平成23年度の感想文「私の心のこだま」
3月31日(土)放送 学生参加番組「1年の学習を終えるにあたって」
姫路市 東郷孝子 本科生修了
本科生といいながら、既に自主的に聴いて感想文もまとめておられ、3年目に本科生として入学されたとのことでした。自分で自由に書く感想文と期限内に提出する感想文との違いをお話しされていましたが、特に返信の来る感想文を書くときは緊張されたことでしょう。これからも友達と声掛け合って継続されることはとても大切だと思います。
宝塚市 竹内艶子 5年讃辞
友の会に入会されたことによって多くの先輩諸氏の学習意欲に刺激を受け、励みにされていることは継続する上でとても大切なことだと思います。高齢になるほど同じ目標を持つ仲間の存在が大切だと思いました。そして、努力賞の存在も励みになっているのですね。
洲本市 大上修美 10年讃辞
10年を一区切りにし、単に聴いて学ぶだけでなく、文芸欄にも投稿を始められたこと、その努力が実って紙面に載り、仲間の励ましを得たことなど、感謝の言葉と共に語られました。絆の大切さを感じさせるお話しでした。
神戸市垂水区 上田清二 15年讃辞
16年前に高齢者放送大学へ入学されたとき、小学校入学時と同様の感激があったとお話しされていましたが、それほど印象が強かったことが、その後の学習に大きく影響したのか、16年間のテキストを繰り返し読み、財産であると思っておられます。そして講師の講義を格言として心に残し、生き方の肥やしにされているというお話しに、放送大学の内容をこれほど有効に活用されておられる方は他にいないのではないかと思いました。
篠山市 雪岡笑美子 20年讃辞
20年讃辞の賞状を額に入れて飾られている誇らしげなお気持ち、それを曾孫達に説明されるときのお気持ち、喜びが伝わってきました。20年の間感想文を提出し続けておられると、脊髄圧迫骨折で1ヶ月間感想文提出ができなかったときの落ち着けなかったお気持ちがよく分かります。長く継続していると習慣化し、自分の日常生活のリズムとしてとけ込んでしまうのだろうと思いました。
朝来市 西垣 晃 25年讃辞
米寿になられた今も、視聴困難な地区にお住まいでありながら、娘さんの協力を得ながら放送を聴き、25年もの間感想文を提出し続けておられることに驚きを感じます。しかも、娘さんから届いたテープは聴いたあと同じ地区の仲間に届けるという優しい気持ちもおもちだとお聞きし、地域の仲間の絆を感じました。文芸欄への投稿が励みになるとのこと、高齢になればなるほど、自分の生きがいを積極的、能動的に見つけることが大切だと思いました。
加古川市 松沢正枝 30年讃辞
96歳の松沢さんは30年以上放送大学で学び続けておられるということに先ず頭が下がります。きっかっけはご主人が事故で歩けなくなり、その介護の合間に、出掛けなくても家で学べる放送大学の存在を知って入学されたということですが、37年間の介護生活を続けながら人生の最も困難な時期を導いてもらった放送大学に感謝しておられました。どの様なことがあっても学び続けることの大切さを教えていただいたように思いました。
3月24日(土)放送 「放送大学で私が学んだこと」
学生参加番組
皆さんが土曜日の朝にラジオ講座を聴くという習慣がついたといわれていましたが、私も平成18年から6年間聴き続け、すっかり習慣化したようです。毎回感想文をホームページに書き込むことも今では習慣になりました。初めの頃は蒲団の中でメモも取らずに携帯ラジオで聴いていたり、うっかり寝過ごし、放送大学の事務局でテープを受け取って聴いたりしたこともありましたが、今は旅行など特別の事情がない限り、ラジオが6時28頃に鳴り出すと飛び起きて、メモをしながら聴いています。そして放送が終わり次第パソコンに向かい、朝8時までに感想を打ち込み、文章の推敲をしています。継続は力なりと多くの方が言われていましたが、まさにそうだなと思います。
又、友の会の仲間との活動に生きがいを見いだしておられる方も大勢おられました。志を同じくする仲間がいるということはとても大切だし、励みになるのですね。このことはこれからも大切にしなければならないと思います。さらに「心のこだま」欄を通じて、遠方の方、見知らぬ方との文通も始まるというメリットを最大限に生かしておられることも、放大の感想文をきっかけに書くことへのハードルが低くなった学生さんへのご褒美のように思いました。私自身、パソコンに打ち込むため、実際にペンを取ることが少なく、筆まめになれないのが少々残念に思います。しかし、生涯学び続けることへの抵抗は少なくなり、兵庫県芸術文化協会の主催する各種講座を受講するなど、学生の皆さんとの共通の生き方が少しは身に付いてきたように思います。
3月17日(土)放送 「こころ医師 −常識の治療医−」
医師 なだいなだ
断酒の治療で3ヶ月しか我慢できなかった人に対して、「たった3ヶ月で失敗するとは意志が弱いね」と言うのではなく、「3ヶ月もがんばったんだね。次はもっと長く挑戦してみよう」と励ますことが大切だといわれました。この様な気持ちが落ち込んでいる人々に対してどのように励ますかということはとても大切なことだと思います。
もう半世紀も昔になりますが、姫路市の中学校に小林隅雄という先生がおられました。先生は障害児のクラスを担当されていました。当時障害児を持つ親は恥ずかしく思い、子どもを人前に出すことすら抵抗を感じていた時代です。そんなとき、学級新聞「宝探し」を毎日発行され、子どもの持っている少しでもよいところを探しては書き続けられました。親に希望や自信のこころが芽生えると、子どもはどんどん成長し、卒業後就職して社会貢献できるようになっていきました。この評判が広がり、障害のあるこどもを持つ親たちが入級を求めて押し寄せました。やがて、障害児を持つ親たちが「親の会」を結成し、先輩の親が後輩の親の励みになるような親の会に発展し、兵庫県下に広がっていきました。丁度断酒会の先輩が後輩を励ますようなこころ医者になったのと同じだと思います。
今、知的障害者にはダウン氏症候群やアスペルガー症候群などいろいろな障害名を付けることによって、レッテルを細かく貼り付け、その障害に対応をしようとしています。それはそれで大切なことではあるのですが、レッテルを貼るときに、親に希望を失わせるような思いをさせていないか心配します。今回の講座で、鬱の人を診断したときに「北杜夫さんと同じ病気ですね」というように、障害があってもこんな良いところがあるという親に対して希望が持てる、明るく受けとめられる診断の仕方が大切だと思います。今NHKの大河ドラマの「平清盛」の題字を書いているのがダウン氏症候群の女性書家だということなど、大いに活用することが大切なのでしょうね。
3月10日(土)放送 「夫とふたりきり」
女優 中村メイコ
中村メイコさんの話を聞いていて、自分もずいぶん「夫育て」をされたなと思い、また感謝しています。我々の年代の男性はほとんどそうだと思いますが、男子厨房に入らずと思い込んで、家事は全て女房がするものと誇り高く生きてきたように思います。
私はたまたまいなみ野学園で人生の先輩方(夫育てを既にされた方々)からお話しを聞く機会があり、退職すれば少しは自分のことは自分でしなければならない、女房を助けて家事の一部を分担しなければならないと思うようになっていました。だから、食後の洗い物、洗濯物の片付け、部屋や風呂場の掃除、ゴミをまとめて出すことなど、自分のできそうなことを手伝うようになりました。それでも初めは何でこの様なことを私がしなければなどと私のプライドが頭をもたげていた時期もありました。
そんな折、妻の入院騒ぎがあり、3週間ほど、娘や嫁に助けられながら何とか自立生活ができました。それ以降、妻は中村メイコさんのように老いを演じるようになり、よりいっそう夫育てに拍車をかけていることが今日のお話しでよく理解できました。しかし、私が妻の期待通り育たないので、よく文句を言われます。特に居間の机の上のだらしなさは一日に何度も指摘され叱られています。速く断捨離の習慣を身につけなければと焦るのですが、冬場は暖房が居間だけなので、ずっと顔をつきあわせているばかりでお互いにひとりになることはありません。おまけに私は妻を無視して横目で散らかった机の上を見ながらパソコンに向かっている時間が長く、よけいにイライラするのでしょう。今日の話は反省することばかりが浮き彫りになりました。
お互いにひとりの時間を持つということが大切だということもよく理解できました。私が退職したあともいろいろ外で活動をし、家に帰れば自分だけ楽しんでいるような生活でした。妻はひとりぼっちで私の世話係という感じだったと思います。そこで妻も勇気を出して地元の高齢者大学に一歩踏み出しました。そのことが私と関係のない生活の時間を生み出し、私に頼ることなくいきいきと積極的に外の生活を楽しむようになりました。このことが夫育てに大いに役立っています。以前は妻が出掛けるとき、私の食事などを冷蔵庫に用意して遠慮しながらの外出でしたが、今は安心とばかりに何の用意もせずに出掛けていきます。一緒に摂る食事はほとんど妻にまかせていますが、それでも多少は自立に近づいていることを妻に感謝しなければと思いました。
3月3日(土)放送 「人生の終いじたく」
女優 中村メイコ
私は昨年の夏にやましたひでこの断捨離の本を読んで以来、自分の身の回りの不要な物を捨てる決意をしました。しかし、始める時期については放送大学の仕事が一段落する2月からと決めつけていました。1月にはやましたひでこの講演まで聞きに行き、さらにその決意を固めました。しかし、私の書斎には暖房の準備はなく、寒い部屋で作業をすることはおっくうで、まだほとんど手を付けないまま3月を迎えてしまいました。暖かくなった等などと逃げ口上など考えています。そして、心の底では断捨離をしなければという強迫観念すら感じています。
今日の中村メイコさんのお話しを聞き、根を詰めることなく、30分から1時間と時間を決めて、想い出に浸るなど楽しみながら作業をすればよいというアドバイスに、なるほどそれなら私にもできそうだと思いました。「ねばならぬ」ではなく「いい加減に」やってみようと思います。今日は今から貴重な本など先日捨てる決意をした紙類を資源ゴミとしてゴミ集積所へ持って行きます。
2月25日(土)放送 「兼好さんの遺言」
作家 清川 妙
先ず15歳で吉田兼好の書いている意味をしっかり理解することができたという講師の才能はすごいなと思いました。私たちも中学3年の頃、初めて「徒然草」について学びました。そして「自分が賢くなくても賢い人の真似をし続けていると、賢い人に見えてくる。逆に、自分が賢くても馬鹿な人の真似をしていると、まわりは馬鹿な人だと思うようになる」という意味のことを習い、そのことが印象に残っていて、自分の生き方の中に影響を及ぼしているように思います。けれども不勉強であり、古文の意味がわからないと思い込む気持ちが強く、その後全くこの方面の学習を避けて通ってきたように思います。
改めて講師のお話しを聞いていて、「徒然草」には、人間の生き方について多くのことが具体的な例を挙げてわかりやすく書かれていることを知り、苦手意識を取り払って読んでみたいと思いました。といっても原本を読むのではなく、解説文入りの本で学んでみたいと思います。
それにしても、苦手なことを避けて通るというのが私の性格です。しかし、できる人をうらやましく思う時にはいいとこ取りをしていることも事実です。パソコンの知識をほとんど持っていないにもかかわらず、メールがしたい、インターネットがしたい、自分のホームページを立ち上げたいと思い、まわりにお膳立てをしてもらったり、わからないところは助けてもらって欲望を可能にしてきたというのもその一つです。全ての面においてうわべだけの知識や努力だけで自己実現をしようとするずるい姿勢で今まで生きてきたのではないかと気づかされ、改めて反省させられました。
2月18日(土)放送 「生きる喜び学ぶ楽しみ」
作家 清川 妙
