平成24年度の感想文

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3月30日放送 「一年の学習を終えるにあたって」
 本科生から30年間学び続けた方まで7人のお話を聴きました。10年くらいまでは学習し続ける意義を自分なりに見つけ、納得して聞こうとされているように思いました。ところが20年を超えると、学び続けられることに感謝し、生活の一部にとけ込んでいるように思いました。特に仲間との関わりや、認められる喜びが生きがいにも感じられました。

 7年間学び続けた自分を振り返ってみると、まだまだノルマとしている部分があります。このようにホームページに感想を載せるために聞いているような面があります。20年経てば私も理由付けなど考えずに、ひたすら感謝しながら聴くことができるようになるのでしょうか。それにしても昭和58年から聞き続けておられ、今なお感想文を提出し続けておられるのですから、もう驚き以外に言葉が出てきません。私はどこまで続けることができるか、挑戦あるのみです。


3月23日放送 「放送大学で私が学んだこと」
 本科生の方々は新たな挑戦を新鮮に感じられ、自分の新たに見つけた力に対する達成感に喜びを感じておられるように思いました。一方、生涯聴講生の方々は、意識しなければ日々感じることなく過ぎていってしまうところを、講座を聴くことを通じて新たに考え、その考えをまとめることによって聞いたことを深めるサイクルが、心地よい刺激になっているように思いました。

 このことは講師7年目の私にとっても全く同じで、この度の放送を病める床で聞いていても、つい聞き流している状況でした。18日にインフルエンザにかかり、9日経ってやっと起き出した今日まで、たった1回感想文を書かなかったような状況にも、長く頭を使っていない気がしたのでした。誰に指示されることなく主体的に学び続ける放送大学は高齢者にとって本当に大切なことだとつくづく感じた10日間でした。(3月27日記)


3月16日放送 「無常という力」
                       
作家・僧侶 玄侑宗久
 先日来、多湖輝著「曖昧力」という本を読みかけています。外人が白か黒か決めて結論を出すのに対して、日本人は曖昧な表現が多いという特性があるというのです。そのことが決して悪いことではなく、まわりの状況に応じてよりよい結論に導こうとする知恵だという訳です。また、着物は体型の変化にかかわらずいつまでも着ることができるし、風呂敷はどのような形のものでも包むことができる日本の素晴らしい文化だというのです。欧米の洋服は体型が変われば着ることはできないし、鞄は一定の形のものしか入れることはできないのです。このような日本人の知恵をもっと誇りに思うべきだということです。

 今日の「無常という力」のお話を聴いていて、日本人のこのような知恵がどこから生まれてきたのかわかった気がしました。常に自分自身を無常と考えてきた日本人は断定的な結論に導くことのむなしさを知っているからだと思いました。その根本が自然災害の多い国にあるということは納得させられました。

 最近報道されている伊勢神宮の遷宮について、柱にする木材が手に入らないという悩みや、外国から輸入してまでなぜするのかと思っていましたが、自然災害の多い日本において、伝統技術の伝承という意味合いがあったということを知り、その大切さもよくわかりました。

 今、自分自身に新たな病気が見つかり、治療のために4月以降の予定をキャンセルしなければならないのではと思っています。3月中にも検査を開始しようと医師からいわれたのですが、すでに抜けられない予定で埋まっていて、4月以降にずれ込んでしまいました。予定は自分自身が今と同じ状態であってこそ立てられるのであって、やはり私自身の無常をもっと受け入れなければということをひしひしと感じたお話でした。


3月9日放送 「ほめ言葉が上手い人下手な人」
                  精神科医 和田秀樹

 障害児教育がまだまだ進んでいなかった昭和30年代に、姫路琴陵中学の小林隅雄先生が「宝探し」という学級通信を毎日発行されていました。子ども一人ひとりの良い面を見つけてガリ版印刷されていたのです。当時は親にとって障害のある子どもがいるということを隠しておきたいと思うほど引け目に感じていたと思います。そのような時代に障害児の良い面を見つける姿勢を保護者に持たせようとされていたのです。だから、子どもは自立へ向けて育ち、このクラスからは障害児を持つ親の会のリーダーが生まれたことはいうまでもありません。

 今日のお話を聴きながら、親に認められ、ほめられて育った子どもは素直にすくすく育っているだけでなく、親が老いてきたときには、子どもが親に対して優しく接しているように思います。そして、まわりの人の良いところを認めながら接していると、自分もその場に気持ちよくいることができるように思います。これからの人との接し方のついても大いに生かしたいと思います。


3月2日放送 「幸せに老いたい人の心理学」
                 精神科医 和田秀樹

 私の場合、38年間勤めてきた現職時代から第2の職場に移ったとき、価値観を180度変えるほど影響が大きかったと思います。それまでは自分の地位に応じた仕事をしなければと思っていました。しかし、第2の職場が高齢者大学であったことから、自分はまわりのすべての人に学ばせて頂く立場、お世話をさせて頂く立場だということを自覚させられたのです。このことは、退職後の生きがいづくりにとても役立ったと思います。

 まず、同じ立場の人々と仲間として仲良く、楽しく生きることの大切さに気付いたことです。仲間づくりにおいて、自分の価値観や主張を押し通そうとするのではなく、より多くの仲間が楽しむために自分がどうすればよいかをまず第一に考える習慣が大切であると素直に思えるようになったのです。このことが、今私が所属しているいろいろなグループで私の生きがいをつくってくれているように思います。

 一方、身体的には衰えを年々痛感しています。それでも、もう無理だろうと思えることに挑戦してみて、そのことがクリアできると、まだもう少し挑戦してみようかと思ってしまいます。昨年の四国剣山、高越山、石鎚山登山についても、高齢者に配慮された行事に参加できると、今度は高野山から熊野本宮を目指す60qあまりの小辺路の踏破の誘いにも挑戦してみようかという気持になってきました。2日間で30qあまりの山道を3月と4月に2回に分けて踏破するのです。そのためには少し訓練をしておく必要があると思います。今から3月末までの1ヶ月間の生活習慣が勝負です。老いを受け入れた上で、自分にふさわしい生きがいを見つけるようにいわれましたが、まだ若さに挑戦しようとあがいているようにも思えるのですが……


2月23日放送 「元気で長生きに必要なミネラル」
             東京農業大学客員教授 渡辺和彦

 先週のNHKTV『ためしてガッテン』をたまたま視聴していて、テキストに書かれていることを思い出しました。やはり放送日を忘れないようにカレンダーに書き込んでおかなければならないと思いました。記憶力を保つのに必要なミネラルがあればいいなと思ってしまいましたが、ホウ素を含む果物はよく食べています。家庭栽培している野菜にもホウ素を含む肥料をやらねばと思いました。しかし、DHA・EPAもぼけ防止によいとテキストに書かれていましたが、講義では時間切れで詳しく聞くことができず残念でした。

 亜鉛と聞くと鉛に結びつき、鉛毒を連想してしまいます。鉛との関係はどうなのかとまず疑問に思います。だから、亜鉛が貴重なミネラルで身体に取り込むことが有効だといわれてもちょっと躊躇してしまいます。放送でも言っていましたが、日本語として最初の命名が悪かったのでしょうね。

 ところで、亜鉛の効果はすごいなと思いました。特に冬場は私も身体のあちこちがかゆくなります。そんなときは軟膏薬を塗り込むと少しは治まりますが、案外亜鉛不足かもしれません。滅多に肉は食べないからです。サプリメントを試してみるのもいいかなと思ったりしました。

 足のふくらはぎのこむら返りは私も良くなります。しかし、ここしばらくこむら返りになりませんでした。でも、ここ1週間ほどはこむら返りになりかけることがあります。食事の変化について振り返ってみたいと思います。


2月16日放送 「短歌の楽しみ方」
             歌人・立正大学客員教授 福島泰樹

 短歌を声に出して読むとというと、万葉集を朗読されていた大阪大学の故犬飼孝教授を思い出します。だから短歌を朗読するといえば、歌会始の時の朗詠のしかただと思っていました。しかし、自分の詠んだ短歌を声に出して朗読するには、自分の感情をもっと表に出すべきだという講師のお話は、短歌に対する新たな試みのように感じました。

 確かに、歌会始の朗詠のしかたで読めば、どの歌も個性がなくなり、活字を読むだけになってしまうと思います。放送の最後に朗詠されたように、同じ短歌でも感情たっぷりに朗詠されると、その気持がひしひしと伝わってきました。

 短歌だけでなく、自分の文章を講師のように感情を込めて朗読することは、過去に経験がありません。それほど気持ちを込めて文章を書くということもなかったけれども、推敲するために声に出して読んでみるということは時々自分でもやっています。声に出すと文章のリズムの悪さや、間違いに気づきやすいということがあるからです。特に文節が長くなってしまう私には、有効な手段です。

 川柳教室でも、声に出して読んでみなさいと講師にいわれます。中八や中六になると明らかにリズム感が損なわれています。しかし、短歌のように感情を込めて詠うほどの内容ではありません。これまで短歌といえば説明っぽいなと思っていましたが、このように朗詠することによって自分の感情が詠い込める素晴らしい文芸であることに気づかされた講義でした。


2月9日放送 「置かれた場所で咲きなさい」
           学校法人ノートルダム清心学園理事長 渡辺和子

 私の最近の生き方を上手に話して頂いたという気持で聴かせて頂きました。退職するまでは劣等感を持ちながらも、プライドに左右されながら生きてきたように思います。しかし退職後はいっさいのプライドを捨て、おかれた場所で自分の誠意を尽くし、感謝しながら生きることこそが一番幸せなのだと思うようになりました。いつだったか、放送大学の中央スクーリングで「人と話すとき、『お陰様で』という言葉をはじめに言えば、話し相手にも感謝の意が通じるので是非実行して頂きたい」といったことがありますが、このようなことが言いたかったのだと思いました。

 プライドを持っている限り、上からの目線で見たり、考えたりするので腹の立つことが多く、また不平不満が顔に表れてしまいます。小学生の見守りをしていて、「こちらからさようならと声をかけても最近の子供は挨拶を返さない」と言う仲間がいますが、むしろ元気で地域のお役に立たせて頂くことに感謝することの方を大切だと思うことがお陰様の世界なのだろうと思います。

 とはいえ、家庭生活においてはまだまだ修行の足りない私です。アンチエイジングについても年齢に逆らうのではなく、これからの人生において今日が一番若い日だから、今日一日をいきいきと若々しく生きて、夜にはその日にあった3つの良いことを思い出して感謝するという生き方を私も是非実行したいと思いました。


2月2日放送 「ラジオで脳を活性化」
             和歌山県立医科大学・理事長 板倉 徹

 以前にも本講座で「ラジオは脳に効く」というテーマでお話を聴きました。そのときは著書を読んだ直後だったので、脳の働きを中心に聴いていたように思います。今回はよりわかりやすく具体的なお話だったように思います。

 そのころは毎朝「ありがとう、浜村淳です」というラジオ番組を聴いていました。ところが最近はラジオ番組を聴かなくなってしまいました。我が家のラジオが活躍するのは、本講座を聴く以外には、演歌のカセットテープをMDに録音することと、そのMDを聞きながら演歌の練習をするときだけです。もっとニュース番組など聴くことが大切だったのですね。

