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3月26日放送 「一年の学習を終えるにあたって」
学生参加番組
本科生から25年賛辞を受けられた方まで6名の学生さんのお話がありました。その中で、姫路市の西川和子さんの言葉に同じ思いを持ちました。西川さんは放大に入学したとき、ぽつんとと独り淋しく思っていたのが、まわりから声をかけられホッとしたこと、さらに次々友がふえたこと、友の会に入会し、行事に参加することによって大河ドラマのお江になっている上野樹里さんのおばあさまに出会えた喜びなどをお話しされました。私が老人クラブに参加した当時と全く同じで、地元に知人が居なかったけれど、退職後は地域で生きる大切さを感じ、飛び込みました。はじめは例会に出席してもほとんどはなす事はありませんでしたが、思い切って親睦旅行に参加し、カラオケを歌ったことがきっかけでいろいろな仲間に加えて頂きました。そして、6年経った今では役員まで任せられるほどとけ込んでいます。
私は高齢者が孤立しているほど淋しいことはないと思っています。どの様な仲間であっても心を許し、楽しみあえる仲間がいることはとても大切で、生きがいにつながると思います。そのためにも尻込みせずに、いろいろなところに飛び込んでいく「前へ踏み出す一歩の勇気」を大切にしたいと思います。
3月19日放送 「放送大学で私が学んだこと」
学生参加番組
本科生のお葉書の中で、「家にいながらにして、自分に学ぶ気持ちがあればどこでも学ぶことができることを知った」という言葉が特に印象に残りました。本科生はまだまだ新鮮な気持ちで取り組んでおられるので、これからの生き方には大いに参考になったようです。
一方、生涯聴講生のお葉書の中では、長期間続けてきたことによる自分の変化、あるいは生きがいのような意味の文章に勇気づけられました。日記を書くことによる文章の上達、講師の話に対する気持ちの変化、大学ノート3冊にまで書き残した自分の喜びなど、たくさんの宝が残しておられるように思います。中でも24年間、1回も欠かさず感想文を提出された方を見習って、私もこのホームページの「私の心のこだま」を続けたいと思いました。
3月12日放送 「友達の作り方 −私が思うには−」
タレント 伊奈かっぺい
友達とは「冗談が通じ合える人」という定義をされると、私にはほとんど友達がいないのではないかと思ってしまいます。私の性格もありますが、私の心情は誠実につきあえる人と思っていたからです。だから私のことを信頼出来ても、それはあくまで知人だと思っている人が多いのではないかと思います。友達ではなくて同じ目的を楽しめる仲間なのだろうと思います。
この歳になると、仲間がいるということがとても心強く思います。老人クラブの仲間が今最も重要な仲間です。毎日顔を合わせ、一緒に活動し、生きがいをつくってくれます。この地域の仲間こそ、誠実にお付き合いしなければいけない相手だと思っています。
また、昨日も長浜へ一緒に出掛けた「グループいきいきネット」の仲間があります。帰りの電車の中でも話していたのですが、退職直後に受講した「いきいき仕事塾」の目的のひとつが仲間づくりであり、グループ結成を呼びかけて7年、新たな仲間もふえ、月1回の活動を楽しんでいます。これもお互いが誠実に付き合おうとしている方々で、体調を崩してやめられた方もありましたが、仲間が増えていることを嬉しく思っています。私自身の体調が続く限り、終わりにしたくない仲間だと思っています。
この様なユーモアのない人間ですが、唯一、川柳で私の冗談(ウソの世界)を許してくれ、楽しませてくれる川柳の先生や仲間が私にいることも幸せなのかもしれません。
伊奈講師が最初にいわれた「友達を作ろうと思えば外へ出掛けていくことが大切だ」といわれたことこそ本当に大切なことだと思っています。返信の話でも、メールをもらえば出来るだけ早く返信を出すように心がけています。そのことがメールをするものにとってエチケットのひとつだといなみ野学園の仲間から教えてもらったからです。これも仲間を継続させる上で大切なことかもしれませんね。
3月5日放送 「方言のおはなし」
タレント 伊奈かっぺい
名前が「田舎っぺ」から来ているということを初めて知り、なるほどと思いました。そういえば話ぷりにどこか東北地方の雰囲気があるのもそうしたことだったのだと納得しました。
私は昭和20年4月から11月まで、尾道から4qほど北に入った市村というところに祖母と疎開をしました。その家には伯母と従兄弟3人がおり、地元の小学校へ通っていたので、あっという間に広島弁に染まってしまいました。
ある日、買い物を頼まれ、店の人にたずねると「ミテトル」といわれました。私は「見て取る」と聞き、一生懸命店内をさがしましたが見つからず、もう一度たずねたのですが返事は同じでした。帰って「『見て取る』といわれたけれども探しても見つからなかった」というと、伯母や従兄弟に大笑いされました。広島の方言では『なくなる』を『ミテル』というのす。その時に初めて方言ということを意識したように思います。そして戦争も終わり、神戸の親元に戻って元の小学校に通い出すと、私の広島弁を聞いた友達から散々からかわれました。とても恥ずかしい思いをしたことを今も覚えています。
今、祖母の法事などでその従兄弟の家族と出会うと、広島弁をとてもなつかしく聞くことができます。しかし、子どもの時のように使うことは出来ません。私の娘は栃木県から帰省すると、ほとんど関東の言葉で話しますが、それでも何かの拍子に関西弁が戻ってきます。私の場合は広島弁を使った期間が短かったので、相手が言っていることは全て理解出来ますが、広島地方の人々とおしゃべりしていても広島弁で話すことはありません。やはり、最初にマスターした言葉でなければ話せないのですね。
2月26日放送 「年収150万円一家」
イラストレーター 森川弘子
私たちの年金の収入とあまり変わらないけれども、とても楽しく暮らしておられるというのが印象的でした。もっとも私たちはそれほどいろいろなことにお金をかけるような年齢ではありませんが、森川家は若い今から希望を持って暮らす一家なのですからやはり大変かなと思います。
私は小学校2年生の時終戦を迎えたのですから、物心ついた頃からずっとつつましい生活でした。ただ、まわりもみんなお下がりや継ぎの当たった服を着ており、惨めな思いはしませんでした。しかし、現代に於いて、森川家の娘さんが小学校へ通うようになり、友達からいろいろいわれたりすると、心穏やかではなくなるのではと心配してしまいます。
節約生活の中で、これだけは贅沢と思える楽しみを持つことはとても大切なことなのですね。森川家は海外旅行を続けておられます。私たちも夏はエアコンを使うことなく扇風機で過ごしています。冬も灯油のストーブひとつですみます。だから年間を通して電気代は月6000円を越えることはありません。では楽しみはとたずねられると、今はドライブです。ところが道に迷うことが多くなり、カーナビを取りつけました。ついでにETCも取りつけたので、ちょっと遠出も出来そうです。しかし、ひとつ贅沢をすると、次々お金がかかることがふえます。ガソリンの値が上がりはじめ、暖房の灯油とともにバカに出来なくなってきました。少しでも安くと思ってプリペイドカードを使っていますが、1万円チャージしても直ぐになくなってしまいます。
自分の収入の範囲内で楽しく暮らそうと提案されましたが、普段の生活で節約しながら、これからも充分楽しみたいと思います。
2月19日放送 「『逆考』のすすめ」
ビジネスコンサルタント 山崎武也
私の最大の欠点はどの様なことでも鵜呑みにしてしまうということだろうと思います。放送大学の講座ひとつ取り上げても、いろいろな立場の講師が話されることをそれが正反対のことであっても、なるほどそうだと受け入れてしまいます。きっとこの5年間の感想文を読み返してみたら矛盾したことを書いていると思います。逆思考がもっとも苦手なのですね。
大学を卒業する時、ある教授が卒業のはなむけの言葉として「若者の特権は反抗することであり、若さを保つには人の言葉を批判的に受け取ることだ」といわれました。それは長いものに巻かれず、何時も何が正しいかよく考えてみるということだと思います。しかし、安保反対など学生運動が盛んになりかけていた時代、勉学をすべき学生が学生運動にのめり込むのは間違っていると思いこみ、もっぱら自分の学費を稼ぐアルバイトとクラブ活動に時間を割いていたような世間知らずの私には、その意味を理解することが出来ませんでした。新しい職場に就いた早々に、世間知らずの私は徹底的に批判され、責められました。その分野では選りすぐりの人たちが集まる職場にいきなり入ったからです。その時、これ以上批判されないようにと、外面上だけでもその場に自分を如何に適応させるかということに気を使うようになったことは確かです。これが長いものに巻かれていることが安心だという処世術だったのですね。
私は今でも自分を批判されることをもっとも恐れて行動し、発言しているように思います。だからその場にいる人にもっとも喜ばれるように努めてきました。今も自分の言動を批判されると、全人格を否定されたように落ち込んでしまいます。しかし、今日の講座で、批判されることは自分の欠点に気づかせてもらえるチャンスだと考えれば、批判を受けることもありがたいことだと思えてきます。批判されないように長いものに巻かれたり、心にもない言葉で取り繕っていた自分を反省しなければと思いました。
2月12日放送 「農民になりたい」
ジャーナリスト 川上康介
私も66歳で退職した時、まず最初に取り組んだことが親戚から借りていた畑を耕すことでした。朝起きると畑へ行き、朝食を済ませると再び畑へ出向きました。夕方水やりが必要な時にも出掛けました。葉っぱについた青虫を1匹ずつ捕るなど、結構手間暇をかけていたように思います。そして雨の日や空いた時間に現役時代の要らないものを片付けることと、ホームページづくりに夢中になりました。ただ一切機械を使わず、全て手作業だったので、腰の痛みには参りました。青じそをたくさん植えてしそジュースをつくり、収穫したなんきんや玉ねぎ、ジャガイモ、さつまいもをずらりと並べて写真を撮り、ホームページに掲載したり、人にあげたり、充実した日々でした。
2年後放送大学の仕事が入り、地域の老人クラブでの楽しみがふえ、さらに足腰の痛さに負けて耕地を縮小し、最後は借りていた畑を返上して、今は庭に6畳ほどの菜園が二つだけになりました。それでも夏野菜、玉ねぎ、ジャガイモ、さつまいも、小芋、ダイコンなどの根菜、ほうれん草や春菊、水菜、茎ブロッコリー、ワケギ、パセリ、食用菊、そしてスナックエンドウやツタンカーメン、ゴーヤ、なんきんなど季節季節の野菜には少量ずつですがふたりで食べるには事欠きません。自分の育てた野菜は本当に美味しく感じます。種代や肥料代を考えると安くないかもしれませんが、それでも安心だし、庭にあるので、水やりは楽だし、常に目をかけることが出来ます。真冬以外は風呂の残り湯は全て畑にやっているので、エコ生活も実感出来ます。
確かに、年金があるからこの様に楽しみながら菜園に取り組めるのだと思います。これが若い時だったらこの様なのんびりした作業では食べていけないと思います。今日のお話しの「農業は職業ではなく人生の生き方だ」という言葉は本当にそうなのだと気づかされました。これからも菜園での楽しみをいっそう大切にしていきたいと思いました。
2月5日放送 「老いてこそ」
大本山鷲山寺貫首 大塚日正
たとえ寝たきりになっても、なお人の役に立つのは感謝の言葉と心からの笑顔だということはこれまでも何度か聞きました。しかし、今回はさらに「感謝と謙虚なる祈りの心」と話されました。高齢になって謙虚さを失う場面ほど他人から見てうんざりすることはないように思います。謙虚になれないのは、長く生きがいとしてきたことからの「誇り」かもしれません。まわりの人、若い人より長く一生懸命生きてきたという自負心がいつの間にか優越感になって、上からものをいったりするような態度になるのかもしれません。
以前、「ボランティアはするのではなく、させてもらうという心を忘れてはならない」と教えられたことがあります。ボランティアの対象が主人公であって、させて頂く側はあくまで謙虚でなくてはならないということなのでしょうね。もう一つ、相手が自分に対して何かお世話をしようとしている時には素直に感謝して受けることが大切なのかもしれません。その時には相手は人に役立ったと生きがいを感じているかもしれないのですから。「自分は人の世話をしても人の世話にはならない」などと言う人がいますが、これではまわりの人の生きがいを奪うことになるのですね。今日の講座で特に謙虚に生きることの大切さを学びました。
1月29日放送 「笑う介護士」
(有)笑う介護士代表取締役 袖山卓也
いなみ野学園に勤務している時に介護保険制度が始まりました。介護士確保の意味もあって、県から補助金を交付するので、ヘルパー3級の講座を開くように指示があり、学生さんに呼びかけたところ、沢山の方が受講されました。2年間続けたところで、3級では介護の役に立たないこと、専門学校など介護士を養成するところがたくさん出来、また実習にかかる費用が、教員養成などに関する実習費との金額の差があって、実習先確保が困難になり、さらに県からの補助金も打ち切られました。それでも1年、受講料が高くなっても受けたいという学生さんのために開講しましたが、学生さん自身の間でも3級の資格を取っても役に立たないという話が広がり、講座は修了しました。今思うと、技術的な内容などの話はクローズアップされても、介護する相手の人となりに寄り添う話がどれほど聞けたのか疑問に思います。
現役時代、護学校には重症心身障害児施設(ほとんど寝たきりの子どもたち)への訪問教育がありました。担当の先生方は、何とか話しかけに応じたり、笑顔が生まれるような指導が出来ないかと工夫されていました。今思うと、施設の看護職員は仕事として介護を機械的にひとりの子どもを交替で介護しておられました。子どもたちは物心着いた頃から施設でのベッド上の生活なので、先生達は担当を決めて、一人ひとりの心に寄り添い、ベッドから連れ出す工夫をしておられました。今日のお話しの心に寄り添うことを中心に、親がそばにいたら、あるいは家庭におれば経験出来るであろうことに配慮しながら膝の上で話しかけたり、絵本の読み聞かせなどをされていました。また、車椅子で庭の散歩や、夏にはプール遊びなども経験させていました。
高齢者は自分の人生を生きてきたので、その生き方を大切にするということに尽きると思います。だから、何一つ経験してこなかった子どもとは違うと思いますが、その人の人生を豊かにする介護という意味では今日の話は共通していたと思いながら聞きました。
1月22日放送 「ガンの早期発見と予防」
県立先端科学技術支援センター所長 千川純一
スプリング8が播磨科学公園都市の目玉であるということはずいぶん以前から聞いていて、何度か公園に出掛けたことがありますが、結局規模が大きくてこれだという場所も、その働きもよく理解出来ませんでした。ただ和歌山のヒ素事件の時に、分析した結果、事件に使われたヒ素に非常に近いものだということが報告されていて、そのようなことも出来るのかなと思った程度でした。それでも現実に何の役に立つのかは理解出来ないままでした。
今回千川先生のお話をお聞きして、初めて具体的な使い道を知ることが出来ました。髪の毛1本でガンや糖尿病、アルツハイマーに関する情報が得られるのだとしたら、たつの市といわず、兵庫県下の保健所が取り次ぎをするぐらいのことを県で進めれば、それこそ医療費節減につながるのではないかと思いました。もっともまだ研究段階ということでしたが、資料が多く集まればそれだけデータの信頼度が向上するだろうし、県民の税金が有効に使われていることにもつながると思います。問題は、分析に要する時間と費用ですが、それがどの程度かかるのかという話をお聞きすれば、本当に県民の役に立つものかどうかということがわかりやすかったと思いました。
ところで、自分のカルシウム摂取については、毎朝のコップ1杯のきな粉牛乳、1〜2日に1回青汁の粉末を混ぜたヨーグルトが中心です。これはずいぶん長く続けており、夫婦とも親をガンでなくしているので遺伝子を持っていながら、これまではその疑いもありませんでした。私自身数年前にピロリ菌の数値が高く除去し、胃ガンの発生を抑制してもらった経験もあります。妻は骨粗鬆症でカルシウム剤を服用しているはずです。このカルシウム摂取がガン予防に効果的だということはとても参考になりました。
1月15日放送 「正岡子規の『楽しむ力』」
俳人 坪内稔典
子規の積極的な生き方、活動の広さはこれまでもよく聞いていました。例えば野球用語などは子規に由来する言葉が沢山あります。NHKで放送された『坂の上の雲』はそのことを強く印象づけられました。
ところで、今日の坪内先生のお話の中で、死につながる病においてさえ「楽しむ」という姿勢はやはり凡人では考えられないことだと思いました。私自身は大病をしたことがないので、おそらく死につながる様な病気にかかれば、きっと精神的に落ち込むだろうと思います。しかし、普段から重荷と感じることや腹の立つことに出くわしたときに楽しんで対処する生き方をしていれば、案外子規の生き方に近づけるのではないかとも思いました。例えば、様々な役割を押しつけられた時にでも、それらを楽しんで処理出来る方法を考えてみるのもいいかなと思うのです。そのためには、自分のレパートリーを豊かにする必要があるかもしれませんが……
それにしても、パチンコで儲けたお金で「正岡子規全集」を買い、それを生涯の研究のきっかけにしたという坪内先生の告白には、先生御自身が正岡子規に学んで飾ることなく人生を楽しんでおられる様子を楽しく聞かせてもらったように思いました。
1月8日放送 「学生参加番組『人生を振り返って』」
現役時代というか、生活を支えている時は、それぞれ大変な思いをされています。それでもその大変さに負けることなく、懸命に生きてこられたことが、いま自分の時間を持てる喜びにつながっておられるように思います。
しかし、その喜びというのは、皆さんのお話を聞いていて、如何に人とのつながりの上にあるかということもよくわかります。決してひとりでは喜びを得ることが出来ないのですね。その中でも放送大学は、ただ凡々と日々に流されるのではなく、ひとつ上の喜びを目指そうとしておられることがよくわかります。また放送大学がそれをもたらしてくれるものだと思いました。
私も放送大学の仕事をさせて頂いていることで、たくさんの喜びを得ています。少なくとも若さというか、明日への心の張りあいの様なものが絶えることがありません。何時もまだもっとこんなことが出来るのではないかという気持ちを持ち続けている様に思います。95歳になられた井尻さんの発表を聞いていても、「まだまだ体が続く限り、放送大学の全ての行事に参加したい」と言われる様に、前向きの心意気が感じられます。今年の日々がさらにどの様な展開になるのか楽しみです。
平成23年1月1日放送 「知事新年挨拶・学生参加番組@」
井戸敏三知事の新年挨拶
震災15年目の昨年、記憶に留め、減災を目指す取り組みがいろいろなされ、今年は神戸マラソンとして実施されるようです。全国の人々がマラソンと震災をどの様に結びつけて考えられるのか、見守りたいと思います。
山陰海岸のジオパーク認定については、以前豊岡市長からその意気込みと意義を聞かせてもらったことがあります。ずいぶん以前ですが香住港から浜坂港まで船上から山陰海岸を見ましたが、多くの人々に見学してもらう価値のある景色だったことを思い出します。コウノトリのために農家が地域全体として協力していることと合わせて自然への取り組みは素晴らしいと思います。
関西広域連合については、大阪府の橋下知事が意識改革を含めて積極的に進めようとされていることに対して、井戸知事がしがらみにとらわれた様な印象もあってやや慎重になりすぎておられる様な印象を受けます。国が権限を振り回してきた過去の政策を見直すためにも、もう少し積極的な方向が見える様になれば広域連合はとても意義あるものになると思いました。
今年の自立新時代の確立については、国、あるいは県が主導するのではなく、ジオパークやコウノトリに対する農家の様に、地域住民の発想で地域から発信し取り組んでいることに、県がどれだけ後押し出来るかという事が大切だと思います。その意味からも、各地域の住民が今年の自立を目指した元気な地域づくりを見守りたいと思います。
学生参加番組「「人生を振り返って」
加輪上さんのお話は先日東灘友の会を訪れた時にお聞きしました。童謡「さっちゃん」のモデルが身近な友で、その詩碑を卒園した幼稚園へ見に行かれた積極的な行動力はうらやましい限りです。行動すればそれだけの感動が得られるということですね。
山本さんの「未発の手榴弾」のお話しは、当事者ならではの死に直面した気持ちだと思いました。鹿児島県の知覧を訪れた時に、特攻隊の人々の手紙を読ませてもらいましたが、権力によって死に直面させられた時、やはり一番に思うのが家族だということがわかります。玉音放送を聞いてなお、突撃の命令を下すという当時の統制された軍隊の思想の恐ろしさは二度と繰り返してはならないと思いました。『死という言葉を軽々しく使ってはならない』という山本さんの言葉が印象的でした。