90歳にして学ぶことを楽しみにしておられるということに先ず驚きました。自分が知識として持っているものを人に分け与えるというのではなく、自分が学び、そこから新たに発見した喜びを伝えようとされる講義は、受講生にとってはとても新鮮に受け取られるだろうと思いました。
字を一字一字丁寧に書くことによって、先生の心が伝わるであろう通信講座は、やはり受講生にとって嬉しいことだと思います。私は野暮用に生われ短期間に返事を作成しているので、とうてい肉筆で書いておれば間に合わないだろうと思っていました。日頃から丁寧な字を書き続けておれば可能なのかもしれないと思ったりしますが、やはり普段から書くという機会がなく、また習慣もないのでやはりパソコンに頼る以外無理かとも思います。
先生は受験生になることを頭の体操と話されました。江戸検定を受検されることによって新たな知識への挑戦をされるということですが、私など今ある知識がどんどん消えていくのをどうしようもないと感じています。きっと頭の中をほったらかしにしているために手が付けられない状態になっているのだと思います。これは身の回りに物があふれ、手が付けられない私の生活と同じなのかもしれません。今、月1回の歴史教室を受講していますが、その時は面白いと聴いていてもそれっきりで終わります。そのことをきっかけに、自ら学び深めることがもっと学ぶ喜びにつながるのかもしれませんね。ただそれだけの意欲が自分にあるかと自問すると、ノートしか答えられない自分がはっきりしてきます。ボケかけたこの頭はいっそう急速に進むことでしょう。
2月11日(土)放送 「おしゃれに生きよう」
脚本家 内舘牧子
私はおしゃれなど縁遠いものと考えていました。だから、若い頃から職場の自分の仕事に合った服装で過ごせればよいと思ってきました。ところが、退職した60歳代に入って、妻が今までに着たことがない赤系統や茶系統の服を私に着せようとするようになりました。はじめはとても抵抗があり、どうかするとタンスの肥やしになっていたのですが、妻と出かけるときには仕方なしに着ていました。しかし、慣れてくると、案外自分の新しい感覚にマッチしてくるようになり、今では自分で赤いジャンバーを着て出掛けたり、普段着として赤茶色のセーターを着ています。定年頃までかたくなに守ってきた職場人間らしさの価値観が薄れ、地域の人々の中に解け合って、少しはお役に立ち、楽しみ合って生きようとするには、こだわりを持っていてはいけないと思うようになったからでしょうか。服装のおしゃれ、外観のおしゃれが楽しめるようになると、自然に中身も変わっていくのかもしれないなと思いました。
2月4日(土)放送 「『聴く』ことの力」
大谷大学教授 鷲田清一
私は人に話を聞いてもらいたいと熱望したことはありません。普段からこれが当たり前の生活であると思い、特別苦しいと思い悩むことがないからだろうと思います。一方、人が私に語りかけてきても、これは自分の悪い癖だといつも思うのですが、直ぐに相手の話を分析し、批評してしまうのです。これは批評会という場で何か指導的な言葉を言わなければならない時期が若いときに10年あまり続いたことから身に付いてしまったことだと思います。だから相手が語り尽くす前に私が自分の考えを話してしまうために、かつて人からも思い悩むことや心の内を打ち明けられることもありません。結局お互いに自慢話的な経験談をするか、人の自慢話の聞き役になっているのが現状です。
そのことから、たくさんの大切な仲間がいても、真の友情を感じる友はいません。私のことを心から心配してくれる人はいないし、私もこの人はなんとしてもと心を動かされる人もいません。だから、今日のお話しを聞いていて、「ほうっ!」と関心を持ちながら相手がどの様なことでも語り尽くすまで聴いてみるという態度を心がけてみたいと思います。
1月28日(土)放送 「ボケる人ボケない人の生活習慣 −老化を遅くする−」
浴風会病院名誉院長 大友英一
できるかぎり認知症になりたくないと思うのは万民の願いだろうと思います。その意味で今日のお話しはとても大切だと思いました。けれども、自分を振り返ってみると大きなミスをしていることがわかりました。
先ず高血圧とコレステロールに関して、検診を受けて早期発見早期治療が大切だと話されました。血圧は低い目なので心配ありませんが。高コレステロールについては3年前から指摘されており、医療を受けるように言われ、食生活に関する相談も受けるように言われています。それを今日まで延ばしていることは、認知症になることを早める行為であったと思いました。
二つ目の手紙(ハガキ)を書く習慣ですが、電話の苦手な私はいつもハガキでことを済まそうとします。ところが、本文も宛名書きも全てパソコンに頼り、文章も簡単にするために、ハガキの半分は写真を取り込みます。これでは文章を推敲することはあっても漢字も調べることがなかなかできません。だからたまに漢字を書こうとすると正確に書けないことがあります。
もうひとつ、バランスの良い食事を作ってもらい、魚もよく食べますが、どうしても食べ過ぎる傾向にあります。そのために少し油断すると、体重が直ぐに1sくらい増えることがあります。おしゃれ心は全くなく、普段着のままどこへでも行くので、良く妻に注意されます。寒い、暑いと言っては家にいて、歩くことをさぼります。
この様な生活が続けているので、最近ますます物忘れがひどくなっています。目的を持って他の部屋へ行っても、その部屋に行くと何をしに来たのか忘れていて、振り出しに戻ることがよくあります。二つのことを一度にしようと思っても、ひとつのことを忘れています。他のことを考えていると、トイレの電気を消し忘れて注意されることもよくあります。これ以上ボケないために、2月に受ける検診から医師の忠告をしっかり受けとめようと思います。そして、高齢者の特典を利用してついバスに乗ろうとしますが、以前歩き遍路をしていたときのように、一駅手前で降りて歩くことなどの習慣を復活させたいと思います。
1月21日(土)放送 「清く美しい流れ」
老荘思想研究家 田口佳史
日本が森林山岳国であり、そこから生まれる清流が思想の源になっているという指摘に初めて気づかされました。私たちが景色であれ、人格であれ全て何より清く美しく明るく、そして優しさに憧れるのもここから来ているのだということだったのですね。一方、大陸には砂漠が国家の大半を占めていたり、林があっても森がなかったり、樹木が少なく厳しい岩山や草原であったりし、そして大陸が故に澱んだ大河であったりと、日本が外国と自然環境が大きく異なっていることがわかります。しかも、自然に感謝と畏敬の念をもち、それにふさわしい生き方をすることを素直に受け入れようとしています。
キリスト教など一神教の世界では、自分の生き方を神に誓います。それは自然ではなく、大きな力に支配されていると考えているように思います。しかし、日本の神は仏教にも通じるように全てに命が宿り、そのお陰で生かされていると考えます。そこには全てに感謝の念が生まれます。そのことが美しく優しい人類を創り出したのでしょう。
日本の中でもより素朴な生活をしている郡部の人々の心優しさこそが、これからの私たちの生き方を示唆しているのではないかと思います。伝統文化を大切に受け継ぐ中で自然を大切にし、畏敬の念を重んじる心を育て、美しさを求める心を養い、協力し合う思いやりや優しさを身につけているのではないかと思います。そのことは四国歩き遍路をしていて、特に瀬戸内に面したところ以外で強く感じたことです。
最近の裁判を見ていると、自分の身内が亡くなったことのやりきれない気持に対して、特定の誰かを有罪にすることによって気持ちを晴らそうとしているように思えてなりません。そこには自分の気持ちが優先し、相手の気持ちに思いやる心が見えない寂しさを感じているのは私だけでしょうか。これも損害は裁判で決着しようとするアメリカナイズされた心から派生したことかもしれません。もう一度清く美しい流れの中の日本人の生き方に照らし合わせて、素直に自分の生き方を見つめ直してみたいと思います。
1月14日(土)放送 学生参加番組「親しい人への手紙U」
@「教え子は教師の宝」 太子町 若藤成生
私も小中学校時代の3人の恩師との年賀状のやりとりをしました。小学校の同窓会は50歳を過ぎた頃から毎年開かれ、先生は必ず出席されてたようです。私は結婚して明石で住まいするようになり、姓も変わったので、同窓会の名簿上では行方不明扱いになってしまいました。しかし、恩師への賀状をきっかけで30年ぶりの同窓会の案内が届きました。
大学4年生の時、卒業論文の資料を得るため、小中学校時代の母校を訪れたことがあります。その時にはそれぞれの先生が温かく迎えてくださり、快く協力してくださいました。先生方はいずれも亡くなるまで賀状を下さいました。いつも気にかけてくださっていたことを若藤さんのお話で思い出しました。
A「優しいまさえさんへ」 丹波市 中西節子
広島という地理不案内のところで、優しくホテルまで案内してもらった見知らぬ方に、即お礼状を出されたというお話し、さすがに放送大学の学生さんだなと思いました。重度障害者の息子さんに心から尽くしてこられたお母さんだからこそ、相手の身に合わせた案内をされたのだと思います。優しい心の持ち主同士のその後の文通はきっとお互いを思いやりながら長く続くだろうと思いますし、本当の絆とはこの様に優しさに応えあうことで生まれるのでしょうね。
B「生涯の伴侶であるあなたへ」 神戸市須磨区 笹村 勲
現役時代に仕事人間であった男ほど、退職後は妻のありがたさが身にしみます。私も全くその通りですから。だから、妻の活動する姿を温かく見守り、自分も妻の重荷にならないよう生きがいを見つけてそれなりの活動をすることになるのです。そして時々一緒に旅行するなど愉しむ機会を持つことによって、お互いの健康と幸せを確認しあうという笹村様の生き方は退職後の一つのモデルだと思います。
C「お浄土のふーちゃんへ」 たつの市 西本喜久子
ポストカプセルなどという言葉を初めて聞きました。ふーちゃんはまるで自分が先に逝くことを予感していたのでしょうか。それにしても亡くなった我が子からの手紙を10年後に読めたということは幸せだと思います。当時の娘の気持ちを素直に受け入れ、恩師にも知らせて読んで頂くなど、西本さんの母親としての優しさ、温かさを感じました。
D「なつかしき人」 豊岡市 福本五郎
放送大学に入学して初めての中央スクーリングへ泊まりがけで参加されたという勇気が素晴らしいと思いました。それでも不安だった気持ちを救ってくれた大歳さんとの文通を続け、長く交流されたというのは、放送大学ならではのことだと思います。お互いを常に気遣い、大切にしようとする放送大学の学友の絆づくりの伝統をこれからも大切にしたいですね。
E「お久しぶりです」 三田市 塩谷和子
10年前になくなった主人に、大好きだった孫たちの成長ぶりを伝え、主人への今なお続いている愛情を感じさせられる手紙でした。私が死んだ後、妻がこの様な気持ちでいるだろうかと考えると、やはり塩谷さんは優しく、素晴らしい人格の持ち主だと思いました。
1月7日(土)放送 「知事新年挨拶」
兵庫県知事 井戸敏三
冒頭に「今年一年目標を持って元気にすごすように」といわれました。はたして私の今年の目標は何だろうかと考えました。正月早々、「断捨離」;やましたひでこのメールマガジンに書かれていた次の言葉が心に残っています。
「あなたの心の中の最良のものを」
人は不合理、非理論、利己的です。
気にすることなく、人を愛しなさい。
あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。
気にすることなく、善を行いなさい。
目的を達しようとする時、邪魔立てする人に出会うでしょう。
気にすることなく、やりとげなさい。
善い行いをしても、おそらく次の日には忘れ去られるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。
あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。
気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。
あなたの作り上げたものが、壊されるでしょう。
気にすることなく、作り続けなさい。
助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。
あなたの中の最良のものを、世に与え続けなさい。
蹴り落とされるかもしれません。
それでも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。
自分がよいと考えたことをまわりの思惑や陰口などを気にせず、誠意をもって実行できればとその時思いました。このことを具現化するのが今年の目標かもしれません。しかし、レベルの低いところで考えたことは、最良と言えるかどうか自信がないのですが……
学生参加番組「親しい人への手紙T」
@「3人の孫たちへ」 加古川市 原つやの
3人の孫たちもそれぞれに自分の道を踏み出しており、おばあちゃんとしては見守る以外に世話をすることがなくなりました。そのような中でも、孫とのこれまでの歩みを思い出しながら、愛情を注ぎ続ける優しい気持ちが素晴らしいなと思いました。これこそ肉親の無償の愛なのでしょうね。
A「君へ」 三木市 小堀高男
いなみ野学園での本人をよく知っているので、親しく聞くことができました。当時は公民館活動で活躍し、その後市会議員を務めておられたので、家庭サービスはおろそかになりがちだったのでしょう。高校時代から夢を語り合い、実現されたからこそ、奥様の理解も深かったのだと思います。別居して7年といわれたときには一瞬驚きましたが、亡くなられてもなお深い愛情で結ばれておられるお二人は本当にお幸せだなと思いました。
B「善ちゃんへ」 神戸市兵庫区 桑田和栄
初恋の人との53年ぶりの再会を、これほど素直な気持ちで表現されたのは、少々驚きました。本人もおっしゃっていたように映画の一場面を想像しながら聞いているように思いました。初恋の思いを小箱に詰めて鍵をかけておいたのに、彼が鍵を開けてしまったという表現、次に出会えたらゆっくりコーヒーを飲みましょうという大人の出会い、素晴らしい日が訪れることを祈っています。
C「亡き父へ改めて感謝」 西宮市 オサカダカエコ
パーキンソン病に罹患し、衰えゆく我が身である今、その病を嘆くのではなく、人生を謳歌できたことへの感謝の気持ちを前面に話しておられることに感動しました。そして、自分の夢を次々実現できたのも、お父様をはじめ家族の協力があったからこそという感謝の気持ちがよく伝わってきました。中でもお父様の励ましによって一歩前へ踏み出せたことが、人生においてどれほど積極的に生きることができたかという思いは感謝以外にはなく、また親としても、子どもの夢の実現に向けて背中を押してやることの大切さを感じさせられました。
12月31日(土)放送 「新年を迎えるにあたって −生活の中の星と暦−」
兵庫県立大学自然・環境科学研究所次長・教授 黒田武彦
現在何気なく使っているカレンダーの成り立ちや意味など、考えることもありませんでした。そして今の太陽暦を使ったカレンダーは世界共通だと思っていましたが、名称のもとになっている考え方などが国や民族によって異なっているということも考えませんでした。
来年の天体に関する出来事については、5月21日に金環日食が見られるということは新聞報道などで知っていましたが、詳しい時間などは知りませんでした。カレンダーに書きとめておくなど、良いアイディアだと思いました。さらに6月6日には太陽を金星が通過するということなど、今までに聞いたこともない情報です。そして100年以上の間隔で見られる現象だといわれると、やはり見てみたいと思いました。今年は日食メガネが2度も使えるとなると、やはり準備する価値がありそうです。
いつも流星群が見えるのは寒い冬の季節が多かったように思います。だから短時間ちらっと見るだけでした。夏に涼みながら見ることができるなら、蚊取り線香を用意してゆっくり眺めてみたいと思います。
最後に宇宙の膨張が物質や生命の成り立ちだといわれてもなかなかピンと来ませんでした。ただその時の星の重量によって現在の状態が異なるということ、地球の内部にマグマがあるということの理解にはつながりました。
高校時代に地学を選択し、いろいろ学びましたが、ラジオの気象情報を聞きながら天気図を作るなど、まだまだ学問の進んでいない中での学習でした。特に天文関係については詳しく習わなかったように思います。来年は少し天体にも関心を持ちたいと思います。
12月24日(土)放送 「血圧について」
兵庫県リハビリテーションセンター中央病院 元副院長 鳴瀧恭也
私はこれまでの測定で高血圧の指摘を受けたことはありません。むしろ「これほど低い血圧で立ちくらみをしませんか?」と尋ねられたことがあります。現役時代で、収縮血圧が87だったのです。その後も、献血の際に100未満ということで対象から外された経験もあります。中学生時代はよく立ちくらみをしていました。戦中戦後の食べ盛りの時期に食糧事情の悪さにもかかわらず、よく走り回っていたからでしょうか。
最近診察時の血圧は120を超えることはありますが、病院によっては診察前に設置されている血圧計で測るようにいわれたときは120を超えることはありませんが、日によっては100を少し上回っている値ということもあります。下の値はいつも70前後で、80を超えたことはありません。だから医師からは「いい血圧ですね」とよく言われます。
家では、ほとんど妻の手料理で、外食や売っている総菜を食べることはめったにありません。同じものを食べていて、妻は血圧が高く、降圧剤を20年ほど服用しています。原因は50歳までの運動量の違いだろうと思います。私の仕事が一日30分以上駆け足をし、その後もほとんど座ることなく立ち働いていたので、体重が53sを超えることはめったにありませんでした。夏などは50sを割ることさえありました。身長が20センチも違うのに、体重が同じという時期があったのですから、血圧が生活習慣病に関わるということがよく理解できます。
窓際族の時期に65sほどの体重になったことはありますが、退職後は60sを上回ることは少なくなり、現在は58s前後です。老人クラブに所属しているお陰で高齢者向きの適度の運動の機会がありますが、運動をしない日は一日3000歩未満という日もあります。もう少し意識してウォーキングしなければ、健康寿命を損なう結果になるかもしれません。
12月17日(土)放送 「学生参加番組 中央・地方スクーリングより」
@三木市 時森美津子 「私は私」
退職後、本格的に始めたパソコンが縁で、放送大学に入学されたとのことですが、何事にも積極的に取り組み、多くの人々との交流がどんどん新しい世界へと導いてくれます。私も種々の講座を受け、地域の集まりに参加するようになって、退職時には思いもしなかった現在の楽しく、生きがいのある生活を得ることができたと思っています。
A加古川市 足立一弥 「ニュージーランドからの客を迎えて」
日本の生活を体験するというホームステーは盛んに行われています。自分や家族がそのような経験をしておれば、どのように対応すればよいか見当がつきます。しかし、まったく経験のない私たちにとっては受け入れにとても勇気が要ります。
私も外国暮らしの長かった弟から突然、中国から留学に来ている学生を3日間ホームステイさせてほしいと依頼されました。まさに最初で最後と思い、受け入れました。日本語は片言、それでも漢字の単語の筆談がお互いの理解を助けるという新しい発見もありました。足立さん同様、妻のお茶のお手前に始まり、私も世界一の明石海峡大橋から阪神淡路大震災の震源地などを案内したり、当時勤務していたいなみの学園や姫路城を見学させたりしました。最後は大阪の電電タウンへ寄って、大阪駅まで送り届けました。大阪駅には彼の仲間が集まっていて、ホームステイ中の緊張した表情から一気に開放された姿が印象的でした。彼は私のパソコンを使っていろいろな情報を集めたり、自分に届いたメールを確認していましたが、帰国した後、ホームページを開けたとたん、全面中国語の表示に、パソコンが壊れたのかとびっくりしたことが今も忘れられません。その後、高校の女子生徒の留学生を1年間ステイさせてほしいといってきましたが、今の忙しい生活と家を留守にしがちな二人にとっては荷が重過ぎると断りました。このような機会は二度とないだろうと思います。
B洲本市 岩田紀子「本科生を終了して」
ご縁の大切さを述べられましたが、本当に人から声をかけられたとき、自分にとって少しでもいいことであれば勇気を出して受け入れるということはとても大切だと思います。一度断ると、二度と声がかからないというくらいの覚悟を持っておかなければならないと思います。
それにしても、最初の往復課題の返信がこれほど本科生の気持ちを奮い立たせるものとは思いませんでした。ますます気持ちの引き締まる思いです。
C尼崎市 中川雄三「学びと生きがい」
退職後、市の広報を見て講座を受講されたとお話されました。ともすれば退職したとき、男性は仕事から解放され、充電期間とばかりに、朝からゆっくり新聞を読み、テレビを眺めながら家でごろごろしてしまう傾向があります。そのようなときに目に飛び込むのが市の広報に記載されている募集欄の記事です。私も何度か広報に載っている記事を見て出かけました。中川さんはそこから新しい生きがいある人生が始まったのですね。私のように楽しければよいというのではなく、常に自分を向上させようとしておられる生き方には本当に頭が下がります。
12月10日(土)放送 「動物の食からみる現在の食生活へのヒント」
日本動物愛護協会理事長 中川志郎
私たちは動物園でごく当たり前のように動物を見て愉しんでいますが、その裏側ではいろいろな苦労があるということなのですね。昭和50年代に王子動物園を遠足で訪れたとき、生徒がゴリラの檻の前で騒いでいたら、突然糞を投げつけられました。その時はいたずらをするゴリラだと思っていましたが、実は食生活からのストレスだったのかもしれません。
以前離乳したばかりの子犬をもらってきたとき、いわゆる人間が食べているのと同じ食べ物を与えて育てていました。ところがペットフードが売り出されたので、それを与えてみましたが、さっぱり食べませんでした。その犬にとっては栄養価値よりも人間と同じものが食べたかったのでしょうね。
自然の動物は自然界で生き抜くために、何十qも移動するなど大変な苦労をしているというテレビ番組をよく見ます。渡り鳥にいたっては何千qも移動します。毎年繰り返しているということは、そうすることによって確実に餌にありつき、子孫を繁殖させるDNAがインプットされているのでしょう。ところが人間がその場を開発によって破壊したり、温暖化で環境破壊してしまうことによって絶滅の危機にさらされているのですね。絶滅危惧種といわれている生き物を動物園で保護しようとしても、今回の食生活一つ取り上げても、それぞれの持つDNAに適合した自然に近づけることは非常に困難だということも解りました。
ところで、人間は人工的な食品(大豆から肉のような食べ物を作る)や加工食品をつくり、手に入りやすくしたり常時満足して食べたりできるよう、添加物で着色したり腐らないように工夫しています。また、栽培によって得られる自然食品といわれているものも品種改良や農薬によって自然味が失われている食べ物さえあります。人間の食に関するDNAは金銭感覚や軽便さを選ぶ方向に向かっているようで、本来の味覚などを失っているのかもしれません。コウノトリの郷の実践のように、もう一度人間と自然動物の共生を見直し、自然環境を大切に守ることが、我々人類にとっても大切だということを自覚すべきなのでしょうね。
12月1日(土)放送 「どうぶつの不思議発見」
