平成21年度高齢者放送大学感想文

3月27日放送 「1年の学習を終えるにあたって」
                             学生参加番組

 発表された6人の方々のお話を聞いていて、皆さんが真剣に取り組んでおられることがよくわかります。25年賛辞を受けられた池田さんなど、課題番組について不提出はなかったといわれるのですから、すごいなと思います。また10年賛辞を受けられた江田さんは、その日のことはその日の内にと感想文を書かれていることにも敬服します。私は、昨日老人クラブの総会があり、準備等が忙しいということを理由に日曜日に感想文を書いています。全てがこの調子なので、仕事がどんどんたまり、机の上がますます乱雑になり、家族に叱られています。
 よく、身近な人の声がラジオから流れてくると、自分のことのように嬉しくなるといわれています。今回は20年賛辞を受けられ発表された明石市の南海さんは、私たちの老人クラブ会員です。20年賛辞を受けられたとき、嬉しそうにそっと報告してくださいました。そして今回ラジオから流れてくる声を聞き、感動しながら聞きました。私の知らないことをたくさん話され、土曜日に開催された総会時にお祝いをいわなければと思っていましたが、欠席しておられ、残念でした。私はまだ4年目、大先輩を見習って継続していきたいと思いました。


3月20日放送 「放送大学で私が学んだこと」
                             学生参加番組

 本科生9名、生涯聴講生8名のお話を聞かせていただきました。本科生の皆さんが往復課題番組の返信を楽しみにしておられるという言葉を聞き、穴があれば入りたい気持ちになりました。しかし、返信を書くのは同じ人に対しては9回の内1〜2回です。他の先生が素晴らしい文を書いておられるので、少しは救われます。
 それにしても学生さん同士でずいぶん文通されていることに感心します。心の窓に感想文が掲載されると必ず何人かの方から手紙が届くといわれており、またそのことがきっかけで長く文通や年賀状のやりとりが続いているというお話しもあり、三木市の真鍋さんが最初に書かれていた孤独な学習でないことがよくわかります。
 私自身放送大学講師という機会を与えていただいたお陰で、いろいろな方からお手紙をいただいたり、年賀状をいただいたり、新たな学びや励みをいただいています。たとえ講師をやめることがあっても、放送は長く聞き続け、そして感想文を書き続けたいと思います。


3月13日放送 「“汚い”日本語講座」
                     日本語学者 金田一 秀穂

 確かに「汚い」という言葉にはマイナスの価値観を持っています。美しいものは快くさせてくれます。それは景色であったり、花であったり、絵画であったり、はたまた美人であったり、美しければ美しいほど感動の度合いが強くなります。逆に汚いもの、醜いものは不快にさえ思います。グロテスクと言う言葉をよく使いますが、グロテスクなものは気持ち悪く思います。触ることを拒否する感覚として、「汚い」が触覚に結びつくということもなるほどと思いました。
 この様に美しい、汚いという感覚が価値観に結びつくことをいままで考えたことがありませんでした。「きっと美しいと感動するだろう」と思う物事にはお金を支払いますが、「汚らしいもの、気持ち悪いもの」にはお金を支払おうとは思いません。忠臣蔵などの話を聞いていて、背景が美しければ、価値観をも錯覚に陥らせてしまうということに、詐欺事件や恋人同士のデートの場所など、背景がその効果に影響するのだろうと思いました。


3月6日放送 「恋文ノススメ」
                 ノンフィクション作家 梯 久美子

 ラブレターなど書いた経験がありません。いや、一度だけ、小学生の頃、本命ではない同級生にわら半紙に訳のわからないことをいっぱい書いて渡したことがあります。素晴らしいと思っていた同級生には口が裂けてもそのようなそぶりを見せることはありませんでしたが、その相手は髪を長く伸ばしていたので、当時みんなおかっぱ頭だったことから、その長い髪が美しく見えたのだと思います。結果はその手紙(落書き)を彼女が友達に見せたことからからかわれ、ことはおしまいになりました。
 ところで、口では愛の言葉はいくらでも言えます。その場限りで終わるからです。ところが一旦文章にしてしまうと、それは証拠品になります。あの時この様に書いているではないかと責められればお手上げになります。ずるい私には決してそのような証拠は残したくありません。(ほんとうは相手の心を動かせるほどの文才がないのですが……)
 配偶者が亡くなってからも、その人へのラブレターを書き続けているという話を聞き、すごいと思いました。一人になってもし新たに好きな人が出来たとき、そのような手紙が出てきたら、相手はきっと引いてしまうと思います。それとも改めて好きな人が出来るなどと考えることの方が異常なのかもしれませんね。そのようなことを考える私はきっと不純なのでしょう。


2月27日放送 「川柳入門」
                        川柳選者 蛯原正弘

 平成16年3月に退職して最初に取り組んだのが川柳教室で学ぶことでした。サンピア明石でNHKラジオ「ぼやき川柳」の選者・大西泰世先生が指導されている教室です。ぼやき川柳という番組も知らず、指導者も知らず、ただ身近な場所で募集しているということだけを聞いて申し込んだのです。生徒は私を含めて7人、全員高齢者で、作句の経験者は一人だけでした。
 はじめはつまらぬ句でも褒めてもらい、川柳とはなんとおもしろいものだろうと思っていました。いま生徒は40人、大盛況ですが、最初から在籍している私の句を褒められることはほとんどありません。いっこうに腕が上がらないからです。それでも他の上手な人の句を読み、聞いていると実に奥深くておもしろいものです。だからやめられません。
 ところで、今日の講義の内容について、知っていることも沢山ありましたが、知らないことも沢山ありました。特に「穿ち」や「滑稽」など、川柳としての正しい意味を考えたこともなく、とても参考になりました。今日の講座を録音しているので、次回の川柳教室の前日にもう一度聞き直して出掛けたいと思います。


2月20日放送 「短歌入門」
                        短歌選者 石橋妙子

 私が短歌に始めて触れたのは百人一首です。小学生の頃、自治会長をしていた父のところに近隣の人がよく集まっていました。普段はトランプゲームの仲間入りをさせてもらいましたが、正月の前後は二組に分かれて百人一首の対抗戦が行われていました。小学生の私には難しかったのですが、母が少しでも楽しませてやろうと、「かく・さし」など覚えやすい上の句と下の句のはじめを教えてくれました。私は2〜3枚の取り札をじっと見つめ、上の句を最初を聞いて得意の札を取ることで満足していました。しかし中学に入学する頃にはそのような機会はなくなりました。だから意味が理解できる年齢に達する頃には短歌は難しいことだという先入観であまり興味が無く、これまで興味深く読むこともなく、自分で詠んだ覚えもありません。
 今回短歌上達の11箇条をお話しいただきました。川柳をかじっているためか感動を読むためには31文字は多くて、それだけの言葉選びが大変だという印象を払拭できそうにありません。だから俳句入門の時のように詠んでみようかという気持ちにはなれませんでした。どうも私の食わず嫌いの性格は治りそうもありません。


2月13日放送 「俳句入門 −オンリーワンになるために−」
                        俳句選者 千原叡子

 小学生の頃、国語の教科書に俳句な関する文章があり、全員俳句を詠んだことがあります。はっきり覚えていませんが、私は「雪つもり枯れ木に花が咲いたよう」という俳句を詠んだように思います。これまでの人生で詠んだのはこの一句だけです。
 今まで俳句という文学は季語があって難しいものという概念を持っていて、自分とは関係のない世界だと思っていました。しかし、今日の千原先生のお話を聞いていて、自然の移ろいに感動したことを素直に表現すればいいのだということがわかりました。そして、その感動をストレートに表現するのではなく、季題に託するということも知りました。
 四季の移ろいに感動する、人もまた自然の中の一つとして考えるというお話は、日本人が大切にしてきたわび・さびの世界そのものだとも思いました。頭の中で考えていてもわからない、まず自分で作ってみなさいというおすすめの言葉に勇気を出して読んでみようかなという気になりました。


2月6日放送 「本当の生き方」
      PHP総合研究所前代表取締役社長 江口克彦

 松下幸之助といえば雲の上の人物で、博学であり、日本の国を動かすほどの人だと思っていました。しかし、日常を共にされた江口先生のお話を聞いていると、夢を追い続けた実に人間らしい生き方をされた方だということがよく分かりました。
 私たちは若い人に対してついつい何かを伝えようと上から見下ろすような態度をとってしまいがちです。しかし、そのような気持ちを持っていると、若い人から学ぶという機会を自分から失うことになるということがよく分かりました。部下に感謝しながら叱る、注意するということも同じなのでしょうね。あなたのお陰で自分があるという姿勢を崩さなければ、信頼感は損なわれないのだと思います。しかし、ついつい感情的になって、あるいは高圧的な意識を持って叱ってしまうのが私たち凡人なのですね。そして相手から信頼を失ったり、嫌われたりしてしまうのですね。感謝しながら叱る、注意するということは具体的にはどうするのか、それぞれの場面でじっくり考えてみたいと思います。


1月30日放送 「古代エジプトの魅力」A
                 サイバー大学学長 吉村作治

 吉村先生はテレビによく出演しておられます。それもクイズ番組など、およそ大学の先生らしくない人だなと思わせられることもよくありました。しかし、その真意が、当時それほど見向きもされなかった古代エジプト文化の底深い魅力を伝えたいための一つの手段だったということを知り、さすがに洞察力のある方だと感心しました。私自身、テレビ番組で知った吉村先生のその後の発掘の様子が報道されるたびに興味深く見ています。まさに吉村先生の思うつぼにはまっていたのです。
 それにしても欧米中心だった発掘現場に割り込んでいき、しかも素晴らしい実績を上げられた吉村先生、しかもそれを自分一人ではできないといわれる謙虚さはやはり尊敬できる人物の一人だと思いました。


