サウスウエスタン・モーターウエイ
   4時30分頃目が覚めるが、真っ暗。サマータイムで1時間早いので日本の感覚では3時半なのだ。部屋の窓からベランダを通してキャンベル通りが見える。時折車が走っている。寝直して7時に起きる。昨日のサンドイッチを食べる。準備をして、機材を持ってホテルの西口(サセット通り側)へ出る。8持30分の約束だったが少し早く行くと、違う顔の人がやって来て「おはようございます」と挨拶を受ける。前川さんという人だった。車は昨日と同じもの。変圧器も積み込んである。前川さんとはこの日から3日間顔を合わすことになる。
   車は、ホテルから東に向かい、高速道路をの南へ進む。天気はまさに真夏の朝。サマータイムで日本で感じる時間よりもまだましみたい。涼しい内に働くようにしたのかな?とも思う。大きく右にカーブして西を向き、昨日到着したキングスフォード国際空港の中の道を通って、滑走路を地下で横切る。昨日、北側から着陸するとき、真下に車が走っていて少しびっくりしたが今日はそこを走っている。
   キングスフォード国際空港を過ぎるとパシフィック・ハイウエイから別れて5号サウスウエスタン・モーターウエイに入り西に向かって走る。リバープールから道の名前はサウスウエスタン・フリーウエイと変わり、南に向かう。キャンベラ、メルボルンへ向かう道だ。市街を抜けるとただひたすらに丘陵地帯が広がっている。高原の道を走っている。道路のそばで見た牧場は1ヶ所だけだった。途中、前川さんは色々とガイドしてくれる。かなりのスピードで車が走っているが日本と違ってサービスエリアが見あたらなかった。片道80qの行程だ。キャンベルタウンの出口標識が見えてきたので降りるのかなと思っていると、通り過ぎてしまう。「あれぇ!」と思っていると、前川さんが、「次の方が近いですから」と、説明してくれる。日本人のいない町であまり観光客は行かないだろうに、我々のために事前にチェックしてくれていたらしい。しばらく走るとまたキャンベルタウンの出口が見えてくる。ここで降りると、右手に西シドニー大学の看板がある。この町かと思うと、隣町だそうだ。
   やがて、街路樹が続いている道を行くと学校の入り口の前に着いた。登校時間で三々五々生徒達や保護者が学校に集まってきていた。中には手を振ってくれる子どももいる。事務所は裏側との前川さんの判断で入り口の反対側にまわる。9時15分、事務所らしい建物があったので、車を降りてみんなで入っていく。勢い込んで挨拶するがどうも違うらしい。反対側だという。結局、学校のまわりを左回りに一周して、最初に見つけた入り口から入っていった。9時30分になっていた。

キャンベルタウン・パブリックスクール
   子ども達は私たちを見ると、「こんにちは」と声をかけてくれる。お母さんたちは「日本からきたの?」と言っている。みんな笑顔だ。事務所の場所を聞いて行きかけると、エメラルドグリーンのシャツを着た貫禄のある女の 先生が案内してくれた。ジョイ・フラーガー校長先生だった。事務所に案内されて、「まあどうぞ」ソファーを勧められたが「準備をしたいので」とお断りして、会場となる教室に案内される。Eの表示がある教室にはいると送って頂いていた写真の通りだった。部屋の片付けはジョイ・フラーガー先生も手伝って下さった。お願いしていた机なども用意をして下さり準備にかかる。
    1人の女子児童がメモを届けに来た。メモには、午前と午後の観客となるクラスが書いてある。おおむね、午前が低学年で午後が高学年だ。これを見て、行き違いに気が付いた。私たちは、ここでの講演を午前中は英語で午後は日本語で行うことを連絡し、了解を得ていた。しかし、午後は日本語を学んでいるコースの生徒達だけと思っていた。この学校は2000年のシドニーオリンピックの時、日本のホスト校となり、選手村入村式の時「君が代」を歌った学校である。そこで、今までの情報で、日本語を学ぶ限られた児童がいると思っていた。しかし、雰囲気では全校児童が少づつ日本語を習っているらしいことが分かった。観客が違うので同じ演目を繰り返してもいいのだが、とりあえず午前の内容の一部を日本語に変更して行うことにする。
   少し気になったのは、打ち合わせを続けてきたシーラ・エクストン先生が今日は授業がなくてお休みで、その代わりが担当して下さるキリー・マクベス先生がいっこうに現れない事だ。でも、そうこうしている内に時間がきて、ボード上の扇風機を止めて準備が完了した。クラスごとに整列して生徒が入ってくる。予定のクラスが揃ったところで、10時35分公演が始まった。

