平成20年度の感想文

     

3月28日 学生参加番組「1年の学習を終えるにあたって」
 南あわじ市の中野様がお話しされた「高齢者放送大学を聴講することで、こんなに楽しい老後が送れるとは思いもしなかった」という言葉に象徴されるように、素直に学ぶ心を持つということこそが大切だということを学びました。
 生涯聴講生の1500通にものぼる感想文を読ませていただく機会があります。中にはとても批判的な文章があります。独りよがりの話だと講師の人格すら否定するような感想文さえあります。多分日ごろから感謝の心を表すことはなく、常に自分が全て正しいと思っておられるのではないかとさえ思ってしまいます。
 今日の6人の方々のお話は、放送大学によって生かされ、学んだことを自分の人生に生かし、学ぶ仲間との交流に新たな喜びを感じておられることがよくわかりました。ただ、本科生時代に「直筆のお返事をいただき大切にしている」という言葉を聞く度に、パソコンで返事を書いている私は消え入りたくなります。他人に読めるような文字を間違いなく書くとなると、とうてい与えられた期間内に返事を仕上げることはできないだろうと思います。いつでも身を引きたいと思い、事務局にそのことを伝えているのですが、春の集いで竹田学長から「講師をやめるなど言わないでください」と念を押されました。本科生には本当に申し訳ないけれども、今年もパソコンで返事を書かせていただくことになります。
 私も学生の皆さんと一緒に感謝の心を持ち、素直な心で今後も学び続けていきたいと思います。


3月21日 学生参加番組「放送大学で私が学んだこと」
 放送大学の皆さんの感想を聞いていて、それぞれが意欲的に学んでおられることを強く感じました。特に本科生にとって講師の返信が大きな影響を与えていることに、身の縮む思いを感じました。今年こそ講師をやめさせてもらおうとお願いしながらずるずると続ける羽目になってしまいました。他の講師の先生のような力を持ち合わせていないことの後ろめたさを感じながら今年も講師を続けなければなりません。
 しかし、放送大学の醍醐味は、幅広い放送内容にあります。こちらで学ばれることが主なので、私も一緒に学べることを楽しみたいと思います。朝来市の今村様がお書きになっていたように、注意してよく聞き、しっかり文章に書くことの大切さこそ、私の一番の課題です。ともすれば講師の話の一部に自分の頭の中で勝手に想像をふくらませ、肝心の話を聞き漏らすという集中力のなさに後悔することしきりです。インターネットで改めて聞くことができるようになったので助かっています。
 丹波市の細見様が「私の心のこだま」として、毎回の感想をノートに綴っておられると書かれていました。テキストの「心のこだま」を読むときに自分の感想文を改めて読んでみることを今までしていなかったことに気づかされました。私のホームページの感想文も「私の心のこだま」にタイトルを変え、テキストの心のこだまと読み比べてみたいと思いました。そのことによって視点を変えて考えることの大切さを学びたいと思います。


3月14日放送 「食を語る」
              女優・ライフコーディネーター 浜 美枝

 「ありがとう、いただきます」 家族で食事をするとき自然に出てくる言葉です。現職時代、子ども達と給食をいただくとき、食前に何時もみんなで言っていた言葉でもあります。それは生産者や調理してもらった人への感謝であり、動植物の命をいただくことへの気持ちです。
 しかし、何時の頃からか、私たちの食は流通業者に支配されていたようです。国内の生産者から買うよりも人件費の安い海外から輸入する方が安く、消費者も安い商品に飛びついていました。その結果国内の生産者は採算が合わなくなり、生産意欲を失ってしまいました。また、消費者も食の安全を失ってしまったのです。
 浜美枝さんがお話しされたように、食は命の根元であり、子孫に引き継いでいくものです。とすれば、食の安全を最優先される時代でなければなりません。幸い「地産地消」、「ファーマーズマーケット」など、私の居住地域ではある程度実現しています。流通業者の価値観に関係なく、良心的な生産者を地域住民みんなで応援し、お互いが安心し、信頼し合える関係を大切にしていきたいと思います。


3月7日放送 「自然を語る」
              女優・ライフコーディネーター 浜 美枝

 早朝に聞く浜美枝さんの声はなんと優しく美しいのだろうと先ずその声に惹きつけられました。そして日本の四季を彩る美しさ、日本の伝統文化が伝える美しさがひしひしと伝わってきました。
 安部元首相が盛んに「美しい国日本」を連発しながら、政治の目指すところを主張していましたが、具体的なイメージがわいてきませんでした。しかし今日の浜美枝さんの「私たちは日本お美しさを誇りに思っているでしょうか」という問いかけには説得力がありました。携帯電話などに心を奪われ、ブランド品を持つことを誇らしげにする心が蔓延する現代の日本人の生き方に対して、痛烈な批判をされていたように感じました。
 四国を歩き遍路したとき、交通機関を使わずひたすら歩きましたが、どんなに疲れても心はとても充実していました。雨が降っても、暑くても寒くても自然に身を任せ、自然に咲く小さな花や小鳥のさえずりを愛で、木々の新芽や若葉、そして紅葉に季節の移り変わりを感じ、全身で自然を受けとめていたからだと思います。だから全く初めて出会う人々と気軽に挨拶を交わし、お接待をして下さる地元の人々との自然体の交流こそ美しい日本そのものではなかったかと思いました。この様な生き方をこれからも大切にしていきたいと思いました。


2月28日放送 「耳鼻咽喉科と高齢者」
              日本めまい平衡医学会顧問 二木 隆

 先日、妻がひどいめまいを起こし、救急車で病院へ運ばれるということがありました。脳のCTスキャンなど診察を受けましたが異常はなく、めまいを抑える投薬で直ぐに完治しました。頭位性めまいだろうといわれました。今日のお話を聞いていて、内耳に関係していたことが理解できました。
 私の場合はもっぱら鼻と咽に症状が出ます。子どもの頃から鼻くそがよくたまり、気持ちが悪いので、鼻くそをほぜっていて先生に叱られたこともありました。今は2月末から6月、9月から11月にアレルギー性鼻炎に悩まされます。特に春先は鬱陶しくて仕方ありません。鼻炎が始まると眠るとき鼻で息ができないので、一緒に咽が痛くなります。また上を向いて眠るといびきをかくので、鼻の奥もいたくなります。そして少し歌ったり声を出し続けると声がかれたり咽が痛くなります。早く花粉の季節が終わらないかと心待ちになります。
 私の花粉症は昭和45年頃からということで、長い付き合いです。昭和57〜8年頃、耳鼻咽喉科にかかったことがありますが、最初の2〜3回までは効果があり気持ちよくなるのですが、薬を飲むと仕事中も眠くなる上、治療を続けていると元通りの症状になるので、医者通いをやめてしまいました。めがねが曇るのでマスクもしていません。今年はたまたま目薬を買いにいったときに、立体マスクでめがねの曇らないのがあると薦められ購入しましたが、あまり効果がないようです。もう40年以上、あるいは子どもの頃からのことを考えると、70年近く付き合ってきたのですから、弱い粘膜を庇いながら、これからも楽しく過ごしていきたいと思います。


2月21日放送 「これぞ世界の非常識」
           江戸川大学教授・文化人類学者 斗鬼正一

 日本映画「おくりびと」がアメリカでアカデミー賞を受賞しました。日本の死者に対する手厚い配慮と死後に行われる死者や先祖を敬う行為がアメリカ人には非常に新鮮に映ったといわれています。私たちはそうすることが常識だと思っていましたが、これは日本の文化が生み出した常識なのですね。
 確かに、私たちの常識で考えて非常識な民族をさげすむような感情を持っています。以前中国旅行をした人が、トイレは男女別に別れてはいるけれど、中に入れば仕切がないと聞き、なんと貧しい国なんだろうと思ったことがあります。テレビ番組でウジ虫などを食べる場面でリポーターが目を白黒させながら挑戦する姿に、かわいそうにと思ったりしましたが、現地人にとっては貴重なタンパク源なのですから、食べることに抵抗を見せるリポーターを不思議な民族と思ったことでしょう。
 斗鬼先生のお話のように、自分の常識に凝り固まっておれば異文化は決して理解できないでしょうね。そして外国人との交流はできないでしょうね。我々がまもなくお世話になる介護の世界にもたくさんの外国人を受け入れようとしています。それぞれの国の文化を理解し、その常識を理解し受け入れることができるようになっておかなければ、介護も受けられなくなる時代がまもなくやってきます。その意味でとても良いお話を聞かせて頂きました。


2月14日放送 「老いてますます楽し」
                          小説家 山崎光夫

 貝原益軒が還暦を過ぎてから大いに活躍し、大いに楽しんだということでしたが、まさに同感です。現役時代は、仕事そのものに生きがいを感じ充実した生活でした。だから精一杯勤めてきたと思います。しかし定年になっていなみ野学園に勤務したとき、高齢の皆さんが地域に貢献しようといきいきと活動しておられる姿に接して、仕事の生きがいとは別のものを感じました。
 現役時代の仕事は、どちらかといえばやらなければならないことが決まっていて、そのことに対して創意工夫し、効果を上げることに没頭し、生きがいを感じていたように思います。
 ところが退職後は、自分のこころに正直になり、自分で道を選択し、人に喜んでもらえることに生きがいを感じるようになりました。このことはいなみ野学園地域活動指導者養成講座に学び、損得を度外視してひたすら精力的に地域活動をされている高齢者の方々から学ぶことができたのです。
 今、自分なりに正直、健康、長寿(70歳を超えてなお幸せな人生と感じている)の「三楽」を満喫している現状をこころから感謝し、身近な人々に少しでも貢献できればと願っています。


