2007年の日記
                        

12月31日 今年も終わります
 いよいよ大晦日になりました。新年の準備が整ったような、まだ忘れ物があるようないつもと異なった気分の夜です。それは、第九の演奏会が12月23日にあり、その段階では年賀状のデザインも決まっていませんでした。360枚の私の年賀状と、妻と一緒に出す年賀状80枚を2日間で仕上げなければならず、ばたばたしました。その落ち着きのなさをそのまま引きずってしまったようです。それでも無事今年を終えることができ、こうして紅白を聞きながら新年を迎えられることをありがたく思っています。
 来年はどのような年になるのか楽しみです。年頭の図書として、玄侑宗久著「現代語訳 般若心経」を買ってきました。歩き遍路を今年いっぱい続けることになりますが、この間50回以上般若心経を唱えます。少しでもその心が理解できればと思っています。
 新年が皆様と一緒に良い年になることを祈っております。ありがとうございました。


12月27日 メモリー増設
 私の使っているデスクトップパソコンは2003年製です。ですからメモリーは当時としては速い256メガバイトでした。しかし、この度ウィルス対策ソフトをバージョンアップしようとすると、500メガバイトが必要と表示が出て受け付けてくれません。息子の相談して先週の土曜日に512メガバイトのメモリーを増設してもらい、768メガバイトになりました。2008年版へのバージョンアップも簡単に出来た上、パソコンの立ち上がりがとても速くなりました。これまでは電源を入れても10分ほどかかっていました。それがちょっとよそ見をしている間に立ち上がっているのでとても使いやすくなりました。
 6000円ほどでこんなに使いやすくなるのだったら、もっと速く増設しておけばよかったと思いました。なお、この度買ったノートパソコンのメモリーは1ギガバイトで、しかもデュアルコアCPU(2GHZ)を搭載しているので、もっと速く作動するだろうと思うのですが、年賀状はデスクトップで作成していたので、今のところまだ使う機会がありません。正月になったらじっくり使い慣れたいと思います。

12月26日 年賀状完了
 今年は第九演奏会が12月23日と遅く、しかも、その直前まで放送大学の仕事と歩き遍路があったため、年賀状に取り組む暇がありませんでした。そんなわけで24日にやっとデザインを考え始めました。しかし、ネズミのいいデザインが見つからず、先日の歩き遍路で標高800メートルまで登って拝んだ霊峰石鎚山の写真がまずまずだったのでそれを使って賀状を創りました。親戚関係は妻に任せて、自分の関係には何時も賀状の端に一筆書くことを文面にしました。
 デザインが確定したところで、まず宛先をパソコンで印刷していきました。それは、相手によって文面の一部やデザインを変える必要があるからです。ところが、今回メーカーの違うプリンターで印刷したためか、メモリーを増設した影響なのかわかりませんが、郵便番号や相手の名前が印刷されないはがきが所々で発生するのです。ひどいのは郵便番号の下4桁だけが印刷されて出てくるのもありました。その都度欠けている部分を手書きしました。何とも奇妙な年賀状になってしまいました。
 デザインが決まっているので、25日にそれぞれの人にあわせて本文を印刷しました。同じ文面なら30秒で1枚くらいのペースで印刷できます。夕方から350枚ほど印刷すると、11時頃になっていました。その後、妻が絵手紙でデザインした賀状をプリンターのマニュアルを読みながらスキャンし、パソコンに取り込みました。スキャンしたはがきに「筆まめ」を使って住所や名前を書き込み80枚ほど印刷しました。12時をだいぶ回っていたので、賀状づくりはそこでおきました。
 26日に私の全く別デザインの賀状を創り、6枚ほど印刷しました。私の関係は何とか10時までに完了したので早速郵便局へ持って行きました。郵便局には「25日までに」と書かれていましたが、何とか一日遅れで出すことが出来ました。
 それにしても、喪中のはがきをもらった人については、「筆まめ」のカードにチェックしておくと、賀状を出してもよい人が抽出できるので、とても便利です。ただし、賀状をもらったり転居通知が来たときに、こまめにチェックしておかないと、間違ったところに出してしまうことがあり、今年も3枚無駄にしました。


12月23日 第九演奏会は大成功
 1週間、バタバタした生活で最後の練習日も欠席、どうなるかと心配しましたが、半年間の練習と、当日のオーケストラとの練習で何とかペースを取り戻し、無事最後まで歌うことが出来ました。今年は若い人たちの加入も多く、合唱にも張りがあったように思いました。
 それにも増して、この曲を左右すると言われるバリトンソロの声がすばらしく、バリトンが歌い始めたところで聴衆がそちらに引きつけられるのが舞台にいてもわかりました。その勢いを借りてみんな歌いきったように思います。こんな快さを感じると、また来年も歌いたいと思います。
 また、ソリストが団員と同じ服装で一緒に登場し、とても清楚な舞台だったという評価もありがたい感想でした。
 今回は兄夫婦や弟が初めて聴きに来てくれたこと、グループいきいきネットのメンバー8人にも来てもらったことがとても励みになり、うれしい演奏会になりました。
 夢は、地元たこフィル(明石市フィルハーモニー管弦楽団)の演奏で第九を歌うことです。昨年結成されたばかりですが、何年か先には実現することでしょう。それまでがんばりたいと思います。


12月18日 第11回大西泰世川柳教室忘年会
 サンピア明石の大西泰世川柳教室はNHK「ぼやき川柳」の選者のご指導を直接仰ぐことができるということで大変人気があり、現在午前・午後の教室にそれぞれ30余名が通っています。今日は合同の忘年会があり、57名が大西先生を囲んで楽しいひとときを過ごしました。いなみ野学園の懐かしい学生さんに出会ったり、すごい文学者と隣り合わせになったり、意義ある交流がありました。
 私は集合写真の担当でしたが、今まで使っていた7色のプリンターが壊れたので仕上がりが心配です。また、昨年はフラッシュをOFFにしていたのですが、今年はフラッシュをONにしていたため、めがねが光ってしまい、出来映えがますます落ちてしまいました。とりあえず、年賀状が終わればプリントアウトしてみようと思います。

   
大西先生を囲んで  午前の部の出席者                    午後の部の出席者

全出席者

12月16日 友愛クラブ忘年会
 朝8時過ぎ、前日に準備したお菓子を車で会場へ運び、改めて自転車で会場へ向かいました。カラオケのプログラムをホワイトボードに書いたのですが、うっかりカラオケクラブ゙の人は全員老人クラブの人だと思っていたのが間違いで、名前を省いていくと飛び入りの穴がいっぱい空きました。
 54名の会員の内45名が参加しました。はじめに「血液さらさら」のビデオで研修をしたあと、長老の乾杯で会食をしました。食事を食べ終わった頃からカラオケ大会をしました。前半はカラオケ部の人たちが新しい歌をうたったので、最近の歌を歌えない人は歌おうとされませんでした。後半になって懐かしのメロディーが流れ始めると次々と歌う人が現れ、プログラムの組み方を反省しました。
 カラオケで特筆が二つありました。ひとりはNHK のど自慢で鐘3つをならし、チャンピオン大会にも出られた女性会員が、その時の歌「シナの夜」を歌われたことです。のど自慢ではチャイナ服に羽の扇をもって歌われましたが、80歳をうんと超えられた今も当時と少しも衰えない声で歌われました。
 もうひとりは、男性会員でやはり大正生まれの方です。今まで歌っておられるのを聞いたことがなかったのですが、無理を言って「かえり船」を歌っていただきました。セリフ入りの雰囲気のある歌で、よく歌い込んでおられ、とてもお上手でした。昨日、傘寿のテノール独唱会を聞き感動しましたが、身近に勝るとも劣らない方々がおられることに改めて感動しました。カラオケの途中で福引きがあり、会長の奥様が創られた作品の特別賞もあり、みんなたくさんお土産を持って帰られました。
 後片づけをしたあと、真面目に反省会をもちました。次々とよい意見や役員が聞いた会員の感想を聞き共通理解が出来たように思います。これからもみんな意見を出し合い、役員の意思の疎通を図るためにも例会のあとこの様な機会をもった方がいいと思いました。


12月15日 傘寿のテノール独唱会
 今年傘寿を迎えられた安藤勉さんが「テノール独唱会」を明石市立西部市民会館大ホールで開催され、鑑賞しました。第1部は日本の歌を10曲、賛助出演として師事されているバリトン歌手中村雅幸氏の独唱を挟んで、第2部は外国の歌でアニーローリー」や歌劇トスカの「妙なる調和」など9曲を歌われました。さらにアンコールで「カタリ」など3曲歌われました。驚くほど声量もあり、高音もきれいに歌われました。80歳でこれほど歌えるのにただ驚くばかりです。
 安藤さんは13年前60歳代で声楽を習い始め、喜寿のときに第1回の独唱会を開催され、会場が300席ほどだったため入場できなかった人が100人以上いたそうです。今回のリサイタルまでに「日本の歌」のCD2枚を出しておられます。そして、第九合唱団で一緒に歌っています。安藤さんがおられると、テノールのパートは力強くなるので頼りにしています。
 次は米寿の記念リサイタルを開いていただき、高齢者を是非励ましていただきたいと思います。ますますのご活躍をお祈りします。


12月11日 大失態−ここまでぼけたか−
 妻が高齢者大学へ行くというので、私も出掛ける用事があり車で送っていくことにしました。出掛けるまでに30分ほど時間が少しあったので郵便局へ手続きに行きました。最近は身分証明が要るので免許証を持って行きました。手続きにずいぶん時間がかかり、帰って大急ぎで服を着替えました。さて出掛けようとすると免許証がありません。たった二部屋を行ったり来たりしただけなのに、着ていた服、持って行った袋をすべて確かめてみたのですが、どこにも見あたりません。妻の始まりの時間が刻々と近づき焦ってしまいました。最後に押し込んであるデスクトップのパソコンのキーを引き出してみると、そこにちょこんと乗っていました。どうやら免許証を置いたことを忘れて、出掛けるためにパソコンを片づけたらしいのです。見つけた時刻は妻の学習の始まりの時刻でした。自分の不始末を平謝りしながら30分遅刻で送り届けました。
 原因はよくわかっているのです。自分の机の上はいろいろなものが山積みで、苦し紛れに免許証をパソコンのキーの上に無意識で置いたようです。そして、そこに置いていることを忘れてパソコンを片づけてしまったのです。ぼけてきただけに、身の回りを片づけなければ、これからますます捜し物に時間を食われそうです。


12月9日 新しいノートパソコンとプリンター
 ノートパソコンを買って6年近くなります。第2の職場以来、ずいぶん働いてくれました。そのために接触が悪くて画面が乱れることがあります。メモリーの容量も少なく、増設してもいつまで使えるかわからないので、思い切って新製品にすることにしました。そうしていると、プリンターまで壊れて電源が入らなくなってしまいました。年末でプリントすることが多く、修理をするとしても間に合わないので、こちらも買い換えることにしました。丁度値引きや特価で販売してくれる店のダイレクトメールが来ていたので、その店へ行きました。ずいぶん安く買うことが出来たと思ったのですが、専門店の広告を見るとさらに安い値段が付いていました。だけど、いろいろ相談に乗ってくれたし、サービスも思いの外してくれたのでよかったと思っています。
 初期設定をやり始めたのですが、わからないことが多く、息子が来たときに助けてもらおうと思っています。それまでは4年ほど前に買ったデスクトップがあるので、不自由はありません。
 プリンターはこれまでエプソンの7色を使っていましたが、今回買ったのはキャノンの5色です。ドットが多いので画像はシャープですが、色合いに深みがありません。製品を選ぶのは難しいですね。


12月8日 特別支援教育課を励ます会
 県教委の義務教育課の中にあった障害児教育室が、4月から特別支援教育課として独立しました。障害のある子ども達に対する特別支援教育を充実する上でとても大切なことなのです。こうした仕事に取り組んでいる職員を励まそうとOB達が集まりました。今、県財政は大ピンチを迎えていますが、そのような状況の中で教育の原点ととらえ、積極的に特別支援教育を打って出た県の姿勢は、評価されることだと思います。少子化で学校の統合や閉鎖、空き教室の活用などが話題になっている中、特別支援学校だけは教室が足りなかったり、マンモス校が増えたりと不自由な状況が慢性的に続いてきました。抜本的な対策が望まれていましたが、これからはそのような声が県の行政に直接反映されることでしょう。優秀なスタッフがそろっているので、きっとすばらしい成果を見せてくれることでしょう。楽しみに見守りたいと思います。


12月5日 高校時代の同窓会(クラス会)
 私は卒業以来だったのでどのような雰囲気かもわからず心配でしたが、幹事さんから「気楽に参加してください」とメールをもらっていたので、とにかく出掛けていきました。昼の12時に、元町の牡丹園へ13名が集まりました。皆さん親切に気遣ってくださり、とても明るく心地よい雰囲気で、料理だけでなく、紹興酒もたくさんいただきました。奥様同伴の方も3組おられたのですが、すっかりなじんでおられて、和気藹々と楽しく時間が過ぎていきました。
 折角同窓会を企画してくださった幹事さんが体調を崩されて欠席されたのが残念でした。夜には早速写真をメールで送って下さいました。メールには親切に写真に応じて名前も書いて下さっていました。とてもうれしい一日でした。


12月3日 3日続けて忘年会?
 お酒を飲んだりご馳走を食べたりという日が3日も続きました。
 1日は城崎でカニ料理をご馳走になりました。西村屋という超一流の旅館でご馳走になり、お風呂に入って本当に幸せな一日でした。やはり一流旅館のおもてなしは今まであまり経験したことがないものでした。料理も最高でした。
 2日は地元自治会館の男性カラオケグループの毎月第1日曜日夜に開かれる懇親会です。年末ということで、8人全員が出席し、まさに忘年会になりました。刺身と漬け物、そして巻きずしにビール・焼酎とよく飲み、よく食べました。政治の話から、地域の話まで、ずいぶん話に花が咲きました。地域に疎い私にとっては地域の歴史など大切な情報源でもあります。飲んで歌い、5時から始まり10時近くまで楽しく過ごしました。
 3日は同じく自治会館女性カラオケグループの忘年会が昼食を兼ねて開かれました。機械を扱う私一人が男性ということで淋しいだろうと、カラオケグループの男性二人を招待して下さいました。お陰で、昼にもかかわらず、ビール2本が男性のテーブルに準備されていました。昼日中から飲むと、とても回りが早く、すっかり酔ってしまいました。その後、一人1曲ずつ得意の歌を披露しました。私は女性歌手の歌の中で、あまりキーを調節しなくても歌える「石見路ひとり」を歌いました。
 明日一日休肝日ですが、明後日はまた高校のクラス会が神戸の中華料理店であります。その次の日から二日間、大きな仕事が控えているので、自重したいと思います。


11月27日 兵庫県いなみ野学園地域活動指導者養成講座で講義
 午前中の90分間、健康福祉系1年生の学生さんに「コミュニティづくりとボランティア」というテーマで講義をしました。講義の始めと終わりに一斉に起立して礼をされたのには少々緊張しました。講義の内容は昨年とあまり変わりませんが、今年は私自身が老人クラブの会計になっていたお陰で、運営について少し体験を交えて話すことが出来ました。
 それにしても、今年もまた講義中にハプニングがありました。昨年はマイクが途中で使えなくなり、マイクを交換したり、配線を変えたりとずいぶん時間をロスしました。今年はパソコンを使ってスクリーンの画面を見せながら講義をしていたのですが、突然プロジェクターが「ボン」という音とともに煙が立ち上り、画面が消えてしまいました。復旧のめどが立たないと判断、出来るだけロスタイムをなくすために、資料に基づいて講義を続けました。
 元勤めていた職場だったので、ある程度様子がわかっており、平常心で切り抜けることが出来ましたが、初めての場でこんなハプニングにであえばきっとあわてたことでしょう。


11月26日 伝統芸能教室−有馬温泉芸者お座敷踊り鑑賞
 兵庫県芸術文化協会が主催する伝統芸能教室に参加しました。日本に古くから伝わる伝統芸能について解説を聞いたり、実際に鑑賞したりします。今回は芸者のお座敷踊りの鑑賞会が、県民会館のホールでありました。
 芸者といえば、もう高齢の方の踊りを鑑賞するものと自分勝手に決めていましたが、とんでもない誤解でした。10人の芸者が踊られましたが、今年成人式を迎えた2人を含め、若い人、脂ののりきっている人が6人もおられました。若い人は踊りの一つ一つを踊っているという面もありましたが、初々しい若さが感じられました。3〜40代と思われる人の動きには流れるような美しさを感じました。実際に芸者をお座敷に呼んで鑑賞することはこれからもないと思いますが、一番前の席でじっくり鑑賞できたことはとても幸せに思いました。

 有馬の芸者は格式が高く、芸を磨くことにも怠りないので、これからも伝統が守られればいいなと思いました。さらに、有馬小学校へ三味線の指導に月1回出前講師をしておられるなど、とても清潔で前向きの姿勢を感じました。
 解説をされた河内先生が、有馬温泉がこの様な伝統芸能を含めて世界遺産にという話をされましたが、そうなれば今18人という芸者に若い人がもっと加わることだろうと思います。


11月24日 「BIONBO/屏風 日本の美」
 兵庫県学校厚生会から上記の展覧会の招待券をいただき、鑑賞してきました。屏風の美しさもさることながら、出産のときは白い屏風で囲い、死んだときは非日常の状態にするために死者のまくら元に屏風を逆さに立てかけるなど、昔の習慣も学ぶことが出来ました。
 またオランダから蒸気船を贈られた返礼に日本から屏風が贈られました。その屏風も里帰り展示されていましたが、100年以上も経っているのに新品同様の美しさでした。オランダがどのような保存の仕方をしているのか尋ねたくなるほど、外国に対するオランダ人の誠意の様なものを感じました。
 以前に一度大阪市立美術館を訪れたことがありますが、建物も玄関からの景色の美しさもとてもすばらしく思いました。

 
美術館の正面入り口         入り口から見た景色

11月23日 奥琵琶湖方面バスツアー
 7月以来、久しぶりにバスツアーに参加しました。明石からバスで長浜へ、ホテルでフランス料理のフルコースが最初の目的です。吹田までは下りの渋滞を眺めながら、すいすいと走りました。ところが名神と合流した途端から渋滞が始まり、京都を過ぎるまでのろのろ運転、そして、栗東の手前からまた渋滞、そして北陸道が工事中でまた渋滞、ホテルに着いたときには次の予定までにあまり時間がありません。というのは、再び米原に引き返して「SLびわこ号」に乗車するからです。子どもが何人か参加していましたが、彼らにとってはこれが最大の目的なので、乗り遅れるわけに行かないからです。ホテルに着くとワインの注文を聞くこともなくいきなり料理が次々出てきます。出てきた料理をただ食べ続け、最後のメインディッシュ・近江牛のステーキを食べている間にもデザートのアイスケーキなどが出され、コーヒーまで注いでくれました。残ったパンは紙に包み、大急ぎでバスに乗り込むと、米原に発車7分前に到着、乗り込むと間もなく動き出しました。SLの姿も見えない最後尾の車両だったので、かすかな警笛と煙の流れる様子、そしてニオイだけでSLに乗っているのだなという感じです。それでも窓の外を見ていると、カメラマンが沿道に列を作って撮影していました。車窓からは白い帽子をかぶった伊吹山が見られました。木ノ本駅に到着した後、しばらく余裕があったので、SLの写真を撮りました。乗った列車の車番と同じストラップを記念に買いました。
 その後バスで鶏足寺へ向かいました。鶏足寺は田畑の道を抜け、紅葉の参道を登ったところにある小さなお寺でした。参道の紅葉は見頃で、久しぶりに美しいもみじ狩りが出来ました。帰りのバスは順調で、予定の時刻に明石へ帰ることが出来ました。