都倉さんの事故で片足を切断された話には、交通事故の恐ろしさを痛感しました。しかし、片足を失って人生を大きく変えられてしまったにもかかわらず、出てくる言葉は感謝の気持ちばかりで、都倉さんの素晴らしい人柄を感じさせられました。やはり他人の善意と家族の絆は人を幸せにするのですね。
たつの市の山本さんが話された南米アンデスの旅は、たった一枚の写真から世界の旅を実行されるという私たちには想像できないような勇気を持っておられることに驚きました。そして、現地人の人生を楽しむ生き方を見て、その生き方を取り入れて実践されたことは、先の写真の一件と同様、素晴らしい実行力の持ち主だと思いました。自分の発想の貧弱さと、実行力のなさを改めて感じました。
12月25日放送 「老いを生きる暮らしの智恵」
評論家 南 和子
いいアイデアや川柳の句を思いついても、直ぐに忘れてしまいます。いろいろな場所にメモ用紙と鉛筆を置いておくというアイディアはぜひ取り入れたいと思いました。特に枕元に置く習慣をつけておきたいと思います。
「ありがとう」という言葉は直ぐに出ますが、頼まれることはあっても、人にものを頼むという習慣がないので、これからは素直に頼むという心も意識しなければと思いました。
食べこぼしは特にひどくなってきました。指先が不器用で、お箸でつまみ損なうことが多いからです。いままでズボンをよく汚してしまうので、膝に布巾を載せて食べていました。エプロンの方が服も汚さずに安心して食べられそうですね。近い将来そうなることでしょう。
その他いろいろと参考になることが沢山ありましたが、これから先は恥や面子にこだわらず、この様な老いを生きる知恵を自分なりに工夫して、楽しく安心して暮らせる様にすることが大切だと思いました。
12月18日放送 「学生参加番組 学ぶ高齢者のつどいより」
今回は各ブロック代表の8名の発表の抜粋が放送されました。発表の趣旨がわかるよう上手く編集されていることに先ず感心しました。
発表の中にあった「健康長寿の秘訣」のアンケート結果で、1社会から孤立しないこと 2友人との交流を大切にすること 3趣味のグループに入って楽しむこと 4他の人の役に立つ団体に入って活動すること などをあげておられましたが、8人の発表者全てがこの条件に当てはまり、いきいきと生きておられるように思いました。また、新しいことへの挑戦が、今まで知らなかった世界を知る喜びにつながるという言葉を実感として私も受けとめています。私自身が退職後に得たそれぞれの交流の中で、今後新たな取り組みを前向きに考えていきたいと思いました。
12月11日放送 「地域力で防ごう詐欺商法」
ひょうご・まち・くらし研究所 山口一史
オイルショックの時には運賃や食品など驚くほどの勢いで値上がりしたものです。けれども、月給の定期昇給の幅も大きく、5〜6万円だった給料が短期間で20万円を超えていました。特に勤務先が変わってからは定期昇給が1年ではなく半年であったり、9ヶ月であったりと、年度の途中でも昇給がありました。
現在は物価が安定している、あるいは値下がり傾向にあるとのお話しでしたが、私はそうとは思っていません。例えばティッシュペーパーにしても値段は変わりませんが、昔に比べてサイズは小さくなり、中身も200組400枚入っていたのが160組320枚になっています。マーガリンも450c入っていたのが今は320cしか入っていません。この様な値上げ商法は日用品の中にも沢山あります。安くなっているのは技術の進んでいくパソコンやテレビなど工業製品だけかなと思います。
詐欺商法については我が家にも訴訟取り下げのはがきが届いたことがあります。連絡先が書いてありましたが、連絡すれば幾ばくかのお金を取られていたでしょう。詐欺商法にかからない御守りとして、何年か見える所にそのはがきを貼り付けていました。最近では独立して家にいない息子に丁寧な言葉で何度も電話があり、怪しいと思ったので、まだ帰っていないと伝え、決して連絡先をいいませんでした。それでもしつこくかけてくるので、こちらから連絡するから電話番号を教えるように求めると、いつでもかかるようにと携帯電話の番号を言ってきました。これで相手が会社組織ではないことがわかりました。とにかく詐欺師は少しでもスキがあればつけ込んでやろうと常に相手の心理を読んでいるようです。
私たちは老人クラブのグラウンドゴルフで週2回顔を合わせ、プレイの前後におしゃべりをします。また、カラオケでも月2回は顔を合わせ、お茶を飲みながら世間話を楽しくしています。もちろん老人クラブの例会でも月1回集まってお茶を飲みながらおしゃべりをしたり、情報交換します。この様に積極的に周りの人たちと交流しようという人たちはいろいろな情報が手に入ります。しかし、孤立している人たちにとっては詐欺に引っかかることがあるかもしれません。やはり孤立しないことが大切なのだろうと思います。
12月4日放送 「老いのかたち」
作家 黒井千次
自分が子どもの頃、60歳にもなればおじいさん、おばあさんだと思っていました。しかし、そのおじいさん、おばあさんがどうしていたかと考えると、畑仕事をしたり、地域のためにいろいろと活動していたり、自分の息子や娘の家をよく訪ねてくるなど、私たち孫にとってはとても頼もしい存在であり、あまり隠居姿を見ることはありませんでした。ただ中風で体が不自由になり、家族に介護されるようになると、本当の老人になったように思っていました。
しかし、自分が60歳で定年を迎えた時、孫はいましたが、年をとったとは少しも考えず、第二の職場で夢中で働きました。その職場で、70歳代の方々の元気な生き方を見て、自分が70歳を超えた頃、あのように意欲的な生き方が出来るのだろうかと全く自信がありませんでした。66歳で退職し、第2の職場で学んだ生き方を高齢者のモデルと考えて、それに近づこうとしていたように思います。
確かに幼、少年時代から定年退職するまで、挫折することなく恵まれていたと思います。ただ、視野の狭いところで過ごしてきたこともあって、第二の職場で高齢期の生き方を素直に学ぶことが出来たのだと思います。だから、いま高齢期をとても充実した生き方をしていると自分では思っています。この前向きの気持ちは当分続くと思っており、たとえ病気などで挫折しても、全てを失うことはないだろうと楽天的に考えています。
11月27日放送 「ストレスを消す技術」
東邦大学医学部教授 有田秀徳
現職の時、教壇に初めて立った時、いきなり研究発表会があり、自分ではそれほど感じていなかったように思うのですが、ストレスに襲われたのか、全く声が出なくなりました。その後、毎朝子どもたちと30分から50分ほど駆け足をしていた時期は、ほとんどストレスを感じたことはありませんでした。むしろ自分でも楽しくて仕方がないと思うほど意欲的に仕事に取り組んでいたように思います。
しかし、管理職になると、月1回の会議では口の中がからからになるほどのストレスに見舞われました。けれども会議の間だけで、それ以外はいつも前向きに仕事をしていたように思います。それでも検診があると、胃の内部がただれているといわれたことがありました。
退職して第二の職場、高齢者大学の仕事に携わるようになると、職員も学生さんも全てが前向きで、毎日が楽しく、いい勉強になりました。そして、検診では全てAという結果に自分でも驚きました。全くストレスを感じない毎日でした。考えてみるとこの時期も朝日を浴びながら毎日ラジオ体操やみんなの体操を学生さんと一緒にしていました。後半、全県的な行事の企画運営を中心になってしましたが、それもあまり苦痛にはなりませんでしたが、それでももの忘れをしたりミスが見られたりと、多少のストレスがあったようです。その上、飲む機会が増えるにしたがって、大切だと思う行事で下痢をすることが多くなりました。
退職してからは、全て自分の時間として思うように使えるので、好きなことをしているとストレスを感じません。けれども何かしていなければという意識が強かったのか、正月頃から絶えず下痢をするようになりました。思い切って胃腸外科で診察を受け、絶食をして大腸の検査をしましたが、これがよかったのか、それ以降その心配もなくなり、歩き遍路や老人クラブの活動を楽しむことが出来ました。
今も老人クラブのいろいろな役割がありますが、自分ではストレスには感じていません。飲む機会も相変わらずですが、結構楽しく参加しています。第九やカラオケなど、歌うことも月に何回かあります。一方で、いろいろなお誘いを受けますが、これはストレスを感じるだろうなと思うところには近づかないような傾向があります。これが案外ストレスを感じずに日々過ごしている結果なのかなと思います。しかし、セロトニン神経の活性化によいといわれたことの中でさらに自分が出来そうなことを、継続して試みてみようとも思いました。
11月20日放送 「人生の不思議」
歴史学者 立川昭二
私はまだまだ若いためか、安全安心に軸足を置いて生きています。現在置かれている環境に対して、決して不安や不幸だとは思っていません。むしろ恵まれたところにいる仕合わせを感じています。そして、どの様なことが起きても自分が不安になったり不幸になったりはしないと思いこんでいます。もし病気になればそれを受け入れ、死を宣告されれば、今までの仕合わせを感謝しながら素直に死を受け入れようと思っています。そのような自分ですが、社会みんなが不安や不幸せに感じることなく、ごく当たり前に感謝しながら生きていけるような社会の実現を願っています。そのために自分に何が出来るかということは常に頭にあります。広く社会に尽くそうというのではなく、自分の身近なところで出来ることをすればよいと思うのです。ただ、戦争の不幸を成長期にいやという程経験しているので、そのことにはアレルギーといわれるほどの気持ちが根底にあります。決して争うことには加担したくないというのがたったひとつの私のポリシーかもしれません。まわりが対立していてもどちらにも加担せず、いつも見守っている自分がいます。また自分に降りかかったことには先週の高木先生が話された「先ず自分が折れる」生き方をしているようにも思います。ずるい生き方かもしれませんが、これが私のサンデー毎日になってからの人生のように思います。この様な私ですから、人生の不思議という心境にはまだまだ至っていません。
11月13日放送 「最期まで輝いて生きる」
上智大学グリーフケア研究所所長 高木慶子
人が輝くとは、まわりの人との良好な関係をつくることで、それは「出会い」「折れ合い」「仕合わせ」が大切だと話されました。それでは、人様から見て自分は輝いて生きているだろうかと考えた時、私はまだまだだろうと思いました。
家庭では、これまでどうかすると、なぜこんなことをしなければと思った時期がありました。しかし、最近はそのような気持ちがすっかり消えてきたので、素直に仕え合って生きるという点では多少評価が上がったかもしれません。しかし、これは自分の役割ではないと決めつけてしまうところがあり、その点ではまだまだ折れ合っていないし、仕え合っていないだろうと思います。
これが地域ということになると、さらにまだまだだと感じます。幸い皆さんの仲間に入れて頂き、それなりの役割を与えられるようになり、自分では精一杯尽くそうとしていますが、力不足でなかなか満足してもらえません。どうしても独りよがりの面が出てきてしまいます。心の込めようが足りないのだろうと思います。「3C」=コミュニケーション、コンパッション、コンパニオンのいずれもが足りないのだと思います。自分の満足のためではなく、もっと相手の仕合わせを大切にする心を磨かなければと思いました。
それ以上広く対象を捉えると、この年齢と財力ではどうしようもありません。ただ出掛けた時、たとえ見知らぬ人であっても、そこで出会う人々に不快感を与えるような行動は慎みたいと思うだけです。そして折れ合うことに細心の注意を払いたいと思います。
11月6日放送 「死と向き合う瞬間(とき)」
上智大学グリーフケア研究所所長 高木慶子
文明がまだまだ開けていない時代、自分の身の回りのことしか情報が入らないので、死はもっとも恐ろしいことだっただろうと思います。だから宗教に助けを求めていたのだろうと思います。南無阿弥陀仏と唱えれば自分の来世は救われると信じたのも、上の下に召されると考えたのも、恐怖から逃れるためだったのでしょう。
しかし、現在、医者から後半年などと余命を宣告されると、それなりの心構えが出来そうに思います。それでも、自分が日に日に弱っていくとき、どの様な心境になるのか、見当もつかないのが正直なところです。きっと今は自分の明日の予定を考えても、自分の余命について考えることがないからだと思います。余命を考えれば、死ぬまでにこれだけはしておかなければと思うでしょうが、今は何年も先のことを考えています。そこには自分の死の予定は全く入っていません。
死を迎えて初めて感謝の心に至るのではなく、今生きているとき、出来るだけ人や自然に感謝の心を示し、また人から感謝されるような生き方を精一杯出来ればと思っています。特に金儲けも出来ず、金を出すことも出来なくなった今、誠意を大切にすることこそが大事だと思っています。そして感謝の心をもち満足してこの世を後に出来れば、きっと幸せな気持ちで旅立てると思っています。
10月30日放送 「ずっと一緒に」
鍼灸マッサージ師 田中真由美
私は順風満帆の人生のただ中にあるせいか、自分が不幸だと思ったことは先ずありません。むしろいつも恵まれているなと思っています。だからおかれた環境を素直に受け入れ、与えられた役割を精一杯果たせればよいと思っています。意識はしていませんが、今ある存在を幸せに思っているのでしょうね。
夕食の献立を決めるとき、よく「何が食べたい?」と尋ねられます。「何でもいいよ」と応えると「張りあいがないねえ」と言われます。与えられるものは何でも美味しく、幸せ感がいっぱいなので、改めて注文など考えつかないのです。旅行も人が計画したことに喜んでついていきます。自分で計画して誰かを喜ばせようなどとおこがましいことはあまり考えません。私から言い出さないので、まわりは不満のようです。「生きる意味」の中で創造性に欠けるのかもしれませんね。
世の中には自分の思い通りにならなければ不満をあからさまに示す人もいますし、他人の不幸など考えもしないで、自分の欲望を満たそうとする人もいます。中には人の幸せをねたみ、人の不幸を喜ぶ人さえいます。私は今の日本のように戦争もなく、平和を信じて生きていることこそ幸せだと思っています。つまらないメンツのためにその平和を乱そうとする考えを持つ人だけは受け入れることが出来ません。それは私の人生を終えるまで変わらないだろうと思います。
10月23日放送 「簡単 笑いヨガ」
日本笑いヨガ協会代表 高田佳子
先ずテキストの経歴を見て、明石高専の出身ということに親しみと意外さを感じました。しかし、講座を聴き始めるとそのような思いは消え、メモをしながら一緒にやっていました。
確かに笑う機会が少なくなりました。私にユーモアのセンスがないので、老夫婦ふたりの生活ではなおさらです。高家寺寄席などに出掛けて笑うとスッキリします。笑うことは好きですが、本当にそのような笑う機会が少ないことを改めて思い知りました。
この笑いヨガを実践してみようと思います。ただし妻にこのことをしっかり説明してからやらなければ、いよいよ頭がおかしくなってきたと心配されるでしょう。
今日はこの後地域の老人クラブの例会があります。会の終わりにでも、この笑いヨガを紹介し、皆さんでやってみようと思います。そしてにこやかに終わりたいと思います。ただし男性会員には冷ややかに見られることが大いに予想されますが……
10月16日放送 「龍馬から学べ−うわさ好きな日本人−」
作家・歴史家 加来耕三
私は加来先生の言われる「日本人はオッチョコチョイ」の典型です。ドラマや講談、歌舞伎などで描かれる歴史上の人物をとても興味深く思い、それがその人物の実像だと思ってしまいます。大河ドラマ「龍馬傳」を見ていて、登場人物をすっかり実像と思いこんで楽しんでいます。又、今の社会情勢もついつい感覚的にとらえて、選挙ではとんでもない人物に投票してしまったこともあります。
つい先日、「常識の壁」(菊池哲郎著)という本を読みました。そこには加来先生が指摘されたように一般的に常識と考えられていることに落とし穴があることを教えられました。常識と考えていることが時代によって変化していること、自分が常識と考えている枠を取っ払ってみると、創造的な考えが浮かび上がることが沢山あったのです。そう思って現役時代のことを思い出してみると、常識と思いこんでいた自分の狭い枠の中で物事を判断していたことに気づき、たくさんの人々に迷惑をかけてきたことを反省させられます。加来先生が地に足をつけて考えることが大切だといわれましたが、狭い常識の枠の中で自分の足の付け所が間違っていた部分もあります。
今、私の判断によって、他の人々が動くということはないので、自分が楽しむことはムキになって冷静に考えなくてもよいと思います。しかし、投票など、社会との関わりにおいてはオッチョコチョイを脱却しなければならないと思いました。
10月9日放送 「『病』『老』の時代を生きる」
評論家・作家 吉武輝子
私は大きな病気をしたことがないので、いまいち病人の気持ちが実感出来ません。それでも吉武先生の病気に対する気構えには本当に驚かされます。
私の家の前を何人かの高齢者が酸素ボンベを引きながら歩いておられます。しかし、それらの人は老人クラブには参加されていません。そこで考えてみると、老人クラブに入っていても、病気になった人は次々にやめていかれます。整形外科的な症状(足腰が痛くて病院通いをしている人や、老人車を押さなければ歩くのが困難な人)は病人だと思っておられないので、参加されますが、脳梗塞など、病気のために症状の出た人はやめてしまわれることに改めて気づきました。吉武先生の言われる病人になり、引きこもってしまわれるのでしょうね。その時に連れ合いまでが老人クラブから離れてしまわれることがあり、残念に思います。
それでは、自分がもし病気になったときはどうかといわれれば、はなはだ自信がありません。しかし妻を道連れにすることはしないでおこうと思います。私の看病が必要であっても、出来るだけ妻の今までの活動にブレーキをかけるようなことは避けたいと思います。
元気で老春を謳歌している今、楽観的ですが病気になったときのことなど考えず、精一杯生きがいをもって日々を送ることに専念したいと思います。そして、将来病気になったとき、改めて吉武先生の今回のお話しの録音を聞き直し、元気をもらいたいと思います。
10月2日放送 「死ぬまで幸せでいるために」
評論家・作家 吉武輝子
確かに肩書きが取れてからの人生は自分の時間として自由に楽しんで生きているという実感があります。そして先でおこるであろうことを心配もせず、楽観的に生きているというのが本音です。それは、まるで自分がこのままいつまでも生き続けると思っているようです。だから先々まで手帳にどんどん楽しい予定がつまっていきます。コレステロールが高いといわれても、なかなか真剣に食事療法などに取り組めません。このあたりは、吉武先生の言われた「自分の体に耳を傾けて生きる」ことに反しているのかもしれません。
自分の現職時代の肩書きの同窓会が年に数回あります。昔の仲間と出会うことは楽しいのですが、いつも心のどこかに抵抗を感じていました。それはやはり肩書き時代に引き戻され、自分らしさを失う時間だったのかもしれません。この様な機会を意図的に減らしていく必要がありそうです。
「地域家族」という言葉を初めて聞きました。私の夢でもあります。吉武先生の「鍵を預けていて、様子を見に断りなく家に入ってくる」というのは、一人暮らしになったとき本当に心丈夫だと思います。それほどお互いに信頼関係が出来れば最高だと思います。しかし、自分の身の回りに果たして地域家族になれる人がいるかと言えば、それはとても難しそうです。それでも次回の老人クラブの例会で、このことをぜひ話してみたいと思います。
9月25日放送 「緩和ケアの今」
金城学院大学学長 柏木哲夫
ホスピスといえば全ての病気の末期に対するケアだと思い違いをしていました。そういえば、癌以外の末期の症状はいろいろだということがわかります。
父と養母の癌末期に立ち会いました。父の場合は吐血して救急車で病院に運ばれ、その後3週間ほどの入院生活で亡くなりました。既に癌と気づいたときには末期で、終末の苦しみを見せましたが、期間が短く、本人も直ぐに意識が混濁し、あっけなく逝ってしまったという感じでした。
しかし、養母の場合は違っていました。震災直後の4月、突然食べ物が喉を通らなくなり、長年通院していたがんセンター(当時は成人病センターと呼んでいた)で診察を受けたところ食道癌で、手術は無理と診断されました。食事が出来ないので即入院、点滴を始めましたが、直ぐに転院を言い渡され、がんセンターの近くの外科病院へ移りました。手術が出来ないほどの症状であることは本人には伝えることが出来ず、肝臓が弱っているから回復してからということになっていました。
ただ食事が出来ないだけで点滴のための入院だったので、入院直前まで普通の生活をしていた本人には退屈な日々、手術をすれば治るという希望がなかなか果たせないいらだちばかりが募りました。その内帰りたいという言葉や、ホスピスという言葉まで聞かれる様になりました。今なら介護保険制度や在宅介護の制度が行き届き、本人の要望に対応出来たと思いますが、当時は往診してくれる医師が近くになく、病状がどんどん重くなっていき、半年間ただ病院の一室で死を待つという心のケアはどうすることも出来ませんでした。医師は身体的苦痛を和らげるだけで、妻が毎日病院に通って精神的な支えになる様努めていました。
