3月31日放送 「一年間の学習を終えるにあたって」
学生参加番組
入学のきっかけと自分の成長を話された方、10年〜25年間学習し続けた方のお話、本当に集中力と継続された意志の強さには頭が下がります。私はやっと一年、毎週たわいのない感想であっても書き続けたことは、自分としては今までにないことで、多少自分をほめてやりたいとは思うのですが、学生の皆さんの感想文に比べてその内容の無さを恥ずかしく思います。
たとえ、高齢者放送大学の仕事から離れるようになっても、毎回の感想文を書くことを続け、90歳でなお25年も続けられている先輩を見習っていきたいと思います。
3月24日放送 「放送大学で私が学んだこと」
学生参加番組
昨日、高齢者放送大学の「修了証書授与式並びに表彰式」に出席させていただきました。本科生401名中287名が課題番組18回の講座で10回以上感想文を書いて提出され、修了証書を受け取られました。平成18年度新たに入学された方の約7割にあたります。放送で紹介された本科生の方々のお話を聞いていて、初心を貫徹することへの努力には大きなエネルギーが必要であることを裏付けるものだと思いました。そして、修了証書を受けられた方に共通することは、やれば出来るという前向きに生きる力を実感されたことのように思います。ただ、直筆の丁寧な返信をもらったときの喜び、それが財産だといわれたとき、私は直筆ではなくワープロ文字であることの後ろめたさを感じ、申し訳なく思いました。私の悪筆で、期間内に40枚もの返事を書くとなるとその悪筆はいっそう崩れ、おそらく受け取ったときの第一印象で読む気になられないだろうと想像してしまいます。これからもワープロ文字でお許しいただきたいと思います。
一方、聴講生および生涯聴講生の方々は、17回の課題番組中11回以上感想文を出され、2890名中1664名、約57%の方が努力賞を受けられました。最高齢は100歳とお聞きし、「継続は力なり」といいますが、まさに努力のたまものだと思いました。そしてお話の中にもあったように、学び続けることがどれほど大きな生きる力になっているかを改めて実感しました。私もパソコンが使えなくなるまで、このホームページの感想文を続けたいと思います。
3月17日放送 講談「忠臣蔵」
講談師 旭堂南海
話の組み立てのうまさに感心しました。「講談師 見てきたような 嘘をつき」という言葉に始まって、先ずどのような話をするのか大いに期待を持たせます。続いて矢頭右衛門七親子の窮状を述べ、大家のお人好し、その大家をだました形で上京し、最後にきちんと礼を尽くす話の展開に、ついつい引き込まれてしまいました。
それにしても、話の上手な人、文章の上手な人がうらやましいといつも思っています。私も年に何度か人前で話す機会がありますが、話の筋道がバラバラで、聞いている人を退屈させたり、居眠りをさせてしまいます。4月から地元老人クラブの役員をすることになりますが、ユーモアを取り入れることのヘタな私ですから、堅苦しい会の運営にならないか心配しています。文章の方もこのように毎週書いていますが、もっと推敲しなければうまくならないのでしょうね。
3月10日放送 「女子アナは卒寿」
天草テレビアナウンサー 黒川ツルエ
黒川さんは市役所に勤めておられたご主人の妻として、百姓一筋に生きてきた平凡な主婦だと語られていました。そのような女性がたまたまインターネットテレビの社長夫人のお母様と3年前に知り合って、この道に入られたということでした。
家庭外で活躍した経験を持たない女性が90歳近くになって社会の中で活躍しようというのは勇気がいると思いますが、あくまで謙虚な姿勢で役割を果たされていることが、みんなに好感を持ってもらえるのだと思いました。たとえば、「ツルの一声」のコーナーでも、一般のアナウンサーなら自分の主張を説得するような調子で述べると思いますが、黒川さんは、偉い人が集まって決められたことだから私が口を挟むことなど滅相もないという姿勢で、「ただ何かに使えるかもしれないので壊すのはもったいないと思います」と庶民の感覚で感想を述べておられることなどです。
ところで、毎日放送の『ありがとう浜村淳です』というラジオ番組がインターネットで聞けるということは、浜村さん自身が番組の中でよく話されているので知っていましたが、インターネットテレビの存在は初めて知りました。竹田学長のお話では契約が必要とのことなので、ラジオ番組のように手軽に聞くというわけにはいきませんが、逆に、何らかの規制がなければ、かつての「オウム真理教」の人たちが信者に対して洗脳したような番組が密かに放映されていたら恐ろしいなと思いました。
3月3日放送 「食品の裏側」
食品ジャーナリスト 安部 司
11月に保田保先生が「お米を食べよう」と呼びかけられました。我が家の米食は朝食と夕食ですが、副食は妻が時間をかけて準備していますから、あまりインスタント食品が食卓に上ることはありません。したがって食品添加物はあまりとっていないように思います。それでも煮物のだしは「だしの素」などを使っているので、皆無ではないでしょう。
一方、昼食はパン食です。インスタントコーヒーに粉のミルクパウダー、チーズや市販のヨーグルトにハムなど、時によっては粉に熱湯を注ぐと出来上がるコーンスープまで登場します。これらはほとんど調理しなくても食べられるものばかりで、きっと添加物だらけなのでしょうね。やはり、講師の安部先生が言われたように、面倒でも我が家で時間をかけて調理すれば、それだけ添加物が少なくなることがよくわかります。それには伝統的な和食がよいということが良く理解できました。そして、添加物が我々にどのような影響を与えているのかをもっと知らなければなりませんね。ただ、東京農大教授の小泉武夫先生が「FT革命 発酵技術が人類を救う」の著書の中で、21世紀は発酵の世紀といわれているように、添加物の中には発酵から生まれる有益なものがあるといわれています。このような話も是非聞いてみたいとお思います。
ところで、毎朝梅干しを食べていますが、最近家で漬けなくなり、買ったものを食べていますが、昔のように口が曲がるようなあの酸っぱい梅干しに出会うことがありません。原材料を見ると、甘味料を中心にたくさんの添加物が書かれています。昔ながらの酸っぱくて美味しい梅干しを食べるためには、自分で漬けるしかなさそうです。手作りの伝統食品を大切にしたいですね。
2月24日放送 「歌うランナー 走るシンガー」
歌手 高石ともや
「〜し続ける」ことの大切さ、「若い者には負ける」(勝とうとするから無理がある)、「水のように頑張らず、急がず、逆らわず、ただ高い方から低い方へ自然に流れるような生きかたをすれば、ゴールで待っている人がいる。水は争いが嫌いだ」「一歩ずつ一歩ずつ、小さなことを努力し続けることによって目標を達成すれば、必ずよかったねと喜んでくれる人がいる」等々、長い人生の生き方に対する示唆をたくさん語られました。
先日の川柳教室で「走る」という兼題が出ました。ちょうど東京マラソンがあったときで、3万人も参加したというニュースを聞き、「おっちょこちょい(うれしがり) 3万人が 首都駆ける」と詠みました(川柳教室にもし出場した人がいあたらと思って、「受験生 3万人に さえぎられ」に変えました)。東京マラソンが市民も参加できると聞いて、全国から3万人もの「うれしがり」が集まったのだとその時は思っていたのです。しかし、今日の高石氏の話を聞いていて、走り続けている人たちが「一番を争うのではなく、今年もゴールできてよかったね」と喜び合えることが生きがいだという話を聞き、東京マラソンが「良い人生を作り続ける人達」に役立つのであればいいなと思うようになりました。
なお、今回の放送は著作権の問題からインターネットで配信できないとのことで、多くの方に聞いていただけないのは残念です。
2月17日放送 「摂津の歴史と文化」
園田学園女子大学未来デザイン学部教授 田辺眞人
私たちが何気なく読んでいる地名の歴史については、それぞれの町についてはよく聞くけれども、郡についてはあまり意識していませんでした。川辺郡や(旧)武庫郡など、なるほどと思いました。しかし、平成の市町大合併で多紀郡や氷上郡などがなくなったように、歴史をたどることがだんだん難しくなっていくのだろうと思いました。特に、この度の合併で、神河町のように二つの町の一文字ずつをとったような名前になると、ずっと後の世に全く違った解釈がまかり通りそうな気がします。
私のような歴史に疎い人間には出来ませんが、いま「街かど学」と呼ばれているそれぞれの地域の歴史をきちんと残す努力が必要なのでしょうね。
2月10日放送 「森を創る 森と語る」
日本環境教育フォーラム常務理事 稲本 正
私たちは木で出来た製品を見るととても心が落ち着きます。それが小さな飾りであったり、家具であったり、さらには木造建築であったり、大小を問わず感じる心です。確かにプラスチック製の色のきれいな飾り、スチール製の頑丈ですっきりしたデザインや塗装の家具や家電製品、モダンなコンクリートの建築物にも心を奪われますが、そこからは心を癒されるという感覚はでてこないように思います。
ところで、昔の家具と違って木くずを圧縮して作られた加工品の表面に薄くきれいな木目が貼り付けられたような家具など、デザインは素晴らしいけれど何となく期待を裏切られた気持ちをもつ木工製品に出会います。そのくせ、総桐のような立派と思える昔の木工家具が古ぼけたものとして捨てられていたりします。何か表面上のものを飾り立て、物の本質を見失っているというのが我々の今の状況のように思います。業者の目先の儲けに踊らされている点も反省しなければならないのかもしれません。
稲本先生がお話になったように、日本の森林を見直し、木工製品の良さを考えながら、そして地球環境にも心を配りながら、これからの生活を見直していきたいと思います。
2月3日放送 「ユーモアは力」
文京学院大学外国語学部助教授 大島希巳江
外国人から見れば、日本人が「ユーモアも笑いもない人種」と思われていたのは少々以外でした。しかし、そういわれると、確かにチャップリンのように世界に通じる笑いを誘う日本人はいないようです。むしろ、国技の相撲において勝っても表情を崩したりはしゃいだりしません。また、日本独自の文化として知られている歌舞伎も、見えを切っても笑いをとることが中心ではありません。そして、芸術家も文化人もみんな勤勉実直です。サービス業の女性が笑顔で対応していますが、これは決してユーモアの笑いと結びついたものではありません。また、人前でげらげら笑うことは下品とされ、おやじギャグのような駄洒落は「寒い」と軽蔑されてしまいます。そして、何気なく心をとらえる洒落を粋と考えています。このように考えると、大島先生のお話は納得せざるを得ません。
