歩き遍路の日記

 
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四国八十八ヶ寺霊場遍路日記





 喜寿を迎え、体力的に考えれば歩き遍路も最後の機会だと思い、あえて参加することにしました。先達は1200qを歩いた前回の四国歩き遍路や小豆島歩き遍路と同じで、先達の企画で安心してついて行けるからです。今回は逆打ちで、いきなり女体山越えから始まります。自分の体力がついて行けるかどうか心配だったので、出発までに、高御位山(標高307m)や三木山森林公園など、山道を何度か歩きました。そして、何とか歩き通せると思い参加を決意しました。

 ただ、久しぶりの歩き遍路なので、準備物についてはこれでよかったかなと何度も見直しました。

 ところが、第5回を挑戦した直後妻が思わぬけがで入院し、挑戦が困難になってしまいました。病院の行き帰りに歩くように努め、退院後にまた挑戦できるように頑張っていました。自宅から7キロほどの病院へ転院した後も洗濯物をリュックに詰めて歩く日もありました。ところが16000歩歩いた1月下旬に腰が痛くなり、それをかばって右足の歩き方に少し気をつけていたら、右足の膝が痛くなり、その痛さで階段が上れなくなってしまいました。しばらく我慢していましたが、普段の歩行でも痛くなってきたので整形外科のお世話になっています。なかなか快方に向かわず、妻の退院を迎えてしまいました。それでも痛さがとれず、当分は歩き遍路に挑戦できそうにありません。残念ですが治療に専念したいと思います。

11月10日(月)〜11日(火) 第5回「58番仙遊寺から47番八坂寺まで」

 第5回は10月に実施予定だったのですが、台風がまともに四国上陸ということになり、11月に延期されました。さらに、今回は歩くのが仙遊寺の上り下り3.9qだけということで2ヶ月間あまり訓練らしいこともせず少々油断していました。お昼は今治のタオル会館で中華料理をご馳走になり、いい調子で仙遊寺への山登りに取りかかりました。山門までたった1kmでしたが久しぶりの急坂や階段の山登りに汗がどっと噴き出し、何度もみんなから取り残されそうになりました。
  
 やっと広い道に出たところに仙遊寺まで100mと標識に書かれていました。これは楽勝だと大きな声で「あと100mだ」という私の声を聞いたよその団体の女性添乗員さんが笑いながら「あまい、あまい。100m先の山門をくぐってからが大変ですよ」と言われました。なるほど山門を過ぎると大変な坂道が待ち受けていました。今まで以上に大汗をかきながら、やっとの思いで登り1.5Kmの行程を歩き終えお参りすることができました。下り坂も結構険しく、距離こそ2.4kmと短かったけれど、みんなから遅れながら何とか下りきることができました。そこからは2日目の最後までバス移動が続きました。やはりバスで移動すると印象にあまり残らないのだと思いました。
 
 一日目の最後が55番別宮山南光坊でした。ここでは本尊の御開帳があり、よそでは見られないという「大通智勝如来」を拝観させていただきました。バスで仙遊寺まで戻り、宿坊に泊めていただきました。宿坊に入って初めて前回展覧会を見せていただいたところだったと思い出しました。夕食は精進料理でしたが、きっちりビールだけは飲ませていただきました。

 翌朝は5時に起き、5時50分に本堂に入りました。他の宿泊客が本堂内を写真に撮りました。一般に堂内は撮影禁止なので、住職に叱られるだろうと思いました。ところが住職は「本尊を撮影したければ撮っていいよ。堂内の仏様はお寺のものではなく、お参りに来られた人みんなのものだから」と言われたのには驚きました。私もポーチにカメラを入れていたので、遠くから撮しました。ところがみんながもっと前へ行ってしっかり撮したらと声をかけられ、他の人たちと同じように正面から撮させていただきました。ただ、インターネットで配信することだけは遠慮してほしいといわれました。だからホームページには載せていません。

 朝の勤行が6時丁度から始まり、住職の読経にあわせて修行僧が初めだという太鼓を打っていました。読経の後、修行僧に「上手に太鼓を打ってくれたお陰でお経を間違えずによむことが出来ました」と修行僧をねぎらっておられました。住職の心の優しさを感じました。読経では別の修行僧が住職の声の5度上の音程で読経していて、きれいな和音(倍音)が堂内に響いていました。だから堂内の読経はいっそう神秘的な雰囲気を盛り上げていました。その後最近奥様を亡くされたことについていろいろとお話くださいました。朝のお勤めの後、粥の朝食をいただきました。
 