 ところで、妻は「ながら」が得意です。洗濯しながら演歌を繰り返し聞いて覚えています。しかし、私は演歌を覚えようとすると、楽譜を見ながらラジオの前で集中しなければ覚えられません。ニュース番組もテレビを見ているのは私で、妻は食事の準備をしながら時々ちらっとテレビを見るだけです。私は以前からひとつのことをしているときに話しかけられても上の空です。そのことで妻からよく文句を言われたものです。このあたりは男女の差でもあったことがわかりました。

 日記が脳の活性化に効くと言われて、ホームページに日記を掲載していましたが、パソコンの入力では効果は半減してしまうのですね。それでも一生懸命そのときの状況を思い出しているので、全く効果がないということではないと思っています。予定もカレンダーに記入しておいて、毎日それを確かめている始末です。書いた段階で頭にしっかり記憶しておき、見なくても次週の予定がわかっているくらいにしなければならないのですね。

 私は特に記憶力が衰え、失敗の連続です。昨日も昼食後、私が米を洗って夕食のご飯が炊けるようにしておくと言って妻を送り出したのですが、他のことに夢中になっていてすっかり忘れてしまい、夕食を食べるときになってご飯がないことを指摘され、あわててコンビニでおにぎりを買ってくるという始末でした。これからは少しでも記憶力を鍛える訓練をしたいと思いました。


1月26日放送 「くすりの正しい使い方」
           兵庫県健康福祉部健康局薬務課長 三村昌司

 私の場合、滅多に医師の診察を受けないので、薬を処方してもらうのも年に2〜3回です。それも風邪か下痢のひどいときだけです。ところが、洞川温泉へ行ったときに陀羅尼助丸を買って以来、下痢で悩む事はなく、したがって医師の診察を受けるのは風邪だけになり、医師に処方してもらう事がほとんどなくなりました。たまに行くと薬局で「お薬手帳は?」と尋ねられますが、たいてい忘れています。陀羅尼助丸以外常備薬がないので、飲みあわせに影響する事はありませんが、これからは持参するようにしたいと思います。

 ところで以前妻が医療センターに入院していたとき、隣のベッドに薬をシートのまま飲んだという人が夜中に緊急入院してきた事があります。なんでもテレビを見ながらおかきと一緒に口に入れて飲み込んでしまったという事です。あり得ない事だと思っていましたが、今日のお話でよくあると聞き、いつも注意力散漫だと言われている私は注意しなければと思いました。

 旅先では水が手に入らず、ついつい薬をペットボトルのお茶で飲む事があります。また、風邪薬など飲み込めばよいという事で少量の水で飲む事もあります。これからはたっぷりの水や白湯で飲むようにしたいと思います。くすりの扱いなど結構知らない事がたくさんあり勉強になりました。


1月19日放送 「顔が笑う こころが笑う 脳が笑う」
            NPO法人健康笑い塾 主宰 中井宏次

 以前、日本笑いヨガ協会理事長の講座で、笑いの効用と笑い方についてお話がありました。笑いヨガの話は当時目新しく、老人クラブの例会で皆さんに笑って頂きました。そして今も忘年会の始まりなどにも利用させてもらっています。今回は薬剤師の方から副作用のない笑いの効用について詳しくお話し頂きました。そして、より医学的な立場からのお話だったので、納得できるお話でした。

 認知症予防にはやってみようという「好奇心」、みんなと一緒にするという「協調性」、そして笑うという「ユーモア」が大切だと話されました。病気の原因が過労20%、食べ物30%、そしてストレス50%であることから、ストレスを乗り越えるために神様は人間にだけ声を出して笑う機能と涙を流して泣く機能を授けてくださったという話は印象的で、この機能を使わない手はないと思いました。

 朝晩鏡の前で顔の筋肉の訓練と笑顔、幸せな顔を確認してしみる習慣を身につけることでストレス解消になるなら、こんな良い方法はありません。是非実行したいと思います。但し、「アッハッハ、イッヒッヒ……」と洗面所から毎朝晩聞こえてくると、家族はいよいよ頭がおかしくなってきたなと思うでしょうね。


1月12日放送 「学生参加番組『私の出会った忘れ得ぬ人々』A」
1 宍粟市 春名芳子 「晴れた青い空のような義母」
 郡部における地域との関わりは、その土地の風俗習慣を理解するのに大変な思いをします。その土地で生まれ育った人には当たり前のことなのですが、他地域から来た人、中でも嫁いできた人にとっては負担になり、そのために郡部の人と結婚することに抵抗のある女性が少なくありません。しかし春名さんの場合は、姑さんからすべてを任すといわれ、素直に取り組まれたことが地域の人々からも受け入れられたのだと思います。

 また、お姑さんにたずね、学ぼうとする姿勢が地域の風俗習慣だけでなく、歴史や文化を聞き出せることにつながり、お互いに感謝しあえる関係になったのだと思います。嫁姑の難しい関係をはじめから意識しすぎる現代の人々にとって考えさせられるお話でした。

2 三田市 出宮和恵 「続けることで恩返し」
 退職後点字の講習を受講した最初に先生から受けられた言葉を今も胸に、13年も点訳に励んでおられるとのこと、出宮さんはずいぶん腕を上げられ、絵本や、ドイツ語の放送テキスト点訳をされておられる意志の強さは素晴らしいと思います。「焦らず、楽しみながら」とは、現職時代と違って、高齢期の私どもの特権であり、何事にも継続する上で通じることだと思います。私の場合も放送大学の受講が感想をホームページに掲載する楽しみを焦らずにやっているから今まで続いているのかもしれません。

3 丹波市 仲居啓郎 「恩師・山本吉松先生」
 学生時代に生涯の楽しみを見つけて頂いた恩師に、いつまでも指導を受け、しかもその先生がその分野の第一人者であったことの幸せは、その後の人生に大きな影響を受けられたのだと思います。私も学生時代から教育心理学の高橋省己教授、現職時代には障害児教育の伊藤隆二教授、そして退職後には川柳の大西泰世先生というその道の第一人者に親しく指導を受けることができたことは、本当に生きがいのある幸せな人生を過ごすことにつながったと思っています。

4 稲美町 田部百合子 「私は死ぬまで熱気球」
 退職後に絵手紙と出会い、「下手でいい、下手がいい」という快さからいろいろな人々とのつながりを生み出す絵手紙のすばらしさに夢中になっておられる様子がよくわかります。一人暮らしの高齢者に絵手紙を添えてお弁当を配られる心優しさは、手作りの温もりがある絵手紙の意義深い使い方道であり、高齢になっても続けられる最高の趣味の一つだと思いました。

5 宝塚市 服部登貴子 「尊敬する自慢の母上」
 九州の旧家である武家出身のお母様が満州でご主人を亡され、たくさんの子供を連れて引き上げてきたあと、厳しい生活に負けず、子ども達を礼儀正しく立派に育て上げられたことは本当に素晴らしい方だったと思います。高齢になり同居を申し出ても長男の元で暮らすときっぱり言われるあたりも、いかにも武士道の精神を貫かれた方だったのでしょうね。自分の今ある幸せは母のお陰と尊敬の気持ちを持ち続けておられる服部様もまた礼儀正しく生きておられるのだと思います。

6 西宮市 柏原淳恵 「私の出会った忘れ得ぬ人」
 海外勤務の夫に付き従っていった不安な日々の女性が、たまたまシカゴでのマーケットで声をかけられ、外国暮らしの日本人同士の交流が発展することは十分に考えられます。私も昭和47年にシアトルへ出張した際、たまたま日本料理店でカウンターの席が隣同士になった日本人に同僚が声をかけたことから、その婦人から家に招待されご馳走になったことを思い出しました。

 柏原さんの場合は帰国後も交流が続いたことも素晴らしいことですが、亡くなられたあとも記念にもらったコーヒーカップを今も使いながら、その優しい人柄をしのんでおられるお気持ちがよくわかりました。


1月5日放送 「知事年頭の挨拶・学生参加番組『私の出会った忘れ得ぬ人々』@」
1 「年頭の挨拶」 井戸敏三兵庫県知事
 昨年の漢字一字「金」に対して、知事は「快」を取り上げられました。山中教授をはじめ、兵庫県に関わりのある人々の快挙を取り上げられてのことでした。尼崎の不幸な事件など、悪い面に焦点を当てるのではなく、素晴らしいことに焦点を当てて元気と自信を持ち、将来の夢に向かって歩むことが大切だと思います。

 地方分権の確立、子ども達の古里意識を育てる、南海トラフと地震に対する安全安心対策など、今年の力を入れるべき政策について語られましたが、世界がどのような方向に動こうとしているか、十分に見極めながら取り組んで頂きたいと思いました。

2 三木市 志原喜美子 「英会話での出会い」
 義兄の17回忌をきっかけに、いなみ野学園のクラブで指導を受けた先生との出会いや、そのときの経験を思い出されたのだと思います。それにしても、幻の発表会に終わった教育勅語の英訳を17年たった今もそらんじて言えるという記憶力には驚きさえ感じました。

2 神戸市東灘区 福原 勲 「あの日あの時の君」
 我々の年代では、今の若者のようなストレートな行動は考えられないことでした。ファーストキッスの思い出を楽しく聞かせて頂きました。考えてみれば、高校生時代のフォークダンス以外は、私も結婚するまでは結婚した相手も含めて女性に指一本ふれていなかったし、新婚旅行の船の中で初めて肩に手をかけただけで胸がどきどきしたのを思い出しました。今も異性に平気で握手を求める人をうらやましく思う気持ちがないではありません。

3 上郡町 竹尾絹枝 「遠い記憶の中に」
 青春時代は劣等感に苛まれることが多くあります。私もずっと劣等感の固まりでした。そんなとき何気ない一言、特に自分を認めてもらえる一言に出会うと自分を成長させる大きなきっかけになります。竹尾さんの場合は知らない中年女性からの何気ない一言でした。私はそれまで人前で発言することなどなかったのですが、高校時代にたまたま手を挙げて発言したことに対して、先生が真剣に考え込んでくださったことが、自分の考えを言えるようになるきっかけになったように思います。

4 明石市 大山光代 「大空詩人のような」
 大山さんの場合もたまたま作った詩が認められた喜びが、その後の人生において言葉を紡ぐ楽しさを続けるきっかけになっているのですね。人生において、自分では気づかない長所や才能を見つけ出してくれる人に出会えることは本当にありがたいことだと思います。


12月29日放送 「サバンナの動物親子に学ぶ」
 敵なしと思われる象が、その強さ故に他の動物を威嚇するのではなく、自分より小さな動物、自分より弱い動物をいたわり、その存在を尊重しようとする生き方をしているとは思いませんでした。私たちはともすれば地球上のすべてを支配しているような錯覚に陥って仕舞いがちですが、自分たちが強くなればなるほどまわりへの配慮が必要だと思いました。これは単に人間の存在だけでなく、国家としてもいえることだと思います。強い国、大国となり、軍備を整えて他国を威嚇するのではなく、どのように共生していくかということをまず考えることが必要なのだろうと思いました。

