長谷寺の紫陽花と滝谷の花しょうぶ 2006.6.17
今月もKCCバスツアーに参加しました。長谷寺は何十年ぶりでしょうか。登廊を登りながら懐かしく思いました。高知と違って紫陽花はまだ満開に至ってはいませんでしたが、初夏の自然に包まれた落ち着いた雰囲気はとても気持ちのいいものでした。
昼食は大願寺で薬草料理をいただきました。ドクダミの葉の天ぷらなど、初めて食べるものばかりでしたが、なかなかのものでした。
午後からは滝谷花菖蒲園へ行きました。雨がかなり降ってきましたが、1万坪の広い園内に600種1万本の色とりどりの花しょうぶが咲き、本当に見事でした。こちらにも7000株の紫陽花があり、この日から紫陽花まつりも始まるということでしたが、まだ木は小さく花も咲き始めということで、感動を呼ぶほどではありませんでした。
長谷寺の登廊 ひっそり咲く紫陽花 薬草料理
薬草の天ぷら 滝谷花しょうぶ園
久しぶりの出石 2006.5.24
以前から行ってみたかった和田山の糸井渓谷へ出かけました。一昨年の台風で大きな被害があったとは聞いていましたが、現在なお復旧作業中で、車で行くことができませんでした。しかたなく峠越えで出石へ向かいました。その途中で、朴の木の花、卯木の満開の花、なんじゃもんじゃの木、名の知らない黄色の花など、峠道で珍しいものに出会い、とてもラッキーでした。出石ではお城に向かいましたが、工事中だったので、稲荷神社の階段を登りました。その上に杉の木を使った砂防ダムがあり、これも水害で倒れた木を活用しているのではないかと思いました。そのあとこれまで訪れたことがなかった谷山川沿いの道を出石高校の方へ歩きました。東京帝国大学初代総理(総長)の生家の前に赤門があるのをおもしろく思いました。(説明文は判読できませんでした)
また、城下町ということから、マンホールの蓋にいろいろな模様があることに気づき、写真に収めました。帰りに久しぶりで出石そばを食べました。店ではかわいい幼稚園児のお嬢ちゃんが絵を描いたり、私たちの代わりにそば湯をお母さんに伝えてくれたり、いろいろと接待をしてくれました。帰りに二人だけと聞くので、子どもはみんな結婚して今は二人だけと答えると、「また赤ちゃん生んだらいいねん」といわれ、お店の人と大笑いをしました。
朴の木の花 満開の卯木 椿を抱きこんだなんじゃもんじゃの木と木肌
黄色の花が満開 出石城門 稲荷神社の階段
杉の木を使った砂防ダム 谷山川沿いの風景 赤門
石部神社の大ケヤキ マンホール「おすい」 「電気」
「消火栓」 「上水道仕切弁」 「電話」 「溝ぶた」
丹波市・新井神社 2006.5.22
今年も丹波悠遊の森へハイキングに出かけました。昨年は高見城趾へ行ったので、今年は展望台の方へ行きました。案内図では駐車場そばのお寺に戻ってくる道があったので、周回するつもりで歩きました。ところがお寺へ通じる道が閉鎖されていて、とんでもなく遠いところへ下りてしまいました。新井神社を目指して戻ってきたのですが、何度か丹波悠遊の森に行っていても、そばにある新井神社には行ったことがありませんでした。そこで帰りに寄ってみたのですが、由緒のあるすばらしい神社でした。織田信長の命令で明智光秀が丹波攻めをしたとき、高見城とともに焼かれ、再建されたのが今の社だそうです。先日訪れた湖南三山でも、織田信長の比叡山焼き討ちの際、同じ天台宗の寺として焼き討ちにあった話を住職がされていましたが、織田信長の気性がもう少し穏やかであればもっと近畿の文化財が残っていたかもしれません。
狛犬ではなく猿のあうんの木彫が左右に置かれているのも珍しく、アラカシの大木、日本一の碁盤など見るものがたくさんありました。
新井神社 中井権次正貞作猿の木彫像
アラカシの大木 岩見神社の日本一の碁盤
神戸新聞文化センターバスツアー〜文化財探訪の旅〜
新緑の「湖南三山」に国宝を訪ねる 2006.5.17
「湖南三山めぐり」と名付けたバスツアーは今回が全国で初めてという旅に参加しました。神戸新聞文化センター(KCC)の「やさしい文化財の鑑賞法」という講座の講師、檀上重光先生の解説で、バスの中でたくさんの図解資料のファイルもいただき、まさに研修旅行でした。町村合併で新しく生まれた湖南市に国宝級のお寺が3つもあることから昨年秋に湖南三山といわれるようになったそうです。
最初に訪れたのは甲西町岩根にある「善水寺」でした。本堂は14世紀中期=南北朝時代建立で国宝、中の仏像も重文でした。住職のお話や講師の解説で、その時はなるほどと感心しながら話を聞きました。
