小学校では、紙がボロボロになる水彩画が苦手で(きっと色を重ね過ぎてたんでしょうね)、工作の方が得意だった。でも、絵よりも読書のほうがさらに好きだった。
中学校では、図書部に入っていたが、中学3年の時、芸大に行こうと決心、教室に通いだす。高校の美術部は先生と仲間に恵まれ、学校賞をとるような活発なクラブだった。油絵で高校県展で特選を取ったが、顧問が日本画家で、その絵に魅せられる。本格的に画塾でデッサンと色彩の勉強。
武蔵野美術大学 基礎デザイン科 中退
京都市立芸術大学 造形学科 日本画専攻 卒業
大学では、上村敦先生や石本正先生等、今思うと良い教授に恵まれていたが、日本画の絵の具がどうしても使いこなせず、苦しい学生時代だった。
神戸市社会福祉協議会 児童館勤務
遊びの中で子どもの心身を育てるという、特に発想力・企画力が生かせる仕事で、思う存分仕事をさせてもらった。
子どもたちにアートセラピーや、手仕事を提供したり、お年寄りと子供の合作壁面制作、衣装を作ってハロウィーン、エコ工作、親子クラブの運営、作業所との企画連携など、子どもや母親、地域と幅広く関わる仕事を、26年続けた。阪神淡路大震災を機に、アートセラピーの勉強を始める。その間、10年で1000枚の色鉛筆画を描く。
2009・9 フェアリーブルー合同展 出品
2009・10 京芸OB 4B展 出品
2010・5 退職。 アートに専念する決意をする。
2010・7 LunLun工房立ちあげ
2010・9 京芸オークションで作品「吉祥」落札
2010・11 京芸OB 4B展 出品
2011・2 初個展(予定)