  
客車はブルートレイン        車窓から伊吹山を愛でる     SL-D56
   
 鶏足寺参道の紅葉                                        鶏足寺近くの「亀山の茶畑」

11月18日 いなみ野祭とchiakiピアノリサイタル
 朝から妻のスイートポテト作りを手伝い、それをお土産にいなみ野学園へ行きました。いなみ野祭は相変わらず大勢の人が集まっており、懐かしい卒業生にもたくさん出会いました。絵画展に始まり、陶芸展、大講堂のプログラム表示、表装展、写真店、手芸店、最後に川柳、能面、俳句、短歌の展示を見てまわりました。みんなとてもすばらしい作品で、元気でこの様な趣味に打ち込める皆さんの幸せを感じました。県警の音楽隊の演奏を少し聴き、加古川のピアノリサイタル会場に向かいました。電車が遅れたために食事の時間がなくなり、学園でいただいたお弁当を5分間だけ会場近くの公園で食べました。
 演奏者のchiakiさんは、16歳からいじめがもとで心の病になりましたが、昨年お父様の協力でピアノリサイタルを開くまでになり、今回が2回目でした。バッハのずいぶん難曲のように思いましたが、昨年に比べてずいぶん余裕のある演奏だと思いました。本人もリサイタルの最後にピアノ以外にも働くことにより、自分の新たな可能性を探っていきたいと話されました。社会復帰が順調にいくことを祈っています。


11月17日 旧三商大OB交流合唱音楽会
 神戸大学、大阪市立大学、一橋大学の男声合唱団OBの交流会が神戸・松方ホールで開かれました。兄が出演しており、入場券をプレゼントしてくれたので聴きに行きました。どの合唱団も平均年齢70歳前後のようですが、すばらしい演奏を聴かせてもらいました。訓練をすればこれほどまでの艶やかな演奏が出来るのですね。私の第九の心構えを考えると恥ずかしくなります。久しぶりに男声合唱の美しさをたっぷり味わわせてもらいました。


11月10日 三木市でグラウンドゴルフ大会
 三木の道の駅近くにあるホースランドの馬場でグラウンドゴルフ大会があり、仲間19人と一緒に参加しました。130人が集まりました。普段は馬の障害レースの練習などに使われている広い馬場で、一応コースは芝が刈り込まれていますが、馬の足跡と思われる穴が沢山ありました。球を打つと、馬のようにはねながら転がり、穴に入って止まります。そんなわけで、まっすぐ転がらず、距離をあわせることも難しく、18ホールを62もたたきました。ちなみに男子の優勝者のスコアは43でした。飛び賞にもブービー賞にも該当せず、参加賞の新鮮玉子をもらって帰りました。それでも快晴の空のもと、広々とした草原で半日を気持ちよく過ごすことが出来ました。


11月8日 15期生のつどい
 兵庫県いなみ野学園地域活動指導者養成講座福祉系15期卒業生からお誘いがあり、同窓会に参加させていただきました。バスで一宮家原遺跡公園から福知渓谷へ行き、昼食と近況報告、そこから砥峰高原へ登り、ススキの美しい草原を眺め、太田ダム経由で帰りました。山の紅葉もずいぶん色づき美しさを増していました。
 それぞれの近況報告の中で、たくさんのボランティア、さらに生涯学習を重ねて成果を上げておられる様子を聞かせていただき、私自身の今後の地域活動に刺激を受けた一日でした。病気をされた人も明るさを失わず前向きに活動されていました。このような前向きに活動しておられる人々の集まりに積極的に加わることこそ、自分の生き方を見直し、向上できることだと思いました。私にとってとても大切なグループだと思っています。



11月7日 大塩・ノジギクハイクの下見
 グループいきいきネットの11月例会で大塩のノジギクハイクを計画しています。インターネットで何とか地図を手に入れたのですが、日笠山から馬坂峠までがアップダウンの続く道と書かれている記事もあり、どの程度のものか確かめたいと思ったのと、今年のノジギクの開花状況も確かめたいと思い、午後から現地に出かけました。
 まず、大塩駅南の大塩公民館へ行き、ハイキングマップをいただきました。その時、館長さんに月末グループで訪れることを話すと、親切に説明してくださいました。公民館前のノジギクはまだ蕾が堅く、今年は開花が昨年より遅れているので月末でも見られるだろうと言ってくださいました。
 館長さんに教えてもらったとおり、古い町並みを抜けて日笠山に登りました。場所によってはノジギクの可愛い花を咲かせていました。眼下はすばらしい景色でした。さらに夫婦岩に向けて進みましたが、そこからは急な山道になります。このあたりはグループ全員が歩くには無理のようです。夫婦岩から馬坂峠への下り坂も、急な上に小石で靴が滑ります。かなり山歩きに慣れた方でなければ高齢者には無理だと感じました。
 馬坂峠からは少し高砂方面に下ったところに見事なノジギクが整備されています。お世話されている方が通りかかられて、今年のノジギクの成長などを詳しく説明してくださいました。2週間後あたりが見頃だそうですが、私達が訪れる月末でも十分花が見られるとの言葉に少し安心しました。
 馬坂峠から下る坂道は舗装され緩やかなので、ここならば全員で訪れることが出来ます。途中ノジギクの里公園によって帰りました。下見をしておいてよかったと思いました。グループのハイキング当日は、駅からノジギクの里公園を経由して馬坂峠へ行き、そこで健脚組と散策組に別れ、散策組は引き返して日笠山に登って待ち、健脚組は峠から夫婦岩を経由して日笠山で合流する計画を考えたいと思います。弁当は寒くなければ馬坂峠でノジギクの花を見ながら食べることが出来ればと思います。但し、ここは広場がないので、道沿いのベンチに座って食べることになります。当日の状況を見ながら考えたいと思います。


11月3日 「江井ヶ島スポーツフェスティバル」と「ふたご会」
 朝からとても良いお天気でした。そのため放射冷却が強く、朝はずいぶん冷え込みました。そのためか、昨夜遅く咲いた二つ目の月下美人が日の出を迎えても薫り高く咲き続けていました。菊も満開を迎え、並べると不思議な感じでした。
 今日は10時から江井ヶ島小学校区住民運動会「第29回江井ヶ島スポーツフェスティバル」が開催され、たくさんの人たちが集まりました。私は老人クラブの会計をしているので、クラブ会員にうどん代250円を渡すために初めて参加しました。55名中21名が参加しました。主催は連合自治会で、当日限りの金券300円×2枚を自治会からいただきました。いろいろな団体がテントの下で飲食物や手作りの品を売っていました。昼食を確保しておこうと山菜おこわを買ったら現金で50円おつりをくれました。その後サッカー汁(豚汁)を買うと200円現金でおつりをくれました。さらに競技に出場すると200円の金券をくれました。それを持ってジュースを買うとまた100円現金でおつりをくれました。全くお金を持っていかなかったのに、帰るときはポケットの中に硬貨がたくさん残り、なんだか悪いことをした気持ちになりました。
 2時過ぎに全競技が終わり、閉会式の後、各自治会ごとに後かたづけが始まりました。その時になって、私達の地域は老人クラブの男性会員が中心になってテントやパイプ椅子、敷物を運んで準備していたことがわかりました。15〜6名の会員であっという間にテントがたたまれ、椅子や敷物とともに軽トラックに積み込まれました。私は自転車で自治会館へ先回りしたのですが、いつまでたってもみんなが戻ってこないので、どうしたことかと思っていたら、別のところに村の倉庫があり、駆けつけたときにはすでに片づけられていました。初めてとはいえ、あまり役に立てませんでした。今年は様子が少しわかったので来年からはもっとお役に立てると思います。
 帰ってから服を着替え、小学校の同窓会「ふたご会」に出かけました。ふたご会というのは神戸市立雲中小学校を昭和25年に卒業したということから付けられた名前で、今年は「古希の記念の会」と銘打って、いつもと雰囲気を変え、「ジャズライブ&レストラン ソネ」で開催されました。29名といつもより多くの同窓生が参加しました。後半はライブがあったので、いつものようにみんなが近況を報告できず、あいさつ程度しかできなかった人の方が多かったように思いました。それでも、久しぶりに参加した人の話が聞けたのでよかったと思います。
 普段、田舎に居住し、カラオケを歌い、グラウンドゴルフを老人クラブ仲間としている私にとって、神戸の北野にあるジャズレストランで食事をしながらゴルフの話を聞いていると、カルチャーショックを感じたのが正直な気持ちです。それにしてもこの店は満席で、ジャズが神戸の都会ではこれほどの人気があるということにも驚きを感じました。

  
午前7時の月下美人           菊と月下美人                菊も満開
  
開会式                    出場者には金券の賞品         江井島中学生のブラスバンド演奏
  
かつて美人の同窓生           ライブに見入る同窓会          ボーカルがふたご会をお客に紹介

11月1日 月下美人が開花
 今年4回目も開花です。これまで3階咲いたのですが、いつも私が注意深く見守っていなかったので、咲いた後ばかりでした。今回は見守っていたら、昼に蕾の先が白くなっていました。よる、第九の練習を終えて帰宅後見ると見事に花が開いていました。あたりに香りも広がっていました。明日もう一つ咲きそうです。



11月1日 我が家にも大輪の菊
 6月から妻が世話をしている菊がついに大輪の花を咲かせました。30年ほど前に、一度知人から菊の苗をもらいましたが、下の方の葉はすべて枯れていて、花の近くだけ5〜6枚葉がついているという菊になりました。そして花も上の方に5〜6個ついていました。
 妻は毎週園芸クラブで実習し、その技術を家の菊に施していました。夏の暑い時期に、いわれるように水やりなど手伝いましたが、とにかく妻は丹精込めて世話をしていました。そしてついに大輪の花を咲かせました。私と違って、根元からきれいな葉をつけており、3本仕立てになっています。
 いよいよ蕾が大きくなってきた頃、折角大きな蕾を付けているのに可愛そうだと言って2〜3個の蕾を付けたままにしていたので、笑っていたのですが、花が咲きかけた頃に虫など汚い花が見つかって取り除く必要がり、最後は一輪の大きな花を咲かせています。うかつに初めから一輪にしてはいけないことがよくわかりました。このところ、隔日に雨が降るので、覆いをかけたりはずしたり、本当に菊の世話が大変だということもよくわかりました。それにしても、10種類以上の菊にそれぞれ難しい名前が付いています。

   
冨士の新雪                   国華星矢                    国華福穂

10月31日 江井ヶ島海岸駐車場の清掃
 10月8日に続いて、老人クラブの活動である駐車場の清掃をしました。もう一人の方がトイレ掃除をしてくださったので、私はゴミを集めてまわりました。缶コーヒーの空き缶がたくさん捨てられていました。中に飲み残しのコーヒーが入っていることが多く、服を汚すことがしばしばあります。今回は蛍光灯まで捨てられていました。それでもほとんどゴミ箱に捨てられているので助かります。ただ、燃えるゴミと燃えないゴミが一緒に捨てられているので、分別するためにゴミ箱をひっくり返して作業します。結構大変な作業です。駐車スペースには、相変わらずたばこの吸い殻が散乱しています。愛煙家は地球を灰皿とでも思っているのでしょうか。今回初めて、コンドームが2ヶ所で捨てられていてびっくりしました。どんな気持ちで捨てていくのでしょうね。


10月30日 ギンナンの実
 最近は妻と二人のどちらかに用事があったのですが、今日は久しぶりで二人がフリーになりました。そこで、例年の行事になっているギンナンの実を拾いに行きました。道路脇の溝や土手にたくさん落ちているので、それを拾います。高速道路の通行料を4000円近くも出して拾いに行くのですから、近くで売っているのを買った方が安いのですが、山の空気を味わいながら、のんびりドライブをするのも気分が晴れます。もっとも、今日は道を間違え、行けども行けども現場に着かず、これで実が落ちていなかったらどうしようと思いました。大きく遠回りして現場に着くと、まずまずの収穫がありホッとしました。
 帰りにふるさとの農産物売り場があり、トイレを借りて、ギンナンのあのくさいニオイの手を洗おうと立ち寄りました。店を覗くと新鮮な野菜がどっさり売っていて、トマトや大きなレタス、生椎茸など安い値段の野菜をたくさん買いました。なんだか得をした思いでした。ついでに、菜園に使う牛糞の堆肥も買いました。帰りの車は窓を開けて走らなければ、大変なニオイでした。


10月28日 オーケストラ華夏(ホアシャ)定期公演
 日中友好30周年記念の年、いなみ野学園で講演と演奏をされたコンリン先生率いるオーケストラ華夏の定期公演が新大阪のメルパルク大阪ホールで開催されました。オーケストラ華夏は中国民族楽器のオーケストラで、先日神戸で開かれた世界華商大会開会式で演奏されるなど、中国の専門家からも高い評価を得たオーケストラです。いなみ野学園の卒業生が楽団に所属し、二胡を演奏されています。そして、毎年招待して下さいます。
 昨年日中友好35周年記念で、オーケストラ華夏は中国から招待されて南京で演奏会をされたそうです。そして、今年は南京民族楽団の団員を招いて公演会が開かれました。
 第1ステージの後半は、南京民族楽団の合奏や独奏がありましたが、本当にすばらしい演奏でした。第2ステージは、オーケストラ華夏と尺八とのコラボレーションや、二胡と大胡の協奏曲でした。二胡は南京民族楽団の若手の奏者、大胡は日本のチェロ奏者が息もぴったりの演奏を聴かせてくれました。コンリン先生はすっかり有名になられて直接あいさつも出来なくなりましたが、いなみ野学園在職中にこのようなご縁が出来たことを今もうれしく思っています。


10月27日 芸術の秋
 身近なところでいろいろな興味深い展覧会が催されています。昨日は雨が降っていたので、庭仕事をすることも出来ず、明石文化博物館で「木喰展」を鑑賞しました。木喰の書、絵画、そして仏像ともに独特のものでした。書は針がとげとげしたもの、書の中空きの部分に実に細かい絵が描かれており、その中に細かい梵字が書かれていたりします。また仏像はにこにこしたものが多く、仏像に交じって自身像が作られているのもおもしろく思いました。
 そして、今日は午前中、神戸市立博物館で「インカ、マヤ、アステカ展」を鑑賞しました。解説する機器を借りて説明を聞きながら鑑賞したので、いちいち細かい説明を読むことなく鑑賞できました。しかし、展示物が多く、時間がかかりました。
 午後からは尼崎のピッコロシアターで催された近松門左衛門の「心中天網島」を鑑賞しました。伝統芸能教室の鑑賞会でしたが、入場する前から眠さを感じていました。しかし、座席が最前列の端ということで、眠ることはないと思いました。ところが、地唄舞が中心だったので初めのうち少し眠ってしまいました。地味な舞台でしたが、筋書きがよくわかり、近松役をした出演者の話しぶりも楽しく、おもしろく鑑賞できました。途中で女性の出演者のカツラがとれそうになり、ちょっとはらはらしました。


10月23日 秋のつどい
 学校厚生会の秋のつどいがあり、妻に勧められて参加しました。どのような行事があるのかよくわからずに参加したのですが、初めに古希、喜寿、米寿の該当者の名前を呼んでみんなでお祝いをしました。私も名前を呼ばれたのですが気恥ずかしくて立つことが出来ませんでした。でも、立たずにいてよかったと思いました。なぜなら、行く前から眠くて、往きの電車でも眠りそうになったからです。案の定、講演が始まると、途中で眠ってしまいました。もし、みんなの前で存在を示していたら、眠っているのが誰かわかってしまうところでした。特にいなみ野学園の卒業生の姿があり、私に気づいた人がいなかったのでよかったと思いました。


10月20日 お祭り
 昨日から地元の三つの集落が一緒になって秋祭りをしています。太鼓が家の側を通るのですが、道が少し広くなったので、それだけ太鼓が通りよかったようです。但し、角の電柱が取り除かれていないので、曲がるときには注意していました。夜の太鼓を写真に撮ってみましたが、うまく撮れませんでした。



10月17日 加古川の女児殺害事件
 昨夕、加古川市別府小学校2年生の女児が自宅前で刺殺されたという事件が報道されました。別府小学校といえば、昭和50年代に2年間勤務した学校で、私は障害児学級を担任していたのですが、教室が2年生の真ん中にあって、2年生の子ども達がいつもたくさん教室に遊びに来ていました。とても素直な子どもが多く、君たちは障害児学級の教室で遊ぶときには障害児学級の約束事に従うのだよというと、素直に聞いてくれました。また、PTAと学校がいつも協力することが多く、運動会の打ち上げや教職員の歓送迎会などにはいつも多くのPTA役員の方々が参加されていました。本当にすばらしい学校だったと思います。そのようなことから、今はどのような状況かわかりませんが、当時のことを思うとこの事件は人ごとではない気がします。


10月14日 加古川市志方町のコスモス
 昨年高畑地区ですばらしく大規模のコスモス畑を見ました。そこで今年も出かけてみると、昨年より少し北側でコスモス祭をしていました。昨年は時期の終わりでしたが、今年の花は瑞々しさがありました。それでも写真を撮そうと近づくと、画面に枯れた花びらが必ず映ってしまいます。38枚もシャッターを切っていました。花の中心が濃い赤色の花を見るのは初めてのような気がしました。

   

10月13日 能舞台を鑑賞
 湊川神社の神能殿で能舞台があり、妻が招待券をもらってきたので午後から出かけました。演目は3つありました。最初の「項羽」が始まると、多くの方が台本を見ながら聞いておられるのにおどろきました。謡曲を習っておられる方なのでしょう。そのような熱心な方々の中で、話の内容がもう一つわからない私はどうしてもまぶたが閉じようとするのを止めることができませんでした。
 2番目の狂言の「附子」は昔からよく知っている内容だったので、みんなと一緒によく笑うことができました。3番目の「猩々」もある程度内容がわかり、赤い装束で踊る姿が印象的でした。
 伝統芸能教室で狂言を鑑賞することがあり、解説もあるので楽しく鑑賞できますが、能はまだまだ楽しむところまではいきません。