しかし、日本にも吉本興業のように笑いを求めた企業が存在し、もてはやされています。その中でも、日本独自の伝統芸能に結びついたものといえば落語です。やはり大島先生の着眼は素晴らしいし、納得がいきます。これからも英語落語の公演でますますご活躍いただき、日本人の本当のユーモアを世界に知らせてほしいと思いました。
1月27日放送 「笑顔は健康の源 元気で長生きこれが一番!」
スマイリズム総合研究所所長 近藤友二
笑顔の効果はそれなりにわかっているつもりでいたのですが、ではいつも笑顔でいるかといわれればそうでもなさそうです。いつも前向きに生きようとは思っていますが、笑顔が伴っていないというのが私の現実のようです。
もう一つ、対人関係において、継続的な笑顔が大切だと思います。日によって笑顔が出ないということであれば、相手もこちらの気分を推し量ることに気を使い、心を開くことが出来ないだろうと思います。今日から老人クラブの方々とはいつも笑顔で接するようにしたいと思います。そのようなことを考えていると、以前にも書きましたが、教員採用試験の集団面接で、「私は常に笑顔を大切にしたい」と終始笑顔でとおした女子学生のすばらしさを思い出し、10年も前のことなのに、無事採用されたのか、今も子供達の前で常に笑顔を保っているのか気になります。
テレビを見ながら大笑いするのも大切ですが、やはり生涯現役で学び続け、感謝しながら前向きに生きる中で、「元気で笑顔 これが一番!」を実践しながら、いろいろな仲間と過ごしたいと思いました。
2月の末に兄弟会で私の古希と弟の還暦を祝ってやろうと兄がいってくれています。その時に「古希は101歳」という近藤先生の話をしなければと思っています。
1月20日放送 「高齢者の歯の健康と治療」
兵庫県歯科医師会副会長 澤田 隆
昨年11月、奥歯にかぶせていた銀がはずれてしまいました。この歯は2〜3年前に割れたのですが、歯根が何とかもつということでかぶせてもらっていたのです。ところが多少無理があるためか度々はずれてしまいます。今回は治療の間隔があまりにも短いので、食事も差し支えなく出来ることから忙しいことを言い訳にしてまだ治療に行っていません。しかし、今日の澤田先生のお話を聞いていて、来週早々にも治療の予約に出かけなければと思いました。
それにしても歯の健康といろいろな病気の罹患率にこれほど関係があるとは思いませんでした。これまでに奥歯を9本治療していますが、幸いまだ1本も抜いていません。だから食事に関しては不自由に感じたことはありません。歯医者からは歯間ブラシの使用をすすめられ、気がついたときに使う程度ですし、歯磨きも夜風呂へ入ったときに磨くだけです。これからはもう少し真面目に歯のケアをしなければと思いました。
1月13日放送 学生参加番組 「若者に思うこと」A
1 「家庭教育の充実」 姫路市 篠原繁明
ハンカチ王子とさわがれた早稲田実業の斉藤投手がなぜ好感を持って取り上げられたのか、篠原さんはきちんと分析されていることに感心しました。選手が活躍すると、親の方も有頂天になって、少しでもいい条件でプロ入りできたらなどという場面が多く見られます。しかし、斉藤投手はまわりに感謝することはあっても、浮かれることもなく、お母さんも陰でしっかり支えていることを感じさせても表面に出てくることはありません。親の愛情にも冷静さの必要性を感じさせるお話でした。
2 「子どもには強い指導力を」 明石市 藤野恒子
自由にのびのびと育てるという戦後の教育が、今の子どもたちの非社会的、反社会的な行動につながっているのではという指摘をされ、中・高校のクラブの厳しさが一定のルールや規則を身に付けるうえで効果を上げている例から、もっと強い指導力を持って子どもを育てるべきだと言われました。プライバシーや個性の尊重などといって、何でもありという風潮を作りあげてしまった社会が若者のしたい放題につながっていることは間違いないと思います。義務を果たすことの大切さを自覚させることこそ、今の教育に求められているのではないでしょうか。
3 「結婚しよう」 三田市 塚本洋子
塚本さんは、子の親になって初めて大地に基盤を置いた生き方が出来ると考えられ、若者に結婚して子供を作ろうと呼びかけられました。平和を目指し、大切な地球環境を守る努力をするのも、全て私たちの子孫繁栄のためではないか、その責任感を自覚するのも人の親になって初めて実感として持てるという塚本さんのお話に私は大賛成です。
私的なことですが、ずっと以前に塚本さんの著書「愛の灯を消さないで」を読んで感動したこと、そのお話を何度か引用させていただいたことを思い出し、塚本さんのお話を久しぶりに聴いて感動させられました。
4 「若者の居場所」 加東市 岡本知佳子
夜中にバイクの爆音で目が覚めると、殆どの人はその迷惑さに腹を立てることでしょう。しかし、岡本さんはその若者の居場所の無さをかわいそうと思われる心の広さと冷静さを併せ持ったすごい人だと思いました。そして、核家族化による家庭のあり方の変化を取り上げて、自分達高齢者が若者の居場所づくりに努力し、若者と高齢者の共存社会の確立を訴えられました。全ての存在に意味があると結ばれた岡本さんならではの発想で、どのように実現していくのかもっとお話を聞きたいと思いました。
5 「山での想い出」 宝塚市 峰 剛夫
尾瀬の至仏山に御夫婦で登山され、夕暮れの不安な下山を助けてくれた若者に対する感謝の想い出を語られました。若者といえば、その傍若無人な行動を先ず思い浮かべる人が多い中で、峰さんは若者のすばらしさを先ず思い浮かべられました。「悪い面をどう改めるか」よりも「よい面をどう育てるか」が大切だと指摘された思いでした。私も先日来、電車で若者に席を譲られることを度々経験しましたが、さりげなく人に親切にする、せずにいられない心はどのような環境で育つのでしょうか。もっと考えてみたいですね
6 「私の願い」 神戸市 末井貞江
若者の傍若無人な行動の原因は、いまの大人の行動に行き着くことを指摘されました。だから、大人はもっと若者に積極的に関わり、今は迷惑と思われても、彼らが自分達の年齢になったときにわかってもらえればいいという長い気持ちで、謙虚さ、感性、礼儀正しさを伝えるべきだと話されました。高齢者と若者の交流の場づくりが大切なのでしょうね。
1月6日放送
T 「知事新年あいさつ」
兵庫県知事 井戸敏三
最近ゆっくりした口調の話に慣れているせいか、知事の早口にはじっくり理解するいとまがないという感じを持ちました。いろいろ話された中で、2007年から団塊の元気な世代が定年を迎えることに関して、コミュニティの場を積極的に活用して、『共に考え、共に行動する』ことを勧めておられました。とても大切なことだと思います。各地のコミュニティセンターがこの団塊の世代を満足させることの出来る体制にあるのかということについて、改めて点検しておく必要があると思います。カルチャーセンターとしての機能はすぐにでも出来ると思いますが、老人クラブなど、意識の違う世代の融合にはしばらく時間がかかるのではないでしょうか。これまでの老人クラブのやり方に固執せず、思い切って団塊の世代にも運営に参加していただく勇気が必要だろうと思います。
U 学生参加番組 「若者に思うこと」@
1 「鉄は赤いうちに打て」 上郡町 西田秀春
社会の中心である大人が信頼を裏切る数々の不正をしていることが、今の若者に少なからず影響を与えていることに言及され、地域の祭りに関わって、獅子舞の練習を全世代で進めていくような素晴らしい交流の機会をもっと大切にすべきだと述べられました。子ども、若者、青壮年、そして高齢者が一緒になって地域の伝統文化の継承をしていく中で、コミュニティをよい方向に創りあげることの大切さこそ、今最も求められていることだと思います。
2 「有難うの心」 稲美町 田部百合子
歩き遍路をしていて、最も強く感じるのが「有難うの心」です。感謝の心は、田部さんがおっしゃるように教えられるものではなく、個々の心の中に育つものだと思います。だから若者の心は大人の写し鏡なのだと私も思います。
3 「生涯学習をさりげなく」 加古川市 田中 博
「学齢期の学習は主として教科の学習に重点がおかれがちだが、親から学ぶこともとても貴重だ。そのために親自身もしっかりした言動を子どもに示すことが大切である」という『天声人語』を引用しての田中さんのお話に、その通りと心の中で拍手を送りました。田中さんは学習する場が、身近にしかも常に身の回りにあり、さりげなくできるものだといわれましたが、さりげなく学習できる感性を大切にしたいと思いました。
4 「私の町は素晴らしい」 丹波市 戸倉敏子
自分の町の若者は、その若さを発揮して、町内の夏祭りを準備から黙々と働き、町内みんなの人々のために盛り上げているとお話しされました。そして、トライやるウィークを中学校だけに限らず、高校や大学においても半月間のボランティアや社会経験を義務づけるべきだとお話しされました。教員の免許を取得するために、高齢者や障害者の福祉施設や障害児の学校で体験することが義務づけられてから数年が経ちます。期間は10日ほどなのでどれほどの効果が現れているのかよくわかりませんが、体験を受け入れる側も協力すれば、十倉さんのおっしゃる効果はきっと現れることと思います。
12月30日放送 「心の健康与太話」
おしゃべりコンサート主宰 田所政人
「哲学的思考というのは私にとって最も苦手とするところである」とこれまで決めつけていました。今日のお話も唯物論万能社会に至るまでの話はなかなか難解でした。しかし、マインドコントロールの話になると、とても理解しやすく、しかも興味深いものでした。
これまで、北朝鮮の独裁政治への社会的なマインドコントロールを苦々しく思っていました。ところが、田所先生のお話で、私たち自身も戦前の軍国主義、帝国主義から平和と民主主義賛歌のマインドコントロールを受けていたことを指摘されると、納得せざるを得ませんでした。
そのことに気づくと、原点に戻って、人間の幸せ、子孫(必ずしも自分の子孫に限らず人類の子孫と考えるべき)の繁栄についてもっと考えるべきだと思いました。それは愛と優しさに支えられた基本的人権の尊重と、将来にわたって人間が生きていくうえでの環境保全なのではないかと思うのですが、欲望が常に顔を出す私には、最も難しいことかもしれません。
12月23日放送 「尿の医学 −尿により体調を知る−」
元県立リハビリテーションセンター中央病院副院長 鳴滝恭也
少し寒くなると頻尿になるというのが私の特徴です。また会議中にコーヒーを飲むと頻尿になります。そういうものだと何気なく思っていましたが、今日の話で尿をつくる腎臓の働きの重要性についてあまりにも無知であったことを思い知らされました。60兆もの細胞を守る体液(血液)の量や成分のバランスがこの腎臓によって保たれているという驚き、そのバランスを保つ機能が低下して、人工透析をしている人の数、費用の多さにも驚きました。今後、自分の尿についてもっと関心を持たねばならないと思いました。
