ以上遅くなると機会は訪れないと後押しされて参加されたそうです。私はそろそろ引退しようかと考えていただけに、その勇気にすばらしさを感じました。

 例年は日曜練習には60人ほどしか参加しないので、少人数でレッスンを受けている感じで、自分の欠点(下手さ加減)が浮き彫りになります。今日はそれを大きく上回り、まとまりのある練習になりました。練習ではいつも私の前の席に3人いますが、今日はその3人ともが欠席で、私は入団の時以来一番前で歌うことになりました。少し油断すると指揮者に発声を注意されるので、緊張の連続でした。それだけに成果は大きかったと思います。いつも練習だけで帰る人がたくさんいましたが、今回はほとんどの方が残ってビールパーティに参加され、活気あふれる親睦会になり、久しぶりに飲み過ぎてしまいました。


8月17日(土) 「地域のホームページ作成」
 3年前、江井ヶ島校区の情報共有としてホームページづくりに携わりました。しかし、ホームページビルダーを使っての素人4人では荷が重すぎることもあって、資料集めで終わってしまいました。資料提供をいただいた方々には申し訳なく思っていました。

 今回プロの方の協力があって立派なホームページ「江井ヶ島ネット」が公開されており、昨日協力委員10名ほどが集まり、ホームページの作成、更新の指導をプロから学びました。今回はそれぞれの団体が自分たちで担当のページの作成・更新ができるように各団体の担当者が集まっていたので、私は校区の高年クラブだけを担当すればよいことになりました。他の男性だけでなくスマホを持っている若い女性達も直ぐに了解していました。しかし、私と同年齢の女性の二人だけは操作の方法がわからず、後に残ってもう一度女性の持っている資料を基に入力しながら指導を受けました。

 私は要所要所で手順をメモしただけでしたが、彼女は場面をカメラに納めながらメモを取っていました。なんとか出来そうに思えたので家に帰って忘れないうちにと思って試みましたが、まだIDとパスワードが登録されていませんでした。夕方近くなってIDとパスワードが届いたのでメモにしたがって試しに自分の所属している高年クラブについて入力しようとしたのですが、途中からさっぱり手順が進みません。夕食を挟んでやり続けましたがさっぱり作成できず、やり直すたびに同じページが増えていきます。作成・削除の繰り返しをしていた時、ふと途中の操作のメモが一つ抜けているのではと思って試みると上手く先に進むことがわかりました。その時点でもう夜の12時を過ぎていたので、パソコンをスリープの状態にして床に入りました。

 今朝は高齢者放送大学の講座を聴いた後、自分のホームページの感想のページを更新した後、昨日の作業の続きをやりました。校区の各高年クラブに協力頂く資料作成シートと、自分の所属する高年クラブの内容を記入例として作成していたので、その文章をコピーしながら作業をすると簡単に作業を終えることが出来ました。最後にグラウンドゴルフの写真を取り込んで完成させ、プレビューするとまずますのページができあがりました。これは紹介だけで、具体的な活動報告はブログで、予定は表紙のグーグルカレンダーに載せるとのことですが、私にとってどちらも経験のないことなので、またどなたかに教えてもらいながら更新していきたいと思います。それにしても後期高齢になってこのような新しいことへの挑戦を若い人たちと一緒にすることは、フェースブックを通してやると動画が軽くなるという発言など理解できない事柄も多く、知識や理解の速度が違うだけに大変です。


8月13日(火) 「落ちばえの冬瓜」
 小ぶりに冬瓜の苗を買って植えました。早々に2個収穫しましたが、その後は雌花がすべて枯れてしまいます。そのような時、別の場所で芽を出した苗がどんどん大きくなってきました。場所がエンドウの後キュウリや蔓ありインゲンを植えていたネットのそばだったので、そのままネットに蔓を伸ばし、雌花に受粉をしてやると、大きな実がぶらりぶらりとぶら下がってきました。すでに6個以上実が付いているので、それ以降の雌花は摘果しています。その数18個です。上手くネットに実が引っかかっているのは良しとしても、蔓だけに支えられている実は果たして最後まで保つかどうか心配です。小ぶりの冬瓜と違って表面に毛が生えた大ぶりの冬瓜で、葉の陰にはもっと大きなのが出来ていました。表面の色が白くなってきたのでそろそろ収穫の時期のようです。そして小ぶりの苗にもやっと3個目の実が少し大きくなってきたので、今度は枯れずに大きくなりそうです。

 

8月5日(月) 「ふれあい交流会」
 兵庫県復興支援課によるいきいきネットワークのグループのメンバーが集まる「第2回ふれあい交流会」がクリスタルビル6階のボランタリープラザセミナー室で開催されました。「本の読み聞かせ」、「バラの貼り絵」、そして「川柳に挑戦」の3つのプログラムがありました。そのうち「川柳に挑戦」について私が担当しました。

 第1回は息子との旅行で欠席したのですが、そのときに兼題「夏」を出してもらっていました。もちろん自由題も受け付けることにしておきました。皆さん2句ずつ詠んでこられていたのには驚きました。中には4〜5句詠んでこられている方もあり、この中から2句選んでほしいと言われる方もありました。持ち時間が30分なので72句を全部詠んで互選してもらうのは時間がかかるので、担当の方と相談し、ひとり1句ずつ選び出して、その句を2度読み上げて良いと思う句の番号に○を付ける方法で互選をしました。

 川柳は初めてだと言われる方がほとんどでしたが、素晴らしい句ばかりで感心しました。互選の結果は
  天 今日よりも明日をめざして百日草  良子   20点
  地 蛇口でも付けてやりたいビール腹  美枝子 18点
  人 孫帰り金魚眺めてほっとする     朝子   17点
 私の一押しは うだる夏黒い汗拭くガードマン 文子  「黒い汗」などという表現を思いつくのはすごいなと思いました。きっと川柳を普段から詠んでおられる方だと思ったのですが、初めてとのことでした。後からそっと教えてくださったのですが、女性のガードマンで、「黒い汗」とはマスカラが汗で流れているのを見て詠んだといわれました。


8月2日(金) 「MD・CDラジオの故障」
 CDを聞いていたところ、雑音が聞こえると思っていたらレコードの針が飛んだ時と同じように同じ箇所を繰り返し鳴るようになりました。そのうちにCDに全く対応できなくなってしまいました。買い物に出たついでに行きつけの量販店に寄ってどれくらいの金額で売っているのか見てみました。最近はMDに対応する機種は売っていないことがわかりました。これまでのカラオケのソフトはすべてMDに録音しているのでこれでは演奏を聴くことができません。今使っているこのラジオは放送大学講師をする時に確実に録音できるようにと平成18年に買ったもので、カラオケや放送大学の仕事等で酷使していたのと、煮物をするガスレンジの直ぐそばに置いていたので早々と寿命が来たようです。

 新しい機種はフラッシュメモリーやSDカードに録音できるようになっています。そこで少し時間がかかりますが、DVDの録音をパソコンを使ってメモリーかSDカードに録音するようにし、これまでにMDソフトにたまっているカラオケソフトは二つのラジオをつないでSDカードに移し替えるようにすればと思ったり、その方法については息子に尋ねたいと思い、その後古いラジオを処分すればと思ったりしていました。

 そのようなことを妻と話しながら製品を眺めていると、店員がそばに来ていろいろ説明してくれました。その中で一つだけ私達の希望を叶えるタイマーでラジオが録音できる機種がありました。その機種は24,700円と値札が付けられていました。売り出しや割引の案内をもらっていましたが、その期限が終わったばかりだったので、今度の売り出しの時に買う話をしたところ、店員が明日3日(土)から在庫処分をするのだが、そのときにこの機種も対象になってるので5,000円近く割り引きできるとの情報をくれ、今日買ってもその値段で売ると言ってくれました。そこで衝動買いでしたが、「ケンウッド コンパクト ハイファイ コンポーネントシステム CLX-30」というSDラジオを買いました。今度売り出しの時にSDカードかフラッシュメモリーを買い、古いラジオが完全に壊れてしまわないうちに処理を終えたいと思います。



7月20日(土)〜24日(水) 「九州をドライブ旅行」
 息子夫婦の誘いで九州を旅行しました。年1回、車でいろいろなところへ連れて行ってくれます。後期高齢になった自分ではこのようなドライブは不可能なので有り難いことです。

 20日夕方、JRに乗車予定を変更して、予定より1台早い山陽電車の直通特急で御影まで行きました。偶然でしたがこれが大正解で、JRは人身事故で不通になり、阪神電車もこの事故を受けて遅れて運転しており、フェリー連絡バスの発車時間に間に合うことが出来ました。

 大分行きフェリー・サンフラワーではこれまで乗船したフェリーとは全く違い個室で、ホテル並みの施設が整っていました。六甲アイランドを出航してから、神戸空港に着陸する飛行機を見たり、明石海峡大橋をくぐる様子を見物し、私達の住むあたりが、これまでと違ってほとんど光のない淋しい様子を確認して船室にもどり、妻を下段に、私は上段のベッドで休みました。これまで船底の船室でエンジン音に身体を震わせながら休んだのに比べ実に静かだったし、海も穏やかでよく眠ることが出来ました。窓の外が明るくなったので、デッキに出てみると日の出を拝むことが出来ました。乗船時はばたばたしていたので乗船していた船の姿を見たのは下船時でした。
 
 まずカーナビにしたがって比較的狭い山道を高千穂に向かって走っていると、竹田市に出ました。この度運転してくれた息子がほ乳瓶を飲んでいた頃に来たことがあり、「荒城の月」で有名な岡城址に寄りました。巻物になった案内図が入場券で、西の丸から本丸へと歩きました。当時感動した石垣をなつかしく眺めましたが、今はかなり雑草に覆われていました。本丸下に滝廉太郎の銅像もありました。

 
 再び南下し、高千穂に到着、とりあえず今日の宿「旅情館 やまざと」に入りました。ご主人が見所を地図で示しながら教えてくださいました。そこで、まず天岩戸西本宮へ出かけました。日曜日とあって大勢の人たちが訪れていました。案内所で遙拝を申し出るとお寺関係の方が一般客の入れないところを鍵を開けて解説しながら案内してくださいました。そして天照大神を岩屋から連れ出すために神様たちが相談したと説明された天安河原へ行きました。賽の河原のように石が至る所に積み上げられていました。
  
 そこから東本宮へ向かいました。途中の岩戸橋の欄干には神楽の登場人物が飾られていました。そして東本宮に着くと、天鈿女命(あまのかずめのみこと)が迎えてくれ、センサーに手をかざすとその場で回って見せてくれました。本殿でお参りをした後、時間があったので、国見ヶ丘展望台へ行きました。ここからは高千穂の町全体を見下ろすことが出来るほか、阿蘇山の涅槃の顔の部分を見ることが出来ました。夕食のご馳走をいただいた後、旅館の主人が高千穂神社の夜神楽に案内してくださいました。本来なら33番を夜を徹して上演されるそうですが、普段はその内の4番を上演してくれました。天の岩戸に隠れた天照大神を岩戸から誘い出す場面のほか、伊弉諾尊、伊弉冉尊の子づくりの場面など、観客を巻き込んでおもしろおかしく演じて見せました。宿舎の主人の配慮で早めに送ってくださったお陰でかぶりつきで鑑賞したので気がつきませんでしたが、観光バスや旅館のバスなどで超満員の観客でした。
   
 翌朝の食事はお盆の代わりに特産の竹ざるに乗せられたご馳走に驚きました。

 朝食を済ませ、昨日は高千穂峡へ行っても駐車場が満車で入れないということだったので、8時30分に行きました。朝早かったお陰で高千穂峡をゆっくり歩いて見て回りました。写真でしか見ていなかった景色のところへも行くことが出来、感動でした。

 
 その後、昨夜夜神楽を鑑賞した高千穂神社へ行きました。狛犬は2匹の子供を連れており、樹齢800年という大杉、鉄製の狛犬など、重要文化財があちこちで見られました。さすがに神代の時代からの伝統を感じさせる神社でした。

 高千穂を後にして、阿蘇山の景色を見て宿泊するくじゅう高原へと向かうことにしました。ところが途中で阿蘇山の全景を眺める場所が見あたりませんでした。あちこちで草原や山が崩れているところが多く見られ、火山灰が堆積した地形のもろさを感じました。そしてJR阿蘇駅に到着、クマモンが出迎えてくれました。そこでわかったのですが、昨年夏の豪雨で阿蘇駅東の宮地駅・竹田駅間が不通のままで、復旧は8月になるとのことでした。草原や山の崩れはそのときの後遺症だったのです。駅の案内所で大観望が最大の眺めだと説明しているのを聞き、駅のレストランで軽い昼食を済ませて大観望へ向かいました。
 新婚旅行で杖立温泉からバスで阿蘇へ向かいましたが、バスが外輪山の大観望近くを通過した時、その眺めに感動したことを思い出しました。大観望からは阿蘇山だけでなくまわりの外輪山やこれから向かうくじゅう連山など、その360度の展望に改めて感動しました。
  
 眺望を堪能した後、くじゅう連山へ向かいました。途中阿蘇山が繰り返し噴火した痕跡を残す地層がくっきり現れた場所がありました。そして、久住高原のすてきな場所に国民宿舎がありました。チェックインした後高原を散歩しました。温泉に浸かり美味しいビールを飲みながらご馳走を食べていると、すっかり睡魔に襲われ、早く床につきました。

  
 3日目も早く起きて温泉に浸かり、朝食を済ませて早めにくじゅう連山北側の長者原へ行きました。他の湿原と違って立派な木道が設置されていました。いろいろな珍しい花があちこちで見ることが出来ました。花には蜂がたくさん蜜を吸いに来ていました。朝は九重山に雲がかかっていましたが、昼にはすっかり晴れ渡り、硫黄山の白い蒸気もはっきり見ることが出来ました。気温も高原だけあってそれほど暑さを感じませんでした。
   

   
 レストランで昼食を済ませ、帰路につきました。途中休憩した豊前道の駅ではカラス天狗が迎えてくれました。この町のユルキャラなのかなと思いました。それにしても下界は猛暑で、高原がいかに快適かということがよくわかりました。小倉北からは高速自動車道に乗り、途中関門橋で一休みしました。そこからはうとうとすることが多く、途中のサービスエリアで夕食を済ませた後は、家の近くに到着するまですっかり眠っていました。息子がひとりで運転していましたが、まだまだ若いとはいえそのバイタリティには本当に感心し、印象的な旅のプレゼントに感謝感謝でした。
 

7月13日(土) 「歌舞伎鑑賞」
 兵庫県芸術文化協会の「伝統芸能講座」を受講しています。文楽や能などいろいろな分野の伝統芸能に接することが出来ます。しかし、メインは歌舞伎で、このような機会がなければ歌舞伎を鑑賞することがありません。以前に一年だけ受講を休んだことがありますが、その年は淋しく、次の年は早々に受講申し込みをしました。

