2019年の日記・トピックス

                                      
12月22日(日) 「句会の選者をする」
 今日は神戸で川柳作家大西泰世先生が主宰される句会「第10回魚座」が開催されました。ところが私が親しくしている川柳教室仲間の選者が急に入院されることになり、私が選者のピンチヒッターを務めることになりました。兼題は「過ぎる」。いくら考えても句が浮かび上がりません。それは最初に「過ぎたるは及ばざるがごとし」という言葉がどうしても引っかかって離れなくなったからです。そんな句の選者を務めるのですから大変でした。

 苦し紛れに詠んだ句は「私にも過ぎた女房おりまして」。過ぎたるは‥から浮かび上がった句ですから、過ぎた女房の「過ぎた」は過ぎたるは‥のニュアンスです。下の句を付けて詠むと、「私には過ぎた女房おりまして 今日も怒られ尻叩かれて」ということになります。これ実感です。選者の最後に詠む自分の句には、このような説明はしませんでした。だから句会の参加者は素晴らしい女房だと受け取ったことでしょう。

12月18日(水) 「やっと平常生活に」
 10月21日、グラウンドゴルフから帰ると妻が庭で転んで足が痛いと歩くのも大変。急いでかかりつけの整形外科へ車で行きました。しかし車から降りることが出来ない程の痛みに、看護師さんが車いすで迎えに、なんとかレントゲンを受けましたが、大腿骨骨折の疑いで、救急車で明石医療センターへ搬送、即入院、手術を宣告されました。入院前から夜熱を出し、食事もあまり受け付けなかったのですが、入院して同じ症状が続き、さらにMRAで精密検査をすると胆石が見つかり内視鏡で手術、結果は食欲も戻り元気を取り戻しました。二度の手術に耐え抜いたことから、後はリハビリということで近隣の病院へ転院、丁寧なリハビリと美味しい食事のおかげで、12月10日にやっと退院。早速車で買い物や医療センターの診察、そして12月14日の私の明石第九演奏会にも聴きに行くことが出来ました。老人クラブの女性カラオケにも私と一緒に出かけることが出来、やっと平常の日常生活を取り戻しました。

 入院中は校区高年クラブの一拍研修で1日を除いて毎日新聞と果物の皮を剥いて病院へ通いました。食事の様子や回復の様子を息子や娘にときどき写真も添付してスマホで報告しました。おかげでスマホの扱いにはずいぶん慣れました。入院中は自分で食事を作って食べ、掃除、洗濯、多少の庭の整備やタマネギなどの植え付けなど、家事に慌ただしい生活をしました。その上高年クラブの行事や用件は次々あり、それをこなすのにもあたふたしました。

 妻が退院し、少なくとも食事の心配をしなくて済むようになり、ずいぶん生活に余裕がでた感じがします。今回の入院で家事がいかに大変かということと、自分が年齢的にずいぶん物事の処理に時間がかかるようになったということを痛感しました。

9月11日(水) 「ついにスマホデビュー」
 8月末に娘が帰省してきました。丁度肋骨を骨折して苦しんでいたところだったので、家事をすべて引き受けてくれ大いに助かりました。妻が体調を崩していたので本当に有り難い3日間でした。そのときに今使っているガラケーがまもなく使えなくなることを話していると、今のうちにスマホになれておいたら良いと助言してくれました。

 それで9月2日に案内をくれているau魚住店へスマホを買いに行きました。機種を決めていたので話がどんどん進みました。ただ料金が案内より高かったのですが、今後の使い勝手やサービスのことを考え、言われた値段で契約しました、いろいろ説明を聞きましたが、教えてもらった通りにやってみてもインターネットにつながりません。そうこうしているうちにはじめの画面に出ていたグーグルのコンテンツが消えてしまいました。さらにルーターの表示されている記号を読み取ろうと触っていると、パソコンのインターネットもつながらなくなりました。無線ルーターの説明書を読みパソコンはなんとか正常に戻りましたがもうお手上げです。

 4日後にもう一度店に行くと、丁度買った店員の手が空きいろいろ事情を説明しました。グーグルのコンテンツは待っている間に別の店員が回復してくれました。たまたま無線ルーターのQR CODEを持って行っていたのでグーグルのIDを取得する必要を教えてもらって登録すると、家に帰って「適応する」をクリックするだけでインターネットにつながるところまで設定してくれました。やっとつながりホッとしました。

 早速娘にSMSでメールをすると、孫からすぐにメールが届きました。返信をするのに慣れない文字入力で時間がかかりましたが、これも慣れる練習とばかりに返信しました。パソコンと違って面倒なことこの上ありません。いつも娘からの返信が素っ気ないと妻が言っていましたが、その原因がよくわかりました。一つ一つガイドブックを読みながら学習をしますが、意味のわからないことが多く、いつになってどれほどの機能が使えるようになるのかおぼつかない限りです。

8月31日(土) 「肋骨骨折」
 実につまらないことをしてしまいました。第九合唱団の練習の帰り、明石駅に近づくといつもより1台早い普通電車が止まっているのが見えました。どうせ乗れないからとゆっくり改札口を入ったのですが、電光掲示板には先発でまだ発車していないように表示されていました。乗れるかと思い混雑しているエスカレーターを避けて、階段を一段飛ばしで駆け上がりました。ホームが見えるところで電車がホームを出て行く姿が見えました。やっぱりだめだと思って前屈みだった身体を起こしたとたん、身体の重心が後ろに移り、1・2段後ろに下がったのですが、止まりそうも無くとっさに右手で手すりを握りました。手すりを掴んでいなければそのまま後ろ向けに階段を転落するところだったので助かったと思った瞬間、手すりと身体が離れていたので、遠心力で身体が壁の方へ振られました。そして脇腹の少し後ろの方を手すりに思い切りぶつけてしまったのです。

 痛いのなんの、それでもなんとかホームまで上がり、ベンチに座って電車の来るのを待ち、痛みをこらえていました。電車に乗っても痛さはありましたが、我慢できる程度でした。家に帰ってすぐに湿布薬を貼ってもらい、床に入りました。上向きで眠っているとそれほど痛みは感じませんでした。しかし、こんな夜に限ってトイレに3度も起きる始末、そのたびに激痛が走り、寝返りもままならない一夜でした。

 翌朝、妻が整形外科へ行く予定だったので、いつも送り迎えを車でしていましたが、たこバスに乗って一緒に診察してもらいました。レントゲンを撮ってもらった結果骨折していると告げられました。肋骨はコルセットをするわけにいかず、胸を締め付けるバンドをしてもらって帰ってきました。湿布薬は妻がもらっているのがあるので、朝晩貼ってもらっています。4日目の今日は多少ましで、痛さでうなることはありません。それでもきつく締め付けると痛さを感じます。緩めると効果は無いようで迷ってしまいます。

8月26日(月) 「メールの仏教講座はやっぱり金儲け?」
 21日間の仏教メール講座を受講しました。21日目には本当の仏教における生きる意味がわかるとうたっていましたが、最後の講座を学んでも目的は達成せず、生きる意味を学びたければ、有料の通信講座を受けるように説かれていました。受講料金は仏教ではお布施に当るので、いくらでも良いと言いながら、無料なら受講するな、一応目安として月5000円と書かれています。そのため、今後の送信を拒否しようと思うと、いったんキャンセルすれば二度と受講できないと書かれています。なんだかうさんくささが増幅してきたので、きっぱり拒否することにしました。

 そんな時ぶらっと入った本屋の仏教関係の棚に、お釈迦様の言葉に一番近い経典「原訳法句経(ダンマパダ)1日一話」に出会いました。先ほどの仏教講座はお釈迦様の教えをわかりやすく解説するとうたっていてなかなか結論に到達しなかったので、この本を購入しました。まだ8日分しか読んでいませんが、しばらくはこの本で仏教の教え・お釈迦様の教えを学んでみたいと思います。

8月24日(土) 「マクワウリたち」
 夏の初めに食べたマクワウリの種が芽を出し、みるみるツルを伸ばし実をつけています。その勢いはただ者では無く、みるみるジャガイモを掘ったあとの畑(6畳の広さ)を埋め尽くし、回りの菜園や花壇、垣根にも登っています。実がなってるか探すと、葉っぱの陰にありました。すでにだいぶ黄色く色づいています。匂いがするようになったら収穫しようと思いますが、すでに蟻が実の回りを這い回っており、無事に熟すことが出来るか微妙です。

 マクワウリの隣に植えているツルムラサキも負けじと台風以来定期的に降る雨で勢いを増し、ツルが四方八方に伸びています。台風までは少し伸びると食べられていたのですが、もう食べきれません。勢いのよいのはゴーヤもしかり、これまで5個しか収穫できなかったのに、ツルを沢山伸ばし、今すでに4〜5個小さな実がぶら下がっています。またサツマイモもタマネギを収穫した後に10本植えていたのが、大きな葉っぱで埋め尽くされています。おかげで隅に植えていた後手茶が枯れてしまいました。このほか柚の実もだいぶ大きくなりました。
   

8月23日(金) 「まだまだ夏野菜の収穫が」
 現在トマト、ピーマン、ゴーヤ、ツルムラサキなど、我が家の夏野菜が元気に頑張っています。大型台風がやってくるとの報道に前日これらの夏野菜を収穫しておきました。その後3日程収穫しなかったのですが、台風の雨ですっかり生気を取り戻した野菜たちは、こんなに沢山収穫することが出来ました。その後も3日に一度収穫を続けています。中でも終わりだと思っていたピーマンに白い花が沢山付いています。新たに枝が沢山出てきたからのようです。

 トマトが沢山収穫できるのは、最初に5本植えたトマトの脇芽をタマネギを収穫した後に挿し木したのが今最盛期にあるからです。最初に植えたトマトはほぼ上まで伸びて収穫は終了のようです。挿し木したのは種類をよく見なかったので、小さな黄色と赤いトマトばかりになってしまいました。来年はもう少し計画的に挿し木すればよいと思いました。

8月15日(木) 「大型台風と仏教通信講座」
 大型の台風という報道でしたが、お昼を過ぎても風は弱く、雨も降ったりやんだり、時時日が照ったりしていました。これなら精霊流しもやっているだろうと、富士登山の時に買ったレインウェアーを着て供物を持って行きました。しかし「精霊流しは本日中止します」と張り紙が1枚、仕方なく墓参りだけして持ち帰りました。2万数千円したレインウェアーはさすがに雨が強くなっても上半身は全く濡れることはありませんでした。帰って夕刊を読むと、「いい耳」欄に中止になった供物をどうするか神戸市の担当者にたずねると「ゴミステーションへ」と言われ、供物をゴミ扱いにすることへの抵抗を述べておられました。明石市も同じ事になりそうで、明日のゴミステーションには供物が山積みされることでしょう。

 台風で時間をもてあましたので、写経をしたり、仏教の通信講座を読んだりしました。この仏教通信講座は、インターネットを見ていて見つけたものです。長南瑞生氏が葬式仏教を本来の仏教の教えに戻そうとメールを使って21回にわたって毎日お話しされているのです。結論はまだ受講中なのでわかりませんが人間の生きる意味を仏教の教えに沿って追求することになるのですadd@all.buddhism.ne.jpへ空メールを送るとこの講座に参加することが出来ます。この講座は短気ではじれったくてなかなか毎日の学習は出来ません。毎日焦らずに受講することが必要です。

8月14日(水) 「お盆」
 我が家のお盆は9日の施餓鬼から始まります。その前に塔婆を檀家寺へお願いに行き、あわせて寺の敷地内にある先祖の墓にお参りします。9日にその塔婆を受け取りに行き、12日に住職がお参りに来られる準備をします。朝9時過ぎに住職のご子息がお参りに来られました。

 13日は早朝から妻と墓参りをしました。往復3800歩程ですが、妻がこれほど歩くのは5月連休明けに腰椎圧迫骨折をして以来久しぶりです。この圧迫骨折で介護ベッドを借りたのですが、その際、介護認定が必要になり、総合支援センターの職員が来られて申請してくださり、市から担当者が状況の調査に来られました。その間実に早く進み、介護ベッドをレンタルしてくれたパナソニックの担当者にはお世話になりました。7月になって6月付で介護認定を受けることが出来ました。

 妻は治療を受けている整形外科を通して腰のコルセットを作ってもらい、なんとか日常生活を取り戻すことが出来ました。そのおかげで連日のお盆の行事を無事こなしています。13日には先祖の迎え参りをした後、村内の2軒の親戚の家の先祖にお参りをします。私が親戚回りをし、妻がお参りに来られた親戚の方々の接待をしました。15日には精霊流しと先祖の送り参りをするのですが、今年は台風で実施できそうにありません。こんなことは結婚57年以来初めてなので、どうなるのか明日になって市の精霊流しの供物の収集の様子を見たいと思います。

7月27日(土) 「ウォーク」
 最近歩くことがほとんどなくなりました。それは妻が5月連休の後圧迫骨折をしたため、一緒に出歩くことがなくなったからです。そのためお腹がぷっくり膨らんできました。これはいけないと一昨日江井島海岸のウォークに出かけました。いつもは八木の遺跡公園まで往復8000歩程歩いていたのですが、今回は八木住吉神社まで6000歩弱のウォークにとどめています。往路は分速100歩くらいのペースで歩きましたが、帰路は意識しなければペースがぐんと落ちてしまうからです。すっかり持久力がなくなっており情けなく思います。きのうはドライブに出かけたので、今日は雨が上がった夕方に同じコースを歩きました。一昨日よりは身体の動きはましですが、しばらくはこの距離でペースを上げたいと思います。ちなみにここ2週間の間で最高は8229歩、5000歩を超えたのは4日だけです。このようなことは退職以来最低です。

7月3日(水) 「スクールガード」
 月・水・金曜日の午後、家にいる時は小学生の下校の見守りを家のそばの信号のある交差点でしています。明石市ではこの見守りをスクールガードと呼んでいます。オレンジの帽子に名札をつけ、「横断中」と書かれた黄色の旗をもって立ちます。出来るだけ笑顔で「お帰り」「さようなら」と声をかけます。数年前まで子どもたちは名札をつけていたので、名前を呼び、お互いに親しみがありました。しかし、防犯上の問題で通学時には名札を外すようになりました。そして知らない人には声をかけられても無視するように指導されたためか、我々の声かけにも無視する子どもたちが増えてきたように思います。それでもオレンジの帽子をかぶっていると、こちらから声をかければ低学年程挨拶や話をしてくれます。2〜3日前の神戸新聞夕刊「いい耳」欄に、「見守りの服装をしていない時は声かけをしないようにと指導された」と言う発言が載っていました。いささかさびしい世になったなと思いました。弱者を狙う悪意のある人が多くなったのでしょうか。

 先日、見守りをしている時に雨が降り出しました。そこへ低学年の女の子ふたりが傘を差して帰ってきました。信号待ちをしている間に、ひとりの女の子が思いきり手を高く伸ばして私に傘を差し掛けてきました。思わず「やさしいね」と私が言うと、「「私傘が2本あったからこの子に傘貸してあげたの」と優しいことを言うのです。きっとこの子のお母さんも何気なく人を気遣っておられるのだろうと思いました。8年以上スクールガードをしていて、友達に傘を差し掛けている風景は常時ありますが、私にまで自然に気遣いの出来る子どもに出会うのは初めてでした。

 一昨年の3月修了式の日に、中学年の男の子が私に「僕たちの安全を1年間見守ってくれて有難う」と握手を求めてきたことがあります。学年が大きくなるにつれて照れくさく思い、こちらの声かけへの反応が小さくなります。それでも中には頭を下げながら挨拶を返してくる高学年の子どももいます。家族の姿を見ていて自然とそのように育つのでしょうね。

6月28日(金) 「いよいよ夏姿」
 真夏でも屋外活動をする時は長袖を着ています。今朝もグラウンドゴルフがあり、長袖を着てグラウンドへ行きました。昨日の大雨でもグラウンドは水が引き、絶好のコンディションでした。ローラーをかける必要もなく、けれども集まったのは五人だけ、蒸し暑さの中でプレイをしました。最後の4ゲーム目には汗がぽたぽた落ち始める始末。終わって家に帰ると着ていたものはすべて洗濯機に放り込み、昨夜の生ぬるい残り湯に飛び込み、汗を流しました。風呂から上がって、今年初めて半袖のポロシャツに半ズボンを着用しました。私の夏姿です。屋外で小学生の下校時の見守りをする時もそのままの姿でしたが、それでも蒸し暑さを感じました。しかし、昼間は快適でしたが、夜窓から入ってくる風は涼しく、上から長袖を着てしまいました。まだ真夏の気候ではないようですね。

6月9日(日) 「梅雨前の収穫」
 まもなく梅雨に入りますが、その前に収穫しておくのがタマネギとジャガイモです。タマネギは300本植えました。しかし、葱坊主が出来たり、一口で食べてしまえそうな小さいのがあり、実質200個ほどがまともなタマネギです。それでも娘に送ったりするので、我が家用に大小あわせて150個程網袋に入れて軒下にぶら下げておくことになります。葱坊主の出来たタマネギは早めに収穫して、味噌汁の具になったり、カレーや肉じゃがにして早めに食べてしまいます。先週金曜日に雨が降るということで木曜日に収穫し、1日シートをかけて雨をしのぎ、土曜日から天日で乾かしています。

 今日は息子夫婦が来てくれたので、午前中ジャガイモ掘りをしてもらいました。畝を作らず平地にぎっしり植えていたので、土をかけることが出来ず、緑色になってしまったのもあって、収穫量も減ってしまいました。男爵2sとメークイン1s植えていましたが、特に男爵に緑色になったのが多くありました。追加で植えたメークイン1sはまだ引かずにおいています。

 一方、今年は小玉の南京を1本だけ植えました。菜園ではなく庭に土を盛って苗を植え、肥料の効いた土を周りに継ぎ足して水をしっかりやりました。親ツルの節を4カ所残して先を切っておくと、4本子ツルが出てきて、日に日にツルが伸びていきました。初めのうちは雌花ばかりで、雄花がなく受粉しませんでしたが、それぞれのツルに雌花が咲き、雄花も根本付近に咲き、雨で受粉できない日もありましたが、なんとか今日までに4個大きくなり始めました。数年前菜園で2本植えた苗がどんどん大きくなり、小玉のカボチャが27個も実ったことがありました。今年も10個程収穫できればなと思っています。

そのほかトマト5本、ピーマン1本、ゴーヤ2本植えていますが、こちらの収穫はまだ先です。そして、トマトの又芽の枝を取った後その枝を挿し木していたらそれぞれしっかり根付き、菜園に2本そして今日新たに4本タマネギを引いた後に植え付けしました。さらにサツマイモ「紅はるか」を10本買ってきて植えましたが、その内1本は新芽を虫に食われ根付きそうにありません。これから先どれほどの収穫が出来るか楽しみです。

5月26日(日) 「近場の遍路旅〜徳島13番大日寺、16番観音寺、15番国分寺」
 妻が先週は腰痛に悩まされ、月曜日に車で整形外科に連れて行きました。レントゲンを撮ってもらいましたが、原因は明確にならず、とりあえず痛み止めの薬をもらって飲み湿布をこまめにしました。翌日は起き上がることが出来ず、どうなることかと思いましたが、日に日に少しずつ痛みが和らぐようでした。今日の日曜日に息子が出かけようかと言ってくれたのですが、車高の高い車に乗れそうにないと断っていました。それでも家でじっとしているのに我慢できず、書きためた写経を納めに遍路旅に出かけたいと前夜になって言いだし、近場で妻がお参りをしたことのないお寺を考え、徳島市近辺で坂や階段のないお寺を選びました。

 日曜なので道路はあまり混まないので、8時に家を出ました。先ず郊外の大日寺を目指しました。カーナビは徳島道の徳島ICから行くように表示しましたが、お寺のホームページの案内は藍住ICからになっていたのでその通り行くとにしました。しかし、カーナビがとんでもない道案内をし、車一台がやっとという細い道を通って再び元の広い道につながるなど、訳のわからない案内をしてくれました。それでも10時過ぎには無事到着、妻の歩行にあわせてゆっくりお参りをしました。日曜日だったからか、次々参拝者がお参りにやって来て、マイペースの私たちを尻目にお参りを済ませていきました。

 11時を過ぎていたので、昼食でうどんを食べることにし、初めてカーナビで店を探しました。最初に候補に挙がった店に行くことにし、車を走らせました。途中次々とお寺の標識を見ましたが、無視して走ると、16番観音寺を通り過ぎたすぐのところに目的のうどん屋がありました。気温が高かったので、温玉ぶっかけ冷やしうどんを食べました。

 ゆっくり休んだ後、そばの観音寺にお参りしました。本堂が改修中で、仮本堂にお参りしました。山門でお菓子のお接待をいただきました。例によってゆっくりしていると、観光バスで団体がやって来ました。早くしないと添乗員に団体の納経をされるので、太子堂をお参りする前に納経所へ行きました。太子堂のお参りを済ませたとき、団体客が太子堂へやって来ました。

 次の16番井戸寺へ行けば、また団体と重なるので、逆戻りして国分寺へお参りに行きました。ここは比較的お参りの参拝者は少なく、ゆっくりお参りできました。このあたりに昔国府がおかれていたと思われるので、近くの歴史資料館に寄ってみました。しかし古代の品々が展示されているだけで、国府についての片鱗は見られませんでした。ただ広い敷地だったので、国府の跡地だったのかなと思いながら、妻の体調を考え帰りは、板野まで県道1号線を走り、帰路につきました。

