平成19年度高齢者放送大学感想文


3月29日放送 「一年の学習を終えるにあたって」
                       学生参加番組

@本科生 南あわじ市 奈木伯雄
 孤独を救ったのが放送大学における人々との出会いだとお話しされましたが、高齢になるほど身近に仲間がいることが大切だと思いました。そのためには、助けてもらうのを待つのではなく、奈木さんが垂水だよりのことを聞いて読みたいと言われたことから友情が生まれたと話されたように、自分自身が一歩踏み出さなければならないのでしょうね。
A努力賞受賞 豊岡市 小山六良兵衛
 一年間の受講、自給自足、健康に過ごせたこと、そして放大が取り持つ交流の四つの幸せに感謝し、さらに多くの人がこの幸せを味わうために放大を受講して欲しいと願っておられました。自分の幸せを多くの人と分かち合いたいとされるお気持ちが、但馬支部の皆さんが支持されるところなのでしょうね。
B10年在籍 姫路市 山田勝仁
 録音やメモをもとに原稿用紙で文案を作るという姿勢で100回以上の感想文を書いてきたと話されました。この様な推敲を重ねた文章作りができることは本当に素晴らしいことだと思います。うらやましい限りです。
C15年在籍 尼崎市 石垣美佐子
 放送大学の講座は宝の山だとお話しされました。学ぼうという気持ちを持ち続けるだけでなく、それを日々の生活に生かそうとしておられる姿勢はとても大切だと思いました。
D20年在籍 神戸市東灘区 小林きよ
 友の会に積極的に参加されていることが20年在籍の原動力だと思います。そして、「学び取ろうとする心があれば隣の人も講師」という謙虚な姿勢を、私達も大切にしなければと思いました。
E25年在籍 加古川市 大朝貞子
 学習目的を心の中に持っておれば苦しみも苦しいとは感じないというお話はとても貴重な言葉だと思います。自分とは考え方が違う人の話を聞いて、相手の身になって考えてみる習慣が身に付いたとお話しされましたが、この様な高齢者になりたいものです。


3月22日放送 「放大で私が学んだこと」
       放大生135名の投稿の中から紹介

 生涯聴講生の芦屋市・和田傳之助さんの「学ぶことのプロセス」をお聞きして、その丁寧な学習に驚き、私の表面的な感想が恥ずかしくなりました。それでも、私の感想文を読んで、自分の方がましだと安心していただける方がおられるならそれもまた良いかななどとレベルの低いところで妥協する心が芽生えています。
 もう一つ、本科生の多くの方々が講師陣の返信を心待ちにされていたり、自分の気持ちを受け入れてもらえることの喜びを書いておられました。この様なお話を聞くと、私はこのまま講師を引き受けていてもいいのだろうかと心配になります。きっと私のワープロの返信にがっかりされ、期待を裏切っているだろうと思うと本科生の皆さんに申し訳なく思いました。
 19年度で講師を辞退しようと思っていながら、ついつい20年度も引き受けたことをちょっと後悔しています。しかし、引き受けたからには原点に戻って精魂を傾けるよう努力していき、私自身もまた学び続けたいと思います。


3月15日放送 「現場の東海林です!−ひとりでも生きていけるという勇気−」
              リポーター 東海林のり子
 元気印のベテランリポーターの話というだけあって、昭和一桁生まれとは思えない若々しさと雰囲気があり、森光子や黒柳徹子など、超大物女優との交流を話題にするなど、さわやかで楽しいお話でした。
 話の中で述べられた「イエス」が生きがいにつながるという言葉は、退職後の私の生きかたにおいてもっとも大切にしたことと全く同じだと思いました。もちろん、現職時代は上司に対してすべて了解する「イエスマン」は素晴らしいことではないと思います。たとえ上司であっても、不正など間違っていることに対しては「ノー」というべきだと思います。しかし、退職後は上司というものはありません。だから不正などに荷担することには当然「ノー」の返事をしますが、いろいろなところで頼まれごとをすれば、自信がなくても、それなりに自分で勉強をし、引き受けるようにしています。放送大学の講師依頼があったときも、放送大学の立派な諸先生方を見ていると、私など足元にも及ばないと思いました。それでもいなみ野学園で6年間学んだことを基礎に、さらに学生の皆さんと一緒に積極的に学ぼうと考えて引き受けました。おかげで本を良く読むようになり、学ぶことの楽しさをいっそう味わえるようになりました。
 地域でも老人クラブの役員を引き受けたおかげで地域のことが良く理解できるようになってきました。そして地域の人々とのつながりがとても深まったと思います。役に当たるから老人クラブに入らないという人がいますが、生きがいづくりにとってもったいないなと思います。


3月8日放送 「くさいはうまい」
           東京農業大学教授 小泉武夫

 子どもの頃、学校で寄生虫駆除のため一斉に「まくり」を飲まされたことがあります。みんな鼻をつまんで一気に飲んでいました。子どもの頃から苦手な味のものは鼻をつまむと食べられるということを知っていたのですね。
 今日の話はその逆で、おいしいものも匂いをかぐことができなければ味がわからないということでした。これから当分の間、花粉症の私はご馳走が味わえなくなるのですね。
 ところで匂いの苦手なものは小さい頃から手をつけようとしませんでした。納豆はその最たるもので、親が食べていても食べなかったし、結婚してからも私ひとり食べませんでした。40歳の半ば頃、夜行で千葉へ出張したとき、早朝に東京へ着き、同僚と成田山を参拝しました。その時朝食に付いていた納豆を思い切って食べたところ、ゲップがでるたびに納豆の匂いが口に広がり、一日中悩まされました。しかし、関西で売っている納豆はそれほど匂いはなく、10年ほど前から体によいからと無理矢理食べさせられていましたが、最近では私が買ってくるほどになりました。
 魚介類の生臭さも苦手な食物で、これまで敬遠していましたが、利尻で新鮮なウニを食べて以来、新鮮なものには生臭さがないことが解り、食べられるようになってきました。しかし、今日の話に出てきたような発酵させて加工されたくさい食べ物にはまだまだ食指がわきません。キムチなど、ニンニクを利用したものはなおさらです。
きっと匂いを想像することで食べず嫌いのものが沢山あるのでしょうね。

3月1日放送 「食の世界遺産」
           東京農業大学教授 小泉武夫

 世界の珍しい食べ物については、テレビの番組などでよく紹介されています。また由緒あるホテルや旅館では、伝統的に受け継がれてきた料理が紹介されたりしています。しかし、それらは珍しかったり、品格を重んじているという紹介であって、それ以上のものではありませんでした。
 ところが今回の小泉先生のお話は、そのような独特の食品や料理を食の文化遺産として後世に残しておこうというものでした。確かに、冷凍食品やインスタント食品の普及で、食材をどのように調理していくか、どのように盛りつけていくかなどあまり関心がなくなってきているように思います。さらに世代が別に暮らすことによって、戦前までのように代々伝えていくということもなくなってきました。最近おせち料理を作る家庭が減ったというのもその現れだと思います。
 今日もテレビで、モスクワの日本料理店がヘルシー料理ということでもてはやされているといっていました。しかし従業員がスカウトされて新しい店へ行くと、食材が手に入らず、海苔巻きがキュウリ巻きになったりしています。この様な食べ方が広がってしまうと本来の寿司が理解されなくなってしまいます。その意味でも本来の食べ物や料理をきちんと残しておき、後世に伝える文化として、食の世界遺産という発想はとても良いことだと思いました。


2月23日放送 「幸せのメイク」
      フェイシャルセラピスト かづきれいこ

 「たかが化粧 されど化粧」 男の私にとって、お化粧が女性を元気にしているということがよく理解でるお話しでした。化粧をしている間はその女性が前向きに生きていると考えても良さそうなのですね。
 そのような薄っぺらな解釈の中で、心に響いた話があります。それは、若くして癌でなくなった娘さんのことから、老けた顔になるのをいやになるのではなく、老けた顔のなるまで元気に生きてこられたことを感謝し、化粧とともに心を美しくすることだという話です。どのようにきれいにメイクしても笑顔のない顔には本当の美しさを感じられないからです。メイクが単に外観ではなく、その人の人生のねんりんを感じさせる顔や表情に結びつけば素晴らしいだろうと思いました。


2月16日放送 「日本語の力」
           奈良県立万葉文化館館長 中西 進

 日本語を考えるとき、ともすれば漢字から読み取れる意味として考えます。少なくとも私はそのように考えていました。しかし考えてみると、漢字の訓読みが日本本来のことばだったのですね。そのことに気づかされたお話しでした。ただ、本来の日本のことばをうまく表現できるのが表意文字である漢字であり、かな表記やローマ字表記が叫ばれた時代があったけれども、漢字かな表記が日本のことばに最適だったのですね。
 また歴史的に見ても漢詩で表現する時期がありましたが、本来の日本語を詠いあげるためにはやはり俳句、和歌の方が日本人にはぴったりするのですね。さらに七五調の快さも手伝い、古い歌謡曲が私達の心にぴったり来るのもこのあたりから来るのかもしれませんね。カラオケで今様の曲を練習していますが、字余りが多くて歌いにくく、覚えにくい曲が多いと思います。乱れた省略語やイニシアルのような言葉遣いを反省すべき時期のようですね。