 ところで、私にとってもっとも関わりの深い動物は猫です。子供の頃から常に猫が家にいました。おかげでネズミの被害に遭うことはありませんでした。小学校へ通い始める前後、弟は満2歳になろうとする年齢でした。家はバス道に面していて、昭和19年ですから今のように車がたくさん通るわけではありませんでしたが、それでも気を付けなければなりませんでした。よちよち歩きの弟がその道を50mほど一人で歩き、道ばたの砂のたまっているところへよく遊びに行っていました。そこへ行くといつも飼い猫が弟のまわりを尻尾を真っ直ぐ立てて歩き回っていました。まるで弟を守っているよといっているようだった姿を今も覚えています。

 娘が生まれたときも家に飼い猫がいました。何にでも飛びついてじゃれたりひっかいたりしていたので心配ましたが、赤ん坊の娘にはいっさい手を出そうとしませんでした。そういえば孫が生まれたときも家族にかみつくほどの気の激しい犬がいましたが、よちよち歩きの孫が尻尾を引っ張ったり上にまたがって乗っても決していやがらずされるままでした。犬や猫にも子供を育てるという本能が備わっているのでしょうね。

 10年ほど前には、朝雨戸を開けたとき偶然庭にいた野良猫と目が合いました。1mほどの距離でお互いにしばらくにらみ合っていたのですが、いつまでたっても猫は私から目をそらそうとしません。私の方が根負けし、おはようさんと声をかけてガラス戸を閉めました。私が追っ払ったり脅したりしないとわかったのか、その日の夕食を食べていると勝手口のそばで「ニャーニャー」と鳴き始めました。朝の猫だと思ったので牛乳にパンを浸したえさを器に入れて外へもってでました。猫は喜びながらも警戒して私に向かって「フーフー」といいながら食べました。納屋に寝場所を作ってやり、その猫との関わりが始まりました。猫を決して家の中へ入れなかったのですが、猫の方も心得て、決して家に入ろうとはしませんでした。

 その猫は私が職場帰るといつもガレージで出迎えていて、車のドアを開けると急いで乗り込んできました。野良猫がこんなになつくことはないと思い、近所で猫がいなくなったという情報を得て、この猫かもしれないとその家の前まで連れて行って離したのですが、家に帰ると猫の方が先に戻って私を待っていました。それから半年ほど仲良く暮らしましたが、私の留守中に怪我をしていて、薬を塗ってやったりしましたが、見あたらなくなり探していたら庭の木陰でうずくまっていました。介抱してやりましたがそのまま死んでしまいました。

 今は妻がもらってきたメダカを10匹飼っています。夜歯磨きをするときに私がえさをやりますが、喜んで食べに来ます。何となく心が通じ合う気がしないでもありません。そうなるとかわいく思えてくるから不思議です。


12月22日放送 「不良長寿のすすめ −まじめは寿命を縮める−」
              順天堂大学医学部免疫学特任教授 奥村 康

 寿命を縮める原因として、免疫力の低下が話されました。特に免疫力を低下させる原因として、コレステロールが低くなることと、ストレスに注目されていました。

 コレステロールについては、私は高めだといわれています。120未満といわれる正常値に対して160を超えています。近隣の開業医から食事指導をすすめられましたが、そのままになっています。健康診断では「C」判定ですが、食事制限によってまわりに気を遣わせることがいやで、気にせずに日々支障なく過ごしています。

 ストレスに関しては、若い頃から目標に向かってうまくいくように工夫や努力はしているつもりですが、結果についてはあまり気にせず、できたところで自己満足しています。だからこれまで生き延びてきたのかもしれません。確かに管理職をしていた10年ほどは口の中がからからになるようなストレスに見舞われることがありました。そんなときは自分でも情けなくなるような愚痴をまわりに言っていた時期がありました。けれども、周りの人々に助けられたおかげで、腹を立てることもなく、いらいらを募らせることもありませんでした。

 退職後は自分が大したことのない人間だと自覚するとプライドも消え失せ、自分の時間を地域の仲間との活動や、趣味を楽しむことである程度自分の好きなように生きているので、ほとんどストレスをためることはありません。家族の中でも問題もなく幸せな毎日です。おまけにいろいろな場面で少しでも人の役に立たせてもらえる機会も与えてくださるので生きがいもあり、おかげで毎日することもなくて鬱になるほど考え込むということはありません。良い環境にいることを感謝しています。


12月15日放送 「学生参加番組」
加東市 藤井貞子 「共に元気を」
 自分たちが楽しんでやっていた大正琴をボランティアに生かそうとされた発想が素晴らしいと思います。いろいろなカルチャーセンターで行っている活動は、仲間と一緒に食事などするくらいの結びつきはできても、それ以上みんなそろって活動するほどの仲間意識は普通はできません。聞けば平均年齢72歳とのこと、素晴らしい仲間だと思います。
 それにしても、退職後が人生でもっとも自由で充実しているという思いは私も同感でした。家にじっとしておれば味わえないことで、やはり高齢者大学や学びの場に出かけて、仲間作りをすることが大切だと思いました。

明石市 岩ア三彌太 「熟年よ大志を」
 岩アさんも明石市の高齢者大学で学んだことをいかに生かすかということを同期の仲間と共に考えて、実践に移されています。その発想を最初にデイサービスで発表され、失敗したことにめげず、工夫されて成功に導かれたパワーはすごいと思いました。そして、ボランティアの対象を小学生の学童保育や保育園にまで広げておられ、5年間で99回と意欲的に活動されていることは素晴らしく、そのグループの意識の高さに感心しました。

たつの市 田口 静 「学びと生きがい −学びが行動をつれてくる−」
 一宮町におけるふれあい喫茶が老いも若きも一緒に楽しんでいるという情報には、田口さんだけでなく私もうらやましく思いました。お互いにどこの誰かがわかる郡部ならではのこととは思いますが、最近は地域より個人を大切にする傾向が強く、いろいろな考えを持つ人が多いだけに、実現されていることに感動を覚えます。
 普通の人はうらやましいという思いだけで終わるのですが、田口さんはその思いのいくらかでも自分の地区に生かそうとされ、まず老人クラブに提案されて、仲間と活動を始められています。さらに自分たちだけでなく連合老人クラブに呼びかけて、7地区で実施にこぎ着けられ、最終的には自治会の行事として組織的な位置づけにまで発展させておられるとのこと、小さな実践活動から軌道に乗せていく意欲的な姿勢に頭が下がりました。

市川町 岡本光雄 「健康のためなら……」
 「健康のためなら死んでも良い」とは恐れ入りました。本当に健康ブーム、とりわけ高齢者対象の健康ブームには驚きすら感じます。テレビを見ていてもコマーシャルの半分は高齢者に対する薬やサプリメント、健康器具、生活・介護用具に関するものではないかと思うくらいです。このすべてを取り入れ、実践していたらまさに死んでしまうだろうと思います。
 ところで、岡本様は自分の健康だけでなく、地域の高齢者の健康づくりにスポーツ21で力を注がれています。やはり仲間と行う健康づくりは長続きします。ところが、順風満帆に実践が進んでいくはずが、自分のちょっとしたミスで度重なるけがをされ、活動が制限されてしまう結果になります。私たち高齢者は、若いときと同じような気持ちで活動を続けようとしますが、身体的には衰えていることを常に頭に置いておくことの大切さを教えられました。


12月8日放送 「すごい和食」
            東京農業大学名誉教授 小泉武夫

 私たち日本人の食に対する遺伝子が日本の気候風土にあったものに作り上げられていたということを初めて知りました。そして菜食を中心とした伝統的な和食は繊維質の多い食事であったことも理解できました。沖縄県の平均寿命が下降をたどった原因が、戦後米軍に占拠され、食生活がアメリカナイズされたためだったのですね。それに対して、長野県は塩分を控えただけで、従来の和食を主流とした食生活によって日本一の長寿県になったこともわかりました。

 ところで我が家を振り返ってみると、タンパク質として、魚や肉を食べています。明石は新鮮な魚が手にはいるのと、妻が肉嫌いなので魚中心ですが、肉料理や肉が含まれる料理(ビーフカレーやすき焼きなど)の肉はすべて私の口に入っています。妻は肉のほか牛乳も嫌いです。典型的な日本人の遺伝子を引き継いでいるのでしょう。最近私のつきあいでコップに牛乳を少量入れ、きな粉をたっぷり入れて飲むようになりましたが…… 私はといえば子供の頃から給食の脱脂粉乳に始まり、毎朝1本の牛乳を飲んでいました。そして、就職してからは昼も牛乳を飲んでいました。そのせいか、腸が弱く、何かあるとすぐに下痢をします。そのときの匂いはおならも含めて猛烈です。さらに、朝食のご飯とみそ汁というパターンが崩れつつあります。近所に小さなパン屋があり、焼きたてのおいしいパンが手にはいるので、ついついそのパンを買ってしまうからです。私は遺伝子に逆らった食事をしているツケが結果として現れているようです。

 栄養学の先生たちは栄養素として肉、魚をメニューに含むよう指導されますが、遺伝子のことまでは考えておられなかったのかなと今になって思われます。そして外国でヘルシーとして和食ブームが起こっていますが、彼らの遺伝子と和食の関係はどうなのだろうかと思いました。


12月1日放送 「お酒の話」
            東京農業大学名誉教授 小泉武夫

 若い頃は話し合いをお酒で感情的に結論づけるやり方が我慢なりませんでした。どうして議論し、論理的に納得した上の結論にもっていかないのだろうと思っていました。しかし、退職し、たいした問題を解決することもなくなると、むしろ、お互いの主張を通そうとするより、酒の上で適当に妥協する方がお互いの感情にも角が立たず、スムーズに事が運ぶことが多くなったことを実感しています。そして何より、「酒の十徳」の効果は抜群であると思いました。

 相手がどのような人物かわからない初対面の席であっても、お酒を酌み交わしていると、いつの間にか話ができます。しかし、相手が下戸だと、話が盛り上がっていきません。すぐに話題がとぎれてしまいます。一方、酒癖の悪い相手であれば、早く逃げ出したくなります。酒に飲まれるような人とはつきあいたくないものです。

 酒の歴史の話の中で、口噛みの酒について初めて知りました。そのような記事が古事記に書かれていたとは驚きです。そして播磨風土記にカビ(糀)による醸造の始まりが書かれていたということもおもしろいなと思いました。このところ1日おきに酒の席があり、自重することが多いのですが、明日の男性カラオケグループでは時間をかけてゆっくり楽しみながら飲みたいと思います。


11月24日放送 「脳から元気になる食生活」
                    総合医療研究所 金 華洙

 三食きちんと食べることが大切だとよく言われます。しかし、「なぜ」ということはあまり聞きません。またよく噛んで食べましょうとも言われます。この場合も最近になって「なぜ」という意味を知り、実行しようとしています。今回のお話のように、その意味をしっかり理解して努力すれば効果が上がるということがよく理解できました。

 まず体温を上げることが白血球を増やし、人間の恒常性機能を高めるということについても理解できました。ただ単に風呂に入ったり、運動したりするのではないということだったのですね。よくちょっと体温を高めて元気になろうという話はここから来ていたのですね。