2月7日放送 「脳と気持ちを整理する」
       財団法人河野臨床医学研究所理事長 築山 節

 身の回りの整理ができないことで、家庭でも職場でも有名?だった私です。今も机の上はものがいっぱいで、仕事をするときには作業場所をジプシーのようにさまよい探さねばなりません。自分でも哀れに思います。しかしうっかり片付けると、どこへ片付けたのかわからなくなり、行方不明になったものが沢山あります。
 この様な習癖が脳の整理ができていないためだということが今日のお話でわかり、納得しました。人の話を聞いていても、なかなか話を整理して聞けないし、聞いたことを正確に整理してノートできないからです。こうして文章を打ち込んでいても、途中で違う方向に行ってしまい、文脈が通らなくなることがしばしばです。それでも本人は精一杯作業をしているつもりなのです。
 毎日整理する、一つの作業をすれば後始末をしてから次の作業に移る、このことを何時も妻に言われるのですが、一つのことをしていて、何か目にしたり、別のことを考えると、そのことに夢中になり、今までしていたことをすっかり忘れてしまっています。逆にいましていることを済ませてからなどと考えていると、次にやろうと考えていたことを忘れてしまっています。脳で作業の順序や手順が整理されていないからだと思います。メモなどを有効に使って、作業の順序や手順を整理し、チェックするような習慣を身につける必要があるのではないかと反省しながら本日の講義を聴きました。
 もう一つ、夜12時までには眠るようにという話ですが、県民の健康チェックでも、日付が変わるまでに就寝するように書かれていました。できるかぎりそのように心がけているのですが、夜から深夜にかけてテレビの素晴らしい番組が放映されることが多く、ついつい見ていて12時を過ぎてしまうことが多々あります。よい番組はもっと早い時間にしてくれればと勝手なことを考える私は、ここでも脳の整理ができていない自分を露呈しているようです。
 耳の痛い放送内容でしたが、心を入れ替えなければと大いに反省する貴重な講義でした。


1月31日放送 「笑いはクスリ」
                 笑い学会副会長・医師 昇 幹夫

 ぽんぽんと飛び出す笑いのネタ、笑いながら笑いの効用が理解できました。これまでもナチュラル・キラー細胞についていろいろなお話を聞きました。そして、自分でも大切だと思っています。ただ、アハハと笑っているだけでなく、その人が前向きに目標を持って生きている場合に、このナチュラル・キラー細胞の効果が大きいのではないかと思っています。今日の昇先生もそのことに触れておられました。特に印象に残ったのが、「チャンスは平等、結果は不平等。チャンスを自分のものにするか否かは自分がそのことに行動を起こすかどうかにかかっている」というお話でした。不幸だと思っている人はチャンスに行動を起こさない人なのですね。
 2月7日に明石・太寺山高家寺で「高家寺寄席」があり、出掛けていって多いに笑ってきたいと思っています。これも高家寺の写経に出掛けているのでこの様な情報が入ってくるのです。おっくうがらずに積極的に行動することが大切なのですね。


1月24日放送 「超高齢者の秘密を探る」
                    大阪大学准教授 権藤恭之

 私たちの村(自治会)には100歳を超えた方はおられません。しかし85歳を超えた超高齢者は何人かおられます。外出できるような元気な方は老人クラブのカラオケグループなどにも参加して、いきいきと暮らしておられます。一病息災という感じですが、新曲を覚えるなど、とても前向きに感じます。ところが脳梗塞など、体調を崩されると、老人クラブを辞めてしまわれる方が多く見られます。それでも夫婦で老人クラブ会員だったりすると、配偶者に助けてもらいながら参加されます。しかし、多くの方は家族の協力がなければ、関わりがぷっつり切れてしまいます。
 私は、たとえ体調が悪くなっても、外部の人との関わりを大切にすることが物事をポジティブに考えることにつながるのではないかと考えています。いわゆる精神的な側面の健康が保たれると思うのです。だから、私の所属する老人クラブも、病気になっても楽しめる老人クラブになるような組織づくりができればいいなと考えています。そのためには、頭の中で考えるだけでなく、いろいろな老人クラブの情報を集めなければならないと思います。どなたか良い情報や参考資料があれば教えて下さい。


1月17日放送 「わかる裁判員制度 −裁判員になってみませんか−」
                          弁護士 朝本行夫

 70歳以上は裁判員にならなくてよい、なれないなどとこれまでは70歳以上は関係ないと思っていました。今日の説明では、70歳以上の欄にチェックを入れると理由無しで辞退できるが、70歳を超えていてもチェックを付けずに裁判員を積極的に引き受けようという趣旨であるように思い、意外な気持ちになりました。朝本先生がお話しされたように長い人生経験から高齢者は冷静に状況を受けとめられる場合があると思います。また時間も十分あり、そのことに集中できることもあります。今朝は裁判員制度を人ごとと考えてはいけないのだと改めて思いました。
 ところで、犯罪者の心神耗弱など、精神鑑定ということがよく話題になります。また、先日の千葉県の幸麿ちゃん事件などのように軽度の知的障害者による犯行などもあります。この様なケースの裁判は本人が十分な供述ができず、質問に何でも「はい」と答えたり、誘導尋問に導かれる場合が多いので、その様な障害者の特質を知らない場合は正しい判断がとても困難だと思います。このことは昨年テキストに書きましたが、3日間の審理の間にみんなが理解できるような方法も今後の課題だろうと思いました。


1月10日放送 「学生参加番組・私の自慢話U」
@ 「黙って聞く」 篠山市 五十川順子
 人の話を黙って聞くことは本当に難しいことだと思います。私はどちらかといえば、話し手の気持ちに入り込んでしまって同調する相づちを打ってしまい、ますます本人の気持ちを高ぶらせているように思います。五十川さんのようにどちらの味方もせず、頷く以外ただ黙って聞き、批判や感想も言わず、他言もしない聞き方を身につけたいと思いました。気持ちの高ぶっている人は人に話すことで落ち着けるというお話はその通りだと思いました。
A 「私の趣味・調理について」 川西市 山嵜耕滋
 退職後15年間も調理の勉強を続けておられることに頭が下がります。私も退職直後、市の保健センターが主催する「男性の調理教室」に2回ほど行きましたが、積極的な人がどんどん調理をして、私はもっぱら洗い物ばかりしていました。そんな訳で興味関心が高まる訳でもなく、受講回数が制限されたため、以後調理に関する講座には出席したことはありません。妻が留守のときに昼食を作るくらいで料理は全くしていません。山嵜さんがお客を招待して食事会をされるほどの腕前とは本当にすごいですね。
B 「まさか」 三田市 松本ゆかり
 孫というのは歌の通り、本当にかわいいものです。その伸びやかな成長を祖母の目から見てほれぼれとするお気持ちがよく伝わってきました。自分の子どものときはそのような目で見ていませんでしたが、正月久しぶりにやってきた高校生や大学生の孫を見ていると、なんと頼もしく育っているのだろうと目を見張る思いでした。自分の子ども達が頼もしく思ったのは、やはり社会人になり、私のわからないことを助言してくれるようになってからです。
C 「我が家の伝統なすび」 相生市 増田京一
 40年も同じなすびの子孫を作り続けておられるとは驚きです。よほど美味しいなすびなのでしょうね。市村先生が話されたように、その種を多くの方々に分けて、特産品になればいいですね。我が家も毎年野菜を庭の菜園で育てていますが、苗は買うもので、自分で種を取るという発想は全くありませんでした。交配された野菜から採った種は実がならないと信じていたからです。鳥につつかれたトマトの実を放っておくとたくさん芽が出てきます。また、生ゴミで作った土からカボチャの芽がたくさん出てきます。これらを育ててみるのもおもしろいかもしれませんね。
D 「自慢話のない話」 神戸市西区 小池正子
 私も何が自慢できるかといわれれば何も自慢することがありません。小池さんは人からほめられることが自分の自慢なのではないかといわれました。きっとそうなのだと思います。小池さんのように積極的に屋外へ出掛けていって、多くの方々と出会うことが大切なのでしょうね。そして、その方々と親しくお話ができるということが素晴らしいなと思いました。
E 「私の夢」 南あわじ市 別処文雄
 自分の夢を実現される積極的な行動力は本当にすごいと思いました。自分にできることを見極め、自分の技術や知識をフルに活用して成し遂げておられることは素晴らしいですね。私たちは環境問題についてよく口にしますが、自分がどれほど実践しているかと振り返ってみると、口で言うことの10分の1も実践していません。利益など考えず自然環境によくて、その実を食べても健康にもよい樹木を選定され、山に植樹して成果を上げておられるのですから、やはり単なる夢ではなく、広い視野からとらえられた有意義な夢だと思いました。