山龍で昼食をすませた後、石部町の常楽寺(東寺)へ行きました。ここの本堂や三重塔は14世紀後半=室町時代初期建立でやはり国宝でした。そして中の仏像や曼荼羅も重文でした。ここでも住職の解説がありました。
次に、すぐ近くの長寿寺(西寺)へ行きました。本堂はさらに古く、12世紀末=平安時代最末期建立で、住職の話では、1丈6尺もある重文の大きな木造釈迦如来座像は、終戦直後アメリカの進駐軍に一度持ち去られたと言うことでした。長寿寺の参道には大型の石造多宝塔があり、鎌倉中期に作られた重文の多宝塔と酷似しているそうです。庫裏の前にはミミズクの飾り物があり、そばにまむし草が咲いていました。
いずれも礼堂(外陣)で座って住職の話を聞き、それから内陣にはいって重文の仏像を間近に拝観させていただきながら仏像の解説を聞き、そして後戸でそこに置かれている仏像などのお話を聞かせていただきました。特に最後の長寿寺の住職の話はおもしろく、笑いが絶えませんでした。
三つのお寺はいずれもこれまで非公開だったので、あまり知られていなかったのですが、昨年秋に湖南三山として公開に踏み切ったと言うことで、修理途上というところもありましたが、それだけにまだまだ素朴な良さがあり、訪ねるなら今の内だと思います。特に秋の紅葉の頃が最高ではないかと思いました。
善水寺本堂 常楽寺本堂 常楽寺三重の塔
常楽寺重文の石灯籠 長寿寺本堂 長寿寺の石造多宝塔
多々良木ダムの上から「はばタンのインフィオラータ」 2006.5.4
グラウンドゴルフに参加した後、10時ごろからドライブに出かけました。新緑を楽しみたいと思い、多可町八千代区から加美区を経て神河町を通って、朝来市の多々良木ダムへ行きました。八千代区ではたくさんの鯉のぼりが風になびいていました。そして、神河町のグリーンエコー笠形へ行く道は越智川に架かる橋から道沿いにやや小ぶりの鯉のぼりが架けられていました。いずれも通りすがりの人たちがカメラに収めていました。
いつものように、多々良木ダムの周囲を歩きましたが、お遍路で長距離を歩いているせいか、それほど距離を感じませんでした。お遍路よりゆっくりしたペースだったからかもしれません。それでも3時間あまり、1万5千歩ほど歩いていました。まだ木の芽の色も浅く、蒼い水とのコントラストは最高でした。そして、場所によっては美しい満開の桜を見ることができました。そして、何よりすばらしかったのが、ダムの上から見る「はばタンのインフィオラータ」でした。いよいよのじぎく国体が近づいていることを実感しました。
八千代区で 神河町で
はばタンのインフィオラータ 湖底に沈んだ村の跡
熊野古道「古座街道ウォーク」 2006.4.1
読売旅行主催の「春爛漫 桜の熊野、古座街道を歩く」に参加しました。東海や関東では桜が満開ということでしたが、江井ヶ島はまだまだつぼみがふくらみはじめたばかり、はたして桜が見られるだろうかと思いながら、早朝の寒さの中を出発しました。それでも和歌山県の海南あたりに来ると大分咲いていました。古座川町に関して調べずに行ったので、全く見当がつきませんでした。バスがどんどん南下し、とうとう串本町に入ってしまいました。昭和40年代後半にドライブしたときは夕方に串本海中公園にやっと着いたのを思い出しました。添乗員が普通は泊付で来るところを日帰りで来ていると言われるだけあって、明石を7時半に出発して、バスの中で弁当を食べ、トイレ休憩は10分程度で走りに走って、目的地・古座川町明神・潤野橋に着いたのは12時半でした。お天気も気温も申し分なく、桜は満開、場所によっては花びらが散り始めているという何とも恵まれた環境の中で、気持ち良く約7qのウォーキングをしました。杉林の中を出発し、司馬遼太郎の山荘のそばを通り、古座川沿いの桜を観ながら、巨大な一枚岩まで桜と自然を満喫しました。さらにバスで七川ダムへ行き、日本桜百選の一つ「佐田桜」を観ながら散策しました。帰りに立派な「古座街道ウォーク完歩証」をもらいました。16時10分にダムを出発し、明石に戻ってきたのは21時半を回っていました。走行距離700q以上、バスに乗っている時間は往復10時間にも及ぶところでしたが、すばらしい一日でした。
司馬遼太郎の山荘 古座川沿いの桜 まむし草(浦島草) 一枚岩
七川ダムの日本桜百選「佐田桜」
青春切符で山辺の道へ 2006.3.26