10月12日 砥峰高原のススキ
 近々、いなみ野学園の同窓会で訪れる予定の砥峰高原へドライブに出かけました。秋晴れのよい天気だと思って出かけたのに、どんどん雲が厚くなってきたので、美しいススキを見ることができないのではないかと心配しながら目的地へ向かいました。しかし、高原の駐車場に着くと晴れていました。途中コンビニで買った昼食をとった後、砥峰高原の入り口へ行きましたが、あの美しいススキがさっぱり見られません。そして、入り口の横に多くの人たちがススキの根元を踏んだために生育が悪くなったので、遊歩道を歩くように注意の立て看板がありました。
 そこで目的をウォーキングに切り替え、峰山高原へのドライブウェーを歩きました。途中であまり見たことのないヘビが車にひかれて死んでいました。そこから300メートルほど歩くと、側溝に同じヘビの子どもがいました。このあたりはこの種類が多いようです。ヤマカカシではないかと思います。ドングリを拾ったりしながら上り坂を40分ほど歩きました。そこから砥峰高原のススキの山へ入りました。遊歩道を歩いている人が何人かいました。その後に付いていくと、無事高原のインフォメーション施設に戻ってくることができました。途中で後ろを振り返ると、ススキが太陽の光を受けて銀色にきらきら輝いていました。これこそススキの高原の醍醐味です。時計を見ると3時前でした。
 そういえば、前回ここへ来たときは、3時から美しいススキを見ることができるといって、午後から出かけたことを思い出しました。今日は1時に到着したので太陽の位置が高く、ススキの輝きが今ひとつだったようです。立派な施設もできていて、山の空気を思い切り楽しむことができました。
 帰りは福知渓谷で名水「文殊の水」をポリタンクに汲み、山崎の道の駅の向かい側にある農協の売店で安価な野菜などをどっさり買い込んで帰りました。
その近くには桜の狂い咲きが見られました。
   
砥峰高原の湿地帯           新しくできた施設             車にひかれたヘビ           側溝の子ヘビ
    
太陽に輝くススキ            高原も銀色に         アキノキリンソウ 名水「文殊の水」     狂い咲きの桜と彼岸花

10月8日 駐車場の清掃とカラオケ
 朝大雨の音で目が覚めました。今日は午前中に駐車場と付設トイレの掃除当番が当たっていたので困ったなと思っていましたが、時間が近づくと小ぶりになり、カッパを着て予定どおり終えることができました。それにしても、先日からトイレットペーパーを燃やしてその灰を丸めて窓や壁に投げつけるいたずらが続いています。今日は雨が降っていたからか燃やすことはしていませんでしたが、それでも4個のトイレットペーパーを紙粘土状にして、壁や天井に投げつけていました。壁の汚れは何とかそぎ取りましたが、天井はきれいにすることができませんでした。
 午後からは、地元の自治会館で行われている女性のカラオケグループの機械操作に行きました。機械操作といっても、皆さんが新曲を練習されて、最後に私にもマイクがまわってくるので、皆さんの練習にあわせて私も必死で覚えなければなりません。今日は三代沙也可が歌っている「港のれん」と新野美伽が歌っている「二人の旅栞」を練習しました。家に帰って歌ってみると、「二人……」は何とか歌えましたが、もう一曲はカラオケの伴奏がなければ歌えませんでした。
 月1回日曜日に男声のカラオケグループの集まりがあります。もっぱら飲んでおしゃべりするのに時間を費やし、最後に一人2〜3曲ずつ得意の歌をうたいます。初めのうちは限られた懐メロのCDの中から同じ歌を歌っていましたが、最近は女性のカラオケのお陰で新曲を披露することができます。但し女性歌手が歌っている曲ばかりなので、キーを上げて歌わなければなりません。それでも毎回異なった歌が歌えるので楽しく参加しています。


10月7日 お宮の清掃と友愛クラブ例会
 今月の第2土・日曜日に村の住吉神社の秋祭りがあります。9月30日にお宮の清掃をする予定だったのですが、あいにくの雨で、今日行われました。私は朝9時前から裏参道脇の草ひきをしました。昨年は境内の草ひきをしたのですが、今年はすでにきれいになっていたので、参道脇をしたのですが、ここは清掃区域に入っていなかったようで、帰りになっても、まだ引いた草が片づけられていませんでした。このまま残っていれば、明日の駐車場の清掃当番の時に一緒に処理したいと思っています。というのは、午後から友愛クラブ(地元老人クラブ)の例会が予定されていたため、役員の私はそちらの用務があり、お宮の清掃を昼前から手伝うことができなかったからです。
 そんなわけで、友愛クラブの例会にはお宮を守る住吉友の会に所属されている方々は出席できず、大半が女性という淋しい例会になってしまいました。今日の例会で11月に実施する親睦旅行の参加人数を集計する予定でしたが、欠席者には近日中に返事を頂くことにしました。本日出席された女性の方々は旅行を楽しみにしておられるのですが、今日欠席された方々はあまり乗り気の雰囲気ではなく、後5名なのですが不成立になる可能性もあり、気がもめるところです。
 先日から庭に白い彼岸花の花芽が出ていましたが、今日一斉に花を開きました。赤い花より少し遅れましたが、たくさんの花が開きました。

  
10月4日の蕾                10月7日一斉に開花

10月3日 明石高年クラブ連合会主催グラウンドゴルフ大会
 朝8時にチームの皆さんと自転車で西明石の会場へ向かいました。40分ほどかかるのですが、80歳を超えた会長さんも皆さんと同じペースで走っておられるのを見て、自分があの年齢になったときに同じように自転車で走れるだろうかと思いました。
 会場に着くと、いなみ野学園の地域活動指導者養成講座(略称;地活講座)を卒業された多くの方々にお会いしました。さすがに地活講座で学ばれただけあって、本部役員や審判員をされている方も多く、それでなければ、各チームの記録係をしておられるなど、地域のリーダーとして活発に活動しておられる様子がよくわかります。私がこのようなところに仲間入りできるのも第2の職場としてこの地活講座に勤めさせていただき、学生の皆さんから多くを学ばせていただいたからこそと改めて感謝しています。
 ところで私は単位老人クラブの会計をしているので、会長さんら他の役員の皆さんと一緒に近くのスーパーへ弁当や果物、お茶を調達しに行きました。その後9ホールを2ゲームしましたが、いつもグラウンドゴルフをしている広場と違って砂と小石で思うようにころがすことができず、不本意な成績でした。それでも地域の人たちや懐かしい方々とグラウンドゴルフを楽しむことができ、とてもうれしい一日でした。
 ただ、いつも顔を合わせる知人がいないので、どうしたのかと思っていたら、奥様が亡くなられ、今日はお通夜、明日はお葬式と聞き、おどろきました。ご冥福をお祈りいたします。


10月1日 ゆうとぴあ通信(10月号)を読んで
 昨夜、ゆうとぴあ通信が更新されていたので読みましたが、重い内容にしばらく考えさせられました。テーマは「塀の中の障がい者」で、昨年発刊された山本譲司著「累犯障害者」(新潮社)が紹介されています。知的障害者が親亡き後、社会から見放された状態で、刑務所が一番居心地の良いところだといって、軽微な犯罪を繰り返しているという現状に、子どもの頃純粋な心で私の現役時代を感動させ続けてくれていた彼らの最後の生活がこれではやりきれないおもいでした。ただ、国会議員までした著者が刑務所で体験した彼らの現状を何とかしようと立ち上がってくれていることに救いを感じました。早速図書館で探して読んでみたいと思いました。

 ゆうとぴあ通信は月1回更新されていますが、「毎日思うこと」はそれこそ毎日更新されていて、もう10年間も続けられていることはとうてい真似できないことだと思います。私はいろいろな知識や情報を得ることができるので、感謝しながらできる限り毎日目を通すようにしています。

9月29日 最後のイモの収穫
 昨日とうってかわって朝からとても涼しく、しかも日照がないので畑仕事にはもってこいの天候でした。朝食前に畑に出かけて、さつま芋掘りをしました。自宅の菜園ではほとんど収穫できなかったことと、畑も昨年はブイブイの幼虫に食べ尽くされていたので、今年は期待していませんでした。20本ほど植えていたのですが、そのうちの半分ほどはまずまずのイモが収穫できたので、今年はイモを食べることができます。息子や娘に、今年も送ることができないと予告していたのですが、これなら少しだけ送ってやることができそうです。最も大きいのを送るので、我が家は今年もくずイモを食べることになるでしょう。
 ところで、家の庭の草ひきや木の剪定に加えて、地域の活動など忙しくなり、畑に出かける時間がすっかり減ってしまいました。おまけに畑を鍬で耕すと腰が痛くなったりするので、土作りもままなりません。今夏はナンキン、サツマイモ、ツルムラサキだけで、それも水やりなどほとんどせず、植えっぱなしでした。それでも収穫だけはできました。しかしこれ以上続けることは困難と判断し、畑の持ち主に返納を伝えました。考えてみれば昭和53〜4年頃、緑のダイヤといって野菜が高騰した年から、親戚の人に誘われて始めて以来、約30年間、この畑に本当にお世話になりました。退職時に園芸講座を受講したのも、この畑を充実したいと思ったからでした。これからは庭の一部の菜園と庭の手入れに精力を注ぎたいと思います。
 庭の菜園では、先日播いた大根の本葉が出てそろったので、一回目の間引きをしました。また、ほうれん草もしっかり芽が出そろいました。ワケギも芽がだいぶ伸びました。もう一つの菜園を耕し、聖護院大根の種をまき、水菜の苗を植えました。小芋は身近に植えており毎日水やりをしていたので、雨が降らなかったこの暑い夏を枯らさずに乗り切ることができました。

   
収穫したサツマイモ          収穫したツルムラサキ        菜園の大根とほうれん草       

9月28日 養母の13回忌
 11時からお坊さんに来ていただいて母の13回忌をしました。平日なので内輪だけでしようということになり、義妹の主人とその娘、息子の嫁の5人でしました。今日にお経は今まで聞いたことのないものでした。自宅の法要が済んだ後、お墓とお寺の本堂で読経がありました。最後に法話がありました。今まで、このような法話をされたことがなかったのでちょっととまどいましたが、「お陰様」というテーマでよい話をされました。先日、お遍路のバスの中で、先達が、合掌の仕方と数珠の扱いについて説明をし、その時にとても楽しい話をしてくださいました。そして、帰りのバスの中で、みんなの今までに聞いた法話が話題になり、私の寺のお坊さんは法話などしたこと無いといったばかりだったので、もしかしたら私のことばがどこかから伝わったのではないかとちょっと心配になりました。それにしても蒸し暑い法事で、一日中エアコンをつけていました。お盆に続いて今年3度目のエアコン使用でした。
考えてみると我が家でエアコンを使うのは仏事の時だけです。

9月24日 たこフィル第2回定期演奏会
 今日も忙しい一日でした。朝8時から10時過ぎまではグラウンドゴルフがありました。その後、妻の通う高齢者大学が小学校との世代間交流で使うドングリの実を拾いに稲美中央公園へ行きました。公園は東播磨地区のソフトボール大会が開かれており、たくさんの親子がいて、ドングリは拾われた後らしく、はかまばかりで実はほとんど落ちていませんでした。
 帰って昼食を済ませ、明石市フィルハーモニー管弦楽団(通称「たこフィル」)の第2回定期演奏会を聴きに行きました。昨年夏に結成され、今年3月に第1回演奏会がありました。その時はまだまだだと思ったのですが、今回はとても充実したすばらしい演奏でした。演奏曲目もロッシーニの「ウイリアム・テル序曲」、シューベルトの「未完成交響曲」、チャイコフスキーの「クルミ割り人形」など親しみのある曲ばかりで、2階席の正面一番前で楽しく鑑賞しました。
 帰宅後は、放送大学課題番組感想文の返信原稿を構成しました。


9月22日 老人クラブ一斉清掃と伝統芸能講座
 今日は朝早くから忙しい一日でした。朝6時30分から高齢者放送大学の講座をノートをとりながら聞きました。終了後急いで朝食を済ませ、8時前に駐車場の除草に出かけました。江井ヶ島小学校区にはいくつかの単位老人クラブがあり、普段は交替で市立駐車場の管理や清掃をしています。善意の日の活動として、これまではそれぞれ割り当てられている場所の除草・清掃を9月中にしていたのですが、今年は一斉にすることになりました。8時に駐車場へ行くと、もう帰っている地区があります。暑いので朝5時30分から始めたそうです。南側の緑地帯の除草を始めましたが、サツキの下の方の枝を剪定しなければ除草ができない場所もあり、11過ぎまでかかりました。最後は私達の地区だけになっていました。やっと作業を終えたときには全身汗でびしょぬれになっていました。会長さんの計らいで、冷たい缶コーヒー、缶ジュース、そしてペットボトルのお茶と、水分補給でやっと生気を取り戻しました。
 帰宅すると、シャワーで汗を流して着替え、急いで昼食を済ませて、兵庫県民会館で開かれる「伝統芸能講座」に出かけました。往きの電車では10分ほど熟睡していました。お陰で、朝早くから忙しかったので、きっと講座では眠ってしまうと覚悟していたのですが、講義内容がおもしろかったこともあって、いつものように眠ってしまうことはありませんでした。10月に近松作品の文楽を鑑賞するのですが、その解説が講義の中心でした。それまで時代ものといって忠臣蔵のような侍などを中心に物語が書かれていたのが、近松は心中ものなど初めて庶民の生活を物語にしたので、一気に庶民の間に広がったのだそうです。西洋のシェークスピアに対する日本の近松といわれるほどの評価を得ているそうです。10月の文楽鑑賞が楽しみです。

 寄る、放送大学と9月の歩き遍路のホームページを更新したら、もう眠くてそれ以上できませんでした。

9月15日 PACファミリー・コンサート
 西宮北口にある兵庫県立芸術文化センター大ホールで、芸術文化センター管弦楽団特別演奏会があり、出かけました。会場についておどろいたことに、座席が前から2列目のほぼ中央だったのです。確かに管楽器や打楽器の姿は見えませんが、バイオリンやチェロなど前に座っている人たちの演奏中の表情なども手に取るようで、とても感動しました。そして、バイオリンやフルートのソリストが目の前で演奏するので、息づかいまで聞こえました。特に、「チャールダーシュ」のバイオリンソロでは、テンポの速い部分の演奏では、歌をうたうときのようにフレーズの短い間にさっと息を吸っておられました。ただ、口をつぐんだまま息を勢いよく吸われるので、そのたびに「シュー」と鼻を吸い込むような音が聞こえました。
 オーケストラにはたくさんの外人が含まれていますが、チェロを弾いていた外人は実に表情が豊かで、余裕のある楽しい演奏ぶりでした。以前、中国民族楽器で構成された「華夏オーケストラ」の定期演奏会を、同じホールの4階正面で鑑賞したことがありますが、舞台全体を見下ろす形で、演奏者や楽器すべての様子がよく見え、とても感動しました。今回のように一人ひとりの表情を見ながら演奏を聴くのもまた良いものだと思いました。
 ファミリー・コンサートというだけあって、耳慣れた曲ばかりで、朝早くから汗をかいて一仕事をした後に出かけた割には眠気を催すこともなく、中でも「チャールダーシュ」は小学生の頃から家にあった手巻きの蓄音機で、レコードがすり切れてしまうほど聞いた曲だったので、懐かしさも感じました。子どもも大勢来ていましたが、みんなとてもお行儀よく聞いていました。暖かい雰囲気のすばらしいコンサートでした。


9月13日 グループいきいきネットで宝塚観劇
 2名のキャンセルがあったので、近隣の知人も誘って参加しました。
 これまでバウホールには何度かでかけていますが、大劇場のかぶりつきに近い座席で観劇するというのは初めてで、間近に見る宝塚スターの演技に圧倒されました。私達古希を超えたじいさん二人が並んで観るにはもったいない感じでした。本当の宝塚ファンだったらしびれたことでしょう。しかし、直ぐ後ろの熟年に近い女性達が、ほとんど眠っていたなどと大声でしゃべっているのを聞くとがっかりしました。そういう私も、今朝は老人クラブのグラウンドゴルフの準備当番が当たっていて、早くから起きて、グラウンドの整備でブラシをかけたりローラーを引っ張ったり、スコアカードの準備や旗を立てたりと走り回り、大汗をかきました。競技には参加せず急いで帰宅して汗を拭き、着替えをして飛び出したので、夏の間の昼寝の習慣もあって、途中うとうとすることもありましたが、やはりスターの演技や舞台の転換に圧倒され、寝ているどころではありませんでした。
 会場には愛知県豊田市の女子高校生が修学旅行できていました。開演前にロビーで言葉を交わしたとき、「未来のスターだな」というと笑っていました。彼女たちは初めて見る宝塚の舞台をどのような気持ちで見ていたのでしょうか。
 帰りに「英国風ナチュラル庭園シーズンズ−宝塚ガーデンフィールズ」に寄りました。ここは大劇場の入場券を見せると無料で入場できます。17人もいるとそのような情報を聞くことができます。ビオトープのように池のまわりにがまの穂や、ススキなどが茂った心安らぐ庭園で、その一角にヘチマらしきものが植えられていました。渦巻き状の珍しい実がなっていたので、思わずシャッターを切りました。
 また展示室では花の写真のコンクールがあり、とてもきれいな写真がたくさん並んでいました。こんなのを見ていると、一眼レフで写真がとりたくなります。


9月8日 文学座公演「おーい 幾多郎」
 7月に伝統芸能「狂言」をピッコロシアターで鑑賞したとき、「おーい幾多郎」の前売り券を買っていたので、出かけました。早めに家を出て、神戸大丸ミュージアムで「陳舜臣の世界展」を観ました。陳舜臣の旺盛な執筆力に感心しました。新聞に連載されたもの以外は読んでいないので読んでみたいなと思いました。中でも最も新しい著書「論語抄」は是非読んでみたいと思いました。
 三ノ宮で食事を軽く済ませて尼崎(阪急塚口)へ向かいました。7月にピッコロシアターへ行ったときは駅から遠いと思いましたが、2度目になると道がよくわかっていて、とても近く感じました。
 「おーい幾多郎」は哲学者・西田幾多郎が金沢の四高で先生をしている頃の家族や書生、姪などとのいろいろな心の機微を演じているもので、楽しく鑑賞できました。もっとも、最近は昼寝の習慣がついてしまい、先日の歴史教室も昼寝に行ったみたいで、講師に大変失礼になってしまったので、今日も心配しました。初めちょっとまぶたがくっつきそうになりましたが、内容がおもしろかったので、ストーリーに引き込まれ、最後まで鑑賞することができました。これが、哲学に関する話だったらきっと眠ってしまっていたことでしょう。
 金沢で初演された演劇という地域文化を全国で上演するという意欲に燃えた取り組みで、宝くじの収益金で助成されているので、低額で文学座の公演を観ることができたのだそうです。