1月23日放送 「古代エジプトの魅力」@
                 サイバー大学学長 吉村作治

 巨大な規模の古代エジプト遺産は尽きることのない古代資料の宝庫だということが吉村先生のお話から伝わってきます。その古代文明に魅せられて40年、しかも発掘を1度始めれば2ヶ月間を過酷な環境の中で続けてこられた先生の意志力には頭が下がります。
 40年の間に人工衛星を使った最新の科学の力を活用するなど、技術を高めていく先生の努力も大変だっただろうと思います。そして、未発掘の史跡を掘り当てたときの喜びは、きっと感動以上のものだろうと思います。テレビでもよくお顔を拝見しますが、普段の無邪気とも思える表情、動作が先生を一途にさせる源ではないかと思いました。
 ところで、子ども時代からの夢を実現している人を見ているといきいきと活動しているように思います。昔は夢を長男だから、貧乏だからという理由で断ちきられた人を何人も見ています。その人々の多くはいつまでも後悔に似たものを持ち続けているように思います。子どもの頃にいろんな夢を持てるようにし、その夢を実現できるような世の中にしたいですね。そして、吉村先生のように、一生心から楽しみながら仕事に取り組めると良いですね。


1月16日放送 「暮らしの雑記帳」
                  早稲田大学教授 永江 朗

 歯磨きの話を長々とされたときには、一体今日の話はどの様な結論になるのかといささか心配しました。しかし、いつの間にか話に引き込まれていました。そして、私は日常の暮らしの一瞬一瞬をどれほど大切にしていたかを反省させられました。掃除機をかけても早く済ませてしまいたいという気持ちから形式的になっているし、本を読まなければと思いながらも、パソコンでだらだらとゲームをしていたり、なんと怠惰な日常生活かと思いました。行動する目的、創造性や想像力をもっと働かせて日常を生きたいと思いました。
 生活保守主義については、私も現役時代は蔑んでいたように思います。子どもの育児のために早く帰宅する同僚に対してさえ、仕事に意欲を持っていないなどと考えていたように思います。今から考えると、自分の家族を犠牲にして職場や仕事に尽くすことが当然であり、美徳だと信じ込んでいました。だから、退職したときは自分のために自分の時間が使える喜びに夢中になっていました。
 今の若者を見ていると、仕事と家庭をうまくバランスをとっているように思います。そのためか、私には40〜50歳の壮年時代の働き手が無理しているように見えます。仕事の中身がよく分かり、まだまだ体力や気力が充実している一番活躍できるときかもしれませんね。
 今日の講義は自分の日常の生き方を見直す良い機会になりました。


1月9日放送 学生参加番組「最近めっちゃうれしかったこと」A
1 「小学生から褒められて」 丹波市 松尾敏一
 私も子どもの頃は新神戸駅近くの里山が遊び場でした。斜面で草滑りをしたり、秋にはアケビ取りをしたり、蔦にぶら下がってターザンごっこをしたりと、仲間と夢中で遊んでいました。今、明石に住んでいると全く山がありません。だから子どもたちと海で釣りをすることはあっても、山で遊ぶという経験は久しくしていません。最近はヒマがあると、手近な三木山森林公園に出掛け、林の中を歩く機会を楽しんでいます。
 松尾さんが地元の里山を整備され、安心して子どもたちが楽しめる場所を作られたことは本当に素晴らしいことだと思います。私たち高齢者は褒められると生きがいになり、元気が出ます。今後とも整備を続けられ、近くの子どもたちも自由に楽しむことが出来れば良いなと思います。
2 「「20歳の決断」 神戸市西区 久森久恵
 一人娘さんを他家へ嫁がせるということは、本人の幸せを願ってのことですが、やはり自分達亡き後のことが気に掛かることだと思います。私の知人でも母方の実家を継いだ人が何人かいます。娘さんに二人の男の子がいたことでスムーズにいったのでしょうね。普通は親から説得されて養子になる場合が多いのですが、自らたった20歳でよく決断され、逆に親を説得するというのですからすごいなと思います。久森様ご夫婦の人柄でもあると思いますが、本当にうれしく、一安心ですね。
3 「アラセブ槍ヶ岳頂上に立つ」 福崎町 嶋田喜久子
 「アラセブ」という言葉を初めて聞きましたが、「あらかたセブンティ」を略したのでしょうか。この様な略語が最近はやっていますがあまり良い感じがしませんね。
 ところで70歳前後の人たちが集まって槍が岳登頂を計画するという一見無謀な話に先ず驚きました。きっと山岳会などに所属していて、普段からあちこちの山に登っておられるのでしょうね。私は昨年の秋、乗鞍岳の剣が峰の頂上に立ちましたが、鎖や梯子を登るという様な危険なことはありませんでした。しかし、昨日テレビで放映されている剣が峰を見て、やはり尖った恐ろしいところだったのだなと思いました。私にとっては危険な山というより、3000mを越えれば息苦しいという印象の方が強く感じました。そして360度まわりを見下ろしたとき、嶋田さんと同様感動と感謝の気持ちに浸りました。
4 地域のコミュニティと健康長寿を目指して」 豊岡市 平井 実
 但馬は高齢化率が25%を越えているとのこと、健康寿命について積極的に取り組む必要性がありますね。行政任せにするのではなく、自分達で少しでも取り組もうとされている平井さんは本当に素晴らしいと思います。しかし、努力すればするほど自分への負担がかかってくるものです。だからといって仲間に入らない人が結構います。平井さんはあえてグループの代表になって企画運営に努力しておられます。まわりで支える人が育ち、負担が軽くなるような組織づくりが大切なのでしょうね。
5 「泊まりがけの中央スクーリング」 伊丹市 佐藤ノブ子
 中央スクーリングにおける放送大学生の熱心な取り組みには何時も感心しています。私も2度ほどお話をさせていただきましたが、一生懸命聞いて下さいます。しかし日帰りの方は、帰りのバスの時間が気になったりしてそわそわされることがよくあります。その点泊まりがけだとじっくり腰を据えて取り組めます。そして、講座以外にもたくさん学ぶことができます。
 私も学園の施設に何度か学生さんと泊まり、夜遅くまで飲みながら話をしましたが、たくさん勉強させてもらいました。佐藤さんのこの様な楽しいお話を聞けば、来年からは遠近にかかわらず泊まりがけの方が増えるかもしれませんね。それが放送大学中央スクーリングの名物になっても良いかもしれませんね。
6 「優しさに見守られて」 篠山市 小林ふみ子
 たくさんの孫の結婚式に全て招待され、花束をもらったという小林さんのお話に、家族みんなの優しさを感じます。お互いをとても大事にしておられるのですね。そして今度は次々曾孫誕生のお話、その幸せな家族がどんどん広がっていく感じがします。
 世の中、よくもこんなに信じられないような事件が次々に起こるものだと思いますが、小林さんのようにお互いを大事にし、感謝しながら暮らしている家族からはこの様な極悪人は出てこないでしょうね。もう一度家族の温かさと絆の大切さを見直したいですね。


1月2日放送 「知事新年挨拶」
 関西広域連合の話で、橋下大阪府知事のしがらみのない発言に対して、共産党以外の支持で知事になった井戸知事の後ろに惹かれた発言が目立っています。どちらが良いのかこれから注目されることだと思います。
 三つの柱の中で、地域活力の増進について、具体的な方策を各地域がどの様に考えるのか、考えさせられます。県は必要な経費でバックアップする程度で、企画はあくまで地域がするものだと思います。スポーツ21に代表されるように、県が企画して、その範囲内で実行すればお金を出すという時代は終わったと考えるのですが……
 今日は私たちの自治会の総会でした。地域の課題がたくさん浮き彫りになっていました。その一つが事業所会費が3分の1に減ったことです。以前私の近所に江井ヶ島総合市場が建設され、多くの人々でにぎわっていました。ところが近くにスーパーなどが出来ると次々と店じまいし、今では道路の面した化粧品店、パン屋、果物屋、薬局の他、駄菓子屋、漬物屋、魚屋、花屋程度になってしまいました。それらも細々と商売を続けているという状況です。地域の発展のために住民がもっとこれらの店を活用しようという気持ちが強くなれば、これらの店も安心して商売でき、値段を下げることも出来るでしょう。この様に考えると、やはり地域の住民が地域をどの様に活性化させようかと真剣になる必要を感じた総会でした。
学生参加番組 「最近めっちゃうれしかったこと」@
1 「小学校の友との再会」 加古川市 中山喜佐子
 女性ならではとほほえましく感じました。男性なら、いや私なら所在が分かってもわざわざ出会いの場を積極的に設けようとはしないだろうと思います。精々今度同窓会をするときに出席するよう声をかける程度でしょう。二人で出会ったらきっと照れくさくてろくに話もしないだろうと思います。だから小学校時代の同窓会には出来るだけ出席するようにしています。その点、通過点だった中学、高校の同窓会にはあまり顔を出したことはありません。出会うのは仲良し4人組だけで十分なのです。
2 「久しぶりの大阪土産」 丹波市 岩崎厚夫
 私も久しぶりに大阪などに出ると地下街では方向を見失うことが多くなりました。また昔ドライブに行ったところへ出掛けても道を間違うことが多くあり、まして知らないところへ車で出掛けることがおっくうになってきました。歩いているときに限らず、車を運転しているときも人に尋ねることが多くなりました。だから私も尋ねられたときには出来るだけ丁寧に対応しようと思っています。知らない人に親切にされると、本当にうれしく思うものですね。
3 「みんなありがとう」 三木市 ニ杉フサ子
 これほどの大病をして、本来なら落ち込んで立ち上がれないのではないかと思います。しかし、普段の二杉さんの人柄なのでしょうね。家族だけでなく、まわりの人々の温かな励ましを感謝するほどのお気持ちを持っておられるのですから本当に素晴らしいなと思いました。常日頃の行いを大切にしておきたいですね。
4 「娘からのプレゼント」 揖保郡太子町 福田敏子
 人は繋がっていることにこの上なく喜びを感じます。高齢になるほどその気持ちが強くなります。ところが超高齢になると、自分が出掛けていって人との交流が出来なくなると予想されます。そんな時、メールはこの上ない手段だと思います。遠くにいる子どもや孫など、若い人と繋がっていることが出来ることは幸せです。娘さんのプレゼントは時を得たものだと思います。是非若さが残っている間に携帯かパソコンになれておくことが大切だと思います。
 私は携帯の小さなキーが苦手なので、パソコンを今後も続けていきたいと思います。