 食生活についても知らないことが多いということがわかりました。2年前、近隣の開業医で血液検査を受けた際、コレステロール値が高いから卵は週に1〜2個にしなさいといわれました。家に帰って妻に話すと、意識して卵を買わなくなってしまいました。ところが料理のメニューが減ってしまって困っている様子でした。それから2年、今は卵についてあまり意識することなくふつうに食しています。体調に特に変化があるというわけではありません。うまく食べ合わせればいいわけで、食生活の知識があるなしで食事内容が変わってくるということがよくわかりました。納豆を買ったときに出汁が付いていますが、これはきっと鰹出汁なんだろうなと想像しています。鰹節に含まれるカルシウムについてもとても効果的な働きをしているんだということがよくわかりました。出汁の素に頼らず鰹節をもっと活用すればと思いました。


11月17日放送 「語感トレーニング」
                 早稲田大学名誉教授 中村 明

 語彙の貧弱な私にとっては、語感によって言葉を選ぶということはできません。唯一知っている言葉を並べているだけです。そして的確な言葉が見つからないときは意味の似通った言葉を使うので、私の意図すら通じないことがしばしばあります。

 その原因は本をあまり読まないからだということもよく自覚しています。子供の頃から極端に本を読むのが下手で、小学校6年生の時、参観日に朗読を指名されたことがあります。気持ちが舞い上がってしまったこともありますが、まともに読めなかったことがトラウマになり、未だに人の前で文章を読むのが苦手です。

 また、小学生時代から中学生時代にかけて、友達と貸本屋で漫画を借り、回し読みしたことがあります。いつも私のところで滞ってしまうほど、本を読むのが遅かったのです。そんなこんなで本を読むのが億劫になり、高校生以降は山本有三や石坂洋二、そして新聞に掲載されている小説以外はあまり読んでいませんでした。電車で通勤するようになり、家にある文庫本の小説を読み始めたのがきっかけで、山本周五郎の小説にはまってしまい、次々に買って読み続けていました。ところが50歳頃に目の疲労から眼底出血を患ったことと、老眼が進んで本が読み辛くなり、相田みつおの大きな文字で書かれた詩以外はあまり読まなくなってしまいました。

 放送大学の講師を務めるようになり、再び本を読むようになりましたが、半年に10冊も読めません。本の内容も小説ではないので、なかなか読み進むことができません。10冊のうちでも、この内容はもう一つだと思うと、最初の2〜30ページでやめてしまいます。だから熟読しているのは5冊程度です。

 このような読書量では語彙が増えるということは期待できません。今、川柳教室に月1回出かけていますが、文学的な美しい表現ができないので、互選で選ばれることはほとんどありません。皆さんが表現される見事さに感心しながら楽しんでいます。


11月10日放送 「老い −老年行動学が解き明かす−」
                  大阪大学大学院教授 佐藤眞一

 主観年齢と実年齢のギャップについて自分の場合を考えると、5歳くらいの差があるように思います。後期高齢の年齢になりましたが、まだまだ人の助けを借りなければ生きられない後期高齢者だとは思っていません。かといって60歳代の何にでも挑戦してやろうとするほどの気力や体力はなく、これはもう無理だと思うこと、これは今まで通り継続することはやめようと思うことがあります。

 先日の四国最高峰・石鎚山の登山でも、初めは無理だと思い、参加することは考えていませんでした。いろいろ情報を聞く中で、頂上社までなら行けるかもと思い直し参加しましたが、鎖場への挑戦や両側絶壁の岩場の尾根をわたる最高峰天狗岳挑戦は初めからしないと決めていました。60歳代だったら挑戦していただろうと思います。

 また、高齢者放送大学の講師もそろそろ潮時だと考えています。記憶力の低下だけでなく、理解力も低下していることを実感し、他人に助言などできる能力などなくなっていると自覚するようになったからです。初めから一緒に勉強すればよいとは思っていましたが、学生のみなさんの方がずっと柔軟な思考で深く理解しておられることを感想文から読み取れるからです。

 今私ができること、生き甲斐として他人に貢献できることとして、地域の高齢者に老人クラブを通じて少しでもお役に立てればいいと思うようになってきました。感謝の心、自分が多くの人々に支えられて生かされていると実感するようになって、損得勘定が頭をもたげることが少なくなりました。以前なら役員をすればしんどい思いをしなければならず、できるだけ避けたいと思っていましたが、今は皆さんがやれといわれるなら、貢献できることを生き甲斐と考えてあえて固辞することはないと思うようになりました。

 高齢者は物事をポジティブにとらえ、前向きに取り組もうとすると、幸福度はどんどん高まっていくように思います。現役時代の「しなければならない」というノルマのような受け取り方をしなくてすむからだろうと思います。したがって、自分の自由な時間の中で、できることをすればよいと考えています。しかし、プライドを捨てきれず、現役時代の意識でいたらそうはいかないだろうと思います。今、もっとも充実した日々を送っているというありがたさに感謝感謝です。

11月3日放送 「老前整理」
               くらしかる代表 坂岡洋子

 昨年末から断捨離について本を読み、講演を聴き、不要な物の処分を決意しました。そして本棚の本を一部整理したのですが、その後しなければと思いながらいっこうに進んでいません。断捨離のオフィシャルメールを配信してもらっていたのですが、提唱者以外の人の配信も始まり、毎日読むのが億劫になりました。片づけ士以外の方はいくら良いことを書かれても、自分にはできそうにないと思えるようになり、結局配信を中止しました。

 その中で、今回もお話にあったように、短時間毎日することが大切だと学びました。自分のエネルギーの持続時間を考えて取り組む時間は15分が限界だろうと思いました。もう一つ断捨離が進まなかった原因は、冬になると居間以外は寒いということでした。断捨離をするために別の部屋をわざわざ暖房するということが億劫だったのです。そしてリサイクルできそうな物でも、その方法がなく、結局捨てる以外に手段がないとわかると、「もったいない」が頭をもたげました。

 今回も放送を聴き、老前整理に手をつけようかと思ったとたんに寒波がやってきました。来年の春を迎えてからなどと思っていると、今年のように屋外の作業や出かけることが多くなり、手につかなくなると思います。心の奥底に面倒だという気持ちが潜んでいることも事実です。これではいつまでたっても始まらないだろうと思います。そして今日先ほどまでも捜し物に時間をとっていました。暮らしよい生活のためにも1日15分老前整理をする時間を決めてがんばってみます。


10月27日放送 「高齢者のお口の健康」
                歯科医師 山川達也

 私は75歳の今、歯茎から顔を出していない親知らず1本を除いてすべて歯があります。ただし、奥歯のほとんどは詰め物があったり金属がかぶせられています。しかし噛むことには支障がありません。若い頃からかかっている歯医者が決して抜く治療をしなかったからだと感謝しています。

 もう一つ、両親が丈夫な歯に生んでくれたことにも感謝しています。小学校6年生の時、学校だけでなく、神戸市葺合区の歯の健康優良児の代表として表彰してもらったことがあります。その時初めて歯磨きや歯ブラシをもらいました。それまでは歯磨きなどしたことはありませんでした。終戦直後に街に住んでいたため、三度の食事以外おやつなどなく、しかも甘いものなど全くない生活だったことが幸いしたのでしょう。そのような生活の中で歯磨きもせず、表彰を受けるほどの歯だったのですから、やはり両親に感謝しなければなりません。

 今、かかりつけの歯科医に勧められて、食後すぐに歯間ブラシを使っています。特に食べかすが残る歯間があります。歯間ブラシで取り除くとすっきりした気分になります。食べ物によっては歯間にたっぷり引っかかるときがあります。肉類やエノキダケ、野沢菜の漬け物などがその典型です。外食したときなどは歯間ブラシが使えないので、ついつい爪楊枝を使っています。やはり歯間ブラシがよかったのですね。

 せっかく立派な歯がそろっているのに、食事で噛む回数が少ないのです。食べ物を口に入れても意識しなければ10回ほどで飲み込んでしまいます。意識して30回以上噛もうとしますが。20回を超えると食べ物がついついのどに入っていってしまいます。それでも噛もうとすると、食事で一人取り残されてしまいます。周りの食べるのが早いからです。それでも家族みんなが良い歯をしているようで、あまり歯医者のお世話にはなっていません。ありがたいことです。最近誤嚥でむせることが増えてきたように思うので、よく噛むことを意識したいと思います。そしてぼけ防止のためにも。


10月20日放送 「良寛の生き方に学ぶ −最晩年の良寛と共に−」
                           良寛クラブ関西 会長 吉井和子

 良寛和尚のこれまでの印象は、子ども達と手まりを突いて遊びほうけているという優しさのあふれたものでした。しかし、今日のお話のように、名主の地位を突如捨て去り、18歳で出家してしまったという心に陰を持ち続け、乞食僧として生き続けた生涯であったということに少々驚きすら感じました。

 また以前読んだ本では、子ども達と遊んだのは、子供の両親が野良仕事などで朝早くから日暮れまで働いていたので、子守の役割を果たしていたと解釈されていました。ところが今日のお話では、子供が成長した後には人買いに売られていく身に対して少しでも良い思いをさせるためだと説明されました。そしてそれは放浪の旅の先々で売られていった人々の哀れな末路を知ったからとのことでした。

 このような良寛の生き様は、単なる子ども達と遊びほうけていたという印象から遠く離れたもので、改めて良寛の生き方ということに興味を抱きました。


10月13日放送 「日本文化と神社信仰 −伊勢神宮と出雲大社 そこに鎮まる神様のお話−」
                          神戸女子大学教授 河田千代乃

 神話として、大国主命や天照大神の話や国譲りの話などを断片的に聞いたことがありますが、今回のように関連づけたお話を聞くのは初めてであり、皇族が伊勢神宮を参拝される意味もよく理解できました。出雲に関しては、大国主命がウサギを助ける因幡の白ウサギの話や、八岐大蛇の退治の話が印象深く、国譲りとの関連がよくわかっていませんでした。大国主命が薬草の神様でもあったということで白ウサギの話も納得がいきます。
 一方、天照大神も天の岩戸の伝説の印象が強く、天皇家の祖先であるということまでは知りませんでした。日本の国の始まりをこんなにわかりやすく解説していただき、よく理解できました。

 このような話は、たとえ真実でなかったとしても、古代へのロマンを感じさせます。さめた人々は、時の権力者が自分にとって都合よく記述してあるというでしょう。しかし、日本の国の成り立ちの一つの説として学校で学習してもよいのではないかと思いました。特に私も含めて日本人は自分の国のことについてあまりにも知らなさすぎるのですから。


10月6日放送 「脳の元気が活動の元気 −人生は百歳時代に突入−」
                          和田教育研究所所長 和田周平

 「人生努めて前向きに生きよう」とよくいわれます。今日のお話しはまさにその言葉を具体的にどうするかということだったと思います。

 確かにプラス言葉を使うと元気にしてくれます。損得勘定の価値観が優先していると、ついぐちが出たり、行動が消極的になります。しかし、感謝の気持ちを優先させると気持ちが楽になり、積極的に行動できます。このことは地元の老人クラブの役員をしていて経験することです。役員をやらされていると思うと、きっとストレスになり、消極的になってしまうでしょう。しかし、まだ自分という人間の使いどころを認めてくださって、活動の機会を与えてくださり、生き甲斐を与えてくださることに感謝の気持ちで取り組めば、みんなに喜んでもらえるようにと積極的に取り組むことが出来ます。