5月22日(水) 「明石第九合唱団員募集開始〜驚きの出足〜」
 昨日川柳教室の帰りに市民会館で明石第九合唱団の申し込みをしました。募集定員は230名です。ところが初日12時30分頃に行ったのですが、受付番号は103番とほぼ定員の半数がすでに申し込んでいたのです。申し込み締切りは9月3日ですが、昨年は練習初日に定員オーバーで受付は締め切られました。練習初日に申し込んだのに、遅く来たばっかりに定員オーバーで受け付けてもらえなかったと悔やんでいた人もいました。一昨年は練習3日目に定員に達したと驚いたのですが、昨年のことがあったので、今年は受付初日の午前中に定員の半数の申し込みがあるという驚きの出足になったのだと思います。長年定員に達するのは8月下旬でした。受け付け終了までに定員に達するか心配した時期もありました。ちなみに昨年も受付初日の午後に申し込みましたが、受付番号は51番でした。

5月1日(水) 「平成から令和へ」
 昨日からテレビで天皇の代替わりでを見ていました。しかし早くからつまらぬ人の天皇の話ばかりで、昨日は夕方5時までケーブルテレビの「コロンボ」などを見ていました。5時から始まった退位の儀式が終わるとまたそのニュースや座談会などばかりで、かと言って他のチャンネルではお笑い芸人のよりつまらぬ番組ばかり、再びケーブルテレビの映画を見てしまいました。

 今朝も新天皇の即位の儀式が始まるまで昨夜と同じ事の繰り返しで、儀式が始まるまで家の用事をしていました。そのような中、令和になって最初の事件は火事でした。家のすぐ近くで消防車が次々にサイレンを鳴らしながらやって来て止まりました。一番近くに止まった消防車は消火栓にホースをつないでいます。これは大変と妻に知らせると、「カメラ」と言います。仕方なくカメラをもって改めてホースの先を見に行くと、家から30メート先の工場に消防士が続々入っていきます。しかし煙もなく、すぐに出てきました。どうやらぼやで済んだようでホッとしました。このような騒動があったので即位の儀式は見たものの、新天皇の最初のお言葉は聞き逃してしまいました。

 平成の時代は阪神淡路大震災をはじめ、大きな自然災害が次々と起こり、原発事故まで併発して大変な時代でした。それでも日本における戦争がなく平和であったことが昭和の戦前生まれの者にとっては一番おだやかな暮らしが出来たと思います。令和の時代が日本だけでなく世界で戦争や内乱がない時代になっていくこと、そしておだやかな時代になっていくことを願うばかりです。そのためにも、一日も早くすべての原発が廃炉になることも願っています。

4月26日(金) 「下痢・嘔吐〜悪夢の3日間」
 先週金曜日(19日)特に予定がなかったので、久しぶりに淡路へ出かけることにしました。今年は桜の開花から低温が続き何度も花見が出来たので、チューリップを見に行くことにし、国営明石海峡公園へ行きました。予想以上に美しく、お昼も園内のレストランで妻はしらす丼ぶり、私は淡路島牛丼を美味しくいただきゆっくり公園の花を満喫しました。

 帰りに花さじきへ寄ると、こちらは黄色の菜花が一面に咲き誇っていました。

 家に帰り、夕食に豚肉の生姜焼きを炊きたてのご飯で食べました。最近忙しくて買い物にあまり行っていなかったので、妻は冷蔵庫の残り物を整理していました。だから豚肉とともに、1本残っていたソーセージも短く切って焼いてくれていました。私は豚肉を中心にソーセージは2〜3個食べたと思います。ただ妻はあまり肉を好まないので、ソーセージをたくさん食べたのかもしれません。翌朝起きると妻は気分が悪いと言い朝食もとらず、、昼前頃から下痢嘔吐が始まりました。

 一方私は朝食で昨夜のソーセージをまた2〜3個食べていました。昼は息子がパンを買ってきてくれたので一緒に自家製のトマトスープとたくさん食べました。午後から神戸で会合があり、2時間程会議に出席して、夕方帰宅しました。妻は特に下痢がひどく、落ち着いていられない状況でした。夕食の時間になって私もむかつきはじめ、夕食は手をつけませんでした。そのうち下痢が始まったので、妻と同じ状況を予感し、早々と布団に入りました。床につくとき、万一に備えて洗面器を枕元に置いておきました。その後も何度かむかつき、トイレで吐き出そうとしましたが、はき出すことが出来ませんでした。深夜、トイレに行きたくて目が覚め、ひどい下痢便をしました。布団に戻ったとたんにむかつき、慌てて洗面器で受けると、一気に嘔吐しました。その量は今までになく多く、昼に食べたスープとパン、会議で飲んだコーヒーをすべて出し尽くした感じでした。すると、寝たときに感じていた胃の膨らみがいっぺんにへこみました。すっきりしたのでそれから少し深く眠りました。

 日曜日の朝も下痢をし、水分も受け付けないので身体がだるく、夕方「韋駄天」が始まるまで眠っていました。夕食におかゆを勧められましたが、一口食べただけで、気分が悪く、すぐに休みました。

 月曜日の朝、この日は高年クラブ連合会旅行の費用を納めに明石まで行かなければならないのと、医療センターで妻の検診があり、消化の良いヨーグルトなど少しだけ朝食をとってから、二人で車で出かけました。無事二人の用事を済ませ、卵もない程冷蔵庫が空だというので買い物をして帰りました。二人とも食欲がないので、買い物もあまり進みませんでした。そのときに買ってくれたサンドイッチ用のパンで翌朝簡単な薄い卵ハムサンドなどを作ってくれました。やっと食事をした感じでした。身体がだるいのは脱水症状かと思って水分をとるようにし、それから少しずつ食事の量も増え、やっと便もでるようになりました。きのうはグラウンドゴルフにも参加し、近場を5000歩程ウォークするなど、日常生活に戻りましたが、歩くスピードは遅く、庭仕事もなかなかはかどりません。高年クラブの親しい仲間がこの間二人も続けて亡くなり少々落ち込みましたが、昨年9月に結婚した孫夫婦が10連休中に遊びに来ると言ってきたので、やっと元気が出てきました。

4月2日(火)〜3日(水) 「四国遍路で宇和島へ」
 写経が書きたまってきたので、四国遍路に出かけることにしました。57年目の結婚記念日だったこともあって1泊でお参りすることにしました。宿泊するホテルをインターネットで探しましたが、なかなか見つかりません。それでも1泊朝食付き、2名一室という条件で打ち込んでいると、JRホテルクレメント宇和島の予約が出来ました。予定到着時刻は18時、料金9600円ということなので、二人で19200円の予算を組みました。前日までに遍路の準備を整えて車に積み込みました。

 朝6時に出発する予定で早めに床につきましたが、目が覚めると未だ2時前、トイレに行ってしばらく目覚めていましたが、そのうちに眠り込んでしまい、目覚めると6時前、6時半に出発しようと洗面を済ませ、車へ行くとフロントガラスはカリカリに凍っていました。真冬でも滅多に見られない光景に驚き、急いで水でフロントガラスを拭きましたが、なかなか溶けません。そのうち妻がお湯を沸かしてもってきてくれました。おかげで出発は6時40分を過ぎてしまいました。道も出勤の車が増えて姫路バイパスに上がるまで時間がかかりました。中には雪をかぶった車も走っていました。

 姫路西ICから山陽道を走りましたが、こちらは順調に走ることが出来、80〜90キロで走るトラックについて走りました。8時半頃パーキングに止めて持参したおにぎりで朝食を済ませ、41番龍光寺をカーナビに入力して石鎚SAまで走りました。今年はいつも買っている家庭用の文旦が買えなかったのでこの面でも期待し出かけていましたが、石鎚SAで10キロ2980円で売っていました。しかし小粒で今ひとつなので、宇和島方面で手に入らなければ帰りに買おうということにしました。

 カーナビのおかげでほぼ予定どおり1時30分過ぎに三間ICで高速を降り、先ず道の駅に寄りました。しかし大きな文旦は良い値段でしかも2〜3個袋に入っているのが売っていました。それでも少し買っておきました。目的地のお寺に到着、お遍路の服装を整えてお参りしました。久しぶりのお参りで戸惑いもありました。続いて42番木仏寺を入力して出発し、迷うことなくお参りすることが出来ました。そこでまだ時間があったので、宇和島市内にある別格6番龍光院へ行きました。階段を登りお参りを済ませ、見渡すと、目の前に宇和島城がそびえていました。
 
 宇和島はどこへ行っても桜は満開で、ホテルに18時に着くまでにまだ時間があり、宇和島城へ行きました。坂を登っていくことができるので登り詰めると、そこからは自然石の石段でした。手すりもないので妻の手を引きなんとか本丸までたどり着きました。妻はお城に登る程の余力がないというので、私ひとり天守閣の最上階まで上がりました。上から見るとJR宇和島駅が見えました。ホテルの位置がだいたいわかり、しかもそれほど距離もなさそうなので安心しました。石段の下りは登りより大変、妻を支えながら時間をかけて下りました。

 ホテルは駅そのもので、駅前の混雑に巻き込まれるのではと心配しましたが、地方都市の駅前は心配することもなくホテルの隣に駐車場もあって時間前にスムーズにチェックインできました。宿泊時の駐車料金300円を含めて9900円と請求され、思わず二人でですか?と言ってしまいました。予約の9600円という表示は二人の料金だったのです。夕食は近くの料理屋で郷土料理を食べようと思っていたのですが、同じような料理がホテル内のレストランで1000円程高かったのですが、宿泊者は10パーセント割引だということで、出かけることもないのと結婚記念日だと思ってホテル内のレストランで済ませることにしました。冷酒で乾杯し美味しい郷土料理を楽しみました。

 一室2名で夫婦で泊まるという条件で予約したため、生まれて初めてダブルベッドの部屋でした。普段は畳の部屋で眠っているので、私が夜中にトイレに行っても耳の聞こえない妻は目覚めることはありませんが、ベッドは動くたびに揺れるので、そのたびに地震かと思って目が覚めたと不評でした。やはりツインという条件を加えるべきでした。

 翌日は早く目が覚め、朝食をゆっくり頂き、荷物を整理して9時までにチェックアウトし、43番明石寺へ向かいました。お参りを済ませた後卯之町へ行きました。この町は20年前歩き遍路をしていて、明石寺のお参りを済ませた後峠を越えたところの歴史のある古い町並みに驚き、感動したところなので、ぜひ妻に見せたいと思ったのです。たまたま最初に訪れた記念館でひな祭りをしていて、きつねのお面をつけた雛など珍しい妻の喜んでいる姿にホッとしました。
 
 町そのものは規模は小さく妻を感動させることはありませんでした。しかも昨日の宇和島城での登り下りで足が痛いと見学して回る意欲をなくしてしまっていたようです。道の駅どんぶり館へ寄り、お土産などを買い求めた後、お昼近かったので昼食をしようとしたのですが、満員だったのt私が朝ホテルでたくさん食べたのあまり食欲がないと言ったことで、妻は食事への意欲も失ってしまいました。大洲へ行けば食堂があるだろうと車で向かいました。高速を走っていてうっかり一つ手前のICで高速道を降りてしまったので、そこから渋滞の中大洲市に入りました。大洲市役所に行けば観光案内の地図があるだろうと入力していたのですが、着いたところが市の福祉会館、そこで「まちの駅」を教えてもらって、来た道を引き返す羽目に、妻はもう歩きたくないのに、川向こうの桜に囲まれた大洲城の美しさを見にまちの駅から10分あまり歩いたので疲れはピークになったらしく、お城の本丸まで登らないと離れた公園から眺めていました。私はやはり桜のきれいなお城が見たいと本丸まで登ってきました。

 戻る道には食堂は見当たらず、結局まちの駅の近くにあるコンビニでおにぎりを買って昼食を済ませました。おはなはん通りも見せてやろうと思ったのですがそこへも行かないと車で待っていました。私は以前の歩き遍路で訪れて感動したところなのですが、一部分を歩いただけで帰りが遅くなってはとすぐに戻りました。そこから十夜が橋の空海の涅槃像を訪れ、般若心経を唱えて帰路につきました。

 大洲ICから高速に乗ったのですがすぐに眠気がするので、安全のためPAで車を止めて眠りました。熟睡したため、目覚めたとき旅行中の車の中だと気づくのに少し時間がかかりました。帰路文旦が気になり再び石鎚SAに寄り、買おうとしましたが、6〜7個袋に入った文旦が880円で、それを二袋買ってがまんしました。そこから例によってトラックの後ろについて今度は徳島道を走り、淡路南PAで夕食を済ませ、夜9時過ぎに家に無事帰り着きました。

3月31日(日)  「たこフィル定期演奏会と期日前投票」
 たこフィルの定期演奏会が明石市民会館で開催されました。賛助会員になっているので定期演奏会ごとに入場券を送ってくれます。いつも家内と二人で出かけるのですが、たまたま県会議員の投票の通知が来ていたので、市役所の駐車場を利用することもあって、ついでに期日前投票を済ませました。そのとき駐車割引券の手続きをしてくれました。おかげで演奏会終了後駐車料金は200円で済みました。今回の投票済証はカラフルで分厚く、しおりとして使えそうです。

 たこフィルの演奏会は発足当時は満席でしたが、今日はずいぶん空席が目立ちました。しかし演奏は素晴らしく、トランペット協奏曲は目新しく、大学4年生のソロ奏者も見事な演奏を聴かせてくれました。それにしても今日の曲目でオーボエのソロの場面が効果的で、オーボエの音色の素晴らしさを改めて感じることができ、満喫しました。指揮者も各パートを讃えるときもオーボエを一番に讃えていました。来年度の賛助会費もすでに納めているので、今年9月と来年3月の定期演奏会も楽しみにしています。

3月30日(土) 「林家愛染」
 地元自治会が主催する高齢者のための「つどいしあわせの会」に江井島出身の落語家・林家愛染が出演しました。彼は私の家のすぐそばのアパートで高校卒業の18歳まで住んでいたそうです。彼は未だ30歳なので私は知ることはありませんが、会場では同じアパートに住んでいたおばあさんが懐かしそうに話をしていました。

 彼の落語は2〜3年前、ながさわ徳利寄席で一度聞いたことがありましたが、ずいぶん余裕のある話しぶりで、1時間半たっぷりと笑わせてもらいました。

3月22日(金) 「切り絵アート展」
 先日の川柳教室で切り絵アート展の招待券をいただき、妻を誘って行ってきました。妻と出かけるといえば車で、しかも病院か買い物、そして三木山森林公園へのウォークで、たまに四国へお遍路の旅をするくらいです。私が都会へ車で行くことがないからです。今回の展覧会は神戸六甲アイランドにある「神戸ファッション美術館」だったので、山陽電車と六甲ライナーを乗り継いで行きました。山陽電車の阪神梅田行直通特急に乗ったら、家内にとって初めての新車で、その乗り心地も体験できました。

 私は切り絵展と言えば寄席で芸人がはさみできれいなかたちを切り抜いていくので、その延長線くらいにしか想像していませんでした。ところが会場で見た切り絵は髪の毛一本一本まで切り抜かれた芸術の極意を見せられ、その圧倒的な作品に感動するばかりでした。それでもユーモラスな表情の昔話や坂本九のうたをテーマにした作品を見るとなんだかホッとしました。それほど迫力があったのです。ビデオで制作しているところが映し出されていましたが、市販のカッターナイフを使って作られていたり、はさみで細かいところまで切られていく集中力はやはりすごいなと思いました。平日だったので日本を代表する10人の切り絵作家の作品をゆっくり見ることができ、招待券をくださった方への感謝の気持ちでいっぱいでした。

3月16日(土) 「再び会長を引き受けることに」
 今日は昼に西江井友愛クラブの総会がありました。会計2年、副会長8年、会長2年と12年間も役員を務めさせて頂いたので引退をお願いしました。男性役員5人を選出するですが、ある程度皆さんに受け入れられたのですが、それでも5番目の得票があり、役員を受ける羽目になりました。選ばれた5人はこれまでの顔ぶれと同じで、協議の結果30年度と同じ役割で行こうということになり、これから2年間引き続いて会長を受けざるを得なくなってしまいました。会長になると毎月の予定が立たなくなり、また妻にいろいろと迷惑をかけてしまいます。この上は校区高年クラブの大役が回ってこないことを祈るのみです。

3月14日(木) 「突然の目まいと投票の出口調査」
 夜中トイレに行くため起き上がろうとしたとき、思わず尻餅をついてしまいました。それで立とうとしましたが頭がくらくらして立ち上がれません。ヨツバイで部屋から出て、柱に捕まって立ちましたが、ふらついてうまく歩けません。人類猿のように首を前に突き出し、背中を丸めてなんとかトイレへ行きました。トイレでもしや脳梗塞ではないかと両腕を前に差し出しましたが異常はなく、トイレを済ませて寝床に潜り込みました。朝まで眠れたので起きようとしましたが、やはりうまく立てません。それでも柱に捕まってなんとか立ち上がり、薬の副作用かもしれないと、12日に処方された薬の説明文を読んでみました。

 ありました。処方された「モザプリドクエン酸塩錠5mg」という消化器官の働きを活発にする薬の副作用に「目まい、ふらつき」という記述がありました。12日の夜と13日3食後の4回服用しただけでこんなに副作用が出るのにびっくりしました。ただ、薬の副作用なら薬の効果が切れたら治るだろうと安心し、朝食を済ませてグラウンドゴルフに出かけました。

 昼食後知人に書類を届けるべく1キロあまり離れた家に歩いて行く予定でしたが、未だふらつきが完全ではなかったので妻を誘って明石市長の期日前投票に行くことにし、車で知人宅に寄って二見支所へ行きました。投票を住ませて投票所から出てくると、神戸新聞社の出口調査に引っかかりました。選挙速報で出口調査という言葉を聞きますが、60年間1回も棄権することなく投票してきた中で出口調査を経験するのは初めてでした。

3月12日(火) 「くぎ煮」
 今日はグラウンドゴルフの予定でしたが、7時頃からにわか雨が降り、グラウンドがすっかり水たまりになり中止しました。それでお腹の調子もよくないので妻の診察について行き、一緒に診察をしてもらいました。腹部のレントゲンを撮って診断を受け薬をもらって帰りました。

 病院ですっかり遅くなったので外食をし、帰りにAコープへ寄りました。魚売り場でイカナゴの新子が売っていました。当初より1000円安くなっているねと話ながら通り過ぎたのですが、初日に4300円で買ったという話を思い出し、2980円なら買って焚いてやろうかと妻が言い出し、くぎ煮が好物の私はすぐに賛成しました。醤油の辛さは高血圧の妻にはよくないとここ数年くぎ煮を作ることはなかったので、妻はくぎ煮のレシピを忘れていました。インターネットで材料を確認し、一気に炊きあげてくれました。最高の炊きあがりに、夕食は大いに進みました。しばらくはくぎ煮を楽しみながら食事が出来ます。

3月10日(日) 「ジャガイモの植え付け」
 朝から雨がポツポツ降っていたので、ジャガイモの植え付けは火曜日に延期しようかと思っていました。昨日の老人クラブの海岸除草作業で腰が痛かったのでその方が良いかとも思っていました。ところが昼食を済ませたところで外を見ると雨は上がっていました。急いで男爵2sとメークインを1s植え付けました。最後の2〜3個を植えようとしているとき、再び雨がポツポツ降り出しました。植え付けを終えて、道具を片付けていると雨がどんどん降り出しました。菜園が未だ少し残っているので、もう少し種芋を買ってきて植えようかと思っています。おかげで腰痛が再発、湿布薬を貼り替えてもらいました。

2月26日(火) 「ついにいやな季節がやって来ました」
 今日は比較的暖かだったので4時頃から浜の散歩道で1時間程ウォーキングをしました。それ以外にも、午前中は庭の菜園でジャガイモを植えるために耕したり、午後は土曜日の資源ゴミ回収の準備を屋外でしていました。夕方になって突然くしゃみの連発、家に入ると目のかゆさに、去年の4月に期限の切れた目薬をさしたりしました。それでも目のかゆみは治まりましたが、鼻水が少し増してきました。昨年買い置いていた保湿ティッシュを取り出してきました。これから6月頃まで花粉に悩まされるのかと思うと憂鬱です。

2月23日(土) 「映画会」
 友愛クラブ2月例会は映画会を開催しました。どのようなDVDが借りられるかわからないので、ただ楽しい映画を鑑賞するとだけ案内状に書いておきました。当日山田洋次監督の「家族はつらいよ」のTとVを借りることが出来ました。ただ家族の紹介や人間関係がわからないままVを見るともう一つ面白さが理解しにくいと思い、Tを上映しました。この映画はあまり見た人が居なくて、よかったと思いました。

 高齢になると映画館へ出かけることはあまりありません。以前窓口でチケットを買おうとすると「当日券は券売機で買ってください」と言われたことがありました。映画館へ行ったとしても、チケットを券売機から買う難しさは高齢者にはなかなか大変なことです。これからも機会があれば映画会を開催してみればと思います。

2月9日(土) 「極寒の中でも春の訪れ」
 観測史上まれな寒波の訪れで、北海道は氷点下10度以下、東京も凍結の上に降雪というニュースが流れています。そんな寒波の中、我が家ではスナップエンドウが花を咲かせています。1月中旬頃から咲き始め、冬だから受粉しないと言っていたのに、2月6日には退院してきた妻が早々と収穫しました。妻が退院してくれたおかげで、バラエティに富んだ食事が復活しました。感謝感謝です。