青春切符で桜井駅まで行き、巻向まで山辺の道を歩きました。来迎寺→城島小学校→馬井手橋(河川公園)→仏教伝来の地碑→海柘榴市観音→金屋の石仏→平等寺→大神神社→久延彦神社(智恵の神さま)→大美和の杜公園展望台→狭井神社→桜公園→月山日本刀鍛錬場・記念館→日本最古社・八大龍王弁財天神社→桧原神社→ミカン・相撲発祥の地→穴師坐兵主神社→巻向駅の順に歩きました。大神神社では丁度講社崇敬会大祭が開かれており、日本酒の振舞酒をいただき、神事の餅つきを見学しました。そのあと、名産の三輪そうめんを使ったにゅうめんと柿の葉寿司で昼食を摂りました。梅が満開で、しだれ梅の見事な剪定を見たり、桜の満開の公園では、しだれ桜も咲き始めていました。久延彦神社ではパノラマ写真に山の名前が書いてあり、香具山、畝傍山、二上山等の位置がよくわかりました。また、夏みかんを買って休憩をとりながら 来迎寺
食べたり、10時過ぎから16時までゆっくり歩きました。
仏教伝来地碑 河川公園 しだれ梅 金屋石仏
平等寺の大師像 大神神社 大神神社の餅つき 満開の桜
大和の青垣視界が広がる梅林 日本刀記念館 八大龍王弁財天 ミカンと相撲の発祥地
相撲神社 兵主神社 山辺の道の標識
KCC徳島バスツアー「心と伝統にふれる旅」 2006.3.22
KCC(神戸新聞文化センター)が主催する「阿波の国の心と伝統にふれる旅」に参加しました。初めは大谷焼の矢野製陶。一人が寝ころんでろくろを回し、その上で藍染めに使う大瓶を作ることがそもそもの始まりだったそうです。ちょうど大きな登り窯に窯詰めしているところでした。1年に1回火を入れるそうですが、今年は4月上旬に火を入れるということで、成形された作品が倉庫にたくさんありました。大瓶だけでなく、阿波踊りやお雛様など楽しいものもありました。
早めの昼食のあと、阿波人形浄瑠璃資料館へ行きました。学芸員の阿波の国全般と人形浄瑠璃の解説をおもしろく聞かせてもらいました。昭和30年頃まではちびっ子も豆義太夫でおじいちゃんおばあちゃんと一緒に休館日の映画館を借り切って人形浄瑠璃を歌っていたと言うことで、大衆芸能だったことがよくわかりました。
続いて、和三盆を昔ながらに作っている岡田製糖所へ行きました。サトウキビ(竹糖)から糖液を絞るのは機械を使っていますが、最後に砂糖を白くするのは、何度も繰り返し手でこねていました。最後に各工程の砂糖を試食させてもらいましたが、手を加えるほどにおいしい砂糖になっていました。
最後は四国88ヶ所の5番霊場地蔵寺へ行きました。本堂と太子堂を参拝したあと奥の院で五百羅漢をお参りしました。歩き遍路で5番を訪れましたが、その時は1番から7番まで歩いてお参りしたので、奥の院へは行っていませんでした。等身大の五百羅漢が並んでいる様子は圧巻でした。
新新
大阪神戸青春切符で 2006.3.7
大阪や神戸へ行くのに、青春切符はないだろうということなのですが、山陽電車の大阪ワンデイチケットが2600円なので、2300円と変わりがないということです。
まず初めに向かったのが東西線新福島駅で下車し、国立国際美術館で開かれている「プーシキン美術館展」です。音声ガイドの説明を聞きながらゆっくりとエドガー・ドガからパブロ・ピカソまで楽しみました。西梅田で昼食をとったあと、京橋まで行って大阪城公園の梅林で梅の花と香りを楽しみました。美術館も梅林も大勢の人出で、さすが大都市だと思いました。そのあと天王寺へ行って、四天王寺と一心寺に寄りました。拝観時間が過ぎていて中にはいることはできませんでしたが、いかにも古刹という雰囲気を味わいました。帰りに三宮で下車し、お茶をしたあと、ポートライナーで神戸空港へ行きました。すっかり日が暮れ、海側からの神戸の夜景を楽しみました。7時前から3機着陸し、7時半には仙台行きが離陸していきました。昼間は17度まで気温が上がるということで、薄着で出かけていたので、送迎デッキに1時間近くいたらすっかり体が冷えてしまいました。ちなみに、本日のJR乗車料金は2340円でした。
マチス「金魚」
四天王寺 一心寺の門の上と扉
神戸空港送迎デッキからの眺め
新新
2006蘭展in淡路 2006.1.28
花木が大好きないとこを誘って、淡路の温室で開かれている蘭展に出かけました。久しぶりにフェリーに乗り、明石海峡大橋を真下から眺めました。会場には香りも溢れ、色とりどりの蘭が咲き誇り、本当に見事でした。写真撮影は家内にまかせ、私はゆっくり鑑賞することができました。そのあと峠越えをして、野島断層の記念館を見学しました。地震体験館ができていて震度7の体験をしました。震災当日は寝ていたのでわからなかったのですが、椅子に座っていると転びそうになるほどの揺れだということがわかりました。帰りに、何十年ぶりかで江崎灯台へ寄りました。階段を登ってみると、灯台に近づけないなど、以前と様子が違っていました。帰りのフェリーではちょうど夕日を見ることができました。