 これまで何度も書いてきましたが、私は歩き遍路のツアーに参加して、感謝の気持ちを常に持てる様になったと思います。毎食前に先達について「一粒の米にも万人の労苦を思い、一滴の水にも天地のご恩徳を感謝し、ありがたく頂きます」と唱和します。この言葉が家庭でも食前に「ありがとう頂きます」という習慣になり、妻への感謝の気持ちが強くなり、まわりに人々への感謝の気持ちに広がっていった様に思います。

 この様に考えると、退職し、利害関係から解放されたタイミングに先ず歩き遍路に出たということが良かったのだと思います。そして、感謝の気持ちの原点になった先達との活動が今なお続いていることは、感謝の心を持続させる有り難い機会だと思っています。


9月29日放送 「想い出のメロディー」
                  学生参加番組

 今日の番組はこれまでと違って1曲を除いて歌謡曲でした。それも子どもの頃から若い頃に聴いた歌ばかりだったので、みんなよく知っています。その中で、「無情の愛」と「あざみの歌」は自分で歌ったことは一度もありません。

 「旅の夜風」は新卒の頃、冗談一ついわない生真面目な英語の先生が、宴会になると必ずこの歌を動作を付けて歌われるのを不思議に眺めていたのを思い出しました。

 「めんこい子馬」は子どもの頃よく歌いました。そのころは童謡の時間というラジオ番組があり、よく聴いたものです。学校では習わない童謡もあり、毎週欠かさず聴いていたように思います。中でも古賀さと子の歌が好きでした。今はNHKの「みんなの歌」を聴いていても、新しい歌の中で叙情的な素晴らしい歌を聴くことがありません。「お尻かじり虫」に代表されるように、歌詞もメロディーも表面上はおもしろさを感じても心に響かないものが多いように思います。

 「長崎物語」は歌の出だしの歌詞「赤い花なら曼珠沙華」という言葉が子どもの頃から印象的で、曼珠沙華という名前しか知りませんでした。大人になって彼岸花と一般的に呼ばれていることを知りました。さらに結婚して、地方によっては「手腐り」とも呼ばれていることを知り、毒性があることも知りました。

 「有楽町で会いましょう」はフランク永井の低音が歌えなくて悔しい思いをしていました。今も低い声が出ないので、カラオケに行ってもキーをあげることが多く、それが出来ないときは歌える歌が限られてしまいます。


9月22日放送 「楽ちん料理法−昔の智恵を今に生かす−」
                          料理研究家 坂本廣子

 料理については私はほとんどしないので、今回の話を料理に生かすことは困難です。ただ、今回のお話しに出てきたひじきや切り干し大根、めざし、大豆と昆布の煮物など、昔ながらの副食が食卓によく並んでいます。そして、海苔は新しく収穫されたとき、近隣の生産者から直接1年分を買い、大量にストックしているので、いつでも食べることは出来るし、朝食の焼き海苔や、弁当などおにぎりにしたときには寿司海苔でしっかり包んで食べています。また、朝の牛乳には必ずきな粉を入れて飲んでいます。

 ということで私が提案するまでもなく、乾物をよく使っているということです。ただ、海苔以外は献立として考えたときに乾物を買っているようなので、非常食として無くなれば補充するという考え方をしなければならないと思いました。この点では買い物には私の車で出掛けるので、いつでも買う提案をすることが出来ます。これからも昔ながらの副食を大切にしていきたいと思います。


9月15日放送 「兵庫偉人伝−西行法師の鼓ヶ滝−」
                        講談師 旭堂南海

 いつ聞いても南海師の講談は引き込まれてしまいます。したがってノートのメモもほとんどありません。だから、内容から感想を書くのは一苦労です。
 ところで、NHKの大河ドラマに出てくる佐藤義清は出家する前から歌詠みとして名が通っていたように思うのですが…… 妻子を捨てて出家したという話があまりにも強調され、その後のことについては単に放浪を続けたという程度の認識でした。吉野山で西行が暮らしたという庵を見かけたことがありますが、尾崎放哉などと同様、心の歌を詠むためには孤独な生活が似合っているのかもしれません。
 鼓ヶ滝で夢に現れた和歌三明神のひとり、歌聖・人麿については、先日県立歴史博物館で行われた歴史講座で詳しく話を聞きました。古代の日本ではその道に優れた人は神とあがめられていたのですね。人はおごり高ぶると、まわりの状況が見えなくなります。そのことを諫められ、素直に聞き入れることが出来た西行は出家しただけあって立派であり、凡人にはなかなか出来ないことだと思いました。
 西行の歌が小さい頃からよく遊んだ百人一首に取り入れられているわけもよく分かりました。もっとも子どもの頃の百人一首は「坊主めくり」として遊んでいたので、西行法師は悪者でした。神戸で生まれ育った私にとっては、子どもの頃から清盛の方が神戸を港町にした立派な人という印象の方が強かったように思います。

 

9月8日放送 「生きづらさの正体」
               仏教思想家 ひろさちや

 世間の価値観を無視して生きた人物として頭に浮かんだのが種田山頭火や尾崎放哉です。この二人は一高に在学していたとき井泉水から自由律の俳句を学び、五七五の俳句の常識から踏み出したことが、世間の常識から外れた生き方になったきっかけのように思えてなりません。二人は酒に浸り、極貧の放浪生活の生涯を送ります。少なくとも私の目から見れば幸せな人生ではなかったように思います。この様に思うのは私が世間の常識に縛られた価値観をもっているからでしょうね。しかし、本人達はたくさんの作品を後世に残し満足しているかもしれません。

 世間の常識とは、その時代によって要求する価値観が違ってくるということを先週話されました。それを生きづらさと考えるのか、生きやすさと考えるのかはその人によって違ってくるのも事実だと思います。いま新聞を騒がせている女性のスカートの中を撮影する事件でも、覗いてみたいという欲求を抑えられない人は、IBMジャパンの社長のようにつかまって地位も名誉も失うというパッシング受けます。しかし、そのような欲求は抑えさえるべきだという世間の常識を身につけておれば、安心して日々を送ることが出来ます。法律やマナーまで生きづらさの正体と考えるのは間違いだと思います。

 私たちの生きやすさは、法律やマナーを守っている限り、問題はありません。これが最低限の世間だと思っています。人間は四六時中、世間様の常識の中で生きる必要はないと思います。他人と共に生活する場面では最低限の世間様の常識を大切にする必要がありますが、自分一人の私生活の中では外面と違った二重人格をもっていてもかまわないのではないでしょうか?例えば、夏の暑い日、風呂上がりにパンツ一枚で家の中をウロウロし、ビールを飲んでいる私がいても……

9月1日放送 「老いの特権」
              仏教思想家 ひろさちや

 苦とは苦しいのではなく思うがままにならないという言葉に、般若心経の理解が一歩すすんだ思いがしました。そして人生に意味はないという話についても、それぞれの時代の価値観に照らしているだけであって、時代や住む社会が変われば生きる意味も違ってくるということがわかりました。

 したがって、少なくとも経済社会において役に立つ人間でありたいと願ってきた自分が、老人になりその経済社会から引退した今も、同じ価値観で生きる必要はなく、もっと自分らしく生きればよいと言うことだろうと思いました。それが「老人の特権」なのですね。

 私の現役時代を振り返ると、若い頃はこんなことをしたいという理想や願望の中で仕事をしていたように思います。ところが組織の中で自分の位置づけが明確になってくると、その組織で果たすべき役割こそが人生の中心になっていきました。そして年齢と共により役立つ人間でありたい、自分の所属する社会において少しは凡人と思える人より役立つ人間でありたいと努力していた面があります。そして役職が与えられ、人に認められることに人生の価値を感じていたように思います。

 現役を退き、いなみ野学園に勤務したとき、高齢者である学生さん達がいきいきと活動し、自分の人生を楽しんでおられることに目覚めさせられました。それはそれぞれの人生の意味を持って生きがいを創り出しておられるのであって、かくあるべきという規範によるものではなかったのです。そのことが、私の退職後の生き方に大きな影響をもたらしてくれました。

 自分一人では退職後の人生を楽しく生きることが出来ないことを学びました。そして、地域の高齢者の仲間と生きることの素晴らしさは私自身が望んでいたからこそその機会が巡ってきたことだと思います。今まさに自分が自分らしく生きる場が得られたことに感謝しています。違った人から見れば老人になってからも地域の人との付き合いをしなければならないなんてとうてい受け入れられないと思うかもしれません。それはその人の価値観であって、今回の講座で人が同じ価値観で生きることを期待すべきでないと言うことがはっきりしました。

 ただ、自由に生きるということは、まわりに迷惑をかけてはならない、自分の人生を自由に謳歌することは、他人がそれぞれの人生を自由に謳歌することの邪魔になることをしてはいけないということを肝に銘じておく必要があると思いました。それがマナーであったり法律であったりするのだろうと思います。

8月25日放送 「地域医療のあり方」
           公立神崎総合病院内科診療部長 中山一郎

 地域医療は住民の安心感に大きな影響があります。震災のあった平成7年、母が食道がんを発症し、県立成人病センター(現がんセンター)に入院しました。しかし治療不可と言われ、近くの病院に転院しました。妹は平成元年に最後まで成人病センターでお世話になったのですが、震災直後の混乱期には、病院も少しでもベッドを空けておきたかったのでしょう。やむを得ないことでした。その時、本人は在宅医療を望みましたが、当時は往診してくれる医師が無く、結局病院で死を待つしかありませんでした。

 今はすぐ近くに開業医がいて、往診可と看板に書かれています。また町内に脳神経外科、医療センター、夜間休日救急医療応急措置センター、そして眼科や耳鼻科など、すっかり医療が充実しています。そして近くの消防署にも救急車が配置されました。これらがネットワークを発揮してくれれば、総合病院としての機能を発揮するだろうと思います。マンション等が多く建ち、保育園が満杯の状態になるなど、住民の年齢層も若く、産婦人科の病院が出来れば完璧ですが、これだけは実現しそうにありません。一方で高齢者も多く、介護施設やデイサービスの施設も結構数が多く、朝夕は介護施設の車がたくさん往き来しています。

 ところで、中山先生のお話の中で、住民の活動、特に患者側の心の持ち方が医師の確保に結びつく話がありました。また三つのハートの中にも住民が医師を信頼する心についてありました。最近の医療ミスに対する裁判、そして高額の賠償金の判決が医師の心をむしばんでいるように思います。救急患者のたらい回しもそのあたりにあるのではないでしょうか。医師はいくら集中して取り組んでも、人間のすることですから結果的に医療ミスと判断されることはあると思います。患者側ももっと大きな心で医師を育てる気持ちが大切だと思います。患者やその家族が常に信頼と感謝の心で接すれば、医師が手を尽く宗とする意欲につながると思います。そして救急患者のたらい回しなど避けられるものと思います。全ての生活の中で、普段から感謝の心があふれた生活を心がけたいものです。