2月3日(日) 「恵方巻き」
 妻が入院する直前に恵方巻きの準備をしていました。刺身用の鯛で作る海鮮巻きです。しかし自分が入院することで、鯛も寿司飯も冷凍しておいてくれました。解凍するために電子レンジを使ったのですが、機器の扱いを知らない私はそれぞれ温めました。寿司飯は熱々になってしましい、鯛は周りが白く熱が入りすぎてしまいました。一枚の焼き海苔に、二人分の寿司飯と大葉を敷き二人分の鯛を入れたのでうまく巻くことが出来ませんでした。その上、巻いた後で卵を焼くのを忘れていることに気がつきました。卵焼きを作って一緒に食べればと思い、一応卵を焼いて巻き寿司の隣に並べました。

 昼まで老人クラブの案内状を作って配布の用意をしていて、気がついたら病院へ行く時間になっており、昼食もせずに家を出たので腹が減り、夕食の時間には2時間ほどあったのですが、作り置きしてくれていた粕汁も温め、わさび醤油も用意して寿司にかぶりつきました。恵方を向くのも忘れ、巻き寿司が太くて食べにくいことこの上なし、食べるにしたがって巻き寿司がばらばらになってしまいました。

 やはり妻がしてくれるように大葉をたっぷり入れ、きちんと切って食べるべきでした。そして無理に1本にせず、2本巻けばよかったと思いました。こんな料理下手なので、妻の居るときは決して食事を作ることはしません。

2月2日(土) 「第18回がんフォーラム」
 兵庫県立がんセンター主催の「がんフォーラム」がありました。妻と一緒に参加する予定でしたが、妻が予定より2週間ほど早く入院・手術することになり、私ひとりで参加しました。テーマは「新たながん医療の扉を開ける〜がんゲノム医療〜」でした。妻の手術の翌日だったので、とても身近に感じました。

 前半は今ひとつ理解できませんでしたが、第二部で埼玉県立がんセンター腫瘍診断・予防科 科長兼部長 赤木究氏の基調講演「がんは遺伝するの?」は素人の私にもよくわかる話でした。内容は
 @ がん細胞はどのようにして出来るのか? 正常な細胞ががん細胞への性質を変化させる。
 A 何が正常な細胞の性質を変えるのか? 遺伝子に変化が起こる(遺伝子が書き換えられている)ことで、細胞は性質を変化させている。
 B 遺伝子とは何? 細胞の核にあり、指令を出して細胞をコントロールしている。
 C 遺伝子の変化を調べれば、がんの性質(弱点)がわかる? 遺伝子の変化に対して、治療薬が存在することがある。
 D その遺伝子変化は、いつ起こった? 生まれる前からあれば遺伝性の疾患になってしまう。
  (若年性のがんは遺伝性の場合が考えられる。しかし70歳を超えてがんにかかる場合は高齢になり細胞の老化による遺伝子の変化と考えてよいのでは)
 このようなことについて図解しながら説明されたので、がんになるプロセスなどをある程度理解することが出来ました。

1月22日(火) 「四国五色台へ遍路旅」
 妻が近々入院をする予定で、それまでに書きためた写経を納めに四国へお遍路に行きたいと言うので、晴れて比較的暖かな日を待ちました。天気図を見ていると、22日が期待できるようなので、前日の夜に準備をし、朝9時頃に出発しました。目的地は五色台にある白峯寺と根香寺です。山陽自動車道から瀬戸大橋を渡り、与島で昼食の讃岐うどんを食べました。ここからはカーナビを頼りに坂出北ICから五台山を目指しました。駐車場に車を置き、階段を登ってお参りしたのですが、うっかり写経を車に置き忘れていることに気づきました。とりあえずお参りを済ませ、納経所の前に妻を待たせ、車に引き返して写経をもち、改めて階段を登って写経を納めました。

 そこから五色台スカイラインを東へ、根香寺へ向かいました。以前歩き遍路で歩いた道なので、懐かしく思いました。牛鬼にむかえられて根香寺の山門をくぐりました。ここからは下って上る階段が真っ直ぐに見えます。入院前の妻には大変だと思いましたが、四国遍路が出来る喜びからか、元気に上り下りしました。
 
 帰りは高松自動車道の津田の松原で一眠りしただけで、淡路島経由で7時には無事家に帰り着きました。


1月19日(土) 「50回忌と25回忌」
 今年は父が1970年に亡くなった50回忌と、母が阪神淡路大震災の年・1995年に亡くなった25回忌の年に当たります。そこで父の祥月命日に当たる1月19日に両方の法事を一緒にしました。家族だけで執り行うことにし、息子夫婦と娘、そして両親の孫に当る姪に出席してもらいました。幸い天候に恵まれ、前日や翌日と異なり、この日だけは墓にお参りしていても寒さを感じないくらいで、住職さんにもたくさんお話をしていただきました。

 お参りの後、お墓やお寺の近くにある江井島酒館で精進落としの食事をしました。前日お墓へ出かけたときに予約をしたのですが、満員だと言われました。それでも6人が入れる個室をとってくれていたのですが、なるほど到着すると、観光バスが4台も止まっていました。その団体客は私たちが行ったときには食事を終え、買い物をしていたので、料理は待たされることなく食べることが出来ました。そのときにたこの丸揚げを注文したのですが、たこ1匹がまるまるあげてあるのを見るのは初めてで、はさみで切って食べると、なかなかの味でした。近くなので時々利用する店ですが、この店でこのようなごちそうを食べるのは初めてでした。

1月12日(土) 「友愛クラブ新年会」
 現在会員は42名、新年会には29名が参加しました。はじめに会員の死を悼み黙祷を捧げました。そこからは気分を切り替えて、前会長の乾杯の音頭で先ずにぎり寿司やおつまみを頬張りながら歓談が始まりました。近隣の人々の近況や消息が話題になっていました。地域の老人クラブならではの話題だと思いました。

 開会から1時間ほど経ったときに、番号の書かれたカードが配られました。カラオケを歌える人は曲名を、それ以外に自分のやりたいパフォーマンスがあれば書いて提出しました。番号順にカラオケの曲目が書かれている人は音楽を流し、マイクを握って歌ってもらいました。何も書かれていない人にはじゃんけんゲームをしてもらいました。景品は1月2日の写経の会で頂いたお年玉や、年賀状を購入したときに郵便局でもらった日用品を当てました。たいしたものはありませんでしたが、会員全員が参加できるので、結構盛り上がりました。そして最後の景品は明石市の認知症に関する診断でもらった500円の図書カードを提供し、じゃんけんゲームをしました。いつもはそろそろ終わろうじゃないかと飽きてくる人が居るのですが、これは価値がある景品なので最後まで盛り上がりを持続することが出来ました。次回2月例会は映画会をすることと、2月の月・金曜日に江井島海岸公園や駐車場の清掃奉仕をしていただくお願いをしてお開きにしました。

1月8日(火) 「淡路花さじき」
 1月4日から病院通いの妻はどこへも出かけることが出来ず、しかも精密検査の結果がまもなく知らされるということで、ストレスがたまっていました。昨日暖かな一日で、本人は気を紛らすために出かけたいと思っていたようですが、私が久しぶりの暖かな日差しに布団を干していたので、その気をそがれ、結局コイモの収穫をしました。さらに幼なじみもたずねてきたので、家に居てよかったと妻も気を取り直していました。

 今日も朝から洗濯をしていたので、昼前になっていましたが、私が新聞に花さじきの早咲き菜花が見頃だと書かれていると伝えると、すぐに行こうと言いました。大久保インターから高速道で明石海峡大橋を渡り、淡路SAまで行き、昼食にパンを買って食べました。ここで高速道を降り淡路花さじきを訪れました。工事中で別の場所から入りましたが、黄色の菜花が広い範囲できれいに咲いていました。香りもよく気持ちのよい一時でした。しかし大半の花壇はまだまだ苗も小さく、3月の暖かな季節にならなければ一面の花を見ることはできないと思います。

 帰りにオアシスに寄ってみました。淡路島の鮮魚で握られたにぎり寿司が食べたいと言ったのですが、あいにく定休日で、後日改めて食べに来ることにしました。結婚記念日にでもと思いましたが、やはり火曜日、定休日に当たります。何か理由をつけて連れてきてやろうと思います。

1月2日(水) 「高家寺で写経」
 昨日来ることが出来なかった姪が挨拶にやって来てくれたので、一緒に早昼のお雑煮で新年の祝いをしました。その後私は写経に出かけました。人丸駅から人丸神社の横を通っていくのですがいつもながらの車の大行列で、それでも車でやってくる人々を横目で見ながら、その熱意に感心しながら坂を登りました。

 昨日写経の途中で居眠りをしたので心配でしたが、無事書き上げることが出来ホッとしました。写経の後過去にあった五重塔の建物跡を見せていただきました。復元工事がなされるとのことで、ずいぶん大きな建物が建っていたことがわかりました。

帰りは明石まで歩き、アスピアの展覧会を鑑賞しました。高家寺の老師が書を出展しておられたからです。例年干支が書かれた色紙をもらっているのですぐに書を見つけることが出来ました。色紙大にいろいろな作品が展示され、楽しく見せてもらいました。帰りに買い物をしたのですっかり遅くなりました。

1月1日(火) 「年末年始」
 更新をぐずぐずしていたら年が明けてしまいました。昨年は第九合唱団の演奏会も無事終え、年賀状も25日に投函し、無事に年が越せると思っていたら、川柳仲間の年賀状に一筆したためようと置いていたのが、31日の大掃除で残っているのが見つかりました。やっぱり無事に年越しすることが出来ませんでした。

 大晦日の我が家の恒例行事で、紅白を視聴した後、日付が変わるのを待って村の氏神様へ初詣に出かけました。甘酒のお接待を受け、しばらく老人クラブ仲間とおしゃべりをして帰りました。出かける前に風呂を焚いておいたのですぐに入り、身体を冷ます間さだまさしの深夜テレビを見ていたら、深夜2時になっていました。初日の出を撮るべくカメラに充電していたのですが、目が覚めたら7時40分、とっくに日の出の時間が過ぎてしまっていました。

 新聞を取り込み、朝の用事をしていたら、8時をかなり過ぎていました。ポストを覗くとすでに年賀状が2束届いていました。年賀状に目を通していると元旦の祝い膳を一緒にする息子夫婦もやって来ました。一人住まいの妻の姪も呼んで一緒に祝うことにしていたのですが、やって来る途中で携帯に電話が入り、同僚が急病で代わりに出勤しなければならないと断りの電話が入りました。

 お昼過ぎには息子たちは初詣に出かけてしまったので、私たちは写経をすることにしました。ところが寝不足がたたって写経の途中で何度も睡魔に襲われ、そのたび筆が紙にべったりと墨を落とす始末、さんざんの写経でした。だから新年早々昼寝をする羽目になってしまいました。その後年賀状の整理をパソコンでしていると、出していない人、住所を間違えていた人など、結果的には13枚新たに印刷して、夜に投かんしました。今年の年賀状の中に「高齢になったり、平成の終わりに際し本年限りで賀状を失礼する」と書かれた賀状が数枚あり、私のように「未だ元気に生きていますよ」というメッセージのための賀状とは意義が違うのだなと思いました。来年こそは元旦に年賀状の整理をしなくてもよいようにしっかり事前の準備をしておかねばと思っています

2018年の日記・トピックス

11月24日(土) 「20数年ぶりの海釣り」
 妻の従姉妹から誘われて、洲本市由良の港でさびきつりを楽しみました。海釣りをするのは孫が未だ小さい頃なので、30年近く前になります。初めのうちはリールの扱い方を忘れてしまっていて、もつれた糸をほどくのに時間をとられていました。それでも最初に釣ったのが15センチあまりのメバルでした。記念写真を撮ってもらいました。

 しかし慣れてくると要領を思い出しました。鰯、小アジの群れが泳ぎ回っていて、まさに入れ食い状態で、夢中で釣りました。そのうち地元の漁師が鰯をくれたりしたのも含めて、重く感じるほどの水揚げでした。最後はサビキの餌を入れる篭を岩に引っかけてしまい、針が3〜4本残っているだけになりました。仕方なく糸を垂らしてアミエビを撒くと、なんと1〜2匹小アジが釣れてきました。餌がなくなるまでそれを繰り返していると、いくらでも釣れるので、大漁になりました。こんなに目の前を鰯や小アジが泳ぎ回っている釣り場は初めてでした。子どもの頃から楽しんでいた釣の面白さが蘇り、また行きたくなりました。

11月17日(土) 「大塩笠形山のノジゴク」
 神戸新聞にノジギクが見頃だと載っていたので出かけました。10年ほど前に訪れたとき、見事な群生地に感動したからです。登り始めてすぐに休憩所がありました。地元の方が寄っていきなさいと言われたので、お言葉に甘えて休憩すると、そばにいた女性がコーヒーを入れてくれました。そして地元の方が焼き芋をくださいました。コーヒーを飲みながら景色を眺め、周りに植えられているノジギクを楽しみました。登る道中には絵に言葉が添えてあったり、俳句などが掲示されていて、楽しみながら登りました。
 
 以前来たとき、夫婦岩から一面に咲き誇るノジギクがあったことを思い出し、さらに登っていきました。道は結構険しく、登山道は笹竹に覆われていました。やっとの思いで夫婦岩に到着しましたが、ノジギクは2〜3本だけで斜面は笹竹に覆われ、遠くの景色も見ることができません。ここまで来ると引き返すわけにいかず、さらに馬坂峠まで登り切らねばなりません。アップダウンの激しく険しい道を妻の手を引きながらやっとの思いで峠まで来て、人工的に整備されたノジギクを見ることができました。あんなに立派な自然の群生地は全く見られませんでした。その後も大塩駅に戻るまであちこちにノジギクが整備されて植えられていましたが、自然の群生地を見ることはできませんでした。
 

11月10日(土) 「篠山探訪」
 篠山方面へドライブに出かけました。町中はよく行くので、今回は国道173号線沿いに走りました。国道を走っていると、「篠見48滝」の標識があり、行ってみることにしました。登り口で持参のおにぎり弁当を食べていると、次々人がやって来ます。しかし、ほとんどの人が様子を見ただけで引っ返していきました。昼食を済ませ、さて登ろうとすると大変な登山みち、なるほど登山靴で登るように書いてあった通りです。足の弱い妻にはとうてい無理で、私ひとりで様子を見に行きました。最初の『手洗いの滝』を見ただけで引き返しました。紅葉がきれいではないかと、キャンプ場方面に登ってみましたが、こちらも取り立ててきれいな紅葉もなく、妻の足にはかないそうにないので、あきらめて下山しました。

 再び国道173号を北上すると、『水分(みくまり)ダム』の標識があり、行ってみることにしました。小ぶりのダムですが、高さもあり湖面のきれいな景色にしばらくダムの上でのんびり楽しみました。それにしても兵庫県内はいろいろ行きましたが、まだまだ知らないところがたくさんあるのだなと思いました。
 

10月31日(水) 「近場の日帰り遍路」
 行きつけのガソリンスタンドが10月いっぱい割引するというので、書きためた写経を携えて香川県の遍路ドライブをすることにしました。537段を上らねばならないという弥谷寺に行くことにし、道の駅ふれあいの里みのを目指しました。例によって早く起きて朝食持参で6時過ぎに出発しました。

 姫路バイパス高砂西から自動車道に乗り、姫路西ICから山陽自動車道を走りました。途中吉備SAで朝食と休憩を取り高松道三豊ICまで走り目的地に9時30分に到着しました。いやだに温泉で昼食に鯛釜飯が食べられること、太子堂までバスに乗れることなど説明し、山登りが困難な妻を納得させました。妻は帰りは階段を降りるというので、片道だけバスに乗ることにしました。

 太子堂からでも本堂までは100段以上登ります。ゆっくりしたペースで登り、お参りをしました。意外にもお参りの人は絶えず、外国人の姿が多く見られました。さすがに私たちのように菅笠をかぶってはいませんが、みんな白衣を着ていました。日本人の方が白衣を着ていない人が結構いました。
 
 時間をかけて道の駅まで戻ってくると11時30分、目的の鯛釜飯にヤリイカの刺身と地元エビのかき揚げ、それに味噌汁をつけても、ひとり1500円弱という安価な食事でした。ロビーに戻ると、別室で食事をしていた中国人の団体も出てきました。これほど外国人に四国遍路が人気だとは思いませんでした。そして、ひとりの若い中国人女性が妻のところへやって来て、「どうぞ」と言ってお接待を差し出してきました。毛糸で編んだ鍋つまみに小さな袋をくれました。中には中国のチョコレートなどが入っていました。自国を出発する前にお接待についても学んできていたようです。日本人が中国人のお遍路にお接待をするのならわかりますが、まさか中国人からお接待を受けるなど本当にびっくりでした。

 帰りに地図を見ると、近くの海岸に島まで橋の架かった神社があるようなので行ってみました。津島神社といい、橋は橋桁だけで渡ることが出来ません。それでも8月4〜5日のお祭りの日だけは板が敷き詰められ大勢の人々が渡っている写真がありました。
  
 その後曼荼羅寺と出釈迦寺をお参りしました。出釈迦寺では登り口で年配の女性からお接待と言って手作りの巾着袋をそれぞれもらいました。中にはポケットティッシュが入っていました。うどん県へ来ながらうどんを食べなかったので、帰路与島PAに寄って、レストランできつねうどんを食べました。讃岐うどんを使っていて、満足して帰宅しました。

10月16日(火) 「句会で初めての選者」
 9月23日(日)に神戸で句会「魚座」が開かれました。そのときの冊子が配られました。句会には川柳作家大西泰世先生の門下生を中心に第4回は69名が集いました。その選者になるように先生jから依頼されたのが第3回の始まる前でした。難しい兼題では私自身が「軸の句」を詠むことは出来ません。苦し紛れに以前から暖めていた句の中の単語「暮らし」を兼題にして頂きました。というのも私はフィクションの句が詠めないからです。皆さんの暮らしの中から生まれる句なら選者の役目を果たせるのではと考えました。

 今日頂いた「句会報『魚座』第4号」の4人の選者は川柳作家赤松ますみ氏、いつも神戸新聞の川柳投稿欄で名前を見る塩谷ひとみ氏、そして席題の選者大西泰世先生とそうそうたる方々で、私は身の縮まる思いで選者を務めました。ひとり2句ずつの投句で、68名分136句を1時間で読み取り、42句の平抜き、5句の佳句、天地人3句を選び出すのは大変な作業でした。語句に乏しく、専門的な勉強をしない私にとって、まず格調高い句を選び出すことは出来ませんでした。句会報を詠んでいて、中8の句も選んでいることから、かなり焦っていたことがよくわかりました。

9月17日(月) 「危うく命を落とすところでした」
 14日から孫の結婚式で金沢へ行っていました。今時珍しくホテルでの豪華で工夫を凝らした結婚式で大いに楽しませてもらいました。3日目、朝から帰路につきました。連休で渋滞情報が出ていたので、敦賀から舞鶴道にはいりました。片側一車線で対向車線とはポールとブロックで仕切られています。小浜あたりを70〜80qの速度で走っているとき、蒸し暑さに窓を少し開けようとドアのスイッチを操作しました。ところが思うような高さで止まらず、操作を繰り返しているとき、突然ガタガタとショックがあり、驚いて車線に車を戻しました。車に傷がついたかと心配でしたが、そのまま高速道を普段どおり吉川ICまで走り、無事帰宅しました。

 家に帰って車の傷を確かめると、目に飛び込んできたのはタイヤの傷でした。一部分がこぶのようにふくれあがっています。幸い運転席側のサイドミラーにポールが当たった傷が少し残っていましたが、車体は無事でした。翌日ディーラーに電話でタイヤの交換をお願いしたところ、とにかく様子を見ると言われすぐに車に乗っていきました。担当者が見るなり、夏の暑いときだったらタイヤが破裂し、大事故になっていただろうと言われました。タイヤの側面に入っているワイヤーが切れ、内圧で膨らんでいるとのことでした。すぐに中古のタイヤに取り替えてくれ、新しいタイヤを取り寄せて金曜日の午後に取り替えるといってくれました。

 前輪のタイヤが破裂すればハンドル操作ができなくなり、対向車線に飛び出すか、無事停車できたとしても後続車に追突されていただろうと思います。高齢者の事故が多いと言われていますが、こういうことなのだと大いに反省しています。無事生き延びることが出来たのは奇跡という意外に言葉がありません

8月26日(日)〜27日(月) 「高知県へ遍路旅」

 写経を書きためていますが、幸い桂浜荘の予約が取れたので高知市近辺のお寺を訪ねることにしました。先日福良まで高速道路を走って、車の状況もわかっていたので、淡路島経由で徳島道、高知道を走って高知へ向かいました。ところがガソリンの残量が意外に早くなくなっていくので、ガス欠にならないかと心配になってきました。そこで通りかかった大豊インターで高速道路を降り、ガソリンスタンドを探しました。普通インターのそばにガソリンスタンドがあるのですが、インターは山深いところにあり、高知方面と書かれた標識に従って車を走らせました。しかし、行けども行けども山の中の道で、カーナビは大豊インターに戻れといいます。かなり走ったところに役場があり、やっとガソリンスタンドを見つけました。ガソリンを満タンで23リッター入りました。未だ7リッター残っていたので、高知までは十分走れる量が残っていたことになります。高知方面へ行きたいというと、大豊インターまで15分(10q)と教えてくれました。私は高知の途中だと思っていたので、インターまで戻るのは気に入らなかったのですが、仕方なく大豊に戻り高知道を再び走りました。後で調べると方向違いでどうや国道439号を西に向いて走り、本山町へ来ていたようです。