日本動物愛護協会理事長 中川志郎
先ず、テキストの書かれていたように、学校を卒業後正規の就職ができず、自分の情熱だけで臨時雇用の生活をしたことが貴重な経験に結びついたという話に、私たち現代人が学ばねばならないことがあると思いました。大学や高校卒業時の就職率が話題になり、就職できない人たちはあたかも不幸に思っているような話を聞きますが、この時期にたとえ自分の希望に添わなくても、何かの経験をすることが大切であることを教えていると思います。
次に、オランウータンやコヨーテのお産に関して、生態を知らなければついつい自分達人間の基準で物事を判断しようとします。そうした基準が間違っていたり、当てはまらないことがあるということを学ばせられました。このことは、普段の生活においてももっと当事者の立場や気持ちを理解し、大切にしなければならないということを教えられました。
コヨーテの生理的な絆から生まれる連帯感の話を聞き、子どもが小さいときから家族みんなで一緒に子育てをすること、あるいは一緒の釜の飯を食うという意味の大切さが解りました。最近母子家庭に入り込んだ男性が血縁関係にない子どもを虐待する事件がよく報道されています。そうした男を呼び込む母親にも問題があると思いますが、それ以上に生理的な絆無しに男女関係だけを求める結果ではないかと思いました。また、虐待する母親がかわいがって大切に育てようとする気持ちが持てないのも、出産時に病院に任せきったり、母乳を飲ませなかったりと、生理的絆に欠けるところがあったことに原因があるのではないかという疑問点を持ちました。この点については児童相談所などが虐待する両親や男の生育歴を研究してみるのも貴重なことではないかと思いました。
私たちは今のぎすぎすした人間社会にとって、自然界にいる動物にもっと学べることがあるのではないかと思いながら今日の講座を聴かせて頂きました。
11月26日(土)放送 「脳に効く睡眠学」
滋賀医科大学教授 宮崎総一郎
現役時代は夜12時半に床につき、朝6時半に起き、7時半に出勤というにが大体の日課でした。睡眠時間は6時間でした。しかし、「ひょうご健康21」に日付が変わるまでに寝ると書かれていたことから、今は12時を一つの目安にし、11時には風呂に入り、体をさましながらテレビのニュースを見るか、パソコンでインターネットの情報を見て
います。この様な習慣は、今日の話からメロトニンの分泌を妨げていたのだということがわかりました。今も6時半には目が覚めるので、6時間半の睡眠時間でした。床につく時間を11時半にしたいと思います。そして夜9時から始まるテレビドラマなどの番組は見ないようにしたいと思います。
昼間にとても眠くなる時間があります。特に午後に眠くなることが多く、こんな時間帯に講義など聴いていると、子守唄を聞いているように眠ってしまいます。早めに会場へ行き、講義の前に30分ほど目をつむっていることにします。夏などはつい昼寝をします。そんなときは2時間ほど眠ってしまいます。今後この様なことは慎みたいと思います。
「よいねむりに」の合い言葉 よ;夜は眠くなって床につく(そのために9時を過ぎたら照明を半分にし、テレビでなくラジオにする) い;居眠りは15時までに30分 ね;眠れないといって酒を飲むのは逆効果(3時間経ったら興奮作用で目が覚める) む;むずむず足で眠れないときは要治療 り;リラックス(夜九時を過ぎたら部屋を暗くしてテレビを見るな) に;日光を浴びてしっかり朝ご飯(タンパク質を摂ること。朝の光を浴びてヘラトニンを分泌させる)
どれほど実行できるかわかりませんが、ボケ防止のためにも努力したいと思います。
11月19日(土)放送 「くじけないで」
詩人 柴田トヨ
100歳の詩人と聞き、てっきり老人ホームにおられる人を想像していましたが、テキストを読み、また放送を聞いてやはり一人暮らしだったのだと、先ず驚きました。一人暮らしを苦にしない、嘆かない生き方が今回の詩の端々に見られ、フアンの心を掴んでいるように思いました。
何を考えているか尋ねられ、世直しについて考えていたけれどただ笑っただけというあたりは、人生を超越した人にしかできないだろうと思いました。というのは、男性カラオケのメンバー(89歳〜70歳)が集まると、政治評論が先ず話題に上り、自分が何もできないのに、政治のあり方、政治家の批判をみんな得意になって話し合っているからです。柴田さんにいわせると「みんなまだ若い若い」といわれることでしょう。
風邪が戸を叩くので窓を開けてやると日差しといっしょに入ってきて三人でおしゃべりをしたという詩は、一人暮らしでなければうたえない詩で、ほのぼのした温かさを感じとても気に入りました。
それにしても90歳から作詩を初めて、人の心をこれだけつかめるのですから、「人生いつだってこれから」という言葉に説得力があります。
11月12日(土)放送 「自分のためのボランティア」
月刊生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎
「日本人が自由を得たことが、孤独につながった」という考えは初めて聞き、心につきささる言葉でした。確かに、付き合いたくない人や自分の都合の悪い時間の場合は断ったり、無視する生活をしてきたと思います。そして楽しいと思うことにだけ顔を出していたように思います。その結果、引き続き付き合いたいと思う場合でも、自分の体調が芳しくなくなると、思うようにならなくなり、孤独に陥ってしまいます。
若い人たちは生まれながらに人との縁を選択する生活をしています。そして、まわりが煩わしいと考えた人々は身近な人々とは疎遠になり、出会い系サイトの煩わしさのない人とつながろうとします。しかし、相手に煩わされないかわりに落とし穴もあり、言葉巧みな悪の手に落ちている人々が次々報道されています。
私は今老人クラブのつながりがとても大切だと思っています。幸い、私の地域にも老人クラブが存在し、グラウンドゴルフやカラオケ、輪投げなど、同好者が集まって楽しく活動しています。また月1回例会を持っておしゃべりをします。しかし、いま少しお互いの情報が入ってきません。体調が悪くなると疎遠になってしまいます。これでは本来の地域老人クラブの役割を果たしていないように思います。困ったとき、苦しいとき、淋しいときにお互いに手をさしのべあえる活動にしてこそ本当の老人クラブだと思います。
体調を損なうと疎遠になるのは、家から出られなくなることが大きな原因だと思います。さらに、他者に迷惑をかけたくないという意識が強いからだと思います。困ったとき、つらいときにはお互い様という考えをせめて地域老人クラブの中では存在させるべきだと思います。そのために若者が使っているメールの活用を高齢者に普及させ、出会い系サイトのような不特定多数が参加するのではなく、老人クラブ内のネットワークをきちんと作り上げることが孤独の解消につながるのではないかと思います。
高齢者は今回の東日本大震災に対しても、人のために尽くす気持ちはあっても精々募金をするくらいで、ボランティアに出掛けていくわけにはいきません。そのような人に尽くす気持ちを地域で生かすことこそ大切だと思います。お互い様の気持ちを発揮して活動すれば必ず自分のところに帰ってくるのですから。健康な高齢者にとって魅力ある楽しい老人クラブにすると共に、お互い様のネットワークづくりにも力を入れ、「生きがいと共に『居がい』のある老人クラブ」に育てていきたいと思います。
11月5日(土)放送 「安楽余生やめますか、それとも人間やめますか」
月刊生涯学習通信「風の便り」編集長 三浦清一郎
退職後の生き方については本当に心しなければならないと思います。私の場合は退職後、たまたま高齢者大学、それも高齢者の生き方について具体的に考える部署に勤務させて頂いたお陰で、今手帳が真っ黒になるほどの活動の日々を送らせてもらっています。
また、私のわがままを家族(妻)が理解してくれたお陰で、第二の職場を退職して以降、5年間にわたって歩き遍路を続けることができたことによって、身体機能の衰えが予防できたと思っています。
今は地域の人々に受け入れられ、老人クラブの役員としていろいろな活動の企画や運営のお手伝いができること、退職後に立ち上げたグループ活動のお世話をさせて頂くこと、そして、川柳や第九合唱団などの趣味の活動が続けられるなど、そして息子に助けられながら、この様にパソコンが使えることなど、いろいろな活動ができることを有り難く思っております。
この様にいろいろな人々との活動を可能にするのは、退職後に過去の実績などプライドを一切捨てて、謙虚に生きることだと思います。まわりの人々から謙虚に学ぶ姿勢と、損得勘定にとらわれず人のためになることを喜び、自分をより向上させる心と感謝の心を大切にすれば、自ずと活動する機会に恵まれ、廃用症候群の予防になるだろうと思います。
10月29日(土)放送 「私の女優人生」
女優 市原悦子
女優の印象というのは役柄に影響されます。市原悦子と聞けば以前は日本昔話の絶妙な語り口のおばさんという印象から、家政婦のちょっと性格の悪い女性が似合う女優という印象に変わっていました。いずれにしても、どの様な役柄になってもいつも独特の語り口で、存在感を示している様に思います。だから、今日の講座の話もいかにも市原悦子だという感じで聞きました。
その市原悦子の人生の中で、疎開をしたときの経験が今の生き方に大きな影響を与えていると初めに話されましたが、戦争の悲惨さを描いた童話を朗読活動の中に取り入れておられるということばがよく理解できました。私も同じ経験があるからです。疎開先では農家の方からイモのつるを分けてもらって、それで命をつないだりしたことがあるからです。だから、いまだに戦争のない社会を心から望んでいます。「日本は武力を持たないから世界の国々、特に中国や北朝鮮にバカにされている。憲法を改正して軍隊を増強するべきだ。原子兵器も検討する必要がある」などと言われると、なぜ平和を捨てるのかと我慢ならない気持ちになります。平和ボケとよくいわれますが、平和で幸せな生活を当たり前と思って、つまらぬことにこだわっている今の多くの日本人に対する批判はよくわかります。しかし、感謝の心などモラルを向上することで、平和のありがたさをもっとアピールすれば解決することで、平和を捨てるということとは次元が違うと思っています。戦争の悲惨さを訴える市原悦子に大いにがんばって欲しいと思います。
10月22日(土)放送 「腸内リセット健康法」
松生クリニック院長 松生恒夫
私自身、子どもの頃から腸が丈夫ではなく、直ぐに下痢をしていました。下痢が治ると今度は便秘になります。その繰り返しである上に、プーさんといわれる様に、よくおならも出ました。ガス腹に陥るのです。この様な状況はつい最近まで続いていました。
考えてみると、給食の粉乳に始まって乳製品は欠かすことがなく、ほぼ毎日400mlの牛乳を飲んでいましたし、ヨーグルトもお腹によいと勧められて毎日摂っています。野菜、果物は季節によりますが、ある程度気をつけて摂っています。肉類は妻の嗜好であまり食卓には載りませんが、和食中心で魚は結構食べています。
一年に何度も下痢をするのですが、その度に体重が1s以上減り、体力がなくなります。そして便秘をすると体重が増えてきますがスッキリした気分ではありません。これを繰り返しているために、体重は少しずつ減っています。それに伴って持久力は下がった様に思います。歳のせいにしていますが、それだけではないようです。
8月の末にひどい下痢をし、陀羅尼助丸を食前に2週間ほど飲み続けました。そのお陰で腸の調子はよくなり、ガスもだんだん減っています。ただ運動不足は否めず、たまに運動すると、その度に排便したくなります。それでも下痢に悩まされることがないので、この様な好調な腸を保つために、薬に頼らず、今日聞いたウォークやオリーブオイルの摂取と、乳製品やマーガリン等を控えるなどの食生活を心がけてみたいと思います。
10月15日(土)放送 「老年期をどう過ごすか −上手な老い方を考える−」