失禁の話ですが、小さい頃、良く排尿の夢を見て寝小便をしたことがあります。ところが最近、トイレを探す夢をよく見ます。やっと見つけて排尿しようとして、寸前で目が覚めます。膀胱いっぱい尿がたまっていて、尿意が最高に達しています。こんな時にトイレに行くと勢いよく出るので、まだ前立腺肥大にはなっていないようです。それにしても子どもの時のように寝小便をしないかちょっと心配に思うときがあります。
12月16日放送 「体験発表 学生参加番組 地方スクーリング」
1 但馬地区 「ガンとの闘い5年間」 福冨 裕(豊岡市但東町)
福冨さんは5年前に排便のあと紙に付いた鮮血が始まりで、直腸ガン、けがやガンの転移、そして別の病気で繰り返し入院されて、いろいろの手術を受けられて今日にいたっておられます。それでもめげることなく、医者の指示に従ってストレスを貯めないよう小旅行に出かけられたり、家に手すりをつけて転倒防止に努められるなど、前向きに生きておられます。どのような状況になっても前向きに生きることの大切さを教えられたお話しでした。
2 阪神・神戸地区 「四季の山歩き」 川崎かね子(尼崎市)
77歳で、四季折々に中山寺奥の院へ登られているお話しでした。丹波出身の川崎さんは西宮に嫁がれたけれど、ぜんそくで山の麓に転居、健康を取り戻したことから山歩きの虜になり、中山寺の奥の院18丁の山登りを続けられているそうです。初めは「なんだ坂こんな坂」のかけ声で、途中から「般若心経」を唱え、やがてせせらぎの音に耳を澄ませながら心豊かに登られる川崎さんの姿が目に浮かびます。春は花を愛で、夏は樹々から涼をもらい、秋は紅葉を楽しみ、冬は落ち葉を踏みしめて歩く心地よさを味わえる素晴らしいところとお話しされていました。そして、参道で交わす挨拶が快感だとお話しされた川崎さんの心の美しさにお遍路を続ける心に共通したものを感じました。
3 西播磨地区 「自立して生きよう」 小島利明(相生市)
「私は蛙さんやミミズさんを前にして生きている」という言葉で話を始められました。「蛙さん」「ミミズさん」なんと素朴で、そして美しい心の持ち主だろうと思いました。昔母親と一緒にいるとき、屋外で小便をする前に必ず「蛙さんもミミズさんもごめんなさい」と言っていたことを思い出しました。放送大学のすばらしさを常に多くの人に伝え、全く知らない人でも、テキストの「心のこだま」に掲載された人にはお褒めのハガキを出されていた船曳さんに誘われたお話に、懐かしく思い出されました。
コーカサス地方の長寿の人の話から、まわりの人の重荷にならない程度に健康な身体とお金、そして満足した心を持ち、あとから振り返って面白かったと思えるような人生を自立して生きようと呼びかけられました。現状に満足する心が高齢者のポイントだろうと思いました。
12月9日放送 「定年力A」
千葉大学名誉教授 多湖 輝
定年を迎えたとき、改めて人生計画を立てる時期だといわれました。私はプランを立てるのは苦手ですが、こんな生き方をしたい、あるいは自分の時間としてこんなことをしたいということをいくつかもっていました。
最も大切にしたいと思ったのが、地域の人々の仲間入りをして、共に楽しく、あるいは助け合って過ごしたいということです。仕事人間で地域と関わりなく生きてきたからです。今、老人クラブの仲間入りをさせていただいて、少しでもお役に立てることが出来ればと心がけています。
その次が旅をしたいということでした。それも急がず、自分の足で歩く旅です。初めのうちは旅行社のツアーに参加していました。初めて行く土地、今まで訪れることの出来なかった季節の景色、どれも感動そのものでした。しかし、せかされてゆっくり見ることができない不満を感じるようになりました。そんな時、以前から憧れていた四国歩き遍路のツアーに出会い、その実現に喜んでいます。そして、参加することによって健康づくりの意識が高まりました。
もう一つはボランティアに結びつくグループ活動です。現在の活動はボランティアには直接つながっていませんが、いきいきネットワークに関わるグループを立ち上げ、月1回の例会を継続できる喜びがあります。55歳以上の「いきいき仕事塾」修了者で構成されていますが、毎年新しくグループに参加して下さる方があり、とても暖かな雰囲気です。どこへ出かけても時間にせかされることもなくゆったりした気持ちで潤いのある時間が持てるこのグループは、私にとってオアシス的な存在です。
この他に第九や川柳など、趣味のグル−プや教室で仲間と楽しめるのも有難いと思っています。私は定年後の人生計画を立てたわけではありませんが、多くの方々との関わりの中で、幸せで充実した毎日を送らせてもらっていることに感謝しています。
12月2日放送 「定年力@」
千葉大学名誉教授 多湖 輝
第1声「おはようございます!」と挨拶された声を聴き、本当に大正生まれの人かと改めてテキストを見直しました。お話の中にも自分の生まれのことをいわれたので、間違いないと納得しました。
最近、電車に乗ると若者が席を譲ってくれることがときどきあります。猫背で年寄り臭く立っているのだと、今日の話を聞いて反省しています。
ところで、今日の話では、定年後の人生についてまだこのように生きようと具体的なところまでは提案されませんでしたが、少なくとも、老人という概念に縛られることなく、また、人まかせにせず、自分で自分の定年後の人生を作っていく気概を持つことの大切さをご指導いただけたと思っています。
11月25日放送 「これがリハビリだ!」
神戸学院大学助教授・理学療法士 備酒伸彦
所得控除が次々なくなり、税金が増えたことに伴い、介護保険料が高くなったとぶつぶつ言っている自分がちょっとはずかしくなった今日の放送でした。私はリハビリと介護保険を全く別のものと考えていたからです。
身体が不自由になったとき、先ず入院をして病気の治療をしてもらい、さらに身体機能の回復のためのリハビリに取り組むところまでは理解していました。しかし、退院したあと、生活の自立のための環境を整え、さらにその人なりの生活自立の意欲を高めていくためのケアが介護保険に含まれているとするならば、介護保険はとても重要で、それなりに相互扶助しなければならないことが理解できました。
備酒先生のお話のように、一人のリハビリについて多くの専門スタッフか話し合い、方針を決めることも理解できました。そのあと、介護の計画に関わるケアマネージャーや、実際の介護の実施に携わる介護福祉士の力量が重要になってくると思いました。介護保険の利用が必要となるまでに、介護保険についてもっと前向きに勉強しておかなければと痛感しました。
11月18日放送 「食の自給率が危ない」
兵庫農漁村社会研究所代表・神戸大学名誉教授 保田 茂
日本の食べ物の自給率が40%だということは知識としてもっていましたが、その意味をしっかり考えることはありませんでした。
我が家は昼はパン食の習慣があり、今も近所のパン屋で焼きたてのパンを買ってきてこの放送を聞き始めたばかりだったのです。1日に1回パン食にするのは現職時代から続いている給食の延長かもしれません。パンに付けるバターも牛乳も国産品だけれども、卵も含めて飼料は外国産なのでしょう。野菜も出来るだけ近所のJAで生産者の名前の書かれているものを買っていますが、それでも、その肥料は外国からの輸入品かもしれません。現に、我が家も僅かに菜園をしていますが、肥料は園芸店で安いものを買っています。きっと原材料に外国産が含まれていることでしょう。
年金生活で、少しでも安い物の方が有難いと思っていましたが、これからの時代は輸入品が高くなっていくことや輸入困難になることを考えれば、いま値段よりも地場産業を大切にすることの方を優先しなければならないということに気づかされました。
11月11日放送 「老楽力A」
お茶の水女子大学名誉教授・文学博士 外山滋比古
先週に続いて、高齢期を楽しくいきいきと生きる方法についてお話しされました。
禅の「随所に主となれ」という教えに対して、気のおけない人を招いてもてなすことによって、ホスト・ホステスになれと言われましたが、料理を作ることができない私にとってはそのような企画をすることは出来そうにありません。家族みんなを連れて食事に出かけることも、大蔵大臣ではないので少々難しそうです。
身体を動かすことについては、毎日の習慣とはなっていませんが、お遍路のために歩く機会を多くもったり、菜園や庭の手入れ、そしてグラウンドゴルフなど予定にしたがって出かけるなど、家でぼんやり出来る日はあまりありません。足だけでなく手も動かすようにいわれましたが、これも毎食後の洗い物をしていることが大切なことだと改めて感じました。
頭を使うことは、ホームページを出来るだけこまめに更新することで使っているのかもしれません。また放送大学の仕事をさせてもらっていることも、読書の機会が増えるなどよく頭を使うようになりました。以前、頭の体操をするために「脳力トレーニング」という簡単な計算ソフトを買いました。買ったときだけは毎日やりましたが、最近はあまりやっていません。改めて習慣化しなければいけないと思いました。
ところで、外山先生は高齢者が主体的に生きる機会をもつことが大切であり、その一つの方法としてお山の大将になる機会をもつように言われました。グループいきいきネットの世話係をさせてもらっていることは、先生の言われるお山の大将とまではいきませんが、グループの皆さんの意見を聞いて段取りをし、28人に案内状を出して実施することで、月1回頭を使い、身体を動かし、ごちそうではありませんがみんなでお弁当を食べながらおしゃべりが出来る本当にいい機会だと思いました。グループの皆さんに感謝しなければなりません。
11月4日放送 「老楽力@」
お茶の水女子大学名誉教授・文学博士 外山滋比古
いろいろな人が『高齢者の生き方』について述べておられることを例に挙げながら、元気にいきいきと長生きする『老楽力』についてお話しされました。
そこで、それらの言葉を、自分に当てはめて考えてみました。
@招かれたら断るな;声をかけられたことは、よほど都合が悪くない限り引き受けるようにしています。その中には、この放送大学講師のように、自分の分を越えたものもありますが、それは勉強と思って迷惑をかけないように努力しているつもりです。同窓会的な誘いはずいぶんありますが、大勢が集まる形式的なものは実りが少ないのであまり参加していません。しかし、これからの人生において大切だと思う会には積極的に参加しています。
A高齢になって新たな仲間をつくる;最後まで続くだろうと思う地元老人クラブに入会し、週2回のグラウンドゴルフや親睦旅行などに積極的に参加しています。その他にグループいきいきネットを立ち上げ、月1回のペースで活動を続けています。この会は世話係をしているので、皆さんの意見を出来るだけ取り入れて企画させてもらっています。