1月3日放送 「知事新年挨拶・学生参加番組『私の自慢話T』」
@ 「新年挨拶」 兵庫県知事 井戸敏三
 知事のお話の通り、昨年は想像もしなかった時代の流れに、先の見通しが立たなくなった思いを強く感じました。省庁が絡んだ年金や汚染米など、国の行政の信頼も大きく失いました。一方、投資家の何でもありの態度はいつか破綻を来すと思っていましたが、全世界の経済がこれほどもろく崩れていくとは思いませんでした。それでもどん底の株を買って儲けようとする個人投資家の態度を見ていると、世の中はまだまだ正常には戻らないと感じます。他人と一緒に幸せになろうとする日本人本来のこころを大切にしたモラルではなく、自分さえよければという気持ちからまだ抜け出ていないように思えるからです。
 そのような状況の中で、知事は景気回復と雇用対策、県財政の自主再建、新しい兵庫づくりのための長期ビジョンの見直しなどをお話しされましたが、今年はどの様な世の中の流れになっていくのか見通しが立たない中で、県政の舵取りも大変だと思いました。
A 「私の健康法−継続は力なり−」 明石市 藤田一郎
 単身赴任がきっかけでジョギングを始められたというのが先ずおもしろく思いました。むしろ生活の大きな変化にいかに適応するかというのが一般的で、ジョギングは余裕がなければできないだろうと思ったからです。
 それにしても若い頃からよほど体力に自信をお持ちだったのでしょうね。長いマラソン歴、それを自分の体力を見極めてウォーキングにあっさり切り替えられた勇気も素晴らしいと思いました。
B 「私の小さな自慢話」 三木市 高橋晴美
 私も3日間のホームステイを引き受けたことがありますが、英語の話せない者が引き受けるというのはとても勇気が要ります。それを一度ならずも何人も引き受けておられるのですから本当に感心します。きっと誠心誠意接しておられたので、留学生が再度来日して仕事についたり、相手国に招待してもらえるという素晴らしい発展につながっているのだと思います。言葉が通じなくても心は通じるのですね。
B 「一本勝負−子どもの頃の想い出−」 加古川市 原戸重信
 いじめにあった多くの子ども達は自分を全て見失うというのが通例です。しかし原戸さんは算数など誰にも負けないというものを見失うことなく、冷静に立ち向かわれたことが克服につながったのだと思います。
 いじめにあって不登校になったり、自殺までに結びついてしまう今の子ども達に、この話はとても参考になると思いました。周りの人たちがいじめられっ子の良いところを見つけ本人に気づかせることを大切にしたいですね。
C 「母子で花の放大生」 西脇市 岡井喜美子
 せっかくお母様から励まされて放大に入学されたのに、お母様を失われたことは残念だったでしょうね。しかし、今回の放送で、自慢のお母様の生きがいを皆様に聞いて頂けたことはとても良い供養になったと思います。
 今度は岡井さんご自身がお母様を越えるほど長く受講し続けて欲しいと思いました。


12月27日放送 「頭にちょっと風穴を」
                 国際ジャーナリスト 廣淵升彦

 高齢者は幅広い知識の持ち主だと話されました。私には、戦前戦中に義務教育を終えられた方々に当てはまるように思えるのです。歴史にしても文字にしても、よく知っておられるし、意見もきちんと言われます。
 私たちは小学2年生で終戦を迎え、教科書の大半に墨を塗りました。その後民主主義だといって自分達が街に出て、いろいろ調べて発表するという学習が大切にされました。ということは伝統的な教育ではなく、自分で課題を見つけて解決する学習が重んじられたのです。新学年を迎えても教科書はに墨が塗られ、上級生から譲り受けた算数と国語だけで、6年生で初めて理科の教科書が60名ほどのクラスに10冊程度配布されました。それらは私立中学を受験する友達に配られました。
 そのような状況なので、私たちの年代は勉強も遊びも実に創造的な環境で育てられたと思います。そして職場でもその姿勢は最後まで衰えませんでした。その代わり、視野が狭く、特に歴史的なことや過去に学ぶということにおいては不得手で、伝統的な知識はからきしありませんでした。
 今、老人クラブで先輩から学ぶことの多い毎日です。今日の廣淵先生のお話を聞いていて「何も知らない若者」と同じなんだと恥ずかしい思いでいっぱいでした。


12月20日放送 学生参加番組
@ 神戸・阪神地区スクーリング発表
 「再び学んで」 神戸市西区 田野育利

 退職後の人生をいかに有意義に生きるかという大きな命題からのお話だったと思います。田野さんは自分の将来をも考えて、介護に関する講座を受講されました。このことにより、介護福祉の現状や問題点、さらに自分が介護を受けることになった場合の心構えなどいろいろ学ばれました。
 私も退職後趣味や歴史の講座を受けましたが、川柳は先輩の導きで、出会ったときには親しく話せる仲間ができましたが、それ以上のお付き合いはありません。一方、園芸講座は受講生でグループを立ち上げたので、月1回の集い(例会)をもつことができ、仲間のいろいろなアイディアで楽しくお付き合いができます。しかし歴史教室に関しては講座を聴くだけでそれ以上のお付き合いはありません。ただ、主催者からいろいろな情報をいただくので、いろいろな場に出掛けていくことができます。これも視野を広げる上で良いことだと思っています。
 私の場合、退職後は地域でどのように過ごすかということをもっとも大切にしていきたいと願っています。その意味で老人クラブがここしばらくの私の生活の中心になると思います。その間に介護など福祉関係のことをしっかり学んでおきたいと思います。
A 第2回中央スクーリング「高齢者の主張」
 「私の生きがい探し」 加東市 藤井 求

 公民館をうまく活用して、「童謡唱歌を歌う会」を立ち上げ、大勢の仲間と楽しんでおられることは素晴らしいと思いました。自分の特技を生かして生きがいづくりをされた見事な実践です。この放送を聞きながら、自分の所属している老人クラブでこの様な会を提案したら、どれだけ人が集まるだろうかと考えてみました。女性はカラオケで新曲を覚えることに熱心だから、そのグループに参加していない少数の人は歌うことにはあまり魅力を感じておられないだろうという感じです。男性もカラオケには参加するけれども、童謡などにはあまり関心を持っていないように思います。
 一方、老人クラブとは関係なく、77歳以上の方を対象に月一回、泉会を中心としたグループのお世話でミニサロンが開催されています。この会では歌をうたったり、ゲームを楽しんだりしておられます。私は内容をほとんど聞いていませんが、「千の風になって」を歌ったり、県名によるビンゴゲームをして楽しんだということを聞くと、童謡を歌うような雰囲気ではないのかなと思ったりします。しかし、福祉施設では童謡唱歌がリハビリにつながるということなので、歌うことはとても大切なことだと思いました。高齢化がもっと進み、新曲が歌えなくなってきたら童謡唱歌が取り上げられるかもしれません。
B 第2回中央スクーリング「高齢者の主張」
 「人生貸借対象表」 篠山市 上田和夫

 私の人生の貸借はどうなっているのか考えてみました。子ども時代は家族や仲間に恵まれ、社会に出てからは素晴らしい上司や同僚に恵まれ、まわりの仲間以上の経験をさせてもらい、ほとんど挫折を感じないまま定年を迎えることができました。退職後も第2の職場に誘ってもらい、退職後の生き方まで学ばせて頂きました。この様に人生の借りをたくさん抱えたまま第2の職場も退職しました。
 退職後はなんでも頼まれたことは断らない主義を貫こうと考えていました。幸いグループのお世話やOB会の事務局、老人クラブの役員などを頼まれ、少しは人生の借りを返すことができましたが、それでもまだまだ借りが沢山あります。上田さんのような素晴らしい活動で借りを返すことはできません。その上、頭の方がぼけてきて、借りを返しているつもりが、ますます借りを増やしていると感じることもしばしばです。それでも自分のできることでこれからも少しでも借りを返さねばと思っています。


12月13日放送 「地域の力」
        コモンズ代表・ジャーナリスト 大江正章

 地域の人々が仲良く暮らせることはとても大切なことだと思います。その中でも、信頼される古老がいて、リーダー性を発揮されていると、何事もうまくいくように思います。私達の自治会内でも元農協理事長がおられ、問題が発生すれば両者の言い分をうまく取り入れてみんなの納得がいくように納められます。農業を中心とする地域なので、まさに地域に根付いたところの安心感があります。しかし、この方に代わる人がいるのかといえばノーと言わざるを得ません。それは私のように農業に関わらない人々の割合が増えてきているからです。したがって一つのことを柱にして共に作り上げていくという機運が難しくなってきているからです。それは老人クラブの加入者の減少にも現れています。もう一度地域の特性を見直して、住民の共通理解を深める努力がいるように思います。


12月6日放送 「般若心経のこころ −熟年からの『般若の智慧』−」
                       作家・僧侶 玄侑宗久

 般若心経に初めて出会ったのは小学校2年生です。それまでも聞いたことがあったかもしれませんが意識にはありません。戦時中親元を離れ、祖母と広島県へ疎開していました。そこで毎日タンスの上に置かれた仏像に般若心経を祖母と唱えたのです。お経を唱えることで、神戸にいる両親を仏様が無事に守って下さると教えられたからです。今日のお話ではありませんが、一月もしないうちに暗記して、毎夜ねる前には自分ひとり、あるいは従兄弟と一緒に唱えて、祖母や叔母にきちんと挨拶をして床につくのが習慣になりました。
 終戦後は彼岸やお盆に仏壇に向かったりお墓で唱える以外般若心経を口にすることはなくなりました。そして平成17年4月、歩き遍路を始めて、般若心経を唱えることが多くなりました。しかし、子どものときに覚えた般若心経は実に不正確で、きちんと経本を見ながら唱えなければみんなと違ってしまいます。だから今は字面を追っているので決して般若の世界にいることは出来ません。むしろ、「ここで息継ぎをすればいいかな」とか、「先達より長く息をせずに続けて唱えてやろう」「そろそろ第九合唱の演奏会が近づいたので、腹式呼吸で発声を意識して唱えてやろう」などと余分なことばかり考えながら唱えています。
 これまで87ヶ寺で174回も般若心経を唱えているのに、今日の話とはほど遠い心境です。それでも般若心経の意味が知りたくて、今年の年頭の一冊に選んだのが今日の講師の「現代語訳般若心経」でした。私にとっては面白いけれども難解な書で、3ヶ月かかって読み終えました。そして今日の講座を聴き、ぼんやりとしか理解できなかった内容がずいぶんはっきりしてきました。
 2月以降、般若心経の写経を何枚もしました。今日も午後から高家寺で写経をします。もちろん台紙の上で書くのですが、台紙は文字の位置を確かめる程度で、心の中で唱えながら書けるようになってきました。12月18日の88番札所大窪寺での結願では、経本を見ずに暗記した般若心経を無心で唱えたいと思います。そして来年1月の高野山では台紙無しで書いた般若心経の写経を納めたいと思います。