公演 そのU
  ♪ Openning song ♪ Over The Rainbow ♪ Today is Monday The Trouble with Fathers Mouse
 ♪ Bigo Magic ♪Grandfather's Clock ♪ 上を向いて歩こう ♪ To Whom Do River Belong? ♪ 山の音楽家
 
  このときの公演のようすが2月24日付けの地元紙に掲載された。

シーラ・エクストン先生
   11時10分過ぎに公演終了。最後に日本語で「ありがとう」と言うと、ほぼ全員から「ありがとう」って日本語で返ってきた。2〜3回「ありがとう」のやりとりの後、生徒達が先生に連れられて教室へ動き出した。その時、赤のノースリーブに白のタイトスカート、金髪の髪をアップにした女性が笑顔で近づいてくる。日本語で「私がシーラ・エクストンです」自己紹介された。胸にカタカナでシーラ・エクストンとかいた名札を縫いつけてある。送ってもらった写真に後ろ姿は写っていたが、髪型も違うし思っていたイメージとは大分違っていた。思わず握手。
 「今日は授業がないので逢えない」
との連絡でがっかりしていたので大感激である。メンバーの一人一人と握手をして挨拶している。この公演の計画がが始まった時から、英語で何回かのメールのやりとりをしてきたので本当に嬉しかった。
  「すぐに昼食にしましょう」と、職員室に案内される。他の先生達も昼食を食べている。ここは、クーラーがかかっていて涼しい。エクストン先生の手作りの昼食。サンドイッチとパッションフルーツのジュース。デザートはオーストラリアの伝統的なケーキ「ユーミー」を用意して下さった。ユーミーは他のオーストラリアのお菓子(たとえばティムタム)と同じようにとてもとても甘い。
   シーラ・エクストン先生は、娘さんとご主人の写真を持ってきており、ご家族の事やエジプト旅行の(先生は夏休みにエジプト旅行をしている)話など、結構楽しい一時で(難しいところは前川さんに通訳で)結構盛り上がった。でも、「昼食にサンドイッチが続くなあ」と内心考えていた。昼食も終わり、午後の公演の準備に立ち上がろうとした時、シーラ・エクストン先生がフタのない箱にキャンベルタウンのマークが入ったマグカップとスプーン6セットを持って来て、記念品として下さった。なぜ6人分か分からないが、ありがたく頂くことにする。
   会場に入る前にシーラ・エクストン先生と記念写真を撮る。「メールで送ってね」と英語で言われて約束する。
真夏の中、午後の準備をすすめていた。午後の公演は日本語ヴァージョンなのでどうするか思案していた。エクストン先生から「日本語を聞くのも勉強だから予定通り日本語で」との意向をまちが聞いてきたので、日本語で行うことにした。生徒達が教室に入ってきて、1人の女の先生が止めている扇風機を回そうとしたが絵が飛ぶので、回せないことをジェスチァーで表現しようとした。理解してもらうのにしばらく時間がかかった。午後の生徒はキャンベルタウンが移民の町らしく色々な顔をしている。イスラムの女生徒は頭にベールをかぶっている。
   12時35分、午後の公演が始まった。日本語で「こんにちは」と呼びかけると、「こんにちは」と、返ってきた。

公演 そのV
 ♪ オープニングのうた ♪ ハローフレンズ ♪ はてなとお日さま  ♪ てんとう虫のサンバ ♪ パンパンサンド
 ♪ 五匹のカエル ♪ あめふりくまのこ  ♪ 花のカノン  ♪ アイアイ

   まち、ゆきも言葉の壁を乗り越えようと、MCに英語を混ぜたりジェスチァーを取り入れて、真剣に努力していた。子ども達のノリは日本での公演よりもいいぐらいで、とても楽しい雰囲気になってきた。午後の公演は学校新聞の豆記者達がカメラで取材しており、後日、写真をエクストン先生より送ってもらった。
  13時15分、公演終了。終わりの挨拶は、日本語で「ありがとうございました」の応酬。最後にエクストン先生の話があり、その時、傍に呼ばれて英語で話しかけられた。分からなので首をかしげていると、言葉を変えて下さり理解できた。学校新聞の豆記者達にも記念写真を撮らた。来校してきた時から寄ってきていた少年と一緒に肩を組んで撮したが、身長があまり変わらなかった(トホホホ・・・・) 後かたづけをして、挨拶に行こうとした時、校長先生が出てこられた。午後の授業が始まっていて、校内は静か、夏の日射しが照りつけている。校長先生と少し話をして、校内の道案内をして頂き見送って頂いた。教えられたとおりに進んでいくと、来たときに間違えて入った事務所の横に出た、13時50分その入り口から出て、シドニーへ来た道を通って帰った。