 2日目は54番から47番までバスで移動しながらお参りをしました。忙しい中キリシタン灯ろうを見たり、山門の礎石がいつの間にか痔のお守り石になっていたりと、思い出や新しい発見がありました。私も修行僧に習って先達の5度上の音程で読経してみました。するといつものようにしっかり声を出さなくても倍音として響くので、小さな声でも楽に読経することができました。これも新発見でした。今回は参加人数が少なく、会社のワゴン車を先達が運転してまわりました。車内ではみんなとの距離が近く、いっそう親しくまわれたように思いました。
 
9月8日(月)〜9日(火) 第4回「64番から59番国分寺まで」

 あちこちで大雨の被害が前日まで報道されていましたが、天候に恵まれた2日間でした。今回も9人の参拝者でしたが、6月以来3ヶ月ぶりの再会に車内は賑やかでした。小松駅前の食堂でまず昼食を摂ることになりました。食事の注文はバスの車内でそれぞれしていましたが、評判の店らしく大盛況で、注文した食事がなかなか届きません。結局私の注文したスープ、オムライス、そしてデザートのサンデーは後回しで出てきたので、大あわてで食べました。しかし、良くはやっていただけにとても美味しい味でした。

 昼食後64番神前寺へ行きました。この日お参りするお寺は、前回みんなとお参りできなかったので、妻とふたりで深夜便のフェリーで神戸から高松へ行き、高松から初発の電車で乗換ながら小松駅まで行き、4つのお寺を歩いてまわり、石鎚駅から帰ったところでした。神前寺がこのようなお寺だという印象は残っていなかったのは、ただお参りしたというだけだったからでしょう。今回は先達から詳しくお寺の起源が聞けたので、印象深く感じました。

 立派な本殿でお参りしたあと、石鎚神社へ寄りました。前回来たときには参道の奥に鉄筋の立派な建物が見えたので、鉄筋の社にお参りしても有り難くないと思って引き返してしまいましたが、そこは石鎚会館で、本殿はさらに奥にあり、立派な社殿でした。しかしずいぶん奥の方だったので、もしお参りしていたとしても歩き慣れない妻は「疲れた」を連発していただろうと思います。そして予定の電車に乗車して帰ることが出来なかったかもしれません。

 次にお参りした63番吉祥寺は良く覚えていました。このお寺へ来る途中みかんのお接待を受けていたからです。お参りを済ませたあと、食事をした小松駅の直ぐそばにある62番宝壽寺にお参りしました。前回お参りしたときも立ち入り禁止の札が立っていて工事中の感じでしたが、今回も変わっていませんでした。お寺によってはどんどん立派に立て替えられているところがあるのに同じように大勢の参拝客があっても、いつまでも工事が進まないところがあるのが不思議でした。
 
 続いて61番香園寺へ行きました。宝壽寺と違って立派な鉄筋の建物が建ち、内部も金ぴかの仏像群と椅子席がしつらえてあります。前回この鉄筋の建物にお寺という雰囲気がなかったことが、石鎚神社の参拝の妨げになったのです。椅子席に座ってお参りを済ませたあと、隣の大師像の前では立ってお参りをしました。帰りに境内の子安観音にもお参りしておきました。
  
 宿舎に入るには時間が早かったので、翌日お参りする予定だった60番国分寺へ行きお参りをしました。このお寺も全く印象に残っていませんでした。境内から石鎚山の姿を見ることが出来ました。明日もこのような姿を見ることができればと思いながら宿舎の「しこくや」に入りました。温泉にゆったり浸かっていると、生ビールが飲みたくなりました。土曜日にお腹の調子が悪くなり、陀羅尼助丸のお世話になっていたのですが、そんなことはすっかり忘れて、松茸料理で美味しく飲みました。食後に中秋の名月を楽しみました。
 
 翌朝しっかり朝食を摂り、横峰寺への長い上り坂のためも考えて、コンビニで昼食のおにぎりや小さなお茶を買いました。家から息子にもらった熱中症予防の飲料水もナップサックに入れておきました。ただナップサックはひもが固定できないので、胸のところをタオルで結んでおきました。このことがラッキーに結びつきました。山登りの途中、水分補給の際にいちいちナップザックをおろしていたのですが、ペットボトルケースのひもをこのタオルに通しておくと、いつでも直ぐに飲むことが出来ました。ただ歩いているとだんだん下にずって来るので、ときどき上に引っ張り上げる必要がありました。