11月29日放送 「生きがいは情報発信」
            こうべシニアネット新聞代表 伊東 寛

 早速「こうべシニアネット新聞」を開いてみました。なかなかおもしろそうです。時間がないので、とりあえず一つの投稿記事を読んでみただけですが、まさに自由な時間が多い高齢者の気ままな生活から生み出された話でおもしろいと思いました。これなら会員登録をして私も情報発信してみたいと思いました。
 ところで、私自身もパソコンを使い出したのはもうずいぶん以前になります。しかし、使えたのはワープロソフトの一部だけでした。それでも文書を作ることが多かったのでとても役に立ちました。今も右手の指2本、左手は1本だけでキーを見ながら入力するので、手で書いた方が早いことはわかっていますが、悪筆なので、文書は手紙も含めてほとんどパソコンを使います。
 そんな状況でしたから、現役の最後から定年後勤めた第2の職場ではもっぱらワープロを使っていました。しかし、これでは前任者から引き継いだ仕事を全て自分で作り直さなければならないこと、そして自分の作成した文書を次の人に引き継げないこと、さらに、計算ソフトを必要とする仕事が入ってきたことなどがあり、自分専用のパソコンを入手しました。そして64歳になった頃、森首相の国民総IT事業で高齢者パソコン教室の仕事に携わったことから、当時の指導者にインターネットやメールの指導をいただきました。
 はじめはダイアルアップを利用していましたが、時間がかかるので、思い切ってブロードバンドに切り替えました。このことが私のパソコン生活を充実させてくれました。66歳で退職し、十分ある自分の時間を利用して自分のホームページつくりに取りかかりました。特に発信したいと思うことはありませんでしたが、知人に二人ホームページを開いている人がいたのでまねがしたかっただけでした。
 だからはじめは、そのころ習い始めた川柳と旅に出掛けたときの写真だ中心でした。ところが、園芸グループが発足して、その企画や報告をするページをつくり、つづいて歩き遍路を始めたので、遍路日記のページをつくり、放送大学の仕事に携わるようになって、自分の感想文のページを作りました。
 ある時、歩き遍路の写真がどうしても送信できなくなり、パソコンが壊れたと思ったのですが、いつの間にかホームページの契約容量が越えていたのです。4年間でずいぶん大きな容量になりました。
 ところで、私のホームページは単なる情報発信だけで、受け手のことはあまり考えていません。それでも初めのうちは読み手の感想が知りたくて、ホームページ上に自分のメールアドレスを掲載していました。ところがとんでもないメールや宣伝がどんどん届くようになり困ってしまいました。息子から注意を受け、メールアドレスを削除しました。そんな訳でますます独りよがりのホームページになってしまいました。そして受け手の存在を無視したホームページ発信を今も続けています。ブログをすればというアドバイスも受けていますが、まだそこまでする勇気と投稿に対する返信の時間的余裕がありません。当分今の自己満足の状況を続けるつもりです。


11月22日放送 「消化器のお話」
   元県立リハビリテーションセンター中央病院副院長 鳴瀧恭也

 先ず咀嚼については、意識しなければ直ぐに飲み込んだり、食べ物がまだ口に残っている間に次の食べ物を口に入れています。したがって食べ物を噛む回数は少ないと思います。普段からあまり胃が丈夫でないのに、これでは胃に負担をかけていることになります。もっと噛むことを意識しなければと思いました。
 次に胃ですが、昨年胃カメラの検査を受けたとき、噴門ヘルニアで食物が逆流しやすい状態だと言われました。そういえば食べ過ぎたときには胃液の交じった苦いゲップがでます。食べる量も注意が必要です。一昨年の胃カメラ検診でヘリコバクタピロリーの存在を疑われ、検査の結果正常値の10倍以上の菌が存在していました。直ぐに治療をしたおかげで昨年の検査では治癒していました。放っておけば今頃胃ガンになっていたかもしれません。今年度の住民検診も1〜2月頃に受ける予定にしていますが、胃カメラ検査をしてもらうことにしています。
 3年前まで下痢に困りましたが、大腸をすっかり空にして検査を受けてからは状態がよくなりました。その代わり便秘になることが増えました。私の場合山羊の糞のような状態になることが多いので、今日の話ではストレスなのかもしれません。実力以上の用務を引き受けていることが原因でしょうか。そのうえ朝食後ゆっくりトイレをする暇もなくあわてて家を飛び出すことが多くなったことも原因の一つかもしれません。
 食べ物については野菜が中心ですがタンパク質も確実に摂っているので心配はないようです。


11月15日放送 「ことわざの論理」
                   文学博士 外山滋比古

 私の育った家は、外山先生のお話でいうと「百人一首」型の家でした。小学生時代から近隣の人が集まってよく百人一首をしたものです。母から3首ほどの上の句のはじめと下の句のはじめを教えてもらっていて、ただひたすらその取り札をにらみつけていました。したがっていろはカルタは知っていましたが家でカルタとりをした経験はありません。小さい頃は迷信とことわざを混同していて、「朝焼けすれば雨になる」と「下駄を放り投げて裏むけば雨」と同じように考えていたようです。結婚してからも家には百人一首はあっても、カルタは子どもが雑誌の付録でもらったものくらいでした。まさに学校教育に支配された家族だったのでしょうね。
 よく講演会に行くと、ことわざを挿入しながら楽しく話される講師がおられます。しかし。私は話す機会が多くなってもことわざを挿入することはありませんでした。今回、明治までの庶民の教育の中心がことわざで行われていたということを聞き、なるほどと納得するとともに、物事の表裏を見るなど、思考の柔軟性をもっと大切にしなければと思いました。


11月8日放送 「思考の整理学」
                  文学博士 外山滋比古

 最近は特に記憶力が衰えたことを自覚し、いよいよぼけてきたことを内心恐れています。さらに普段の自分を振り返ってみると、まさに感じることを中心に日々を過ごしているように思います。テレビのニュースを見ても、新聞を読んでいても、「ああそんなことがあったのか」と思い、解説を聞いて「ああそういうことだったのか」とそのまま鵜呑みにしています。
 近隣のカラオケ仲間8人が月1回飲みながら好き勝手なおしゃべりをしますが、元市会議員は政局のことについて自分の考えをよく述べられます。長年地域のリーダーとして自治会長などを務めてこられた方は地域のあり方などについていろいろ意見を述べられます。元労働組合の幹部は政治の問題点などを実に的確に指摘されます。元証券マンは経済に関する様々な意見を述べられます。私はといえばほとんど聞き役で、時々感想を述べるだけです。
 普段から自分がいかに物事を考えていないかということを、今日の講座を聴きながら恥ずかしく思いました。夜床につく時刻が遅く、朝は目覚ましで起き、昼間は本を読みながらついうたた寝をするような生活をしていては、考えたり工夫したりする時間はありません。庭で草ひきや剪定をしたり、剪定した枝をゴミとして処理しているときもぼんやりしているように思います。いろいろ考える習慣を身につけなければと思った今日の講座でした。


11月1日放送 「自分史を書く喜び」
           NHK文化センター講師 藤田敬治

 自分史を書く人が結構います。私の日記もある意味では自分史になるのかもしれません。しかし、有名な人なら別でしょうが、他人が読むこともないだろうし、結局自己満足なのだと思っています。実際、私のホームページの「日記・トピックス」も、以前の講座で「その日にあったことをメモしたり感じたことを書くことが脳の活性化につながる」と教えられ、その程度の期待で書いてきました。
 今日の講座では自分の誕生にさかのぼって「年表スタイルの自分史」を作るとなると、さらに記憶を体系的に呼び起こす必要があり、よりいっそう脳を活性化させるだろうと思いました。しかし、本当のことを書けば人を傷つけることもあるでしょうし、書かなければ上滑りの自分史になりそうです。100歳になって自分に関わった人々が周りからいなくなれば書けるかもしれません。それほど長生きしないだろうと思うので、やはり今の日記を続けることにします。


10月25日放送 「おすすめの一冊」
 今回4人の講師陣が推薦された書籍は、現代に生きる私達が、地球上の仲間や子孫に対してどの様な生き方が大切なのかを問うものだと思いました。私達は便利さ、速さ、快適さ、楽しさ、そしていち早く豊富な情報を求めて限りなく追求してきたように思います。その象徴が新幹線や高速道路であり、車やエアコンを頂点にした家電製品であり、携帯電話やパソコンだろうと思います。そのために国土を改造し、自然とかけ離れた住居を造り出し、大量生産大量消費はゴミの山を築き、環境汚染につながりました。そしてモラルを低下させ、たった数秒で何億というお金を動かして利益を得ようとする投資家を生み出し、汗してコツコツと働く多くの人々の労働意欲を奪いました。
 常にまわりの人や子孫のことを考え、思慮深く生きることこそが、今回のおすすめの一冊に共通したものではないかと思いました。そのためには我慢すること、今までの生き方や価値観を変えること(昔の人々が大切にしてきた生き方に学ぶこと)が大切だと思います。わざわざしんどい思いをしながら目標に向かう歩き遍路がブームになっているのもスローライフのこころとどこか通じるところがありそうです。


10月18日放送 「日本人の良識」
                仏教思想家 ひろさちや
 私の頭ではうまく解決できない話でした。一つのパンを分け合って食べるのが常識であり、ワークシアリングが良識だということが先ず理解できません。どちらも自分の権利を主張せず、仲良く分け合おうとする「損をする知恵」だろうと思います。「損をする知恵」は講師も話されたように、自分がどこまで我慢できるかということだろうと思います。ボランティア活動などでも、自分の自由になる時間をどこまでボランティア活動に割くことが出来るかということが話題になります。これはその人の生活によるものと思います。ワークシアリングのように生活がかかっているとなかなか難しいでしょうね。
 「兎と亀」の話は「他人をそっとしておく知恵」からいえば、インド人が主張する「兎が眠っていたら亀は起こすべきだった」ということに対してわざわざ起こさなくても良いのではと思ったりします。ただ競争に勝つことがもっとも価値あることだという価値観は違うのではないかと常々思っているので、私もインド人の主張には賛成ですが…… 「他人に対する無関心の知恵」は自分がして欲しくないことは他人もして欲しくないと思っているだろうと考え、自分がして欲しいことは他人も求めているだろうという判断を大切にすればよいと思います。ただ、誰か(仏様も含めて)が助けるだろうと全く無視するのではなく、一声かけて、もし救いを求めているのであれば、いつでも一緒に考える用意がありますよという意思表示をすることも大切だと思いました。
 「問題を解決しない知恵」は私も実感としてもっています。身の回りにおこる不都合なことはよい方向へ解決しなければなりませんが、今すぐにというのではなく、現状を容認しながら日時をかけて変えることが出来ればよいと思うことがよくあります。

