ここに戻って
しまで4年暮らした後、帰ってきました。大腸がんが見つかりOPE、動けるようになったらヒマだもの病室でもスケッチブック持ってきてもらってお絵かき。退院後、思うところがあってPCで絵を描いてみたくなったのです。記事がかぶるのでPCのことに続きます。
オイルペイント教室体験
今になって教室体験がしてみたい。未体験、近く神戸に黒田あつ子先生のオイルペイントコースに通いました。噂はウソホントは優しい。私は後ろの方でおとなしく黙々と図案もこっそり直してた。レッスン後のお昼のランチも楽しみ。
私はデザインコースに進まずに補習を済ませて卒業したけれど残った同期の3人はどうしてるかな。
なぜ選ばれる??
いままでイラスト・ペイントといろんなコンテストに応募、頑張ってもせいぜい次点より上はナシの中途半端な結果でした。でもこのころからなぜか急に選ばれるようになったのです。子ども不登校の大壁を超え、人と比べるのをすっかり辞めた影響かも知れません。
チャンスは最初の一回だけ
2000年頃から、ペイント大盛況。雨後のタケノコのように教室が増え、有名作家の図案の使用が難しくなってきました。オリジナルデザインが出来る私でも資格が要るのかしら…。そんな時渡りに船、初回だけ作品審査だけの日本手芸協会ペイント講師資格に挑戦、合格しました。しまから教室に通うなんて不可能です。
しまぐらしで
海村留学のためやむなく教室を辞めました。しばらくいろいろ大変で筆を持てる気になりませんでした。やっと描く気になったら仕送り生活で素材を買うお金が無い。そこでよくしまじゅうの砂浜を自転車で回ってビーチコーミングで素材拾い、流木や漁網の錘に描いてたな。
自宅教室
ある日家に来た友達がストロークローズの小箱を見つけぜひ教えて欲しい、これが「家庭彩園」の始まりです。始めた頃は教室・セミナーは少なく、著作権はウルサくなく、こんな独学先生でも意外と遠くから生徒さんが来てくれました。
手芸的絵付け
いちばん下の子が生まれてすぐたまたまTVみた手芸的絵付け、トールペイントを始めました。日本に入ってきたばかり、材料・デザイン本やっと探して北海道からお取り寄せ。教室もなく子どもが起きる7時より早く、朝4時に起きてストロークを独習しました。
POPのお仕事
結婚前はスーパーのPOPをかくバイト、20年以前はすべて手書きでした。今でも袋文字はフリーハンドで書けます。マーカー3割、筆7割。この技術が後でトールペイントのストロークワークのモトになるとは知らんかったなぁ。
お試し期間
短大は推薦でデザイン科に進学。でも講義中は恩師とおしゃべりばかり、でも課題は家で真面目にこなしてました。バイト代がある限り、透明水彩・カラーインク・パステル・色鉛筆・岩絵の具…あらゆる画材を試しました。ここでもちょっとヘンな絵を描いてたので同学年の内の2大個性派のひとりたって。
スケッチブック
雑誌に投稿イラストが掲載されたのをきっかけに同人誌サークルにスカウト。そのイラスト友達の影響でスケッチブックにアイデア・ラフを描き貯めるになりました。今では25冊めです。
きりがみ
小学校での図工の時間はもちろん大好きでした。でもこれも生まれつき凝り性で授業時間内に仕上げた試しなし。6年性の時かな、しばらく切り絵にはまりました。
○○○らしくない
幼稚園でのお絵描きは自動車ばかり、母は女の子なのに面白いなぁと思ったそうです。何を描いてもお題からどこかはみ出でるのは生まれつきなんでしょうか??