2月9日放送 「いのちと勇気のことば」
          聖路加国際病院名誉院長 日野原重明

 人間は「考える・感じる・行動する」ことで他の動物と異なるとお話しされました。しかし、最近「直ぐに切れる」人のことがよく話題に上ります。感じたら考えることなく直ぐに行動に出てしまう他の動物と同じ行動を取っているのでしょう。私達は、どのような選択肢を選べばよいかよく考えて決断することが大切なのですね。その時に勇気が必要になるのかもしれません。
 今読んでいる「現代語訳般若心経」の中で、玄侑宗久氏は「私ということばを自覚したときから、人間は罪深くなる」と書いておられます。判断の基準として私を中心にすえるからです。「私にとってそれがよければ」「私が正しいと考えるのだから」ということなのでしょう。しかし、大切なことは全体なのです。環境問題ももっと地球全体のことを考えれば、私にとってよいことでも環境を破壊していることがたくさんあるはずです。勇気や決断が自己中心的や短絡的であってはならないと思いながらお聞きしました。


2月2日放送 「出会いの中で−シャル・ウィ・ダンス」
                       女優 松島トモ子

 それまで障害者に関わったことがなかった松島さんが、たった1通の手紙で出掛けられたという勇気はすごいことだと思います。しかも、誰に紹介された訳でもなく、また頼まれた訳でもないのに、ひとりの青年の願いを受け止めようとされる人柄は特別扱いになれている普通の女優とは違うと思います。
 しかし、想像を超える大変さに正直に悲鳴を上げられたことがかえってよい方向を導き出したのでしょうね。自分が苦労して付き合ってやっているのだとか、自分の助けで障害者を喜ばせているのだなどと一段上の立場から続けておれば、きっと自己満足に終わってしまったことと思います。優勝をパートナーと一緒に喜び、その後も長く続けておられ、高齢者の車椅子ダンスにも取り組もうとされているのは、きっと松島さんご自身も心から楽しんで居られるからでしょう。
 長沢君がラーメンのどんぶり鉢が持てるようになったことを紹介されていましたが、障害者のわずかな成長であっても一緒に喜べる心を私達も見習って大切に持ちたいと思いました。


1月26日放送 「山を楽しむA−海外編」
                    登山家 田部井淳子

 海外の雪山の風景にあこがれをもっています。ヨーロッパのアルプス、カナダのロッキー山脈、ニュージーランドの山々、そしてヒマラヤなどがテレビ画面に映ると引きつけられてしまいます。私の家は海に近く潮風の影響でテレビアンテナが直ぐにだめになるので、ケーブルテレビと契約しています。チャンネルの一つに「旅チャンネル」というのがあって、登山電車で簡単に行けるスイスアルプスのトレッキングがよく放映されます。一度行ってみたいという思いが強くなります。
 田部井先生のお話の「気力、体力、財力、協力」のどれを取っても自信がありません。だから実現は不可能でしょう。北陸や信州、東北の雪山の景色で我慢しておこうと思います。いいえ、我慢するのではなく、十分満足できます。
 5〜6年前、ゴールデンウィークに毎年北陸道経由で赤倉温泉などへ出掛けた時期がありました。富山を過ぎるあたりから立山の雪景色を感動しながら運転したものです。そして戸隠山や妙高高原で水芭蕉の花の群生を堪能したものです。せめて国内のトレッキングをもう一度楽しみたいと思います。

 私の海外経験はただ1度、カナダ〜アメリカ〜フランス〜スイス〜東西ドイツ〜イギリスを1ヶ月かけて回りました。ただし海外の教育事情視察ということで、街中の学校や教育施設訪問とルーブル美術館など文化施設研修がほとんどだったのですが、スイスでは登山電車で山に登り、スイスアルプスを遠くから眺めるという日程がありました。11月に入っていたため、すでに雪が降っていて、一瞬雲の切れ間にアルプスだといわれる山々の一部が見えましたが、印象に残る景色ではありませんでした。また、カナダでもバンクーバー郊外の自然公園へ行きましたが、みぞれが降っていて遠くの景色は見られませんでした。一度行ったからといって必ず見える幸運に恵まれることはないので、やはり国内のように晴れるまで待てる条件がある方が良いですね。

1月19日放送 「山を楽しむ@−国内編」
                    登山家 田部井淳子

 田部井さんのお話を聞いていて、歩き遍路と共通する部分が沢山あると思いました。靴は少し高価なものをはり込みました。1日20q前後歩き、峠道や山道を歩きます。汗をかくので、スタートは涼しいぐらいの服装にし、必ず上にはおるものを持参します。汗をかいてもべたつかない化繊の下着を身につけます。ひどく汗をかく5〜10月は、たとえ日帰りでも着替えを一式持参します。水分も欠かせません。500mlのペットボトルを1〜2本持参します。ただ、山と違って街中を歩くときには自動販売機があるので、荷物は少なくしておきます。休憩の度に水分補給と甘いものを口にします。平地を歩くときは1時間以上歩いて10分ほど休憩します。お遍路だけでなく、グラウンドゴルフをするときなどにはスタートの前にストレッチをしますが、普段からストレッチをしておくということはしていませんでした。やり方を教わったので、これからは毎日続けたいと思います。


1月12日放送 「学生参加番組 私の生きがい」A
1 「されど五・七・五」 明石市 橋本節子
 橋本さんとは毎月一回、大西泰世川柳教室でお会いします。ざっくばらんにお話しいただけるなかなかのお人柄です。そして詠まれる川柳も私のような表面の薄っぺらな句ではありません。素人が多く集まる教室ではその奥深さが理解できないことが多くあります。「苦しいときほど心を吐く良い句が出来る」ようになってみたいと思います。
2 「私の生きがい探しの旅」 西宮市 山崎英男
 お父様の生涯現役を見て自分も価値をそこに置いて生きてこられたようですね。私など、多少不安に感じる部分もありましたが、やはり定年になるのを楽しみにしていました。そしていなみ野学園で自分らしく生きがいをもって生きる術を学べた幸せを感謝しています。
3 「趣味に生きる」 豊岡市 上田晴彦
 入選されるほどに腕を上げられた絵画、元もと素養があったのでしょうね。私達は自分で気づかない才能を持っているものです。何時どのようなきっかけでそれを発見するのか、どのような人が導き出してくれるのか、どのようなことにも最初の一歩を踏み出す勇気を常に持っていなければなりませんね。
4 「生かされて」 三田市 塚本洋子
 昭和50年代に高砂の市民会館で塚本さんの講演を聞かせていただきました。今日のお話しにあったたけしさんが生まれたときの気持ち、そして育てる苦労、そしてたけしさんの家族に対する優しさが自分をどれだけ救ってくれているかを話されました。涙と笑いで感動しながら聴かせていただいたのを覚えています。その時のたけしさんはまだ18歳だと言われたように覚えています。そして「愛の灯を消さないで」という本を出版されていました。この本の序に書かれている文章を是非広く読んでもらいたいと思い、高校生の副読本に掲載してもらえるよう推薦したほどです。
 40歳になられた毅さんのお話をお聞きし、ますます優しさをもって成長され、相変わらず家族の要でおられることをうれしく聴かせていただきました。
5 「私の生きがいは死の準備」 淡路市 土井 環
 確かに高齢になれば何時命を閉じるかわかりません。自分が死んだあと価値ある遺産が残っておればまわりは喜ぶでしょう。しかし、がらくたをたくさん残したときには迷惑をかけてしまいます。その一つに写真があります。先日も私が所属しているグループのひとりが写真の撮影に加わらないと言われました。過去の写真を整理し、廃棄しているからだそうです。これなども死の準備なのですね。そうすることによって、何時死んでも安心なようにしておいて、人のために精一杯生きる生き方もまたすばらしいと思います。
6 「新しい行動で得る新たな出会い」 宝塚市 澤 貞次
 何十年も日記をつけておられることに先ず驚きを感じました。そして、年齢に応じてスケジュールに変化があり、生き方が変わっていくという心まで読み取れる内容が書き残されているのもすごいことだと思いました。それらを題材に小説がかければおもしろいでしょうね。


1月5日放送 「知事新年挨拶」
          兵庫県知事 井戸敏三

 これまで知事の挨拶は安全安心のまちづくりと財政再建が話の中心でした。しかし今回は丹波の恐竜や但馬のコウノトリという地域の特性を生かした地域の元気なまちづくり、地域の人々が一つの目標を持って協力する体制づくりという前向きで具体的なお話しでした。行政と高齢者が同じ方向で協力体制を作り上げていくことが大切だと思います。ただ、これまでは行政が立案し高齢者や地域の各種団体に協力を呼びかける形が多かったように思いますが、これからは、むしろ住民が提案し、それを行政がバックアップしていく方向で進めていくことが大切だろうと思います。
「学生参加番組 私の生きがい」@
1 「私の心は育ち盛り」 神戸市須磨区 柴田美恵子