 

10月11日放送 「悩まない」
                仏教思想家 ひろさちや

 昔から「悩みはないのか」とたずねられることがよくありました。その都度私には悩みというものがないように思っていました。いま思い返してみると、まわりの人々に支えられ、自然体で生きてきたように思います。自分がこうあらねばという意識はなく、与えられたことに精一杯努力すればそれでよいと考えていたのだと思います。自分の実力を考えると、ここまで出来れば満足という心があったのかもしれません。
 ところで、老人はしょぼくれて生きる権利があるとお話しされました。若いときから誠意のない生き方をしていたら、仲間から声をかけてもらうこともなく、しょぼくれて生きていかなければならなくなると思います。常にまわりの人に誠意を尽くし、真面目な生き方をしておれば、まわりの人は放っておかないでしょう。仲間がいると情報がたくさん集まり、前向きに生きる方法が見つかり、意欲的な日々を楽しむことが出来ると思います。元気な間はしょぼくれることなく前向きに生きたいものだと思います。ただし自分の体力や財力、実力以上の高望みはせずに……


10月4日放送 「源氏物語を楽しむ」
                     作家 近藤富枝

 「源氏物語」に限らず、「枕草子」や「徒然草」など、高校時代に古文として登場したこれらの作品は、当時の試験の対象としては他に比べ難解で選択したくないという意識が強く、それ以来避けてきたように思います。したがって最近「源氏物語千年紀」ということであちこちでイベントが行われていますが、私には関係のないことと思っていました。
 もう一つ、「源氏物語」は不倫だらけの恋物語という既成概念を持っていたので、なぜみんなこの様な物語をもてはやすのか不思議にさえ思っていました。しかし、今日の近藤先生のお話の中で、恋物語は当時の人々を引きつけるためのものであって、間口の広い論評をしているのだと聞き、紫式部の教養の高さを感じました。この様な解説を聞くと、原文は無理としても訳本を覗いてみようかという気になりました。
 そのようなことを考えながら何気なくインターネットで源氏物語千年紀のイベントを調べていたら、http://www.2008genji.jp/のサイトの中に「源氏物語をめぐる人々」というページが見つかりました。とりあえずはこれを読んでみようかと思っています。


9月27日放送 「どう違う日米文化
       
  タレント・山形弁研究家 ダニエル・カール
 日本人は謙譲の美徳を重んじています。それが言葉にも表れているので、明確に表現しないのでしょう。アメリカ人のようになんでも自慢し、はっきりものを言い切ることは品格のない人と感じます。
 相手の気持ちを先ず大切にして、自分を控えめにするというのが謙譲の美徳の基本だろうと思います。そして、相手の言葉から底にある意味をしっかりつかみ取れない人を教養がないと決めつけます。落語のはっつぁんや熊さんは教養がないために誤解して失敗をするので笑いが生まれ、落語が成立している場合があります。考えてみれば、外国人が日本人や言葉・文化を理解するにはこの謙譲の美徳の心を先ず理解することなのでしょうね。理解できれば、日本文化はとても理解しやすくなると思います。
 とは言いながら、今の若者の話を聞いていると、すでに謙譲の美徳を持ち合わせない人間がずいぶん多くなったような気がします。犬猫に「してあげる」などといっている人は謙譲の美徳をはき違えているのではないかと思うのですが……


9月20日放送 「日本見聞録」
       タレント・山形弁研究家 ダニエル・カール

 外国人の日本観を聞くのは実におもしろいですね。私達が気づかない日本の良さを指摘されることが多いからです。娘が山形大学へ進学したとき、下宿先を訪れましたが、おばあさんの言葉は全く聞き取れませんでした。その後、東北へ出張する機会がありましたが、やはり列車の中で地元の人たち同士で話している言葉は聞き取れませんでした。しかし、それは方言であり理解できなくても仕方ないことと最初から思っていました。むしろ遠くへ来たのだという感慨を楽しんでいたのかもしれません。ダニエル・カールさんはそれを日本文化の奥深さだと指摘されました。視点を変えてみると確かにそうだと思います。
 相撲は日本の国技です。「大相撲でモンゴル人ばかりが横綱になり、日本人力士がふがいない。それどころか幕内力士の多くが外国人に占められている。日本文化を理解していない力士が上位にいるから品格が下がる」」と嘆く人が多くいます。それならば、アメリカの国技である野球の場合、世界選手権で日本が優勝し、北京オリンピックでは韓国が優勝しています。大リーグには日本人をはじめ韓国やドミニカなど外国の選手がたくさん進出し、イチローなどのようにアメリカ人の成し遂げた記録を次々に塗り替えている外国人選手がいます。これら野球選手すべてがアメリカ文化を理解しているかと言えば必ずしもそうとは言えないと思います。プロのスポーツなのだからルールや形式を守れば、後は実力を競うのが当たり前なのです。
 むしろ大切なのは、各地の神前で子ども達が参加して行われる奉納相撲などが、国技として重んじられることであると思います。地域の人が協力し、昔からの伝統文化として継承していくことが大切なのではないでしょうか。この様に各地に伝わる伝統文化を丁寧に見ていくことを私達はもっと大切にしなければならないと言うことをダニエルさんから指摘されたように思います。今、ツアーでもてはやされているのは日本の景色であったり、設備の整った温泉やホテルであったり、ショー化された祭などのように思います。日本の四季の豊かな自然を見て回ることや、心癒やされる温泉に浸ることは感動いっぱいです。しかい、それにとどまらず、日本各地に伝わる素朴な伝統文化が大切に受け継がれるよう、見学しながら協力できればよいのではないかと思いました。


9月13日放送 「昔話の謎を解く」
                 昔話愛好家 村山秀彦

 私達は今日話題にされた昔話はすべてよく知っています。そして共通の価値観や道徳意識を持っていたように思います。この様なお伽話は祖父母や両親から繰り返し聞いたのか、兄や姉が買ってもらった絵本を見て覚えたのか、具体的には覚えていませんか、とにかく友達もみんな知っていました。そして正義を大切に思い、間違ったことをすれば罰が当たったり、制裁を受けることが当たり前と考えていました。この様に善悪の判断の基準なども共通に理解していたように思います。欲張りなどを戒められ、優しさや善良に生きることが、将来の幸せに結びつくことを学んだように思います。
 戦後、日本の伝統的な暮らしが否定され、この様なお伽話が共通のものにならず、個性という言葉が間違って用いられるようになり、「なんでもあり」という世の中になってしまいました。
 今、共通の道徳意識がなくなり、騙してでも金儲けできればいいという人間が次々と世間を欺いています。そしてその嘘がわかると神妙な顔で謝ればそれですむなどと考えています。「三つ子の魂百まで」といわれますが、意識をしない幼児の頃から、物語の中に引き込まれながらこの様な道徳心を身につけ、貧しくとも親もその道徳心に基づいて生きている姿を見せてくれていた私達の時代を、今日の話を聞きながら改めてありがたく思いました。


9月6日放送 「懐かしさの秘密」
            ノンフィクション作家 山下柚実

 同窓会の案内がよく来ます。それは、小学校、中学校、高校、そして大学ですが、行くともっとも盛り上がるのが小学校です。3クラスだったのと、放課後も一緒に遊び歩くことが多く、共通の体験が豊富だからだと今日のお話を聞いてわかりました。中学校は12クラス、高校は13クラスもありました。しかも毎年クラス替えがあり、授業以外共通の体験がないので、せいぜい教師のことぐらいしか話題になりません。そのため現状報告などが中心になり、盛り上がるということもなく、だんだん足が遠のいてしまいました。最近、必ず出掛けるのは小学校の同窓会だけです。
 小学校時代、初恋とまで行かないけれども、男子仲間で共通に好きだと思う女の子の関心をこちらに向けようと髪を引っ張ったことがありました。罰に脱脂粉乳などが置かれた倉庫に実行犯の4人で放り込まれたことがありました。その様ななつかしい記憶の友人が欠席すると淋しくなります。
 中学時代、漢字のテストで友人4人そろって白紙で出し、新任の女性の担任を侮辱したと職員室で学年主任をはじめ多くの先生から叱られたことがあります。彼らとは学校だけでなく下校後もよく一緒に遊びました。中学校の同窓会には最近出席しませんが、その4人組は今でも時々集まって食事などをします。一緒にいるだけで中学時代のいたずらなどともに取った行動がよみがえり、懐かしさがこみ上げてきます。
 仕事上のOBの仲間が集まる機会もよくありますが、後輩の加入で人数が増えたにもかかわらず参加者が減ってきたように思います。先輩が高齢になって出席できなくなったというだけでなく、年齢差が大きく共通体験が少なくなり、盛り上がりに乏しくなってきたことにも原因があるのかもしれません。懐かしさを求める同窓会などにとても参考になるお話でした。


8月30日放送 「想い出のメロディー」
                      学生参加番組

 これまでの想い出のメロディーは、童謡、歌曲、古い流行歌、そしてクラシック音楽だったように思います。今回の想い出のメロディーは一時代若くなったように思いました。きっと戦前の縛られた時代から解放され、子どもの頃の想い出よりも青春時代の想い出が記憶に強く残るようになったからでしょうか。私はまだ歌に関しては子ども時代の方が強く印象に残っているように思います。もし、それ以降はとたずねられたら歌声喫茶の歌かもしれません。その中でもロシヤ民謡が当時はとても新鮮で心に残っています。