 出だしがこんなだったのでカーナビの指示をよく見ていないで、南国インターで降りてしまいました。ここのインターのそばに道の駅があることは知っていたので、とりあえず昼食を済ませ、最初の33番札善楽寺へ向かいました。カーナビで簡単にいくことが出来ました。続いて31番竹林寺へ、入り組んだ道を案内してくれましたが、竹林寺の西門駐車場へ到着しました。足の悪い人はここからお参りするように書かれていたので、妻のことを考えてここからお参りしました。納経所は正門の近くだと書かれていたので妻を残して階段を降り山門を出たところまで行きました。なるほど正門の駐車場まで行っていれば、妻はこの階段を上り下りしなければならないところでした。

 続いて32番札所善師峰寺へ向かいました。カーナビの交差点での案内が送れ、行きすぎることがありましたが、途中武市半平太の屋敷の標識を見て、歩き遍路でここを通ったことを思い出しながら、なんとか到着し、無事お参りを済ませました。高台にある境内からの太平洋の眺めは抜群でした。

 この日はここまでにして桂浜荘に向かいました。再びややこしい道を案内してくれましたが、どこを走っているかわからないうちに無事到着、駐車場は日曜日とあって坂本龍馬記念館を訪れる人が多く、混雑していましたが、宿泊するというとあっさり近くに止めさせてくれました。案内された部屋は桂浜から太平洋が一望でき、車いすでも利用できる素晴らしい部屋でした。ただ入室したときの臭いがひどく、しばらく開け放っておきました。早速温泉で汗を流し、すっきりしたところで休憩を取りました。

 夕食の黒潮御膳も冷酒を飲みながら完食、疲れから横になるとそのまま眠ってしまいました。目が覚めたら10時を過ぎていたので、しばらくテレビのニュースを見、夕食の鰹のたたきと一緒に食べたニンニクの臭いが口に残っていたので、歯磨きだけをして床につきました。4時に目覚め、空を見上げると、家で見るよりもたくさんの星が輝いていました。ただ窓ガラスが塩風で汚れていたせいもあって、満天の星を見ることができませんでした。朝気がついたのですが、部屋の横に非常口があり、そこから外に出ればもっときれいな星が見えただろうと残念に思いました。
  
 浴場から日の出を拝み、朝食を済ませて、朝の元気な内にと思って、朝青龍がお寺の階段で足腰を鍛えたといわれている36番青龍寺へ行きました。急な階段でしたが木陰であったこともあって妻もゆっくりマイペースで上まで昇り読経も一緒にしました。妻が降りてくる間に納経所で朱印をもらい次のお寺、35番清瀧寺へ向かいました。

 カーナビが示す道を行くと、高速道路の下をくぐったあたりから道が狭くなってきました。そしていよいよ狭い道が山へと登っていきます。歩き遍路で来たときのことは全く覚えていなくてバックで戻ることも出来ず、ただひたすら対向車が来ないことを祈りながら進み続けました。急カーブでは脱輪しないかとヒヤヒヤしました。最期まで急な坂を上り詰めつと、やっと駐車場に到着しました。お参りをしている間も次々車が来てはお参りを済ませ下っていきます。無事に降りられるか不安を漏らしていると、妻が子どもを連れてお参りに来ていたワンボックスカーの若者に後ろをついて行くからとお願いしてくれました。途中2台の車に出会いましたが、2台とも相手がよけてくれ無事下の広い道まで降りきることが出来感謝感謝でした。それでも冷や汗が止まらず、お昼になっていたので、帰宅することにしました。

 帰路は南国SAで食事をし、途中PAで50分ほど熟睡し、淡路SAで一服をして無事家に帰り着きました。冷や汗をかいたからか、エアコンをずっとつけていても座席の背もたれにかけてたタオルがぐっしょり濡れていました。来月になったら孫の結婚式で金沢までドライブです。

8月8日(水) 「新車で初ドライブ」
 6月23日に新車の購入を決めてから1ヶ月以上たった8月2日、やっと新車「スバルステラ スマートアシストG」を入手できました。簡単な説明を聞いた後、ディーラーからの帰りおっかなびっくりしながらコープこうべに寄って家に帰りました。途中直線道路に田舎道で、突然「速度にご注意ください」というスピーカーの声にびっくり、スピードメータを見ると60qを少し超えていました。制限時速50qだったのでなるほどと思いました。ただこれまでの車と違ってスタートダッシュは全くなく、ゆっくりとスピードが上がりましたが、軽々と走るというにはほど遠い感覚でした。

 その後、妻の病院の送迎や買い物に近くを走りましたが、スピードを出して走る場面はありませんでした。その走りからエコモードでは走らない車だという印象を持っていました。タコメーターを見ると2000回転を超えることはなく、なるほどエコだと想いました。これまでだとエンジンがうなるほどスピードを出して走っていたからです。

 今日は新しい車に少しでも慣れるようにと、目的地を決めずに国道175号線を北上し、さらに西脇からは国道427号線を走りました。神出から175号線に入ったのですが、スピードは出ないと思って走行車線ばかり走っていました。ところが前をのろのろ走るトラックにしびれを切らし、思い切って追い越し車線に出ました。すると3000回転を超え、素晴らしいスピードで走るではありませんか、アクセルの踏みようが弱かったことがわかりました。スタート以外はしっかり走ることがわかると、すっかり頼もしい車の印象を持ちました。

 青垣町を北上し、北近畿自動車道の有料トンネルに入ろうと手前でETCカードを挿入しようとしたのですが、カードが認識されません。車の価格にETCセットアップの代金が含まれていたので、使えないはずはないと何度か挿入しなおしたのですが、やっぱり認識できないというばかり、仕方なく遠阪峠を越えて和田山に入りました。そこから北近畿自走車道に入り、道の駅「まほろば」へ行きました。食事をしながらETCの説明書を確認しました。すると説明書の図とは上下反対に車に取り付けられていることがわかりました。試しにカードを裏向けに挿入してみると見事認識してくれました。これで一つ車の機能が使えることになりました。

 そのときにカーナビの扱いが今ひとつわからなくて、道の駅を調べてみようとしたのですが、「ジャンル」の中に道の駅はありません。あれこれボタンを押していたら、突然カーナビのふたが開きました。そしてCDやSDカードの挿入口が見つかりました。これならドライブレコーダーとして使えそうです。また説明書を読んで確かめておきたいと思います。

 帰りはディーラーのセールスマンが入力してくれた自宅の住所を入力しました。播但自動車道が示されましたが、一般道を選ぶと、遠阪峠越えのルートが表示されました。そのコースの通り走ることにしたら、青垣インターから北近畿自動車道に上がるよう指示されました。なるほどこの区間は無料だし、スピードも出るようになったので、自動車道を走りました。氷上インターで高速道路をおり、175号線ではもっぱら追い越し車線を走り家に帰りました。

 今日のドライブは200キロあまりでしたが、何度も速度に対する注意を受けたり、車線はみ出しのブザーを聞きましたが、ずいぶん扱いに慣れました。

6月27日(水) 「この年で新車を買いますか?」
 5月に車の免許証更新を無事に終え、12月まで今の車を乗り続けることにしていました。その後どうするかを考えていたときに、妻から「いろいろ新しいアシスト機能のついた車を買っては」との提案がありました。それで、6月の車の点検の時にスバルの軽自動車のカタログをもらい、少し説明を聞きました。家に帰ってカタログを詳しく読んでいると、高齢者の誤った運転による事故防止についてアシスト機能がついていることがわかりました。同じ買うなら少しでも早いほうが良いかなと思いました。

 23日(土)は朝から雨で、家でごろごろしていたのですが、いっそ車を見に行こうということになりました。詳しく説明を聞き、カーナビ、ETC、バックカメラなど純正の部品を安全のためにつけて見積もってもらうと取得税や手続きも含めて176万円ほどになります。さて下取り次第だと査定してもらいました。後ろを柱にぶつけてへこんでいるし、新しい機能もついていないのであまり期待はしていなかったのですが、19万円と言われました。納車時に現金払いにするというとさらに値引きをしてもらい、148万円になりました。予算が150万円くらいと考えていたのでその場で手を打ち、税金や手続き料など22万円を支払って帰ってきました。

 すでに81歳を超え、あと何年運転できるかわからないときに、新車を買うなどいささか常軌を逸しているかと思いますが、まあ人生最後の贅沢をすることにしました。

 今使っているポータブルカーナビを妻は「マーちゃん」と呼びます。カーナビはいろいろな情報を言葉で案内するので犬好きの妻が最後に飼っていた犬の名前をつけて、「マーちゃん」が案内してくれているように思うようです。だから長く(7年半)乗っていた車と「マーちゃん」への感謝の気持ちで、四国遍路へ行こうと提案しました。それで雲辺寺へ行きました。香川県の西端の最高峰のお寺で、ロープウェーに乗りました。この時期はお遍路する人もまばらでしたが、遠くまで行けたことに満足だったようです。

 さらに帰路、三豊市三野町の吉祥寺へ寄りました。ここは大きな涅槃像があり、前から訪れたいと二人で言っていたお寺です。重要文化財なので見せてもらえるのだろうかと心配しながら向かいました。行って驚き、ガラス戸の向こうにまつられていたのでガラス越しに覗いていたのですが。鍵がかかっていないようだったのでそっとあけてみると、間近に見ることができました。撮影禁止の表示もないので、フラッシュだけは自粛して、撮影させてもらいました。しっかりお賽銭を入れてきました。途中のうどん屋は前回ほどの味ではなく満足ではなかったのですが、それでもとても充実した遍路になりました。

6月17日(日) 「久しぶりの写経」
 家では時々写経をしています。そしてたまると四国の札所へ出かけて納めます。先日は車で郷照寺など2ヶ寺をお参りしました。

 今日は4ヶ月ぶりに高家寺で写経をしました。このところ老人クラブの校区会長会や旅行の予定と重なったりで、なかなか行くことが出来ませんでした。久しぶりでしたがメンバーは変わっていなくて、心落ち着いて書くことが出来ました。家で書くより文字が大きく、ハズキ眼鏡を持って行ったこともあって楽に書くことが出来ました。それでも7人中書き上げたのは最後でした。なんとか読経が始まる前に書き上げることが出来ホッとしました。

6月8日(土) 「ジャガイモの収穫」
 2月末に植えたジャガイモが立派に育ちました。狭い場所に3s植えたのですが、芽が出るときにはかなりの時差がありました。台風が近づき大雨が降るというので、花が咲いたばかりの茎もあったのですが、茎が枯れてきたものもあるので、思い切って収穫をしました。ジャガイモが緑色にならないようにと木の葉や土をかけていたのですが、少しは緑色になっていました。これは次に植えるときの種芋にします。ジャガイモは短期間で、成果も大きいので収穫が楽しみです。今年も3sの種芋から30sの収穫が出来ました。娘や息子にお裾分けをしようと思っています。

 一方、昨年秋の終わりに苗を植えたタマネギも今年は豊作です。一昨年泉州タマネギの育成が良かったので、昨年泉州タマネギの苗を200本植えました。さらに空いた場所があったので100本追加しました。冬の寒さが厳しく心配しましたが、暖かさと雨のおかげで順調に育ち、例年以上にタマが大きく、一部収穫しましたが、台風が過ぎ、梅雨の中休みで天気が続けば収穫しようと思っています。一部収穫した後にツルムラサキを植えました。夏の緑の野菜として重宝するからです。

 トマトも7本順調に実をつけていますが、未だ実るまでには時間がかかりそうで、これまで中玉トマトを2個収穫にとどまっています。2本のピーマンとともに台風の影響がないことを祈っています。さらに小型のカボチャを2本植えていますが、5〜6個実をつけています。しかし1本は同じツルに3個実をつけたためか、それ以外のツルも雌花が大きくなるまでにすべて黄色く枯れています。庭に土を盛って植えているので、栄養不足なのかもしれません。もう一本は菜園に植えているのでツル別れも順調で、次々実がなれば良いのですが、雌花が咲けば雄花がなく、雄花が沢山咲き出せば雌花が咲かないとちぐはぐで、収穫できるのはどれくらいか見当がつきません。

 狭い菜園でささやかな収穫の楽しみを味わっています。

5月27日(日) 「運転免許証更新」
 日記の更新が2ヶ月ぶりになってしまいました。その間沢山書きたいことがあったのですが、とうとう今日になってしまいました。

 高齢者講習が混んでいて、有効期限ぎりぎりになり、今日やっと更新することが出来ました。認知症検査は94点、高齢者講習の実技も普段軽自動車にしか乗っていないので心配しましたが、無事終えることが出来、更新することにしました。というのは最近道に迷ったり、アクセルの代わりにブレーキを踏んでみたりと、高齢者の運転の特性が見られるようになったので、自主返納を考えたりしていたからです。

 今回で返納を勧告され、最後の長距離ドライブになるかもしれないと思い、15年ほど前に出かけた妙高高原へ2泊3日でドライブに出かけたりしました。妙高では雨の中や霧の中を走ったりしましたが、高速道路も順調に走ることも出来、多少自信が戻ってきました。妻は無事更新できたら、アシスト付きの車に乗り換えても良いとまでいってくれました。しかし、今乗っている車はスバルが製造した最後の軽自動車で、まだまだ気持ちよく走ってくれるので、気に入っています。昨年12月に7年目の車検を受けたばかりなので、せめて12月までは乗り続けたいと思っています。

3月28日(水) 「腰痛に悩まされています」
 現職の頃は何度もぎっくり腰に悩まされていました。何かをした拍子に腰にピッと痛みが走り、動けなくなってしまったものです。しかし3日ほど寝ていると痛みが引き、1週間もすると軽い運動が出来るように回復しました。しかし今回は10年以上も遠ざかっていた腰痛に悩まされています。それも、これまでと様子が異なっています。

 24日(土)朝から老人クラブの清掃活動で、江井ヶ島海岸の除草作業を3時間ほど頑張りました。家の庭で除草作業をするときは、腰が痛くなるので風呂の椅子に腰掛けて作業をします。しかしこの日はしゃがんで除草作業を続けました。作業を終えて道具を片付けて帰り、家の菜園のタマネギの間に生えている草も中腰できれいに引きました。

 昼食を食べているときにゴミ置き場の前に置いた袋をゴミ置き場の中へ入れるのを忘れていることを思い出しました。私がゴミ置き場の鍵を持っていたので食後に出かけました。13袋の中にはかなり重い袋があり、それらを移動するのにかなり力を入れて放り込まなくてはなりませんでした。

 さらに家に帰って風呂桶を洗いました。その頃から少し腰に痛みを感じ始めました。その痛みは時間がたつに従ってひどくなり、早めに風呂に入って休みました。ところが寝返りも打てないほどの痛みになり、翌朝は日曜だったので一日寝て過ごしました。夜少しましになったので、大河ドラマが始まる頃に起き出し、じっと椅子に座っているとそれほど痛まないのでそのまま過ごしました。

 風呂に入って眠りましたがどのような姿勢をとっても腰の痛みは取れず、一晩中一番楽な仰向けの姿勢で眠りました。月曜日は女性カラオケのボランティアがあるのでとにかく起き出し、椅子に腰掛けて午前中は過ごしました。昼頃にはずいぶん痛みが楽になったので午後から近くの自治会館へ行き、なんとかボランティアの役割を果たすことが出来ました。あまり痛みを感じなくなってきたのでもう大丈夫かなと少し安心しました。ところが夜床に入り、寝返りを打つと相変わらず激痛が走ります。その晩も仰向けの姿勢で一晩中過ごしました。

 翌朝起きるとやはり右足で踏ん張ったり、姿勢を変えると激痛が走ります。おそるおそる歩いて予約していた歯医者へ行き、治療してもらいました。その後は家で腰掛けてテレビを見ながら過ごすしかありません。

 そして今日は中央体育館で「ステッキでウォーク」の講習会を受講する日だったのですが、断って朝からたこバスで整形外科へ診察をしてもらいに行きました。俯せになって背骨を押さえたり、患部を軽く押さえられても痛みはなく、レントゲンを撮ってもらっても特に骨にも異常は見られず、なかなか原因がつかめません。とりあえずコルセットと痛み止めの薬、そして湿布薬をもらって帰ってきました。帰り道のバス停までは何度も激痛に見舞われて立ち止まるなど、痛い思いをしました。腰を曲げて歩いていたのをコルセットで腰を伸ばしたからだと思います。早く腰痛から解放されて、今まで通りみんなとグラウンドゴルフを楽しみたいなと思っています。


3月15日(木) 「鬱陶しい花粉症がピーク」
 今年の花粉症の始まりは3月3日の四国太龍寺の参拝時
 ロープウェーの眼下の杉林は真っ茶色
 下山したとき駐車場で山からの風を感じ
 最初のくしゃみの連発
 しかし、すぐに車の中へ逃げ込みくしゃみは収まる

 その後小康状態が続いたが
 日を追うごとにまたくしゃみの数が増える
 昨日石が谷公園で「ステッキでウォーク」の講座を受講
 終わった頃からくしゃみの連発がたびたび起こり
 塵籠はみるみるティッシュペーパーで満タンに

 今日は朝から鼻水が止まらず
 ポケットティッシュを二袋持参したが
 車に常備しているティッシュも併用しながら
 2時30分に帰宅したときには
 ポケットティッシュは使い切っていた

 家に帰っても相変わらず水ばなが止まらない
 夕刊を取りに外へ出ると再びくしゃみの連発
 しっとりタイプのティッシュの箱は見事に空っぽ
 塵籠は昨日以上に押し込まれた状態で満杯
 明日は老人クラブのバス旅行で京都へ行く予定
 しっとりタイプのティッシュの箱持参で行かねばならないか‥

3月14日(水) 「テレビの買い換え」
 先日来、テレビの調子がおかしかった
 そして月曜日
 朝グラウンドゴルフに出かけるとき
 ドアを閉めたとたんに映像が消える
 音声は聞こえるのだが‥
 テレビのスイッチを点けなおしても
 映像は映らない

 NHKが近く4K放送を開始といっていたので
 次買うときは4Kだと言っていたのを聞いていたのかな
 音声だけ聞いていても
 いつも視聴している番組は想像できる
 しかし歌番組は
 下手な歌手のあらがよく目立つ

 昨日エディオンへ新しいテレビを買いに行く
 本当はパナソニックの製品が買いたかったが
 4K対応テレビは43インチが最も小さい
 部屋の大きさからいえば40インチが限度
 仕方なく東芝かシャープ製品から選ぶことになる

 接続するDVDレコーダーが東芝製品だということと
 スピーカーが前面にあり
 耳の聞こえにくい妻にとって聞きやすいという理由で
 東芝製品に決定
 妻には12〜3万円かかるといっていたが
 8万8千円で購入できた

 今日午後に届き設置してくれた
 ケーブルテレビ、DVD、カラオケの器具をセッティング
 パソコン用に無線LANを利用しているので
 YouTubeも視聴できることになる
 有料コンテンツは視聴しないことにする

 これまでの32インチテレビは枠が大きく、
 40インチになってもそれほど違和感はない
 ただ、バックライトがLEDのせいか
 白っぽく透明感の画像に
 なんだか頼りなさを感じる
 慣れれば違和感はなくなるだろう

 早く4K放送で景色を見てみたい


3月7日(水) 「ステッキdeウォーク講座」
 2月の明石市広報に「ステッキdeウォーク」講座の案内がありました。富士登山の時、2本の杖をつくとより姿勢が安定して登りやすいと助言を受けました。そこで正しいステッキの使い方が学べるのではないかと思い申し込みました。

 講座は4回で、水曜日ごとにあります。受講決定通知が来たので参加してみると、受講者はたったの3人。二人の指導者の下、最初は健康作りと、2本のステッキを使って歩くときの姿勢について講義がありました。続いて講座の効果を計るため、歩幅、歩くスピード、歩く姿勢の3種類の検査がありました。

 次に屋外へ出て杖の持ち方の実習をしました。その後杖を活用しながら準備体操をしましたが、杖が途中で前へ10p前へ曲がっているので扱いにくく、思うように活用できませんでした。杖を使った歩行訓練ではまず同じ側の手に持った杖と足が一緒に出てしまい指摘を受けました。次に姿勢に気をつけたあまり、身体が反ってしまっていると指摘されました。さらに杖を前につくときの腕が曲がっていること、杖が後ろへ十分引けていないため、肩甲骨が動いていないなど、次々指摘や指導を受け、なかなかステッキdeウォークのフォームが定まりませんでした。90分の講座はあっという間に終わり、次回までにウォークのフォームに気をつけながら歩けるよう宿題をもらって帰ってきました。

 あと3回は実習ばかりなので、フォームを固めたいと思います。そして江井ヶ島の浜の道を健康づくりのために週3回ほどウォークに取り組みたいと思います。

3月5日(月) 「グループ生き生きネット例会は雨で流れる」
 老人クラブの会長になって以来、先々の予定が立てにくく、昨年前半から例会を開くことが困難になり、休眠状態になっていました。それでもこの日は支障がないと3月5日に東二見の御厨神社へ梅を見に行く計画を立て、案内を出しました。ところが当日は朝から大雨、事前に不参加の連絡をもらったりしましたが、それでも集合場所へ行きました。が、集合時間が過ぎても誰も来る気配がなく、改めて電車に乗って姫路へ買い物に行きました。その車中で、現地に直接行っているとの連絡を受けましたが、電車は姫路近くを走っていてどうしようもなくそのまま中止になってしまい、直接現地に行かれた方には申し訳なく思っています。