8月18日放送 「老いの歌」
                             歌人 小高 賢

 本日の講師は68歳。本人は「まわりも自分も高齢者とは思わない」と言われた言葉は、私自身も歩き遍路をしていた頃で、同じ思いでした。しかし、後期高齢になり、今夏の暑さが身に応えるほど体力が落ちた今、高齢者だという自覚が明確になってきました。だから、話される早口のペースについて行けないとも感じました。
 ところで、本日の演題「老いの歌」について、高齢者でなければ詠めない短歌の数々を聞き、なるほど上手く読んでいるなと感じました。93歳の女性が老人ホームでのおっぱい比べをしたという歌など、女性の生々しさを保っている感覚に驚きすら感じます。
 又、世間を一刀両断の元に切り捨てる句や、ユーモアたっぷりの句に、川柳を思わせる表現や心意気を感じました。川柳をかじっている私にとって、31文字を使うことに少しまどろっこしさを感じました。17文字でユーモアや一刀両断に切り捨てればもっとスッキリするのにと思ったのです。今兼題を考えている川柳作りにヒントを頂いた感じがしました。
 それにしても俳句や短歌はきまじめなものが題材になると思っていた既成概念が、短歌に関してすっかり崩れてしまいました。きっと退職後のニヒルな人生を送っている高齢者が伝統を壊してしまったのではないかという思いもしないではありませんでした。


8月11日放送 「豊かな暮らしと絵文字」
                  サインセンター理事長 太田幸夫

 講師の太田先生は平成19年11月にも講義をしてくださっています。その時の話の内容はピクトグラムに関することだったと思うだけで詳しくは思い出せません。今回のデパート火災をきっかけにした非常口の表示変更については一つの想い出があります。当時私は職場で防災担当をしていました。毎年消防署の検査があり、私は避難防災に関する様々な書類などを提出し、消化器などの配置も見てもらいました。担当の消防署員が帰りに、「非常口の表示を新しいものに変えておいてください」といわれました。こわれていないのになぜお金をかけて新しいものに替えなければならないのか理由が分かりませんでした。今思えば、丁度その時にお話のように変更されたのですね。地元の駅のトイレの入口に「便所」と書かれていた時代で、絵文字に関してはまだまだ行き渡っていない環境でしたから、変更の趣旨を当時理解することは全く出来なかったのも当然だと思います。

 今、絵文字による表示がずいぶん行き渡り、助けられることが多くあります。なんといってもトイレのマークです。どこへ行ってもトイレのマークが目につき不自由しません。それでも、補助的に大きく「トイレ」と書かれた下に矢印が示されている表示も見ます。高齢者の集まるところではこの方がよく目につくのかもしれません。デパートなどではエレベーターやエスカレーターの位置を探すときにも重宝します。エスカレーターでは上り下りの方向まで表示されていて有り難いと思います。

 これから先、外国へ行くことはないと思いますが、グローバル社会で世界中の人々が往き来することが多くなることを考えれば、今日のお話しのように、世界共通の表示はとても大切であり、小学生が教科書で絵文字の表示について必ず学習しておくことも大切だと思います。特に災害など非常時の判断に必要な表示はこれからも国際的に確立しておくことが大切だと思いました。

8月4日放送 「植物と共に学ぶ」
 
           兵庫県立人と自然の博物館長 岩槻邦男
 私たちは普段から意識することなく植物の恩恵を受けてきています。それは他の動物と同様、食生活において、また木に依存した住居として、又道具やその素材として活用しています。しかし、科学的知的遺産を蓄積できる人間は、必要な植物を意図的に栽培し、加工して活用するという点においては他の動物と違っているという程度の理解は容易に出来ます。

 しかし、今回の岩槻先生のお話しは、地球上の生命体の一体としてとらえること、そしてそれらがお互いに影響しあって進化を遂げてきたことなど、これまで考えもしなかったことです。

 さらに知的文化において日本人は伝統的に自然を見つめ、上手に関わってきたことに触れられたことは、新しい理解でありました。確かに現代は自然をそのまま文化として取り入れるのではなく、人工的に活用するという文化に変化し、そのことを創造的だと考えているように思います。いわゆる人間を中心とした思考や文化を当然のこととして受け止めているように思います。私の屋敷のまわりにはバベ(ウバメガシ)が生垣として植えられています。その枝がどんどん伸びるので、剪定に追われています。バベ自身は生命を維持するために、必要な光合成を行うために切られた分の枝を回復させようとしているようにさらに成長を早めているようにすら感じます。生垣のバベの幹は年々太くなり、それだけの光合成を必要とする枝を求めているのに、私たちは自分の好みの大きさや形に押し込めようとしているのですね。

 島根県の足立美術館の庭園は世界一美しいといわれています。又ベルサイユ宮殿の庭園は見事に幾何学的な配置や剪定の美しさを誇っています。これらは人工的な美を讃えることであり、それはそれなりの意味合いがあるように思います。しかし、白神山地など自然の森の新緑や紅葉の美しさにも心打たれます。そのような自然遺産でなくても、秋に近隣の里山に出掛けたとき、色とりどりの紅葉に出会ったり、マムシ草の真っ赤な実に出会ったりすると、自然の美しさに感動してしまいます。この様なところは人と自然が出会えるように小道を造るなど、最低限の人工的な工事に留め、人が自然の植物の生育に影響を及ぼさないよう配慮されています。こうして自然の美しさを子孫に伝えようとするDNAを守り抜くことはとても大切だと思いました。

 ともすれば、冨士登山のように、自然を利益を優先した営業目的で活用したために必要以上に開発され、訪れた人々のマナーが守られず、自然の破壊につながったという例は数え切れないほどあります。最後に話された「植物も自然の中で生きることを望んでいる」という言葉にハッとさせられ、人工美を愛でる場所と、自然の美しさを愛でる場所の違いを私たちはしっかり身につけておかねばならないと思いました。

7月28日放送「身近な仏教漢語」
                 京都大学名誉教授 興膳 宏

 私たちが普段何気なく使っている言葉の中に、中国で仏教伝来時に翻訳されたときの言葉が沢山あることが分かりました。そしてその意味が本来の仏教で表す意味とはすっかり変わっている言葉があることも分かりました。言語道断などいまではすっかり悪い意味合いになっています。だから本来の意味で使おうとするときっと誤解されたり、馬鹿にされたりするでしょう。

 普段から般若心経をよく唱えます。玄侑宗久著「現代語訳般若心経」を読んでいても、サンスクリットをそのまま音訳した言葉(漢字)、漢字の意味から判断できる言葉、そして今ではすっかり意味が異なっている漢字などが混在しているため、なかなか正確に意味合いを捉えることは出来ません。「空」一つ取り上げても、私たちは直感的に「から=無に等しい」と解釈してしまいます。なぜなら「色即是空、空即是色」という言葉を若い頃から色事にとらわれてはいけないという教訓のように解釈して(まわりがそのような意味で使って)いたからです。この様な誤解が沢山あるので、私はできるかぎり難しい漢字の熟語や四字熟語などは使わないようにしています。そして、教養のない人間と思われても(実際も無いのですが)、これからもできるかぎり平易な言葉づかいを心がけたいと思います。

7月21日放送 「一度しかない人生だから」
                     作家 ヒロコ・ムトー

 朗読講演活動をしておられるだけあって、その語り口に引き込まれてしまいました。そしてお母様マサコ・ムトーに対する一言一言が敬愛に満ちている思いがしました。

 そのマサコ・ムトーが夫が生きている間はただひたすら夫に仕え、家族の世話をしていただけの人生で、それ以外何も出来ないと思い込んでいたようです。それでも、くじけず、愚痴を言わず、笑顔を絶やすことがなかったというのですから本当に素晴らしい人格の持ち主だったのだろうと思います。

 夫を亡くした1年後、70歳でパステル画を習い始め、77歳で個展を開くまでになったということは、自分自身の隠れた才能を発見した喜びで、打ち込まれたのだと思います。確かに、自分がしなければならないと思い込んでいる仕事があるときは、それ以外のことについて挑戦することは後ろめたさすら感じます。そのようなしばりから解き放たれたとき、人は自由な気持ちで新しいことに打ち込むことが出来ます。ただその時に隠れた才能を上手く発見できるかどうかで、その後の人生は変わってくるのだろうと思います。

 88歳でいよいよ視力が弱ったとき、手の感触を頼りに小さな紙人形づくりに挑戦されたということに驚きを感じます。88歳で体力的に無理になったら、歳だと諦める人が普通だと思います。しかし、そこから又新たなことに挑戦されたということは、70歳になって初めて挑戦したことから生きて挑戦できる喜びが強く、おそらく限界ということを自分の中には持ち合わせておられなかったように思います。亡くなる半年前まで300点もの豆紙人形を作っておられたということですが、まわりが海外の個展に手をさしのべて生きがいをより力強く持てるように支援したことも素晴らしい人生への後押しになったと思います。

 人生いくつになっても自分が人に認められることが生きがいにつながっているように思います。それがどの様な形であれ、万人に認められなくても、たった一人の人にでも認められればそれでよいと思います。そのような人生にしていきたいと思います。

7月14日放送 「おひとりさまの愉しみ −脳梗塞を乗り越えて−」

                   甲南女子大学名誉教授 木岡悦子

 先ず、何よりも驚いたのは、脳梗塞を罹患され、一から言語訓練をされたにもかかわらず、それを感じさせないお話しぶりでした。確かに「らりるれろ」といわれたときスムーズに言えないと自分でもおっしゃいましたが、会話の中では全くそれは感じられませんでした。

 さらに、半身不随になられても自立の気力を失うことなく、むしろ自分の食事や身の回りのことを一つ一つ愉しみながらやり遂げられていたことです。一般にはヘルパーに頼り、家族に頼って全てお膳立てしてもらっている人を多く見かけます。助けられることは否定しませんが、自立への意欲を持たず、自分から「私は何も出来なくなってしまった人」と思い込んでいる人々を多く見かけます。この話を聞いていなければ、将来私もきっとそうなるだろうと思いました。

 今回のお話しは自分の今後の生き方としてしっかり覚えておくことにし、どの様な立場になっても自立心だけは見失わないようにしたいと思いました。そして楽しみと愉しみの意味の違いも味わい深く、心しておかねばと思いました。


7月7日放送 「姫路城と池田輝政」
       兵庫県立大学特任教授・播磨学研究所長 中元孝迪

 これまで何度も訪れた、最も身近にあるお城が姫路城です。訪れる度にその美しさに感動を覚えます。ここ数年、県立歴史博物館で月1回の歴史講座を受講していますが、その都度必ず姫路城に目を向けています。これほど心を惹きつける建築物はないように思います。しかし、今日のお話しを聞くまで、その美しさがどの様な観点で意図的に建てられたものなのか、輝政の美意識や、その背景について考えたこともありませんでした。
 古代から日本の統治の中心は関西、それも大和や京にあり、秀吉の時代の大阪というあたりになります。ところが、江戸時代になって家康が幕府を江戸に移すと、西の要が姫路になり、阿波から因幡の間を輝政が治め、西国大名の防御に当ったこと、その威厳をあの大きな姫路城に込めて輝政が築城したと考えると納得できます。
 又、お城=白というイメージを持っていて、松本城や熊本城など黒いお城は特別だなどと思っていましたが、それはいつも見ている姫路城が白かっただけで、戦国時代は武力の力強さを示す黒が常識だったことも改めて知りました。
 先日も平成の大修理が行われている姫路城を訪れました。屋根瓦の吹き替えと壁の漆喰の塗り替えをしていましたが、大天守の最上階が小さい割に存在感を感じたのは高さがその下までより高く作られているということもわかりました。
 世界一の吊り橋である明石海峡大橋や、世界一美しい姫路城が身近に見られることをラッキーだと思います。