B元気がなくならないように積極的に、活動的に、自信を失わないことが大切;今、四国歩き遍路の結願に向けて月1回参加していること。毎年12月のステージに向けて明石第九合唱団に参加し、週1回の練習に出来る限り出席していること。ほめられることは少なくても月1回の川柳教室に通い、仲間と楽しいひとときを過ごすことなどがあります。
このように見てみると、私のカレンダーは毎日予定がつまっています。その中で空いた時間に菜園や庭の草引きなど、ぼんやりしている暇がないのは、『老楽力』が少しは身についているのかなと思ったりしています。
10月28日放送 「おすすめの一冊」
放送大学教授・講師陣
私を除いた皆さんの本は本当に読んでみたいと思う一冊でした。ところで、今まで聞き逃してはいけないと思い、自動録音できるようにラジオをセットしていましたが、昨日届いたテキスト11月号に「放送ライブラリー運用開始のお知らせ」があり、放送された講座を放送後1か月以内ならインターネットで聞けるようになりました。試しに先週の河合先生の放送を聞いてみると、私が普段録音しているよりずっと鮮明に聞くことができました。ということは、自分の声も1ヶ月間このライブラリーに保存されるのかと思うとちょっと恥ずかしくなりました。
なお、私の放送原稿を掲載しておきます。
10月21日放送 「チンパンジーはあいさつ上手」
県立人と自然の博物館名誉館長 河合雅雄
何年か前、丹波の森公苑で開催された「学ぶ高齢者のつどい中央大会」で先生にお会いすることが出来、また講演も聞かせていただきました。その時もチンパンジーのあいさつを初めとする行動をいろいろお話しされ、今人間が学ぶべき点を指摘されていました。今回は礼節を失った今の現状と、あいさつの意義を丁寧にお話くださいました。
あいさつは人を意識し、その人を心から思いやるときには、自然に出るものだと思います。礼節に欠けているといわれる人達は、まわりの人を意識していないし、その人の心をくみ取ろうとしていないのではないでしょうか。電車の中でお化粧をする人たちは、まわりの人を意識していないし、その人達がどのように思っているか考えようともしない人だと思います。以前、従兄弟と電車に乗ったとき、4人がけの席が二つ空いていたので、座席に荷物を置いていた若い女性に荷物をひざにおいてもらって座ったことがあります。その女性は非常に迷惑そうな態度を露わに示しました。荷物をひざの上に置いたために、お化粧がうまくできなかったからのようです。次の駅で私を蹴飛ばさんばかりの荒々しい態度で下車していきました。いくらお化粧をして見かけがきれいになっても、人柄の美しさは出ないだろうとかわいそうに思いました。
あいさつはその人の人柄がにじみ出る最初の行動だと思います。あいさつの下手な私はまだまだ人間として未熟なのだと改めて気づかされ、反省させられた放送でした。
10月14日放送 「高齢者の主張 学生参加番組 第2回中央スクーリングより」
1 「与えられた学びの場を大切に」 多可町八千代区 渡辺善子
20年前に、退職後すぐ婦人会を通じて地域活動をされ、なかでも女性の特性を活かして山村を都会人に親しまれる八千代町に活性化していかれた活動は本当に素晴らしい実践だと思いました。
2 「いのちと闘った日々」 明石市 橋本節子
度重なる病気、入院、手術という日々に負けず、常に前向きに学び、実践しようとしておられる姿勢に感動しました。橋本さんとは一緒に川柳を学ぶ仲間としてお付き合いしているので、人柄もよくわかっており、親しく聴かせてもらいました。
3 「輝いて生きよう」 尼崎市 丹羽博美
中学卒業時にお父様を失い、高校進学をあきらめて集団就職をした丹羽さんが、55歳になって長年胸にしまい込んでいた高校進学の夢をはたされるまでの気持ち、そして入学後の喜びと活動、さらに卒業後のいきいきとした活動をとてもわかりやすく話されていました。本当に輝いて生きておられるお話に感動しました。
10月7日放送 「老人よ『我が儘』に生きよ」
文筆家 木原武一
今日の話は主として男性老人を対象にした話だと思います。7月放送の「隠居学」で『旅の楽しみ』について加藤秀俊先生がお話しされたときも、女性の方で、親の介護や主人の食事の世話などがあり、自由に出かけるなど、女性にとって夢のまた夢だと書いておられた方がありました。今回の話も、女性が一人暮らしになっても身体が何とか動く限り、衣と食については何ら困ることなく生活しておられる方がたくさんおられるし、住についても掃除など、その保全については男性より上手だと思います。ところが「男子厨房に入らず」などと高をくくって面子に生きてきた男性にとっては、ずっしり心にこたえた話だったと思います。
私もサンデー毎日になって、多少の畑作りと、食後の洗い物や洗濯物をたたんだり、たまに掃除機をかけるくらいはしますが、料理を作ったり、洗濯をしたりすることはありません。今一人暮らしになったらお手上げ状態です。だから妻は、私の食事に関して、近くのスーパーなどで弁当を買ってきて食べるくらいしかできないだろうといつも言っています。一緒に買い物に行ったとき、スーパーの弁当をのぞいてみますが、唐揚げなど脂っこいおかずを見るとスーパーの弁当もすぐに買わなくなるだろうと思います。
子どもの頃、カレーや焼きめしなど自分でよく作りましたが、家内の留守の日に自分で焼きめしを作ってみると、まっ黒になり、すっかり自信をなくしました。それ以来妻の前では料理を作ることを拒否しています。「たまには料理を作って食べさせてよ」と言われるのですが、料理の上手な妻を喜ばせる食事など作れるわけがないし、仮に作ったとしてもぼろくそに言われるのがオチでしょう。
そんな私が妻を放っておいて、カレンダーがまっ黒になるほど外へ出かけることにおいて「我が儘」に生きている日々は決して自立に結びつかないと忠告を受けた思いの放送でした。
9月30日放送 「だまされる心」
信州大学助教授 菊池 聡
人間がだまされる心を持っているのが自然であるというお話を聞いて少しホッとしています。昔からお人好しすぎるなどとよく批判されていたからです。お人好しというのは、なんでも人に言われたことを信じて、その期待に応えようと行動してしまうことだと思います。
わたしが初めて詐欺にあったのは、まだ昭和20年代、私が子どもだった頃、ガスコンロの点検(神戸に住んでいたので、当時から都市ガスを利用していました)だと言って上がり込み、お宅のコンロはだめだといって、ペンキを塗りたくった新しい?コンロに取り替え、お金を支払わされたことです。子どもが支払ったくらいだから、今のような法外な値段ではなかったのでしょう。つまらないものを買わされるなど、その後も何度かありました。
お金の問題以外でも、いまだにときどきあるのですから、批判されても仕方がありません。ひとつひとつが授業料だと思っているので、それほど気になりませんが、何十万、何百万という金額になると自分では支払えないので、お人好しにはなれないでしょうね。
逆に、自分のことも自分に都合よく考えるので、他人に不快感を与えていること(だまされたと思わせていること)もあるのではないかと少々心配になりました。
9月23日放送 「医師がすすめるウォーキング」
(社)日本ウォーキング協会副会長・医学博士 泉 嗣彦
現役時代、デスクワークと車通勤の生活になった50歳代に、それまで52〜3sだった体重が63〜4sになってしまいました。こうなるとズボンのウエストも78pから85pでも窮屈に思うようになり、今まで着ていた服が全て着られなくなってしまいました。何とかしなければと夜9時ごろから妻と1時間ほど歩き始めました。1年半ほど歩いたとき、阪神淡路大震災があり、その直後、母の入院などがあってウォーキングの回数が減ってしまい、やがて夜のウォーキングはしなくなりました。それでもズボンのウエストは82pで抑えることが出来るようになりました。
16年3月に退職し、サンデー毎日になったので、正しいウォーキングを学びたいと思って、明石市のウォーキング講座を受講しました。講座の最終日にこの講座をどのように活かすかそれぞれ発表しました。わたしは以前からしたいと思っていた「四国歩き遍路」をすると言ってしまいました。その直後、新聞広告で歩き遍路の説明会とツアー募集の広告を見つけ、参加することになりました。
月1回1日20qほど歩くのですが、初めのうちは2万歩を越えると苦しい思いをし、翌日は足の筋肉痛に悩まされたりしました。最近は高知県を歩くので1泊2日になり、40qほど歩きますが、筋肉痛になることも、苦しい思いをすることもあまりありません。外出したときも、荷物がなければ少し離れた駅で下車して歩くなど、歩くことが苦にならず、また、意識して歩くようになったのも歩き遍路の効果だと感謝しています。
それでも日によっては2000歩も歩かないこともあり、今日の講師の先生のお話を聞いているとまだまだ反省点がたくさんあります。ちなみに現在の体重は57s前後で安定しています。
9月16日放送 「子どもの世話にならずに死ぬ方法」
作家・陶芸家 俵 萌子
9月14〜15日の中央スクーリングで「地域でいきいきと生きる〜人生90年をどのように過ごすか〜」というテーマでお話をさせていただきました。人生の最終章をどのように思い描くか。そして、そのために今何をしておかなければならないかということをお話しさせていただきました。老人ホームなど施設で自分の最終章を過ごしたいと思うか、それとも、自宅で過ごすことを望むかということで、今しておかなければならないことが大きく違ってくると思うからです。
今日の話は施設派の話であったと思います。日本で老人ホームを100ヶ所見学したり、体験入所(居)されている俵さんは、お母さんの入所がきっかけとはいえ、本当にすごいなと思いました。そして、外国(南フランス)でもされているのですから、より自分の望む施設が見つかることでしょう。
ただ、俵さんのお母さんが倒れられたのが10年前といわれたので、平成8年ということはまだ介護保険制度が実施されていない頃で、福祉は措置制度の時期でした。そのため、在宅介護の場合、家族の経済的、肉体的、精神的負担は100%に近かったと思います。
平成12年、介護保険制度が実施されるようになって、在宅訪問介護制度が実施されたり、デイケアセンターなどが身近に次々建設され、家族や自分の望む介護を選べるようになりました。在宅介護も100%負担でなくなった今、家族と共に最後を迎えるための方法についてもっと考えてもいいのではないかと思いました。
9月9日放送 「漢詩への招待」
二松学舎大学名誉教授 石川忠久