最近、90歳を超えた伯父が脳梗塞が原因で意識もほとんどなくなっていた末期に、家族が家に引き取り、終末を家族で看取りましたが、癌の場合、どれほど自宅で家族が看取ることが出来るのか、在宅医療、在宅介護という面で、もっと具体的にいろいろ知りたいと思いました。
9月18日放送 「美味しさの罠」
フーズ&ヘルス研究所代表 幕内秀夫
「自然の甘味や脂に対して、砂糖や食用油を使うと圧倒的に食物の摂取量が増える」という言葉は実感として理解出来ます。焼きめしや寿司は普段の1.5倍のご飯を食べています。又、カタカナの主食も口に美味しく、カタカナの調味料を好んで食べています。実に明快に指摘され、自分の食生活を思わず顧みることになりました。
普段は朝食と夕食はご飯であり、昼食はパンです。パンの時は結構マヨネーズや炒め物、バターを摂っています。一方、朝食ではほとんど脂や砂糖の入った料理は取りません。みそ汁、梅干し、焼き海苔に豆類、きな粉を入れた牛乳ていどです。時には果物をデザートに食べます。
夕食は和食の時は良いのですが、カタカナの副食が出てくると、結構脂(油)や砂糖が含まれるようです。この様なとき、今日はご馳走だなと感じることが良くあります。そしてついついビールが飲みたくなります。和食の方が体に良いことがよくわかりました。
もう一つ、夕食後にケーキなどが出てくると、デザートは別腹だと言って美味しく食べてしまいます。バイキングの時など、必ず最後にケーキと砂糖入りのコーヒーを飲んでいます。まさに美味しさの罠だったことがよくわかりました。この罠をしっかり自覚して健康食が続けられるかと言われれば、やはり誘惑に負けそうで自信はありません。
9月11日放送 「考えないヒト」
京都大学霊長類研究所教授 正高信男
人間が自尊感情によって成長したり、生きがいを感じたりすることは良く理解出来ます。他人から賞賛されたり、必要と認められたりすることによって意欲が増大することは確かです。逆に、集団の中にいてもまわりとの関わりが持てず、孤独を感じるときには、早くその集団から逃げ出したくなります。
他地域からやって来て地域と全く関わりなく仕事一筋だった私が老人クラブに入会した1年近くは孤独を感じました。まわりの人との会話もはずまず、相手も何を話題にして良いかわからず、ただあいさつするだけでした。しかし、思い切って親睦旅行に参加し、カラオケのグループに誘われたことがきっかけで、相手に私の一部を理解していただいてからはグラウンドゴルフの仲間にも入れてもらい、3年後には役員の一端を担わせてもらい、5年経った今は副会長までさせてもらっています。だから地域に貢献することが生きがいになっています。
インターネットの時代になって、誰とでもいつでもつながっている安心感を得ようとしている人々がたくさんいることが今日のお話しでわかりました。出会い系サイトで事件が次々起こることが不思議でしたが、ネットで集まって集団自殺をしたり、女子中学・高校生が被害にあったりするのも、お互いに認め合う様なメールを交換するからだとわかりました。しかし、これは現実的には確かなつながりではなく、人との関わりが苦手であったり、孤独に感じている人にとっては認められた喜びが強く、騙されることもあるという認識が必要だというところが抜け落ちてしまうのだと思います。
高齢者にとっては今後家から出掛けることが少なくなったり、耳の障害で人とのコミュニケーションが困難になったり、お互いの無事を確認したりするときなど、即時性を持つメールがとても大切な役割を持つことになると思います。出会い系サイトの様な見知らぬ人とではなく、公の機関や長く付き合っている人々との交流にインターネットやメールを活用することが大切だと思います。
9月4日放送 「老いはこうしてつくられる」
京都大学霊長類研究所教授 正高信男
人間以外の生物は繁殖機能を終えると、早々に命を閉じるというお話しは生物学者ならではの発想であり、いささかショックでもありました。
人生50年といわれた時代は、他の生物同様、子孫を残す機能が終わった時点で人間もその一生を終えていたのでしょう。それでもなお生きながらえる老人がいたとしても、それは存在する意義のある人々だったのでしょう。
以前は早婚で、40歳代で孫がいるのは当たり前でした。その孫に手がかかる時代はせいぜい60歳までだったと思われます。農家に嫁いだ嫁は産気づくまで田畑で働き、産後も早い時期に田畑に出た話は当たり前のように聞いてきました。家事や子育ての中心は姑の役割で、だから家計も姑が握っていました。一方男性は、田畑で若い者の先頭に立って働き続けていました。そして田畑の耕作技術や知識、地域に伝わる伝統行事などを身をもって確実に伝えていました。
戦後の工業生産中心社会になって、金の卵といわれて若者が農業から離れ、今の時代、組織化されていない地域の農業は細々と高齢者によって守られているという現状になってしまいました。一方都会で農業に携われなくなった高齢者は、働いて得たお金を備蓄しておき、そのお金と年金を当てにして第二の青春を謳歌しています。しかし専業主婦だった人の中には備蓄もなくわずかな年金でその日をしのぐ生活をしている場合も少なくありません。
そのようなことを考えながら今回の講座を聞いていると、人間の不老不死の欲が今の高齢社会を招き、そのことで高齢期だけでなく社会全体を苦しめているのではないかという思いが強くなってきました。バブルの時期に身につけてしまった生活レベルをダウンさせることは困難です。しかし、ここはもう一度原点に立ち戻り、戦後の不自由な生活を思い出しながら、高齢者が先頭に立って質素な生活をし、若者の生存を脅かす存在にならないようにすべきではないかと思いました。
8月28日放送 「高齢者と災害」
兵庫県国際交流協会理事長 齋藤富雄
防災対策や災害対応の経験が豊富なだけあって、非常にわかりやすく、又具体的できめ細やかな講義であったと思います。だから高齢者として日頃から取り組まなければならない準備や心構えが良く理解出来ました。
中でも老人クラブの取り組み、地域の人々の助け合いは災害時のもっとも初期活動として大切だと思います。このことは心しておくべきことで、常日頃からの信頼関係を確立させたお付き合いを大切にしておかねばならないと思いました。
ところで、自分達の地域のハザードマップが以前配られました。よく目立つ壁面に貼り付けていたのですが、今確かめてみると、取り外され行方がわかりません。家族の防災意識の薄さを改めて思い知らされました。
我が家は少し高台の平地にあり、水害や津波の心配は先ずないと思いますが、大津波に見舞われたときには向かいの鉄筋の消防署の建物を目指すことになるでしょう。しかし、海に近いので、風の被害はまともに受けます。また築50年の木造で、家のまわりは焼き杉板なので、火災には弱いと思います。また、阪神淡路大震災の時には釘が使われていない構造なので、きしむ音が大変でしたが倒壊を免れました。ただ漆喰壁が落ち、瓦屋根も葺き替えなければならない程の被害がありました。葺き替えるときには土の量を3分の1にしましたが、それでも次に予想される南海地震に耐えられるかどうかわかりません。
この様なことを考えながら、これからの災害に備えたいと思います。
8月21日放送 「予知防犯を知ろう」
犯罪アナリスト 梅本正行
私たちが犯罪にあう手口が沢山あることを話されました。先ず振り込め詐欺については、妻の名前で裁判費用を振り込むようにというはがきが届いたことがあります。そのようなことから、私はこの種なニュースをテレビや新聞でよく見ているので、電話がかかってきてもきっと騙されることはないだろうと思っています。しかし、講師の話からすると自信のある者ほど騙されやすい人間だということがわかりました。幸い我が家は交番所の前なので、この様な電話がかかってきたら先ずお巡りさんに相談しようと思います。交番所が留守でも警察に直接かかる電話も設置されています。これを使えば、直ぐに来てくれると思います。
ひったくりについては、現金などはほとんど持ち歩くことはありません。それでも生活費を銀行へおろしに行くことはあります。窓口のお世話になることはめったにありませんが、ひったくりにくい袋を準備し、人通りの多い道と時間帯を選びたいと思います。
空き巣等については、家の前が交番所なので油断している気持ちがあると思います。最近垣根をずいぶん低くし、道路から敷地内がよく見えるようになりました。しかし、死角になる窓については2ロックにするなど、防犯対策を進めたいと思います。
それにしても性悪説など人を疑ってかからなければならない世の中は淋しいなと思います。巧妙化していく手口には感心してしまうのですが、この新しい手口を考え出す能力をもっと良いことに使ってくれればいいのにといつも思います。
終戦直後の子どもの頃に家に人がいるにもかかわらず、泥棒に入られた経験があります。タンスの引き出しが下から順に開けられていた光景を今も覚えています。直ぐに警官が来ていろいろ調べてくれましたが、町の防犯委員をしていた父はとてもショックだったと思います。
8月14日放送 「心がまあーるくなる禅のおはなし」
浜松医科大学名誉教授 高田和明
先ず、ものの見方はひとつではないという言葉に、今の政治批判を思いました。自民党が政権を取っていたときには民主党が自民党の考えていること全てを批判し、今度は民主党が政権を握ると、自民党は民主党のやることは全て間違っていると批判し、責め立てています。すると、マスコミもその方向にたって内閣を批判する意見を書き立て、国民の支持率を操作しているように思えます。最終的には政治の中身より、政権の行方だけが大切だという印象を持ってしまいます。ひとつの施策もある人には有り難く、別の人には我慢ならないものがあると思います。それぞれの主張があるのは当然ですが、長い目、大所高所にたって見るということが大切だということなのでしょう。
先日、広島の平和記念式典にアメリカの駐日大使が出席されました。そのことについて、町でインタビューした場面がテレビで放映されました。やっと核兵器廃絶の方向で動き出したという喜びの声もありましたが、ある人は「今更遅い」と言い、別の人は「オバマさんに来て欲しかった」といっていました。しかし、その根底には、マスコミも含めて、日本は原爆を投下された被害国で、あくまでアメリカの行為は許されるべきではないという考えがあります。「日本人は原爆を投下されたことで、その原因も考えずに、ただただ唯一の被爆国として第2次大戦を精算し、ある意味美化してしまおうとしている」とずいぶん以前に批判的な論文を書いている在日2世がいます。その人は現在東大教授で、NHKテレビにもよく出演されているし、民放でもいろいろ意見を求められています。その声は主婦層を惹きつけているともいわれてもいます。しかし、被爆国や原爆投下と戦争ということに関しては意見を求められることもなく、発言も聞いたことがありません。マスコミにとっては一番大切な部分を避けて通っているようにしか思えてなりません。
今日の話を聞いていて、ものの見方を一面から決めつけて考えるのではなく、広く、長いスパンで考えるべきだということを改めて教えられたように思いました。
8月7日放送 「禅問答の名言」
浜松医科大学名誉教授 高田和明
宗教によって心苦しめている教えが沢山あります。以前小学校2年生を担当していたとき、お誕生月の子どもたちのお誕生会をしたことがあります。単なる「お祝いの会」ではなく、そのときに祝ってもらう子どもたちは、自分の生まれた頃の両親の暮らしや、自分が生まれたときの両親の気持ち、そしてどの様な思いで名前を付けたのかなど、親に尋ねておいて発表することにしていました。そのことから親の自分に対する愛情を知り、少しでも感謝の芽を育てたいと思ったからです。ところがある宗教を信じている親から、子供を作ることは罪深いことで、誕生祝いなどとんでもないので当日は欠席させますという連絡がありました。当人は折角の主役になる機会を宗教の教えのために奪われてしまったのです。
このことは親の欲望でもなければ、煩悩でもありません。親は忠実に教えを守ろうとしただけでしょう。私にとって、今日のお話を聞いていて、どの様な素晴らしい人物であれ、生き方の教えであっても、心を煩わせるようなことは無視すべきだという言葉がとても印象に残り、人に対しても心煩わせるような言葉は慎まなければと思いました。
7月31日放送 「思い出のメロディー」
学生参加番組
私自身思い出のメロディーがあるかといわれれば、これという歌はありません。しかし皆さんが取り上げられた歌についてはいろいろと思い出が蘇ってきます。
琵琶湖周航の歌については、青春18切符で醒ヶ井の養鱒場へ鱒料理を食べに行った帰り、米原駅で乗り換えるとき、たまたま湖北まわりの今津行きの電車を見つけ、その電車に乗りました。今津で下車したものの、次の電車まで1時間足らず、駅員に見るところがないか尋ねました。その時駅の近くの「琵琶湖周航の歌記念館」を紹介していただき、歌の生まれたルーツや作者を知ることが出来ました。館内ではこの曲がずっと流れていました。
「ゴンドラの歌」については、黒澤明監督の「生きる」という映画の中で歌われたということを初めて知りました。今までは意味もなく聞いていましたが、この映画を見てみたいと思いました。
「上を向いて歩こう」は、阪神淡路大震災直後、被災地でよく歌われました。その頃この歌をうたうとつい涙が出そうになり、まともに歌えませんでした。
「野菊」の話を聞き、私は戦後ですが、小学校時代同級生の女の子が学芸会の劇中で「庭の千草」を朗々と歌ったのが強く印象に残っています。特に上がり性だった私は全校生の前で堂々と独唱する女の子にあこがれたものです。
「お菓子と娘」の話を聞いていて、学校では聞けない歌を教えてくれた先生のことを思い出しました。小学校6年生の時だったと思いますが、音楽の先生が一人ひとりに好きな歌をリクエストして、伴奏をしてくれました。その時、級友が「誰か故郷を思わざる」をリクエストしました。どの様に指導してもらったのか今は定かでありませんが、この歌を覚えてみんなでよく歌ったものです。
藤山一郎という名を聞いただけで、藤山一郎と同級生だったといわれた素晴らしい声の持ち主、高校時代の柳歳一先生を思い出します。この先生のお陰で歌うことが好きになりました。
「笛吹童子」は、昔の真空管ラジオを思い出させてくれました。新諸国物語は私もよく聴きました。
「シャボン玉」のお話しはなんと悲しい思い出だろうと思いました。高校1年生の息子をたった2日間の病で失ってしまうなど考えてみてもつらいことで、本当にシャボン玉のように消えていった息子の死をどの様に乗り越えられたのだろうかと思いました。
シューベルトの「野ばら」では、印象的だった先生の青いワンピースが戦時色に変わっていったという話が印象に残りました。
「夏の思い出」の演奏を聴いていて、昭和50年頃、NHKラジオで「イージーリスニング・ミュージック」という番組を思い出しました。クラシックの名曲から歌曲、映画音楽などを親しみやすく編曲して演奏で聴かせる番組で、よく録音をしておいて繰り返し聞いたものです。きっと今もその時に録音したテープが残っているはずです。一度取り出して聴いてみようと思いました。
7月24日放送 「もったいない」
絵本作家 真珠まりこ
もったいないという言葉は小さい頃祖母からよく聞かされました。物心ついた頃は既に食糧が配給制度だったので、食べ残しをするどころか、食べ物のついたお皿をなめていてよく叱られたものです。しかし、ものの扱いについてはよく言われたものです。だから、何でもおいておく習慣が身に付いてしまったのです。
今、私の机の中には書けなくなったボールペンが何本もあります。新しいボールペンを買わなくても後日替え芯を買ってくれば使えると思ったからです。けれどもいろいろなところで広告の入ったボールペンをもらい、それを使っているので替え芯を買うこともなく、そのまま引き出しにしまわれたままです。一事が万事、いつか使うだろうと取って置いた物で机の引き出しは満杯、今使っているものはしまうところがなく机の上にあります。だから机の上が乱雑になって家族に叱られています。
弁当を食べるとき、先ず蓋についたご飯粒から食べます。へぎに入った幕の内弁当などはなかなか取れなくて苦労します。子どもの頃、お釜やおひつに残ったご飯粒に白湯を入れてかき回し、一粒残らず食べていました。今、電気釜を洗うとき、釜やしゃもじについたご飯粒がもったいないなと思いながら洗い流してしまいます。昔のように白湯を入れて食べてしまいたいと思うのですが、家族の非難を考えて抵抗を感じながら流してしまうのです。子どもの頃に身に付いた習慣は70年近く経った今、ものがあふれる時代になっても抜けきらないのですね。
今回の真珠さんの話で、もったいないを命の大切さに結びつけて考えるということは大切だと思いました。地球に優しい、人に優しい、何より身の回りの物にも優しいということを身につけておけば、決して命を傷つけ合い、奪い合う戦争を礼賛することにはならないでしょう。
7月17日放送 「植物たちの健康術」
甲南大学理工学部教授 田中 修
先ず植物にとっても紫外線がそれほど有害であるということは想像もしていなかったので驚き、そして話に感動しました。植物が子孫を増やし守るために、必死で対策を講じていたとは本当にすごいなと思いました。植物は光合成によって養分を作り、成長を続けているので、直射日光がとても大切です。だから太陽の光を求めてどんどんと伸びています。それだけに紫外線を浴びる量も生半可ではないので、この様に種を守るための工夫があったのですね。野菜や果物、特に黄緑野菜をしっかり摂るようにといわれる所以もわかりました。
我が家では今トマトとナンキンが次々なっています。これらも種を守るためにこの様な色をしているのだということを改めて感じながら今日も感謝しながらいただきます。
7月10日放送 「高齢者と科学技術」
科学技術ジャーナリスト 赤池 学
東京大田区の町工場地区の出身ということで、物づくりに小さいときから関心があり、自分の将来の夢もそこが原点だったと話されました。本当に素晴らしい仕事をされていることに感心しました。ユニバーサルデザインは、最初は障害者のために始まったということは障害児に関わった仕事をしていた私にとっては耳慣れた言葉でした。そして柄の太いスプーンやスプーンの曲がる角度、そして食器など有り難く使わせてもらっていました。しかしそうしたデザインを研究し、生み出しておられたのが赤池先生だったとわかり、、感動しながらお話を聞きました。
ユニバーサルデザインが道具だけだと思っていたら、住宅関連にも広がり、シックハウスを防ぐ研究開発まで手がけておられるという話を聞き、アレルギーやアトピーで困っている人々も今後減るのではないかと期待がふくらみました。
Co2を有効活用したゼロエミッションハウス、海草や山芋に含まれる有効成分を活用した抗ガン剤など、これからまだまだ新しい技術を開発されているという話に、この様なユニバーサルデザインから始まった科学技術がこれからの世の中に役立っていくことを素晴らしく思いました。今後の開発において高齢者の経験や智恵を大いに発揮して欲しいといわれましたが、私にとっては恩恵に授かるだけで役に立ちそうもなく、せめて人体実験のモルモットになるくらいかなと思いました。
7月3日放送 「兵庫街かど学X −7月の生活文化から−」
園田学園女子大学名誉教授 田辺眞人
この時期茅の輪くぐりをしたり、七夕の日に短冊に願い事を書いてつるすということはよくしていましたが、なぜするのかということはあまり考えたことはありませんでした。まして、祝い事は紅白、不幸があったときは白黒や白黄など、単なる習慣としてしかとらえていませんでした。しかし、それらに浄めたり邪悪を祓ったりする意味があり、さらにそれぞれが尋常でない香り、音であるということなどに起因するとお聞きすると、自分が本当に表面的なことしか知らなかったとつくづく思いました。普段の生活に「なぜ」という疑問を持つことの大切さ、おもしろさを実感した講座でした。
6月26日放送 「排泄と尊厳」
NPO法人日本コンチネンス協会会長 西村かおる
朝、大きめの便がスムーズに出た日はとても気持ちのよい一日を予感させてくれます。逆に、コロコロ便だったり、軟便だったり、悪臭が強かったり、さらに便が出きらない感じが残ると、不快感が残り、再度もよおすのではないかという思いになります。この様に快適なときと不快感があるときが交互に現れます。いつも快適な排便でありたいと願うのですが、なかなか思うようになりません。水分を十分取らなければとよくいわれますが、沢山摂ると下痢をしてしまいます。大腸の検査の時にたくさん水分を摂って、腸内の便を水分で流し去ったときからそのような習慣がついてしまいました。
泊付きの旅行や、早朝出発の時は排便しないまま一日を過ごすことが多々あります。特に旅行中はよほどのことがなければ便意が無く、トイレに行っても出ません。ところが帰宅間際におならが頻発し、家に着くと同時に強い便意を感じます。きっと精神的なものなのですね。これが2泊3日以上になると、途中で下痢をしてしまうことがあり、その先の旅程が心配になります。下痢は待ったなしになるからです。幸い今まではそのようなときにトイレにたどり着くので助かっていますが……