アクティブ・スタッフ
   帰り道は睡眠タイム。車の中はエアコンが効いて真夏の昼下がり、ほとんど寝ていた。14時45分、ホテル到着。着替えをして15時30分にホテルを出た。行き先は、昨日、「時間があったら来て下さい」とお誘いを受けていたカズさんのオフィス・アクティブ・スタッフ。ジョージ通りを北に登って、リバプール通りを右折、ピット通りに出て左折。北へ向かう。シドニーの町は信号機があるところも、直径10p位ある押しボタンを押さないと、歩行者用信号は変わらない。青になると、ちょっと変わった注意音が鳴る。カズさんに場所を書き入れてもらった地図をたよりに探す。パーク通りまで来て、行き過ぎに気づく。うっかり住所を書いたメモを忘れていた。シドニーは通りの名前と番地ですぐにわかる。ビルの正面には番地が示してある。側にあるビルの案内板を見たが載っていない。仕方がないので、通りの反対側にある公衆電話に行こうとした時、後ろで分かったらしい声がした。振り返ると、1人の若者が親切に教えてくれたとのこと。アクティブ・スタッフは目の前のビルの11階にあるらしい。偶然に日本人に出会い、よくアクティブ・スタッフを知っていたなと感心して、ビルの案内板を確認すると載っていた。さっき探したビルの隣だった。その若者とは話をしなかったが後に偶然出会うことになる。名前をトシさんと言う。
   地下鉄タウンホール駅の通り1つ東側でモノレールのパーク・プラザ駅のすぐ南。16時15分エレベーターで11階に上がり、受付でカズさんをお願いする。日本人の若者達が雑誌を読んだりしてたむろしていた。壁には張り紙がいっぱい貼ってあり、「奥ですよ」と言われて、入っていくとカズさんはいた。今日のキャンベルタウンでの様子を報告しながら話していると、「シドニーの情報紙を持って帰りませんか」と一抱え持ってきた。興味もあり、ありがたかったが、これから買い物もあるのでとても持って歩けない。「NICHIGO OPRESS」「Japaraia」「Cheers」の3紙の2月号を頂く。日本語で書いてある日本人向けの月刊情報誌で、「NICHIGO OPRESS」はタブロイド判で100ページある。結構重い。当然のように私が持って歩くハメになる。土産物屋とステーキ屋の紹介をお願いした。ステーキ屋は電話をして休みでないことを確認し「4人で100ドルぐらい」と確かめてもらった。16時00分にアクティブ・スタッフをおいとまして教えてもらった土産物「COCOS」に向かう。

COCOS
   ピット通りを北に向かいパーク通りを右折し、カースルレー通りを左折して北に向かう。店舗はビルの中の2階で入り口の小さめの看板がなければわかりにくい。16時20分頃、2階に上がると混雑している。日本人ツアーの団体がガイドに連れられて大勢さん買い物中。日本人向けなのか、店員はほとんど日本人。日本語が通じる中ゆっくり品物を見ていると、若い女性店員が、持っていた「NICHIGO OPRESS」を見つけて、「どこで手に入れたの? 私はまだ読んでない」と聞いてきた。観光客が持っているのがめずらしいのだろう。この店の品物は全てMade in Australia だそうだ。値段は中華街などと比べると少し高めだが、品物は心配なさそうなので土産物の大半はここで買った。カンガルージャーキーを勧められ、話の種にとビーフジャーキーと一緒に試食したが、かなり癖があり見送った。ここでは、円、豪ドル、米ドルが使えた。4人がそれぞれに買い物をして、次は免税店に向かう。

D.F.S
   カースルレー通りを北に登り、左折してハンター通りを西に向かう。真夏の日射し、時刻は17時をまわっているが日本の感覚だと16時。真夏の日射しがきつい。暑い。サングラスをしっかりかけて歩く。最初、行こうとした免税店を通り過ぎ、ロックスにある免税店GALLERIAに行くことにする。右折してピット通りを北に、アルフレッド通りを西に行き、ジョージ通りに出る。地下鉄の高架をくぐったところにある。
    1階で荷物の重さと暑さでぐったりしている3人を休ませておいて、ブティックフロアーで頼まれていた買い物に行く。ヴィトンでモノグラムのキーケースを買うつもりだたが無くて、隣のプラダへ入る。値段も手頃で、新作という黄色のキーケースを勧められ買うことにする。170ドル。支払いは現金だが、パスポート・帰りの航空券・クレジットカードの提示を求められた。店員は日本人だ。やっぱり、日本人が多いのだろう。
    次にみんなで4階の化粧品売り場へ行く。ここでは、娘のリクエスト、ランコムのマスカラを買うことが1番の目的。ところが品名を記したメモをホテルに置いてきていた。店員に聞いてこれだろうとウオータプルーフに決めたが正解だった。ツアー客ではないので、この店の買い物カードを5階の受付で作ることになる。パスポート・帰りの航空券を提示して買うことができた。100ドル。娘から言われていた金額の倍近くした。5階で土産物を探す。3人ははカードを作っていないので、一括して支払う。買い物を済ますと18時15分を回っていた。