 

12月26日放送 「“褒める”の力」
                   立命館大学教授 佐藤達哉

 知的障害児の教育の草分けといわれた小林隅雄先生は姫路琴稜中学の障害児学級を担任されていました。当時の学級定員は15名でしたが、そのクラスは倍ほどの生徒がいました。先生は『宝探し』という学級新聞を毎日発行されてました。子どもたちの日々学校での行動、保護者が連絡帳に記載した家庭での様子などが書かれていて、それらの記事を通して子どもたちや保護者のよいところを見つけて褒められていたのです。子どもがいきいきしているのはもちろん、保護者は子どものよいところ、自分のよいところを認められるので信頼が厚く、入級希望者が殺到していたのです。結果的には姫路市内の保護者の信頼を得て、障害のある子どもたちの保護者が先生の指導を受けて「手をつなぐ親の会」を結成したほどです。
 障害児の教育でもう一つ思い出したことがあります。養護学校でも学期末に通信簿があります。高校から転勤してきたA先生は各教科の評価欄に全て「この様なことがまだ出来ません」と記載しました。教頭は「保護者は自分の子が何も出来ないことはよく知っている。そのような中でも、今学期『こんなところが伸びた』と書いてもらうことを期待している」と記載のやり直しを求められました。もし訂正せずに保護者の手に渡っていたら、自分の担任は子どものことを何も見てくれていないと思ったことでしょう。そしてその先生は信頼を失っていたでしょう。
 我が家のカレンダーに「『お陰さま』と言える人に孤独はない」と書かれています。感謝の言葉が素直に言えることも相手を褒めることに通じるのではないかと思います。


12月19日放送 「学生参加番組 中央・地方スクーリングより」
豊岡市日高町 中安 晧 「高齢者らしく生きよう」
 健康長寿、良好な人脈づくりなど、積極的に生きておられる姿がよく分かりました。そして健康な心情についてはなかなかユニークだなと思いました。人間なかなか現状で満足しません。もっと大金が入ればと欲を出し、宝くじを買って損をするのは他でもない私です。しかし中安さんは現状に感謝することが大切だと話されました。私の生き方は高齢者にふさわしくないようです。反省します。
高砂市 森廣榮一 「語り継ぐ戦争」
 岡山での悲惨な戦災体験は本当に一生忘れられないことだと思います。焼夷弾の降り注ぐ中の避難、何時再び攻撃を受けるかもしれないという不安感は、体験した人でなければ語れないと思いました。私の場合は国民学校1年生で山手にある自宅の2階の窓から浜手の工場街が爆撃される様子を眺めていたのですから、それほどの恐怖感はありませんでした。「震災は防ぎようが無くても、戦争は国同士の喧嘩だから防げる。そのためにも家族、学校でみんなが仲良くすることを大切にし、空から爆弾が落ちて来るという不安のない社会を続けていこう」と小学生対象に平和の大切さを語られるすばらしさを聴かせていただきました。
三木市 永山洋子 「学びと生きがい」
 短歌がこれほどその時の自分の心情をうまく表現できるというのに驚きました。私も川柳をかじっていますが、どうしてもユーモアを意識するあまり、誇張をしたり、フィクションがあったりと過去の句を読んでみても全くその頃の自分を反映していません。とくに永山さんの短歌のすばらしさに感動しました。そしてご主人との関わりも真剣であったり、ユーモアがあったりと実に話がうまいと思いました。きっと短歌を学んでおられるので、言葉の無駄を省いたり、大切なキーワードをきちんと押さえたりしておられるからだろうと思いながら聴かせていただきました。


12月12日放送 「大看板を背負う」
                   落語家 桂 米團治

 「誰それの子」「誰それの妻(夫)」などと付属品のような紹介をよく聞きます。どうも本人の人格を認めていないように聞こえて仕方がありません。小米朝もそんな気持ちがあったと思います。しかし彼の語り口ははつらつとして私は好きです。お父さんのおっとりした語り口とは全く違う彼の若々しさが前面に出ていたように思います。その小米朝が米團治になった途端に一人の立派な落語家として認められたのですから、やはりうれしかっただろうと思います。
 それにしても名前というのは、その人となりを知らない人にとっていろいろな印象を与えます。私たち兄弟の名付け親は祖父です。兄は豊臣秀吉の上と下からとって「豊吉」といいます。私は祖父が東京へ出張中に生まれたと聞き、その時に靖国神社の大祭が行われていたことから「靖国」と名付けたそうです。神戸市会議長までした祖父は私たち兄弟に国を治めるような人間になって欲しいと願ったのでしょう。しかし、私のこの名前は生まれた時期をいつまでも明確に表しています。そして時代が変わり、右翼のような印象を持たれたこともありました。
 私は子どもの頃から落語が大好きです、しかし落語はラジオやテレビでしか聴く機会はありませんでした。それが最近明石の高家寺で「高家寺寄席」が開かれていることを知り、年に3回、木戸賃千円で生の高座を聴くことができるようになりました。放送と違って、聴いたことがない落語家が出演し、しかも本題の前の話が落語家それぞれの個性が出て、実におもしろいのです。放送では決して聴けないようなおしゃべりもあるので、やはり生の高座は最高です。
 米團治師匠がこれから彼の個性をますます発揮し、さらに新たな弟子を育ててくれることを期待しています。


12月5日放送 「和願・愛語」
                姫路市・大覚寺住職 中西玄禮

 中西先生のお話はいつ聞いても心を打たれます。今回の「老人六歌仙」はほとんど私に該当しています。反省しなければなりません。仏教三本柱の一つ、「報恩感謝」はいつもそれなりに意識しています。しかし身近な者、つまり妻などにはついつい抜け落ちて不平不満をぶつけているようです。反省しなければと改めて思いました。「懺悔滅罪」は自分が一生懸命していると思いこんでいて、至らない点に気づかずにいることが多いのではないかと思います。六歌仙の心の老化や言葉の老化現象が多く、もっと自分の行いを振り返らなければならないと思いました。「誓願立志」は自分からはなかなか出来ませんが、人から頼まれたことは出来るだけ断らずに求めに応じようとしています。家庭内での配慮が抜け落ちるのはそのためなのでしょうね。
 これからは妻といる日常生活の中でも「和願・愛語」に気をつけたいと思いました。そして中西先生のホームページをときどき開いて反省したいと思います。


11月28日放送 「ほほ笑みのある暮らし −ほほ笑みのある言葉−」
                          作家 清川 妙

 人から受けるあたたかな言葉で救われたことはこれまでに沢山ありました。とくに劣等感の固まりのような私にとっては毎度のことです。放送大学でも、講堂で話すことがあったり、テキストに文章を書いたりすることが度々あります。その都度落ち込むのですが、あたたかな励ましの感想を聞かせてもらうとホッとします。逆に批判されるとますます自信を失い、放送大学の仕事を早く降りたいと思ってしまいます。
 ユーモアが大切だともはなされました。ユーモアは心に余裕があるからだということでした。川柳教室で品のよいユーモアを交えて詠むのはとても難しいことだといつも思っています。NHKラジオの「ぼやき川柳」のように、受けをねらって誰かをおとしめたり、自分を必要以上に卑下して詠むのはおもしろくても決して品のよいユーモアではないと思います。番組の選者である大西泰世先生が川柳教室では人を笑わせようとする川柳を決してほめられません。あたたかな心を読んだ川柳を互選で選ばれたりほめられたりします。
 私など、川柳だけでなく、人前で話すときも心に余裕がないのでユーモアを交えることはとても苦手です。今日、神戸学院大学の土曜講座で「トイレから文化を学ぶ」という講義を聴きましたが、講義の最中に私は何度も声を上げて笑ってしまいました。トイレの話であるにもかかわらず決して下品な笑いをとる話し方ではありませんでした。最後まで惹きつけられる教授のやさしく、楽しく語りかける話しぶりをうらやましく思いました。