9月8日 続・道の拡張工事
 8月19日から始まった道路の拡張工事は、道の部分が舗装され昨日終了しました。20日ほど、騒音と振動と暑さが続きましたが、酷暑の中で工事を続けられた人々のことを思うと、暑いといって昼寝をしていた自分が申し訳なく思います。
 ところが作業の責任者と話をしていると、「工事がうるさい、昼寝もできない」と怒鳴られる場面があったとか、いやはや淋しい世の中だなあと思いました。
 道の部分は完成したけれど、申請の関係で電柱はもとのままで、当分は道の角を削って曲がりやすく作られた部分が使えません。たった80センチ広がっただけだそうですが、それでも対向車を避けることができるようになったので、車を利用する人は安心だし、通学路になっているので小学生も少しは安全に通学できるようになったと思います。感謝感謝です。

  

9月1日 朝青龍に関するばかげたテレビ報道
 このところ、横綱朝青龍に関するテレビ報道を見ていると腹が立ってきます。とにかく悪者にしようという意図が見られ、モンゴル行きの飛行機に一緒に乗り込んでカメラで写し続け、意味のない質問をしてみたり、所在がわからなくなると療養していると思われるところへまで出かけています。そっとしておいて、一時も早く回復させて、もう一度強い朝青龍として活躍させようという人間としての思いやりの心が全く見られません。そのようなマスコミの行きすぎた姿勢におどおどした協会や親方の態度も感心しません。
 それぞれの国の人々にはそれぞれの国民性があり、文化があります。一方、日本の大相撲はスポーツというより相撲道として期待されています。だから、外国人に門戸を開いたのであればスポーツとしての大相撲にするか、それができないなら新弟子時代に入門者全員に相撲道の鍛錬をみっちりやらさねばならないと思います。幕下付け出しも含めて中途半端なやり方がこの結果だと思います。
 マスコミももう少し冷静で、賢くなってくれないかな。


8月30日 アザミの根元からキノコ
 何年か前に山から持ち帰ったアザミに毎日水をやっていたら、根元からキノコが生えてきました。家の裏に置いているので日照時間はほんのわずかな場所です。このあたりには時々キノコが生えますが、こんなキノコは初めてです。初日は丸い頭でしたが二日目は笠が開き、夕方には色が変わり、茎も細くなってしまっていました。

  
8月29日17時                 30日9時                     30日17時

8月26日 地才地創シンポジウムin西播磨
 神戸新聞創刊110周年記念事業として表題のシンポジウムが上郡町科学公園都市の県立先端科学技術支援センター大ホールで開催され、私も出かけました。今後、各県民局単位で開かれると思いますが、その第1回で、西播磨の旧佐用、新宮、波賀、千種各町で特に地域で個性的な活躍をしておられる方々の発表をおもしろく聞くことができました。それに先だって、神戸新聞社社長と井戸知事が、その地域に住む人々の才能を生かしてその地域独特の新しい活動を創り出すことを紹介し、支援していこうというのが地才思想の趣旨であることが説明され、シンポジウムでも西播磨県民局長が地域支援の紹介をされました。また経済評論家の内藤克人氏が「人に勇気を!地域に活力を!」のテーマで基調講演され、居住人口ではなく、交流人口=その土地をどれだけ多くの人が訪れたかを考えることが地域を元気にするという話をされました。
 西播磨の森林資源を林業の専門家がどのように努力しているのか、高齢化した農村を株式会社組織でブランド米や黒豆栽培などで、休耕田にせずに活性化した実践、若者がイベントをすることで町が元気になり、交流が広がっていく実践など、聞いていて新しい発見が沢山ありました。
 西播磨という地域がじっとしていれば過疎化に拍車がかかり、ますます取り残されてしまうという地域特性があるためにこのような町おこしに積極的に取り組もうという運動が生まれるのではないかと思いました。東播磨のように大都会に近いところでは、このような積極的な話を聞くことができないのではないかと思います。できればまた出かけてみたいと思います。


8月23日 高齢者放送大学の感想文閲読
 22〜23日の2日間、放送大学で聴講生・生涯聴講生の感想文を読ませていただきました。テーマは8月11日放送の「不老革命」(講師・佐藤富雄)でした。内容が良かったのか、99%以上の方が肯定的にとらえられており、約1600枚もの感想文が寄せられておりました(昨年の閲読は約1200枚だったと思います)。多くの学生さんは「歩くことによるサイトカイン10の分泌を良くし、身体および脳の活性化を図るための実践をしたい」「これまでウォーキングを続けていたことに意を強くした」と書いておられました。そして、自律神経が精神の支配下にあることに触れ、「自分は高齢だからという意識をリセットし、脳の海馬は死ぬまで発達することを信じて、100歳までも前向きに生きたい」と書いておられました。
 そんな中で、「『戦時中、アメリカが攻撃を仕掛けても武器には限界がある。しかし、対抗する日本人の精神は無限であるのだから負けない』といわれたこと同じで、『精神論で身体を支配しよう』と言うのはちゃんちゃらおかしい」と書かれた感想文があったことに少しおどろきました。そのほかに、「歩くことがいいと言われても、病気や足に障害があって歩けない」「もう20年早くこの話を聞くことができたら、講師と同じように75歳でスキーなどアウトドアのスポーツを満喫できるような身体を作ることができたのに」などの感想がありました。サプリメントに対しては、「食物からとるようにする・頼らない」など否定的な意見が多く、「一度勉強してみたい・取り入れてみよう」という感想の方が少なかったように思います。この講義は9月中旬まで兵庫県高齢者生きがい創造協会のホームページ「ラジオ講座放送ライブラリー」で聞くことができます。(同じ講師の「口ぐせの魔術」も同様に聞くことができます。)
 2日間、冷房の効いた部屋ですばらしい研修をさせていただきました。


8月19日 道路の拡幅工事
 一昨日から、自宅の勝手口の外で工事の騒音が盛んにしていました。そして、昨日は太陽酒造の生け垣がすっかり取り払われていました。その様子を眺めていたら、工事をしていた人が勝手口前の道路の拡幅工事だと説明してくれました。
 これまで信号待ちをしている車があると、この道に進入してくることができませんでした。私もガレージに車を止めようとすると、右折してこの道に進入しなければならないし、ガレージから車を出すときも、対向車のないことを確認しなければなりませんでした。
 今日は日曜日で工事は休んでいますが、明日からは道路の縁石をこわす騒音と振動が大変だろうと思います。暑さと騒音・振動を考えるとここしばらくは家におれないだろうと思います。

  

8月17日 サマージャンボ
 昨年のサマージャンボ宝くじ、そして年末ジャンボともに10枚ずつ買っていましたが当たらず、末等の300円の換金を忘れていました。8月のはじめに今年のサマージャンボが売り出されたCMを見て、急いで換金に行き、ついでにまた10枚買いました。今回は珍しく3000円が当たりました。半月ほどの間に10%の利息が付いたことになります。もう15年以上も前に33枚9900円で買って1万円が当たり、10900円受け取ったことがあります。だからまさに久しぶりにささやかな当選券を拝むことができました。買うときは3億円の夢を見ているのですが……


8月16日 江井ヶ島海岸の駐車場管理当番
 7月1日から8月31日までは、市営駐車場が有料になります。その管理が江井ヶ島校区の老人クラブに委託されています。私達の西江井友愛クラブも今年は8月14日から22日までの管理を担当しています。そして16日は私達二人で担当しました。7時30分から場内の清掃、付設のトイレの掃除、いくつかある休憩所のゴミ箱の処理などです。前日はお盆で入場者が多く、どのゴミのかごも山盛りで、側にもゴミがあふれていました。これを燃えるゴミと不燃ゴミに分別して袋に入れていくのですが、残飯や空き缶が無造作にコンビニの袋に詰めて捨てられているものが多く、いちいち中身を開いて処理をするので、時間もかかります。昨年は軍手で処理して、ぐしゃぐしゃの手袋で大変だったので、今年はゴム手袋を持って行きました。お陰で何の支障もなく処理することができました。
 9時から入り口を開けて車を待ちましたが、最初の車は10時前でした。3時頃までに14台が入場しました。駐車料は1000円と高額なので、入り口でためらう車が沢山ありました。もう入場する車はないだろうと思っていたら、5時前に1台の車がやってきました。6時に閉場する旨を伝え、残り1時間しかないこと言ったのですが、小さな子供を少しでも海で遊ばせたいと思ったようで、お金を支払って駐車すると言われました。たった1時間で1000円はあまりも高いと思いましたし、運転していた人も負けてくれないかと言いました。「個人的には負けたいけれど、明石市の駐車場だから致し方ない」と答えました。入場を躊躇する車の多いこと、私自身も1回1000円もする駐車場には止めないことを思うと、明石市も市民の立場から考えて、1回500円くらいにするか、1時間100円という大蔵海岸と同じくらいにすべきではないかと思いました。
 それにしても35度を超える猛暑で、朝の清掃活動で汗びっしょりになりましたが、その後詰め所にはエアコンが設置されているので、家にいるときと違って快適な環境の中で夕方まで過ごさせてもらいました。


8月12日 菊作り
 妻が6月から高齢者大学の園芸クラブに入部し、菊作りに挑戦しています。いろいろ道具がいるので、その買い出しにアッシーで協力しています。それにしても手間がかかるものだなと感心しながら見ています。毎回出席するたびに新しい苗をもらってくるので、植える鉢が追いつかず、とうとう最後は直植えしています。秋にどのような大輪の花を咲かせるのか冷たい目で観察しています。

  

8月3日 台風一過 カボチャの収穫とリュウゼツランの最後
 台風の直撃を免れ、庭の野菜たちは枯れずに済みそうです。畑のカボチャがそろそろ熟れている頃なので、雨後でナメクジのえさになってはいけないと思い、収穫に行きました。案の定、カボチャにたくさんのナメクジがくっついており、中には潰すと黄色のはらわたが飛び出すのもありました。大小7個収穫しましたが、おどろいたことに、また3〜4個新たに実が付きだいぶ大きくなっていました。直接土に着かないように、処置してやりました。
 ところで、畑に行ってもう一つおどろいたことがありました。一昨年花を咲かせたリュウゼツランが枯れ木のようになって立っていたのが、この台風で我が家のカボチャ畑の上に倒れていました。幸い枝が丈夫で幹が宙に浮いていたので、被害はありませんでした。

  
本日の収穫           お隣の畑まで倒れたリュウゼツラン  根元の葉も枯れている
   
花をつけた枝に支えられている 枝は結構大きい   カボチャ畑の上に幹がある    一昨年花をつけた写真

8月1日 全国高等学校総合文化祭(全高総文)島根大会
 栃木高校に通っている孫が全高総文の器楽・管弦楽部門に出場するというので観に出かけました。未明4時に車で出発し、途中、勝央と蒜山サービスエリアで休憩をとったり、朝食をしたのですが、9時には会場のプラバホールに到着しました。駐車場の心配をしていたのですが、早い時間だったのと駐車券をホールの認証機に通すだけで、一日200円という料金になり、とても助かりました。
 この日は大会2日目のプログラムで、北は青森山田高校、南は沖縄県の高校連合の演奏など、中国の中等学校特別出演を含めて20県の代表の演奏がありました。高校生で、これほどの演奏ができるのかと驚きと感動の演奏も沢山ありました。女子校ではマンドリン演奏が沢山ありました。ギターやコントラバスを加えて、少人数ながら重厚な演奏をする学校もあり、特に私立の女子校はきびきびした中にも優雅な演奏を披露していました。
 一方、県下の高校から推薦されたメンバーで合同演奏したところもあり、長野県などのように、合同練習の機会が少ないにもかかわらず、見事な管弦楽の演奏をした県がいくつもありました。
 孫の学校は唯一男子校の管弦楽で、孫はトロンボーンを担当し、ソロの部分もうまく演奏していました。最後は地元島根県の高校生115名の合同演奏で、感動の演奏で締めくくってくれました。
 孫のお陰で、若々しいエネルギーいっぱいの高校生の演奏を楽しむことができ、感謝感謝です。そんなわけで最初から閉会式までホールにいました。
 帰りは、高速道路の車が少なかったこともあって、途中で夕食を済ませたにもかかわらず、5時30分頃出発したのに、9時半を回った頃には家に帰ることができました。朝も夜も窓を開けて走っていると涼しく、昼間はホールにいたので、真夏の暑い一日にもかかわらず、涼しく過ごせました。

   
演奏会場舞台         入り口の看板         会場となったホール             栃木高校のメンバー

7月28日 夜叉が池(やしゃがいけ)トレッキング
 神戸新聞文化センター主催のバスツアー「夜叉が池トレッキング」に参加しました。池のまわりを巡るくらいのことだと安易な気持ちで行ったのですが、それが大きな間違いでした。福井県の1,100bの山の頂上に夜叉が池があり、登山口から3q、標高差600メートル弱を登るのが主のコースでした。弁当に500ミリリットルのペットボトル2本、お菓子やカメラなどをリュックに入れていたので、3sほどの重さがありました。杖をたよりに足下が悪いなかを登りましたが、途中何度も立ち止まって、講師から花の説明があるので、何とか頂上まで登ることができました。一列に並んで登り、講師が説明された花の名前を後ろにリレーで申し送りしていくのですが、後ろにいると名前が変わっていたり、どの花のことを説明されたのかわからないことがありました。だから後ろの人に申し送った途端に花の名前を忘れてしまい、帰り道では、ほとんどの花の名前を思い出すことができませんでした。また、途中で食事をしましたが、座るところもなく、立っておにぎりを食べました。高校時代はグラウンドの側のスタンドに立って、4時間目の始まる前の休憩時間に弁当を食べるのが伝統でしたが、その時のことを思い出しました。そんなわけで登るときは弁当を食べた場所の側の大トチノキを撮しただけでした。夜叉が池に着いたときは霧が濃くて、池の様子がよくわかりませんでした。木道を通って尾根まであがってみましたが、池の全貌は全く見えず、岐阜県側の景色も近くの絶壁が見える程度でした。ところが、池に戻ってくると突然霧が薄らぎ、対岸が見えたので小さな池だとわかりました。池には絶滅危惧種に指定されているヤシャゲンゴロウが棲息しており、池の水に手をつけることさえ禁じられていました。モリアオガエルの卵が池の上の枝に産み付けられていて、その下にはイモリが卵のかえるのを期待してたくさん集まっていました。
 帰りはそれぞれのペースで下りました。私はそんなに早く下ることはできないと思い、一番後方から下りました。だから途中で少しだけ写真をとりました。途中で休憩がありましたが、私達が追いつくと直ぐに出発になり、、しかも下界が近づくにつれて気温が高くなるので、登りと同じくらい汗をかきました。足下が悪いので、下を向くたびに帽子のつばから汗がぽたぽた落ちる始末で、下山し終えて駐車場の水道で顔を洗うとすっとしました。しかし服の濡れたのはどうしようもなく、帰りのバスではランニング一枚になり、服は広げて干しておきました。多賀サービスエリアに着いた頃には、ランニングはすっかり乾きましたが、服はまだ湿っていたので、タオルを肩にかけて着ました。そして三ノ宮に帰り着いたときには、着ているものはすべて乾いていました。
 お遍路を休むほどの体力で心配しましたが、無事帰り着き、これなら9月からのお遍路は大丈夫、参加できそうです。

   
駐車場からのコース     登山口の記念碑               大トチノキ       到着したときの夜叉が池
  
ゲンゴロウの解説版                  イモリとゲンゴロウ                  一瞬見えた対岸

7月21日 ピッコロ劇場で「狂言」を鑑賞
 兵庫県芸術文化協会主催の「伝統芸能教室」から、善竹一門が演じる狂言鑑賞に行きました。
 はじめに善竹隆司さんの狂言を学ぶというプログラムがありました。狂言には泉流と大蔵流があって、善竹一門は大蔵流だということ、歴史は一休さんの時代にさかのぼること、舞台の説明で、松が描かれた背景は鏡板といわれ、神殿の老松が鏡に映っているのであるから、神に奉納する狂言が決してお尻を向けていないことなどわかりやすく説明されました。そういえばタイトルには「子どもと楽しむ狂言会」と書かれていました。続いて隆司さんについて狂言のセリフを練習しました。「名乗・呼出」「蝸牛」「祝言」など、みんな子どもと一緒に大きな声で練習しました。その後「惣八」と「居杭」という演目の鑑賞をしました。「居杭」では、大坪真希ちゃんという小学校4年生(9歳)の女の子が素晴らしい演技を見せてくれました。大の大人二人を翻弄する堂々とした演技は、将来きっと人気者になると思います。
 子どもにもよくわかるように解説され、演目そのものも面白い内容で、会場に何度も笑いがおこる本当に楽しい狂言鑑賞でした。


7月12日 久しぶりに第九練習に参加
 気管支炎になってから第九の練習を休んでいましたが、咳も出なくなり、グループいきいきネットの活動で明石に出たついでもあって、4週間ぶりに練習に参加しました。今年はいつになくテノールに新人が4人も加わり、頼もしい限りです。私が入った頃から、新人は多くても一人だったので、パート練習で新人としてじっくり指導を受けることがありませんでした。だから練習用テープなどを聴いて必死に勉強したものです。しかし、今年は2年未満の人を集めて集中的にパート練習をしていました。
 また、今年の本番の指揮者は、従来とは大きく異なった演奏を考えている人で、日々の練習でも今までに覚えた歌い方はできません。だから、3週間も休むと浦島状態を感じました。これからはできるだけ休まないようにしなければならないのですが、歩き遍路の日程変更で月1回練習日と重なり、困ったなと思っています。


7月6日 夏野菜の収穫始まる
 わが家の庭の一部が菜園になっています。トマト6本、キュウリ6本、なすび2本、ゴーヤ2本が植えられています。これらの苗は買ったものは少しで、妻が高齢者大学の仲間からもらってきた苗がたくさんあります。その他にサツマイモやカボチャも植えてあります。そのうちトマト、なすび、キュウリの収穫が始まりました。キュウリはもろみを付けて1本丸かじり、なすびは焼きなすびなど、今年はふんだんに夏野菜が食べられそうです。ゴーヤは5p程の実がなっています。カボチャは落ち生えなので花ばかりです。ただし、畑にカボチャが5本(内3本は買った苗)植えられていて、実がゴロゴロなっています。いろいろな種類なので、どのカボチャが美味しいか楽しみです。

  