民間カルチャー事業協議会顧問 山本思外里
老年期の上手な過ごし方について4つのポイントを上げて思い切って生活習慣の改善をするようすすめられました。自分の日常生活を振り返ってみると
@ 「定期的な運動」については、週2回のグラウンドゴルフ以外はこれといった運動をしていません。ただ出掛けるときに、近くでは徒歩を心がけ、駅などではできるかぎり階段を使うようにしています。しかし、現役時代のように定期的に出掛けるわけではなく、機会があると1万歩以上歩くという状況です。したがって、充分な運動はできていません。歩くことは好きなので、日々ウォークをする習慣を身に付けたいと思います。
A 「よい食事」については、妻に任せきっていますが、果物はよく摂っています。しかし、分量が若い頃とあまり変わらず、いつも腹一杯食べているように思います。胃腸が弱いので、食べ過ぎると直ぐに下痢をしてしまいます。するとてきめんに体重が落ちるので、やせ気味の体重が保たれています。最近、しばらくの期間「陀羅尼助丸」を食前に服用したところ、胃腸が整い、排便も順調になり、運動不足の割には一定の体重が維持されています。
B 「禁煙、節酒」については、タバコは一切吸わないし、身近にも喫煙者がいないので伏流煙もありません。アルコールは全く嫌いではありません。飲む機会があるとついビール大瓶1本ぐらい飲んでしまいます。家ではたまに缶ビール350mlを飲む以外、夕食時に食前酒としてワインや梅酒を小さなワイングラスに1杯もむ程度です。11月は同窓会など飲む機会が目白押しなので、気をつけたいと思います。
C 「社会参加」については、手帳が真っ黒になるほど予定がつまっており、中には世話係を務めている場合もあります。日々元気に活動できることを有り難いと思っています。
ということで、問題は運動不足と食事の量だと思います。定期検診でもコレステロール値が高いといわれます。定期的なウォークと食事量の節制によって生活習慣をある程度改善し、今日のお話しを生かしたいと思います。
10月8日(土)放送 「老いを愉しむ」
聖路加国際病院精神腫瘍科医長 保坂 隆
私も50歳のなった時から定年退職するまでの10年間管理職という立場にいたことを改めて思い出しました。そして、特に後半は自分の意に添わないことも多く、会議中に口の中がからからになるようなストレスを経験しました。腹が立つほどに顔は笑顔で過ごしたことも思い出します。退職する直前に、退職後の希望を聞かれたことがあります。他の世界を知らない私は、現役時代の仕事に関わる仕事を続けたいといいました。
しかし、退職の翌日から勤務したのは、これまでと違って、初めて経験する世界でした。管理職ではないという気楽さと、新しい人生への展望が見える仕事に感動の連続でした。適度の運動も含まれ、毎年受ける健康診断も管理職時代と違って全て「A」という結果に驚きもしました。結果的には、定年退職後、これまでと全く違った仕事を与えてもらったことが私の老いを愉しむ人生に変えてくれたと感謝しています。
65歳以降の楽しみを見つけることの大切さを話されましたが、66歳で第二の職場を退職した後、老人クラブに加入し、いろいろな趣味の機会も得て、今充実した人生を愉しんでいます。そして義理で出掛けるようなお付き合いやストレスを感じるような集まりは少しずつ削っています。特に管理職であったことの誇りをいまだに生きがいに考えている人々の集まりがありますが、こんなところへは二度と顔を出したくないというのが今の正直な気持ちです。それでも何年かに一度幹事が回ってくるような会には主催者の気持ちを考えて顔を出している自分がまだあります。幹事の時にそのような会から脱退しますという通知をもらうと、うらやましく思う一方、その理由が病気など身体に関わることであれば気の毒に思ってしまいます。やはり生きている間は健康でいたいと思うし、自分が健康を害して楽しみにしている集まりに参加できなくなったり、自分の死について思いを巡らすこともありません。今の充実した生活がこの先も続くのだと思っているのが私の正直な人生観のようです。
10月1日(土)放送 「関西の文化と言葉」
園田学園女子大学教授 黒崎良昭
私たちが子どもの頃に身につけた言葉が、まわりの人とお互いに通じあうので、それが当たり前と考えています。特に私のように神戸や東播磨に暮らし、そして精々姫路あたりまでしか生活圏を持たない人間にとっては、今使っている言葉以外は使いようがありません。テレビの普及のお陰で、共通語は聞き慣れ、いろいろな地方の言葉も理解できるようになってきましたが、それでも旅行していて、地元の高齢者の強い訛りと方言を聞いていると、何を言っているのかわかりません。
また、東日本の俳優がドラマで関西弁や京都弁を使って演技していると、アクセントの違いが目立ち、強い違和感を感じます。NHKのアナウンサーでも、ラジオの「ぼやき川柳」など「かんさい土曜ほっとタイム」を担当する佐藤アナウンサーなどは関西のアクセントそのままで話しているように思います。それでも全国から多くの川柳が投句されるのですから、この番組に関しては関西弁が認められているのでしょう。私など「雲」と「蜘蛛」、「雨」と「飴」、「柿」と「牡蛎」など、いまだにアクセントの違いに違和感を感じます。そしてニュースで話される「姫路」のアクセントを聞くとついアナウンサーに向かって言い直している自分が居たりします。
私たちは居を構えると、その地域の言葉を使わなければ、コミュニケーションがとれません。私は戦争末期に広島県へ半年間疎開しました。国民学校2年生だったので、地元の伯母一家と暮らし、地元の友達と遊ぶので、備後の方言を身につけるのにそれほど時間はかかりませんでした。ところが神戸に帰ってきたとき、「けれども」を「へじゃけど」などと備後の方言がつい口から出てしまい、大いに笑われたものです。英語の発音でも、「good-bay」が当時備後では「グッチョンビャー」という方言で当たり前に使われていました。
娘は山形大学を卒業し、今栃木県に住んでいます。学生時代は山形の友達と話すときは東日本の言葉を使い、関西の友達とは関西弁と見事に使い分けていました。そして今は、帰省したとき子どもたちなど自分の家族と話すときは東日本の言葉ですが、私たち親と話すときは関西の言葉に戻ってしまうことがあります。
普段は何気なく使っている言葉も、この様に意識して考えると面白いなと思いました。
9月24日(土)放送 「病気は自分で治す−健康で天寿をまっとうする生き方−」
新潟大学大学院医歯学総合研究科教授 安保 徹
エネルギー生成系が「解糖系」と「ミトコンドリア系」があり、人類は祖先においてこの二つが合体し、バランスを保ちながら進化したという学説は全く初めて聞くことです。考えてみれば原始的な生物は細胞分裂を繰り返しながら急速に成長を遂げていることはよく理解できます。ガン細胞がこの解糖系だということも理解できますし、その細胞分裂を遅らせることは急速な活動を慎み、ミトコンドリア系で生きることが大切だということも納得できます。若い時期にガンに罹ると病状が速く進行するといわれるのもこの様な原因であるのも理解できます。
私の万歩計はともすれば1日3000歩に満たない日があり、意識して歩かねば6000歩を越える日は1週間に2日程度のように思います。もう少し有酸素運動になる活動を意識し、せかせか動き回るのではなく、笑いヨガなども取り入れて、深呼吸や横隔膜が働く呼吸法も意識して日々を送りたいと思いました。
9月17日(土)放送 「兵庫偉人伝〜黒田官兵衛」
講談師 旭堂南海
いつもながら旭堂南海の話にはついつい引き込まれ、講座を聴いているということを忘れてしまいます。今回は普段知っている黒田官兵衛とは全く違う、しかしさすがは軍師と思わせる話を面白く聴かせてもらいました。豊臣秀吉が後に残る秀頼を守るために家康をはじめ家臣にいろいろ頼みましたが、黒田官兵衛ほどの才能があればどの様な方法をとったのだろうと思ったりしました。
秀吉が自分の後天下を取るのは黒田官兵衛だと言ったということも知りませんでしたし、それを聞いた官兵衛が頭を剃って引退したことも初めて聞きました。しかし、それも軍師としての策だと知ると、さすがだと感心します。彼が今の時代に生きていれば、この政局をどの様に乗り越えるだろうと想像したくなります。そして、今の政治家も下克上あり裏切りありで、戦国時代とあまり変わらないように思えてきました。そのように思うと、残念ながら国民のため、国家のための政治ではなく、自分の出世のためにのみ立ち回る政治家が横行する現状がわかる気がします。
9月10日(土)放送 「海底を蹴って浮かび上がれ」
京都・真言宗総本山東寺前教化部長 土口哲光
真言宗といえば四国の歩き遍路を思い出します。何よりも先ずお参りをし、それから納経帳に記帳をしてもらいます。お参りの際にはお線香を3本御供えします。1本目は「過去」ご先祖への感謝、2本目は「現在」今生かされている万物への感謝、そして3本目は「未来」子孫の幸せと繁栄への祈りだと教えられました。常に一人で生きているのではないこと、先祖からいただいた命を想い、自分の行動が子孫への悪業になっていないかの反省を心し、感謝しながら生きることを見つめさせられます。唱える般若心経によって万物に仏道の恩が行き渡ることを祈ります。般若心経はお釈迦様の教えのエッセンスですが、どうかすると「仏典棒暗記」になってしまいます。それでも一度は現代語訳に目を通しました。なかなか難解ですが、唱えていると所々内容を意識することがあります。自分のためだけでなく全世界の万物のためであると思うと、仏典棒暗記でも良しとなります。だから88ヶ寺のお詣りを重ねていると、自分個人の欲望を満たすような願いをすることがなくなってきます。大師堂ではここまで無事に導かれたことを感謝したものです。
「帝国ホテル」と銘打った缶詰やレトルト食品は何度か口にしたことがあります。てっきり帝国ホテルが得意の料理を生かしてつくっているものだと思っていました。そして、この様な苦労を重ねられた方の創業とは想いもしませんでした。創業者水垣氏の「感謝は報恩を生み、報恩から天地の扉が開かれる」という言葉は、お遍路から学んだ生きる姿勢につながるものだと思いました。
9月3日(土)放送 「聞き上手は話し上手」
関西国際大学客員教授 高梨敬一郎
私は間違いなく話し下手だと思っています。説得力もありません。だから経験のないことはいつも聞き手にまわっています。普段からいろいろな情報を獲得していないので、話す話題がないのです。話し下手だから、文章を書けと言われても何も書く材料がありません。だから書けないのです。こんな私にも時々講演や随筆の依頼があります。仕方なく、最近の自分の身近な経験をついつい書いたり話したりするのです。ところが、それだけにとどまり、そこからの発展がないので、それがどうしたと言われるのが落ちになってしまいます。
今日のお話しを聞いていて、私は聞いていても、聴いていないし、見ていても観ていないことに気がつきました。妻はいろいろな講座に出掛けると、家に着くなり興味の湧いたことについていつも報告してきます。私はと言えば、パソコンなどをしながら聞き流しています。集中して聴いていないのです。この様な私ですから、講座に出掛けても居眠りをしていることが多いのだと思います。特に早口で話されるともうだめです。すっかり子守歌、いや爺守唄になってしまいます。集中力に欠けると、講師の話している一つの言葉から自分なりにいろいろな想像がふくらんで、講師の話を聞いていないように思います。
高梨先生の言葉にしたがって、今日一日女房の話しかけをじっくり聴いてみようと思います。
8月27日(土)放送 「防災に生かすお天気情報」
気象予報士・元富山地方気象台長 正木 明
高校時代、地学の勉強をしたとき、ラジオで各地の気圧の放送があり、それを地図上に記録することを学びました。興味を持って何度か試みましたが、他の受験勉強が忙しく、直ぐにやめてしまいました。今そのお陰で、テレビなどの天気図や気象予報にはとても興味があり、自分でもいろいろな判断材料にしています。