11月21日放送 「おてんば八十八歳 −若々しく生きるための六つの提言−」
                          作家 清川 妙

 先ず驚いたことは、好奇心の度合いです。ゴルフのバーディやイーグルの話で、私は−1,−2まで分かればそれで十分なのですが、なぜ小鳥や鷲、アホウドリが出てくるのかその先まで調べてみるというのですから、清川先生の好奇心の深さは並ではないと思いました。分からなければいくつになっても尋ねたり、辞書、インターネットで調べてみることが大切なのだとよく分かりました。
 腰の重い私は面倒なことはいつも後回しで、その内回避できれば儲けものということがしばしばあります。これでは折角のチャンスも逃してしまうのですね。
 礼状や返信はまた時間が出来たときになどと考えている内にタイミングを失してしまうことがよくあります。とくに手紙の返信はその傾向が強いようです。ただ、電話ではどうしても緊張して思ったことの何分の一も話せないので、手紙で礼状を書くようにしていますが、それでもどれほど心がこもっているかといわれれば恥ずかしい限りです。何しろ字が汚いのでどうしてもパソコンで作成してしまいます。これを心がこもっていないと相手にとらえられてしまえばおしまいです。メールをもらったときは即返信を心がけています。これは高齢者大学の学生さんからメールのエチケットだと聞かされ、実行するように心がけています。
 これからは老いの坂を転げ落ちないよう、面倒がらずに自分の人生を充実させるためにも尻軽に動きたいと思いました。


11月14日放送 「進化のふしぎ」
                  早稲田大学教授 内田亮子

 私はこの放送を聞くまで人間はもっとも進化した賢い生き物だと思っていました。だからその思い上がりをたしなめられた思いです。
 もう一つ、進化はより完璧になっていくのだと思っていましたが、2階建ての家の話のようにゼロに後戻りして進化し直すのではなく、現状の上に立って変化を加える妥協の産物であり、不具合を沢山もっていることも教えられました。だから、生物全てがは今の環境の中でよりうまく生存し繁殖できるように進化する中で、人間も言語という後世に知識を伝える手段を進化させながら、自らの生存を脅かす文化をも伝えているのだと分かりました。
 人間がもっと謙虚になって、同じ原点(祖先)をもつ生物と共存しなければならないことを教えられたように思います。そのためには、人間の進化によって身につけた文化で地球上の生物の生存と繁殖を妨げることの無いように配慮していかなければならないと思いました。


11月7日放送 「脳の活性と長生き」
                  作家・医師 米山公啓

 脳を活性化するための方法をいくつか紹介していただきました。その妨げになることをいくつかしていることが分かりました。先ず過食です。朝食や昼食はそれほどではありませんが、夕食はいつもゲップがでるほど食べています。まさに満腹を越えるほどの量です。夕食に出されるものは全部食べる習慣があるためです。これは物心が付いた戦争中から終戦直後のひもじい思いをした悲しい性なのですね。食事のあとに出てくるデザートも別腹とばかりに食べてしまいます。これが最大の妨げです。
 2番目の妨げが運動です。放送大学の感想文の葉書を読む9日間は、万歩計を一日中つけていても2000歩前後の日があります。ほとんど机に向かっていて家の中や庭を少し歩くだけです。葉書を集中して読み、返信の文章を一生懸命考えてパソコンに打ち込むので、頭はそれなりに使っていますが、運動量が極端に減ります。そしてそれ以外の日の運動といっても、週2回グラウンドゴルフをする程度なので、早歩き30分という程の運動量にはなりません。ただ歩き遍路では2日間で3万歩、休憩を挟んで6時間くらいは歩きます。そして、グループで出掛けるときも1万歩以上歩きます。しかしこれも月に数えるほどの回数なので、週3回〜4回という講師の話には遠く及びません。おまけに以前は出掛けたときにJRの駅から30〜40分かけて歩いて帰ることが多かったのに、4月にコミュニティバスに50円で乗れるようになってからは歩くことがほとんど無くなりました。
 アルコールはめったに飲みませんが、たまに家で飲むときは350mlの缶ビール1本なのに、外で飲む機会があるときは2本以上の量に増えてしまいます。しかも、11月の予定を見ると、3つの同窓会とカラオケの親睦会、そして老人クラブの親睦旅行、歩き遍路と飲む機会が毎日のように続いています。11月は私にとって痴呆促進月間です。心してセ−ブをしなければと思っています。
 ということで、それでなくても物忘れのひどい私は近々痴呆になってしまうことでしょう。


10月31日放送 「喜びの輪を拡げよう」
                  エッセイスト&俳人 吉田 類

 いろいろな写真展や絵画展を観賞していても、心惹かれるのは自然の風景や現象を題材にしたものです。四国や小豆島の歩き遍路をしていても、近代的な町中を歩くよりも、自然の中の峠道や田んぼのあぜ道を、それも舗装されていない道を歩いている方が心豊かな気分になれます。講師の話された自然から受ける恵みに感謝の心をもつ日本人のDNAが私の中に残っているのかもしれません。
 それでは自分がどれほど自然を守ることに積極的に協力しているのかと言われればいささか心許ない感じがします。できるかぎり歩くことを大切にし、せいぜい小さな軽自動車に乗り、エコバックをもって買い物に行き、町のリサイクル活動に協力し、環境美化活動に参加するくらいのことしか頭に浮かびません。
 地域におけるコミュニケーションを大切にすることは私の一つのテーマです。いまは私の所属する老人クラブでその実現に努力しています。11月にその老人クラブで親睦旅行に行くことになりました。元気な人たちは自分でいろいろなところへ出掛けることが出来ます。そこで高齢で一般のツアーに参加できないような人たちにもみんなで支え合って旅行に行けるような計画を役員で考えました。募集をしたところ、杖をついたり歩行用の車を押している人たちも参加申込みをされました。元気な人たちと一緒に温泉地の自然を満喫できる地域コミュニケーションの実現をうれしく思っています。
このことをきっかけに、さらに喜びの輪を広げていけるようになれば良いなと思っています。

10月24日放送 「快眠の極意」
                 睡眠医療認定医師 遠藤拓郎

 夜中にトイレに起きます。大抵床について90分ほど経ったときです。大切な成長ホルモンが分泌し始める頃だったのですね。そのあと熟睡したときは気持ちよく起きることが出来ます。きっと成長ホルモンもコルチローズも順調に分泌されているのでしょう。ところが3時間ほど経ったとき再びトイレに起きることがあります。そうなるともう後はウトウトしているだけで、夢ばかり見ています。そんなときは寝起きが悪く、体がだるく感じます。コルチローズが分泌されていないのでこうなるのかもしれません。
 朝に散歩をすることはありません。だから体内時計は早まることはありません。いつも夜12時前後の床につくので、体内時計は遅れ気味です。風呂は41度以上でなければ気持ちよく入ったという感じになれません。とくに冬は42度くらいの熱めの風呂に入ります。そしてしばらく体をさましてから床に入ります。その時に蒲団が冷たいと感じたら急に目が覚めなかなか眠れません。逆にほかほかしていると気持ちよく眠れます。だから少し寒くなると電気敷き毛布を春先まで使っています。
 ただ、蒲団が冷たくて眠れないとき以外は、眠れなくてもいろいろ楽しいことを考えているといつの間にか眠ってしまうので苦になることはありません。ただ、朝方トイレで起きた日は睡眠不足を感じ、昼間に眠くてたまらなくなります。だから夕食後の水分補給はしたくないとついつい思ってしまいます。


10月17日放送 「富士山とニッポン」
                 大手前大学教授 上垣外憲一

 私にとって富士山は憧れの山です。小さい頃山の絵を描くといえば富士山のような形をよく書いた物です。見たことが無くても、「冨士は日本一の山」と歌っていたころから、常にそのように思っていました。まさにナショナリズムとしての富士山の観念を持っているのだと思います。
 初めて見たのは大学1年の時、東京演奏旅行で車窓から見た冨士山だと思いますが、あまり印象にありません。感動的に見たのは、大学を卒業した年、長野県で開かれた生活心理学会に参加した帰り、学生と二人、お金がないので甲府駅構内で眠り、翌朝一番の身延線で冨士駅へ向かったときです。甲府を出て直ぐちらっと真っ白な冨士山が見えました。そして富士駅に着くと、目の前に大きな富士山が聳えていました。この時初めて日本一の大きさを感じました。そしてその姿の美しさの感動は後々出張などで東海道新幹線に乗るたび、富士駅の近くになると山側の車窓に目をこらし、その姿が見えたときは何度も感動し、雲にさえぎられて見えなかったときは落胆するのでした。
 数年前、まだ第二の職場に勤務していた頃、冬休みを利用して二泊三日の冨士めぐりのツアーに参加しました。冬は空気が澄んでいるので、連日いろいろな方角から富士山の景色を堪能しました。
 一度登ってみたいという気持ちがありましたが、先日乗鞍岳の3026mの剣が峰に登り、空気の薄さに苦しい思いをしました。これでは富士山は登れないとはっきり自覚しました。
 以前、富士山がゴミや糞尿でとても汚く、とうてい世界遺産としては認められないという話を聞きました。マレーシアのコナキタバル山は4000m級の山でやはり土地の人が大切にしている山だそうです。そして、自然を守るために一日の登山者の人数を制限していると聞きました。日本も富士山の登山をこの様に制限すればゴミや糞尿の汚染を防ぐことが出来るのではないかと思います。商業主義が後押ししている冨士登山に制限をすることは大いに反発があると思いますが、後世にこの美しい山を残すためにも何とかならないかと常に思っています。