 今回の歌舞伎の演題は「柳影澤蛍火〜柳澤騒動」で、柳澤吉保の浪人時代から命を落とすまでの生涯を描いた6幕の長い芝居でした。いつも通り解説を聞きながら鑑賞しましたが、解説がなくてもよくわかる話でした。配役については何度鑑賞しても名前は覚えられませんが、私にとっては話の筋道の方が大切で、誰が演じていようといずれも磨かれた演技なので問題はありません。それより、今回の女形の演技は本当に女性が演じていると思えるほどで、感心しながら、引き込まれて見ていました。もう一つの演目は「保名」という踊りで、解説を聞いていましたが、なかなか良さを理解することが出来ませんでした。やはりせりふのある物語が良いなと思いました。

 今回も準備中とかかれた「ずぼらや」でふぐ寿司の盛り合わせ弁当を買いました。高いけれども、歌舞伎鑑賞ではそれなりに気持が大きくなり、休憩時間にこのふぐ寿司を食べると豊かな気持になります。


7月11日(木) 「またまた忙しい一日でした」
 今週はグラウンドゴルフの当番に当たっていました。朝6時に起き、7時にはグラウンドへ行き準備をしました。相棒が交通事故に遭い、腰骨にひびが入ったと休んでいましたが、仲間が二人助っ人に来てくれ、3人で準備をしたので、いつもより楽をさせてもらいました。それでも石のローラーを30分ほど引いてグラウンド整備をしていると、すっかり大汗をかきました。そのままプレイもしましたが、10時前に終えて家に帰り、直ぐに風呂に飛び込んで汗を流し、すっかり着替えました。

 11時にグループいきいきネット昼食と歌の会へ行くために、急いで準備をし、前日に大久保駅に集合する人数を間違えて伝えていたので、その間違いを連絡しているとまた汗をかきました。菅笠をかぶり、自転車で出かけ、11時に会場に到着、玄関前でみんなの到着を待ちました。無事食事とカラオケを使った歌をみんなで楽しみ、支払いを済ませて家に帰ると3時になっていました。

 ほんの10分ほど昼寝をした後、親戚の人が尋ねてきて、1時間ほど世間話をした後、5時30分頃明石第九合唱団の練習に出かけました。いつも6時頃に車で出かけるのですが、お昼の食事会で地ビールをジョッキ1杯飲んでいたので、いつもより早いお出かけでした。練習を終えて電車で家に帰ると、9時30分を回っていました。これで本日の予定はすべて終了、遅い夕食を済ませ、風呂に入って床に入ったのは12時、長く忙しい一日が終わりました。

7月10日(水) 「期日前投票」
 姫路の県立歴史博物館で歴史講座を受講した帰りに、明石市二見支所に立ち寄って期日前投票をしました。最初に渡されたのが知事の投票用紙でした。現知事は自・民・公各党相乗りという最も改革に遠い姿勢なので、批判票を投票せざるを得ません。かといって支持できない政党の候補に投票することもためらわれ、本当に困ってしまいました。

 参議院議員の投票は、戦争の可能性を秘めた憲法改正にはどうしても賛成しかねます。あくまで戦争をしないという考えに立って、首相公選のための改憲を訴え、将来原発をなくそうと考えている政党を選ぶことにしました。自分の思いにぴったりのマニフェストを掲げる政党はありませんが、最も近い政党の候補者に投票しておきました。でも、まず当選することはなさそうです。


7月6日(土) 「テレビの補助スピーカー」
 妻はいささか聴力が落ちています。キッチンのテーブルで食事をしていると、テレビの音がはっきり聞こえず、日本語のドラマなどにだんだん興味を失っています。特に朝ドラの「あまちゃん」は怒鳴り声ばかり聞こえて何を言っているのかわからないといいます。まして、東北弁の会話が多く、なおさらです。

 先日、電気屋のチラシで、東芝からテレビの音声を電波を使って手元で聞くスピーカーが売り出されることを知りました。そこで1週間ほど前に手元で買ってきてプレゼントしました。すっかり気に入ったようで、自分であちこち持ち歩いて聞いています。そしてあまちゃんにも興味を示し、一緒に視聴するようになりました。ただ私もそばで一緒に聞いているとちょっとやかましい感じですが、本人が満足しているようなので良かったと思っています。


7月1日(月) 寝不足のグラウンドゴルフで好成績」
 床について3時間、目覚ましで飛び起きました。目覚める直前に夢の中で救急車の音を聞きました。家の前の消防署から出動していくのですが、あの大きな音を夢で聞いても目覚めることはありませんでした。前日野菜に水やりをしていなかったので20分ほど水をやったりトマトやピーマンの収穫をし、朝食を済ませて8時過ぎにグラウンドゴルフに出かけました。

 寝不足の身体への影響は感じませんでしたが、それでも練習ラウンドはさっぱりでした。プレイが始まって初めの3ホールほどもさっぱりで、どうなることかと思いましたが、ホールインワンをしてから調子に乗り、終わってみればホールインワン3本、トータル48打と自己最高対の成績で1位でした。ここ3試合ほどは成績が良く、6月の月間成績もホールインワン8本で今までにない2位という成績でした。

 夕方から再び洲本まで行くことになり、往復150qほど高速道路を走りました。こちらはバスでよく走っていても自分で運転することがないので、上り下りの変化が多い中で、結構速度に気を遣う道路でした。たくさんの車に追い越されましたが、上り坂でスピードが落ちていることに気づかないことが多かったからだと思います。

 夜中に胃が少し痛みましたが、高速道での運転が続き、胃にストレスがたまったのだと思います。胃ガンの術後なので気を付けねばなりません。

6月30日(日)  「18時間 1043qのドライブ」
 朝から庭仕事をしていた妻が、9時頃突然「善光寺へお礼参りに行こう」と言い出しました。私がガンの手術をした時、四国や小豆島の歩き遍路でお世話になった先達さんご夫妻が信州善光寺のお札を送ってくださったのです。そのお札を持ってお礼参りに行こうというのです。

 昨年長野にいる孫のところに出かけた時、長野で夕食を済ませて夜中に帰宅したのを思い出し、たいした距離ではないと思ったようです。思いついたが吉日と、9時30分にETCカードとカーナビだけを持って出発しました。カーナビで「善光寺」と入力しても、函館の善光寺に始まり、なかなか目的地の信州長野の善光寺が表示されません。仕方なく、長野駅と入力して玉津ICから高速道を走りました。

 いつもドライブ中に眠くなり30分ほどパーキングエリアで眠るのですが、今回は昼食以外に一度休憩しただけで、長野ICに到着しました。そこで改めて善光寺を入力しましたが、結果はやはり同じ、妻が料金所の人に尋ねに行き、IC出口から右折し道なりに進めば到着することがわかりました。道路標識通りに進むと、狭い道に入り込んでしまい、心配しましたが、無事見覚えのある駐車場に5時30分到着しました。

 本堂の内陣は閉まっていて、人影もほんのわずかでしたが、お寺の方が7時から年に一度法会が開かれる日なので、良かったらお参りしてくださいと案内してくださいました。しかし、帰りのことを考えると、のんびりしていることは出来ず、残念ながら法会には参加できません。お礼参りの事情をお話しすると、お札を快く預かってくださいました。本堂でお礼のお参りをして大門だけを見て帰路につきました。


 前回孫と食事をしたICそばの信州そばの店に行きましたが、6時30分を過ぎていてもう閉店していました。隣の峠の釜飯を売っている店も7時までというので急いで釜飯を2つ買って、駐車場で食べました。
食べ応えのある量でした。7時過ぎには食べ終えて出発しました。往きはガソリンが残り少なくなり心配になったので、塩尻ICでいったん一般道に出て低料金で給油することができました。しかし、帰りはそのようなことは言っておれないので、早めにSAで給油し満タンにしておきました。

 日曜日だったので、往きはほとんどトラックの姿はありませんでしたが、帰りの高速道路はトラックであふれていました。暗くなったので、例によって時速85〜90qと速度の安定したトラックの後ろについて走りました。渋滞もなくスムーズに走りました。12時を過ぎると普段は眠くて仕方ないのですが、なぜかいっこうに眠気に襲われません。それでも休憩の度に座席を倒して目をつむるのですが、エンジンがかかっているような振動を身体が感じて眠ることは出来ませんでした。だから10〜15分で休憩を切り上げて走りました。3時20分過ぎに無事家に帰り着きました。以前に三瓶山から家まで寄り道しながら700qあまりを運転したことはありましたが、こんなに長距離をつづけて運転したのは初めてでした。さすがに家に帰って風呂にはいると熟睡しました。


6月25日(火) 「あじさい神苑」
 明石市魚住町中尾の住吉神社境内にはあじさい神苑があります。梅雨時の運動不足解消をかねて、あじさいの花を見に行きました。家から歩いて往復8000歩ほどですが、午後2時頃に家を出たので、梅雨の晴れ間とあって汗をかきました。花の方は満開をやや過ぎたかなという感じでしたが、近くのデイサービスの方達も大勢来ておられ、平日にしてはにぎわっていました。
 
 帰りに江井ヶ島酒館に寄って、グループいきいきネット7月例会の予約をしました。足が悪くて座敷がつらい方もおられるのでいす席の部屋をお願いしたら、カラオケが使えるとのことなので、以前から希望があった歌を歌う会をかねて実施することにしました。コミセンなどで童謡を歌う会に参加している人もいるので、是非リードして頂きたいと思っています。


6月24日(月) 「雨上がりのプレイ」
 今朝起きた時にはまだ雨が残っていたので、グラウンドゴルフはないものと新聞を読んだりのんびりしていました。それでも雨がやんだので朝食前にグラウンドをのぞきに行くと、すっかり準備が出来ていました。一部水が浮いているところもありましたが、そこを避けてコースが造られていました。とにかく水はけが良いというのが私達にグラウンドの特徴であり、誇りです。

 雨上がりは小石でコースが変わることがないので私の得意とするところです。開始早々ホールインワンが飛び出し、終わってみればホールインワン2回、3ゲームトータル49で優勝しました。このような成績が続けば月間成績もいい順位に行くのですが、残念ながら雨上がりにプレイすることは滅多にありません。梅雨の間に成績を伸ばしておきたいと思います。


6月21日(金) 「お陰様で初期ガンが完治しました」
 14日に手術後の経過観察で胃カメラ検査がありました。そのときに怪しい部分の組織検査があり、経過結果の診断が1週間延び、今日、検査結果を聞きに明石医療センターへ行きました。主治医から胃カメラの映像を見せてもらいました。術後の潰瘍もきれいに完治しており、組織検査の結果も悪いところはないという説明を受けました。これでひとまず一件落着です。帰りに1年先の6月6日に胃カメラ検査の予約を取って帰ってきました。

 夕食で妻と乾杯しようと思ったのですが、あいにく冷えたビールがないので、日本酒で乾杯をしました。


6月18日(火) 「ミニトマトの収穫」
 先日黄色のミニトマトが熟してきたなと思いながら収穫しなかったら、土曜日の雨に濡れて割れてしまいました。今日夕方水やりをしていると、赤と黄色の実が色づいていました。今夜は雨の予報なので、収穫しておきました。まだ完熟という訳ではありませんでしたが、木曜日まで雨模様なので思い切って収穫したのです。味の方は夕食で確かめてみます。


 夜、黄色のミニトマトを食べると、驚くほど甘く、この夏が楽しみです。

6月15日(土) 「高齢者放送大学をRdiko.jpで聴く」
 今年度からラジオ関西のホームページから「Radiko.jp」をクリックすると放送を聴くことができるとテキストに書かれていたので、今日は試しにパソコンで聴きました。ラジオとはワンテンポ遅れていましたが、鮮明に聴くことができるので、ラジオを消しました。内容も目新しく、楽しく聴くことができました。パソコンに向かっていたので、感想文もそのまま直ぐに書くことが出来ました。目覚まし代わりにラジオをセットしていますが、来週からもこの方法で聞きたいと思います。


6月14日(金) 「術後経過検査」
 4月に手術した後の経過検査で胃カメラを飲みました。今日は喉を管が通る時痛いし、検査を受けている間中苦しくて早く終わらないかとそればかり思っていました。結果的には新たに怪しい部分が見つかって組織を取ったので、主治医の診断は組織検査の結果が出てからということで、来週までお預けになりました。手術跡がどうだったのかくらいは聞きたかったなと思いました。


6月11日(火) 「いよいよ重度のボケの始まり」
 新聞の折り込み広告でしっかりした紙があると、ゴミ箱を折ります。これは長年続けていた行動です。ところが、今朝妻の前で例によって広告の紙を折っていて、突然折り方がわからなくなりました。私の「あれ?」という言葉に対して、妻はすべてを察したらしく、「今までに折ったのがあるからそれを分解してみたら」と言いました。言われた通りにして直ぐにゴミ箱を折り上げることが出来ました。

 私はこのとき、かつて90歳を超えた叔母が入院していて、まわりの人に折り紙をいろいろ教えていたのに、私達がお見舞いに行った時、折り紙の折り方を私達に教えていて突然折り方がわからなくなった様子を思い出しました。叔母はその後どんどん痴呆が進み、亡くなりました。私の母は若年性痴呆の傾向があり、40歳代で亡くなりました。いよいよ私にも同様の症状が顕著に現れ始めたのだなと思いました。私以上にショックだったのは妻だろうと思いましたが、彼女はそのことには全くふれずに出かけていきました。

 先日、明石市高年福祉課から健康に関するアンケートがあったのでそれに答えて投函しておきました。その結果が昨日届き、「あなたは元気に過ごされています。これからも毎日の生活に運動習慣や趣味を取り入れ、活動的にお過ごしください」と書かれていましたが、なんだか空々しい感じです。


6月9日(日) 「忙しいけれども充実した日曜日」
 朝早くから剪定した木の枝を次のゴミ収集日に出せるよう、束ねたり細かく切ってゴミ袋に入れたりしました。その後大急ぎで、遅い朝食を済ませ、今夜の男性カラオケの会のための酒類や食料を買いに行きました。もどってきたらもう11時になっており、急いで食料や酒類を冷蔵こにしまい、昼食の用意をして11時30分に食べました。

 服を着替え、12時過ぎには写経に出かけました。明石市太寺町にある太寺山高家寺で写経をするのは5年ほど前からほぼ毎月1回続けています。昨年までは般若心経を写経していましたが、今年は天台宗三代座首・慈覚大師の没後1150年にあたり、法華経を写経していさめることになり、今までに見たこともないような文字の混じった経文の写経をしています。したがって時間がかかります。これまではみんなが書き終わり般若心経を読経している頃にやっと書き上げる始末でしたが、今日はみんなと同じように書き終えることが出来ました。

 家に帰ってからは1時間ほどの間に風呂の掃除など家事の残りを済ませ、夜のカラオケのために3曲ほど簡単に練習をしました。5時から2時間あまり会食をしながら自治会の運営など、まじめな内容を自由に話すなど、リラックスした時間を持ちます。今日は政治の話が出ませんでした。今の政治への関心の低さからでしょうか。

 7時半頃からそれぞれ自分の十八番を3曲ほど歌いました。私は月曜日の女性カラオケを意識して、練習がてらに「夫婦三昧」「伊勢めぐり」のほか、NHKでお馴染みの「花は咲く」を歌いました。参加者はみんな男性なので、女性の歌には全く関心を示しませんが、私は関係なく明日の女性カラオケの会の練習だと割り切って歌っていました。家に帰り着いた時には10近くなっていましたが、朝早くから充実した一日になりました。