 柴田様のように自分の特技をもっていて、そのことを生かしていきいきと生きている人を何時もうらやましく思います。しかし、折角もっていても、そのことを生かすことなく淋しく生きておられる人も多いのではないでしょうか。やはり、何歳になっても身近な人々と関わりを持って日々前向きに生きることが大切だと思いました。
2 「放大に学ぶ生きがい」 尼崎市 小森文夫
 いま高齢者といわれている人々は、サラリーマン時代には会社に貢献しようとそのことだけを考え、自分の楽しみをあまりもっていませんでした。したがって、退職したら旅行に出掛け、自分の好きな本を読み、映画を見ようなどとこれまで我慢していたことが思い切り出来ることを楽しみにしていました。しかし、いざサンデー毎日になると張り合いを失い、むなしく日々を過ごすことになってしまいます。小森様は10年の歳月を経て仲間と語り、学習する喜びを見つけられたようです。今、老人クラブに60代の加入が少ないという地域が多いようです。私のところも例に漏れません。しかし、太子町のように60代でたくさん加入している老人クラブは、それなりに積極的な活動をし、その人達の生きがいづくりに十分応えておられます。その意味でも地域の自治会とタイアップしながら高齢者の活動内容を考え、地域にアピールすることが大切だと思います。
3 「私の生きがい」 姫路市 橋本すみ子
 「女性は家庭で子育てと家事に専念する」という長く続いた日本の女性の生き方をしてこられた方々がたくさんおられます。農村では、その上に日々農業に追われていたことになります。橋本様もそのお一人だったのでしょう。しかし、65歳で放送大学に入学されて以来、自分の生き方を見つけられ、大切にしてこられたのですね。趣味の短歌や俳句の道もずいぶん究めておられ、自然の中で一生学習・一生青春と主体的に生きておられることはとてもすばらしいと思いました。
4 「垂水だより」 神戸市垂水区 細谷寛 
 「垂水だより」というひとり新聞を月1回発行されてすでに260号になるというのはすごいことです。1年で12号ですから20年以上ということになります。人に見せようとすれば、日々の生活もそれなりの意識が要ります。ぼんやり過ごしておれば書くことがないでしょう。
 以前、神戸大学の森信三教授に学ばれていた多くの方々がそれぞれひとり新聞を発行されていました。その中のお一人、元尼崎市立高校の校長をしておられた方からひとり新聞「あしかび」を送ってもらったことがあります。いろいろなところで自分が学んだことを詳しく書かれたすばらしい内容でした。また、今も特別支援学校で先生をしておられる方の「ゆうとぴあ通信」を読ませてもらっています。こちらは月一回の通信の他に「毎日思うこと」という日々の日記までホームページで公開されておられるのですから、これ以上のひとり新聞はないと思います。
 実は、私もこの「ゆうとぴあ通信」やいなみ野学園のインターネットクラブに刺激され、ホームページを立ち上げたのですが、中身のあるものにはなかなか出来ません。細谷さんも折角すばらしいひとり新聞を発行されているのだったら、コンピューターを始められたと言っておられるのでホームページで広く公開していただけたらと思います。


12月29日放送 「講談 手塚治虫物語」
                  講談師 旭堂南海
 放送を聴く前にテキストを読みますが、南海師のテキストの文章のリズムの良さに引きつけられます。私は自分の文章を読み返す度に、その読みにくさを感じています。リズムや表現の仕方が悪いのですね。一つのことを書こうとして文章を書き始めると、次々いろいろなことが頭に浮かんできて、何が主語だったのかもわからなくなってしまうのです。このテキストを繰り返し読んで勉強したいと思います。
 さて、治虫のお母さんの偉大さが語られましたが、母親の心の広さが子どもに大きな影響があることを改めて感じました。今は母親も働き手のひとりで、幼いときから託児所や保育園で過ごし、小学生になっても学童保育の世話になっている子ども達が、人格形成において母親からどれだけ影響を受けることができるのか、そして守られていると実感しているのか考えさせられます。男女雇用機会均等法やジェンダー、そして核家族が子ども達や若者にどのような影響を及ぼしているのかしっかり考え直してみる必要を感じています。
 私達が中学生の頃、貸本屋が繁盛していました。学校からの帰りに友達と貸本屋により、手塚治虫、長谷川町子、そして横山隆一などの新しい漫画を手分けして借りて、回し読みしたものです。中でも手塚漫画は最高でした。お母さんの心の広さによって新しい時代への夢や正義をテーマに創作された手塚漫画が、私達中学生がその後の生き方にも大きな影響を与えてくれたのだと今日の講談を聴いて思いました。


12月22日放送 「食事はいのち」
                  管理栄養士 平井美穂

 食事に関して、栄養についてはこれまで何度も話を聞きました。そしてこの様な食べ物が良い、この様な食べ物は控えた方がよいという話が定番でした。しかし、今日はこの様な病気の人はこれは控えましょうと、一人ひとりの健康状態によって同じ食べ物でも良い場合と悪い場合があるなどきめの細かいお話しでした。これが栄養学ではなく、管理栄養士の話なのですね。一度、私自身の身体や健康状態を分析していただいて、管理栄養士にどのような食品が大切で、どのような食品を控えればいいのか指導してもらいたいと思いました。


12月15日放送 「体験発表 学生参加番組〜地方スクーリングより〜」
@ 「私の老春」  佐用町・原田ひとみ
 女性5人姉妹の4女として生まれ、男でなかったことをお母様と一緒に肩身の狭い思いで成長したことを楽しく語られました。夫を亡くされた悲しみが孫に影響したことを自分の力で解決され、心機一転前向きに生きられる姿勢は、まさに老春を力一杯楽しんで居られるお話しでした。
A 「瓢箪から駒が出た」  南あわじ市・奈木伯雄
 20年前、糖尿病という診断を受け、裏山のウォークを始め、実際は診断違いであったにもかかわらず、それ以来、雨風、台風にも負けず毎日歩き続けているお話しでした。歩くことがどれほど心身の健康づくりに有効か、実践を楽しく語られました。私は同じコースを歩くために、2年近く経ったとき飽きてしまい、歩かなくなってしまいましたが、日によって目的地を変えることが長続きの方法と知り、そのことを参考に歩き遍路を持続するためにも再びウォ−キングを再開したいと思います。
B 「夫の健康と私の手術」  伊丹市・中林節子
 自分が看護師をしていたが、夫が脳梗塞から車椅子の生活になって介護が必要になり、患者の家族の終わりの内科医ご生活の苦労を知った。そして時間がかかったが余裕を持って生活することの大切さを知った。さらに、震災の年に自分が患者になって初めて患者の心を知ることが出来たという話でした。3年の命といわれたが、12年経った今も元気で生きている自分がここにいると明るく語られました。
 いずれの話も、現実を受け入れた上で前向きに生きることの大切さを語られていたと思います。


12月8日放送 「凛々と生きるPartU」
                 姫路市・大覚寺住職 中西玄禮

 私が退職するとき、若い同僚が「これからは奥さんと一緒にオープンカーに乗って走って下さい」といいました。その時はそれほど深く考えませんでした。今日の中西先生の「美しく老いる」というお話を聞いていて、「退職しても暗く老いて欲しくない。何時までも明るく若々しくいきいきと年を重ねて欲しい」ということをいいたかったのだと思いました。実にありがたい言葉だったのだと思います。
 「かえりみて己を知る」について、つもり違い10箇条の各項目に自分が当てはまっており、反省しています。

  つもり違い10箇条
   高いつもりで低いのが教養  低いつもりで高いのが気位
   深いつもりで浅いのが知識  浅いつもりで深いのが欲望
   厚いつもりで薄いのが人情  薄いつもりで厚いのが面の皮
   強いつもりで弱いのが根性  弱いつもりで強いのが自我
   多いつもりで少ないのが分別  少ないつもりで多いのが無駄

つもり違いをなくすのがこれからの私の人生の課題です。

12月1日放送 「死ぬまで大丈夫 −布施のこころで−」
                  姫路・大覚寺住職 中西玄禮

 中西先生のお話はこれまでに何度もお聞きしていますが、いつも心に染みるお話しをされています。今回も、「いなくてはいけない人」という生き方の指針を示して頂きました。せめて「いた方がいい人」になれるように努力したいと思います。
 特に「無財の七施」は相手があってこそのことだと思います。そのために、自由に動けなくなっても人が出入りできる地域づくりをしなければならないと思います。少なくとも元気なうちは地域づくりに協力することをもっとも大事にしなければならないと思っています。そして、地域にとっていた方がいい人になれるよう努力していきたいと思います。