 姫路からの帰りには雨が上がっていたので御厨神社へ寄ってみました。道中も境内も水浸しで、梅の花をゆっくり見る雰囲気ではありませんでした。

3月3日(土) 「四国遍路鶴林寺から太龍寺へ」
 昨夜妻が急に四国遍路に行こうと言い出す
 書きためた写経を持って朝7時に家を車で出発
 まずガソリンスタンドに寄って
 大久保インターへ
 高速道で明石海峡大橋を渡り
 南あわじPAで休憩

 そこからはカーナビに従って
 徳島市の中心街地を通過して
 県道16号線を西へ、
 途中「鶴林寺」の標識を無視して
 カーナビ通りに行くと変な道に入り込む
 やや遠回りした感じ

 道は車1台が通れる山道に、
 対向車が来ないことを祈りながら進む
 幸い譲り合える場所で2台の車に出会い
 無事山上の鶴林寺に到着

 土曜日とあって次々車で参拝者がやってくる
 お参りを済ませて次の太龍寺に向かう
 こちらは道が比較的広く
 これならバスツアーでも大丈夫だといっていたが、
 県道19号をロープウェー乗り場へ向かう
 だが、これまた途中から車1台分の道幅が続く

 やっとロープウェー乗り場の広い駐車場にたどり着く
 11時30分だったので先に力うどんで昼食を済ませる
 食後トイレを済ませてロープウェーの乗車券を買う
 二人で往復4900円あまりを支払う

 切符を買ってしばらく改札時間を待っていると、
 JAF会員証提示で割り引くという表示
 念のため尋ねると改札前なら大丈夫との返事
 会員証を見せると一人100円返金され、
 ちょっとだけ得した感じ

 ロープウェーは山越えと珍しい
 10分間の乗車で山上へ
 前回は歩き遍路だったので
 とても新鮮な感じ
 高い階段を登ってお参り、

 お参りの後廊下天井の竜の絵を見てロープウェーで下山
 カーナビで自宅を入力すると
 道幅の狭い県道19号を戻るという。
 途中狭いところで対向車に出会い
 バックしてなんとかやり過ごす。
 広い道幅のところまで来てホッとする
 
 途中から県道16号に戻り
 後は徳島市街を通過して徳島道へ
 淡路島まで来たところで眠気に襲われ
 緑PAで休憩
 
 朝4時半に目覚めたこともあって、
 椅子を倒して目をつむると50分間熟睡
 17時30分帰宅予定が
 18時20分帰着予定とカーナビが表示
 事故を起こさないよう
 明るいうちに帰らなければと思っていたが
 なんとか帰宅したときはまだ明るさが残っていた。
 315qほどのドライブだった

3月1日(木) 「あわただしい1日」
 朝8時から10時まではグラウンドゴルフのプレー
 終わってすぐに電車で明石市人丸駅へ
 まず勤労福祉会館へ行き
 明石市高年クラブ連合会事務局で
 連合会主催の日帰り旅行7人分の
 代金を支払い、申し込みを終える。

 続いて市役所市民税課へ
 準備した県・市民税の申告手続き
 ここでは番号札をもらう。
 私の番号は22番
 4人が受け付けているがなかなか終わらない。
 やっと呼ばれた人は19番
 次の予定が控えているのでイライラ
 一人の高齢男性は説明がなかなか理解できない様子
 終わった後も立ち上がってから
 担当者と無駄話

 別の高齢女性は私が終わる頃になってもまだ終わらない。
 そのほかはなんとか10分以上かけて
 席を立つ

 やっと番号が呼ばれて担当の女性の前へ
 一応書き込んで持って行ったけれど、
 社会保険の金額を妻の分まで加えて申告したら、
 本人の分だけと訂正される
 苦労して医療の支払い領収書を持って行ったが
 一覧表に記入していたので不要とのこと
 マイナンバーで照合が出来るのだろうか?
 来年から記入要領がわかったので
 郵送で済ませることが出来そうだ

 急いで家に帰り
 妻が準備してくれていたおにぎりを食べ
 再び電車で近くの自動車教習所へ
 午後1寺に始まる高齢者教習を受講しに
 これまでのような高齢者教習だと思っていたら
 認知症検査だけ
 高齢者教習は後日といわれがっかりして帰る

 早く終わったので自治会館で
 友愛クラブ総会の案内状を印刷
 担当役員と私の担当している会員へ配布
 家に帰り着くと疲れ気味、
 朝8時から夕方4時半まであちこち走り回って
 万歩計は1万5千歩を超えている
 これだけ歩いたのは昨年
 富士登山のための準備期間以来
 なんとか本日の予定は終了 ホッとする

2月21日(水) 「ジャガイモの植え付け」
 昨年植え付けが遅れ、例年植えるメークインの種芋が手に入らず、男爵いもを植えました。そのときの種芋が沢山あったのですが、やはりメークインがよいということで、種芋を3s早々に買っておきました。そして2月も下旬になり、気温もそれほど冷え込まなくなったので、今日朝から植え付けました。

 はじめに6列9段計54個植えるものと思っていましたが、いつの間にか7列10段計70個植えることになっていました。種芋の間隔が詰まった感じでしたが、種芋を半分に切って数を増やし、なんとか植え終わりました。それでもまだ寒い日があってはいけないと思い、やや深めに植え付けました。芽が出るまでにしばらく時間がかかりそうです。男爵いもは沢山芽が出ていたので、思い切って捨てました。それでも妻が男爵いもを別の場所に少しだけ植え付けていました。去年は大豊作でしたが、今年はどれほどとれるか楽しみにしています。

 また、タマネギも300本植えていますが、寒さが厳しかったのと乾燥がひどかったためか、何本かは苗が消えていました。追い肥をして水をやっておきました。特に寒冷続きと乾燥のせいで、冬野菜は育たず、特にレタスと春菊は全く育ちませんでした。仕方なく、今日は改めて春菊の残った種をまいておきました。4〜5月に口に入れば良いのですが‥

2月18日(日) 「西江井友愛クラブ2月例会」
 私が会長をしている老人クラブ「西江井友愛クラブ」の例会を開催しました。会員の一人が先月なくなったので、黙祷から始まりました。今回は寒さで固まった身体をほぐそうという目的で講師(会員)の指導のもと体操をしました。はじめにストレッチ、そして体操、最後にクールダウンと45分間DVDの映像を見ながらみっちりとやりました。ウォーキング以外普段あまり身体を動かしていないので、身体にこたえました。

 体操を終わり、連絡事項を報告した後、お互いの健康法や体験談を話してもらいました。私も2011年から(実際にはもっと以前から)大学ノート1行に体重、体脂肪、歩数、その日にしたことを記録したものを紹介しました。毎日風呂上がりに体脂肪計付き体重計で測定し、常に万歩計を身につけていると、その変化と原因がよくわかります。2011年に59sほどあった体重が、今は54s台で、昼に沢山食べたり外食をすると55s台になります。しかし普通の生活に戻すと、体重も元通りに減ります。昨年富士登山を目指して4ヶ月間ウォーキングの距離や回数を増やすと、53s台が続きましたが、富士登山が終わり、目標がなくなった9月以降は元通り54s台に戻っていました。記録をとっておくことの大切さがよくわかりました。

2月2日(金) 「続・右手親指の負傷」
 負傷した翌日、朝から前会長に頼まれた原稿を親指を使わずにパソコンで打ち込みました。昼前に終わったので、近くの診療所へ出かけました。ところが、血が出ているのなら治療するが、骨に異常があるようだから整形外科へ行くように受付でい会われました。紹介してもらった整形外科は木曜日は午後休診だといわれ、明日まで待つことにしました。

 翌金曜日にバスで出かけました。大久保駅近くのこぎれいな整形外科で、早速レントゲンを撮ってくれました。親指は爪の付け根から真っ青になって腫れており、看護婦さんもおそるおそる触り、「痛かったでしょう」と同情してくれました。結果は骨に異常はなく、「痛ければ爪に穴を開けて、内出血している血を抜きますよ」と言われましたが、考えただけでより痛そうで断って帰ってきました。

 28日にはずいぶん痛みも引いたので、風呂の湯につけてみましたが,お湯がしみるようで今までと同じように親指を浸けないようにして入りました。タオルも親指を内側にして握って絞ると痛みは感じなくなり、身体を洗ったり絞って身体を拭いたりできるようになり助かりました。しかしまだ車のエンジンキーを押さえて回すというような動作で親指に力を入れてねじると痛さを感じます。それでも筆を持って文字が書けるようになったので、写経も始めました。パソコンはマウスは親指が使えるようになりましたが、タイピングは親指は使わず、ほとんど人差し指で打っています。

1月24日(水) 「右手親指を負傷」
 朝目が覚め、まだ十分目覚めていなかったのか、雨戸を開けようとしてガラス戸のサッシに思い切り親指を挟んでしまいました。その痛さに思わず布団に突っ伏してしまいました。おやつ日の第一関節をそっと曲げてみると曲がるので、関節は助かったと思いました。しかし立ち上がろうとすると頭がくらくら、思わず布団に潜り込みました。とたんに電話が鳴りました。電話に出ると友愛クラブの前会長。私が電話に出るのが遅かったので「もう起きてるか?」と尋ねられました。まだパジャマだとこたえると、又昼からと電話が切られました。痛さのショックで貧血を起こしたのか、気分も悪くなってきました。再び痛さをこらえながら布団へ。

 しばらくして妻に親指に湿布をしてもらいました。その日は全く何も手につかず、家でじっと痛みに耐えていました。心臓より下へ右手を下げるとずきずき痛みます。右手をつっていると多少痛みがましになりました。夜風呂に入ってもタオルを使うことができず、右手を挙げて湯につかって身体を温めただけでした。右手親指が使えないということはほとんどの行動が制限されることを実感しました。

1月20日(土) 「四国札所20番焼山寺参り」
 家で写経をしていますが、何枚かたまるとお遍路に出かけます。今日は正月以来久しぶりに暖かだったので、前回11番藤井寺までお参りしているので、12番焼山寺へ車で出かけることにしました。焼山寺は山奥にあり、果たして車でどの程度行けるか自信なかったですが、カーナビを頼りに走りました。

 徳島市内を走るのは気が進まなかったのですが、なんとか走り抜け、カーナビの示すままに眉山のそばを右に左に曲がりながら、神山、剣山方面へ行く国道に出ました。ここからは鍋岩まで安心して走ることになったのですが、途中で昼食をしなければなりません。以前歩き遍路の時にはバスが鍋岩まで迎えに来ていたのお思いだし、そこに売店があったことを頼りに走りました。途中道の駅があり、トイレ休憩をしたついでにそばを食べました。これが正解で、鍋岩に到着したときには店も閉鎖されていて、そこから焼山寺まで食事のできるところはありませんでした。

 白衣に着替え、杖をついて駐車場からしばらく歩いてお参りをしました。納経所では納経料と駐車料金を払い、ご本尊を描いたカレンダーをもらいました。こんな山奥で不便なところに冬場参る人はいないと思っていたのですが、次々とやってきます。中には若いアベックも車でやってきました。細い参道で車に出くわさないように祈りながら運転しましたが、相手も軽自動車でなんとか交わすことができました。

 帰りにもう一度道の駅でトイレ休憩をし、そこでサイコロ状に裁断された檜の袋を買いました。かえって風呂に浮かすと檜風呂に入っているような良い香りがしました。なんとか暗くなる前に高速に乗ることができ無事帰宅できほっとしました。高齢になると安全第一の運転が求められます。

1月17日(水)〜18日(木) 「牡蠣づくしのごちそう」
 妻のいとこ夫婦に誘われて、赤穂パークホテルへ1泊しました。目的は今が旬の牡蠣料理を食べることでした。夕食に乙女という清酒を1合だけ冷やでのみ、牡蠣料理を楽しみました。これまで牡蠣フライ、土手鍋、牡蠣お好み焼き、牡蠣雑炊、牡蠣に吸い物くらいしか食べたことがなかったのですが、こんなにバラエティ豊かな牡蠣料理を美味しく食べさせてもらえるとは思いませんでした。最後に牡蠣コキアをとってくれましたが、すべての料理を食べた後だったにもかかわらず、美味しく頂きました。久しぶりに甘口の酒も美味しく、料理も美味しく感動の夕食でした。

 帰りに坂越の奥藤酒造で「乙女」を買い、相生の壺根で剥きたての牡蠣を買って帰りました。家でも美味しい牡蠣料理を作ってもらおうと楽しみにしています。

1月14日(日) 「友愛クラブ新年会」
 高齢者の集う新年会は余興といえばカラオケになります。32名の参加ということで1月のカレンダーを切り抜いて抽選用紙にし、受付で参加者の皆さんに1枚ずつ引いてもらいました。32がないので私が白紙を持っておきました。ところが一人欠席で、2番が残りました。本当は私が引かなければならなかったのですが、そのままにしておいて、1番の人から順に指名していきました。もちろん歌わない人にはカラオケを強要できないので、一言メッセージを頂きました。

 私は32番としてカラオケをやめ、司会用に置かれた机に上に座り、子どもたちに学んだ落語をやってみました。前日まで布団の中で噺を組み立てたりしましたが、途中で上手と下手を間違えたり、うまくいきませんでした。それでも落ちでみんなが笑ってくれたのでほっとしました。妻は落ちがバレバレだといっていました。

1月7日(日) 「子ども寄席」
 西部市民会館ホールで桂阿か枝(先代桂文枝の最後の弟子)が主催する「あかし落語塾」の発表会があり聞きに行きました。対象は小学生で、小学校2年〜6年生の子どもたち20人が,それぞれつけた芸名の由来を解説の後、小噺や落語を聞かせてくれました。女の子はきれいな着物に袴を着け、男の子は着物や浴衣姿で、高座に上がっていました。師匠の桂阿か枝は明石市立人丸小学校、大蔵中学校の出身で、人丸小学校の落語クラブの指導をしていて、「あかし落語塾」に発展したのだろうと思います。中には『うどん家花川』という芸名の小5の女の子が居て、芸名の由来について「お父さんとおじいさんがうどん屋をしていて、店の名前が『花川だからです』ときっちり店の宣伝をする子も居ました。

 その師匠が言っていたように「子どもたちはよく言葉を覚えていて、よどみなく話せた」と私も感心しました。保護者も含めて300人ほどの聴衆が聴きに来ていましたが、親御さんはドキドキ・ヒヤヒヤしながら見ていたと思います。かわいい噺家の話芸を楽しく聞かせてもらいました。私もぼけ防止のために、個人的に落語をやってみたいと思いました。

1月3日(水) 「正月3が日」
 午前0時を待って地元住吉神社で初詣
 澄み切った空には満月が

 朝トイレに行きたくて目覚める
 時計を見ると6時40分
 窓から外を見ると青空
 カメラを持って江井島港へ
 明石海峡大橋の上に
 雲間からご来光が
  

 息子夫婦に姪を加えて
 5人で新年の膳を祝う
 昨日解いたナンプレが違っていることに気づく

 年賀状がどっさり届く
 時間をかけて読んだ後
 パソコンの名簿で整理
 昨年喪中のはがきをもらった人に
 賀状を出していないことが判明
 急いで印刷をする
 ポストに入れて一件落着
 夜はDVD「しこ踏んじゃった」を鑑賞

 2日 箱根駅伝をテレビで視聴
 午後から高家寺の写経(書き初め)へ
 帰宅後DVD「駆け込み女と駆け出し男」を鑑賞
 よくわからない映画に眠気を誘う
 ナンプレの訂正をするがまだ間違っている

 3日 洗濯をしながら箱根駅伝の復路を見る
 空が暗くなったと思ったら
 みぞれが降っている
 慌てて取り込む
 空が晴れたので再び干す作業
 ナンプレを一からやり直す
 3日かけてやっと正答を得る

 夕食をとりながら
 DVD「蜩ノ記」を鑑賞
 初めて内容のある映画に引きつけられる
 ポストを見ると新たな賀状が届いている
 元日同様の処理をし
 グループ生き生きネットワークの
 案内状を作る
 明日はがきを買って印刷する予定

 あっという間の正月三が日が過ぎる

2017年の日記・トピックス

12月31日(日) 「今年一年間で思うこと」
 平成29年は私にとっていい年だったと思います。

 まず、妻が小康状態を保って無事新年を迎えられたことです。時々震えが出るほど寒がり、時には上げ下げすることがありましたが、半日眠るとすっきりした顔で元通り元気な姿を見せるので、このような状態になってもあまり心配せずに済むようになりました。ただ、外出中にこのような状態にならないかと心配で、外出の機会が少なくなりました。

 そんな妻なので、いつも自家用車で出かけます。それでも思い切って11月に栃木市を訪れました。ホテルを予約し、新大阪から東京までは新幹線で、それ以外は在来線に乗りました。車内では優しい人が席を譲ってくれたりして、ずっと座っていくことができたのは有り難かったです。栃木駅に到着後,観光案内所で地図をもらって蔵の街を見学しました。

 夕食時には娘夫婦が料理店でご馳走してくれました。夕食後車で蔵の街の夜景も案内してくれました。

 翌朝ホテル7階の部屋から、富士山がきれいに見えたのにはびっくりしました。朝食後、再び娘夫婦が迎えに来てくれて富士山がきれいに見える山へ連れて行ってくれました。栃木市から富士山までの距離はかなりあると思うのに、空気が澄んでいたからか、くっきり見え感動しました。

 その後足尾銅山へ連れて行ってくれました。妻は歴史的遺跡を見るのが大好きで、何よりのプレゼントでした。小山駅から再び新幹線に乗りましたが、デッキ近くに座っていた女性が妻に席を譲ってくれました。大宮からは二人で座りましたが、なんと窓から夕暮れの空に富士山のシルエットを観ることもできました。東京からは始発の新大阪行に乗ったのでゆっくり座れ,妻はすべての交通機関で座ることができ、疲れを軽減できたと思います。一泊二日の長い旅でしたが、無事に行けたことが何よりでした。

 次に印象深いことは、念願だった富士登山です。5月初旬に四国と小豆島歩き遍路でお世話になった先達夫妻から富士登山の案内をもらいました。この年で頂上を目指すことはとうてい無理でしたが、妻に背中を押してもらって、麓から6合目を目指すコースに参加することにしました。それからは朝早く起きて江井ヶ島海岸から谷八木川を往復する10000歩ウォークや,岩岡台地往復の7キロコースなど、4月から8月中旬まで週3回訓練しました。7月初旬に多少自信がついた頃、ツアー実施の知らせを受けいよいよ訓練に力が入りました。

 先達の助言や指示を受けながらゆっくりゆっくり登りましたが、無事6合目にたどり着いたときには思わず万歳をしました。夜中の空一面の星、雲海の上に昇るご来光、もう感動しっぱなしでした。無事に80歳の挑戦ができたことは人生の意義ある1ページでした。

 次に写経を書きためては二人車で四国の札所へ出かけたことです。足摺岬の国民宿舎に一泊して金福寺と岩本寺をお参りし、鯖大師に一泊して徳島県の南から高知県の室戸方面のお寺をお参りし、朝のお勤めを経験したこと、紅葉の美しい時期に四国遍路の結願寺をお参りできたことなど、いずれも心に残る小旅行でした。

 以上はプライベートのことですが、公では、3月の高年クラブの総会で会長職になってしまったことです。前会長はともかく、同年齢の男性役員3人がすっかり役を離れ、後に選ばれたのはみんな若く初めての役員だったので、やむを得ず会長を引き受けざるを得なくなりました。平成19年に会計を受けて以来、副会長を8年も続けてきたのです。従って今年で役員11年目、平成31年3月まで続けることになっています。会長を引き受けると、校区の会長会や、地域のつどいに顔を出さねばならず、これまで長く受講してきた歴史講座や、私が立ち上げたグループいきいきネットの活動も休止せざるを得なくなり、グループ会員に迷惑をかけたり、月1回出かける写経と法話の会にも参加できなかったりと、これまでの生活リズムが狂ってしまいました。2年間は我慢我慢です。

 今日はツタヤでDVD5本借りてきました。DVDを借りるのは2度目ですが、前回は高年クラブの映画会で映写するDVD候補を探しに行ったのです。そのときは3本借りたうち、妻が選んだ「海賊と呼ばれた男」が適当だと思い、高年クラブ例会で取り上げました。内容が素晴らしく好評でした。特に高齢になって聞こえが悪くなっても、字幕が出るのでみんなによく理解してもらえました。今回の5本の中に良い映画があれば次回行う映画会に取り上げたいと思います。お笑い芸人が勝手なおしゃべりをする正月番組に飽き飽きしてしまうので、DVDで正月を楽しみたいと思います。

11月29日(水) 「食の不摂生と運動不足で体重が‥」
 11月の初め頃は若い頃の体重に近づいた53s〜54s前半でずっと推移していました。ところが18日に栃木に旅行し、娘夫婦にごちそうをしてもらい、おなかいっぱい食べました。さらに翌朝ホテルのバイキングでたくさん食べ、帰りの新幹線でも駅弁を食べました。このように外食を完食していると、体重は54s台後半まで増えていました。