10月10日放送 「聞き上手はおもしろい」
                  
東京未来大学名誉学長 多湖 輝
 私がいろいろな仲間と話すときはほとんど聞き手です。それは私がそれほど豊富な話題を持っていないし、相手の参考になるような知識も持ちあわせていないからだろうと思います。だから話題や話を振り向けられるとどぎまぎしてしまいます。
 それでは聞き上手かといわれると、今日の話を聞いていて聞き下手だと思いました。とくに人間関係がまだ深まっていないときは直ぐに話題がとぎれてしまい、気まずい空気が流れてしまいます。
 講演会で自分が講師になったとき、ついついうなずいている人や表情豊かに聴いてくれている人に目がいってしまいます。きっと自分のまずい話でも聴いてくれている人を探して救われた思いをしているのだと思います。だから誰もこちらを向いてくれていなかったり、批判的な目で見つめられると、早く逃げ出したい思いがわき起こってきます。こんな時、今日の「その日暮らし」の話など聞き手の心を掴む話術を持っているといいなと思いました。日曜日に地域の老人クラブ例会の司会をしなければなりません。早速使ってみようかなどと思ったりしました。
 最後に放送大学の教授が、孤独な人は相手の話をよく聞いていないという研究結果を話されました。同窓会などでみんなが話している中で、自分が提供できる話題もなく、ただ無理に声を出して笑って相づちを打ってみても、むなしく時が流れる時間があります。こんな時は相手の話に聞き入っているわけでもなく、やはり孤独を感じます。自分の頭の引き出しをうまく使って、もっと聞き上手になるよう心がけねばと思いました。


10月3日放送 「やわらか頭の謎」
             東京未来大学名誉学長 多湖 輝

 現職時代は本当に頭が硬直化していたのだと思います。こうあらねばならないという意識が強く、まさに頭が固くなっていたのでしょう。なぜなら第二の職場に就いたとき、この様にフリーに考えることが出来るんだと驚きさえ感じたからです。それでも同じような立場から第二の職場にやってきた同僚の中には現役時代の考え方にとらわれ、不満と愚痴の毎日の人がいたことも確かです。そのような人の中には早々に退職した人もいます。私の場合はお陰でいろいろなことに興味が広がり、第二の職場を退職し、サンデー毎日になったとき、いろいろなことに手を広げました。このホームページを開設したことも、各ページで記述していることも、全てサンデー毎日の中から始めたことばかりです。
 ところが、これらが最近マンネリに感じることが多くなってきました。どうも同じことばかりしていると、再び頭が固くなってきているようです。きっと新たなことに興味を持つことが少なくなってきているのだろうと思います。映画や読者、旅など、感動する経験を積極的に生活の中に取り入れなければと思いました。


9月26日放送 「心臓病を防ぐ」
            国際医療福祉大学教授 小坂眞一

 今年2月に受けたメタボの検査で、血脂異常という結果が出ました。これまで善玉がやや低いといわれたことはありましたが、総コレステロール異常というのは経験ありませんでした。早速近所の開業医に改めて血液検査をしてもらいました。その時食事指導を受けるよう勧められ予約をしました。しかし、結果は異常は認められなかったので、食事指導もキャンセルしました。
 今も自分にはコレステロール異常はないと決め込んでいます。しかし、今日の話を聞いていて、過食や果物の摂りすぎなど、結構食習慣に問題がありそうです。そして生活の中でずっと万歩計をつけているので1日7000歩前後の日が週に何日かあり、安心していましたが、有酸素運動ということになると、意識しない限りしていないことに気が付きました。息切れしない程度の速さで毎日1時間くらい歩けばいいのだろうと思うのですがなかなか実行できません。週2回のグラウンドゴルフも1回90分ほどやりますが、トータルの歩数はあっても有酸素運動にはなっていないようです。ちなみに昨日の歩数は豊岡まで出掛けましたが、車だったので3039歩です。一昨日は7855歩ですが、自宅と300m程離れた自治会館の2往復と老人クラブの机や椅子の準備と後かたづけや、老人クラブ会員宅へ配布物を配って歩いたり、庭の水やり程度で、できるだけ歩くことにしていますが、有酸素運動にはあまりなっていないようです。もう少し意識し、計画的なウォークをする必要を感じました。


9月19日放送 「景気って何だろう」
             学習院大学教授 岩田規久男

 景気は生産されたものに対して需要があるかないかで良くなったり悪くなったりするということは理解できます。しかし、その原則を拝金主義者達が狂わせているとしか思えません。投資家のお金を預かったグループが何に投資するかで景気が左右されることがありました。その典型が原油への投資でした。中国が発展するにつれてエネルギー消費が増え、原油が高騰するだろうと見込んだ投資家グループが原油の先物を買いあさりました。そのためガソリンが高騰し、経済界を圧迫したのは記憶に新しいところです。また村上ファンドが阪神電鉄株を買い占め、阪急グループと合併させてしまいました。この様に株の買い占めから企業によけいな圧力をかけ、経営を悪化させた例も少なくありません。リーマンショックも同様なのでしょう。この様に考えると、今日の景気の原則の話とは異なるところで景気を左右させていることが沢山あるように思います。やはりお金は汗水垂らして稼ぐものだということを大切に考える世の中に戻さねばならないと思います。そして働くことなく、なりふりかまわず金儲けしようとする拝金主義は悪で、道徳的に間違っているという考えをしっかり持たせる教育も必要ではないかと思ってしまいます。教育でだめなら、そのような投資で儲けたお金は高い税金で儲けにならないようにすればモラルの低い投資ファンドはなくなるのかななどと勝手なことを思っています。


9月12日放送 「老い構えA」
                評論家 樋口恵子

 私が66歳で第2の職場を定年退職したとき、先ず野菜作りとカルチャーセンターの「川柳教室」に取り組みました。そのころの自分を「晴耕雨パソコン」といっていました。雨の日は自分のホームページの立ち上げに取り組んでいたからです。やがて、広報誌の情報を細かく見るようになり、園芸講座(いきいき仕事塾)や男性の料理教室に出掛けるようになりました。退職すれば妻と旅行に行こうと考えていましたが、桜の頃に東北へ一度行っただけです。園芸講座の受講生で立ち上げたグループは今も続いていますが、男性会員が次々抜けたり亡くなったりで女性の社会参加が熱心だということは頷けます。
 ところで、私達夫婦の両親は私の現役中に専業主婦であった妻の介護で亡くなっています。そして子ども達は独立しているので、今はまさにお二人さまの暮らしです。そして一部は共通のものもありますが、それぞれに社会参加の場を持っています。もし先に妻が倒れたら介護してやると普段から言っています。自分のできる家事はできるだけしていますが、まだまだ不十分で、特に料理にはあまり手を出していません。妻を喜ばせるようなレベルになる自信がないからです。しかしいざとなれば何とでもなると思っています。それは、以前妻が出掛けるときには私のために3度の食事を作り置いていましたが、今はその心配をあまりせずに妻は出掛けていきます。私も面倒なときはスーパーで出来合いの寿司などを買ってきて食べています。
 最近は多少の仕事と地域の老人クラブなど社会参加で私の手帳の予定表はほとんどつまっています。いくつかの予定は重なっていて、一日にいくつかの計画をこなす日もあります。妻も結構忙しく、共通の休日は月に数えるほどしかありません。お互いが元気な間はこれでよいと思っています。そしてどちらかに支障ができたときにはその時になって考えればいいと気楽に考えています。
 男性はデイサービスに行きたがらないという話はよく聞きますが、今日のお話でよく理解できました。新聞、パソコン、麻雀など男性が喜んで行けるようなデイサービスのあり方を提案できるきっかけになりそうです。これは大きな収穫でした。


9月5日放送 「老い構え@」
               評論家 樋口恵子

 放送大学の教授のまとめでも言われましたが、長生きしてよかった以上に、高齢者のお陰でよい世の中になったというような社会にすることが大切だという発想に感心させられました。確かに、高齢になって社会に貢献する場面を持つことが生きがいにつながり、健康に暮らす秘訣だとこれまでも言われてきました。しかしそれはあくまでも高齢者自身のことであり、そのことで社会を変えるなどおこがましいことだと考えていました。
 私たちは現在の社会の課題をこれまでの経験を生かして分析し、自分の役割をしっかり担うことによって、よりよい社会を作り上げるという積極性が必要だと教えられた思いがしました。その場合、高齢者が自分達高齢者の利害のみを考えて行動することがないように注意する必要があるように思います。というのも、これまで高齢者が声をそろえてものを言うとき、既得権を守る場合が多かったように思うからです。既得権にこだわっていると、世の中の改革は進まないと思います。常に白紙で冷静に考えられる高齢者がこれからは必要だと思います。


8月29日放送 「思いでのメロディ」
                          学生参加番組

 高砂の黒崎様や垂水の清水様のように、私には人生の大きな節目というものがあまりありません。あったとしてもそれにまつわる思い出のメロディなど浮かんでこないのです。私にとって心に残っている歌といえば、「憧れのハワイ航路」と、「こんにちは赤ちゃん」くらいです。前者は小学校5〜6年生の頃、当時のNHKのど自慢にはまだ小学生も出演していて、小学校の講堂で開かれた公開放送に同級生がこの曲を歌ったので特に印象に残っているのです。「こんにちは赤ちゃん」は長女の声をテープレコーダーに残そうとマイクを向けていたら泣きだしてしまいました。その泣き声にテレビから流れているこの曲が一緒に録音されていたのです。いずれも人生の上で想い出に残るというものではありません。
 「りんごの唄」と聞いたとき、あのレコードと針の摩擦音が頭に浮かびましたが、きれいな録音に驚きました。また清水様が港が見える丘で泣く泣く別れた初恋の人と今も年賀状を交換しておられるという話にうらやましさを感じてしまいました。もし出会えば焼け棒杭に火がつきそうですね。
 思いでのメロディではありませんが、自分の性格から退職後の人生はとうてい地域の中で生きることができないだろうと思っていました。そこで地域との接点を見いだそうと地域の第九合唱団に入団しました。ただ毎週練習に出掛けるというだけで、特に親しい友人ができた訳ではありませんが、このことがきっかけで新たな人々の中に出ていく勇気と自信が生まれ、今のようにどっぷり地域の中で生きることができるようになったのだと思います。その意味では私にとってはベートーベンの「第九交響曲合唱」が人生の大きな転機になる曲なのかもしれません。


