自己紹介

     プー先生のいわれ

  中学2年生の時、教室で突然くさいニオイが漂った。教室はざわめき、私の親友が「誰や!」と大声を張り上げた。 正直で純朴だった?私は思わず「僕や」と手を挙げてしまった。教室中が笑いの渦に包まれたのは言うまでもない。 以後、私のあだ名は「プーのおっさん」ということで定着してしまった。
  その「プーのおっさん」が晴れて小学校の教師になり、着任式で全校生を前にしてこともあろうに「私のあだ名はプー先生です。皆さんでおうちまで聞こえるように大声でプー先生と呼んでみて下さい」といったのです。これがプー先生の始まりです。
  後日、別の小学校に赴任した時は、クラスの自己紹介でこの話をしたところ、その学校では友達をあだ名で呼ぶことはいけないことだと指導されていたので、冷たい反応が返ってきました。それ以来この様な自己紹介は止めましたが、冷たく反応していた子どもたちの中にあって、いまだに手紙や久しぶりに出会った教え子の中に、「プー先生」と親しみを込めていってくれるものがおり、嬉しく思っています。  


  プー先生の履歴書

 1937年神戸市神戸区三宮町(警察署前)で生まれる
 幼稚園、小学校、中学校は葺合区で、高校は灘区、大学は東灘区で学ぶ。高校では安保闘争で亡くなった東大生樺美智子と同窓。
 小学校2年時に神戸空襲が激しくなり、疎開で広島県尾道市の北、市村(現広島県御調郡御調町市)の小学校で約8ヶ月学ぶ。その時に原子爆弾の閃光を校庭で目撃。
 現住所は明石市
 小中学校4、養護学校4、行政1、大学1、高齢者大学1に勤務、2004年退職
 現在は明石市内で川柳教室などを楽しむ傍ら、第九合唱団に参加(2019年限りで19年間の合唱生活を終える)。阪神淡路大震災生活復興自立支援事業「いきいき仕事塾」第17期受講後、修了者生きがいづくりのためのグループ「グループいきいきネット」に所属(高年クラブ会長を引き受けて以来4年間休会)。
 05年4月から四国巡拝センター主催「がんばる歩き遍路」に参加、08年12月結願し、高野山も歩いて登りお礼参りも済ませる。09年2月からは小豆島の歩き遍路に参加、2010年3月結願する。
 04年11月地元老人クラブ「西江井友愛クラブ」に入会、05年12月からカラオケ、06年1月からグラウンドゴルフをクラブ会員と楽しむ06年8月から地元自治会館内「高齢者いこいの家」女性カラオケクラブ「さざなみ会」の機械操作を引き受ける。07年4月から西江井友愛クラブ役員を受け、会計、副会長を経て17年3月から会長に。その用務の煩雑さにいろいろ抜け落ちることが多く周りに迷惑をかけている。
 06年6月から兵庫県高齢者放送大学外部講師を委嘱され、7年間学生の皆さんと共に学び、13年3月講師の職を辞す。
 14年四国八十八ヶ寺逆打ち歩き遍路に挑戦。今回は自然豊かな山越え、峠越えなどのみ歩き、平地はバスで移動、16年1月に結願の予定。 しかし、妻の入院などがあり、14年12月から休止、この間体力の衰えを感じ、今後再挑戦できるかどうかわからない。
 17年80歳の挑戦として富士登山を決意、ただし頂上までは体力的に無理なので、8月下旬に麓の富士吉田北口浅間神社から6合目2300mまで登る。
 最近は写経を書きためて、車で四国88か寺へ天候を見て巡拝している。