排尿は一日4〜6回ですが、冷えてくると頻尿になります。またコーヒーを飲んだ後は1〜3回近くなります。夜は早寝をすると、2回トイレに行くことがあります。トイレに2度起きると目が覚めてしまいます。そのような日は一日眠くてしかたありません。今日の就寝3時間前から水分を摂らないようにという話はとても参考になります。早寝の時は、水分の摂取時間も早めに終えなければならないのですね。
6月19日放送 「兵庫偉人伝 −俳人・滝瓢水−」
講談師 旭堂南陵
以前、元放送大学長・佐藤先生がテキストに瓢水のことを書かれていたことがあります。その時はそのような俳人が居たのだな位に思っただけで深く味わっていませんでした。だから海女の句が印象に残っているくらいです。しかし、今日この様に詳しく人となりを聴き、句が詠まれたいきさつを聴くと、とても興味深く感じました。「さればとて石にふとんも着せられず」など、南海師が言われたように「親孝行したいときには親は無し」の続きの句だとばかり思っていました。そしてどちらも川柳だと思っていました。
「手にとるなやはり野に置けれんげ草」や「浜までは海女も蓑着る時雨かな」の発想は川柳のようですが、きちんと季語が入っているのに気づきました。もう一度古いテキストを取り出して佐藤先生の文章を読んでみたいと思います。
川柳でこの様な奥深い句が詠みたいものです。ただし、この様に現実の生活を顧みず、好き放題して親の死に目にも会えなかったような人物だからこそこんな句を詠むことが出来たのではないかと思うところもあります。いずれにしても、俳句は詠まれた状況を聴くとひとつひとつの句のおもしろさがわかるのですね。その点川柳はその状況を自分で想像しながら楽しむことが出来るので、やはり川柳の方がとりつきやすいなと思いました。
6月12日放送 「男と女の境界線」
江戸川大学教授 斗鬼正一
歌舞伎の女形、宝塚歌劇の男役など、境界を越えて演技をする人たちがいます。彼ら、彼女らは舞台で演技をするときだけ反対の性を強調して演じているので、社会的にも認められているのだと思います。私も数年前、いなみ野学園で女装をさせられてフラダンスを踊ったことがあります。これは宴会の余興としてみんなの前で演じたのですから大いに受けました。笑いを取るためですから、照れくさがらずにまじめに踊りました。もし普段から男女の境界線を越えるような私だったらこのようなことを私にやらせなかっただろうし、笑いも取れなかっただろうと思います。
ところがテレビによくニューハーフと称して女装を競っているように思われるタレントが登場します。テレビ局のディレクターが男女の境界線を打ち破ることを面白がって助長しているように思えてなりません。昔から女装を趣味とする男性がいる話は聞きますが、彼らは自宅や仲間内の場でそうするだけで、決して他人の前ではしなかったそうですが、テレビという公衆の場に現れ、それをもてはやすというのですから、やはり日本人の男女の境界線に関する文化を打ち破ろうとする挑戦だと思えてなりません。大人は文化が身についているので、気持ち悪い人々という感覚で見ていますが、これから文化を身につけようとする子供たちにとっては女装も個性としてありだと思うかもしれません。そのことによって犯罪に利用されてはたまったものではありません。
また、旧満州に移住していた人たちが終戦時にロシア兵に襲われたとき、女性は身を守るために男装をしたと聞きます。これなどは男女の境界線をあえて越えることによって身を守るという悲壮な手段だったのだと思います。
もうひとつ、異文化交流によって、外国の人々の文化を理解することが大切だと最近よく言われます。男女の境界線についてもこれほど民族によってさまざまなのですから、社会的な習慣は違って当然だと思います。外国人と接するときには異文化を認め合うことが大切だということが良くわかりました。それとともに、やはり日本人の文化から生まれた常識をも大切にしたいと思いました。
6月5日放送 「変と普通の境界線」
江戸川大学教授 斗鬼正一
科学の発達が時や空間の境界線を曖昧にしていることは多いと思います。その一つが電気です。私たちの子どもの頃は街灯もあまり無く、屋外の夜は真っ暗でした。だから「コトリ」を恐れて暗くなるまでに家に帰ったものです。幼稚園の頃は「靴が鳴る」の歌詞で「小鳥になって」の部分を「コトリ」と思いこんでいて、夕方や人のいないところへ子どもだけでいってはいけないと教えられていたようで、この歌は怖い歌だと思っていました。いまは24時間コンビニは開いており、夜9時頃の電車に乗っても塾帰りの子どもたちがたくさん乗っています。
テレビ番組も、以前は夜遅くなってくると、比較的静かな番組でしたが、最近は芸人が大勢出て我も我もとしゃべるので騒々しい雰囲気の番組が夜遅くなっても放映されています。夜遅くなればまわりに迷惑をかけないよう静かにし、早く眠るという習慣もなくなってきました。だから夜12時で日付の境界が引かれているという感じはありません。せいぜいNHKの午前0時のニュースで先程まで「今夜」といっていたのが「昨夜」と表現が変わるくらいです。この様な時代に生きている人々は午前0時を深夜などとはあまり感じていないのかもしれません。日付の境界がすっかり曖昧になり、そのことを気にしなくなっているのだと思います。
夜に口笛を吹くとよく叱られました。家に泥棒を呼び込むといわれたのです。小さい頃はそれを信じて恐れていましたが、中学生時代の反抗期になるとそのようなことは迷信だとバカにするようになりました。この様にして時間や空間の境界を曖昧にしていくのですね。いま電車の中でお化粧をする人がたくさん見られます。最近は少なくなりましたがそれでも携帯電話で話している人もいます。電車に乗ったら携帯電話をいじっている人がたくさんいます。変を変と思わない、恥ずべきことと思わなくなったのでしょうね。電車の中で新聞や本を読んでいるのと同じ感覚なのだと思います。時代と共に、科学の発達が進み、グローバル化で異文化が流入し、あらゆるところで境界線が曖昧になっているのだと思います。そのことがこれまでのモラルや習慣としての約束事も変化し、レベルが下がっているのではないかと思っています。
6月1日 第1回中央スクーリング
10時30分からいなみ野学園大講堂で、高齢者放送大学の第1回中央スクーリングがありました。実質的な本科生の開講式という意味合いがあり、247名の本科生入学者があることがわかりました。そしてスタッフの紹介の後、委託講師の自己紹介及びミニ講話がありました。この日のためにいろいろ考え、レジュメも作っていたのですが、講堂の壇上に上がると予定していたこととは違う言葉がついつい口をついて出てくるので、話がそれてしまい、これだけは話しておこうと思っていたことがたくさん抜けてしまいました。
ミニ講話では「お陰様」という言葉を大切にして、修了式(来年3月)で「お陰様で無事終了式を迎えられました」と一緒に言えればいいということを伝えたかったのですが、うまく伝えることが出来ませんでした。やっぱり私は話がへただなとつくづく思いました。
5月29日放送 「本科生にむけて −知事あいさつ−」
兵庫県知事 井戸敏三 及び 放送大学教授陣
いよいよ課題番組が始まることに緊張を覚えます。中でも、市村教授が話された「往復課題番組には指導助言がもらえる」という言葉に、穴があったら入りたい気持ちになります。私は学生の皆さんが放送大学の学習を継続する上で少しでも励みになるような言葉がけができればということしかできません。今年度もその気持ちで書くことでお許しいただきたいと思います。
ところで井戸知事が、少子高齢者が進む社会の中で、高齢者の社会貢献こそ大事だとお話しされました。また、69歳までを生産者人口に、高齢者仲間では69歳までの人は若手と呼ばれているという言葉など、いま現実社会において実感しています。
私自身、66歳まで現役を務めていて、退職後67歳で老人クラブに入会しました。同年齢がもっとも若手でした。それ以降も年下の入会者はなく、70歳間近になってやっと入会者が現れる状態です。70歳にならなければ老人の仲間入りはしたくないと思うようです。だから、私たちの老人クラブでは、75歳までは若手です。リーダーは年長者ですが、いろいろな行事の企画の担い手は若手が中心です。身体の不自由な高齢の会員にも楽しく参加していただけるような配慮をしながらお膳立てをするのが若手の務めだと考えています。幸い、先輩がスクールガード(登下校の見守り)など、社会貢献、地域活動の道筋をつけて下さっているので、生きがいをもって活動できることに感謝し、若手に引き継げるようにしたいと思っています。
5月22日放送 「和願・愛語」
姫路市・大覚寺住職 中西玄禮
今年1月山陽電車平日ウォークに参加したとき、ゴールが網干だったので、少し足を伸ばして大覚寺へ行ってみました。中西先生のお話からイメージしていたお寺とは全く違って、素晴らしく大きく、きれいな建物とお庭でした。そして町中には大本山禅林寺貫首に間もなく就任されるお祝いの言葉が大きく掲示されていました。これを見て中西先生が網干の町の市民にとって誇りなのだと感じました。この様に尊敬されておられる方だけあっていつも本当に心に残るお話しをされます。前回も聞いているはずなのに、とても新鮮にお聞きしました。
自分がどれだけ和願愛語を実践できているだろうかと、今回は反省しながら聞きました。スクールガードの見守りで交差点に立つときは出来るだけ和願に務めています。子どもたちが笑顔を返してくると、本当に嬉しく感じます。しかし、いろいろなことを身につけてくるにしたがって、照れくさく思うのか、知らない人にむやみに心を許すことを警戒するのか、もっと別の原因があるのか、高学年になるほど笑顔は返ってきません。そして、信号が赤で待たなければならないときは「おかえり」と声をかけます。低学年の子どもは「ただいま」と素直の応えますが、高学年になると、返事をしなかったり、「さよなら」と応えてきたりします。心が素直に通じていない感じがします。心が通じないのは、私が忙しくて、毎日見守っている人のように親しい間柄になっていないからだと思います。それでも和願に務めたいと思っています。
5月15日放送 「快眠の極意」
睡眠医療認定医師 遠藤拓郎
昨夜11時過ぎ、風呂上がりに兵庫県選出の自民党議員から届いたマニフェストのFAXを読んだのが間違いでした。そこに本人のホームページがあることが書かれてあり、開いてしまったのです。そしてマニフェストのついて意見を聞かせて下さいと書かれていたのです。私は別に自民党の支持者ではありませんが、ついつい乗せられて疑問点を打ち込んで送信してしまいました。だから床についたのは12時を過ぎていました。床についてからもそのことを考え、しばらく寝付けませんでした。
朝5時過ぎにはにはそろそろ放送大学にあわせてタイマーをセットしているラジオのスイッチが入りそうだと思いながら眠りが浅くなり、6時前にはトイレに起き出したのですっかり目覚めてしまいました。きっと快眠時間は4時間あまりだろうと思います。この間に成長ホルモンが分泌され、どれほど私の身体が修復・再生されたのでしょうか。朝飯前に放送を聴き、感想を打ち込んでいますが、きっとコルチゾールが眠っている間に分泌してくれたお陰なのでしょうね。それにしても人体のつくりの不思議を感じずにはいられません。
5月8日放送 「いのちの絆」
聖路加国際病院名誉院長 日野原重明
間もなく99歳になられる日野原先生が、なお日々生きがいをもって現役の医者として活躍しておられることに感動すら覚えます。
私たちの健康寿命は生きがいに左右されることは実感としてわかります。しかし、先生がおっしゃったようにひとりでは生きがいが持てません。人の役に立つということこそが生きがいにつながるのですね。
家庭内においても食後の皿洗い、浴槽洗いなど、自分の出来ることで役割をもっています。外に出ると、地域の老人クラブの役員として、自分の出来るお手伝いをさせてもらっています。グループ活動においても、皆さんの意見を聞きながら世話係として月々の企画をさせてもらっています。時間さえあれば、下校する小学生の見守りを家の前の交差点でさせてもらっています。外での活動は自分で買って出たものはひとつもありませんが、皆さんが私の力にあった役割を与えて下さっています。自分の生きがいをつくってもらえることを感謝しながら務めるべきなのでしょうね。
老人クラブに加入すると役員をやらされるからと入会を拒否してこられた方がたくさんいます。そのために、入会した次の役員選挙では役員候補にしないという条件を提示して、昨年大勢の会員に入会していただきました。日野原先生はストレスを前向きに受けとめることが大切だといわれましたが、本当にそうだと思いました。だからそのお話をして、健康寿命を延ばすためにも積極的に役員を引き受けてもらおうと思いました。
5月1日放送 「平常心」
東海大学医学部教授 保坂 隆
私は子どもの頃恐ろしい経験のトラウマに支配され、毎日そのことに思い悩むタイプでした。夜眠るときもそのことを思い出し、頭から蒲団をかぶってもなかなか寝付けないことがよくありました。
思春期になった頃には、人が自分のことを悪く思っていないかと不安になり、それが高じて赤面症になっていました。自分は劣等感の固まりだとさえ思っていました。
私が教師になりたいと思った動機も、小学校時代に国語の教科書を読まされたとき、すっかり上がってしまい何をどう読んでいるのかわからない状態で、しどろもどろになったことが心に残り、自分だったら読みたくない子どもには絶対指名しないような教師になろうと思ったことからでした。
高校時代も校内スポーツ大会で選手としてグラウンドに立つと、夢の中で立っているような不安な心地がしたものです。そして大学でグリークラブに入って間なしに舞台に立ったとき、合唱であるにもかかわらず、足がガタガタ震えて止まりませんでした。
そんな私がいつの間にか図太い神経になり、人前で平気でしゃべり、話した内容についても失敗をそれほど気にしなくなりました。時によっては聴いている人の反応を見ながら話す余裕さえ持っているときもあります。そして、話し終わった後まずまずだったなどと自分に甘い点を付けているのです。
自分がいつどの様なきっかけで平常心が保てるようになったのか定かではありませんが、常に自分の能力を精一杯発揮して誠意をもって生きていたら、自分の限界以上のことを人は求めていないと思うようになったからかもしれません。これからもそのような生き方で良いと思っています。
4月24日放送 「健康情報のウソ」
元県立リハビリテーションセンター中央病院副院長 鳴瀧恭也
「寒天が」、「ココアが」、「納豆が」と次々に店頭から消えたことがあります。テレビの健康情報が人々に与えた影響です。私もついつい信じて踊らされたことがあります。しかし、これらの情報の中には個人の経験や、一部の医師の意見が興味本位で取り上げられたものであって、健康に関する研究の情報発信ではなく、週刊誌や、テレビのバラエティ番組やワイドショーなどが発信源だったのだと鳴瀧先生のお話で気づかされました。
テキストの5つの設問は全て間違っていないと思っていました。ところが全て間違いだと言われてとまどいがあります。野菜や果物が健康によく、肉類の動物性タンパク質を出来るだけ少なくするということは実行しているし、メタボにならないために腹八分目にしておかなければと常に思っています。特に検診で指摘された血中コレステロール値については悩むところのひとつです。
確かにコーヒーの話でもそうでしたが、過ぎたるは及ばざるが如しで、コレステロール値も高すぎることはいけないけれども、日野原先生の話にもあったように少し高めの方が元気がよいという話もあるように、自分の体調にあったものが良いのでしょうね。
日光の浴びすぎは確かに皮膚によくないということは車の通勤をしていて、顔の右側にあざが多いということで実感しています。しかし、骨粗鬆症だといわれている私にとっては、やはり適当に日光を浴びることが大切なのがよくわかりました。
NHK番組「ためしてガッテン」を興味深く見ていますが、納豆などはこの番組の影響です。この番組も鵜呑みにせず、どれほどの研究の成果なのかよく吟味しながら視聴することが大切なのですね。
4月17日放送 「羞恥心はどこへ」
聖心女子大学文学部教授 菅原健介
電車内で化粧をするなど、自分達の若い時代には思いもよらない行為をする最近の若者に対してマナーが低下したなどと単純に思っていました。しかし、それが「旅の恥のかきすて」に通じる他人化への社会構造の変化だとわかるとなるほどと思いました。
毎日同じ電車に乗っていても、そこにいる人々がたとえ近所の人がいても知り合いでもなく、自分が阻害されてもかまわない他人であるという感覚なのですね。会社の男性と一緒に旅行していたら、電車の中では化粧などしないだろうと思います。
もう一つ心に残ったのが、社会の構造の変化で、便利になったと評価されているのが、自動券売機やATMなど機械化されて人との面倒な接触を少なくすることだと言われたことです。確かに人の顔が見えないサービスというのはお互いを支え合う機能(他人への思いやりの心)を低下させているように思います。
日本人は人だけでなく自然に対しても心を配る「わび・さび」の世界観を持っていました。しかし、いま自分の都合や公共の便利さを求めてそれらも無視してしまう行為も少なくありません。電車内で化粧するのは法律に触れないからかまわないというなど、唯一の心のよりどころが法律だというのは淋しい限りです。感謝の心と人や自然への心配りがマナーの基本になってほしいものです。
4月10日放送 「お洒落に魅せる色のマジック」
イメージコンサルタント 太田久美子
太田先生が言われたように、自分は紺やグレー系統の服装を選ぶことが多かったように思います。特に現役時代はできるだけ地味な服装を心がけていたので、退職後個性的な服装を勧められても抵抗がありました。
定年後第二の職場に就いたころから少しずつ抵抗は薄らぎましたが、それでもどの服がいいかたずねられると、やはりグレーや紺系統でした。第2の職場も退職した66歳になって、ピンクや赤を強く勧められるようになって、初めて着るようになりました。すると太田先生が話されたように気持ちがずいぶん積極的になった様に思いました。
今回の講座で、これが色のマジックだったのだなとわかりました。色彩心理学ということが実感としてわかります。最近では「その赤いジャンパーはそろそろやめなさい」と家族に注意されるほど、冬の間のスポーツ(グラウンドゴルフ)では欠かせなくなっています。ピンクのシャツに花紺のスーツという服装も気に入っているルックです。しかし、肌や髪の色で似合う色があるということを聞き、考え直さねばと思いました。
これは余談ですが、今回の放送を録音して妻にも聞かせると、色より半額などという値段が優先するからそこまでお洒落になれないという返事が戻ってきました。年金のみの家計を預かる主婦の感覚はちょっと違いました。そういいながら昔の赤い服を着て出かけていったので、やはり婆くさくないように気をつけているのかもしれません。
4月3日放送 「シルバーパワーを地域に」
神戸大学名誉教授 野尻武俊
神戸に住んでいた私が、国民学校2年生の時、いよいよ空襲が激しくなり、広島県尾道市から三次の方へ入った市村というところに疎開しました。その時に先ず驚いたのが、朝夕みんな出会った人と必ずあいさつをしていることでした。神戸では知っている人以外はあいさつする習慣がありませんでした。ところが私たち疎開をしてきた見ず知らずの者に対しても老いも若きもあいさつをしてくれるのです。今日の放送を聞きながら当時はコミュニティが農村では確実に出来上がっていたのだなと思いました。
いまスクールガードで小学生の下校時間に街かどに立つことがあります。こちらがあいさつをしても自分達のおしゃべりに夢中で全くあいさつをしない子どもが何人かいます。しかし、多くの子どもが笑顔であいさつをすると笑顔であいさつを返してきます。信号が赤の時は「おかえり」と声をかけてやります。その時に「ただいま」と言えず、いきなり「さようなら」と言ったり、もじもじしている子どもがいます。きっと家庭で「おかえり」という言葉をかけてもらうことがないのかなと思ったりします。やはりコミュニティのもっとも小さな単位、家庭が大切なのだと思います。
退職が近づいた頃、ある研修会で退職したら旅行に行こうなどと楽しみにしているだろうけれど、半年もしたら旅行ばかりしておられないことに気づくだろうと言われました。実際私も旅行をしたのは2〜3度でした。そして人の役に立っていることをしているときがもっとも生きがいを感じるときだとわかりました。
高齢者大学に勤めているときにそのことは繰り返し学びました。だから第2の職場を退職し、サンデー毎日になったとき、先ず地域参加を試みました。老人クラブに入会し、地域デビューを無事はたせると、後は順調に地域活動が出来るようになりました。いま私たちの住んでいる地域はあいさつやスクールガードなど、高齢者の地域参加や地域貢献はある程度進んでいると思います。しかし、我々より年齢が若い60歳代のところで、うまくつながっていないような気がします。これは自治会役員の定年が70歳なので自治会活動に手を取られているからだろうと思います。自治会で頑張っている人たちが70歳になったときに、老人クラブで再び地域貢献してくれることを願っています。そのためにも、いまの老人クラブを充実させ、入ってよかったと言えるようにしていかなければなりません。