 香園寺奥の院裏にある滝へ行き、不動明王にお参りしたあと、8時過ぎに出発しました。ここから横峰寺まで6.9q、さらに奥の院まで登ると7.7qあります。標高差は700mほどですが、途中下り坂もあるので800m以上登らねばなりません。夏の間に身体がなまってしまわないよう、10000歩をめざして2〜3日に一度ウォークを続けていました。そのお陰で、上り坂は今までのように苦しくなることもなくみんなの後ろについて最後までしっかり登ることが出来ました。やはり日頃の準備が大切だとつくづく思いました。
  
 太子堂では弘法大師像がライトアップで公開されていました。60番横峰寺でお参りしたあと奥の院まで行き、美しい石鎚山を見ながら昼食を摂りました。昨年あの山の頂上へ登ったと思うと感無量でした。昼食後湯浪までは下りの長い階段で、膝に負担をかけないためには足を横向きに降ろすとよいと助言を受け、カニ歩きで階段を下りていくと、本当に足への負担が少なく、みんなからは遅れがちになりましたが、無事下りきることが出来ました。そして帰りのバスでも足がつることもありませんでした。帰路のバスでは吉野川オアシスで休憩したあとはすっかり眠ってしまい、目が覚めたらバスは淡路島を走っていました。淡路島SAについたときはまだ明るく、いつもより1時間程早く家に帰り着きました。



6月9日(月)〜10日(火) 第3回「71番弥谷寺から65番三角寺まで」
 8時過ぎに京都の仲間を乗せたバスが湊川神社前に到着、神戸からは4人乗車、今回は9人の参拝者で出発しました。いつも上り坂では私と二人遅れ気味になる相手が不参加とのことで私が一人みんなのペースを遅らせることに不安を感じながらの今回の歩き遍路でした。

 バスは今夜の宿泊地ふれあいパークみのに到着、準備体操もそこそこに82番弥谷寺の540段の石段を登りました。最初のお寺でまだまだ元気だったこともあり、それほど苦にならずに本堂まで登ることが出来ました。本堂のお参りを済ませ、太子堂で靴を脱いでお参りしたあと、この日からご開帳されている大師像などを拝観させてもらいました。下りの階段で岩壁に彫られた仏像などを見ました。登りはやはり必死でそれらを見る余裕がなく、気づきませんでした。境内に「ばくちの木」がありました。木の皮がすっかり剥がれたような木ですが、博打をして身ぐるみ剥がれることからこのながあると聞き、なるほどと感心しました。
 
 そこからバスで香川県にある石鎚神社の境内にあるカフェレストランへ行き昼食を摂りました。建物はすべて新しく、本殿左側には石鎚山ロープウェー駅にそばに建てられている神仏像そっくりにの石像が建てられていました。その右端には弘法大師像が建てられており、遍路の人たちをも参拝の対象と考えられているようでした。
 
 再びバスで70番本山寺へ行きました。見覚えのある三重の塔があり、この塔をめざして歩いた記憶が蘇りました。その次に69番観音寺と68番神恵院にお参りしました。ここで初めてバスで参拝にやってきた団体に出会いました。女性の元気な先達の声にあわせてお経を唱えていました。しかし、私達は逆打ちなので、その団体と2度と鉢合わせすることはないので安心でした。ここには銭形の砂山がありますが、今回は見物することなく次の67番大興寺へ向かいました。大興寺は私の記憶にはほとんど残っていなくて、ただ境内に天然記念物の大木があったところだけ思い出しました。

 再びバスでふれあいパークみのまで戻り、いやだに温泉で泊まりました。汗をかくことはほとんどありませんでしたが、温泉に浸かり夕食のご馳走を前にすると、例によって生ビールの中ジョッキを注文してしまいました。部屋に戻って「鶴瓶の家族に乾杯」を見たあと、早々に床にはいると直ぐに眠ってしまいました。夜中暑くて1時頃に目が覚め、しばらく眠れませんでしたが、そのうちにエアコンが動き出しまた眠ってしまいました。