6月30日 OB会の幹事
 現職時代の仕事上のOB会が加古川プラザホテル4階の「懐石料理 東京田村」で開かれました。OB会の東播磨地区理事を担当をしてる関係で、案内状発送から資料作成、会場予約までは私の方でさせていただきました。
 東播磨地区にはOBの方々が数名おられ、当日の実務はほとんどして下さいました。私の方はというと、OB会の事務局も担当している関係で、総会に先立って開かれた理事会での資料説明、引き続いて開かれた総会での説明と進行など、ごっちゃになってしまい、最後に総会の議事に対して賛意を得ないまま会を終了しようとして注意をいただいたり、失敗だらけになってしまいました。その後は講師さんから素晴らしいお話を聞くことができ、総会の不手際をカバーしていただきました。
 懇親会では、ビールの需要と供給のバランスがうまくいかず、最後までビール不足に悩まされてしまいました。女優の森光子さんが、舞台に穴を開けることがないように、毎日スクワットを80回実践されているお話を放送大学で以前聞きましたが、80歳を超えておられる先輩が同じようにスクワットと詩吟を日課にしておられ、かくしゃくと「100歳までみんな頑張りましょう」と呼びかけられ、詩を吟じられたのには感服し、ぼやぼやしておれないと思いました。料理は美味しく、話も弾み、幹事としての大きな重荷を下ろさせていただきました。
 それでも講師さんや少し早めにか帰えられた方の駐車料補助券をお渡しするのを忘れるなど、最後まで手落ちが続きました。慣れないことをするには、メモを前もってしておき、協力してくださる方々に手分けしてお願いするべきだったと反省することしきりです。それでも予算内でできたことに、ホッと胸をなで下ろしています。
 後は写真や事後報告の処理が残っていますが、これ以上失敗できないので、ボチボチと確かめながらやっていきたいと思います。


6月28日 気管支炎でダウン
 お遍路に出かけるバスの中で、冷房が寒いと思いながら、よく眠りました。そして、バスを降りて歩いていると、妙に顔の火照りが気になっていました。夜、旅館で眠っていると、のどがイガイガしていたと思ったら、翌朝から咳がよく出るようになりました。それでも峠道を中心に全コース雨の中を歩きました。歩き終えて下着も着替え、さっぱりしたのですが、帰りのバスの中で咳が深くなりました。翌日少し声が出にくくなっていたのですが、老人クラブの例会があるので朝からの準備、そして後片づけと、結構身体をよく動かしました。夜になるとますます咳がひどくなり、日曜日は朝から起きるのが億劫になる程からだがだるくなり、咳に黄色い痰が混じるようになりました。することがたくさんあったのですが、熱も37度3分まであがり、一日寝床の上で過ごしました。月曜日に近くの開業医が開くのを待って診てもらいに行きました。結果は軽い気管支炎で、今週の土曜日までできるだけ安静にするよう言い渡され、抗生物質と痰を切る薬をもらいました。それでも土曜日に預かった会費を近くの農協に預け、国民健康保険のお金を銀行で支払ったり、午前中にすることがたくさんありました。こんなに身体がだるく、動作もゆっくりしかできない状況はあまり経験したことがありません。だから、FAXで7月の歩き遍路の参加を取り消す旨四国巡拝センターへ届けておきました。
 午後からは外に出ず、寝床に転んでいる時間を多くとりました。火曜日になると、多少体調もましになってきたので、水曜日の三悠会(仕事上のOB会)の打合せ会に間に合うようパソコンに少しずつ入力していた書類14種類を30枚ずつ、休み休み印刷しました。それでも午後からはずいぶん楽になったので、夕方からは、家内と整形へマイクロ波治療に出かけました。
 水曜日は印刷の続きをした後、午後からOB会の打合せに加古川プラザホテルへ出かけました。本当はたこバスと電車で行くべきなのですが、体力の消耗を防ぐため車にしました。夜、久しぶりに風呂に入りました。
 木曜日はまだ万全とまではいえませんでしたが、医者の進言を守らずにグラウンドゴルフにいきました。というのは、老人クラブの会費の未払い分を受け取ることと、来週の当番のために鍵を預からねばならなかったからです。プレイの途中から、また深い咳と、痰が出始めました。やはり医者の言葉は守らねばなりませんね。2週間ぶりのグラウンドゴルフでしたが、久しぶりの記録係をしながら、何とか普段の成績に収まりました。


6月23日 老人クラブ6月例会で川柳を紹介しました
 楽しく笑えるような話が聞きたいというのが、女性会員からの要望でした。しかし、役員でそのような話のできる者はいません。しかたなく6月15日にNHKTVで放映されたぼやき川柳をビデオ録画しておきみんなで見ました。はじめに少しサラリーマン川柳の面白い句を紹介したところ、少しだけ反応がありました。ビデオを始めたところ、画面が光るといって、暗幕をし、電気を消してくれたのはよかったのですが、蒸し暑くなり、急遽エアコンのスイッチを入れることになりました。ところが、今年初めて使うということもあってリモコンの電池切れなどでうまく作動せず、その作業の声が大きく、みんな画面に集中できなくなってしまいました。そんなことで後半は私語もあり、一部の人を除いて余り楽しくは成らなかったようです。希望があれば老人クラブの中に川柳を楽しむグループが出来てもいいかなと思いましたが、ちょっと無理なようです。


6月10日 沙羅(夏つばき)の花を見に行きました
 新聞に明石市東二見の観音寺で沙羅の花が咲いているという記事が出ていました。早速自転車で浜の散歩道を通って出かけました。まだ咲き始めで、これから6月中頃が見頃だとのことでした。それでもかわいい白い花が数輪咲いていました。どの木も樹齢100年を超えていますが、それほど大きな木ではありません。(写真は6月19日に改めて撮影に出かけたときのもの)
 夏つばきといえば、豊岡市但東町相田の安国禅寺の夏つばき公園には大きな木がたくさんあります。以前見事な花を見ましたが、今年は6月の末に大きな行事のお世話をするので、行けそうにありません。7月になっても咲いていればいいのですが……
 ところで、自転車で浜の散歩道を走っていると、東二見の漁港近くで、地元の海で採れた昆布をほしていました。この昆布で佃煮を作ると抜群の味になります。たずねると分けてもらえるとのことなので買いました。近々自家製の美味しい昆布の佃煮が食べられそうで楽しみです。
  


6月9日 しだれ梅の実で梅酒造り
 わが家の庭に、母が植えたしだれ梅の木があります。もう15年程になりますが、例年あまり花も咲かないし、数個の小さな実がなる程度でした。母も亡くなる前に、「この実は食べられない」と言っていたのであまり気にしていませんでした。ところが今年は見事な花が咲き、大きな実がたくさん成りました。
 今日は朝からその実を収穫してみると、136個、1.9sもありました。早速梅酒を漬ける瓶でホワイトリカーに漬けました。食べられないと言われていましたが、どんな梅酒になるのか一寸楽しみです。

   
花をつけたしだれ梅・3月4日撮影  収穫した梅の実              1.8gのホワイトリカーと1sの砂糖で

6月6日 安宅コレクション鑑賞
 5月5日の「NHKテレビでぼや川」公開放送に行くため、大阪までの回数券を買っていたのですが、ボツになったので、切符を有効に使おうと、桜宮から福島までウォークする計画を立て、途中「東洋陶磁美術館」などへ寄ることにして出かけました。
 桜ノ宮駅到着が10時過ぎ、源八橋を渡ってはじめに「近畿中国森林管理局の展示ギャラリー」を見学しました。めったに見学者が来ないのか、私たちのために照明をつけて下さいました。帝国ホテル前を通ってアートギャラリーを見ながら川沿いを進み、次に造幣博物館に寄るつもりでいたのですが、せっかくの川沿いの公園にたくさんの青いシートの小屋があり、不愉快に思っていたら道を間違え通り過ぎてしまいました。天満橋から中之島公園にはいるところも小屋が建ち並び、躊躇しましたが、バラ公園を経由して目的地、東洋陶磁美術館へ行くことにしていたので、思い切って小屋の前を通りました。
 バラ園はきれいに咲いていてホッとしました。東洋美術館に着くとちょうどお昼になっていたので、先に食事をするため喫茶室に入りました。生まれて初めて「トーストサンド」なるものを注文して食べました。なかなかボリュームがあり、満腹になりました。
 東洋陶磁美術館では、開館25周年記念特別展「安宅英一の目−安宅コレクション美の求道者−」が開催されており、30分〜1時間もあれば鑑賞できると思って入ったのですが、説明やコレクション入手のエピソードなどを一つ一つ読んでいると、3時間近く経っていました。安宅産業会長安宅英一氏の美術品に対する執念とも思える努力のエピソードを読みながら、国宝や重要文化財に指定されたそれらの作品を観ていると、心を奪われることがとても多く、この展覧会に来て本当によかったと思いました。
 その後中央公会堂、大阪市役所、日本銀行そして郵便創業100年記念ポストなどを見ながら国立国際美術館まで行ったのですが、すでに閉館時間で、疲れてしまったのと、時間が遅くなっていたので、朝日新聞ビルから渡部橋を渡って大阪駅へ戻りました。1万5千歩あまり、11q程歩き、すっかり足が疲れましたが、とても充実した一日でした。

  
中之島バラ公園              東洋陶磁美術館             中之島中央公会堂
  
大阪市役所                 日銀                    郵便創業100年記念ポスト
5月31日 鯛が大量
 亭主が大勢の女性と宝塚歌劇の鑑賞をしていた同じ日、妻は高齢者大学の大勢の男性の友だちに誘われて、家島群島坊勢島の海のいけすへつりに出かけました。朝4時半に車で迎えに来てもらって、姫路港から船で現場へ遺棄、9時頃から11時半頃の間に、大きな鯛を7匹も釣って帰ってきました。新聞紙を半分に折った程の見事なもので、夕食には食べきれない程の鯛の刺身や鯛のあら炊きなど、腹一杯食べました。新しいだけにとても美味しく思いました。しかし、食べ終わったときには、もう当分鯛は食べたくないと思いましたが、冷蔵庫の中には鯛がたくさん入っており、当分鯛づくしの食事が続きそうです。
 
 ウロコを取っている最中の鯛は出刃包丁より大きい  小魚は餌にした生きたアジ

5月24日 「75歳の遍路記」
 いなみ野学園の卒業生が、「四国八十八ヶ所泣いて笑って300万歩『75歳の遍路記』」という著書を送って下さいました。私が四国歩き遍路をしていることを知っていて、昨年3〜4月、10〜11月の2回に分けて歩かれた日記を1冊の本にまとめて出版され、送って下さったのです。
 ついつい自分の想い出と重ね合わせながら読み進んでしまいます。私が「がんばる歩き遍路」のツアーを申し込んだあと、インターネットで一人で歩いている人の記録を読んでいて、自分もツアーではなく一人で歩きたいと思いました。しかし、ツアーに参加して歩き始めると、淋しい山の中を一人で迷わずに歩くなど到底出来ないと悟りました。荷物を持たず、仲間と楽しくおしゃべりをしながら歩き、宿舎でビールを飲みながら好き勝手なことを言い、時には先達からいろいろ学ぶことの多い話を聞くことの楽しみが、すっかり一人歩き遍路のことを忘れさせていました。
 しかし、75歳になって一人で歩かれた著者の勇気や意志の強さを感じるにつけ、再び一人歩き遍路の魅力を感じ、さらに6月からの大きな集団で歩き遍路をすることを考えると、最後の讃岐の国は一人で歩いてみようかと思うようになってきました。
 ところで、著者はあとがきの中で、遍路旅の後の生活について「私はこれからの第二の人生において最も大切なことは積極性であり、また、いかに人のお役に立てる人間になれるか、ということであると思っている」と書かれています。私が結願したとき、このような崇高な心境になれるのか、俗世間の中で欲望の虜になっている自分には全く自信がありませんが、是非見習いたいと思いました。


5月23日 但馬へドライブ「ふたつの写真展と七釜温泉」
 以前に兵庫県のメール広報「さわやか兵庫」のクイズに応募していたら、但馬・新温泉町七釜温泉「ゆーらく館」のペア招待券が送られてきました。風呂に入りに行くだけではどうかと思っていたら、豊岡市安国寺の住職さんから、香住鶴の蔵元で写真展を開いているという案内が届きました。一方妻は高齢者大学の仲間から姫路で写真展に出品しているという案内をもらっていました。そこで、絶好のドライブ日和ということもあって写真展のはしごに温泉三昧と出かけました。
 はじめに「イ−グレ姫路」で写真展を観ました。絶壁の滝でロープにぶら下がりながら修行している写真など、見応えのある写真があり感動しながら見せていただきました。
 そこから国道312号線を北上、福崎以北はよく通るので見慣れた景色ですが、福崎までの車窓の景色はとても新鮮でした。和田山ICそばの煎餅屋さんでトイレと、無料のコーヒータイムで休憩した後、9号線で村岡まで行きました。そこから香住へ下ると、途中にカバンの安売り店がありました。皮の柔らかいベルトやウエストポーチが900円と驚く値段で売っていたので買いました。
 そこから15分程香住の方に走ると、香住鶴の蔵元がありました。但馬ネイチャーフォトクラブに所属しておられるだけあって、すべて自然が題材の写真で、雲海に浮かぶ山々、霧に包まれた木立、何十匹と集まったモリアオガエルの産卵、そして絶品は安国寺の紅葉したドウダンツツジに浮かぶ僧侶のシルエット、本当に感動的な写真ばかりでした。おまけに入り口には「おじいちゃんのしゃしんてん」と書かれたお孫さんの絵も添えられており、何とも暖かい写真展でした。
 そこから浜坂へ向かう途中に、餘部の鉄橋があり、最後の姿をカメラにおさめました。七釜温泉でお湯につかりましたが、温度が高く、ゆっくりつかっている余裕はありませんでした。しかし、人のいない露天風呂で足だけつけていると、のんびりした気分になりました。
 帰りは睡魔に襲われ、危険を感じたので、八鹿に出来た道の駅で座席を倒して休憩をとりました。45分程熟睡してしまいました。妻はその間買い物をしていたらしく、帰宅後山の幸や安く買えたという野菜で美味しい手料理を食べさせてくれました。
  


5月20日 友愛クラブ例会
 前回の例会では、役員の役割について意見が出たので、役員の選出も含めて規約を明らかにしてはと会長に進言し、その内容についても役員間で少し話し合いました。このことについて、会員から、今まで伝統的に規約という枠にとらわれずここまできた老人クラブを今更規約で縛ることは望まないという意見が大半を占め、規約を作ることについては撤回しました。私のようにこれまで地域とかけ離れた生活をしてきたものはもっと地域の方々の心や伝統を勉強しなければならないと反省した一日でした。


5月19日 明石市民グラウンドゴルフ大会
 明石市北部の石が谷公園で明石市グラウンドゴルフ協会主催の市民大会が開催され、私たちの老人クラブから3チーム18名が参加しました。私は今回も記録係でした。普段は打順を固定していますが、明石市内の大会は全てローテーションなので、1ホールごとに打順が変わります。これがみんなにとってはややこしいらしく、記録係が打つ人を呼び上げることが必要でした。しまいに堅苦しいものがいるとできないが、お互いに了解できれば打順を固定してやれるのにと批判されてしまいました。
 成績の方は、グラウンドの周辺部にシロツメグサの葉が伸びていて、クラブにからみつくので打ちにくく、私の場合は8ホールで1ゲーム目は24,2ゲーム目が23と可もなし不可もなしという成績でした。


5月11日 ナイター観戦
 スカイマークスタジアムの内野自由席招待券をもらったので、リュックにセーターと手近にあるお菓子を詰め込んで出かけました。阪急フアンだった私は、西宮球場へも観戦に出かけたことがありましたが、オリックスになってからも球場に足を運んだときに勝った試しがありません。今日は相手が楽天なので、初めて勝利の味が味わえるのではないかと期待して行きました。試合開始20分前くらいに球場に着いたので、2階席に上がってみました。投手と捕手の一直線上の真後ろの一番前の席が空いていたので、そこに陣取って観戦しました。
 楽天は1回から猛攻撃で、それでも満塁のピンチを1点で切り抜け、1回の裏にはホームランで同点に追いつきました。お互いにランナーがたくさん出るので、1回の裏表が終わったところですでに1時間が経っていました。何ともしまりのない試合は、2回に1点を失うと、3回にはエラーやボーンヘッドなどで4点を失い6対1とボロ負けのつまらない試合になり、後の席のにぎやかにしゃべっていたグループは、こんなつまらない試合を見ていても仕方がないと早々に帰ってしまいました。
 3回裏に3ランで3点返したものの、4,5回は1〜6番バッターが三者凡退するなど、さっぱり盛り上がらず、ピッチャーは追加点こそ許しませんでしたがピンチの連続で、見るべきものはなく、時間ばかり経っていました。お菓子は食べ尽くし、おまけにセーターを着ていても寒いばかり、5回を終了した時点で私も席を立ちました。2時間半の観戦で十分でした。
 出口まで来ると私と同じように帰る人が大勢いました。きっと私のように自分で入場料を払わなかった人たちなのでしょう。帰ってインターネットで見ると7対6で負けていました。観戦した試合は負けるというジンクスは今回も崩れませんでした。


5月1日 ピロリ菌撃退
 3月27日にピロリ菌が胃の粘膜にいると診断され、1週間抗生物質を飲み続け、ピロリ菌の駆除を試みました。今日はその結果を調べる検査がありました。前回と同じようにはじめに呼気を採取し、続いて尿素の錠剤を服用して20分後にもう一度呼気を採取してアンモニアの量を調べます。
 9時45分に検査が始まり、その結果を聞いたのは12時をまわっていました。診察室に入るなり、病院長から「おめでとうございます。ピロリ菌の駆除に成功しましたよ」と言ってもらいました。「来年からの検診は胃カメラをすすめます」と言っておられました。
 昨日買い物に行ったとき、駆除できたら乾杯しようと酎ハイ桃を買いました。今夜は予定どおり乾杯が出来ます。


4月29日 大根島の牡丹・鯛めし・足立美術館
 はじめの予定では信州の高原をトレッキングするツアーに参加することになっていたのですが、人数が集まらず中止になりました。代わりに読売旅行が示してきたのが、大根島の牡丹見学と足立美術館でした。折角出かけることを楽しみにしていたので、その誘いに乗りました。足立美術館は何度も行っているのでそれほど期待していなかったのですが、16年前、勤め先に大根島から売りに来た牡丹の苗を買い、今年もわが家の庭で咲いているので、大根島がどんなところか前から一度行ってみたいと思っていました。
 朝7時に明石を出発、途中大久保、魚住、東加古川、加古川と乗客を乗せるので、時間がかかりました。最初の旅が中止になった罪滅ぼしか、一番前の景色のよい席でした。お天気もよく、途中の大山も美しく見えました。
 大根島の牡丹は最高の見頃で、ゴールデンウィークということもあって大変な人出でした。期待にそぐわず、素晴らしい花をたくさん見ることができました。
 昼食は宍道湖湖畔の料理屋で「鯛めし」をいただきました。御飯を茶碗に半分程入れ、鯛の田麩をはじめとした加薬を7種類のせて、だしをかけて食べます。これを3杯食べるとお腹にずっしりきます。座敷の大きな窓からは宍道湖越しに松江の街やお城が見えました。ここで玉造温泉にでも入れれば最高だったことでしょう。
 そこから山陰道を通って足立美術館へ行きました。2時間程の鑑賞時間がありました。庭の写真を何枚か撮っていたのですが、2階の大展示室へ行くと榊原紫峰と横山大観の特別展をしていました。特に榊原紫峰については今まで見たことがあったのかも知れませんが、あまり印象に残っていませんでした。今回花鳥画を39点も観ることができ、その繊細な描画に圧倒されました。続いて大観の絵を24点観ました。初期の絵は榊原に劣るかと思いましたが、観ていくうちに、やはり感動する絵でした。この二人の絵を観ることが出来、このツアーに参加して本当によかったと思いました。