8月22日放送 「キレる大人はなぜ増えた」
                      精神科医 香山リカ

 自分は自分のことをどちらかといえばキレない穏やかな性格だと思っています。そのように評価してくれる人も結構いるからです。しかし全くキレたことがないかと言えばそんなことはありません。イライラすることはときどきあり、そのことが押さえられなくて、家ではいかにも不愉快そうな態度をとってしまうこともあります。しかし、大抵は自分が引き下がってやり過ごしているようです。
 そんな私が一度だけキレて爆発したことがあります。もう30年も前のことですが、車で通勤しているときのことです。道路工事のために片側通行で信号が設置されていました。自分の方が青になっても、数台の対向車が連なって通過中だったのでその車が行ってしまう間待っていました。それらの車が行ってしまったので進入しようとしたところ、おかずの配達をする対向車が進入してきました。当然自分の方が青だからと私も進入しました。そして工事中の道路の真ん中で鉢合わせになってしまったのです。私は相手が信号無視をしたので当然バックするべきだと思い、相手の女性運転手をにらみつけましたが、全く動こうとしません。相手が軽自動車だったので、工事中の片側道路でも何とかかわすことができましたが、その時窓から大きな声で「おまえは信号が見えないのか」とつい怒鳴ってしまいました。工事をしていた人がその怒鳴り声に思わず手を止めてこちらを見ていました。しかし、相手の女性は前方を見たまま相手にならないでおこうという態度でした。そして自分はと言えば、こんなに大きな声で怒鳴りつけたことが初めてだったので自分自身がびっくりしてしまいました。相手が一言も謝らず自分が無視されたことにむなしさを覚えると共に、自分がキレたことにとても嫌悪感を感じました。
 それ以後、家の外では腹がたち、口の中がからからになる状態のときでも、心とは逆に笑みを浮かべている自分に気が付きました。相手の攻撃や自分の高ぶる感情をこうして避けていたのだと思います。人と争うことのむなしさを自覚したからか、相手が怒りを示したときにはいつもどの様に自分が引き下がれば相手の高ぶった気持ちが収まるかということを無意識に探っているように思います。その場で自分が勝たなくても、誠意ある態度をとっていればみんなはいつか相手の方が間違っていたことに気づくだろうという処世術かもしれません。



8月15日放送 「輝いて生きる」
                      評論家 大宅映子

 人生一度きり、輝いて生きなければもったいないと言われる大宅先生の言葉を大切にしなければと思いました。私の場合はと考えると、マイペースで楽しんでいる面と、まわりの人のためにと自分を曲げている面との両方があります。社会で生きている限り、全て自分を輝かせて生きていく訳には生きません。やはりこのバランスだろうと思います。このバランスの取り方も大宅先生が言われた優先順位があるのかもしれません。この面は譲るがこの点だけは自分の考えを押し通すということなのでしょうね。ただ、その時々の事情で優先順位が入れ替わる柔軟性が私にはあるので、何とか無事に済んでいくように思います。この先どのような事情があって悩むことになるかわかりませんが……


8月8日放送 「親の常識」
                   評論家 大宅映子

 自分の子育てはどうだったのか先ず反省させられました。もちろん私の月給で家族5人が暮らしてきたのですから、決して裕福ではありませんでした。ただ父が家を建ててくれていたので、家賃や借金の返済というものだけはなかったので、暮らしの基盤は安定していました。
 そのような暮らしの中でも、子どもには精一杯お金をつぎ込んできたように思います。娘が大学に入学したときには、自分は車を軽乗用車にし、妻はアルバイトに出掛けました。息子が中学に入学したときには、当時としては最高級のパソコンを買いました。もちろん私も仕事に使いましたが、これからの時代の子どもはパソコンが使えなければと思ったからです。お陰で今パソコンに関しては息子が私の教師です。
 仕事から帰るのが遅かったので、子ども達は何時も妻や母と一緒に夕食を摂っていたのでしょう。それでも子ども達の前では何時も恥ずかしくない生き方をしていたつもりです。夜子ども達と一緒に信号を渡るとき、車が来る様子がなくても青になるまで待っていて、妻から「そこまでかたくなにならなくても」とよく言われましたが、ガンとして信号無視することはありませんでした。この様に決められたことは当然守という面は息子の性格にも伝わっているように思います。やはり子どもは親の背中を見て育つのだと思います。
 私が世渡りに関して要領が悪いのは父の姿から学んだのだと思います。父は自分が得するより、人の立場を重んじていたように思います。そのために財産を差し押さえられるといったこともありましたが、誠実に生きていたので、いろいろなところで皆さんから大事にしてもらっていたように思います。親が外に向かって自分の権利や身内の正当性ばかり主張していると、子どもも自分勝手なことばかりしてまわりに迷惑をかけ、長い目で見れば不幸な人生を送ることになるでしょうね。やはり親の姿勢こそが子どもを育てる大きな鍵になるように思います。


8月1日放送 「年とってわかること」
                 歴史学者 立川昭二

 現役時代と違って、退職後に新鮮に感じることが沢山あります。その一つに地域との関わりがあります。現役時代は関心が全て仕事に向いていて、自分から地域に関わろうとしなかったし、地域も私に対して何ら期待をしていませんでした。いま老人クラブに入会し、そのことをきっかけに遊びや自分の役割、そして地域の高齢者や子ども達との関わりが生まれ、私の生活はフル回転という状態です。退職後という自分の自由になる時間を持つことによって、現役時代には考えられなかった充実した日々を送っています。確かに身体の衰えは否めませんが、体力にあった楽しさ、喜びが次々と湧いて出てくるというのが正直な現在の日々です。この先介護などの問題が起こってきても前向きに受け入れられそうだし、死が近づいていることにもあまり悲壮感や恐れというものを感じなくなったのだから不思議です。私の「年とってわかること」というのはこの様なことだろうと思います。


7月25日放送 「8020に尽きる」
                 医学博士 小川靖彦

 私の歯は治療を受け、金属をかぶせたり、詰められたりしているものの、親知らずを含め全て残っています。だから31本(親知らずの1本は歯茎から出ていません)歯があります。まだ72歳なので、あと8年ありますが、80歳まで生きることがあれば20本は残ることと思います。ラッキーなのは、かぶせた金属が外れたり、詰めた金属がとれたりと、2年に1回ぐらいは歯科医院へ行くことがあります。その都度指導を受けたり、悪いところを治療してもらうことができます。6年ほど前に歯科医へ行ったとき、歯間ブラシを使うことを勧められました。以後家で食事をするときには、食後必ず歯間ブラシをするように努めています。その代わりはみがきは就寝前に1度するだけです。この方法で歯茎が腫れることもなく、以前歯磨きの都度出血していた歯茎も丈夫になりました。
 それにしても、歯周病菌などが体内に入るといろいろな成人病を引き起こすことなど、健康への影響が大きいのには驚きました。今後とも口腔内を清潔にしたいと思います。


7月18日放送 「兵庫偉人伝−嘉納治五郎物語」
                           講談師 旭堂南海

 旭堂南海さんの講談は何時も引き込まれてしまいます。今日もノートはそこそこに聞き入ってしまいました。だから登場人物の細かな名前はよく覚えていません。
 南海さんのお話を聞いていて、明治時代の西洋かぶれによって、日本古来の良さの中で失われたものが沢山あるのではないかという気がしてきました。柔術はたまたま嘉納治五郎によって統合発展し、今はスポーツとして世界で認められるようになりましたが、失われたものについては今更再発見をするのは困難だろうと思います。
 御影や魚崎あたりにある白鶴、菊正宗、櫻正宗は嘉納御三家として有名ですが、嘉納治五郎の家は廻船業者だったそうです。彼が恵まれた家庭に育ったことから、柔術のすばらしさを目の当たりにする経験を何度かしますが、家庭的な面ばかりでなく、体力的な面でも柔術にふさわしくない彼がこの道に進んだということに、魅力を感じさせるものがあるのだろうと思います。そして、「道」という日本古来の技にふさわしい名前で呼ばれるようになったことが、以後多くの日本文化を伝える道筋を確立したのではないかと思いました。


7月11日放送 「論語入門」
             立命館大学教授 加地伸行

 「入門」という言葉を私も簡単なさわりの部分と思っていました。本当にもっとも大事な基本的なことなのだということがよくわかりました。
 ところで、私たちが何の疑問をも持たず、お寺の檀家で、先祖を供養しており、血縁の子孫を大切にしています。ところが、江戸時代にキリスト教を禁止するための施策と、儒教の生死観を取り入れた結果であるということに驚きさえ感じました。そして自分の抱いている生死観がてっきり仏教によるものだと思っていたのが、間違いであることも知りました。
 四国88ヶ寺をめぐり、般若心経に関心を持ち、「現代語訳般若心経」なども読みました。「不滅不生」と生も死もないと書かれていますが、お釈迦様の教えである仏教の根本と私の描いている生死観とがうまく結びつかないことに納得のいかない思いをしていました。
 今日の講座で、日本の仏教が儒教の生死観を取り入れた独特のものであることをお聞きし、儒教についても、自分の生死観についても納得することができました。