 さらに22日には老人クラブの親睦旅行で淡路3年トラフグを腹一杯食べました。丸山港の「いづみ丸」という民宿で、てっさをこんなにたくさん食べたのは初めてでした。最後のおじやは食べきれませんでした。そしてふぐの唐揚げは持って帰るほどのたくさんの量でした。

 そして25日は朝からタマネギの苗を買いに行ったついでに、三木山森林公園へウォークをする目的で行きました。丁度お昼だったので、バイキングで昼食をとりました。卑しい性質のためたくさん食べてしまいました。夜体重計に乗るとついに55.5sと増えていて、4月以来の55s台でした。

 そして27〜28日に校区の高年クラブ役員の親睦旅行で長良川温泉へ行きました。ここでもよく飲み、よく食べました。移動はほとんど貸し切りバスで、少し力を入れて歩いたというのは、金華山のロープウェーの駅から岐阜城まで階段をさっさと登ったくらいでした。その結果、体重も55.8sと56sに迫ってしまいました。現職時代全くのデスクワークになったとき、最高65sになったことがありましたが、20年以上かけて徐々に体重を減らし、ついに若い頃の体重を取り戻したと思ったのですが、食の不摂生と運動不足が重なると、とたんに悪影響が出てくることを改めて知ることになりました。


11月7日(火) 「NHKBSこころ旅」
 今朝の放映のスタートは香川県の「津田の松原」
 実は写経を書きためていたので、
 11月4日に四国遍路の札所
 87番、88番へお参りに行った帰りに
 津田の松原を訪れたところだった。
 だから画面が映った瞬間から
 親しみを持って観ることができた。

 津田清水八幡神社は映されなかったが
 由緒ある神社で、
 ここを放映されれば、
 もっと訪れる人が増えただろう。

 以前この番組で
 火野正平さんが
 広島県の「久井の岩海」を訪れたことがあった。
 たまたま翌日に
 息子の運転でその近くを通った。
 その話をすると
 二つ返事で連れて行ってくれた。
 私も感動する場所だった。
 

11月3日(金) 「転倒」
 今日は校区住民の最大行事
 「江井ヶ島フェスティバル」が
 小学校グラウンドで開催された。

 朝7時に地区の倉庫へ行き、
 椅子などを軽トラックに積み込み、
 会場で準備をした。

 だらだらと進行し、
 昼前の「じゃんけんでつながろう」などに参加、
 昼休みに買い込んだ昼食などをいったん持ち帰ろうと
 出口に向かった。

 自転車で帰るか
 歩いて帰るか考えながら
 運動場の隅を歩いていると、
 突然躓いて転倒。

 左手に弁当を持っていたので、
 右腕で身体をかばったが
 勢いよく顔面を打ち付けた。

 転倒して顔面を打ち付けるなど
 生まれて初めて。
 しかも眼鏡の右側を打ったので、
 その瞬間眼鏡が吹っ飛んで壊れたと思った。
 しかし起き上がると眼鏡は外れていなかった。

 右頬とおでこの右側を打っていた。
 しかし出血している様子もなく一安心。
 なんとも不細工なことに
 つい「しょうもない」と言葉に出てしまった。

 家に帰って顔を洗い妻に話すと
 眉毛の端に血がにじんでいると言い
 オロナイン軟膏を塗ってくれた。
 レンズにも傷がついていた。

 転んだ場所が砂地だったことが不幸中の幸い、
 コンクリートや石だったら、
 もっとひどい怪我をしていただろう。

11月2日(土) 「検査結果」
 妻のアッシーとして、東二見の「ひまわり診療所」に同行
 妻がいろいろな検査をしてもらっている。
 それを「うらやましい」と言ったら、
 妻がそのことを婦長に話す。

 そこで「内臓のエコー検査」「骨密度検査」
 「血管の検査」をしてもらうことになり、
 10月31日に3つの検査をした。
 結果、エコー検査は異常なし
 血管検査は50歳代の柔らかさと言われた

 しかし骨密度は過去の診断と変わらず、
 やはりずいぶん低い値。
 カルシウムが含まれた食品を
 積極的にとること、
 運動をすることを指摘される。

 富士登山以来
 2ヶ月間運動らしい運動をしていない、
 そこで昨日は多々良木ダムへ、、
 今日は江井ヶ島海岸を
 両日とも10000歩前後歩く。

 牛乳、チーズ、ヨーグルトは大好き、
 積極的に食べているが、
 納豆は少々苦手
 それでも頑張って食べることにする。
 買い物に行かなくちゃあ

10月20日(金) 「同窓会」
 いなみ野学園地活講座
 福祉系15期生(平成15年卒)の
 同窓会が東加古川の寿司店で開催され、
 3年ぶりで出席させてもらった。

 みんないろいろな事情を抱えつつも、
 このような同窓会に
 出席できる喜びを大切にしていることが
 とてもうれしく思った。

 そのようななかで、
 80歳前後になっても新たな挑戦や、
 ボランティアを継続している仲間
 懸命にパートナーの介護に励んでいる話は
 とても刺激になった。
 中でも新たに中国語に挑戦し、
 今日の同窓会の様子を
 翌日中国語で発表するという仲間も居て
 まだまだ健全な脳の持ち主を
 うらやましく思う。

 久しぶりに酔うほどに飲んだ私は
 帰り際にもらった色紙の入った封筒をなくす始末。
 駅のホーム上でもらった相手に出会い、
 自分が封筒を持っていないことに気づく。
 
 靴を履くときに置き忘れたのか、
 送迎バスの中に置き忘れたのかすら
 全く記憶にない。

 急いで店に戻るも
 準備中の看板に、
 店の周りを回ってみても、
 ドアをたたいてみても反応がない。
 申し訳ないが
 あきらめて帰るしか仕方がなかった。
 我ながら情けない思いをしながら帰路についた。

10月12日(木) 「サツマイモの収穫」

 6月下旬にジャガイモを収穫した後、
 遅いと思いながら
 夏の間草が生えるのを防ぐため
 サツマイモを植えることにした。

 こんな遅い時期に
 苗など売っていないだろうと思ったけれど、
 「パープルスイーツロード」という品種の苗が
 10本単位で売っていたので、
 それを買って植えてみた。

 菜園のトマトを植えた残りの場所なので、
 10本植えるのが精一杯だった
 ところが葉がどんどん茂り、
 トマトの根元まで侵入してくるので、
 何度もツルを刈りとらねばならなかった。

 明日から雨が続くというので
 試しに1本掘ってみると
 立派なサツマイモが出てきた。
 これならばと全部掘り起こすと
 大小あわせて15キロあまり収穫できた。

 堀り損ねたいもの切り口を見ると、
 ピンク色をしている。

 名前の通りパープルなのだ。
 どんな味がするのかまだ食べていないが、
 スイーツと名前についているので、
 甘い芋であることを祈っている。

10月6日(金) 「校区高年クラブ交流輪投げ大会」
 江井ヶ島校区の高年クラブは6クラブ。
 1クラブから3人×3チームが出場
 ただし1クラブだけは普段輪投げをしていないので1チームだけ、
 全部で16チームが出場。
 
 4チームずつ、4グループに分かれて予選リーグ。
 私はこれまで輪投げをしたことがない。
 だけど一人足りないということで、
 急遽かり出される。

 週2回やっている輪投げグループのところへ
 練習に出かける。
 最後にチームを決める試合で
 なんと2位の成績。
 結果Aチームに決まる。

 試合当日案に違わず
 私が足を引っ張り、
 Aチームは予選を1勝2敗で敗退。

 しかしBチームが優勝。
 しかもBチームの女性が
 ダントツの最高得点賞。

 今年は高年クラブの会長をしていて
 いろんな経験をさせてもらっている。

10月1日(日) 「舞鶴へ」
 京丹波の道の駅に寄りながら
 舞鶴へ向かう。

 途中の道の駅にはたいした収穫もなく、
 最期の道の駅で食事をすることに。
 カーナビに従って進むと、
 国道27号線からそれて山の中へ、
 このような山の中に人が来るのだろうかと、
 いぶかしく思っていると、
 かなり進んだところで27号線に合流。
 カーナビはときどきとんでもない道へと導く。

 27号線沿いにその道の駅があり、
 食堂内はほぼ満席。
 長時間待った甲斐があって
 美味しい昼食にありつく。

 食後舞鶴へ、
 ここでもまず道の駅へ。
 ここでバイクのツーリングに圧倒される。
 爆音を立てたバイクが数十台、
 次々と出て行くので、
 店にも入れず、
 ただ騒音を聞きながらたたずむだけ。
 すっかり購買意欲も失い、
 早々に店を後にする。

 カーナビに舞鶴レンガパークを入力して進むが、
 とんでもない方向を示す。
 地図を見ると東舞鶴にあるとわかる。
 カーナビを無視して東進すると到着。
 30年以上前に訪れたときと、
 すっかり様子が違っていた。
 ここで結婚式を終えた一団もいる。
 
 展示館を見学する。
 以前は引き揚げ船の様子をメインに
 展示されていたように思うが、
 展示物も変わっていた。
 また当時のレンガについても詳しく解説し、
 展示されていたように思ったが、
 それもないようだった。

 帰りは遅くなるので、
 高速道路を走り家路についた。

9月5日(水) 「お伊勢参り」
 朝、ゴミ捨てに行って戻ってくると、妻が突然
 「お伊勢参りに行こう」と言い出した。
 近鉄特急で行くというので異議なし。

 早速インターネットで調べる。
 Yahooの路線で調べると、
 約4時間で行けることがわかる。

 江井ヶ島駅9時発の電車に乗車、
 明石でJR新快速に乗り換え、
 鶴橋で五十鈴川駅までの近鉄特急券を購入、
. 10時53分発の宇治山田行きに乗車。

 近鉄特急に乗車するのは20年ぶりかな?
 ずいぶん乗り心地が良い。
 これなら座席指定特急券の値打ちを感じる。
 宇治山田で賢島行きに乗車、
 一駅2分間だけなので
 指定席に関係なく空いた席に乗車。

 五十鈴川駅からバスで内宮まで行く。
 整理券をとって乗車するのも久しぶり、
 内宮着が1時頃だったので、
 まず名物伊勢うどんを食べることにする。

 以前赤福の向かいに
 美味しい伊勢うどんを食べさせる店があったので、
 そこまでおかげ横丁を歩くが
 残念ながらかき氷を食べる店になっている。

 仕方なく伊勢うどんを食べさせる店を探す。
 休業日の店もあり、
 やっと見つけ、冷やし伊勢うどんを注文。
 これは失敗、
 やはり温かなうどんを注文する方が良かった。

 昼食後、内宮をお参り。
 妻と一緒なので、 ゆっくり時間をかけて歩く。
 これまで修学旅行の引率など、
 何度も来ているので懐かしさがあったが、
 正殿は印象がすっかり違っていた。
 幕が掛かっていて
 奥が全く見えない。

 大きな階段の上にあり、
 妻ははじめ躊躇していたが、
 ここへ来た意味がなくなると、
 杖と私の支えで上り、
 家族の無事をしっかり祈っていた。

 帰りにもう一度おかげ横丁へ行き、
 赤福餅をいただく。

 帰りのバスで宇治山田まで行くつもりだったが、
 五十鈴川駅で下車、
 乗車券と特急券を買うために並んでいると、
 大阪難波行きの特急が出てしまう。

 京都行きに乗車、八木で難波行きに乗り換え。
 鶴橋で食事をしようと言っていたが、
 駅を降りると、
 焼き肉のにおいと煙が充満している。
 肉嫌いの妻には耐えきれず、
 改めて大阪難波まで行く。

 道頓堀は松竹座によく行っていたので、
 そのときの弁当を買っていたずぼらやへ行く。
 上にぎりと赤だしの他、
 ふぐの白子の唐揚げを注文してみる。
 唐揚げの中はどろんとしていて、
 まさに初体験。
 しかし、また食べたいとは思わなかった。
 上にぎりと赤だしは絶品。

 地下鉄で大阪へ出たが、
 通勤帰りのたくさんの人に、
 日常とは違った経験。
 大阪の人の流れにうまく乗れず、
 妻は立ち止まることが多い。

 やっと新快速に乗車、
 妻が杖をついていたので
 途中で席を譲ってもらう。
 やはり世間の人々の優しさに感謝することが多い。
 
 家に帰り着いたときには1万歩を超えていた。
 普段あまり遠くまで歩くことの少ない妻にとっては
 大変だったように思うが、
 案外けろりとしているのに安心。
 久しぶりに
 刺激の多い一日を喜ぶ。

8月29日(火) 「八十歳の挑戦・富士登山が成就」 (写真は後日掲載)
 八十歳になり、何かに挑戦しようと思っていたとき、
 歩き遍路でお世話になった先達さんから
 富士登山の案内をいただいた。

 三千メートル級の乗鞍では息が上がって
 苦しい思いをしたことがあったので、
 麓から6合目里見平(2250m)までの登山コースを選んだ。

 体力作りに励もうと、
 江井ヶ島海岸の散歩道では1万歩を目指し、
 また、坂道を歩くことを意識し、
 妻の提案で、大久保駅から
 大久保インターチェンジを経由して
 石ヶ谷公園へ、再び大久保駅へ戻る
 およそ7kmを歩くコースも設定した。
 平地であっても以前先達から教わった
 息を整えて歩くことに努めた

 季候の良いときには
 妻と三木山森林公園にも出かけた。
 暑くなっても週3日はウォーキングを続けた。

 登山を決めて登山靴やレインウェアーを新調した頃から、
 腸の調子がおかしくなり、下痢に悩んだ。
 陀羅尼助丸を頼りにしたが、
 飲まなければ再び調子が悪くなるという
 繰り返しが続いた。

 出発が近づいた8月に入って、
 それまでが嘘のように調子が良くなった。
 これには救われた思いだったが、
 それでもアルコールは自重した。

 8月22日には荷物をリュックに詰め込み、
 準備万端整えた。
 前日にはカメラ、ひげそり、携帯電話も充電を完了した。
 ただ、携帯だけは連絡あってはとリュックに入れなかった。

 これが失敗で、8月24日8時過ぎのバスに乗ってから、
 携帯を忘れたことに気づいたが、後の祭り。

 三宮駅前のターミナルで待っていると
 女性ふたりが同行することがわかった。
 ハイエースが到着して参加者が5人だとわかり、
 自分一人が高齢だったことに不安を感じた。

 車は高速を走り、一路富士吉田へ、
 先達夫妻の運転は見事なもので、
 明るいうちに忍野八海に到着、
 富士山の姿に翌日への期待と不安がわき起こる。

 夕食でも私一人アルコールを自重する。

 8月25日(金) いよいよ登山の日を迎える。
 天候は上々、まずコンビニで昼食を買い込む。
 北口浅間神社にお参りをし、健脚のお守りを買って出発。
 
 新登山道の緩やかな上り坂を
 ゆっくりしたペースで息を整えながら歩く。
 途中から登山道が工事中だったので、
 車道を歩いて馬返しに到着。
 茶店で冷たいお茶のお接待を受け、
 買ってきた昼食のおにぎりをいただく。

 ここからが本格的な富士登山。
 車道を横切って進むと1合目。
 もう何があっても後戻りはできない。

 登山の心得として、遅れた人を待たない、
 自分のペースでリズム感を大切にして登る
 この言葉をしっかり頭に入れて歩く。

 私が一番遅いと言われた女性が
 先達のすぐ後ろを歩き、
 その後ろを私が登る。
 女性のペースが落ちてくると、
 私は追い越して自分のペースで
 息を整えながら先達の後を歩く。

 しばらく登り続けると
 先達から次の休憩場所まで自分のペースで登り、
 そこで待つように言われる。
 とにかくリズムを崩してしまえば、
 足が進まなくなるので、
 苦しくても目的地まで登り続ける。
 杖を2本持参したことが生きてくる。

 途中時々白人や若者が追い越していく。
 しかし私のような高齢者にはあまり出くわさない。
 アジア系の人々は観光バスで5合目まで登るので、
 出くわすことがない。

 このようなことの繰り返しで登り続けると、
 3合目手前ですねの裏側の筋が張りそうになる。
 マラソン選手などが足がつってリタイアするのを
 テレビ中継でよく目にする。
 自分もそうなるのではと心配になる。
 しかし、目的地の6合目まではリタイアなどできない。
 早く3合目に到着しないかと祈りながら登り続ける

 3合目で休んでいると収まりほっとする。
 昔のお宮や山小屋などの建物が

 崩れるのに任せている姿に心が痛む。
 5合目からは次々廃墟が現れる。
 そんなとき5合目の山小屋に到着。

 まだ6合目まではさらに登らねばと思っていたら、
 そのすぐ上に今夜の宿舎6合目里見平星観荘があり、
 到着して思わず万歳をする。

 登り切った喜びの記念写真を撮ったが、クールダウンを忘れる。
 これが後で痛い目に遭うことになる。
 汗びっしょりだったけれども、
 すぐに防寒着を着るように言われる。
 おかげで寒さに襲われることなく快適なゴールを迎えられた。
 頑張った自分への褒美に
 自重していた生ビールを飲む。
 なんとおいしいことか。自然にほほが緩む。
 そして、地道な体力作りが報われた思いに浸る。

 ビールを飲みながら休憩していると
 次々登山客が前を通る。
 中には昨年のクリスマスに国を出て
 インド、ヒマラヤ、モンゴル、中国、
 屋久島、高野山を経て
 富士登山に来たという外人もいてびっくり。
 足もとは登山靴ではなく、まるで突っかけのような履き物なのにも驚いた。

 山小屋の2階が私の今夜の寝床。
 屋根裏の二人部屋にマットと寝袋と枕が一組用意されている。

 山小屋は詰め詰めの雑魚寝というイメージがあったので、
 うれしくなって汗だらけのズボンを履き替え
 早速寝転んでみる。

 夕食は大きなハンバーグがメインで量もたっぷり、

 生ビールを飲んでいたので、
 ご飯を半分残してしまう。
 足を曲げて座ると足がつるので、
 斜め横に足を伸ばしたまま体をねじっての夕食。
 しばらくしてなんとかあぐらをかけるようになったが、
 正座はできない。
 食後にお不動さんを拝むときも足を伸ばしたままで、
 般若心経を唱える。

 昨夜のホテルでは3時半に目が覚めていたので、
 眠くて8時半に寝床に入る。
 ところが10分ほどしたときに突然左足のすねの裏側の筋がつり、
 猛烈な痛さがおそう。
 さすってもどうにも収まらない。
 そこで娘にもらっていた漢方薬「芍薬甘草湯」を飲み
 しばらく収まるのを待つ。
 15分ほど痛みを我慢しているとようやく収まる。

 とたんに今度は右足がつり始める。
 薬を飲んだからもう大丈夫と心に言い聞かせ
 15分ほど我慢をしていると収まる。
 しかし、再び左足がつり始める。
 激痛に耐えながらいつまで我慢をしなければならないのかと
 不安に襲われるが床の中でじっとしていると、
 今度は10分ほどで痛みがなくなった。
 時計を見ると9時30分を少しまわっていた。

 痛みが治まるといつの間にか眠ってしまった。
 目が覚めると夜中の1時。
 周りに迷惑をかけないようじっと床の中で静かにしていた。

 8月26日3時半に起き出し、トイレに立ったついでに
 空を見上げてみた。周りは街灯で明るかったが、
 その光を手で遮るようにしてみると、
 空気が澄んでいるからか空は満天の星。
 久しぶりにカシオペア座や北極星なども見ることができ、
 空一面の暗い星々も見え、感動の時間を過ごした。

 それからうとうと、5時前にご来光が拝めるとのことで、
 昨夜教わった場所へと一人で向かう。
 眼下は雲海、頭上に雲が赤く染まり、
 やがて日が昇り始め、
 ご来光をカメラに収めながら手を合わせる。
 
 朝食を済ませて多少の雨にレインウェアを着て
 5合目の駐車場へ行くと
 そこはアジア系の人々であふれかえっており、
 俗っぽい世界に引き戻された感じがした。

 御中道へ入ると喧噪はなくなり、
 静けさを取り戻した道を奥庭に向かって歩く。
 
 富士山は笠をかぶっていたが一瞬雲が晴れて頂上を眺める。

 それを最後に下山するまで富士の頂上は拝めなくなった。

 奥庭を散策した後昼食、お餅を頼むと揚げ餅が3個、
 3種類の副食もついていて満腹に。
 さらに全く初物と言われた富士山の松茸のお吸い物もいただき、
 
これまた感動の昼食となった。

 車で下山、宿に入る前に温泉に入り、
 昨日からの汗を流し、
 すっかり新しい服に着替えてすっきりし
 浅間神社そばの宿舎に入る。

 夕食までに浅間神社で神輿の宮出しを見学、
 
 土曜日とあってその神事を見るために
 驚くほどの人出、最後まで見届けて宿舎に戻り、
 夕食の料理に舌鼓を打つ。
 この日も大きなハンバーグ、
 昼のお餅がこたえて、今度はハンバーグを半分残し、
 ご飯も遠慮した。