  
この日最高に気に入った牡丹  牡丹園にはいるとむせかえる程の花の香り  車窓から見た大山

4月27日 いきいきネットワーク交流会
 兵庫県中央労働センター2階大ホールでいきいきネットワーク交流会が開かれました。「いきいきネットワーク」とは阪神淡路大震災の被災地に住む高齢者を対象に、生きがいづくりや仲間づくりに繋がる講座が開催され、講座修了者が自主的に活動し、積極的に社会参加していくことを支援するグループのネットワークです。前もって出欠と運営ボランティア参加の有無の調査があり、今回初めてボランティアを引き受けました。10時からは長机を運んだり、受付の準備をしました。12時前からは受付係で、出席表の記入や名札と資料配付のお手伝いをしました。150人程の出席がありました。
 各グループの活動についていろいろ学びましたが、私たちのようにボランティアは二の次で楽しむことに精を出しているグループはあまりありません。それだけに、私たちの活動を聞いて、仲間に入れてほしいという他のグループの会員の申し出もありました。
 プログラムの中に、花や野菜の苗の名前を答えるクイズがありました。私は1問も答えることができませんでしたが、20問全部正しく答えた人が14人もいました。野菜と花作り園芸講座の修了者として、恥ずかしく思いました。
 帰りはJR神戸駅まで歩き、新快速で西明石まで乗って、そこからまた歩きました。万歩計は14,699歩を示していました。今日は70歳の大台に乗った記念の日で、今後毎日この程度の歩数歩けば、今しばらく健康に暮らせるかなと思います。


4月23〜24日 六甲スカイヴィラ
 今年も六甲スカイヴィラの3000円と2000円の宿泊割引券が残ってしまい、有効期限が今月末ということで出かけました。昨年よりは宿泊客が多く、4時前に家を出ても車で行けば5時半につくという近距離、風呂に入りゆっくりくつろぎました。予約したときには宿泊客が少ないのでバイキングはしないということでしたが、6時半に食堂へ行くとすでにバイキングで大勢の人が夕食を楽しんでいました。いろいろな種類の料理を少しずつ取って冷酒で夕食を楽しみました。夜は風が出たためか、泉南から和歌山の方まで夜景がくっきり見えていました。双眼鏡を持ってくればよかったと思いました。
 翌朝もバイキングだったので、少し食べ過ぎた感じです。食後、車をおいて徒歩で六甲山上を散策しました。六甲ケーブル山上駅から間道を通ってオルゴールミュージアム、高山植物園の横を通りました。道路から園内を眺めると水芭蕉が咲いていました。デジタルカメラの10倍望遠で撮影してみると、きれいに撮れていました。山の上はまだまだ桜もきれいに咲いていて、小さな野草の花も撮影すると、とてもきれいだということがわかりました。植物園の入り口でソフトクリームを買って食べたり、花を眺めたりしていたら、頂上に着いたときには12時を過ぎていました。出発してから3時間近く経っているのにびっくりしました。レストランで昼食を済ませ、車をおいているスカイヴィラに戻ってきたら3時近くになっていました。気持ちのよい自然の中で1日のんびり出来ました。

  
花をつけた山桜               高山植物園の水芭蕉           宿泊した六甲スカイヴィラの前庭

4月22日 地区老人クラブ例会
 西江井友愛クラブの4月例会がありました。3月の総会で役員が承認されましたが、私は四国歩き遍路のために欠席をしていたので、役員として初めての参加でした。4月例会に先立って役員会が開かれ、会計と会長代行を仰せつかっていたのですが、会員の中から副会長が3人もいるのに会計が会長代行というのは常識的におかしいという異議が出て、結局会長代行という役割を抹消することで決着しました。これは、本会には会則が明確になく、会長に一任する部分(権限)が明確になっていないことに原因があります。
 昨年会長から規約の提案がありましたが、役員の中で十分協議して提案されたものではないという異議が出て、再提案されないまま本年度を迎えてしまいました。今年度は会長と顧問以外の役員が新しく改選されたので、新役員で十分検討し、規約の案を示す必要があると思います。ただし、その案は明文化されていない申し合わせ事項を明文化する程度にとどめ、細かいところは必要に応じて改正していく方法がよいのではないかと思います。
 とにかく名前の通り、友愛を中心とした明るく前向きの会になればよいと思います。
 また、例会で先日のグラウンドゴルフ親睦旅行の成績一覧をもらいました。1日目は3ゲームトータル83で21人中16位、
2日目は3ゲームトータル69で20人中6位、2日間トータル152で20人中12位でした。ホールインワンは21人中12人、15本出ました。

4月21日 カボチャの苗を植えました
 明日は市長と市議会議員の投票日ですが、老人クラブの例会があり、役員で朝から準備をし、また例会の後も片づけなど一日忙しくなるかもしれないので、期日前投票をするために大久保支所へ行きました。帰りに種苗店へ行きカボチャなどの苗を買ってきました。それを持って畑へ行き、少しだけ耕して植えました。昨年は植えるタイミングを失って、苗がなくなってしまい、植えることが出来なかったので、今年こそはと気になっていましたが、これで一安心です。明日あたりから雨模様ということなので、とても良いタイミングでした。久しぶりに顔から汗が流れる作業をしました。


4月19〜20日 グラウンドゴルフ仲間と親睦旅行
 今年も老人クラブのグラウンドゴルフ部の親睦旅行が羽合温泉千年亭一泊で行われました。朝、近くの総合市場前へ7時30分に集合し、迎えのバスに21人が乗り込みました。女性も6人いてとても和やかな雰囲気でした。
 昼食を鳥取砂丘センターですませた後、白兎海岸のそばにある白兎グラウンドゴルフ場でプレーをしました。ここは、鳥取県東部の市町村のゴミの最終処分場だったところを活用しているとのことでした。芝生なのですが、小山の上や傾斜の途中ににゴールポストがあったり、なかなか難コースが二つあり、私など9回目でやっとゴールポストに入れることが出来るなど、8ホールを31,34というとんでもない成績で、最後の平らな芝生のコースで22とやや成績を持ち直したものの、21人中16位と最悪な結果でした。ちなみに昨年は初めてだったにもかかわらず、3位だったのです(昨年は2日目の成績がさんざんでトータル15位でした)。グラウンドゴルフの楽しみは、初心者でもまぐれということがあって楽しめるのと、勝った負けたにあまりこだわらないところがこれほど普及したのだと思います。
 プレーを楽しんだ後、千年亭で温泉につかり、ビールや焼酎のお湯わりでごちそうをいただき、カラオケを楽しみました。年齢別に部屋わりがされていたので、5人のうち4人が同い年だったので気を使うこともなく、和やかに過ごしました。
 翌朝は時間をずらして温泉につかり、バイキングの朝食をとりました。この時点で、同室のひとりがご兄弟にご不幸があったという連絡が入り、急遽帰られ、2日目は20人でプレーすることになりました。
 2日目は泊グラウンドゴルフ場で、ここは傾斜やドッグレックはあるものの、昨日のような難コースではなかったので、まずまず平均的な成績でまわることが出来、2日間トータルの成績は12位と昨日より成績が上がっていました。
 昼食は再び千年亭に戻って食べました。その席で表彰式がありました。2日目にホールインワンが出たので、「ホールインワン賞」のめんつゆと参加賞の岩のりの佃煮をもらいました。
 前日まで雨が降っていたのに、2日間は天候にも恵まれ、本当に愉しい親睦旅行でした。驚いたのは、多くの人が、往きのトイレ休憩でバスが止まる度に次々買い物をされ、旅館や帰りの休憩でも買い物が続き、帰り着いたとき持てない程のお土産を買っておられたことでした。私といえば、賞品と旅館でもらったお土産だけでした。


4月13〜14日 薄墨の桜から蒲郡の旅
 息子の誘いを受けて旅に出ました。目的は妻が25年前に植えた薄墨桜がどれほど大きくなっているのかを確かめた後、蒲郡温泉で一泊することでした。
 朝、道で転んで負傷しましたが、山陽電車とJRを乗りついで茨木駅に行き、駅前で待っていてくれた息子夫婦の車に乗せてもらって目的地に向かいました。電話で頼んでいた絆創膏を傷に貼りましたが、すててこのすねのところは大量の血で汚れていました。でも、そのお陰でズボンには目立った汚れはなく、助かりました。
 途中、谷汲山・華厳寺に寄りました。桜の散り始めで、とてもきれいな花見をすることが出来ました。駐車場で心づくしのおにぎりを花吹雪を楽しみながらよばれました。その後横蔵寺へ行き、即身仏を拝み、道の駅「夢さんさん谷汲」に寄りました。横蔵寺のしだれ桜や道の駅の桜や花桃が満開で見事でした。
 次の向かったのが、横尾谷断層で知られる地震断層観察館でした。1891年、地面が6メートルも隆起したマグニチュード8という阪神淡路大震災とは比較にならない大規模地震がおこったのです。その状況が見事に残されているのは世界にとって貴重な遺産だからだと思います。この施設も先年の水害で水没するなど被害があり、貴重な資料が水に濡れたようでした。
 そこから1q、目的地の薄墨の桜を見に行きました。薄墨の桜の由来は、他の桜が美しい花びらのまま散るのに対して、薄墨の桜は散る前に花びらが薄墨色になるからです。これまで何度かここへ来ましたが、いつもきれいな花を咲かせていました。今回は10日ほど前に満開を迎えた状況をテレビで見ていたので、期待せずに行ったのですが、まさに薄墨色の花をつけていて、今まで以上に感動しました。
 そこから車でさらに北上し、道の駅「薄墨桜」の奥にあるパン工房の裏に、妻の植えた薄墨桜が大きく生長し、高くそびえていました。結婚30年という看板に違わず、根元から二またの夫婦桜として育ち、15年間でこんなにも太く大きくなった様子を見て、ここでも感動しました。
 渋滞に遭うこともなく、順調に走ったにもかかわらず寄り道が多く、4時になってしまいました。そこから国道418号線を走り、美濃ICから新しく開通した東海環状自動車道で豊田JCTへ、さらに東名高速で音羽蒲郡ICまで行きました。さらに音羽蒲郡道路のトンネルを抜けて、6時半に宿舎の蒲郡荘に無事到着しました。暗くなってきたので心配しましたが、知らないところでもナビにしたがって走ると、確実に目的地にいけるという威力に改めて感心しました。私の車にはこの便利なナビは搭載していませんが、搭載したとしても使えないだろうと思います。
 遅い到着だったのですぐに食事にしました。思いもよらない部屋食で、ごちそうが部屋に並びました。ビールと冷酒で乾杯し、ごちそうをたらふく食べました。食後風呂に向かいましたが、朝傷をしたすねと手も炎症を起こし指がまわりにくく腫れていたので、お湯につからないようにしました。そのため、風呂の手すりにぶら下がるような姿勢になり、入浴中のほかの人からは異様に映ったことでしょう。こんなわけで、いつも温泉に行けば3度は入浴するのですが、今回はこの一度だけで早くふとんに入りました。
 翌朝も朝食時間までふとんでゆっくりしていました。朝食はバイキングでしたが、手の腫れも弾き、指も力が入るようになっていたので助かりました。朝食後、車を宿舎において徒歩で竹島へ向かいました。朝から花火の音がしていたのでなんだろうと思っていたら、竹島にある八百富神社のお祭りで、7年に一度の稚児行列が11時出発と聞きました。取り敢えず350メートルの橋を渡って竹島へ行き、階段を登ってお参りをし、島の西側の遊歩道を散策して戻ってきました。宿舎から見た竹島は木がこんもり茂った島にしか見えず、神社の建物がこんなにたくさんあるとは思いませんでした。
 やがて稚児行列がスタート、先頭は神主の太鼓、続いて氏子の太鼓や笛、そして七福神の行列、そしてかわいく着飾った稚児が両親や祖父母と共に歩きます。欄干が共鳴してうなる程風が強く、小さな子供達が橋を渡るのは大変だったと思います。時間をかけて大行列がわたっていきましたが、稚児の人数が多いわりに小さな島の境内は狭く、階段も急なので、二つの班に分けられ、はじめの班が戻った後、後発隊の出発になっていました。先の班が橋を渡りきったのを見届けて文学記念館「常磐苑」の絵手紙展を見に行きました。子供達も素晴らしい絵手紙を書いていました。常磐苑では昔から多くの有名な作家が訪れ、小説の構想を練ったそうです。
 お昼近くなったので近くのホテルのレストランで食事をしました。久しぶりに本格的な洋食を食べましたが、それぞれ料理にかけられたソースがとても美味しく、パンに付けて食べました。竹島が一望のレストランで、後の班の稚児達が橋を渡っていくのが見えました。
 食後竹島水族館を見学しました。ちょうどアシカショーが始まるところで、担当者との息ぴったりの楽しい芸を間近で見ることができました。展示されている魚も珍しいものがいて、地方の小さな水族館にしてはなかなか充実していました。
 時間もかなり経っていたので、帰り道にあるえびせん工房・一色屋に寄ってせんべいの試食と買い物をして帰りました。帰りの高速道も渋滞することなく、早く帰ってくることが出来ました。私はのんびり車で居眠りをしていましたが、2日間ハンドルを握り続けた息子はさぞ疲れただろうと思います。宿代も高速料金も息子に払ってもらい感謝感謝の2日間でした。

   
華厳寺山門から参道を望む   横蔵寺のしだれ桜と道の駅の桜と花桃          横尾谷断層の観察館内
   
薄墨色の桜と15年前に妻が植樹した薄墨桜  夕食のごちそう           竹島
   
竹島八百富神社の鳥居     手洗いの龍口と本殿               竹島から見た渥美半島
  
竹島から望む山上のプリンスホテル  稚児行列の先導をする太鼓や笛
  
七福神も先導              稚児行列が橋を渡る
   
常磐苑                  戻ってくる稚児達                竹島水族館前に保存されているエリカ号


4月13日 アッ痛い! 転んじゃった
 朝、旅行に出かけるため、妻と並んで駅に向かって通り慣れた道の端を歩いているとき、突然前にばったりこけました。自分でも何が起こったのかわかりませんでした。しこたますねを打ち、右手を不自然な形でつきましたが、顔を地面に打ち付けることは免れました。すぐに起きあがれたので、足の骨に異常はありませんでした。手も痛かったけれど、握ったり開いたりしてみたら動いたので一安心でした。転んだところを見ると、溝の金属の蓋の編み目のところに大きな石が挟まっていてそれに躓いたことがわかりました。駅に着き、ベンチに座ってすねを見るとすりむいていました。でも、大きなけがをしなくて助かりました。
 道で転んだのは何十年ぶりでしょうか。20年ほど前、芝生の上を走っていて転んだ記憶がありますが、それ以来かもしれません。そういえば、昨年の放送大学の集まりで、元学長が、「転ぶことがないように。高齢になって転ぶと、それが元で寝たきりになることが多いから気をつけよう」と話されていたことを思い出しました。自分は最近転んだことがないので油断していたことは事実です。70歳を目前にして自分も高齢者であることの自覚をもっと持たなければならなくなったようです。


4月4日 運転免許証更新
 先日の高齢者講習で「免許更新センターは午後2時ごろに行くと待ち時間が少ない」と教えてもらったので、昼食を済ませてから行きました。最近、いろいろな場面で本人確認として免許証の提示を求められます。しかし戸籍上の文字が昔のパソコンでは印字できないこともあって、普段から常用漢字を使っていました。今回戸籍上の名前で表記してもらうため、住民票を持っていきました。
 なるほど、更新センターはこれまでのように待つこともなくすいすいと手続きが出来ました。ただし高齢者講習をすませていたにもかかわらず、最後の免許証交付は他の方が講習を終えるまで待たされました。
 それにしても更新センターの職員の愛想の悪いこと、受付で名前の表記変更を申し出ると相談者窓口へ行くよう指示され、相談者窓口では男性職員が、住民票を持っておればそのまま手続きできるといい、「受付は何でもここへ送り込んでくる」と私に不満をぶつけてきました。また、補聴器をつけた人が説明がわからず戸惑っていても、女性職員が無視していってしまう場面もあり、こちらがその方に説明してあげました。それを見ていた女性が、「暗証番号を登録するところでも職員に怒鳴りつけられた。新聞に投書してやろうか」と話していました。その中で、交通安全協会の窓口の前で案内していた女性だけが、笑顔で登録カードの暗証番号を打ち込む方法について教えてくれました。しかし、安全協会の窓口の担当者は隣席の人と私語を交わしながら処理するなど、こちらもいいかげんでした。毎日何千人という人の更新手続きの相手をするので、どうしても事務的な処理の仕方になるのでしょうね。接遇について研修をすることはないのでしょうか?
 運転免許証の有効期限について、安全協会の資料を見ると優良運転者であっても70歳は4年、71歳以上は3年と書かれていました。誕生日の前後1か月以内に更新することになっていたので早めにすませ、5年間有効の免許証の交付を受けました。もし誕生日が過ぎてから更新していたら、有効期限は4年になっていたのかもしれません。

4月3日 グラウンドゴルフ大会
 明石市連合老人クラブ主催のグラウンドゴルフ大会がありました。私たちの友愛クラブからも2チームが出場し、私も記録係として初めて2試合にフル出場しました。結果は9ホールで午前の試合は28、午後は23でした。3人で組んだトータルは午前が87、午後は67とグラウンドに慣れるにしたがって成績を伸ばすことが出来ました。普段は自分達できれいにグラウンドを整備してから試合をしていますが、大会があったグラウンドは石でボールがいろんな方向にはねてしまうのと、普段より長い距離のコースがあるために、私たちのグループのメンバーが3人とも経験が1年かそれ未満だったこともあって、初めてのコースに慣れるのに少し時間がかかったように思います。