8月23日放送 「老いては人生桜色」
                      評論家・作家 吉武輝子

 「定年退職してからの方がカレンダーの予定に書き込まれることが多くなっている。」 これは妻が私によく言う言葉であす。私は第2の職場として高齢者大学の仕事を与えてもらいました。それまでの仕事とは全く異なった分野であり、高齢者大学で接する人々もあらゆる経歴と人生を重ねてきた方々でした。それぞれに個性豊かであり、まさに60歳を超えてわが人生を桜色にするため意欲的に活動しておられる方々でした。私にとってはこれからの人生のお手本に親しく接することが出来た訳です。その時に得た生き方が「頼まれたことは断らず努力すること」だったのです。それは「心と耳を柔らかくして、ほめ言葉に載せられよ」という吉武先生の言葉に共通するものだと思います。
 そのお手本を見ながら、先ず始めたことが第九合唱団への参加です。現役時代の職場と違って、夜の時間は自分のために使うことが出来たからです。通勤の車の中でテープにあわせて練習を重ね何とかその年の舞台に立てました。
 第2の職場を退職したのが66歳。そして一番に始めたのが川柳です。教室に通うと生徒は7人。いずれも始めたばかりの仲間で、どんな下手な句でも先生はいいところを見つけてほめてくださいます。幸いNHKラジオの「ぼやき川柳」の選者だったので、乗せられて投句をし、大賞をもらったりしました。その教室も今は34人という大きなグループになり楽しんでいます。
 二番目に始めたのが畑仕事です。借りた畑に毎日出掛け、野菜作りを楽しみました。そんなとき園芸講座があることを知り、どの様な目的で開かれているかなど考えもせず受講しました。これが阪神淡路大震災の自立支援が目的でボランティア養成であると知ったのは講座の終わる頃でした。高齢者大学でボランティアの大切さを学んでいたので早速グループづくりを呼びかけ、その「グループいきいきネット」は今も月一回の楽しい活動が続いています。肝心のボランティア活動はのじぎく国体以降はしていませんが、仲間はどんどん増えています。
 三番目に始めたのがパソコンでホームページを立ち上げることです。メールは高齢者大学時代にパソコン講座のお手伝いをしたときに教えてもらって始めていたので、退職後は自分の近況を知人に知らせるつもりで作ったのです。3ヶ月解説書とにらめっこをし、息子などにも手伝ってもらって立ち上げることが出来ました。
 四番目はお金をかけずに日常的に楽しめること、それが地元の老人クラブへの参加でした。グラウンドゴルフに始まって、例会への参加、男性カラオケグループへの参加が休止していた女性カラオケ部の機械操作へ発展し、女性の曲ですが新曲の練習につながっています。そして入会して間がないのに会計係を仰せつかり、少しずつみなさんの仲間としてお役に立てられればと思っています。
 五番目に参加したのが「ウォーキング教室」です。それが四国歩き遍路につながっています。そのためには普段から歩くことを大切にし、健康づくりに役立っています。
 そんなとき高齢者放送大学から委託講師の話があり、自分がもっとも苦手と考えていた分野でしたが、その苦手な分野を勉強するきっかけをいただいたものと考えてお受けしました。迷惑をおかけしていると思い、何とか早く身を引かなければと思いながら、引き受けたことは精一杯しているつもりです。テキストに書いた遍路記がきっかけで、二人の学生さんからそれぞれの遍路の記録を送って頂きました。
 この他に、妻に誘われ、兵庫県芸術文化協会主催の「伝統芸能教室」を受講し、年1回の歌舞伎をはじめ、今まで知らなかった珍しい古典芸能を楽しんでいます。
 この様に退職後は本当に幸せな日々であり、充実した日々でもあります。そして38年間の現役生活の仕事に関わる会合に誘われても、その魅力は色あせ、しがみついていようとは思わなくなりました。元の狭い世界に戻ることを避けているのでしょうね。


8月16日放送 「老いては子に逆らう」
                      評論家・作家 吉武輝子

 先ず我が子の自立を願うなら、自分もまた子どもから自立しなければならないということなのでしょうね。今、30歳を超えて無職という人の中に、親のすねをかじり、自立できないでいる者が少なくありません。そして、生きがいが見つけられないのは親や社会のせいだといって犯罪を犯している者までいます。
 吉武さんの提案は何よりも我が子の自立を最優先させておられるのでしょうね。そして大病を患おうとも、娘に対しては何時も元気印を振る舞っておられました。それがそのまま吉武さんのバイタリティになっていった気がします。その結果吉武さんもまた我が子から自立されたのだと思います。上野千鶴子さんの「おひとりさまの老後」に共通するところがあります。
 さて自分はどうかと考えたとき、田舎暮らしである以上、地域の家を守り、先祖を守り続けるという習慣があり、そのことを無視できないところもあります。都会のマンションで守るものがない暮らしをしている人々はお互いに完全自立できるかもしれませんが、先祖に感謝し、子孫に受け継いでいくためには、お互いに自立していても、やはり逆らってばかりはおれず、しっかりつながった関係を残しておく必要がありそうです。


8月9日放送 「大阪のオバチャンに学ぶ」
                      コラムニスト 前垣和義

 「大阪のオバチャン」に対する私のこれまでのイメージは底抜けに明るく、物怖じしないというものでした。そして、私の生き方を振り返ってみると、自分の弱点をできるかぎり表面には出さないように、日本人の美徳という簑をかぶって必要以上にコミュニケーションを避けたり、自分の思いを口を出さないようにしてきたように思います。だから、人の集まるところではもっぱら聞き役でいました。そのことが行動を消極的にしたり、興味関心の範囲を狭めたりしていたように思います。
 定年退職をして以来、様々な人々と接する機会が多くなり、生活の中でもいろいろな役割が与えられるようになってきました。中には、その場の膠着した状況を見かねて、自分から役割を買って出たもの、積極的な自分の生き方が出来るようにと、あえて自分から提案したものもあります。少しは生き方に変化が出てきましたが、大阪のオバチャンにはとうてい及びません。自分の弱点をかくしていい子ぶる様な態度を捨て、自分の無知をさらけ出しても他人を喜ばすことが出来るような充実した生き方を大阪のオバチャンに学びたいと思います。


8月2日放送 「兵庫街かど学V−『細雪』と『火垂るの墓』と災害の歴史から−」
          園田学園女子大学未来デザイン学部教授 田辺眞人

 私は神戸で生まれ、住んでいたので、昭和13年の水害も20年の戦災もまともに経験しています。とはいうものの、水害は昭和12年生まれの私には写真で当時の様子を知っているだけです。
 私の生まれた家は、三ノ宮1丁目の京町筋と電車道に面した角地にあり、向かいに警察署がありました。家の2階と警察署の2階にロープを張っていよいよ水害がひどくなると私をかごに入れて警察署に送ることになっていたという話を後日聞きました。今考えれば市電の架線があるので、これは作り話だろうと思いますが、当時はこの様に家族から自分は守られていたのだと思っていました。
 家にあった写真には、市電が屋根まで泥に埋まっていたり、そごう前で地下道に濁流が流れ込むようなすさまじい様子が映されていました。あのような記録写真は誰が撮したのか、そしてその後どこへ行ってしまったのかわかりませんが、もう一度見てみたいと思います。
 幼稚園に入学する頃、私達親子は籠池通に転居し、そこに住んでいた祖父母が三ノ宮の家に移りました。そして、戦争が激しくなりました。
 神戸の3月の空襲は山の手にある自宅の2階から浜手が爆撃される様子を見ていました。焼夷弾が飛行機から次々落とされ、花火のように光りながら落ちていく様子は今も目に焼き付いています。姉と兄はすでに岡山県へ集団疎開をしていました。小学1年生だった私と満2歳の弟は家にいましたが、弟はこの爆撃の直後、ジフテリアを発病しなくなりました。頼りにしていた薬屋が3月の爆撃で焼けてしまい、薬が手に入らなかったと父が悔やんでいました。弟の遺体をリヤカーで湊川の病院から春日野墓地まで運ぶのを歩いて付き添ったことを記憶しています。空襲の直後で、昔の外人墓地に遺体が野積みされており、弟もそこへ運び込みました。葬式はもちろん、遺骨を拾うことさえも出来なかったのではないかと思います。
 この後私は祖母に連れられておばのいる家に疎開し、三ノ宮の家は6月の空襲で焼失しました。その時家にいた母は祖父たちと元町近くの高架下へ避難し無事でした。籠池通の家には地下室があり、多くの人が避難していたそうです。そして、2階の窓際をかすめた焼夷弾で燃えかけた家を消火してくれたそうです。斜め右向かいの家と私達が住んでいた家に続いた8軒だけが焼け残り、まわりはすっかり焼け野原になってしまいました。
 こうして自宅が焼け残ったおかげで終戦後11月には自宅に戻ることが出来ました。2階の部屋の壁と柱が焦げていて、危うく消失を免れた事実を見せつけられました。終戦後建てられたまわりの家も取り壊され、今は昔のおもかげを残さない街になりましたが、私の住んでいた昭和6年築の家は阪神淡路大震災でも全壊することはなく、ほぼ元の姿のままで姉たちが住んでいます。これも街かどの歴史の1ページなのでしょうか。