11月24日放送 「長寿の謎を解く−賢い食生活に鍵−」
 京都大学名誉教授・(財)兵庫県健康財団会長 家森幸男

 家森先生はカスピ海ヨーグルトを広められた先生としてよく知っていました。そして、健康な高齢者の塩分の摂取量の調査などもされていました。今回の放送をお聞きしていて、塩分摂取量と健康のデータをより多く集めておられたのだとわかりました。
 それにしても、魚、大豆食品、野菜、海草などを中心にした和食を一日一膳心がけること、そして調理においては減塩を心がけ、昆布と鰹のダシで豊かな味にする、外国の長寿食品であるヨーグルトを飲むことを心がけることで健康寿命を延ばすという結論は、たくさんのデータによって裏付けられていたので、納得できました。
 私の家の食事はこれまで野菜・魚・豆腐中心で、ヨーグルトは1日80グラム程度でしたが、最近肉類が増えた感じがします。また、新米を食べ始めた頃から体重も1s以上増えています。体脂肪も上昇しているので、要注意です。自分で調理できないので、食事の改善はなかなか難しいところです。


11月17日放送 「『悩み』の正体」
          精神科医・帝塚山学院大学教授 香山リカ

 昨夜、今治市内の歩き遍路を終えて帰ってきたとき、23階建ての高級なホテルに泊まった話をしました。その時に妻から返ってきた言葉が「毎月豪勢な旅行をしているから、私との旅行など考えたことがないでしょう」というものでした。(またその話か)と口先で謝って聞き流してしまいました。妻は最近は泊まりがけの楽しい旅行などしたことがないという不満を持ち続けています。事実、私が歩き遍路に行くようになって、3年目になりますが、年に一度六甲山上のスカイヴィラで割引券を使って泊まる以外は遠方へ出かけることもありません。
 お遍路だけでなく、新たに立ち上げたグループや地域の老人クラブなどとの活動をするようになり、自分のペースで日々の生活をすることが多く、退職後は妻の心を大切にしながらの生活はせいぜい3ヶ月くらいだったのではないかと思います。
 今日の香山先生のお話をお聞きしていて、妻の話を傾聴し、私の生活時間を調整しながら、妻との生活をもっと充実したものにしなければとただ反省しきりでした。


11月10日放送 「マークはコミュニケーション」
                  多摩美術大学教授 太田幸夫

 私は昭和47年に唯一外国へ行った経験があります。羽田からは日本航空だったので何の不便もありませんでした。ところがカナダのバンクーバーからアメリカのシアトルへ行くときに初めて外国の飛行機に乗りました。トイレに行ったとき、日航は空いているのは青い色、使用中は赤い色で文字が表示されていましたが、当時の外国の飛行機ではそのような表示はなく、どのトイレが空いているのかわかりません。仕方なく、白色の何も表示のないトイレを力一杯開けました。便器にはスチュワーデスが座っていました。半ドアだったのでしょう。思わず「アイムソーリー」と言ってあわててドアを閉め、トイレの使用は空港に着くまで我慢しました。当時、万国共通の表示マークがあればこんなことはなかったと思います。
 今は外国へ行くこともないので、国際言語としてのマークという意識はなく、単に瞬間的に理解できる絵文字として重宝しています。特にパソコンのアイコンはそれをクリックすればいいので、本当に使いやすくなりました。しかしそのデザインが協議された上で創られていることなどあまり意識していませんでした。これからいろいろな場で、意識して見てみたいと思います。


11月3日放送 「エコで自然と共生する」
             ライフスタイルコンサルタント 森 孝之

 私達は地球温暖化を防ぐために、買い物袋を持参してレジ袋を受け取らないようにしたり、生ゴミは庭の菜園の肥料にして投棄ゴミを減らし、電化製品は出来る限り長く使って消費量を減らし、電気はこまめに消すようにして等々、エコを考えながら生活しているつもりでいました。しかし、それは地球が2個以上いる生活スタイルの範囲を出ていないようです。
 資本主義社会では、全地球人が互いに助け合って生きていこうとするよりも、いかに自分の利益を大きくするかが優先され、買い占めや投機といったことで成功するものを賛美する価値観が支配しているように思います。このような考え方が今発展しつつある国々にも広がっていけば、国家や人々の間の歪みがますます大きくなり、一つしかない地球の中で自分の利益のエリア拡大のために今以上の争いが各地で、あるいは全地球規模で起こるかもしれません。
 それぞれの国が互いに足りないものを補い合い、国の中でも互いに協力し合って循環型の生活を心がけることが、地球や人類に優しい生き方になるでしょう。しかし、工業社会でいったん便利な生活の味をしめた我々が、日々草や木でご飯や風呂を焚き、出来る限りの自給自足の生活ができるかといえば、なかなか難しそうです。やっぱり今のエコスタイルを抜け出せそうにないというのが現実です。このように早々にあきらめてしまわず、一度「あいとわ」を訪れて、実体験をしてみることが必要かもしれませんね。


10月27日放送 「おすすめの一冊」
 昨年、私も含めて4人がそれぞれおすすめの一冊を紹介しました。他の三人の本を読みたいと思いながら、ついに手にすることなく1年が過ぎてしまいました。本を選ぶとき、どうしても次の番組編成会議を意識してしまうからかもしれません。もっと自分の読みたい本を積極的に手にしたいと思います。
@「天皇と東大(上・下)−大日本帝国の生と死−」 立花隆著  山田拓史講師
 私は歴史について十分理解できていないことをよく自覚しています。私の歴史の知識はそれぞれの時代を断片的に知っているだけで、歴史の流れとして理解できていません。したがって、断片的な知識も正確ではありません。大河ドラマを見て楽しむくらいの程度です。しかし、物事を判断する上で歴史を理解していることが大切であることもよく承知しています。先日、渡部昇一著「時流を読む眼力」を手にしましたが、国際社会を語る上で東京裁判を正しく理解しておかなければならないと書かれていました。近代あるいは現代をも十分理解できていないことを思い知らされました。
A「老いるショックは3度来る」 江見康一著  藤原繁講師
 定年後をいかに楽しく有意義に生きるかという命題は今の私に最も大切なことだと思っています。楽しむだけならば、世間とかけ離れた生き方が出来ると思います。しかし、有意義に生きるとなると、世間(地域社会)と関わりながら生きていかなければならないというのが私の持論です。このことはいなみ野学園地活講座で学んだことです。地域社会に関わって生きることが楽しく生きることにつながることだということを最近実感しています。
B「現代語訳般若心経」 玄侑宗久著  佐藤節章講師
 いよいよ神戸も空襲が激しくなり、広島県へ疎開しているとき、神戸に残った両親の無事を祈って毎晩祖母と一緒に唱えたお経が般若心経でした。仏典棒暗記とはよく言ったもので、小学2年生であった私も半年の間にすっかり覚えてしまいました。今、歩きへんろで必ず唱えますが子どもの頃に意味も文字もわからず覚えた般若心経が実に不正確なものであるかがわかりました。だから今は教本を手に唱えています。お遍路をしている間に意味を勉強したいと思いながら、ウォーキングの魅力に負けています。
C「わが人生の歌がたり」 五木寛之著  赤枝正男講師
 今読んでいる本が大島清著「歌うとなぜ心や脳にいいか?」です。人間の心を癒やすのが歌であり、それはとりもなおさず脳の働きを活性化します。このことを経験から書かれているのが今日紹介された本ではないかと思います。
 私も子どもの頃、川田姉妹や古賀さと子が歌っていた童謡が大好きで、ラジオをよく聞きました。そして高校時代にはうたごえ運動が盛んになって各国の民謡を覚え、大学ではグリークラブに所属し、ハーモニーの美しさに魅せられました。そして、当時はやっていた歌声喫茶に仲間とよく出かけました。それからは仕事の上の音楽でしたが、退職が近づいた6年前からは第九合唱団へ、そしていま地域の皆さんとカラオケで新しい歌に挑戦しています。歌から切り離せない人生です。


10月20日放送 「人が騙される時」
           経済評論家 日向野利治

 2〜3年前、妻宛に1通のはがきが届きました。内容は今日のお話しのようなものでした。支払わなければ強制執行があり得る旨が書かれ、支払いについて不明な点があれば下記に電話するようにと書かれていました。このような事例については、ラジオ番組「ありがとう浜村淳です」で何度も耳にしていたので、ついに我が家にもはがきが届いたと笑いあって、しばらく保管していました。そして知人が訪ねてくると、我が家もこんなはがきが届くほど金持ちに見られているんだといって笑ったものです。
 しかし、何らかの事情で請求される可能性があると思った瞬間には、日向野先生のようにパニックになるのでしょうね。いったん相手のペースにはまってしまうと、早くその苦しみから抜け出したいと自分の中で考え、相手の言いなりになるのだと思います。
 私もお金のことではありませんでしたが、20年近く前に雲の上のような上司から電話を受け、てっきりその人だと思って話を聞いたことがあります。内容は、直属の上司との人間関係が主なものでしたが、上司がどう思っているとか、私が改めなければならない点などを見事に言い当てていろいろ指導をするのです。私は丁重にお礼を言って電話を切りました。そして、後で他の人に指導を受けたことを話したところ、雲の上の上司の名前をかたって多くの人に電話をかけていることを聞き、また本人からも講演の中で自分の名をかたって電話をかけまわっている男がいることを聞き、騙されたことを知りました。それにしても私の仕事上のことをこれほど詳しく知っていることに敵ながらあっぱれと感じました。それから半年後、再びその男から電話がかかりました。今度は冷静に、しかし万一業界の人物であってはならないので、いま手が離せないと言って丁重に電話を切りました。以後電話がかかってくることはありませんでした。
 日向野先生がかなり時間がたってからまた騙されたというのはきっと前回お金を取られたことを誰にも話さなかったからだろうと思いました。なんでも話せる家族や仲間がいることが大切だと思います。