6月30日放送 「悪徳商法への対応 −消費者トラブルに巻き込まれないために−」
                兵庫県生活科学総合センター職員 河野史和

 高齢者をねらった悪徳商法に何度か遭遇しています。退職して直ぐのある日、我が家の屋根瓦の一枚が台風に飛ばされて横に転がっているのを指摘し、「今近所で屋根の葺き替えをしているが、お宅のあの瓦を午後からついでに無料で直してあげましょう。」と言い、会社名や所在地の書かれた簡単なパンフレットを置いていきました。数軒離れたところで実際に屋根の葺き替え工事をやっていたのでその業者だろうと思いました。午後になると梯子や材料などそれぞれに手に持った職人数名が先程の業者についてやってきました。たった1枚の瓦にこんなにたくさんの職人が必要なのかと不安になり、咄嗟に、「先程息子に電話したら近々家に帰って自分が修理するからしてもらわなくてよいといわれました」というと、若者に相談されたと思ったのでしょう。業者はさっさと帰っていきました。ところがそのままにしていると、2〜3日して、今度は若い背広姿の男が同じ指摘をしてきました。息子が同じ仕事をしているので必要ない旨伝えました。そしてこのままにしておくと何度も業者のターゲットにされると思い、自分で屋根に登って外れている瓦を直しておきました。それ以降、いろいろな業者が勧誘の電話をかけてきますが、全て息子が同業者だと説明して断っています。その都度、息子は建築工事関係業者になったり、電気屋になったり、証券マンや金融関係業者になったりといろいろな職業になっています。これが一番簡単に相手に電話を切らせる方便として効果がありそうに思います。
 その他、未公開株に関して立派なパンフレットを送ってきて、購入を勧める電話が女性からかかってきたことがあります。会社の設立者はJR東海のリニアモーターカーの開発者で、環境に関わる新たな開発を進めるこれからの分野をリードする会社になるというものでした。適当に話を聞いていると何度も電話で勧誘してきました。その時、たまたま未公開株の被害にあった事件が報道されました。その後またまた勧誘の電話がかかってきたので、「お宅も報道のあった業者のような会社なのでしょう」というと、女性は突然怒り出しました。そのまま電話を切ると、以降その女性からは電話はかかってこなくなりました。
 家にいると本当にいろんな業者が電話をかけてくるし、訪問してきます。こちらが高齢者であったり、一戸建ての家に住んでいることをどうして知っているのだろうかと不思議に思うことさえあります。きっといろいろな情報が名簿になって出回ってるのだと思います。こちらはますます高齢になり、騙されやすくなると思います。現に、近所で騙されて高額商品を買った話など聞きます。気をつけなければと思います。


6月23日放送 「副交感神経が人生の質を決める」
                   順天堂大学医学部教授 小林弘幸

 これまで交感神経を抑え、副交感神経を如何に高めてリラックスさせるかということはよく聞いていました。そして、交感神経が悪者扱いされていたような印象を持っていました。しかし、今日のお話しでは両方のバランスが大切であること、加齢とともに副交感神経が低下するので、副交感神経を高める生活習慣が必要だということを知りました。副交感神経を高める方法として、リラックスするということは聞いていましたが、それが血流に起因していること、特に毛細血管まで血液が行き渡る方法こそがリラックスに通じるということを教えていただき、納得できました。
 先日、四国で山登りをしたとき、先達から1対3の深呼吸を勧められました。先達は夏場は冨士登山のガイドをしておられ、富士山ではこの呼吸法が大切だと話されました。ともすれば仲間に遅れまいと心が焦り、無理をする気持ちが先行するのですが、体力を消耗する登山において、ゆっくり深呼吸をしながら足を運ぶことは、血流を良くして体力の消耗を防ぐ意味があったのだということに納得しました。
 以前夜にウォーキングを続けていたことがありましたが、それは正しい方法だったことも分かりました。ただ、風呂の温度は夏場は39〜40度にしますが、秋から冬〜梅雨までの間は41〜42度でなければ寒くてゆっくり風呂に入っておれません。また、湯に浸かっている時間はせいぜい5分程度です。10〜15分ぬるいお湯に浸かっているとますます寒さを感じてしまい、末梢神経に血が流れなくなりそうです。
 また、笑いがNK細胞を高めることも知っていましたが、ため息までが血流を良くし、リラックスさせる意味があるとは驚きでした。午前中からリラックスする必要はなく、リラックスは午後3時以降に意識するようにすればと思いました。


6月16日放送 「兵庫、街かど学Z 〜平清盛と兵庫〜」
               園田学園女子大学名誉教授 田辺眞人

 田辺先生のお話を神戸市の地図を広げて見ながら聴きました。話されるあたりを指で辿ってみると、雪御所町という町名も見つかり、今も当時の歴史を辿る手がかりがあることも分かりました。私は神戸生まれの神戸育ちで、戦時中は兵庫大仏の近くに母の実家があり、戦後は平野の湊山温泉のすぐそばに転居していて、よく母に連れられて行っていたことがあるので、地理もある程度知っていて話が良く理解できました。湊川公園が旧湊川の土手であったことなど、昔の写真で見たことがあります。また教育実習を新開地通りの南にある東川崎小学校でしたこともあって、川崎のあたりも理解できました。
 2年ほど前にグループで兵庫駅の南を散策したことがあります。柳原蛭子神社から兵庫大仏、、清盛塚から和田神社まで歩いたのですが、その時は清盛についてあまり詳しく調べていなかったので、経ヶ島の近くを通ったにもかかわらず気づかず話題にも上らなかったし、清盛塚で福原の都はどのあたりだったのかなと話し合ったくらいでした。また昨年には、勝海舟ゆかりの地として平野の祇園神社や居住していた屋敷などを見て回ったことがあります。今秋に同じグループで今度は清盛ゆかりの地を散策することになっています。以前歩いたところも重複するかと思いますが、今回のお話しも参考にして、事前にコースをよく考えておいて散策したいと思います。


6月9日放送 「二度とない人生だからA〜人生の幸せ探しの旅〜」
                           総本山永観堂禅林寺管長 中西玄禮

 小学生のとき、国語の教科書に「楽しみは小豆ご飯の冷えたるを茶漬け長物になして食うとき」という歌があり、印象に残っていました。昔の川柳などとともに掲載されていたので、あるいは橘曙覧の歌だったのかもしれません。その橘曙覧がしあわせについてこの様な歌を残していたとは知りませんでした。
 ところで私にとってこれまでも今もしあわせは『幸せ』と『仕合わせ』の両方が存在しています。新しいものを手に入れると、この上なく幸せに感じます。しかし、古くて使わなくなったものももったいない、いつかまた使うだろうと捨てずにいるので、物があふれ、住みにくくなっているのも事実です。この点では物欲を満たしただけで、本当の幸せを得たのか考えさせられます。
 一方、いろいろな人に仕え合い、支え合う『仕合わせ』については、心の喜び、生きがいにつながっているように思います。だからそれを邪魔に思ったり、苦痛に思うことはありません。そして人の輪の中にいる喜びとともに安心感を得ているように思います。だから、たとえ一人でいるときでも、孤独に思うこともなく、寂しさも感じません。そのようなとき、幸せを仕合わせに生かそうと考え、努力してきたようにも思います。
 自分の人生において、今の仕合わせを得ることができたのは何人かの人との出会い、そしてその人から頂いた仕事や家庭、そして生きがいなど考えれば考えるほど、自分の人生は常に恵まれているなとありがたく思います。


6月2日放送 「二度とない人生だから@〜水五則に学ぶ〜」
                総本山永観堂禅林寺管長 中西玄禮

 水五則の1番目、「率先垂範」については私にとって一番欠けているところだと思います。誰かから指示があって初めて動いているように思います。だからできるかぎり断らず、腰軽く動くよう心がけています。したがって2番目の自分の動く道も自ら探して決めているのではないように思います。しかし、たとえ他からの指示であったとしても、意に添うことは精一杯勤めようと努力しています。3番目のエネルギーを蓄えて大きな力で障害を乗り越えていくような生き方はしていないようです。その場その場で何とか一つずつこなしていくという小さな力しか持ち合わせていませんが、投げ出すということはしていないと思います。4番目の清濁あわせて受け入れるというあたり、まだまだ修行が足りません。まして人の心を動かし、ただしていくようなことは夢にも思っていません。最後のその時その場に応じた活動において、はたしていつも自分を見失わない生き方をしているかと問われれば自信はありません。その場その場で自分を繕っているように思います。というわけで水のような生き方にはほど遠い私ですが、それでも人間の共通の願いである「存在を認められたい」「公平な評価を得たい」「目標を持っていきたい」「学び続けたい」「誇りを持ち、最後には喜べる人生であったと思えるようになりたい」ということに関しては、まわりの人々の中でそれなりに日々充実した前向きの生活をしているので、それ以上望むことはないと思っています。


5月26日放送 「本科生にむけて〜知事あいさつ」
                        放送大学教授陣

 知事のあいさつの中で、被災地の支援についてそれぞれが出来る支援を続けるようにとのお話しがありました。地域の人々にとって見捨てられたり忘れられたりすることが一番悲しいことだと思います。そのことはよく分かります。しかし、一方で阪神淡路大震災のとき、自分達がコツコツと取り組んでいることを大げさに取り上げられることに辟易とした思いもあります。さらに支援してもらうのが当たり前という態度が露骨に現れた人々や団体があったことも事実です。見守り、さりげない支援というのも大切だと思います。知事がいわれたように、観光などで訪れ、地元の人々とさりげない交流、お互いに震災時の心に響いた経験などを話題におしゃべりするなどするのも一つだと思いました。
 また労働人口を20歳から75歳として考えてみるという提案は、ある意味でいいことだと思います。ただし、65歳を超えてなおフルタイムの労働者ととらえるのは避けたいと思います。65歳を超えればその人の希望に応じて働く場が提供されるようなシステムや、報酬面ではボランティアに報酬が付くような最低賃金以下でもよいというような法律改正がなされなければ、働く側や経営者側にとってもメリットはないだろうと思います。あまりにも職場に縛り付け、一般労働者と同じような扱いをすると、地域の伝統文化を伝えたり、自治会の運営、地域の人々が支え合う地域交流など高齢者に支えられている今の地域の活性化は成立しなくなってしまいます。地域で活発に活躍する体力のある高齢者の貴重な存在もまた忘れてはならないと思います。
 いよいよ6月からは中央スクーリングや本科生の往復課題番組が始まります。今年もまた気が引き締まる思いで教授陣のお話しを聞かせていただきました。