3月26日放送 「一年の学習を終えるにあたって」
学生参加番組
本科生から25年賛辞を受けられた方まで6名の学生さんのお話がありました。その中で、姫路市の西川和子さんの言葉に同じ思いを持ちました。西川さんは放大に入学したとき、ぽつんとと独り淋しく思っていたのが、まわりから声をかけられホッとしたこと、さらに次々友がふえたこと、友の会に入会し、行事に参加することによって大河ドラマのお江になっている上野樹里さんのおばあさまに出会えた喜びなどをお話しされました。私が老人クラブに参加した当時と全く同じで、地元に知人が居なかったけれど、退職後は地域で生きる大切さを感じ、飛び込みました。はじめは例会に出席してもほとんどはなす事はありませんでしたが、思い切って親睦旅行に参加し、カラオケを歌ったことがきっかけでいろいろな仲間に加えて頂きました。そして、6年経った今では役員まで任せられるほどとけ込んでいます。
私は高齢者が孤立しているほど淋しいことはないと思っています。どの様な仲間であっても心を許し、楽しみあえる仲間がいることはとても大切で、生きがいにつながると思います。そのためにも尻込みせずに、いろいろなところに飛び込んでいく「前へ踏み出す一歩の勇気」を大切にしたいと思います。
3月19日放送 「放送大学で私が学んだこと」
学生参加番組
本科生のお葉書の中で、「家にいながらにして、自分に学ぶ気持ちがあればどこでも学ぶことができることを知った」という言葉が特に印象に残りました。本科生はまだまだ新鮮な気持ちで取り組んでおられるので、これからの生き方には大いに参考になったようです。
一方、生涯聴講生のお葉書の中では、長期間続けてきたことによる自分の変化、あるいは生きがいのような意味の文章に勇気づけられました。日記を書くことによる文章の上達、講師の話に対する気持ちの変化、大学ノート3冊にまで書き残した自分の喜びなど、たくさんの宝が残しておられるように思います。中でも24年間、1回も欠かさず感想文を提出された方を見習って、私もこのホームページの「私の心のこだま」を続けたいと思いました。
3月12日放送 「友達の作り方 −私が思うには−」
タレント 伊奈かっぺい
友達とは「冗談が通じ合える人」という定義をされると、私にはほとんど友達がいないのではないかと思ってしまいます。私の性格もありますが、私の心情は誠実につきあえる人と思っていたからです。だから私のことを信頼出来ても、それはあくまで知人だと思っている人が多いのではないかと思います。友達ではなくて同じ目的を楽しめる仲間なのだろうと思います。
この歳になると、仲間がいるということがとても心強く思います。老人クラブの仲間が今最も重要な仲間です。毎日顔を合わせ、一緒に活動し、生きがいをつくってくれます。この地域の仲間こそ、誠実にお付き合いしなければいけない相手だと思っています。
また、昨日も長浜へ一緒に出掛けた「グループいきいきネット」の仲間があります。帰りの電車の中でも話していたのですが、退職直後に受講した「いきいき仕事塾」の目的のひとつが仲間づくりであり、グループ結成を呼びかけて7年、新たな仲間もふえ、月1回の活動を楽しんでいます。これもお互いが誠実に付き合おうとしている方々で、体調を崩してやめられた方もありましたが、仲間が増えていることを嬉しく思っています。私自身の体調が続く限り、終わりにしたくない仲間だと思っています。
この様なユーモアのない人間ですが、唯一、川柳で私の冗談(ウソの世界)を許してくれ、楽しませてくれる川柳の先生や仲間が私にいることも幸せなのかもしれません。
伊奈講師が最初にいわれた「友達を作ろうと思えば外へ出掛けていくことが大切だ」といわれたことこそ本当に大切なことだと思っています。返信の話でも、メールをもらえば出来るだけ早く返信を出すように心がけています。そのことがメールをするものにとってエチケットのひとつだといなみ野学園の仲間から教えてもらったからです。これも仲間を継続させる上で大切なことかもしれませんね。
3月5日放送 「方言のおはなし」
タレント 伊奈かっぺい
名前が「田舎っぺ」から来ているということを初めて知り、なるほどと思いました。そういえば話ぷりにどこか東北地方の雰囲気があるのもそうしたことだったのだと納得しました。
私は昭和20年4月から11月まで、尾道から4qほど北に入った市村というところに祖母と疎開をしました。その家には伯母と従兄弟3人がおり、地元の小学校へ通っていたので、あっという間に広島弁に染まってしまいました。
ある日、買い物を頼まれ、店の人にたずねると「ミテトル」といわれました。私は「見て取る」と聞き、一生懸命店内をさがしましたが見つからず、もう一度たずねたのですが返事は同じでした。帰って「『見て取る』といわれたけれども探しても見つからなかった」というと、伯母や従兄弟に大笑いされました。広島の方言では『なくなる』を『ミテル』というのす。その時に初めて方言ということを意識したように思います。そして戦争も終わり、神戸の親元に戻って元の小学校に通い出すと、私の広島弁を聞いた友達から散々からかわれました。とても恥ずかしい思いをしたことを今も覚えています。
今、祖母の法事などでその従兄弟の家族と出会うと、広島弁をとてもなつかしく聞くことができます。しかし、子どもの時のように使うことは出来ません。私の娘は栃木県から帰省すると、ほとんど関東の言葉で話しますが、それでも何かの拍子に関西弁が戻ってきます。私の場合は広島弁を使った期間が短かったので、相手が言っていることは全て理解出来ますが、広島地方の人々とおしゃべりしていても広島弁で話すことはありません。やはり、最初にマスターした言葉でなければ話せないのですね。
2月26日放送 「年収150万円一家」
イラストレーター 森川弘子
私たちの年金の収入とあまり変わらないけれども、とても楽しく暮らしておられるというのが印象的でした。もっとも私たちはそれほどいろいろなことにお金をかけるような年齢ではありませんが、森川家は若い今から希望を持って暮らす一家なのですからやはり大変かなと思います。
私は小学校2年生の時終戦を迎えたのですから、物心ついた頃からずっとつつましい生活でした。ただ、まわりもみんなお下がりや継ぎの当たった服を着ており、惨めな思いはしませんでした。しかし、現代に於いて、森川家の娘さんが小学校へ通うようになり、友達からいろいろいわれたりすると、心穏やかではなくなるのではと心配してしまいます。
節約生活の中で、これだけは贅沢と思える楽しみを持つことはとても大切なことなのですね。森川家は海外旅行を続けておられます。私たちも夏はエアコンを使うことなく扇風機で過ごしています。冬も灯油のストーブひとつですみます。だから年間を通して電気代は月6000円を越えることはありません。では楽しみはとたずねられると、今はドライブです。ところが道に迷うことが多くなり、カーナビを取りつけました。ついでにETCも取りつけたので、ちょっと遠出も出来そうです。しかし、ひとつ贅沢をすると、次々お金がかかることがふえます。ガソリンの値が上がりはじめ、暖房の灯油とともにバカに出来なくなってきました。少しでも安くと思ってプリペイドカードを使っていますが、1万円チャージしても直ぐになくなってしまいます。
自分の収入の範囲内で楽しく暮らそうと提案されましたが、普段の生活で節約しながら、これからも充分楽しみたいと思います。
2月19日放送 「『逆考』のすすめ」
ビジネスコンサルタント 山崎武也
私の最大の欠点はどの様なことでも鵜呑みにしてしまうということだろうと思います。放送大学の講座ひとつ取り上げても、いろいろな立場の講師が話されることをそれが正反対のことであっても、なるほどそうだと受け入れてしまいます。きっとこの5年間の感想文を読み返してみたら矛盾したことを書いていると思います。逆思考がもっとも苦手なのですね。
大学を卒業する時、ある教授が卒業のはなむけの言葉として「若者の特権は反抗することであり、若さを保つには人の言葉を批判的に受け取ることだ」といわれました。それは長いものに巻かれず、何時も何が正しいかよく考えてみるということだと思います。しかし、安保反対など学生運動が盛んになりかけていた時代、勉学をすべき学生が学生運動にのめり込むのは間違っていると思いこみ、もっぱら自分の学費を稼ぐアルバイトとクラブ活動に時間を割いていたような世間知らずの私には、その意味を理解することが出来ませんでした。新しい職場に就いた早々に、世間知らずの私は徹底的に批判され、責められました。その分野では選りすぐりの人たちが集まる職場にいきなり入ったからです。その時、これ以上批判されないようにと、外面上だけでもその場に自分を如何に適応させるかということに気を使うようになったことは確かです。これが長いものに巻かれていることが安心だという処世術だったのですね。
私は今でも自分を批判されることをもっとも恐れて行動し、発言しているように思います。だからその場にいる人にもっとも喜ばれるように努めてきました。今も自分の言動を批判されると、全人格を否定されたように落ち込んでしまいます。しかし、今日の講座で、批判されることは自分の欠点に気づかせてもらえるチャンスだと考えれば、批判を受けることもありがたいことだと思えてきます。批判されないように長いものに巻かれたり、心にもない言葉で取り繕っていた自分を反省しなければと思いました。
2月12日放送 「農民になりたい」
ジャーナリスト 川上康介
私も66歳で退職した時、まず最初に取り組んだことが親戚から借りていた畑を耕すことでした。朝起きると畑へ行き、朝食を済ませると再び畑へ出向きました。夕方水やりが必要な時にも出掛けました。葉っぱについた青虫を1匹ずつ捕るなど、結構手間暇をかけていたように思います。そして雨の日や空いた時間に現役時代の要らないものを片付けることと、ホームページづくりに夢中になりました。ただ一切機械を使わず、全て手作業だったので、腰の痛みには参りました。青じそをたくさん植えてしそジュースをつくり、収穫したなんきんや玉ねぎ、ジャガイモ、さつまいもをずらりと並べて写真を撮り、ホームページに掲載したり、人にあげたり、充実した日々でした。
2年後放送大学の仕事が入り、地域の老人クラブでの楽しみがふえ、さらに足腰の痛さに負けて耕地を縮小し、最後は借りていた畑を返上して、今は庭に6畳ほどの菜園が二つだけになりました。それでも夏野菜、玉ねぎ、ジャガイモ、さつまいも、小芋、ダイコンなどの根菜、ほうれん草や春菊、水菜、茎ブロッコリー、ワケギ、パセリ、食用菊、そしてスナックエンドウやツタンカーメン、ゴーヤ、なんきんなど季節季節の野菜には少量ずつですがふたりで食べるには事欠きません。自分の育てた野菜は本当に美味しく感じます。種代や肥料代を考えると安くないかもしれませんが、それでも安心だし、庭にあるので、水やりは楽だし、常に目をかけることが出来ます。真冬以外は風呂の残り湯は全て畑にやっているので、エコ生活も実感出来ます。
確かに、年金があるからこの様に楽しみながら菜園に取り組めるのだと思います。これが若い時だったらこの様なのんびりした作業では食べていけないと思います。今日のお話しの「農業は職業ではなく人生の生き方だ」という言葉は本当にそうなのだと気づかされました。これからも菜園での楽しみをいっそう大切にしていきたいと思いました。
2月5日放送 「老いてこそ」
大本山鷲山寺貫首 大塚日正
たとえ寝たきりになっても、なお人の役に立つのは感謝の言葉と心からの笑顔だということはこれまでも何度か聞きました。しかし、今回はさらに「感謝と謙虚なる祈りの心」と話されました。高齢になって謙虚さを失う場面ほど他人から見てうんざりすることはないように思います。謙虚になれないのは、長く生きがいとしてきたことからの「誇り」かもしれません。まわりの人、若い人より長く一生懸命生きてきたという自負心がいつの間にか優越感になって、上からものをいったりするような態度になるのかもしれません。
以前、「ボランティアはするのではなく、させてもらうという心を忘れてはならない」と教えられたことがあります。ボランティアの対象が主人公であって、させて頂く側はあくまで謙虚でなくてはならないということなのでしょうね。もう一つ、相手が自分に対して何かお世話をしようとしている時には素直に感謝して受けることが大切なのかもしれません。その時には相手は人に役立ったと生きがいを感じているかもしれないのですから。「自分は人の世話をしても人の世話にはならない」などと言う人がいますが、これではまわりの人の生きがいを奪うことになるのですね。今日の講座で特に謙虚に生きることの大切さを学びました。
1月29日放送 「笑う介護士」
(有)笑う介護士代表取締役 袖山卓也
いなみ野学園に勤務している時に介護保険制度が始まりました。介護士確保の意味もあって、県から補助金を交付するので、ヘルパー3級の講座を開くように指示があり、学生さんに呼びかけたところ、沢山の方が受講されました。2年間続けたところで、3級では介護の役に立たないこと、専門学校など介護士を養成するところがたくさん出来、また実習にかかる費用が、教員養成などに関する実習費との金額の差があって、実習先確保が困難になり、さらに県からの補助金も打ち切られました。それでも1年、受講料が高くなっても受けたいという学生さんのために開講しましたが、学生さん自身の間でも3級の資格を取っても役に立たないという話が広がり、講座は修了しました。今思うと、技術的な内容などの話はクローズアップされても、介護する相手の人となりに寄り添う話がどれほど聞けたのか疑問に思います。
現役時代、護学校には重症心身障害児施設(ほとんど寝たきりの子どもたち)への訪問教育がありました。担当の先生方は、何とか話しかけに応じたり、笑顔が生まれるような指導が出来ないかと工夫されていました。今思うと、施設の看護職員は仕事として介護を機械的にひとりの子どもを交替で介護しておられました。子どもたちは物心着いた頃から施設でのベッド上の生活なので、先生達は担当を決めて、一人ひとりの心に寄り添い、ベッドから連れ出す工夫をしておられました。今日のお話しの心に寄り添うことを中心に、親がそばにいたら、あるいは家庭におれば経験出来るであろうことに配慮しながら膝の上で話しかけたり、絵本の読み聞かせなどをされていました。また、車椅子で庭の散歩や、夏にはプール遊びなども経験させていました。
高齢者は自分の人生を生きてきたので、その生き方を大切にするということに尽きると思います。だから、何一つ経験してこなかった子どもとは違うと思いますが、その人の人生を豊かにする介護という意味では今日の話は共通していたと思いながら聞きました。
1月22日放送 「ガンの早期発見と予防」
県立先端科学技術支援センター所長 千川純一
スプリング8が播磨科学公園都市の目玉であるということはずいぶん以前から聞いていて、何度か公園に出掛けたことがありますが、結局規模が大きくてこれだという場所も、その働きもよく理解出来ませんでした。ただ和歌山のヒ素事件の時に、分析した結果、事件に使われたヒ素に非常に近いものだということが報告されていて、そのようなことも出来るのかなと思った程度でした。それでも現実に何の役に立つのかは理解出来ないままでした。
今回千川先生のお話をお聞きして、初めて具体的な使い道を知ることが出来ました。髪の毛1本でガンや糖尿病、アルツハイマーに関する情報が得られるのだとしたら、たつの市といわず、兵庫県下の保健所が取り次ぎをするぐらいのことを県で進めれば、それこそ医療費節減につながるのではないかと思いました。もっともまだ研究段階ということでしたが、資料が多く集まればそれだけデータの信頼度が向上するだろうし、県民の税金が有効に使われていることにもつながると思います。問題は、分析に要する時間と費用ですが、それがどの程度かかるのかという話をお聞きすれば、本当に県民の役に立つものかどうかということがわかりやすかったと思いました。
ところで、自分のカルシウム摂取については、毎朝のコップ1杯のきな粉牛乳、1〜2日に1回青汁の粉末を混ぜたヨーグルトが中心です。これはずいぶん長く続けており、夫婦とも親をガンでなくしているので遺伝子を持っていながら、これまではその疑いもありませんでした。私自身数年前にピロリ菌の数値が高く除去し、胃ガンの発生を抑制してもらった経験もあります。妻は骨粗鬆症でカルシウム剤を服用しているはずです。このカルシウム摂取がガン予防に効果的だということはとても参考になりました。
1月15日放送 「正岡子規の『楽しむ力』」
俳人 坪内稔典
子規の積極的な生き方、活動の広さはこれまでもよく聞いていました。例えば野球用語などは子規に由来する言葉が沢山あります。NHKで放送された『坂の上の雲』はそのことを強く印象づけられました。
ところで、今日の坪内先生のお話の中で、死につながる病においてさえ「楽しむ」という姿勢はやはり凡人では考えられないことだと思いました。私自身は大病をしたことがないので、おそらく死につながる様な病気にかかれば、きっと精神的に落ち込むだろうと思います。しかし、普段から重荷と感じることや腹の立つことに出くわしたときに楽しんで対処する生き方をしていれば、案外子規の生き方に近づけるのではないかとも思いました。例えば、様々な役割を押しつけられた時にでも、それらを楽しんで処理出来る方法を考えてみるのもいいかなと思うのです。そのためには、自分のレパートリーを豊かにする必要があるかもしれませんが……
それにしても、パチンコで儲けたお金で「正岡子規全集」を買い、それを生涯の研究のきっかけにしたという坪内先生の告白には、先生御自身が正岡子規に学んで飾ることなく人生を楽しんでおられる様子を楽しく聞かせてもらったように思いました。
1月8日放送 「学生参加番組『人生を振り返って』」
現役時代というか、生活を支えている時は、それぞれ大変な思いをされています。それでもその大変さに負けることなく、懸命に生きてこられたことが、いま自分の時間を持てる喜びにつながっておられるように思います。
しかし、その喜びというのは、皆さんのお話を聞いていて、如何に人とのつながりの上にあるかということもよくわかります。決してひとりでは喜びを得ることが出来ないのですね。その中でも放送大学は、ただ凡々と日々に流されるのではなく、ひとつ上の喜びを目指そうとしておられることがよくわかります。また放送大学がそれをもたらしてくれるものだと思いました。
私も放送大学の仕事をさせて頂いていることで、たくさんの喜びを得ています。少なくとも若さというか、明日への心の張りあいの様なものが絶えることがありません。何時もまだもっとこんなことが出来るのではないかという気持ちを持ち続けている様に思います。95歳になられた井尻さんの発表を聞いていても、「まだまだ体が続く限り、放送大学の全ての行事に参加したい」と言われる様に、前向きの心意気が感じられます。今年の日々がさらにどの様な展開になるのか楽しみです。
平成23年1月1日放送 「知事新年挨拶・学生参加番組@」
井戸敏三知事の新年挨拶
震災15年目の昨年、記憶に留め、減災を目指す取り組みがいろいろなされ、今年は神戸マラソンとして実施されるようです。全国の人々がマラソンと震災をどの様に結びつけて考えられるのか、見守りたいと思います。
山陰海岸のジオパーク認定については、以前豊岡市長からその意気込みと意義を聞かせてもらったことがあります。ずいぶん以前ですが香住港から浜坂港まで船上から山陰海岸を見ましたが、多くの人々に見学してもらう価値のある景色だったことを思い出します。コウノトリのために農家が地域全体として協力していることと合わせて自然への取り組みは素晴らしいと思います。
関西広域連合については、大阪府の橋下知事が意識改革を含めて積極的に進めようとされていることに対して、井戸知事がしがらみにとらわれた様な印象もあってやや慎重になりすぎておられる様な印象を受けます。国が権限を振り回してきた過去の政策を見直すためにも、もう少し積極的な方向が見える様になれば広域連合はとても意義あるものになると思いました。
今年の自立新時代の確立については、国、あるいは県が主導するのではなく、ジオパークやコウノトリに対する農家の様に、地域住民の発想で地域から発信し取り組んでいることに、県がどれだけ後押し出来るかという事が大切だと思います。その意味からも、各地域の住民が今年の自立を目指した元気な地域づくりを見守りたいと思います。
学生参加番組「「人生を振り返って」
加輪上さんのお話は先日東灘友の会を訪れた時にお聞きしました。童謡「さっちゃん」のモデルが身近な友で、その詩碑を卒園した幼稚園へ見に行かれた積極的な行動力はうらやましい限りです。行動すればそれだけの感動が得られるということですね。
山本さんの「未発の手榴弾」のお話しは、当事者ならではの死に直面した気持ちだと思いました。鹿児島県の知覧を訪れた時に、特攻隊の人々の手紙を読ませてもらいましたが、権力によって死に直面させられた時、やはり一番に思うのが家族だということがわかります。玉音放送を聞いてなお、突撃の命令を下すという当時の統制された軍隊の思想の恐ろしさは二度と繰り返してはならないと思いました。『死という言葉を軽々しく使ってはならない』という山本さんの言葉が印象的でした。
都倉さんの事故で片足を切断された話には、交通事故の恐ろしさを痛感しました。しかし、片足を失って人生を大きく変えられてしまったにもかかわらず、出てくる言葉は感謝の気持ちばかりで、都倉さんの素晴らしい人柄を感じさせられました。やはり他人の善意と家族の絆は人を幸せにするのですね。