漢詩は高校の国語で、「漢文」として初めて習いました。しかし、当時は学習全てが受験勉強の対象としてとらえており、漢詩(漢文)は難しいものと判断したときから、選択の対象外として遠ざけてしまいました。そのとき以来、詩吟をするなど漢詩を理解している人を見ると、自分と違ってとても教養のレベルの高い人だと思ってきました。それから40数年、いま漢文にふれるのは、数年前会津を訪れた際、会津藩校日新館で買った「論語のこよみ」(日めくり)を我が家のトイレで見る程度です。ちなみに今日の文章は「子曰、朝聞道、夕死可牟。」(子曰わく 朝に道を聞けば 夕に死すとも可なり)です。ここ何年か毎日見ているので、解説を読まなくても意味がわかるようになってきました。
ところで、今日の放送で漢詩の解説を聞き、歴史や形式が少しわかりました。今勉強している川柳で、講師の先生がリズムを大切にすることを何度も言われますが、このような漢詩に源を発していることを理解すれば納得できます。高校でこのような解説を先ず聞いておれば、漢詩の取り組み方についてもう少し違っていたかなと思います。
9月2日放送 「不良老年のすすめ」
作家 下重暁子
私の不良度を考えてみました。まず、余り個性的ではなさそうです。本当に好きなことをしているのかどうか分からないからです。機会に恵まれたこと(声をかけられたこと)には、金儲け以外は出来るだけ挑戦しようと思っています。それが好きでなかったりやりたくないことであっても、新しい自分の発見や、新しい出会いにつながるのではないかと思うからです。それは自分がこれまで狭い視野の中で生きてきたからです。だから、過去をひきずる同窓会的なつながりは、余り出席をしていません。そうしなければ新しいことに挑戦する時間やお金がなくなるからです。逆に私を育ててもらった集団には、少しでもお役に立ちたいと思っています。
家事分担は、食後の洗い物が私の家事です。食事を作ることをすすめられるのですが、生来の不器用は、家内を喜ばせるような料理に結びつきそうにないから拒否しています。その代わり毎食後に家事を引き受けることで、私の存在価値を認めさせておくことが出来ると思っています。
反骨精神は今のところ余りありません。グラウンドゴルフなど、地元の人に連なっているような部分は、むしろ私にとっては新しい挑戦で、このことをきっかけに地元に足をつけた生活をしたいと思っているからです。
格好は良くないと自分でも思っています。家内からも常に「おじんくさい」と注意されているからです。恋をしなくてはいけませんが、熱烈な恋をした想い出もありません。せいぜい夫婦で外食する機会を作るよう心がけたいと思います。
8月26日放送 「ぼけになりやすい人 なりにくい人」
浴風会病院院長 大友英一
ぼけは私にとって最も切実に感じる老化現象です。もう20年も前から、目の前にいる人の名前が思い浮かばなくなる経験をしています。いやもっと早く、学生時代から突然脳の神経が切れたと思うように、ひとつのことが思い出せなくなることがありました。だから今日の放送にはとても期待していました。
認知症は脳血管障害とアルツハイマー病に大別されるということですが、私の場合、丁度名前を思い出せなくなった20年前に血栓性眼底出血を起こしているので、はじめは脳血管障害なのだと思います。しかし、現在定期検診で生活習慣病にかかわる症状を指摘されていないところを見ると、最近の物忘れのひどさから言えば、アルツハイマー病も加わっているのだと思います。特に、ここ何年かはインプット中心の生活だったことを思えば、「やっぱりそうなんだ」と思います。ボケ防止10箇条にもあるように、新しいことへの興味と好奇心を失わず、川柳や日記など考えをまとめて表現するアウトプットに努めたいと思います。ただ細やかな気配りや、おしゃれごころのない私には、この項目はどうしようもありません。くよくよしないで明るい気分で生活することにします。
8月19日放送 「ことばの由来」
関西外国語大学教授 堀井令以知
普段何気なく使っていることばの由来は興味深いものです。以前、NHKテレビでことばの由来にかかわるクイズ番組があり、楽しく見ていたことがあります。その時は「うだつが上がらない」の「うだつ」とは?といったようなみんなが疑問に思うことばが取り上げられていました。、家族で自分の意見を勝手に言い合いながらその番組を見ていました。
今回の放送で、『わたくし』や『あなた』のように私たちがなんの疑問も持たないで使っていたことばも由来があり変化して今に至っているという話を聞くと、今使っていることば全てについて由来があるのではないかと思ってしまいました。そんなことを考えていると、ことばの由来を考えることはきりのないことで、私のような横着で根気のない性格の者にとっては「もうどうでもいいや」と投げ出してしまう気分になりました。
8月12日放送 「新 生き方上手」A
聖路加国際病院名誉院長 日野原重明
みんなで一緒にボランティアをすること、人のために自分の時間を提供すること、それも大きなビジョンを持ってその一部を担っていれば後の人が残りを実現してくれるということを話されました。私にはそのような大きなビジョンは描けません。せいぜい、今度ののじぎく国体のように、仲間と一緒にボランティアをしようとしている程度です。しかし、これも仲間と一緒だからできるのだと思っています。全国から来られた方々が少しでも良かったと思ってもらえるように誠意を持って取り組みたいと思います。
耐えるということで、話が戦争にまで及びましたが、先生のいわれるように、どのような争いも報復をしていたらいつまでたっても終結はしないと思います。国家にしても、個人の争いにしても面子の問題がいつも持ち出されますが、相手を認めた上で許すことと耐えることについて今一度深く考えてみたいと思いました。
今、高齢者が最も集中して取り組める時間を持っているということから、コミュニケーションの手段としてITを前向きにとらえることで、行動範囲が狭くなることを補えると話されました。私がITに取り組んだのはまさにその思いがスタートでした。そして退職したとき、晴耕雨パソコンとして集中して取り組んだお陰で、このようなホ−ムページにまでたどり着けたのだと思います。それも独りではできず、支えてくださる人がいたからだと思うと、やはり仲間とともに集中して取り組むことの大切さを改めて感じています。
8月5日放送 「新 生き方上手」@
聖路加国際病院名誉院長 日野原重明
定年後の生活がリタイヤではなく、今までにやりたくてもできなかったことに挑戦できる最も幸せな時期だといわれたことに最も共感しました。
私が定年退職した60歳に、いなみ野学園地域活動指導者養成講座(地活講座)で第2の職場を得たことによって私の人生を前向きにしてもらえたと言っても過言ではありません。地活講座では、いろいろな仕事をされてきた方々が過去の経歴に関係なく、地域に貢献しようといろいろなことに挑戦され、それを実現されていく先輩方の姿を目の当たりにできたからです。その姿とはまさしく日野原先生がおっしゃった「一日一日目標をもち、その達成を望んで生活する」そのものだったのです。私は第二の職場を退職したときには、その姿勢で生きたいと強く思うようになりました。
今、私の毎日はどうかすると日程の調整に四苦八苦する部分ができるほどになってきました。川柳、第九合唱団、グループいきいきネットの活動、家庭菜園、老人クラブ活動のカラオケとグラウンドゴルフ、四国歩き遍路、自分の私生活を恥ずかしげもなく公開しているホームページなど、今私の生活の中心になっていることはどれも60歳を過ぎてから挑戦していることです。その挑戦の中で最も新しいことが、この放送大学の仕事です。私は本科生の往復はがきの返事を書くことだと思ってお引き受けしましたが、テキストの原稿、中央スクーリングの講義、そしてお薦めの一冊の放送と、次々に依頼があります。お陰で本屋に立ち寄る機会も増えました。読書時間もずいぶん増えました。これも日々目標をもって新しい挑戦を続ける機会を与えてくださる皆様のおかげだと感謝しております。
7月29日放送 「想い出のメロディ」
学生参加番組
「坊がつる賛歌」「山小屋の灯」と山の歌が続きました。私は大学卒業前後に、神戸市教育キャンプ場でジュニアリーダーをしていました。場所は修法が原、仙人谷、教育植物園、六甲山牧場など神戸市の裏山にありました。そこで神戸や阪神間の小中学校の林間学校や、企業の新任研修などのお手伝いをしていました。そのようなことから、山の歌をリーダー仲間で大いに歌ったことを想い出しました。
「大楠公」は母親のうたった歌ということでしたが、私の母も歌が好きでした。私たち兄弟が床にはいると子守唄を歌ってくれましたが、その時に「歌を忘れたカナリヤ」をうたっている母がなぜか今も心に残っています。母は県立第一高女在学中に、NHKラジオで独唱したと聞きました。私の中学時代に、父がPTAの役員をしていた関係で、ラジオ関西のPTA番組に母を出演させたことがありましたが、40歳を超えた母の声はお世辞にも上手とは言えませんでした。しかし父もマンドリンや尺八を少しかじっており、父母のお陰で兄弟みんな音楽が好きになりました。
「この道」は東京音楽学校卒の新任教師の挨拶がわりの歌というお話でしたが、私が高校に入学して最も気に入ったのが、音楽の柳歳一先生が東京音楽学校で藤山一郎と一緒に学んだ話をたくさんしてくださったことでした。とてもいい声の先生で、毎時間歌に聴き惚れていました。いまだに民謡を歌うときも歌曲になってしまうのはその先生の影響です。そして、大学入学後グリークラブでうたうようになったのも、兄がうたっていたということもありますが、柳先生の歌に憧れたからでもありました。このような先生でしたから、昭和20年代の終わり頃だというのに、校内で開かれる音楽会で柴田睦や外山雄三という一流の音楽家の演奏を生で聴かせていただけた幸せを今も想い出します。
7月22日放送 「長寿社会とスポーツライフ」
神戸大学発達科学部教授 山口泰雄
長寿者のライフスタイル@食事のバランスについては妻まかせですが、肉より魚中心で野菜の摂取を意識してくれているので○としましょう。A適度な運動については毎日体重、体脂肪、歩行数、その日の外出状況などをノートにメモしています。普通に暮らした日は5000歩を越えません。それもウォーキングのような運動ではなく生活の中の歩行数です。それでも歩き遍路を意識して電車で出かけたときは離れた駅から歩いたりします。その日は1万歩を越えます。そのような日は月に4〜5回です。そして歩き遍路に出ると、1日3万歩あまりを2日間歩きます。今年になって老人クラブのグラウンドゴルフに週2回参加するようになり、5分ほどストレッチしてから始めるようにしています。家ではしていないので適度とまではいえません。B趣味と友人をもつことについては、第九合唱団に参加しているので、週1回は腹式呼吸で大声を出します。歌った日はすっきりします。近隣の人とはグラウンドゴルフやカラオケに参加したときぐらいで、毎日友人と楽しむということはありません。C物事にこだわらずおおらかにという点では、自分ではよくわかりませんが、最近胃がチクチク痛むことはないので、のんびりしているのでしょう。むしろ適当なストレスを与えてもらってボケ防止の生活を過ごさせてもらっているように思います。