7月26日放送 「糖尿は『億病』のもと」
                 日本糖尿病学会専門医 吉田泰昭

 私は今まで糖尿病という診断は受けたことがないので、関心はあまりありませんでした。しかし、過去に眼底出血など、血管に異常を来したことがあります。今日のお話の中で、「糖尿病は血管破壊病とも言える」という言葉に、人ごとではないと感じました。
 甘い物好きな私は、目の前にあるとつい手が出てしまいます。食べ過ぎだと思っても、出された料理はすべて食べる習慣があります。残ったものが嫌いでなければきれいにさらえようとします。5月24日放送の三浦先生もお話しされましたが、よく噛んで食べると言うことも、なかなか実践できません。気がつけばお箸を一口ごとに置くのですが、話をしていると、つい次々に食べ物を口に入れています。少なくとも食べることに関しては反省すべき点が沢山あります。
 運動に関して歩くことは苦になりません。いったん外出すると1万歩を超えることがありますが、一日4000歩未満の日が圧倒的に多いと思います。外出することが暑くなるほど少なくなっています。用事がなくても外出する習慣が必要なようです。
 歩くときに古いウォーキングシューズを履きますが、今日のお話の通り、靴の中は高温になり靴下が汗で濡れていることがあります。したがって足の指に間や足の裏はひどい状態になっています。まさに感染しているのです。毎年涼しくなると治るのでそのままにしていますが、やはり医師に診せて早めに治療しておくことが大切なようです。
 というように反省すべきことの沢山あった今日の講座でした。


7月19日放送 「蝶々と菜の葉−松の木はどうしてめでたいのか−」
                             農学博士 稲垣栄洋

 植物の冬越しについては動物と違ってそれほど考えたことはありませんでした。針葉樹は冬も葉を落とさないことは知識として知っていても、それだけのことでした。また広葉樹の中でも、生け垣に使っているウバメガシや、冬に花を咲かせる椿やサザンカなど、いわれてみると葉が厚く表面が光っています。これが水分の蒸発を防ぐワックス層だとは考えても見ませんでした。
 タンポポなどの雑草は、春になるといち早く花を咲かせ、種をつけます。それらは根が深いので、庭の草ひきの悩みの種でした。しかし、今日のお話でロゼットという効率的な姿勢で冬を越し、根にたくさんの養分を蓄えて、他の草に先駆けて生長しようとする植物なりの知恵を聞き、私はいかに人間中心の考えしかしていなかったかと思い知らされた気持ちです。
 もう少し植物の気持ちになって物事を考えてみるのもいいかなと思いつつ、そうすれば庭中雑草だらけで、剪定をしない木々は生い茂り、害虫だらけの荒れ果てた庭を想像してしまいます。やっぱり直物にはかわいそうだけれども、今日の知識を逆の利用して、今まで通り草を引き、木の剪定をし、蝶々には申し訳ないけれども時々消毒薬の散布もすることになるでしょう。


7月12日放送 「雑談力」
          コミュニケーションコンサルタント 奥脇洋子

 私は話し下手です。だから人が集まって雑談をするときはほとんど聞き手になっています。それは、私の歩いてきた人生が非常に狭く、浅いものだったからかだと思います。その上、感性の乏しさや不勉強が話題を乏しくしているように思います。
 月に1回、男性のカラオケグループ6〜8人が集まって、お酒を飲みながら雑談をしています。自分から話題を提供することはありませんし、めったに話すこともありません。たまたま自分の関心のあることや経験したことが話題になると口を挟むことがあります。そんなときは相手の話を横取りしてしまうことになり、盛り上がりをつぶしてしまうことになりかねません。どうも聞き上手にもなっていないようです。
 こんな私ですから、特に二人きりの人間関係はとてもぎくしゃくしてしまいます。心に余裕が持てません。これも話題に乏しく、相手の話に乗っていけないからでしょう。直ぐに話題がとぎれて無言になってしまいます。「話し下手、笑い上戸に助けられ」というお話、とても嬉しく聞きました。これからはせめて笑顔で相手の話を聞き、共感の相づちを打ちながら少しでも話が盛り上がるように努めたいと思います。


7月5日放送 「父 相田みつを」
               相田みつを美術館館長 相田一人

 私が初めて相田みつをの本を買ったのは平成2年7月頃だと思います。「一生感動 一生青春」という本ですが、買った動機はいささか皆さんとは違っています。
 私は平成元年4月から2年間姫路まで山陽電車で通勤していました。往復80分の電車通勤は初めてのことで、本が読めることがこの上なく楽しみでした。当時、山本周五郎の作品が好きで、文庫本を次々買って読んでいました。ところが毎日小さな文字を揺れる電車の中で読み続けたことがいけなかったのか、眼底出血をおこし、その上老眼も始まって小さな文字を読むことがとても苦痛になりました。そんなとき、たまたま本屋で目にとまったのが大きな文字で書かれた相田みつをの「一生感動 一生青春」でした。何度読んでも感動的で、私にしては珍しく二度三度と繰り返し読みました。すっかり相田みつをフアンになったわたしは、翌年「雨の日には雨の中を 風の日には風の中を」を買って読みました。その翌年には「おかげさん」を買って読みました。その後の私の生き方に大きな影響を受けていることは間違いありません。こうして放送大学の講座で学ぼうとしていることも、いろいろなグループで積極的に活動しようとしていることも、最初に読んだ「一生感動……」が少なからず影響していると思います。
 今日のお話を聞いていて、相田みつをの人柄を改めて知りました。そして書家として基礎を十分学ばれており、詩についてもかなり推敲されていることを知りました。講座を聴いた後改めて本を取り出してみました。書かれている書が生まれた詩とあわせて載っています。もう一度読み直してみたくなりました。まさに一生勉強、一生青春は同じことでも繰り返し学ぶ時、自分の年齢や置かれた立場で違った感動が生まれることを教えてもらったように思います。


6月28日放送 「血管と長寿 −若返り血管のつくり方−」
                    東京医科大学教授 高沢謙二

 心筋梗塞こそ私の命取りになることでしょう。というのは、20年ほど前に突然眼底出血を起こしました。しかし、その前の眼底検査で「血栓性高血圧」というような診断があったことを見落としていたのです。だから眼底の血管が破れて出血を起こしたのはでるべくしてでた症状だったのかもしれません。今日のお話を聞いていて血管年齢が高くなっていたのではないかと思いました。
 今、血圧は低め、総コレステロールも不足気味、血糖値正常、喫煙経験無し(ただし、子どもの頃からタバコの煙の中で生活することが多く、煙は多く吸っていました)など、検査結果はそれほど問題ありませんが、腹八分目に留めること(戦中戦後のひもじい生活体験の後遺症でなんでも残さずに食べてしまう)と風呂の温度(熱い風呂が大好き)にはいささか問題があります。
 運動は歩くことが好きで、歩き遍路に出掛けるくらいですが、普段食事時以外水分補給をほとんどしないのも問題かもしれません。これからは今日の助言を肝に銘じて日常生活を送りたいと思います。


6月21日放送 「変わる方言 動く標準語」
                      明海大学教授 井上史雄

 標準語というのはすべて東京山の手のことばと思いこんでいました。しかし、その半数が関西に起源をもつことばであったこと、そして、「つゆ(梅雨)」という表現は関西地方のことばであるなど、お話を聞いていて驚いたり、嬉しくなったり(これは関東に対する関西人の対抗意識過剰なところですね)しました。
 また、交通機関が発達していない時代のことばの広がりが、娘の嫁入りによってそのこどもに伝えられ、少しずつ広がっていくという考えもなるほどと感心しました。
 もう一つ、今の標準語は教科書とともにテレビやラジオで広がっていると思っていましたが、教科書とマスコミとでは伝わっていることばが違うということにも気づかされました。
 私と息子とでは、同じ関西人であってもことばの使い方は微妙に違っています。生きている時代によってどんどんことばが違っていくことを実感する一番身近な例ですね。


6月14日放送 「その敬語では恥をかく」
                      明海大学教授 井上史雄

 公共の電波であるテレビのコマーシャルで「犬にしてあげましょう」などといっているのを聞くと、いまだに耳障りに感じています。昭和50年代の中頃のことですが、新しい養護学校が創立され、私はその学校に赴任しました。子ども達は知的に障害があるため、家庭で学校のことを正確に報告できません。そこで学年通信を発行するのですが、いろいろな町から集まった先生方は、その表現方法が違っていました。私は「家庭でもこどもにこの様にしてやりましょう」と書いていました。高砂市から来た先生が「ご家庭でもこどもさんにこの様にしてあげてください」と書いているのを見て、なぜこれほど丁寧に書くのかたずねてみました。「よそのこどものことだし、こどももひとりの人間として尊重しなければならないから」という答えに当時は納得できませんでした。その後、こどもだけでなく犬にまで「あげる」という表現が当たり前になってしまい、これでいいのかなと常々思っていました。
 今日のお話で、丁寧にいおうとする相手の心配りの方を重視して、広い心で受け止めることが大切だと学び、相手を否定的にとらえることはよそうと思いました。


6月7日 「おひとりさまの老後」
          東京大学文学部教授・社会学者 上野千鶴子

 私が所属している老人クラブのメンバーを見ていると、多くの人が老夫婦あるいはひとり住まいです。正確に統計を取った訳ではないけれど、7割を超えているのではないかと思います。その中で、70〜80歳のひとり住まいのまだまだお元気な方は、いろいろなところへ出掛け、いろいろなグループに参加して、自分の人生を思い切り楽しんで居られるように思います。そして、地域貢献もしておられます。
 この様に見ていると、「金持ち」ではなく「人持ち」になるためには、やはり日頃から地域の仲間と積極的に接するよう心がけておく必要があると思います。大都会では自分のプライバシーを守り、活動を制限されることがないようにと老人クラブなど地域の組織づくりが敬遠されるようです。私はプライバシーの尊重よりも、地域の人々が互いに理解し合い、支え合えるような地域にすることが大切だと思います。阪神淡路大震災の折にも、淡路では壊れた家の間取りがどのようになっていて、ひとり暮らしの高齢者がどの部屋で寝ているかわかっていた近所の人の情報で救出が早かったと聞きました。それほどまでに近隣の人が支え合える人間関係ができていたことをとてもうらやましく思います。
 もう一つ、評判が悪いとメディアや民主党が決めつけている後期高齢者医療制度について、その理念が高齢者の真の幸せを願った脱家族化にあるということを初めて知りました。この様な点をメディアがもっと注目し、高齢者の幸せにつながる制度づくりをどうするかもっと世論に訴えかける必要があると思いました。そして、私達は表面だけの意見にとらわれず、ほんとうに目指しているところをもっと見なければならないと反省しました。