フィリップス フット
    みんなもお腹が空いてきて、オージービーフを食べにロックスへ行く。地図で見ると歩いてすぐなのに、通り過ぎて、行き過ぎに気が付く。振り返ってよく見ると、フィリップス・フットの看板がある。入り口に男が2人、案内と用心棒のような格好で立っている店があった。雰囲気のある酒場だなと思って通り過ぎたところだ。どう見てもに肉を食べられるような雰囲気ではない。でも、店の名前が合っているので、英語で「4人行けるか」と聞いて中へ入っていく。酒場を抜けると階段を上がり、両側にテーブルと肉を焼く窯がある。ここは自分で好みに肉を焼いて食べるシステムだ。21時までに終わると言う約束で予約席に案内してもらう。日本人の観光客は少ないようだ。
    早速、肉を買いに行く。最初はシステムがよく分からない。肉はショーケースの中にシドニーカットとかランプとかTボーンとか別れてありどれも1つ25ドル。でもでっかい。日本語は全く通じなく、1つ何グラムかを聞こうとしたができなかった。300グラムはあったと思う。1人1枚は多そうなので4人で3枚買うことにする。皿の上に紙を置き、その上に肉を載せてくれる。変だなと思ったが、肉をのけた皿にサイドメニューをとるのだそうだ。サイドメニューのシステムはよく分からなかったが、まず肉を焼くことにして、ゆきが焼き、まちはサイドメニュー、みすぐはビールを買いに行った。ビールはピッチャー売りで13ドル。この日は2杯飲んだ。トンおじさんは休憩と荷物番をしていた。焼けた肉を細かくカットしてみんなで食う。暑さの中でビールが最高。肉も充分足りてみんな満腹。

ロックス
   20時頃、フィリップス・フットを出て、次の目的はハーバーブリッジのバイロン(塔脚)にある展望台へ登ること。ロックスの坂道を歩く。橋を見上げるとノースの方からアーチを歩いて帰ってくるツアーの人影がシルエットで見える。まだ外は黄昏時で薄明かりだ。両手に荷物を持って何段もの階段をてくてく登り、勢い込んで受付のカウンターに行くと17時で受け付け終了。ツアーが帰ってくるのを待っている様子。おまけに、飲酒の者は登れないとのお知らせが出ていた。なんとか眺めのいい方へ行けないかと探したが無理なので、あきらめて、階段を下に降りる。途中で案内看板を見て海岸へ出る。ロックスはイギリス人が初めてシドニーへ上陸したところで、岩だらけだったのでその名が付いたと言われている。古い煉瓦の倉庫などが並び店もレトロ風で、神戸ハーバーランドのモデルとなったらしい。歩きながらビデオのカメラを回していると、店の中から手を振ってくれる。
   ウオーターフロントの煉瓦敷広場(ファースト・フリート公園)に出ると人が多い。カップルがやたらと目立つ。海の側だが潮のにおいはあまりしない。対岸にうっすらとオペラハウスが見える。ぶらぶらと写真を撮したり、カップルの様子を眺めていたが、まだ暑さの余韻が続いている。この日38℃ぐらいだったらしい。
   帰りは地下鉄に乗る事に決めて、すぐそばのサーキュラー・キー駅まで歩く。2つ先のタウンホール駅まで1人2ドル20セント。券売機で切符を買おうとしたがコインの判別に手間取り、やり方も分からず、何回かやり直す。なかなか、うまく行かない。1人の若者が寄ってきて教えてくれた。片道(Single)のボタンを押してなかったせいだ。自動改札機は日本と違って真ん中に扇形の扉があり、両方から通れるようになっている。地下鉄のシートは落書きが多い。幸い、漢字、ひらがな、カタカナは見かけなかった。タウンホール駅を出たところの酒屋でビール(小瓶)6本入りを買う。14ドルだ。駅からジョージ通りを500メートル南に下り、ホテルに着いたのは21時過ぎだった。
    朝食の調達や次の日の公演の準備をするメンバーを尻目に、入浴、買ってきたビールを飲んで22時30分一足先にソファーで寝る。








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