10月13日放送 学生参加番組「高齢者の主張」
                 第2回中央スクーリングより
@ 「なくてならない人になれ なくてもよい人になるなかれ」

                  
たつの市 三宅保昌
 公園のゴミ拾いについて「何で俺らがせんならんのや、シルバー人材センターに頼めばええやんか」という言葉に、「おまえは反対してもええから、ひとを誘わんといてくれ」という話。まさになくてもよい人のような発言に対して、こう答えたい場面が多くあります。折角なくてはならない人が真剣に取り組もうとしていることに対して、自分一人では反対できないので仲間を誘って一緒につぶそうとします。このような人は相手の気持ちを尊重できず、自分の勝手気ままな生活をごり押ししようとします。このようななくてもよい人にならないよう自分自身を振り返って反省したいと思います。
A 「理想の人生を手に入れるまで」
             伊丹市 清水義一郎

 自分の人生の大半をささげてきた会社運営を破産というダメージで失ったときには、おそらく人生の終わりと思われたことでしょう。しかし、そこから若いときに志した音楽という財産によって再起され、それも金儲けではなくボランティアという形で理想の人生とまで考えられるようになられたことは、人生は精神的な生きがいがいかに大切であるかを教えてられたおもいです。私自身も第二の人生において現役時代とは全く異なった仕事に就いたお陰で、今を意義深く生かされていることに感謝しています。
 それにしても、若い頃志を実現するために努力された音楽を生かす機会が与えられたのは、清水さんの誠実で人のために努力することをいとわない人柄によるものだと思います。普段から真面目で誠実に生きることの大切さを教えられました。
B 「私のパソコン挑戦、アウトプットを増やすために」
             西宮市 山崎英男

 6年前に始められたパソコンをしっかり学ばれ、インターネットのように情報を得るだけでなく、ブログを通じて自分から発信できるようにパソコンを積極的に活用されている様子を聞かせていただきました。私自身も文字入力はずいぶん以前からしていましたが、インターネットやメールは6年前からです。そして読んでもらえるとは思っていませんが、このようにホームページを立ち上げて発信しています。自己満足の域を出ませんが、放送大学の感想をこのように発信しようと思えば、それなりに真剣に聞かねばなりません。その取り組みが大切だと自分自身に言い聞かせて続けています。
 山崎さんは文章教室に通ってエッセイを発信したいとの夢を持っておられますが、文章表現がヘタな私なので、山崎さんのブログを一度見てみたいと思いました。


10月6日放送 「ラジオは脳にきく」
 この本のタイトルを見たとき、是非読んでみたいと思いました。早速明石市の図書館のホームページで調べましたが、半年間ずっと貸し出し中で、仕方なく本屋で探し、やっと見つけて購入して読みました。期待に違わぬ内容でとても嬉しく読みました。その著者の声でこの本の要点を改めてお聞きでき、内容がさらに深まった感じがしました。
 今年の夏は特に暑さが厳しく、朝は早めに起きて、庭や菜園の世話をしましたが、昼間は何もする気になれなくて、テレビを見ながらよく居眠りをしました。そのためにきっと脳が退化したようで、秋になっても昼寝の癖がついてしまい、午後の講座を聴きに行っても居眠りをしてしまう始末です。やはり緊張して脳を働かせている日常生活を送っていなければならないと反省しています。
 ワープロやコンピューターを使い始めてすっかり文字を書かなくなりました。日記も毎日ではありませんがホームページに書き込むので、文字を書くことはありません。手紙も悪筆を理由に自分の署名以外宛名までコンピューターのお世話になっています。確実に自分で文字を書いているのは、毎週土曜日のこの放送大学を聴きながらメモをとるときだけだと気がつきました。聴きながらだからとっさに漢字が出てこなくて、ひらがなやカタカナが目立ちます。つまらないことでも書くようにしなければならないとこれまた反省です。
 ただ、午前中は朝ドラ以外、浜村淳や菊水丸のラジオを聴きながら用事をすることが多く、ながら族の生活をしています。また、退職後は現役の時より忙しいといわれるほど、いろいろなところに顔を出しているので、これも良いかなと思っています。但し、どれほど脳を活性化する活動かと問われれば疑問がありますが、まあ、家にこもって居眠りしているよりは良いのではないかと自分で思っています。


9月29日放送 「祖母力A」
                評論家 樋口恵子

 寿命が長くなっていることは実感します。私の母は姉の長男の顔を見て亡くなりました。父は姉の3人の子どもと兄と私の第1子のみを見て他界しています。養父は私の長女を見ただけですが、養母は私の2人の子どもと妻の妹の子ども4人を見ています。そして6人の孫の成長に深く関わっています。さらに、私の娘の3人の子ども(ひ孫)の誕生とその後しばらくの子守を手伝っています。寿命が延びれば、それだけ孫やひ孫の顔を見ることができるのですね。私の孫は上が高校3年です。平均寿命を生きることができれば、孫の結婚式も夢ではないかもしれません。しかし、孫に対してお手本になるだけの価値が私にはないので、期待しない方が良いでしょうね。


9月22日放送 「祖母力@」
                評論家 樋口恵子

 「年寄りっ子は3文安い」に対して、「3文高い」という話が語られていましたが、私もそのとおりだと思います。もちろん、祖母の人間性によりますが、若い母親よりも経験があり、情緒が安定しているので、小さな子ども(孫)は安心して暮らせると思います。私も小学校の教員を3年ほどしたことがありますが、おばあちゃんが家にいたり、昼間おばあちゃんと過ごしている児童はみんなに親切(気配りができる)で、友達からも信頼されていました。そのため、鍵っ子はどうかすると学校から帰るとその友達の家に行くことが多く見られました。但し、母親と祖母が対立するような家庭は、母親の前では違う顔を見せます。母親を傷つけまいと母親の顔色をうかがい無理をした姿になるのです。母親が仕事を持ち、養育を祖母に頼むのであれば、子どもの前ではできる限り祖母を信頼する姿勢を見せることが大切だと思いました。
 私自身も母親は家にいましたが、人間としての生き方は祖母に多く学んだように思います。祖父も政治家で立派な尊敬できる人でしたが、祖父より祖母の影響力は私も認めるところです。


9月15日放送 「なるほど民俗学」
       
        国立歴史民族博物館教授 新谷尚紀
 子どもの頃、祖母から多くの言い伝え、中でもしてはいけないことについて多くの注意を受けた記憶があります。小さい頃はそうしなければ怖いと思ってよく守っていましたが、小学校の高学年頃には「迷信」だと言って、してはいけないと言われることをわざとしようとしていました。
 今考えると、それは悪霊から身を守ることであったり、境目に関わるようなことが多かったように思います。まさに今日の新谷先生のお話そのものだったと思います。
 今も続けていることの中には、正月を迎えるに当たって、家の玄関や勝手口、納屋の入り口、そしてトイレの入り口にしめ縄やめがねを飾ります。松の内があけるとそれらを燃やし、黒い燃えがらを家の入り口や家の角に置いたりすることなどがあります。年の境目に悪霊から家を守る風習なのですね。
 迷信だといって今は全くしなくなったことや、バカにしていることの中に、民俗学から見ると、とても貴重な事柄が沢山あるのかもしれませんね。迷信は民俗学の宝庫だったりするのかもしれませんね。