このように振り返ってみると、やはり運動不足であることは否めません。この先9月までお遍路はなく、梅雨と暑さで歩くことはさぼっています。雨が上がればいい汗をかいて歩きたいと思います。そして筋力トレーニングとして壁に向かって腕立て伏せとスクワットを少しずつ始めたいと思います。もちろんストレッチを家でもやりたいと思います。今まで歩行数のみ記録していましたが、ストレッチや筋力トレーニングについても記録するようにします。そうすれば継続の意識につながるだろうと思います。
7月15日放送 「柿喰う子規の俳句作法」
俳人・仏教大学教授 坪内稔典
私の義母は阪神淡路大震災の年の4月に突然食べ物がのどを通らなくなったと言い、急遽成人病センターに入院することになりました。診断の結果は食道がんで手術も不可能ということでした。しかたなく近くの病院を紹介され、転院をして死期を待つだけになってしまったのです。数日前まで庭で花の世話をしたり、元気に動き回っていただけに四六時中点滴をしながらベッドに横たわっている義母を見るのは切なく思いました。遠くの大学で下宿生活している孫を詠んだ句を新聞に投稿して、入選したことを喜んでいるような義母でしたから、入院の初めは、自分が投稿していた同人誌を見ていました。しかし、病院の窓から見えるのは空と屋根越しに見える恨めしい成人病センターだけでした。家に帰りたいというので、家内も近くの病院などに相談しましたが、往診してくれるところは見付かりませんでした。あいにく、家族でお世話になっていた近くの開業医が少し前に閉院されていたのです。そのうちにだんだん気力も衰え、テレビやラジオを視聴することも煩わしいと言うようになり、半年後になくなりました。今は家のすぐそばに内科医院も開業し、いつでも往診しますと書かれています。もし、義母が帰宅できていれば、好きだった庭の花を毎日見ながら、それこそ子規のように歌を詠み、こころ豊かな最後を迎えられたのではないかと今も残念に思っています。
私が川柳やパソコンでメールやホ−ムページに取り組もうとしたきっかけも、高齢になってたとえ家から出られない生活になっても外部の人と常に意思疎通できる手段と考えたからです。そしてそれはとりもなおさず、義母の最後を見ていたからです。やはり、人生の最終章を子規のように少しでも前向きに生きたいですね。
先日、嬉野台生涯教育センターの生涯大学でお話しさせていただいたこと、そして、9月の中央スクーリングでお話しさせていただくことも、発想はこの点にあったので、今日の坪内先生のお話は心に染みるように聞かせていただきました。
7月8日放送 「隠居学〜おもしろくてたまらない〜A『旅のよろこび』
社会学者・評論家 加藤秀俊
若い頃は車で家族とともに良く出かけました。天草から北九州、四国西部、紀伊半島西部の海岸線から熊野・十津川地方、高山から乗鞍・松本・妻籠、山口・津和野・石見銀山というように、2〜4泊しながらいろんなところを見てみたいと車を走らせたものです。そして、4〜5年前くらいまでは家内のリクエストもあって、夜中に車で家を出て、赤倉温泉や河口湖まで行き、そこを起点にいろいろなところへ出かけたりしました。
今もリクエストはあるのですが、私ひとりがハンドルを握るので、連日車で長距離を走る自信がなくなってきました。その上、私は月一回泊まりがけの歩き遍路に出かけるので、旅を十分味わった気分になっており、家内のリクエストにこたえるところまでいかないのです。ですから、目的を持たずに県内のドライブを楽しんだり、神戸新聞文化センターが主催するテーマのある日帰りの旅などに参加してお茶を濁しています。それでも、これまで行ったところだと思っていても発見することがたくさんあります。最近はデジタルカメラという経済的で便利なものがあるので、見たものやその解説の書かれた看板や立て札は必ず撮影しておいて、パソコンに取り込んでおきます。そうすると、ぼけてきた頭にも訪れたところの歴史や建物のいわれなどを記録として残すことができるのです。そして、心に残ったことはホームページの旅の写真のコーナーに書き込むようにしています。
今日の加藤先生のお話を聞いていて、ふたり共通の興味関心のあるところへ、懐具合と体力を考えながら、もう少し積極的に出かける計画を考えたいと思うようになりました。
7月1日放送 「隠居学〜おもしろくてたまらない〜@『雑読のすすめ』」
社会学者・評論家 加藤秀俊
私は本を読むのが苦手でした。昔、貸本屋で友だちとマンガを借り、お互いに借りた本をまわすことで少しでも沢山の本が読めるようにしていました。しかし、読書速度の遅い私はいつも友だちにせっつかれていました。そんな私が小学生の頃、参観日にみんなの前で朗読させられたとき、しどろもどろで全く読むことができなかった経験があります。今でも、私は読むことに対する学習障害児だったのではないかと思っています。
本がおもしろいと思うようになったのは、歴史のある高校に入学したお陰で立派な図書館に沢山の本があったことです。山本有三、石坂洋次郎の青春もの、そして江戸川乱歩などを読みあさっていました。しかしそれも受験勉強のために参考書を読むようになり、再び自分の読書力に悩むことになりました。同じところを何度も読み返さなければ頭に入らないのです。大学に入って、いよいよ専門書といわれる本を読まなければならないのに、1冊の本を読み終えることは大変な労力でした。
就職後も、月刊の専門雑誌を何冊か購入していましたが、ごく一部を読むだけで次号が発行されるという案配でした。しかし、電車通勤の時間が長くなると、車中で本を読むようになりました。但し、専門書はなかなか読めないので、文庫本を読んでいました。中でも山本周五郎にすっかりはまってしまい、「正雪記」や「栄華物語」のような歴史小説では世間でいわれている人間像との違いを楽しんだり、独特の人情物語は大好きでした。だから車中だけでなく寝床でも夢中で読むようになりました。ところが、眼底出血と老眼の始まりで、細かい字を読むことが苦痛になり、新聞以外は読むということからすっかり遠ざかってしまいました。老眼鏡も買いましたが、仕事以外では面倒くさくて本を読むところまで行かずに長い年月が過ぎてしまいました。
今年初めに大枚をはたいて遠近両用めがねを買いました。慣れてくると、読書が苦痛ではないことに気づきました。最近やっと図書カードも作り、図書館からエッセイを中心に借りて読むようになりました。しかし、相変わらず読むスピードが遅いので、じっくり読みたい本、繰り返し読みたいと思う本は購入しています。今日の加藤先生のお話を聞いていて、もっと積極的に沢山の本を読みたいと思いました。
6月23日放送 「副作用〜その薬が危ない〜」
東京都共済青山病院 大和田潔
薬の副作用の起きる仕組みについて4つの反応を中心にお話しされました。幸い、現在の私は常に服用している薬はありません。妻などはもう十数年高血圧の薬を飲み続けています。一病息災で、その薬をもらうために、月2回は診察を受けていますが、そのお陰で他に異常がないか検査等も定期的にしてもらい、安心して生活しています。
一方、私は腰やひざが痛くなるので、時々整形外科で電気をあててもらい、湿布薬をもらってきて、痛みや違和感があるときのみ湿布する程度で、皮膚の炎症を起こすおそれ(これも薬の副作用かもしれない)があるので常用はしていません。しかし、整形外科では他の病気の心配まではしてくれません。だから住民検診を受けることで自分の身体状況をチェックしなければなりません。
ところで、先日親戚の高齢の方が病院に入院していたら痴呆の症状が出てきたと娘さんが心配されていました。もう何十年も前から糖尿病の治療を受けておられる方で、治療の記録をノートに残すほど性格がきっちりしておられる方です。今は90歳に手が届く年齢になっておられます。今日の放送を聞いていて、高齢になり、薬の代謝能力が衰えてきたのに、これまで通りきちんと服用し続けるための副作用ではないかと思いました。幸い退院されて痴呆の症状も目立たなくなったようです。
私はもともと下痢をよくする体質なので、市販の胃腸薬を飲み続けたりしたことがあります。昨年、下痢が続き、近くの内科で薬をもらって飲みましたがいっこうに良くならず、胃腸病院で診察を受けました。肛門からバリウムを注入する検査を受けましたが、特に異常もなく、副院長は薬の処方もしてくれませんでした。その後、あまり下痢をすることはありません。今にして思えば、薬を飲むことによる副作用に見舞われることもなく済ませてもらえたのではないかと感謝しています。
6月17日放送 「人生に老後という名の時間はない」
ビジネスコンサルタント 山崎武也
高齢者の生き方について、心がけるべきことを何点かあげられました。自信をもって生きなさいと言うことばに対して、自分は自信より図々しくなったように思いました。特に耳の痛い言葉は、朗読、手書き、そろばんが大切だと言われたことです。新聞以外はテレビで情報を手に入れようとするし、書くことはパソコンに頼り切っているし、たまに計算しなければならないときも計算機を使ってしまいます。さらに、常に「どっこいしょ」とともに動作をしています。展覧会を観にいっても、解説を聞きながら鑑賞しようとします。家内のすすめもあって、最近の方が赤系統の服を着るようになっています。住民税や国民健康保険や介護保険料がとんでもなく高くなっていても、仕方がないと思うだけです。辛うじて金儲けの話に乗らないことと、笑顔を大切にしているくらいです。これでは若い人たちにとって、なんの魅力もない老人ですね。
6月10日放送 「粋は艶」
上方研究家 井澤壽治
先日読んだ藤原正彦著「国家の品格」に、日本のこれからの社会のあり方について、「武士道の精神」(封建制度と混同してはいけない)を取り戻すことと書かれていました。卑怯を憎み、誇りと名誉を大切にするなどです。そしてものの哀れを理解できる日本人特有の繊細な情緒と形を重んじた日本文化を大切にするというものです。江戸の武士中心の道徳心に、今日の井澤先生の話の情緒豊かな上方の「艶」を加えることによって、人間関係を円滑にし、品格ある民族としての日本人、日本社会を取り戻すことが今大切なのだろうと思います。
6月3日放送 「田舎暮らしを楽しむ」
ふるさと情報館代表 佐藤彰啓
大都会で、それもやむを得ずアパートやマンションで暮らす人にとって、土に親しみ、自然の中で暮らすということはきっとあこがれだろうと思います。私は幸いながら、外へ出ると田んぼが見られ、借りた菜園があり、庭にも少々の花や植木が植えられたスペースがあります。そして、買い物にも不自由をしない程度の街に住んでいます。