阪神淡路大震災当日、停電になり、古い携帯ラジオが電池切れでつかえず、1時間近く情報が入りませんでした。後から考えれば、車で直ぐにラジオが聴けたはずなのですが、家の中の棚が落ちたりしている状況と、外がまだ暗いという状況、そして今にも家が倒壊するのではないかと思うほどのきしみ音にすっかり冷静さを失っていたのだと思います。結局西宮に住む同僚からの電話で被害の大きさを知る始末でした。すぐさま勤務先に休校の指示を出したのはその後になってしまいました。そして時間をかけてやっとたどり着いた職場のテレビ画面を見ても、神戸の大火災の意味が直ぐに理解できませんでした。今日のお話しで、早く情報を知ることが大切だといわれましたが、停電になっても情報が直ぐに得られることの準備を怠ってはならないと痛感した震災でした。
我が家は北側と西側に低地があり、南側は崖下の海がある平地にあり、そばに大きな川も山もないため、洪水や土砂災害の恐れはありません。また海の近くであっても、海面から高い位置にあり、しかも太平洋に面して淡路島が立ちはだかっている形なので、大津波の心配もなく、水害や津波の心配はしていません。しかし、海のそばの崖上ともなれば、台風は最大の恐怖です。いつも予報に気をつけていますが、幸い昭和38年の台風を最後に大きな台風に見舞われていないので助かっています。このときは屋根瓦が何枚か飛ばされ、家の直ぐ近くの新築中の建物が倒壊しました。台風が来ると潮風でテレビアンテナが錆びて映らなくなります。仕方なくケーブルテレビの開設間もなくに切り替えてしまいました。もっとも地デジに対しては心配ありませんでしたが…… 最近は竜巻情報が放送されますが、平地だけに恐ろしく感じています。
震災後、いろいろな震災グッズをいただきました。握るだけでつかえる懐中電灯。ハンドルを回すと発電し、ラジオや懐中電灯としてつかえる機器、レッドライトで電池の消費が少ない懐中電灯、建物が倒壊したときに助けを呼ぶためのホイッスル、これらは寝室かそのそばに常備されています。しかし、災害から時間が経つと、それらがつかえるかどうか点検を怠っています。改めて確認しておこうと思いました。
8月20日(土)放送 「恋・酒・放浪の山頭火」
俳人・俳句評論家 石 寒太
小豆島で歩き遍路をしているとき、山頭火と同じ門下生であった尾崎放哉記念館へ寄ったことがあります。自由律俳句についてはあまり関心がなかったので、表面的に見て回っただけでした。「咳をしても一人」「いれものがない両手でうける」などと書かれた記念碑などが印象に残りました。そしてそこに山頭火に関する作句の影響などが紹介されていました。
川柳をかじっていて、五七五のリズムを厳しく指導されてきた私には、自由律の俳句は何となく落ち着きがなく、いいたいことを勝手にいっているという感じで、興味がなかったのですが、今日のお話しを聞いていて、自分の心を素直に詠うという意味で一つの作句の方法なのだと多少理解できました。
それにしても山頭火は造り酒屋の大地主の家に生まれ、早稲田大学にまで進学したエリートであり、尾崎放哉もまた鳥取の士族の家に生まれ、鳥取一中から一高、東京帝国大法学部を卒業するというエリートであるという共通点があります。その二人が自由律俳句にはまり、ある意味で身を崩し、最後は庵で淋しく死んでいったという事実を知ると、やはり型にはまらない作句が生活にも影響するのかなと思いました。
8月13日(土)放送 「“はまり”の科学」
京都大学こころの未来研究センター教授 船橋新太郎
“はまる”ということを科学的に分析するということは今までに考えもしませんでした。それはその人の個性であり、依存症になる人は心の弱い人なのだくらいに考えていました。しかし、脳に分泌される物質によるものだという新しい知識を聞かされると、解釈が違ってきました。
私が今はまっているものに「パソコン」があります。暇があるとパソコンの前に座っており、メールを確認したり、ホームページでいろいろな情報を得たり、自分のホームページを更新したりしています。さらに、特にやるべきことがなければトランプゲームをします。中でも「フリーセル」というゲームに強くはまっており、1番から順番に挑戦し、現在26960番まで征服しています。一日10番征服しないと落ち着かないという感じです。日によって20分ほどで終わることもあれば、難問にぶつかると、1時間以上挑戦し続けることもあります。それでも予定のところまで征服できなければ、途中でやめて翌日に挑戦したり、その番号を飛ばしてきりのよいところまで先に終えて、後から征服できなかった番号に挑戦します。だからますますパソコンの前に座る時間が長くなり、妻に「いつまでやっているの」と叱られます。
結構いろいろなことに首をつっこんでいて忙しい毎日ですが、今日の話を聞いていて、パソコン依存症にならないためにも、夜や他のことに忙しくたち働いている時間が少ない日は、読書など他の楽しみをもっと積極的に持つようにしなければと思いました。
8月6日(土)放送 「老いの才覚」
作家 曾野綾子
先ず、曾野先生が運命論者であるという生き方が根底にあるので、「くれない族」から脱却できるのだと思います。この点に関しては全く賛成で、私自身もいつ死んでも悔いはないと思っています。だから老いの終いじたくはあまり考えていません。最期は延命治療などせず、「ありがとう」と言って死にたいものだと思っています。
もうひとつ、「自立」と「自律」は本当に大切だと思います。確かに年金がなければ今の生活は成り立ちません。これは若いときから準備してきたことだと思い、甘んじて受け取って良いと思っています。ただ金額については減ることがあっても、今の時代に生きている限り仕方がないと思っているので、あえて抗議活動などしたくありません。退職したとき、色々な事柄を政府に申し入れるからと退職者の団体への入会を勧誘されました。しかし、高齢になってなお組合のような集団で要求活動にうつつを抜かすようでは社会のお荷物になるばかりだと思って拒否しました。今日のお話しを聞いていて正解だったと改めて思いました。
自分の懐具合に応じた程度のことでしか社会貢献はできませんが、頼まれたことはいやとはいわずに、人様のお役に立てることはしようと思っています。そして、懐具合を考えながら自分のしたいことはおもいきり楽しもうと思っています。全て自分を犠牲にして人様に尽くすという生活は私にはできません。多少我慢することもありますが、できるかぎり自分のペースを保ちながら、余った時間で人様に尽くさせてもらえればよいと考えています。
この様な私の生き方をしているので、今日のお話しは全て納得しながら聞かせて頂きました。
7月30日(土)放送 「思い出のメロディー」
学生参加番組
それぞれが色々な思い出を持っておられますが、西宮市の大江さんが「愛と死を見つめて」のミコと高校時代同級生だったというお葉書に驚きました。私はこの歌を聴くと涙があふれます。そして現実にあったことだと当時を思い出しておられる大江さんのお話しを聞き、その感動はいっそう強くなりました。
「青い山脈」は同年代の同窓会で、色々カラオケで歌った後最後にみんなで合唱するのがこの曲です。私はそれほど思い入れがないので、1番しか歌えません。そういえば、歌詞よりメロディーに心を奪われることが多く、ほとんどの歌は1番しか覚えていません。
私の思い出の曲というか、心なつかしく思い出されるのは楽器で演奏された曲や、外国語で歌われた曲が多いように思います。メロディーやハーモニーの美しさに心惹かれるからだと思います。黒人霊歌などを聴くと、大学時代グリークラブで歌っていた頃をなつかしく思い出します。さらに、ロシア民謡を聴くと、歌声喫茶のことも思い出します。
結婚する頃まではあまり歌謡曲が好きでなかったので、今日放送された思い出のメロディーの中には知らない唄もありました。今は生活環境が異なり、カラオケで演歌を歌うことが多くなり、新曲もたくさん覚えていますが、やはり、印象的なメロディーやリズムのある曲に惹かれます。そして、歌詞をじっくり味わうことがないように思います。だから感情を込めて歌うことはできません。これからはもう少し歌詞についても注意深く考えて歌わねばと思いました。
7月23日放送 「シニアのための食事学」
医学博士・管理栄養士 本多京子
健康長寿が私たちの最大の願いです。しかし、その割には日常生活においてあまり健康に配慮していないように思います。今日のお話しの中で、実践しているのが日々体重計に乗っているくらいです。ちょっと食べ過ぎたり、運動不足が続くと体重が1sほど増えます。私の場合、身長×身長×22=61.13となりますが、体調がよいと感じる58s台を目途にしています。しかし、うっかりすると59sを超え、下痢など体調を崩したり、食生活が不規則になると57s台まで落ちてしまいます。
食生活は全て妻任せですが、幸い妻の嗜好の関係で野菜中心の献立です。乳製品だけは私が調達しています。一日1回牛乳にきな粉を少し入れてカップ1杯飲むことと、カップに入ったヨーグルトに青汁の粉末を混ぜて食べるという習慣を続けています。しかし、納豆はあまり食べていないので、もう少し増やしてみてもとは思いますが、妻が血圧の薬を飲んでいるのでいつも一緒に食事をする私にとってはすすめられないようです。
1日3時間以上立っているという話には思い当たる節があります。現職時代、朝9時頃から午後2時頃半まで昼食以外は座ることがなかった職種が、45歳頃からデスクワークの仕事になりました。その結果53sを超えなかった体重が徐々に増えだし、またズボンの胴回りが76pから増え始めました。そしてピークは53歳の時、通勤時以外はほとんど座ったままの生活になり、体重は64sを超え、ズボンの胴回りは85pになり、着る服は全て新調しなければなりませんでした。しかもストレスを一日中ためる生活でした。幸いこの生活は1年間だけで、転勤になり少しは解消されました。その後、車で通勤するようになり、意図的に1時間ほどの散歩を心がけました。
退職後は四国や小豆島の歩き遍路などを通じて、歩くことが苦にならなくなり、体重は良い状態になりましたが、胴回りは80前後で、ズボンの胴回りは82pを下回ることがなくなりました。骨は小学生時代に2回も骨折するなど、元もと丈夫ではなく、骨密度は退職前に標準の80%を切っていると言われています。だから転ばないように注意しなければと思っています。
普段から妻に食事を作ることを勧められていますが、料理上手の妻を満足させられるような調理はできそうにないので、拒否し続けていますが、少しは関心を持って実践しなければと思う講座でした。
7月16日放送 「唱歌のもうひとつの顔」
東京大学大学院人文社会系研究科教授 渡辺 裕
私たちが唱歌という場合、それは文部省唱歌だったということがわかりました。鉄道唱歌も知っていましたが、これらは文部省唱歌とは違うものとして理解していたように思います。その鉄道唱歌が地理教育のためにつくられたということは初めて知りました。この様に国民の意識向上や知識普及のためにつくられた歌が唱歌だという概念は私にはありませんでした。考えてみれば「我は海の子」と同様、「ふるさと」も3番の歌詞「志をはたして……」にあるように故郷に錦を飾るのが人生の最高の形だと教えているように思います。
唱歌は国をはじめとした指導者が啓蒙の手段として利用したものであるということは理解できました。賛美歌なども、キリスト教の普及のために歌を通じて教えを説いているもので、ある意味で唱歌と同じ性質のものだと思います。私たちが毎年12月に「第九」を歌っていますが、これはベートーヴェンがフランス革命の時期に、貴族社会が支配していた世の中から国民みんな平等になる歓びを歌っており、当時としては危険思想であった彼のイデオロギーを訴えようとして、交響曲でありながら歌詞を入れて作曲した意図が理解できます。そのように考えると、歌にはその時代背景が色々と伺える面白いところがあり、カラオケで歌っている演歌もそのような視点から見直してみると面白いかなと思いました。