6月8日(土) 「買い物ドライブ」
 農産物を買うために宍粟市山崎の農協即売場へ行きました。妻が注目したのは花の苗でした。私は野菜を見て回りました。結果的には私には料理が出来ないので妻が買う物を決めて篭に入れ、私はレジで支払いするだけでしたが、いろいろ買うことが出来ました。さらに車を一宮町まで走らせ、「ながさわ」で梅干し用の梅を買いました。まだ梅干し用というよりも梅酒用の青梅が主流でしたが、中で黄色く熟れている梅の実を選びました。この店ではいつもスイカを買うのですが、時期が早いので、2000円以上していました。7月に入ったらまた来ようと思っています。

 帰りにスモークチーズを作るためのチップを買うためにホームセンターへ寄りましたが、山崎で買った花の苗が2倍ほどの値段で売っていました。ガソリン代を考えれば高くついたのかもしれませんが、ドライブという気分晴らしをしているのですから、決して高くついたとは思っていません。


6月7日(金) 「ジャガイモとタマネギの収穫」
 晴天が続くのでジャガイモとタマネギの収穫をしました。昨年は40sほどのジャガイモを収穫しました。今年は3分の2くらいの数の種芋を植えましたが、花が咲き始めた頃から葉を虫に食われてレース状になってしまいました。だから、茎がしっかりしていても葉からの栄養分が行かず、大きな芋は少なく、小さな芋がたくさんで、ウズラの卵ほどの芋をたくさん捨て、結局14sほどにとどまりました。葉が無事だったらこれらも大きくなって、去年のようにたくさん収穫できただろうと思います。ただ、捨てる葉や茎はゴミ袋二つにおさまりました。一方、早稲のタマネギが売り出される頃はまだ根も太らず、ちょっと心配しましたが、中晩生の種類だったので、5月に入ってぐんぐん大きくなり、立派なタマネギが収穫できました。まだ来週まで晴天が続くとのことなので、日当たりの悪いところはもう少しそのまま置いておこうと思っています。

  
 菜園のトマトは8本植えていますが、いよいよ実が大きくなってきました。しかし、もっと大きくなって色づくまではまだ時間がかかりそうです。早く完熟トマトが食べたいなと思っています。
 

6月6日(木) 「明石第九合唱団練習始まる」
 今日は夕方から明石第九合唱団の結団式がありました。いよいよこれからほぼ毎週木曜日の夕方6時30分〜8時30分の第九の練習に出かけます。実は胃ガンの手術をしたので今年は止めておこうかと思っていたのですが、13年前私を誘ってくれた教え子が是非来てほしいというので参加することにしました。

 今年3月に放送大学の講師を辞めていたので、第九も止めると一気にぼけると思った妻は、行くところが出来て良かったねと胸をなで下ろしています。今年の参加者はいつもと違い最初から大勢の人が集まりました。私は前の方に着席していたのでよくわかりませんでしたが、初めての人もたくさんいたようで、頼もしい限りです。昨日半年ぶりに発声練習をしましたが、普段は演歌を口先で歌っているので、夜中に喉の痛みを感じました。これから少しずつ慣れていくだろうと思います。

追記 後日、当日の記事が練習風景の写真と共に神戸新聞に掲載されました。


5月29日(水)〜31日(金) 「東北5県を3日間で」
 久しぶりにJTBのツアーに参加し、東北へ出かけました。(これも東北支援のつもりです) 朝、三宮から伊丹空港へ行くリムジンバスに乗ろうと、割安切符を4枚買うと、「二人の往復分やね」と言って、リムジンバスの時刻表をサービスしてくれました。これは帰りに大いに役立ちました。

 10時発の飛行機で仙台まで行くと、涼しい風が吹いていました。そこから一路山形県の山寺へ、門前で昼食を済ませました。5月いっぱい、根本中堂でご開帳をしているので是非見ていくようにと勧められました。そういえば大阪でも僧侶に引率された団体がたくさん仙台行きに乗り込みましたが、納得しました。しかし、大変な行列で、1〜2時間待ちということもあると言われ、奥の院へ1015段の階段を登ることにしました。以前にも来たことがありますが、印象が違っていました。特に下りに寄った五大堂からの眺めは素晴らしく、新たな印象を持ちました。仙台は涼しく思いましたが、山寺は内陸で気温も高く、上り下りとも汗をかきました。

  
 その後銀山温泉へ、宿泊する銀山荘に早く到着したので、車で送ってもらい、銀山温泉の古い旅館街を見に行きました。景色も素晴らしかったのですが、宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」のモデルになった能登屋旅館のたたずまいに感激しました。映画で見た旅館そのものという感じでした。さらに奥へ進むと滝があり、豊富な水が大迫力でした。ゆっくり温泉に浸かり、夕食を済ませた後、今度は夜景を見に行きました。雨が降っていましたが、歩いても五分ほどのところだとわかり、浴衣にトレッキングシューズという出で立ちで出かけました。夜景は一段と風情があり、再び感激でした。夜には花笠音頭を旅館の従業員が二人でおどって見せてくれました。かぶりつきで見せてもらいましたが、その運動量の激しさに、これは長くおどれないだろうと思いました。銀山荘の設備も最高でしたが、従業員のもてなしの心遣いも最高で、料理も食べきれず、最後に出された米沢黒毛和牛のステーキは断ってしまいました。これが目玉だったのでしょう、仲居さんが残念そうな顔をしていました。また、部屋の大きな窓は一枚ガラスで、雪景色は最高だということでしたが、裏山も夜のライトアップの景色も東山魁夷の絵画を思わすような素晴らしい眺めでした。
  

 
 二日目は秋田県の男鹿半島へ向かい、まず八望台へ行きました。マールと呼ばれる噴火口の池が見える展望台は日本海をも見渡せる絶景でした。その後入道崎で海鮮丼の昼食を食べました。以前食べた海鮮丼のような豪華さはなく、いくらがたっぷり載った見た目は質素な丼でした。なまはげの本場ということで、至る所になまはげのモニュメントや飾りが展示されていました。昼食後、白黒の珍しい灯台を見ていると、モアイ像のような大きな石が並んでいます。よく見ると北緯40度の線上に、細く切られた石が一直線に並んでいるのです。このような珍しいモニュメントは初めて見ました。そのあと寒風山に登り、山頂の回る展望台から男鹿半島や干拓地を見るのを楽しみにしていましたが、近づくにつれて山上に雲がかかり始め、展望台に到着した時には展望台はすっかり雲の中に隠れてしまいました。仕方なく直ぐ下の駐車場からまわりの景色を見ることにしました。幸い、干拓地はかろうじて見ることができました。定規で引いたような区画割りをされた大きな田は田植えが終わったばかりのように見えました。
   

  
 そこから一路北上し、途中道の駅「お殿水」に寄りました。ここは名水の湧き出るところで、参勤交代の折、お殿様を始め、みんながここで休憩して水を飲んだのだそうです。そこからは程なくして宿泊地、不老不死温泉に到着しました。この温泉は海辺に混浴と女性専用の露天風呂があるので有名なところです。4時頃に到着したのでまず大浴場で汗を流し、海辺の露天風呂へ行きました。風で脱いだ浴衣が飛ばないよう石で押さえてひょうたん型の露天風呂に入りました。女性はすべて女性専用へ行くので、混浴は男性ばかりでした。
  
 潮が満ちている時は露天風呂から海水に触れることができるという話でしたが、この日は干潮だったのか、露天風呂のまわりは岩場でした。そして嵐の時は閉鎖されるために、せっかく来ても露天風呂には入れないのだそうです。風呂からの夕日の眺めが最高なのだそうですが、午前中と違って西の空には雲がかかっていて、残念ながら夕日を見ることはできませんでした。夕食の料理も豪勢でサザエは今までに見たこともないほどの大きさでした。食べきれずに手を付けなかった料理も3品ほどありました。医者に禁酒を言い渡されていましたが、お銚子を1本とって少しだけ飲みました。20人ほどの団体でしたが、総体にみんなおとなしく、料理などを運んでくる仲居さんにその都度「ありがとう」というので、「この団体さんはなんと素晴らしく、し良い人たちばかりだ」と年配の仲居さんが感心していました。

 3日目はまず白神山地の12湖のひとつ青池を見学しました。道中にある他の池も朝早かったので湖面に映る景色はとてもきれいでした。青池は日の差しているところはまるで青インクのように青く、水も透明で池の中まで美しく見えました。12湖は崩れ山の噴火で川がせき止められて出来たということですが、ひとつひとつ違っていました。しばらくブナ自然林を歩きましたが、歩道の側にもまむし草など珍しい草花が見られ、楽しいウォークでした。
  
 その後国道101号を南下、能代東ICから高速道で横手のふるさと村へ行き、昼食にきりたんぽ定食の食べました。幼稚園児がたくさん遠足に来てお弁当を広げていました。駐車場のそばにはまだ雪が積み上げられており、さすがに「かまくら」を楽しむ豪雪地帯だなと思いました。

 昼食後再び高速道路を走り北上JCから平泉まで行き、中尊寺を訪れました。以前平泉で昼食を摂ったことがありました。この坂を登れば中尊寺だというだけで、参拝することは出来ませんでした。今回は別の道からのぼり、参拝券をもらってまず金色堂を見学しました。金箔に覆われ、螺鈿がふんだんに使われて彩られた金色堂は期待通りで感激しました。続いて資料館(讃衡蔵)を見学しました。展示物や映像などから金色堂のすばらしさをさらに深めることができました。本堂にお参りし、弁慶堂にもお参りして月見坂を下りました。

  
 仙台空港近くになって、高速道路から被災地の様子を少しだけ見ることが出来ました。海水に浸かった田んぼは、今年初めて田植えをしたところ、未だ塩分が抜けず休耕田になっているところなどがありました。そして遠くにがれきの山が見えました。高速道路の反対側は高速道路が堤防になって津波を免れ、平常の生活と田の植え付けが見られました。少しでも地元の支援になればと思い、仙台空港のレストランで夕食を済ませ、19時発の飛行機で帰路につきました。とても印象深い旅でした。

5月22日(水) 「江井ヶ島校区グラウンドゴルフ交流大会」
 校区のグラウンドゴルフ愛好家の交流大会がスポーツ21の主催で行われ、私も久しぶりに参加しました。前々回参加した時はビリの成績だったので、少しは良い成績を取りたいと思ったのですが、朝起きた時から腰が痛く、湿布をして出かけました。球を置いたり拾ったりするのも痛くて、思うように集中できず、結果は男性の部32人中26位でした。つまらないことで1打失敗したことが度々ありましたが、その内の1打でも上手く打っておれば25位の飛び賞で、商品券がもらえるところでした。また、ホールインワン賞がもらえるホールでは力が入っていて、6ラウンドのいずれも上手く打てませんでした。ちなみに、8ホール6ラウンドの結果は140打でした。優勝は119打、最下位は149打ですから、私のレベルは下位に甘んじていることがよくわかりました。今回もホールインワンはありませんでした。


5月16日(木) 「親友の訃報」
 朝刊を読んでいると、親友の逝去が報じられていました。彼は私が大学に勤務していたとき、研究室の学生でした。新入生の歓迎会では、須磨アルプスを案内するなど、常に誠実さが人より秀でている人柄でした。だから彼はいつも同窓会のリーダーでもありました。また、現場でも若い教師の指導者として研究面でもその才能を発揮していたと聞いています。彼は公立学校を定年退職後、大学教授としても活躍していました。そして教育関係者の悩みの相談業務にも携わっていました。

 そのような彼と、私が退職したときに受講した「いきいき仕事塾」の園芸講座で再会しました。彼は大学に勤めながら貴重な空き時間を利用して受講していたのです。講座修了後、受講者でグループを立ち上げたときにも快く参加してくれました。大学の授業だけでなく文部科学省との様々な交渉事務など多忙な中でも、地位などおくびに出すこともなく、貴重な時間を割いてグループ活動に参加し、女性が多いグループのメンバーとも気安く接していました。特に印象的なのは、女性会員からの提案で宝塚歌劇をグループで鑑賞するときにも喜んで参加し、時にはスター個人のお茶会にも誘われると顔を出していました。そのような誠実で気さくな人柄はグループみんなの人気の的で、彼の話を聞くのが楽しみで、例会で彼に講演してもらうこともありました。

 彼がリンパ腫に罹患していることをメンバーに話したのは、東日本大震災が起きた2年前の3月11日でした。その日、グループいきいきネットの例会として、長浜へ大河ドラマ「おごう」の博覧会を見に行った帰りの電車の中でした。リンパ腫の治療として抗ガン剤の投与が始まったという話でした。2回ほどの投与を終え、薬の効果があって経過が順調なので8回投与のところ6回で終えることができるかもしれないという明るい報告でした。

 しかし、その後入院したといっていましたが、5月の例会で尼崎市の公園へなんじゃもんじゃの花を見に行ったとき、歩く距離が少し長くなり、彼から今日はこの辺で終わろうという提案があるほど、体力が落ちてきていました。その後は入退院の繰り返しで、なかなか例会に参加することはできませんでしたがみんなが彼の話を聞きたがっているとメールや案内状の走り書きで知らせると、昨年3月末に4回目の入院をしていたが、それを励みにして治療に頑張ると返事のメールが届きました。私が例会でみんなに彼のメールを紹介すると、その後例会の度にみんなが彼の病状を案じていました。


 そして昨年8月には
 「私の体調ですが、以前に比べてよいのです。
  しかし、血液検査などの結果から、医師はよいように言ってくれません。
  それどころか、後1年は難しいと言われました。
  打つ手がないとも。
  体の調子が良いのであまりのギャップに困惑するばかりです。
  そこで、医学に頼れないので、自己免疫力を高めるしかないと決意しました。
  私なりにやれるだけやってみようとしています。」
というメールが届きました。


 そして10月に次のようなメールを受け取りました。
  いつもご案内いただきありがとうございます。
  にもかかわらず、欠席ばかりで申し訳ありません。
 
  さて、私のその後ですが、医者からは最後通牒を言い渡されました。
  近代医学から見放された感じです。
  今まではお医者様任せでしたが、病気を治すものは自分ということに気がつきました。
  そして、自己免疫力を高めることや代替医療に活路を見出さんものと悪戦苦闘しています。
  一応ホスピスにも登録しました。
  でも、最近すこし、ほのかな光が見えてきたように感じています。
  しかし、確証はありませんが。
  最後まで希望を失わず、努力をしたいと思っています。
  一日もはやく、参加できる日を楽しみにしています。
     1014

最後のメールは今年の3月でした。
  いつも連絡いただきありがとうございます。
  行事に参加したいのは山々ですが、1度体調を狂わしますと、もとにはなかなか戻りません。

  私こと、14日から223日まで51日間、西神戸医療センターに入院しておりました。
  その間、生死の境をさまよい、親戚を呼べといわれたそうです。
  私は苦しいばかりで何も分からなかったのですが。