9月8日放送 「されど掃除 −なぜトイレ掃除は大切か−」
                イエローハット創業者 鍵山秀三郎

 「トイレ掃除を続けてすれば謙虚な人になれる。謙虚の反対が傲慢な人で、幸せになれない」という最初のことばを聞いて、思い当たることがいくつかあります。
 その一つは、いなみ野学園に勤務しているとき、学生はトイレをはじめとして自分達の使ったところは自分達で掃除をして帰ることになっていました。ところが、一時、4年生大学講座の一部の学生が「何で自分達がトイレ掃除をしなければならないのだ。トイレ掃除は高齢者人材センターにでも頼めばいいのだ」と公の場で発言したという話が伝わってきました。そのころ、学生からの要求が学園側にどんどん出されるようになってきていました。まさに高齢者の傲慢さが表面にあふれ出てきて、謙虚さや感謝の心が見えにくくなっていた時期に一致します。中には、自分達の乗ってくる自家用車の駐車場確保のために、「運動広場をつぶして駐車場にせよ。近隣の土地を買って駐車場を確保せよ」などという要求まで出されたものでした。そのようなとき、「我々高齢者は子孫に少しでも良い環境を残すためにも車の利用は極力避けたい。だから車の利用を促進するような駐車場確保はしない」と毅然としていわれた当時の学園長のことばが印象に残っています。
 私が42歳の時、新設された知的障害の養護学校に勤務することになりました。新校舎が完成し、60人ほどの教員の3分の一が新卒の教員で、学年主任になった人でも勤務経験年数が2〜3年という人も多く、平均年齢27.8才という状況でした。そんな中で、私も若い先生方と学級運営や学年経営をしていました。養護学校では子ども達が帰った後は先生方ですべて清掃をしていました。各教室にトイレがあって、私もトイレ掃除を引き受けていました。若い先生方と心の隔たりはなかったし、いつもみんなで少しでも子ども達に役立つようにと積極的に勉強会をし、教材作りをしていました。その学校に9年、とても張り合いのある勤務をさせていただきました。その後5年間他の学校などに勤務し、再びその学校に戻ったとき、私の立場が以前と違っていたこともありましたが、先生方と心が通い合わないことをもどかしく思いました。このときに、今日のトイレ掃除のことを聞いて実践していれば、もっと違った学校経営ができたのではないかと思います。きっと、私に謙虚さがなく、いろいろなことに気づくことができず、感謝の心を見失い、傲慢になっていたのだと思います。
 今、家で掃除機を使うのは私の役割になっています。しかし掃除機の出番は少なく、家の中が乱雑になってきています。心を入れ替えて今日から掃除に精を出すことにします。


9月1日放送 「『徒然草』的生き方」
                作家・経営評論家 江坂 彰

 人はいろいろな生き方をすればよいということで、多くの人はほっとすると思います。ただ、その時に共通にもっていなければならないのが論語だという話は多いに賛成です。
 何年か前にツアーで会津へ行ったとき、会津日新館を訪れました。その時、白虎隊などが勉強したという話の続きで、論語の日めくりカレンダーの説明があり、買って帰りました。そのカレンダーは今トイレにかけられていて、毎日めくりながらそこに書かれている言葉を読んでいます。人の上に立つべき「君子」の心得、人が身につけておかねばならない道徳心の「仁」などについて書かれています。
 今日の江坂先生の話は、人それぞれの価値観にあわせて生きるのがよいが、礼儀(道徳心)だけはもっていなければならないということではなかったのでしょうか。他人に対して誠実に振る舞えば、親友はできなくても信頼される人間として友人は間違いなくできると思います。その誠実さの根元こそ道徳心だと思います。
 『ネズミ講』や『豊田商事』から始まった悪徳商法や振り込め詐欺など、あまりにも不誠実な人間が横行している今の社会に『論語』の学習はとても大切だと思います。論語が難しいければ、江坂先生の言われる『知恵ある友』(サポート・指示してくれる人)を持ち、いけないことを気づかせてもらえばよいと思います。決して悪友(間違ったことをさせようとしたり誘ったりする人)とは付き合わないように気をつけたいと思います。


8月25日放送 「ホスピスの理想を求めて」
             はやしまクリニック院長 梁 勝則

 ホスピスの話を聞くと、どうしても母の最期を思い出します。大震災のあった平成7年4月、食道ガンで手術は不可能だといわれ、さらに成人病センターを退院するように言われました。近くの病院を紹介され、転院しましたが、精神的なケアはなく、死を待つ半年間、本人も家族も本当につらい思いをしました。その間、家に帰りたいと言いましたが、往診してくれる医師が近くにはいないし、ホスピスといわれても何のことか知りませんでした。
 いなみ野学園に勤務するようになり、姫路の聖マリア病院からホスピス病棟の田村医師が講義に来ておられることがわかり、ホスピスの存在を初めて知りました。
 今日の講義で、在宅ホスピスの存在やその手だてを知ることができ、しかも介護保険制度が大いに貢献していることを知るにいたって、10年あまりでこんなに私達が安心できる制度や施設が充実し、相談機関ができていることをとてもうれしく思いました。先日入院しておられた近隣の親戚の高齢者が自宅療養をするにあたって明石市の高年福祉課に相談され、その結果ケアマネージャーに来てもらって住居をバリアフリーにし、介護認定を受け、訪問看護師や介護士に来てもらえるようになった話を聞いたばかりで、我が家でも必要になれば在宅ホスピスが可能であることが確認できました。先生のお話にあったように、訪問看護師の質の向上が今後の課題だと思います。


8月18日放送 「相続と遺言」
                      弁護士 岡田清人

 法定相続と遺言相続について詳しく説明をしてもらいました。今の段階で私が死ねば、法定相続で何ら問題はなさそうです。
 ところで、あるところでこんな話を聞いたことがあります。長男のお嫁さんが主人の両親と同居をしていて、主人が先になくなってしまいました。そのお嫁さんは自分達に子供がいないので、その後もそのまま主人の両親と同居し、両親が亡くなるまでお世話しました。ところがその遺産相続の段階になって、自分にはいっさい相続を受けるものがなく、しかも、今まで住んでいた家も主人の兄弟がすべて相続を受けるため、出て行かなければならなくなったのです。兄弟からねぎらいの言葉もなく、途方に暮れる自分の身の上をとても悲しんでおられました。
 今日の講座を聞いていて、この話を思い出しました。娘のところには3人の孫がいますが、息子のところにはまだ子供がありません。万一子供ができないまま息子が先に亡くなるようなことがあれば、先のお嫁さんの話のようにならないためにも遺言が必要だと思いました。このようなことがないことを祈るのみです。


8月11日放送 「不老革命」
             生き方健康学者・作家 佐藤富雄

 私は定年を迎える頃、自分の人生は75歳と考えていました。だから退職後5年ほどは何かちょっとした仕事をして、65歳から75歳までは年金プラス少々の小遣いが手に入ればよいと考え、退職金を10年間で分割して受け取れるよう信託銀行に5年据え置きで預けることにしました。
 結果的には、66歳まで第2の職場に勤め、70歳になった今は年金+αの生活を送っています。歩き遍路に出かけたり、グループを立ち上げて仲間とあちこちに出かけたり、伝統芸能講座を受講して歌舞伎を鑑賞したり、週1回明石まで出かけて第九合唱団に参加したりと、まさに計画通りの生きがいある活動的な生活を送っていますが、75歳でくたばるという気がしなくなってきました。年金は今までどおりあたるとして、+αが無くなると、今までのような活動的な生活は送れそうもありません。
 75歳以上生きたときには、地元で金をかけずに生きがいをもって生きていくことを考えていましたが、このことを真剣に考える時期だと今日の放送を聞きながら考えていました。そのためにも地元老人クラブの諸活動を大切にしていきたいと思います。そして、歩き遍路で歩くことに抵抗が無くなったことを大切にして、これからも歩く機会を大切にしていきたいと思います。


8月4日放送 「口ぐせの魔術」
             生き方健康学者・作家 佐藤富雄

 普段、私達は何も考えることなく生きています。そして、それが当然だと思っています。しかし、佐藤先生のお話を聞いていて、呼吸するのも、体温を保つのも、食べたものを消化し、栄養素を体内に巡らせているのもすべて自律神経系の働きで行われているのがわかりました。その自律神経系はホルモンの働きによるのですが、そのホルモンの分泌が、実はその人の意識に左右されるということを聞くと、佐藤先生が指摘されたように、努めて「明るく、新鮮で、親しみを持った、夢と希望に満ちた」意識下で生きることが大切だということがわかります。
 私はどちらかというと楽天家で、「なるようにしかならないのだから、その時々で精一杯やればよい。あえて先の心配はしない」という無責任な人間だと思っています。そして、これまで誠意を持って取り組めば、大抵のことは良い方向で乗り越えてきたように思っています。
 佐藤先生が、日常使っている言葉・口癖がその人の人生を左右すると言われましたが、私の少なく、貧弱な語彙で前向きの表現をすることに務め、これからも豊かな人生にしていきたいと思います。


7月28日放送 「はつらつと生きる」
             春日野会病院長 牧野 滋

 生活習慣病の講座はこれまで多くの先生がお話しされてきました。いつも「私は大丈夫だ」と思って聞いています。ただひとつ、怖いのは骨粗鬆症です。これは今更どうしようもないので、四国歩き遍路に参加することで、普段から歩くことを心がけるようにしています。しかし、ついつい誘惑に負けて、車を利用したり、自転車で移動したりしてしまいます。そして、暑くなった最近の万歩計の歩数は、連日2〜3000歩という始末です。暑ければ夜にでも歩かねばならないのですが、これもテレビ番組の誘惑に負けています。結局意志が弱いことになるのですね。心を入れ替えて頑張らねばと思いました。