 夕食後火祭りに出かけた。
 松明が焚かれる場所は
 道路が傷まないよう
 断熱材の上に富士の土が置かれていた。

 さすがに日本3大奇祭と言われるだけあって
 町中が大きなたいまつと、櫓に組まれた火で、
 赤々と燃えさかっていた。

 浅間神社から御旅所へ
 所々で神楽や太鼓の演奏を見学し

 帰路は松明がたかれている横道にそれ、
 9000歩ほど歩いて宿へ帰り着いた。

 荷物の整理が下手なので、
 少し時間をかけ、明朝すぐに出発できるように
 荷物を二つにまとめておいた。
 その後先達などが待つ部屋へ行き、
 12時過ぎまで水割りの焼酎を飲みながら
 楽しくおしゃべりをした。
 そこで私のプライバシーはすっかり剥がされた。

 翌朝8月27日は夜中にトイレに起きただけで
 けいれん予防の薬を飲んでいたので、前日20000歩以上歩いていても
 6時までぐっすり眠り、すっきりした。
 
 朝食を済ませ富士宮方面へ出発。
 富士山はすっかり雲の中で見えない。
 昨日の松明が焚かれた跡形もない。
 あれだけ賑わっていたのに
 ゴミ一つないきれいな町に驚く。

 時間があったので道の駅へ。
 ここで妻へのお土産を買う。
 (帰宅した翌日、トウモロコシを食べると
 実に甘く、
 もっと買えば良かったと後悔)

 氷穴に到着し、中へ入ると気温0度、
 長袖を着ていたが、とたんにくしゃみ、
 真夏に訪れるには最適なところ。
 

 そこから青木ヶ原樹海をウォーク、独特の地形や
 珍しいキノコを見ながらのんびり歩く。
 
 樹海を抜けるとそこは風穴。
 中は氷結と同様気温0度。
 中では種子や繭の保存が行われていた。

 続いて白糸の滝へ向かう。
 途中朝霧高原を通るが、
 富士山の姿は全く見えない。

 白糸の滝はスケールが広く、
 その水量は圧巻だ。

 駐車場へ戻る途中、
 富士山の頂上付近だけだが
 この日初めて姿を見せる。

 帰りは運転してくださる先達には申し訳なかったが
 疲れからぐっすり眠ってしまう。

 長年抱いていた富士登山、
 その願望を実現させてくださった
 一歩進の先達さんご夫婦、
 高齢になってからの参加で
 ずいぶんご迷惑をおかけしたが、
 夢が叶った喜び
 背中を押して快く送り出してくれた妻への感謝
 本当に幸せな人生だとつくづく思う。
 そして登山に必要な服装をプレゼントしてくれた息子夫婦、
 きっと足がつるだろうと見越して薬を送ってくれた娘、
 たくさんの人々に見守られての傘寿の冒険も
 ついに成就することができ満足と感謝の極みだ。

8月12日 「ご心配をおかけしました」
 私のホームページ1ヶ月ぶりの更新です。長く更新しなかったので、病気ではないか、あるいはこの世からいなくなったのではと内心心配しておられる方がおられたようで、わざわざ暑中見舞いをくださった方もあります。大丈夫元気に体力作りに励んでいます。

 実はパソコンが壊れてしまい、動かなくなってしまいました。なんとか5年間の保証期間内だったので、買った店へ持って行って見てもらうと、Windows10に対応していない機種を無理矢理バージョンアップして使っていたために、ハードディスクが弱ってしまっていたようです。修理をするにはこれまでのデータがすべてなくなり、新しいハードディスクを取り付けることになると言われました。たくさんのデータ、特に写真がなくなることは困ります。それでも時間をかけると写真がバックアップできるかもしれないといわれ、バックアップのお願いをして新しいパソコンを買いました。

 数日してバックアップがとれたということで、店を訪ねると、写真がたくさんあったのでブルーレイディスクに取り込んでおいたということで受け取って帰ってきました。ところが新しく買ったパソコンはブルーレイディスクが使えるドライブがついていなくて、息子に頼んでパソコンに取り込んでもらいました。これで写真が復活しほっとしました。

 次にホームページを更新したいと思ったのですが、データがなく新しいほーむぺーじを作って発信しようかと思っていました。その話を息子にすると、インターネット上からデータを取り込んでくれ、無事今までのホームページの更新が可能になりました。デジタルが理解できないままパソコンに向かっているアナログ人間の私にとって、息子は本当にありがたい存在です。

6月27日(火) 「ジャガイモの収穫」
 2月中旬に昨春収穫したジャガイモを深く植え付けました。ほとんどしわしわになっていたので、どうかなと思っていたら、案の定芽が少ししか出てきませんでした。3月下旬になって植え直そうと種芋を買いに行ったのですが、毎年植えるメークインの種芋がありません。しかたなく男爵を3s買って植えました。

 直ぐに芽を出しみるみる成長し、花を咲かせました。植え付けたのが遅かったので、昨日まで掘り起こすのを躊躇していました。しかし茎がすっかり枯れたのがあるので、梅雨の晴れ間に試し掘りをしてみました。立派なジャガイモが続々出てくるので夢中で掘りましたが、午後だったこともあり暑さですっかり疲れてしましい、半分程掘っただけでやめました。

 今朝早く起き、涼しい内に昨日の続きを掘りました。2時間半かけて掘ったのが写真のジャガイモです。最初に植え付けたメークインも何本か芽を出し、一緒に収穫しました。大きなのは一個600cもありました。大きすぎるのはきっとだめだろうと一つ試しに薄く刻んでフライパンに油をしいて焼いてみました。堀たてで柔らかく美味でした。

 植え付ける前の土作りで今年初めて豚の糞を発酵させた肥料と腐葉土をたっぷり入れて耕しておいたのがよかったのか大収穫でした。このようにたくさんのジャガイモをどのように処分するか、頭を悩ませます。今年は泉州タマネギの種から育てた苗と、買ってきた苗を植え付けましたが、こちらも大きなタマネギが大収穫で、娘のところに13s送ってやりました。狭い庭の菜園ですが、土作りがうまくいったのだと思います。これからは毎日トマトとピーマン、そしてツルムラサキの収穫が楽しみです。そして庭の隅では小粒の南京がなり始めています。グリーンカーテンのゴーヤはまだ雄花しか咲いていません。水やりが大変ですが、夏野菜の世話を楽しみながらし暮らしています。


6月24日(土) 「友愛クラブ例会」
 私が友愛クラブ(地元老人クラブ)の会長になって3回目の例会が開催されました。4月は花見で、私たちの氏神様の境内で行いました。丁度満開で青空の下最高の花見でした。

 2回目は地域の在宅介護支援センターの担当者に来てもらい、在宅支援センターの役割を親しくお話しいただきました。例会にやってくる会員はまだまだ元気でぴんとこないようでしたが、我が家でも突然の家内の圧迫骨折でお世話になるなどいつお世話になるかわからないので、いざというときのお助けマンが存在することを知るだけでも良いと思いました。

 今日は3回目の例会で、明石警察署から3人の職員が来て、映像を使った実践的な講座を演技もしながら指導して下さいました。会員は恥ずかしがり屋が多く、前に出てやってみようという雰囲気が生まれませんでした。それでも最近高齢者の交通事故のニュースが多いだけに、仲間から不幸な人が出ないことを祈るばかりです。

 昨年度の4月初めの会員数が48名だったのが、亡くなったり女性が連れ立って退会されたりで、年度末には40名になっていました。今年度は新たに7名の入会があり、嬉しく思っています。昨年は60歳代が2人いましたが、彼らが今年70歳になり、会員全員が70歳以上になってしまいました。最高齢は92歳です。それでも新入会員は70歳代が多く、昨年より平均年齢は下がりました。これからも少しでも意義があり楽しい会にしていく様に新しい役員と一緒に盛り上げていきたいと思います。


6月21日(水) 「大きなムカデ」
 ここ1ヶ月半程日記の更新をサボっていました。この間忙しく、いろいろ書きたいことが沢山ありましたが、パソコンの前に座るのはたいてい夜10時近くなっていました。10時を過ぎると風呂を沸かすのが私の日課で、歯を磨き、布団を敷くと丁度風呂が沸きます。風呂からあがってメールを確認すると椅子から転げ落ちそうな程睡魔が襲ってきます。だから早々に眠り、翌朝早く目覚めると富士登山に向けて登山靴を履き、江井ヶ島海岸から谷八木川まで1時間20分程、8〜9000歩歩きます。そんなわけでゆっくりホームページの更新は出来ませんでした。今日は朝から久しぶりの大雨で、パソコンに向かう時間のゆとりが持てました。

 昨日の朝、起きて直ぐに洗濯機を回し、土間から台所にあがった時、踵からふくらはぎにかけて何かがざらざらとまとわりついた感じが一瞬しました。足下を見下ろすとなんと10センチもあろうかと思われる黒々とした大ムカデが床を這っていました。ヒーッと悲鳴を上げて飛び退きました。というのは小学生の頃、畳の上をやはり大きなムカデが這っているのを見つけ、手近にあった紙で押さえ込もうとしました。頭を押さえたのですが、ムカデはしっぽを持ち上げ、私の中指をさしたのです。痛さも痛かったのですが、まずさされた中指が腫れ、そして右腕全体が腫れ、最後にはへそから上半身がぼこぼことふくれあがりました。終戦直後の神戸では夜に診てくれる病院などありません。とりあえず近くの薬局に助けを求めました。腫れている部分に虫刺されの薬「キンカン」を塗ってくれました。その薬を買って帰り家でも繰り返し塗りましたが、起きていられなくなり、そのまま3時間程床についていました。その後半月程は中指が曲がらない程の後遺症があったのを思い出しました。

 大ムカデが自分の足をはったということがわかり、トラウマが蘇ったのです。そして、もし今回さされていたら抗体で命を落としていたのではと想像していました。そばに殺虫剤がなかったので、裏口から外へ出て、棚の上のスプレーの殺虫剤を取ってきた時にはムカデの姿は見えませんでした。ムカデが這っていった方向の床下に噴射しましたが、どこにいるかわかりません。

 諦めかけた時、妻が「今黒いものが洗濯機の下へ入っていった」といいました。洗濯機の下に噴射するとムカデが這い出してきました。ひつこくムカデを追いかけて噴射すると、ついに動きが止まりました。妻がくれたはさみで頭を切り落とし、火ばさみでさらに三カ所胴体を切りました。それでも各部分が動いていましたが、これで一安心です。けれども心の底では気分がすっきりしませんでした。トラウマが静まっていなかったのでしょう。

 翌早朝、眠っている時に何か足の指先でごそごそする感触があり、風呂に入っている夢を見ていて足下を見ると大ムカデがいるのです。再びヒーッと悲鳴を上げて飛び退きました。殺虫剤をと思ってさがそうとしたのですが真っ暗で何も見えません。そして夢から覚めると、なんと私は布団のそばで立ち上がっていました。夢を見ていて実際に行動を起こしたのは生まれて初めてです。トラウマがこんなに強いものだと改めて思い知らされました。


5月6日(土) 「富士登山」
 四国や小豆島の歩き遍路で
 先達として案内してくださった一歩進の今さんから
 富士登山のお誘いを受けた。

 これまでも何度かお誘いを受けたが
 家庭の事情などもっともらしい理由をつけて行かなかった
 本当は勇気がなかったのだ

 傘寿ともなれば
 今更頂上を目指そうなどとは考えていない。
 でも富士登山には未練がある

 3つのコースの中に
 麓から六合目里見平2250mまで登り
 そこで御中道トレッキングと
 町中火の海になるという
 日本三奇祭「吉田の火祭り」を見学する
 高山病を避けるために
 人の少ないコースをゆっくりのんびり登るという
 うたい文句に魅力を感じる

 これを逃せば富士山を登る機会はもう訪れることはないと思う
 妻も後押しをしてくれる
 
 勇気が萎えないように
 いろいろなところで富士登山を宣言し
 ついに好日山荘へ出かける
 そこでも店員に事情を話し
 登山靴と雨と寒さ対策のジャンバーを買う
 大枚40000円

 もうこれで後には引けない
 3泊4日の富士登山
 これからどのように体力づくりをしていくか


5月3日(水) 「詩集」
 川柳仲間の凉子さんから詩集をいただいた
 自分を裸にする詩集だと言われた
 お父さんを早くに亡くされ、
 幼い自分を連れて台湾から引き揚げてこられ、
 家族で苦労された生活が
 ありのままに描かれている
 その中に家族へのやさしい思いがつづられていて
 読んでいてほのぼのとした気持ちになる

 私もこんな詩を読んでみたいという思いに駆られた
 詩を読むには語彙が豊富でなければならない
 語彙に乏しい私には無理だろうな


4月11日(火) 「淡路島の桜満喫」
 福良の国民休暇村を目指して車を走らせました。淡路島へ渡ると高速道路脇も山々も桜桜であふれていました。淡路人形座前で妻の従妹と落ち合い、まず橋詰水産でちりめんじゃこを購入、休暇村南淡路へ行きました。休暇村の進入路の両側の桜は満開、建物に入ってロビーで座っていても、目の前の駐車場脇も、向かい側の山も桜が咲いて見事な景色でした。

 まずバイキングの昼食をいただきました。どの料理を食べてもおいしくて、たくさん食べました。平日だというのに食堂は満員になる程賑わっていました。アイスクリームや桜餅などのデザートも楽しみ、お腹いっぱいになったところで温泉に入りました。バイキングを食べると温泉の入浴料が半額以下の300円と安くなるのにも驚きました。温泉から眺める景色も鳴門海峡大橋が眺められ、広々とした風呂に2〜3人の入浴客しかいなくて、手足を延び延びを伸ばし、露天風呂からは景色を見ながらゆっくり楽しむことが出来ました。

 もう一度福良に戻って、今度は買い物をしました。天ぷらを買ったり、手作りのアイスクリームを食べたり、帰りには洲本IC近くのパン屋によって明日の朝食用にパンも買いました。時々雨も降りましたが、傘も福良で少し差しただけで、帰る頃には日差しも見えました。淡路島でこんなに満開の桜に出会えるとは嬉しい限りでした。



3月28日(火)〜3月29日(水) 「足摺岬へ遍路の旅」
 妻の大病平癒のお礼参りと結婚55年記念をかねて片道420qのドライブに出かけました。朝6時に家を出発、できる限り一般道を避けるため大久保ICから高速道にあがり、淡路島経由で向かいました。これは正解で、道がすいている間に高速道を走ることが出来ました。四国に入り、徳島道を一路走りました。鳴門から徳島道が繋がっている部分は初めて走りましたが、海のそばまで回り込んでいることに驚きました。

 徳島道の最初に食事が出来るPAで休憩がてらわかめうどんの朝食を摂りました。30分程休憩した後、徳島道を一気に走り抜け、高知道の南国SAまで走りました。眠気を催してきたので、眼鏡を外し、30分程靴を脱いで座席を倒し、帽子で光線を遮ると、あっという間に30分程爆睡しました。すっきりしたので再び高知道を走り、須崎東ICを通り抜け、四万十町中央ICで一般道におりました。丁度お昼だったので、以前歩き遍路で食事をした覚えのある水車亭の看板が見えたので、そこで昼食を摂ろうと行きました。食後に芋けんぴを買ったのは覚えていましたが、いってみると芋けんぴ専門店になっていました。

 そこで以前歩き遍路で温泉に入り、生ビールを飲んだ黒潮町の佐賀温泉まで走りました。店は立派になっていて、食事をしている人が多く、以前と違って賑わっていました。朝食がうどんだったので、昼は少し豪華な鰹のたたき定食を食べました。これが間違いで、夕食の時間がきても空腹を感じませんでした。一般道を四万十市まで走り、四万十川沿いにカーナビにしたがって走りました。途中の交差点では前もってインターネットで案内を見ていたお陰で順調に走ることが出来ました。最後の足摺岬への道で、カーナビでは足摺スカイラインを走るように指示してきましたが、インターネットで中浜経由が道も広く安全だと書かれていたのでそちらを走り、予定では16時到着を目指していたのですが、15時に国民宿舎「足摺テルメ」にチェックインすることが出来ました。

 温泉に入ると、久しぶりの長距離運転で肩がすっかりこっているのがわかりました。風呂から上がると睡魔に襲われ、夕食の6時前まで爆睡しました。起きて直ぐに食堂へ行きました。見晴らしのよい景色と夕日を見ながら妻の好みで甘口のお酒を1合だけ二人で飲みました。といってもほとんど私が飲んだのですが

 夕食後ベランダに出てみると家にいる時よりはいくらかたくさんの星が見えましたが、まだまだあたりの電気がついていて明るかったので、夜中に期待してもう一度温泉につかって床に入りました。夜中にトイレへ行った時ベランダに出てみましたが、雲に覆われたようで、星は全く見えませんでした。家では電気敷き毛布を敷き、パジャマを着ているのですが、ここの部屋はエアコンを22度に設定していたにもかかわらず、浴衣では足が冷えたのか、朝方何度も足がつりました。そのたびに目が覚めたのですが、結局はっきり目覚めたのは6時半でした。風呂に入り、朝食を済ませ、遍路姿に着替えて9時に宿舎を出発しました。

 帰りのことを考え見物をすることをやめ、金剛福寺へお参りに行きました。書きためた写経を納経し、久しぶりに読経をしましたが、四国霊場でのお経は二人ともなんとか覚えていて、一歩進からもらった経本をスムーズに読経できました。二人で無事お参りが出来た喜びを形にのこそうと、カメラで写真を撮っておられた男性に頼んで本堂前で二人の写真を撮ってもらいました。

境内を見て回った後、直ぐに車で帰路につきました。お参りの衣装を着けたままだったので、妻がもう1ヶ寺お参りしたいと言い出しました。四万十町中央から四国道に乗る手前に岩本寺があったのを思いだし、寄ることにしてカーナビに入力しました。昨日走った道なので迷うことなく昨日寄った水車亭の前を通り過ぎました。しばらく行くとカーナビが右折するように指示したので右折したのですがお寺が見当たりません。洋品店の前の駐車場に止めて地図を見たのですがよくわかりません。しかたなく出発しようと車を動かしかけると、洋品店から女性が飛んで出てこられました。無断で駐車場に止めたので咎められるのかと思ったら、後ろのドアもトランクのドアもみんな開けっ放しだったのです。後期高齢者の事故がよくありますが、私もその仲間入りが近づいていることを自覚させられました。女性が親切に全部閉めてくださいました。女性に教えてもらったとおり引き返すと、正面にお寺が見えてきました。カーナビがお寺の前で右折するように言ったのです。カーナビには時々迷わされます。

 お参りを済ませた時、丁度お昼だったので、近くで食事をすることにしました。周りを見ると電柱に手打ちそばの広告が貼ってありました。小さな店でしたが、男性が一人でやっておられたので、昼時で店は満席、時間がかかりましたが、おいしいおろしそばにありつくことが出来ました。食後四万十町中央から高速にあがりましたが、眠くなってきました。最初に見つけたPAに車を止め、座席を倒して眠ろうとした時、救急車のサイレンが聞こえ、はっと我に返り、トンネルを抜けた後ライトを消し忘れたのではと思い確かめると、案の定ライトが点けっぱなしになっていました。45分間ぐっすり眠りましたが、あのまま眠っていたら、バッテリーが上がってしまうところでした。これも高齢者のうっかりです。

 そこからは走りよいトラックの後ろについて走り、淡路サービスエリアまで一気に走りました。レストランでかまあげシラス丼を取り、明石海峡大橋を眺めながらゆっくり夕食を摂りました。疲れていたので出来るだけ高速道路をと思って大久保ICまで走りました。そこからは走り慣れた道で、8時に無事家に帰り着くことが出来ました。帰りは近くまで高速道路を走ったので、昨日のように肩がこることはありませんでした。


3月26日(日) 「たこフィル定期演奏会」
 明石フィルハーモニー管弦楽団(通称「たこフィル」)の定期演奏会に出かけました。三大ピアノ協奏曲の一つ、ベートーベンの「ピアノ協奏曲第5番」が演奏され、ピアノは兵庫県出身の坂本彩が弾きました。たまたま2階席の左側で鑑賞していたので、その鮮やかな指の動きをはっきり見ることができました。いろいろな賞を受賞しているだけあって、その演奏は感動的でした。ベートーベンのピアノ協奏曲をこれほど感動しながら聴いたのは初めてでした。坂本彩の演奏会をまた聞きたいものだと思いながら会場を後にしました。


3月25日(土) 「大変なことに」
 今日は地域の老人クラブ「西江井友愛クラブ」の総会がありました。役員改選があり、3人いる内の一人副会長の私が司会をして進めました。総務担当の私は普段から例会の司会を任されていたからです。8年間勤められた会長は私より高齢でありながら、地域のいろいろな団体の会長を引き受けており、校区の高年クラブ連合会長でもあり、明石市高年クラブ連合会の理事でもあり、多忙でもあることからこの度の役員改選で身をひかれました。他の役員もすべて奥様を亡くされたばかりだったり、病気がちで退任の要望を出されていました。

 私自身といえば、同じ校区の高年クラブで90歳を超えても会長をずっと続けておられたのですが、突然その方が亡くなられ、その後の引き受け手がなかったことからその高年クラブは解散してしまいました。長老に任せておけばうまくやってくれるとみんな思っていたのでしょう。その話を出して、私は会計から始まって限界の10年間やってきたので役員を降りるといったのですが、説得力がなかったのか、選挙でたくさんの票が入ってしまいました。