  長いこと入院していますと、足が衰え歩けなくなります。
  今は、どこも出かけられなく、まんてん垂水に世話になっています。

  そのうち、よくなり参加をしたいと思っています。また、私の体験もお伝えできればと思っています。
  いつもご迷惑をおかけし気になっています。

  取り急ぎ、近況のお知らせまで

      36

 今日の訃報は突然で本当に驚きました。そして残念な気持は私だけでなくメンバーみんなも同じだろうと思います。それより彼自身がもっとも残念に思っていることでしょう。明日告別式に参列しご冥福をお祈りしたいと思います。



5月15日(水) 「あわじ花さじきと景観園芸学校見学」
 県立フラワーセンターへ行く計画を立てていたのですが、たまたま休園日だということがわかり、インターネットで調べると、あわじ花さじきがポピーの見頃だとわかり、出かけました。私は初めてだったので楽しみにしていましたが、予想以上にきれいなところで感動しました。ポピーの花の向こうには大阪湾が広がり、開放的な景色は、鳥取花回廊のポピーの咲き乱れる丘の向こうに雪をいただいた大山を見る景色に決して劣らないと思いました。
  
 帰りにここも初めて訪れる淡路景観園芸学校に寄りました。庭園には珍しい草花や花木が植えられていて、自由に見学できることにすばらしさを感じました。食堂があるという建物にはいると、受付で卒業生だという方からいろいろお話をお聞きすることができました。食堂でコーラを飲み、一服して帰りました。


5月14日(火) 「友愛クラブ役員選出」
 3月に開かれた老人クラブ・西江井友愛クラブの総会で新年度役員を選出することになっていましたが、全役員留任の動議がだされたことから選出できないまま今日を迎えました。今日の例会を前に役員会を開き、全役員がいったん総辞職し、選挙によって改めて選ぶことにしました。対象は会長、副会長3名、会計の5人連記で当日出席者全員で投票をしました。その結果、4名が再選出され、元役員1名が選ばれました。私は三度総務担当の副会長を務めることになりました。


 これまで伝統的に女性部長・副部長は女性会員が互選で選出し、会長・副会長・会計は全会員で男性会員の中から選ばれていました。しかし、今時、男性だけが要職を務めるというのは時代に合わないということで、今回初めて女性も含めて全会員の中から選出することにしました。結果的には女性の名前は2人書かれていましたが、票数はわずかで、役員に選出されることはありませんでした。そして、女性部長・副部長は例会でお茶くみをすることが主な役割という旧態然とした習慣が残されてしまいました。主要役員に女性が選ばれるようになれば改善されるのではないかと思います。

5月5日(日) 「コスモス25周年記念コンサート」
 知的障害者のハンドベル演奏グループ「コスモス」の結成25周年記念コンサートが神戸市産業振興センターのホールで開催されました。私が神戸養護学校に勤務していた頃に高等部に在籍していた青年が数年前までコスモスに在籍して演奏活動をしていました。しかし、仕事の関係で今は演奏活動を中止していますが、彼のお母様から入場券が送られてきたので出かけました。

 今回演奏したコスモスのメンバーは女性ばかり7名でしたが、息がぴったり合っていて、見事な演奏でした。その上、エレクトーンやピアノの演奏も交え、その演奏技術の高さは十分感動させる力を持っていました。もっとも驚いたのは、曲の途中で転調したにもかかわらず、迷いも失敗もなく、見事に演奏したことです。創設当時から参加しているメンバーは高等部を卒業して25年も経っているのですから、それなりの年齢になっていると思いますが、ますます腕に磨きをかけていることを素晴らしく思いました。

 代表を務めるお母様が、もっとも大切なことは家族の協力であり、協力者の存在だとはなされましたが、月2回の練習でここまで素晴らしい演奏ができるのですから、彼女たちの才能を引き出すお母様方や指導者の指導力にも感心させられました。とても心に残る演奏会で、心の底から拍手を送りました。


5月4日(金) 「但馬の藤まつりと温泉」
 但馬地方をドライブしました。国道175号線を北上、氷上ICから高速に乗り山東ICで降りると藤まつりののぼりが目に入りました。白井大町と書かれていたのでカーナビに登録し出かけました。カーナビの案内で車を走らせていると、何のことはない、今から行こうとしていた道の駅「夜久野」へでました。そこからさらに西へ行くと大町公園の駐車場に到着しました。駐車場には大勢の案内人がいて整理をしておられ、観光地にしては駐車料を徴収しないので良心的だなと思っていたら、公園の入り口でひとり300円の入園料が要りました。

  
 公園の藤はまだ咲き始めで、ほとんど蕾でした。それでも種類によっては花を咲かせているのもあり、十分楽しむことができました。鯉のぼりがたくさん青空で泳いでいるのが印象的でした。公園もたくさんの人でにぎわっていました。テントでは地元のいろいろな物を売っており、きな粉の上から抹茶がかけられたワラビ餅を買って食べました。夜久野に戻り、そこからモンゴル記念館を目指して車を進めました。しかし目的のチュウリップまつりののぼりは見られません。近くの住民に尋ねると、4月29日に終了したとのこと、近くにたんたん温泉があると表示されていたので、カーナビに登録して出かけました。途中でうどんの大きな看板の木造の建物がありましたが、カーナビが案内してくれたところはたんたんトンネルの入り口付近で、それらしき建物はありません。トンネルを通過するとそこは京都府で、ますます建物は見あたりません。引き返してトンネル出口付近を気を付けて走りましたが、先ほどの木造建築の建物しかありません。よく見ると、うどんの看板より小さくたんたん温泉の標識がありました。

 駐車場の車は少しだけで、入るとよくすいていました。露天風呂は日がよくあたり、明るい感じの温泉でした。頭も身体もきれいに洗い、露天風呂でのんびり浸かっていると、肌がつるつるになりました。湯量も豊富で湯温も丁度良く、気持ちの良い温泉でした。帰ろうとすると、駐車場は満車、後から来た人が駐車場の空くのを待っていました。そういえば脱衣場を出る頃には次々と人が入ってきました。1時間ほどの差で良かったと思いました。駐車している車を見るとほとんどが京都ナンバーで、京都府には手近な温泉がなくトンネルを抜けてやって来るのだなと思いました。

 帰りは青垣ICから杉原を抜け、加西市の県道を南下し、稲美町を経由して帰りました。この道は渋滞することもなく、早く帰ることができました。


4月28日(日) 「10qの山陽ウォーク」
 山陽電車主催の日曜ウォークに参加しました。10時に浜の宮公園に集合、自分で準備運動のストレッチをして出発しました。前回はひとりで参加したので先頭集団を速いペースで歩きましたが、今回は二人だったので自分たちのペースで歩くため、列の後方を歩きました。それでも結構速いペースだなと思いました。

 浜の宮公園から南下するのは初めてでしたが、神戸製鋼を中心とした大きな工場街の前にも広い道があることを初めて知りました。最後の海岸沿いの遊歩道にはいると、浜風が強く、寒さを感じるほどでした。加古川河口から北上し、国道718号線までは結構な距離がありました。加古川を渡り、再び加古川西岸を2q南下、やっと対岸河口にある向島公園に到着、ここまで13000歩ほど歩きました。
 

 昼食の後リポビタンDを飲んで元気を付け、12時30分に帰路につきました。途中大きなお寺があるのでお参りしました。檀家寺からいただくカレンダーの発行元の十輪寺でした。さらに歩くと、材木を燃料にしている銭湯がありました。煉瓦造りの煙突が歴史を物語っていました。高砂駅から電車に乗って帰りました。家に帰り着くと、万歩計は18,000歩を示していました。好天に恵まれ気持ちよいハイキングでしたが、病後の体力不足のためか腰が少し痛くなりました。

   

4月26日(金) 「ストレスで胃が痛みました」
 現職時代の仲間の会の役員会が明石でありました。これまでも副会長をしていましたが、現会長の体調がすぐれないということで会長のお鉢が回ってきました。私自身も体調が万全ではないのですが、受けざるを得なくなりました。会長になると、後任の地区理事などの人選など、難問がわいてきました。するとストレスを胃が感じたのか、手術跡が痛み出しました。昨日のドライブは違和感程度でしたが、このように痛んだのは手術後初めてでちょっと面食らいました。今夜にでも依頼の電話をして、早くストレスを解消したいと思います。


4月25日(木) 「六甲高山植物園」
 とても天気が良く暖かかったので、グラウンドゴルフのプレイの後、車で六甲山へ向かいました。退院後久しぶりのドライブだったので、胃の手術跡に多少違和感を感じました。ストレスが胃にこたえたのかもしれません。それでも初めての道ではないので、運転に慣れるにしたがって違和感もなくなり、六甲山上のヘアピンカーブも楽しく走ることができました。

 高山植物園にはグループいきいきネットの仲間と一昨年5月に訪れたことはありますが、4月に訪れるのは初めてでした。水芭蕉は信州などで見たことはありますが、黄金水芭蕉は初めて見ました。そのほかにもたくさんの珍しい花を見ることができました。2時間あまりゆっくり園内を見て回りました。中でも、破れ傘の葉の形が実に上手い名前を付けたものだと印象に残りました。

   

   
 また秋など、季節を変えて訪れてみたいなと思いました帰りに毎年宿泊していた六甲スカイビラに寄ってみました。民間経営になりリニューアルオープンしたので、雰囲気が変わっていました。そして宿泊料金も多少高くなっていました。機会があればまた宿泊しても良いと思いパンフレットをもらって帰りました。

4月23日(火)〜24日(水) 「恒例のグラウンドゴルフ親睦旅行」
 老人クラブのグラウンドゴルフ部では、毎年この時期に親睦旅行にはわい温泉;千年亭へ出かけます。鳥取道が全通したお陰でずいぶん早く行けるようになりました。17名の参加で天候を心配しながら出発しました。福崎で中国道に乗る頃にはすでに曇り空になっていました。千年亭で昼食をすませ、泊のグラウンドゴルフ場へ向かいました。

 駐車場には珍しくバスの姿がありません。団体客は私達だけなので、ひろびろとした芝生で思い切り楽しみました。試合の始まる前に芝生用の球を買い求めました。3ラウンドの試合でしたが、最初のラウンドでホールインワンがでて、ホールインワン賞を確保し安心したためか、第2ラウンドからはすっかりペースを崩し、トータルではさっぱりの成績でした。その後2ラウンドを少人数で楽しみました。成績に関係ないと思うといい加減な打ち方になった上、風が強くなって思うような成績がでませんでした。泊を引き上げる頃には雨が降り始めました。

 ゆっくり温泉に浸かったあと、宴会になりました。医師から飲酒を止められているので、ジュースやウーロン茶で我慢しましたが、気持は盛り上がりませんでした。後半のカラオケでは幹事の了解を得て自主的にみんなのリクエストを聞いて機械操作をしました。とぎれることなく1時間あまりそれぞれ十八番を歌っていました。夜中は何度も目が覚め、開き直って無理に眠ることはしませんでした。それでも夜10時頃から朝5時までは静かに布団の中にいたので、疲れはすっかりとれました。

 翌朝は小雨が降ったりやんだりしていましたが、思い切って白兎グラウンドゴルフ場へ出かけました。防水の効いたウインドウブレーカー上下を身につけ、ゲームを始めました。記録用紙も濡れても大丈夫という優れもので、途中からやや雨粒が大きくなってきましたが、2ラウンドを終了し、3ラウンド目も少しの雨の中で予定通りプレイしました。2日間の最終結果で表彰式がありました。私はホールインワン賞の海苔の佃煮と参加賞の女性用日傘をもらいました。さらに千年亭からも手作りらっきょう漬けをもらいました。これがお土産です。

 表彰式を終え、バスに乗り込もうとする頃にはかなり雨が降っていました。そして鳥取のおみやげやさんや昼食をとった砂丘会館、さらに帰り道のあわくらんどではかなり強い雨になっていました。予定通りすべての予定を消化できたことは本当に運が良かったと思いました。そして、退院して1週間目というのに、大いに楽しんで帰宅しました。


4月18日(木) 「グラウンドゴルフ絶好調」
 入院後初めてのグラウンドゴルフに参加しました。練習では勘が狂っていたため、さっぱりでしたがプレイが始まると、できるだけ力を抜いて身体に負担がかからないようにしたのが良かったようで、ホールインワンこそ1本だけでしたが、ほとんど2打で済み、この日トップ対の成績で終えることができました。これからも身体の力を抜き自然体でプレイすることが大切だと思いました。

 昨日朝早くから妻がトマトを植える菜園を力を入れて耕していました。そこでちょっと無理かなと思ったのですが、トマトをいつ植えてもいいように支柱を立てました。元々母がプレハブの6畳間を建てていたところで、取り壊したあとに真砂土を入れ、肥料を入れて何年か使っている内に、いい土になっているのですが、底は粘土質で土が浅いため支柱がしっかり立ちません。そこで藁を打つ槌を使って粘土層に打ち込むので、結構力を使います。病み上がりで21本の支柱を打ち込んだため、すっかり背中が痛くなりました。土が軟らかくなると早速猫が糞をしていました。ジャガイモ畑はまわりを網で囲いましたが、今度はこちらを囲むようにしなければなりません。
 
 そして、今日はグラウンドゴルフで球を拾ったり置いたりとかがむことが多かったので今度は腰が痛くなってしまいました。寝る頃には痛みもだいぶましになりましたが、念のために風呂上がりに湿布を貼って寝ました。


4月17日(水) 「微少ですが地震の被害がありました」
 今朝、仏壇の前で般若心経を唱えていて、横の床の間の柱の下に白い粉が落ちているのにびっくりしました。確認すると三角の柱の下にも細かい壁土が落ちていました。阪神淡路大震災の時は、柱が交差する部分の壁がみんなはがれ落ちましたが、今回は砂壁の砂が少し落ちた程度でした。したがって前の時のように柱と壁の間に隙間ができることもなく微少の被害で済みました。

 

4月10日(水)〜4月16日(火) 「生まれて初めての入院」
 毎年2〜3月頃に健康診断を受けます。今年は2月下旬に近くの開業医で特別検診を受診しました。但し、胃ガン検診については例年通り、胃腸専門病院で胃カメラ検査をします。今年も2月26日に胃カメラ検査をして頂きました。その結果を3月13日に聞きに行ったところ、粘膜に1cm未満の初期の胃ガンが発見され、内視鏡による手術が必要だといわれました。さらに精密検査が必要で、直ぐに検査をするといわれたのですが、私には予定がびっしり詰まっていて、結局4月1日に精密検査を受けることになりました。

 そのとき、入院が7日〜10日必要だといわれ、この病院へは自宅からだと車以外ではとても時間がかかり、入院すれば妻にとって負担が大きいと思い、担当医師に妻が入院した経験のある明石医療センターに紹介状を書いて頂けないか思い切って尋ねてみました。気持ちよく応じて頂き、少しでも早く入院できるようにと精密検査の前、3月29日の医療センター外来予約も取ってくださいました。そして医療センターへ予約時間に行くと、その場で入院日は4月10に、処置日を11日と決めてくださいました。4月10日は明石市のグラウンドゴルフ大会だったのですが、もう私の予定はすべてキャンセルするしかありませんでした。