3月31日 呉・大和ミュージアム
 一昨日の彦根に続いて、青春切符を使って従兄弟と呉に出かけました。朝8時39分発の新快速で相生まで、そこで糸崎行きに乗り換えました。土曜日である上に、今年の青春切符が安いことも相まって、明石から既に混んでいた電車が、姫路で後4両が切り離されたため超満員になりました。その8両の客のほとんどが、糸崎行きに乗り換えたので、まさにすし詰め状態で、積み残しが出る程になりました。その状態で岡山まで行くと、やっと座ることが出来ました。糸崎で乗り換え、三原まで行ってたこメシ弁当を買い、呉線の瀬戸内マリンビュー号に乗りました。インターネットで指定席があることがわかり、弁当は座って食べなければと思って、指定席券を前もって買っていました。乗ってびっくり、海側の座席はテーブル付のボックス席、山側の座席は海の方を向いて座れるようになっています。ゆったりしていて安心してみんな弁当を食べていました。専属の女性職員が乗っていて、カメラを渡すと写真を撮ってくれたり、頼めば飲み物などを座席まで運んできてくれます。まるで景色の良い動く喫茶店という感じです。おまけに景色のよい忠海では徐行運転までしてくれるのです。呉までの100分は快適でした。呉では3時間程あったので、目的地の大和ミュージアムを見学しました。戦艦大和の10分の1の模型があったり、零戦や潜水艦の実物などが展示されていたり、呉における造船の歴史の展示など2時間弱でたくさん見ることができました。残りの時間で夕食をすませ、17時15分発の列車で糸崎へ行き、そこで姫路行きに乗り換え、さらに姫路からは新快速で明石まで帰ると、22時20分になっていました。
 今回の旅でもう一つ楽しかったことは、青春切符を使った乗客といろいろ話が出来たことです。往きの電車では東北大学を今春卒業し4月から社会人になるという長崎出身の清々しい青年と乗り合わせ岡山から尾道まで楽しく会話が弾みました。帰りは姫路までの列車で乗り合わせた50歳代のはつらつとした男性から仏教に関わる話をはじめいろいろなことをお聞きでき、最後には名刺を交換するなど、とても親しくお話しできたので、いつの間にか姫路に着いたという感じでした。そして姫路からは初めて青春切符を使って四国の栗林公園などへ行ってきたと言われる定年退職後間もないと思われる御夫婦と乗り合わせました。ご主人は岡山からの混雑で姫路まで立ちっぱなしだったことがよほどこたえたらしく、もうこんな旅行はまっぴらだと言っておられましたが、奥様の方は残った3回分の青春切符をどのように使うか意欲的に見えました。今日の日程表をお見せしたり、一昨日彦根へ行ったことや、昨年は醒ヶ井養鱒場へ行き、鱒料理を食べた経験などヒントをお話ししておきました。
 ほとんど一日中電車に乗っていて、朝大久保駅まで歩いたことが唯一の運動でしたが、充実した一日を送ることが出来ました。

  
列車が徐行した忠海            列車内の写真撮影サービス        瀬戸内マリンビューの内部
  
戦艦大和の10分の1模型         零戦                      宇宙服を着て記念写真
  
さくらが咲いた呉の裏山          駅近くのさくら                 JR呉駅

3月27日 ピロリ菌
 住民検診で胃の精密検査を受けるよう通知がありました。早速胃腸病院で胃カメラを使った検査をしていただきましたが、指摘された部分には何の異常もありませんでした。ところが、胃の粘膜に所々萎縮が見られたり、薄くなって血管が透けて見える部分が写真に撮られていました。医師からピロリ菌が作用している疑いがあると指摘され、その場で検査を受けました。結果は普通の人の20倍のピロリ菌がいるから駆除した方が良いと助言を受けました。放っておけば胃ガンになる可能性が高いとのことで、処方箋を書いてもらい、薬局で抗生物質の薬などをもらって帰りました。今夜から1週間、朝夕食後欠かさず飲み続けることになります。通常の2倍以上の量の抗生物質を服用するので、下痢など副作用が出ることが多いといわれました。これから青春切符で出かける予定が多いのに、下痢をよくする体質の私にとってはいささか心配です。


3月21日 土筆採り
 暖冬だった今年の冬は3月に入って寒さが戻り、但馬は雪模様という天気予報にいつ行こうかと迷っていましたが、朝からの晴天に思い切って出かけました。いつも土筆採りをする八鹿町の土手は、2年ぶりに行ってみると道がすっかり舗装され、一本も生えていませんでした。しかし、近くの少し生える土手には、今年はたくさんありました。例年の半分程の収穫だったので、さらに車を進めて村岡町へ行きました。関宮町のループ橋を登り、トンネルを抜けると、あたりにはたくさんの雪が残っており、これはだめかと思いましたが、道の駅に着くと、なんと土筆が一面に生えており、もう枯れかかっています。頭の固いのをよってたくさん収穫して帰りました。
 夕食後ハカマ取りをしました。私は翌日のことがあって12時半で作業を止めましたが、家内は明け方4時半までかかったそうです。朝、ゆがいた土筆を小分けにして冷凍しているのを見ていると、100グラムの袋が14個ありました。この他に、近日中に食べる土筆がザル一杯分ありましたから、本当にたくさん収穫したことが分かります。今年一年、土筆の白あえなどのごちそうが楽しめます。

村岡町にて

3月18日 たこフィル初演
 明石フィルハーモニー管弦楽団(愛称:たこフィル)の第1回定期演奏会が明石市民会館大ホールで開催されました。明石第九合唱団の団長もチェロで出演されるので、年会費3000円を払って後援会に入っていたら、特別招待券をいただき、鑑賞しました。はじめにオーボエの音で音あわせがありますが、そのオーボエの音質がもう一つという感じでした。きっと一流のオーケストラのオーボエは楽器そのものが高価な物なのでしょうね。
 昨年オーディションに合格した66名の団員に10名程の客員を加えたメンバーでの演奏なので、まだ管楽器からはずれた音も聞こえてきましたが、おおむね立派な演奏だったと思います。昭和25〜6年頃、神戸王子公園の野外演奏で関西交響楽団の演奏会があり、場外から聞いていたらやはり管楽器のはずれた音が聞こえていたのを思い出しました。残念ながら、後半は居眠りをしてしまいました。それでも一流の指揮者の手になると、ぐっと上手に演奏されるのだから不思議です。
 帰りは自宅まで浜の散歩道を歩いて帰りました。本日の歩数は15,348歩でした。


3月10日 笠置山と二月堂お水取りの見学
 神戸新聞文化センター主催の笠置寺見学と「東大寺二月堂修二会」見学会があり、参加しました。
 11時三ノ宮出発で一路笠置町へ向かいました。笠置町ふれあいセンター駐車場から笠置山へ向かいましたが、思わぬ急坂にみんなびっくり、マイペースでゆっくり登り、それでも一汗かいて無事笠置寺に着きました。本坊住職の案内で修行場の一部を巡りながら説明を聞きました。柳生街道が奈良から柳生を通って笠置寺までの祈りの道であったこと、いま東大寺二月堂で行われているお水取りの第一回目は、この笠置山の正月堂で1256年前に行われたこと、巨岩が信仰の的であったこと、過去3度の火災によって、本尊である巨岩の磨崖仏がよく見えないこと、弥生式土器が出土することから、2000年前から信仰の対象だったこと、1300年前に実忠和尚によって、寺が建てられ人が住むようになったことなどとても古い寺であり、いままで知らなかった話をたくさん聴かせていただきました。
 その後唐招提寺を見学しましたが、修理中であったことと、渋滞で時間が遅れたことがあって、解説ボランティアの説明を聞く時間がなく、これだったら笠置山でもっとゆっくり見学したかったと思いました。夕食は唐招提寺近くの茅葺きの料亭で田舎料理をいただきましたが、趣があって美味しく、とても良いところでした。
 6時過ぎには東大寺南門の駐車場近くで、前がつかえてバスが止まってしまい、そこから2月堂へ歩いて向かいましたが既に境内は満員で入れないとのこと、参道の途中で見学しました。土曜日の夜ということで、特に人出が多かったようです。遠くからだったので迫力は今ひとつでしたが、それでも歓声も聞こえ、雰囲気を味わうことが出来ました。笠置寺や料理屋さんでお水取りの解説を聞いていたので、以前来たときより冷静に見ることができました。

   
笠置寺正月堂             本尊の巨岩磨崖仏          磨崖仏と来世に通じる祠
  
修理中の唐招提寺と魔除けの放扇の柄                   東大寺二月堂修二会の松明

3月8日 高齢者講習受講
 午後から大久保駅前のサティの南側にあるコベルコ教習所へ行きました。ここはクレーン車やフォークリフトなど、特殊自動車の教習をしているところで、一般の自動車学校とは違います。だから知名度が低いそうで、この日も6名だけが実に丁寧に指導を受けることが出来ました。
 最初は座学で、特に最近の法改正の中で注意が必要なことや、高齢者が起こす事故の傾向などを1時間にわたって丁寧に教えてもらいました。途中で不覚にも居眠りをしそうになりました。
続いて、運転に対する適性検査で、シミュレーションを使って先行車のブレーキランプへの素早い反応や、方向に対するハンドルの反応などがあり、その後静止視力や動体視力、夜間視力などの検査がありました。いずれも年齢のわりには良いという判定をもらいました。
 最後に乗用車で自動車コースを走りました。はじめに講師がコースを説明しながら走った後、一人ずつ順に講師の指示に従って運転しました。いつも軽自動車を運転しており、普通車は30年以上乗っていないので車幅などの感覚がつかめるか少し不安でした。私は3番目だったので、他の人の運転で要領がわかり、狭いところは徐行したことと、バックがなかったお陰で無事運転できました。講師からは、何処かで教習の指導員をしていたのではないかと思える程完璧だとほめてもらいました。もちろんお世辞だとわかっていますが、スピード超過と居眠りさえしなければ、まだしばらく運転できそうです。

 講習は4時に終了し、高齢者講習終了証明書をもらって帰りました。

3月6〜7日 真冬と春の体験旅行
 「梅祭りと樹氷・名瀑 雪花競艶2日間」と銘打ったツアーに参加しました。前日は台風なみの暴風雨という悪天候だったのですが、当日は幸い回復していました。伊丹空港7時集合ということで、5時8分発の一番電車で出かけました。通勤や学生の乗客が結構乗っているのに少々驚き、後ろめたさも感じました。
 受付を済ませ、8時発の飛行機で仙台へ向かいました。仙台空港には9時半頃に着き、多少くもっていましたがそれほど寒いということもありませんでした。はじめに雪山の景色を見ながら山寺へ向かいました。山形自動車道を進むにつれて道の両側にも雪が積もっており、こちらはまだ真冬だと思いました。山寺に登る時間がないので対岸からの見物になりました。以前に行ったことがあり、位置関係がよくわかったので、この方が良かったと思います。
 次に蔵王へ向かいました。山上はマイナス5度といわれ、完全武装でロープウェーに乗り込みました。前日の雨で樹氷の雪が流れ落ちたということでしたが、ロープウェーを乗り換えて山上に着くと小さな木でしたが完全に樹氷になっていました。とにかくすごい吹雪で、耳たぶが痛く、写真を撮って早々に下山しました。途中のゲレンデでは多くの若者がスキーやスノーボードを楽しんでいました。しかし、最近は結構中高年も滑りにやってくるそうです。
 そこから会津若松市の東山温泉へ向かいました。ホテルに着く頃には雪模様でした。ホテルに入る前に鶴ヶ城のライトアップを見に行きました。この間だけは雪もやんでいました。
 翌日起きてみると一面の雪景色、関西ではこの冬はほとんど雪が降らなかったので、この風景には感動しました。磐越自動車道で太平洋へ向かう程に空は晴れ、茨城県にはいるともうすっかり春模様、水戸の偕楽園では梅が満開でぽかぽか陽気でした。偕楽園では好文亭で多くの時間をとりましたが、とても落ち着いた建物で、2階からの景色も抜群でした。
続いて弘道館を訪れ、内部を見学しました。そこからバスで90分程かけて、日本三大名瀑の一つ、袋田の瀧へ行きました。トンネルを抜けていくのですが、目の前に突然大きな瀧が見えたときには感動しました。あまりにも距離が近すぎ、カメラには収まりませんでした。このあたりでは男の子が生まれると、のぼりや鯉のぼりを贈る習わしがあり、「祝」と書かれた鯉のぼりをまとめてたくさんあげている家があちこちに見られました。その後福島空港から帰路につきました。

  
鶴ヶ城                    ホテル前の雪景色            偕楽園の好文亭
   
偕楽園の梅の古木            好文亭の2階からの展望         弘道館                   
 
袋田の瀧                   一軒の家の鯉のぼり

3月3日 裁判員制度フォーラム
 「来て見てわかる 裁判員制度 全国フォーラム2007in兵庫」が神戸新聞松方ホールであり、事前に申し込んで参加しました。参加の動機は、パネリストにやすみりえさんの名があったからです。このフォーラムは他県ではアルバイトを動員して問題になったためか、満席ではありませんでしたが、そこそこの人数の参加者がありました。
 前半はビデオを使って制度のあらましの説明があり、休憩の後、パネルディスカッションがありました。谷五郎さんが我々の思いや疑問点を次々に質問されたので、とてもよくわかり、前半はどうかすると瞼が閉じることもありましたが、後半はしっかり聞くことができました。結論は国民として少しでも世の中に役立つことであれば前向きに協力しようということで落ち着きました。
 とくに印象に残った言葉は「審議の途中で、自分の述べた意見や考え方は乗り降り自由」という表現です。人の考えを聞いて、自分の考えをあっさり変えても良い、言い換えれば、状況によって前言を翻しても何ら問題ないということです。これまでの社会通念では、自分の述べたことに矛盾した発言をすればこっぴどく攻められたものですが、裁判では新たな証拠が出てきたり、裁判官の解説などを聞いて意見が変わっても何ら差し支えないと言うことなのでしょう。そのようなわけで、たとえ裁判員の呼び出しがあっても恐れることはないということがわかりました。大切なことは、裁判官という閉じられた世界の判断だけでなく、市民感覚も取り入れて判決を下すことが出来ればということのようです。


2月26日 高齢者講習
 先日、兵庫県公安委員会から「高齢者講習のお知らせ」が届きました。70歳以上の免許更新には、高齢者講習受講終了証明書が必要なのだそうです。今回の免許更新日はちょうど70歳の誕生日になります。講習の実施場所一覧には、私が通ったジェームス山自動車学院もありましたが、近くのコベルコ自動車教習所で予約をしました。3月8日午後に受講することにしましたが、その前日飛行機に乗ることになっており、ハプニングがないか少々不安です。
 というのは、数年前に北海道へ流氷を見に行ったときのことです。日曜日に女満別空港から飛行機に乗って帰宅する予定になっていました。ところが、雪のため飛行機が欠航になってしまいました。翌月曜日の午前中に姫路で講演を依頼されていたのです。万事窮してしまったのですが、添乗員がいろいろ調べたところ、網走から札幌まで特急を使えば、羽田行き最終便に間に合い、羽田で一泊して一番の伊丹行きの飛行機に乗れば10時までに姫路に着くことがわかりました。一人では不安だったのですが、一組の御夫婦が明朝には大阪に戻っていなければならないと言われ、ご一緒させていただくことにしました。添乗員は10万円程かかると言われたのですが、財布の中には7万5千円程しかありません。さらに不安が増し、帰り着くまで何度も財布の残金を確認しました。そんな時に限って、列車はグリーン車、千歳からの飛行機はファーストクラスしか座席がありませんでした。羽田のホテルもシングルで1泊1万7千円と今まで利用したことのない金額ばかりが出ていきます。同行のご夫妻は気を使われ、お金がたりなければ少しは融通しますよと言って下さったり、ご主人は羽田での朝食でうどんの立ち食いにさそって下さいました。新大阪駅で姫路までの新幹線の料金を支払うと500円玉が一つだけ残っていました。財布にスルット関西のカードが入っていたので、家へ帰ることが出来るのでホッとしました。
 ちなみに、講演はセーターでスノーブーツというとんでもない格好でする羽目になりましたが、事情を説明して、何とか許していただきました。そして、講演で話す内容は旅行中に少しでも確認しようとメモを持っていたお陰で、予定どおりの話が出来たのは幸いでした。
 今回はハプニングがあっても、携帯電話で断れば相手に迷惑はかけますが、受講と言うことなので、講演会で講師が来ないというような迷惑と比べればまだ気が楽です。


2月25日 車検
 今、スバルR2に乗っていますが、3年目の車検を受けることになりました。そこで、見積をしてやるというのでディーラーへ出かけました。諸費用61,040円を含めて106,138円かかることになりました。ずっと軽自動車に乗っていますが、10万円を超えるのは初めてです。その原因は、「リサイクル法関連費用」10,390円がかかるからです。走行距離は3年で22,607qですが、最近は歩くことが多くなり、買い物と通院以外あまり利用しなくなりました。それでも機動性があるので今しばらく車を保持しておくことにします。


2月24日 講演「学習障害〜当事者として、親として」
 平成18年度第1回兵庫県障害児教育研究会がホテルサンルートソプラ神戸で開かれ、午後から参加しました。案内状に上記の演題が書かれており、講師は兵庫県LD親の会「たつの子」教育代表 笹森理絵氏となっていましたが、一体どんな講演があるのか見当もつきませんでした。
 笹森さんは30歳代で2児の母です。二人の子どもは落ち着きがなく、しかし、その状況は自分の小さいときと同じだったので、子どもとはこんなものだろうと思っておられたそうです。しかし、わが子の担任が替わり、まわりの子供達からも受け入れられず、自分の育児に自信を失った笹森さんは自分が神経科で診断を受ける羽目になりました。そこで自分が生来のLD(学習障害)だったことがわかったのです。国語や社会科に関してはトップクラスの成績にもかかわらず、数学は最悪だったそうです。小さい頃はパニックにもなったし、今もぬれぞうきんの感覚や大きな音には我慢できないそうです。卓上が濡れたときはティッシュペーパーを使い、地下鉄に乗るときはウオークマンの力を借りるそうです。演題の「当事者」というのは障害者本人が生い立ちとその苦しみを自らお話されるということだったのです。現場で障害児を指導していた頃、経験から、パニックになるのは不安感が原因だと理解していましたが、パニックへの対応の仕方は十分でなかったことに気づかされました。障害児教育に携わる人には是非聞いていただきたいとても有意義なお話でした。笹森さんはNHK教育テレビに、当事者として既に2度も出演されており、4月末には3回目の出演をされるそうです。番組表をよく見ておいて、是非放送を聞きたいと思います。


2月24日 写真転送のトラブル解決
 先日来写真の転送が出来なくなり、困っていましたが、ひょっとして、ホームページ容量が足りなくなっているのではないかと思い、サーバーとの契約内容を確認したところ、契約内容25MBに対して、送信する私のホームページは23.5MBでした。100MBまでは無料なので、思い切って40MBまで増量しました。すると、なんと写真はすんなり転送できました。これでまた当分安心して写真の転送が出来ます。