 投票の結果、上位5人で話し合い、役割を決めました。旧役員は私一人だったので、他の新役員は様子がわからないということで、とうとう私が会長を引き受ける羽目になってしまいました。2年間会長職として地域のいろいろな会合に出なければなりませんが、神戸生まれ神戸育ちの私にとって、「どこそこの誰々ちゃん」と会話が飛び交う地元校区の地域事情をつかむのは大変だと思います。2年経ったら地元の連合自治会長などを務められ、地域事情を十分ご存じの新副会長に会長を譲ろうと思っています。それにしても早速4月に地元の会合が2回もあると聞き、ますます手帳の予定欄が真っ黒になっていきます。平日は地域活動や趣味の活動などで忙しく、土・日曜日はこのような地域の会合に日を押さえられると、妻のぼやきをますます聞かねばならなくなります。ああ困った困った
・・

3月10日(木) 「佳句4句」
 川柳の季刊紙「樹樹」に応募していた句が、特選に次ぐ佳句5句の内4句に選ばれました。
お題「追う」 追いかけて追いかけてなお遠い虹
 
 10月の川柳教室で「追う」が席題でした。その時まず心に浮かんだ句が「追いかけて追いかけてなお夢遠く」でした。続いて「猛犬に追いかけられてトラウマに」 これは子供の頃、夜犬に追いかけられて悲鳴を上げて逃げた経験があり、それ以来、犬が苦手になりました。勿論何年もいろいろな犬を飼いましたが、よその犬に吠えられると恐怖心が蘇ります

 次に浮かんだ句が「年重ねそれなりの夢追いかける」でした。そして教室では「老いてなおそれなりの夢追いかける」を投句しました。そんな時、季刊紙「樹樹」にお題「追う」の句の募集がありました。教室で最初に浮かんだ句で、「夢」という言葉を使うとごく当たり前の句になるので、「虹」にしました。普段虹を見ると、なんとなく幸せを感じます。私にとって虹はあこがれであり、夢に繋がるからです。それで上記の句を投稿しました。選者の大西泰世先生(NHKラジオ「ぼやき川柳」の選者)は評の中で私の気持ちをしっかりとらえて、「実現できそうにない夢に対して結果ではなく、その過程の中に価値がある」と書いてくださっていました。

 選ばれることなど夢のまた夢と思っている夢がほんの少し叶った思いのH・U・N企画「樹樹」編集部からの郵便でした。



3月6日(月) 「久しぶりに個人記録更新〜グラウンドゴルフ〜」
 2月後半からグラウンドゴルフが超不調に陥っていたのです。このところ3試合ホールインワンがなく、3ゲームトータルも60打を超えていました。ところが今日は1ゲーム目からホールインワン2回でスコア10打、2ゲーム目こそホールインワン1回でスコア16打、3ゲーム目はホールインワン3回でスコアは9打で、トータルスコア35打と私のこれまでのベストスコアを5打も縮めました。1試合で6回もホールインワンをしたのも初めてのことでした。

 ただ、朝から鼻がグスグスし、夜にはついに目のかゆみとクシャミに悩まされています。ティッシュも保水系のものを準備しましたが、これから当分憂鬱な日々が続きそうです。


3月3日(金) 「胃カメラ」
 4年前に胃がんの内視鏡手術を受けて以降、毎年今の時期に胃カメラで予後の検診をしてもらっています。カメラをがのどを通る時の苦しさ、その前の麻酔ジェルをのどに含んでいる時の吐き気は本当に憂鬱です。今日は医療センターでは初めて女性によるカメラ検査でした。それまでに検査を受けていた田畑胃腸病院では一度だけ女性に胃カメラやエコーの検査をしてもらったことがあります。ベテランの女性という感じで、とてもスムーズでした。今日はまだ若い感じでしたが、やっていることを常に話しかけながら丁寧に検査してくれました。それに一人の若い看護師が始まる前から背中をとんとんたたき、常にリラックスするように声をかけてくれました。お陰でなんとか苦しさに耐えることが出来ました。夜になってものどに違和感がありますが、2〜3日我慢しなければなりません。

 来年の予約もしてきましたが、内視鏡手術をしてくれた主治医が、診察の時に3月で移動するので次の担当によく引き継いでおくといわれました。カメラ検査の結果は術後もきれいだし、異常も見られないといわれほっとしました。田畑胃腸病院でピロリ菌を除去してくれた医師、そして胃がんを早期に見つけてくれた医師、そして内視鏡手術をしてくれた医師、命を救ってくれた医師がまた一人離れることになります。次はどのような医師に出会うのか楽しみであり、不安でもあります。


3月1日(水) 「ひやりとしました」
 キリン堂で車を駐車しようとワンボックスカーの隣にバックで駐めようとしていた時です。ゆっくりバックをしていたのに、突然勢いよくバックをし始めたのです。一瞬、高齢者がブレーキペダルとアクセルペダルを踏み違えて店に突っ込んだ事件が頭に浮かび、とっさにペダルから足を離し、改めてブレーキペダルを強く踏みましたがいっこうにスピードが落ちません。それどころかますます速度が速くなります。もうパニックになりかけた時、隣のワンボックスカーが駐車場から出て行きました。なんと隣の車が動いたのを自分の車が勢いよくバックしていると錯覚したのです。これも高齢者の判断能力低下なのかもしれません。

 この後遺症が次に訪れたイトーヨーカドーで現れました。ここではエンジンを切らずに車を離れていたのです。とくに貴重品は社内に置いていませんでしたが、危険きわまりないミスでした。その後も3軒程店によって家に帰り着きましたが、ますます車への自信が薄れてきました。それでも必要度は歳がいくにつれ増していく現実にいささか戸惑いを感じます。妻からはもっと自信と信念を持って運転するようにといわれてしまいました。


2月27日(月) 「アカデミー賞」
 昨日夕方、妻が映画を見に行こうと言い出しました。何でも見たい映画がイオンシネマで17時から始まるというのです。上映開始まで30分あまりあったので直ぐに車で出かけました。時間が迫っているのに自動券売機で買うようにいわれました。ところが家内のいう映画はしていません。仕方がないのでアカデミー賞候補だという「ラ・ラ・ランド」を見ることにしました。歳がいくと初めての機械の扱いはなかなか理解できません。券売機の前でもたもたしていると、男性の係員が親切に教えてくれました。

 大急ぎで指定席に座りましたが、広告や予告編が長々と続き、そんなに慌てることはありませんでした。映画が始まり、ジャズが次々流れ、外人の顔はみんな同じようなので、ストーリーがよくわからないまま時間が経っていきました。ミュージカル的な雰囲気を楽しんでいると、やっとストーリーもわかりました。2時間半、たっぷり音楽を楽しみました。

 今日午後からの女性カラオケをすませ、5時頃帰宅すると、ニュースで昨日見た「ラ・ラ・ランド」がアカデミー賞を受賞したといっていました。偶然見た映画でしたが、なんだか得をしたような気分でした。


2月23日(木) 「遺言とエンディングノート」
 地元在宅介護支援センター主催の「いきいき生活塾」が自治会館で開催されました。今回は「終活」がテーマだったからか、地元の高齢者がいつもより大勢参加していました。講師は行政書士で、主として遺言について具体的に例を示しながら、その大切さを説明されました。私はエンディングノートを書いておけば、死後すべて解決するのだと思っていましたが、法的根拠は遺言にしかないことがわかりました。それも自筆の遺言は勝手に開けば効果はなく、家庭裁判所で証人のもと、相続関係親族がすべて集まっている場で開封されなければならないこと、すべての人の承諾の証拠となる署名、実印、印鑑証明が必要になるとのことで、後日大変な労力を必要になることがわかりました。

 一方、公証人役場で遺言書を作成すると、法的には効果があり、いちいち相続対象者の了解を必要としないとのこと、相続税も安くなることなど初めて知ることをたくさん学びました。だからといって自分が遺言書を作るかといえばまだまだその気にはならないだろうなと思いました。

 エンディングノートは遺族に情報をもれなく伝える役目があるとのことでした。自分が契約している保険の種類や契約会社、貯金をしている金融機関と種類、不動産のありかとその書類、そして自分の終末への希望など、想いも合わせて書き残しておくことが大切だということでした。数年前にエンディングノートは買ってありますが、なかなか書く気にはなっていません。今日の話を聞いて、大切な情報だけは早々に書いておくべきだと思いました。


2月20日(月) 「ヤクルトの健康講座」
 昨年妻が大きな手術をした後、少しは整腸に役立つのではと思い、「ヤクルト400」を配達してもらっています。配達してくれるヤクルトレディから自然免疫療法に関する講座の案内をもらい、午後から妻と出かけました。講師は神戸市西区の開業医、志賀和夫先生で、インターネットにもホームページで紹介しておられます。

 内容はまず食事に関して、腸をきれいにすることが大切で、ヤクルト400が善玉菌を腸内に増やすことの効果を最初に話されました。だからヤクルトが講座を実施していることがよくわかりました。次に過酸化脂肪酸、トランス脂肪酸、添加物が含まれる食品など腸によくない食品を紹介されました。以前マーガリンがよくないという話を聞いたことがありましたが、トランス脂肪酸に該当することがわかりました。マーガリンはアメリカではすでに禁止されているそうですが、日本人は摂取量が僅かなので禁止されていないようです。そして腸をきれいにするためには、野菜や果物、ナッツ類、柑橘類などをあげられ、無添加の野菜ジュースや豆乳なども勧められました。少量のアルコールも良いようで、私の普段の生活に支障はなさそうです。

 次に運動を継続することを話されました。ウォークなど骨に刺激を与える運動を30分以上毎日することが大切で、私のように週に2〜3回では効果がないそうです。要は生活習慣病を予防することが大切で、そのことが自然免疫力を高めることになりそうです。

 今週は明日が川柳教室、木曜日はいきいき生活塾で「終活講座」、そして金曜日は明石海峡講座と連日お勉強が続きます。学んだことをしっかり実践できなければ効果が上げられませんが、何でも三日坊主の私にとってはなかなか難題です。おまけに土曜日出かけた帰りに明石市の図書館で登録し、玄侑宗久・鈴木秀子の対談「仏教・キリスト教 死に方・生き方」という本を借りてきています。期限の2週間以内に読もうと思っています。はたして少しはぼけ防止に繋がるでしょうか?


1月29日(日) 「バイキングと温泉」
 妻と従妹が約束した淡路島観光ホテルへ車で出かけました。11時30分にホテルへ行き、しばらく従妹の来るのを待ちました。フロントで精算した後、バイキングの会場へ行きました。さすがに一流ホテルだけあって品数は豊富で、どれを取ろうか迷いました。家ではあまり食べられないものを選んで少しずつ取り食べました。途中で天ぷらなど取ってきてくれ、かなりたくさん食べました。一通り食べた後、松茸そば、少量のちらし寿司、そしてビーフシチューなど追加して食べると満腹になりました。それでも定番のデザートが食べたくなり、アイスクリーム、チョコレートケーキ、淡路瓦と刻印された黒い瓦せんべい、ほんの小さなパイナップル二切れ、それにコーヒーも飲みました。後はおしゃべりをしていると制限時間の2時になりました。

 食後は温泉へ行きました。浴槽が三つと露天風呂があり、すべて体験しました。露天風呂はさすがに気温が低く、身体を湯船から出していると寒さを感じました。家では足を伸ばして風呂に入ることは出来ません。そして長風呂をしていると風呂の湯の温度がどんどん下がってしまいます。最後に寝そべってつかれる湯船につかっているとすっかり身体が温まり、風呂から上がっても身体がぽかぽかしていました。3時には風呂から上がり30分程休憩をしました。

 このホテルで低料金でバイキングと温泉が楽しめるという贅沢が出来るのは日曜日だけだそうですが、従妹が予約をしてくれていたお陰で、本当に幸せな一日を過ごさせてもらいました。


1月28日(土) 「20数年ぶりのペンキ塗り」
 以前はペンキの品質がよくなかったのか、風呂場はペンキを塗っても数年に一度塗り直さなければカビだらけになっていました。21年前の阪神淡路大震災の際、壁にひびが入るなどしたため、かなり被害がありました。私は仕事上休日がほとんどなかったので、妻が風呂場だけでなくあちこちの補修やペンキ塗りをしてくれました。しかし、20年も経つと防かび剤入りのペンキでもずいぶん汚くなっていました。

 2週間前に息子の嫁さんが来て、汚れたペンキをきれいにはがしてくれました。そして昨日天井や柱にスカイブルーのペンキをきれいに塗ってくれました。私も壁の部分にアイボリーのペンキを塗りました。せっかくきれいに塗ってくれた柱にアイボリーのペンキをつけてしまったりしましたが、見違えるようにきれいな風呂場になりました。昨日はペンキがよく乾くように、一日風呂に入りませんでした。

 ペンキを塗っている間に、妻の従妹から電話があり、日曜日に一緒に出かけることになりました。しかしペンキ塗りをする時に手袋を履いていなかったため、両手ともペンキだらけになってしまいました。手のひらのペンキはきれいにとれましたが、手の甲や指の関節のペンキがとれません。明日はこの手のままホテルで一緒に食事をすることになりそうです。


1月23日(月) 「寒い日が続きます」
 このところ寒い日が続いています。これまで冬は石油ストーブだけで、エアコンを使うことは有りませんでした。しかし今年は妻が病気をしたこともあって、家でじっといると寒さに耐えられないようです。したがって、石油ストーブに加えて夕方からエアコンで暖房をします。大寒に入ってとくに冷える日は午後からエアコンをつけます。電気代がきっとこれまでよりかかると思いますが、妻の健康を維持するためには必要不可欠になりました。

 このような寒さの中でも老人クラブのグラウンドゴルフは週2回欠かさず実施されます。今朝も氷がはっていましたが、8時からみんなでグラウンドの清掃とコースの整備をし、8時30分から10時頃までプレイをしました。グラウンドの日向は多少暖かさを感じますが、日陰は寒さに耐えなければなりません。とくに今朝は風がかなり吹いていたので、分厚い手袋を脱ぐことが出来ず、トータルのスコアは惨めなものでした。

 午後は2時45分からと3時40分からそれぞれ30分程小学生の下校を見守りましたが、運悪くその時間帯だけ雪が降っていました。子供達は雪が降ったと大喜びをしていましたが、私はたくさん着込んでいても寒く、とくに足の指が痛い程冷たく、しもやけになってしまいました。それでも子供達の笑顔や挨拶に接すると、気持ちは温かくなりました。


1月16日(月) 「新年会が続きました」
 1月12に日はグラウンドゴルフのプレイをした後自治会館で新年会がありました。ホールインワンをするたびに100円を寄付することになっているのですが、昨年度はみんなで1550本以上していました。11月に1泊親睦旅行をしましたが、なお余剰金があるということで、盛大な新年会でした。私もご馳走につられて4時頃までついつい飲んでしまいました。

 その日の夜には明石第九合唱団の新年会がありました。さすがにアルコールはコップ2杯程でしたが、お菓子やつまみをたくさん食べ、たくさんおしゃべりもしました。つまみはみんなが持ち寄るのですが、私は昼の寿司の折り詰めに全く手を浸けていなかったので、それを持って行きました。巻き寿司と穴子の箱寿司が沢山入っていたのですが、勤め帰りで空腹だった人が何人もいたようで、直ぐに平らげていてよかったと思いました。

 15日(日)は夜男性カラオケグループの新年会でした。はじめにコップ酒で乾杯し、その後それぞれ缶ビールなどを飲んでいましたが、1升瓶が瞬く間にからになったのには驚きました。私もコップに半分程入った乾杯用のお酒を久しぶりに飲み干し、その後350mlの氷結を1缶飲んでいました。いつもに比べると飲みすぎかなと思ったのですが、平気でした。カラオケもそれぞれ2曲ずつ歌いました。私は女性カラオケの課題曲「命の恋」をまず歌いました。次に歌おうと思っていた曲は直前に他の人が歌ったので、10年程前に購入していたDVDの中から「涙そうそう」を歌ってみました。なんとか歌うことが出来てほっとしました。

 16日は女性カラオケグループの新年会でした。女性の中で男性は私一人なので、私だけに缶ビールが添えられていました。目の前に置かれるとついつい手が出て飲んでしまいました。しかし2本目は自重しておきました。その後休憩を挟んで、自分の好きな歌を2曲歌うことになりました。1曲目は前日唄おうと思っていた男性カラオケの課題曲「流れ雲」を、そして2曲目は昨日に続いて「涙そうそう」を唄いました。酔っ払うことはありませんでしたが、いつもより多くしゃべったように思います。老人クラブのグループの新年会は自治会館でするので2000円程で十分食べて飲んで楽しむことが出来ます。これで今年の新年会は終了だと思っていましたが、2月にグループいきいきネットの新年会の準備がありました。何処でどのようにするか、頭を巡らさなければなりません。



1月7日(土) 「京都花街新春おどり」
 クラブツーリズム貸し切り公演「京都新春花街おどりと初笑い落語・城南宮特別参拝」のツアーに参加しました。妻が体調を考えてこれなら行けそうだと言ったので、12月上旬に申し込んでいたのです。毎年この頃に老人クラブの三社参りがあり参加し続けていたのですが、昨年実姉が亡くなったので地元氏神以外の参拝は自粛していました。それに芸子や舞子のおどりなど生で見たことなかったので興味がありました。

 京都に到着したのが11時、早々に丸井デパート8階の美濃吉で昼食弁当を食べました。すべて一口ずつの料理でしたが、とても良い味でした。食後時間調整でデパート内をしばらく歩きましたが、京都らしいものは何もありませんでした。その後、再びバスで上七軒歌舞練場へ向かいました。京都市内は交叉点ごとに信号で止まり、なかなか前へ進みませんでした。

 歌舞練場はクラブツーリズムの貸し切りで全席指定満席でした。私の前に大柄の女性が座っていて髪も束ねていなくて、落語の時には落語家の姿がほとんど見えませんでした。それでも話しぶりが面白く楽しめました。その後芸子が上七軒のいわれや、芸子と舞子の違いなど解説してくれました。新春なので全員正装の黒紋付きで踊りも長唄も新春にふさわしく、初めて見る芸は新鮮でした。帰りに見送ってくれた舞子や芸子の姿を写真に収め、歌舞練場を後にしました。
 
 そこから千本通りを下り、城南宮へ行きました。相変わらず信号でよく止まり、かなり時間がかかりました。城南宮ではお祓いをしてもらい、巫女のお神楽を見た後、おみくじ入りの干支の小さな置物をもらって本殿で参拝しました。おみくじは「大大吉」でした。帰りに交通安全のお守りを買って帰りました。今の私にとっては交通安全が一番の課題です。新年にふさわしい良い旅が出来ました。



1月2日(月) 「写経」
 毎月お世話になっている写経の書き初めが明石太寺の高家寺でありました。今は法華経8巻を手分けして写経しているのですが、今日は7人が参加しました。幸い難しい文字がほとんどなかったので、皆さんからあまり遅れることなく書き終えることが出来ました。写経の後住職からお話を聞きました。最近は自己中心的な生き方をしている人が多くなったこと、100qマラソンに挑戦したこと、先代が49歳で100qマラソンに挑戦されたことで、自分もその年齢に再度挑戦したいこと、昨年はいろいろな大会に出場し、トータル1200q走ったこと、長距離は知る時には、ついつい足がいたい、苦しいなどマイナスのことを考えがちだが、自分は走れる、もう少し走れば痛さがなくなると脳をだましながら走ると完走できたなど、脳をだますことで困難を乗り越えることが大切だという話をされました。

 片付けの後お茶とお菓子をいただきながら、名誉住職から色紙と匂い袋をもらいました。そして走る時には自分の足に合ったオーダーメイドの靴は高いけれども足を痛めないことも聞きました。そのような話を聞いたことで刺激を受けたわけでもないのですが、最近の運動不足を痛感していたので、往きは人丸駅から歩き、帰りはお寺から明石まで歩いて土山行きのバスに乗り、金が崎バス停から歩いて帰りました。お陰で前日の元旦は1889歩だったのが、今日は歩数は8417歩でした。しかし今履いているウォーキングシューズが安ものだからか、足にうまくフィットしていないように感じました。といって今更高いオーダーメイドの靴を履くこともないだろうと思います。


1月1日(日) 「すばらしい年の初め」
 除夜の鐘を聞きながら村の鎮守の神様で初詣でをしました。比較的暖かな年の初めで、真夜中でも田舎の神社も大賑わいで、行列が出来ていました。家に帰り風呂に入って床についたので、午前1時をまわっていました。日の出の写真を撮ろうと目覚ましをかけておきました。

 5時前にトイレに起き、その後しばらく目が覚めていたのですが、いつの間にか夢を見ていました。そんなときに目覚ましが鳴り眠いなと思いながらベルをとめたのがいけませんでした。はっと目が覚めて時計を見ると日の出の時刻でした。急いで着替え、防寒対策をして表に出ると、みんな満足そうな顔で帰路についていました。車や自転車の流れに逆らって海岸へ行くとすでに太陽はかなり高く上がっていました。それでも写真を撮っている人がまだいたので、私も写真を撮っておきました。新年早々こんな体たらくは今の私を象徴しているようでした。今年もいろんなミスをすることでしょう。

 昨年は国旗を揚げる気分にならなかったのですが、今年は感謝しながら1年を過ごそうと早々に国旗を掲げました。向かいの消防署や交番署が国旗を掲げているので、我が家の国旗が目立つことはありません。そうこうしている間の年賀状がどっさり届きました。息子夫婦と4人で新年を言祝ぎ、記念写真を撮って新年の行事は終了、年賀状を楽しく読ませてもらいました。その後はパソコンを使って整理していると日が暮れてしまいました。やはり穏やかな新年を迎えると気持ちの良いものです。