 4月1日に再び胃カメラで精密検査をしてもらいましたが、このときは時間がかかるからと鎮静剤を点滴で入れられたとたんに眠り込んでしまい、目が覚めるとすっかり終わっていて、車いすの上にいました。このことは内視鏡手術もこのように眠っている間に終わるのだと心が軽くなりました。その後担当医からガンは胃の粘膜に見られるだけなのでその層を削り取るだけでよいといわれました。

 4月10日午前11時に入院しました。昨日まで元気にしていた人間が入院といって、病院のベットでパジャマ姿に着替えても落ち着きません。前日に図書館で借りた本を読んで時間を過ごしました。午後から医療センターの担当医が手術について説明してくれました。胃腸病院と違って若い医師で、万一リンパ節に転移していたら切開手術に切り替えて胃の一部を切り取ること、厚さ6ミリの胃壁の2層目までをはぎ取るのだが、万一胃壁に穴が開くと腹膜炎を併発するおそれがあること、出血がひどければ輸血をする場合もあるといわれました。それでも医師の腕を信頼するしかありません。まな板の鯉の心境でした。それでも眠っている間に終わるのだとまだまだ軽く考えていました。医師の回診のあと入院中の行程表をいただきました。それによると入院は7日間で、16日に退院と書かれていました。昼食も夕食もしっかり食べ、夜は阪神巨人戦をベットに寝ころんでみているとホテルにいる感じでした。

 翌朝、当直の看護師(男性)が手術着を持参してパンツ一枚と手術着に着替えさせられ、その上で右手には点滴用の、左手には輸血用の針が腕の静脈に差し込まれました。その後昼担当の看護師(ベテランの女性)がやって来てまず点滴が始まり、車いすに乗せられて手術室へ行きました。ここでは手術室担当の看護師から胃の洗浄の水と喉を麻酔するジェルが与えられました。そこからは歩いて手術台へ、横になると麻酔の点滴に切り替えられたようで、チューブが喉を通ったあとは眠ってしまったようです。気がつくと二人の医師が相談しながら胃カメラを操作していたようで、手術が続いていました。十分目が覚めていないので、えづきそうになることはありましたが、自分から動くことはできませんでした。やがてチューブが引き出され、終わりましたという言葉ではっきり意識が戻りました。手術台の横に病室のベッドが置かれ、乗り移るようにいわれました。意識もはっきりしていたので自分で乗り移ることができました。そのときに摘出した部分だと言って直径3センチほどの真っ赤なものを見せて頂きましたが、めがねを外していたのでよくわかりませんでした。

 病室に戻り、新たな点滴が始まりましたが、食事もなく点滴をされているので、トイレに行く以外はベットで寝ているよりしかたがありませんでした。夜ムカムカするので看護師さんに頼んで吐いてもいいようにしてもらいました。一晩中吐き気が止まらず、熟睡できませんでした。朝6時に薬を飲むようにいわれていたので薬を飲むと吐き気が強くなり、薬を飲んだ水と薬をすっかり吐いてしまいました。9時半には再び手術室へ行き、胃の洗浄水と喉を麻痺させるジェルを喉に処置されましたが、その途端に両方を吐いてしまいました。それでも胃カメラを差し込まれ、昨日の手術跡の確認が行われました。出血もなくきれいだといわれほっとしました。 病室に戻ると吐き気を抑える薬を点滴してくれました。午前中と午後の2回してもらうと吐き気はすっかりおさまり、ずいぶん楽になりました。それでも少し本を読んだ程度で、寝不足からうとうとしていました。

 翌13日の朝、地震で目が覚めました。その揺れは阪神淡路大震災の恐ろしさが蘇り、ベットの上で四つばいになりました。携帯電話で時刻を見ようとすると、「地震緊急速報、播磨灘で強い揺れ」と画面に出ていたので急いでテレビをつけました。病院の婦長さんが大丈夫ですかと尋ねながら回ってこられました。この日の朝には点滴が終わり、待望の食事が始まりました。といっても3分がゆで塩味もなく、美味しいとは言えませんでした。それでも久しぶりに食べるので副食と一緒に全部食べました。ただ牛乳とバナナが付いていましたが、すっかり満腹になりバナナだけ残して牛乳は手を付けずに返しました。昼食にも牛乳が付いていたので、今度は牛乳を飲むためにかゆは半分ほどしか食べませんでした。夕食もかゆの量がたくさんに感じたので半分ほどしか食べませんでした。気分は良くなったので、起きあがって本を読む時間が増えました。それでも腰が痛くて寝ころぶとうとうとしてしまいました。

 14日の日曜日は朝からマスターズの中継を見ることができ、病室の人たちと見ていました。昼間はずっと本を読みました。食事は5分がゆになりましたが、相変わらず量が多く、3食とも半分にしておきました。ベットにいると腰が痛く、談話室へ行って本を読みましたが、そこには次々と携帯電話をかけに来る人がいて集中できず、病室に戻ろうとしましたが、途中シャワー室のあいている時間帯を見つけ、予約をして、午後からシャワーを浴びました。頭を洗ったらすっきりしました。三浦朱門の「老人の品格」をすっかり読み終えました。夜は大河ドラマを見終わったところでみんなが消灯するので、私も眠りましたが、1時間後にトイレに起き、続いて2時間後にトイレに起き、さらに4時間後にトイレに起きるとトータル7時間眠ったことになり、すっかり目が覚めてしまいました。それでもみんなが起き出す5時半まで床の中でじっとしていました。

 15日は朝からマスターズの最終ラウンドが放映されていて、早くから見ていましたが、一進一退の攻防が面白く、劇的な場面もあり、プレーオフが終わるまで夢中で見ました。これほど興奮したゴルフ中継は初めてでした。きっと退屈した毎日だったからかもしれません。食事も全かゆになり全部食べられるようになりました。朝食後、昨日と同じ時間帯のシャワーを予約しておきました。そして空海の言葉を解説した本を読みました。病室の人とこの本をきっかけに四国歩き遍路の話をしていると、感動の話を聞かせてくださいました。

 その方は退職したときに軽い気持で車で四国を回られたそうです。一番霊場霊仙寺近くで父親が小学校低学年の男の子とまだまだ幼い女の子を両手につないで、同行二人の白衣を着て歩いている姿を見られたそうです。自分はお参りを済ませて境内を去ろうとしたとき、突然後方の太子堂から般若心経を元気よく唱える子どもの声が聞こえてきたそうです。それは先ほどの親子だったのです。そのとき、早くに亡くした母親の供養に親子三人で遍路しているのではないかと思うととても切なくなったのです。その状況をその方は上手に歌(詩)に詠んでおられました。その時の様子が思い浮かぶ表現で、聞いていて思わず胸が熱くなりました。

 午後からシャワーを浴び、シャツなどすっかり着替えるとすっきりしました。その後再び本を読みました。便も順調に出始め、気分もずいぶん楽になりすっかり回復したように思いました。これなら退院しても大丈夫だと思いました。この日も「鶴瓶の家族に乾杯」を見終わる頃にはみんな消灯していたので私も眠ることにしました。

 翌朝も早くから目が覚め、6時頃からなんだかうきうきした気持で退院のための荷物をまとめ始めました。看護師が医師から聞いてくださっていた退院についていろいろ連絡事項を聞かせてもらいました。アルコールと激しい運動は禁止、次回4月30日に外来診療で組織検査の結果や次回の検査日などを伝えること、薬は8週間続けて服用することなど細かく聞かせてもらいました。グラウンドゴルフは大丈夫とのことで、4月下旬にハワイ温泉で行うグラウンドゴルフの親睦旅行に参加できそうでほっとしました。10時に妻に迎えに来てもらい、タクシーで無事退院できました。

 入院中は毎日起床して直ぐと、朝・昼・夕食後に看護師が体温、血圧、脈拍を測定し、お腹に聴診器を当てて胃腸の動きを見てくれました。点滴を受けているときには深夜にも様子を見に来て体温や血圧を測ってくれました。昼間は、この時期は若い新任看護師がベテランについて回診に来て、指導を受けながら測定や聴診器を当てます。脈拍を測定するとき、若い女性に1分間手を握られているとついどぎまぎして脈拍数が早くなるのではないかと心配しました。また聴診器を当てるときにはパジャマをめくりあげ、パンツをずらすのですが、若い女性の前ではちょっと恥ずかしく思いました。その点ベテランはパンツの下げようが少なければ悠々とパンツの中へ手を入れて聴診器を当てます。

 プー先生の得意のおならは手術のあと2日間全く出ず、毎回の回診時に尋ねられても、まわりの人は順調だと答えているのをうらやましく聞くだけでした。4日目になってやっと思い切り出るようになり、看護師に得意げに報告できました。また、息子たちへの連絡にはCメールを初めて活用しました。これをきっかけに時間がかかりますが携帯でのメールを活用したいと思います。

 このように至れり尽くせりの治療と見守りを受けた7日間でしたが、請求された金額は5万円弱で、1割負担の保険の有り難さをしみじみ感じました。早期発見をして下さり快く転院の紹介状を書いてくださった田端胃腸病院の担当医師、医療センターの執刀医や看護師の皆さん、毎日来てくれた妻、そしてお見舞い状と一緒に善光寺のお札を送ってくださった先達ご夫妻に感謝感謝の7日間でした。


4月5日(金) 「友愛クラブお花見」
 3月25日に総会があったのですが、体調が戻らず欠席しました。そして、引き続いてお花見会が開かれました。10時に役員が自治会館へ集合し、机やいすなどを軽トラックに積み込んで門池公園へ運びました。11時にはすっかり会場準備が整い、酒類やおつまみ、お寿司が次々と届きました。12時開会でしたが11時過ぎから会員が集まり始めました。1回欠席しただけで、すっかり遠のいてしまった感じでした。

 59名の会員中38名の参加者があり、12時に開会に先立って、女性部の役員の選挙があり、二人が選出されました。 続いて乾杯に移り、お寿司やつまみを肴にみんな飲みながらおしゃべりに花が咲いていました。例年、友愛クラブのお花見は好天に恵まれるのですが、今日も例に漏れず満開の桜が青空に映え、男性陣が座る日の当たる席は暑くてみんな帽子をかぶっていました。女性は日陰のベンチを利用して座席を設定したので、何とか直射日光は免れました。

 いつもなら1時間半くらいでもう良いという声が聞こえていたのですが、女性役員のコーヒーのサービスがあったお陰で、2時まで皆さん席を立つことなく、楽しいおしゃべりが続いていました。翌日は大嵐になるという予報なので、運の良い日に設定できたことを喜び合いました。


4月4日(木) 「半月ぶりのグラウンドゴルフ・加東市千鳥川桜公園」
 3月18日にグラウンドゴルフのプレイをした直後に発症したインフルエンザのために、長らく休んでいましたが、久しぶりにプレイをしました。3月はホールインワンを一度もすることができず、成績も最下位だったと思います。半月ぶりのプレイでホールインワンもあり、成績もそこそこでした。何とかみんなとプレイでき、ほっとしました。

 午後から、新聞に掲載されていた加東市役所北にあるという千鳥川桜公園へ出かけました。場所が詳しくわからないので、とりあえず市役所へ行き、観光マップをもらいました。地図を見ると市役所から700mほどのところにあることがわかったので、車をそのまま駐車場に置いておき、徒歩で公園へ行きました。372号線を渡るとピンクの桜並木が見えてきました。公園の堰堤に100本の紅枝垂れ桜が植えられていて、まさに満開を迎えていました。カメラを持参しなかったことを残念に思いました。春休みであったこともあり、子ども連れもたくさんいましたが、平日だったので老夫婦など高齢者の姿が圧倒的でした。碑を見ると平成5年に植樹されたとあったので、20年で新聞記事になるほど桜の木が成長したのだなと思いました。


4月2日(火) 「姫路播磨の国総社・三ツ山祭」
 4月10日に県立歴史博物館で開講される歴史講座の最初のテーマが「三ツ山祭」なので、午後から見学に出かけました。JR姫路駅から神戸新聞が発行した地図を片手に作り物を見ながら総社まで歩きました。20年前に一度見ているのですが、そのときは歴史も何も知らずにただ山を見ただけでした。山のまわりをムカデが巻き付いているのが印象的だったのですが、今回のムカデは小ぶりのように思いました。
    
 作り物はこんなものかというくらいの気持で見て回りましたが、夕方のニュースで、高校生が自分の専攻の技術を生かして工夫しながら作っている様子を見て、こんなに細かく工夫して作られたものということがわかり、改めて作品を思い起こしまし、感心しました。これで講座を楽しく聴くことができそうです。

  
 
  

3月30日(土) 「庭にも春の訪れ」
 庭の菜園にもやっと春らしくなりました。収穫しなかった水菜や、畝の間に生えたカブラなどは菜の花盛り、茎ブロッコリーはつぼみだらけの食べ頃、早速収穫して今夜の食卓に上ります。また、猫の糞害に荒らされたタマネギもしっかり葉をのばし、ジャガイモも芽を出し始めました。エンドウやツタンカーメンも白やピンクの花を咲かせ始めました。
  

 
 水仙やムスカリ、ヒヤシンスなど球根類も一斉に花をつけています。葉ボタンや菜花もすっかり花の茎が伸びています。そして例年ほとんど花を付けることのないハナミズキも今年はたくさんの花芽がふくらんできました。花が終わったしだれ梅もまもなく実を結ぶことでしょう。そして、すっかり剪定されていた柿も新芽を付けています。今年はどれくらい花芽を付けるか、楽しみに観察したいと思います。

   

  

3月25日(月) 「無常を突きつけられた日々」
 本当なら、今日は老人クラブの総会に出席し、次期役員選考の司会をしているところです。ところが、今はパジャマ姿でパソコンに向かっています。そして水曜日からの小辺路ウォークを楽しみにしているところだったのです。その日まではほとんど予定が詰まっていて、これまで通りその予定をひとつひとつこなしていくものと信じて疑いませんでした。

 ところが18日の午前中、グラウンドゴルフのプレイを終えたあと、江井ヶ島海岸の公園の清掃当番をしようとして、突然激しい嘔吐に見舞われました。それでも公園の清掃をしたあと、自転車に寄りかかりながら家にたどり着き、吐き出すものはすべて吐ききって、床に潜り込みました。とにかく少しでも動くと吐き気を催すのです。午後からは女性カラオケグループのお世話をする予定でしたがキャンセルせざるを得ませんでした。夕方近くなり、喉の渇きでお茶を一杯飲み、近隣の開業医を訪ねました。100mほどですが歩くと気分が悪くなり、待合室で飲んだばかりのお茶を吐く始末でした。

 下痢はしていなかったので、吐き気を抑える薬と胃の粘膜を保護する薬をもらって帰り、ひたすら眠りました。それでも夜9時を過ぎて翌火曜日の川柳教室に投句するため、仲間に依頼のメールをしました。夜遅かったのでだめでも仕方ないと思っていたのですが、引き受けてくださっていました。