 翌朝は温泉で顔を洗い、しっかり朝食をとりました。8時にバスで出発、途中コンビニにより、それぞれ自分の好きな昼食を買ってお金を一括払ってもらいました。私は梅おにぎり二つとデザートにバナナ味の絞り出すゼリー、そしてバターピーナツの小袋をゲットしました。9時前に雲辺山登り口に到着しました。標高差800m4.6qの山道を歩くので、しっかり準備体操をし、首に巻いたタオルに氷を5〜6個入れてもらって首筋に当て、9時8分いよいよ出発、ミカン畑のそばの坂道を登ると直ぐにドライブウェーにでました。紫陽花がきれいに咲いていました。そこからがいよいよ雲辺寺への遍路道だったのです。急な坂道や階段をどんどん登っていきます。
 
 30分あまりかけて600mほど登ったところで最初の休憩をとりました。氷が溶けて白衣の下のシャツが濡れていましたが、お陰で暑さも少し和らいだ感じでした。ここで塩分の補給も大切だといってキュウリの漬け物を半本ずつもらって食べました。氷の補給やキュウリをいただくなど、一歩進ならではの心遣いを有り難く思いました。水分補給が大切だと聞き、ペットボトルをリュックから取り出し、教えてもらったとおりいつでも飲めるように手に持って歩くようにしました。10分程休憩をとった後再び坂道を登りました。30分に1回度程休憩をくり返しながら山道を登りましたが、私一人みんなから遅れ気味でした。そして11時25分にテレビ塔のそばに着いた時にはほっとしました。摩耶山に登った時にもテレビ塔に到着してほっとしたのと同じ思いでした。そこからは平坦な道になり、やがて五百羅漢が見えてきました。500番目の羅漢さんに到着したのが11時35分、これで終わりだと思いきや、さらに急坂を雲辺山の頂上展望台まで登ることになりました。やはりみんなに遅れて頂上の毘沙門天が建つ展望台に登りました。ここから剣山も見えるそうですが、かすんでいて見ることは出来ませんでした。下り坂ではつま先が靴の前に当たって歩きにくいことがわかりました。午後の出発までに靴のひもを締め直さなければと思いました。
   
 12時に新しく建てられた山門まで戻り、66番雲辺寺にお参りをしました。山門が新しくなっただけでなく何となく古いイメージがなくなったように思いました。やはりお寺は古い建築が似合うように思い、またありがたみを感じます。新しい建築を見るとたくさん金儲けをしているように思ってしまうのは私のひがみなのでしょうね。

 休憩施設でそれぞれコンビニで買った昼食を摂り、徳島県側登山口の佐野に向かって13時に出発しました。ドライブウェーを少し下ったところで山道にさしかかり、しばらく下って再びドライブウェーを下りいよいよ本格的な山道を下ることになりました。足下の岩が濡れていて滑るので慎重に下っていると、またまたみんなから置いてきぼりになってしまいます。ときどきみんなが待ってくださるので追いつくのですが、直ぐに置いてきぼりになってしまいます。急いで怪我をしてはますます迷惑をかけるので遅れることはしかたがないとあきらめました。そのくり返しで私にとっては休憩はなく、5qの道のりを汗びっしょりで必死に歩き、14時30分ゴールの佐野公民館前に到着することが出来ました。ただ、下る前に靴ひもをしっかり締め直しておいたお陰で、第1回の屋島を下った後のように足の筋が張ることはあまりありませんでした。それでも足の筋肉はパンパンでこれ以上歩けそうにありませんでした。
 
 再びバスに乗って、65番三角寺へ向かいました。お寺の2q手前から坂道を歩いて登ることになりましたが、これ以上みんなのペースにあわせて歩くのは無理だと思い、私一人そのままバスで三角寺まで行きました。三角寺に到着すると足の疲れはすっかりひいていました。お参りを済ませ、トイレに行っていたために整理体操を少ししかしませんでしたが、バスに乗り込んでからも、いつものように足の筋がつることはありませんでした。バスの中では後ろの席が空いていたので座席を少し倒すといつものようにぐっすり眠りこんでしまいました。だから家に帰った頃には疲れがすっかりとれていました。今回心配していた雲辺山を無事超えることが出来本当によかったと思いました。