7月9日放送 「忘却の整理学」
お茶の水女子大学名誉教授 外山滋比古
私は紛れもなく「忘却恐怖症」であったと思います。自分は記憶力に弱いので、頭が悪いと思っています。だから学校の成績もいまいちで、頭が切れるといわれる人たちのことをうらやましく思っています。頭が切れる人というのは記憶力に優れ、どの様な問題に対しても自分の記憶を活用して対処できるからだと思っています。
しかし、学生時代に、当時の心理学教授・高橋省己先生が「学者は専門の事柄については抜群の知識を持っているが、専門外のことについては小学校5年生くらいの知識しか持っていない。だから大衆雑誌の『平凡』や『明星』は小学校5年生くらいの知識で理解できるようにつくられている」と話されたことがあります。今思えば、当人にとって常識の範囲を超える必要のない知識は忘れるということになるのだと思います。
ところで、必要のないことは忘れることが大切だということはよく理解でき、忘れることへの恐れは多少軽減しました。しかし、必要なことまで忘れてしまうことへの恐れはやはりあります。例えば、何かしようと思って行動を起こすのですが、その場所へ来て、私は一体何をしに来たのかと思うことが増えてきました。そのようなとはき振り出しに戻って考えてみます。すると思い出します。それでも認知症への距離が縮まっていることを実感し、再び忘却への恐怖症が再燃します。
高齢者仲間では74歳といえば若い方に分類されます。だから世話係のような役割が次々に与えられます。忘れることは得意ですが、皆さんに迷惑をかけることがないよう、必要な事柄はカレンダーにメモをして何とか忘れないようにしなければと思っています。
7月2日放送 「人生二毛作のすすめ」
お茶の水女子大学名誉教授 外山滋比古
定年後の人生を如何に有意義に、充実して生きるかと言うことで、いろいろな提案がありました。その中で一毛作目の人生を引きずってはならないという思いを強く感じました。親しくおしゃべりする仲間も自分と違った人生を歩んできた人々と、子どもの頃に描いた夢で実現しなかったことに挑戦すること、少しでも人の役に立つことにも取り組むことなど、私の思い描いた二毛作目の人生のあり方に思い当たることが多くありました。
私は定年退職後の第二の職場が、それまでの職場と大きく異なっており、しかも第二の人生を考えることや、新しい仲間と接する楽しさを教えてもらえたことはとてもラッキーでした。新しい仲間を得ても、めったに接することが出来なければ効果は少ないと思います。高齢になるほど行動範囲が狭くなることを考えると、地域の中でその仲間を得ることこそが大切だと思います。私は別の地域の出身で、現職時代は地域の人々との交流は皆無でした。退職後、地域の老人クラブに加入したお陰で、一緒に活動することが週に2〜3回あり、また人様のお役に立つ機会もあります。身近に生きがいを感じることが多いということはとても大切だと思っています。
そうした経験から強く感じるのは、人生の一毛作時代に身につけたプライドを捨て去ることが大切だという思いです。二毛作目を楽しめない人々の多くがこのプライドにしがみついているように思えてなりません。家庭でも地域でも、プライドを捨て去り謙虚になったとき、初めてまわりの人々に受け入れられ、楽しく充実した日々になると思います。
6月25日放送 「認知症の予防と介護」
東葛病院院長 下 正宗
テーマが認知症の予防と介護でしたが、先ず認知症を正しく理解しなければならないということで、その説明がありました。認知症と知的障害の違い、さらに老化現象との違い、もう一つ大切なことが病名ではなく症候群としての状態であることなど、しっかり確認出来たことはよかったと思います。
また、医学的な治療が進んでいることや、医療機関の医師と包括介護支援センターのケアマネージャーとの役割分担など、対応が明確になっていることも理解出来ました。医師とケアマネージャーがどれほど連携しているのかもう少し聞きたい面もありました。
環境を整える意味で、本人の尊厳をみんながどれほど大切にするかということが最も大切な課題だと思いました。どうかすると認知症はやっかいな存在であり、だから自分は認知症になりたくないと考えている人が多いと思います。しかし、他の病気と同様大切に守らなければならないという心をもっておくことが大切だと思いました。そして、そのような症状の人を決して蔑んだような目で見る心を自分の意識の中にもたないよう気をつけたいと思いました。
内容が盛り沢山で、やや早口になり、聞き逃したこともあります。インターネットで今一度聞き直してみたいと思います。
6月18日放送 「兵庫街かど学Y −大河ドラマと兵庫県−」
園田学園女子大学名誉教授 田辺眞人
兵庫県の県土の広さはよくわかっているつもりでしたが、改めて説明を聞くと、実質的に日本一だということがわかりました。そして歴史上においても重要な位置にあったことがよく理解出来ました。山名氏の本拠は鳥取城だと思っていましたが、出石城であったということも意外でした。
春日局については、以前の大河ドラマが始まったばかりの頃に局の出生した黒井城下のお寺を訪れたことがあります。その頃はまだ騒がれていませんでしたが、ドラマが核心に入っていく頃にもう一度行くと、拝観料がいるなど、すっかりお寺の状況が変わっていました。
大河ドラマの影響は本当にすごいと思いました。しかし、一方で観光化したり、改築が行われ、昔の静かなたたずまいを失ってしまうという危惧もあります。龍馬傳が放送されたとき、神戸・平野で勝海舟が身を寄せていた生島氏の別邸を平日に訪れましたが。静かな住宅街で、小曽根という表札がかかり、個人の住居になっているようでした。もちろん中を見学することは出来ませんでしたが、休日はきっとたくさんの人出で、住人は苦々しく思っておられたのではないかと思いました。
今回のお江については福井市と長浜市を訪れただけですが、考えてみれば姫路城の千姫など関係があったのだと改めて思いました。長浜市は平日(東日本大震災があった日)にも関わらずすごい人出で、町の落ち着きはすっかり失われていました。大河ドラマをきっかけに人を呼び、町の活性化に結びつけようとするのでしょうが、業者に踊らされているだけのようで、本来の古い歴史に守られた落ち着きを失うのは淋しい限りです。
来年の平清盛では神戸の町がどの様に変貌するのか見守りたいと思います。
6月11日放送 「世間に学ぶ」
社会学者・評論家 加東秀俊
「社会」を「世間」という言葉に置き換えると理解しやすいということに納得しました。学校で「社会科」という教科がありましたが、世間について学ぶといえば具体的にイメージが湧いてきます。
ただ私のイメージしていた「世間」というのは身近なもので、むしろ村を中心とした地域社会のことだと思っていました。世間体などはその地域社会の中で恥ずかしいなどと思うことであって、知らない人々の中では「旅の恥はかきすて」といわれるように通用しないものだとも思っていました。ところが、加藤先生のお話では、都市社会が生まれ、知らない人同士が一緒に居住するようになって世間が意識され始めたということだったので、私の世間という言葉に対するイメージが少し違っているように思いました。
この様に考えていると、「社会科」という教科は、小学校低学年では身近な家庭生活から学び初め、学年が進むにしたがって自分の住んでいる地域へ、さらに町から県、国へと目を広げ、そして世界や宇宙へと発展していく道筋がよく理解出来ます。私たちの生活を豊かにし、また安全安心な暮らしをつくりあげていくためには、世間に無関心になることなく、もっと真剣に世間を理解することが大切なのだと思いました。
6月4日放送 「常識人の作法」
社会学者・評論家 加藤秀俊
阪神淡路大震災のときも思いましたが、日本人は先を争うことなく、支援物資を並んで受け取っている姿に日本人としての誇りのようなものを感じます。いくら全世界に対して誇らしく振る舞っていても、支援物資を争って取り合いし、どうかすると奪い取ったものを独り占めしようとしている姿がテレビ画面に映ると、その国民に対して幻滅を感じてしまいます。そして支援の手を控えてしまいます。
私たちは自分のことを中心に物事を判断したり行動したりすると、常識はずれの行いをしてしまうように思います。今回の内閣不信任案の騒ぎでも、党利党略や自分の国会議員としての生き残りだけを考えた政治家が多いためにあのような騒ぎになったと思います。自分のことより先ず国民のことを考えれば、政治家として今何を考え、何をしなければならないかということが自ずとわかってくると思います。私たちは先ずまわりの人々を大切にすることを基本に考え行動すれば、常識はずれの行いはしないだろうと思います。
昨年放送された講座「羞恥心はどこへ」で、まわりの人の気持ちなどを考えないで、電車の中での化粧を平気でするようになったという例が取り上げられました。これは昔のように隣近所とのコミュニケーションがなくなり、まわりの人への配慮をしなくなったことによるものと考えられます。今日のお話しのコモンセンス(共通感覚)の欠如に起因する現象だと思います。幸い、私の居住している地域では老人クラブも健在です。子どもの登下校の見守りも他地域に比べて高齢者が率先して行っています。だから地域のコミュニケーションはある程度図られていると思います。高齢者と子どもたちとのつながりを大切にしながら、地域社会としてのお互いの思いやりを育て、常識を大切にする地域社会の維持が出来ればと思います。
5月28日放送 「本科生にむけて−知事あいさつ」
兵庫県知事 井戸敏三
東日本大震災の支援活動を関西広域連合で役割分担して進められたということは本当に大切なことであり、適切であったと思います。被害の大きかったところほど情報が入りにくく、支援が多く求められます。テレビの報道はともすればインパクトの強い状況を繰り返し放送するため、同じところにのみ目がいき、支援先はその地域だけと錯覚させます。しかし、テレビで報道されないところにこそ、目を向けていかなければ支援の届かない地域をつくってしまいます。その意味で、兵庫県がいち早く被害が大きいと考えられるところに支援の拠点をつくられたことは、阪神淡路大震災の経験が生かされたものと思います。
最後に地域人々の絆を見直し、助け合いのネットワークづくりの重要性をはなされました。地域組織の中心は自治会だと思います。しかし、若い人も含め、いろいろな人々の組織で現役の人々は仕事を持っているために自治会活動に時間を多く割くことは難しく、必ずしも有機的に活動することが困難です。その点、高齢者は時間的に余裕があります。
高齢者の組織といえば老人クラブです。この組織が高齢者自らの安心安全のための助け合いネットワークづくりに取り組むことはとても重要だと思います。また、子どもたちの見守りなどに取り組む活動をしている高齢者も多く見られます。地域の安心安全のための取り組みの雰囲気をつくっていくには、井戸知事が話されたように高齢者の力が大いに期待されていると思います。ただ、私が所属する老人クラブもそうですが、昭和13年生まれ以降の加入者が極端に減っています。団塊の世代までの8年間ほどは人口が少ないこともありますが、近くに一緒に活動しようとする同年代の仲間がいないように思います。団塊の世代の多くは後2〜3年すれば現役を引退し、地域のことを考える時期が来るものと思います。その時までに、旧態然とした老人クラブを脱却し、団塊の世代を受け入れ、おもいきり活動してもらえるような老人クラブ組織を確立しておくことが大切だと思います。そして、共に助け合いのネットワークづくりが出来るよう、私たちも学びを続けていかなければと思います。
5月21日放送 アンコールアワーA「人生の不思議」
歴史学者 立川昭二