 火曜日の午後からは熱も38度近くまで上昇し、ひたすら眠っていました。それでもこんなに長時間床にいることはないので、腰が抜けるほど痛く、眠ることの苦しさをいやというほど味わわされました。食べると吐き気があり、ほんの少しのお茶とおかゆなどで過ごしていましたが、熱がいっこうに下がらず、木曜日にもう一度医者へ行きました。点滴をしてもらい、検査をしてもらうと、インフルエンザB型に感染しているという診断がでました。タミフルなど新たな薬をもらって飲んでいると、熱は下がりましたが、吐き気がすっきりせず、やはり思うように動くことはできません。

 そのため、木曜日のグラウンドゴルフに続く総会、金曜日の高齢者放送大学の卒業式もキャンセルせざるを得ませんでした。そして土曜日の老人クラブ役員による海岸公園の除草と老人クラブ総会の準備もキャンセル、そして今日の総会キャンセルまで続いています。そろそろと思ったのですが、やはり吐き気を押さえることができないからです。川柳と卒業式以外、私の予定に合わせて予定を決めてくださっていた老人クラブ役員の皆さんには本当に申し訳なく思っています。

 16日に玄侑宗久師の「無常という力」について高齢者放送大学の講義を聴いたばかりで、無常については理解したものの、具体的には自分とほとんど結びつけて考えていませんでした。(高齢者放送大学のページの感想文) だから「無常とはおまえの生活に示せばこうなるのだ」と具体的に突きつけられた想いの長い8日間でした。


3月15日(金) 「いきいきネットワーク全体交流会
 「グループいきいきネット」の母体であるいきいきネットワーク全体交流会が元町駅北側の私学会館で開催されました。出席しようかどうしようかと迷っているとき、担当事務局から「川柳コーナー」のまとめ役を依頼され、出席しました。事務局からは面白い川柳が配られ、かなりの人が興味を示していましたが、一番最後の自分も詠んでみましょうというページを見て、川柳コーナーのいすに座って楽しんだ人は5人ほどで、その内の3人が自作の句を提出してくれました。時間が15分程度だったので提出された方は初めて詠まれたのではなさそうで、きれいな句にまとめられていました。やはり、早くから兼題を出しておかなければ、その場で自由に詠むのは難しいなと思いました。私も新たに句が浮かばなかったので、19日の川柳教室の兼題に対して詠んだ1句を提出しました。最後に全体会で提出された句を簡単なコメントを付けながら紹介しましたが、皆さん楽しく聞いて拍手されていました。

 自分が詠んでみるというより、私がどのようにして川柳を勉強しているのかという質問がずいぶん多くありました。できたらどこかで習ってみたいと思われている方が結構おられるのだなと思いました。私達の「グループいきいきネット」の例会でも、2時間あまり時間をとって川柳を楽しむことがありました。詠むなんてできないといって初めから欠席する方もおられますが、参加された方は最後の互選まで楽しまれます。一工夫あれば楽しい会になりそうだなと思いました。


3月10日(日) 「山陽日曜ハイクで綾部山へ」
 3月下旬の小辺路ウォークに備えて、3月7日から意識して10000歩のウォークに努めています。そして今日は山陽日曜ハイクが網干綾部山間を往復歩くというので、木曜日のグループいきいきネット例会の下見もあって参加しました。集合10分前に到着する電車には大勢の参加者が乗っていました。昨日は20度を超える気温だったので、普段より薄着をし、念のためにベストを持って行きました。

 今回はひとりで参加したので、やや早めのペースで他の参加者を追い越しながら歩きました。それでもさらに速いペースの人には追い越されました。寒さを感じない程度の気温だったこともあり、身体は直ぐに温まり、うっすらと汗ばんできました。途中の神社で綾部山の入園料350円を支払い、リボンと梅ジュースをもらいました。本殿にお参りし、トイレをすませてジュースを飲み、再び歩きました。海の側を過ぎると、突然急な上り坂になりました。9000歩ほど勢いよく歩いてきたので、この上り坂はこたえ、汗が噴き出してきました。

 綾部山南入口で入場料の代わりのリボンを渡し梅林にはいると梅はほぼ満開でした。35分後には帰路の出発だというので、入り口側の梅の花の下で弁当を食べました。空はますます暗くなり、今にも雨が降りそうな風も吹き始めました。12時5分前には出発の準備を整え、出口へ集合しました。係の人が12時まで待つようにいっていましたが、雨が降り出すまでに少しでも早くもどりたいという人たちと待ちきれずに出発しました。

 歩き始めて10分もしないうちに大粒の雨が降り出し、急いでレインコートを羽織りました。ところが直ぐに大粒の雨が激しく降り出し、レインコートから出ているズボンや靴が雨に濡れだし、少し風もあるので、冷たい雨がマスクをした顔にも容赦なく吹き付けてきました。それでもスピードを落とすことなく、さっさと歩き続けると、再び身体が汗ばんできました。手足は冷たく、身体は暑いという状況の中、黙々と歩きました。1時間15分ほどかけてやっと山陽網干駅に到着、電車の中でレインコートを脱いでリュックに片づけ、代わりにベストを着込みました。飾磨駅に到着し、特急電車を待っていると、先ほどの雨で気温が下がったようで、とても冷たい風が吹いていてました。

 自宅の最寄り駅に着いたときには再び雨が降り出し、一段と気温が下がっていました。レインコートを羽織り、2時15分に家に帰り着きました。ズボンは電車の中で乾いていましたが、靴の中は濡れたままで、家に帰って急いで着替え、熱いコーヒーを飲んでやっと落ち着きました。小辺路のウォークに備えて、もう一度雨対策を考えておかねばと思いました。今日の歩行距離は12qで21000歩ほどでした


3月9日(土) 「牡蛎と文旦」
 今期最後の牡蛎を買いに行こうと相談していたのですが、昨日文旦が売り出されているという情報を聞き、両方を買いに出かけました。一昨年まではわざわざ四国・愛媛県まで文旦を買いに行ったりしていました。昨年、鳥取へ仲間とグラウンドゴルフに行った帰りに、岡山県西粟倉のアワクランドで安く売っている文旦を見つけ、買って帰りました。2級品ながら味はそれほど変わらないので、その後も買いに行きました。

 今年ははじめからアワクランドへ買いに行きました。高知県の尾久土という人が生産されたもので、10sで1500円の袋には大きい文旦が22個、さらに大きな文旦が19個入って1800円でした。両方買うというと、どちらも1500円にしてくれました。今シーズンはこれだけあれば十分だろうと思います。帰りにお昼になってしまったので、平福の道の駅に寄りましたが、駐車場があふれているほどで、とうてい昼食にありつけそうにないので、あきらめて再び車を走らせました。佐用IC前で信号待ちをしていたら、目の前にドライブインがあり、そこで昼食をとりました。おばさんひとりで調理していましたが、家の畑の小松菜をトウがたたない内に収穫したと言って、辛子マヨネーズの和え物にしてサービスで食べさせてくれました。お礼に文旦2個置いてきました。

 カーナビに相生市壺根と入力すると、科学公園都市経由で案内してくれました。いつもの店で500c800円のむきたての牡蛎を3袋買いました。昨日の新聞に、牡蛎に含まれる亜鉛がウィルスに対する抵抗力など身体に良いという記事が出ていたからか、次々と買いに来ていました。帰りに自宅近くのAコープに寄って土手鍋の材料を買い、夕食にプリプリの牡蛎をたっぷりいただきました。

 文旦は大きいのをひとつ食べてみました。皮を剥こうとすると皮の一部が腐っていて、指が突き刺さるほどでしたが、文旦は皮が分厚いので、実を食べるのには支障ありませんでした。まだ少し甘みが足りないように思いました。今日は満足できる買い物ドライブでした。


3月4日(月)〜6日(水) 「伊豆・河津桜〜伊豆大島〜房総南端・野島灯台2泊3日の旅」
 「これまで房総半島に足を踏み入れたことがありませんでした。また、大島も昭和50年に行ったきりで、その後の噴火のあともみたいと思いました。そして、本州でもっとも早咲きの河津桜とはどんな花なのかも見てみたい。」こんな想いでツアーに申し込みました。

 朝、8時20分にバスで明石を出発、新名神や東名を経由し、伊豆半島を南下して河津川の堰堤に咲く河津桜の並木に到着したのはもう5時近くで、日が沈み始めていました。説明を聞いたあと大急ぎで堰堤に行くと、桜は満開で見事でした。しかし堰堤の桜は山陰に日が沈み、輝きがありません。まわりを見回すと、今バスで走ってきた道路脇の桜に日が差しています。大急ぎで役場へ行くと大きな桜に日が差していましたが、写真を撮っている間に日が沈んでしまいました。さらに道を渡って日の差している個人の家の小さな桜を写しましたが、ここもみるみる日陰になってしまいました。そんな訳で、きれいな写真の撮影には失敗しましたが、河津桜の原木を撮影することができました。
  
 宿泊した温泉ホテルはコテージで、1軒の家を借り切るという感じでした。食堂や大浴場は別棟でしたが、私達は一番近い場所だったので助かりました。温泉は広くかけ流しで、よく温まりました。ところがお天気が良すぎて放射冷却がひどく、エアコンを30度に設定していても、広い部屋は暖まらず、夜中に寒くて目が覚める有様で、夜明けと共に温泉に入り、やっと身体が温まりました。

 二日目は伊東港から大島・元町港へ高速艇で渡り、バスの運転手の解説を聞きながら椿園へ、資料館ではたくさんの種類の椿の花を見ることができました。そこで、我が家の庭で咲いている椿が「赤角倉」という種類だということを知りました。椿の花もすてきでしたが、白い大島桜が満開だったのも感動でした。時間的に余裕があったので、併設された動物園にも寄りました。レッサーパンダなど変わった動物がたくさんの数いました。その後温泉ホテルで昼食をいただき、三原山の展望台へ行きました。朝ドラの「純と愛」に出演している若い女優が撮影に来ているということでしたが、こちらを向いてくれなかったのでどの女優かわかりませんでした。三原山の全景が見える場所で、残念ながら噴火口へは行けませんでした。その代わり、山を下るときに、1986年に山腹から噴火したという割れ目噴火口を見学することができました。この噴火のときは全島民避難という大変な事態だったそうです。
  

  
 再び元町港にもどり、スタンプラリーの抽選がありました。賞品の深層水塩飴1個をもらいました。元町港から再び高速艇に乗って房総半島・館山港に到着しました。そこには明石から乗ったバスが待っていました。房総半島の最南端にある白浜温泉に到着する頃には夕方になっていました。窓の外は太平洋で島影もありませんでした。早速大浴場へ行きましたが、脱衣場は7〜8人の人で大混雑するほどの狭さ、それでも何とか脱衣篭が確保できたました。ところが浴場もまた10人あまりの人であふれるような狭さ、5人が身体を洗い、5人が浴槽に浸かっていました。これではいつ洗い場の順番が回ってくるかわからないので、浴槽でしばらく小さくなって浸かっていただけで部屋にもどりました。

 夕食は広い会場でしたが、宿泊客でいっぱい、しかし、指定席だったので生ビールを飲みながらゆっくりごちそうを食べることができました。さすがに海のそばだけあって新しい魚料理に満足しました。夕食後しばらくテレビを見て再び大浴場へ行くと、今度は2〜3人だけしか入っていなかったので、ゆっくり浸かり、身体を洗うことができました。すっかり身体が温まったので、部屋の暖房を切って床につきました。

 3日目は朝食のバイキングが6時50分からということだったので、携帯の目覚ましで6時に起き、浴場へ行くと再び芋の子を洗う状態で、湯船にざぶんと浸かっただけで直ぐに上がり、脱衣場の洗面所で顔を洗いました。部屋にもどり窓の外を見ると太平洋の上に太陽が光っていました。風呂へ入らずに窓の外を見ていたら大海原から昇る日の出を見ることができたのにと残念に思いました。食事会場へ早めに行くと、宿泊客の姿はまばらで拍子抜けしました。しかし7時になるとたくさんやってきて行列ができましたが、それでも風呂場のような混雑ではありませんでした。

 8時出発でまず野島灯台へ行きました。房総半島最南端の標識などを見ながらしばらく散策したあと、今度は花を摘むことができるというお花畑へ向かいました。ところが行ってみてびっくり、本当に花が植えられている指定された畑で5本花を切って包んでもらうだけで、想像していた広い花園とは違っていました。
 
 好天に恵まれ、房総半島から富士山がうっすらと見えていました。木更津までバスで移動し、おみやげ屋で昼食時間まで少しだけ買い物をしました。昼食は11時15分から1時間食べ放題ということでサザエや蛤などの貝類、いわしやキスなどの小魚、それにカボチャなどの野菜を好きなだけとってきて指定された場所で自分で焼いて食べました。私はもっぱらにぎり寿司やドリンク、スイーツなどを食べました。火の側にいると暑くて食欲も進みませんでした。

 食後はアクワラインを渡って東京湾を横切り、途中新東名では富士山の美しい姿を間近に見ることができました。何度かトイレ休憩をとり、夜8時半頃明石にもどることができました。バスに揺られている時間が長く、バスで出かけるにはちょっと遠いかなと思いました。
 


2月28日(木)〜3月1日(金) 「一歩進の月一旅行」
 一歩進企画の月一旅行「淡路七福神めぐりと香川の奥座敷の温泉、直島の瀬戸内芸術祭見学」に参加しました。淡路七福神めぐりは10年ほど前の正月にツアーで参加したことがありました。そのときはバスが次々とやってくる中、あわただしいお参りでした。それでも初めて訪れることもあって印象深いものでした。今回は一行14名という小さなグループだったこともあって、ほかに2〜3名の個人客と合わせてゆっくりとした気持で、住職の法話も聞かせて頂きました。それにしても、前回の印象がはっきり残っているお寺と、こんなにきれいなお寺だったかなという印象のお寺がありました。住職が若返っていると思うお寺や、女性が住職だったお寺があったかなと思うことなど、新しい印象を持ちました。えびす顔を見て、見事な笑顔だなと感心しました。
 また、途中伊弉諾神宮へ立ち寄りました。丁度古事記編纂1300年に当たるそうで、おのころ島である淡路島の一の宮は記念すべき年です。ここへは何度も来ていますが、樹齢900年の夫婦大楠があることは知りませんでした。大勢で手をつないでまわりを取り囲んでいました。また、長林寺では境内に石造りの楽しい七福神が飾られていました。面白いところで畑にオスプレイの実物大の作品?が作られていました。
    

   

 夜は徳島道の脇町ICから高松市へ入ったところにある潮江温泉新樺山ホテルに泊まりました。大きなホテルでしたが、平日だったこともあって比較的こじんまりした3つの団体が泊まる程度のお客で、温泉もゆっくり浸かることができました。後々の行事が詰まっているので、ビールもコップ半分ほどにしておきました。そして天ぷらも手を付けずにおきました。みんな朝4〜5時台に起きていたので、早く床についたこともあって、よく眠ったと思って目が覚めたら、普段床につく12時を回ったところでした。いろいろ楽しいことやこれからの行事に思いを巡らせていると、夜中2時頃まで目が覚めていました。いつの間にか眠り込んでしまい、朝6時20分だという同室の人の声にびっくりして飛び起きました。6時45分朝食、7時40分出発の予定だったからです。あわてて起きたせいか、腰が痛くて身繕いがさっさとできませんでした。それでも時間までに何とか顔を洗い、ひげも剃って食事会場へ丁度の時間に行くことができました。