5月31日放送 「学習の始まりにあたって」
                           放送大学教授陣

 私にとって本年度の高齢者放送大学がいよいよ本格的に始まるのだと自覚する番組です。6月は本科生の入学式にあたる中央スクーリングとミニ講話、番組編成会議、本科生の往復課題番組感想文閲読と返信作成、その上に加えて、テキスト8月号の随筆歳時記の原稿を清書して提出するということが加わります。私にとってもっとも緊張が続く1ヶ月間です。
 感想文を読ませて頂いて何時も思うことが、学生の皆さんが真剣に聞き、意欲的に学んでおられるということです。私にとっても本当に勉強になる仕事です。返信は講師からの指導や助言といわれましたが、私は学生の皆さんお一人お一人と学習したことを共有できる喜びを綴っていけたらと思っています。


5月24日放送 「食べて直す生活習慣病」
              エッセイスト 内科・小児科 三浦直樹

 先ず先生ご自身の経験として話され、その上で科学的な説明と実践方法を具体的に話されたので、非常によくわかり、是非実践したいと思いました。
 よく地産地消といわれますが、農協の売店で生産者の名前が書かれた野菜を買う機会をもっと大切にしたいと思いました。近所に小さなパン屋があり、焼きたてのおいしいパンを売っているので、昼食はほとんどパン食です。指摘されたように必ず糖類や油分が多くなっています。同じ粉飾でもうどんなどにすると塩分が多くなるかもしれませんが、油や糖分は減るでしょうね。
 私は食べるのが遅いと思うことがよくあります。だからみんなと同じように食べ終わるためにあまり噛まずに飲み込んでいます。開き直ってよく噛んで食べる習慣を大切にしたいと思いました。唾液の殺菌力や咀嚼の身体的効果がこれほどとは思いませんでした。
 第九合唱もそろそろやめようかと思いましたが腹式呼吸法が特に大切にされる場面なので、もうしばらく続けたいと思います。そして今夢中になっている歩き遍路は歩いてお経を唱えてと理想的ですが、これはお金がかかるのと歩きすぎるので、日常のウオーキングに置き換え、カラオケの時間をもっと大切にしたいと思います。


5月17日放送 「ネットで自己表現」
                        エッセイスト 森 綾

 森先生のお話は、私が普段インターネットに関して抱いている思いをすべて伝えて下さったように思います。私のこのホームページも読んでくださっている方はほんのわずかだと思います。しかし、そのようなことは関係なくホームページで公開していると、日々の生活について自己表現し続けようという持続性を高めることができます。
 この放送大学の感想文も、一度くらい抜けてもいいやということにはなりません。以前はMDに録音して聞き逃さないようにしていました。それでも録音に失敗して放送大学事務局のお世話になったこともありました。しかし、今は有り難いことにインターネットで聞くことができるようになり、聞き逃す心配がなくなりました。私の書き込みが翌週になったときは土曜日に聞くことができなかったという証拠です。 決して素晴らしい文章を書こうなどとは思っていません。思ったことを飾らずありのまま書き続けることで、学ぶ姿勢を持続させ、少しでもボケの進行を遅らせることができればと思っています。
 自分の活動や日常生活の様子を書き続けることは、まわりを見つめたり、記憶に留めておこうとする生活習慣ができるので、とても意義あることだと思っています。森先生がお話しされたように、さらに高齢になっても長く書き続けたいと思います。


5月10日放送 「アンコールアワーA−若さの秘訣−」
                            女優 森光子

 森光子さんは大女優であるにもかかわらず、とても謙虚で誠実にお話しされることに感心しました。以前、永六輔さんのインタビューが放送されましたが、その時はいかにもインタビューしてやっているという態度があらわで、質問に対してけんもほろろという対応に不愉快ささえ覚えました。
 その点、1800回近くを数える舞台の話でも、「お客様に見に来ていただけるお陰で続けられる」「折角買ったチケットが無駄にならないよう、体を鍛え、健康に気をつけている」と、何時も観衆を中心に据えて話しておられました。
 最後の言葉も「少しでも長く健康でいられるよう一緒に頑張りましょう」と自分を放大の学生と同じ位置において話されました。本当に素晴らしい女優であり、人格の持ち主だと思いました。


5月3日放送 「アンコールアワー@−しあわせの雑学−」
              毎日新聞社 専門編集員 近藤勝重

 しあわせとは無事=事がないということであると話された言葉にハッとしました。そして朝起きたときにすることがあるという話を聞き進めるき、となんと自分はしあわせなのだろうと思いました。
 もう一つ、人間である私達は、人間関係においてしあわせを感じていることもまたしかりだと思いました。「笑顔のあいさつを受けただけで、相手によって自分が認められているという喜びを感じる」という話。そして「笑顔が薬の何十倍の効果をもたらす」という話。自分がしあわせになりたければ、先ず相手の心を1oでも動かせるような温かな人柄を磨くことだと思いました。
 日々何事もないことを不満に思ったり、何かをさせられていると不満に感じることがあります。しかし、見方を切り替え、面白がってそのことを遂行し、その中で自然を感じながら事がないしあわせに対して感謝の心を持ち続ければ、これからの人生ますます楽しくなることでしょう。


4月26日放送 「笑う介護の福来たる」
                         講談師 田辺鶴英

 私の身の回りには介護が必要になった人が何人かいます。しかし、学生であったり、現職であったことから、直接介護をしていません。せいぜい病院へ行ってしばらく見守っていたくらいです。そんなときは、困れば看護婦さんを呼ぶだけで、自分では介護をしていません。
 今二人で生活をしていると、それほど遠くない将来、私が介護をされる立場になるか、介護をする立場になることでしょう。だから、倒れたらできるだけ在宅で介護してやるよと何時もいっています。しかし、介護される確率は私の方が高いと思っています。それも突然やってきそうです。
 今日の話を聞いていて、介護されるようになったときには、そのことを受け入れ、感謝の気持ちをストレートに伝えればいいということがわかり、少し安心しました。ただし、そのことを覚えていることができればの話ですが……


4月19日放送 「コウノトリと人間」
           豊岡市立コウノトリ文化館長 松島興治郎

 私達は戦後の急速な開発や科学技術の発展を素晴らしく思い、誇りにしてきました。しかし、そのことが実は昔から大切にしてきたことに対して取り返しのつかないことをしていたということに気づかされるお話でした。
 松島さんはコウノトリだけでなく、自然の恵みや感謝の心をもないがしろにしていたと指摘されたように思います。自然界の命に関わってきたことからそのことを反省できるというお話は、これからの私達の生き方に大きく影響を与えることだと思います。
 私達はいろいろなペットを飼ったり、飼育しています。いのちを大切にする心を育む上でとても有効なことだといわれています。しかし、犬に服を着せるなど自分の気に入るように操作したり、馴らしていくことが本当にその生き物にとって大切にされていることなのか考えてみる必要があります。
 豊岡の農業に携わる方々はコウノトリが再び大空で舞う姿を取り戻すために農業のあり方を考え直され、実践されています。私達ももう一度自然の恵みや感謝の気持ちをもって、自分の生活のあり方を考え直していかねばと思います。


4月12日放送 「文章のみがき方」
                   ジャーナリスト 辰濃和男

 私は自分で文章が下手だといつも思っています。そして、その下手さに自分でもつくづくいやになってしまいます。一つのことを表現するとき、だらだらと文章が切れ目なく続きます。一つの文章に接続詞がいくつも表れています。それも同じ接続詞が続けて現れます。ホームページを立ち上げて4年近くなりますが、いっこうに改まりません。パソコンを使って作文していると、「『の』の連続です」などと注意書が画面に現れます。さぞパソコンもあきれていることでしょう。
 考えてみると、文章を作っているときに、次々と関連したことが浮かんでくるからだと思います。それを今日のように一つ一つ区切って書けばいいのでしょうね。ちなみに前回4月5日放送の感想文をを読み返してみると、3〜4行の文章中に『。』はそれぞれ2つだけです。今日はその『。』を意識して文章を作ってみました。少しは読みやすく、わかりやすくなったでしょうか。


4月5日放送 「開講にあたって」
@知事あいさつ 井戸兵庫県知事
 核家族の進行がもたらす弊害や、中国の餃子中毒事件など、家族同士や生産者と消費者が互いに顔が見えないことからくる信頼関係の崩壊が、今の不安定な社会にしていると言われました。安全・安心な社会づくりのための行財政改革と言われていましたが、家族と地域の再構築をすることによって身近なところからお互いの信頼関係を築き、安心安全な地域社会を気づくということが本当に大切だと思います。地域に積極的に出掛けること、そして誠意をもって地域に貢献することを大切にしていきたいと思いました。
A学園長あいさつ 青砥いなみ野学園長
 毎回ノートを取り、是非実践に移そうとするのですが、何日か経つと聞いたことを忘れてしまっています。何とも情けない話ですが、基本姿勢をぶれないようにしておけば、間違った方向には行かないと思います。それにしても「教科書は世界地図。講義は観光案内書」という言葉は本当にそのとおりだと思います。本を読むより話を聞く方がその講師の人となりや考えが良く理解できると思います。
B学長あいさつ 竹田放送大学長
 私は文章がうまく書けません。ヘタな文章をこの様に公開することは恥ずかしいのですが、少しでもうまくなるだろうかと思って続けていますがいっこうに上達しません。今回の学長のお話の中で、次回はジャーナリスト・辰濃和男氏の「文章のみがき方」が放送されると紹介されました。大いに期待しています。今度こそ聞いたことを忘れないように実践したいと思います。