半年前の放送であるにもかかわらずほとんど記憶に残っていない講座でした。ということは、私はまだまだ若くて、人生の不思議について共感していなかったのだと思います。必然的で当たり前の人生を歩んでいる真っ最中なのかもしれません。
明日は神戸新聞社の金婚夫婦の祝賀会に二人で出席する予定です。毎年この時期になると新聞紙上に50年を共に生きてきた人生を振り返った感慨が特集されます。しかし自分がこの日を迎えることが出来るなどとあまり考えることはありませんでした。その意味では何となく不思議に思います。この感覚も「人生の不思議」の一つなのかもしれませんね。
今日は今から地域の老人クラブ例会の準備に出掛けます。全く地域とは関わりなく66年間生きてきた自分が、たった8年間の地域の人々との交流でこの地で生まれ育った人々や生活を共にしてきた人々の集まりである老人クラブで世話係をしているのも人生の不思議なのかもしれません。
それでもやはりふたりで過ごす日々は孤独に感じることもなく、二人で充実感のある生活を求め続けているように思います。まだまだ人生の不思議を感慨深く想う日々は遠いようです。
5月14日放送 アンコールアワー@「マークはコミュニケーション」
NPO法人サインセンター理事長 太田幸夫
今最も頼りにしているのが「トイレ」のマークです。出掛けたときの駅、買い物に行ったときのデパートやスーパーなど、とても助かります。昔は便所、トイレ、化粧室などいろいろな表示がされていたので、直ぐに見つけることは出来ませんでした。今は一瞬でマークと矢印の方向を見て場所がわかります。そして間違いなく男性用に進むことが出来ます。
新車を買ったときも、新しい機能については少し説明を受けますが、後はマークを見れば大体機能がわかるのでマニュアルもあまり詳しく読みません。しかし、今困っているのが携帯電話です。機能そのものが十分理解出来ていないので、マークを見ても何を表しているのかよく理解出来ません。だから普通の電話機と同じように通話だけに使っています。マニュアルを読むとカタカナ言語が多く、ますます理解出来ません。今使っている携帯電話が7月から使えなくなると電話会社から言ってきました。新たな機種に買い換える必要があるのですが、どの様な機種にすればわかりよいか、よく尋ねたいと思います。そして今度こそ少し便利な機能が使えるようになりたいと思います。そのためにもマークの意味をしっかり理解することだと思いました。
5月7日放送 「再びの生きがい」
弁護士・さわやか福祉財団理事長 堀田 力
現役時代は自分の職務を全うするために、全力を注いでいたと思います。だから、自分に関わりのない人の幸せのことなどあまり意識にありませんでした。あるとすれば自分の保身、自分が所属する集団の保身を考えていたのかもしれません。今もニュースでいろいろの内部機密を出来るだけ公表しないでおこうとする役所や企業の体質が取り上げられている種類のことです。
しかし、退職後は全く自分の意志で自由に活動出来る時間をどの様に使うか、本人に任されています。私の場合は幸せなことに、第2の職場で高齢者の生きがいづくりを創造することを学ばせて頂けたことに尽きると思います。学生の皆さんが地域で如何に生きがいづくりに勤めておられるかを目の当たりにすることが出来たのです。人のために役立つことの喜びを実感することこそ大切だということです。
いろいろな世話係を避けることが自分にとって楽な生き方だという意識はみんなにあります。例えばPTAの役員、自治会の役員などはその例ではないでしょうか。ところが、高齢者大学では役員をすることが生きがいづくりに役立つことを実感し、進んで引き受けることこそが大切だということを学びます。だからいろいろな役割分担をつくってそれぞれが引き受けます。
先日、私の地域の老人クラブの8人の役員選出がありました。私は既に4年間やって来たので、生きがいを私自身が続けて持たせてもらうことはいけないので皆さんにお譲りしたいといいました。結果的にはさらに2年間続けさせて頂くことになりましたが、現役時代地域に対して何ひとつ貢献してこなかった私が地域で認められ、お役に立てる幸せを感じています。
4月30日放送 「ユーモアのある人」
作家 小田正吉
笑いがNK細胞を活性化させる話は何度か聞きました。おもしろくなくても笑いと同じ身体活動をすることで効果があるという「笑いヨガ」など、老人クラブでもとても受けました。しかし、今日の話はむしろ心の持ち方に関してのユーモアだったように思います。そのようなユーモアもやはりNK細胞の活性化に関わりがあるのかどうか、そのあたりはよくわかりませんでした。
人それぞれの経験からものの見方が違うことはよくわかります。しかし、他人に対してそのことにあまり気を使いすぎると、それこそ体に悪いような気がします。電車で席を譲る話にしても、譲られた人は相手の厚意を素直に受けるか、腹を立てたりショックを受けたりするかいちいち気を使うなら席を譲らない方が良いのであって、私はお節介な人間なんだと思えば気楽に席を譲れるように思います。他人の厚意に対して9割以上の人は感謝するだろうと思っています。それはこれまでの私の経験であって、他人に厚意を示すことに躊躇はありません。しかし、経験の少ない高校生あたりはこの様な迷いが深刻なのでしょうね。深刻になると体に悪いと思います。それこそNK細胞が働かなくなるでしょうね。
私自身はユーモアのない人間だとよくいわれます。ジョークでいったつもりが真剣にとらえられて困ってしまうこともよくあります。普段あまり冗談を言わないし、自分自身も思いこみが強く、柔軟な思考が出来ないからだと思います。この様な人間に50年も連れ添ってきた妻がかわいそうだったなと今日の話を聞きながら思いました。きっと家庭ではNK細胞が活性化しなかったことでしょう。だから、妻が高齢者大学へ行くようになっていきいき活動するようになったことも納得です。
4月23日放送 「昔話に学ぶ」
小澤昔ばなし研究所所長 小澤俊夫
私も小さい頃昔話をよく聴いたと思います。ただ、語り聞かされたと言うより、絵本を読んでもらったり、絵本を与えられて読んだように思います。また、小学校時代は、再度山大龍寺の住職が小学校へやって来て、みんなに話を語り聞かせてくれたことを印象深く覚えています。「くもの糸」など、仏教に関わる話もあったように思いますが、そのようなこととは関係なく、楽しみの時間でした。
一方、自分の子どもに対しては、「昔ばなし集」を買ってきて、毎晩子どもが寝床に入ってから一話ずつ読み聞かせたことを覚えています。上の子どもはそのようなことがあったためか、本が大好きで、高校生になっても電車通学の合間に何冊も図書館から借りた本を並行して読んでいたように思います。下の子どもの時代には自宅にパソコンを取り入れたこともあって、そちらに夢中で、じっくり本を読んでいる姿はあまり見かけなくなりました。
ところで、私たちの手に入れる昔ばなしの本は違った地方の話では知らない方言が使ってあったり、逆に全国共通で読めるように、標準語に直されて書かれているものが多いように思います。しかし、語り聞かせの場合は、子どもが普段聞いている地方の言葉で話が聞けるので、親しみ深く聞くことができるように思います。日本昔ばなしのテレビ放送では標準語の田舎言葉という感じがします。今は語り聞かせるような対象がいませんが、今後そのような機会があれば自分の言葉で語り聞かせたいと思いました。
4月16日放送 「知っておきたいお天気情報」
お天気キャスター 森田正光
異常気象という言葉を最近よく聞くようになりました。30年に一度あるかどうかという現象のようですが、昨年の西播磨の豪雨のように、、地元の高齢者が「長年生きてきたけれど、こんなことは初めてだ」とインタビューに答えておられたのを思い出しました。この様な言葉をいろいろな自然災害で耳にすることが多くなったのも、異常気象が頻繁におこるようになったということなのでしょうね。
この頃は菜種梅雨といってよく雨が降るはずなのに、今年は乾燥注意報が続くほど空気はからからです。だからチューリップの花は貧弱だし、毎年楽しみにしているタケノコ掘りは今年はできないといわれています。毎日庭の花の水やりが大変です。昨日も雨を期待しましたが、結局土の表面がちょっと濡れたかなという程度でした。これも例年と違う気象状況なのかもしれません。
ところで大陸から飛んでくる越境汚染微粒子はアレルギー性鼻炎の私にとっては脅威です。車で通勤を始めた昭和40年代後半から50年代にかけて、朝車で主要道路に出た途端から、くしゃみと鼻汁に悩まされました。当時はディーゼルエンジン車からは真っ黒な排ガスが出ていました。乗用車にしても今のようなクリーンな排ガスではなかったと思います。何時も窓を開けて走っていたので、きっと汚染微粒子を吸い込んでいたのだと思います。今また景色がかすむほどの汚染物質が飛び回っているとしたら困ったことです。最近はくしゃみだけでなく咳にも悩まされることもあるので、ひょっとすれば気管支喘息にも悩まされるようになるかもしれないと少々不安です。
4月9日放送 「恐竜化石とこれからの地域づくり」
丹波市上久下地域づくりセンター長 村上 茂
丹波竜が発見されたときの状況を発見者本人から聴くことができ、とても興味深く聞くことができました。それにしても、とてもいい人に発見されたと思います。収集家のような単なる興味本位の人に発見されていたり、全く無知の人の手にかかっていたら、乱掘され、学術的な発展や、地域おこしには結びつかなかっただろうと思います。丹波竜も運がよかった、まさに御守りの強運だと思います。私は子どもが発見したと誤解していました。それは後日の歯の発見だったのですね。そして大きな恐竜ひとつだけの化石が見つかったのだと思い込んでいましたが、たくさんの種類の恐竜化石の宝庫だということも新しく知りました。
この様にたくさんの誤解を解いてもらえたこと、地域の人々がいろいろな面で関わり、見学者が訪れてもよく理解出来、満足出来るよう努力しておられることも知り、まさに地域づくりの拠点になっていることがよくわかりました。
昨年、青春18切符を使って福井県の恐竜のまち「九頭竜湖」へ行きました。時間がなかったので、駅前の恐竜の動くモニュメントだけ見て帰りましたが、恐竜博物館もあると聞きました。丹波市は歴史も浅く、まだそこまでの投資がされていませんが、ぜひ一度訪れてみたいと思いました。
4月2日放送 「開講にあたって −生涯学習の進め−」
環太平洋大学学長 梶田叡一
学習のきっかけは何歳になっても始められるということ、特に高齢になって「明日を夢見て、我の世界を生きることを楽しむ」ことの大切さを話されました。まさにそうだと思います。
私自身、現職を終えるとき、それ以外の世界に関しては全く関心を持っていませんでした。だから、第2の職場の希望を聞かれたとき、現職の仕事の延長線上のことを考えていました。しかし、退職した翌日に就いた第2の職場は高齢者の生涯学習、生きがいづくりを考える場でした。これは私にとってとてもラッキーだったと思います。多くの高齢者の生きがい探しのお手伝いをしながら、実は6年間で自分の退職後・高齢期の生きがいづくりの勉強をする場であったのです。
当時の上司が、退職後如何にサンデー毎日の生活に軟着陸するかが大切だと話されていました。お陰で、私が第2の職場を退職したとき、川柳教室と歴史教室に通い、生涯学習が始まりました。また、園芸講座を受講して、一緒に受講した仲間とグループを結成して今も活動が続いています。そして地域の老人クラブに入会して楽しい日々を地域の人々と楽しんでいます。またウオーキングの講座を受講したことがきっかけで歩き遍路に参加し、四国88ヶ寺や小豆島歩き遍路を終えて、歩くこと、お寺詣りの楽しさも知ることが出来ました。
明日に向かって何が出来るか、考えることは楽しいことです。今年の夢は、新たに買った車に取りつけたカーナビとETCを使って少し遠出のドライブを楽しむことです。この歳になってといわれますが、大都会を避けて西国33ヶ寺観音巡拝を手始めに実現していきたいと思っています。