 高松港までのバスは順調で、出航までの15分ほどの間に高松城の周辺を少しだけ散策しました。直島の宮浦港へ向かう予定でしたが、同じ時間帯に本村港へ行く小さな船がでるということで、直島で少しでもゆっくりできたらとそちらに乗船しました。お陰で宮浦から本村まで歩く時間が省略でき、早くから見学を始めることができました。本村では空き缶アートに始まって、家プロジェクトを回りました。私など現代造形芸術に馴染みがなかったのですが、それでも発想の奇抜性に驚かされました。真っ暗のお寺の中で目が慣れるにしたがって明かりが見え始めるという現象を使った芸術?や、わざわざ立派な歯科医院だった屋敷を廃墟に仕立て上げた家「はいしゃ(廃舎?)」など、理解に苦しむものもありましたが、とにかくすごいと思わせる芸術でした。町役場の建物までが芸術参加作品の感じがしました。とりあえずうどん屋で昼食をすませ、地元の人の言葉を信じて地中美術館へ徒歩で向かいました。行く道中にも漁業で使う丸い浮きを使った芸術作品などがさりげなく展示されているなど、楽しい道でした。
   

  

  

 いつも楽々コースを利用する高齢女性3人と一緒では、2〜30分歩くということは負担だったようで、途中、地元の人から教えられて、無料シャトルバスで美術館に向かいました。運良く美術館に着いたときには雨がかなり降り出しでおり、雨に遭わないで美術館にはいることができました。2000円という入場料にはちょっとびっくりしましたが、みんなが心配している帰路のバスの時間も教えてもらい、美術館に入りました。3つの展示場があるということでしたが、安藤忠夫独特の地下につくられた美術館だけあって、そこへ行くのに館内でも迷いました。160億円というモネの作品など、あとから聞くと入場料の高さに納得するものがありました。科学的な不思議さを利用した作品など、案内の女性の言葉にしたがって行動すると、ここでも驚く作品がありました。美術館を出ると本降りになっており、一歩進のワゴン車で、宮浦港まで送ってもらいました。乗船するフェリーまでたっぷり時間があったのですが、コーヒーを飲みながら歓談していました。雨がひどくなり、みんな歩くことができなくて、それぞれワゴン車で港へ次々帰ってきました。そしてみんながそろったので1便速いフェリーで宇野まで行き、そこからバスで帰路に向かいました。お陰で予定より早く帰宅することができました。


 次回は高野山からの小辺路ウォークですが、話を聞いている内に参加してみたくなりました。というのが先日テレビで京都在住の英国人ベニシアさんが中辺路を歩いて本宮へ行った帰りに小辺路を通って高野山へ向かっている道中で素朴な山人との会話が映し出されていたからです。あのようなところへ行ってみたいけれども、体力的に大丈夫だろうかという心配もあり、迷うところです。もし参加するなら、もう少し情報収集が必要なのと、普段のウォークにもう少し力を入れなければと思いました。とにかく高齢者に配慮されていることと、気持ちの良い仲間の集まりだという魅力に惹かれてしまいます。

2月24日(日) 「友愛クラブ例会」
 私の所属する老人クラブ「西江井友愛クラブ」の2月例会が開催されました。今回は来月の総会での役員改選について話題にしようと思っていましたが、会長が選挙ではなく選考でという意向をふまえて、大きな話題にせず、懇談中心の例会になりました。昨年の忘年会以来だったので、最後まで話が弾んでいました。

 また、ためしてガッテンのミネラル、高齢者にとって亜鉛が大切だということについても、少し研修を深めてみようかとも思いましたが、放送大学の講師の言葉が今ひとつ明瞭でないこともあって、さらりと情報を提供するにとどめました。

 例会後、役員会で3月の総会日程などを打ち合わせてこの日はお開きになりました。


2月20日(水) 「フェルメールの青いターバンの少女とにらめっこ」
 我が家の洗面所の正面にはがき大の青いターバンの少女の絵が掛けられています。毎夜歯磨きをするときに、この少女の憂いたっぷりの目がこちらを見つめてきます。何かを訴えられているようで、気になってしかたありません。

 家にはたくさんの人物の写真が掛けられていますが、その前でじっとしていることはありません。しかし歯を磨いていると、その場に前向きに立ち止まっている時間が少なくとも2〜3分あります。すると目が合ってしまうのです。この絵の制作者であるフェルメールが多くの人の支持を受けていますが、この絵を見ていると納得できます。こんなに内面を感じさせるまでに描いているのですから……



2月18日(月) 「胃カメラ検診の予約」
 妻を高齢者大学へ送った帰りに、毎年胃カメラのお世話になっている病院へ寄りました。前回、胃カメラを受診するためには医師の診察が必要といわれていたので、診察の予約に寄ったのですが、診察日の予約はできないといわれ、今日今から診察を受けるようにいわれました。待合いロビーには大勢の人が待っていて、午後から女性カラオケのお世話の予定が入っており困っていたら、何時までに病院を出なければならないか尋ねられました。正午だと伝えると看護師に事情を伝えますからといわれ、待合いロビーで待っていました。程なく名前を呼ばれ、無事診察を受けることができ、胃カメラ検査の日時を予約して11時40分に病院を出ることができました。公立病院ではこのような便宜を図ってくれることができないだろうと思い、感謝しながら病院をあとにしました。

 午後から予定通りカラオケの会場へ行ったのですが、この日練習を予定していた曲の入ったDVDが見あたりません。2月はじめに男性のカラオケをしたときには、そのDVDを使って歌っていたので、部屋中を探しましたがありません。リーダーの女性が先月の練習曲を復習しようと提案し、何とか無事に3時間楽しめましたが、管理が十分でなく申し訳なく思いました。


2月16日(土) 「日付の間違いは認知症の始まり?」
 水曜日のNHKTV「試してガッテン」の番組で、ミネラルとして亜鉛が大切だという内容の放映がありました。この説を本に書かれた著者がそのことについて高齢者放送大学で講義をされます。その日がてっきり今日だと思いこんでいて、木曜日のグループいきいきネットの例会で紹介しておきました。今日の放送に備えて録音の準備もしていたのですが、放送が始まると全く別の話です。今日が23日だと思いこんでいたのですがまだ16日だったのです。

 このように日付を間違えるようになったら、いよいよ認知症が始まったと自覚しなければなりません。とにかく忘れることが激しく、捜し物に時間を費やすことが一日の何割かを占めています。我ながら情けなくなりますが、かといって脳トレをするのも面倒だなと思ってしまいます。処置なしです。

2月15日(金) 「検診結果」
 8日に受診した検診の結果の一部が届きました。大腸ガンは陰性。血液検査は相変わらずLDLコレステロール値が高いけれども、他の検査は前立腺検査も含めて範囲以内でした。あとは胃カメラの検査を予約しなければなりません。


2月9日(土) 「高家寺寄席」
 夕食を早くすませて、電車で高家寺へ出かけました。定刻を5分ほど過ぎて般若心経を読経、寄席が始まりました。最初は露の団姫(まるこ)でした。彼女は2年間比叡山で修行していたそうです。その割にはきれいな髪をしていたので、僧侶の資格を取ったという感じがしませんでした。大阪の講座で僧侶になったのならおまえはカツラだろうといわれ、「いいえ、私は露のです」と答えたそうです。ところが我々の前でさっとカツラをとってまるまるした坊主頭を見せてくれ、その後は坊主頭のまま「一隅を照らす」という落語をしてくれました。比叡山や伝教大師のことなど、仏教にまつわる話を文字盤を見せたりしながらおもしろく解説していました。創作落語だろうと思います。今日の落語の中では特筆ものでした。

 続いて高家寺寄席では初めてと思われる「大神楽」を見せてもらいました。刀のジャグリングや両手に茶碗を持ってナイフの輪の中に飛び込んでくぐり抜けるなど、狭いところで見事な演技をして見せてくれました。そのほかに桂吉の丞と、中心の露の団六の高座がありました。観客は60人あまりでしたが、楽しく笑うことができました。

 最後に福引きがあり、正月の自治会の総会に続いて、今夜も3番目に私の番号が呼ばれ、名誉住職から早々に賞品の匂い袋をいただきました。今年は久々に年賀状の切手も7枚当たっていました。これなら宝くじを買ってみるのもいいかなと思っています。


2月8日(金) 「後期高齢者検診を受診」
 朝8時40分に近隣の開業医で検診を予約してあったので、8時35分に行きました。ところが9時から診療を受ける人がすでに2人待合室に来ていました。8時40分丁度にその人たちより先に検診が始まりました。早くから待っている人に申し訳ない気がしました。30分間、胃ガン検診以外の検診を受けました。毎年胃腸病院で胃カメラの検診を受けているので、開業医のバリューム検査は受診しませんでした。

 採血の始まる9時5分頃には最初の診察が始まっていました。採血の時に前立腺ガンの検査もお願いしました。このあたりは病院では突然の要望は聞いてもらえませんが、開業医は快く検査を受け付けてくれるのでありがたく思います。費用はこの前立腺ガンの検査代だけでした。検査の終わる頃には高齢の男性ばかり8人ほどが待合室にいました。女性は食事の後片づけの住む10時頃からやってくるのかなと思いました。


2月6日(水) 「放大学生さんから早速2通の返信」
 高齢者放送大学のテキスト2月号に「パソコン時代の感想文」というテーマで、感想文をネットワークで発表し合うことを提案しました。すると御津町の学生さんからはすでにはがきによるネットワークを立ち上げておられることを詳しく書かれたお手紙や資料を、川西市の友の会会長さんからは感想文を掲載されているブログをお知らせ頂きました。

 現在本科生の往復課題の返信を作成している最中だったので、十分な時間をとることができず、失礼ながらメールで簡単な返信をするにとどめました。それにしても放送大学生のみなさんの行動の早さに感心しています。いずれも嬉しく読ませて頂きました。


2月2日(土) 「古いパソコンの復活」
 2月14日のグループいきいきネットの例会で、9月の高齢者放送大学中央スクーリングでの講義「歩き遍路が見た小豆島の魅力」の再現をすることになりました。ところが、WindousVistaの新しいノートパソコンは液晶プロジェクターにうまく対応してくれません。そこでディスプレイの接触が悪い古いノートパソコンを持ち出し、USBメモリーのデータを取り込んで写そうとしてみました。ところがパワーポイント2007で作成したデータは2003の古いパソコンでは取り込むことができません。互換ソフトのインストールが必要だと表示がでるのみです。だめもとでインターネットに接続して互換ソフトのインストールを試みました。そのときにインターネットエクスプローラ8にバージョンアップしてインストールするようにと表示がでました。ところがCPU750の古いパソコンではなかなか作業が進みません。あきらめて互換ソフトのインストールだけにとどめました。というのは、この古いパソコンで今後インターネットをすることがないからです。

 いったんパソコンを終了し、改めて立ち上げて、改めてUBSメモリーのデータを液晶プロジェクターで写してみました。以前と違って写真の容量が大きいので、なかなかパソコンがデータを取り込んでくれません。しびれを切らし夕食を食べていると30分ほどしてすべての写真を取り込んでいました。スライドショーをすると、順調に画面が切り替わりました。これでやっとめどがつきほっとしました。当日は早めにパワーポイントを立ち上げてデーターを取り込むようにしたいと思います。あとは古いパソコンのディスプレイの接触がうまくいくことを祈るのみです。

 ところで、この作業に夢中になっていて、昼に妻から頼まれていたご飯を炊く準備をしておくのをすっかり忘れていました。妻が外出からもどり、さあご飯を食べようとしたときに初めてご飯を炊くのを忘れていたことに気がつき、あわてて近くのコンビニへおにぎりを買いに行きました。ひとつのことに夢中になるとほかのことをすっかり忘れてしまう私の悪い面をさらけ出した午後でした。


1月31日(木) 「確定申告書作成」
 昨夜、確定申告書を作成しようと思って、国税庁のホームページの作成コーナーから作成を始めたのですが、ポップアップブロックを解除しなければならないと表示がでて、入力できませんでした。それで、今日は午後からゆっくり時間をとり、ポップアップブロックについてもインターネットで調べた上で再挑戦しました。この機能の解除については画面の下に小さく出ていて簡単に解除できました。

 2時間ほどかかりましたが、完成することができ、5,612円還付されることもわかりました。昨年は医療控除などもあってもう少し還付金がありました。2月4日に明石へ出かける予定があるので、そのときに提出しようと思っています。


1月28日(月) 「一面雪と氷」
 昨日は年末に亡くなった義弟の50日祭と納骨がありました。良いお天気に恵まれ、力を合わせて滞りなく法事を執り行った甥や姪たちのこころが身にしみた一日でした。

 今週はグラウンドゴルフの当番に当たっていたので、朝6時に起きて雨戸を開けると、昨日とはうってかわって一面真っ白の雪景色、グラウンドの様子を見に行きましたが、グラウンドも真っ白でした。おまけに道も、グラウンドの入り口のコンクリートもガチガチに凍っていました。これではメンバーが滑って怪我をしてもいけないし、プレイをする時間帯には雪が解けて大変だろうと思い、7時になるのを待って中止の電話連絡をしました。

 庭の畑も雪で真っ白でしたが、黒い野良猫がやってきて、雪の下の土を掘り起こし、しっかり糞をしていました。私を見つけるとさっと物陰に隠れましたが、すでに糞をしたあとでした。。裏の酒蔵に何匹も野良猫が住み着いていて、我が家の庭に糞をしに来ます。糞をするだけなら拾って捨てればいいのですが、畑のタマネギの苗を掘り起こしたり、せっかく植えた球根を掘り起こして糞をするので、猫好きの私もいささか頭に来ます。そこで猫がいやがるという薬を買ってきて進入口に撒いてみましたが、全く効果はありません。昨年夏の終わりに大根の種を播いたときに糞をしに来て掘り返されないようにと網をかぶせていて成長が遅れ、不作になってしまいました。もうすぐジャガイモを植えようと思っていますが、今その畑に盛んに糞をしているので、種芋を掘り起こされないようにするための方法を思案している最中です。良い方法はないでしょうか?