7月21日放送 「天気の不思議」
                気象予報士 森田正光

 四国で取水制限が始まっていたのに、先日の台風で「四国の命の水」といわれる早明浦ダムの貯水量が一気に100%になったというニュースを聞き、また、琉球や南九州の風の被害などを聞き、台風とは大雨と強風をもたらすという概念のみでとらえていました。
 ところが、今日の森田先生の「天候は地球規模のバランス」という話を聞くと、少し冷静に考えられるのではないかと思いました。エルニーニョやラニーニョ現象で、貿易風の強弱ができ、環太平洋地域の雨量が異なって来るというバランス説は、食料や農業、そして災害などいろいろな対策を前もって考えることができると思います。ところが局地的な異常気象が都市温暖化に対するバランスと考えると、やはり私たち自身の生活を考えなければならないと思いました。
 エアコンは自分の住まいを快適にするために考えられたものですが、住まいが集中する都市部では、屋外に熱風を排出し、気温が上がるためますますエアコンを使うことが多くなって熱風を多く排出するという悪循環になっています。幸い、私の住まいは郊外にあり、南側の窓の前にはゴーヤを植えて緑の日よけをしているので、部屋にはそれほど熱風が吹きこむこともなく、扇風機をつけてもエアコンをつけることはありません。今年もこの方法で暑い夏を乗り越え、少しでも温暖化防止を心がけたいと思います。


7月14日放送 「脳と心A −老化ストップレシピ」
          浜松医科大学名誉教授 高田和明

 6月9日の放送の感想で、「体はいたって調子はよいが、ぼけを食い止める方法を知りたい」と書いたのですが、今日はまさにその回答でした。
 甘いものは大好きですが、極力避けるようにしてきました。たとえば、以前はコーヒーなどにはしっかり砂糖を入れていましたが、今はミルクを多めにして砂糖は入れないか、入れても僅かということですませています。ケーキもめったに買わなくなりました。肉類もほとんど食べないので、脳に必要なアミノ酸も少ないと思うし、コレステロールも低めです。これではぼけが始まっても仕方なさそうです。
 ただ、有難いことに、これまで悩むことが少なかった人生が今の自分を支えているのかもしれません。これからも前向きの姿勢で、脳が健全である日々が過ごせるよう、ブドウ糖やアミノ酸、そしてコレステロールのことを考えながら、バランスのとれた食事を続けていきたいと思います。


7月7日放送 「脳と心@ −禅の名言」
          浜松医科大学名誉教授 高田明和

 私は煩悩が多いので、「不生不滅」や「不汚不浄」など、心の内の美しさや光は見えず、常に自分の欲求の中で生きているように思います。そして成果が上がったと思えば、見せびらかしているようです。お遍路で歩いていても、少しでも悟りを開くのではなく、「これだけ歩いて汗をかけば、今夜のビールはうまいだろうな」などと考えながら歩いているのです。そして、何かが目に入れば、これはホームページの材料になると思って写真に撮り、どこを何時に通過したかをメモする代わりに写真に撮るのです。御大師様と同行二人ではなく、右手に杖を持っていても、左手には常にカメラを持って歩くというカメラと同行しているような私には、たとえ結願まで88ヶ寺176回般若心経を唱えたとしても、きっと般若心経の心を理解することはできないでしょう。そうは思いながら、結論のでないことは考えず、これからもただひたすらに一歩ずつ歩くことにします。


6月30日放送 学生参加番組「思い出のメロディー」
                    構成 学長 竹田憲司

 思い出のメロディーといえば、これまで曲のメロディーよりもその歌詞に思い出が強く残っているようでした。私など、母が子守唄で歌ってくれた「歌を忘れたカナリヤ」に、自分が捨てられたらどうしようと幼心を痛め、寝るどころではなかったことを今も思い出します。ところが今日の一曲目が、いきなりマンボのトランペット演奏だったので、少しびっくりしました。
 しかし、考えてみると、明治生まれの父と叔母が尺八とお琴で演奏して聞かせてくれたことも思い出します。すっかり忘れていた思い出が、放送を聞きながら蘇ってくるから不思議ですね。
 もうひとつ、「あこがれのハワイ航路」では、小学生時代の思い出があります。まだ「のど自慢」が小学校の講堂などから放送されていた頃、私が通っていた神戸市内の小学校でもありました。当時は小学生も出演でき、大人に混じって同級生がこの「あこがれのハワイ航路」を歌いました。結果はカネ2つでしたが、曲目は覚えていても、歌った級友が誰だったのか思い出せません。今秋の小学校の同窓会で、誰だったのか確かめてみたいと思います。


6月23日放送 「食の健康手帳 −胡豆魚梅参茶−」
     食文化史研究家・西武文理大学客員教授 永山久夫

 今日の話は老人クラブの研修にうってつけだななどと考えながら聞いていました。高齢者が前向きに生きるうえで、生活習慣として取り入れていくことのエッセンスだと思いました。私が住んでいるところはまだまだ農業を大切にしており、たとえ米作りをしていなくても菜園など、土に親しんで生きている人達が大勢います。そして、明石は近隣でも漁業が盛んで、新鮮な魚を手に入れることができます。このように考えると、今日の話を受け入れる土壌は文句なくありそうです。是非活用させていただきたいと思いました。そして、そのことによって放送大学を通じて学習してみようという気持ちが一人でも現れれば、それだけ幸せに、前向きに生きる人が増えるのではないかと思いました。


6月16日放送 「しあわせ雑学 −後半生をしあわせに生きるために−
       毎日新聞社専門編集委員 近藤勝重

 毎日放送ラジオで以前は夕方、現在は朝、近藤先生の話を聞くことがあります。いつも含蓄のある話を水野アナウンサーを相手に話されているので、楽しく聞いています。今日の話はその延長のように思いました。
 ところで、今日の話を聞いていて、母は44歳、父は63歳で他界しているので、自分が70歳まで生きていることはやはりすごいことなんだと改めて思いました。退職後もいろいろな形で適当なストレスがあるけれども常に生きがいを与えてもらっているからだろうと思います。老人クラブにしても、グループいきいきネットの活動にしても、歩き遍路にしても、最初の一歩は自分の足で踏み出しています。そして物理的に可能であれば、頼まれたことは断らずに引き受ける生き方が今日のしあわせにつながっており、生きがいになっているように思います。頭はどんどんぼけており、よほど気をつけていないと失敗をしでかしそうですが、人との関わりを大切にしながら、後半生をさらにいきいきと幸せに生きたいものだと思っています。


6月9日放送 「ちょい太でだいじょうぶ」
         諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實

 私は風呂あがりに毎日体脂肪計のついた体重計に乗っています。昨日は体重58.8s、体脂肪は12.0と表示されていました。今日の放送を聞き、身長1.67なので、それで計算してみると、21.08になります。機械の表示とどうしてこんなに違うのかわかりませんが、ちょい痩せであることには違いありません。
 また、10年前の検診で、骨粗鬆症だと言われました。同年齢の70数%だと言われたので、かなり重症です。だから腰痛やひざ痛を抱えています。結婚後はほとんど毎日、朝、昼と牛乳を飲んでいるのにと不思議に思っています。戦中戦後の栄養が影響しているのでしょうか。
 コレステロールは208なので、今日のお話よりやや低めです。
 ところで食生活は妻が肉嫌いで、居住地が鮮魚の豊富な明石市ということもあって、自然と魚を食べる機会が多くありました。ただし、背の青い魚はあまり食べていないので、どれほどの効果があるかわかりません。
 運動は四国歩き遍路をするようになって、普段からよく歩くようになり、歩くことが苦にならず、疲れの回復も早くなったように思います。
 というわけで体調は至って良いのですが、問題は頭の働きです。何とかぼけを食い止める方法はないものでしょうか。今度は脳の働きやボケ防止について話を聞きたいですね。


6月2日放送 「それでもやっぱりがんばらない」
         諏訪中央病院名誉院長 鎌田 實

 鎌田先生がおっしゃるように、常にがんばっていたら疲労感がたまっていくように思います。特に自分の思うようにならないときにその傾向が強いと思います。そんな時、「自分の力では成るようにしか成らない」と開き直ります。私が楽天的だといわれるのは、多分こんなところにあるのだと思います。だから成るように成ったところで自己満足しています。このようなときのことを「肩の力を抜いた」状況なのだと鎌田先生のお話を聞きながら思いました。
 現職時代、まわりの人に対しては完璧を期待するあまり、そのような肩の力を抜いた状況を認めてきたのだろうかといささか反省しています。それは、職場に鬱やそれに近い状況に苦しんでいた仲間が多くいたからです。「そんなにがんばらなくても、もっと肩の力を抜いて」などのことばが必要だったのではないかと今になって思っています。
 退職後、気分が非常に楽になり、好きなことを好きなだけ楽しんでいると、他人に喜んでもらえるようなことに生きがいを感じるようになりました。これも職場で「こうあるべきだ。こうあらねばならない」という意識が常にあって、がんばらなければならないというある意味での強迫観念があったのが、サンデー毎日になってその意識がなくなり、肩の力を抜くことによって生まれた余裕なのでしょうね。
 教育面で、今「ゆとりの時間」に批判が集まっていますが、不本意な評価をされず子どもなりに心から楽しめるようなゆとりの時間がやはり必要なのではないでしょうか?