退職して最初に取り組んだのが親戚から借りている30坪ほどの菜園でした。一年間は晴耕雨パソコンの生活に夢中でした。2年目は事情があってその菜園を返却することになりましたが、代わりの畑も借りることができ、土に親しむ生活は続いています。しかし、最初の年に比べると、ずいぶん手抜きになっています。
一方で、現職中は疎遠であった近隣との交流を望み、老人クラブの仲間入りをさせてもらいました。地域の中で生きがいある暮らしができるようにするには、できる限りグラウンドゴルフやカラオケなど、地域の皆さんと一緒に活動させていただくことが効果的だということを痛感しています。
今日のお話のようにわざわざ田舎暮らしをするために頭を悩ますことの必要がない自分の今の環境に感謝しています。
6月1日 中央スクーリングに出席
兵庫県いなみ野学園講堂
教養豊かな講師陣の中で、私ひとり自己紹介に終わったことを少々恥ずかしく思いました。しかし、中身のない我が身を良い格好にはできません。ありのままの実践を参考にしていただけるのが良いのではないかと思い、今の生活の中心になっていること、@地域に生きることを大切に老人クラブに積極参加していること、A健康づくりの習慣を身に付けるため四国歩き遍路のツアーに参加していること、Bボケ防止に自分のホームページを作り、放送大学の講座の感想文を載せていることをお話しさせていただきました。最後に半分冗談で、「希望者にはホームページのアドレスを教えます」と言ったところ、3にんもの方が来られ、すっかり恐縮してしまいました。他の講師の先生方のお話を聞いていて、悪筆の私は特にお返事を丁寧に書かなければと思いました。
5月27日放送 「学習の始まりにあたって」
放送大学教授陣
6月からいよいよ課題番組が始まります。今年はじめて外部講師を引き受けることになりました。テキスト6月号にも顔写真とともに名前が出ており、本日の放送を聞いていて、身の引き締まる思いがしました。私の心の中で緊張が高まってきました。このような緊張感を感じるのは久しぶりです。しかし、考えてみると、私も皆さんと同じ高齢者であり、否、皆さんの方がいろいろな知識や経験をお持ちです。ですから、学生の皆さんと一緒に勉強していけば良いと思うことにしました。私に期待することなく、皆さんのご指導をよろしくお願いいたします。6月1日の中央スクーリングでは、このような自己紹介や挨拶はできませんね。もう少し格好が付く挨拶を考えたいと思います。
5月20日放送 「今年度の兵庫県の施策」
兵庫県県民政策部 藤原部長
私たちにとって、安全で安心して生活できるということは全てに通じることだと思います。そのために自分は何ができるかということが大切だと思います。以前は施しの福祉といわれていたように、お上が自分たちのためにしてくれるという考えが強かったと思います。しかし、今は自分を含めて、安全、安心な暮らしのために、自分の果たす役割をそれぞれが考えて取り組むことが大切だと思います。そのためには、自分の町のコミュニティを確立しておくことも大切だと思います。
現職時代は仕事に夢中で、地域のことに関心を持つことも少なく、参加することもありませんでしたが、退職後は老人クラブに参加し、グラウンドゴルフを一緒に楽しみ、自治会の会合にも参加するようになると、高齢者がどれほど地域づくりに貢献しているかがよくわかりました。まだ老人と呼ばれたくないなどと格好をつけるのではなく、その中にどっぷりつかって、安全で安心なまちづくりにどのような貢献ができるか考えることが大切だということを実感している毎日です。
5月13日放送 「アンコールアワーA−凛々と生きる」
(平成16年7月3日・10日放送)
姫路市・大覚寺住職 中西玄禮
中西先生のお話はいつも笑い、そして涙を流します。今日のお話もそうでした。そして心の深いところに残ります。
今日のお話の中に、「健老六訓」というのがありました。この六訓をひとつひとつ自分に当てはめて考えながら聞きました。@老金を持て;これはいささか懐淋しいところです。A老友を持て;一人でよいといわれましたが、『爽やか16』『グループいきいきネット』『友愛クラブとグラウンドゴルフ・カラオケ』『川柳仲間』等々いろいろなグループに所属して楽しんでいます。仲間と語り合えるしあわせはたくさんあり嬉しく思っています。B老勉すべし;兵庫県芸術協会が主催する歴史教室、サンピア明石の川柳教室、そして、今日も午後から神戸学院大学の土曜公開講座に出かける予定にしています。そして、いつまでも続けられるのがこの『高齢者放送大学』だろうと思っています。C老働すべし;今のところ庭の草引きや、少々の菜園を楽しんでいます。しかし、はたの者を楽にするようなことはなかなかできそうにありません。ただ、所属しているグループの中で、庶務的なお世話をしていることぐらいかなと思ったりしています。D老飾すべし;おしゃれどころか、身だしなみもできないといつも妻に叱られています。今のところ妻の基準に合わせているというのが実情です。E老性を楽しむ;これは意外な言葉でしたが、やはり異性を意識することが若さを保つ秘訣なのでしょうか。大いにトキメキを意識しなければなりません。
最後の「愛護」について、人の幸せを念ずる人に本当の幸せが宿ると話されましたが、この言葉を胸に、少しでも愛護ができる人間に近づきたいと思います。
5月7日放送 「アンコールアワー@−老人自立宣言」
(平成18年2月18日放送)
中国文学者 村山 孚
2月の放送の感想文に小学校時代の友だちの死について書きました。3月の川柳教室の兼題は「終わる」でしたが、この友の死がその頃頭から離れず、次のような句を詠んでいます。
兼題「終わる」 友が逝き命の終わり意識する
みんなから「まだ若いのになんと淋しい句を詠むのだ」といわれましたが、互選で年配の方が「この歳になると、同じ思いをする」と一人支持されました。
4月29日放送 インタビュー・人間探訪22−B
ふるさと文化賞受賞者
1 葛畑座歌舞伎の継承(養父市関宮町葛畑)
2 丹波木綿保存会(篠山市)
3 縮緬細工の指導(川西市)
各地の伝統文化、古来の文化の継承を地道に実践しておられる方々の話は謙虚でありながら、本当に大切な役割を果たしておられると感じました。
数年前、「西播磨地区学ぶ高齢者のつどい」で、「南光町子供歌舞伎」を見せていただきました。実に楽しい歌舞伎でしたが、子どもたちを舞台で立派に演技させるまでの指導者の努力は大変だっただろうと思いました。また、淡路で開かれた「学ぶ高齢者のつどい中央大会」では、五色之姫(五色町)による「だんじり唄」を聞かせていただきました。知事が推薦されていると聞きましたが、本当に感銘を受ける演技に、地域の伝統文化を守るレベルの高さを感じました。ところが後日、国営明石海峡公園内の施設で、だんじり唄のコンクールで準優勝した五色町立鮎原小学校4年生が「だんじり唄」を演じているビデオを見る機会がありました。南光町の歌舞伎や五色町のだんじり唄はいずれも小学校で伝承の学習に取り組んでいることを知り、今日の葛畑地区の農村歌舞伎も関宮小学校での取り組みで、長く継承されることだろうと思います。先日、NHKの番組「鶴瓶の家族に乾杯」で、津川雅彦さんが埼玉県の小学校を訪れ、子供の歌舞伎のせりふを聞いて感心されていました。この町も1年間に7つの神社で歌舞伎を奉納する為に、町ぐるみで農村歌舞伎に取り組んでいるということでした。
また丹波木綿も、篠山市内の小学生が学びにやってくるほか、中学生が「トライやるウィーク」で実習するということを聞き、地域の人から児童生徒にうまく伝承されていると思いました。
今、教育基本法の改正の中で、愛国心をどのように表現するかということが問題になっていますが、愛国心という言葉にとらわれることなく、ふるさとの伝統文化を世代を超えて一緒に伝承するとき、自分の育った故郷を通じて、国や地球を大切にする心が育っていくのではないかと思いました。そして、評判の悪い「総合学習の時間」こそ、このような地域の文化を、地域の人々と共に学ぶ時間にすればよいのではないかと思いました。そのために、学校の先生は自分の勤め先の町の文化を知る努力を、また、地元の人々は学校にこうした地域文化の情報を伝えたり、新しい町では、一緒に地域文化を創造していく努力が必要だと思いました。
4月22日放送 インタビュー・人間探訪22−A
歌手 ペギー葉山
「男は自分の病気を家族にいわない」という話がありました。仕事をしているときは、その仕事を続けるために、体に変調を感じているときほど医者にかかろうとしない男の気持ちがよくわかります。私もそうでした。心の中では結構心配しているのですが、医者にかかってもしそのような診断を下されると、それをどう受け止められるかということが先になって、医者嫌いと称して受診しないことが多くありました。たまたま医者にかかって診断を下されたときも、その病気の対処法を医者に根掘り葉掘り聞くことはありませんでした。ただ説明されたことを淡々と聞いただけで、それを家族に伝えることはありませんでした。そのあげく、医者から治療の継続の催促を電話で受ける羽目になり、家族にばれてしまった経験があります。そんな私の心を見抜いてか、昨年2か月あまり下痢が続いたときには、家族や兄弟から強く大腸検査の受診をいわれました。幸い60歳の定年後、定期健康診断や集団検診では検査項目が少ないせいか、特に異常を言い渡されずにすんでいます。「男は自分の身体の自己管理が大切」という言葉を肝に銘じておこうと思いました。
4月15日放送 インタビュー・人間探訪22−@
「知食」の会代表 田中 範正
私は今まで検診等で糖尿病に関して医者から注意を受けたことはありません。糖尿病は遺伝的な要素があるといわれますが、兄も弟も糖尿病に関しては経験を持っているので、私にも可能性は十分あると思っています。現職時代は学校にいる栄養士さんの献立による学校給食をいただき、外食をすることはほとんどありませんでした。家庭では魚と野菜中心の食事だったのも幸いしたのでしょう。肉料理が少ないのは、妻が肉嫌いで、メニューにないことと、私の住んでいるところが「魚の棚」で有名な明石市で、新鮮な魚介類が手に入りやすいということによるものです。野菜はJAの野菜直売などを利用するほか、畑を借りて多少の野菜を無農薬で作ったり、庭の一部も菜園にしているので、こちらも新鮮なものが手に入ります。それでも、やはりこうした材料を手間をかけておいしく食べさせてくれる妻に感謝しなければならないと思っています。
4月8日放送 「笑って元気に百まで生きよう」
精神科医・落語家 北原 英樹