  

1月25日(金) 「ソーセージの薫製も」
 風が強かったのですが、天気が良かったので薫製作りをしました。今回は6Pカマンベールチーズ2箱と生肉ソーセージ5本を薫製にしました。いつもサクラのチップブロックの着火に苦労するのですが、風が強かったのですぐに火がつきました。しかし、最後まで燃え尽きることなく消えてしまいました。それでも無事薫製は完成しました。ソーセージも良い味になっていました。

 昨日買った牡蛎の内500cを妻が佃煮に炊いてくれました。ショウガと柚を加えた佃煮は美味しくできあがっていました。夜には牡蛎のお好み焼きを焼いて食べさせてくれました。連日牡蛎料理をを楽しんでいます。


1月24日(木) 「三度目の相生・壺根へ牡蛎を買いに」
 グラウンドゴルフのプレイをしたあと、高齢者放送大学事務局へ往復課題の返信はがきを届けた、その続きに相生へ向かいました。丁度お昼になってしまったので、相生の道の駅の向かいにある丸亀製麺で昼食を取り、道の駅で牡蛎鍋に使う白菜など野菜を買いました。むき牡蛎500g1050円で売っていました。お正月以降高くなっているのだなと思いました。

 1時前になったので壺根へ向かい、いつもの店に行くと、店の前の黒板に500g1000円と書かれていました。運賃分50円だけ安いねと言いながら妻が店に入りました。ところが馴染みになっていたのか、昨年通り500g800円で1.5kg買ってきました。小粒のを買ったからかもしれませんが得をした感じです。帰りにイトーヨーカ堂で6pチーズが安く売っていたので、スモークチーズを作るためにを3箱買って帰りました。

 夜は牡蛎鍋(土手鍋)をいただきました。むきたての新鮮な牡蛎はぷりぷりで最高でした。明日はスモークチーズ作りのほか、牡蛎の佃煮を炊いてもらう予定です。


1月22日(火) 「またまたJAFのお世話になる」
 日曜日に買い物に行こうと車に乗りましたが、エンジンがかかりません。なんと後部座席のドアが半ドアで、バッテリーが上がってしまっていました。前回JAFのお世話になったとき、バッテリーをすぐに交換しておくように言われていたのですが、エンジンがかかるのでついついあとにのばしていました。日曜日はその後男性カラオケグループの新年会があり、エンジンをかけたままにしておけないので、今日午前中にJAFに来てもらってエンジンを動かしてもらい、ガレージで30分以上エンジンをかけたままにして充電をしました。

 午後から妻が講座を受ける会場まで送ったあとスバルのディーラーへバッテリー交換をしてもらうことにして、家を出ました。ところが途中、明石市内で右折して2号線へ入ろうとしたとき、対向車に気をとられていたのと、三角窓の死角になっていたこと、その上おしゃべりをしていたことで集中力を欠いていたことなどが重なり、危うく中央分離帯にぶつかりそうになりました。このような経験は初めてで、その後の運転は必要以上に慎重になりました。どうも高齢期の危うい運転時期が訪れたように感じ、妻も車を降りるとき心配そうにしていました。

 スバルのディーラでバッテリー交換をしてもらいましたが、純正品と工事代金をあわせて9000円ほどかかりました。このような失敗を繰り返さないために運転席の前に「確認」と書いた紙を貼り付けておきました。そして、今までは車から離れながらロックする音を聞いていましたが、今後は車の前に立ってキーが閉まる音を確認することにしました。

 帰宅後、19日に歌舞伎に出かけたため聞けなかった高齢者放送大学講座を聴き、感想文を更新しました。これまでパソコンで講座を聴くのにはテレビのそばにあるデスクトップのパソコンで聴いていました。というのは、ケーブルテレビのプロバイダーを利用しているからです。だから妻がテレビを視聴しているときには聴くことが困難でした。ところが年末に息子がワイヤレスブロードバンドルーターの工事をしてくれたお陰で、別の部屋でいつでも聴くことができるようになり、助かっています。今日もずっと離れた部屋で集中して聴くことができました。


1月19日(土) 「寿 初春大歌舞伎鑑賞」
 先日の宝塚歌劇に続いて、今日は歌舞伎を鑑賞しました。二代目市川猿翁、四代目市川猿之助、九代目市川中車襲名披露ということで、昼の部だったため口上はありませんでしたが、舞台の最後に猿之助と中車の挨拶がありました。演目は四つありましたが、三つ目の「義経千本桜吉野山」では藤十郎演じる静御前の家来として忠信(源九郎狐)役で四代目猿之助が熱演しました。そして四つ目の「楼門五三桐」では二代目猿翁と九代目中車の親子初共演をするはずでしたが、猿翁の体調不良により、猿之助が代役で登場しました。俳優香川照之とは違ってすっかり歌舞伎役者の雰囲気で石川五右衛門を演じました。

 今回は「伝統芸能講座」の鑑賞講座として二度目の歌舞伎鑑賞でしたが、宝塚歌劇といい本物の舞台は圧倒されます。来年度も受講できればいいなと思っています。


 阪神電車が近鉄と相互乗り入れをしたお陰で、明石市内・大阪難波間が一枚の一日フリーカード1,500円という安価で往復できるようになりました。JRを使っていく片道料金強の金額で往復できるのですからありがたく、お昼のお弁当を少し張り込むことができました。帰りに明石で下車し、明石公園事務所でグループいきいきネット2月例会の会場を予約することができ、ここでも交通費を節約することができました。ただ、朝早くから出かける準備をしたので、高齢者放送大学を聴くことができませんでした。

1月17日(木) 「新年会のダブルヘッダー」
 今年最初のグラウンドゴルフがありました。コンディションは上々でしたが、12月の好調さは維持できず、ホールインワンはなく、それでも何とか58打でホールアウトできました。

 その後西明石のキャッスルプラザホテルで行われたグループいきいきネットの新年会に参加しました。私以外はすべて女性だったので、予定以上にビールを飲んでしまいました。美味しい中華料理を食べたあとデザートやスイーツがたっぷりあり、お腹もいっぱいになりました。

 いったん帰宅したあと、夕方から明石第九合唱団の新年会に出かけました。早めに出かけ、グループいきいきネットの会場を予約しようと思ったのですが、5時を過ぎていて、明石公園の事務室は閉まっていました。本屋でエンディングノートなどを立ち読みしながら時間をつぶしました。新年会はいつものように70人あまりが参加していて、にぎやかでした。はじめにスクリーンに第九合唱の演奏が投影されましたが、一番遠く離れた席だったので声も聞こえず、いつの間にか終わっていました。その後事務局から演奏会や事務局の運営に対する団員のアンケートの集計結果が報告されました。おおむね満足している結果が出ていました。

 第九合唱団の親睦会は、つまみや食事をそれぞれ1品持ち寄るのですが、私は今回は自分で薫製にした6pチーズを二箱持って行きました。とても好評で、美味しいからといって残ったチーズを持って帰った人もいました。昼の新年会でビールをたくさん飲んでいたのであまり飲まないようにしようと思ったのですが、大好きな落花生を持ってきていた人がいて、ついついそれをつまみに注がれるままに飲んでしまいました。1時間半楽しく飲むことができました。


1月11日(金) 「宝塚歌劇・ベルサイユのばらを鑑賞」
 午後から宝塚大劇場へ行きました。月組公演で演目は「ベルサイユのばら」でした。主役はファンクラブのお茶会にも出たことのある龍真咲で、さすがにトップスターという演技ぶりでした。舞台そのものは開幕早々からバラの花にたとえられたピンクの衣装をひらめかせた大勢の女性のダンスに始まり、主役たちの登場のたびに大きな拍手が起こるなど、宝塚ならではの雰囲気でした。ストーリーにすっかり引き込まれ、オスカルとアンドレの主役2人が死ぬ場面では、不覚にも涙がぽろぽろ流れてしまいました。その後二人が天国で出会う場面など、宝塚ならではの演出に感心しました。最後には例のラインダンスやフィナーレの場面などが続き、明るくなったときには涙も乾いていてほっとしました。素晴らしい舞台に心から楽しめた一日でした。

 今回は近隣の学校と思える中学生と女子高校生の団体が来ていました。女子高校生は私立の女子校と思われ、度々来ているのか、観客席に私服で来ているスターをめざとく見つけ、歓声を上げていました。このような女子生徒が将来の熱烈なファンになるのだと思いました。


1月8日(火) 「新春恵方三社参り」
 毎年この時期に明石市高年クラブ連合会の三社参りが開催されます。今年の恵方は南南東ということで、大阪住吉大社、紀伊一の宮「伊太祁曾神社」、そして和歌山の竃山神社にお参りしました。私たちの西江井友愛クラブは11人が参加しましたが、50人乗りに46名が乗り込むというバスでした。幸い私たちのグループには12人分の座席がとってあり、私は一人だったので横にコートなど荷物を置きのんびり座っていくことができました。
 
 私たちのグループが最初に乗ったので7時出発、その後魚住、西明石方面のグループを拾ったので、明石市内だけで1時間ほど走りました。明石市から8台出発し、4台ずつに分かれて一方は逆コースを走ったそうです。名谷パーキングに4台が集合し、トイレ休憩を取りながら乗務員が打ち合わせをしていました。名谷パーキングの路面は少し凍結していました。そういえば明石北校の近くをバスが走っているとき、辺り一面真っ白になるほど霜が降りていました。

 そんなに冷えている日だったのですが、快晴で風がなかったおかげで、お参りしている間は比較的暖かく、コートを着ているとあまり寒いとは感じませんでした。昼食をとった紀三井寺のそばの「はやし」では現役時代にホテル部門に宿泊していたのを思い出しました。そんなことがあっていつもお土産など買わないのですが、特別安売り価格の蜂蜜梅と金山寺みそを買いました。おまけに帰路寄った黒潮市場でもショウガ梅湯の粉末まで買いました。このショウガは家に帰って袋を開けるとすごい刺激で思わず咳き込んでしまいました。お湯を入れて飲んでみましたが、味は今イチでした。それでも身体が温まるということなので、これからの寒い夜に飲もうと思っています。


 いつも何人かが集合写真を買うので、その補助金を会から補助していました。無駄なお金のように思えたので、ここ2年ほどは私が代表で買って、コピーして焼き増しし参加者に配っていました。しかし、今年はカメラの好きな方がいて神社ごとに自分たちだけの集合写真を撮ってくださり、それを一枚に編集して分けてくださるそうで、私は苦労しなくて済みます。

1月7日(月) 「歩き初め」
 年末から歩くことがなく、万歩計の歩数は1日3000歩以下で、少ない日は1500歩ほどでした。見守りをする小学生は始業式で12時下校だったので、午後から三木山森林公園へウォークに出かけました。久しぶりだったのでいつもの半分ほどの距離にしておきました。それでも7000歩ほど歩き、最後に広いベンチで長々の寝そべって快晴の空を眺めていると背筋も伸び、気持ちよくなりました。

 このところ、畑や花壇、縁の下に猫の糞が山積みになっています。野良猫?が次々やってくるからです。そこで猫がいやがる匂いがするという顆粒を買ってきて糞をする場所の近くに撒いておきました。特に進入してくる場所に重点的に撒いておいたのですが、それでもほうれん草を植えている畑に糞をしていました。どこから進入してきたのかわかりませんが、効果は今イチのようです。


1月5日(土) 「年賀状の印刷再開」
 新しいプリンターの設定時によく訳がわからなくてインストールしたら、画面にたくさんの絵が並び、パソコンの立ち上がるのが遅くなってしまいました。インストールするときに内容をもっと吟味すべきでした。

 早速年賀状の印刷をしてみましたが、慣れないうちはいろいろな指示が出て時間がかかってしまいました。それでも慣れてくると指示をいちいち読むこともなく早くできるようになりました。写真のできばえもグレイのインクが増えていて素晴らしく、これからが楽しみです。私製はがきだったので、今回はしっかり切手を貼って投函しました。今まで使っていた610のプリンターより印刷時の音が静かでした。ただ、ボタンも画面もタッチパネルになっているので、この点についてアナログ人間の私には慣れるまで時間がかかりそうです。


1月4日(金) 「プリンター購入」
 2日にプリンターが壊れ、年賀状の返事を出すにも不便で、かといって一枚一枚手書きするほどの余裕がありません。修理に出したとしても正月休みではすぐにできませ。仕方なく新しいプリンターを買うことにしました。いつもはエディオン(元のミドリ電化)で買っているのですが、少しでも安く買えればと思い、加古川の大西ジムへ行きました。予算は25000円程度と考えていました。キャノンの6330がもっとも新しいインクジェットプリンターだそうで、価格が20800円といわれました。展示されている棚には26000円が23000円ほどに値下げされていたので、これでいいかと思ったのですが、さらに安くなっていて、即決しました。予算より大幅に安くなったので、大容量のスペアインクを買うと予算オーバーになってしまいました。年末に買ったスペアインクはまたしても無駄になってしまいました。

 それでも安く手に入ったのでうきうきしながら足を相生に伸ばしました。牡蛎のむき身を買おうと思ったのですが、牡蛎を剥く作業は5日からということで手に入らないので、くん炭だけ買って帰りました。ここのくん炭は200円でたくさん入っているので園芸作業にとってとてもありがたく思います。

 夕食後、プリンターを設定しました。年末に息子に無線ルーターを取り付けてもらったので、ワイヤレスで設定が可能だと思っていたのに、設定に失敗し、結局UBSコードをつなぐことになってしまいました。だからテストプリントをしただけで夜遅くなり、年賀状の印刷をすることができませんでした。


1月2日(水) 「幸運のち不運」
 元旦に届いた年賀状のうち、私が出していなかった人々の年賀状にたいして、元旦の午後に返信を印刷しました。年賀はがきが足りなくなったので私製はがきに2枚ほど印刷しました。そのとき、色むらができたので、ヘッドのクリーニングをしましたが、回復しませんでした。仕方なくそのまま印刷して輪ゴムで止めて家の前のポストに投函しました。さらに1枚印刷して切手を貼ろうとして、先の2枚の私製はがきに切手を貼っていなかったことに気づきました。

 翌朝明石西郵便局へ電話をしたのですが営業していませんというつれない返事、ポストを見ると休日は午前10時10分に集めに来ると書いてありました。そこで10時頃から50円切手を2枚持ってポストで待っていると、10分丁度に郵便局の車がやってきました。事情を話して自分の私製はがきに無事切手を貼ることができました。新年早々の失敗を取り返すことができほっとしました。その後急いで10時から始まっている自治会総会へ行きました。20分ほど遅刻で、受付で抽選番号を記録してもらい、前の方でわずかに空いた座席に案内してもらいました。西村衆議院議員が挨拶をしていました。総会は問題もなく終わり、最後に福引き抽選会がありました。

 「今年の一番最初の幸運者は誰でしょう」と司会者が言いながらくじを引くと、なんと私の番号でした。思わず「ハイッ!」と言って立ち上がってしましました。一斉に視線が私の方へ向いているのを感じ、私の名前をささやいている声も聞こえ、一挙に汗が噴き出しました。賞品を一番にもらいましたが、落ち着きませんでした。最終的には105人の出席者のうち75人が抽選で賞品をもらい、残りの30人はティッシュペーパー5箱をもらっていました。

 午後からは妻の甥や姪、続いて従姉妹が訪れて来てくれ にぎやかに過ごしました。このような幸運に恵まれたのですが、夕方になってはがきの印刷をしようとプリンターのスイッチを入れたとたんに一瞬ついたプリンターの電源が切れてしまいました。その後はコードやコンセントを確認しましたが、どうしても電源が入りません。いよいよ年期が来たようです。正月明けにプリンターを買わねばならないようです。前回買い換えるとき、エプソンからキャノンにメーカーが変わり、買い置きのインクが無駄になったので、今回は同じメーカーのプリンターを買おうと思っています。ということで夜には不運に見舞われてしまいました。


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