5月25日放送 「学習の始まりにあたって」
                   放送大学教授陣

 いよいよ今年度の放送大学が始まるという緊張感が全身を覆います。昨年度は初めてのことだったので、夢中で取り組みましたが、今年度は少しでも学生の皆さんとしっかり対話が出来るような返信が書けるよう心がけたいと思います。とはいえ、私の非力で何が出来るのかと問われれば困ってしまうのですが、前向きにチャレンジする心を失わないよう私自身が放送から学んでいきたいと思います。そして、その目で学生の皆さんの文章を読ませていただきたいと思います。


5月19日放送 「今年度の兵庫県の施策」
           兵庫県県民政策部 大西部長

 兵庫の元気、安心、安全、信頼についての施策を紹介されました。その中で、特に元気な兵庫として「箱もの」に関する説明にずいぶん時間をとられたように思います。西宮の芸術文化会館にはこれまで5度鑑賞に訪れる機会がありました。さすがに素晴らしく、子どもにも行き届いた施設だと思いました。しかし、これだけの施設を維持するのには相当の経費がかかるだろうと思います。そして、ワンコインコンサートが開かれるといっても、利用できる人たちは阪神間が中心になるだろうと思います。今年も播磨町に体験型の県立考古博物館がオープンするとのことですが、建築費だけでなく、どれくらい経常経費がかかるのか心配になります。景気のよい時代や、国からの補助をあてにして計画された箱ものが今地方自治体の財政を圧迫していると聞くからです。広いだけでなく、いろいろな地域特性を持つ兵庫県であるだけに、その地域の特性を見極めた上で、次代を担う子どもや、その地域の人々に生きがいを生み出すような、利用価値の高い箱ものであってほしいと願っています。


5月12日放送 アンコールアワー「川柳の目・新子の目」
                川柳作家 時実新子

 今日はとてもよい話を聞かせていただきました。私も3年前から川柳を始めましたが、少し行き詰まっていました。どうかすると苦し紛れの時事川柳に流れがちになる自分に不満を持っていたのです。夕べもスカイマークスタジアムでナイターを見ながら、「長い」という兼題に対して「いつですか 長いトンネル 抜けるのは」などと詠んでいました。これはタイガースやオリックスなど在阪球団に対する私の思いです。
 しかし、もっと自分自身を詠む、自分の心の中の小悪魔を詠むというヒントは、私にとって一つの方向を示していただけたように思います。ゲラゲラ笑う面白さではなく、泣き笑いや怒っていながら面白く感じる表現ができることを目指して、これからも続けていきたいと思います。


5月5日放送 「インタビュー・人間探訪23−A」
 ふるさと文化賞受賞者
1 文化財修理保存 西村吉一
 姫路城のような世界的に貴重な文化財を解体しながら、その本質を学び、元通り復元するためには、それなりの基礎がなければ出来ないことで、お寺の解体修理の長い経験があってこそだと思います。さらに素晴らしいことは、自主的に後継者を育てようとしておられることで、このことが今後の文化財の生命に関わっているのだと思います。
2 播州毛鉤 竹中健一
 釣りバカ日誌などを見ていて、一見道楽のための道楽仕事という印象がある釣り針造りだと思っていましたが、全国の毛鉤のシェアの大半を占めていること、親の代からの大変な修行があり、認識を新たにしました。
3 刀研ぎ師 近藤与曽次
 包丁を研いだりするのは、単にきれるようになればよいと考えていました。しかし、刀の中でも文化財といわれるようなものを研ぐ「刀研ぎ師」は、刀を作った職人の技までも研ぎ出すといわれる話にさすがだと思いました。そして江戸時代以前と以後の材料に違い、自然の材料は鍛え抜かれているという全くこれまで思いもしなかったお話を聞き、刀の奥深さについてもふれさせていただきました。


平成19年4月28日放送 「インタビュー・人間探訪23−@」
      『葉っぱを小判に』  鰍「ろどり副社長 横石知二

 徳島県上勝町の高齢者が生産者としての生きがいを持てるようになったという話は、以前にも何度か聞いたことがあります。自分の家の庭や、山の木の葉などをきれいにパックして出荷するというものです。しかし、そこに横石さんという仕掛け人がいたことを初めて知りました。日本人が季節の移り変わりの中に感じる侘び寂の心を、若い娘達の中に見いだしたことをきっかけに、この事業を思いつくなど、着眼点のすばらしさにも感心しました。そして、他の山村でなぜ同じことが出来ないのかと思っていましたが、素材はどこに出もあるけれど、そのことは5%で、残りの95%がコンピュータなどを使った仕組みや住民の熱意などだといわれるのを聞いて、よそでは真似ができないことなのだと納得しました。
 それにしても価値観に対する発想の転換、高齢者が出番をもち社会とのつながり(必要とされていること)を実感することが健康維持にも繋がるということ、そして、そのまちで生きることを可能にすることが若者をも惹きつけ、家族関係が良好になることなど、素晴らしい事業だということがわかりました。
 最後に話された、「都会は儲かれば事業を拡大するが、田舎は謙虚さを大切にしなければならない」という言葉に、日本人が忘れかけている質素倹約を旨とする生き方を強く感じました。


平成19年4月21日放送 「人生詰め将棋」
                        将棋九段 内藤國雄

 私はどちらかといえば将棋をあまり好みません。内藤九段のいわれる才能も努力もそして運も乏しいと思うからです。さらに、将棋が厳しいという話がありましたが、負けたときのみじめさからは、決してもう一度勝負をして今度は勝ってやろうなどという闘争心が湧いてこないからです。将棋というより勝負事や争い事を好まないのです。もちろんケンカも戦争も嫌いです。いつも、相手が勝って喜んでいるのだったら自分は負けておれば良いんだなどと考えています。きっと努力することが苦手なんでしょうね。その代わり、自分に出来ることで人に喜んでもらえるのなら、たとえお人好しといわれても内心ニコニコしながらやっています。このような性格は、人になんといわれようとお人好しを貫いた父の背中を見て大きくなったからだと思います。だから、私の人生は与えられた持ち時間を流れの中で使い、持ち駒(自分にあるかもしれない才能)を使えるときに使うだけで、神さまからは「一つも勝負をしなかったね」といわれることでしょう。


平成19年4月14日放送 「お葬式を考える」
        葬儀相談員市川愛事務所リリーフ代表 市川 愛

 10年余り前、母の葬儀を行いました。菩提寺の本堂をお借りしたので、祭壇もそれなりに大きくなり、花好きの母を思い、菊の花をたくさん使って飾りました。皆さんからとても良い葬儀だったといっていただきました。費用はそれなりにかかったと思います。参列者も多く、いただいた香料は福祉関係に寄付をする形をとったので、一人ひとりへのご挨拶はハガキのみにさせていただきました。このことは事後処理をとても簡素にすることに繋がりました。
 さて、自分の場合はと考えると、とても複雑な心境です。出来る限り家族に迷惑をかけたくないので、身近な親族のみの密葬とし、香典も一切ご遠慮できればそれに越したことはないと考えたりしますが、家族がそれで納得するか微妙です。少なくとも形式的、あるいは義務感で参列してもらったり、出費させるようなことはしたくないというのが正直な気持ちです。
 このようなことを改めて考えさせてもらった良い機会でした。エンディングノートに書くことも大事ですが、普段から家族でこのような話題が出来るようにすることが高齢者の努めだと思いました。


平成19年4月7日放送 「開講にあたって」
                  兵庫県知事 井戸敏三
 井戸知事がお話の中で、画一的一律志向の弊害に対して、異体験の大切さを強調されました。老人クラブの中でも、こうあらねばならないという風潮があって、別の生き方や参加の仕方を認めない雰囲気があれば長続きしないと思います。新年度役員になりましたが、気をつけたいと思います。
 また、兵庫県高齢者生きがい創造協会の廣瀬理事長は自ら積極的に活動することが大切であると話されました。何事にも意欲的に取り組む姿勢を失いたくないと思います。
 さらに、竹田学長のお話の中に、目的を持たない学習は身につかないという言葉がありました。過去にふとんの中で聞いていたときには「今日の放送は聞いた」というだけで、内容はすぐに忘れていました。しかし、毎回感想文を書くことを意識すると、中身をしっかり聞くようになりました。それでも、感想文を書いてしまうとそれまでということで忘れてしまいます。 私の所属する老人クラブの会長さんは、私に放送大学のよい話について会員に伝えることを期待されています。これも目的に加えたいと思います。
 今日からまた新たな気持ちで放送を聞き続けたいと思います。