5月12日(月)〜13日(火) 第2回「82番根香寺から72番曼荼羅寺まで」
 これまでより30分遅く湊川神社前を出発、淡路島経由で高松市内へ、まず腹ごしらえに讃岐うどんをおにぎりと一緒に食べました。高松西高前から五色台の上り坂に挑戦です。この道は前回欠席していたので初めて通る道でした。途中盆栽にする松の苗が植えられている畑がたくさんありました。上り坂で汗をかくだろうと、化繊の半袖のシャツの上に白衣を着て登ることにしました。ドライブウェーと山道を何度かくり返しながら、登っていくこと4.8q、途中で雨が降り出し、レインコートを身につけました。レインコートの中は汗で直ぐにびしょびしょになってきました。そろそろ限界と感じた頃、見覚えのある最後の下り坂にさしかかりました。
 
 根香寺山門前にいる怪獣?を懐かしく眺めた後、お参りをしました。そこから再び坂道を引き返し、今度は白峰寺への遍路道5qを歩きました。この道は多少アップダウンはありますが、山の上の静かな道なので足下に気をつければそれほど疲れません。ただ、レインコートの中は上半身べとべとという感じでした。それでも化繊のシャツを着ているので、身体に気持ち悪くくっつくということはありませんでした。雨も激しく降るということはなかったので助かりました。白峰寺に近づいた頃、オランダから来たという3人連れの女性遍路が元気よく追い越していきました。四国歩き遍路は外国人にも人気だと聞いていましたが、なるほどと実感しました。
 
 白峰寺は午後4時半を過ぎると蝋燭や線香に火をつけられなくなると聞き、多少急ぎ、時間内に余裕を持ってはいることが出来ました。お参りを済ませた後、バスで山上の国民休暇村へ向かいました。上半身がすっかり濡れて、多少寒さを感じましたが、今日はこれで宿舎に入れると思いそのまま我慢することにしました。宿舎に到着すると直ぐに濡れた衣服を脱いで大浴場に浸かり、やっと人心地つきました。夕食はバイキングでいろいろな料理を皿に取り、例によって生ビールで乾杯して、満腹になるまで食べました。

 夜9時から朝4時まで熟睡しました。目が覚めて外を見ると雨もやんでいてほっとしました。朝風呂を浴び、バイキングの朝食は控えめにして、7時50分にバスで宿舎を出発しました。山を下りると直ぐに見覚えのある国分寺に着きました。ここからはバスで9ヶ寺お参りするのですが、前の晩に納め札に記入しておくのを忘れたため、揺れるバスの中で日付、住所、名前、年令を書くのが大変でした。この日もみんなのリクエストにこたえて、讃岐うどんとおにぎりの昼食でした。よくはやってるうどん屋で、肉うどんが美味しいといわれたので注文しました。「小」でも普通のうどん屋の1.5倍ほどの量だといわれ、「小」を注文しました。なるほど食べても食べてもなくならず、これならおにぎりを買わなければよかったと思いました。店の前にはかわいい狸の遍路がいました。
  
 道隆寺では目のよくなるお茶のお接待を受けました。眼病に霊験あらたかな仏様もよく拝んでおきました。善通寺ではジャム用にと300円で甘夏1袋を買いました。リュックに詰め込んでも重たいだろうなと少々後悔しました。また、最後の曼荼羅寺では空豆が一袋100円で売っていたので買って帰りました。

 家に帰ると、空豆がこんなに安いのならもっと買ってくればよかったのにといわれました。甘夏もジャムにしてやるといわれ、重かったけれども買った甲斐がありました。今回は2日目がバス移動だったので前回のように疲れ切って帰るということはありませんでした。

4月7日(月)〜8日(火) 第1回「88番大窪寺から83番一宮寺まで」 
 いつものように湊川神社に集合すると、先達のほか5人の参加者がいました。京都からの人数を加えるとたくさんで歩くのだと思っていましたが、バスが到着すると、京都からは4人で、参加者は10人とのこと、しかも、いつもと違って男性6人、女性4人で、男性が多いのにも少し驚きました。

 時間が早いので、大窪寺へ行く前に亀鶴公園に寄りました。桜のきれいな時期でしたが、亀鶴公園の桜並木は本当に見事でした。菖蒲の花が咲く頃もきれいだとのことでした。
 
 ゆっくりと散策をしたあと、大窪寺山門まで行きました。まず参拝したあと、境内でお接待をいただきました。袋の中にかっぱえびせんとポケットティッシュ、それにお米が1合ほど入っていました。このようなお接待をいただくのは初めてで驚きました。早めの昼食でご馳走をたくさん食べて腹ごしらえをし、準備体操をしっかりしていよいよ出発しました。予想通り急な階段を標高300mほど登ります。前回下った時は土の急な坂道で滑りそうになったと思ったのですが、きれいに階段に整備されていました。ただ一段一段が高く、直ぐに息が上がってきました。途中で奥の院へ寄ったりして、何度か休憩をとってもらいながら、1時間ほどかけてやっと頂上へたどり着くと懐かしい景色でした。
  