7月4日放送 「最後は家で迎えたい −病院ではなく、家だから見えるもの−」
                        エッセイスト 吉田利康

 在宅死と病院死については養母の死から心に引っかかっている課題でした。平成7年、震災の直後、母は食道癌でがんセンターへ入院しました。余命半年と家族に告げた医師は、転院を言い渡しました。母には今手術できない体力なので体力がついてからというものでした。転院後、長引く入院に母は帰宅するかホスピスという言葉を持ち出しました。私が現実としてホスピスという言葉を聞いたのは平成11年ですから、当時は自宅に帰ることだけを考えました。しかし、かかりつけ医はその少し前に亡くなっており、近所には病院しかありませんでした。その病院の医師も往診はできないとのことで帰宅は実現しませんでした。
 昨年90歳を超えた叔父が訪問診療を受けながら自宅でなくなりました。介護保険で自宅をバリアフリーに改造し、管から栄養剤を注入するような状態で退院しました。それから半年後、訪問介護を受け、家族に看取られながらの死でした。介護保険制度の素晴らしい充実ぶりに、母の時代にこの制度があったならと今も思っています。
 思えば、昭和28年になくなった実母の死を、私も大学受験を目前にして枕元に座って自宅で看取りました。そして昭和45年になくなった養父もまたかかりつけ医や家族が見守る中、自宅で亡くなっています。それを最後に身の回りの人たちはみんな病院死でした。そして、昨年の叔父の死が何十年ぶりかの在宅死でした。葬儀も自宅でという本当に家族に見守られての最後でした。
 介護保険制度がほぼ確立した今、この制度を最大限に活用して、本人の望む最後を迎えさせたいというのが今の心境です。


6月27日放送 「やめられない心理学」
                     南九州大学教授 島井哲志

 良きにつけ、悪しきにつけ私たちはいろいろな習慣を身につけています。島井先生が話されたように習慣になっていることは何の努力もすることなくそのことをしているようです。
 現在自分が健康のためにしている習慣はどれほどあるだろうか考えてみると、その数は極めて少ないことに気がつきました。例えば、食後歯間ブラシをする(ただし家で食事をしたときだけ)。風呂で歯磨きをし、上がったときに体重と体脂肪を計り記録する。おそらくこの程度ではないでしょうか。逆に悪い習慣は夜12時を過ぎないと床につかないこと(早く眠ると夜中に目が覚めてしまうと思いこんでいる)。次の日の予定で日々の睡眠時間がまちまちになり、少ないときは朝から眠気がしたり、昼寝が辛抱できなくなります。
 歩き遍路のために歩く機会を多くしようと思いながら、出掛ける用事がないときはついつい一日パソコンの前でゲームなどに時間を使ってしまいます。喫煙や過度の飲酒など健康に悪いといわれることは若いときからしていないのでその点では努力しなくて済みます。
 この様に自分の健康についてはいろいろ考えますが、島井先生がお話しされたようなまわりの人の健康な生活習慣に貢献するようなフィードバックなどは全く意識にありませんでした。今後は自分の健康に限らず、まわりの人々の習慣力にも貢献できるよう少しでも意識していきたいと思いました。


6月20日放送 「『ニホン英語』で堂々と!」
                 兵庫県立大学名誉教授 末延岑生

 末延先生と私はほぼ同じような環境で育っていたように思います。私の父も商売人だったことからニホン英語をよくしゃべり、『リーダースダイジェスト』という雑誌を愛読して英語に触れることが多く、自分でも一度だけ英語の雑誌のようなものを発行したことがありました。さらに、私の家の近くの池長美術館が進駐軍に接収され、アメリカ軍人が多く出入りしていました。進駐軍のジープやトラックがやってくると、近所の悪ガキどもと一緒にその車を追いかけ、父に教わった「ギブミーチョコレート」「ギブミーチューインガム」などといってもらうことがよくありました。そんな父が小学校のクラブ活動で英会話を教えることになり、私も生徒の一人になって日本英語を楽しみました。父がPTAの役員だったので、この様なことが実現したのだと思いますが、終戦直後の小学校は何でもありだったのですね。
 中学校に入学し、英語の時間に自分の知っている単語を使って先生によく話しかけたものです。例えば「Want=欲する」という英語を学ぶと、早速友達と「アイ ウォント トゥ ゴー トゥ トイレット」などと言い、先生に訂正されたりしました。そのころまでは英語大好き人間だったのですが、単語を覚えるのが苦手だったのと、文法を理解することができなくてだんだん英語嫌いになり、ついには英語の単位が取れなくて悩む人生になってしまいました。
 それでも35歳のとき1ヶ月間海外教育事情視察団に加わってアメリカからにヨーロッパへ行くことになり、『テレビ英会話初級編』を一生懸命聞きました。その講座でたった一つトイレに行きたくなったときの英語「アイド ライク トゥ ウォッシュ マイ ハンド」だけを覚えて出掛けました。そしてバンクーバーの初日の夜、ホテルのレストランの夕食でこの言葉を使ってみました。見事にニホン英語が通じたのを仲間が見て、「おまえは英語が話せて良いな」などと言われてしまいました。
 その後、アメリカ人が私たちに一言一言単語をゆっくりていねいに話してくれる場面がよくありました。それでも私にはわからない単語が多く、通訳の言葉を聞くしかありませんでした。
 今朝、末延先生が講座の最初に話された英語は理解することができました。ニホン英語は恥ずかしく、バカにされると思っていましたが、今日のお話でそれは間違いだいうことがよくわかりました。といっても今の日常では、今後英語を話すことはなさそうですが……


6月13日放送 「いい仕事してますね」
               古美術鑑定家 中島誠之助

 若い頃、仲間と油絵の写生に出かけることがよくありました。描画の心得がある仲間は時間をかけていい絵に仕上げていきました。しかし、誘われるままについて行った絵心を持たない私たちはある程度まで輪郭を描くとあとはぬり絵のごとく、細かな観察もせずただそれらしい色を塗るだけでした。まさに絵を描くことから逃げていたと思います。だからほめてもらえるような絵に仕上がることはなく、自分でも満足感がありませんでした。
 テレビ番組「開運何でも鑑定団」を見ていても、贋作は一見ホンモノらしく描かれていても、中心でない部分やサインなどどこかで手が抜いてあるか、緊張感が切れている部分が指摘されています。
 数年前、明石文化博物館で日本画展が開かれたとき、最初に橋本間雪の作品が展示されていました。特に色が塗られているとは思えない山や太陽が見事に描かれていて、一通り作品を見たあともう一度戻って見たことがありました。2度目は心に残った作品をゆっくり見ていきましたが、それでも橋本画伯の絵が見たくてもう一度立ち戻りました。これほど惹きつけられる作品のことを「いい仕事」というのでしょうね。今でももう一度その作品を見たいと思っています。


6月6日放送 「ホンモノとニセモノ」
               古美術鑑定家 中島誠之助

 「開運 何でも鑑定団」で親しみのある中島さんですが、何時もホンモノとニセモノをはっきり見分けられるので感心して見ていました。その鑑識の力はホンモノに多く接することだといわれ、納得です。そういえば元総理大臣の細川護煕さんが今作陶に凝っていて、次々素晴らしい作品を作っておられると聞いたことがあります。それは熊本の殿様の子孫だから、常に良いものを見て育ったからだといわれていました。良いものをイメージしながら作陶すれば技術がついてくれば良いものができるようになるのですね。
 テレビ番組を見ていても、ホンモノを見る力のない人、ホンモノを見たことがない人が一儲けしてやろうと骨董屋の口車に乗った話が毎回半数以上登場します。骨董は中島さんの言われたように儲けるものではなく、良いものに惹きつけられる喜びを感じるものだと思いました。だから決して自分で持つものではなく、美術展などで観賞すればいいのでしょうね。

 

5月30日放送 「本科生に向けて」
        兵庫県斉藤副知事 放送大学教授陣

 いよいよ来週から課題番組が始まります。3ヶ月間、感想文を閲読したり返信を書いたりしていなかったので、再び心の中に緊張を感じています。さらに番組編成会議についても、これぞという講師を見つけることの難しさをつくづく感じています。新たに入学された学生の皆さんの期待が大きければ大きいほど私でよいのだろうかという気持ちが増大していきます。
 斉藤副知事が、経験豊かな高齢者が元気な地域は地域全体が元気になるといわれていました。学生の皆さんが放送を聞いていろいろ学ばれ、学ばれたことを生かして地域を元気にされるように、私も今年一年一緒に学び、地域に少しでも還元できればという気持ちで頑張りたいと思います。

 放送大学の教授陣も一部異動があったようですが、いろいろご指導をいただきながら務めを果たしたいと思います。

5月23日放送 アンコールアワーA「されど掃除−なぜトイレ掃除が大切か−」
             イエローハット創業者 鍵山秀三郎

 1年半ほど前にこの話を聞き、もっと掃除をしなければと感想文に書いています。しかし、ますます家の中が乱雑になり、掃除機の出番が少なくなっているように思えます。こころが荒れているというか、落ち着きのない暮らしをしているように思います。自分自身忙しいという意識が心の中にはびこっているように思います。
 昨日小豆島の遍路道で「忙しいとは心が亡びること」と書かれた戒めの言葉を見ました。今日のお話にあったように、心が乱れ、感謝の心さえ失ってきているのかもしれません。大いに反省しなければなりません。もっと謙虚になり、心を清めるという原点に戻って屋内外の掃除をきめ細かくしていきたいと思います。