たつの市の山本さんが話された南米アンデスの旅は、たった一枚の写真から世界の旅を実行されるという私たちには想像できないような勇気を持っておられることに驚きました。そして、現地人の人生を楽しむ生き方を見て、その生き方を取り入れて実践されたことは、先の写真の一件と同様、素晴らしい実行力の持ち主だと思いました。自分の発想の貧弱さと、実行力のなさを改めて感じました。
12月25日放送 「老いを生きる暮らしの智恵」
評論家 南 和子
いいアイデアや川柳の句を思いついても、直ぐに忘れてしまいます。いろいろな場所にメモ用紙と鉛筆を置いておくというアイディアはぜひ取り入れたいと思いました。特に枕元に置く習慣をつけておきたいと思います。
「ありがとう」という言葉は直ぐに出ますが、頼まれることはあっても、人にものを頼むという習慣がないので、これからは素直に頼むという心も意識しなければと思いました。
食べこぼしは特にひどくなってきました。指先が不器用で、お箸でつまみ損なうことが多いからです。いままでズボンをよく汚してしまうので、膝に布巾を載せて食べていました。エプロンの方が服も汚さずに安心して食べられそうですね。近い将来そうなることでしょう。
その他いろいろと参考になることが沢山ありましたが、これから先は恥や面子にこだわらず、この様な老いを生きる知恵を自分なりに工夫して、楽しく安心して暮らせる様にすることが大切だと思いました。
12月18日放送 「学生参加番組 学ぶ高齢者のつどいより」
今回は各ブロック代表の8名の発表の抜粋が放送されました。発表の趣旨がわかるよう上手く編集されていることに先ず感心しました。
発表の中にあった「健康長寿の秘訣」のアンケート結果で、1社会から孤立しないこと 2友人との交流を大切にすること 3趣味のグループに入って楽しむこと 4他の人の役に立つ団体に入って活動すること などをあげておられましたが、8人の発表者全てがこの条件に当てはまり、いきいきと生きておられるように思いました。また、新しいことへの挑戦が、今まで知らなかった世界を知る喜びにつながるという言葉を実感として私も受けとめています。私自身が退職後に得たそれぞれの交流の中で、今後新たな取り組みを前向きに考えていきたいと思いました。
12月11日放送 「地域力で防ごう詐欺商法」
ひょうご・まち・くらし研究所 山口一史
オイルショックの時には運賃や食品など驚くほどの勢いで値上がりしたものです。けれども、月給の定期昇給の幅も大きく、5〜6万円だった給料が短期間で20万円を超えていました。特に勤務先が変わってからは定期昇給が1年ではなく半年であったり、9ヶ月であったりと、年度の途中でも昇給がありました。
現在は物価が安定している、あるいは値下がり傾向にあるとのお話しでしたが、私はそうとは思っていません。例えばティッシュペーパーにしても値段は変わりませんが、昔に比べてサイズは小さくなり、中身も200組400枚入っていたのが160組320枚になっています。マーガリンも450c入っていたのが今は320cしか入っていません。この様な値上げ商法は日用品の中にも沢山あります。安くなっているのは技術の進んでいくパソコンやテレビなど工業製品だけかなと思います。
詐欺商法については我が家にも訴訟取り下げのはがきが届いたことがあります。連絡先が書いてありましたが、連絡すれば幾ばくかのお金を取られていたでしょう。詐欺商法にかからない御守りとして、何年か見える所にそのはがきを貼り付けていました。最近では独立して家にいない息子に丁寧な言葉で何度も電話があり、怪しいと思ったので、まだ帰っていないと伝え、決して連絡先をいいませんでした。それでもしつこくかけてくるので、こちらから連絡するから電話番号を教えるように求めると、いつでもかかるようにと携帯電話の番号を言ってきました。これで相手が会社組織ではないことがわかりました。とにかく詐欺師は少しでもスキがあればつけ込んでやろうと常に相手の心理を読んでいるようです。
私たちは老人クラブのグラウンドゴルフで週2回顔を合わせ、プレイの前後におしゃべりをします。また、カラオケでも月2回は顔を合わせ、お茶を飲みながら世間話を楽しくしています。もちろん老人クラブの例会でも月1回集まってお茶を飲みながらおしゃべりをしたり、情報交換します。この様に積極的に周りの人たちと交流しようという人たちはいろいろな情報が手に入ります。しかし、孤立している人たちにとっては詐欺に引っかかることがあるかもしれません。やはり孤立しないことが大切なのだろうと思います。
12月4日放送 「老いのかたち」
作家 黒井千次
自分が子どもの頃、60歳にもなればおじいさん、おばあさんだと思っていました。しかし、そのおじいさん、おばあさんがどうしていたかと考えると、畑仕事をしたり、地域のためにいろいろと活動していたり、自分の息子や娘の家をよく訪ねてくるなど、私たち孫にとってはとても頼もしい存在であり、あまり隠居姿を見ることはありませんでした。ただ中風で体が不自由になり、家族に介護されるようになると、本当の老人になったように思っていました。
しかし、自分が60歳で定年を迎えた時、孫はいましたが、年をとったとは少しも考えず、第二の職場で夢中で働きました。その職場で、70歳代の方々の元気な生き方を見て、自分が70歳を超えた頃、あのように意欲的な生き方が出来るのだろうかと全く自信がありませんでした。66歳で退職し、第2の職場で学んだ生き方を高齢者のモデルと考えて、それに近づこうとしていたように思います。
確かに幼、少年時代から定年退職するまで、挫折することなく恵まれていたと思います。ただ、視野の狭いところで過ごしてきたこともあって、第二の職場で高齢期の生き方を素直に学ぶことが出来たのだと思います。だから、いま高齢期をとても充実した生き方をしていると自分では思っています。この前向きの気持ちは当分続くと思っており、たとえ病気などで挫折しても、全てを失うことはないだろうと楽天的に考えています。
11月27日放送 「ストレスを消す技術」
東邦大学医学部教授 有田秀徳
現職の時、教壇に初めて立った時、いきなり研究発表会があり、自分ではそれほど感じていなかったように思うのですが、ストレスに襲われたのか、全く声が出なくなりました。その後、毎朝子どもたちと30分から50分ほど駆け足をしていた時期は、ほとんどストレスを感じたことはありませんでした。むしろ自分でも楽しくて仕方がないと思うほど意欲的に仕事に取り組んでいたように思います。
しかし、管理職になると、月1回の会議では口の中がからからになるほどのストレスに見舞われました。けれども会議の間だけで、それ以外はいつも前向きに仕事をしていたように思います。それでも検診があると、胃の内部がただれているといわれたことがありました。
退職して第二の職場、高齢者大学の仕事に携わるようになると、職員も学生さんも全てが前向きで、毎日が楽しく、いい勉強になりました。そして、検診では全てAという結果に自分でも驚きました。全くストレスを感じない毎日でした。考えてみるとこの時期も朝日を浴びながら毎日ラジオ体操やみんなの体操を学生さんと一緒にしていました。後半、全県的な行事の企画運営を中心になってしましたが、それもあまり苦痛にはなりませんでしたが、それでももの忘れをしたりミスが見られたりと、多少のストレスがあったようです。その上、飲む機会が増えるにしたがって、大切だと思う行事で下痢をすることが多くなりました。
退職してからは、全て自分の時間として思うように使えるので、好きなことをしているとストレスを感じません。けれども何かしていなければという意識が強かったのか、正月頃から絶えず下痢をするようになりました。思い切って胃腸外科で診察を受け、絶食をして大腸の検査をしましたが、これがよかったのか、それ以降その心配もなくなり、歩き遍路や老人クラブの活動を楽しむことが出来ました。
今も老人クラブのいろいろな役割がありますが、自分ではストレスには感じていません。飲む機会も相変わらずですが、結構楽しく参加しています。第九やカラオケなど、歌うことも月に何回かあります。一方で、いろいろなお誘いを受けますが、これはストレスを感じるだろうなと思うところには近づかないような傾向があります。これが案外ストレスを感じずに日々過ごしている結果なのかなと思います。しかし、セロトニン神経の活性化によいといわれたことの中でさらに自分が出来そうなことを、継続して試みてみようとも思いました。
11月20日放送 「人生の不思議」
歴史学者 立川昭二
私はまだまだ若いためか、安全安心に軸足を置いて生きています。現在置かれている環境に対して、決して不安や不幸だとは思っていません。むしろ恵まれたところにいる仕合わせを感じています。そして、どの様なことが起きても自分が不安になったり不幸になったりはしないと思いこんでいます。もし病気になればそれを受け入れ、死を宣告されれば、今までの仕合わせを感謝しながら素直に死を受け入れようと思っています。そのような自分ですが、社会みんなが不安や不幸せに感じることなく、ごく当たり前に感謝しながら生きていけるような社会の実現を願っています。そのために自分に何が出来るかということは常に頭にあります。広く社会に尽くそうというのではなく、自分の身近なところで出来ることをすればよいと思うのです。ただ、戦争の不幸を成長期にいやという程経験しているので、そのことにはアレルギーといわれるほどの気持ちが根底にあります。決して争うことには荷担したくないというのがたったひとつの私のポリシーかもしれません。まわりが対立していてもどちらにも荷担せず、いつも見守っている自分がいます。また自分に降りかかったことには先週の高木先生が話された「先ず自分が折れる」生き方をしているようにも思います。ずるい生き方かもしれませんが、これが私のサンデー毎日になってからの人生のように思います。この様な私ですから、人生の不思議という心境にはまだまだ至っていません。
11月13日放送 「最期まで輝いて生きる」
上智大学グリーフケア研究所所長 高木慶子
人が輝くとは、まわりの人との良好な関係をつくることで、それは「出会い」「折れ合い」「仕合わせ」が大切だと話されました。それでは、人様から見て自分は輝いて生きているだろうかと考えた時、私はまだまだだろうと思いました。
家庭では、これまでどうかすると、なぜこんなことをしなければと思った時期がありました。しかし、最近はそのような気持ちがすっかり消えてきたので、素直に仕え合って生きるという点では多少評価が上がったかもしれません。しかし、これは自分の役割ではないと決めつけてしまうところがあり、その点ではまだまだ折れ合っていないし、仕え合っていないだろうと思います。
これが地域ということになると、さらにまだまだだと感じます。幸い皆さんの仲間に入れて頂き、それなりの役割を与えられるようになり、自分では精一杯尽くそうとしていますが、力不足でなかなか満足してもらえません。どうしても独りよがりの面が出てきてしまいます。心の込めようが足りないのだろうと思います。「3C」=コミュニケーション、コンパッション、コンパニオンのいずれもが足りないのだと思います。自分の満足のためではなく、もっと相手の仕合わせを大切にする心を磨かなければと思いました。
それ以上広く対象を捉えると、この年齢と財力ではどうしようもありません。ただ出掛けた時、たとえ見知らぬ人であっても、そこで出会う人々に不快感を与えるような行動は慎みたいと思うだけです。そして折れ合うことに細心の注意を払いたいと思います。
11月6日放送 「死と向き合う瞬間(とき)」
上智大学グリーフケア研究所所長 高木慶子
文明がまだまだ開けていない時代、自分の身の回りのことしか情報が入らないので、死はもっとも恐ろしいことだっただろうと思います。だから宗教に助けを求めていたのだろうと思います。南無阿弥陀仏と唱えれば自分の来世は救われると信じたのも、上の下に召されると考えたのも、恐怖から逃れるためだったのでしょう。
しかし、現在、医者から後半年などと余命を宣告されると、それなりの心構えが出来そうに思います。それでも、自分が日に日に弱っていくとき、どの様な心境になるのか、見当もつかないのが正直なところです。きっと今は自分の明日の予定を考えても、自分の余命について考えることがないからだと思います。余命を考えれば、死ぬまでにこれだけはしておかなければと思うでしょうが、今は何年も先のことを考えています。そこには自分の死の予定は全く入っていません。
死を迎えて初めて感謝の心に至るのではなく、今生きているとき、出来るだけ人や自然に感謝の心を示し、また人から感謝されるような生き方を精一杯出来ればと思っています。特に金儲けも出来ず、金を出すことも出来なくなった今、誠意を大切にすることこそが大事だと思っています。そして感謝の心をもち満足してこの世を後に出来れば、きっと幸せな気持ちで旅立てると思っています。
10月30日放送 「ずっと一緒に」
鍼灸マッサージ師 田中真由美
私は順風満帆の人生のただ中にあるせいか、自分が不幸だと思ったことは先ずありません。むしろいつも恵まれているなと思っています。だからおかれた環境を素直に受け入れ、与えられた役割を精一杯果たせればよいと思っています。意識はしていませんが、今ある存在を幸せに思っているのでしょうね。
夕食の献立を決めるとき、よく「何が食べたい?」と尋ねられます。「何でもいいよ」と応えると「張りあいがないねえ」と言われます。与えられるものは何でも美味しく、幸せ感がいっぱいなので、改めて注文など考えつかないのです。旅行も人が計画したことに喜んでついていきます。自分で計画して誰かを喜ばせようなどとおこがましいことはあまり考えません。私から言い出さないので、まわりは不満のようです。「生きる意味」の中で創造性に欠けるのかもしれませんね。
世の中には自分の思い通りにならなければ不満をあからさまに示す人もいますし、他人の不幸など考えもしないで、自分の欲望を満たそうとする人もいます。中には人の幸せをねたみ、人の不幸を喜ぶ人さえいます。私は今の日本のように戦争もなく、平和を信じて生きていることこそ幸せだと思っています。つまらないメンツのためにその平和を乱そうとする考えを持つ人だけは受け入れることが出来ません。それは私の人生を終えるまで変わらないだろうと思います。
10月23日放送 「簡単 笑いヨガ」
日本笑いヨガ協会代表 高田佳子
先ずテキストの経歴を見て、明石高専の出身ということに親しみと意外さを感じました。しかし、講座を聴き始めるとそのような思いは消え、メモをしながら一緒にやっていました。
確かに笑う機会が少なくなりました。私にユーモアのセンスがないので、老夫婦ふたりの生活ではなおさらです。高家寺寄席などに出掛けて笑うとスッキリします。笑うことは好きですが、本当にそのような笑う機会が少ないことを改めて思い知りました。
この笑いヨガを実践してみようと思います。ただし妻にこのことをしっかり説明してからやらなければ、いよいよ頭がおかしくなってきたと心配されるでしょう。
今日はこの後地域の老人クラブの例会があります。会の終わりにでも、この笑いヨガを紹介し、皆さんでやってみようと思います。そしてにこやかに終わりたいと思います。ただし男性会員には冷ややかに見られることが大いに予想されますが……
10月16日放送 「龍馬から学べ−うわさ好きな日本人−」
作家・歴史家 加来耕三
私は加来先生の言われる「日本人はオッチョコチョイ」の典型です。ドラマや講談、歌舞伎などで描かれる歴史上の人物をとても興味深く思い、それがその人物の実像だと思ってしまいます。大河ドラマ「龍馬傳」を見ていて、登場人物をすっかり実像と思いこんで楽しんでいます。又、今の社会情勢もついつい感覚的にとらえて、選挙ではとんでもない人物に投票してしまったこともあります。
つい先日、「常識の壁」(菊池哲郎著)という本を読みました。そこには加来先生が指摘されたように一般的に常識と考えられていることに落とし穴があることを教えられました。常識と考えていることが時代によって変化していること、自分が常識と考えている枠を取っ払ってみると、創造的な考えが浮かび上がることが沢山あったのです。そう思って現役時代のことを思い出してみると、常識と思いこんでいた自分の狭い枠の中で物事を判断していたことに気づき、たくさんの人々に迷惑をかけてきたことを反省させられます。加来先生が地に足をつけて考えることが大切だといわれましたが、狭い常識の枠の中で自分の足の付け所が間違っていた部分もあります。
今、私の判断によって、他の人々が動くということはないので、自分が楽しむことはムキになって冷静に考えなくてもよいと思います。しかし、投票など、社会との関わりにおいてはオッチョコチョイを脱却しなければならないと思いました。
10月9日放送 「『病』『老』の時代を生きる」
評論家・作家 吉武輝子
私は大きな病気をしたことがないので、いまいち病人の気持ちが実感出来ません。それでも吉武先生の病気に対する気構えには本当に驚かされます。
私の家の前を何人かの高齢者が酸素ボンベを引きながら歩いておられます。しかし、それらの人は老人クラブには参加されていません。そこで考えてみると、老人クラブに入っていても、病気になった人は次々にやめていかれます。整形外科的な症状(足腰が痛くて病院通いをしている人や、老人車を押さなければ歩くのが困難な人)は病人だと思っておられないので、参加されますが、脳梗塞など、病気のために症状の出た人はやめてしまわれることに改めて気づきました。吉武先生の言われる病人になり、引きこもってしまわれるのでしょうね。その時に連れ合いまでが老人クラブから離れてしまわれることがあり、残念に思います。
それでは、自分がもし病気になったときはどうかといわれれば、はなはだ自信がありません。しかし妻を道連れにすることはしないでおこうと思います。私の看病が必要であっても、出来るだけ妻の今までの活動にブレーキをかけるようなことは避けたいと思います。
元気で老春を謳歌している今、楽観的ですが病気になったときのことなど考えず、精一杯生きがいをもって日々を送ることに専念したいと思います。そして、将来病気になったとき、改めて吉武先生の今回のお話しの録音を聞き直し、元気をもらいたいと思います。
10月2日放送 「死ぬまで幸せでいるために」
評論家・作家 吉武輝子
確かに肩書きが取れてからの人生は自分の時間として自由に楽しんで生きているという実感があります。そして先でおこるであろうことを心配もせず、楽観的に生きているというのが本音です。それは、まるで自分がこのままいつまでも生き続けると思っているようです。だから先々まで手帳にどんどん楽しい予定がつまっていきます。コレステロールが高いといわれても、なかなか真剣に食事療法などに取り組めません。このあたりは、吉武先生の言われた「自分の体に耳を傾けて生きる」ことに反しているのかもしれません。
自分の現職時代の肩書きの同窓会が年に数回あります。昔の仲間と出会うことは楽しいのですが、いつも心のどこかに抵抗を感じていました。それはやはり肩書き時代に引き戻され、自分らしさを失う時間だったのかもしれません。この様な機会を意図的に減らしていく必要がありそうです。
「地域家族」という言葉を初めて聞きました。私の夢でもあります。吉武先生の「鍵を預けていて、様子を見に断りなく家に入ってくる」というのは、一人暮らしになったとき本当に心丈夫だと思います。それほどお互いに信頼関係が出来れば最高だと思います。しかし、自分の身の回りに果たして地域家族になれる人がいるかと言えば、それはとても難しそうです。それでも次回の老人クラブの例会で、このことをぜひ話してみたいと思います。
9月25日放送 「緩和ケアの今」
金城学院大学学長 柏木哲夫
ホスピスといえば全ての病気の末期に対するケアだと思い違いをしていました。そういえば、癌以外の末期の症状はいろいろだということがわかります。
父と養母の癌末期に立ち会いました。父の場合は吐血して救急車で病院に運ばれ、その後3週間ほどの入院生活で亡くなりました。既に癌と気づいたときには末期で、終末の苦しみを見せましたが、期間が短く、本人も直ぐに意識が混濁し、あっけなく逝ってしまったという感じでした。
しかし、養母の場合は違っていました。震災直後の4月、突然食べ物が喉を通らなくなり、長年通院していたがんセンター(当時は成人病センターと呼んでいた)で診察を受けたところ食道癌で、手術は無理と診断されました。食事が出来ないので即入院、点滴を始めましたが、直ぐに転院を言い渡され、がんセンターの近くの外科病院へ移りました。手術が出来ないほどの症状であることは本人には伝えることが出来ず、肝臓が弱っているから回復してからということになっていました。
ただ食事が出来ないだけで点滴のための入院だったので、入院直前まで普通の生活をしていた本人には退屈な日々、手術をすれば治るという希望がなかなか果たせないいらだちばかりが募りました。その内帰りたいという言葉や、ホスピスという言葉まで聞かれる様になりました。今なら介護保険制度や在宅介護の制度が行き届き、本人の要望に対応出来たと思いますが、当時は往診してくれる医師が近くになく、病状がどんどん重くなっていき、半年間ただ病院の一室で死を待つという心のケアはどうすることも出来ませんでした。医師は身体的苦痛を和らげるだけで、妻が毎日病院に通って精神的な支えになる様努めていました。