5月19日放送 「アンコールアワーA 老いの才覚」
                         作家 曾野綾子

 私たちは安全安心な暮らしという言葉をよく使います。自分から安全安心が確保できない子どもたちに対してはまわりが当然配慮しなければならないと思います。しかし、自立した大人に対してもこのことが大切だと思っていました。よく考えてみると講師がいわれたように、できるかぎり自律と自立をしていて、自分で安全安心を確保するものだという基本姿勢をもたなければいけないことに気づかされました。出来ることは自分でする、出来ないところは助けていただくという信念をしっかり持つことが大切なのですね。そして、助けていただいたことには感謝の念を忘れないことだということですね。「くれない族」にならないよう気をつけたいと思います。
 80歳になってなおアフリカまでボランティアとして参加される曾野綾子さんの心意気がこんなところに原点があったということに、驚きと尊敬の念をもちました。


5月12日放送 「アンコールアワー@ いのちの絆」
                   聖路加国際病院名誉院長 日野原重明

 私たちはついつい平均寿命を意識して、自分はあと何年の余命があるとか、あと何年生きていたいなどと考えてしまいます。しかし、先生が言われたように、個人によってその余命は異なるのであり、よほどの病気をしない限り誰にも予想できないことです。だから健康維持に努めて、新たなことにも挑戦することが大切なのですね。そのことが人に役立つことであれば生きがいにつながり、また人との交流が生まれることによって感謝の心を生むことになるのだと思います。
 人にとってストレスが体によくないと一般的にいわれています。しかし、自分から前向きに取り組んだり、積極的に受け入れる場合はかえってその人を強くすると話されました。いやだと逃げるのではなく、よしやってみようと意欲的に取り組むことこそが大切なのですね。
 また、新しい仲間や人々との交流によって新たなエネルギーを得ることになるというお話しは、退職後の生活の中で実感しています。そしてその人々こそが今の私の生活に生きがいをもたらし、充実させてくれています。その意味で今の私は本当に幸せだと感謝しています。


5月5日放送 「日本人はなぜ大災害を受け止めることができるのか」
                  国土技術研究センター理事長 大石久和

 私たちは少しでも安全に、また便利に暮らしやすくするための公共事業を行っています。しかし、この公共事業が時として金儲けのためにゆがめられることがあることも事実です。かつて列島改造論をぶちあげた田中角栄の意図もそのあたりにあったのではと思ったりします。そのために自然が大きく破壊され、災害を大きくする要因になっているのではないかとも考えられています。
 今回の講義を通して、純粋に過去の先人の努力に感謝し、未来の日本人のためにどの様な努力をしていかねばならないかをしっかり考えながら判断することが大切だと思いました。確かに日本人は今の自分達の生活のことを考えて判断している場合が多いことに気が付きます。原子力発電がその顕著な例です。将来の人々が安心して住むことができる日本という観点から判断すれば、コントロールする方法が未開発の原子力を活用することの是非をもう一度考えてみる必要があると思います。
 また、戦国時代までは周辺の人々とのせめぎ合いはあり、城の周囲に堀を巡らして防御の姿勢をとりましたが、それは侍の世界のことだけで、住民全体として防御の必要はありませんでした。そして、日本が統一国家として安泰になった時期からは国内においては戦争に対する防御よりも自然災害に対する防御が大切であり、また暮らしを便利にすることに力が注がれたように思います。特に戦後の平和の時代が長く続いている日本の発展もそのあたりにあると思います。北朝鮮がミサイルを開発し、アメリカべったりの日本を目の敵にしていても、実際に攻めてこられるという恐れは日本の多くの人々にはないと思います。日本人は、自分の方から攻めていかない限り襲撃は受けない、侵略されないと思っています。だから国防的な自衛隊は必要であっても、国外で活動する軍隊は必要ないと思っています。日本人は災害の多い国に生まれているため、他国の災害については敏感に反応しますが、他国の民族や宗教の衝突による戦争についてはあまり関心を示しません。この先、世界の状況はどの様に変わっていくか分かりませんが、日本人の特性はこの先も大きく変わらないだろうと思います。


4月28日放送 「がんにならない生き方」
                    日本薬科大学教授 丁 宗鐵

 普段から身体に気をつけている人、いわゆる一病息災という言葉通りにしている人がいますが、なるほど長生きしているわけがこんなところにあるのだなと思いました。一方であんなに元気だと思われていたのに突然発病して亡くなるのも納得できました。高齢になるほど、それぞれの臓器の働きが悪くなってきているにもかかわらず、保養することなく、若いときと同じように無理をすることはいけないのだなと思います。また、若いときと同じような食事を同じ量食べるのも、カロリーの消費以上に摂ることになるのだと思います。この様に考えると年相応の食生活に変えていく必要があるのですね。
 そこで自分の生活を振り返ってみると、先ず、いつも満腹になるまで食べています。食後には必ずデザートが付かなければ物足りなさを感じます。パン食の場合はカップに入ったヨーグルトを冷やしておいて青汁の粉末を入れて食べます。そして少し暖かくなってくると飲み物はコールコーヒーや冷えたジュースにします。朝食にはバナナなど、夕食には柑橘類などを食べます。今の季節だと文旦を半個食べます。ビールを飲むときは冷蔵庫から直前に出すため泡立たないほど冷えています。それを旨いといって飲むのですから、この様な食生活を続けている私はガン細胞を大喜びさせていることになるのですね。ここ数年、毎年胃カメラの検査を受けていますが、医師は決して健康な状態だとは言いません。胃が荒れていて、未病の状態だということです。しかし、がんには至っていません。だから毎年検査を受けるようにいわれています。
 また、父がヘビースモーカーで子どもの頃は煙った部屋で過ごしていたものです。また30年ほど前までは、風呂を薪で沸かしていました。煙が逆流して家の中が煙りだらけになることが度々ありました。若い時代だったから抵抗力があったお陰で発病しなかったのかもしれません。しかし、年齢の高い母はがんを発病してしまいました。
 私の救いは、妻が和食を好み、脂がゲタゲタした肉類はめったに食卓に載りません。そして夫婦円満に過ごしていることもよいのかもしれません。病気が嗜好に影響するということをもう一度心してこれからの食生活について気をつけねばならないと思いました。


4月21日放送 「コマーシャルいま昔」
                     コラムニスト 天野祐吉

 最近のコマーシャルは賞品の性能や価値をオーバーにくどくど説明しているだけでおもしろみが感じられません。その典型がジャパネットタカタのコマーシャルです。一昔前のテレビコマーシャルはお話しにも出ていたようにサントリーのトリスなど見ていて思わず頬がゆるむ楽しいものでした。
 同じ竿だけ売りの声でも、以前のは風流さがありました。しかし、いまは詐欺商法の典型のように受け取られ、スピーカーでがんがんやられると聞きたくないという感じになってしまいます。廃品回収業と同様、うっかり声をかけると料金をいくら取られるか分からないという警戒心が先に立ってしまいます。
 その点江戸時代の浮世絵や物売りの声は芸術的センスが高かったというお話はよく理解できます。いまのように商業デザイナーという専門分野の手によって作るのではなくて、芸術家が作品と同様に取り組んだからだったのですね。そして、外国と違って庶民が暮らす木造の長家が立ち並ぶ江戸においては、人の声で十分聞こえたのだと思います。商品を担いだり、荷車で引っ張って売り歩くにはペースがゆっくりしており、売り声が聞こえたからといって慌てることはなかったのでしょう。その点戦後の豆腐屋は自転車だったので、ぐずぐずしていると間に合いません。したがって呼び声ではなく、遠くまで聞こえるように鐘やラッパを鳴らしながら走っていました。
 来世の安心を売る宗教の広告、現世の安心を売る政治の広告という視点は全く想像もしなかったことで、驚きでした。修行を必要としない法然や親鸞の辻説法などまさに来世の安心を売る宗派の広告といわれればよく理解できます。キリスト教は聖書という書籍にして売っていたのですね。


4月14日放送 「兵庫のうまいもん巡り」
                    料理研究家 白井 操

 地域の新鮮で旬の美味しさを味わうのは至福の時です。その意味で自分達の住む地域や、近郊の物産をよく知っておくことは大切だと思います。その地域の伝統を守ってこられた生産者を白井先生が訪ねられ、その良さを紹介しておられましたが、その人の電話番号まで著書に載せておられるとのこと、細やかな取材ぶりに驚く一方、その地域の唯一の生産者ではなく、その地域の特産品として私たちは理解しなければと思いました。明石市の林崎漁業協同組合のようにその地域の農協や漁協が連絡の窓口になってくれれば、地域の特産品として盛り上がっていくだろうと思いました。
 その他に豊岡の鞄のようにその地域で生産されている特産物がここへ行けば確かなものがデパートやスーパーより安く買えると言えるようにすれば、今までのように外国製品で安売りではなく、私たちはもっと安心して地元の生産物品を買うだろうと思います。
 それにしても、兵庫県にはバラエティに富んだうまいもんが沢山あることに気付かされました。


4月7日放送 「開講にあたって−生涯学習と社会貢献」
                 兵庫教育大学教職大学院教授 廣岡 徹

 以前人間以外の動物は、家畜を除いて繁殖する機能を失えば寿命を終える遺伝子を持っていると聞きました。今日の話で、それは生態的寿命で、動物園の動物のように充分な保護がなされれば、生理的寿命として伸ばすこと、すなわち人間同様老後を生きることができることがよく理解できました。
 それでは、その老後を如何に過ごすかということが大切になります。昭和40年代に障害児教育に携わっていたとき、将来社会において役に立たないだろう障害児になぜ大金をつぎ込んで教育しなければならないのかと問われたことがあります。また、バブルがはじけ、経済にかげりが見えだした頃、年寄りは早く寿命を終えることが社会貢献だといわれた時期もありました。経済的な生産活動に貢献できなければ人間の生きる価値はないと思われていた時代から少しは人々の意識は変化しているように思います。しかし、その意識は健常者といわれる現役の人々から全く取り除かれたとは思われません。そのような価値観のまま現役を卒業すると、老後は実につまらなく感じることでしょう。それでも、いわゆる現役時代の価値観のまま団体のリーダーとして祭り上げられることに価値を見いだしていたり、その代償として高い報酬を得ることに喜びを感じている天下り族によく見られる生き方をしている人もいます。しかしそれは一部の人で、その人達にも現実に老後が間違いなくやってきます。
 ごく平凡なわれわれ元気老人は、現役時代のように損得勘定の価値観で動くのではなく、社会貢献によって自分が認められるという喜びを実感し、生きがいを見いだすことが大切になるのだと思います。このことは高齢者の生涯学習によって理解し、実践に結びつけている方が多いことを実感しています。そして、その喜びが最も長く持続させるためには地域における社会参加が最も効果的であると思います。多少身体的、精神的に弱気になっても地域における活動は親しい仲間の支え合いによって可能になります。
 それでも、いつまでも社会貢献できるわけではありません。自分の身体が自分で思うように動かせない、介護を必要とする時期が訪れます。その時にまわりの人に感謝の気持ちを持つことこそが最後の生き方なのだと思います。感謝の気持ちを上手に表すことは、まわりの人に生きがいや喜びを与えることができるからです。ある意味でこれも社会貢献の一つだと心得、元気な間から感謝の上手な表現の仕方を身につけておきたいものです。