5月15日放送 アンコールアワー@「般若心経のこころ」
                           
作家・僧侶 玄侑宗久
 前回聞いたときより理解できたように思うのですが、錯覚でしょうか。「般若」という言葉をいかにとらえるかによって解釈や理解が違ってくるように思いました。「現代語訳般若心経」を読んだときにはそのあたりの理解が深まらず、すっきりしませんでした。しかし今日の解説によって理解できた気がします。ただ瞑想の境地に入り込むのはまだまだ難しく思います。
 前回から半年近く経っており、その間に何度も般若心経を唱えています。しかし、自分ひとりで唱えるのではなく、お遍路や写経の会の際、みんなと一緒に唱えるため、間違えてはいけないという気持ちが先に立って、どうしても字面を追ってしまいます。家で仏壇の前に座ってひとりで唱える習慣を身につけることが大切だと痛感した今日の放送でした。


5月9日放送 「寅さんに学ぶ」
               愛知淑徳大学教授 吉村英夫

 私も寅さんの映画が大好きで、映画館へ出向いたことはありませんが、テレビで放映されておれば時間が許す限り観ていました。たとえ同じ話であっても楽しく観ることができました。それはなぜかと言うことは考えたことはありませんでしたが、今日の吉村先生のお話を聞いていて、なるほどと思うことが沢山ありました。
 その最も大きなものが、旅の中で多くの人と交流する中で、寅さんにもう一度会いたい、寅さんに助けて欲しいと思うような人情味たっぷりな行為をしていることだと思いました。だから、それらの人は必ず「とらや」を訪ねてきています。それをとらやの人々が温かく迎えます。まさに温かな人間関係を期待し、それを実践する登場人物に拍手を送っていたのだと思います。そして、性善説を否定するようなニュースが多く流れる現代社会、セレブがもてはやされる今の時代に、そうではないというメッセージを聞くことができるからだと思います。
 同様のシリーズ「釣りバカ日誌」もエリートサラリーマンになれない、むしろいつ首になってもおかしくない主人公が、痛快に実績を上げる話、逆に最高の地位に上り詰めた社長が何時もその地位にこだわらずに人間的に生きようとする姿に惹きつけられるのではないでしょうか。
 いずれにしても深刻にならず、さらっとした笑いの中で人生論をわかりやすく伝えてくれる山田洋次監督は本当に素晴らしいと思います。「ヘタな人生論より寅さんの一言」本当にそうだと思いました。


5月2日放送 「野生動物の反乱」
              京都大学名誉教授 河合雅雄

 里山の重要性についてこれまでいろいろといわれてきましたが、野生動物による農作物被害にこれほど深く関わりがあるとは思っていませんでした。むしろ森林地帯の開発がもたらす被害だと思っていました。しかも人が里山や田畑に姿を見せないことがさらに被害を拡大しているというのですから驚きです。そして、女・子どもを怖がらなくなった猿の話はこれからの動物と人間の関係を示唆しているように思いました。今後我々は里山をはじめとする対策にどの様に取り組んでいけばよいのか、考えなければならないですね。
 ところで、講師紹介のところに、1942年生まれと記載されていますが、数年前に親しくお話ししたとき、大正生まれとお話しされていたので、1924年生まれの間違いだろうと思います。
 先月小豆島のお遍路で、「長崎のしし垣」を見学しました。小豆島では昔から猪、鹿、猿などの被害が多く、江戸中期に石や土でしし垣を築いていたそうです。その総延長は全島で120qにも及ぶと言われています。小豆島では猪や鹿が海を泳いで渡ってきたというのですから、作物を被害から守るのは大変だったことでしょう。


4月25日放送 「なぜ騙されるのか」
        弁護士・東京経済大学教授 村 千鶴子

 悪質商法に引っかかりそうになった経験が何度かあります。最初は退職して家にいるようになった初めの頃、近所の屋根葺きをしていた職人が我が家の屋根を見て、台風で一部瓦の外れているのを指摘し、午後からついでに無料で直してあげるといいました。震災後に葺き替えた屋根だったのでその部分だけ治せばいいと思いました。しかし、午後になって職人5〜6人をつれてやってきました。その時になって、これはもしや点検してあちこちが傷んでいるというのではないかと思い、とっさに「息子が建築関係の仕事をしていて、今度帰ったときに直してやるから触らないようにといわれた」というと、憮然としていましたが、帰っていきました。またやってこられてはいけないので、翌日自分で屋根に登って直しておきました。ところが直し方が悪かったのか、後日別の業者がその部分を指摘して修理を申し出てきましたが、今度ははじめからきちんと断りました。
 電話では月に何度も投資話を持ちかけられます。最近では、リニアモーターの創始者が社長のこれからの時代の先端を行く企業への投資をいってきました。実に立派なパンフレットを送ってきていたので、本当は立派な会社なのかもしれません。前日に別の会社の投資詐欺のニュースが大きく報じてられていたので、そのことを言って投資などしないというと、自分の会社はその様なインチキではないというようなことをいっていましたが、無視して電話を切りました。この様な電話がよくかかるのは、詐欺グループの名簿に私の電話番号が載っているのかもしれません。困ったものです。
 おれおれ詐欺の電話はかかってきたことはありませんが、数年前、何かの費用が未納になってる。即支払わなければ裁判で強制徴収する。もしわからないことがあれば下記番号に電話をなどと印刷された葉書が届いたことがあります。もちろん無視したのでその後何事もありませんでしたが、うっかり電話をすれば、そのような詐欺グループの名簿に載ることでしょう。
 健康、住まい、お金に関する不安商法や甘い話には、はじめから疑いの気持ちを持ち、くれぐれも気をつけたいと思います。なぜなら、全く知らない人が私たちを名指しで親切にしてくれるはずがないからです。そのためにも、地域で心の許せる知人を多く作っておくことを大切にしたいと思います。


4月18日 「兵庫、街かど学W −兵庫の温泉文化から−」
                    
園田学園女子大学教授 田辺眞人
 母方の祖父が兵庫平野の湊山温泉のすぐ近くに住んでいたので、子どもの頃は時々湊山温泉にはいることがありました。ここの温泉を飲むと胃腸によいとのことで、胃腸の弱い父がよく飲んでいました。そんなことで風呂屋ではなく天然温泉だということは聞いていましたが、なぜこの様な町に天然温泉があるのか不思議に思っていました。
 また、有馬温泉は六甲山が休火山だと思いこんでいたので、温泉が出るのだと思っていました。そして六甲保養荘は地下水をくみ上げてわかしているのだと思っていました。
 この様な誤解を解いてもらったのが今日の田辺先生のお話でした。そして、プレート移動が原因で温泉が湧くということを知り、これから訪れる温泉について考える参考になりました。24日から地域老人クラブグラウンドゴルフ部の仲間と鳥取県ハワイ温泉へ出掛けますが、また一つ話題ができました。


4月11日放送 「老いを見つめる言葉」
                          詩人 嶋岡 晨

 老いを支える杖のような言葉が大切だと話されました。それは精神的な支えだと思いますが、言葉で終わることなく実践が大切だと思います。死ぬまで学習し続けるという生き方、淀川長治さんの「神様に立派な答案を書いて人生を卒業する」という言葉が実践を伴っているようで良いなと思いました。
 昨年度の本科生で1月に亡くなったKさんは3月号に匿名で感想文を書いておられました。Kさんは昨年8月に膵臓癌で余命半年と宣告を受けました。それでもボランティア活動を続け、自分で文字を書くことができなくなっても家族に代筆を頼んで課題番組の感想を提出されました。さらに、ホスピスなどの関係者を対象にした講座に自ら参加し、涙しながら講義を受け、後に続く人たちの精神的な支えになろうとされていました。明石市の高齢者大学でクラブの部長をし、ボランティアのリーダーをし、学生自治会の会長を務め、卒業後も卒業生のボランティアグループのまとめ役を引き受け、明石市の福祉施策の企画会議に参加し、家族のため、仲間のため、そして社会のために最後まで尽くしてこられたKさんの前向きな生き方は、死を宣告されてなお神様に対する立派な答案を書かれていたのだと思います。しかし若くして人生を卒業されるにはあまりにも心残りが多くあったこと察します。


4月4日 「開講にあたって−高齢者と学び−」
                 神戸大学名誉教授 野尻武俊

 「老いぼれるとは、学ぶことをやめることだ」 動物は成長するとその種にみんななるが、人間だけは成長したとき人間以上にも人間以下にもなるという言葉と合わせて本当にそうだと思いました。この話は是非老人クラブでみんなに聞かせたい話だと思いました。
 私たちの女性カラオケクラブは70歳から87歳までの人たちが新曲に挑戦され、月に2曲はマスターされます。なれない私は初めのうちは一苦労でしたが、みんなが練習しておられるときに小さな声で歌っていると、13番目にまわってくるマイクに向かって何とかそれらしく歌えます。これだって学習の一つだと思います。歌の練習の途中で30分ほど茶菓子をいただきながらおしゃべりがはずみます。大笑いすること、新しい情報の交換など話題はいろいろですが、この様な前向きの方達の口からは人の陰口やうわさ話などはあまり聞くことはありません。
 私たちは生涯学習といえば人に聞かれても立派な勉強をしておられるのですねといわれるような内容を想像しますが、自分の興味のあることに取り組みながら、そのことをきっかけに自分が何らかの形で前向きに生きる姿勢が作れればいいのではないかと思っています。前向きに生きるということは、人との接触を拒まずに生きるということだと思います。野尻先生が話された「広目天、多聞天、大道無門」の生き方は人と接することによって生まれるのだとつくづく思うからです。60歳で定年を迎え、それから6年間、いなみ野学園で高齢者の生き方を学び、人生80年になろうと90年になろうと、地域の老人クラブで前向きに関わることによって生きがいを感じ、放送大学で学べる今を幸せに思っています。