最近、90歳を超えた伯父が脳梗塞が原因で意識もほとんどなくなっていた末期に、家族が家に引き取り、終末を家族で看取りましたが、癌の場合、どれほど自宅で家族が看取ることが出来るのか、在宅医療、在宅介護という面で、もっと具体的にいろいろ知りたいと思いました。
9月18日放送 「美味しさの罠」
フーズ&ヘルス研究所代表 幕内秀夫
「自然の甘味や脂に対して、砂糖や食用油を使うと圧倒的に食物の摂取量が増える」という言葉は実感として理解出来ます。焼きめしや寿司は普段の1.5倍のご飯を食べています。又、カタカナの主食も口に美味しく、カタカナの調味料を好んで食べています。実に明快に指摘され、自分の食生活を思わず顧みることになりました。
普段は朝食と夕食はご飯であり、昼食はパンです。パンの時は結構マヨネーズや炒め物、バターを摂っています。一方、朝食ではほとんど脂や砂糖の入った料理は取りません。みそ汁、梅干し、焼き海苔に豆類、きな粉を入れた牛乳ていどです。時には果物をデザートに食べます。
夕食は和食の時は良いのですが、カタカナの副食が出てくると、結構脂(油)や砂糖が含まれるようです。この様なとき、今日はご馳走だなと感じることが良くあります。そしてついついビールが飲みたくなります。和食の方が体に良いことがよくわかりました。
もう一つ、夕食後にケーキなどが出てくると、デザートは別腹だと言って美味しく食べてしまいます。バイキングの時など、必ず最後にケーキと砂糖入りのコーヒーを飲んでいます。まさに美味しさの罠だったことがよくわかりました。この罠をしっかり自覚して健康食が続けられるかと言われれば、やはり誘惑に負けそうで自信はありません。
9月11日放送 「考えないヒト」
京都大学霊長類研究所教授 正高信男
人間が自尊感情によって成長したり、生きがいを感じたりすることは良く理解出来ます。他人から賞賛されたり、必要と認められたりすることによって意欲が増大することは確かです。逆に、集団の中にいてもまわりとの関わりが持てず、孤独を感じるときには、早くその集団から逃げ出したくなります。
他地域からやって来て地域と全く関わりなく仕事一筋だった私が老人クラブに入会した1年近くは孤独を感じました。まわりの人との会話もはずまず、相手も何を話題にして良いかわからず、ただあいさつするだけでした。しかし、思い切って親睦旅行に参加し、カラオケのグループに誘われたことがきっかけで、相手に私の一部を理解していただいてからはグラウンドゴルフの仲間にも入れてもらい、3年後には役員の一端を担わせてもらい、5年経った今は副会長までさせてもらっています。だから地域に貢献することが生きがいになっています。
インターネットの時代になって、誰とでもいつでもつながっている安心感を得ようとしている人々がたくさんいることが今日のお話しでわかりました。出会い系サイトで事件が次々起こることが不思議でしたが、ネットで集まって集団自殺をしたり、女子中学・高校生が被害にあったりするのも、お互いに認め合う様なメールを交換するからだとわかりました。しかし、これは現実的には確かなつながりではなく、人との関わりが苦手であったり、孤独に感じている人にとっては認められた喜びが強く、騙されることもあるという認識が必要だというところが抜け落ちてしまうのだと思います。
高齢者にとっては今後家から出掛けることが少なくなったり、耳の障害で人とのコミュニケーションが困難になったり、お互いの無事を確認したりするときなど、即時性を持つメールがとても大切な役割を持つことになると思います。出会い系サイトの様な見知らぬ人とではなく、公の機関や長く付き合っている人々との交流にインターネットやメールを活用することが大切だと思います。
9月4日放送 「老いはこうしてつくられる」
京都大学霊長類研究所教授 正高信男
人間以外の生物は繁殖機能を終えると、早々に命を閉じるというお話しは生物学者ならではの発想であり、いささかショックでもありました。
人生50年といわれた時代は、他の生物同様、子孫を残す機能が終わった時点で人間もその一生を終えていたのでしょう。それでもなお生きながらえる老人がいたとしても、それは存在する意義のある人々だったのでしょう。
以前は早婚で、40歳代で孫がいるのは当たり前でした。その孫に手がかかる時代はせいぜい60歳までだったと思われます。農家に嫁いだ嫁は産気づくまで田畑で働き、産後も早い時期に田畑に出た話は当たり前のように聞いてきました。家事や子育ての中心は姑の役割で、だから家計も姑が握っていました。一方男性は、田畑で若い者の先頭に立って働き続けていました。そして田畑の耕作技術や知識、地域に伝わる伝統行事などを身をもって確実に伝えていました。
戦後の工業生産中心社会になって、金の卵といわれて若者が農業から離れ、今の時代、組織化されていない地域の農業は細々と高齢者によって守られているという現状になってしまいました。一方都会で農業に携われなくなった高齢者は、働いて得たお金を備蓄しておき、そのお金と年金を当てにして第二の青春を謳歌しています。しかし専業主婦だった人の中には備蓄もなくわずかな年金でその日をしのぐ生活をしている場合も少なくありません。
そのようなことを考えながら今回の講座を聞いていると、人間の不老不死の欲が今の高齢社会を招き、そのことで高齢期だけでなく社会全体を苦しめているのではないかという思いが強くなってきました。バブルの時期に身につけてしまった生活レベルをダウンさせることは困難です。しかし、ここはもう一度原点に立ち戻り、戦後の不自由な生活を思い出しながら、高齢者が先頭に立って質素な生活をし、若者の生存を脅かす存在にならないようにすべきではないかと思いました。
8月28日放送 「高齢者と災害」
兵庫県国際交流協会理事長 齋藤富雄
防災対策や災害対応の経験が豊富なだけあって、非常にわかりやすく、又具体的できめ細やかな講義であったと思います。だから高齢者として日頃から取り組まなければならない準備や心構えが良く理解出来ました。
中でも老人クラブの取り組み、地域の人々の助け合いは災害時のもっとも初期活動として大切だと思います。このことは心しておくべきことで、常日頃からの信頼関係を確立させたお付き合いを大切にしておかねばならないと思いました。
ところで、自分達の地域のハザードマップが以前配られました。よく目立つ壁面に貼り付けていたのですが、今確かめてみると、取り外され行方がわかりません。家族の防災意識の薄さを改めて思い知らされました。
我が家は少し高台の平地にあり、水害や津波の心配は先ずないと思いますが、大津波に見舞われたときには向かいの鉄筋の消防署の建物を目指すことになるでしょう。しかし、海に近いので、風の被害はまともに受けます。また築50年の木造で、家のまわりは焼き杉板なので、火災には弱いと思います。また、阪神淡路大震災の時には釘が使われていない構造なので、きしむ音が大変でしたが倒壊を免れました。ただ漆喰壁が落ち、瓦屋根も葺き替えなければならない程の被害がありました。葺き替えるときには土の量を3分の1にしましたが、それでも次に予想される南海地震に耐えられるかどうかわかりません。
この様なことを考えながら、これからの災害に備えたいと思います。
8月21日放送 「予知防犯を知ろう」
犯罪アナリスト 梅本正行
私たちが犯罪にあう手口が沢山あることを話されました。先ず振り込め詐欺については、妻の名前で裁判費用を振り込むようにというはがきが届いたことがあります。そのようなことから、私はこの種なニュースをテレビや新聞でよく見ているので、電話がかかってきてもきっと騙されることはないだろうと思っています。しかし、講師の話からすると自信のある者ほど騙されやすい人間だということがわかりました。幸い我が家は交番所の前なので、この様な電話がかかってきたら先ずお巡りさんに相談しようと思います。交番所が留守でも警察に直接かかる電話も設置されています。これを使えば、直ぐに来てくれると思います。
ひったくりについては、現金などはほとんど持ち歩くことはありません。それでも生活費を銀行へおろしに行くことはあります。窓口のお世話になることはめったにありませんが、ひったくりにくい袋を準備し、人通りの多い道と時間帯を選びたいと思います。
空き巣等については、家の前が交番所なので油断している気持ちがあると思います。最近垣根をずいぶん低くし、道路から敷地内がよく見えるようになりました。しかし、死角になる窓については2ロックにするなど、防犯対策を進めたいと思います。
それにしても性悪説など人を疑ってかからなければならない世の中は淋しいなと思います。巧妙化していく手口には感心してしまうのですが、この新しい手口を考え出す能力をもっと良いことに使ってくれればいいのにといつも思います。
終戦直後の子どもの頃に家に人がいるにもかかわらず、泥棒に入られた経験があります。タンスの引き出しが下から順に開けられていた光景を今も覚えています。直ぐに警官が来ていろいろ調べてくれましたが、町の防犯委員をしていた父はとてもショックだったと思います。
8月14日放送 「心がまあーるくなる禅のおはなし」
浜松医科大学名誉教授 高田和明
先ず、ものの見方はひとつではないという言葉に、今の政治批判を思いました。自民党が政権を取っていたときには民主党が自民党の考えていること全てを批判し、今度は民主党が政権を握ると、自民党は民主党のやることは全て間違っていると批判し、責め立てています。すると、マスコミもその方向にたって内閣を批判する意見を書き立て、国民の支持率を操作しているように思えます。最終的には政治の中身より、政権の行方だけが大切だという印象を持ってしまいます。ひとつの施策もある人には有り難く、別の人には我慢ならないものがあると思います。それぞれの主張があるのは当然ですが、長い目、大所高所にたって見るということが大切だということなのでしょう。
先日、広島の平和記念式典にアメリカの駐日大使が出席されました。そのことについて、町でインタビューした場面がテレビで放映されました。やっと核兵器廃絶の方向で動き出したという喜びの声もありましたが、ある人は「今更遅い」と言い、別の人は「オバマさんに来て欲しかった」といっていました。しかし、その根底には、マスコミも含めて、日本は原爆を投下された被害国で、あくまでアメリカの行為は許されるべきではないという考えがあります。「日本人は原爆を投下されたことで、その原因も考えずに、ただただ唯一の被爆国として第2次大戦を精算し、ある意味美化してしまおうとしている」とずいぶん以前に批判的な論文を書いている在日2世がいます。その人は現在東大教授で、NHKテレビにもよく出演されているし、民放でもいろいろ意見を求められています。その声は主婦層を惹きつけているともいわれてもいます。しかし、被爆国や原爆投下と戦争ということに関しては意見を求められることもなく、発言も聞いたことがありません。マスコミにとっては一番大切な部分を避けて通っているようにしか思えてなりません。
今日の話を聞いていて、ものの見方を一面から決めつけて考えるのではなく、広く、長いスパンで考えるべきだということを改めて教えられたように思いました。
8月7日放送 「禅問答の名言」
浜松医科大学名誉教授 高田和明
宗教によって心苦しめている教えが沢山あります。以前小学校2年生を担当していたとき、お誕生月の子どもたちのお誕生会をしたことがあります。単なる「お祝いの会」ではなく、そのときに祝ってもらう子どもたちは、自分の生まれた頃の両親の暮らしや、自分が生まれたときの両親の気持ち、そしてどの様な思いで名前を付けたのかなど、親に尋ねておいて発表することにしていました。そのことから親の自分に対する愛情を知り、少しでも感謝の芽を育てたいと思ったからです。ところがある宗教を信じている親から、子供を作ることは罪深いことで、誕生祝いなどとんでもないので当日は欠席させますという連絡がありました。当人は折角の主役になる機会を宗教の教えのために奪われてしまったのです。
このことは親の欲望でもなければ、煩悩でもありません。親は忠実に教えを守ろうとしただけでしょう。私にとって、今日のお話を聞いていて、どの様な素晴らしい人物であれ、生き方の教えであっても、心を煩わせるようなことは無視すべきだという言葉がとても印象に残り、人に対しても心煩わせるような言葉は慎まなければと思いました。
7月31日放送 「思い出のメロディー」
学生参加番組
私自身思い出のメロディーがあるかといわれれば、これという歌はありません。しかし皆さんが取り上げられた歌についてはいろいろと思い出が蘇ってきます。
琵琶湖周航の歌については、青春18切符で醒ヶ井の養鱒場へ鱒料理を食べに行った帰り、米原駅で乗り換えるとき、たまたま湖北まわりの今津行きの電車を見つけ、その電車に乗りました。今津で下車したものの、次の電車まで1時間足らず、駅員に見るところがないか尋ねました。その時駅の近くの「琵琶湖周航の歌記念館」を紹介していただき、歌の生まれたルーツや作者を知ることが出来ました。館内ではこの曲がずっと流れていました。
「ゴンドラの歌」については、黒澤明監督の「生きる」という映画の中で歌われたということを初めて知りました。今までは意味もなく聞いていましたが、この映画を見てみたいと思いました。
「上を向いて歩こう」は、阪神淡路大震災直後、被災地でよく歌われました。その頃この歌をうたうとつい涙が出そうになり、まともに歌えませんでした。
「野菊」の話を聞き、私は戦後ですが、小学校時代同級生の女の子が学芸会の劇中で「庭の千草」を朗々と歌ったのが強く印象に残っています。特に上がり性だった私は全校生の前で堂々と独唱する女の子にあこがれたものです。
「お菓子と娘」の話を聞いていて、学校では聞けない歌を教えてくれた先生のことを思い出しました。小学校6年生の時だったと思いますが、音楽の先生が一人ひとりに好きな歌をリクエストして、伴奏をしてくれました。その時、級友が「誰か故郷を思わざる」をリクエストしました。どの様に指導してもらったのか今は定かでありませんが、この歌を覚えてみんなでよく歌ったものです。
藤山一郎という名を聞いただけで、藤山一郎と同級生だったといわれた素晴らしい声の持ち主、高校時代の柳歳一先生を思い出します。この先生のお陰で歌うことが好きになりました。
「笛吹童子」は、昔の真空管ラジオを思い出させてくれました。新諸国物語は私もよく聴きました。
「シャボン玉」のお話しはなんと悲しい思い出だろうと思いました。高校1年生の息子をたった2日間の病で失ってしまうなど考えてみてもつらいことで、本当にシャボン玉のように消えていった息子の死をどの様に乗り越えられたのだろうかと思いました。
シューベルトの「野ばら」では、印象的だった先生の青いワンピースが戦時色に変わっていったという話が印象に残りました。
「夏の思い出」の演奏を聴いていて、昭和50年頃、NHKラジオで「イージーリスニング・ミュージック」という番組を思い出しました。クラシックの名曲から歌曲、映画音楽などを親しみやすく編曲して演奏で聴かせる番組で、よく録音をしておいて繰り返し聞いたものです。きっと今もその時に録音したテープが残っているはずです。一度取り出して聴いてみようと思いました。
7月24日放送 「もったいない」
絵本作家 真珠まりこ
もったいないという言葉は小さい頃祖母からよく聞かされました。物心ついた頃は既に食糧が配給制度だったので、食べ残しをするどころか、食べ物のついたお皿をなめていてよく叱られたものです。しかし、ものの扱いについてはよく言われたものです。だから、何でもおいておく習慣が身に付いてしまったのです。
今、私の机の中には書けなくなったボールペンが何本もあります。新しいボールペンを買わなくても後日替え芯を買ってくれば使えると思ったからです。けれどもいろいろなところで広告の入ったボールペンをもらい、それを使っているので替え芯を買うこともなく、そのまま引き出しにしまわれたままです。一事が万事、いつか使うだろうと取って置いた物で机の引き出しは満杯、今使っているものはしまうところがなく机の上にあります。だから机の上が乱雑になって家族に叱られています。
弁当を食べるとき、先ず蓋についたご飯粒から食べます。へぎに入った幕の内弁当などはなかなか取れなくて苦労します。子どもの頃、お釜やおひつに残ったご飯粒に白湯を入れてかき回し、一粒残らず食べていました。今、電気釜を洗うとき、釜やしゃもじについたご飯粒がもったいないなと思いながら洗い流してしまいます。昔のように白湯を入れて食べてしまいたいと思うのですが、家族の非難を考えて抵抗を感じながら流してしまうのです。子どもの頃に身に付いた習慣は70年近く経った今、ものがあふれる時代になっても抜けきらないのですね。
今回の真珠さんの話で、もったいないを命の大切さに結びつけて考えるということは大切だと思いました。地球に優しい、人に優しい、何より身の回りの物にも優しいということを身につけておけば、決して命を傷つけ合い、奪い合う戦争を礼賛することにはならないでしょう。
7月17日放送 「植物たちの健康術」
甲南大学理工学部教授 田中 修
先ず植物にとっても紫外線がそれほど有害であるということは想像もしていなかったので驚き、そして話に感動しました。植物が子孫を増やし守るために、必死で対策を講じていたとは本当にすごいなと思いました。植物は光合成によって養分を作り、成長を続けているので、直射日光がとても大切です。だから太陽の光を求めてどんどんと伸びています。それだけに紫外線を浴びる量も生半可ではないので、この様に種を守るための工夫があったのですね。野菜や果物、特に黄緑野菜をしっかり摂るようにといわれる所以もわかりました。
我が家では今トマトとナンキンが次々なっています。これらも種を守るためにこの様な色をしているのだということを改めて感じながら今日も感謝しながらいただきます。
7月10日放送 「高齢者と科学技術」
科学技術ジャーナリスト 赤池 学
東京大田区の町工場地区の出身ということで、物づくりに小さいときから関心があり、自分の将来の夢もそこが原点だったと話されました。本当に素晴らしい仕事をされていることに感心しました。ユニバーサルデザインは、最初は障害者のために始まったということは障害児に関わった仕事をしていた私にとっては耳慣れた言葉でした。そして柄の太いスプーンやスプーンの曲がる角度、そして食器など有り難く使わせてもらっていました。しかしそうしたデザインを研究し、生み出しておられたのが赤池先生だったとわかり、、感動しながらお話を聞きました。
ユニバーサルデザインが道具だけだと思っていたら、住宅関連にも広がり、シックハウスを防ぐ研究開発まで手がけておられるという話を聞き、アレルギーやアトピーで困っている人々も今後減るのではないかと期待がふくらみました。
Co2を有効活用したゼロエミッションハウス、海草や山芋に含まれる有効成分を活用した抗ガン剤など、これからまだまだ新しい技術を開発されているという話に、この様なユニバーサルデザインから始まった科学技術がこれからの世の中に役立っていくことを素晴らしく思いました。今後の開発において高齢者の経験や智恵を大いに発揮して欲しいといわれましたが、私にとっては恩恵に授かるだけで役に立ちそうもなく、せめて人体実験のモルモットになるくらいかなと思いました。
7月3日放送 「兵庫街かど学X −7月の生活文化から−」
園田学園女子大学名誉教授 田辺眞人
この時期茅の輪くぐりをしたり、七夕の日に短冊に願い事を書いてつるすということはよくしていましたが、なぜするのかということはあまり考えたことはありませんでした。まして、祝い事は紅白、不幸があったときは白黒や白黄など、単なる習慣としてしかとらえていませんでした。しかし、それらに浄めたり邪悪を祓ったりする意味があり、さらにそれぞれが尋常でない香り、音であるということなどに起因するとお聞きすると、自分が本当に表面的なことしか知らなかったとつくづく思いました。普段の生活に「なぜ」という疑問を持つことの大切さ、おもしろさを実感した講座でした。
6月26日放送 「排泄と尊厳」
NPO法人日本コンチネンス協会会長 西村かおる
朝、大きめの便がスムーズに出た日はとても気持ちのよい一日を予感させてくれます。逆に、コロコロ便だったり、軟便だったり、悪臭が強かったり、さらに便が出きらない感じが残ると、不快感が残り、再度もよおすのではないかという思いになります。この様に快適なときと不快感があるときが交互に現れます。いつも快適な排便でありたいと願うのですが、なかなか思うようになりません。水分を十分取らなければとよくいわれますが、沢山摂ると下痢をしてしまいます。大腸の検査の時にたくさん水分を摂って、腸内の便を水分で流し去ったときからそのような習慣がついてしまいました。
泊付きの旅行や、早朝出発の時は排便しないまま一日を過ごすことが多々あります。特に旅行中はよほどのことがなければ便意が無く、トイレに行っても出ません。ところが帰宅間際におならが頻発し、家に着くと同時に強い便意を感じます。きっと精神的なものなのですね。これが2泊3日以上になると、途中で下痢をしてしまうことがあり、その先の旅程が心配になります。下痢は待ったなしになるからです。幸い今まではそのようなときにトイレにたどり着くので助かっていますが……