一昨年3月末で全ての職を退き、丸2年経ちました。頭の方はますますボケが進み、人の名前など出てこないことが多くなりました。しかし、現役時代と違って、よくもこれだけいろいろなことに首をつっこみ、忙しく暮らしているなと思います。もちろん、老人クラブの仲間入りをさせてもらって、グラウンドゴルフやカラオケで週3日費やしている日常的な忙しさもありますが、グループいきいきネットのように、仲間づくりを自分から言い出して月一回のお世話をさせてもらっているもの、川柳教室に通って月1回ない知恵を絞っていること、四国歩き遍路のように毎月わざわざお金を使ってしんどい思いをしているのもあります。このためには、日ごろから歩く機会を多くもっていなければなりません。また、現役時代のOB会の庶務会計を自ら引き受けるというおっちょこちょいな行動もしました。今度は地元自治会館のいこいの家にあるレーザーカラオケの整理活用を引き受けることになりました。今日の話を聞いていて、何にでも興味を持ち、多くの人と接する機会をもたせていただいていることを感謝しなければならないと思いました。そして、引っ込み思案だった私が自分から引き受けたり、頼まれたことに挑戦する気力が持てるのも、いなみ野学園地域活動指導者養成講座のお世話をさせていただいたときに、意欲的な多くの学生の皆さんの生き方を見せていただいたからだと、改めて感謝しています。
4月1日放送 「開講にあたって」
兵庫県知事 井戸敏三
兵庫県高齢者生きがい創造協会理事長 廣瀬 信行
兵庫県高齢者放送大学長 竹田 憲司
知事が「人と人とを結びつける地域社会の構築」の重要性を強調されていました。最近、子どもが事件に巻き込まれる事例が多くなり、どの地域でも危機感を持つようになってきました。私の住む自治会でもこのことの重要性をいち早く感じとり、明石市スクールガード活動の趣旨に賛同し、組織化するにあたり先日600戸あまりに協力を呼びかけたところ、百数十世帯が協力を申し出ました。地区の老人クラブが活発であるためか、高齢者が率先して協力体制を盛り上げています。活気のある町にしようとする意欲は、新しいことに取り組み、創造的な生き方をすることが大切だと話された理事長の話に通じると思います。
もう一つ、学長の話された趣味が生きがいになるかどうかということも、最後にはその趣味が他の人にどのように評価されるか、あるいは、趣味を通じて他の人とどのように結びつきが持てるかと言うことで、生きがいになったり、むなしくなったりするのではないかと思いました。仕事が生きがいなのは、やはり自分が社会(他の人)に貢献していると感じているからで、ここでも人と人との結びつきの大切さを感じます。自分の一番好きなことで仲間づくりができれば言うことはないと思います。そのためにも、高齢者放送大学でいろいろなことを学ぶことが大切だと思いました。そして、最も身近な人々の仲間入りをすること、それは地域社会の組織(自治会や老人クラブなど)に積極的に参加することだと思いました。
3月18日放送 学生参加番組 「放送大学で私が学んだこと」
明石市の足立さんの、「定年後の生活を自分の自由な時間として思い切り楽しもうと期待していたのに、いざサンデー毎日になるとむなしく毎日が過ぎていってしまう」というのは、一生懸命仕事に打ち込んできた多くの男性に共通することだと思います。私自身も、60歳まで勤めた仕事を定年になり、サンデー毎日になっていたら同じ気持ちになっていただろうと思います。しかし、私の場合は幸いなことにいなみ野学園地域活動指導者養成講座に勤務させていただいたお陰で、学生の皆さんの生きがいづくりを目の当たりにさせていただき、退職後の生き方を多く学ばせていただきました。卒業後も地域の老人クラブで楽しみながら地域貢献しておられる方、ボランティア活動に奔走しておられる方、ボランティアも自己満足ではなく、本当に必要とされているかを常に振り返り、施設や地域でなくてはならないボランティアになっておられる方がたくさんおられます。同窓会で級友と昔のことに花を咲かせるのも良いことですが、新しい出会いを求めて、新しいことに挑戦するために、または地域の方々と改めて親しくなるために一歩踏み出すことが高齢者の生き方、生きがいづくりに大切だと思いました。
3月11日放送 特別インタビュー「若さの秘訣」
女優 森 光子
舞台を見に来てくださるお客様の対して、自分は舞台に穴を開けることは決して許されないという強い思いから、健康にはことのほか気を使っておられることをうかがい、さすがは高齢になられても大女優として舞台を努め続けておられることに納得がいく思いでした。朝夕70回のスクワットは到底真似ることができません。それも、われわれのように自分の健康維持のために何かをするというのではなく、常にお客様あっての自分ということに徹しておられる生き方は、話し方も謙虚でいっそうの好印象を持ちました。
3月4日放送 特別インタビュー「ありがとうございません」
女優 檀 ふみ
テレビ番組「ジェスチャー」は毎週見たものです。檀ふみさんはいつも落ち着いて回答しておられたので、とても頭のよいベテラン女優のように思っていましたが、当時はデビュー間もないときだったと聞き、少々驚きました。
ところで、「縁側」が今の家から消えたことは残念だといわれていましたが、我が家でも、縁側を使うことはなく、雨戸が閉まっていることが多いこの頃です。父が元気だった昭和40年頃までは、近所の人が縁側から声をかけ、父と話していることがよくありました。そういえば、当時は門などきちんとできていなかったので、誰でも庭に入ってくることができました。縁側を開け放っていることは、自分の家の中をありのままに見せている状態ですし、お互いが飾らずに生活していたのだと思います。ところがまわりの田んぼがだんだん少なくなり、近所に総合市場ができ、新しい住民が増えてくると、治安の面でも手放しでいられなくなりました。門を作り、父が他界した昭和45年以降、縁側は昔のコミュニティの場ではなくなってしまいました。プライバシーを守という風潮がさらにこの傾向を助長したように思います。
履き物を脱がなくても、その家の人と気楽に座って話ができるという縁側の復活をさせたいと思いました。
2月25日放送 「特別インタビュー〜タッチカービング〜」
バードカービング制作者 内山 春雄
学生時代、恩師の高橋省己教授が、「大学の教授など専門家といわれる者は、専門分野については学者であっても、専門外のことは小学校5年生程度なんです。逆にいえば、5年生程度のレベルなら誰にでも理解できるというわけなんです。だから『平凡』や『明星』(当時の大衆月刊誌)は、レベルを5年生程度に編集してあるのでみんなに読んでもらえるのです。」と話されていた。専門性が高ければ高いほど視野が狭くなり、専門外のことへの知識や意欲に欠けるわけです。
ところで、今日の講師は木象嵌(もくぞうがんし)師で、この方面の専門家は日本で5指を数えるほどもいないとのことでした。そのような専門家が、デパートでバードカービング製作実演中に訪れた数少ない視覚障害者の言葉に、障害者団体の事務局など自ら新しい所に足を運び、障害者自身の言葉も参考に研鑽を積んで、タッチカービングを作られるようになったというのは、本当にすごいことだと思いました。さらに、博物館にタッチカービングを一緒に展示して、視覚障害者にも理解してもらえる博物館にしたいと努力され、開館にこぎ着けられたと聞いては、感服してしまいます。関西ということなので、ぜひ行ってみたいと思います。それと共に、兵庫県のために木象嵌のコウノトリを作られたということなので、展示されれば是非見たいと思いました。
2月18日放送 「老人自立宣言」
中国文学者 村山 孚
先日、50年ぶりに再会し、喜び合った小学校の同窓生があっけなく他界しました。再会して半年しか経っていません。しかし、その半年は毎週1回、一緒に第九合唱の練習をし、12月初めに一緒に舞台に立ちました。一緒に飲み食いもし、50年間の無沙汰を一気に取り戻した半年でした。それが演奏会から1か月後に亡くなったと、訃報が届いたのです。少なからずショックを受けました。
今日の村山先生のお話の中に、「『死』になじんでおこう」という言葉がありましたが、これまでは自分の死について現実的に考えることはありませんでした。しかし、同窓生の死は、少なからず自分に置き換えて考えるきっかけになったように思います。死を恐れず受け入れられるようになるにはまだ時間がかかりそうですが……。
2月11日放送 「播磨歴史講談」
講談師 旭堂 南海
私は4歳から神戸市葺合区(現中央区)籠池通に住んでいました。第二次大戦で本土攻撃が迫ってきた昭和19年のことでした。家のすぐ近くに大きなすり鉢状の池(防火用水)が作られました。小学校1年だった私にはとても大きく、そして白い池という印象が残っています。きっとコンクリートで固めてあったのでしょう。ところが、いくら水をためてもすぐになくなってしまいました。その時父がこんな話をしてくれました。
『昔、この地域にため池を作ったけれど、籠のように水が漏れて、水をためることができなかった。それで、籠池という名前が残ったのだ。だから新しい用水池も同じように水をためることはできないだろう』
当時、自分の住んでいる所にこのような「いわれ」があることを何故か誇らしく思いました。きっと郷土愛というのはこんなところから生まれてくるのかもしれません。
加古川市内に10年以上勤務し、今も時々訪れる地域なのですが、加古川と猫あるいは赤壁という結びつきは初めて耳にしました。しかし、旭堂南海さんの話は、その場所が具体的によくわかり、とても興味深く感じ、一度訪れてみたいと思いました。きっと、この地域の方々は赤壁明神を大切に保存して、子どもたちに語り伝えておられることでしょう。
2月4日放送 「つい間違える日本語」
杏林大学外国語学部教授 金田一 秀穂先生
最近コマーシャルで「犬にえさをあげる」という言葉が当たり前のように聞かれます。昭和55年、新しくできた養護学校に赴任したとき、学年通信を発行する中で、保護者に対して「お子さんに○○してあげてください」と書かれているのが気になりました。そこで、この文を書いた先生に尋ねると、「子どもも一個の人格を持った人間。まして他人の子どもなのだから丁寧な言葉を使うべきだ」というのです。当時、私は「子どもに○○してやってください」と書いていたので、納得がいきませんでした。それが今は「犬にしてあげる」というのですから、どうなっているのかと思っていました。
ところが、昨年神戸新聞の言葉の解説記事の中で、「してあげる」という言葉が対象に関係なく、丁寧な表現として使われるようになってきていると書かれていました。今日の金田一先生のお話を聞いていて、価値判断を排除し言葉の使い方の変化と捉えることがわかり、新聞の言葉の解説記事とあわせてこだわりすぎてはいけないなと反省しています。むしろ、言葉の使い方はその人の人格を表すという言葉を聞くと、自分に傲慢さがあるからだと気づきました。