そこからは6.5q先の前山ダムへ向かって岩場を下りますが、ここでも手すりがつけられているなど、ずいぶん歩きやすいなと思いました。あちこちで結願を目前にした前回の懐かしい景色にふれながら下り続けました。以前下り坂で足の親指の爪をはがしてしまい、痛い思いをしたので、今回は絆創膏で爪がはがれないようにしっかり巻いておいたのですが、それでもつま先が靴の先に突き当たります。そのとき、仲間の一人が靴ひもの結び方を教えてくれました。その通り結び直してみると、多少は楽になりました。そして、2時間半ほどかけて前山ダムに到着しました。道の駅でバスに乗り込み、長尾寺で参拝を済ませ、この日の宿、大窪寺の近くまでもどりました。閑静な純日本的な宿でゆっくり休むことが出来ました。ご馳走も美味しく、自重して小ジョッキにしておいた生ビールも美味しく、夜は9時頃から朝4時過ぎまでぐっすり熟睡しました。これまでは9時頃床につくと夜中12時頃に目が覚め、その後は何度も目が覚めるのですが、今回は久しぶりでよほど疲れていたのと、落ち着いた静かな宿だったから、本当にすきっりするほど睡眠がとれました。
  
 翌朝はバスで志度寺まで行き、参拝を済ませたあと、八栗寺へ向かって歩きました。山道ではありませんが、急な坂道もあり、7qの道のりは長く感じられる距離でした。それでも五剣山をバックに満開の桜があちこちで姿を見せ、ウグイスの声と共に心いやされました。逆方向から八栗寺にはいると、印象がずいぶん違っていました。本堂と太子堂のほか歓喜天にもお参りして山を下りました。
  
 麓の洲崎寺の駐車場にバスが止まっていて、昼食場所の道の駅へ向かいました。ここでオリーブハマチの煮付けなどボリュームたっぷりの昼食をいただきました。あまりのボリュ−ムに一粒の米にも万人の労苦を思いながらご飯を残してしまいました。
 食後洲崎寺までもどり、住職の薦めで本堂に上がらせていただき、甘茶やお菓子のお接待をいただきました。そして遍路の父と言われる眞念の話などをお聞きしました。話を聞いたり、お墓にお参りしたりしている内に、前回妻とこの寺に立ち寄り、大銀杏のギンナンの実を拾ったことを思い出しました。当時はこんなにきれいに整備されていなかったように思いました。
 
 洲崎寺をあとにし、安徳天皇が祭られている神社や佐藤継信の墓などを見ながら進み、いよいよ屋島への急な登り道にさしかかりました。そのときに大股でゆっくり登るのが良いか短い歩幅で少しずつ登るのが良いか質問してみました。すると冨士登山など経験した仲間から一斉に、自分の腰より足を前に出さないのがこつだと言われました。なるほどそのようにして息を整えながら登ると少しは楽でした。廃業したホテルの前まで来ると、五剣山など素晴らしい景色が目に飛び込んできました。これで坂道を登る日程は終わり、ほっとしました。
 
 お参りを済ませ、高松港など西側の景色が見られる展望台でしばらく休憩したあと、山を下りました。前回は歩いて登った道ですが、妻と一緒だったのでゆっくり登り、休憩も何度もとったので、それほど急坂とは思わなかったのですが、長い下り坂が急なのでいささか足首と足の前側の筋肉が痛みが増しへこたれました。5年前こんなに急な長い坂を二人で登っていたことに改めて感心しました。
 
 坂を下りきったところでバスが待っていました。そこから一宮寺までバスで移動しましたが、高松港のフェリー乗り場から一宮寺まで結構距離がありました。ここも5年前二人で歩いて往復したのですから、よく歩いたものだと思いました。一宮寺でお参りを済ませ、帰路につきましたが、帰りのバスは疲れからすっかり眠り込んでしまいました。久しぶりの二日間の山道の歩き遍路は特に足首にこたえ、翌々日まで足の痛さを引きずっていました。また、今回は何度も輪袈裟を見失い、最終的にはバスの中に落としたまま帰宅していました。次回からは持ち物にもっと気をつけなければと思いました。