排尿は一日4〜6回ですが、冷えてくると頻尿になります。またコーヒーを飲んだ後は1〜3回近くなります。夜は早寝をすると、2回トイレに行くことがあります。トイレに2度起きると目が覚めてしまいます。そのような日は一日眠くてしかたありません。今日の就寝3時間前から水分を摂らないようにという話はとても参考になります。早寝の時は、水分の摂取時間も早めに終えなければならないのですね。
6月19日放送 「兵庫偉人伝 −俳人・滝瓢水−」
講談師 旭堂南陵
以前、元放送大学長・佐藤先生がテキストに瓢水のことを書かれていたことがあります。その時はそのような俳人が居たのだな位に思っただけで深く味わっていませんでした。だから海女の句が印象に残っているくらいです。しかし、今日この様に詳しく人となりを聴き、句が詠まれたいきさつを聴くと、とても興味深く感じました。「さればとて石にふとんも着せられず」など、南海師が言われたように「親孝行したいときには親は無し」の続きの句だとばかり思っていました。そしてどちらも川柳だと思っていました。
「手にとるなやはり野に置けれんげ草」や「浜までは海女も蓑着る時雨かな」の発想は川柳のようですが、きちんと季語が入っているのに気づきました。もう一度古いテキストを取り出して佐藤先生の文章を読んでみたいと思います。
川柳でこの様な奥深い句が詠みたいものです。ただし、この様に現実の生活を顧みず、好き放題して親の死に目にも会えなかったような人物だからこそこんな句を詠むことが出来たのではないかと思うところもあります。いずれにしても、俳句は詠まれた状況を聴くとひとつひとつの句のおもしろさがわかるのですね。その点川柳はその状況を自分で想像しながら楽しむことが出来るので、やはり川柳の方がとりつきやすいなと思いました。
6月12日放送 「男と女の境界線」
江戸川大学教授 斗鬼正一
歌舞伎の女形、宝塚歌劇の男役など、境界を越えて演技をする人たちがいます。彼ら、彼女らは舞台で演技をするときだけ反対の性を強調して演じているので、社会的にも認められているのだと思います。私も数年前、いなみ野学園で女装をさせられてフラダンスを踊ったことがあります。これは宴会の余興としてみんなの前で演じたのですから大いに受けました。笑いを取るためですから、照れくさがらずにまじめに踊りました。もし普段から男女の境界線を越えるような私だったらこのようなことを私にやらせなかっただろうし、笑いも取れなかっただろうと思います。
ところがテレビによくニューハーフと称して女装を競っているように思われるタレントが登場します。テレビ局のディレクターが男女の境界線を打ち破ることを面白がって助長しているように思えてなりません。昔から女装を趣味とする男性がいる話は聞きますが、彼らは自宅や仲間内の場でそうするだけで、決して他人の前ではしなかったそうですが、テレビという公衆の場に現れ、それをもてはやすというのですから、やはり日本人の男女の境界線に関する文化を打ち破ろうとする挑戦だと思えてなりません。大人は文化が身についているので、気持ち悪い人々という感覚で見ていますが、これから文化を身につけようとする子供たちにとっては女装も個性としてありだと思うかもしれません。そのことによって犯罪に利用されてはたまったものではありません。
また、旧満州に移住していた人たちが終戦時にロシア兵に襲われたとき、女性は身を守るために男装をしたと聞きます。これなどは男女の境界線をあえて越えることによって身を守るという悲壮な手段だったのだと思います。
もうひとつ、異文化交流によって、外国の人々の文化を理解することが大切だと最近よく言われます。男女の境界線についてもこれほど民族によってさまざまなのですから、社会的な習慣は違って当然だと思います。外国人と接するときには異文化を認め合うことが大切だということが良くわかりました。それとともに、やはり日本人の文化から生まれた常識をも大切にしたいと思いました。
6月5日放送 「変と普通の境界線」
江戸川大学教授 斗鬼正一
科学の発達が時や空間の境界線を曖昧にしていることは多いと思います。その一つが電気です。私たちの子どもの頃は街灯もあまり無く、屋外の夜は真っ暗でした。だから「コトリ」を恐れて暗くなるまでに家に帰ったものです。幼稚園の頃は「靴が鳴る」の歌詞で「小鳥になって」の部分を「コトリ」と思いこんでいて、夕方や人のいないところへ子どもだけでいってはいけないと教えられていたようで、この歌は怖い歌だと思っていました。いまは24時間コンビニは開いており、夜9時頃の電車に乗っても塾帰りの子どもたちがたくさん乗っています。
テレビ番組も、以前は夜遅くなってくると、比較的静かな番組でしたが、最近は芸人が大勢出て我も我もとしゃべるので騒々しい雰囲気の番組が夜遅くなっても放映されています。夜遅くなればまわりに迷惑をかけないよう静かにし、早く眠るという習慣もなくなってきました。だから夜12時で日付の境界が引かれているという感じはありません。せいぜいNHKの午前0時のニュースで先程まで「今夜」といっていたのが「昨夜」と表現が変わるくらいです。この様な時代に生きている人々は午前0時を深夜などとはあまり感じていないのかもしれません。日付の境界がすっかり曖昧になり、そのことを気にしなくなっているのだと思います。
夜に口笛を吹くとよく叱られました。家に泥棒を呼び込むといわれたのです。小さい頃はそれを信じて恐れていましたが、中学生時代の反抗期になるとそのようなことは迷信だとバカにするようになりました。この様にして時間や空間の境界を曖昧にしていくのですね。いま電車の中でお化粧をする人がたくさん見られます。最近は少なくなりましたがそれでも携帯電話で話している人もいます。電車に乗ったら携帯電話をいじっている人がたくさんいます。変を変と思わない、恥ずべきことと思わなくなったのでしょうね。電車の中で新聞や本を読んでいるのと同じ感覚なのだと思います。時代と共に、科学の発達が進み、グローバル化で異文化が流入し、あらゆるところで境界線が曖昧になっているのだと思います。そのことがこれまでのモラルや習慣としての約束事も変化し、レベルが下がっているのではないかと思っています。
6月1日 第1回中央スクーリング
10時30分からいなみ野学園大講堂で、高齢者放送大学の第1回中央スクーリングがありました。実質的な本科生の開講式という意味合いがあり、247名の本科生入学者があることがわかりました。そしてスタッフの紹介の後、委託講師の自己紹介及びミニ講話がありました。この日のためにいろいろ考え、レジュメも作っていたのですが、講堂の壇上に上がると予定していたこととは違う言葉がついつい口をついて出てくるので、話がそれてしまい、これだけは話しておこうと思っていたことがたくさん抜けてしまいました。
ミニ講話では「お陰様」という言葉を大切にして、修了式(来年3月)で「お陰様で無事終了式を迎えられました」と一緒に言えればいいということを伝えたかったのですが、うまく伝えることが出来ませんでした。やっぱり私は話がへただなとつくづく思いました。
5月29日放送 「本科生にむけて −知事あいさつ−」
兵庫県知事 井戸敏三 及び 放送大学教授陣
いよいよ課題番組が始まることに緊張を覚えます。中でも、市村教授が話された「往復課題番組には指導助言がもらえる」という言葉に、穴があったら入りたい気持ちになります。私は学生の皆さんが放送大学の学習を継続する上で少しでも励みになるような言葉がけができればということしかできません。今年度もその気持ちで書くことでお許しいただきたいと思います。
ところで井戸知事が、少子高齢者が進む社会の中で、高齢者の社会貢献こそ大事だとお話しされました。また、69歳までを生産者人口に、高齢者仲間では69歳までの人は若手と呼ばれているという言葉など、いま現実社会において実感しています。
私自身、66歳まで現役を務めていて、退職後67歳で老人クラブに入会しました。同年齢がもっとも若手でした。それ以降も年下の入会者はなく、70歳間近になってやっと入会者が現れる状態です。70歳にならなければ老人の仲間入りはしたくないと思うようです。だから、私たちの老人クラブでは、75歳までは若手です。リーダーは年長者ですが、いろいろな行事の企画の担い手は若手が中心です。身体の不自由な高齢の会員にも楽しく参加していただけるような配慮をしながらお膳立てをするのが若手の務めだと考えています。幸い、先輩がスクールガード(登下校の見守り)など、社会貢献、地域活動の道筋をつけて下さっているので、生きがいをもって活動できることに感謝し、若手に引き継げるようにしたいと思っています。
5月22日放送 「和願・愛語」
姫路市・大覚寺住職 中西玄禮
今年1月山陽電車平日ウォークに参加したとき、ゴールが網干だったので、少し足を伸ばして大覚寺へ行ってみました。中西先生のお話からイメージしていたお寺とは全く違って、素晴らしく大きく、きれいな建物とお庭でした。そして町中には大本山禅林寺貫首に間もなく就任されるお祝いの言葉が大きく掲示されていました。これを見て中西先生が網干の町の市民にとって誇りなのだと感じました。この様に尊敬されておられる方だけあっていつも本当に心に残るお話しをされます。前回も聞いているはずなのに、とても新鮮にお聞きしました。
自分がどれだけ和願愛語を実践できているだろうかと、今回は反省しながら聞きました。スクールガードの見守りで交差点に立つときは出来るだけ和願に務めています。子どもたちが笑顔を返してくると、本当に嬉しく感じます。しかし、いろいろなことを身につけてくるにしたがって、照れくさく思うのか、知らない人にむやみに心を許すことを警戒するのか、もっと別の原因があるのか、高学年になるほど笑顔は返ってきません。そして、信号が赤で待たなければならないときは「おかえり」と声をかけます。低学年の子どもは「ただいま」と素直の応えますが、高学年になると、返事をしなかったり、「さよなら」と応えてきたりします。心が素直に通じていない感じがします。心が通じないのは、私が忙しくて、毎日見守っている人のように親しい間柄になっていないからだと思います。それでも和願に務めたいと思っています。
5月15日放送 「快眠の極意」
睡眠医療認定医師 遠藤拓郎
昨夜11時過ぎ、風呂上がりに兵庫県選出の自民党議員から届いたマニフェストのFAXを読んだのが間違いでした。そこに本人のホームページがあることが書かれてあり、開いてしまったのです。そしてマニフェストのついて意見を聞かせて下さいと書かれていたのです。私は別に自民党の支持者ではありませんが、ついつい乗せられて疑問点を打ち込んで送信してしまいました。だから床についたのは12時を過ぎていました。床についてからもそのことを考え、しばらく寝付けませんでした。
朝5時過ぎにはにはそろそろ放送大学にあわせてタイマーをセットしているラジオのスイッチが入りそうだと思いながら眠りが浅くなり、6時前にはトイレに起き出したのですっかり目覚めてしまいました。きっと快眠時間は4時間あまりだろうと思います。この間に成長ホルモンが分泌され、どれほど私の身体が修復・再生されたのでしょうか。朝飯前に放送を聴き、感想を打ち込んでいますが、きっとコルチゾールが眠っている間に分泌してくれたお陰なのでしょうね。それにしても人体のつくりの不思議を感じずにはいられません。
5月8日放送 「いのちの絆」
聖路加国際病院名誉院長 日野原重明
間もなく99歳になられる日野原先生が、なお日々生きがいをもって現役の医者として活躍しておられることに感動すら覚えます。
私たちの健康寿命は生きがいに左右されることは実感としてわかります。しかし、先生がおっしゃったようにひとりでは生きがいが持てません。人の役に立つということこそが生きがいにつながるのですね。
家庭内においても食後の皿洗い、浴槽洗いなど、自分の出来ることで役割をもっています。外に出ると、地域の老人クラブの役員として、自分の出来るお手伝いをさせてもらっています。グループ活動においても、皆さんの意見を聞きながら世話係として月々の企画をさせてもらっています。時間さえあれば、下校する小学生の見守りを家の前の交差点でさせてもらっています。外での活動は自分で買って出たものはひとつもありませんが、皆さんが私の力にあった役割を与えて下さっています。自分の生きがいをつくってもらえることを感謝しながら務めるべきなのでしょうね。
老人クラブに加入すると役員をやらされるからと入会を拒否してこられた方がたくさんいます。そのために、入会した次の役員選挙では役員候補にしないという条件を提示して、昨年大勢の会員の入会していただきました。日野原先生はストレスを前向きに受けとめることが大切だといわれましたが、本当にそうだと思いました。だからそのお話をして、健康寿命を延ばすためにも積極的に役員を引き受けてもらおうと思いました。
5月1日放送 「平常心」
東海大学医学部教授 保坂 隆
私は子どもの頃恐ろしい経験のトラウマに支配され、毎日そのことに思い悩むタイプでした。夜眠るときもそのことを思い出し、頭から蒲団をかぶってもなかなか寝付けないことがよくありました。
思春期になった頃には、人が自分のことを悪く思っていないかと不安になり、それが高じて赤面症になっていました。自分は劣等感の固まりだとさえ思っていました。
私が教師になりたいと思った動機も、小学校時代に国語の教科書を読まされたとき、すっかり上がってしまい何をどう読んでいるのかわからない状態で、しどろもどろになったことが心に残り、自分だったら読みたくない子どもには絶対指名しないような教師になろうと思ったことからでした。
高校時代も校内スポーツ大会で選手としてグラウンドに立つと、夢の中で立っているような不安な心地がしたものです。そして大学でグリークラブに入って間なしに舞台に立ったとき、合唱であるにもかかわらず、足がガタガタ震えて止まりませんでした。
そんな私がいつの間にか図太い神経になり、人前で平気でしゃべり、話した内容についても失敗をそれほど気にしなくなりました。時によっては聴いている人の反応を見ながら話す余裕さえ持っているときもあります。そして、話し終わった後まずまずだったなどと自分に甘い点を付けているのです。
自分がいつどの様なきっかけで平常心が保てるようになったのか定かではありませんが、常に自分の能力を精一杯発揮して誠意をもって生きていたら、自分の限界以上のことを人は求めていないと思うようになったからかもしれません。これからもそのような生き方で良いと思っています。
4月24日放送 「健康情報のウソ」
元県立リハビリテーションセンター中央病院副院長 鳴瀧恭也
「寒天が」、「ココアが」、「納豆が」と次々に店頭から消えたことがあります。テレビの健康情報が人々に与えた影響です。私もついつい信じて踊らされたことがあります。しかし、これらの情報の中には個人の経験や、一部の医師の意見が興味本位で取り上げられたものであって、健康に関する研究の情報発信ではなく、週刊誌や、テレビのバラエティ番組やワイドショーなどが発信源だったのだと鳴瀧先生のお話で気づかされました。
テキストの5つの設問は全て間違っていないと思っていました。ところが全て間違いだと言われてとまどいがあります。野菜や果物が健康によく、肉類の動物性タンパク質を出来るだけ少なくするということは実行しているし、メタボにならないために腹八分目にしておかなければと常に思っています。特に検診で指摘された血中コレステロール値については悩むところのひとつです。
確かにコーヒーの話でもそうでしたが、過ぎたるは及ばざるが如しで、コレステロール値も高すぎることはいけないけれども、日野原先生の話にもあったように少し高めの方が元気がよいという話もあるように、自分の体調にあったものが良いのでしょうね。
日光の浴びすぎは確かに皮膚によくないということは車の通勤をしていて、顔の右側にあざが多いということで実感しています。しかし、骨粗鬆症だといわれている私にとっては、やはり適当に日光を浴びることが大切なのがよくわかりました。
NHK番組「ためしてガッテン」を興味深く見ていますが、納豆などはこの番組の影響です。この番組も鵜呑みにせず、どれほどの研究の成果なのかよく吟味しながら視聴することが大切なのですね。
4月17日放送 「羞恥心はどこへ」
聖心女子大学文学部教授 菅原健介
電車内で化粧をするなど、自分達の若い時代には思いもよらない行為をする最近の若者に対してマナーが低下したなどと単純に思っていました。しかし、それが「旅の恥のかきすて」に通じる他人化への社会構造の変化だとわかるとなるほどと思いました。
毎日同じ電車に乗っていても、そこにいる人々がたとえ近所の人がいても知り合いでもなく、自分が阻害されてもかまわない他人であるという感覚なのですね。会社の男性と一緒に旅行していたら、電車の中では化粧などしないだろうと思います。
もう一つ心に残ったのが、社会の構造の変化で、便利になったと評価されているのが、自動券売機やATMなど機械化されて人との面倒な接触を少なくすることだと言われたことです。確かに人の顔が見えないサービスというのはお互いを支え合う機能(他人への思いやりの心)を低下させているように思います。
日本人は人だけでなく自然に対しても心を配る「わび・さび」の世界観を持っていました。しかし、いま自分の都合や公共の便利さを求めてそれらも無視してしまう行為も少なくありません。電車内で化粧するのは法律に触れないからかまわないというなど、唯一の心のよりどころが法律だというのは淋しい限りです。感謝の心と人や自然への心配りがマナーの基本になってほしいものです。
4月10日放送 「お洒落に魅せる色のマジック」
イメージコンサルタント 太田久美子
太田先生が言われたように、自分は紺やグレー系統の服装を選ぶことが多かったように思います。特に現役時代はできるだけ地味な服装を心がけていたので、退職後個性的な服装を勧められても抵抗がありました。
定年後第二の職場に就いたころから少しずつ抵抗は薄らぎましたが、それでもどの服がいいかたずねられると、やはりグレーや紺系統でした。第2の職場も退職した66歳になって、ピンクや赤を強く勧められるようになって、初めて着るようになりました。すると太田先生が話されたように気持ちがずいぶん積極的になった様に思いました。
今回の講座で、これが色のマジックだったのだなとわかりました。色彩心理学ということが実感としてわかります。最近では「その赤いジャンパーはそろそろやめなさい」と家族に注意されるほど、冬の間のスポーツ(グラウンドゴルフ)では欠かせなくなっています。ピンクのシャツに花紺のスーツという服装も気に入っているルックです。しかし、肌や髪の色で似合う色があるということを聞き、考え直さねばと思いました。
これは余談ですが、今回の放送を録音して妻にも聞かせると、色より半額などという値段が優先するからそこまでお洒落になれないという返事が戻ってきました。年金のみの家計を預かる主婦の感覚はちょっと違いました。そういいながら昔の赤い服を着て出かけていったので、やはり婆くさくないように気をつけているのかもしれません。
4月3日放送 「シルバーパワーを地域に」
神戸大学名誉教授 野尻武俊
神戸に住んでいた私が、国民学校2年生の時、いよいよ空襲が激しくなり、広島県尾道市から三次の方へ入った市村というところに疎開しました。その時に先ず驚いたのが、朝夕みんな出会った人と必ずあいさつをしていることでした。神戸では知っている人以外はあいさつする習慣がありませんでした。ところが私たち疎開をしてきた見ず知らずの者に対しても老いも若きもあいさつをしてくれるのです。今日の放送を聞きながら当時はコミュニティが農村では確実に出来上がっていたのだなと思いました。
いまスクールガードで小学生の下校時間に街かどに立つことがあります。こちらがあいさつをしても自分達のおしゃべりに夢中で全くあいさつをしない子どもが何人かいます。しかし、多くの子どもが笑顔であいさつをすると笑顔であいさつを返してきます。信号が赤の時は「おかえり」と声をかけてやります。その時に「ただいま」と言えず、いきなり「さようなら」と言ったり、もじもじしている子どもがいます。きっと家庭で「おかえり」という言葉をかけてもらうことがないのかなと思ったりします。やはりコミュニティのもっとも小さな単位、家庭が大切なのだと思います。
退職が近づいた頃、ある研修会で退職したら旅行に行こうなどと楽しみにしているだろうけれど、半年もしたら旅行ばかりしておられないことに気づくだろうと言われました。実際私も旅行をしたのは2〜3度でした。そして人の役に立っていることをしているときがもっとも生きがいを感じるときだとわかりました。
高齢者大学に勤めているときにそのことは繰り返し学びました。だから第2の職場を退職し、サンデー毎日になったとき、先ず地域参加を試みました。老人クラブに入会し、地域デビューを無事はたせると、後は順調に地域活動が出来るようになりました。いま私たちの住んでいる地域はあいさつやスクールガードなど、高齢者の地域参加や地域貢献はある程度進んでいると思います。しかし、我々より年齢が若い60歳代のところで、うまくつながっていないような気がします。これは自治会役員の定年が70歳なので自治会活動に手を取られているからだろうと思います。自治会で頑張っている人たちが70歳になったときに、老人クラブで再び地域貢献してくれることを願っています。そのためにも、いまの老人クラブを充実させ、入ってよかったと言えるようにしていかなければなりません。
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