2月20日 確定申告
 川柳教室の帰りに明石税務署へ寄って、確定申告を提出しました。昨年パソコンのホームページから用紙をダウンロードし、パソコンで記入したので、今年は税金の納付用紙しか送ってきませんでした。それで、今年もホームページからダウンロードして、各項目の金額を打ち込んでいきました。それこそ数字を打ち込むだけで簡単に完成しました。
 提出も各項目の書類を添付していくと簡単に受領され、何の問題もありませんでした。いろいろ控除がなくなったと聞きましたが、税金の納付金額は昨年と同様16,000円あまりでした。
 帰りはお天気がよかったので、税務署から家まで海岸線を歩いて帰りました。川柳教室からだと8q程歩いたことになります。お遍路の時は足の裏に絆創膏を貼っていますが、今日は何もしていなかったので、帰って靴を脱ぐと足の裏が痛くなっていました。

2月18日 老人クラブの役員
 地元老人クラブ「西江井友愛クラブ」の例会が午後からありました。その時に来年度の役員選出がありました。私がパソコンが出来るという理由で、現会長と共に承認を受け、残り3人が投票で選ばれました。いままでお世話になるばかりだったので、断る理由もなくお受けすることにしました。まだ顔と名前が結びつかない程、地元について何も知りませんが、勉強させてもらおうと思っています。


2月13日 写真の転送でトラブル
 遍路日記を更新している最中に、何度もメモリーのトラブルがあり、ホームページソフトが停止してしまいました。そんなことがあってか、写真の転送が途中で出来なくなってしまいました。このようなトラブルは自分では解決できません。哀れなものです。


2月12日 望遠10倍の威力
 新しいカメラを持ってお遍路に行きました。土佐と伊予の国境、松尾峠から遠景を撮りました。遥か海の向こうの山の上に風車が何本か立っていますが、かすんでよく見えません。そこで望遠にしてそのあたりをうつしておきました。後でモニターを見ると6本の風車が大きく映っていました。宿毛貝塚でも、遠くにある史跡の説明看板を撮しておいたのですが、家でパソコンにコピーするとはっきり読みとることが出来ました。しかもワイドなど3種類の比率で撮せるので、これからの撮影がますます楽しみです。
  
海の向こうの山に右の写真の風車が立っている                   遠くの説明板

2月5日 録音に失敗
 毎週の高齢者放送大学の番組は自動的に録音できるようにしています。ところが、先週本科生の感想文の返信を書くため知事の挨拶などを聞き直したとき、新しいMDに取り替えるのを忘れていました。したがって2月3日の放送が録音されていませんでした。運悪く、この日は朝起きるのが少し遅れたので、録音を聴けばいいと思って他の仕事を先にしていました。
しかたなく、今日お昼にインターネットで講座を聴きました。インターネットの放送をCDに取り込みたいと思ったのですが、これも方法がわかりません。2月の返信を書くときに、もう一度インターネットで聴かなければなりません。そして、テープレコーダーをパソコンの前へもっていって録音しなければならないようです。


2月2日 40年ぶりの出会い
 私がまだ駆け出しの頃、一緒に勤務した方々と久しぶりにお会いすることが出来ました。きっかけは、NHKの川柳のテレビ番組に映ったことです。以前から一度集まろうということだったのですが、なかなかきっかけがありませんでした。4人のうち、一人は毎月川柳教室で一緒になりますが、後は5〜6年ほど前に共通の恩師が亡くなったときにお出会いした方が一人いるくらいで、残りのお二人は年賀状のお付き合いで、いつ出会ったのか定かでない程久しぶりでした。40年ぶりだと言っておられたので間違いないでしょう。お互いに歳を取っていましたが、面影はそのままで、とても懐かしく思いました。神戸花鳥園で花や鳥を見たりバイキングを食べながら近況や懐かしい話をたくさんしました。さらに、神戸空港まで足を伸ばし、喫茶店で飛行機の発着を見ながら話し続けました。かなりの時間話していたようで、何機もの飛行機が着陸し、また離陸していきました。寒い一日でしたが、花鳥園も空港も温かいところにいたので、全く寒さを感じない一日でした。


1月30日 老人クラブの役員
 老人クラブの会長から今年4月の役員改選について、相談するので集まってほしいという電話がありました。出かけてみると、現在の役員5人の他に、さらに5人のメンバーが集まっていました。新しい役員をどのように選ぶかという話の中で、いつの間にか、私がその候補の一人になっていることがわかりました。高齢者大学の講義で、「自分に役が回ってきたときには、地域に恩返しするチャンスだと考え、決して断るようなことをしてはいけない」と言い続けていただけに、ここは覚悟を決めなければなりません。2月18日の例会で話題に出され、3月の例会で正式決定されるのではないかと思います。
 ますます忙しくなりそうですが、今、毎月していることで止めることが出来そうなのは、歴史教室の講義を聴講することくらいです。「ビルト アンド スクラップ」という言葉がありますが、私の定年後の生活はビルトばかりです。


1月25日 明石第九合唱団新年会
 今週はグラウンドゴルフの当番だったので、月曜に続いて、朝7時からグラウンド整備をしました。ほうきのついた大きなトンボで表面をならし、ローラーをかけるのですが、思ったほど腰にこたえることもなく助かりました。机など重いものを運ぶのはパートナーにお願いしました。ゲームは今年に入って毎回記録係があたっています。今日もホールインワンが出て3ゲームを57のスコアで回ることが出来ました。その後放送大学事務局へ返信ハガキを提出しました。
 夜は第九合唱団の新年会がありました。ここでも川柳のテレビ番組見たよと言って下さる方がありました。団員は200人程いますが、参加者は70人程でした。飲み物代500円と一人つまみ一品持ち寄りでしたが、女性が多いのと食事時間なので、手作りの美味しい料理がたくさん並んでいました。久しぶりで話が盛り上がり、気がついたらビール大瓶2本程飲んでいました。最近こんなに飲んだことがないので、なかなか酔いがさめませんでした。飲み過ぎたので心配だったのですが、幸い悪酔いすることはなく助かりました。。


1月21日 福崎のまちをウォーク
 腰が痛くなってから運動不足だったので、JR駅から歩くマップをもって福崎に出かけました。柳田國男生家下の駐車場に車を置き、先ず山の上の展望台に向けてスタートしました。展望台というだけあって、福崎町が一望できました。そこから神積寺へ向けて歩き始めたのですが、地図の距離感が正しく理解できなかったために、大きな道に出たと思ったら全く反対側の国道312号線に来てしまい、その向こう側には市川が流れていました。地図上で高速道路と国道を見間違えていることがわかりました。目印の観月橋が見つかったので、予定していたコースを逆に歩くことにしました。櫟の大木がある大歳神社まで歩いたところで大塚古墳を見落としていることに気がつきました。後戻りはせずそのまま進み、本覚寺でも大きなコガネモチの木を見ました。
 昼時が過ぎようとしていましたが、福崎駅前でも食事の出来そうなところがなく、市川の橋近くでやっと喫茶店を見つけました。近づくと食事も出来ることがわかり、日替わりランチを注文しました。鉄板の上で音を立ててやけているショウガ焼き定食でした。空腹だったのでとても美味しく、ボリュームたっぷりの御飯も平らげてしまいました。そこからスタート地点の近く、三木家を見ましたが、以前のように中を見学できるという状態ではありませんでした。そこから田んぼ道を通り、播但自動車道をくぐって岩尾神社へ行きました。ここの鳥居と石橋は県の重要文化財でした。そこから神積寺の山門をくぐって唐門を見学しました。悟真院唐門も町重要文化財でした。再び高速道路の穴門をくぐり、もち麦の館で買い物をして駐車場に戻りました。大塚古墳が気になり、車で向かいました。最後に古墳を見学して帰りました。久しぶりに1万2千歩程歩きました。しかしゆっくり無理をせずに歩いたので、あまり運動にならなかったかもしれません。それでも準備運動しなかったため、後で少し足が痛くなりました。

   
柳田國男生家            展望台から見た福崎の町     312号線沿いの民家の蝋梅 本覚寺のモチの大木
  
三木家                 岩尾神社の石橋と鳥居      神積寺の唐門
1月18日 グラウンドゴルフ部の新年会
 午前中プレイをしました。ここでも、テレビ見たよと言って下さる方が何人もいました。NHKの力は本当にすごいと思いました。グラウンドゴルフは久しぶりでしたが、ホールインワンも出て、3ゲームを59で回ることが出来ました。
 お昼から新年会がありました。平成18年の成績一覧が張り出されていましたが、私は1ゲーム平均22.5、ホールインワンは29本でした。最もよい成績の方は平均18.9ほどで、20未満の方が何人かおられました。今日のように50台で回ると20未満の成績になりますが、私にはとても無理です。3月の末にまた泊まりがけで羽合温泉へ行き、発祥の地でプレイすることになりました。
 


1月16日 川柳教室の新年会
 午前中川柳教室がありました。そのあと放送大学の事務局へ行って感想文のハガキを受け取り、再び明石に戻って新年会の準備を仲間としました。53名の出席予定でしたが、1人欠席でした。私は座席のくじの準備と集合写真の撮影しかできませんでしたが、他の二人がよく動いてくださり、申し訳なく思いました。座席のくじは、童謡や唱歌の初めの歌詞を渡し、その続きの歌詞の書かれた座席に座ってもらうことにしたのですが、なかなか難しく、こちらが案内しなければならない方がかなりありました。自分でくじを作っておきながら、たずねられても続きの歌詞が出てこないという始末でした。先生にも出席していただき、楽しく過ごせました。



1月9〜10日 湯治の旅行
 昨夜も早く寝たのですが、夜中にトイレに行くために起きようとして、再び激痛に見舞われました。今度は寝返りしても痛みを感じます。万事窮してしまいました。朝まで、家内に旅行の参加を取りやめる言い訳をどのようにしようかなどと考えていました。取り敢えず家内一人でのんびり行ってもらい、14日からのお遍路も断りの連絡をしようなどと床の中で考えていました。
 朝家内が目を覚ましたので、一人で行くように言うと、新大阪駅の乗り換えも不安だし、自分一人で行っても落ち着かないし、行く気がしなくなったと言い出しました。私自身起き出してみると、なんとかゆっくり動作が出来るので、それならばと行く決心をしました。
 コルセットをつけ、登山用の杖をついて、荷物は一切まかせて早めに出かけました。今まで、駅のエレベーターは使ったことはありませんでしたが、明石駅でも新大阪駅でも利用しました。足腰の悪い人には本当に有り難い乗り物だとつくずく思いました。杖をついてそろりそろりと動作をしていると、新大阪へ向かう電車では若い女性が席を譲ってくれました。新大阪からは4時間ほど座っているだけで勝浦まで行くことができました。3時過ぎに旅館に着き、早速温泉につかり、部屋に戻るとゴロゴロしていました。夕食後もう一度温泉で腰を温めて早めに寝ました。翌朝は慎重に起き、また温泉でゆっくり腰を温めました。
 10時チェックアウトだったので、腰に一番負担がかからないようにと、船で松島巡りをすることにしました。ゆっくり港まで歩き、島巡りしたあと、鯨浜で捕鯨船の見学をしました。幸いゆっくり動作をすれば、階段の昇り降りも出来ました。昼食は勝浦漁港の魚屋さんで、今朝解体したばかりという鯨のお造りとマグロ丼を食べました。食後はバスの待合室で列車の時間まで日向ボコをしていました。
 それにしても、杖をついてゆるゆる動作をしていると、皆さんがとても親切にしてくださり、こちらも感謝の気持ちで素直に受けられるという新しい発見をしました。湯治旅行を家内の協力で出来たことを嬉しく思っています。そして、歩き遍路もみんなとは歩くことは出来ませんが、とにかくバスの中から参加して、人数が減ってしまってピンチの状態になっている遍路ツアーの中止だけは避けるようにしたいと思っています。
  

  

1月8日 続ぎっくり腰
 朝方トイレに起きましたが全く痛みもなく、ラッキーと思いました。ところが、トイレをすませて床に入ろうとした途端に、今度は激痛が走りました。今度こそだめだと思いました。それでも寝返りを打ってもそれほど痛みは感じません。ひたすら直ることを祈りながらふとんでじっとしていました。
 朝遅くまで床にいましたが、そっと起きてみるとゆっくり動作が出来るので、なんとか家の中で生活できると思い、着替えをすませて新聞や本を読んでいました。というのは、明日から1泊2日で勝浦へ行くことになっていたからです。お遍路に行きだしてからは家内と宿泊を伴った旅行に行けなかったので、年末年始に計画したところ、ことごとくツアーが中止になり、やっと成立した旅行だったので、なんとか行きたいと思い、大丈夫というポーズを示していました。バスツアーと違って、JR特急「スーパー黒潮」で勝浦へ行き、温泉宿でのんびりするという計画なので、なんとか行けるだろうと思っています。


1月7日 ぎっくり腰
 昼前に、足下に落ちた紙を拾おうとしたとき、背中にピリッと痛みが走りました。しまったと思いましたが、取り敢えずすぐに湿布をして横になりました。ただ幸いなことに、いつものように寝返りも打てないということではないので、夕方からそっと起きて、椅子に座ってテレビを見ていました。いつも腰が冷えるとよくないので、夜は風呂でよく温めて早く寝ました。


1月5日 吉本新喜劇と人体の不思議展
 日新信用金庫からのお誘いで、神戸国際会館で開かれた吉本新喜劇に出かけました。弁当券を引き替え、2階の指定席に座って弁当を食べ、ゆっくりしていたら、例によって食堂が舞台の新喜劇が始まりました。話の中身はいつも通りのシナリオで、他愛ないものでしたが、新喜劇の女性に美人がふえたなと思いました。後半は漫才や奇術、漫談でしたが、ベテランになるほど味わいがあるなと思いました。
 そのあと、近くのサンボーホールで開かれている『人体の不思議展』へ行きました。入場料は1400円でしたが、高齢者手帳を提出すると半額でした。身体の内部が実に精巧に作られていて、よくわかりました。帰りに解説付きのCDを孫に送ってやろうと買いました。試写してみるとなかなかうまくできており、手動にすると、途中で画面を大きくしたり回転させることも出来ました。
 帰ると、昨日のテレビに関するメールや電話が何件かありました。その中で、兄からDVDに録画してあるから送ってやろうかという嬉しいメールがありました。年末にパソコンで番組が見られるように息子に工事してもらっていたので、簡単に録画できると思っていたのですが、そんな生やさしいものではなく、録画に失敗してあきらめていたところだったので、本当に有り難いメールでした。


1月4日 新年の珍客と嬉しいメール
 空が曇り、暗くなりかけた午後、窓ガラスに小鳥がどすんと音を立てて墜ちました。窓の下にはメジロが倒れていました。幸い草の上で、ときどきのど元が動いているので脳しんとうを起こしていたようです。写真におさめてすぐに助けてやりました。気がついたメジロは今度は家の中を飛び回り、捕まえるのに苦労しました。風呂敷でそっと捕まえ放してやりましたが、タンスの上に糞の置きみやげをしていました。
 そのあと、NHKテレビでぼやき川柳の番組を見ましたが、近所の方3人からすぐに電話がかかってきました。いずれも家内にかけたつもりなのに、私が電話に出たのでびっくりしておられました。録画だとは思わず、てっきり今スタジオにいると思われていたのでしょう。
 メールも4人から頂きました。その内の一人はもう何十年もお会いしていない方で、メールを頂くのも初めてです。賀状にメールのアドレスを書いておいてよかったと思いました。ゆうとぴあ通信にも記事にしていただき、嬉しい一日でした。
 テレビに映った場面を写真に撮りましたが、画面がワイドなのでとても肥満体に見えます。

 

 

1月3日 県立芸術文化センターのニューイヤーコンサート
 年末に1枚のハガキが届きました。「宮川彬良&アンサンブル・ベガwith鮫島有美子ニューイヤーコンサート」の案内状でした。5000円のS席しかなかったのですが、思い切って出かけました。途中で咳が出てはいけないと思い、今日もマスクをつけて行きました。鮫島さんのソプラノもよかったのですが、圧巻だったのが神戸女学院大学助教授をしておられるバイオリニスト辻井淳さんの「悪魔のトリル」(タルティーに作曲)の独奏でした。一人で三つの音を同時に演奏するという奏法で、日本でもそれだけの技術を持っている人があまりいないので、この曲はめったに演奏されないそうです。この日一番の拍手だったと思います。NHK教育テレビで夕方5時30分から放送されている「夕方クインテット」のバイオリンはこの辻井さんが弾いておられるのだそうです。私が宮川さんのファンになったのもこの番組がきっかけです。たった9人のアンサンブルですが、一人ひとりのレベルが高く、夕方クインテットも子ども対象に宮川さん(番組ではアキラ)が編曲されていますが、とてもレベルの高い演奏です。新年早々素晴らしい演奏を聴くことが出来、至福のひとときでした。

1月2日 西江井自治会総会
 毎年1月2日に地元自治会の総会が開かれます。今年は風邪をひいていて声も出ない状況だったのですが、ジャンパーを着てマスクをつけて出かけました。開会10分前に会場に着きましたが、既に大半の住民が集まっておられ、福引き番号は62番でした。今年は統一地方選挙があるためか、来賓として2人の市会議員が既に座っておられました(例年は1人)。
 来賓の二人の挨拶と、地元選出の衆議院議員の秘書が挨拶されたあと、80数名の出席者による議事の審議がありました。役員がきちんとしておられることもあって、全て原案通り承認され、スムーズに終わりました。そこから楽しみの抽選会があります。食用油があたりました。体調が今ひとつだったので、片づけの手伝いもせずに帰ってきました。


2007年1月1日 初日の出
 明けましておめでとうございます。今年も「プー先生のホームページ」をよろしくお願いいたします。
 朝、国旗を門に掲揚したあと、カメラを持って江井ヶ島海岸へ行きました。海岸には大勢の人が日の出を拝みに来ていました。7時9分に明石海峡大橋の明石側主塔付近で初日の出が見られました。思わずシャッターを押し続け、気がついたら上空の雲に隠れようとしていました。今朝は空気が澄んでいたため、橋の向こうの生駒山脈がはっきり見え、その山から太陽が昇っていく様子がよく見えました。
 私は声が出ないほどの症状で、寒さを感じないほどたくさん着込み、大きなマスクをして出かけました。年末から引きずっていた風邪を、昨夜紅白を見たあと、近くの氏神様に初詣に行って少しこじらせたのかなと思います。今日は一日家でゆっくり養生します。

 
明石海峡大橋と初日の出           大橋の明石側主塔

12月31日 パソコンでテレビ視聴
 テレビのチャンネル権は妻が持っています。だからスポーツ放送などはめったに見ることはできませんでした。折角テレビ視聴が出来る機種を買っているのに見ることができないことを息子に話すと簡単に出来そうだったので、アンテナ線や分配機などを買いに行き、配線工事やパソコンとリモコンの設定などを全てしてもらいました。お陰で簡単に見ることができるようになりました。ついでにDVD−Rも買ってきたので、早速1月4日の「テレビでぼやき川柳」を試しに録画してみようと思います。それにしても、私一人ではパソコンの機能はほとんど使えないということを再確認する大晦日であり、息子に感謝しながらの年の暮れになりました。